はんぺん

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2024.11.24
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カテゴリ: 慰安婦問題
​​ 慰安婦問題の「総括」は、リベラルたち自身の「人生総括」の問題だ! 避けるな!総括を!!  2024-11-24   はんぺん ​​
​​​ 韓国における 「従軍慰安婦問題」​ ​​ ​(注: 従軍 という言葉は、戦後の一部の運動家による「造語」であり、本来は、存在しなかった。誤解を招くので、存在しなかった「造語」は、使うべきではない・・・と、長年言ってきた。ここでは、韓国側が使ってきた、この造語を、一時的に、解説のために使用したモノ)​ ​​​ は、戦後のある時期から、突然飛び出してきた。

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基本的には、韓国左派(リベラル派?)が、ひんぱんに使用していたが、 その出発は、日本のリベラルたち(福島瑞穂:当時弁護 士)が、問題提起し、韓国まで出かけて、(証言者探し)を行ったことで、(火が付いた!)モノだ。
​​
戦後の戦争責任の問題(賠償なども含めて)は、極めて不十分にしか認識されず、ヒロヒト(裕仁)の始めた戦争で、甚大な被害を被った国民が、本来、補償されなければならないが、実施されてこなかったことに、大きな問題を抱えていた

その実態を暴きだすことは、辛苦をなめさせられた内外国民に報いる重要な(運動)だ。
日本軍は、海外でも、侵略するなか、多くの被害を現地住民に与えてきたから、きちんと、調査し、謝罪し、補償るのが、当然の流れである。
​今回の福島瑞穂たちによる、慰安婦問題の(掘り起こし)は、そのこと自体、間違いであるハズは無い。​
​問題は、その(掘り起こし)が、予断と偏見の下、「始めに結論ありき」で、行われた事であった。​

​​​ ​​​多くの事実が (捏造) されていく・・・・・・ あってはならない事が(事実として開陳)されたことで、それが、一人歩きし、日本と韓国の間に、大きな国際間摩擦を起こしてしまう・・・・・ これは、 リベラルによる(犯罪) だった。
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​​日本軍が、多くの現地の朝鮮人業者を使って、職業としての(慰安婦)募集をしたにもかかわらず・・・いつの間にか、日本軍隊が、直接、強引に拉致監禁して、連れ去った・・・という (大ウソ) が、真実の如く、語られるようになっていく・・・・
​​
​アジアへの侵略戦争についての(贖罪意識)から(慰安婦問題=補償)は、多くの日本人の関心を買い、支援の輪が拡がった・・・それに参加していた当時の僕も、そういう時期が、長かった!!​

​​ ​福島瑞穂たちの(調査)には、多くの(ウソ)が、でっち上げられている。今では、それらが、明らかにされてしまったので、日本の多くの(支援者たち)は、手を引いてしまった が、この(ウソ)が、大手を振っていた時代は、大阪でも(おそらく全国でも)、多くの集会、講演会、デモが、展開され、僕も、その多くに参加してきた。​​

​事実が、明らかになっていく中で、 当時の運動の中心にいた人たち は、どのような(総括)をしているのだろうか? と僕は気になるが・・・・どうなのだろうか?​
皆さんは、どう思われるか?    はんぺん
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​韓国も日本も真実に基づかない運動に騙されてきた――韓国の歴史学者が実証研究で明らかにした「慰安婦問題」の真実   ​2024-6-26   朱 益鍾  『反日種族主義「慰安婦問題」最終結論』より#1  出典 : #文春オンライン​

「日本軍慰安婦問題」は、長年、日韓の間で大きな問題とされてきた。この問題をめぐって、しばしば激しい反日運動が起きたことも記憶に新しい。しかし、韓国の歴史学者、知識人の間で、植民地時代の朝鮮について、実証的な研究を行い、 それまでの反日的な歴史観は間違いだったことを論証 する人々が現れた。​
​​ それが一冊にまとまったのが 李栄薫編『反日種族主義』 である。そのメンバーの一人である著者の朱益鍾氏は、反日運動の核のひとつであった慰安婦問題を取り上げ、膨大な資料に基づき、「慰安婦問題」の事実を明らかにした。その最終結論ともいえる 『反日種族主義「慰安婦問題」最終結論』(文藝春秋) より、プロローグを一部抜粋して紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く)​​
​「反日集会」の参加者が激減
​​​ 2019年の 光復節 【注:8月15日。1945年のその日、日本の統治から脱した、として韓国では祝日に定められている】前日である8月14日水曜日、ソウル市の温度計は摂氏35度まで上がっていた。
その日の正午、ソウル市鍾路 (チョンノ) 区にある日本大使館の前で開かれた第1400回水曜集会【注:慰安婦問題に対する日本政府の公式謝罪及び金銭的・法的賠償を要求して開かれている集会。 1992年1月8日から毎週水曜、日本大使館前で行われている 】の現場はさらに暑かった。​​​
​​​​​  2万人を超える参加者たち (集会主催側の推計)が4車線の道路を埋め尽くし、 「日本政府は、日本軍慰安婦が国家の政策として行われた戦争犯罪であることを認めろ」「日本政府は被害者たちに謝罪しろ」 と熱っぽくスローガンを叫んだ。

その1ヶ月余り前から、いわゆる 徴用賠償判決 をめぐる日韓の衝突が起きていた。大統領民情首席秘書官職から退いたばかりの曺国 (チョグク) 法務部長官候補は、 日本に対抗し竹槍を持てと煽動し、「行きません、買いません」という日本への旅行の忌避や日本商品の不買運動が広がり、商店の棚から日本のビールが姿を消すなど の、まさに反日の暴風が韓国中に吹き荒れていた。​​​​​
​ それから3年7カ月経った2023年3月15日の水曜集会には、 20人余りの参加者 が本来の集会場所から離れた所に集まった。一方、彼らを批判する反日銅像撤廃及び慰安婦法廃止を目指す運動家たちの集会には、それより遥かに多い九〇人余りが集まった。反水曜集会が水曜集会を圧倒したのである。その間、いったい何が起きていたのか。
​実証研究がベストセラーに
​​​ 2019年の夏、韓国の幾人かの知識人たちが 『反日種族主義』 という本を出し反日の暴風に立ち向かった。編著者の 李栄薫(イヨンフン)教授 は生涯をかけた経済史研究を通し、 朝鮮後期の資本主義萌芽論や日本による植民地収奪論などの韓国史学界の虚構の歴史認識を打ち壊した。 ​​​
​さらに 朝鮮王朝がなぜ衰亡したのか、植民地化とともにどのように近代文明が導入されたのか、独立後の大韓民国の驚くべき発展がなぜ成し遂げられたのか等を徹底して事実に基づき究明 した。彼は後に続く学者たちとともに、当代の韓国人たちの間に広がっていた反日種族主義を打破しようとした。​
​ 筆者も執筆に加わったその本は、 韓国人が植民地時代に対して持っている歴史認識というものは作り出された話、すなわち虚構(フィクション)であることを痛烈な筆致で暴露 した。
​今日多くの韓国人たちは、帝国主義下にあった日本が、大韓帝国末期の混乱期に朝鮮の領土だった竹島(韓国名は独島(トクト))を奪い取り、土地調査事業の過程で朝鮮人を虐殺し、土地を奪い、米を収奪し、朝鮮人数百万人を労働力として強制動員し、かつてアフリカで行われた奴隷狩りさながらに朝鮮の少女たちを銃剣で脅して連行し、日本軍の性奴隷にしたと信じている。​
​この本は、 このような韓国人の近現代史認識は根拠のない作り話 であり、この嘘の話を鵜呑みにしている韓国人たちが日韓関係、更には米韓関係を破綻させているのが現在の大韓民国の危機の根源であると喝破した。 ​
 この本に対し、反日種族主義に染まった学界と言論界に従事する者たちが悪意に満ちたとげとげしい非難を浴びせかけてきたが、一方で本に共感する人々も多かった。この本は学術教養書としては異例の11万部以上の超ベストセラーとなった。
​慰安婦運動内部で次々不正が発覚
​​​ 2020年5月には、慰安婦運動を牛耳ってきた 正義記憶連帯(以下「正義連」 とする)の ​前理事長・尹美香 (ユンミヒャン) による後援金横領疑惑​ が暴露された。 ​驚くべきことに暴露したのは、尹美香と手を結び慰安婦運動の顔ともなっていた 元慰安婦の李容洙 ​(イヨンス)​ だった。​ ​​​
​​​彼女は、 尹美香が元慰安婦たちを利用して集めた国民からの寄付金を私的に流用し、更には私欲にかられて国会議員にまでなった と批判した。このことはすぐにソウル市と政府から支援金を貰っている 慰安婦運動組織・正義連 と、その前身である 韓国挺身隊問題対策協議会(以下「挺対協」とする) の会計不正及び寄付金橫領疑惑へと広がった。​​​
​ 警察による捜査が進んでいた6月、この横領疑惑の内幕を知る麻浦(マポ)区にある 慰安婦センター「平和のわが家」の管理所長が謎の自殺 を遂げた。文在寅(ムンジェイン)政府の検察はその年の9月、尹美香を業務上横領、詐欺などの疑いで起訴した。
しかし、文在寅(韓国左派大統領)が任命した金命洙(キムミョンス)大法院長【注:日本でいえば最高裁判所長官】のもとにある地裁は2年半にもわたるモタモタ裁判の末、2023年2月、1700万ウォンの横領のみを事実として認め、1500万ウォンの罰金刑を宣告した。尹美香はこの判決で免罪符を得たかのように意気揚々としていたが、9月の二審判決では懲役1年6カ月、執行猶予3年を言い渡された。(略)
 慰安婦運動家らが主張し、その間、 ​大多数の韓国人が信じてきた慰安婦の物語は、果たして本当なのかという懐疑が広がり始めた。朝鮮人少女は本当に日本の官憲に強制連行されたのか、彼女たちは本当に慰安所で報酬も貰えず日本軍に集団強 姦され、日本の軍人と業者に暴行拷問されたのか、そして本当についには日本軍が敗走する戦場に捨てられ虐殺されたのか、と。​
​事実と食い違う証言
​ 実のところ、慰安婦運動に関わる韓日の慰安婦問題研究者たちの行ってきた研究自体が、その運動の真実性に疑問を抱かせるものだったのである。 1990年11月の挺対協の結成、1991年8月の元慰安婦・金学順(キムハクスン)の最初の証言、1992年1月の水曜集会の開始から今に至る30年余りの間、慰安婦関係の資料が数多く発掘され、 それらを分析した研究が多数出された。
そして、その大多数の研究者は、結論として一様に「慰安婦は強制連行された性奴隷だった」と主張してきたが、彼らが資料の分析を通して実際に示した事実はその主張とは食い違っていた。
​​  強制連行、強制動員の客観的証拠はなかった。 日本の軍人や官憲に強制連行されたことが客観的資料により明らかにされた慰安婦は一人もいなかった。性奴隷であったことは事実として立証されておらず、「私たちがなぜ性奴隷なのか」と反発する元慰安婦もいた 。慰安婦運動家たちができるのは、「被害者がまさか噓をつくわけがない」「被害者の涙が証拠だ」と元慰安婦たちの証言の肩をもつことだけなのである。
​​
​​ 日本軍による強制連行、虐待、暴行を語った元慰安婦の証言。しかし、それらの証言をあらためて検証すると――?  『反日種族主義「慰安婦問題」最終結論』より#2  朱 益鍾朱 2024/06/19
​「日本軍慰安婦問題」は、長年、日韓の間で大きな問題とされてきた。この問題をめぐって、しばしば激しい反日運動が起きたことも記憶に新しい。しかし、韓国の歴史学者、知識人の間で、 植民地時代の朝鮮について、実証的な研究 を行い、それまでの反日的な歴史観は間違いだったことを論証する人々が現れた。
​ それが一冊にまとまったのが 李栄薫編『反日種族主義』 である。そのメンバーの一人である著者の朱益鍾氏は、反日運動の核のひとつであった慰安婦問題を取り上げ、膨大な資料に基づき、「慰安婦問題」の事実を明らかにした。その最終結論ともいえる『反日種族主義「慰安婦問題」最終結論』(文藝春秋)より、プロローグを一部抜粋して紹介する。(全2回の2回目/1回目から続く)​
​辻褄の合わない慰安婦証言​
 挺対協が関わる慰安婦証言集の中から、「慰安婦」キム・ウィギョンの証言をかいつまんでみてみよう。
 ****************
 1918年、京城(注:現・ソウル)の太平(テビョン)通りで生まれたが、家は貧しかった ……20歳になった1938年の春だったか秋だったか、2人の日本の軍人が、私が一人でいる家に来た。彼らは「軍人たちの所に行こう」と噓をつき、汽車の駅に私を連れていった。

 そして馬を載せる貨車に八人の女性と一緒に乗せられた。京城の女性、全羅道の女性、慶尚道の女性など、みな捕らえられて来たのだった。……
 突然汽車が止まったと思ったら、一群の日本軍が汽車に押しかけてきて、無理やり貨車の戸を開けた。汽車には全部で30人余りの女性たちが乗っていたが、日本軍は私たちをみな野原に引きずり出し輪姦した。

女性たちが死に物狂いで反抗すると、日本軍は刀で威嚇し銃床でなぐり始めた。私はなぐられ、身体中傷だらけになり血まみれになった。幾人かの女性は逃げようとしたが、むやみやたらに銃で撃たれ弾に当たって死んだ。……
 汽車は南京の、とある河の北側に到着した。私たちは馬小屋で過ごしたが、数日間は食べるものもなく飢えるしかなかった。私たちは昼は日本軍の服を洗い、夜は日本軍に蹂躙された。この部隊はときには数百人にもなった。……
 南京に一年ほどいたが、その後、車に乗せられて部隊について回り、宣昌(2年)や長沙(4年)に移った。……日本の軍人たちがお金をくれたが、日本が負けるとそれには何の価値もなくなった。(韓国挺身隊研究所 2003年)
 ******************
​ 私には 理解しがたい証言 である。日本の軍人が白昼に京城のある民家に押し入り「軍人たちの所に行こう」と言って女性を引っ張っていった、そうやって引っ張っていった女性たちを汽車に乗せ、遠く中国にまで連れていった、そして、どこかで汽車が止まると、別の日本軍が束になって押しかけてきて女性たちを強 姦し、逃げる女性たちは銃で撃ち殺したというのである。​
女性たちが逃げたとしても、軍人だったらたやすく捕まえられたはずで、せっかく遠くまで連れてきた女性たちを、そんなに簡単に銃で撃ち殺したりするだろうか。そもそも、苦労して女性たちを引率してきた側の軍人たちは、押しかけてきた側の軍人たちが彼女たちを銃で撃ち殺したりしても、指をくわえて見ていたのだろうか。
年老いた元慰安婦が辻褄の合わない話をするというのは、ありがちなことではあるが、この証言を採録した者が何の事実確認作業もしなかったというのは、私にはまるで理解できない。
理解しかねるのは、有名な慰安婦運動家の李容洙の証言も同じである。1993年に刊行された初の慰安婦証言集で李容洙は、友人の母親から、友人と一緒に良い所に仕事に行くよう提案され、こっそり家出したと証言している。
日本人の男から赤いワンピースと革靴を貰い、とても嬉しくて彼についていったという話だった。李容洙は1992年8月15日に放送されたKBSテレビの「生放送 女性、私は女子挺身隊」という番組でも「私はそのとき16歳で、貧しくてボロしか着られず、ろくに物も食べられずにいたのだけれど、誰だったか赤いワンピース一着と革靴一足を持ってきてくれました。それを渡されながら行こうと言われ、それを貰って、そのときは何も知らずに、いいよと言ってついてゆきました」と証言していた。
​​ ところが 後日、李容洙は、日本の軍人や官憲に強制的に連れてゆかれたと証言を変えた
 特に2007年2月16日の 米国議会の聴聞会では、「軍人と女の子が入ってきて肩をこう摑み、片手で口を塞ぎ、背中に何かを突きつけながらそのまま連れてゆきました、夜に」 と証言した。​​
米国議会の聴聞会という重要な席でようやく、それまで口にできなかった真実を述べたのか、それとも、あまりにも重要な場だったので意図的に噓をついたのか。このことについて慰安婦運動家たちは、何の言及もしようとしない。
​透き通った目で資料を読む​
​慰安婦がいかなる存在だったのか知っていた同時代の人たちは、慰安婦を日本による植民地支配の被害者とはみなさなかった。韓日請求権交渉においても、慰安婦は韓国側の被害事例として提起されなかった。日本軍慰安婦が存在していたときから ​40年余りが経ち、その記憶を持つ人たちがいなくなると、新たな慰安婦の物語が作られ始めた。​​
​ 道ばたで、村の井戸ばたで、あるいは我が家で日本の軍人や官憲に捕まえられた朝鮮人少女が、 日本による侵略戦争の戦場に引っ張ってゆかれ慰安婦にさせられた。朝鮮人少女は日本軍の性の慰み者として酷使されたばかりでなく、日本の軍人に虐待され暴行された。そしてついには日本の敗戦時、その少女らはふるさとに帰れず虐殺された。運よく生きて帰ってきた少女らは、後日おばあさんになってようやく慰安婦の実態を告発し、日本を糾弾した。・・・・・・・​
​​ この 慰安婦の物語 は、 強制動員された徴用工の物語 とともに韓国人に強烈な反日感情、反日主義を呼び起こした。自分の姉妹が、娘が日本軍に連れてゆかれて性の慰め者になったとしたら、どうして怒らずにいられるだろうか。 ​​この物語を作り出し慰安婦運動を主導した 挺対協、正義連 は、ついに政府の対日外交まで牛耳るに至った。
​​​​
その結果、 ​2010年代末の慰安婦運動と徴用工運動は韓日関係を破綻状態に追い詰めた。​
 歴史の真実を明らかにしようとする幾人かの勇気ある歴史家たちが、慰安婦の真実を語り始めた。そしてまた、慰安婦運動家たちの間の内輪揉めによりその黒い内幕も一部露わになった。ついに真実の時間が訪れた。
​慰安婦関連資料はその間、とてつもない量にまで蓄積された。 反日の色眼鏡をはずし、透き通った目でこれらの資料を読みさえすれば 、日本軍慰安婦制がどのようなものであったのか、きちんと把握できる。​
さあ、一緒に日本軍慰安婦制の内幕を探る旅に出よう。
―――――――――――――――――――――――――
​​ 韓国検察、尹美香議員に懲役5年求刑…「元慰安婦のためのお金、小遣いのように流用」  2023-1-7  韓国中央日報日本語版 ​​​
​6日にソウル西部地裁の審理で行われた結審公判で、 正義記憶連帯(正義連)後援支援金を私的に流用した容疑などで起訴された無所属の尹美香(ユン・ミヒャン)議員(58、元正義連理事長) に対し、検察が懲役5年を求刑した。共に起訴された正義連理事であり元韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)常任理事のキム被告(48)には懲役3年を求刑した。​
​検察は尹美香被告について 「長期間にわたり犯罪行為の種類が多いだけでなく罪質も重く、団体最高責任者であり実務責任者として犯行を主導したにもかかわらず反省する姿を見せていない」 と主張した。
​続いて 「長い歳月の間、苦痛を受けたおばあさんたちのために市民が少しずつ募金した資金を自分の小遣いのように使用し、挺対協の資金をあたかも個人事業家のように使う過程で横領の犯行をした」 と叱責した。​
尹被告は最終弁論で「2年間の裁判で行政と会計上の未熟があったことを痛感した」とし「その責任があるのならば、すべて代表の私にあると考える」と述べながら頭を下げた。
その一方で「検察が主張するように私益を追求する意図を持って挺対協で仕事をしたのではない」とし「私と私の同僚がまた旧日本軍慰安婦被害者とした約束を守って、平和活動を活発にできるよう賢い判決を下してほしい」と訴えた。
​尹被告とキム被告は管轄官庁に登録することなく2015-19年に団体の口座で計41億ウォンの寄付を受け、慰安婦被害者・金福童(キム・ボクドン)さんの葬儀費や海外展示性暴行被害者支援などの名目で1億7000万ウォン(約1780万円)の寄付金を個人の口座で募金した疑い(寄付金品法違反)で2020年9月に在宅起訴された。​
​また2011年-20年に個人の口座で募金した慰安婦被害者の葬儀費など1億ウォンを私的な用途に使った業務上横領容疑と、2013年-20年に政府とソウル市から補助金3億ウォンを不当に受領した補助金法違反容疑もある。​
​さらに重度認知症と診断された吉元玉(キル・ウォンオク)さんの心身障害を利用して女性人権賞の賞金1億ウォンのうち5000万ウォンを正義記憶財団に寄付させた疑い(準詐欺)、慰安婦被害者施設を相場より高値で取得した容疑(業務上背任)もある。​
尹被告とキム被告に対する判決は2月7日午後2時に言い渡される。
――――――――――――――――――――――――
​​​ ​慰安婦被害支援施設「ナヌムの家」後援者、後援金返還訴訟1審で敗訴   2022-12-21   韓国中央日報日本語版 ​​​
​ 韓国京畿道広州市(キョンギド・クァンジュ)にある 日本軍慰安婦被害者支援施設「ナヌムの家」 の後援者が後援金返還訴訟1審で敗訴した。​
 ソウル中央地裁民事68単独(部長パク・ジンス)は20日、後援者50人余りが同施設の運営会社である社会福祉法人「大韓仏教曹渓宗(チョゲチョン)ナヌムの家」に対して起こした後援金返還請求訴訟で原告敗訴の判決を下した。
​当時、 同施設の一部職員は運営会社が慰安婦被害者のために後援金を使わないで不動産や現金資産として保有するなど、違った目的のために使用しているという疑惑を提起し た。
これに対して「慰安婦ハルモニ(おばあさん)寄付金および後援金返還訴訟対策会」は2020年5月、同施設に対する後援金流用論争が持ち上がったことを受け、約9000万ウォン(現レートで約923万円)を返還するよう求める訴訟を起こした。ただし、この日裁判部は返還訴訟1審で原告敗訴の判決を下した。
後援者側は「ナヌムの家関連の疑惑が事実かどうか明確にならなかった状況でこのような結果が出て残念」としながら「判決文を入手した後、控訴するかどうか決める」と話した。
後援者は韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)と日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯(正義連) の理事長を勤めた尹美香(ユン・ミヒャン)無所属議員に対しても後援金の返還を請求している。裁判所は尹議員の刑事裁判1審結果を見守った後、審理を続ける方針だ。​
​尹議員は政府補助金を不正に受け取り後援金を個人口座で募集するなど私的流用容疑で2020年9月に起訴されて1審裁判を受けている。​
​​​​​​ ​​





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最終更新日  2024.11.28 13:03:35
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