育てているのは未来です

育てているのは未来です

2019.04.29
XML
カテゴリ: 未分類
 子どもたちの具合はどうですか? 発熱などで体調の悪い子どもたちのことが気になりながら、長いお休みに入りました。保護者の皆様には本当にご迷惑をおかけしてすみません。人生の中ではもう二度とないと思われる連休なのでどうかお許しください。

 今日28日は、職員みんなの親睦バス旅行で高知に行きました。連休にはそれぞれの計画もあることと思い初日にしたのですが、川之江からの高知に向かう自動車道の、淡路方面との分岐点で京阪神方面に行く車の大渋滞に巻き込まれ、定刻通りだと2時間10分の旅程が3時間50分もかかってしまいました。
 11時45分到着予定で前もって居酒屋のランチを予約していましたが、オーダーストップの午後1時半には間に合わず、しかたなく車中のトイレからキャンセルの電話を入れました。とりあえず、ひろめ市場内で分散すればなんとかなると甘い考えでいましたが、そこにはあふれるくらいの人がいて通るのもやっとの状況です。店の前にはテーブルの前にどっかと腰を据えてビールやお酒を飲んでいる人ばかりで、とても我々が座る場所が空きそうにはありません。
 出発前に、「土佐牛のあぶり定食にする?」それとも「カツオたたき定食?」とみんなのオーダーまで取っていたのに、街をうろうろした挙句、結局はそのあたりの店でお弁当を買ってきて、広場に作られたテント下の仮設テーブルで遅い昼食という大変残念なことになりました。

 一応は高知にいったという証拠みたいな、はりまや橋と日曜市の写真です。着いたのが午後2時近くになっていたので、一部の店はもう片付けを始めていました。


 いろいろ考えてはいましたが時間がありません。せっかくなので高知城にだけは、と登城?してきました。でも、ここも人がいっぱい!! 上野動物園に日本初めてパンダが来た時のように、下から天守閣までを、人の流れに押されながら上り下りしただけで入場料420円×13人分は、なんとなく損をした気分でした。


 天守閣から見た二の丸三の丸です。今は広場になっていますが、もともとはここに城主の生活の場であった住居がありました。明治維新にともなう廃城令でお城全部を壊すというところを、「市民のための公園にする」という名目で天守だけ残すことを許されて、あとは取り壊されてしまったそうです。そこは、松山城も同じような経緯で残ったのだと聞いています。
 天守閣というのはシンボリックなもので、一階部分を除くと殿様や家臣が日常的に上り下りすることはなく、ほとんどが物置や武器庫として使われていたそうです。そのため、高知城だけではなく、どこも二階以上にはトイレもなければ台所もありません。


 高知城の石垣は、きれいに加工された石を積み上げたものではなく、角の部分など必要な部分以外は、段々畑のように自然石をそのまま積み上げた野面積みという方法で作られています。雨の多いこの地方では、水はけの良いこの工法がベストだったのだそうです。工事には、近江あたりの築城で技術を磨いていた、穴太衆(あのうしゅう)という職人集団があたりました。
 ボランティアガイドの人に、「ここがベストポイントじゃき」と教えてもらったところで、先生たちの写真を取りました。日本に木造の天守閣は12か所しか現存していません。そのうちの4つが残っているというのは、四国が本州と離れていたというのも理由のひとつかもしれません。ちょっと鼻高ですね。


 高知城には、明治維新で活躍した板垣退助、城主の山内一豊(山之内一豊)、一豊の妻の銅像があります。山内一豊はもともとは豊臣の家臣でしたが、秀吉の死後は徳川の家来となり、関ヶ原の戦功で土佐の城主に任じられます。長い徳川幕府の時代を国替えされることもなく、土佐藩主として幕末までずっと家督を守ったのはすごいことだと思います。
 江戸時代、板垣退助は城主に直接仕える上士という身分の侍でしたが、同時代を生きた坂本竜馬は馬回りとか門番とかをしていた下士という身分の侍で、ボランティアガイドの人が、竜馬はこのお城に入ることはもちろん、近づくこともできなかっただろうと話していました。それほど、当時の身分制度は厳しかったのです。
 江戸時代には殿様にも、譜代大名と外様大名、武士の中でも殿様に直接会うことが出来る直参旗本という特別な武士がいましたし、明治以降も政府の要人は元大名だったり上級武士だったりしました。それまで普通の国民だった人で作った軍隊にも、近衛兵というような特別な軍団がありました。それがこの国の秩序を作り維持していくための統治の仕方だったわけです。
 そう考えると、だれもが努力し、チャンスと運に恵まれれば、政治家にも公務員にも教師にも、また会社の社長にもなることが出来る今は、本当にありがたい時代だと思います。

 帰りのバスに乗る前に、はりまや橋のバスセンターの建物にある、からくり時計を見に行きました。一見、壁に取り付けられただけの普通の時計が、6時になったとたんに動き始めてて、よさこいの人形が出て踊ったり、竜馬や「ぼんさん」が女の人にかんざしを渡すシーンも登場してなかなか楽しいです。ハンドベルのように実際に鐘を叩いて演奏する音楽もいいですね。高知に行ったら、ぜひ行ってみてください。ただ、鐘の中に一個だけちゃんと鳴らないのがあるので、そこは早く修理してほしいです。
 8分あったからくり時計のパフォーマンスを見た後、6時25分のバスに乗って松山に帰りました。帰りの自動車道も同じ場所で少し渋滞しましたが午前のようなことはなく、15分遅れで無事、松山インターに到着しました。外国に出かけるような豪華な親睦旅行はできませんが、職員みんなが仲良く力を合わせ、子どもたちのため、それぞれの使命を果たすモチベーションにつながったら、なによりの連休の成果です。

 連休明けには、子どもたちみんなが元気な笑顔で登園してくれますように・・・・





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2019.04.29 15:02:58
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.

Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: