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記念館の中にある古い建物長岡藩家老河井継之助が終焉を迎えた矢沢宗益宅です。ダムが出来水没するために一部移築をしたそうです。河井継之助は戊辰戦争の際、中立を貫こうとしましたが、小千谷会談で新政府軍との交渉が決裂し、戦闘によって長岡は火の海となり河井継之助は長岡では評判が良くないそうです。負傷した河井継之助は数千人の長岡の人と新潟県三条市から続く八十里越という峠を越えて只見まで落ち延びてきたそうです。ガトリング砲のレプリカ司馬遼太郎の峠という小説があります。河井継之助の墓です。敵の手に渡らないようにすぐに川原で火葬され骨壺に納められなかった骨がここに祀られているそうです。塩沢川です。美しい風景です。河井継之助の時代にはダムが無かったので水面はもう少し低かったのでしょう。撮影 2022.11.15
2023年09月28日
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国道沿いに駐車場があたのでそこに車を停めて河井継之助記念館に向かいます。只見線を越えます。只見側です。会津若松側河井継之助記念館です。ここまで車で来れたようです。入り口です。戊辰戦争の激戦地です。撮影 2022.11.15
2023年09月27日
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帆船マークののれんむかしの街の様子。 天窓です。室内が明るい職人技です。 お土産コーナーにあった大蛸の干物値段が付いて無いので非売品かも。 むかし下津井海鮮問屋の前の漁港からも瀬戸大橋が見えます。漁港近くのお土産屋さんの目にも止まらない速さで回る自動魚乾燥機風が無くとも干物ができるしハエが止まる暇もない高速回転です。写真に写らないのでおねえさんがスイッチを切ってくれました。 撮影 2023.06.16
2023年07月09日
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立派なお庭があります。池には金魚が沢山居ます。縁側のある家はほとんどなくなりましたね。立派なトイレです。2階にも展示があります。2階から土間を見たところです。これもあまり見られなくなったいらか(瓦)の波です。撮影 2023.06.16
2023年07月08日
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お店の表はこちら側だそうです。人が通る街道に面しています。廻船問屋ですからメインは海です。昔の風情を残す通りです。店の中です。幾つも部屋があって広いです。あがっても良いとのことで見学します。奥の部屋です。撮影 2023.06.16
2023年07月07日
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下津井漁港にやってきました。瀬戸大橋が見えます。「むかし下津井海鮮問屋」に来ました。何屋さんでしょう。お土産屋さんでしょうか。こちらはレストランのようです。立派な蔵がありました。中には展示物が沢山あります。蔵の材木は太く台風が来てもびくともしそうにありません。この中にニシンなどの海産物を沢山詰め込んだようです。撮影 2023.06.15
2023年07月06日
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北里柴三郎博士の生家です。実際は川の方にあったものを移築したそうです。床の間のある部屋こちらは居間だったのでしょうか。傷だらけの机がありました。博士が使われたものでしょうか。そんな貴重なもの置いておかないでしょうね。台所やお風呂は別棟だったのでしょうか。破傷風やペストの研究で何億人もの人の命を救った人が美しく静かなこの地で生まれたことを思い出しながら、来年新しい1000円札を使って行きたいと思います。撮影 2023.02.24
2023年04月21日
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北里文庫1916年地元の子供たちのために私財1万円を投じて図書館をつくられたそうです。現在展示室になっていてその当時の本は奥の蔵に保存されています。貴賓室です。北里文庫と貴賓室は建てられた時のままの位置だそうです。高台にあるので眺めがよいです。2階の和室です。左に見えるのが移築された生家です。生家の方へ行ってみます。撮影 2023.02.24
2023年04月20日
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ここからしばらく進んだところに北里柴三郎博士の生家があるので行ってみます。北里柴三郎記念館になっています。門を入ります。博士夫妻が植えた杉の木だそうです。北里柴三郎博士は来年度発行される新千円紙幣の肖像になります。聖徳太子とか昔の人でないですから、今の子供たちは偉業を成し遂げて紙幣の肖像になるという夢が持てますね。建物の中を見学します。撮影 2023.02.24
2023年04月19日
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