私家版 さいたまの石仏

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

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2015.11.25
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カテゴリ: 東京 板橋区の石仏
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今日から西台に入ります。北のほうから見てゆきましょう。

善長寺 板橋区西台2-18

1DSC_0485.jpg

首都高速道路の下、西台交差点の西の細い道を進むと善長寺がある。
本堂の左手奥に六地蔵をはじめ多くの石塔が並んでいた

2DSC_0486.jpg

手前から六地蔵菩薩立像。一番右の像だけ小さく見えるが、蓮台を欠いているため
像自体は同じ位の大きさ。それぞれの台に宝暦10(1760)~安永5(1776)の年号と
多くの戒名が刻まれている。

DSC_0787.jpg

右から二番目の台、田端郷中、「奉建立地蔵大菩薩」中央には堀下郷中老若男女、
続いて為結縁菩提二世安樂也。世話人二人の名前が刻まれていた。

DSC_0788.jpg

右から五番目の台、壹躰願主 個人名、中央に田端念佛講中。施主 個人名を刻む。

5DSC_0490.jpg

隣 地蔵菩薩坐像 宝暦2(1752)全体に風化が進みはっきりしないが、塔上部は
合掌した地蔵菩薩の坐像と思われる。その下、中央は南 弥りま道。右脇に年号。
左脇は人名のようだがうまく読むことはできなかった。

DSC_0790.jpg

塔の右側面 東 戸田わたし道。左側面 北 徳丸吹あげ道。それぞれの下のほうに
数名の名前。村人、旅人が行き交う辻に立ち、しっかりした道標だったのだろう。
塔の上部にはたくさんの窪み穴が深く穿たれていた。

8DSC_0497.jpg

奥に庚申塔 造立年不明 日月雲 青面金剛立像剣・ショケラ持ち六臂。こちらも
風化が進み、中央に断裂跡がある。六臂の持物は法輪だけが確認できるがあとは
はっきりしない。ちょうど腹部あたりに断裂後の補修跡が残り見にくいのだが、
前両手の構えから剣・ショケラ持ちと思われる。

9DSC_0500.jpg

下部にはカビが多くこびりついているが、二鶏も比較的しっかり彫られていて、
足下にはずんぐりとした邪鬼、その下に丸々とした三猿の姿が見られる。

10DSC_0498.jpg

塔の右側面 西 ねりま道。左側面 東 江戸道。どちらも大きな字で刻まれていた。

11DSC_0502.jpg

続いて白衣観音立像。資料では聖観音となっているが、被り物の様子、経典を
持っている点などから白衣観音ではないだろうか。銘などは見当たらない。

12DSC_0504.jpg

その隣は丸彫りの地蔵菩薩立像 宝永7(1710)合掌型。静かな表情をしている。

13DSC_0505.jpg

下の台三面にそれぞれ四文字十行ほどの文字が刻まれていた。うまく読めないが
紀年銘は見えないので戒名ではないだろう。あるいは僧名か?

DSC_0796.jpg

台の裏面 造立年月日。脇に武州豊嶋郡西臺堀下村、講中 善男女と刻まれている。

15DSC_0507.jpg

その奥に唐破風笠付の庚申塔 元禄12(1699)正面中央を窓型に彫り窪めた中に
「奉造建庚申供養塔現當安樂」窓の外、両肩に日月雲。下部に蓮の花を彫る。

16DSC_0509.jpg

塔の右側面 武州豊嶋郡西臺堀下村本願構衆如左。右下に人名が見える。

17DSC_0510.jpg

左側面には加會念佛構衆善信女二十二人と刻まれていた。加會は字名か?

DSC_0801.jpg

裏面 造立年月日、その脇に現住圓福大恩代誌?さらに二十数名の名前を刻む。

19DSC_0512.jpg

隣 庚申塔 正徳6(1716)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。塔の左側に
カビが多い。光背右「奉造立庚申供養塔二世安樂処」続いて造立年月日。
その下には武州豊嶋郡西臺堀下村と刻まれていた。光背左は読みにくい。
開眼師圓福現住□□・・禅定門?天・・・あとはカビが多すぎる。

20DSC_0515.jpg

下部はあいまい模糊とした中にもっさりと邪鬼。その下に三猿を彫る。
三猿の下にも文字があるようだが、残念ながらやはり読めなかった。

21DSC_0517.jpg

奥に 六字名号塔 天保5(1834)徳本上人の独特の書体で「南無阿弥陀仏」
塔の右側面に造立年月日。そのほかの面に文字は見当たらない。

22DSC_0520.jpg

左端には子育て地蔵尊坐像 弘化5(1848)錫杖を持ち左手に子供を抱く。
塔の正面 文字は薄いが両脇に江戸下谷 龍泉寺村、中央は「造立□□・・」
後ろのほうはカビもあり読みにくい。

DSC_0504 (2).jpg

塔の左側面 中央に銘曰とあり、両脇に合わせて28文字の願文を刻む。

DSC_0528.jpg

塔の右側面はやはり字が薄すぎて長い文の半分ぐらいしか文字が読めないが
この石塔の由来だろう。裏面には年号。続いて武州豊嶋郡西臺邑 善長寺。
さらに現十七世□篤翁代新造立と刻まれていた。





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Last updated  2015.11.25 17:45:53
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