私家版 さいたまの石仏

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

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2016.01.19
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カテゴリ: 東京 板橋区の石仏
ホームページ「私家版さいたまの石仏」は こちら

今朝は久々の積雪のため、日課の散歩も自転車もお休みでした。自宅でのラジオ体操だけではちょっと物足りないですね。

今日は小豆沢公園周辺の石仏を見てみましょう。

志村三丁目交差点南東角 板橋区小豆沢3-12

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中山道と環八通りの交差する志村三丁目交差点、南東の角のあたりに小堂があった。中山道はここから志村坂上まで長い登り道になるが、現場は中山道の東側歩道の側道で、坂の上り始め地点からは左下方になり、うっかりすると見逃してしまうかもしれない。

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地蔵菩薩立像 安永4(1775)下の台の正面に「念佛講中」とあり、その両脇には造立年月日が刻まれていた。

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右手に錫杖、左手に宝珠。静かだが凄みのある表情をしている。

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台の右側面に文字は見えない。左側面には 左 ぜんこうじ。荒川を越えた向こう岸、川口市舟戸の善光寺のことだろう。

小豆沢公園弓道場裏 板橋区小豆沢3-8

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志村三丁目交差点の東、小高い所に小豆沢公園がある。その西の端にある弓道場の裏に二基の庚申塔が並んでいた。

2DSC_0374.jpg

右 庚申塔。上部破損のため年代などは不明。中央に二世安樂所、右上に村、左に、五月とだけ見える。下部にはシンメトリックな三猿が彫られていた。こういったシンプルな三猿も面白い。

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左 庚申塔 正徳4(1714)正面 梵字「ア」?の下に日月雲。中央に「奉供養庚申講中二世圓満祈所」その両脇に造立年月日。右下に武州豊嶋郡志村、左下に講中敬白と刻まれている。下部はかなり土の中に埋まっているが、丸く三つ見えているのは三猿の頭かもしれない。

板橋中央総合病院北東角 板橋区小豆沢2-19

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小豆沢公園のすぐ南に板橋中央総合病院がある。その北東の角の歩道のあたりに庚申塔が立っていた。

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庚申塔 天明5(1785)正面 梵字「ウーン」の下「奉造立庚申供養塔」右脇に年号。左わきに武州豊嶋郡志村講中と刻まれている。

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塔の左側面 左ハ上いたばしみち。右側面には 右ハ大山道。道標を兼ねる。

小豆沢公園南住宅内の庭 板橋区小豆沢2-22

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小豆沢公園の東の端、体育館の向かいにある路地の先の住宅の庭に二基の石塔が並んでいた。訪問時にたまたま家の方がいらしたのでお願いして写真を撮らせていただいた。

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右 地蔵菩薩坐像 年代不明。逆光のためうまくピントを合わせることができず、下の塔部正面に文字は見えるもののうまく読み取れない。

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その下の台には四面に渡り「おひさ」「おやす」など、多数の女性と思われる名前が刻まれていた。資料によると天明3(1783)年の浅間山大噴火によって小豆沢村で亡くなった人たちの名前だという。女性だけを供養したものだろうか?

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左 般若経供養塔 年代不明。正面「奉讀大般若供養塔」右脇に天下泰平、左脇に村内安全。塔の右上部が欠けている。

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塔の右側面は崩落のため文字は読めない。左側面も一部破損していて、九月十五日という銘だけが残っていた。





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Last updated  2016.01.19 21:10:37
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