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平成30年3月12日(月) 詩集「測量船」:三好達治(14) 峠(3) 私は考へた、ここにこうした峠があるとするからは、 ここから眺められるあの山々の、ふとした一つの襞(ひだ)の高 みにも、こことまったく同じやうな小さな峠があるだろ う。それらの峠の幾つかにも、風が吹き、蜂や燕が飛ん でゐるだろう、そこにも私が坐ってゐる――と。そして 私は、足もとに点々と咲いた白い小さな草花を眺めなが ら、それらの覆ひかくされた峠の幾つかをも知ることが 出来た。 (つづく)
2018.03.12
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平成30年3月11日(月) 詩集「測量船」:三好達治(13) 峠(2) 空は晴れてゐた。遠く、叢のきれた一方に明るく陽を うけて幾つかの草山が見え、柔(やはら)かなその曲線のたたなは る向ふに藍色に霞(かす)んだ「天城(あまぎ)」が空を領してゐる。私の 空虚な心は、それらの小山を眺めてゐるとほどよい疲労 を秋日和(びより)に慰められて、ともすれば、ここからは見えな い遠くの山裾の窪地とも、またはあの山なみの中腹のそ のどこかとも思へる方角に、微(かす)かな発動機船の爆音のや うなものを聞いたのだったが、(それはしばらく続いて ゐたらしいのだが、)ふと、訝(いぶ)かしく思へて耳を澄まし て見ると、もう森閑(しんかん)として何のもの音も聞えて来なかっ た。時をり風が叢を騒がせて過ぎ、蜂(はち)の羽鳴りがその中 を弓なりに消えていってはまたどこからか帰ってきた。 翼の白い燕(つばめ)が颯々(さつさつ)と羽風を落していった。 (つづく)
2018.03.11
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詩集「測量船」:三好達治(12) 峠(1) 私は峠に坐ってゐた。 名もない小さなその峠はまったく雑木と萱草(かやくさ)の繁みに 覆(おほ)ひかくされてゐた。xxニ至ル二里半の道標も、やっ と一本の煙草を喫ひをはってから、叢(くさむら)の中に見出された ほど。 私の目ざして行かうとする漁村の人人は、昔は毎朝こ の峠を越えて魚を売りに来たのだが、石油汽船が用ひら れるやうになってからは、海を越えてその販路がふりか へられてしまったと私は前の村で聞いた。私はこの峠ま でひとりの人にも会はずに登ってしまった。 路はひどく荒れてゐた、それは、いつとはなしに雨に 洗ひ流されて、野茨(のいばら)や薄(すすき)の間にともすれば見失はれ易く 続いてゐた。両側の林では野鳩が鳴いてゐた。(つづく)
2018.03.10
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平成30年3月9日(金) 詩集「測量船」:三好達治(11) 落葉 秋はすっかり落葉になってその鮮やかな反射が林の夕 暮を明るく染めてゐる。私は青い流れを隔てて一人の少 女が薄(すすき)の間の細道に折れてゆくのを見る。そこで彼女は ぱっちりと黒い蝙蝠傘(かうもりがさ)をひらく。私は流れにそって行く。 私は橋の袂(たもと)にたつ。橋の名は「こころの橇(そり)」。水の面に さまざまの観念が、夕映に化粧する。私は流れにそって行 く。私は橋の袂にたつ。橋の名は「鶫(つぐみ)」。その影が水の 面に顫(ふる)へてゐる。私は杖(つえ)に身をもたせる。私は遠くにま た橋を見る。また橋を、その橋の名は?――その橋の名 は私がつけよう、「私のもの―くる」。 そして日は暮れ易い。もう私の散歩があまりに遠くは ないだろうか? (つづく)
2018.03.09
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平成30年3月8日(木) 詩集「測量船」:三好達治(10) 村 恐怖に澄んだ、その眼をぱっちりと見ひらいたまま、 もう鹿は死んでゐた。無口な、理屈ぽい青年のやうな顔 をして、木挽(こびき)小屋の軒で、夕暮の糠雨(ぬかあめ)に濡(ぬ)れてゐた。(そ の鹿を犬が噛み殺したのだ。)藍(あゐ)を含むだ淡墨いろの毛な みの、大腿骨(だいたいこつ)のあたりの傷が、椿(つばき)の花よりも紅い。ステ ツキのやうな脚をのばして、尻のあたりのぽっと白い毛 が水を含むで、はぢらってゐた。 どこからか、葱(ねぎ)の香りがひとすぢ流れてゐた。 三椏(みつまた)の花が咲き、小屋の水車が大きく廻ってゐた。(つづく)
2018.03.08
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平成30年3月6日(火) 詩集「測量船」:三好達治(8)村 鹿は角に麻縄をしばられて、暗い物置小屋にいれられて ゐた。何も見えないところで、その青い眼はすみ、きち んと風雅に坐ってゐた。芋(いも)が一つころがってゐた。 そとでは桜の花が散り、山の方から、ひとすぢそれを自 転車がしいていった。 背中を見せて、少女は藪(やぶ)を眺めてゐた。羽織の肩に、黒 いリボンをとめて。
2018.03.06
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平成30年3月5日(月) 詩集「測量船」:三好達治(7) 湖水 この湖水で人が死んだのだ それであんなにたくさん舟が出てゐるのだ 葦(あし)と藻草(もぐさ)の どこに死骸はかくれてしまったのか それを見出した合図(あひづ)の笛はまだ鳴らない 風が吹いて 水を切る艪(ろ)の音櫂(かい)の音 風が吹いて 草の根や蟹(かに)の匂ひがする ああ誰かがそれを知ってゐるのか この湖水で夜明けに人が死んだのだと 誰かがほんとに知ってゐるのか もうこんなに夜が来てしまったのに (つづく)
2018.03.05
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平成30年3月4日(日) 詩集「測量船」:三好達治(6) 谺 夕暮が四方に罩(こ)め、青い世界地図のような雲が地平に 垂(た)れてゐた。草の葉ばかりに風の吹いてゐる平野の中で、 彼は高い声で母を呼んでゐた。 街ではよく彼の顔が母に肖(に)てゐるといって人々がわら った。釣針のように背なかをまげて、母はどちらの方角 へ、点々と、その足跡をつづけていったのか。夕暮に浮 ぶ白い道のうへを、その遠くへ彼は高い声で母を呼んで ゐた。 しづかに彼の耳に聞こえてきたのは、それは谺(こだま)になった 彼の叫声であったのか、または遠くで、母がその母を呼 んでゐる叫声であったのか。 夕暮が四方に罩め、青い雲が地平に垂れてゐた。(つづく)
2018.03.04
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平成30年3月3日(土) 詩集「測量船」:三好達治(5) 少年 夕ぐれ とある精舎の門から 美しい少年が帰ってくる 暮れやすい一日(いちにち)に てまりをなげ 空高くてまりをなげ なほも遊びながら帰ってくる 閑静(かんせい)な街の 人も樹も色をしづめて 空は夢のやうに流れてゐる (つづく)
2018.03.03
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平成30年3月2日(金) 詩集「測量船」:三好達治(4) 甃のうへ あはれ花びらながれ をみなごに花びらながれをみなごしめやかに語らひあゆみうららかの跫音(あしおと)空にながれをりふしに瞳(ひとみ)をあげて翳(かげ)りなきみ寺の春をすぎゆくなりみ寺の甍(いらか)みどりにうるほひ廂(ひさし)々に風鐸(ふうたく)のすがたしづかなればひとりなるわが身の影をあゆまする甃(いし)のうへ
2018.03.02
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平成30年3月1日(木) 詩集「測量船」:三好達治(3) 雪 太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。 次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。 (つづく)
2018.03.01
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平成30年2月28日(水) 詩集「測量船」:三好達治(2) 乳母車 母よ――淡くかなしきもののふるなり紫陽花(あぢさゐ)いろのもののふるなりはてしなき並樹のかげをそうそうと風のふくなり 時はたそがれ母よ 私の乳母車を押せ泣きぬれる夕陽にむかって轔々(りんりん)と私の乳母車を押せ 赤い総(ふさ)ある天鵞絨(びろおど)の帽子をつめたき額(ひたひ)にかむらせよ旅いそぐ鳥の列にも季節は空を渡るなり 淡くかなしきもののふる紫陽花いろのもののふる道母よ 私は知ってゐるこの道は遠く遠くはてしない道 (つづく)
2018.02.28
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