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短歌鑑賞(石川啄木)歌集「悲しき玩具」(百三十六)下書き 後藤瑞義 (注)歌の順序は歌集の順序によります。 堅く握るだけの力も無くなりし やせし我が手の いとほしさかな。 「堅く握るだけの力も無くなりし」、しっかりものをつかむことが出来ない、たとえば食事の時の茶碗とか箸とか…色々考えられます。「握る」ということは、生活をする上での大事な事であり、食事もまともに出来なけれ、命にもかかわることにもなりかねません。そんな「やせた我が手」を見つめている啄木の姿が浮かびます。二十六歳と数か月で亡くなった啄木、まだ青年です。そんな啄木がどんな気持ちで、握る力もなくなった自分のやせた手を眺めたことでしょうか。「こんなになるまで…、」色々な反省や悔いの気持が浮んできたことでしょう。 思わず、「いとほしさかな」と言わずにはおられない啄木の気持が伝わってきます。
2024.09.21
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9月21日(土)「作歌のヒント」(抜粋:後藤)(37)著者:永田和宏(日本放送出版協会)発行:平成十九年十二月二十日第一章作歌の基本――ものの見方(34)嘘から出たまこと――事実しか歌ってはいけないのか?(1)「虚構」ということばがもっとも語られた前衛短歌の代表、塚本邦雄の歌:秋風しつふうに壓おさるる鉄扉てつぴぢりぢりと晩年ばんねんの父がわれにちかづく 『魔王』作者自身の言葉として、これは完全な虚構の作品だということです。作者の父親は作者の生後まもなく(100日目)で亡くなっています。秋風に「鉄の扉」が影響を受けるはずはありません。こうした虚構の上に立つこの作品、作者の晩年、老いの近づきをリアルに表現しているとも捉えることが出来るでしょう。つまり、虚構であるこの作品は、詩あるいは歌として十分リアリティをもった表現として同意されるでしょう。 (つづく)
2024.09.21
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9月21日(土)近藤芳美著「新しき短歌の規定」より(40)岩波書店近藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。(注)表現を少し変えたり、省略したりしています。「短歌の作り方に就て」(2)端的に言えば短歌に作り方などは無い(之は僕の先生土屋文明説でもあります)。少なくとも僕らの考えて居る短歌の範囲に作り方など存在しません。僕らの考えている短歌は、短歌入門などによって簡単に入門し得る短歌を嫌悪する所から、創作をなして居るのです。「小説の作り方」を読んで名を成した大作家が居る事を聞いた事は無い。「油絵の描き方」を読んで世に名をなした大画家のことを聞きません。短歌とて同様です。しかし小説の入門書があり読者がある事を見ればやはり文壇でもどこか片隅にそんな世界があるのであろうか。ところが短歌ではこの現象が片隅だけですんで居てくれないのです。こんな稽古事めいた物の考え方があまりにも広く歌壇全体を覆いすぎて居たのです。安易に短歌を教える態度、安易に作ろうとする態度、「作り方」があると言う事実がどれほど短歌自体を俗悪化して来たか吾々は反省して見なければなりません。同様の事が歌集や作品の評釈書乃至解説書の氾濫についても言い得ます。何々歌評釈の類の如き、このごろの本の外観の安っぽさと連想が重なり合って、僕は肉体的な不快感を覚えます。何故短歌初学者にかぎって親切に評釈してもらはなければならないのでしょうか。何故原典にとりついて行こうとしないのでしょうか。否、何故原典へいきなりぶつかって行こうとしないような精神薄弱者一群を吾々は短歌の世界の初心者として考えなければならないのでしょうか。「教える」「指導」「作り方」「味わい方」「新人育成」。僕はかかる一群の語感を一応嫌悪し憎悪し拒絶してかかる所から改めて短歌の世界を考え直して行かなければならぬ事を痛切に感じます。(つづく)
2024.09.21
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9月21日(土)歌集「未知の時間」(前田鐵江第一歌集)(96)2014年5月25日発行:角川学芸出版*:駿東7郡清水町在住の歌人。元静岡県歌人協会常任委員(同じ時期わたしも常任委員でお世話になりました)(注)若い頃父上に反抗した頃を思いだした歌の後に、次の歌があります。 台風の夜更けの駅にずぶ濡れの父が立ちをりきわが傘を手にこの歌を読んでわたしは、これが短歌だと叫んだのでした…Ⅴ 2010年~2013年(5)父の匂ひす(2010)(5)本当は泣きたいくらゐに痛いのに階下るとき膝が笑ひぬ散歩せがむ犬のきもちがよくわかる終日雨にこもりてをれば左手と右手の意思が噛み合わず解けてしまふ冬の靴紐インパネスわれのスーツに賜りて袖通すとき父の匂ひす目を開ければ五体投地をしてゐたり車も人も避けて通りぬ風景のひとつなるべし年末の車道に人が倒れてゐても (つづく)
2024.09.21
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9月21日(土)短歌集(149)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版生方たつゑ(8)潮のいろ恋ひたまへれどふるさとに足起ちがたく母逝ゆきましぬ足萎なえて起ちあたはねば飯いひ南野なののあかき没日いりひを恋こほしみましき枯くさの乱れをふめば曝さらされて小鳥のほそき骨がくづるる天あまつ日のあかるくさしてくる方に対むきて嘶いななく濡ぬれたる馬は (以上『春尽きず』より) (つづく)
2024.09.21
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9月21日(月) 昭和萬葉集(巻十三)(270)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発行(昭和55年) Ⅳ(14) 愛と死(5)妻を(1)高橋喨吉幸福とは妻よたましひの香りとぞよろばひゆかむ風の砂丘を上田三四二われよりも寂しき妻がをりをりにへやのぞきつつ夕暮となる新海五郎無表情にふたり向き合ふ日ごろにて処女をとめの如きたまゆらの妻三浦光世着ぶくれて吾が前を行く姿だにしみじみ愛し吾が妻なれば (つづく)
2024.09.21
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9月20日(金)「作歌のヒント」(抜粋:後藤)(36)著者:永田和宏(日本放送出版協会)発行:平成十九年十二月二十日第一章作歌の基本――ものの見方(34)単純化の大切さ――念を入れない、駄目を押さない(5)単純化の名歌:ゆふされば大根だいこんの葉はにふる時雨しぐれいたく寂さびしく降ふりにけるかも 斎藤茂吉『あらたま』一首の言っていることは、有方になって大根の葉に時雨が降っている、そのことだけです。どこで、だれが、いつ、どうしてと言った情報はすべて省略していることが、「いたく寂しく」という感情を、そんな澄み透った感情だけを一挙に浮かび上がらせていると言えるでしょう(永田和宏氏)。 (つづく)
2024.09.20
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9月20日(金)近藤芳美著「新しき短歌の規定」より(39)岩波書店近藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。(注)表現を少し変えたり、省略したりしています。「短歌の作り方に就て」(1)(一) 書店の店頭に又短歌入門書類似の本が出て来だしました。そんな物を見た時僕は一種言い知れぬいらいらした感じになります。同様に、僕は短歌の作り方などと言う言葉に吐き出したいような嫌悪感をおぼえます。この感情は、更に、短歌の作り方などちゃんとあって不思議でも何でもない今の歌壇...短歌世界への嫌悪感に通じます。「初めて歌を作る人のために」「短歌の作り方」。こんな言葉から僕はいつも昔少年雑誌の広告で見た「ヴァイオリン独習書」「尺八独習書」などの文字を連想し、思春期の少年が下宿の窓でセレナーデか何か弾いて居る歯の浮くような俗悪な世界を連想します。しかも、短歌の作り方を教えようとする入門書なり先生がたなりがあとを断たない事実は、この種の俗悪さが今日の歌壇に何らかの形で根強く存在して居る事を示すのか、又多くの作家及び初心者の気持のどこかにこの俗悪さを容れ得る短歌への安易な馴れ合いがあるのではなかろうか、と僕は憂鬱な気持になって行くのです。 (つづく)
2024.09.20
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9月20日(金)歌集「未知の時間」(前田鐵江第一歌集)(95)2014年5月25日発行:角川学芸出版*:駿東7郡清水町在住の歌人。元静岡県歌人協会常任委員(同じ時期わたしも常任委員でお世話になりました)(注)若い頃父上に反抗した頃を思いだした歌の後に、次の歌があります。 台風の夜更けの駅にずぶ濡れの父が立ちをりきわが傘を手にこの歌を読んでわたしは、これが短歌だと叫んだのでした…Ⅴ 2010年~2013年(4)父の匂ひす(2010)(4)打たれてもうつむき耐へてゐたる母美徳といふはかなしきものをくつきりと稜線見せて愛鷹山あしたかは踏んばつてゐる富士を背負ひて大瀬崎へ行きて戻りてそれだけの逢瀬でありぬぼうぼうと海家ならば建て替への時期みしみしと鳴るあばら骨苦笑ひする膝年齢よりは若く見られてゐるらしいよしいま少し恋を詠はむ(つづく)
2024.09.20
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9月20日(金)短歌集(417)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版生方たつゑ(7)掌たなぞこに菓子のせしまま眠りたまふ母うへよ吾はとほく来しなりいまはにも逢あひまつらざりし母うへのみ骨抱きおろす永劫とはなる土にくぬぎ葉に月のひかりの浄きよかりし夜もひびきゆくしぐれの音は靡なびきつつあをあをとして裏白うらじろが冬越しぬべし母の生あれし国うかららのもの言ひ合へるかたはらに悲しみもてば孤ひとりのごとし (つづく)
2024.09.20
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9月20日(金) 昭和萬葉集(巻十三)(266)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発20行(昭和55年)Ⅳ(13) 愛と死(13)夫を(3)国宗 黎労働運動に生命いのちを燃やす夫の日々或る夜はさびし一人食おしつつ滝口英子いくたびか夜半起きいでて退職願の墨すりてゐし夫を知りをり退職願聞きとどけられいくばくか寂しさあらむ夫ひとり酌くむ定収のある強さ言ひその無きを危ぶみ諭ときぬ友もうからも (つづく)
2024.09.20
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9月19日(木)「作歌のヒント」(抜粋:後藤)(35)著者:永田和宏(日本放送出版協会)発行:平成十九年十二月二十日第一章作歌の基本――ものの見方(33)単純化の大切さ――念を入れない、駄目を押さない(4)土屋文明の言葉:言葉を選び、単純化を心がけること。どれだけ多く言うかではなく、どれだけ省略できるか、省けない重点は何かを見定めよ。くどい説明は、読者を信用していない、読者にわかってもらいたい気持ちが、くどい説明になる(永田和宏氏のことば)。結句の言い過ぎ、結句で感想を述べる傾向があらわれる。 (つづく)
2024.09.19
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9月19日(木)近藤芳美著「新しき短歌の規定」より(38)岩波書店近藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。(注)表現を少し変えたり、省略したりしています。「短歌と生活」(4)(1947・5)では生活を立場として、一首は如何に成り立つのか。吾々の生活に如何に一首として言わば瞬間を永遠なものに結晶せしめ得るてだては何でしょうか。短歌と言う小詩型が宿命として対象を其の一断片でしか把え得ないとするならば、吾々はこの一断片を対象の何処に見出せばよいのでしょうか。正岡子規は取捨選択と言う単純明快な言葉で之を説明して居ます。吾々は対象の最も鋭角的な一点を一瞬にして選択しなければならないでしょう。この鋭角点を見逃さない機敏さにこそ作品の良否を分つ鍵があるのです。だが生活の何処にこの一瞬があるのでしょうか。生活其の中にどの点で把えたらいいのでしょうか。この事は依然作者の問題としてのこされるでしょう。しかし少なくともこれだけの事は言い得ます。ただ生活を愛し、誠実に生きようと意志する者のみ、次第にこの鋭角の一瞬を多く見出し得るようになるのではないでしょうか。問題は「如何に生きるか」の選択に移されます。(1947・5)
2024.09.19
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9月19日(木)歌集「未知の時間」(前田鐵江第一歌集)(94)2014年5月25日発行:角川学芸出版*:駿東7郡清水町在住の歌人。元静岡県歌人協会常任委員(同じ時期わたしも常任委員でお世話になりました)(注)若い頃父上に反抗した頃を思いだした歌の後に、次の歌があります。 台風の夜更けの駅にずぶ濡れの父が立ちをりきわが傘を手にこの歌を読んでわたしは、これが短歌だと叫んだのでした…Ⅴ 2010年~2013年(3)父の匂ひす(2010)(3)疵跡のやうな下弦の月泛かべ去りゆく夏の空晴れ渡る八千歩こえれば足がずんずんと意志より先を行かむとしたる明礬に漬けたる茄子のむらさきの母のちりめん米に換はりぬ焼け跡の銀座の飲み屋のおやぢさんメンデルスゾーンをかけてくれたり耳ぢからなければ常に受け身にて聞きたくないこと自づと入りくる (つづく)
2024.09.19
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9月19日(木)短歌集(403)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版生方たつゑ(6)まだ熱き風がいざなふ骨灰のたち舞ふなかにみ骨を拾ふ兄うへが身につけましし衣きぬもちて春雨はるさめしろき中をきしなり藻もしほ噛かみてふるだとの海をわれはゆく古いにしへひとの浄きよめのごとく鶺鴒せきれいらねむりつきたりとおもふころ崖がけくだりきて塩えんの湯を浴あむ月ふけてくらくなりぬる水かみにおぼろに顕ちて雪のこる山 (つづく)
2024.09.19
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9月19日(木)昭和萬葉集(巻十三)(265)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発20行(昭和55年)Ⅳ(12)愛と死(2)夫を(2)扇畑利枝姑のいふごと征露丸のみ臥してをり雨期ながければ弱りし夫と吾大内豊子病み永き夫が心をよせたりしひとにぞ向ふこだはりもなく尾仲愛子病み永き夫が心をよせたりしひとにぞ向ふこだはりもなく栗城深雪我があとは住む子らもなき祖父の家の屋根葺ふき終へて安らふ夫は (つづく)
2024.09.19
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9月18日(水)「作歌のヒント」(抜粋:後藤)(34)著者:永田和宏(日本放送出版協会)発行:平成十九年十二月二十日第一章作歌の基本――ものの見方(32)単純化の大切さ――念を入れない、駄目を押さない(3)土屋文明『新短歌入門』より:冬の日の淡くさし入る鐘楼に青くさびたる鐘重く垂る(新聞投稿歌)土屋文明は、この一首のくどさを指摘しています。それは、「淡く」「青く」「重く」の三つの副詞句に起因すると言っています。また、「作者は、忠実に、丁寧にあらわすつもりであった、十分理解できるぎ、結果として、うるだくなり、感銘を壊した。」と文明は言う。言わなくても読者が補ってよんでくれるものはどれかということを、推敲の過程で考えてみることが大切。 (つづく)
2024.09.18
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9月18日(水)近藤芳美著「新しき短歌の規定」より(37)岩波書店近藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。(注)表現を少し変えたり、省略したりしています。「短歌と生活」(3)(1947・5)この一音に無限の神秘不可思議がある、この一花片に微妙ないのちが宿る、そう言った感じ方、表現の仕方を、今一応素朴な処にもどし、この神がかりから覚めないかぎり、そうして吾々自身今立って居る生活こそ唯一たしかな事実である事に思いいたらないかぎり、写実派短歌はいつ迄も、之又浮き上がった文芸の片隅にすぎないであろう。しかし、再びここで議論はつくされてしまいました。では、この唯一の事実である生活は、一転して如何に短歌の一首として結実するのでしょうか。つまり歌は如何にして作ればよいのでしょうか。この素朴な質問をどのように答えてくれるのでしょうか。この点について僕は短歌評論の系統の作者が如何に無力であったかを想起すると共に、現在人民短歌あたりの作者が、派手な歌論に於いて常にこの一点を避けて通って居る事について不満でなりません。秀歌と凡作とは作られた時の偶然によってわけられるものではありません。彼らの言う世界観の正しさ云々と別途に、良い歌と愚作との区別は単純に実在する。言いかえれば一首の評価の規準は、世界観とは別個です。 (つづく)
2024.09.18
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9月18日(水)歌集「未知の時間」(前田鐵江第一歌集)(93)2014年5月25日発行:角川学芸出版*:駿東7郡清水町在住の歌人。元静岡県歌人協会常任委員(同じ時期わたしも常任委員でお世話になりました)(注)若い頃父上に反抗した頃を思いだした歌の後に、次の歌があります。 台風の夜更けの駅にずぶ濡れの父が立ちをりきわが傘を手にこの歌を読んでわたしは、これが短歌だと叫んだのでした…Ⅴ 2010年~2013年(2)父の匂ひす(2010)(2)コンコースの朝を行き交ふ人らみな身を躱しつつ急ぎ足なり初期化して人生楽にあるならば 窓を掠めて鳥過りたり江戸川を泳ぎ渡りて鍛へたる従兄弟は戦をつひに語らずお化け煙突見えし辺りの空高くスカイツリーが育ちつつあり真間駅に降り立ち五官全開す五十年前のままも松風 (つづく)
2024.09.18
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9月18日(水)短歌集(383)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版生方たつゑ(5)天つちに清浄あかきこころのしるしとぞ人も鳥らも墳はかに眠りき額ぬかがみもにほひたりけむおほらけき櫛くしもさしたりむかしをとめはうすらひのはりたるうへに滲にじみきてうるほふみづをかなしみゐたる枯かれ芝しばは霜消ゆるころ白髪しらかみのみだるるなして土にそよぎぬ川なかを揉もみゆくらしき白なみがきれぎれに闇をくだりゆきたり (以上「雪明」より) (つづく)
2024.09.18
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9月18日(水)昭和萬葉集(巻十三)(265)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発20行(昭和55年)Ⅳ(11)愛の歌(11)愛と死(1)浅野美恵子未いまだ夫つまと呼べぬ清すがしき短かめの裾より湯上りの素足見えつつ川口美根子泥のごと酔い帰り来て吾が名呼ぶ吾が腕の中に意識を分かず戦場を知らざる夫をある夜は清しと思いき汚れざる掌に川瀬寿子わが知らざる戦歴もちて敗戦の記録映画を見つめいる夫近藤とし子仕合せはなべて君より来る日々に花ひらきゆく花はな韮にらの道 (つづく)
2024.09.18
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9月17日(火)「作歌のヒント」(抜粋:後藤)(33)著者:永田和宏(日本放送出版協会)発行:平成十九年十二月二十日第一章作歌の基本――ものの見方(31)単純化の大切さ――念を入れない、駄目を押さない(2)木俣修の『短歌実作指導教室』より(投稿歌)山の夜気廊に流れ来て友だちと騒ぎゐし児らも今は寝ねたり(木俣修の添削)山の夜気廊に流れ来て騒ぎゐし児童らも今は眠りに入りぬ(永田和宏氏の添削)山の夜気廊に流るる騒ぎゐし児童らも今は眠りに入りぬ見たもののなかで、どれが省略できないか、言ってもいいけれど、言わなくても読者が補って読んでくれるものはどえrかということを考えてみることが大切です。 (つづく)
2024.09.17
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9月17日(火)近藤芳美著「新しき短歌の規定」より(36)岩波書店近藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。(注)表現を少し変えたり、省略したりしています。「短歌と生活」(2)(1947・5)つまり、現実から浮き上がった理論からは、何ら作品としての結実を期し得ないという事です。新しい短歌、新人としての方向の取り方は、決して奇異狂態なものであってはなりません。正しい写実派の本流を行き、現実をよりどとし、真実を立場とすべき地道な追求のみが吾々の指針です。だがしかし過去に於いても所謂写実派は歌壇の多数派でした。そうして彼らの作品が同様愚劣で無気力、徒らに類型的作品を堆積させて行った事実は、之も同じく病源をさぐりあてなければなりません。何故写実派と称する作品に生動と活力とがなかったのか。人を引きつけて止まない魅力がなかったのか。写実派と称しながら彼らは現実をどこかに見てよいのかわからなかったのです。眼に見えないものを現実とは信じない、この子供じみたかたくなな素朴さが今に至るまで歌人特有の心理を形成して居たのです。現実は吾々の生活のなかにあります。吾々の肉体が立って居る生活の中にあります。吾々の生きて居る社会の具体としての吾々の生活の中にあります。写実派が此処を突き止めない限り、写実すべき相手を何処に見出しようも無いのです。吾々が生活の中に写実し、写生すべきものを見出さないかぎり、短歌はいつ迄も歌人と称する特有な心理の持ち主のみの相互相聞の範囲を出でず、一草一花に深刻な表情をして居る吾々は、所謂民衆から別人種として奇異の眼もって見られるだけでしょう。 (つづく)
2024.09.17
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9月17日(火)歌集「未知の時間」(前田鐵江第一歌集)(92)2014年5月25日発行:角川学芸出版*:駿東7郡清水町在住の歌人。元静岡県歌人協会常任委員(同じ時期わたしも常任委員でお世話になりました)(注)若い頃父上に反抗した頃を思いだした歌の後に、次の歌があります。 台風の夜更けの駅にずぶ濡れの父が立ちをりきわが傘を手にこの歌を読んでわたしは、これが短歌だと叫んだのでした…Ⅴ 2010年~2013年(1)父の匂ひす(2010)(1)思ふこととちがふ言葉がするすると喉元通り声となりたる思ひ出を食べて気力を養ひし嫁の日ありきそれも思ひ出ブルジョワジー、プロレタリアート、プチブルを平成生まれは知つていますか甲斐が嶺の一本桜に寄り添へば身にぞくぞくと樹液かよひ来天辺で声の限りにバカヤラウ怒鳴りたかつた山は茫たり (つづく)
2024.09.17
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9月17日(火)短歌集(401)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版生方たつゑ(4)二ふた分わかれゆく冬涸ふゆがれみづのいろさむし片瀬かたせをてりて没日いりひ移りぬ雪なくて焦こげくさくにほふ焼やけ芝しばに子と坐すわりたり水に対むかひて北かたに白雲よりもあはれなる雪尾根てりぬゆく春のそら天あめわたる日ざしゆたかにのぼりきてかがやくものは息づきてをり埴はにつちのもろきものもて垂たり長ながに美み豆づ良らも結ゆへり肩に触るるまで (つづく)
2024.09.17
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9月17日(火) 昭和萬葉集(巻十三)(266)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発行(昭和55年) Ⅳ(9) 愛の歌(9)愛の歌(9)江波光一人間の営為というもかなしくて後朝(きぬぎぬ)の湯に独り視るなりぼんぼりのうすらあかりに永かりし禁令のごと解かれゆく帯見のこしてひとは嫁(ゆ)くとぞ沙山(すなやま)にすがるものなき昼顔のつる萩原千也へだたりし人を偲びてわれの来し荒川土手は青くなりゐつさびしらな笑みうつくしき君にして心を去らずへだたりにけり (つづく)
2024.09.17
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9月16日(月)「作歌のヒント」(抜粋:後藤)(32)著者:永田和宏(日本放送出版協会)発行:平成十九年十二月二十日第一章作歌の基本――ものの見方(30)単純化の大切さ――念を入れない、駄目を押さない(1)斎藤茂吉の言葉:(旧かなを新かなに:後藤)単純化の行われた歌は一読して曲が無さ過ぎるようにおもうが、よく味わうと却って複雑な気持ちのでてくるものが多い。『短歌初学門』☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆斎藤茂吉の弟子の佐藤佐太郎の言葉:短歌は単純に行くべきものでありますが、まるで内味がないというのではそれは本当の単純ではない。単純でしかも大切な実際・具体性というものはやはり摑んで居なければなりません。その実質・実態というものは然しごたごたした煩わしいものでなく、単純でしかも重みのある、純粋度の高い黄金のやうなものでなければなりません。 『短歌入門ノオト』 (つづく)
2024.09.16
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9月16日(月)近藤芳美著「新しき短歌の規定」より(35)岩波書店近藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。(注)表現を少し変えたり、省略したりしています。「短歌と生活」(1)(1947・5)議論はつくされてしまいました。では短歌はこれからどうしようと言うのでしょうか。大正初期、茂吉、白秋、啄木らが斉出して開花した歌壇は、其の後数人の作家がほとんど孤高な位置で着実に短歌自体を高めて行った他、多くの二流三流歌人は結社し、会合し、右往左往、俗社会の一隅に埃っぽい歌壇なるものを今日迄残して来た他、一体如何なる作品を残して来たでしょうか。短歌否定論がかかる作者にむけられ、かかる作品に向けられるかぎりに於いて、吾々は如何なる弁護も要しません。芸術短歌、新現実派、新浪漫派等々。それぞれの議論が空転し、いたづらに鋳型から打ち出されるごときはかない作品類が、今かびくさい古本屋の棚に二十円か三十円の価で埃によごれて居る事実から吾々は如何なる教訓を引き出させばよいのでしょうか。もし、まだ短歌を信じ、再び文学の高さに高め得ると信じて居る吾々が、何か方向をきめ、今後の行き方、所謂新しい短歌なるものを見究めようとするならば、之ら過去の作品を、どこに病源があったか、も一度検討してみ見なければなりません。 (つづく)
2024.09.16
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9月16日(月)歌集「未知の時間」(前田鐵江第一歌集)(91)2014年5月25日発行:角川学芸出版*:駿東7郡清水町在住の歌人。元静岡県歌人協会常任委員(同じ時期わたしも常任委員でお世話になりました)(注)若い頃父上に反抗した頃を思いだした歌の後に、次の歌があります。 台風の夜更けの駅にずぶ濡れの父が立ちをりきわが傘を手にこの歌を読んでわたしは、これが短歌だと叫んだのでした…Ⅳ 2007年~2009年(42)曇りのち鬱(2009)(6)さつきまで確かに覚えてゐた筈の筈見当たらず橡の実拾ふ柿田川べりの榛の木翡翠を秀にとまらせてじつとしてゐる祝はれて八十歳を意識せり余白に書きたいことがまだある乱れ咲く小菊括ればさみしさのかたまりとなる彩は匂へどくつくつくう闇に啼く鳩の声耳を澄ませばなき母のこゑ (つづく)
2024.09.16
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9月16日(月)短歌集(144)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版生方たつゑ(3)み浄きよめにつらなり支ささふ御額みひたひのその冷つめたさは今も思へりあからさまなる野火のびこそかなしみ骸からやく山に向ひて哭なきたる吾われらうなびなる避地の山にはびこりし躑躅つつじはみ骨ほねの灰はひをかむれり岬山さきやまの春日はるびに孵かへるさはがにの朱あけのあはきはあはれなりけり (以上『山花集』より) (つづく)
2024.09.16
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9月16日(月) 昭和萬葉集(巻十三)(265)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発行(昭和55年) Ⅳ(9) 愛の歌(9)愛の歌(9)江上栄子風の中に立ちておぼゆる愛の疲れ螺旋のごときときを経て来て中野照子離さかり住む人の空より昏れそむるつねなることをつねにさびしむ青柳節子夢に逢う時さえ君は言葉なく遠くより我をみつめたるのみ本郷順子ルージュなき唇驟雨しゅううに濡らされて身のうち疼く人を喪うしないし中地俊夫君のことば反芻はんすうしつつ夏草のはげしく匂う中に立いる (つづく)
2024.09.16
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9月15日(日)「作歌のヒント」(抜粋:後藤)(31)著者:永田和宏(日本放送出版協会)発行:平成十九年十二月二十日第一章作歌の基本――ものの見方(29)「写生」とは選択であるー捨てることで際立つ像(4)鶏頭の十四五本ありぬべし 正岡子規「ぬべし」、それが現実に目の前にあるとはかんがえにくい。かってあって、今は無いもの、それがこの句に詠まれています。子規の言葉:(旧かなづかいを新かなづかいに、文語調を口語調に:後藤)写生といい写実というのは実際有のまゝに写すに相違ないけれども、もとより多少の取捨選択を要します。取捨選択とは面白いところを取って、つまらぬところを捨てることです。必ずしも大を取り小を捨て、長を取り短を捨てることではありません。 (つづく)
2024.09.15
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9月15日(日)近藤芳美著「新しき短歌の規定」より(34)岩波書店近藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。(注)表現を少し変えたり、省略したりしています。「作品とする技術...批評の規準に就いて」(5)(1947・5)問題をここ迄持ってきた行きがかり上、僕は何とか所謂「この一点」を説明して見なければなりません。結局僕は素材(世界観でもありえるし思惟の場合もあってもよい)の中にアクセントの部分を、或いはヤマを巧みに見出し、端的に作品に把みとる一つの技術ではないかと思います。吾々は写生と云う言葉を慣用して居ますが、本当のところ僕はまだこの言葉だけでははっきりした説明を与え得たとは思って居ません。僕は少し力を技術の問題、如何に作られて居るかに向けすぎましたが、それは中野君あたりがどうも実作では苦労して居るくせに公式の場面に立つと巧みに其処を飛ばして堂々の論陣を張るのに、少々不満だったからです。だが繰返すように、この一点を見極めずに批評の規準を作ることは重大な誤りをおかす事であると思います(たとえどんな世界観に立とうとうまい作品とまずい作品とはそれに関わりなくあります。僕はいまだこの問題に中野君の解答を聞かない)。ある時代一つの批評方法を打ち立てることは多分に協同作業の意味を持つと思います。その意味で僕は僕からの問題を提出しました。中野君らの御検討を願います。(1947・5) (つづく)
2024.09.15
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9月15日(日)歌集「未知の時間」(前田鐵江第一歌集)(90)2014年5月25日発行:角川学芸出版*:駿東7郡清水町在住の歌人。元静岡県歌人協会常任委員(同じ時期わたしも常任委員でお世話になりました)(注)若い頃父上に反抗した頃を思いだした歌の後に、次の歌があります。 台風の夜更けの駅にずぶ濡れの父が立ちをりきわが傘を手にこの歌を読んでわたしは、これが短歌だと叫んだのでした…Ⅳ 2007年~2009年(41)曇りのち鬱(2009)(5)形状記憶の毎日である 予報士が明るい声で曇りのち鬱不可思議が数の単位とは知らざりきわたしがここに居るのも不思議買ひません欲しがりません身辺に物があふれて死ぬに死なれず「寛」の字はないから点を取りますよ明治の父のホクロが消えたごつごつの父の指が紡ぎだす紙縒は木綿針より細い (つづく)
2024.09.15
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9月15日(日)短歌集(412)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版生方たつゑ(2)刈かり込こみし桑くはの間あひだゆまばらにてこぼるる朝あさ陽ひすでに暑あつけれ凡おほよそに花の過ぎたる寒菊かんぎくは日の射さすかたに傾かたぶきそめつ雪解ゆきげ波なみあからさまなる轟音とどろきは川の底よりひびき上れり夕ぐれはいづべともなく風たてば荒あらかべすりて葉たばこ鳴れり父上の粥かゆののこりに足たらひましみとりつぎにきわが母上は (つづく)
2024.09.15
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9月15日(日) 昭和萬葉集(巻十三)(261)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発20行(昭和55年)Ⅳ(8) 愛の歌(8)愛の歌(8)大野 豊赤電話に潮騒のごとき音ひびき黙もだせば海にあるごとき逢い林 節子澄みて湧く泉のごとき恋しきの注がねば身にしたたりてありひたひたと寄する潮のひきゆくに移れる磯の真砂まさごかわれは清さや鳴なれる波の秀ほのうえ顕ちくればうつつにわれは抱きとりたき佐野貴美子よろこびは去ること早く燈鈍き家の前にて車を降りる (つづく)
2024.09.15
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9月14日(土)「作歌のヒント」(抜粋:後藤)(30)著者:永田和宏(日本放送出版協会)発行:平成十九年十二月二十日第一章作歌の基本――ものの見方(28)「写生」とは選択であるー捨てることで際立つ像(3)佐藤佐太郎の言葉:(「短歌作者への助言」)『写生』ということはつきつめれば物を正確に見るということである。他人の借物でなしに自分の眼で現実を見るということである。この態度は作歌の根本であるが、私においては生活を統べる態度でもある。しかし、歌は三十一文字しかありません。対象を詳しく観察すればするほど、三十一文字では窮屈になります。私(永田和宏氏)は写生という理念の根本は、何を歌うかではなく、何を歌わないかという、その苦しい選択にかかっていると思います。私は、表現としての写生は、対象のもつさまざまの属性の中の、ある一点だけを抽出し、あとはすべてを表現の外に追い出してしまう、見えていても、敢えてそれらには目をつぶって、たったひとつの事象、あるいは現象、事物、場面にだけことばを与えてやることだと思います。 (つづく)
2024.09.14
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9月14日(土)近藤芳美著「新しき短歌の規定」より(33)岩波書店近藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。(注)表現を少し変えたり、省略したりしています。「作品とする技術...批評の規準に就いて」(4)(1947・5)つまり僕の言おうとすることは、短歌を批評する場合には、それが短詩型であると言う特殊性の故に他の芸術に比して、より以上に、何が歌われて居るかと言うことと同時に如何に歌われて居るかと言う事が評価の大きな部分を占めます。しかも如何に歌われて居るかと言うことはそのまま一首が如何に作られているかということであり、之を進めて行けば、素材が作品に移転する一点を問題にする事である、と言うことになって行くわけです。従って、素材から作品へ成立を問題にせずして歌論を立てて行く事は、こと短歌に関するかぎりいつまでも問題を把え得ない空論になってしまいはしませんか。千万言くりかえして結局一つの大事な事を逃してしまう事になりませんか。ここを見極めない批評の規準は僕は不充分だと考えます。 (つづく)
2024.09.14
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9月14日(土)歌集「未知の時間」(前田鐵江第一歌集)(89)2014年5月25日発行:角川学芸出版*:駿東7郡清水町在住の歌人。元静岡県歌人協会常任委員(同じ時期わたしも常任委員でお世話になりました)(注)若い頃父上に反抗した頃を思いだした歌の後に、次の歌があります。 台風の夜更けの駅にずぶ濡れの父が立ちをりきわが傘を手にこの歌を読んでわたしは、これが短歌だと叫んだのでした…Ⅳ 2007年~2009年(40)曇りのち鬱(2009)(4)快速に乗り換へ方向が逆転すだからと言って過去へはゆけぬはじめてのデートの誘ひは伝票の裏紙だつた検印押しぬ焼酎を屋台で飲んでゐた頃の彼がいちばん輝いてゐたもう一人の私はとうに羽ばたいてゐるのに海は眩しすぐるよ (つづく)
2024.09.14
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9月14日(土)短歌集(398)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版生方たつゑ(1)細りゆく脈数みゃくかぞへつつひたすらに汝なを歎なげきまもるこの父と母と子が病やまひいく久ひさならむ厠かはやには蜘蛛くもの巣ここだ懸かかれるがあはれ子がこぼしし菓子にとまりし山蠅やまはへを追ひもやらず独ひとり見て居をりひそひそと土手ひびかせてゆく馬のまぐさ食をしつつひかれてゆけり梅雨つゆの雨あめ一日ひとひふれれば鉢はちうゑの仙人掌さぼてんの針はりに露たまりをり (つづく)
2024.09.14
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9月14日(土)昭和萬葉集(巻十三)(260)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発20行(昭和55年)Ⅳ(7)愛の歌(7)愛の歌(7)森田 孟初めての二人の目覚め天井に静かに湖水の光揺れつつ稲葉京子携へて生きて来たりぬあひともに頒わかつことなき孤独のために北沢郁子憎まねば別れられぬを愛といひ少しも進まざる人生のこと黒田淑子ときのまの夕べの如き愛かとも桃の葉垂るる林をゆけり (つづく)
2024.09.14
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9月13日(金)「作歌のヒント」(抜粋:後藤)(29)著者:永田和宏(日本放送出版協会)発行:平成十九年十二月二十日第一章作歌の基本――ものの見方(27)「写生」とは選択であるー捨てることで際立つ像(2)のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳(たらち)根(ね)の母は死にたまふなり 斎藤茂吉『赤光』母親の臨終場面です。そこには、いろいろなものが見えているでしょう。母親、部屋全体、布団、枕、外の景色、部屋の広さ、色、形…数え切れません。そうしたなかで、茂吉は梁と、二羽のつばめと、そのつばめの咽喉の赤さとを選んだのでした。その他のものはすべて歌から排除しております。この選択、この選びこそが大切ではないでしょうか。 (つづく)
2024.09.13
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9月13日(金)近藤芳美著「新しき短歌の規定」より(32)岩波書店近藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。(注)表現を少し変えたり、省略したりしています。「作品とする技術...批評の規準に就いて」(3)(1947・5)カンバスには何も書かれていません。相変わらずの白い生地のまま、吾々はいまだ一点も筆を加え居ません。僕はいつも君たちの確信のある語気に感動するものの、しかしその説明から一首がどのように作り成されるのか、之を説明せずして歌論が成り立つのか、否、批評の規準にまで進めて行けるのかを不安に思います。つまり君たちが常に言う、吾々はどうあらなければならないかと言う事と作品自体との間にまだ埋めなけらばならない問題がありはしないでしょうか。ここを君はどのように説明して行きますか。この空間を埋めるだけの理論が出なければ批評規準としては安心出来ないのではありませんか。勿論作者の生き方とか考え方とか世界観は、作品の内容を決定する筈です。作者の世界観を云々する事は作品に盛られた、乃至は滲まされた内容を問題にする事であり、批評の大きな部分を占めています。しかし僕はこのように考えます。短歌は短い詩型です。従って作歌と言う吾々の精神活動にはほとんど労作と言うべきものはありません。更に言えば、短歌の製作はほとんど一瞬にしてきまるでしょう。一首の成立は瞬時の問題であり、一首の成功不成功はほとんどこの瞬時に賭けられて居ると思います。しかも吾々が一首の成功を偶然的なものだ等と考えない以上、素材を作品に転じる一瞬の場面を何とかして正確に見極めなければならないでしょう。何とかしてこの一点に納得出来るような説明を加えなければならないでしょう。中野君、僕は此処らあたりにも一つの「批評規準」に押しひろげて行ける一首の「制作の秘密」が見出されはしまいかと思うのですが。 (つづく)
2024.09.13
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9月13日(金)歌集「未知の時間」(前田鐵江第一歌集)(88)2014年5月25日発行:角川学芸出版*:駿東7郡清水町在住の歌人。元静岡県歌人協会常任委員(同じ時期わたしも常任委員でお世話になりました)(注)若い頃父上に反抗した頃を思いだした歌の後に、次の歌があります。 台風の夜更けの駅にずぶ濡れの父が立ちをりきわが傘を手にこの歌を読んでわたしは、これが短歌だと叫んだのでした…Ⅳ 2007年~2009年(39)曇りのち鬱(2009)(3)グラウンドの照明灯に誘かれて蛾は乱舞せり身を焦がすまで中天に航跡雲が伸びてゆく、B29でなくてよかった。古里を捨てて旅立つ人あらむ航跡雲は長く尾を引く二筋の飛行機雲がからみ合ふ もう逢へないと目が言つてゐた (つづく)
2024.09.13
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9月13日(金)短歌集(378)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版柴生田 稔(19)戦争の日の堪へがたかりし寂しさの何にうつつに今よみがへる牙きば落ちて老ゆれば餓うゑて死ぬといふ獅子ししの境界は簡明かんめいにして庭の上に雪のはだれは氷れるを夜半に思へど心ゆらがずしらじらと空になびきし薄雲の動きそめたり春の日のごとこの夕べ雲に入りゆく入りつ日のやうやく赤し春は近しと (以上「入野」より) (つづく)
2024.09.13
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9月13日(金)昭和萬葉集(巻十三)(260)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発20行(昭和55年)Ⅳ(6)愛の歌(6)愛の歌(6)井上正一わが愛のいろに光りて夜の雨が降りてくる黒き蝌蚪くわとうまれゐむ口論するうちにくちづけてしまひたるわれをみあげて双の瞳がある上野晴夫夢ゆめ前さき川の白きたぎちに面映ゆる車窓の汝を妻となすべし安藤泰子増築のための見取図きみのもつ手帖にわれの住む部屋があり岩川とき子築堤ちくていの成りゆく岸にのぼりきて妻として住む町の燈を見る (つづく)
2024.09.13
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9月12日(木)「作歌のヒント」(抜粋:後藤)(28)著者:永田和宏(日本放送出版協会)発行:平成十九年十二月二十日第一章作歌の基本――ものの見方(26)「写生」とは選択であるー捨てることで際立つ像(1)近代短歌の中心であった、「アララギ」の指導理念は、「写生」でした。これは近代短歌のすべて、結社を問わずの無視できない大切な概念、方法でした。斎藤茂吉の言葉:実相に観入して自然・自己一元の生を写す、これが短歌上の写生である。しかし、この言葉はなかなかむずかしい言葉です。しかし、「写生」は、正岡子規(「アララギ」は子規の流れからはじまりました)によって、短歌に導入されました。正岡子規は写生を絵画から借りて来ました。さほどむずかしく考えてはいなかったようです。そこで、わたしは「方法としての写生」を考えます。 (つづく)
2024.09.12
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9月12日(木)近藤芳美著「新しき短歌の規定」より(31)岩波書店近藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。(注)表現を少し変えたり、省略したりしています。「作品とする技術...批評の規準に就いて」(2)(1947・5)それでは一体どのように規準を打ちたてて行けばよいでしょうか。この点貴兄らは一応の立場を持っているように思います。吾々歌人は現実に恐れず立ちむかい現実を歌わなければならないでしょう。しかも其の場合吾々は正しい歴史観に立って現実の正しい方向をつかんで行かなければならないでしょう。つまり吾々の作品によって把えられますが、現実は、正しい歴史観によって把えられなければなりません。表現にはいろいろなヴァリエーションがあるにしても、君がたの強調される要点はこのようなものであると理解します。そうして、其のかぎり僕もそのままに同感します。作品が正しい歴史観に立ったものかどうか。僕はたしかにそれは正しい一つの尺度であると思います。だが、それにもかかはらす貴兄がたの説明は短歌を作ること自体に何らの説明を行って居ないのです。僕は君らの美事なこの一応の説明に感動しつつ、改めて僕たち前のカンバスをみなおさなければならないでしょう。 (つづく)
2024.09.12
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9月12日(木)歌集「未知の時間」(前田鐵江第一歌集)(87)2014年5月25日発行:角川学芸出版*:駿東7郡清水町在住の歌人。元静岡県歌人協会常任委員(同じ時期わたしも常任委員でお世話になりました)(注)若い頃父上に反抗した頃を思いだした歌の後に、次の歌があります。 台風の夜更けの駅にずぶ濡れの父が立ちをりきわが傘を手にこの歌を読んでわたしは、これが短歌だと叫んだのでした…Ⅳ 2007年~2009年(38)曇りのち鬱(2009)(2)潰さずに食べるがよろし私の燃えざる部分苺はもてりナイフもて鉛筆削りゐる手元見つつ幼は「信じられない」筆圧に紙破れをり連れ合ひを施設に入れたと詰る手紙の介護士に名前呼ばれて嬉しさうオイとオマヘの日常でした (つづく)
2024.09.12
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9月12日(木)短歌集(396)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版柴生田 稔(18)つい近ごろと戦争をわが言ひしかば若き者ども皆哄笑こうせうすこの夜よをつひに怒いかりてわれは寝ねる怒れど床とこに平ひらたくなりてゴムの木も凍りしまでの夜半よはのこといたいたしかりし死しにの夜よのこと霜置くかと思ふ冷たき光には伸びそろふ麦に月照りにけり寒き月けぶるがごとく照らしたる麦畑は早や穂に出づるらし (つづく)
2024.09.12
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