全797件 (797件中 1-50件目)
今日は気温も上がって気持ち良い秋の日となりました。11月中旬ですから、所謂小春日和、アメリカで言われるIndian Summerと言われても、差支えも無い様です。乗り換えの少ないルートは小田急線の新松田駅からのバス往還を利用するのが良いのですが、新松田駅発午前10時20分、冨士霊園発13時00分となっていて、しかも週末だけの運航となっているのが玉に瑕なのです。昨日は午前9時に自宅を出て、小田急多摩センターから多摩支線を利用して新百合丘駅から本線に乗ったのですが、新松田駅10時20分には間に合わず、仕方なく御殿場線の松田駅から駿河小山駅からのバスを使うことになりました。この駅からはバス運行数が多く、霊園側としては最寄り駅としている様なのです。兎に角墓所に行きましたら、家内の命日に息子達が墓参してくれていて、未だ供花も枯れていませんので、管理事務所で購入した供花も追加して差し植えて置きました。帰宅するに際しては、新松田駅特急バスに乗車しましたが、運行距離も長く、所要時間も40分を要しましたので、料金は1360円と予想しましたよりも高額でした。
2024.11.17
コメント(0)
昨日は、多摩丘陵病院にての脳梗塞発症6ヶ月検診の日で、検診時刻は午前10時となっていました。しかし、眠い眼を擦って起きて見ますと、午前8時40分でした。バスで多摩センター駅まで行って、日大三校行きバスに乗り換える必要がありますので、朝食を摂らずに、髭剃りも省略して青木葉通りの京王バス停まで急ぎました。何とか午前10時前に、多摩丘陵病院に到着しました。検診時刻に間に合いましたが、検診と言いましても特別の診察行為もなく、従来通りの「血液サラサラ」、「コレステロール低減」、「胃腸薬」が2ヶ月分処方されて終了となりました。病院敷地にある薬局に行き、処方薬を買い付けて終了、無料の送迎バスで多摩センター駅まで届けて頂き、漸く朝食兼昼食となります。ハンバーガーセットと思いましたら、マクドナルド店は改装中で閉店中、仕方なく吉野家店で牛丼とアサリの味噌汁で昼食とすることとなりました。
2024.11.14
コメント(0)
快晴の秋晴れの日、家内の眠るお墓に墓参することにしました。5月に車を廃棄処分しましたので、霊園訪問は半年ぶりとなります。冨士霊園の最寄り駅とされている「駿河小山」駅経由で行く計画をしました。しかし、駿河小山駅は御殿場線の駅で単線でもあり、往還切り替えの為、停車駅で時間待ちをすることが多く、運行は1時間に1本が原則の様でした。兎に角、運行本数の少ない冨士霊園行きのバスに搭乗しますと、20分強で霊園管理事務所に到着、家内の墓所は其処から歩いて行ける距離でしたので、ゆっくりと登って行きますと5分程で到着です。管理事務所で購入しました花と線香を供えて、深く合掌することとなりました。帰りは、やはり駿河小山駅を利用して帰宅することになりましたが、非常に不便、他のアクセスやリターン法が良い様で、御殿場線を使わず、小田急線「新松田」駅を使うのが良さそうでした。霊園から「新松田」駅行きの最終便は午後1時と速いので、墓参を午前中に終えて小田急線のみを使うのが最善と思われました。
2024.10.13
コメント(1)
2000年代は、毎年3月に九州旅行をしていました。私も家内もJAL株を保持していて、マイレージクラブにも入っていましたので、無料の旅行券を入手出来ていたからなのです。その後JALが経営破綻してJAL株が紙屑となって300万円以上を失うことになりましたが・・2007年3月は宮崎県観光で、亜熱帯で有名な青島に加え、日本一の吊り橋とされた「綾の照葉吊り橋」を訪問したでした。照葉樹林一帯が九州中央山地国定公園に指定された後の1984年3月28日に架橋された、長さ250.0m、高さ142.0mの歩行者専用の鋼製の長経間2ヒンジ補剛吊橋である。高さ142.0mは歩行者専用の吊橋としては日本で2番目(2006年10月に大分県玖珠郡九重町の九重"夢"大吊橋(高さ173.0m)に破られた)の高さを誇り、吊橋の近辺にはそれぞれ「歩く吊橋 世界一」・「照葉樹林の自然 日本一」と彫られた石碑がある。その絶景から絵はがきで紹介されることが多い。
2024.10.10
コメント(1)
80才を超えて高齢になりますと、生活上の不便さが酷くなります。自家用車は5月初旬に廃棄処分にしましたので、運転免許証も返納すべき時期に来たのですが、五島にある家内の実家に1ヶ月滞在し、家内外の管理をするのですが、郷内に雑貨店も無くなり、郷外の商店街に行きますのに自転車が欠かせませんし、車がありますとより便利となるのです。其処で、運転免許証取得には制約ある手立てが欠かせず、3年目の79才の時も同じ手立てが必要だったと思われますが、殆ど覚えておりませんので、兎に角予約してあった認知機能検査を受けに府中運転免許試験場に行って来ました。昨日は調布駅北口で武蔵小金井行きのバスに乗りましたが、プラットホームホームが深い地下になりましたので、地上に上がって来ても一寸今浦島の状態になりました。バステ停留所「府中運転免許試験場入口正面」で下りて、建屋ビルに入ります。予約時刻は14時15分でしたので、地下の食堂で昼食のラーメンを食べ、その後は試験場に隣接する武蔵野公園を散策する等して漸く所定の時刻になり、所定費用1050円を窓口にて支払い、試験場に入ります。試験はタッチパネルとイヤフォンセットで行われ、昔日の紙に依る試験は様変わりしていて、試験方法はイヤフォンで聞かされ、指示に従って漢字や仮名字を書くにはパネル付属のポインターで行うのです。何とか、「認知症の怖れがある」基準には該当しない旨の結果通知書を受領出来ました。次には高齢者講習を何処かの自動車学校若しくは教習所で受講する必要があります。運転免許更新には、結果通知書と共に高齢者講習修了書が必要なのです。
2024.10.05
コメント(1)
今日は多摩丘陵病院にて指定されました検診日でしたので、10:00~10:30に間に合う様に、多摩センターのバス乗り場で日大三高行きに乗り換えて行きました。病院側道は、暑いながらも既に秋の気配が濃厚です!検診では、未だ処方された飲用薬は未だ残っていますと言いますと、怪訝に「毎日服用されているのですか?」と問われましたので、「勿論欠かせません!」と答えますと、「所定通りですと余る筈は無い」と言われたのです。そう言えば、7月一杯五島列島に滞在していたのですが、健康保険証は持って行ったのですが、処方薬は全て持参していなかったので、服用出来ずに余ったのでした。担当医師は、「では1月分のみ処方して服用して貰い、次は11月に来訪下さい!」との検診となりました。其処で、付属の所定薬局には寄らずに、医師の指示には従わず、手持ちの服用薬を毎日ではなく隔日服用することにして、2ヶ月持たせることにしました。それで十分なのだと思うことにしました。
2024.09.18
コメント(1)
日本語の音感を美しいと感じるには、七五調にするのが良さそうです。上記は、「ゴンドラの唄」で知られる詩人吉井勇氏の歌碑が天草大江の資料館に建てられている様です。1907年夏、与謝野鉄幹35才が22~23才の若者、北原白秋、木下杢太郎、吉井勇等を連れて天草を訪れて、その紀行文を「5人連れ」の署名で新聞発表したのです。何れも文筆家、詩人、戯曲家として名を成せた人物の若い才能を伸ばすことに、鉄幹がリードしたのは幸いでした。5人連れの共作として、葡萄の棚と無花果の熱きくゆりに島少女牛引き通う窓のそと、「パアテルさんは何処に居る」七五調ですが、韻文とも散文ともし難い唄が残されている様です!
2024.08.22
コメント(0)
月遅れのお盆に訪問する際、天兄と妹に栄養を付けて貰おうと、狗印のビーフジャーキーを買うべく、大東京綜合卸売センターに行ってみました。車では簡単に行けたのですが電車バスでは何回も乗り換えをする必要があって、時間と散策能力が必要なのです。兎に角、大手の泉屋で天狗印のビーフジャーキーを買い、店外に出てみますと、昔懐かしい江崎グリコのビスコ(Bisco)は、キャンペーン販売されていましたので、2袋購入しましたら、2回抽選出来ると言うので、やってみましたら2回目に当たり籤をゲットすることになりました。ビスコ 発売開始年 1933年(昭和8年)4cm×2cmの長方形のビスケットで乳酸菌入りクリームをサンドしている構造で、ビスケット生地にはハートの中に「ビスコ」という文字が入っている模様がつけられており、両面合わせて14個の空気穴が空けられている。クリームの中にはスポロ乳酸菌(有胞子性乳酸菌Bacillus Coagulans)が入っており、その数は一袋(5枚)当たり1億個とされる。
2024.08.10
コメント(0)
7月23日、五島鯛の浦からの高速船で、午前9時半に大波止に到着、帰京の為の飛行機は午後4時ですので、市内散策することにして、Google Mapで福砂屋本店を指定して歩き出しましたが、炎天下の散策は辛く、道沿いにあった喫茶店に入って、モーニングを注文して涼むことになりました。福砂屋本店を散策することになりましたが、強い直射日光に辟易して、木陰に隠れることにしました。通りの名前は「唐人屋敷通り」となっていて、屋根の反り返りが大きく異国情緒が窺われました。ネット検索してみますと、1689年に唐人屋敷が完成し、それまで民家に散宿していた唐人はすべてこの中に収容されることになった。それは密貿易の防止が主な目的だったとされている。大きく反り返った屋根は土神堂とされ、1691年唐人達の「土神の石殿を建立したい!」という願が許され建立された。との記載されたWebネットを見つけることが出来ました。
2024.08.09
コメント(0)
五島列島は、中通島、若松島、奈留島、久賀島、福江島で構成されている列島群です。その北側直近には小値賀島、宇久島があって、宇久島は佐世保市に組み入れられましたが、小値賀島は北松浦郡小値賀町として独立志向を堅持しています。小値賀島(おぢかじま)は、九州本土から西へ約50㎞離れた五島列島の北部にある島で、全島が長崎県北松浦郡小値賀町に属する。 人口 - 2,229人(2015年国勢調査確定値)。五島列島の北部、宇久島と中通島の間に位置する。一般的には五島列島に含められることが多いが、長崎県では平戸諸島の一部としている。島の東には野崎島、六島があるほか、島の周囲には納島、斑島、藪路木島、大島、宇々島、黒島、小黒島など小さな島が点在する。このうち斑島と黒島は小値賀島から橋で結ばれている。海中火山の噴火によってできた比較的平坦な島で、小値賀火山島群では最大の島にあたる。かつては島の中央部が浅い海となって東西2つの島に分かれていたが、1334年に干拓が行われて一続きの島となった。
2024.08.03
コメント(0)
新上五島町榎津郷にある家内の実家は住む人も無く、空き家状態ですので、劣化も目立って来ました。居間と床の間を仕切る襖が破れていたのです。早速、以前畳換装を請け負ってくれました畳屋さんに電話しましたが、襖の張替はやれないとのことで、坂田内装と言う業者を教えて頂きましたので、連絡を取った処、持ち帰り修理すると言うことで4枚にて2万6000円との見積もりでしたので、工事依頼することにしましたら、10日後に張り替えた襖を持って来てくれました。やはり、1ヶ月程度滞在しませんと、内装修理は適わないと実感することになりました。
2024.07.30
コメント(0)
私が自家用車を廃棄処分にしましたので、従来の会食場所である横浜市寺家ふるさと村の四季の家に行くことが困難になりました。従来はTK氏、NC氏と私3人だったのですが、今回から永らく仕事仲間であったOS氏にも加わっていることにして、OS氏に会食場所を物色して貰っていたのです。先日、「小田急線狛江駅から徒歩数分で行けるJonathan狛江は如何でしょう?」とのメールが来場しましたので、下見に行ってみることに致しました。TK氏はNC氏を車に同乗させて来ると言うことで、所定の駐車場は無いのですが狛江市と言う都23区外にある郊外地域でありますので、徒歩圏内に多数の駐車場所が存在している様でしたので、今回以降会食場所は「Jonathan狛江」になりそうです!
2024.06.14
コメント(1)
多摩丘陵病院まで、バスで行きました。先ず、多摩センター駅までバスで行き、其処から日大三高行きに乗車して病院前で下車、20日ぶりの脳梗塞事後検診でしたが、採決されての血液検査後、担当医師に「支障なく生活しています!」と自己申告しますと、2ヶ月分の血液サラサラ錠剤、コレステロール低下錠剤、胃にやさしい錠剤の処方箋を調製、「タバコは止めますか?」との問いに対して「否」と答えても特に気にしていない様子、82才まで元気に生活していることに感心している様子でした。「趣味は?」と聞かれまして、「近頃ご無沙汰ですが、油彩です」と答えますと、「次回見せて下さい」と事後検診終了でした。そう言いますと、私の油彩「萩焼花瓶に梔子」は大塚さん宅の玄関に、「カナダモレーン湖」は志村さん宅へ、パステル画の「青のガラス花瓶に紫陽花」は親友である大学同期生宅に、寄贈したままとなっています。
2024.05.29
コメント(0)
大東京卸売センターは府中市矢崎町にあります。サントリーのビール工場も隣に位置していますので試飲出来ますので訪問客も多い様ですが、卸売センター内には駐車数も多くて駐車に不便を感じることもありません。其処へは、電車バスでは行き難いので、何時も車で行って、普通の商店ではあまり出回っていない食品、天狗印ビーフジャーキー、チェリービーンズ等を買い付けていました。廃車手続き迄、あまり日数もありませんので、久しぶりに卸売センターに出掛けてみました。水曜日は元来半休で多くの店舗が閉まっていましたが、天狗印ビーフジャーキー、チェリービーンズ等を販売する店舗は開いていることを知っていましたので出掛けのですが、今回が最後の訪問になりそうです!
2024.05.15
コメント(0)
多摩丘陵病院に行き、予約してあった脳外科で受診することにしました。すると種々の精密検査を受けて欲しいと言われて、医師の指示通りに検査を受けることにしました。採血に拠る血液検査、心電図、果ては30分を要したMRI(磁気共鳴画像法)を経て、医師と面談開始です。MRIの画像で、「軽い脳梗塞」が明示され、血液検査で悪玉コレステロールの過多が判明しましたのに対して、必要な薬の処方箋が調整されていましたので、薬局に行き所定の薬を受け取り、帰宅となりました。朝9時半に出掛け、4時間半掛かって、帰宅は午後の2時となっていました。血栓に依る脳梗塞再発を防ぐべきサラサラの血液にする「バイアスピリン」、コレステロールを減らす為の「ロスパスタチン」が主で、胃の荒れを防ぐ薬などもありましたが・・多分、父も「バイアスピリン」を服用して脳梗塞再発を防止していたのですが、劣化した血管から血が漏れ出して、頭に血が充満、穴を開けて血を吸い取る手術を行う必要があったので要注意ですが、暫く服用量を半分にするべく、毎朝ではなく2日毎に変更することに致しました。悪玉コレステロールについては、従来その状態で悪影響はありませんでしたので、今回は服用しないことにしました。
2024.05.08
コメント(0)
複数の知人から、「血栓症だと脳梗塞再発の懸念があるので、一刻も早く病院での診察を受けるべきだ!」の要請連絡を受け、本日午後、多摩丘陵病院に行きました。この病院は元来町田市小山田地区の多摩丘陵中腹にあり、医師や看護師体制が整備されているので、評判も高いのです。大分前のことですが、義母が老衰で入院、長男がアルコール依存症で入院、と世話になっていたのです。その頃の記憶に従い、中腹の病院に行き、受付に行きましたら「此処はリハビリテーション病院ですので、受診は出来ません。下りた平地にある多摩丘陵病院にお出で下さい!」と言うのです。2023年5月1日より多摩丘陵病院は「多摩丘陵病院」と「多摩丘陵リハビリテーション病院」の2病院体制となります。 具体的には、回復期リハビリテーション病棟117床が 多摩丘陵リハビリテーション病院として現在の病院に残り、一般病棟148床及び地域包括ケア病棟51床を多摩丘陵病院として新しい病院に移転します。新しくなった多摩丘陵病院に行き、明日午前10時の「脳外科」受診予約を確保することが出来ました。
2024.05.07
コメント(0)
郷土の森博物館は5月末まで園内修復工事の為、閉園となっていました。道路の反対側には、郷土の森公園が広がって、日向なり、日陰なりで、親子連れが思い思いの活動をしていて微笑ましいものがありました。園の奥には、釣り堀が整備されていて、無料との表示がありました。放たれているのは、ヘラブナの様で、「釣り上げた魚は持ち帰らずに、池に放して下さい!」との注意板が設置されていました。のんびりと、沢山の釣り客が楽しんで様子も良いものです!
2024.05.06
コメント(0)
Amazonで山と渓谷増刊5月号を購入しました。もう登山客の少ない低山をトレッキングする勇気は消えつつありますし、家族連れで何回となく登った高尾山も近頃では、ケーブルカーやリフトを使って体力を温存する所存、少しでも近くに歩行者やトレッカーを頼りにすることにしています。家内と何回となく登った百蔵山もリストアップされていましたが、その隣の扇山には掲載記事が無いのです。2000年5月に、長男が勤務していたイシイスポーツに行き、各々適切なトレッキングシューズを購入して、扇山頂上まで登ったのです。百蔵山も扇山も山梨百名山となっていて、共に標高1000m級ですので、何故掲載されないのか不思議ですが、百蔵山からは富士山が望め、扇山では眺望が利かないと言うことなのかも知れません。
2024.04.28
コメント(0)
昨日は夏日、我が家の庭も新緑に覆われています。それでも横浜市にある寺家ふるさと村に出掛けて新緑の美しさを楽しむことにしました。通常ランチは鰻の蒲焼で知られる「四季の家」の日替わり定食を頼むのですが、昨日は水車小屋の日陰に腰掛け、ドライブ途中のコンビニで購入しましたおにぎり2個と我が家から持参したステンレスボトルの珈琲で済ませました。日差しの強い日曜日でもありましたが、沢山の人達が散策していました。新緑の美しい、横浜市の寺家ふるさと村でした!
2024.04.15
コメント(0)
多摩川大丸堰改修工事は、大丸用水堰を撤去し、上流側に帯工とゲートを設けて、大丸用水は上流側から分水させる計画とされています。2019年の台風19号による豪雨で、上流の小河内ダム放流に依って多摩川関戸橋下流域が氾濫、大丸用水堰付近の右岸側でも計画高水位を約1.35m超過して、非常に危険な状態となりましたので、それに対する改修工事でもありました。左岸の土手は桜並木の散策路になっていて、花見見物をしつつゆっくりと散歩するには快適な環境になっていて、多くの訪問者が散策を楽しんでくれます。但し、舗装されていますので、サイクリングロードともなっていて、高速自転車には注意する必要があります。
2024.04.12
コメント(0)
昨日は週末、気温も上がって5月の気候となりましたので、多摩川河川敷でも散策しようと出掛けましたが、週末でもあり駐車場は満杯で車を留めることが出来ませんでしたので、止む無く帰途に着きました。その途中、多摩川の向こうに観える筈の富士山が、黄色く薄くなって殆ど確認出来ないのです。春靄と言うこともあるのでしょうし、杉や檜の花粉が浮遊しているのですが、大半の要因は中国からの黄砂が到来して、日本全体を覆っていることの様です。数日前は、よく観えていたのです。日本海を越えた日本でさえ、これだけ靄ってしまう天候となるのですから、中国本土や陸続きの韓国では余程酷い状況になっているのだろうと気の毒に思えてしまいます。
2024.03.31
コメント(0)
昨日は冷雨に降り込められた一昨日とは打って変わって快晴、寝具の天日干しと下着の洗濯を済ませました。今年は桜の開花が遅れている様子がTVで放映されていて、近くの桜広場である宝野公園も蕾が硬いままです。多摩丘陵は寒い地区ですので、昨日は気温も16℃まで上がると予報されていましたので、丘陵から多摩川河川敷まで降りて行きました。所謂五月晴れと思われる天候を満喫出来ましたが、此処でもやはり桜の開花は遅れていました。今日は夕刻から春の嵐で、風雨が強くなると予報されていて、秋と並んで春も天候が不順にあることが多い様です!
2024.03.28
コメント(0)
神代植物公園のWebサイトに「ヒスイカズラ開花!」と言う記載がありましたので、行ってみることにしました。気温が高く20℃を超えた様で、日陰が恋しい気がしましたので、早速大温室に入り、ヒスイカズラを観に行きます。蔓状で見事な羅列の花弁が天井から釣り下がっていて、勾玉の様な花弁が少し床に落ちていて、満開状態となっていて、丁度見頃となっていました。ヒスイカズラ(翡翠葛、学名:Strongylodon macrobotrysは、マメ亜科に分類される常緑つる性植物。英語名は jade vine 或いは Philippine jade vine と言われ、原産地はフィリピン諸島であるが、インド・マレー半島・ニューギニア・トリニダード・トバゴにも持ち込まれて定着している。
2024.03.17
コメント(0)
昨日は気温が上がり、17℃と春の陽気と予想されていましたので、散策しに多摩川に行きましたら、平日にも拘わらず、沢山の人々が河岸散歩道に繰り出していました。それでも、冷たくはありませんが風が強く、塵が舞って空の青さが薄くなって、富士山もよく見えませんでした!一昨年の台風時に奥多摩湖の小河内ダム放流で、甚大な洪水被害を出してしまいましたので、それへの対策工事が行われていて、河川敷にはネットフェンスが張られていますので、河原に下りることは出来ません。それでも河川敷を散策中に、白い縞の或る石を見つけました。白い縞は石英片岩では無く長石とも思われ、この石が変成岩ではなく堆積岩であることが分かります。しかし、家の中で保管する程の珍重石ではありませんので、乙女椿の木の根元に転がして置くことに致しました。
2024.03.16
コメント(0)
北風は未だ治まりませんが、谷戸であれば風の影響は少ないと思い、小山内裏公園の太田切池に行ってみました。立枯れの樹木が倒れずに多数残っているのが、この池の特徴となっています。周囲を散策していますと、未だ桜の季節では無いのですが、少しピンク色が目立つ桜が数本見頃を迎えていました。説明板が設置されていて、「タマノホシザクラ」と言う種類なのだそうです。タマノホシザクラは町田市の小山内裏公園とこの片所谷戸、隣接する八王子市南大沢の多摩地域にしか自生していない希少種で、2004年に新種で発見された。約一万年前にエドヒガンザクラとマメザクラが交雑して生まれたもので、ソメイヨシノと同様に種子ができず、根から子株が成長するクローン繁殖の為、地域的に限定される。
2024.03.14
コメント(0)
府中郷土の森博物館は3月4日から3ヶ月大規模修繕工事で休園となりますので、最後の梅見物に行って来ました。遅咲きの豊後(杏との掛け合わせ品種)、思いのまま(紅白の花が咲く)も見頃を迎えていました。帰途、入口付近にある府中市物産館があって、花の鉢植えが販売されていて、ルピナス300円でしたので買って来ました。青い色を探したのですが、見つからず紫色のものを選びました。実は、滞在していたテキサス州にはルピナスの矮性種があって、Bluebonnetと呼ばれ州花となっていますが、青色の花しか咲きません。4月上旬、日本の桜の時期に野原が青い花で埋め尽くされて湖の様になります。その様子を懐かしんで、F15号サイズの油彩にして壁に掛けています。
2024.03.04
コメント(0)
2月も終わりに近付き、梅の季節も終わりに近付きました。ほのかな香りのする中、紅白種々の梅花を満喫するのは良いもので、少し気温が上がりますと、多数の訪問客訪れます。それでも満開状態になりますと、随分華やかになり、郷土の森博物館は賑わいます。一方谷戸にあって寒さの残る薬師池公園の梅林も見頃になりました。桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿と言われますが、枝先は丸く剪定されています。
2024.02.27
コメント(0)
今朝は気温が4℃でしたが、日中上がることなく、逆に2℃に低下し冬に逆戻りとなりました。昨日は、晴れて気温が8℃ありましたので、多摩川に行って散策することにしました。河川敷に設けられているバーベキュー広場では、家族連れがテントを使ってピクニックを楽しんでいましたが、多摩川は洪水対策の工事中で、フェンスで川には入ることが出来ない様になっていました。其処で、踵を回して郷土の森公園に行ってみました。其処は府中郷土の森博物館とは違って入園料は不要、園内には体育館、競泳プール、テニスの練習壁、釣り堀、森林散策コース、蓮田等も整備されていて、春夏秋冬に亘って、老若男女皆が楽しく過ごせる様に設営されています。梅も見頃でしたし、早春の早咲きで知られる「河津桜」が魅力的なピンク色で見頃になっていました。
2024.02.25
コメント(0)
昨日は2月なのに、気温が23℃まで上がりましたので、梅の観賞も最盛期を過ぎたかも知れないと、府中郷土の森博物館に行ってみました。一転、今日は最高温が7℃、明日は5℃、と真冬天候に逆戻りの様ですが・・兎に角昨日は気温が23℃を超えてしまっていましたので、着ていたセーターを脱いで、腰に巻き付けて、園内を散策しました。やはり梅も終わりに近づいた様で、花弁が落花となっていましたが、園内は陽気に誘われて家族連れで混雑していました。四阿のある丘に登ってみますと、以前は紫陽花のあった処は、珍しい品種の梅木が多数植栽されていました。その中に、花弁が無く雄蕊の目立つ梅花があり、名札があった様ですが、確認し忘れました。黄色い梅花もあるのかも知れません!
2024.02.21
コメント(0)
寒中にも拘わらず3月の気候が続き、府中郷土の森博物館には梅林を愛でる人々が繰り出していました。紅白の愛でたい配色をバックに、記念撮影している方々も散見されました。陽当たりの良い場所にある早咲きの八重野梅の大木は、もう満開の状態、落花も多く散策路に溢れていました。
2024.02.01
コメント(0)
寒中ですがロウバイが見頃になっている様子ですので、多摩川沿いにある府中郷土の森博物館に行ってみました。すると、プラネタリウムもある本館が工事塀で覆われていて閉鎖されています。聞いてみますと3月から3か月の間、閉園して修復工事をするとのことでした。梅林は未だ蕾状態が殆どですが、漸く一番早咲きの八重寒紅が開花していました。梅林を抜けて、多摩川に面したロウバイ林に入ってみました。原種のロウバイは花弁も小さく花数も少ないのですが、改良種と思われるソシンロウバイや満月ロウバイは見応えがあります。寒中に満開を迎えるとは健気な樹木です!
2024.01.10
コメント(0)
昨日は又快晴の小春日和、布団を2階ベランダに干しまま、崩れそうにない天気と陽気に誘われて、冨士霊園に行って久しぶりに墓参することにしました。国道129号線から愛川ICで圏央道に入り、海老名で東名高速に乗り換え、松田ICで下りて国道246号線を御殿場方面に行きますと、富士小山出口がありますので、山道を行きますと、富士小山ハイテクパークと高原を企業誘致の為に造成していました。其処から秀麗富士の全貌が良く見えます。富士山の冠雪は、小春日和が続いている所為か、南側南麓の半分以上溶けてしまっていました。久しぶりの冨士霊園、年末で平日の所為か、墓参に来ている方も疎らでしたが、供花とお線香を購入して、墓所に向かいます。小春日和とは言え、初冬の高原は裸木林となっていました。丁度、昼時となりましたので、墓前で札幌塩ラーメン袋を使ってインスタントラーメンを拵えて昼食とすることにしました。昼食を終え、帰り道は東富士自動車道で籠坂トンネルを抜け、山中湖から道志道をゆっくり帰ることにしました。老齢になって運転技術が下手になっていましたので、渓谷が深い道志の山道を行くのに不安を感じてしまうのです!それでも、速度を控え目にして何とか道志道を走り切ることが出来ました。
2023.12.09
コメント(1)
小山内裏公園は町田市にあるのですが、その先は八王子市鑓水になります。ずっと手付かずの原野でしたが、住宅地とショッピングモールが整備されていました。楽天の保管・発送倉庫群、YAMADA電気、YAOKOの巨大なモールなのでした。バス便も疎らな状況ですので、巨大な駐車場も整備され、マイカー客中心のビジネス展開なのです。マイカーを廃却した老齢年代には縁の無い戦略です。それでも国内消費の低迷が続き、GDP縮小が懸念されていますが、巨大なショッピングモールで消費刺激となって、日本経済は回復基調となると思っています。YAOKOは通常のスーパーの2倍以上の店舗面積があって、品数も豊富、Doritosも黄色いパッケージが珍しく置かれていました。勢いの或る景気刺激策は、後期高齢者となった私はそれ程貢献出来ませんが・・
2023.12.03
コメント(0)
私の居住地は多摩市ですが、八王子市には徒歩で往ける程近いのです。高尾山も八王子市ですから、山から平地に出て来て熊が出没しても不思議はありませんし、今年は山のドングリの実りが少ないのかも知れません。昨日は八王子市の小山内裏公園を散策しましたが、道にはドングリが散乱していましたし、柵の中の禁漁区に入ってしまえば食料には困らない筈です。次回から熊鈴を携帯して行くことに致します!小山内裏公園を抜けますと、尾根緑道に合流して国道16号線まで続きますが、鑓水小山給水所の貯蔵給水塔が54mの高さで威容を誇っています。
2023.12.02
コメント(0)
昨日は、小春日和の快晴で気持ちの良い日でしたので、水辺を楽しむべく、相模原市の一般道を使って相模湖に行ってみることにしました。水辺にはボートが沢山係留されていて、大学ボート部の拠点にもなっていました。湖面には、沢山の手漕ぎボートや足漕ぎボート、少ないながらもモーターボートもあり、遊覧船案内の呼び込みもありました。家内と数回登った石老山を仰ぎ見行っていますと楽しかった低山登山を思い出して来てしまいます。帰り道に相模湖ダムをみていましたら、小学校5年生の遠足は相模湖でしたが、最寄りの駅名は「与瀬」と覚えていますので、電車で行ったのでしょう。相模湖ダムの今昔、昔の1952年の方が大仰なコンクリート構造の様な気がしますが、寿命を延ばす為、コンクリートの打ち替えが行われたのかも知れません。相模ダムは、神奈川県相模原市、一級河川 ・相模川に建設されたダム。高さ58.4mの重力式コンクリートダムで、神奈川県が管理する補助多目的ダムである。日本における河川総合開発事業の初期の例でもあり、ダム湖(人造湖)である相模湖は相模原市や横浜市、川崎市など神奈川県民の大多数にとって貴重な水瓶である。
2023.11.20
コメント(0)
昨日は天気が良かったので、下着を洗濯、敷布団も天気干ししてから、小春日和を楽しむべく神代植物公園に行ってみることにしました。菊の展示会も行われていましたが、小菊の盆栽があって吃驚、手間の欠かせない盆栽で菊を愛でる根気に畏れ入るばかりです。それらを一寸見てから、陽当たりの良いバラ園に行きましたが、もう美しい花の盛りは過ぎていました。大温室に入って休憩室のテーブル・椅子に腰掛けて、コッペパンにコーンビーフを挟んだホットドッグと剥いて小さく切った甘柿と一緒に細やかな昼食としました。外に出てみますと、本曇りとなっていて天気の変化が目まぐるしく、大きな雲も出て来ており、天日干しした布団が濡れると困りますので、僅か1時間で帰宅となりました。
2023.11.19
コメント(0)
昨日は、小春日和の快晴、紅葉まつり中の高尾山に行ってみることにしました。国道20号線沿いにある薬王院祈祷殿に駐車しようとしましたらほぼ満杯の混雑、係員の指示に従い、何とか駐車出来ましたので、ケーブルカーの清滝駅に向かいました。ケーブルカーもリフトも長蛇の列で、切符売り場も同様で、乗るには30分以上掛かるとのことで、諦めて秋景色を楽しむべくコンクリート舗装された1号路を行くことにしました。杉並木は谷戸沿いですのであまり陽が差しませんし、坂道ですので、体力勝負となります。漸く、九十九折の坂道に到達、谷戸を抜けて漸く陽の光に当たることが出来ました。見上げてみますと少し紅葉しているのが見えましたが、体力の限界を感じ、尾根道まで登ることなく引き返すことに致しました。
2023.11.15
コメント(0)
絹の道は明治時代に横浜港まで輸出用の生糸が運ばれたルートの一つで、御殿橋から「絹の道」道碑までの1.5㎞が八王子市の史跡に指定され、文化庁選定「歴史の道百選」の一つとなっている様です。その道の前半部付近に絹の道資料館が、生糸で財を成した八木氏屋敷跡に休憩所を兼ねて開設されています。舗装はされていませんが、運搬用の大八車が土にめり込まない様に、硬い石で整備されています。終点にあたる「絹の道」道碑の階段を上りますと、嘗て道了堂礎石が残されているだけで薄暗い陰気な場所で複数の殺人事件があって心霊スポットとなっていましたが、今は複数の石碑等を設置して大塚山公園として整備されていますので、最早心霊スポットでは無く憩いの場所に変貌している様です。道碑脇に座っているのは家内で、2001年秋のことでした。現在は、大塚山公園の説明版も設置されていました。
2023.11.10
コメント(0)
11月になって、近郊で一番大きな菊祭りを開催中の高幡不動に行ってみました。月曜日の平日の所為か混雑はしていませんでしたし、一部のテントは未だ畳んだままで、開催直後の様にも見えました。入口テントには円錐状に仕立てられた、派手やかな菊が展示されていました。それでも、大輪の厚盛仕立ては見事なものでした。奥まで見物して、行動の前のベンチで、菓子パンとコーヒーで昼食、Lindtで買って来た丸形のAssorted Chocolateを賞味してみました。帰り際、聞き慣れない「ドーム菊」が600円で販売されていましたので、帰宅して仏壇の供花とさせて頂きました。ドーム菊とは、丸くドーム型に仕立てられる鉢植え菊のことなのだそうです!
2023.11.07
コメント(0)
昨日は薄曇りでしたが、森林浴と山を眺めたくなりましたので、津久井湖城山公園に行ってみました。3連休の中日と言うことで、所定の駐車場は満杯、係員の指示に従い運の良いことに10分程待っていましたら、駐車空スペースが確保出来ました。此処の公園は南麓が広く頂上には城址、世の横には神社もあって、トレッキングには最適な公園なのですが、近頃体力が落ちていますので頂上に登るのは諦めて、鉄作手摺付きの空中遊歩道を一寸登った処にある途中の展望広場迄ゆっくりと歩いていましたら、到着しましたので、其処で休憩とし、手製のハムサンドと珈琲で昼食としました。山並みは広重の版画の様に3段の濃淡で遠近が良く分かりました。近くの低山が一番濃く、宮ケ瀬湖近くの仏果山、高取山連山(家内と数度登りました)が灰色、一番薄いのが丹沢山塊で最高峰の蛭ヶ岳も確認出来ました。南麓の杉の木は何れも大木で、散歩道は薄暗く森林浴には絶好な環境です!
2023.11.05
コメント(0)
三鷹台団地の知り合いにBeef JerkyとCherry Beansを差し上げて、其処のSummit駐車場に車を留めたまま、玉川上水緑道に行ってみることにしました。三鷹台団地には、1973年3月から1980年2月まで住んでいました。尤も、私は米国駐在が命じられ、1979年9月に米国に渡り、住居、ベッドを含む家具類、食器類、自動車等を家族が不自由にならない様に3~4ヶ月の間に準備する必要があったのです。団地は住居権を解約しましたので、1983年10月に帰国した際には、三鷹台団地に再入居することは叶わず、社宅に2年間入居させて頂き、新しい団地を探して1985年8月に現在の多摩市に入居となりました。三鷹台団地時代、四季折々家族4人で散策しましたし、子供達が通った明星台幼稚園も玉川上水緑道沿いにありましたので、送り迎えにも利用したものでした。緑道は木々も大きくなりましたし、玉川上水には綺麗な水道水も流している様で緑のオアシスとなっています。緑道は舗装されていない土道が大半で、足からの反発も柔らかく、気持ちの良いものです。多分2~3㎞行きますと、井の頭恩賜公園に到着、分園の大きな芝生広場のベンチで昼休憩となり、魔法瓶珈琲と菓子パンでランチとなりました。昨日は、夏日となっていましたので、日差しを避ける為入りませんでしたが、陸上競技場よりも広く見える広場で、子供達を連れて紙飛行機や凧揚げを何の障害も無く、遊んだことを思い出しました!
2023.11.02
コメント(0)
昨日は快晴でしたので、40年前を思い起こして小金井公園から花小金井へと散策してみることにしました。40年前に米国から帰国したのですが、駐在前に住んでいた三鷹台団地は解約されており、住む処が無かったので、花小金井にあった借り上げ社宅に暫く住まわせてしたのです。なかなか駅近くの便利な処でしたし、自転車道を兼ねた散歩道や小金井公園も近かったので、よく家族4人で散策を楽しんだものだったのです。小金井公園は、東京都小金井市と一部が小平市・西東京市・武蔵野市にまたがる東京都立の都市公園(広域公園)である。正式名称は東京都立小金井公園。面積約80haの広大な敷地は都立公園の中でも最大規模で、日比谷公園の4.8倍、上野公園の1.4倍に相当する。基本テーマは「花と緑のひろびろ空間」。園内には雑木林と芝生が広がり、1,800本の桜が植えられた花見の名所としても人気があり、日本さくら名所100選に選定されている。正月時期には凧揚げの名所ともなる。また、公園内の「いこいの広場」では定期的にフリーマーケットも開催されている。小金井公園の駐車場は第1、第2とあって広くて驚きましたが、公園も広大で昔散策した記憶を辿ることも出来ません。微かに記憶する江戸東京たてもの園は現在修復改装で、工事覆いで隠されていて見えませんので、北部に抜ける道を見つけて花小金井方面に向かいますが、その道筋の遠いのに又驚きました。暑さもあって疲労困憊して、漸く昔社宅であったアパート棟に着きました。手前に見える駐車場は往時草原で西武線踏切はよく観えましたし、警告音は就寝の為の音楽として楽しんだことを思い出しました。会社は業績回復の為、福利厚生施設は売却しましたので、もう此処は社宅ではなく、民間のアパート棟になっていると判断することにしました。
2023.10.24
コメント(0)
天気も良いので、10月3日から開催中の神代植物公園の薔薇フェスタに行って来ました。芝生広場には大きなパンパスの植栽が見頃になってしましたし、道沿いの緑濃い檜の大木も威風堂々と聳えていて、結構な長い散策を楽しませて頂きました。
2023.10.18
コメント(0)
今日は、白寿で天に召された元上司の葬儀ミサが初台教会で行われましたので、参列させて頂きました。福音書を引用した葬儀ミサが営まれつつ、参列者で讃美歌を斉唱して、その後棺の前に献花して終わると思っていたのですが、そうはなりません。葬儀式壇上には、豪華な花輪や花束が添えられていましたので、棺を開けて綺麗に遺体を埋め尽くす必要があったのです。そんなに沢山の花が必要なのか分かりませんが、結局は葬儀社仕切りで用意されますので、それらは高額な供え物となってしまい、必然的に葬儀費用は膨れ上がってしまいます。14年前の家内の葬式では、結局葬儀費用は200万円を超え、納骨法要に50万円を要したことを思い出しました。多分今回の元上司の葬儀費用も、14年間のインフレ率を考慮しますと、少なくとも300万円を要しているのだろうと思われます。非正規社員が多く、普段の生活費にも余裕は無いと思われますので、そんな高額な葬儀費用は捻出出来ず、「貧乏人は死に切れない!」と言うことになります。近頃、終活保険100万円が月額数百円で売りだれていますので、責めて葬儀費用は100万円以下にして欲しいものです!私の場合は、65才生命保険満期の際、追加納金無しに100万円を死亡時に受け取る様にして置きましたので、質実な家族葬儀扱いにして頂きますと、次の世代は負担は無いと判断しています。
2023.10.14
コメント(1)
昨日は快晴でしたが、低い裾野が靄っていて、富士山も丹沢山塊も頂上付近には雲が掛かっていて見えませんでした。午前9時半、自宅を出て愛川ICから圏央道に入って、海老名ICで東名に乗り換える積りでしたが、丁度運送トラックの働き始めの時刻だったのでしょうか、延々と長い車列となり遅々として動きません。其処で国道129号線に下りて、厚木迄行き其処で東名に乗ることにしたのですが、「愚かな考え、休むに似たり!」こちらも混雑がひどかったのです。兎に角東名大井松田ICから、国道246号線に乗り換えて御殿場の冨士霊園に向かいましたが、通常2時間の処を3時間を要して、正午過ぎの12時半に到着となりました。売店で供花とお線香を購入して墓所に向かいます。家内の実家は墓石が10個以上立ち並ぶ大きな墓所ですが、冨士霊園では生きている時と同じ団地の様な墓所なのです。供花に水を入れて供え、香を焚いて挨拶をして、バーナーとコッヘルでインスタントラーメンを作ります。この塩ラーメンは、昔二人で低山トレッキングをした際に「山頂で暖かいラーメンがとても美味しい!」と、家内が用意してくれたものなのです!
2023.09.29
コメント(0)
昨日は一寸早めに朝8時半に家を出て、愛名ICから圏央道に入りましたが、お盆明けの仕事再開のトラック列が多く混雑していました。圏央道は運送ビジネスには、便利なルートになっていると思いつつ、海老名ICから東名高速に乗り換えて、大井松田ICで246号線に下りて、道なりに冨士霊園に向かいます。頭上は青空ですのに、丹沢山塊は雲の中でしたが、段々と雲が薄れて行きましたのは天気好転の兆しと思われました。思惑は午前10時半には到着予定でしたが、圏央道の混雑もあって到着は午前11時となりました。管理棟で供花とお線香を買い求めて、墓所のある区画に向かいました。しかし、丹沢山塊と異なり、富士山付近は、未だ雲中にあって、見上げることが出来ませんでした。それでも久しぶりに墓の前で、インスタントラーメンを拵えて、長らくの訪問中止を詫びつつゆっくりと昼食を取りました。お盆明けでしたので、訪れる方々も絶え気味で、霊園内は閑散としていましたが、その分静かな時間を過ごすことが出来ました!
2023.08.18
コメント(0)
1980年代後半に、カリフォルニア州オクスナード(Oxnard)市にあるプロクター・ギャンブル(Procter Gamble:PG)社に自家発電所を創設するのに2年間、殆ど毎月と言って良いほど通い続けました。自慢のIM5000航空転用型ガスタービンをCogeneration Plantにするのですが、主契約社はIHI、蒸気発生用のボイラーや排気ダクト、軟水装置等は米国のEnergy Services Inc.(ESI)に調達して貰い、据え付け工事はFluor Danielに担当して頂きました。PG社のプロマネが、ESI社プロマネ、IHI社プロマネがコアチームとして毎月、進捗状況を確認するべく現地で会合しようとの提案に乗り、時にはPGプロマネ宅にも招待されました。プロマネの奥さんは、私の米国滞在での配慮をしてくれましたし、女性民権運動にも積極的に参加する女丈夫な方でした。私はそれで種々助かったのですが、それでも遠く日本から参加する私は大変で、2年間時差(Jet Lag)に悩まされて、健康を害してしまいました。現地のProcter Gamble Oxnard工場に行くには、最初の頃はロサンゼルス空港から、インターステート405号線から101号線(Ventura Highway)を使って丘を越えて行っていたのですが、海岸線も良いとの助言もあり、ハイウェイ1号線(PCH:Pacific Coast Highway)を北上して使うことが多くなりました。
2023.08.05
コメント(0)
仲知郷は、元長崎市長の本島氏の出身地であり、切支丹が多い処で、美しいステンドグラスで飾られている仲知教会は必見です。現在の仲知教会は3代目で1978年に建立、この地区には70数戸しかありませんでしたが、各戸百数十万円負担して建てられことは、キリスト教信仰の深さが窺えます。其処に新しく、カフェと宿泊設備が出来たと言うことでしたので、家内と親しかった従妹2人と連れ立って訪れてみました。新上五島町最高峰の番岳も望める風光明美な場所で、直下に仲知小島もあって岩風呂を楽しみながら泊まるのは楽しみになりますが、つい数年前までは最北端の津和崎郷まで運行されていた西肥バスは住民減少で、途中の立串郷で打ち切りとなってしまいましたので、車でしか行けない場所なのです。このカフェ&ホテルの営業が成功することを願って、其処を後にしました!
2023.08.01
コメント(0)
西東京市ひばりヶ丘にある東本願寺ひばりヶ丘別院へ、中学校恩師の墓参りに行って来ました。恩師は1987年10月行年68才没、昭和20年3月24日没行年21才と刻まれていて、東京大空襲で伴侶を亡くされた悲しい過去があり、奥様は後妻だったのです。奥様には戒名が無く実名だけで、98才没と墓誌に刻まれておりましたが、特別に違和感はありませんでした。家紋は有名な武田菱ですので、武田家の末裔だったのでしょうが、今は継ぐ男子がいなかったので、恩師の家系は閉じることになったのですが、他家に嫁いだ娘さんが墓の維持をされている様です。中学校の恩師は、中学2~3年のクラス担当教師で、軍人教師として怖い存在で知られていました。当時、学校は荒れていた訳ではありませんが、貧困家庭もあり問題児も多くいたのですが、他の教師が敬遠する生徒をクラスに取り組む教師でした。それでも、軍人らしく振舞うことも無く、日教組とも一線を画して、問題児生徒を含めて無事に卒業させることに意を注ぐ立派な教育者でした。私が内申書劣悪の所為で高校受験に失敗した後、捲土重来の大学受験では受験成績点数100%での評価、東大合格には「快哉」を叫んで祝福してくれました。その10年後には、結婚式の仲人にもなって頂いたのですが、会社生活が忙しくなり、転居や海外駐在が続きすっかり疎遠となってしまった不祥の教え子でした。武田家の家訓なのか、「情けは味方、仇は敵!」を実践した人物で、卒業後は女生徒だった婦人達への人生相談役ともなっていた稀有な教師でした!
2023.06.17
コメント(1)
昨日より快晴で気温が上がり、25℃を超えて夏日になりましたので、緑濃い小山田緑地に行ってみました。もう日差しも強いので、木陰を伝って歩く有様、木陰の木造通路を通ってよく見ますと、3段調整池の内、最下段の池では殆ど干上がってしまっていました。そのまま進むと木造通路は終わって、土通路となり、竹林を右に見ながら階段を上りますと、コンクリート及び石を敷き詰めた通路になって、道なりに最高点の展望広場に上り詰めます。椚木の木蔭のベンチに座って、ペットボトルのお茶とバタークッキーでゆっくりして、西方の丹沢山塊と富士山を眺めますが、天気は下り坂なのか、富士山は雲の中で観えず、丹沢も墨絵の様にシルエットとなっていました。国蝶であるオオムラサキの生息地を右に見て、運動場まで下って行きます。そこでトイレ休憩後、坂を登って散策路に入り、森林浴をしながら1段目調整池まで下りて散策を終えることにしました。体力が落ちていて、坂道は時に息をつく休憩をとりながらの散策でしたが、良い汗をかく、歩数も稼ぐことが出来た良い散策となりました!
2023.05.27
コメント(0)
全797件 (797件中 1-50件目)