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一昨日は、大田区下丸子に住む知人宅から、「お昼をご一緒しませんか!」とのお誘いがあり、有り難くお受けすることにしました。最寄り駅ではありませんが、待ち合わせ場所は南武線の「平間」駅前、多摩川を挟んでの対岸まで車で迎えに来てくれました。2時間程、お昼をご馳走になりながら歓談、チーズケーキをお土産に頂き失礼することになり、帰りは河畔での散歩を楽しもうと、車での送りを丁重にお断りすることにしました。付近は、Canon本社や関連事務所があってビジネス街の様ですが、住環境の良さから「リバーサイドマンションも多く建てられていました。ガス橋の中央で東京都大田区から神奈川県川崎市との境界になります。南には川崎市中心街が望めますが、川沿いの景色とは良いものです。北側には武蔵小杉のビル群が望めます。JR南武線、東急東横線、東急目黒線が交錯する中継基地となって、職住接近の大きな街となりました。川崎市は武蔵小杉を川崎の第三都心(都心=川崎、副都心=溝の口・新百合ヶ丘)に指定して、住・商・医が整った「コンパクトな街」を標榜し、東西南北エリア毎に再開発と交通インフラの整備がまとめて計画的に策定された。駅周辺の3ha(ヘクタール)以上の工場跡地やグラウンド跡地では、超高層マンション群が建設されている。また商業施設としてグランツリー武蔵小杉が開業している。再開発後著しく地価が上昇し、首都圏住みたい街ランキングでも4位(2016年)、5位(2015年)、6位(2017年・2018年)と上位をキープしている。渡り終って、下丸子方面を望みます。Canon 本社のビル群と共に、多くのリバーサイドマンションが林立しています。15~20分のアーバン散歩を楽しむことが出来ました!
2019.05.24
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町田市の薬師池公園から、山道を通って、町田牡丹園に行ってみました。大型連休中は、牡丹が咲き誇り有料だったのですが、もう牡丹の花は全て刈り取られ、無料となっていました。しかし、名残の芍薬は20%程度が咲き残っていました。花時計のある広場も、名残の芍薬だけでしたし、訪れる人達も少なく、閑散としていました。薬師池公園に帰る途中、七国山のファーマーズ畑でも、菜の花は終わって、菜種に変貌していました。七国山農園本館では、近々、菜種油が販売されることになります。
2019.05.18
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昨日は快晴、新緑を楽しもうと、相模原市三ヶ木の起点から終点の山伏峠まで、道志みち(国道413号線)を行き、山名湖で富士山を眺めて、籠坂峠を経て、冨士霊園を訪れることにしました。道志みちは、昨年の台風で、山崩れが起き。半年間通行止めでしたが、漸く開通したとのことでしたので、1年ぶりのドライブです。崩落個所は数十mの高さまで、ブルーシートで覆われたままで、復旧されたとは思えない状況でしたが、それを避けるべく、隧道が完成間近となっていました。漸く、道の駅「道志」に着きましたが、新緑の季節に週末でしたので、混雑していました。道志川の河原では、川遊びをしている家族連れも多く見られました。結局、道志みちを通過するのに、2時間以上を要しましたが、山中湖では、思ったよりも混雑していませんのは、1100mの高地ですので、朝晩は冷え込んでスポーツするには、未だ時期が早かったのでしょう。久しぶりに、湖畔から見える富士山は雄大、春秋に家内とよく訪れたので、家内の供養にはなったのかも知れません。冨士霊園には正午に到着、東名を利用すれば2時間強で着きますが、山道経由ですので3時間強を要しました。冨士霊園も600mの高原、八重桜とツツジが同時に見頃となっていました。墓前で、インスタントラーメンを作り、ゆっくり食して時間を過ごすつもりでしたが、直射日光が強烈で、木陰を探して避難する必要がありました。今年の夏が、どんな暑さになるのか思い遣られます!
2019.05.12
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町田市のWebサイトに次の様に掲載されています。町田市本町田・UR藤の台団地南側の「町田市立博物館」が、施設老朽化等による展示事業終了に伴い、2019年6月16日(日)をもって閉館します。新館は、町田駅の近くにある芹が谷公園に建築されるそうです。早速、行ってみることにしました。通常は、入館料は300円なのですが、最終展と言うことで無料、前期と後期に分かれて展示するとのことで、前期はガラス器や陶磁器が中心の様でした。種々の色ガラスの小瓶、何とも可愛いものです。古今東西の銘品が並び、透明ガラスの創始者とされるヴェネチアングラスから薩摩切子まで展示されていました。陶磁器では、柿右衛門様式の原点ともされる呉須赤江の皿、準宝石ともされるラピスラズリを使った青絵の皿もありました。中国の侵略に会い、抵抗したベトナム国でも、文化的には影響を受け、磁器の銘品が生まれたと思うと複雑な気分にもなりました!
2019.04.29
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昨日は会社OB会がありましたので、豊洲に出掛けましたが、其処に行きますと何故かトニオ・クレーゲルを思い起こしてしまいます。1960年代は、主な敷地は工場地帯、3Kなり4Kなりの職場でしたが、戦後の混乱期を過ぎて、先を行く米国製品に追い着こうと皆が努力した時代でもありました。製品の積出港のある運河も汚れたままでしたが、航空学科を卒業して、自分が望んだ職場でしたので、不満はありませんでした。優れた先輩にも恵まれ、エンジニアとして成長して行ったのですが、会社の期待は組織の一員として活躍することが望まれていたのです。営業も兼ねたセールス・エンジニアが主な役割となり、遂には米国駐在して先進国への輸出活動することが上司から命じられることになりましたが、果たして自分の望みはそうすることであったのかと、後期高齢者になった今になって自問・自答することになりました。トニオ・クレーゲルはトーマス・マンが文学者としてどうあるべきか真摯に思い悩んでいた自身の告白的な作品であって、難解な彼の作品群では比較的に読みやすい短編小説で、主人公のトニオが、「芸術家として生きるべきか、普通のプチブル小市民であるべきか」と悩み、変貌した郷里を訪れて、折り合いを見つける物語なのです。積出港のあった場所は、大学キャンパスとなって変貌、大きなユーカリの木は工場名残りとして、残されている様です。運河の水も綺麗になり、水際には遊歩道が設営されて、今や工場地帯から職住接近の地となったマンション群から、若い家族連れが散歩する場所となりました。豊洲交差点付近も、ゆりかもめ線、地下鉄有楽町線の駅となり、高層ビルも立ち並んで、昔日の面影は全くありません。変貌する豊洲を徘徊して、自分の過ごして来た過去を思い遣るのも、偶には必要なことかも知れません!
2019.04.21
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―昨日は、御岳神社に行って来ました。1976年夏に、小学校前の子供二人を連れて、御岳渓谷で涼やかな多摩川の清流を楽しんで、バスで御岳山ケーブルの滝本駅に行き、ケーブルカーを利用して、其処から徒歩で御岳神社に参拝したのが初めての訪問でした。米国から帰国後、小平市の社宅に住んでいましたが、翌年の1984年春に、家族皆で御岳駅からバス・ケーブルカーと乗り継いで、リフトで展望台に登って眼下の景色を満喫後、舗装された急登道路を歩いて、参拝して無事帰国したお礼参りをしたのでした。1992年には子供達も親離れしていましたので、家内と二人で、ロックガーデンを見物に行っていますので、今回は17年ぶりの訪問です。秩父多摩甲斐国立公園内ですので、山深く種々のトレッキングコースが用意されています。ケーブルカー頂上駅は820m、御岳山頂上は930mですので、100m余登るだけですのに、体力の劣化は酷くへばりました。折角だからと17年ぶりにロックガーデンまで行ってみようと、山道を行きますが45分過ぎても着きません。漸くその入口にある「天狗岩」に到着、ロックガーデンは周回2時間ということですので、今回は致し方なくGive-Up!天狗岩の下で、ラーメンを作って、買って来たお結びと共に昼食、引き返すことにしました。リュックにはGasBrennerとKochelを入れてありますので、何処でも暖かいラーメンを作ることが出来るのです。来た道を引き返して、御岳神社まで登り返し、漸くケーブルカー頂上駅に到着、広場では遅咲きの桜が咲いていました。 43年前の子供達、見守る家内も未だ若さ溢れる子育て時代の33才でした。合計3時間のトレッキングですが、昨日~今日は節々が痛いのです。
2019.04.18
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昨日は快晴で、気温も上がるとのことでしたので、気軽な山歩きを楽しむべく、津久井城山に行ってみることにしました。津久井湖畔では、未だ桜祭り開催中と言うことで、「花の苑池」も相当の人出でしたが、それを横目に見て、城山を周回して、南麓の城山公園パークセンターに着きましたのは午前9時半、未だ早いので、駐車場は空いていました。青空に、若緑に彩られた城山頂上が見えています。2ヶ月前に、股下の筋を痛めましたので、その症状を悪化させない様に、ショックアブソーバーとして登山用ストックを使ってゆっくりと登って行き、展望台に着きました。一昨日の雨は丹沢では雪だったのか、最高峰の蛭ヶ岳は美しく冠雪していまして、絶景となっていました。この公園には、急騰な男坂コースとなだらかな女坂コースが設けられていますが、敢えて男坂を選択して登ります。100~150m登りますと尾根道に到着しますので、先ず飯縄権現を参拝してから、山頂のある津久井城址に向かいます。山頂到着は午前10時半、カップラーメン等を作るべく、バーナーやコッヘルもリュックに背負って行ったのですが、未だ早いと下山して、自宅で昼食を取ることに変更しました。下山は股下や膝関節を痛める懸念がありますので、こまめに登山ストックを使い、駐車場に11時半到着、帰路に着きました。何とか股下痛みを再発させずに、無事に歩けましたので、次は城山湖一周コース、或いは高尾山を目指すことにしました。
2019.04.14
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先週の日曜日は、桜が見頃でしたので、津久井湖に行ってみることしました。しかし、途中から道路が渋滞、津久井湖では桜祭りが行われていて、水の苑池・花の苑池にある駐車場は満杯で入ることが出来ません。それではと、城山南麓にある城山公園に行ってみましたが、此処も駐車待ちの長蛇の列でしたので、諦めて城山湖に向かうことにしました。所定の駐車場は、やはり満車で入れませんので、湖畔まで行ってみますと漸く空き場所を見つけることが出来ました。津久井湖もそうでしたが、城山湖の水位も激減していて、揚力発電を実施するのは適切では無い感じでした。18年前に撮った写真と比べますと、明らかに水位が低いのです。18年前の手摺フェンスは鋼管に塗装していたのですが、今はアルミ製に代わっています。未だ家内は58才、元気でよく低山トレッキングを楽しんでいたのです。今朝は冷たい雨となっていますが、此処1月程続いていた砂漠の様に乾燥した気候に対しては、絶好の慈雨の様に思われます。
2019.04.10
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一年中、綺麗に整備されている町田牡丹園に行ってみました。3月下旬ともなりますと、陳列垣根の中ではもう牡丹の芽吹きは始まっていましたが、春の雑草が蔓延っていました。小さなピンクの花は、ホトケノザでしょうか、緑の葉に明るい色を添えていて、春の色彩が感じられました。それでも、園内は綺麗に清掃されていて、整備良く植栽された水仙類も、健気にその存在を主張していました。歩き回って、雑木林を散策しましたが、未だ花の気配はありません。天気も良いので、牡丹園から七国山農場を経て、薬師池公園まで散策することにしました。広く種が撒かれた菜の花畑では、芽吹きが始まっていました。此処で作られた菜種油は、季節になりますと、七国山ファーマーズ本館で販売されるのです。薬師池公園まで、春の気配を感じつつ、ゆっくりと散策出来ました。
2019.03.23
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昨日は気温が上がって気持ちも軽くなり、アウターを脱いでシャツだけで、川辺を散策することにしました。多摩川大丸堰は、一昨日の雨で上流からの水量が増えて、堰を乗り越えていましたので、堰のコンクリート群を歩いて行くことは出来ません。其処で、堰の下流に行ってみますと、浅い瀬が波立つ程の急流になっていて、心地よいせせらぎの音がしています。北側の川辺から南をコンデジで撮ったのですが、F値が高くて南対岸が暗くなってしまいましたが、肉眼ではそれ程暗くなく、春の気配を楽しむことが出来たのです。川辺で拾った小石二つ、おそらく赤いのは紅簾片岩、白いのは石英片岩、と変成岩と思われます。これらは多摩川上流には存在せず、荒川上流の長瀞辺りで産出される岩石ですので、多摩川下流に見つかるのは一寸不思議に思えます。
2019.03.21
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股下の肌肉筋の痛みが緩和されて来ましたので、歩行練習をすることにしました。一月前の城山湖では上り下りが急で痛みが酷くなり、元の木阿弥となりましたので、今回は緩やかな登りが続くならばい谷戸を小野路城址までゆっくりと散策することにしました。途中の水田では、田起こし作業がされていましたが、本格的な農作業には少し時期尚早の様で、誰も見えません。しかし散策路には、春の日差しでスミレが群生して咲いていました。痛みが再発しない様に雑木林をゆっくりと小股で歩いて行きますと、無事、小野路城址に到着しました。コナラやクヌギの雑木林は、未だ芽吹きもしていませんので、明るく開放的でした。城址下にある小町井戸にも、誰も見えません。小野小町が眼病を直したとされる井戸ですが、真偽程は定かではなく、此処一帯は親戚の小野篁の所領地であったことから、そんな逸話が生まれたのでしょう。登りでは殆ど痛みを感じませんでしたので、下りは起伏があって、階段もある散策路を試してみることにしました。この林間コースには、エビネやキンラン等があったのですが、盗掘されて殆ど観ることが出来なくなりましたが、春蘭を見つけましたが、その内盗掘されてしまうのかも知れません。やはり、長い階段路を下りて行く途中、痛みが出て来ましたが、歩行困難に陥ることもなく、歩行演習は終わりとなりました。少しずつ治って行く様ですので、少しずつ歩行訓練を続けて行こうと思っています。
2019.03.19
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天気が良く暖かいので、野津田公園に行ってみました。東口から入りますと、サッカー練習場がありますが、今までは土の練習場だったのですが、其処に天然芝の練習場にするべく、大型トラックを持ち込んでの芝貼りの作業が行われていました。ススキの丘の頂上付近はスミレとフデリンドウの群生地ですので、登って行きますが、残念ながら未だ一輪も咲いていません。ふと、下の野原を観ますと、子供達が幾つもの輪になって、歓声を上げながら、先生の指導に合わせて遊戯をしていました。生徒数が多いので、幼稚園と言うより小学1年生に見え、何とも元気の出る情景で、まるで「二十四の瞳」の大石先生の率いる生徒達が野に遊ぶ情景を報復とさせてくれます。子供が無邪気に遊ぶ姿は社会の活力の根源で、微笑ましく、他人の子供でも可愛いもので、況して自分の子であれば、尚更と思うのですが、近頃は「仕付け」と称して虐待して死に至らしめる事件が、複数報じられています。モンスターペアレントは、我が子の為に学校へ多数の苦情を言い、給食費も払わずに、通学させて何とも責任を感じない親達と思っていたのですが、遂に自分の子供にも手を挙げて、怪我をさせて死亡させる事態となりました。Next Generationを無事に育てるには、何を為すべきか、多分モンスターペアレントの権限を制限して、社会全体で救い上げるシステム構築が焦眉の急と思われてなりません。
2019.03.15
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井の頭公園の駐車場に車を停め、井の頭自然文化園に行ってみました。井の頭恩賜公園には、池の周りを散策、桜の季節での花見見物、等折に触れて訪れていますが、自然文化園を訪れるのは実に40年振りです。子供達が小さい頃は、三鷹台団地から玉川上水側道を散歩して、井の頭公園に行き、自然文化園には出掛けたものでした。自然文化園には、小さな観覧車がありましたし、象の花子さんも元気でした。この画像は、多分1976年頃のものだろうと思われます。花子さんは3年前に亡くなって、飼育舎が公開されていました。蝶が飛び回った大温室は亡くなって、遊具施設がスポーツランドとして移された様でした。彫刻家の北村声望の彫刻類は、園内各所に展示され、彼の傑作「長崎の平和記念像」は、木造家屋に収納されていたのですが、今は原形を含めてコンクリート建屋2棟に分けられて収納され、本体は銀ペン塗装がされて変貌していました。
2019.03.14
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昨日は横浜市の寺家村で会食するつもりで、四季の家まで行ってみましたら、貸し切りとなっていましたので、久しぶりに青山亭で会食することとなりました。旧青山亭では、点心弁当と言う食後の飲み物&菓子付きと言うお得なメニューは無くなっていましたので、普通の弁当となりました。食事処の隣には、陶磁器や漆器類が並べられていて、販売としていると言うことでしたので、覗いてみました。その中に、金つぎとの名で、チョコレート色に金つぎ模様が設えている、ぐい飲みがありました。金つぎとは言え、修理したとも思われない小さな木工の漆器、税込み4860円とのことで、珍しいと思い購入することにしました。近頃はアルコールを嗜まなくなりましたので、無用の食器なのですが、何故か気になるのです。飾り棚をみますと、伊豆のお医者さんから頂いた形見分けの玉杯の他、お猪口が2種見つかりました。左には萩焼風で底には半透明な模様があるもの、中央には荒い粘土質の陶土を透明な釉で目立たせたもの、右が今回の金つぎ椀です。オーソドックスとも思われず、ゲテモノ食いかも知れません!
2019.03.09
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我が家の仏壇にある位牌に亡くなった家内を感ずることは少なく、やはり遺骨のある墓所に行って墓参りをするのが、本来の供養と思い、冨士霊園に行くことにしました。3月5日は快晴となり、カーナビの推奨するルートを指示通りに運転することにしましたら、混雑する国道16号線経由、横浜町田ICから東名高速で行くことになりました。何時もは国道129号線から、圏央道の愛川ICで高速に入り、海老名ICから東名に入るのですが、混雑する16号線で時間を要し、且つ横浜町田ICにルートを逆戻りすることで大分所要時間が掛ることになりました。AIが発達すれば、所要時間最短ルートを推奨してくれるのでしょうが、未だ現在のカーナビは使い方の良し悪しは運転者の判断に依る処が多い様です。兎に角、冨士霊園の管理所で、供花とお線香を購入して、墓所に向かいました。冨士霊園は高原ですので、木々は未だ芽吹きの季節では無いのですが、気温も10℃を越え快晴の青空も相俟って、春めいた気分となりました。冨士霊園中央コンコースの高台まで行って、箱根連山を眺めてみますと、夏雲とも見える雲で連山に掛っていました。花見の名所とされる桜並木は、未だ蕾も堅く、春を楽しむには一寸早すぎた様でした!
2019.03.07
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昨日は、梅祭り最中の府中郷土の森博物館に行ってみましたが、天気の良い週末で、ごったがえす程の混雑でした。門前の物産館には、種々のテントが立ち並び、その中には府中刑務所で作成されたヒノキの木箱や色んな雑具も格安で販売されていましたが、品質が良いのには感心させられました。博物館の券売所にも長蛇の列がならび、園内も混雑が酷そうなので、入園するのは諦めて、多摩川河川敷を散策することにしました。家族連れが、楽しそうにテントを張り、ピクニックをしていました。大丸堰では、前日の雨で増水、堰の上を渡って行くことは叶いません。堰下流にはサギが多数いて、小魚を狙っている様で、川の水は温んでいる様で、3月に入り、春の気配が濃くなって来ました。
2019.03.03
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昨日は、4月下旬の気温となりましたので、揚水発電で知られる城山湖に行ってみました。2週間、股関節の痛みを療養して来たので、痛みが薄れて気分も良く少し歩いてみようと思ったのです。湖畔に車を停め、湖水面を観ます、揚水・放水塔には、数人が整備を行っている様でした。少し歩いて、展望所からは、はや春の気配です。高尾山の山頂も見えて、何とか山歩きでも出来ないものかと、予行演習の積りです。本沢ダムの突堤を、ストックを使って歩きますが、痛みは軽微と思われました。しかし、周回路の階段を登る時に、痛みが来てよちよち歩きとなりました。やはり、上り下りには完治していない股下は耐えられない様です。痛みを堪えつつ、漸く湖畔のはなさき休憩所に到着、ここから先の周回路は急な上り下りの階段が続きますので、ギブアップし、戻ることにしました。整形外科の医者からは、「股関節は腰骨との接点で、外側にあり、股下の痛みは、筋肉筋の炎症だから、痛みを感ずる姿勢は避けて養生すること」との助言を得ていたのですが、2週間の養生は元の木阿弥、平地の歩行にも痛みを感ずる様になってしまいました!まあ、医者の助言を無視した結果の自己責任と言えば、その通りですが・・
2019.02.21
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入社した時の課長であった上司には、教えられることも学ぶことも、多くありました。ターボ機械の設計点は最高効率点ではなく、少し余裕を持った処にすると言う教えで、何となれば、最高効率点は不安定なサージ現象領域にも近く、部分負荷でも其処に突入しない様にするべきだと言うのでした。その他も、学ぶべき事柄が多く、遂には上司宅にもお呼び頂き、種々の薫陶を受けましたが、その際には、奥様にも「会社員としての心得」をさりげなく諭されたことがありましたし、以後、毎年新年会には招待されることになり、40年以上経過することになりました。その奥様が、老衰で1昨日に逝去され、初台カトリック教会で葬儀ミサをすることになりましたので、参列することにしました。富ヶ谷にあった引越し前のお宅からは徒歩圏内ある大きな教会で、修道院も併設されていて、東京でも中核教会の様でした。小学唱歌「星の世界」として知られる「賛美歌312番」の斉唱をパイプオルガンの伴奏で始まりました。いつくしみ深き(What a friend we have in Jesus)その後、神父より新約聖書からの朗読と説教があって、最後に埋葬ミサと納棺手続きで、通常の仏式様式の如く、花で遺体に参列者全員で被せて、出棺、火葬手続きとなりました。カトリックでは、通夜と告別の区別は無い様で、全て終了となりました。広場の階段を上りますと、岩窟のマリア像がせっちされていました。日本最初の、五島市の井持ヶ浦教会ルルド遺跡を模した聖母像なのかも知れません。初めてカトリック式の葬儀ミサに参列しましたが、仏式よりも親しみの持てる葬儀でした。
2019.02.14
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昨日から、展示内容が代わりましたので、町田市立博物館に行ってみました。近代ガラスデザインの先駆者とされる淡島雅吉氏の没後40年の企画展でした。ガラス製品は、普通は透明さと滑らかさを駆使した製品ですが、淡島雅吉氏はガラス表面に凸凹を付けてキラキラと輝く「しづくガラス」と言う製法を得意とした作家なのです。その他、ビトモール、ビトレーナと言う独自製法を開発した、オリジナリティに溢れたガラス作家であったらしく、特にビトモールの大物ガラス花瓶は目を惹くものがありました。英文表記には、「Mold-Blown」となっていましたので、大きな型枠に吹き込んで製作した様ですが、相当な大物です。
2019.02.11
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義長兄の眠る藤沢市の大庭台墓園、大型の墓所としては珍しく住宅地と文教地区の一角にあります。ふと、見回しますと高層マンションビルが見えますし、隣は高校で、都市計画にて設営された墓園で、昔風で下記の様な墓石の墓所は少なく、大半は低い墓石の芝生墓園になっていますので、明るくて陰気な雰囲気はありません。散策路にもなりますし、これも都市計画で検討された結果なのでしょう。義長兄は1983年2月末に48才で病没、今年で36年も経過しましたので、37回忌となりますが、3と7で営まれる37回忌は無い様ですが・・供花を供え、香を焚き、植栽されているイヌツゲの木を丸く刈り込んで、首を下げて冥福を祈ります。我が家からは、国道16号線から246号線に乗り換え、神奈川県道467号線(通称 藤沢街道)と通って行きますが、何れも名にし負う混雑ルートですので、1時間半を要するのが困りものです。次は春の彼岸に墓参することにして、帰路に着くこととなりました。
2019.02.08
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府中郷土の森博物館では、梅まつりを開催中で行ってみましたが、満開となった早咲きの梅はありますが、全体的には1分咲きと言った程度でした。梅まつり開催中ですと、仮設テントが立ち並び、秘毛氈のベンチが多く設置されて、見物やら買い食いが出来て、華やいだ雰囲気となります。博物館の前では、昔ながらの職人が招聘されて、針金細工やべっ甲飴の実演販売もされていますので、懐かしく観ることが無くなったべっ甲飴を買ってみました。本館に入りますと、鉱石が陳列されつつ、販売されていましたので、小さな糸魚川ヒスイの原石を買ってみました。ヒスイは2700円と高価な値段でしたが、べっ甲飴は僅か100円と格安の値段でした。ネット検索しますと、ヒスイの産地として、小滝川ヒスイ峡と青海川ヒスイ峡の2産地があるらしいのです。 最初にヒスイが見つかった場所として知られる小滝川ヒスイ峡、新潟県糸魚川市から姫川上流に登った場所、明星山の切り立った岩壁が姫川の支流・小滝川の清流に落ちこんでいる一帯がヒスイ峡と呼ばれ、ヒスイの産地として昭和31年に国の天然記念物に指定されてから、ヒスイの発掘をすることは禁止されていますが、川の清流によって磨かれたヒスイの原石はとても美しいと有名です。又、青海川ヒスイ峡(青海川硬玉産地)は、青海川の上流黒姫山の麓にあり、昭和32年に国の天然記念物に指定されました。新潟県糸魚川市青海町金山谷との名札がありますので、青海川ヒスイ峡で発掘されたものらしいのですが、半透明でもなく、河原にあっても見逃してしまいそうな原石です。
2019.02.05
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天気も良いので、神代植物公園に行ってみることにしました。園内は、春の花の混雑する時期に混雑する人々が安全に歩ける様に、歩道の整備作業が行われていて穿り返されていますので、ゴムシートの上を歩きながら、大温室に向かいました。と言いますのは、入口付近に木の実が陳列されていて、大きくて丸い実がありましたので、説明員に聞いてみますと「バオバブの実で、木も大温室にある」と言うのです。大温室前のバラ園では、根元まで強い剪定が行われていて、春バラ用の準備は整っている様でした。教えられた場所に行ってみますと、確かにバオバブの名札の付いた木がありました。しかし、太い幹で、根元を逆さにした様な姿がバオバブとの印象とは違いました。バオバブの木は、サンテクジュペリ(Saint-Exupéry)の絵小説「星の王子様」で、蔓延る厄介な木として紹介しているのです。著者はフランス空軍パイロットとして、ドイツと戦い、撃墜される運命となるのですが、バオバブをファシズムのナチスドイツとなぞらえていたとされているのです。
2019.02.04
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インターネット検索しますと、「土日祝日のみ正午から営業」となっていましたので、昨日の土曜日に行ってみることにしました。寒風が吹いて寒い日でしたので、車で出掛け、国道20号線を谷保天満宮の処で右折して、国立駅前の大通りに入り、駅近くの駐車場に停めて、徒歩でGoogle Mapを使い、道案内をして貰うことにしました。名曲喫茶「月草」は、分かりにくく何回も通り過ぎ、漸く雑居ビルの2階にあることを確認し、入ることが出来ました。オーナーは、うら若き青年の様で、Webサイトには次の様に自己紹介しています。当店は2012年7月16日(海の日)にオープンした名曲喫茶です。おいしいコーヒーや紅茶、お酒とともにゆったりクラシック音楽を楽しみたい方のために作りました。多分、平日は会社勤めをし、ウィークエンドには、自分の趣味を生かし、それが趣味を共有する方々と交流出来なかと始めたらしいのです。珈琲とケーキセットを950円で注文、堅苦しさも無い雰囲気で、ゆっくりとした時間を過ごすことが出来ました。
2019.01.27
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昨日は、午後3時、天気も良く暖かいので、多摩川沿いの府中の森博物館に行って、駐車場に車を停め、大丸堰を散策してみました。昨日は大寒の入り、最も寒さが厳しい筈なのですが、午後3時でも気温が13℃を超えていましたので、河川敷にはテントを使い、ハンモック等も持ち出してピクニックをしている家族連れで混雑していました。午後3時となりますと、夕暮れの気配ですが、夕刻の寒さが感じられません。それどころか、川遊びをしている姿も多く、フライフィッシングをしている人達もいました。下流のせせらぎには、沢山のコサギが群れて、小魚を物色していて、まるで春の景色を観る様でした。地球温暖化の影響で、1週間も厳寒が続かず、数日で暖かさが戻り、過ごしやすい冬となっていますが、夏の猛暑や豪雨が襲来するのが思いやられます。
2019.01.21
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昨日は会社関係者との新年会がありました。午後2時半散会と言うことで、午後3時前から甲州街道に沿って散策し、幡ヶ谷まで歩くことにしました。此処は昭和20年代後半、小学校時代に同級生と連れ立って、よく訪れた場所でもあったからです。甲州街道を歩き、文化服装学院を過ぎますと、玉川上水旧水路が緑道として整備された散策路がありますので、其処を歩くことにしました。午後3時を過ぎますと、早くも夕刻の気配となります。代々木三丁目から笹塚一丁目に続く玉川上水旧水路緑道(代々木緑道・初台緑道・西原緑道・幡ヶ谷緑道・大山緑道・笹塚緑道)江戸市民への飲料水の供給を目的として計画された玉川上水は、多摩川羽村の取水口から四谷大木戸までの間を1653年4月の開始から7ヶ月余りで開削されています。現在、渋谷区内では北部の笹塚駅附近の区内の高い地点を蛇行するような姿で往時の一部を偲ばせています。1999年に竣工した淀橋浄水場へ送水するために建設された玉川上水新水路も、昭和10年代には役目を終えて今は水道道路と通称される道路に変わっています。散策していますと、並走していた甲州街道から離れてどんどん南下して行きます。どうも、幡ヶ谷駅を通り過ぎてしまったらしいのです。案内板を観ますと、笹塚駅が一番近いことが分かりましたので、緑道から離れて一般道を歩いて到着、午後4時でしたから4~5㎞ウォーキングしたことになります。
2019.01.20
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年末には墓参に行きませんでしたので、冨士霊園へは2ヶ月ぶりの訪問、途中の山道の凍結を懸念し、正午過ぎの気温の上がる時刻に着く様に出掛けました。墓所区画の駐車場所に車を停めて、入口の上り坂を見上げてみますと、富士の姿がうっすらと見えますが、極寒に時期に訪れる人影はありません。供花を供え、香を焚き、無沙汰を詫び、墓前でインスタントラーメンを作り、昼ご飯とすることにしました。バーナーやコッヘルは、家内が当時長男の勤めていた石井スポーツで、家族割引で購入したもの、札幌塩ラーメンは家内が山歩きで食べる様に選定したものなので、それを今でも踏襲しています。刻んだキャベツとハムを入れ、煮立って来ましたら、ラーメンを入れて5分程煮沸させて出来上がり、墓前に腰かけてゆっくりと食します。帰りは、小山ハイテクパーク造成地を通りますが、山林はすべて伐採され、広大な平地の企業誘致が整備されつつあります。誘致が成功するのか否かは定かでありませんが、平地越しに富士が雄大な姿を見せてくれていました。経済が活況を呈すのは喜ばしいことですが、豊かな自然が失われているのを観るのは寂しい思いがするのです。
2019.01.18
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昨日から、町田市立国際版画美術館にて、「浮世絵と百人一首」と言うミニ企画展が開催されてみますので行ってみました。今日は天気予報とは違って薄暗い曇天で、至って寒く、公園を散策する人達も殆どいませんでした。何時もは、企画展ですと、入場料が必要なのですが、ミニ企画展とのことで、無料でした。1775年に発売された「錦百人一首あつま織」は勝川春草の手になるもので、錦絵であった百歌仙を浮世絵に解題した作品で、書家の文字を組み合わせ絵本でもあり、書道の手本として人気を博した様ですが、錦絵程の色使いがされていませんが、当時としては浮世絵の多色摺が発達していなかった様です。小野小町と蝉丸は、百人一首の中でも良く知られた和歌です。勝川春草の弟子でもあった、葛飾北斎の「百人一首うばがゑとき」は時代を60年下って、1835年に発売されていますが、多色摺の技術革新は目覚ましく、鮮やかな色彩とグラデーションは素晴らしいものでありました。有名な山部赤人、富士を歌った和歌で、田子の浦と言うより、伊豆の戸田付近の峠から観た様な風景に設定されていました。普段は美術館をでますと、公園内を散策するのですが、寒いのでそのまま帰路に着くことにしました。通常は100~200円程の駐車料金が必要ですが、短時間なので無料とのことでした。
2019.01.06
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IHI退職後に設計会社を経営している先輩から、「コンサートの券が余っているのでご一緒しませんか?」とのお誘いがありましたので、有り難くお受けすることにしました。東京文化会館での昼興業(マチネー)、文化会館も支援しているアマチュアの都民交響楽団が第九を演奏すると言うのです。上野に行くのは久しぶりですが、世界遺産の国利西洋美術館を含めて多くの美術館や博物館が点在して、芸術の秋が続いているのか有名画家の企画展が目白押しの所為か、人の群れでごった返しておりました。文化会館には2007年3月末、家内が亡くなる2年前にコンサートに行ったのが最後でしたから、もう10年もご無沙汰でしたが、日本が誇る立派な音楽ホールでした。コンクリート側面には、大きく雲形の平板を貼り付けてありますので、余計な高周波の反射音が吸収されて、音質が柔らかいのです。都民交響楽団は、アマチュアとされていますがリハーサルも十分された様で、プロ楽団と比べても遜色が無く、国立音楽大学出身の歌手も加わった第九演奏を久しぶりに楽しむことが出来ました。ふと、50年以上前に結婚前の家内とのデートで、東京文化会館で渡辺暁雄指揮の日本フィルハーモニーによる第九演奏を聴いたのを思い出しました。「先輩のお蔭で、良い一日を過ごすことが出来ました」とお礼を述べ、混雑する人混みを避けるべく、鶯谷駅まで歩いて帰宅の途に着くことにしました。この寺町の一角には、住み込み家庭教師を1年していた田中千禾夫・澄江夫妻の菩提寺があった筈ですが、もう55年も経過していますので、特定することが出来ませんでした。
2018.12.24
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黄色いツバキとして知られる金花茶が咲き出したとのTwitterがアップされていましたので、神代植物園に行ってみました。広大なバラ園も殆ど剪定され、野外の花の無い時期、訪れる人も少なくて寂しい感じがしていましたので、大温室に直行となりました。毎年、観賞して来た金花茶の木に行きましたら、蕾で咲いていません。TwitterがFakeだったのかと訝りつつ、歩を進めますと、鉢植えの金花茶があって、確かに咲いていましたが、地植えの金花茶に比べて何か元気がありません。温室内には熱帯の花が咲いていて、赤や黄やピンクの花々を観賞出来ました。これは、アメリカネムなのですが、夏に咲くネム(合歓)に比べて赤色が濃い様です。ラン室に行ってみますと、丁度開花の時期なのか、各種のランが咲いていました。ランの代表格、カトレアも見頃になっていました。帰りに売店に行き、鉢植えのシクラメンを買おうとしましたが、手頃なものが無く、諦めて帰宅することとなりました。野外散策もすること無く、僅か1時間の訪問でしかありませんでした!
2018.12.22
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府中運転試験場は小金井市にあり、隣には広大な武蔵野公園が広がっています。運転免許交付に1時間半もありましたので、東八道路を少し歩いてから、武蔵野公園に入って行きました。落葉樹が葉を落として、明るい散策路になっていて、暖かい日和ですが、楽しめる花々が無い所為か、散策している人も疎らでした。北側を突き抜けると、野川公園に出ますが、川の両岸には舗装された散策路が整備されていて、気持ちが良いので設置されているベンチで日向ぼっこをしながら、珈琲タイムとなりました。野川はコンクリート護岸を少なくして、段丘で洪水被害を軽減される様に設計されていますので、草叢も多く、鳥や小魚にも良い生活環境になっている様です。川面に生えているススキは、すでに枯れ尾花になっていましたが、段丘は麦に似た雑草で、12月にも拘らず、緑に覆われていたのです。暖かい日和に誘われて、近くの保育園や幼稚園の子供達が、先生に導かれ、黄色い歓声を上げて、遊んでいる姿も微笑ましいものでした。
2018.12.20
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昨日は、久しぶりの快晴、雲一つ無い見事な青空、関東の冬らしくなって来ました。気持ちの良い日ですので、溜まった洗濯をして干し、風呂場掃除をして、部屋の中が何か清々しくなりました。太陽を浴びて散策をしようと、薬師池公園に行ってみましたが、写真撮影隊を含めて訪問客は至って少ないのですが、それは冷たい北風が吹いて、寒さが厳しいからだったのです。売店で温かいきつねうどんを注文して、池を望んでみますと、松には雪吊りが設えてあり、冬支度の最中でした。北風を避けつつ、梅林を散策していますと、蝋梅は蕾が大きく膨らんで、今にも咲き出しそうな気配でした。それでも、秋の名残の10月桜も、未だ自己主張をしていました。自然は、段々と冬らしきなって来ている様でした。
2018.12.15
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町田市立博物館で12月8日から3ヶ月間、人間国宝で陶芸家の加藤土師萌展が開催されると言うことなので、早速行ってみました。加藤土師萌氏は本名加藤一、多治見の陶磁器試験場にて活躍、1937年のパリ万博ではグランプリを受賞、横浜の日吉に窯を設けて研鑽に励み、東京芸大にて教鞭をとる傍ら、中国色絵磁器で最も難しいとされた「黄地紅彩(おうじこうさい)」と「萌葱金襴手(もえぎきんらんで)」を再現、人間国宝に認定されました。大物の花瓶や大皿に加え、生活用品のコーヒーセットも展示されていて、幅広く陶磁器の豊かさが体験出来ました。人間国宝に指定されることになりました、「黄地紅彩(おうじこうさい)」と「萌葱金襴手(もえぎきんらんで)」は小さな小品でしたが、その比類の無い技術力と創造性を認識出来ました。陶磁器調査や海外視察で描かれているスケッチ類も、本来は画家ではないかと思われる出来栄え、芸術家として卓越した人物であった様です。
2018.12.10
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昨日は生暖かい南風が吹き、25℃にも気温が上がり、12月とも思えない日となりましたので、野津田公園のススキヶ丘に行って散策することにしました。ステンレスボトルに珈琲を入れ、果物やスナック羊羹を持って、その頂上でお茶休憩しようと出掛けますが、12月ですので、訪問客は殆どいませんでした。もう既に年末に向けてか、上り下りの道沿いのススキは半分程刈り取られていて、ススキを掻き分けて行く様なことはありません。道沿いに登って、頂上付近のススキ原は、虫類を避難させるエコパッチの様にもみえます。頂上に座り込んでのお茶休憩となりましたが、ふと全国一ともされる箱根仙石原のススキ大群落を訪れたのは2008年11月だったことを思い出しました。その既に、家内は病魔に冒されていて、階段の上り下りに支障を来していましたので、ゆっくり散策したものでした。その後、数ヶ所の病院で検診を受けて、3月に「間質性肺炎」と診断され、容態が悪くなり緊急入院、5月に一度退院しましたが、ステロイド剤投与でも回復することなく、9月に意識不明となり、1ヶ月後に鬼籍に入ってしまったのです。
2018.12.05
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水曜日は冨士霊園は閉園となりますので、木曜日に道志みちを通って、道志渓谷の秋景色を楽しみながら、山名湖経由で行くことにしました。途中、「道志みち通行止め」の多数看板があって、「国道20号線」を通る様にとの表示もありました。どうしたものかと行く内に、青野原と言う処で、通行止めとなり、近くに迂回路を聞いてみますと、「狭い山道を通れば山中湖まで行けます」とのことで、それに従うことにしました。2018年9月の台風24号で崖崩れが発生し通行止めになった道志みち(国道413号線)。神奈川県内の通行止めは青野原-月夜野間で、狭い山道の迂回ルートがあります。この迂回ルートを使えば相模原から山中湖へ抜けられますが、狭いところですれ違いは困難なルートともなっています。漸く、月夜野で道志みちに入り山名湖に向かい、道の駅で休憩、何時もより閑散としています。訪問客が少ないので、夕方には閉めてしまうとのことでした。山中湖から東富士自動車道に入り、籠坂トンネルを抜けて、何時もより倍の時間を掛けて、冨士霊園に着きました。墓所はすっかり晩秋の気配、モミジも落葉は多かったのですが、見頃は続いている様でした。12月の月命日は年末ですので、次の墓参りは来年となります!
2018.12.01
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小山田緑地の駐車場に車を停め、落ち葉を踏みしめながら、少し明るくなった散策路を登って行きます。上り下りを経て、この公園の最高点である見晴らし広場に着きました。此処は、関東富士見百選の一つですが、丹沢山塊が近く、富士山は僅か山頂部を望むだけで、何故百選に選ばれたのか、不思議にも思えます。小春日和では、霞が掛って、ススキが原の向こうに住宅地、その向こうには丹沢と富士山を望める筈なのですが、霞を通して観ることが出来ません。帰路、クヌギ林の中のベンチで一休み、クヌギの葉は半分以上落葉していて、散策路はよく分からない状態でした。それでも、モミジの紅葉が色を添えて、晩秋の気配が濃厚となりました。此処は、9年前の9月中旬に家内を車椅子で連れて来た場所、それから1週間で意識不明となり1か月後に逝去となりましたので、思い出が残る処なのです。
2018.11.29
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井之頭線「駒場東大前」で下りて、駒場キャンパスを通って、松濤門を出て行くことにしました。長く真直ぐな公孫樹並木は、58年前には黄葉した姿が、青空に映えて見事なものでしたが、今は建物の陰になっていて、印象が違いました。その頃は、平屋や2階建ての木造校舎も多く、空が抜けていたからなのでしょう。松濤門を抜けますと大通りになり、通りの向こうは渋谷区富ヶ谷になります。渋谷区富ヶ谷にある会社上司のお宅へは、30年にも亘ってよくお邪魔したものですが、7~8年前に息子さん家族と同居するべく、世田谷区に引越ししましたので、もうその住居跡には違うビルが2棟建てられていました。再び、駒場側に戻り、日本民芸館を経由して、宇宙航空研究所に向かうことにしました。休日で、閉館日だったのか、森閑として訪問客の出入りもありません。宇宙航空研究所には、その近くにある門から入れる筈でしたが、生憎閉まっていましたので、正門に向かうことにしました。此処では、大学4年生の時に同期生と共に、指導教官の指導の下で、「圧縮機の旋回失速」と言うジェットエンジンやガスタービンの非定常現象を再現させ、計測データを集めて卒業論文にしましたので、何か懐かしい場所ですが、そんな平屋の建物は取り壊されて、大きなビル群に変わり、当時の面影はありませんでした。
2018.11.20
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三鷹台団地のスーパー駐車場に車を停め、団地から井之頭公園まで玉川上水の遊歩道を歩いてみることにしました。三鷹台団地には1973~1980年、7年間住んでいて、よく子供を連れて、親子4人連れで玉川上水の遊歩道を井之頭公園まで散歩したものでした。井之頭公園には池中心の公園の他、文化園には象の花子がいましたし、小さな遊戯施設もありました。又、西公園と呼んだ芝生広場では、凧上げや紙飛行機を飛ばしたもので、もう40年も昔のこととなりました。散歩だけでなく、その頃の幼稚園は2年保育で、遊歩道から直ぐに行ける明星台幼稚園に通っていたのですが送迎バスもなく、家内が徒歩で送迎をしていたのです。40年前は、日当たりの良い散歩道だったのですが、木々が育って木漏れ日が注ぐ一寸薄暗い遊歩道に変化していました。玉川上水の谷間の木々も育って、まるで深山幽谷に変貌しているのです。この近辺には、車道がありませんので、枝が伸びて邪魔になる伐採作業が行われないからなのでしょう!遊歩道に、東京女子大短期部があって、春には入口に植栽されている桜並木は絶好の花見場所となっていたのですが、其処は法政大学中学校・高等学校になっていました。門柱は、その当時のまま、使っていますとの看板も建てられていましたが・・漸く井之頭公園に到着、西園の芝生広場にも行ってみましたが、親子連れで遊ぶ光景は40年前と変わらない様でした。三鷹台団地へ帰る途中、明星台幼稚園を探してみましたが、見つかりません。記憶では遊歩道から直ぐに行ける感覚でしたが、家が建て混んでいて、そのアクセスが少し違っていたのでしょう。我が家に帰宅後、ネット検索してみましたら、明星台幼稚園は昔の雰囲気そのままに、今も存続しているようでした!
2018.11.19
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快晴で放射冷却があるのか、朝は10℃を下回り、身が引き締まる冷たさを感じる季節となりましたが、日中は散策するのに快適な気温となりました。昨日は一昨日の風も治まり、小春日和となりましたので、町田市中心街に近い場所にある芹が谷公園の国際版画美術館に行ってみました。常設展示の版画室では、微細な砂を使った版画がありました。砂絵は古くから日本にもあった様ですが単色で、世界的にはアメリカの原住民であるナバホ族の砂絵が良く知られていて多色ですので、それにヒントを得たのかも知れません。版画館を出て、広い園内を散策していますと、広場で先生に引率された小学校の低学年の子供達が、楽しそうにピクニックをしていました。全員がリュックからお昼を取り出し、仲良く昼食、早く終わった子供達は、広場を駆け回り出しました。屈託なく楽しそうに駆け回る姿を観るのは、何とも楽しいものです!
2018.11.16
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町田市の薬師池公園には四季折々によく出掛けます。11月になりますと、小さな菊花展も催されて、訪問客も増えますが、私の関心はモミジの紅葉を愛でることにあります。池の畔にある売店で、温かいキノコうどんを作って頂き、池の畔のベンチで食しながら、モミジを陽に透かして観ますと、水面の青とモミジの紅葉が対比してグラデーションを楽しむことが出来るのです。残念ながら、未だ紅葉が見頃にはなっていなかった様です。それでも、周囲を散策していますと、見事な紅葉を観ることが出来ました。モミジやカエデには、多数の種類があって、種を識別する知識はありませんが、このモミジは周りのモミジに比べて、得意な存在となっていました。
2018.11.12
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今日は快晴で、暖かく中秋と思われる陽気でした。1ヶ月以上前から、設定されていました親戚の義姉、と言いましても私より5才としたなのですが、3回忌法要が戸塚市内のお寺で行われましたので、行って来ました。此処のお寺は、地域に宗教を親しく広めるべく、本堂は側面を茅葺を貼り付けて、寺特有の陰気を失くし、境内内にはカフェを設営して住民の出入りを盛んにすると言うような経営努力をしている様でした。本堂の本尊の脇に、若き聖徳太子に立像が安置されていました。今日11日は、聖徳太子の月命日なのだそうで、仏教を国教として住民の安寧をもたらした功績と、若き時代の親に対する孝養心を愛慕して、祭っているとのことでした。浄土真宗ですと、始祖の親鸞上人と中興の蓮如上人を祭ってあるのが普通ですが、それより数百年遡って、聖徳太子を祭っているのは珍しいことで、この寺が元来は真言宗として開かれ、その後浄土宗に変わり、更に真宗に変わっていると言う永い寺の歴史と関連があるのかも知れません。
2018.11.11
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天気も回復して来ましたので、多摩川河川敷を散歩することにしました。トラックや重機が河川敷で作業をしているのが見えました。先日の台風24号で、10本以上の木々が倒されましたので、根元の伐採やそれらの撤去作業をしているのです。クルミの木も倒されていましたが、未だ撤去の順番は来ていない様でした。それ程の大木ではありませんが、10本以上林の中に自生して、河川敷に木陰を提供していたのですから、寂しいことです。それでも、クルミの木の下を徘徊し、オニグルミ(鬼胡桃)やヒメグルミ(姫胡桃)を拾って来て、付着していた土を洗ってみました。左がヒメグルミ、右がオニグルミ、これらは日本に自生する胡桃で、菓子クルミ(Wallnut)に比べて、えぐみが無く、美味しいとされています。特にヒメグルミは、皮が薄くて割るのが容易とされています。
2018.10.17
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今日は曇天で寒い日でしたが、長袖シャツの上にウィンドブレーカを羽織って、冨士霊園に出掛けることにしました。圏央道から東名に入り、大井松田ICで246号線に下りて、静岡県小山町から山道を行きますが、途中「富士小山ハイテクパーク」と言う工業団地の造成工事がもう完成間近に見えました。元来、樹林帯の生い茂る山道ですから、東名からも246号線からもアクセスのよくない地域だったのですが、新しく開通する第2東名からのアクセスを期待しての広大な造成工事で、富士山の裾野が又、開拓されることになった様です。其処を過ぎますと、冨士霊園はもう間近となり、富士スピードウェイを横目に見て到着となります。管理事務所別棟で、供花と線香を買い入れて、墓所区画に付属した駐車場に車を停めて、墓前に向かいます。10月中旬で寒く、高原ですから紅葉の季節かも知れないと思いましたが、今年は暑さが続いていましたので、未だの様でした。本当は座敷箒で黄緑色に蔓延った苔を掃き清め、白いアクリル絵具で黴の生えた墓名を補修するつもりだったのですが、忘れてしまいました。「苔を取り除くには座敷箒が良い」と教えてくれました奥様、その隣の墓所は苔が殆ど見当たりません。家内が亡くなったのは2009年10月ですから、もう9年となりますが、「供養が足りず申し訳ない」と謝りつつ、次回の墓参では忘れずに清掃作業をするつもりです。
2018.10.13
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今日は気温が25℃を超えましたが、暑さは一段落となり、秋晴れで気持ちが良いので、薬師公園に行って散策することにしました。この池は数年前にカイボリをして、池底まで清掃したのですが、その際に捕獲した大きな鯉や亀は、何処かに移送させたので、影も形もありません。多分、小魚類も生きていて、それらを狙って、アオサギやカワセミも飛来していたのですが、それらも訪れなくなってしまったのは、残念なことです。散策していましたら、叢に動くものを見つけましたが、なんとシマヘビなのです。シマヘビは無毒で一番大人しい蛇、細身でしなやかなのですが、近頃はめっきり数を減らしているのです。エサは池や田圃に住む蛙だろうと思いますので、エサが無くてどの様に生息しているのか不思議でした。大きく太い蛇の青大将は、よく見かけるのですが、彼らは森にすむ鼠類がエサとなりますので、個体数が多いのですが、シマヘビは生息環境に恵まれていないのです。
2018.10.10
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昨日は台風一過の秋晴れとなりましたので、町田市の小野路・図師風致地区の谷戸を散策することにしました。小山田緑地の駐車場に車を停めてみますと、強風で飛ばされた山栗が多数落ちていましたので、実の入ったイガを見つけて数個拾います。其処から、小山田通りを南下、日大三高を通り過ぎますが、イチョウ並木から沢山の銀杏が落ちていましたが、拾う人達もありません。1㎞程、歩きますと五反田谷戸の入口に到着、この近辺にある谷戸の内、一番耕作が盛んに行われている谷戸で、農家の稲刈りが始められていました。此処から、丘陵を登り、尾根道を小野路城址まで行って、奈良ばい谷戸を下りて、小山田緑地の駐車場に帰る全長約3㎞ルートを試みるのです。谷戸のあぜ道も、丘陵を登る山道も、台風で飛ばされた倒木や大きな枝が横たわっていて、散策には支障をきたし閉口しましたが、何とか尾根道まで登り、小野路城址に至りますが、其処でも道筋には大きな枝が横たわっていて、通行には大いに邪魔となりました。奈良ばい谷戸を下りて行き、熟した柿の実も落ちていますが、拾う人も見えません。又、栗のイガが沢山落ちていましたが、斜面上の栗林から吹き飛ばされて来た様です。流石に美味しい栗の実は殆ど拾われていましたが、道端の草むらの中で数個見つけて拾うことにしました。家に帰って、栗ご飯の具材にしようと、鬼皮と渋皮を剥いて、冷蔵庫に仕舞って置きました。山栗は小さく、どんぐりにも負けそうですが、味が濃いので、美味しい栗ご飯になるものと期待しています。
2018.10.02
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先日、町田市立国際版画美術館に行きましたが、それは芹ヶ谷公園の一角にありますので、園内を散策してみました。町田駅から徒歩10分と言う町中にも拘らず、昔ながらの谷戸を利用した広い公園に整備されていました。美術館付近には、くるぶしが隠れる程の浅いせせらぎと浅い池が整備され、未だオシメを着けている幼子も嬉々として水遊びをしています。ふと見上げれば、深い樹林帯もあって、里林が残されています。一人静かに森林浴を楽しむにも、最適な環境にもなっています。散策を続けてみますと、各種遊具のある冒険広場や思い切り遊べる運動場も整備され、家族連れで溢れていました。公園は小田急線の線路沿いまで続いていて、広すぎて端までは行きませんでしたが、四季の花を観賞できる花壇も整備されている様でした。町田市のWebサイトには、次のように紹介されています。豊かな緑と水の中に彫刻が点在する公園です。ジャブジャブ池やせせらぎ、虹と水の広場、ターザンロープや各種遊具のある冒険広場、多目的広場、四季を通じて色とりどりの花が咲く花壇等もあり、子どもから大人まで楽しめます。また、公園の一角には町田市立国際版画美術館があります。
2018.09.25
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午後から雨と言う予報でしたが、彼岸の3連休は高速道路が混み合うと思い、冨士霊園に行ってみることにしました。少し早めと、午自9時に出掛け、圏央道愛川ICから東名高速に入るルートを選んだのですが、東名への乗り換えルートは1車線しかありませんので、やはり何時も通りに長蛇の列となりました。それでも、早く出掛けた効果か、午前11時には冨士霊園に着きました。予報とは違って早くも雨が降り出していましたが、背景の籠坂峠辺りは、少し紅葉が始まっている様でした。墓所のある区画に行きますと、彼岸前ですのに殆ど訪問する人がいません。雨予報の所為でしょうし、区画からは富士が展望出来ません。墓前に行き、供花を供え、香を炊いて、1ヶ月ぶりの訪問挨拶をします。此処は」、玄武岩の砂利を敷き詰めてありますので、雑草は生えて来ないのですが、湿気を好む黄緑色の苔で覆われていました。前月も気が付いたので、こそぎ落とそうと小さな箒を持って来る筈でしたのに、失念して持参しませんでした。来月の9年目命日には、忘れずに持って来ることに致します。辺りを観ますと、600m高原ですから、少し紅葉が始まっている様でした。何時もは墓前で昼食を取るのですが、雨脚が強くなりましたので、車に戻って車内で、チーズサンドウィッチと果物、珈琲で昼食とし、お暇することにしました。
2018.09.21
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気持ちの良い秋空になりましたので、都立小山田緑地の駐車場に車を停め、ならばい谷戸を経て小野路城址まで散策をして登って行くことにしました。家内ともよく行った散策路ですが、今日は一人静かな散策となるのは致し方ありません。気温は26℃程度ですが、未だ日差しは強く、日向の散策路は暑く感じられました。ならばい谷戸には、NPO法人が入って、田圃や畑が増えて来て、定期的に散策路も草刈り等が行われていますので、歩きやすくなりました。この谷戸には、イノシシや鹿と言った野生動物はいませんが、ハクビシン、タヌキ、外来動物のアライグマも出没して農作物は荒らされるそうですが、根を掘り出して食べられる被害は無いのだそうです。小山田緑地の向こうには丹沢山塊が見えて、秋空が綺麗に映えていました。暫く歩いて行きますと、樹林帯に入り、森林浴も楽しめます。此処は、図師・小野路歴史環境地区に東京都と町田市から指定されているのですが、整備がされず、殆どの案内板等が劣化して放置されているのは残念な限りです。高低差は、50m程だと思うのですが、頂上の小野路城址に着きました。小山田城の出城で、石垣も無い山城ですので、城址には鳥居と祠が寂しく祭られているだけで、歴史を顧みるには物足りない気がします。それでも、汗びっしょりとなり、ペットボトルのほうじ茶で喉を潤し、ポテトチップを頬張って、しばらく休憩を取りました。休みつつの往復は、僅か1時間半に過ぎませんが、良い散策となりました!
2018.09.19
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我が家の玄関先で4本の彼岸花が咲き出しました。数年前は10本以上あったのですが、減って来ています。家内も寂しかろうと、切り花を買って来て、昨年持ち帰った実家の花瓶に入れ、家内の仏壇に供えておくことにしました。今週は敬老の日の3連休、来週は彼岸の3連休で混雑が予想されますので、先ずは義長兄の眠る藤沢市の大庭台墓園に行ってみることにしました。カーナビの推奨ルートは国道16号線から横浜新道、国道1号線ルートですが、最短ルートは国道16号線から246号線、藤沢街道となっていますので、そのルートで行くことにしました。1時間半程で到着、早速伸び放題になっているイヌツゲを丸く刈り込み、敷いてある砂利に生えている雑草を取り除きます。イヌツゲは30年以上も経ちますのに、毎年2回の強い剪定で、まるで盆栽の様な風体となって来ました。香を炊き、花を供えて、買って来たおにぎりとペットボトルのお茶で、ゆっくりと昼食を取りました。今週は、彼岸の3連休前に空いているだろう日を選んで、家内の眠る冨士霊園に行って来るつもりです。
2018.09.16
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先日、JR高円寺駅から井の頭線永福町駅まで歩いてみました。メトロ線新高円寺駅のある青梅街道から五日市街道を横切って、善福寺川を渡る頃は、だるくなる程疲れてしまいました。済美橋上流から、その上流を観ますと、川幅が拡げられて、護岸工事もがっちりと改修されていました。この付近は、度々豪雨の際に、氾濫が起きていましたので、氾濫対策が欠かせない様です。大宮1丁目に掛る橋の南側には、氾濫対策用の調整池が設営されているのですが、不十分の様で、拡張工事が進行中でした。氾濫で浸水被害のあったアパート群は取り払われていて、調整池の貯水量を増やす工事が行われていましたが、工事柵に囲まれていて、中は窺い知れません。橋のすぐ横には大きな鉄製枠が川を跨っていて、氾濫を防ぐべく、流れの引き込み流路が構築される様です。上流の和田堀公園には、巨大な地下貯水池が構築されてはいるのですが、それでは不足なのと思われました。其処から、方南町通りを横切り、井の頭通にある永福町駅まで歩きましたが、1時間以上を要しましたので、総計5㎞はあったのでしょう、疲労困憊となりました。
2018.09.14
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野津田公園に行って、栗を拾って来ました。山栗はイガを外して拾い、丹波栗は道に落ちているものの内、外皮に艶があり光っているのを拾ったのです。外皮を剥き、渋皮を包丁で切り落とした処、丹波栗の中の2つは虫跡がありましたので捨ててしまいました。やはり、人が美味しいと思うものは、虫にも美味しいのですから仕方がありません。ネットでレシピを調べ、うるち米1合、餅米0.7合を良く濯いで、清酒大匙2杯、味醂大匙2杯、塩小さじ1杯、昆布1切れを入れ、渋皮を剥いた丹波栗は2つに割り、山栗の剥き身はそのまま入れて、通常通りの炊飯モードで炊き上げました。餅米の粘りと昆布の粘りが、味に深みを加えて、中々の出来、美味しい夕飯を食することが出来ました!
2018.09.13
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