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小山田緑地公園は東京都町田市にある入場無料の都立公園です。本園管理事務所付近に10台程度の駐車スペース、西口付近に最近拡張された40台程度駐車できる駐車場がありますが、週末の訪問客には未だ足りないかも知れません。小山田緑地公園は本園の他、善次ヶ谷と呼ばれる谷戸には、ゴルフ場に分断された梅木窪分園、大久保分園、山中分園があり、林道・農道を使って気持ちの良い散策が楽しめます。林の中でも「ゴルフボールに注意!」の看板があるのが興醒めとは思いますが・・梅木窪分園には、水蓮の矮小種と思われるアサザが自生する「アサザ池」があり、池・流れ出る小川にはアブラハヤの小魚が群生して泳いでいます。周囲にはベンチも用意され、道向うの丘陵には四阿付きの休憩所なども整備されていてのんびりとくつろぐことが出来ます。昨日は快晴の天気でしたし、「都民の日」で公立学校は休みでしたので、本園には子供達が多く遊んでいました。日差しが強く暑かったこともあり、本園の見晴らし広場の木陰で昼食を取った後、久しぶりに谷戸の奥にある「アサザ池」に行って見ました。この谷戸には、昔ながらの農家も残されていて、水田では稲刈りの真最中、栗林も収穫の最盛期の様でした。狭い農道沿いには、その他野菜畑もあるのですが、その中の蕎麦畑では花が丁度満開になっていました。毎年其処は蕎麦が栽培される多分自家用のもので、出荷する程の規模ではありませんが、こんな人家に近い場所で可憐な白い花が満開となった蕎麦畑を見ることの出来たのは嬉しいことでした。梅木窪分園から本園への帰途は、雑木林の尾根散策路をスズメバチがいないかと注意しながら森林浴しながら戻りました。途中の深い沢には吊り橋も掛かっている自然が残された良い散策路でした。
2004.10.02
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先日、町田市の薬師が池公園に行きましたら、ムラサキシキブ(紫式部)の、若緑から白にも変わっていた多数の実が、綺麗な紫色に色づいていました。日中の暑さは未だ相変わらずですが、朝晩は冷え込みも感じ、秋は着実に進んでいる様です。所で、どうも私がムラサキシキブ(紫式部)と呼ぶこの樹は、本当はコムラサキ(小紫)らしいのです。インターネット検索しますと、小紫で次の様に記載しているページが出て来ます。紫色のきれいな実をつける。ムラサキシキブ(紫式部)はコムラサキ(小紫)とそっくりだが、やや大型。紫色の実の清楚な美しさを、理知的な平安美女の紫式部になぞらえたもの。また、紫色の実をびっしりつけることから「紫重実(むらさきしきみ)」と呼ばれていたものが、いつのころからか源氏物語の作者・紫式部を連想させて 「紫式部」となっていったとの説もある。小紫は紫式部を小さくしたものなのでこの名前になった。紫式部より全体的に小型。根元に近い方から順次開花し先端に咲き向かう。それを追うように実をつけていく(緑色から紫色に)。ムラサキシキブ(紫式部)の方では、次の様に記載されていました。山野に生える落葉低木です。庭などに植えられて「ムラサキシキブ」と呼ばれるのはコムラサキ(小紫)のことが多いと思います。コムラサキに比べて実のつき方がまばらで,素朴な感じです。11月5日の誕生花で、花言葉は「上品」。
2004.09.19
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昨日は快晴でカラリとした気候で、最高気温も27℃に留まり、少し秋らしい感じがしました。街路樹のいちょうの葉は未だ青く、未だ秋を感じさせるには程遠い様でした。いちょうは漢字では公孫樹とも銀杏とも書かれますが、「いちょう〔銀杏〕は苗木を植えると孫の代に実をつけることから公孫樹」がその経緯でもある様です。中国原産である公孫樹は5月頃に開花する裸子科の落葉高木で、雄雌のある生きる化石とも云われる非常に生命力の強い樹木で、10月頃に実る果実ギンナン(銀杏)は美味しいのですが食べ過ぎると鼻血が出たり、ひどい場合は中毒に至ることもあります。公孫樹は東京都では都木となっておりますので、街路樹に多く使われて来たのですが、ギンナンの実は匂いが臭く、渋もきついことから近頃の街路樹には雄の木ばかりで雌の木が植えられることが無くなりました。多分、路上に落ちたギンナンが車に踏みつぶされて臭い渋が飛び散って道路が汚れ、タイヤがスリップしやすくなることで嫌われたのでしょうが、何か人間の都合優先で生態系を操作している様で気に入りません。一昨日、東京町田市の薬師が池公園に行き、古い公孫樹の樹が数本ありましたので注意して見ていましたら、その中にギンナンをたわわに実らせた雌の木がありました。東京大学の校章や都バス、清掃車、道路の分離帯のフェンス等、至る所でデザインとして使われ、花言葉は「長寿」とのことですのに、雌の木が少なくなって銀杏も結実せず、花言葉から離れて行ってしまうことは残念です。
2004.09.16
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全国からホタルのニュースが流されていますので、神奈川県城山町にあるホタルの里に行って来ました。昨日は午後7時過ぎ薄暗くなってから家を出て、午後8時前には城山ホタルの里に着きました。 “ホタル研究会・自然の家”に行きました所、日曜日のせいか道路の両側に車が一杯で、駐車することが出来ませんでした。城山ホタル研究会のサイトはこちらです!そこで、其処を通り過ぎて山道に入り、昨年7月初旬に多数のホタルを見た小松川源流まで行ってみましたが真っ暗でホタルの点滅がありません。時期が未だ早かった様です。暗い山道でのUターンは危険ですので城山湖ポンプ場迄登り切って戻って来ました。往復に20分程掛かったと思います。少し遠い所の道端に駐車し、歩いて“ホタル研究会”の家に入って「ホタルは何処で見られるのですか?」と尋ねますと、「小松川の下流で見られます」との答えでした。5分程歩いて民家に渡る小さな橋の近くの暗闇に10匹以上のホタルが緑色に点滅しているのです。幻想的な光景に暫し見とれてしまいました。上を見上げますと複数のホタルが飛んでいましたので手を挙げて見ましたら手のひらにぶつかって来ました。本当に久しぶりの体験です!再度、研究の家に戻って、感謝の意味で300円の絵葉書を買いボランティア活動の一助にして頂きました。ホタルの光は弱いもので、夜光モードにしても液晶画面には現れず写真は難しいと思い、良い写真は撮れないと写真撮影は断念しました。城山ホタルの里の案内はこちらのWebサイトです何処の場所で、どの程度のホタルが見られるのか城山町役場に情報が寄せられる様ですので、電話で確認してお出掛け下さい。デジカメ写真ではホタルは撮れ無いと思いますので、持参しない方が良いかも知れません。ましてストロボ・フラッシュは止め、自分の肉眼だけで楽しんで欲しいと思います。
2004.06.14
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モネ程の人気はありませんが、しっかりとしたピサロの絵は良いと思います。貧乏画家の多い印象派の中でも、子沢山で一際極貧生活を余儀なくされながら、珠玉の作品が残されているのは不思議でもあります。渋谷Bunkamuraで5月9日迄開催されている「モネ、ルノアールと印象派展」に行って来ました。日本人に人気の高い印象派であること、行ったのが5月1日の休日であったこと、開催期間が終わりに近かったことから、会場には人が溢れていました。特に展示の中心となったモネ、ルノアール絵画前には大きな人だかりがして、なかなか動かず順番を待っての鑑賞が出来ない程でした。それらの中にピサロの作品が数点展示されていましたが、それ程の人だかりも無くゆっくり見ることが出来たのは幸いでした。晩年眼を痛めて野外製作が難しくなり、ホテルの窓からのセーヌ川風景の連作が良い絵だったと思います。この絵は「ヴァランジュヴィル、夕方」と題される小品ですが、しっかりと塗り込んだ色鮮やかな名品でした。ピサロの特徴である平凡で目立たない風景、しかも堅固な画面構成、緑と黄色の中に赤・バラ色を散りばめる穏やかな調和が遺憾無く発揮されていました。インターネットで彼の足跡は次の様に掲載されています。農村の風景や人物をモティーフに制作。1880年代には点描画法を採用。晩年には、パリの俯瞰的な都市風景を描く。堅固な構成と情趣に富む作品が多い。印象派の代表的画家のひとりであるカミーユ・ピサロは仲間の中での最年長で、あたかも長老のような存在だった。8回の印象派展全てに参加し、モネやルノワールやセザンヌから父のように慕われた。没後100年を迎えた2003年、ポントワーズにあるピサロ美術館のコレクションを中心にした回顧展がフランスとドイツで開催された。ポントワーズはパリの北西20キロメートルのところにあるオワーズ川に面した静かな田園地帯である。ピサロは30歳後半から20年近くこの地に住み、多くの油彩画と素描と版画を制作した。ブルジョワの余暇や行楽の情景が多い印象派の中で、ミレーの伝統を受け継ぐ農民や田舎の風景を描いたピサロの作品は特異な存在である。
2004.05.05
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大型連休初日の「みどりの日」は快晴で暑い日となりました。「みどりの日」と言う国民の祝日で、国立昭和記念公園は無料開放、キューケンホーフ風のチューリップ畑が4月で終わるとの情報をWebサイトで知り、出掛けて見ました。天気が良く無料と言うことでもの凄い人出でした。家族連れが多く、入口付近レンタサイクル貸付場所、広い園内を走るパークトレーン乗車場所には長蛇の列でした。「パークトレーンは40分待ち、乗れない場合もありますのでご了承下さい!」との園内アナウンスも聞こえて来ました。入園して暫くすると正午となりましたので、涼しい木陰の芝生で昼食にしようとしましたが、どこも人が座っていて良い場所がなかなか見つかりません。漸く見つけた日陰の涼しい場所で、お弁当とペットボトル緑茶で昼食として休憩しつつ涼を求めました。一休みの後、訪問の目的であった渓流広場のチューリップ畑に行って見ましたが、チューリップは殆ど花が摘まれていましたし、紫のムスカリは種状態となっていました。来園するのが2週間ほど遅すぎた様ですが、それでも少しは残っていてキューケンホーフ公園の雰囲気を懐かしんで楽しむことが出来ました。みんなの広場に咲いているアイスランドポピー畑は満開となっていましたが、此処の人出も普段より数倍ある様な感じでした。「子供の日」には子供のみが無料開放となりますので、又混雑するだろうと思います。今日は薄曇りですが明日以降の天気下り坂が気に掛かります。
2004.05.02
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本当に「雪の様に白い花」で、見応えがありました。正式には「ひとつば(一葉)たご」と呼ばれるそうで、「たご」は「とねりこ」と言う木の方言名。「とねりこ」が羽状複葉であるのに対してこちらが単葉であることから名づけられたとのことです。 この「雪の様に白い花」は日本海に浮かぶ対馬島が日本最大の群生地として知られ、約3千本が自生して国の天然記念物に指定されています。中国や朝鮮半島が原産地ですので、対馬は地理的に納得出来るのですが、他の自生地である木曽川流域犬山市には渡来した人達が持ち込んだのでしょうか?気候的に中国に近いと思われる東北、北海道には自生地は無い様なのですから不思議です。明治時代、青山練兵場(今の明治神宮外苑)の道路沿いにこの木があり、名前がわからなかったので「なんじゃもんじゃ」と言う変わった名前をつけられてしまったとも言われています。木犀(もくせい)科ヒトツバタゴ属の花で、開花時期は4月下旬~5月上旬。新聞の地域欄に「一葉(ひとつば)たご」満開の記事が載りましたので、見に行って見ることにしました。場所は東京郊外の片倉城趾公園、JR片倉駅から歩いて5分で着くことが出来ます。なんじゃもんじゃの木は僅か一本しかありませんでしたので、全山が雪の様に白くなると言う風情は楽しめませんでしたが、細かい筋状の白い花が密集して咲いている見事な満開の姿でした。似た花としては栴檀(せんだん)が挙げられると聞いていますが、こちらは栴檀科でうす紫色の花、木犀(もくせい)科ではありません。対馬の方がWebサイトを開いていますので、美しい群生をご覧下さい!木犀(もくせい)科ですから、良い匂いがあると思うのですが昨日は風も強く、花が3m以上の高さで咲いていましたので確かめることは叶いませんでした。桜と同様に、すぐ散ってしまうと言うことですのでこの大型連休中が見頃だと思います。
2004.04.30
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大きな袋状の花唇弁が印象的な野生蘭花ですが、二枚の扇子を広げた様な大きな葉も個性的です。花名の由来は源平合戦の後、世の無常を感じて法然上人の弟子となった、熊谷直実が軍陣でつけていた母衣(ほろ)の形に似ているところからと言われているようですが確かめたことはありません。源平合戦一ノ谷の戦いで熊谷直実に討たれた平敦盛がつけていた母衣に似ていることから名がついたアツモリ草もあり、開花時期も同じと言われています。しかし、俳句の季語で言うとクマガイ草が春に組み入れられているのに対してアツモリ草は夏なのだそうです。人里近くの竹藪などに群生することが多く、埼玉県見沼田んぼ地域は自然群生地として知られていたのですが、開発が進みましたので無くなっているのかも知れません。最近は少なくなっていますので、大事にされていて、近くの薬師ヶ池公園の中の万葉植物園、隣の町田えびね苑にひっそりと数少なく咲いていました。この写真は、先日町田えびね苑に行った時に撮影したものですが、周りが枯葉だらけでしたので、写真フォトレタッチソフトで背景を塗り込んでしまいました。町田えびね苑ではクマガイ草はエビネに較べてほんの数輪と言う感じでしたが、竹藪よりも暗い杉林の中では群生しないのかも知れません。
2004.04.28
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エビネ蘭(Calanthe)は、春蘭と共に、日本に自生し春に開花する可憐な蘭の花で、中には良い匂いを漂わせる種類もあります。花色は黄色が基本の様ですが、赤、白、桃色もあり、花弁と唇弁の色の組み合わせで更に多岐・多彩となりますが、掘り起こされてしまい自然の山野で見ることは無くなりました。町田えびね苑はエビネが自生していた里山を昭和62~63年に整備して、全国から育成可能なエビネを移植して平成元年に開苑しています。開苑時期は極めて短く4月下旬から5月中旬の2週間あまりしかありません。係員の方に伺いますと、心無い訪問者が盗掘して持ち帰ることが多いので、花の時期以外は閉苑しているとのことでした。町田えびね苑は元々杉・檜林の鬱蒼と生い茂る林でしたが、少し間引きした林床斜面には数多くのエビネ区画を設けてあります。木漏れ日に輝くエビネ花苑はまるで森の妖精が踊っている様な素晴らしさでした。色とりどりの各種エビネが満開となっていました。今年はエビネ区画も増えていましたし、苑内には、クマガイ草、九輪草、シャガの花も咲いていて、芝生広場では久留米躑躅も綺麗に咲いていました。今年はエビネ区画も増えていましたし、苑内には、クマガイ草、九輪草、シャガの花も咲いていて、芝生広場では久留米躑躅も綺麗に咲いていました。手軽に森林浴も楽しめるオアシスの入苑料は大人300円、小中学生100円、午前9時半から午後4時迄が開苑となっています。交通アクセスは町田駅からのバス便だけしか無く不便の様ですが、車がありますと近くの薬師ヶ池公園の大きな無料駐車場に停め、歩いて3分程で北口に着きます。
2004.04.26
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町田ぼたん園は七国山(と言っても小高い丘ですが)と連なる南斜面にありますので、陽当たりも良く植物にとっては良い環境を呈しているようです。此処には1000株を越える牡丹、芍薬が植栽されていて、藤棚、シャクナゲもありますので4月中旬から5月上旬には将に百花繚乱となります。この期間だけは有料で入園券が大人500円、中学生200円で発売されます。昨日は暑い陽気に誘われて行って見ましたら、芍薬は花の時期が少し遅いので開花しているものが少なかったのですが、メーンとなります各種牡丹が丁度競い合って咲いていました。ゴールデンウィーク迄は豪華さが保て無いのでは心配される程です。牡丹の中でも珍しいとされる黄色い花も咲き出していました。品種名は「ハイ・ヌーン」、アメリカで改良されたものですが映画「真昼の決闘(High Noon)」主演女優グレース・ケリーをイメージしたのでしょうか?兎に角、黄色い品種はアメリカ、フランスの園芸家が開発したものが全てで、原産地中国、日本では生まれなかったのですが、豪華さを競う花としては、赤、白、ピンク色で十分と思ったのでは無いかと推測します。昨日は風が強すぎて、百花の王と呼ばれる牡丹の豪華ですが薄い花弁が風に煽られて可哀相でした。昨年の日記にも写真スライドショーがありますのでご覧下さい!
2004.04.24
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昨日、新宿駅西口から高層ビル街に向かう途中珈琲を飲みたいと思い、通りに面していた喫茶店に入りました。あまり目立たない小さな店でしたが中がクラシックに造ってありましたし、灰皿に置かれているマッチのデザインが見たことのある古風なものでした。このマッチの裏側図柄は「椿姫」のデザインで昔と全く変わりません。都会の喧騒を忘れさせてくれる「新宿のオアシス」と呼ばれ、1954年の開店以来愛され2002年12月に閉店となりました「名曲喫茶スカラ座」が再出発した店だったのです。聴いてみますと、テーブル、椅子、シャンデリア、壁に掛かる装飾品等の店の調度品は、閉店した店から持ってきたとのことでした。珈琲を注文して、持って来て呉れました珈琲カップも懐かしい厚手のもので、これも旧店のものだと言うことは確かでした。店内には静かにクラシック音楽が流れているのですが、人の話し声で良く聴こえませんが、皆BGMとして雰囲気を楽しんでいる様でした。気軽に珈琲を飲むのを楽しんでいる雰囲気が、旧店でのしっかりとクラシック音楽を鑑賞して貰うと言った堅苦しさから、変わっていて良いものだと思いました。多分、1954年の開店当時も、その様な雰囲気だったのでしょうが、常連客によって堅苦しい名曲喫茶と変わってしまったのだと思われてなりません。その当時はLPレコードが高価で1枚が給料の10%程度もしていたのですから、名曲喫茶での音楽鑑賞は手頃なものでしたが、今ではCD/DVDは相対的に安いのですから時代背景は変わりました。何か原点に返っている様で微笑ましく感じられました。ネオンで埋め尽くされた風俗歓楽街「歌舞伎町」から、ビジネス街に移転した「名曲喫茶スカラ座」多数のビジネス客が入りやすい場所にありますので再出発が成功出来ます様にと想いながら、店をあとにしました。閉店となった「旧名曲喫茶スカラ座」のWebサイトはこちらです店名は中学3年生の時にクラシック音楽に開眼した先代社長がミラノのスカラ座に因んで命名したとのことです。風俗街から出ての地味に見える再出発は英断かも知れません。何しろあそこは普通の人が行きにくい所ですから・・昔ながらの営業を守っている渋谷「名曲喫茶ライオン」への訪問日記はこちらです
2004.04.19
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東京での染井吉野は全て葉桜となってしまいましたが、八重桜を中心とした遅咲きの桜は未だ見頃を迎えていない様子です。御衣黄(ぎょいこう)は八重桜の一種で、「世にもめずらしい緑の桜」として知られています。春には淡い黄緑色の美しい花を咲かせます。江戸時代より栽培されていますが、花の色が地味なせいかあまり普及しておらず、全国的にも珍しい種です。普通の桜が散り始める頃に入れ替わるように咲き始め、4月中旬から下旬にかけて満開となります。花は最初濃い黄緑色をしており、周りの葉と見分けがつきにくいのですが、開花が進むにつれて花弁の色が淡く変化する様です。その楚々とした花の美しさから、貴人の衣服という意味の「御衣」をその名に冠したと言われています。4月12日訪問した多摩森林科学園の桜保存林で撮影した写真をスライドショーでご覧下さい!市原虎の尾(いちはらとらのお)は京都洛北市原にあったサクラで、開花すると枝に咲く様子が虎の尾に似ているとも、又花梗が細くて枝先に花がついている様が虎の尻尾の様だからとかも言われています。普通、桜の木は上に向かって幹を伸ばして行きますが、この桜は大枝を横に広げて伸ばす灌木系の桜の様です。横に張った特異な樹形で主枝には密集した短枝が付いて其処に花弁数の多い淡紅白色の綺麗な花が咲きます。多摩森林科学園のWebサイトはこちらです!
2004.04.15
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尾根緑道は東京都町田市内丘陵の尾根道で、旧日本陸軍の「戦車道路」跡の20km内の約1.5km区間を1984年遊歩道として整備したと言うことです。 この尾根緑道は桜の名所として知られ、友好市町村も参加しての「桜祭り」も開催されて多くの花見客で賑わいます。今年は4月3、4日が「桜祭り」でしたので行って見ました。緑道内はテントが多く設置され、普段は通常の道路として機能している狭い車道は、車両通行止めになっていました。遊歩道と化した車道にも花見客が溢れていました。緑道には「展望広場」、「中央休憩広場」、「待合わせ広場」、「林内休憩所」、「富士見広場」と名付けられた広場もあり、天気も良く、又最後の花見の週末との情報もありましたので、ゴザ持参の団体、家族連れが多く座り込み、足の踏み場も無い程の混雑振りでした。 沿道には菜の花畑もあり、また尾根道ということで眺望も良く、延々と続く尾根緑道の桜並木は見事なものでした。特に緑道最高点の「展望広場」近くには小さな桜美林教会があって鐘の声も聞こえ、西には丹沢山麓、北には多摩ニュータウン丘陵が良く見える良い展望場所でした。訪問した4月3日は天気も良く、又風がありましたので、満開の桜から飛び散る桜吹雪も美しいものでした。駐車場は少なく、訪れる際にはバスを利用下さいとの情報もありましたので、小山田緑地の駐車場に車を停め、日大第三学園(中学、高校があります)丘陵を上り下りして、尾根緑道迄を約40分程の時間歩いて行きましたので、往復12000歩程のよい散歩となりました。翌日の今日は一転雨天となり、多少肌寒い気候となりましたので、満開の桜も散り際を急ぐでしょうし、桜見物に繰り出した昨日の混雑は無いと思います。
2004.04.04
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JR中央線の高尾駅北口から高尾街道を徒歩10分程で多摩森林科学園に着きます。所在地は東京都八王子市廿里(とどり)町、戦国時代の古戦場跡だそうです。敷地面積は驚く程広く約60ヘクタール(ha)ありますので、永く散策するのにも最適です。入場料は3月までは300円、4月からは400円です。但し、此処は公開された研究施設であって、公園ではありませんので、訪問者用の駐車場も無く、園内には食べ物、飲み物を売る店は一切ありません。従って、お弁当を持参するか又は入園する前に予め駅周辺で購入して置く必要があります。その中央部にある桜保存林は、山の斜面に沿った約8ヘクタールに全国各地及び海外からの桜1700本が植えられている所で、著名なサクラの遺伝子を保存する為の保存林設置が1966年に決められたそうです。それらの咲く時期は種類によって異なりますので、2月下旬から5月上旬まで楽しめるそうです。2月下旬から5月上旬まで楽しめる様になっています。必然的にそうなってしまったのかも知れませんが・・紅色の桜-寒緋桜、陽光、関山など純白の桜-太白、白妙、白雪、駒繋など黄色の桜-鬱金、御衣黄緑色の桜-御衣黄紫色の桜-紫桜、矢岳紫匂いの桜-駿河台匂、荒川匂など4月1日に、緑色の桜を目当てに行ってみたのですが蕾も堅く未だ未だの状態でした。係員の方の話ですと「例年、4月下旬開花するのですが、今年は暖かいので中旬になるだろう」とのことでした。桜保存林では、咲いている桜は多くありませんでした。「枝垂れ染井吉野」とは初めて見る豪華な枝垂れ桜、満開でした。多摩森林科学園のHPはこちらです!4月中旬に再度訪問して見ようかと思っています。
2004.04.03
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神奈川県民の水源である津久井湖と揚水発電貯水湖として知られる城山湖に挟まれた谷間にある「城山カタクリの里」、個人の山林を花の季節だけ公開しているもので所在地は津久井郡城山町川尻です。カタクリの群生地は全国各地にありますが、個人所有地での手入れの良い「城山カタクリの里」は、年々数を増やして関東随一の群生地とも言われています。所有者の庭先入口で入場料を支払いますが、金額300円は数年変わることがありません。「今が見頃」と言われ、舗装された小道に沿って登って行きますと斜面3000m2に沢山のカタクリが群生していました。通常の花は花弁を陽に向けて咲くのですが、カタクリは細長いピンク色の花弁を地面に向けて咲き、晴れないと花弁を閉じてうつむいていますし、陽に当たりますと花弁の先を反り返す珍しい花です。 その他、こぶし、みつまた、ほうき桃、きぶし、各種躑躅など木の花も多く咲いていました。珍しい黄色のカタクリは未だ数輪しか咲いていませんが、4月初旬に見ごろになると言うことです。近頃は人気が高く訪問者も多くなりましたので、JR横浜線、相模線、京王線の乗り継ぎ駅となる橋本駅から臨時バスが運行されています。花の開花状況、臨時バスを含めた交通案内は「城山かたくりの里」ホームページで確かめることが出来ます。出口近くの庭先には弁当、団子の他、各種土産や、野菜、鉢植えの花等の買い物も楽しめます。その中にカタクリの鉢植えも一鉢800円で売られていました、一寸高いかなとも思いましたが発芽して8年経たないと開花しない貴重性から考えますと当然かも知れませんし、勿論普通のガーデニングショップで売り出されることはありません。昨年の日記にはカタクリの里の遠望がスライドショーで載せてあります
2004.03.31
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「お鷹の道・真姿の池湧水群」は環境省指定の名水百選となっている水源で、東京を代表する断崖湧水の価値を文化財として評価された自然地理的名勝です。東京都からは御岳渓流も名水百選が選ばれていますが、御岳渓流で河川水ですので湧水源として唯一のものとなります。JR中央線国分寺駅の南口から、駅前の坂道路を南下しますと野川(この辺りでは淀んでいて綺麗ではありませんが・・)に突き当たりますので、其処を右折して住宅街を暫くしますと「お鷹の道」の案内板のある小さな小径があります。そこが「お鷹の道」と呼ばれる国分寺市が整備した遊歩道なのです。国分寺駅から徒歩で30分程度の距離だと思われます。すれ違うのも難しい小径ですが南片側には水深が殆ど無い清流が流れていまして、沢山のカワニナ(巻き貝の一種)が見えました。良く見ますと「蛍の里:餌となるカワニナを取らないで下さい!」との注意板が何ヶ所も立てられていました。初夏になりますと住宅地に蛍が飛び交うのでしょうか?そのまま散策を続けますと、古い大きな民家が散見される様になり、雑木林も目に付きますが、下草刈りが行われ管理が行き届いており綺麗に保存されています。この辺りは国分寺断線の始まりで、武蔵野台地の断層が国分寺から小金井、三鷹、調布、狛江を経て、世田谷の等々力に至る迄続くおよそ15メートル高さ程の断層線で「ハケ」と呼ばれています。暫く行き右側に折れますと、其処が真姿の池湧水源ですが、初春の精か湧水量が少ないのには驚くばかりです。カメラを持参しましたが撮影しませんでしたので、写真は他のURLをご覧下さい近くの方が大きなポリタンクで清水を汲みに来ておられましたが、冬は湧水量が少なくなるのですが今年は特に水量が少ないとのことでした。最新のデータはありませんが、10年程前のデータでも年々湧水量が減少しているのが分かります。 測量年/季節 1993夏 1994夏 1995夏 真姿の池(合流点前) 1100 560 360 特にこの近郊のJR西国分寺駅付近は大規模な都市開発で、高層ビルが林立して来ていますが、その基礎工事で地下水脈が切断された影響が大きいと推断せざるを得ません。真姿の池湧水源を過ぎて、散策を続けますとお鷹の道終点となりますが、其処は奈良時代に聖武天皇が国分寺と定めた寺跡となります。国分寺ですから広大な伽藍を保持していたのでしょうが、平安末期の新田義貞による合戦で焼失して再建されることは無かった様です。今でも国分寺はあるのですが、本堂も小さく往時の面影はありません。しかし、住職の思いもあるのでしょうか、其処は万葉植物園として、万葉時代の植物が万葉短歌の短冊を添えられる形で整備されていますので一見の価値があります。此処まで来ますとJR西国分寺駅までは徒歩で30分も掛からないで行くことが出来ますが、武蔵野の面影の残る雑木林は既に無く、大規模都市開発が進行中でした。大きな芝生のある近代的な武蔵国分寺公園と林立する高層ビル群に変貌真っ盛りでした。将にお鷹の道・真姿の池湧水群は瀕死状態となっていますし、後何年かで湧水が枯れてしまうのは眼に見える様です。人間の活動によって自然の営みが崩されて行くのは残念なことです。
2004.03.17
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伊豆急・河津駅近くのメーン会場、河津川土手には多くの出店が仕立てられて河津桜祭りが行われています。河津桜祭りは2月10日から3月10日迄の1ヶ月間ですから、3月初旬の週末でほぼお終いとなります。三月上旬に満開になると言うことでしたので、3月5日に日帰りで出掛けて見ました。その日は強い風が冷たくて、桜見物・散策には向かない日でしたが、満開情報を聞きつけてか多くの訪問客で混雑していました。数多い出店の一つでは、伊豆名物であるサンマの丸干しが一尾50円でしたので4尾買いました。落ちサンマは脂が抜けていますので、丸干しは美味しいのです。今まで西伊豆土産と思っていましたので、店の人に聞きますと「駿河湾にはサンマは入らず、相模湾が本場」だとのことでした。僅か200円ですが良い買い物でした。今年は2月の気候が例年に無く温暖でしたので、川添いの桜は既に満開を過ぎていましたが、それでも染井吉野桜の桜吹雪と言う感じで無く、未だ見応えのある桜も多少残っていました。帰りには伊豆七滝の内、最大の落差35mを誇る大滝(おおだる)にも寄って見ました。河津桜は大きくピンク色の花弁が特徴の桜で、緋寒桜と大島桜が交配して出来たものと言われています。染井吉野の様に1週間だけの開花期間で無く、ゆっくりと約1ヶ月を経て満開になります。個人の方が偶然に発見した、自然交配の桜の様ですが梅の花の様に徐々に咲く桜で不思議な桜です。色々な桜があるものです。
2004.03.07
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クロッカスの花が満開になったとのニュースを聞いて、多摩モノレールを利用して東京立川市にある国営昭和記念公園に出掛けて見ました。入園料は大人400円の広大な公園、広い園内にはパークトレインと称する有料の乗り物が運行していますし、サイクリングロードも整備され自転車の有料貸出もあります。兎に角、元飛行場である園内を散歩しますと1万歩に達することが簡単です。園内では、紅白の梅は満開、種類によっては散り始めているものもあり、着実に春が進行している様でした。代わりにクロッカスの花が、陽当たりの良い芝山、木立の日だまり等に勢いよく咲き出していました。白、藤色のクロッカスは咲く時期が遅いのでしょうか、殆ど見つかりませんでした、黄色、紫の花を見つけましたクロッカスはアヤメ科クロッカス属の花で、別名を花サフランと呼ばれますので、花の形は秋に咲くサフランによく似ています。サフランは藤色の花のみですが、クロッカスは白、黄、藤色、紫と豊富な色の花で如何にも春の花という感じがします。昨年11月初旬に自宅の庭でサフランの花が咲いた時の日記はこちらです。参考の為較べて見て下さい!
2004.02.26
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東京町田市小野路と呼ばれる地区は、鎌倉街道沿いの小野路宿であり、江戸時代には大山参りの大山街道宿場街として7軒の旅籠があって大いに栄えました。大規模開発の行われた多摩ニュータウンに隣接しているのですが、昔ながらの姿がタイムスリップしてそのまま残されている珍しい地区です。小野路交差点近くの小野神社は平安初期の漢学者小野篁(802~852)を祀った神社で、境内の解説板には「菅原道真の先輩にあたる学問の神」といった説明が見えます。直ぐ近くにある小島資料館は新撰組の資料が残され展示されていますが、月2回(第一、第三日曜日のみ)しか公開されていませんので入ったことはありませんが、種々の資料展示があると言われています。小島家は代々近隣35村をまとめる大名主で、入京前の隊士達を支援した様です。 昔ながら風情の残る小野路交差点付近の風景、狭い道路ですが大山街道(新道)です。小野神社の脇の道を入り込みますと万松寺谷戸の風景が広がります。万松寺は1330年鎌倉時代末期建立の古刹ですが、第2次大戦で焼け落ちてしまい、檀家の農民が私有地の一部を東京都に売却した資金で1980年代に再建された様です。焼け残った茅の木は建立当時からのもので樹齢650年余の大木で一見の価値があります。又、この谷戸には小野小町ゆかりの小町井戸も涸れること無くあると言うことです。東京都はこの一帯を「図師小野路歴史環境保全地域」に位置し、その旨の案内板も立てられている。谷戸は里山に続く谷間のことを言い、通常は雑木林の尾根に挟まれて細長く延びているという地形を思いますが、この谷戸は今では珍しくなった棚田が残されています。 人気の無い谷戸は、まるで異次元に迷い込んだような錯覚さえして来ますし、素朴な棚田小径の風情も楽しく心安らぐ思いがします。 そこから丘の上に登って行きますと道の傍らには「ふるさとめぐり」と記したイラストマップが設置されています。丘の斜面に緩やかに広がる畑の風景は古き佳き時代の多摩丘陵の姿が思い起こされます。丘を登りきりますと牧場があり、道路から牛の姿が散見されます。里山にありますので、防臭対策はしていませんので牛糞の匂いが強く立ちこめています。牧場の正面入口には「防疫のため立ち入りをご遠慮下さい」との旨が記されていますし、別に触れ合い農場とはなっていませんがこれも古き良き原風景の日本です。
2004.02.22
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24節気の内最も寒いと言われます大寒を過ぎて、漸く立春となりました。今冬は総じて暖かい天候が続きましたので、立春となったとは言え「漸く春が来た」と言うよりも「暖冬が過ぎ去ってしまった」と言う方が適切の様な気もします。東京多摩川の中流域と思われる府中付近は未だ吹く風が多少冷たいのですが、陽当たりの良い所では早咲きの梅が咲き出しました。川沿いにあります“郷土の森市営公園”には、古い民家、商家、小学校、蔵、木造の郵便局などを移築して、昔の暮らしの雰囲気を楽しめる様に整備されています。其処にはあまり古木ではありませんが、色々な種類の梅の木が数百本植栽され年々梅の木の数も増やされて来ましたので、この近辺の公園では最大の梅園になっていると思います。2月1日から3月上旬まで「梅祭り」が催され、この期間にのみ緋毛氈の腰掛けが其処此処に設置されるのも華やいでいて良いものです。2月4日の立春は冷たい風が強かったのですが、素晴らしい晴天となりましたので、日だまりでは暖かい日でした。早咲きの紅白の梅・福寿草等が観賞出来ました。園内では、実を取る種類も多く植えられていますので、昨年の梅の実で作った梅干し、梅ジャムが販売されています。園内にはプラネタリウムも整備されていて、入園料込み600円で鑑賞出来ます。天体ショーも2ヶ月毎に変わる様ですので訪問する際には割合楽しんでいますが、1月中旬に観覧したばかりで出し物が同じですので、早咲きの紅白の梅・可憐な福寿草の花を愛でて帰宅しました。
2004.02.05
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立春も間近になり此処二、三日寒さも和らいで来ましたので、東京湾アクアラインを使って、南房総に花を愛でるドライブに行って見ました。多摩ニュータウンから川崎街道を使いますと道なりにアクアラインに通じていますので、簡単に行けると思ったのですが、武蔵小杉、武蔵溝口、川崎等の繁華街を通過するのに手間取り、アクアラインに入るまでに約2時間も掛かってしまいました。採算性の悪さで悪名高いアクアラインは、片道3000円の通行料に値下げされたのですが通行量は一向に延びず、相変わらずガラガラに空いていましたのであっと言う間に木更津に着きました。アクアラインは南房総の開発を意図した政治道路でしたが、通行料の高さから産業道路としては機能していませんので、赤字累積が肥大し、50年償還計画でも無理で破綻するのは眼に見えていることが実感出来ます。しかしながら、兎に角ドライブするには真に快適な高速道路でした。木更津から館山迄は高速道路が一部しか開通しておらず、通常道路を多く使って南下しますが、約60kmの走行距離がありますので房総半島の南端にある白浜に到着しましたのは自宅を出てから約4時間が経過していました。南房総は、やはり開発が遅れた地域の様で、一本のアクアラインで観光・産業開発促進出来ると考えたことに無理がある様です。白浜町一帯は、温暖な気候を利用した花農家が多い様で、花摘み・散策の看板が多く見かけられましたが、その中でも良くテレビで紹介されます白浜フラワーパークに行って見ることにしました。白浜フラワーパークは個人経営で公開されている、思ったより小さなパークでした。それでも園内は綺麗に整備され、ポピー、キンセンカなど屋外ものの花が咲き乱れ、畑周囲の菜の花も満開でした。其処を出て南房パラダイスにも行って見ましたが、こちらの方が規模も大きく園内も良く整備されている様でしたが、既に午後4時に近く見学している間に暗くなりそうなので、入園せず帰宅することにしました。長い時間ゆっくりと過ごすには白浜フラワーパークよりも南房パラダイスの方が良い様に思われました。
2004.01.31
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昨日は宇都宮市上三川町にあります日産栃木工場に行き、工場見学をさせて頂きました。新宿を9時半出発し首都高速から東北自動車道を使い北上しますが、途中は快晴の天候で、南に富士山、東に筑波山、北に上毛三山がよく見えました。佐野サービスエリアには11時に着きましたので、少し早いのですが昼食を取りました。ラーメン全国ブランドの佐野ラーメンの本場とのことでしたので、770円の佐野ラーメンを頂いて見ましたが、なかなか美味しかったと思います。昼食後、東北自動車道の栃木都賀ジャンクションから北関東自動車道に乗り換えましたら、薄い雲の中にくっきりと日光連山が見えました。最高峰の男体山2494mが左に見え、右端には一番低い女峰山2010mで夫婦山系となり、その間には子供山が連なっていました。薄い雪が被さっている姿をとても綺麗に見せてくれました。男体山を見たのは8年振り、日光には30年以上前に行ったのが最後ですので、懐かしくなり訪問して見たくなりますが、これからは厳冬の季節ですのでこの時期は諦め、来春にでも計画してみるつもりです。日産栃木工場は宇都宮上三川インターの直ぐそばにありました。長さ4kmで幅1kmの工場敷地にはテストコースもあり、緑も多い素晴らしい環境に造られていました。大型主力機種のプレジデント、シーマ、スカイラインの車種は此処で生産されています。ゴーン社長就任以来復活再生を成し遂げた日産自動車には活気に満ちあふれていました。就任当初はコストカッターの異名から工場閉鎖、車種削減等、旧経営陣には決断出来なかったことを成し遂げ、経営資源を集中させて回復不能と思われた日産自動車を活性化させたのです。小泉改革とは異なり、2年間で苦境を脱しての再生手腕は大したものです。未だ再生途中だと思われますが、復興した職場環境を見せて頂けるのは嬉しいことでした。日本製造業界の雄、自動車産業が活況を呈している状況を見学出来て良かったと思いますが、この様な姿が他の製造業界にも波及して、日本経済が復活再生して行くことを願わずにはいられませんでした。もたれ合いの日本型経営は破綻したのだと自覚して再出発をする必要がありますが、日本人は真面目にこつこつと働くのだと言うことを基本にして早急に行わなければなりません。時間を掛けては、直ぐ後に続く韓国、その後に控える中国に席巻されますから元も子もありません。
2003.12.19
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地球温暖化も段々と激しくなって来ているのでしょうか今年の冬は変でして、通常は寒風吹き荒ぶ師走も暖かいのです。南極のオゾンホールも過去最大、山には雪が降らず世界各地のスキー場も運営に四苦八苦している等と言うニュースも報道されています。製造禁止となったフロンですが、過去に放出されてしまったフロンが未だ大気中に分解されずに漂っているのことに拠るでしょうか。その影響かも知れませんが12月7日東京地方は快晴、ポカポカ陽気となりました。先日のテレビ報道で東京から一番近い山、高尾山では紅葉がピークと言っていましたので行ってみることにしました。自宅を午前9時半に出発し、麓の薬王院祈祷殿に午前10時頃到着し、駐車料500円を支払って、大きな広場に車を停めさせて貰い出発です。ケーブルカーの麓駅「清滝」には人が溢れていました。中腹まではケーブルカーとリフトの両方がありますので、気軽に山の散策と紅葉狩りが出来ますので、陽気に誘われて、多くの人達が出掛けて来た様でした。前々日には雨が降りましたので、沢登りコースは登山路がグチャグチャで滑って危ないと思いましたので、舗装された1号路を取ることにしました。ケーブルカーの山頂駅まで約1時間迄、途中紅葉の綺麗な社に寄りながら森林浴を満喫しながら昇りました。ケーブルカーからは多くの人達が降りて来て参道には家族連れの人達で一杯でした。紅葉狩りをしながら、薬王院本殿、奥の院を経て約30分で山頂に到着したのですが、山頂広場は座る余地が無い程人で溢れていました。山頂では、紅葉は盛りを過ぎていて残念でしたし、正午ともなりますと富士の姿も靄って薄くなり、はっきりとは見えなくなってしまいました。そこで、再び森林浴をしながら尾根コースを下って行き、途中紅葉狩りを楽しみました。途中の展望からは、眼下に八王子市街、遠くに都心、遙かに筑波山を望むことが出来ました。多分、段々と乾燥してきて澄んだ空気になって来たからだと思います。山頂風景、下山途中の紅葉狩りの様子をスライドショーでご覧下さい!
2003.12.08
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昨日は秋の青空が広がり、小春日和(Indian Summer)となりましたので東京府中市にある郷土の森博物館に行ってみました。春に見事な花と仄かな匂いを呉れた梅の木も殆ど葉を落として裸木となっていました。梅は桜の木とは違って、紅葉することが無く少し黄色みを帯びて散りゆくだけですので秋の梅林は寂しさを感じます。それでも、暖かい秋日和の中、園内のハケの茶屋で飛騨高山直送のハケ上団子と言う醤油ダレの焼き団子を賞味して、落ち葉の降りしきるケヤキ並木を散歩して博物館本館に戻りました。午後2時から始まるプラネタリウムを楽しむ為です。此処の府中市市営のプラネタリウムは毎日観覧出来、観覧料も公園入場料込みで700円の手頃なお値段です。残念ながら平日の金曜日であったせいでしょうか、入場者は10人程しか無く寂しい感じがしましたが、プラネタリウム投影が始まりますと、素晴らしい星空に心を奪われてしまいました。山奥で澄んだ空気の夜でしか見られない6等星迄再現されますと、満天星が降ってくる星空と化します。天の川もうっすらと白い河の帯状でロマンそのものです。投影時間は約1時間で、最初の30分が秋の星座の説明、残り30分がハッブル望遠鏡の実写投影でした。投影者の説明は頂いたリーフレットにもありましたので紹介しますと:秋の星座の1等星は一つだけなので、賑やかな夏や冬の星座に較べますと少し寂しい感じがします。秋の星座を見つける目印は、ペガスス座とアンドロメダ座の星々で形作られる秋の四辺形です。四辺形の西側の辺を南に延ばすと、秋の一つ星と呼ばれる南の魚座の1等星フォーマルハウトが見つかります。その近くには明るく赤い色を放つ火星が輝いています。火星は8月末に5万年ぶりの大接近をしたばかりなので、望遠鏡を使えば表面の模様を観察することが出来ます。秋の四辺形の東側の辺を南へ辿ると鯨座の2等星デネブカイトスがあります。この星は鯨の尻尾に位置しています。北の空ではWの星の並びをしたカシオペア座も印象的です。東の空から上ってくる冬の星座双子座には大きく美しい輪で知られる土星も明るく輝いています。又、秋の星座が古代エチオピア王朝の物語に由来しているとの説明がありました。絶世の美女カシオペアから生まれた美しい王妃アンドロメダが、天に妬まれ鎖に繋がれてしまい、巨大くじらへの生け贄にされてしまいますが、ペガサスに乗った王子ペルセウスによって救出されたと言うことです。長年に亘って作られた星座物語は将にロマンを呼ぶものとなっているようです。今年は獅子座流星群が一昨年程話題になっていませんが11月18日頃極大になると言うことで、プラネタリウム内でもバーチャル流れ星を再現して呉れました。近年、全国でプラネタリウムが入場者の減少を理由に次々と閉館していますが、壮大な星座を見ることで、普段苦しむ世事はたわいも無いことだと納得出来る様な気もしますので残念なことです。次世代に夢を与える施設は無くしたくないものです。府中市のプラネタリウムも他の施設と同じ様に入場者数が少なく、このままでは補助金を続けても存続するか否か危険な状態にあると思われます。是非とも小さな市営の観点を拡大して他の市にも呼び掛けて助成金支援を募って存続を計り、東京各地の学校に呼びかけて理科実習講座として春夏秋冬利用して貰い、次世代の若者に夢とロマンを与える天文学を勉強して頂きたいものです。
2003.11.15
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10月も下旬となりますと、朝晩めっきり寒くなってまいりました。昨日でしたでしょうか、富士山の山頂は冠雪、中腹は紅葉とのテレビ紹介がありましたので富士山を見に行くことにしました。高原はすっかり秋の装いの様でしたし、特に午前中は好天にも恵まれ良い一日を過ごしました。富士山を見るには午前中が原則です。天気が良い時でも、午後になりますと雲が出て来て偉大な山容が隠れてしまうことが多いからです。それに何時も見に行く所は山梨県の河口湖、山中湖、忍野村で富士山の東側に位置していますので、朝日が東山麓を射している午前中の方が綺麗に見えるからです。自宅を午前9時に出発、郊外の国立・府中インターチェンジから中央高速道に入って、大月ジャンクションで河口湖線に乗り替えて富士吉田市から東富士自動車道に入って、適当なスペースのある路肩で富士山を見るのは午前10時半頃となります。最初の路肩で、見物した時は殆ど雲が無く雄大な富士山が迫って見えました。午前11時を過ぎましたら、雲が出てきてなかなか取れなくなりましたが、それも又変化のある富士の写真が撮れました。山中湖に着いて、湖畔で見る頃は山頂が雲に隠れて見えなくなってしまいました。富士山は単独にそびえ立つ高峰で、連山ではありませんので、気流が富士山にあたると乱れが酷くなり、雲が増えて来て取れなくなってしまう様です。朝から午前中にかけては、太陽が空気をそれ程暖めませんので湿った空気が少なく又それに伴う気流が少なく、富士山付近は天気が安定しているのだと自分勝手に思っています。それにしても、午前9時出発では現地到着が10時半を過ぎてしまいますので遅すぎた様です。忍野村に富士山を撮影する人は日の出を待って待機しているのですから、秀麗な富士を見るには午前9時頃迄には行っておく必要がありそうです。
2003.10.25
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ここ1週間東京地区は秋晴れの好天気に恵まれています。暑くもなく、寒くもありませんので散歩する等の外歩きには絶好の環境です。9月30日(火)午前10時に家を出て、車で郊外の高尾山に行ってみました。所要時間はほぼ30分で、近いのです。関東平野の西外れにある標高599mの低山で、山腹には薬王院という天狗を売り物とする寺院があります。隣の小仏城山は神奈川県ですから、西の外れに位置する低山です。多分昔は修験者の山だったのだと思われる滝修行の場所等もありますが、今では完全に東京都民の憩いの場所になっていて、薬王院までは登山1号路の他、日本一の急勾配を誇るケーブルカー、簡便なリフトも整備されていますし、そこから山頂までは舗装された通路で約20分登りますと、富士山を眺望出来る山頂です。周囲は高尾山国定公園に指定されていますので、樹木の伐採もなく美しい樹林が保たれています。従って、それ程の準備も無く、山の雰囲気を楽しむことが出来ます。9月30日は麓の薬王院下社拝殿の駐車場(駐車料金500円)に車を停め、尾根伝いの登山コースを選んで登って行きました。登山コースは薬王院参拝の1号路の他、滝のある沢登りコース、吊り橋コース等7つのコースが整備されていて、色々な登山が可能で、どのコースを選んでも2時間弱で山頂まで行くことが出来ます。約45分で中腹にある四阿屋に着きましたので休憩でした。この日は空気が澄んでいましたので、直下の八王子市だけで無く、約30km程離れた新宿新都心も良く見えました。そこから、木漏れ日のある尾根の林の中を登って約45分で山頂直下に着きました。山頂からは大勢の子供達の大きな歓声が聞こえましたので、小学校の遠足が行われていた様です。混んだ所はご免と、直下の林の中にあるベンチで昼食を取りました。数枚写真を撮りましたのでスライドショーでご覧下さい!登山途中では富士山もよく見えましたし、森林浴、快適な山登りを楽しめました一日でした。下りはせせらぎの流れる沢を下って行き、滑りやすいので注意深くゆっくりと歩きましたので麓まで1時間半程掛かってしまいました。秋深くなりますと、紅葉も綺麗な所なので、また違った登山ルートを辿って見たいと思います。
2003.10.02
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梅雨の晴れ間となりましたので、昨夜は蛍を見に行ってみました。水の汚れと農薬の垂れ流しで、姿を消した蛍を呼び戻そうと日本各地でボランティア運動が盛んの様です。その一つ神奈川県城山町にある“ホタルの里”は自宅から車で30分程で行くことが出来ます。午後6時に出発して、“ホタルの里”研究の家に6時半頃着きましたが未だ明るいこともあって、誰もいません。道路沿いの立て札には確かに“ホタルの里 見物の時は蝮に注意!”と書いてありますので間違いありません。近くの畑で未だ働いている人がいましたので、「ホタルは此処で見られますか?」と聞きますと、「此処小松川より、少し離れた穴川の方が良い」と言われましたので移動して暗くなるのを待ちました。午後7時半を過ぎて真っ暗となりましたが、ホタルは出てきません。時期が遅すぎたのかと落胆しつつ、午後8時だったでしょうか再度“ホタルの里”研究の家に行きました所、人と車が一杯でした。勤めを終えたボランティアの方々が家を開けて、訪問者応対をしていました。「ホタルが見られるのですか?」と尋ねますと、「直ぐそばの水田で見られます」と言いますので、暗闇の田のあぜ道を行きますと家族連れで混んでいましたが、確かにホタルが少し飛んでいたり、あぜ道の草で点滅する様子が確認出来ました。研究の家に戻って、絵葉書を買いながらボランティアの方々に「本当に久しぶりに蛍を見ました」と言いましたら、「少し山中に入り込んで小松川源流まで行きますと、人工の光も無く暗闇にホタルが乱舞している」と言うのです。絵葉書をスキャンして見ましたが、ホタルの写真は難しいと思います。人間の暗闇に慣れた眼に見える動的に点滅する景色とカメラの一瞬の静的捉え方には相当ズレがあるようです。実際に車で行ってみますと、人家も無い山中に入ったその場所では、灌木の中に乱舞と言うほどではありませんが、多数のホタルが点滅するのが見えて幻想的でした。しかし、点滅する光があまりに淡いので、デジカメを持参はしましたが、良い写真は撮れないと思い写真撮影はしませんでした。上記の絵葉書で様子を想像して見て下さい!でも、実際に見学すると感激は一塩です!どこか近くの蛍の里を調べて行ってみることをお勧めします。
2003.07.03
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天候が梅雨の天気になった様です。気象庁でも関東・東海地方が梅雨入りしたことを宣言しました。この季節になりますと、菖蒲やアジサイなど雨に映える花々が開花します。近頃、菖蒲園が各地に整備され、住民に限らず遠方からも花を愛でる人達が訪問する様になっている様です。東京郊外の町田市にある薬師が池公園も、その中の一つで規模は大きくありませんが、沢を利用した棚田形式に整備されていますし、今では見られ無くなってしまった水車小屋も再現され、日陰を確保できる吾妻屋なども設置されています。そのせいか何か昔を懐かしんで、日本の原風景の中で菖蒲やアジサイを観賞することが出来ます。 貼り付けた写真は楽天の画像倉庫に保存してあるもので、昨年の開花時期の進んだものです。今年は未だ三分咲き程度でしたが訪問客が結構多く訪れていました。写生会の団体も訪れて、水彩・油絵など思い思いに作品を創り上げていました。薬師が池公園は年中無休(年末年始は閉園しているかも知れませんが)で、入場料は無料、駐車場も数カ所整備されていながらこれも無料で、訪問しやすい公園です。
2003.06.11
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近年、川の上流域での渓谷を利用し、渓谷間にワイヤーを張って多数の鯉のぼりを見せる所が全国的にも増えて来ました。全国的にも三世代家族が少なくなり、鯉のぼりを挙げる大きな庭も見られにくくなりました。昔からの鯉のぼりもどこかの収蔵庫に仕舞われてしまい、登場する機会も無くなってしまっていたのです。そうした鯉のぼりを集めて町興しにする催しが盛んになって来たのです。渓谷ですと、川面には渓谷を抜ける風が常に吹いていていますので、吹き流しの風が必要な鯉のぼりには最適の場所のようです。津久井湖下流ですが、未だ上流域にある高田橋付近では毎年、多数の鯉のぼりを吹き流して、県内外からの訪問者を多く集めています。ゴールデンウィーク中は、相模川流域の各地の漁業組合も参加して、ビニールプールの釣り堀、魚のつかみ取り、塩焼き提供の催しをする地元の祭りとなっています。川の河川敷も広いので各種の出店も多く、祭り気分は一層盛り上がります。神奈川県を流れる相模川は相模湖、津久井湖として水道水供給の源となり、平塚市付近で相模湾に流れ出るのですが、流域の多くの場所では県民憩いの場所となっています。6月には、鮎解禁となり釣り人が腰まで浸かって鮎釣りに狂奔する姿が見られます。
2003.05.04
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阿蘇は雄大な火山を有する盆地なので、雨水が地中にしみ込んで長い年月を経て湧き出て来る水源も多いようです。阿蘇南麓の白水村にある白川水源、北麓の産山村にある池山水源はそれらの代表的なもので、両方とも日本名水百選に選ばれています。初日に泊まったペンションは白水村にありましたが、“水の生まれる里”と言われている程多数の水源がありました。白川水源は毎分60トンの湧出量がある名水百選に選ばれたものですが、その他七つの水源があります。村の中央に位置する白川水源には茶店・物産館も多く、すっかり観光地化していますし見物するには協力金100円を支払う必要があります。折角なので、名水を汲んで見ようと茶店で空のペットボトルを購入したのですが2リットルのものが180円もするのです。二人で行くと400円払って2リットルの名水が手にはいるのですが一寸高過ぎる名水と思いました。それでも、水源では湧水が砂を掻き分けて出てくる様子が良く分かります。全国一を誇る静岡県柿田川の湧水量の1/10程度ですが感動できる情景でした。北麓の池山水源はやまなみハイウェイを外れて森の中を下った静かな所にあります。湧出量は毎分30トンと少ないのですが、観光客もいないのでゆっくりと見学出来ます。此処では協力金の支払も要求されませんが、この方が本来の姿だと思われました。観光地化することは行きやすくなる反面、その地域での金銭感覚が発達するのみであまり良いことではありません。名水百選二個所を訪問して、そんな思いを持ちました。熊本県は名水百選を四個所もある、全国一水の綺麗な場所のようですが、その様な大切な場所は出来るだけ静かに訪れ、静かに保存管理されることが後生への我々の責務だと感じています。
2003.03.03
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阿蘇外輪山から阿蘇五岳を見る展望台は色々あるようですが北外輪山が火口盆地に突き出している大観峰が一番の展望台の様です。南外輪山では熊本から来る俵山峠、高千穂に行く高森峠も展望点はあります。しかしながら、広大な火口盆地にそびえ立つ阿蘇五岳を遮るもの無く堪能する展望台は北外輪山に散在している様です。やまなみハイウェイ中腹の城山展望所もそれらの一つですが、展望台の広さから大観峰には較べるべきもありません。かえって、やまなみハイウェイを北上して国道442号線を右折して10分程の所にあるスカイパークあざみ台と言う展望台が良いようです。既に九重連山の裾野に位置していますが、南に阿蘇五岳、北に久住山を見ることが出来ます。ここは大分県との県境にあり湯布院温泉も遠くありませんし、最近脚光をあびている黒川温泉は15分程で行くことが出来る絶好の場所にあるのです。大観峰もあざみ台も訪問した時は阿蘇五岳が雲の中でしたが、雄大な自然を満喫でしたと思います。この日の宿泊は、前日泊まったペンションのご主人に紹介された黒川温泉近くの南小国町にあるペンションとしました。温泉ではありませんが露天風呂もあり、食事も豪華で満足度100%と言っても差し支えありませんでした。
2003.03.02
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高千穂峡は宮崎県にあるのですが、阿蘇南麓からは外輪山を越えての隣という感じで、車で約1時間程で行くことが出来ます。 この素晴らしい景観も阿蘇が作り出したもので、数億年前に噴火を繰り返していた阿蘇山の溶岩を五ヶ瀬川が浸食して出来たV字形の深い渓谷です。約7kmある渓谷には遊歩道が整備されていますので、奇岩や柱状節理・断崖などをゆっくりと見学出来ます。暗い渓谷に流れ出る真名井の滝は規模は大きくないのですが、日本の滝百選に選ばれる程幻想的な雰囲気に漂っています。2003年2月25日に訪問したのですが、天候も良く冬とは思われれない暖かさでした。冬は水量が少なく流れは緩やかでしたが景観は十分楽しめました。高千穂は天孫光臨神話が息づく里ですので、天岩戸神社や高千穂神社が静かに佇んでいます。高千穂神社に行って見ましたが、それ程規模は大きくありませんが創業1900年と古く、又皇室との関係も深いようで、愛子さま生誕記念植樹も本殿脇に植えられていました。
2003.03.01
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阿蘇五岳は世界一大きな火口盆地にある火山で涅槃像に喩えられているようです。南麓から見て一番右側にある根子岳は大きな溶岩ドームで構成された山ですが、これが頭部に相当し、残り四山が肩からの身体に相当するようです。2月25日は快晴で良く見えましたが、翌26日は小雨模様の天気で山頂は濃霧で10メートル先も分からない最悪の状況で中岳のロープウェイも運行中止でした。2月27日は天候が回復して来たのですが、北風も強く寒い日となりました。昼頃から阿蘇五岳を覆っていた雲も取れて来ましたが初日の様な素晴らしい展望は望めませんでした。午後4時半の東京行きの飛行機からは初日の様な素晴らしい眺望が楽しめましたが時既に遅しとなってしまいました。三日間の阿蘇山の変化を見て下さい。やはり山の天気は変わり易いのでした。一日だけでも眺望が楽しめたので良しと致します。南麓の白水村にあるペンションをインターネットで探して予約して見ました。オーナーご夫妻による家族的な接待と美味しい食事を満喫出来ました。未だ観光シーズンには早い季節なので泊まり客が私達夫婦だけになって少し寂しくは感じましたが、お風呂も気ままに使えて良かった面もありました。
2003.02.28
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阿蘇山中は北風が強く寒いので、熊本市内の熊本城に行って見ました。1000メートルを超える高度差は、寒かった気分を厚くて困る気分に変えました。熊本城は西南の役の時、難攻不落の名城として名を轟かせましたが、惜しくも大部分が焼失してしまいました。焼失を免れた宇土櫓などは尚往時のままで、国の重要文化財に指定されています。天守閣は昭和35年(1960年)に再建されましたが、その後も種々の櫓の再建が続けられています。城の大きさと言い、風格と言い天下の名城と思えました。2003年2月27日に熊本城を訪問しました。加藤清正公が慶長年間(1601~1608年)に築きましたが、その子の代に徳川の忠臣(媚臣)本多氏に貶められ、僅か1万石に下げられて改易させられてしまい、その後は細川家の居城となった悲劇も思い起こされました。
2003.02.27
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