全3件 (3件中 1-3件目)
1
恐ろしい事態ですどれだけの被害になるのか怖くて仕方がありません私のブログを読んでくださっていた方の中にも被災者or被害者になった方がいました。被害がどんどん判明して行く度にやるせない思いで胸がいっぱいです。どうか一人でも多くの方が生還される事を願っています。そして避難者の方がご家族に会える事を願っています。NHKで見ました。被害は避難所にいる方だけではないようです。まだ救済の入らない取り残された村もあるようです。さらに、被災地近辺のいわき市にも取り残されて高熱を出して、餓死しそうな赤ちゃんを抱える母がいるそうです。いわき市は原発の風評被害で物流が止まり、さらに医者や警察も逃げてしまったと書かれていました。ガソリンもなく他の街に逃げる事もできずに取り残されてしまったようです。いわき市からは救いの手は出ないようです。近隣の自治体の方が救済の手をさしのべてあげて下さい。とにかく誰よりも先にベビーや小さな子供を救ってあげて欲しいです。尚、米軍が80km待避した事で動揺が出ているようですがきちんと放射線を計って国が数値を出しているのですから、国の避難指示でカバーできているはずで、少なくとも大人は慌てる必要はないと思います。私たち人間はいつも太陽から放射線を浴びて生活している事を忘れないで下さい。Break Time こんな時に書く気にもなれず、落ち込んでいました。とりあえず写真だけのせます。モロッコ、ウァルサザートアフリカ大陸の北西端に位置するモロッコさらにモロッコでも南に近いマラケシュよりもさらに南東にウァルサザートは位置しています。アトラス山脈のふもとにあたるカスバ街道最大の街・・写真はその周辺です。1928年に街が出来て以来サハラへの前進基地として外人部隊が駐屯したところで、今もモロッコ軍の駐屯地になっているそうです。名産品は化石です。癒しか逃避か? に、なる写真を探してみました。避難所で苦しんでい方々がいるのに・・と思うと更新すべきか悩みましたが、和める写真があれば時々更新することにしました。
2011年03月18日
コメント(0)
クイズ陶磁器工場 1-2 解答マイセン(Meissen)ドイツのザクセン州マイセンで生まれた硬質磁器(ポーセリン)がマイセンです。創業1710年に王立の工房として誕生した事は前回紹介しましたが、現代も造り続けられている300年の歴史を持つ老舗の陶磁器会社です。そこで生産され印の入った品がマイセン(Meissen)と呼称されるのです。もともと貴族の趣味やたしなみとしての磁器ですから、過去の作品は美術館入り。もしくはアンティークとしてコレクターに絶大な人気を誇っている陶磁器なのです。下の印を見れば答えは簡単だったと思います。二本の交差する剣の印はこの窯のトレードマークとなっています。この印のないものはマイセンとは呼ばないのです。(最も古い時代の、剣の印のないものも多少残っているようですが・・。)1723年に印は剣となり、その印は年代で微妙に異なっている事からこの窯の陶器の製作年代を推定する印としてアンティークの世界では重要視されています。ドイツで自生する草花を題材とする染付食器シリーズコーヒーポッドとミルクピッチャーとシュガーポットのセット 5つ花のブーケコーヒーカップとソーサーと受け皿の3点一組これらの裏には全て剣が焼き込まれて印されています。マイセンでは一見一色でも下絵も入れると最低3回は焼かれています。さらに色一色につき一回の窯焼きをすると言われているので、当然色数の多い品ほど窯に入れる回数が多くなるので、壊れる率も高く、値段も高額になってくるのです。花シリーズもメイン一輪だけの品から上の3つ花、そしてさらに5つ花のブーケとなると値段は同じコーヒーカップ一つに見ても万単位で異なってくるのです。3つ花3つ花ブーケオープンワークの飾り皿18世紀には完成されていたと言われるオープンワークは、鋭利なナイフを使って、焼成前の作品に職人が手作業で切り込みを入れて制作。熟練の職人の技がいる作品だそうです。ブルーオーキッド1977年~78年に発表された新しいシリーズ最近のティーカップのソーサー部分の絵付けをみてもらう為にのせました。こうしたものは色も少ないので案外安いのです。磁器の制作白い金と呼ばれた東洋の磁器。中世ヨーロッパでの磁器の開発はポーランド・リトアニア共和国の国王にしてザクセン公国の選帝侯であったアウグスト2世(1670年~1733年)によって始められます。1705年若い錬金術師ヨハン・フリードリッヒ・ベトガー(1682年~1719年)は王から命を受け、協力者としてヨーロッパで最も早く磁器の焼成に成功した人物として知られる学者でもあるエーレンフリート・ヴァルター・フォン・チルンハウス伯爵と共に磁器の焼成の研究をしたのだそうです。ザクセン近郊で産出されるカオリンを使って1350度から1400度と言う焼成温度を発見し磁器の製造に成功したのが1709年です。アルブレヒトブルク城ザクセン王アウグスト2世は、すぐに王立工房を設置するのですが、同時にこの製造の秘密を門外不出とする為に窯を守る事を決めます。工房自体を鉄壁の要塞の中に閉じ込めたのです。と同時に開発者ヨハン・フリードリッヒ・ベトガーも秘密をもらさない為に幽閉したと伝えられています。それが現在のドイツ東部、ザクセン州のマイセンの街の旧市街にある城なのです。エルベ川を見下ろす丘の上にある15世紀に建造された後期ゴシック様式のアルブレヒトブルク城。ちょうどアウグスト2世の居城がドレスデンに移った為にザクセンの城があいていた事もあったようです。この写真の城に1710年にマイセンの王立磁器製作所が最初に置かれ、以降150年ここに工房がありました。今この城に当時のものは何もないようですが、アウグスト2世が、ドレスデンに建てたツヴィンガー宮殿は、今までの王の磁器のコレクションを並べたコレクター宮殿として存在しています。日本の古伊万里や柿右衛門の名品もならぶ、マイセン磁器の象徴的な城と呼ばれているそうです。(ツヴィンガー宮殿の写真見つけたら次回のせるかも・・)因みに幽閉されていた錬金術師ヨハン・フリードリッヒ・ベトガーはこの城の中で1719年37歳の若さで亡くなっています。マイセンの工房で撮影した花瓶最初の染め付け絵付けは1717年に始まったそうです。プリント式の絵付けが主流になっている今時の陶磁器会社から考えると昔からの手書きをかたくなに守っているマイセンは今も職人の技の賜なのでしょう。だからこそ誕生から今も西洋陶磁器の頂点に君臨していると言えるのです。最後に・・マイセンは王侯貴族の陶磁器なので、調度品としての美術品のようなものが多かったはずです。しかし最近のマイセンは家庭のテーブルウェアとして多く造られているので身近に? ちょっとなってきたのかもしれません。リンク クイズここはどこの陶磁器工場? Part 1 クイズ陶磁器工場 1-2 解答
2011年03月07日
コメント(0)
Break Time(一休み)考えたらここの所建築が続いていました。つまり、スペイン、バルセロナと言う街の見所はやはり建築・・と言う事になるからなのでしょう。しかし、建築に興味のない方は少しあきているのでは?そこで緊急中休みにクイズを入れる事にしました。休暇の時によくやる「クイズここはどこ? シリーズ」の番外編です。名付けてクイズここはどこの陶磁器工場? Part 1ただ、古い写真で、カメラの性能も画素数もかなり劣る上に少しボケている写真もあるのでご了承下さい。17世紀にオランダ東インド会社からヨーロッパに大量にもたらされた白い陶磁器は、王侯貴族のあこがれであり、それを持つ事は一種のステータス・シンボルでした。「白い金」とまで称された、その磁器をどうやって作る事ができるのか?」その製法の謎を解き明かして磁器を造ろう・・と欧州各国では競争になったのです。製法の謎は磁器の原料であるカオリンにあります。謎を解き明かし、かつその原料がとれる場所に軍配があがったわけで、ここの陶磁器会社はまさに王の要請の元に、1710年に造られた王立の工房が前進です。そして歴史は300年。もはや東洋の陶磁器とは一線を画す西洋の美しい陶磁器としての道を切り開き、西洋陶器としてステータス・シンボルにまで高めた会社です。つまりこの会社はその先駆的な偉業を成し遂げ、西洋陶磁器の頂点に君臨する会社。ブランド中のブランド会社なのです。これだけで解る人は簡単に解りますね磁器の粘土をこねて成形している職人さん。パーツの組み立てをする女性パーツの型どりは、和菓子の型どりに似ています。絵付け師一見単色のおさらですが、実は下絵、下書き、色つけ・・と完成までに3回窯焼きされているのです。一色一窯?? と思っていましたが、この工房では下書き焼き付けがあったようです。陶磁器会社によって、絵付けの段階はには違いがあるようです。絵付け師担当のカ所が決まっているようです。まだ仕上げの窯に入っていない未完成磁器のコーヒー・セット一般的に使われる花柄のセット。尚、写真のここはデモストレーション用の場所で、本当の作業場ではありません。陶器の絵を見ればどこの会社か解ってしまうので、今回はこんなもので解答編リンク クイズ陶磁器工場 1-2 解答
2011年03月03日
コメント(0)
全3件 (3件中 1-3件目)
1