[Stockholm syndrome]...be no-w-here

2023.01.19
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Z世代がよく口にする言葉として知られる「タイパ」と「コスパ」。
これに関して2人の知識人、東浩紀と成田悠輔が期せずして同じ事を語っており、興味深かった。
山田五郎も似たような発言をしているので、一緒に動画を載せておく。

どれだけネットで情報や知識を集めた所で、人は賢くなれないし幸せにもなれない。
何故なら、情報や知識は既に世の中に在って誰でも手に入れられるものだが、本物の知恵とは本質を見抜き、未来を見通し、まだ世の中に無いものを考え出し、創り出す事にあるからだ。
それは、タイパやコスパだけを求めていては絶対に身に付けられない。
成田悠輔も別のYouTube番組で「本当に大切なのは、賢い人達が出した答えを知る事ではなく、その人達がどういう考え方でその答えを導き出したかというプロセスを学ぶ事だ」と話している。









せっかくなので、こちらの話題も。
少し前の話題だが、【週刊新潮 / 11月24日号】に掲載された古市憲寿のコラム『誰の味方でもありません』の挿し絵が面白かった。



あらゆるリスクを無くそうとする(=ゼロリスク)なら、究極的には生まれない事が一番のリスク回避となり、日本で「ゼロ子供政策」が掲げられるという、一見すると悪趣味にも感じられる内容だ。
しかし、仏教の視点から見れば「生まれない」という選択肢は、決して奇抜なものではない。

仏教に限らず、インド思想では古来より「輪廻転生」を基本概念において来た。
輪廻とは、生前の行為によって生命あるものが何度も転生し、人間だけでなく動物や昆虫といった生類として生まれ変わる事である。
そして、この限りなく生と死を繰り返す輪廻の生存を仏教では「苦」と見なし、二度と転生しない輪廻からの解放(=解脱)を最高の理想とした。
つまり「(二度と)生まれない事」を目指すのが仏教の本質なのである。

仏教では「生きる事は苦である」と説く。
「苦」とは「思い通りにならない」という意味である。
この世に生まれる事すら人間は自分の思い通りにはできず、だから仏教においては「生まれる事」すら苦と見なされる。
最近よく耳にする「親ガチャ」も、仏陀に言わせれば当たり前なのだ。
(カースト制度など親ガチャの比ではない)

この「苦」を「リスク」と読み替えれば、生きる事は正にリスクの塊と言えるだろう。
「タイパ」も「コスパ」も最悪だ(笑)。
その意味で、挿し絵にある「ゼロリスク社会の究極は生まれない事」というのは的を得ている。
東浩紀と成田悠輔の「タイパやコスパを良くしたいなら死ねば良い」という指摘も、仏教の視点から見れば決して間違いではない。
とは言え、生まれてしまったものは仕方が無いし、さしあたって死ぬ気が無いなら、このリスクと向き合って生きるしかない。

それを前提に、仏教では先ずこの「一切皆苦(人生は何一つ思い通りにならない)」という事実を知る事から、思考を始める。
(仏教では、この原因を「諸行無常」「諸法無我」という言葉で説明している)
そして「何故、この苦しみが生まれるのか?」「どうすれば、この苦しみから解放されるのか?」を説く。
それらを正しく理解した上で世の中を捉える事ができるようになれば、あらゆる現象に一喜一憂する事なく心が安定した状態(=「涅槃寂静」)になるのだ。





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Last updated  2023.01.23 22:39:13


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