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2023.09.18
2023.09.15
もう、考える事が多過ぎる!!(笑)o(*`皿´ )o =3アメリカ大統領選挙に、新たなパンデミック計画に、WHO(とWCH)に、ウクライナ戦争に、BRICSに、気候カルトにエトセトラ、エトセトラ…。そして何より、それらに関してまともな報道を全くしない日本メディアの惨状に。自分で情報を得ようにも、ネット上は玉石混交、賛否両論に溢れ、その中から真実を探し出し未来を予測するのは並大抵ではない。もう、頭がパンクしそうだ(笑)。そんな中で月組【フリューゲル】の2回目を鑑賞して、厳しい監視社会の中で試行錯誤しながら西側の情報を得ようとする東ドイツ国民の気持ちに、もの凄く共感できた。これだけ情報網が発達した民主主義国家の日本が、インターネットも無い時代の社会主義国家と同じ状況というのも奇妙な話だが、これも民主主義の難しさを物語っているだろう。英国の元首相ウィンストン・チャーチルは、こんな名言(迷言)を残している。≪実際、民主主義は最悪の政治形態だと言える。これまでに試みられたあらゆる政治形態を除いての話だが。≫この発言は、必ずしも民主主義が完璧ではない事を表しているが、米国に言われたからという理由だけで民主主義を始めた日本国民には、これが理解できていない。民主主義になれば、平和主義になれば、国家は勝手に正しい方向に進むと勘違いしている。だから、いつの間にか情報が検閲され遮断されていても、それに気付けない。正に箱庭のネズミ、東ドイツの国民と同じ状況である。そして、戦後80年近く米国の思想や価値観に影響(=洗脳)されて育った日本人の多くは、西側メディアから発信される偏った情報だけが正しいと思い込み、それ以上を考えようとしなくなった。それは、社会主義こそが正義だと信じて疑わないヘルムート(鳳月杏)の態度と同じである。以前、映画【ダンサー そして私たちは踊った】の感想で主演俳優のインタビュー記事を紹介したが、彼も「旧ソ連時代に育った上の世代は、ロシアに影響された考え方を持っている」「ソ連がジョージアの文化や人々を変えてしまったと僕は思う」と語っていた。民主主義がいかに民度や国民性に左右されるか、日本とジョージアの例を見ても明らかだろう。おっと、いかん。また社会派なブログになってしまった…(笑)。レヴュー【万華鏡百景色】は、簡単な物語の流れを知っているからか、前回より更に楽しめた。最初から最後まで鳳月杏の色気がダダ漏れていて良かった(笑)。蓮つかさにも見せ場がしっかり用意されており、有終の美を飾った。本当に退団しちゃうのかい…?(つд;)それにしても、明治と太平洋戦争の間に、あんなモダンガール(モガ)の時代があったのは、今でもちょっと信じられない。白黒写真でしか見た事がないから想像し難いが、実際はレヴューのように明るくカラフルな街並みだったのかも知れない。【フリューゲル】と共に耳馴染みの良い楽曲が多かったのも、公演全体を通して楽しめた要因だ。ありがとう!!さて、次回の宙組【PAGAD(パガド)】観劇は、10月17日(火)と31日(火)。これまでは、少しでも早く感想を書いた方が良いかと思い、幕開け直後のチケットを買うようにしていたのだが、近頃はあまり詳しい解説もしなくなり僕の需要も減っただろうと判断し(笑)、少し日数が経ってからの公演を選ぶ事にした。(下手に書くと人事に影響してしまうため、好き勝手に書き難くなったというのもある…)元々、僕は組子達が芝居に慣れて来た後半の方が好みなので、暫くこの観劇スタイルに戻したい。また必要に迫られるような事があれば、その時に考えよう。とりあえず今は、タッカー・カールソンによるプーチン大統領のインタビューが実現する事にもの凄く期待している。その時は、ぜひカラーフィルムを忘れずに(笑)。旧東ドイツ出身の歌手ニナ・ハーゲンの1974年のヒット曲【カラーフィルムを忘れたのね】。ドイツ元首相のアンゲラ・メルケルが、自身の退任式に青春時代の思い出の曲としてリクエストして話題になった。
2023.09.07
最近は随分と社会派(陰謀論?)になっている当ブログだが(笑)、久し振りに宝塚の話題を。礼真琴に関しては、詳しい状況が分からないため憶測で語る事は避けるが、ベストな体調で舞台に戻って来てくれる日を楽しみにしている。その上で、僕にできる事があるなら遠慮なく言って欲しい。僕はと言えば、月始めに体調を崩して以来ずっとエアコンの冷気と格闘を続けていたが(笑)、最近少しずつ暑さが和らいで来たせいか、だいぶ適応し易くなった。という事で、来週9月5日(火)の公演も観に行く事に。(最初から2回行くつもりではいたのだが、体調に不安があったので様子を見ていた)今回、半年振りに月組公演を観劇して一番感じたのは、何故だろうか「懐かしさ」だった。いつもと変わらぬ舞台なのに、月組の舞台を観ながら「宝塚に帰って来た」「宝塚を観た」という気持ちが不思議と湧いて来た。それは、前回の花組で感じた楽しさとはまた違う、懐かしさや愛おしさだった。やはり僕が月担だからなのか、月城かなとの人柄がそう感じさせるのか。柚香光や礼真琴のように圧倒的な眩(まばゆ)さこそ無いが、月城かなとの光だからこそ照らし出せる月組の理想形を今公演で見た気がする。本当に素晴らしいトップスターに成長した。心の底から君を誇りに思う。千海華蘭とゆいかれんが退団し、僕の中で月組に対する愛着が変わってしまうのではないかと心配していたが、全くの杞憂だった。やっぱり月組が大好きだ!!☆*:.。. o(≧∇≦)o .。.:*☆そう言えばインタビュー記事で知ったが、ゆいかれんは「俺のかれん」だと思っていた(?)ら、月組の男役陣から「俺達のゆい」と呼ばれていたらしい。やはり、彼女の愛らしさは皆に伝わってしまうのだな。俺もチヤホヤされたい…。(つд;)(お前の立ち位置どこやねん?)漫画『僕とロボコ』も面白いです。さて、齋藤吉正の作品と言えば、いつもエピソードを詰め込み過ぎて内容がごった煮になるイメージが強いが(失礼…笑)、今回の【フリューゲル -君がくれた翼-】は割とすっきりと纏まっており分かり易かった。多少、都合の良い展開が見受けられはするものの、宝塚の作品としては及第点だろう。何より、ヨナスとナディアの関係性と共鳴するように、東西ドイツの壁が崩壊するクライマックスは感動的だ。ヨナスと母エミリアとのエピソードも涙を誘う。(白雪さち花の熱演が素晴らしい)正体が明かされるかどうか注目していた2人は、どちらも触れられず仕舞いだった。分かる人には分かるといった演出だろうか。まあ、公演も始まったばかりだし、これ以上の言及は控えておこう。レヴュー【万華鏡百景色(ばんかきょうひゃくげしき)】は、過去から現在の東京を舞台に展開される、ちょっと不思議な感覚の作品。序盤は「どんな舞台になるのだろう…?」と半信半疑だったが、徐々に盛り上がり最終的にはかなり楽しめた。演出を担当した栗田優香は本作が大劇場デビューらしいが、新たな才能の登場を感じさせる魅力的な作品となっている。これからも注目しよう。蓮つかさの退団は残念でならないが、夢奈瑠音や英かおとら中堅が更に逞しくなり、礼華はるや彩海せら、彩音星凪ら若手も着実に存在感を増している。(もはや、若手と呼んでは失礼か…)個人的に注目している大楠てらは、花組の羽立光来のような頼もしさが備わって来た。これからも、その個性を伸ばして欲しい。そして、100期の出世頭である風間柚乃は、芝居では完全に場の空気を支配し、3番手以上の活躍を見せた。コメディをやらせたら、ほぼ無双と言って良い。これでショーマンとしての才能が開花すれば、鬼に金棒だろう。そう言えば、レヴュー第6章『S18 STAY TUNE』で、「あれ、ARIがいる?」と思ったら七城雅だった(笑)。似ているとは聞いていたが、実際に舞台で見ると確かに似ている。これからどんな風に成長、変化して行くのか見守りたい。本公演で新公初主演を射止めた瑠皇りあも、『カフェブレイク』でどんな話を聞かせてくれるか楽しみにしている。ありがとう!!
2023.08.30
風邪を引いてしまった…(現在は、ほぼ完治した)。気を付けてはいるのだが、エアコンの冷気に弱い体質のため、何だかんだ毎夏一回は引いている。とりあえず鼻水は止まったものの、寒気はなかなか治まらず、劇場内は凍えるようだった(笑)。(後ろの年配グループは「天国やな~」と言っていたので、皆にとっては快適な涼しさなのだろう)そんな体調での観劇だったので、あまり集中できなかったが、今回も【鴛鴦歌合戦】は笑えて、【GRAND MIRAGE!】は美しかった。【鴛鴦歌合戦】は、先日映画を観たせいか、物語の世界観をより素直に楽しめた。時代劇とジャズの融合は斬新だし、戦前の映画ながら女性がはっきり意見を言う姿も新鮮。普段は原作を観ず(読まず)に臨む僕だが、本作は映画を観てからの方が楽しめるように思う。白黒だった風景がパッと鮮やかに色付き、戦前の作品が令和に甦ったような錯覚を味わえる。(幕開けのチョンパも、その効果を狙ったのかも知れない)また、映画を観てからの方が、小柳奈穂子のアレンジ力を実感できるだろう。最後の「金持ちは嫌いだ」という台詞は、映画と宝塚版では少し意味合いが違う。映画でのお春は「大金持ちになって、おとみさんに負けない大きな別荘を建てられる」と完全に浮かれている。その姿に、人間の浅ましさを見た礼三郎は「成り上がりの金持ちは特に嫌いだ!」と吐き捨てる。それに対して、宝塚版ではお春のこの台詞はカットされ、単に「夜逃げしなくて済む」という流れになっている。これは僕の憶測だが、監督のマキノ正博は「戦争成金」に対する批判を礼三郎のこの台詞に込めたのではないかと思う。第一次世界大戦(1914~1918年)では、様々な投機や株式ブームによって景気が高騰し、日本全国に成功して大金を手にする企業家達が現れた。庶民は、こうした人々を羨望と非難を交えて「成金」と呼んだ。成金の代表的な風刺画(1928年)吾郎さんに貰った【昭和タイムズ】を調べてみると、ちょうど映画が公開された1939年(昭和14年)の記事に「日中戦争による軍需景気の恩恵に預かった成金達が登場し、彼らの金に糸目を付けない派手な暮らしぶりに、庶民は冷ややかな目を向けていた」とあった。マキノ監督は、そうした庶民の気持ちを礼三郎(片岡千恵蔵)に代弁させたのではないだろうか。「金持ちがそんなに偉いのか?」と。(映画での礼三郎は本気で怒っている)現代人の感覚では、この台詞の本意は正しく理解されないだろう。それも踏まえて、小柳奈穂子は台詞のニュアンスを変えたのではないかと思う。また、劇中に米国発のジャズを取り入れたり、歌詞に「ヒステリー」といった英語が普通に使われている事から、この当時はまだ「鬼畜米英」の雰囲気は無かった事が窺える。それと、おとみの「誕生日」という言葉を聞いて、「日本で誕生日会を開くようになったのって、いつ頃からなのかな?」と、どうでも良い疑問が湧いた。『歴史探偵』に依頼したら、調べてくれるだろうか…(笑)。(北条時行の回は非常に楽しませてもらった、ありがとう!!)レビュー【GRAND MIRAGE!】で特に好きな場面は、『第2章 遥かなるMIRAGE』『第5章 夜の町の幻影』『第7章 ボレロ・ルージュ』。体調が良ければ、もっと前のめりで満喫できたのだが…。予定が合えばもう一度観に行きたい、素敵な舞台だった。ありがとう!!次回の観劇は、月組【フリューゲル -君がくれた翼-】。配役が発表された時から「もしかして…」と思っていた人物が、相関図を見て「やはり!」だったので、最後にどうやって正体が明かされるのか(明かされないのか)、個人的に楽しみにしている。(東ドイツの物語に彼らは外せないと、齋藤吉正も判断したのだろう)観劇は8月29日(火)の予定だ。今度は体調を万全にして臨みたいが、浮世どころか、とかく我身もままならないもので…(笑)。
2023.08.03
気が付けば、昨日は花組【鴛鴦歌合戦】の観劇日。てっきり25日(火)だと思い込んでいたので、10日(月)に通知メールが届いた時は少々焦った(笑)。(いつも前日に通知メールが届くように設定している)暫く宝塚から離れていたので、勘が鈍ったのかも知れない。しかも、来年の公演ラインナップが前日にまとめて発表されて、頭の整理も追い付かない(笑)。まあ、こちらはその都度に書いて行こうと思う。(チケットが手に入るかも、まだ分からない)そう言えば、3月に自身の喫茶店を閉めた吾郎さんは今、新店舗を探しつつ知人の八百屋の手伝いをしているのだが、先日配達で宝塚大劇場の近所まで行ったらしい。「あんな駅前にあるんか!?」と驚いていた。いつも配達しているのか、たまたまなのかは訊かなかったが、まさか吾郎さんと宝塚が繋がるとは思わず、僕も驚いた。もしかして、僕が行かないと他の人が呼ばれるのだろうか…(笑)。それと、老婆心ながらこちらの話題も。早霧せいなに関しては、何かのインタビュー記事を読んだ時に「こんな気持ちのまま芸能活動なんて続けて行けるのだろうか…?」と嫌な予感がしたので、突然の引退発表には驚きよりも「あぁ、やっぱりか…」という印象が強かった。残念ではあるが、自分自身と向き合うために必要な決断だったのだと思う。立ち止まる事で初めて見えて来る景色もある。答えを焦らず、自分を決め付けず、他人の声に惑わされず、ゆっくり自分の心と語り合うと良い。あなたには、いつだって帰れる場所があるのだ。って、全然違ったら恥ずかしいから、やっぱり忘れてくれ!!(笑)という事で…帰って来たぜ、宝塚大劇場!!演目は「鴛鴦(おしどり)」だけど、俺はいつも「御一人(おひとり)」です!!寂しい…… (つд;)(嘘つけ…笑)【鴛鴦歌合戦】は、序盤こそ「ぬるま湯芝居なのかな?」と思ったが、登場人物達の恋模様がはっきりして来るに連れてどんどんテンポが良くなり、いつしか物語の世界に引き込まれていた。クライマックスの大立ち回りから多幸感に包まれる天晴れのラストは、何度も観たくなる。単純ながら、よく練られたハッピーな作品だ。組子達も楽しそうに演じており、こちらも観ていて自然に笑いがこみ上げて来た。世間とは一歩離れて生きている印象の主人公に対し、いかにも俗っぽく、恋に骨董に一生懸命な他の登場人物達が個性的で面白い。水美舞斗が専科へ異動した寂しさも感じる一方で、新たなスター候補が現れるなど、宝塚が立ち止まる事なく前に進んでいるのを感じた。柚香光と星風まどかの掛け合いは、正に鴛鴦夫婦のように阿吽の呼吸を見せている。続くレビュー【GRAND MIRAGE!】も、ノスタルジックな雰囲気を感じさせる、個人的にかなり好みの内容だった。どの場面にもアレンジやメリハリが効いており、オーソドックスながら飽きずに観ていられる。この辺りのセンスは、さすが練達したベテラン演出家ならではだろう。「派手」と「華やかさ」の違いが実感できるレビューだ。ありがとう!!という事で、次回の観劇は8月1日(火)。それまでは、また世界情勢に目を向けて行こうと思う。何かあれば、「お爺ちゃーーーん」と呼び掛けて下さい(笑)。
2023.07.12
先週は、「不当解雇」と「提訴」という思わぬ条件が同じタイミングで揃い、原田諒とタッカー・カールソンを引き合いにして、メディアによる「印象操作」について語る事になった。(その直後に、印象操作のお手本のような偏向報道がNHKの番組であったのは、偶然か必然か…)正直、あの解説で宝塚ファンのどれ位が理解できたかは怪しい所だが(失礼…笑)、宝塚ファンに限らず、このブログを読んでいる一人でも多くが考える切っ掛けになってくれたら嬉しい。とりあえず、「国民は常に騙される側にいる」という事実を忘れずにいる事だ。福沢諭吉の言葉にもある。『信の世界に偽詐(ぎさ)多く、疑の世界に真理多し』世間の噂や他人の意見、マスコミ報道を無批判に受け入れるだけでは、思考停止に陥ってしまう。先ずは疑い、自分で調べ、比較し、考える力を身に付ける事だ。それ無くして、自由独立の精神や思想は培われない。(この流れを阻止したい勢力が、今盛んに推し進めているのが「対話型AI」の開発・普及だが、これについてはまた別の機会に話そう)さて、僕は今回の騒動に関して「これはハラスメントの問題ではなく、信頼関係の問題だ」と指摘したが、2回目の鑑賞で雪組公演【Lilacの夢路】でも信頼について語られている事に気付いた。「信頼なくして友情なし、誠実なくして信頼なし」宝塚歌劇団の代表として、木場理事長にも長兄ハインドリヒのような誠実な対応を望みたい。僕は、文春の記事を疑ったのと同様に、原田の手記も鵜呑みにはしていない。ただ、「真実を唯一の友とせよ」という自分の信条に従って発言しているまでだ。その上で、両者がどのような結論に至るかを見届けたい。という事で、キャスト別の感想を書くつもりだったのだが、この3週間で現実世界に色々あったせいか、ジェンヌ達が今こうして無事に舞台に立てている事に感極まってしまい、何も考えられなくなってしまった(笑)。最初は、ただARIを大好きで、ARIを応援していれば幸せだった。しかし、ARIを守るためには宝塚歌劇団を守らなければならない事、そして劇団を守るためには日本の未来を守らなければならない事にやがて気付き、タカラジェンヌ達を好きになれば好きになるほど宝塚から離れて行くというジレンマを抱えるように…(笑)。そして、2020年に始まったコロナ禍がその流れを決定的にした。正直、ここまで愚かな国の未来がどうなろうと知った事ではないのだが、それではジェンヌ達を見捨てる事になってしまう。コロナ禍以降、このブログを通して宝塚以外の人達とも繋がり共闘するようになり、僕はまだ暫くこの戦いを止める訳にはいかないようだ。(人助けは柄じゃないが、根がPUNK(パンク)なせいか、権力に対して中指を立てるのは得意だ…笑)という訳で、今後も「世界と未来を見通す」事が僕の主な役割りになるだろう。(運命は、なかなか僕を手放してくれない…笑)そして、時々、この絶望的な現実世界に疲れた頭と心を癒すため、宝塚を訪れよう。その時は、皆のありったけの笑顔と希望を分けて欲しい。そんな事を、16日の雪組公演を観ながら感じていた。今公演では、109期生達の夢と希望に煌めく笑顔も見られた。これからも、少し遠くからにはなるが、ジェンヌ達の未来と笑顔を守って行こうと思う。皆んな、愛してんで!!漫画【ONE PIECE】で一番好きな台詞。僕もこの言葉を胸に刻んで生きよう。
2023.05.19
先日、宝塚歌劇団が5月8日以降の運営方針を公式発表した。思ったより早い発表に少し驚いた。まあ、政府が4月末の時点で「5類への移行」と「対策本部の解散」を正式決定したのは、彼らがもはやコロナ云々に興味が無く「後は国民で勝手にやってくれ」という意思表示なので、劇団も判断し易くなったのかも知れない。(これ以上、国民の不安を煽ってもワクチン接種率が上がらない事が分かり、政府としてはコロナ対策を続ける理由が無くなったためだ)マスコミは、日本でコロナ禍が3年も続いたのは「想定外の出来事が連鎖したため」と解説しているらしいが、この程度のパンデミックが想定外なのだとしたら、僕にとって一番の想定外は「日本の政治家、専門家、マスコミの頭の悪さ」と言わざるを得ない。世界中で誰よりもマスクを付け、ワクチンを接種した日本が、「何故どの国よりもコロナの終息が遅れたのか?」そして「誰にどんな責任があるのか?」をこそ徹底的に検証すべきだろう。(パンデミックそのものより、日本人の頭の悪さを検証した方が早い気もするが…笑)そうでなければ、この国は再び同じ過ちを繰り返す事になる。岸田政権は、防衛費を増額し敵基地攻撃能力の保有を謳っているが、こんな馬鹿揃いの国家が戦争などして勝てる見込みがあるのかと首を傾げてしまう。それこそ、コロナ禍とは比較にならないパニックが国中で起きるだろう。その時に「想定外の出来事が連鎖したため」と言っても遅いのだ。まあ、良いや。ゴールデンウィーク中だが意外と余裕があり、雪組【Lilacの夢路】の感想が書き上がった。今回、雪組公演【Lilacの夢路】の舞台は、19世紀初頭のドイツ。プロイセン王国の貴族ドロイゼン家の長兄ハインドリヒ(彩風咲奈)が、ドイツ連邦の発展と統一を夢見て新たな産業である鉄道事業に懸ける物語だ。何でも今年は、宝塚歌劇の生みの親である小林一三の生誕150周年だそうで、それでこの演目になったのだろうか。で、ふと思った。「150周年という事は、僕が今年50歳だから、小林一三のちょうど100年後に生まれたのか?」そうか、だから僕はこんなにタカラジェンヌ達から愛されるのか!?(世間ではそれを妄想と呼ぶ…笑)ならば、若輩ながら、僕も小林一三の精神を受け継いで行かねばなるまい。ジェンヌ達よ、鯖になれ!!>
2023.05.05
月曜日の僕の駄目押しが効いたのか、日本政府が新型コロナウィルスを5月8日(月)に5類へ引き下げる旨を正式決定した。「だったら、いっそ4月30日(日)に前倒ししろよ」とも思うが、そういう機転や融通が利く人達ではないのだろう(笑)。とは言え、これで全てが終わった訳ではない。僕達にはこのコロナ禍をきちんと検証し、次世代へ正しく伝えるという仕事がまだ残っている。そうでなければ、日本人はまた同じ間違いを犯す事になるだろう。さて、この政府決定によって宝塚歌劇団の対応が今後どうなるかは不明だが、僕のタカラジェンヌ達への貢献が評価してもらえたのか、星組公演【1789 -バスティーユの恋人たち-】のチケットが6月6日(火)の1回分だけだが当選した。自由と権利を求めて立ち上がるシトワイヤン達の戦いを、しっかりと見届けたい。では、遅くなったが雪組【Lilacの夢路 / ジュエル・ド・パリ!!】の感想を。先週の暖かさが嘘のように今週は肌寒く、25日(火)は小雨も降っていたので着る服に迷った。僕は首筋が冷えると直ぐに風邪を引く体質なので、季節外れとは思いつつタートルネックを箪笥から引っ張り出して着る事に。僕はいつも彩風咲奈の雪組を「チーム」と表現して来たが、今公演も彩風・朝美絢・和希そらを軸に、縣千・一禾あお・咲城けい・華世京の若手が並び、その周りをベテランと中堅が固めるという編成になっている。芝居でもレビューでもその布陣は変わらず、各スターのキャラクターと役割がはっきりしているため、非常に分かり易い舞台に感じた。特に、芝居【Lilacの夢路】はこの編成を上手く利用しているおかげで、情報量が多くても全体としてすっきりと纏まっている。この辺りは、タカラジェンヌの魅せ方が得意な謝珠栄ならではの采配だろう。他方、【Lilacの夢路】では固定観念に囚われない自由な演出が、レビュー【ジュエル・ド・パリ!!】ではこれぞ宝塚という王道の演出がそれぞれ試みられており、印象が真逆の取り合わせは観ていて面白かった。組子達に目を向けると、初舞台の緊張感も初々しい109期生と、前作【蒼穹の昴】で一回り成長して貫禄が増した雪組スター達と、こちらも真逆の印象が一度に楽しめる。派手さは無いが、内容も濃く、雪組の魅力を上手く引き出した公演だと思う。組としては安定期に入り、目立った組替えも無い中で、新トップ娘役の夢白あやが新風を吹き込んでいた。真面目で慎ましい印象だった朝月希和と比べると、これからまだ枝葉を伸ばしそうな若く溌剌とした印象を受ける。少し緊張している感じもあったが、彩風と一緒に新たな雪組の魅力を作り出して欲しい。という事で、今回はここまで。ゴールデンウィークが控えているので、ちゃんとした感想は5月16日(火)の観劇後に改めて更新したいと思う。ありがとう!!
2023.04.28
瀬央ゆりあの専科への異動が発表された。僕は、瀬央とARIを巡る「番手ぼかし」は、単に「花組の人事と歩調を合わせるため」と考えて静観していたのだが、まさか組替えまで花組と重ねて来るとは思わず少々驚いた。とは言え、そうでなければ瀬央に残された選択肢は「退団」だけになってしまうので、今回の人事には正直ホッと胸を撫で下ろしている。水美舞斗の組替えが発表された時点で、瀬央にも何かしら動きがあるだろう事は予測していた。この記事もそれを見越して数ヶ月前から下書きしてあったもので、だから遅筆な僕がこれだけ早く投稿できている訳だ(笑)。(退団発表なら迷ったが、個人的には吉報だったので更新する事にした)ここで少し謎解きをしてみよう。昨年5月にARIが主演した月組【ブエノスアイレスの風】の副題と、同じ時期に大劇場で上演された星組【めぐり会いは再び next generation】で極美慎が演じた役名を思い出して欲しい。[光と影の狭間を吹き抜けてゆく…][ロナン・ヴェリタス・オンブル]光(ルーチェ)が礼真琴なら、影(オンブル)は極美慎だ。そして、2人の狭間を暁千星が吹き抜けてゆくのだから、3人の並びはこうなる。礼真琴 → 暁千星 → 極美慎もう、お分かりだろう。世間では、せおっちとARIを並べて「番手ぼかし」と騒いでいたが、番手ぼかしどころではない。1年前の時点で、劇団は既にまこっつあんの後任候補がARIである事だけでなく、それに続くトップスター候補が極美である事まではっきりと示唆していたのだ。(役名が人事を読み解くための鍵になっている事を見抜けたファンは、何人いただろうか?)また「狭間」という表現から、ARIの任期は意外と短いのではないかと僕は予想している。劇団が送ったこのメッセージに気付けていれば、その後の極美の躍進(バウ初主演・4番手昇格)は何の不思議も無くなる。寧ろ、シナリオ通りと言えるだろう。だから僕も前回【ディミトリ】の感想で、ARIの新たなコンビ相手として瀬央でも天華えまでもなく、極美の名前を挙げたのだ。だからと言って、これで極美慎の将来が安泰という意味ではない。実際、「トップ確約」と言われるスポンサーと契約しながら、ファンが足を引っ張る言動をしたせいで、既に2回も出世のチャンスを駄目にしているジェンヌもいる。(本人は悪くないだけに、あまりの運の無さに見ていて気の毒になる)なので、聖乃あすかの時と同様に、極美とそのファンにもアドバイスしておこう。「謙虚さを忘れずに」聖乃は賢い子なので、この言葉の意味を正しく理解し実践している。極美のファンもそうであってくれる事を願う。他のジェンヌを貶(けな)した所で、自分の贔屓が報われる事は絶対に無いのだ。(自分の気持ちを満たしたいがために、ファンがジェンヌを利用したり巻き込んではいけない)さて、こうして明確化された星組のトップ人事は、同時に「(少なくとも星組で) 瀬央ゆりあと天華えまがトップスターになる事はない」という事実も示唆していた。これは、同じ立ち位置にいた水美舞斗が専科へ異動になった事で決定的となる。せおっちの事も大好きな僕としては、いっそARIと2人で「ダブル・トップスター」でも構わなかったのだが、何も知らない他のファンが聞いたら激怒するに違いないと思い、番手については何も触れない事に決めた。全ては劇団が判断する事だ。僕はそれを受け入れよう。それに、瀬央にしろARIにしろ、彼らが番手を気にしていない事を僕は知っていた。2人は、それよりもっと大切な事のために一致団結していたし、その目的の前では番手などほとんど何の意味も持たない事を僕は知っていた。(どうも勘違いしている人が多いが、いつも勝手に「番手」に振り回されて大騒ぎして疲れているのはファンだけで、ジェンヌ達ではない…笑)仮に、ARIが2番手になったとしても、礼真琴の最高かつ永遠のバディが瀬央ゆりあである事に変わりはない。だから、僕はただ礼真琴×瀬央ゆりあコンビを称え、暁千星×極美慎コンビに未来の夢を託せば良かったのだ。今回、組替えによってコンビは解体されてしまうが、それでせおっちの夢が終わる訳ではない。水美と共に専科になるという事は、2人でダブル主演する公演も可能になるし、どちらか主演で全国ツアーもできる。(凪七瑠海を主演に行われた星組の全国ツアーは、その前例を作るためだったと考えている)だから、今回の組替えは決して悲しむべき事ではないのだ。せおっちには、残された星組での日々を存分に楽しんで欲しい。個人的に悲しいのは、この人事発表によって次回の【1789 -バスティーユの恋人たち-】が更にチケット難になるだろうという事。もう既に、諦めモードになりつつある…(笑)。
2023.04.19
後れ馳せながら、月組ショー【Deep Sea -海神たちのカルナバル-】の感想。朝日新聞の論評にもあったが、僕の第一印象も「こんなに熱い月組を観た事ない!」だった。それくらい幕開けからラストまで熱く、礼華はると彩海せらを中心に若手が踊る場面では酸欠になるのではないかと感じた程だ。宝塚では時々「合宿」のような激しい演出をするショーを見かけるが、今回は暁千星が抜けた穴を埋めるべく組全体を底上げしようとしているのかも知れない。(その分、体力的には厳しくなるので、組子達は怪我などに気を付けて欲しい)その甲斐あってか、非常に盛り上がるショーになっており、個人的には既に今年のベスト最有力候補に挙がっている。鳳月杏の見目麗しい女性姿を拝めるだけで、それはベストになり得るのだ!!(笑)風間柚乃も、歌にダンスに若手筆頭の貫禄を示している。そして、誰より彼より我らがトップスター、月城かなとが発する沸騰しそうな位に熱いオーラだ。幕開けのライトが点いた瞬間、まるで海底火山からマグマが噴き出すかのような熱波が彼女から放たれるのを、僕は見た。(誰が何と言おうと、見たんだ…笑)その波動が2階席まで届いたのだから、1階席にいたら一体どれ程の衝撃を受けていただろう。どちらかと言えば、控え目で芝居の人という印象の月城にショーマンのイメージは無かったが、今回は情熱のグルーヴで組子達を牽引している。それでいて彼女が本来持っているクラシカルな雰囲気も漂わせ、これぞ宝塚のラテンショーという舞台を見せてくれた。素晴らしいよ、れいこ!!☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆ありがとう!!そう言えば、今公演はエトワールが役替わりになっているが、もし劇団の意図が僕の考えと同じなら、それで良いと思う。違ったら、知らんけど…(笑)。
2023.03.06
今回の月組【応天の門】は、国家の中枢で蠢く権謀術数に若き菅原道真(月城かなと)が挑む物語で、生涯の敵となるであろう藤原基経(風間柚乃)や仲間達と出会うまでを描いている。程よくコメディ要素もあり、道真達の謎解きをエンターテインメント感覚で楽しめた。漢詩や和歌を織り混ぜ、衣装や小道具以外でも平安時代の雰囲気を感じさせてくれたのは好印象。衣装と言えば、道真や清和帝(千海華蘭)の服装が中華っぽいなと思っていたら、公演プログラムの解説文によると平安初期はまだ唐からの影響が色濃かったらしい。(いわゆる国風文化が花開くのは、遣唐使の廃止以後である)物語の主人公である道真は、貴族達が権力争いを繰り広げている日本の政治に失望しており、自身は唐へ渡って立身出世する事を夢見ている青年だ。そのため、何より勉学が優先で、人付き合いが悪い。そんな彼に、昭姫が「大切なのは何処で生きるかではなく、共に生きる人の心と向き合う事だ」と諭す場面が、本作の隠れた主題のように感じた。原作漫画で印象的だった道真の眼差しを、月城かなとは見事に再現していた。無愛想ながら可愛げもあり、若き天才の人間的な魅力を余すところ無く演じて見せてくれている。そんな道真の子供っぽさも面白がって受け止めてくれる昭姫役の海乃美月と、相棒となる在原業平役の鳳月杏も、さすがの演技力で魅せている。鳳月は得意の2.5枚目役で、道真達の前で見せるコミカルな面だけでなく、高子(天紫珠李)との悲恋やそれが原因で味わう肩身の狭さなど、男の複雑な胸の内を巧みに演じ分けていた。天紫も美しく、大人の恋をしっかり表現していた。敵対する藤原基経は悪役ではあるが、吉祥丸とのエピソードを見る限り生来の悪人ではなく、吉祥丸が自分の前から消え、藤原良房(光月るう)が養父となった事で、彼は権謀術数に生きる事が己の運命(宿命)と受け止め、悪事に手を染めるようになったと感じた。あの時、吉祥丸との交流が続き道真と出会っていたら、彼の人生は違っていたかも知れない。(公演プログラムによると、『第9場B 回想』で吉祥丸が基経に聞かせた漢詩は「しがらみの無い大自然の中で暮らす喜び」を詠ったものだとか)しかし、そうはならなかった事が、基経に人としての情を捨てさせたのだろう。例えば、こんな話がある。何年前だったかは忘れたが、僕の喫茶店の並びに『Lido(リド)』というスタジオがあった。そこでは度々、OSK歌劇団の生徒達が舞台稽古をしており、僕は彼らが店の前を通る姿をよく目撃したものだ。僕はタカラジェンヌの入出待ちをした事は無いが、OSKのジェンヌ達は自動的に待ちをしていた事になる(笑)。しかし、僅か数十メートルの距離にも拘わらず、僕とOSKとの間に縁は生まれなかった。そして、一度も誰とも会った事が無い宝塚歌劇団とは、今も不思議な縁と絆で結ばれている。運命とはそういうものである。僕も「運命が宝塚を選んだ」と受け止めているので、これからも自分の意思でOSKを観る事はないだろう。(まあ、そこまでの金銭的余裕も無いし…笑)運命とはそういうものである。基経も同じように、運命が自分から吉祥丸を引き離し、養父・良房と引き会わせたと考えているのではないだろうか。その時から、彼にとっての人間関係は「都合の良い者は利用し、邪魔な者は切り捨てる」という二択になったような気がする。そんな基経の冷酷さと、道真という好敵手と巡り会った時の高揚感(それも彼にとっては運命の導きなのだ)を、風間は見事に表現していた。しかし、本作で最も印象的なのは、何と言っても『第11場 神泉苑(魂鎮めの祭)』で舞い踊る迦楼羅(大師)役の結愛かれんだろう。まるで天女の如き彼女の美しさに魂を奪われ、舞台に極楽浄土を見た。もう、この場面のためだけにDVDを買っても良いくらいだ。100万回観よう。100万回ありがとう!!。・(つд`。)・。(だから、泣くなって…)
2023.02.25
原作漫画の事は【週刊新潮】の広告で見て知ってはいたが、読んだ事はない(失礼…)。漫画だし買って読んでみても良かったのだが、原作と舞台を比較するのも嫌だったので、とりあえず観劇してからにしようと決めた。実際に観てみると物語はまだまだこれからという印象で、今後の展開が気になった。ちょうど喫茶店に置く新しいコミックを探していた所だったので、検討してみようと思う。今回、月城、鳳月、風間に続いて存在感を見せていたのは、101期の礼華はるだった。バウ初主演を決めた自信もあってか、鳳月と並んでも見劣りする事なく、着実にスターオーラを身に付けて来ている。化粧映えする顔立ちで、個性は既に出来つつあるので、後はどれだけ自分の役を深めて行けるかだろう。勿論、今はまだ演技の幅を広げる努力が必要だが、将来的には真風涼帆のように少ない降り幅の中でピタリと役のイメージに合わせられる役者を目指した方が、自身の魅力を活かせるのではないかと思う。一方、彩海せらは今回も若年層の役柄で、もっと大人の役をやらせて欲しいと思っている僕としては少し物足りなかった。コンビを組んだ彩みちる(白梅役)も賑やかしキャラだったので、そういう役どころなのだろう。とは言え、彩海が将来有望な若手である事に変わりはない。前回の『カフェブレイク』に出演した際、話す表情が望海風斗に見えたり明日海りおに見えたり、新人公演の舞台映像では月城かなとに見えたりと、彼女の中に何人もの先輩がインプットされている印象を受けた。以前にも書いたが、役作りで自分の中に答えが見付からない時は、憧れのOGや上級生の芝居を真似るのは決して間違いではない。(今回この話題に触れるつもりだったので、【週刊少年ジャンプ】での落語対談は渡りに船だった)彩海は新公の頃から本役に寄せるのが上手い印象だったが、これから更に色々な先輩達の芝居を吸収して、彼女が研10になった時どんな男役に成長しているか想像が付かない面白さがある。次回のバウ公演では礼華はるが単独主演を務めるが、その後は間違いなく彩海せらが主演に選ばれるだろう。身長も演技スタイルも違う2人だけに、今は色々と競演させてみるのも面白いかも知れない。互いに刺激し合い、協力し合えれば、月組に良い相乗効果をもたらしてくれるはずだ。その上で、(劇団と僕の目論見が同じなら…)彩海も和希そらのように何処かのタイミングでイメチェンさせあげて欲しい。(また、あの時みたいに腹を割って話そうか…笑)そう言えば、昭姫(海乃美月)の用心棒がやけに怖くて「誰だ?」と思ったら、大楠てらだった。そうだ、月組には大楠てらがいるじゃないか。道真の心優しき兄・吉祥丸を演じる瑠皇りあも、限られた場面ながら自らの役割をきっちり果たしていた。恐らく、吉祥丸とは藤原基経(風間柚乃)が捨てた「良心」を象徴するキャラクターなのだと思う。そして、その彼の先に道真がいるという構図は、道真と基経が単に敵対するだけの関係性ではない事を示唆しており、物語に奥行きが出て良かった。それだけに、ラストでもっとしっかり道真と基経が対峙する演出が欲しかった所だ。脚本も芝居も上手く纏まっているだけに、そこが残念と言えば残念。新人公演で主演を務めた七城雅が『カフェブレイク』でどんな話を聞かせてくれるかも楽しみだ。他の若手の芝居も、映像でチェックしたい。それにしても、彼女の憧れのジェンヌが暁千星と聞くと、過ぎ行く時の早さを実感してしまう。ARIが孫なら、七城の世代は曾孫になるのか…(笑)。「はる×せら」に続け、未来のスター達よ!!☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆ありがとう!!
2023.02.24
先日、開店準備をしながらふと外を見ると、夜明けの時間が少し早くなっているのに気付いた。まだまだ寒さは厳しいが、春の足音は一歩ずつ着実に近付いているようだ。実に3ヶ月振りとなる宝塚観劇は、晴天に恵まれたものの風は冷たかった。こんな時ふと考えるのが、まともな暖房器具や防寒具が無かった時代の人達は、どうやって冬の寒さを凌いでいたのかという事。月明かりの下で書を読むほど勉学に熱心だった菅原道真は、どうしていたのだろう。色々とご教授願いたいものだ。(と、上手く舞台の話題に繋げてみる…笑)って言うか…俺の (じゃないけど…) 華蘭とかれんが退団しちゃうよーーッ!!身も心も寒いよーーッ!!。・(つд`。)・。光月るうの退団も驚いたが、まさか千海華蘭と結愛かれんが揃って退団してしまうとは…。「人事考察はしない」と公言しているにも拘わらず、結局は誰よりも人事に影響を与えてしまう男としては、「なるべく皆を平等に…(特に娘役は)」と思って口にして来なかったが、こんな事ならもっと素直に言えば良かった。ばり好いとぉばいッ!!。・(つд`。)・。(泣くなよ…)確かに、公式HPのスタープロフィールを見ても95期がかなり上級生になって来ているし、思い入れの深いジェンヌ達の退団は避けられないのだろうが、立て続けに何人もだと受け止めきれない…。彼らのサヨナラ公演となる【応天の門】は謎解きで知恵熱を出し、ショー【Deep Sea】は胸を焦がすような熱さで、僕の凍えた身と心を燃やしてくれた。これはとても1回では足りない、月組の魅力が満載の舞台になっている。100万回観れば良かった。今公演を観て最も印象的だったのは、特にショーにおける礼華はると彩海せらの奮闘だ。ちょうど、2人について語ろうと下書きを始めていた所だったので、良いタイミングだった。人事考察ではないので悪しからず(笑)。ありがとう!!
2023.02.21
【週刊少年ジャンプ】の人気漫画『あかね噺』が連載開始から1周年を迎えた。まだ1年という気もするし、たった1年でここまで物語が進んだ事に驚いてもいる。巻頭カラーの今週号も読み応え充分で、話芸である落語の面白さを漫画できっちり表現しつつ、そこに噺家の生き様とプライドまで絡めて描くセンスに唸らされた。これからも期待したい。と、今日の主題はそこではない。連載1周年を記念して掲載されたスペシャル対談の中で語られていた事が、僕が以前ARIにアドバイスした「他人の芝居を真似してみる事で、彼らがどうやって喜怒哀楽を表現しているかが実感として分かって来る」という話と似ていたので紹介したくなったのだ。抜粋なので、全編を読みたい人はぜひ今週号のジャンプを手に取って欲しい。末永裕樹(原作者):なるほど!芸を模倣する事でその人の思考を追体験して、人間性を知るんですね。とすると、一人の師匠だけでなく色んな方から芸を教わるという事は、色んな人間を知った集合体として、自分の芸が出来上がっていく事になりますよね?月亭方正(落語家):僕にも弟子がいて、最初はずっと落語落語落語…っていう奴でした。それで「違うで。人間的に成長せんかったら最初だけや。小器用に落語やって上手いと言われても、その先の深みなんて出えへんで」と、よく言いました。落語って結局、最後は人間やと思うから、その人の人間性を、落語を通して皆さんにお見せする芸なんです。ある人から噺を教わるのは、その人の「人間性を頂く」という事なんですよ。(中略)だから貰った人はちゃんと感謝して、次は自分が下に与えていかないといけません。師匠から頂いた人間性に、自分の人間性も乗っけたものを、今度は僕が下に教えて、下はその下に…って繋げていくんです。テレビで観ていた頃はただのアホだと思っていた山崎邦正が(失礼…笑)、落語家に転身してこんなに立派な事を語っているのを読むとちょっと嫉妬してしまうが、彼の発言はタカラジェンヌの芸事にも通ずる部分があるのではないだろうか。また、歌手の宇多田ヒカルは自身のライヴ配信の中で「人に想いを伝えるのが下手です、どうしたら良いですか?」という質問に対して、こう答えている。「逆に、どれくらい本を読んでますかと聞きたい。アウトプットするには良いインプットから」或いは、オーストリア出身の精神科医、アルフレッド・アドラー(1870~1937年)の「目的論」によれば、自分の未熟さは全て自分に原因があるという。未熟な思考パターンを使い回した所で、新たな「意味づけ」を見出す事はできない。自身のこれまでの考え方や価値観を改善するためには、自分より優れた人の考え方や、価値観に触れる必要がある、と。ARIのフォトブックで対談した極美慎は「私は今、男役9年目なんですが、今までアウトプットする事ばかり考えていたなと思う」と話していたが、このように別ジャンルの人達が同じ発言をしているのを知れば、ARIの「良い役者になるには、人としての成長が凄く大事」という言葉の意味もより深く理解できるのではないかと思う。それは、自分が上級生になった時、下級生に何をどう伝えて行けるかという問題にも直結する。極美に限らず、若いジェンヌ達にはどんどん良いインプットをして欲しい。そのためには、憧れのOGや上級生の芝居をこれまで以上に研究して芸を磨くと共に、人間性を磨くために今までと違う世界やジャンルにも積極的に触れてみる事である。それが、君達に新たな視点や気付きを与えてくれるだろう。例えば、『あかね噺』を読んでみるとかね…(笑)。
2023.02.13
宝塚大劇場の星組に続き、東京の雪組公演も滞りなく幕を下ろした。その間、月組の退団者リストに絶句したりもしたが、とりあえずジェンヌ達が無事にこの日を迎えられて良かった。(因みに、月組【応天の門】は2月21日(火)のチケットを1回分だけだが手に入れた)七海ひろき主演のドラマも回を追うごとに面白さを増し、爆笑と多幸感の内に大団円を迎えた。蘇芳の告白に夏目漱石のエピソードを使ってくれたのは、宝塚ファン(特に月担)としては冥利に尽きる演出だった。宝塚OGがこうした形でドラマ出演するのは特殊なだけに、同じパターンはかなり難しいだろうが、これがまた次の可能性に繋がってくれると嬉しい。皆んな、おめでとう!!そして、ありがとう!!2022年が終わろうとしている。昨年までは、まだ純粋に「コロナ騒動」と呼べた国内の状況も、今年に入ってからは「ワクチン騒動」「利権ビジネス騒動」へと様変わりし、いつの間にか焦点が刷り変わっていた。まあ、あれだけ桁違いの感染者数を記録しながら、一度も緊急事態宣言が出されなかった事からも明らかなように、オミクロン株が大した脅威ではなく、世界的に見ればコロナ禍が既に終息に向かっている事を日本政府ははっきりと認識しており、後はとにかく1回でも多く国民にワクチンを接種させる事が目的になっていたのだから、この流れは当然と言える。僕は最初からあまりワクチンには興味が無かったので「打ちたい人が好きなだけ打てば良い」というスタンスで傍観しているつもりだったが、無意味なコロナ対策が思った以上に宝塚の公演に支障を来たしたために苛立ちが募り(笑)、余計な口を挟む結果になった。先日、遂に厚労省も、新型コロナウィルスの重症化率と致死率が季節性インフルエンザより低い事実を認めたが、5類相当への引き下げは依然として「検討中」のままだ。また、ワクチン接種率が先進7ヶ国の中で1位になったらしいが、感染者数と死亡者数は相変わらず世界1位のままで、日本人の間抜けぶりを数字で証明している。こんな茶番劇のために、本気で舞台に立っているタカラジェンヌ達が悲しんだり悔しい思いをして良いはずがない。彼女達のためなら、僕は相手が国家権力でもレジスト(抵抗)しよう。そうして振るった言葉の剣が、一体どこまでジェンヌ達のために道を開けたかは定かではないが、そんな2022年に観た作品は以下の通り。花組 × 1公演(2回)【巡礼の年 / Fashionable Empire】× 2回月組 × 2公演(3回)【今夜、ロマンス劇場で / FULL SWING】× 2回【グレート・ギャツビー】× 1回雪組 × 2公演(4回)【夢介千両みやげ / Sensational!】× 2回【蒼穹の昴】× 2回星組 × 2公演(2回)【めぐり会いは再び next generation / Gran Cantante!!】× 1回【ディミトリ / JAGUAR BEAT】× 1回宙組 × 1公演(1回)【HiGH&LOW / Capricciosa!!】× 1回今年は8公演12回。今年も宙組【NEVER SAY GOODBYE】を始め幾つかの回がコロナ禍の影響で観られなかったが、一方で演出家同士のコラボや過去作品へのオマージュ、宝塚の威信を懸けた大作など、普段とは少し違った部分でも楽しむ事ができた年だったように思う。(ちょっとした謎解きまであった…笑)また、遠く離れた国ジョージアと、不思議な縁で繋がった年でもあった。そんな中で2022年のベストを選ぶとすれば、「演出家の生田大和」を挙げたい。(演出家も宝塚の舞台に欠かせないメンバーなので、こういう選び方もある…笑)最初は花組【巡礼の年】を候補にしていたのだが、続く星組【ディミトリ】も予想以上に素晴らしく感動的だったので、今後への更なる期待も込めて選ばせてもらった。とは言え、小柳奈穂子の【今夜、ロマンス劇場で】、野口幸作の【HiGH&LOW】、原田諒の【蒼穹の昴】など見応えのある力作ばかりで、次世代の演出家達が躍動した1年だったように思う。レビューは雪組【Sensational!】と迷ったのだが、礼真琴と暁千星の初共演が見られた事と単純に楽しかった事から星組【JAGUAR BEAT】に決めた。(花組のレビューは毎回のように優勝候補になるので、いっそ殿堂入りさせたい気分だ…笑)来年は、どんな素敵な作品やコラボレーションと出会えるだろうか。昨年の『宝塚まとめ』では、一応まだ気を遣って「オミクロン株の驚異がどの程度か分からないので…」などと書いていたが、半年も経つとそれが全くの茶番である事が判明し、後半は愚鈍で愚劣な岸田政権に対して「自由」と「権利」を求める戦いになった。果たして、来年の今頃はどうしているだろうか。相変わらず憤っているのか、それともジェンヌ達と一緒に歓喜の歌を歌っているのか…。何れにしろ、いつか時が経ってコロナ禍の話題になった時、「俺はタカラジェンヌ達のために戦ったんだ」と言えるファンでありたいと思う。それが、宝塚に対する僕なりの愛と勇気の示し方である。I stand for liberty !!さあ! 選びたまえ!国王の 貴族の道具として 民衆に銃を向けるのか自由な市民として民衆とともに この輝かしい偉業に参加するか!ロナン・マズリエよ、一足先にバスティーユで待っているぞ!!たとえ見えない夜があろうと、月はいつだって綺麗だよ
2022.12.25
綺城ひか理が演じるギオルギは、正に王たる器の男だった。ジョージアのためだけでなく、ディミトリの気持ちまで慮(おもんぱか)った上でバテシバとの別れを決意するシーンは衝撃だった。さすがの僕もそこまでは考えられない。この出来事がその後のディミトリの生き方に影響を与えるのだが、それも納得の男気だ。そんなギオルギを綺城は抑えた芝居で好演している。出番は少ないが、その大きな存在感で魅せた。花組に戻っても活躍を期待している。ジャラルッディーンの腹心アン・ナサウィーを演じる天華えまは、勇猛果敢な他のキャラクター達とは一線を画した、物腰の柔らかい人物像で存在感を示した。かと言ってずる賢いタイプではなく、2人の間にはしっかりとした信頼関係があり、ナサウィーの笑顔からはジャラルッディーンに仕える事への誇りと喜びが感じられた。(この辺りは、尊敬する王を失ったアヴァクの態度と対照的に描かれているように思う)チンギス・ハン役の輝咲玲央は圧巻の迫力で、彼女の芝居に愛月ひかるの魂を見た。ディミトリの父親・エルズルム公を演じた大輝真琴は、自分の都合ばかりで息子の気持ちやジョージアの事をまるで考えていない駄目な父親を好演していた。(ディミトリが尊敬するギオルギとは対照的な父親像として描かれている)アヴァクの父イヴァネ・ザカリアンを演じるひろ香祐も、非常に渋い演技で目を引いた。美稀千種は幕開けから出番があったのは嬉しかったが、物乞い役でみすぼらしい格好だったのがファンとしては複雑な心境だった(笑)。(メイクも怖くて「美稀さんの可愛い顔が台無しじゃねーか!」と心の中で憤った…笑)ただ、ショー【JAGUAR BEAT】では銀橋で歌う場面があり、心の中でペンライトを振る事ができたので鬱憤は晴れた(笑)。その【JAGUAR BEAT】は、ブログ村ではあまり評判が良くないようだが(タイトルだけ見て中身は読んでいないので詳細は知らない…)、個人的にはかなり楽しかった。さすが齋藤吉正の演出らしく「てんこ盛り」の内容で、ちょっとした大食い選手権のようだ(笑)。(どこかのメディアも論評の最後に「もう、お腹いっぱい」と書いていた…笑)やけに礼真琴の負担が大きいように感じた前公演【Gran Cantante!!】に比べ、今回は男役スターが入り乱れる感じで目は足りないし双眼鏡は下ろせないしで(笑)、1回の鑑賞では全く追い付かない。一応ストーリー仕立てになっている(らしい)のだが、最早それどころではない具材の多さだ(笑)。しかし、これはこれで悪くない気がする。(「何味ですか?」と訊かれると返答に困るが…笑)そう言えば、本作のタイトルが【JAGUAR BEAT】と知って真っ先に西城秀樹の曲『ジャガー』を思い出したが、瀬央ゆりあが歌ってくれた。(この曲はリアルタイムで聴いた記憶は無いのだが、阿久悠の作詞なので知っていた)更に舞空瞳と礼が歌ったのは、【水曜どうでしょう】ファンが狂喜乱舞する1曲『汚れた英雄』。この2曲を続けたのは、僕へのアピールか…(笑)。それにしても、礼真琴の歌唱力たるや相変わらず凄まじい。更に、今公演ではその礼に引っ張られて、他の組子達の歌唱力にも更に磨きが掛かっている。天華えまは歌声に艶が出て新たな魅力を感じさせたし、極美慎にも力強さが加わった。なんて事を書いていたら、もう一度観たくなって来た(笑)。DVDを買っちゃおうかな…。ありがとう!!次回の観劇は、1月17日(火)の花組公演。約2ヶ月間も何も無い状態になるが、さてどうしようか…。とりあえず、今年の『宝塚まとめ』をゆっくり纏めようと思う。
2022.11.21
本作はジョージアが舞台という事で、劇中ではジョージアンダンスが披露されている。YouTubeで繰り返し観ていた異国のダンスをタカラジェンヌ達が躍り(しかも、まこっつあんとARIが一緒に踊っている!)、それを客席から鑑賞するという状況は何だか不思議な感じがしたが(笑)、これも奇跡だと思って感謝しよう。そして、これが切っ掛けでジョージアンダンスへの注目度が少しでも高まってくれると嬉しい。それにしても、今回のジョージアンダンスにしろ雪組【蒼穹の昴】での京劇にしろ、女性が演じているにも拘わらず何でもこなしてしまうジェンヌ達の習得力の高さには本当に感心させられる。いつもありがとう!!月組から組替えして最初の大劇場公演となる暁千星は、既に星組に馴染んでいた。どちらかと言えば控え目な月組より、体育会系の星組の方がARIは個性を伸ばし易いように思う。遠慮せず暴れて欲しい。(誰目線の発言だよ…笑)ARIが演じたのは、ジョージア王国の副宰相アヴァク・ザカリアン。先王ギオルギに対する忠誠心の強さから、後を継いだルスダンと王配のディミトリを受け入れられず、色々と策略を巡らす役どころだ。これまでのARIだったら感情が先走って「こじらせ系」になってしまったかも知れない役柄だが、今回は国を守る副宰相という冷静さの中に、裏切り者かも知れないディミトリに目を光らせる蛇のような怖さを上手く醸し出している。また、久し振りにARIの芝居を見て感じたのは、随分と自然な発声ができるようになっていた事だ。これまでは「声を低くしなければ…」という意識が強かったように思うが、【ブエノスアイレスの風】での正塚晴彦のアドバイスが効いたのだろう。かと言って弱々しい感じは全く無く、男の力強さはしっかり感じさせており、ARIは遂に自分の声を見付けたのだと実感した。その相乗効果もあって表現力も増し、歌唱力もこれまで以上に向上している。ありったけの愛を込めてARIを叱咤激励してから2年。自分らしい型と呼吸を身に付け、星組で幕を開けた暁千星の第2章をこれからも見守り続けよう。 星組生として舞台に立つARIを見て感じたのは、極美慎との並びが予想以上にしっくり来る事だ。その印象は、ショー【JAGUAR BEAT】を観て更に強くなった。極美慎が変わったと最初に感じたのは、【ロミオとジュリエット】で出演した『カフェブレイク』だった。この公演で何か手応えを得たのだろうか、これまでとは違う彼女の自然な笑顔を見て「へぇ、この子ってこんな風に笑うんだ」と感じたのを覚えている。その時から、彼女がここからどう成長し開花するか注目していた。そんな極美が本作で演じる白人奴隷のミヘイルはあまりに出番が少なくて勿体無いのだが、その美青年ぶりと『S13 イサニ王宮内・回廊』での媚びを含んだ演技一つで強烈な印象を残している。発声や歌でも男役っぽさが増して、確かな成長を感じさせた。綺城ひか理が花組へ戻り天華えまとのコンビが解消されてしまうのは残念だが、それに代わり今後は「暁×極美コンビ」が「礼×瀬央コンビ」に続く存在となるだろう。非常に楽しみだ。(天華は、天飛華音と天華×天華コンビなんてどうでしょう…?)ありがとう!!中途半端な長さになったので、他のキャストの感想はまた後日に。
2022.11.20
生田大和はいつも何かしら意図を持って脚本を書いているように見えるが、前作【巡礼の年】のキーワードが「反転」だとすると、本作【ディミトリ】は「重なる」だと言えるだろうか。例えば、ディミトリ(礼真琴)とルスダン(舞空瞳)の関係性は、ギオルギ(綺城ひか理)とバテシバ(有沙瞳)に重なるように描かれている。また、ギオルギの人物像はジャラルッディーン(瀬央ゆりあ)に、ディミトリのジャラルッディーンに対する敬意はアヴァク(暁千星)のギオルギに対する敬意と重ねられている。ディミトリとジャラルッディーンの最後のやり取りも、祖国に対する2人の想いが重なればこそ成立する場面だろう。そうした幾つもの重なりが少しずつ物語に深みを与え、あの大きな感動に繋がったのだと思う。また、本作には心底の悪党が登場しない。亡国ホラズムの王ジャラルッディーンはジョージア側から見れば確かに侵略者だが、指導者としては非常に魅力的で求心力も統率力もあり、ディミトリや部下に対しても一方的な物言いをしない、度量の大きな人物として描かれている。また、一見すると悪役に映るアヴァクも、決して私利私欲で動いている訳ではなく、飽くまでギオルギに対する忠誠心と祖国ジョージアを守るためという彼なりの正義がある。(ルスダンには政治経験がまるで無かったし、ディミトリは疑われても仕方が無い行動を見せており、アヴァクが2人を信認できない気持ちも分かる)宝塚ファンだって、自分の贔屓を差し置いて他のジェンヌが出世するのを目の当たりにしたら、アヴァクと同じ感情を抱くのではないか。ジョージアの歴史を紐解くと、この地域は昔から国家間、民族間の紛争が絶えなかったようだ。そうした不安定な国際情勢の中で、ディミトリは非常に難しい立場にいただろうと察せられる。何しろ、自身は王子ながら人質も同然に異国のジョージアで暮らしており、理解者と呼べる人間はルスダンとギオルギくらいしかいない。本来であれば、ジョージアに義理立てする理由はどこにも無い人間だ。それでもディミトリが選んだ道は、愛するルスダンとその祖国ジョージアを守る事だった…。物語の展開が早いため、その時々でディミトリの心情を的確に掴み表現しなければならず、恐らく礼真琴がこれまで演じた役の中でもかなりの難役なのではないかと、観劇しながら感じた。それでも、さすがトップスターとして星組を牽引して約3年、積み重ねた経験と自信で見事にディミトリを演じ切っている。このコロナ禍に体感したり考えたりした事も、役作りに活きているかも知れない。(喜びも悲しみも全てを糧にするのが役者の仕事だ)更に役が深まれば、本作も礼真琴の代表作の1つとして語り継がれる事になるだろう。そんなディミトリとジャラルッディーンの最後のやり取りは、男の魂を震わせる名場面だった。命を懸けて守りたい女性への愛と、男が惚れた男への信頼を同時に示すには、あれ以上の方法は考えられない。いつものように原作を読まずに観劇したが、あの場面を観て初めて「原作を読んでみたい」という気持ちになった。それはディミトリの誠意ばかりでなく、ジャラルッディーンの男の度量の大きさがあってこそ成り立つ場面だ。(まあ、敵に対しては無慈悲で残忍な側面も見せるのだが…)瀬央ゆりあは、そんなジャラルッディーンの魅力を完璧に体現していた。どんな時も腐らず、同期の出世を妬まず、自分にできる事をコツコツと前向きに取り組んで来た瀬央の人間性が、見事に役に反映されている。よくぞここまで立派な男役に成長したと思う。また、あの場面は礼と瀬央が10余年に渡って築いて来た信頼関係をも感じさせる瞬間であり、そこまで重ねてこの配役にしたのだとしたら生田大和は天才だ(笑)。ARIがジャラルッディーン役では、きっとあそこまでの感動は生まれなかっただろう。ディミトリの妻であり国の女王でもあるルスダンも、かなり難しい立場にいるヒロインだ。ディミトリとの幸せな日々から一転、異民族の侵攻やアヴァクの策略などによりどんどん追い詰められて行く様を、舞空瞳は迫真の演技で魅せた。白人奴隷・ミヘイル(極美慎)との場面には些か唐突な印象を受けたが、これは脚本の問題もあるし、ルスダンが彼を信頼しているのはきちんと伝わって来たので許容の範囲内と言えるか。これで星風まどかのような貫禄が出れば、非の打ち所がないトップ娘役になれるだろう。ありがとう!!他のキャストについてはまた後日。
2022.11.17
ここ暫く、日本のコロナ茶番劇(もしくはワクチン詐欺)に加え、米国の中間選挙にも注目していたせいか、宝塚の事をほとんど忘れていたが、気付けばもう星組【ディミトリ】の観劇日だった。これからの日本と世界の情勢を予想して少し滅入っていた僕の気持ちを、星組が一気に晴らしてくれた。(まあ、来年になればまた直ぐに滅入るのだろうが…笑)まこっつあんとARIが一緒に踊ってるよぉおおッ!!☆*:.。. o(≧∇≦)o .。.:*☆今から6年半前、初めて星組を観劇した際に「ARIがまこっつあん位にまで成長してくれたら、もう何も言う事は無いなぁ…」と感想で書いたが、実はあの時もう一つ思った事があった。「いつか、まこっつあんとARIが共演してくれたらなぁ…」あの頃はまだ組替えの事もよく知らず、素人丸出しの願望など書いたらベテランのファン達に笑われるだろうと思って止めたのだが、まさか本当に願いが叶う事になろうとは…。これなら躊躇わず書けば良かった(笑)。そして、今はそこに瀬央ゆりあや天華えまもいる。綺城ひか理に極美慎、天飛華音もいる。愛しい美稀千種の出番も多かった。天国は、阪急電車で行ける距離にありました(笑)。芝居【ディミトリ】は序盤こそ「【巡礼の年】ほどではないかな…?」という印象だったのだが、動乱の中盤を経て迎えるラストは切なさに涙を堪えるのに必死だった。正直、ディミトリとルスダン以外の他キャストの登場場面は決して多くないのだが、それぞれの性格や人物像がはっきりしているため、物足りなさは感じない。組子達も、自身が演じるキャラクターを深く理解し、濃密に体現している。(敢えて物足りないと言えば、こんなに素晴らしい舞台を1回しか観られない事かな…笑)続くショー【JAGUAR BEAT-ジャガービート-】も最初から最後まで盛り沢山の内容で、手拍子をしたいけど双眼鏡が下ろせないという贅沢なジレンマに何度も陥った(笑)。礼真琴の負担が大きいようにも感じた前回とは打って変わり、今回は男役スター達が入れ替わり立ち替わり見せ場を作り、とても55分とは思えない濃厚なショーとなっている。こちらも1回の観劇じゃとても足りない…。そして、礼真琴はいよいよ柚希礼音の領域に入りつつあると実感。きっと本人は全力で謙遜するだろうから、今の内に言っておく(笑)。そう言えば、本当に偶然なのだが駐日ジョージア大使のティムラズ・レジャバ氏とジョージアで唯一の日本人ダンサーであるノグチマサフミ氏が観劇に来ていた。Twitterを拝見する限り、とても喜んでもらえたようで良かった。(ノグチマサフミ氏については、ブログで紹介した事はなかったが勿論知っていた)ありがとう!!キャスト別の感想は、また後日。
2022.11.15
少し前の話題になるが、朝日新聞に掲載された上田久美子のインタビュー記事を読んだ。宝塚ファンに向けて『贔屓』ではなく、敢えて『推し』という表現を使う辺りに「いかにも上田らしい演出の仕方だな…(笑)」と微笑ましくなったが、やはりネット上では反発・反感を買っているようだ。まあ、上田本人も「きっと宝塚ファンに自分の意図(中身)は伝わらないだろう」という事を前提に語っているので、ほとんどのファンにとってあのインタビューは彼女との「訣別」となるのだろう。しかし、それで良いのだ。それが彼女の狙いなので、僕も別に解説はしない。それで良いのだ。今になってみると『やるならやってみろ、運命よ』と『限りを知り命を知れ』という謳い文句は、彼女なりの決意表明だったのだなと思う。彼女は己の信念と生き様を【fff】と【桜嵐記】に刻み込んで、宝塚を去ったのだ。(小柳奈穂子と生田大和は、なかなか粋な餞別を贈ったな)上田久美子よ、いつか再びその道の先で逢える日を楽しみにしている。なぁに、俺が歩きよぉ道もそっち側やけん、どっかでまた逢えるったい!!そ、そげんちかっぱ拒絶せんでも………(笑)。さて、見事に纏った所で(?)、宝塚OGの話題。七海ひろき主演、瀬戸かずやと如月蓮が出演するTVドラマ『合コンに行ったら女がいなかった話』が、予想以上に面白い。「予想以上に」というのは、宝塚の男役がそのまま現実世界に現れて芝居をしたら、もっと違和感があるかなと思っていたのだ。しかも、恋の相手は女性ではなく男子。この辺りが、テレビ画面を通して観た時にどう映るのか、上手く想像できなかったのだ。しかし、実際に観てみると違和感はほとんど無く、心配していた部分が寧ろプラスに働いていた。宝塚の男役がそのままTVドラマに出て、でも恋の相手は男子という逆転の発想が新鮮に映る。また、相手役の3人(井上想良、小西詠斗、増子敦貴)がドラマを盛り上げようと凄く頑張ってくれており、彼らのおかげも大きい。TVドラマ初出演の七海達は、かなり助けられているのではないだろうか。(宝塚ファンを代表して、彼らとそのファンに御礼申し上げたい)第1話では結構コミック的な演出がされていたが、2話目からはほとんど無くなったので、スタッフも内容で勝負できると踏んだのだろう。個人的には、無くて良いと思う。男子3人の反応を観ながら、僕も初めて音月桂の男役を見た時に感じた疑似BL体験を思い出し、「分かる、分かる(笑)」と頷きながら楽しんでいる。彼らの恋模様がどうなるのか、続きが待ち遠しい。(でも、恋の相手が男子だから、宝塚ファンの男としてはちょっと複雑な心境も…笑)
2022.10.31
よく「歴史に『もしも』は無い」と言うが、今回の【蒼穹の昴】では「もしも、この時◯◯だったら文秀達の運命は違ったかも知れない…」と思わせる場面が幾つもあり、そうした歴史的視点からも楽しむ事ができた。個人的には、第二幕・第五場Aで「もしも光緒帝と西太后が話し合えていれば…」という場面が最も印象的だが、だからと言ってそれで全ての問題が解決する訳ではない。人生は選択の連続だ。仮に1つ難局を乗り越えても、また次の『もしも』が待っている。間違いだと思った事が功を奏し、良かれと思ってした事が裏目に出る事もある。まことに「生は難く死は易し」である。それでも、劇中で伊藤博文が文秀を諭したように、生き残ったからこそできる事もある。孔子も『論語』の中でこう言っている。「五十にして天命を知る」これは「50歳頃になってようやく、人は自分の人生が何のためにあるかを理解できるようになる」という意味合いである。科挙の試験に首席で合格した文秀なら、伊藤の言葉の意味が解らぬはずはないだろう。だから、若い頃の挫折や困難で簡単に人生を諦めてはいけないのだ。その苦しかった経験が、いつしか誰かの何かの役に立つ時が来るからである。僕も40歳を過ぎてから宝塚と出逢い、まさか自分の知識や経験がタカラジェンヌ達の役に立つとは思ってもみなかった(笑)。そう言えば、大人気ドラマ【逃げるは恥だが役に立つ】のタイトルも元々はハンガリーの諺で、「自分が今いる場所や状況にしがみついて自滅するよりは、逃げる(=自分を活かせる場所へ行く)方が、長い目で見た時に有益である」という意味だった。と、そんな事を書いていたら専科の感想がどんどん後回しになってしまうので、この辺りで止めておこう(笑)。一樹千尋が演じる西太后は、とにかく威圧感が凄かった。月組【桜嵐記】で演じた後醍醐天皇も怖かったが、今回もさすが専科という存在感で紫禁城に君臨していた。(余計な心配かも知れないが、本作では出番も多い上に、あれだけの気迫で舞台に立ち続けるのは体力的にも大変だと思うので、どうか体調には気を付けて欲しい)一方で、春児に思い出話を語る時の表情はとても穏やかで、強権ではあっても暴君ではない人物として描かれている。楊喜楨とのやり取りからは、寧ろ道理を心得た度量のある人物に見える。史実はともかく、本作において西太后が強権を振るったのは、飽くまでも清朝と甥の光緒帝を守るためだった。(だからこそ、光緒帝も2人を頼りにしたのだろう)西太后というと悪女のイメージしか無いが、それはもしかするとマリー・アントワネットがパリ市民に「贅沢三昧で国家財政を圧迫する悪女」と思われていた史実と似ているのかも知れない。(フランスの財政赤字を生んだ主因は軍事費であり、王室が使える金額は国家予算の5~6%程度しかなかった)世間のイメージと本人の実像は乖離している場合が多く、順桂の私怨もこうした誤解から生まれたものではないかと感じた。政敵はもとより、鎮国公載沢やマスコミのように面白半分で有らぬ噂を広めた人達もいただろう。(これに関しては、本人から聞いた訳でもないのに、タカラジェンヌについて好き勝手な事をネットに書いている僕達ファンも似たようなものだ)(マリー・アントワネットをギリシャ神話の貪欲な怪物ハーピーになぞらえた当時の風刺画)西太后と共に、歴史的な『もしも』を感じさせるのが凪七瑠海が演じる李鴻章だろう。「文秀が相談したのが、袁世凱ではなく李鴻章だったら…」と思わずにはいられないが、だからと言って彼がどんな判断を下すかは未知数で、どんな結果になったかは分からない。(西太后が栄禄を復帰させた時も、李鴻章は反対せず理解を示している)凪七瑠海は本作ではポスターにも写り、来年には星組を率いて全国ツアーを行うなど、専科における若手筆頭として三面六臂の活躍を見せている。劇団としては、「常に主演」だった轟悠とは一線を画し、どちらでも出演できる立場として凪七には専科にいてもらいたいのかなと思う。本作でも、遠目から見ると市村正親のような貫禄で若手を牽引していた。楊喜楨を演じる夏美ようも堂々とした演技で、西太后と渡り合っている。この2人が語り合う場面は、若手では決して出せない人生の黄昏を感じさせた。悠真倫は、ずる賢くあざといだけで天命を背負う程の器のない栄禄の小物感を上手く出している。(李蓮英と並ぶと、余計に小物感が増すのが面白い…笑)汝鳥伶が演じる伊藤博文は、妙に似ていて旧千円札の肖像を思い出した(笑)。白太太を演じる京三紗も、熱のこもった芝居で存在感を見せた。こうしたベテラン勢の役を新人公演で若手達がどう演じたのか、気になる所だ。『カフェブレイク』で主演の華世京がどんな話を聞かせてくれるかも楽しみだ。ありがとう!!さて、これから暫くは観劇予定も無いので、何について書こうか…。
2022.10.24
傑作でした!!(2回言ってみた…笑)昨日は雪組【蒼穹の昴】の2回目の観劇。情報量が多いため物語の表面しか追えなかった前回と比べ、内容を把握している今回は登場人物達の心情がより深く理解でき、また組子達の芝居がより深まっていた事もあり、観劇後は大きな感動と充足感に包まれた。(一度しか観劇予定の無い人は、原作小説を読んでおいた方が良いかも知れない)原作が長編だけに割愛されている部分も多いはずだが、そこは台詞や描写で上手く行間を補っており、それが観る側の想像力を掻き立てる事に繋がっている。本を読んでいて内容の面白さにページを捲る手が止まらなくなる時があるが、正に昨日の鑑賞がそんな感じだった。観劇しながら「早くこの続きが観たい」という気持ちが抑えられなかった経験は初めてだ。改めて鑑賞して、印象が変わった事もある。最も大きかったのは、文秀と玲玲との関係性だ。最初の観劇時は「ただ一緒にいるだけ」に感じられて、トップコンビの描き方としては物足りなかったのだが、2回目は白太太の「2人は不思議な縁で結ばれている」という言葉の意味が理解でき、恋愛関係を超えた2人の絆がしっかりと感じられた。また、彩風咲奈と朝美絢の芝居は文秀と春児の仲が本当の兄弟に見える程に深まっており、こうした印象の違いがラストシーンの感動を大きくした要因かなと思う。そして感じたのだ。傑作でした!!(何回でも言うぞ…笑)それ以外では、光緒帝の「誰も余の命(令)に従わぬ」という台詞は叫んでいると思っていたが、2回目を観劇したら力無く項垂れながら言っており、僕の記憶違いだと気付いた。また、文秀を守るために部屋を飛び出して行く時の譚嗣同にも恐怖心は感じられず、寧ろ覚悟を決めて晴れやかな印象すら受けた。この辺りは、2週間の内に彼らの演技が変わった可能性もある。その譚嗣同と玲玲の恋模様は、単に貧しさ故だけでなく、文秀に対する想いとの間で揺れ動く玲玲の女心が感じられ、より味わい深いものになった。(譚嗣同が文秀を死なせたくないと思ったのは、玲玲のためでもあったかも知れない)そう言えば、最初の感想で「【蒼穹の昴】は宝塚が本気を出すとこれだけの舞台ができる事を示すため、劇団が威信を懸けて挑んだ作品のように感じる」と書いたが、脚本と演出を手掛ける原田諒が毎日新聞の記事で「壮大な世界観を表現するため、宝塚歌劇がどこまでできるかのチャレンジをした」と語っているのを読んだ。その熱意が見事に結実している。傑作でした!!それにしても、今年は原田諒だけでなく生田大和、小柳奈穂子、野口幸作と宝塚の次世代を担う演出家の躍進が目覚ましい。昨日も雪組の舞台を観ながら「小池修一郎の演出作が最近増えているのは、若手達の作品に刺激されてクリエイターの血が騒ぐのかな?」なんて思った(笑)。もしかすると、それは専科の面々も同じかも知れない。専科というと「指導する立場」だと思いがちだが、彼らもかつては「研1」を経験した人達だ。今回、もの凄い熱量と集中力で舞台に挑む後輩達の姿に感化されて、彼らもあれだけの熱演を見せているのかなと感じた。宝塚はやはり「本気の集団」だ。(ただ、公演は長丁場なので、体調だけは気を付けて欲しい)ありがとう!!という事で、専科の感想を書くつもりが思いのほか長くなってしまったので、また次回に。それと、これは飽くまでも個人的な意見として受け取ってもらいたいのだが、デュエットダンスのリフトは無理にしなくても良いのではないかと感じた。今回のリフトがどれくらいの確率で成功しているかは知らないが、トップコンビへの負担も少なくないだろうし、何より怪我をしては元も子もない。僕としては、芝居であれだけ素晴らしいものを観させてもらっただけで充分に満足だし、体力的にも厳しいであろうあの場面で2人に無理をさせる必要は無いように思うのだ。ちょっと気になったので、差し出がましいとは思いつつ提案させてもらった。
2022.10.19
和希そらが演じる順桂は、普段は口数も少なく沈着冷静な印象を受けるが、実際は胸の内に激情を秘めた男だった。その使命感にも似た熱意が、ある事件を切っ掛けに暴発してしまうのだが、和希は順桂の燻(くすぶ)る気持ちを上手く滲ませながら演じていた。妻子持ちという設定も、彼が最後に見せる行動に影響している。(事前に、毬で遊ぶ子供達の演出を入れたのは良かった)光緒帝を演じる縣千は、西太后と楊喜楨の間を取り持てば良かった即位前の穏やかさと、自ら政務を執り行うようになってからの不安や葛藤を上手く演じ分けていた。時代の激流に飲まれ、何が正解かも分からぬ状況の中で国の命運を左右する決断を下さなければならない難しさは、月組【桜嵐記】で暁千星が演じた後村上天皇に通じるものがある。根は優しい若者だけに、「誰も余の言う事を聞かぬ!」と叫ぶ若き君主の悲痛は胸を刺す。西太后と共に歴史の授業で習ったものの、何をした人かはすっかり忘れてしまった袁世凱は、登場した瞬間から一癖ありそうな雰囲気を漂わせていた。で、結局何をした人かは最後まで思い出せなかったが(笑)、やはり一癖ある男だった。こうした一癖の付け方が、真那春人は上手い。出番は限られていたが、自身の役目をきっちり果たしている。一癖と言えば、鎮国公載沢役の咲城けいも、どこかインチキ臭い貴族を楽しげに演じていた。既に雪組に馴染んでいるように見える。星組での新人公演を(映像で)観た限りでは、芝居心もありポテンシャルは高そうだ。今はまだ同期の彩海せらと同様に可愛い弟タイプだが、声が良いのでそこを起点にどう男役を極めて行けるかだろう。本作の新公では李鴻章を演じるようなので、ここぞとばかりに凪七瑠海から多くを学び、自分なりの男役像を掴んで欲しい。(専科総出で色々と指導してもらえるのだから、役を貰った若手達は運が良い)同じく102期の一禾あおは、咲城よりも目立つ役を与えられているように感じた。新人公演でも春児役を演じるし、注目してくれという事かも知れない。覚えておこう。演じている王逸は爽やかな好青年といった印象だが、ベテラン勢の中に入るとやはり役作りに甘さを感じるので、もっと個性を押し出せるようになると良いだろう。まだまだこれからの学年なので、色々と模索してみて欲しい。岡圭之介役の久城あす、柴五郎役の叶ゆうりは、限られた出番でしっかりと印象を残している。特に、岡は爽やかなだけでなく終盤に正義感ある日本人として行動するので、個人的にかなり好感度の高いキャラクターとなった。同じジャーナリストのトーマス・バートンを演じる壮海はるまも、先輩に引っ張られて上手く存在感を出していた。 それ以外では、専科顔負けの役作りで魅せた安徳海役の天月翼、いかにも嫌な奴という感じの笑い方で場の空気をさらった李蓮英役の透真かずきなど、専科が6人も参加しているにも拘わらず組子達の印象が薄れる事はなく、皆がそれぞれの役をしっかり生きていた。ただ、薮下哲司が指摘するように、娘役の出番が少ないのが残念なところか。(次期トップ娘役の夢白あやも、目立ってはいるのだが出番が少ない…)専科の感想は、18日(火)の観劇後に改めて。ありがとう!!
2022.10.14
宝塚時代からずっと聴いていたはずなのに、たまきちの歌声ってこんなに心地良かったっけ?歌が始まった瞬間、彼女の声がすっと心に入って来て、何かちょっと泣きそうになった(笑)。その歌声や表情からは、男役を卒業して本来の自分を取り戻した開放感と充実感が伝わって来る。それでいて、ひたむきで挫けない強い気持ちは宝塚時代から何も変わっていない。それが分かって、嬉しくて泣きそうになったのかも…。そして、もう一つ分かった事がある。やっぱり、俺はたまきちが大好きだぁああああッ!!☆*:.。. o(≧∇≦)o .。.:*☆これからも、自分らしく楽しみながら頑張って欲しい。素敵な歌声を、ありがとう!!
2022.10.12
いつもは何かしら記事のタイトルを考えるのだが、記事は書き終えているのにタイトルが決まらなくて更新が遅れるといった事も時々あるので(笑)、今回は普通にしてみた。梁文秀を演じる彩風咲奈は、これまでになくスケールの大きさを感じさせる男役になっていた。己の賢さを他人や祖国のために使う優しさと熱意を兼ね備えた文秀の人柄は、そのまま彩風の人柄と重なり、舞台に立っているだけで「昴に導かれし者」だと分かるオーラを発している。一方で、進むべき道に迷う後半は、運命に翻弄される人間の焦りや不安を繊細に表現していた。芝居だけでなく、歌でも感情表現がどんどん豊かになり、第1幕ラストの絶唱には心を震わされた。文秀の弟分、李春児を演じる朝美絢は、もう1人の主人公とも言える活躍を見せている。序盤で2人のやり取りを見た時、何となく春児の方が主役のように感じたのだが、どうやら原作小説では春児が主人公らしい。ただ、舞台を観る限り、春児は西太后の良き理解者ではあっても時代を動かす立場にはおらず、その辺りが宝塚版で文秀と主役が入れ替わった理由かなと感じた。とは言え、さすが本来の主人公だけあって春児の生き様にも心を打つものがある。裕福で聡明な文秀とは対照的に貧しく無学だが、決して卑しい人間ではなく、心根は非常に純粋で思いやりがある。度が過ぎて文秀に心配を掛ける時もあるが、彼の真っ直ぐな生き方は周りの人間に希望を与える力を持っている。そんな春児を、朝美はプレアデス星団の如き煌めきを瞳に宿しながら体現していた。京劇「挑滑車」も息を呑む程に素晴らしく、黒牡丹を演じる眞ノ宮るいと共に相当の鍛錬を積んだのだろうと思われる。眞ノ宮もここに来て一気に男の色香が増し、これからどんな飛躍を見せるか楽しみだ。和希そらや諏訪さきと組ませてみると、新たな魅力を発揮するのではないか。朝月希和が演じる妹の玲玲は、貧困から抜け出そうと形振り構わぬ兄とは違い控え目な女性だ。と同時に、幸せになる事を諦めてしまっている人でもある。そうした玲玲の内面を、朝月は繊細に表現していた。僕は最初「玲玲は文秀に想いを寄せているのだろう」と思っていたので、彼女が譚嗣同のプロポーズに躊躇う理由を聞いた時はハッとした。澄んだ歌声も耳に心地好く、文秀との恋愛要素があればもっと宝塚らしくなっただけに勿体無い気もする。とは言え、朝月の退団のためにこの役が与えられたのではなく、彼女が退団を決めたタイミングがこの作品だったという事なので、そこは致し方無いのだろう。玲玲と同じく、彼女の未来も幸多からん事を祈っている。その玲玲と恋仲になる譚嗣同は、血気盛んな改革派にあって朴訥で控え目な印象を受ける青年。2人のささやかな恋模様は、物語に立ち込めるきな臭い空気を一瞬だけ晴らしてくれる。演じる諏訪さきは台詞の「訛らせ方」が絶妙で、それだけで譚嗣同の人柄や改革派内での立ち位置まで想像させたのは見事。(訛り過ぎると単なる田舎者だし、今の「訛りが残っている」くらいの感じが丁度良い)玲玲と話す時の緊張した様子や、文秀を助けるために恐怖心を振り払おうとする時の表情などどれも丁度良く、しっかり役柄を掴んでいるのが分かる。後は、この「丁度良さ」が自分の中で馴染んで来れば、自然に役も深まるだろう。譚嗣同の師である康有為は、第1幕で自身の理想論を文秀と順桂にあっさり論破されるも、光緒帝が即位すると独断で改革を押し進め、宮廷内に混乱を引き起こしてしまう残念なキャラクター。その残念さ加減を、奏乃はるとは上手く表現していた。(今見ると、スチール写真も何となく残念っぽい人に見えてしまう…笑)長くなったので、他のキャストの感想はまた後日。ありがとう!!そう言えば、ミュージカル【SPY×FAMILY】のシルヴィア・シャーウッド役に、朝夏まなとが決まったと知り驚いた。【SPY×FAMILY】が舞台化されるのは知っていたが、その一員に我らがまぁ様が選ばれるとは…。実咲凜音はインスタグラムの「私のおすすめ」にも挙げる程このアニメが好きみたいなので、かなり喜んでいるのではないだろうか。宙組の次回作もスパイものだし、離れていても何処かで繋がっているのだな。(宙組【カジノ・ロワイヤル ~我が名はボンド~】の先行画像が出たら、並べてみたい…笑)
2022.10.10
星組公演【ディミトリ ~曙光に散る、紫の花~】は11月15日(火)に観に行ける事になったが、チケットが手に入ったのはこの1回分だけ。ARIの星組デビューを1回しか観られないなんて…。どげんかせんといかん!!(どげんかなると?)なんて思っていたら、来年3~4月に専科の凪七瑠海が舞空瞳との主演で全国ツアーを行う事が発表されて驚いた。バウ公演とかなら分かるが、全国ツアーで専科が主演を務めるのはかなり珍しいのでは…。まあ、まこっつあんはつい先日も全国ツアーを行ったばかりなので、負担を軽減させようという意図なのかも知れない。(いや、知らんけど…笑)と、それ以上に驚いたのが、綺城ひか理の組替えだ。古巣・花組への復帰なので本人の精神的負担は少なくて済むだろうが、せっかく星組でも個性を発揮していただけに寂しさは否めない。人事に関してはまだ何か動きがあるかも知れないので、ここで邪推するのは止めておこう。そして、本日は新人公演の主な配役が発表された。主演は天飛華音。よし、頑張れ!!☆*:.。. o(≧∇≦)o .。.:*☆ついでながら、【ディミトリ】繋がりでジョージアの話題。14年前、ロシアがジョージアへ侵攻した際に空爆を受けた体験から、ジョージア中部のニコジ村では2011年から毎年「戦争による破壊に代わるもの」として『ニコジ国際アニメーション映画祭』を開催して来た。コロナ禍により2020年と21年は中止されたが、10回目となる今年9月6日に日本からの初参加作品として片渕須直監督の【この世界の片隅に】が上映された。映画祭側は以前から日本作品の上映を希望しており、ジョージアの日本大使館の働きかけで実現したのだとか。関係者は「ウクライナの戦争をジョージアの人達は切実に感じており、その意味では去年とかその前ではなく、今年やったという事で凄く意義深くなったと思います」と語っている。今年はジョージアと日本の国交開設30周年らしく、それを見据えて生田大和は【ディミトリ】の舞台化を決めたのだろうか。何れにしろ、この世界の片隅と片隅でまた一つ素敵な巡り合わせが生まれた事に感謝したい。そして、一日も早くウクライナに平和が戻りますように…。因みに、僕は映画【この世界の片隅に】をまだ鑑賞していない。理由は単純で、観たらきっと泣いてしまうだろうから…(笑)。参照記事 → 読売新聞オンライン【「この世界の片隅に」14年前に空爆受けたジョージアの村で上映...片渕須直監督「どう見ていただけるか知りたかった」】 そう言えば、日本初演ミュージカル【エリザベス・アーデンvs.ヘレナ・ルビンスタイン -WAR PAINT-】で、明日海りおが戸田恵子とダブル主演する事が発表された。相手役は珠城りょうでもなければバディものでもなかったが(笑)、タイトルは似た雰囲気だし女性2人のダブル主演だし、これは僕の妄想が微妙に実現したと言えるのか…。NHKの番宣によるとドラマ【アストリッドとラファエル】も来年5月頃にシーズン2が放送されるようなので、あのタイミングで記事を書いてアピールしておいて良かった(笑)。
2022.10.07
色々と書いていたら星組関連の話題が意外に長くなってしまったので、それは別の記事に回して、先に宙組と雪組の話題から。(と言っても、人事考察ではなくジョージア関連なので悪しからず…笑)宙組トップコンビ、真風涼帆と潤花の退団が発表された。真風は任期から考えてそろそろではないかと言われていたが、潤も添い遂げ退団となった。少し早いような気もするが、次回で4作品目である事を考えれば順当なのかも知れない。(僕はまだ【シャーロック・ホームズ】と【HiGH&LOW】しか観ていないので、早いと感じてしまうのだろう)単に格好良いだけでなく、大人の色気で魅せられる男役でもあった真風のサヨナラ公演が、小池修一郎の描くジェームズ・ボンドというのは運命的。今のところチケットの争奪戦になる予感しかないが(笑)、先ずは【HiGH&LOW】の東京公演が滞りなく進む事を祈っている。さて、4日(火)は雪組【蒼穹の昴】を観劇。相変わらず敢えて原作は読まず、公式HPの解説だけで臨んだ。物語が二転三転する後半はやや分かり難い部分もあったが、全体的には長編小説を上手く纏めたなという印象を受けた。月組【グレート・ギャツビー】以上に複雑に登場人物達の思惑が絡み合い、重厚な群像劇に仕上がっている。何より、本作からは「宝塚らしさ」よりも「宝塚が本気を出すとこれだけの舞台が出来る」事を示そうとするかのような熱意が伝わって来た。「雪組が」というより、劇団が威信を懸けて挑んだ作品という感じだ。だからこそ、これだけ専科が総出しているのだろう。そんな専科に負けず、雪組生達も誰もが役を生きており、男役とか宝塚である事を忘れて純粋に一つの舞台作品として楽しませてもらった。芝居といえば月組と言われるが、本作における雪組はそのイメージを覆(くつがえ)す程に高い集中力で熱演していた。特に、彩風咲奈と朝美絢の集中力は凄まじく、一分の隙も無い芝居で舞台を牽引している。その姿からは互いへの厚い信頼が感じられ、本当に良い相棒になったと思う。そこに朝月希和、和希そら、諏訪さきらが続き、幾重にも人間模様が折り重なって行く。18日(火)に再び観劇する時には更に役が深まり、より濃密な舞台となっているだろう。(キャスト別の感想はその時に書いた方が良いような気もするが、とりあえず初見の印象でも纏めてみようと思う)フィナーレの男役群舞ではコートも中国風となり、格好良さの中に妖艶さが感じられた。ロケットやパレードの衣装も面白く、最後まで劇団の意気込みが伝わって来る内容だった。個人的には、デュエットダンスの時に彩風咲奈と朝月希和が手を繋いで下りて来た所で一瞬泣きそうになった(笑)。素晴らしい舞台だ。ありがとう!!
2022.10.06
先ずは【HiGH&LOW】の感想の続きから。風色日向は、芹香斗亜が演じるROCKYの側近的な立場のKOO役を演じていた。エキセントリックなROCKYに対し、冷静なキャラクターを落ち着いた芝居で表現していた。もう少しキャラを立たせられると、更に存在感が出るだろう。新人公演ではROCKY役を演じるので、芹香の芝居を間近で観察しながら学んで欲しい。テッツ役の亜音有星は、いかにも舎弟といった元気溌剌なキャラクターを楽しげに演じていた。まだまだ可愛さが先に立つ顔立ちだが、新人公演では主演を務めるし、真風涼帆の芝居をしっかり観て分析・吸収して欲しい。爽やか過ぎると幼く見えるし、下手に悪ぶるとただのチンピラになってしまうので、リーダーとしての態度とヤンキーの言葉使いを加減しながら演じると良いだろう。一瞬ではあるが、ロン役の真白悠希も目を引いた。苦邪組で唯一の未成年だが、無邪気さの中にどこか狂気をはらんだ雰囲気が上手く出ていた。調べてみたら新人公演ではリン役を演じるようで、どんな芝居を見せるのか楽しみだ。もう一度観劇できればもっと色々な若手に気付けたろうが、とりあえず初見で印象に残ったのはここまで。レディース「苺美瑠狂」のリーダー・純子を演じる天彩峰里は、とにかく可愛かった(笑)。まあ、レディース役に可愛いという表現は不適切かも知れないが、レディースの気合いはきちんと伝わって来たし、その中に垣間見せる不器用な恋心もしっかり表現できていた。その上での可愛いである。他のメンバーもそれぞれ個性があり、観ていて面白かった。GENを演じるベテランの松風輝とバイフー役の小春乃さよは、曲者の雰囲気がとても良かった。短い場面でもしっかり存在感を出せるのは流石だ。ダン役の若翔りつも、山王連合会のムードメーカーとしてヤマト役の紫藤りゅうと共に良い味を出していた。青春の熱い滾(たぎ)りを感じさせた【HiGH&LOW】に対し、【Capricciosa!!】は落ち着いた大人の余裕を感じさせるレビューだった。とは言え、真風と芹香が潤を奪い合ったり、真風・芹香・桜木による恋の誘惑アピール(?)があったり、最近流行りの(?)コートを着ての場面もあったりと、しっかりツボは押さえている。ラインダンスでは、RUDE BOYSに続き優希しおんのダンスが際立っていた。これまで元気溌剌という言葉に象徴されて来た潤は、真風との舞台を通して大人の女性らしさが身に付いて来たのか、華やかさの中にしっとりと女の色香を感じさせるようになった。立場が人を育てるとは良く言ったものだ。歌唱力も着実に向上しており、トップ娘役として成長を感じさせる公演となった。歌唱力と言えば、瑠風や天彩の歌声も素晴らしかったが、今回は何と言っても留依だろう。芝居での悪役振りも見事だったが、レビューでの圧倒的な歌唱力には度肝を抜かれた。退団後も、この才能に触れる機会がある事を願っている。ありがとう!!さて、七海ひろきを筆頭に宝塚OG達が出演する【舞台『刀剣乱舞』禺伝 矛盾源氏物語】のビジュアルが公開され、正に「夢組」とも呼ぶべき魅惑のキャスティングに胸が踊った。ただ、僕は日程の関係で観に行けず…(笑)。OGになると「組」という縛りが無くなるため、現役時代にはできなかったキャスティングが可能になるのが旨味だ。先日も映画【さかなのこ】で女優ののんがさかなクンに扮している事を話題にしたが、この意図的に「性別」という固定観念を飛び越える表現スタイルはこれからも続くだろう。劇中で、のんは学ランを着てはいるものの髪は長いままで、「夢を追うのに男か女かは関係無い」「普通って何?」という作品のテーマをありのままで表現している。また、漫画【ONE PIECE】でもヤマトというジェンダーレスのキャラクターが登場し、性別は女性ながら自らを「男」と称し、風呂もルフィ達と一緒に男湯に入るという踏み込んだ描写があった。今回の「禺伝」で演出家が宝塚OGを起用したのも、これらと同じ意図があったのだろうと思う。こうした挑戦が正しく世間の理解を得るにはまだ暫く時間が掛かりそうだが、これが相乗効果となって原作と宝塚双方のすそ野を広げる事に繋がれば良い。タカラジェンヌ達よ、頑張れ!!☆*:.。. o(≧∇≦)o .。.:*☆
2022.09.12
今回、宝塚版【HiGH&LOW -THE PREQUEL-】が成功した要因としては、原作版で既にチーム分けがされており、チームカラーや居住区も明確に区別されていた事だろう。また、各チームは抗争を繰り広げてはいるものの、外敵からSWORD地区を守るために団結する事もあり、こうした諸々の設定が宝塚のシステムと似ており、宝塚ファンにも理解しやすかったのではないかと思う。恋愛要素が上手くコメディっぽさを演出したのも功を奏している。そんな本作で最も印象に残ったのが、カナを演じる潤花だった。彼女の持ち味である明るさが、殺伐とした男の世界に一滴の潤いをもたらし、正に【HiGH&LOW】のヒロインとして輝いていた。明るさだけでなくカナが抱える影の部分も見事に表現し、これ以上は望むべくもない演技だった。ラストの反則技(?)も、潤のあっけらかんとした調子で言われると、何となくそうなのかなと思ってしまう(笑)。宝塚としては異色の作品ながら、彼女の当たり役となるだろう。カナに振り回されながらも次第に惹かれ合う山王連合会のリーダー・コブラを演じる真風涼帆は、相変わらず見事に役に成り切っていた。最初、真風とヤンキー言葉が僕の中で上手く結び付かず慣れるまで時間が掛かったが、バイクに跨がったり浴衣を着たり喧嘩をしたり、常にシャッターチャンス全開の格好良さを見せ付けている。役柄への寄せ方と、男役の魅せ方はさすがの上手さだ。White Rascalsのリーダー・ROCKYを演じる芹香斗亜は、正統派ヤンキー像を体現する真風とは逆に、真っ白なスーツを身に纏った都会的で怪しい夜の雰囲気を醸し出していた。こうした毒気のある男ですら魅力的に演じてしまうのが、芹香の力量だろう。「女性を傷付ける男は許さない」という設定は原作通りらしく、こうした硬派なイメージを全面に出しているからこそ、宝塚の作品として違和感なく観られるのかなと思う。女性を守る事を信条とするWhite Rascalsに対し、社会的弱者を守るために結成されたのがRUDE BOYSだ。それを率いるスモーキーを演じる桜木みなとは、抑えた演技で新たな魅力を開花させている。何となく母性をくすぐられるタイプで、それをずんが演じているせいか、観ていて男ながらにキュンとしてしまった(笑)。ダンスシーンは5チーム中で随一の格好良さで、本当にレビューのようだ。守るべきものが明確にある3チームと比べ、喧嘩上等なのが達磨一家と鬼邪高校だろう。瑠風輝が演じる日向紀久はコブラへの復讐に生きているし、鷹翔千空が演じる村山良樹は不良高校の番長になる事が目的だ。達磨一家はどこか任侠映画っぽく、鬼邪高校はいかにもヤンキー映画といった感じで宝塚らしくないが、瑠風と鷹翔は果敢に挑んでいた。瑠風は身長があり、ここ数年はグッと男らしくなって来た事もあり、法被姿も様になりチームの頭目らしい貫禄がしっかり出ていた。村山は気合いと根性しか無いような役柄だが(笑)、鷹翔はその成り上がり感を上手く体現していた。その気合いで宙組でも成り上がれ!!SWORD地区を狙う苦邪組(くじゃく)のリーダー・リンを演じる留依蒔世は、真風ら主要キャストと敵対する役どころであり、自身の退団公演という事もあり、気迫の演技を見せていた。普段の公演なら芹香が演じても不思議ではない大役だけに、劇団の留依に対する最大限の餞別と言えるだろう。ショーでも圧巻の歌声を響かせるなど、まだまだ彼女の活躍を見たかった所だが、最後にこれだけの見せ場を用意してもらえたのは幸せな事だろう。本人も心残りが無いように、思いの丈を全て舞台にぶつける演技で応えている。退団後の予定は分からないが、彼女は女役でも高い評価を受けているだけに、個人的には舞台の世界へ進んで欲しいと思う。何れにせよ、今は本作の留依蒔世に刮目だ。ありがとう!!他のキャストとショーの感想についてはまた後日。ついでの話題で申し訳ないが、今日発売の【週刊少年ジャンプ】に掲載中の『あかね噺 第28席』が最高に面白かった。前々回、普通なら見せ場となる可楽杯の優勝場面をスマホの画面で終わらせた演出にも痺れたが、今回のエピソードはそれも納得の内容だった。来週からの新展開も楽しみにしている。ジャンプ繫がりで言えば、アニメ【ゴールデンカムイ】の第4期が10月から放送開始になる。楽しみが増えて行く(笑)。
2022.09.05
キャスト別の感想を纏めている最中、七海ひろきから驚きのニュースが飛び込んで来た。関西テレビ【合コンに行ったら女がいなかった話】さすがの僕も、これには驚いた。以前「89期を境目にして、退団後のジェンヌ達には新たな表現と活躍の場が生まれるだろう」と予言した事があるが、まさかこんなに早く、しかもTVドラマで実現する事になろうとは…。七海ひろきが声優や舞台ではなく、俳優としてTVドラマに出演するというのは、これまでとは比べ物にならない特別な価値がある。しかも主演だ。これはもう、ジェンダーレス時代に宝塚OGが切り拓いたゴールの一つに数えても良いのではないだろうか。「男役を極めるのではなく、七海ひろきという生き方を極めて欲しい」と助言した僕としても、こうして少しずつ彼女が世間に認められて行く様を見守れるのは嬉しい限りだ。共演で瀬戸かずやと如月蓮も登場するようで、彼らがTV画面を通してどんな演技をするのかも楽しみにしている。宝塚時代に男役を演じたのと、退団後に男装イケメン女子を演じるのとでは、感覚的にどんな違いがあるかも機会があれば聞いてみたい。(男装はしていても性別は女性だし、舞台化粧もしていないので男役時代とは違う気がする)これで、最終回に伝説の男装イケメンとして天海祐希が登場したら完璧なのだが…(笑)。(NHKの朝ドラ【おちょやん】にもお茶目なカメオ出演してくれたし、如何ですか?)まあ、そう言いつつ轟悠が出て来たら本当に驚くな(笑)。元気にしてますか?ドラマ初主演おめでとう、カイ!!☆*:.。. o(≧∇≦)o .。.:*☆10月からはアニメ【チェンソーマン】も放送が始まるし、楽しみが一気に増えた。
2022.09.02
そんなに疲れていたのだろうか…。30日(火)は朝7時30分に目覚ましをセットしていたのだが、起きたら9時を回っていた(笑)。急いで仕込みを済ませたおかげで開演には充分間に合ったが、スヌーズ機能を使ってもアラームに気付かなかったとなると、この先が少し心配だ。(夏バテだったのかな…?)気付かなかったと言えば、コロナ禍と映画の話題に気を取られている間に、宙組の次回作が発表されていた。【カジノ・ロワイヤル ~我が名はボンド~】まさか、シャーロック・ホームズに続き、今度はジェームス・ボンドとは…(笑)。映画版【カジノ・ロワイヤル】は観た記憶はあるのだが、内容は全く覚えていない。最近の『007』シリーズはアクション重視でボンドも根暗なので、小池修一郎にはかつてのエンターテインメント性に溢れたお洒落でスマートなボンドを描いて欲しい。という事で、宙組【HiGH&LOW -THE PREQUEL-】を観劇して来た。いつもの如く原作映画は観ずに臨んだのだが、オープニングで大階段を使った各チームの紹介があり、すんなりと物語の世界観に入れた。また、コブラとカナの恋愛模様を先に描き、その後で2人の行動に絡めて他のチーム事情を描くという流れも、物語に纏まりができて理解しやすかった。(まあ、その分「ずんの出番はまだか!?」と気を揉んだが…笑)各チームの場面をレビューのように描いたのは、いかにも宝塚らしく大正解だった。この辺りの見せ方は、野口幸作の真骨頂だろう。そこからクライマックスに向けて一気に畳み掛ける展開も、映画のようなスピード感と高揚感があり、日頃の鬱憤を晴らしてくれた。不良漫画やヤンキー映画というとどうしても暴力的な若い男性像を思い浮かべがちだが、本作の登場人物達にはそれぞれ守るべきものがあり、無闇に喧嘩をしている訳ではない事が描かれている。特に「女性に暴力を振るわない」或いは「そもそも恋愛に興味が無い」という少年漫画ルール(?)が守られているおかげで、殴り合いの場面は多々ありつつも陰湿な感じは全く無い。(その事は、コブラと達磨一家との喧嘩シーンにはっきりと表れている)この辺りが、LDHと宝塚のコラボを可能にした一因かなとも思う。公演プログラムによると脚本の段階からかなり両者が話し合ったらしく、原作の世界観を壊す事なくしっかり宝塚作品として成立している。ジェンヌ達の見せ場も多く、「宝塚 × ヤンキー」の初の成功例となったのではないか。今公演で卒業する留依蒔世は、2番手が演じても可笑しくない破格の配役をもらい、最後の舞台にきっちり爪痕を残している。続く【Capricciosa!!】は明るく楽しい王道レビューで、血沸き肉躍った後に飲む炭酸水のような爽やかさを与えてくれた。(まあ、第3章『水の都ヴェネツィア』で再び心拍数が急上昇する事になるのだが…笑)熱くたぎる【HiGH&LOW】と爽やかな【Capricciosa!!】の組み合わせは僕にとって最高のリフレッシュとなり、レビューを観ながら改めて「やっぱり宝塚が大好きだ」と感じた。この幸せな世界がいつまでも続きますように。ありがとう!!少し駆け足になったが、キャスト別の感想はまた後日。今公演は一度しか観られないので、レビューの感想が上手く纏められなかったら申し訳ない。それにしても、よもやあんな形で「フォレルスケット」の文字を目にする事になるとは。観ろって事かな…?(笑)
2022.08.31
星組【ディミトリ~曙光に散る、紫の花~】の主な配役が発表されたが、観劇するまでは原作の詳細に触れない主義なので、ARIが演じるアヴァク・ザカリアンが誰だが分からない(笑)。(ジャラルッディーンが敵役らしいのは、解説文から何となく分かるが…)ポスター画像では髭を生やしているので、ちょっと渋い役柄なのだろうか。という事で、月組公演の感想の続き。夢奈瑠音と礼華はるがそれぞれギャツビー邸の運転手と執事役と聞いた時は単なる脇役かと思ったが、実はもう一つ別の役割があり、ギャツビーの正体を何も知らない僕には面白い展開となった。2人とも眼光鋭く、好青年なニック役の風間柚乃とは対照的な役柄を熱演していた。しっかり見せ場もあり、脇役以上の存在感を出していたように思う。蓮つかさや佳城葵も、短いながら見せ場があり、芝居巧者ぶりを発揮していた。専科から参加した輝月ゆうまは、スマートさの中に冷徹さが顔を覗かせる、正に嵌まり役といった風貌で若手達を率いていた。どうやったらそんな渋さと貫禄が出せるのか、僕もご教授願いたいくらいだ(笑)。そんな彼らが歌い踊るアイス・キャッスル奥の場面で最も目を引いたのが、99期の英かおとだ。同期の帆純まひろや諏訪さきの奮闘に触発されたのか、これまで以上に凛々しく良い眼をするようになった。彼女も元々ポテンシャルは高いし、まだまだ可能性を秘めているだけに、ぜひ頑張って欲しい。99期の意地を見せてやれ!!雪組から組替えして来て、どんどん大人の役を演じてもらいたい彩海せらは、少年役という事で個人的には不満の残る配役だったが、第2幕の『ジーグフェルド・フォリーズ』では弾ける笑顔と爽やかな歌声で魅せてくれた。宝塚大劇場での新人公演が中止になってしまったのは残念でならないが、これに挫けず頑張って欲しい。それ以外で目を引いたのは、少年時代のギャツビーを演じる瑠皇りあ。短い場面だったが、ギャツビー少年の純粋さを全身から感じさせる芝居が印象的だった。新人公演ではニック役を演じるようで、風間から色々と学びつつ自分らしく演じてもらいたい。トム役の七城雅は、今回はちょっと印象に残らなかったが(失礼…)、これからはもっと注目しようと思う。【グレート・ギャツビー】は、男性ばかりでなく、女性の生き方も垣間見せてくれる作品のように思う。天紫珠季が演じるトムの愛人マートルは、僕が嫌いな程度の低い女性で、正直トムや夫のジョージが彼女に惚れる理由がさっぱり分からないのだが(笑)、僕にそう思わせたなら天紫の芝居は正解だという事だろう。僕は、男であれ女であれ「自分で運命を切り拓こうと努力する人」が好きなので、何もしないで不平不満ばかり言う人には何一つ共感できないのだ。逆に、男に頼らず自立した生活を送るのが、彩みちるが演じるジョーダン・ベイカーだ。こちらはしっかりと自分の考えを持ち、かなり共感が持てた。ゴルフを通じて距離を縮めるニックとの関係も、いかにもな結末だが嫌な気はしない。都会的かつ知的なジョーダンの雰囲気を、彩は上手く醸し出していたように思う。ジョーダンと同じく、自分で運命を切り拓こうとはしているのだが、頑張る方向がちょっと間違っているように見えてしまうのが、結愛かれんが演じるヴィッキーだ。おまけに男運も悪いようで、観ていてちょっと気の毒になった(笑)。きよら羽龍が演じるジュディは、まだ幼いのに随分はっきりした結婚観の持ち主で、彼女に恋心を抱くエディ(彩海せら)に対して「彼女はやめておいた方が良いんじゃないかな~?」と、ちょっと同情した(笑)。それ以外では、第2幕『ゴルフ場』の場面で、ギャツビーがデイジーの娘を見ようと乳母車に近付いた時、夏月都が演じる乳母のヒルダが見せた反応にゾクッとした。乳母ではあるが、幼い頃からデイジーを世話して来た彼女も、女として思う所があったのだろう。原作には無い場面だと思うが、小池修一郎と夏月の感性が光る演出だった。そんなヒルダが、あのラストシーンで何を思うのか…。色々と考えさせられる演出となっている。(あの場に一緒に居る事から察するに、ヒルダもデイジーの様子を見て真相に気付いたのではないかと思う)このように、【グレート・ギャツビー】は主要キャスト以外の人間模様も垣間見られる所に、奥行きが感じられる要因かなと思う。まあ、一本立てだから色々なエピソードを描けるという利点もあるだろうが、短い場面で登場人物達の心情やバックボーンを想像させる台詞と演出は、やはり小池修一郎の手腕だろう。そして、その意図を的確に掴み、表現する月組の演技力があればこそ、どこか群像劇にも似た情緒が生まれたのではないだろうか。ありがとう!! さて、今月末まで観劇予定が無いので、宝塚関連の更新も暫く滞るかも知れない。とりあえず、これ以上何も悪い事が起きない事を願っている。では、また…。
2022.08.09
これは本編とは何の関係も無い話だが、物語の序盤で鳳月杏が演じるトム・ブキャナンが「価値も解らずヨーロッパの美術品を買い漁っている」と歌うのを聞いて、宙組【神々の土地】で真風涼帆が演じるロシアの貴族フェリックス・ユスポフが「アメリカ人は芸術の価値も分からない連中だ」と馬鹿にしていたのを思い出した。(ロシア革命後、アメリカに亡命したユスポフは、彼らを相手に偽物の美術品を売り付けていた)『アメリカの貴族』は新曲らしいので、真風と鳳月が同じ92期という事で小池修一郎が遊び心でこの歌詞にしたのだろうか。何れにしろ、素敵な巡り合わせだ。そう言えば、花組【巡礼の年】の感想で「小柳奈穂子と生田大和は2人で何か話し合って、演出を考えたのだろうか?」と書いたが、先日の『カフェブレイク』で星組の天華えまが「稽古中に、たまたまそこにいた生田大和先生から役作りのアドバイスを貰った」と言うのを聞いて、もしかすると僕の妄想は正解だったのかも知れないと嬉しくなった。舞台を長く観続けていると、こうしたマニアックな楽しみ方ができるようになるのも、宝塚の醍醐味の一つだろう。(ぴーすけ、ありがとう!!)ギャツビーが愛する女性デイジーを妻にし、ウィルソンが愛する女性マートルを愛人にするトムは、一見するとこの物語で最も裁かれるべき男のように映る。しかし、冷静に見れば彼の罪らしい罪は「浮気」程度で、態度が横柄で女癖の悪い金持ちはどこにでもいる。妻を誘惑するギャツビーに腹を立てる気持ちも、一般的な男性なら皆似たようなものだろう。また、「自分が幸せになれないのは旦那のせい、国のせい」と言って、家庭の外に捌け口を求めようとするデイジーやマートルのような女性も、世間には大勢いる。ニックも至って普通の青年だ。誰もが皆、「俗物」ではあっても「悪人」ではない。寧ろ、誰よりも純粋で一途なギャツビーの方が、社会的には最も裁かれるべき立場にいる、というのが本作の面白い所である。また、どれだけ富や名声を手に入れようと求めるものはデイジーただ1人という、彼の一点の迷いの無さも、僕達一般人の感覚からすれば驚きだろう。そして、物語が人間の「悪意」ではなく、人間の思惑を超えた「不運」の交差によって展開する事も、観る側には勿論、演じる側にも色々と考えさせる要素になっているのかなと感じた。公演プログラムで、これだけ演者が役作りの難しさを口にしている作品も珍しいのではないか。それだけに本作は、その時々の心の動きによって芝居が変わって来る作品であり、組子達には一公演でも多く舞台で演じさせてあげたいし、ファンには一公演でも多く観劇して色々と感じ取って欲しい作品である。今日、再び公演中止の延期が発表されたが、一日も早い再開を祈りたい。主要キャストの面々は、そんなシンプルだからこそ解釈が難しい物語のキャラクター達を、繊細なバランスで演じていた。一見、悪人にも感じるトム・ブキャナンが、妻の秘密を一緒に抱えて生きて行こうとする場面は、果たして愛情からなのか自己保身からなのか…。ここも解釈が分かれる所だと思うが、個人的には小池修一郎の言う「日本的なセンチメント」として捉えた。公演プログラムを読む限り、鳳月杏もその解釈で演じているように映る。例えば、僕達は花火大会に行って花火の絢爛豪華さに感動したり話題にする事はあっても、それを打ち上げる花火師に注目したり感謝する事はほとんど無い。あのパーティに参加していた人達も、ただギャツビーが打ち上げる派手な花火を見に集まって来ただけで、誰もギャツビー自身の事など見てはいなかったのだろう。そう考えると、あのラストシーンに集まった人達は、少なくとも虚構ではない真実のギャツビーを見てくれた、認めてくれた人達という事になり、たとえ僅かでもギャツビーにとっては救いとなったのではないかと思う。(デイジーの態度が素っ気ないのは、そこにニック達が居たせいではないかと推察する)キャストの感想を書こうと思ったのに、結局また解説のような内容になってしまった(笑)。思った以上に長くなってしまったので、若手や娘役の感想はまた後日に。ありがとう!!
2022.08.02
コロナ禍の煽りを再び受け、来週火曜日までの公演が中止になってしまったため、とりあえず先日観劇した限りでの感想を書こうと思う。同じ禁酒法時代のニューヨークを舞台にした雪組【ONCE UPON A TIME IN AMERICA】では赤い薔薇が効果的に用いられていたが、今回の【グレート・ギャツビー】では白い薔薇が全編を通して使われている。白い薔薇の花言葉は「純粋」「私はあなたにふさわしい」「深い尊敬」「相思相愛」。(因みに、赤い薔薇は「情熱」「愛情」「美」)劇中、ギャツビーの差し出す薔薇の花束を、デイジーがいつも1本しか受け取らない事が不思議だったのだが、原作小説の中でニックが「ギャツビー、君に比べたら連中は下らないよ。束になっても君には敵わない」と言う場面があると知り、何となく腑に落ちた。(ニックを演じる風間柚乃がこの台詞を口にしていたかは、ちょっと記憶に無い…失礼)恐らく、あの白い薔薇はギャツビーの純粋さの象徴であり、小池修一郎はこの「束」と「1本」の差で、ギャツビーの想いが他の人間と比べてどれほど純粋か、どれだけ一途かを間接的に表現したかったのではないだろうか。そう解釈すると、公式HPのトップ画像に飾られた薔薇にも、きちんと意味があった事に気付く。(まあ、真に驚くべきは、その薔薇にも勝ってしまう月城かなとの美しさだが…笑)そして、もう一つ象徴的なのが「神の眼」だろう。前回の感想でも書いたが、本作の登場人物達には誰もが大なり小なり表と裏があり、他人に知られたくない嘘や罪を抱えて生きている。しかし、神はまるであの看板の絵のようにただ黙って見ているだけで、何もしようとしない。それは、観客も同じである。観客は全てを見て全てを知りながら、誰一人として裁く事はできない。ただ黙ってジェイ・ギャツビーを巡る物語、そこで起きる人生の不条理を見届けるだけである。そう考えると、「神の眼」とは同時に「観客の眼」を示唆しているようにも思う。この舞台を観た一人ひとりが何を感じ、誰にどんな裁定を下すのか、それは観客の判断に委ねられているが、それでも物語の結末が変わる事はない…。主人公のジェイ・ギャツビーを演じる月城かなとは、スーツの着こなし、男の余裕と哀愁、愛する女性への純情と、男役の持てる魅力を余す事なく体現していた。特に、今回は歌声から感じる男の色気が、これまで以上に深まっているように感じた。礼真琴も2作目【ロミオとジュリエット】で圧倒的な存在感を見せ付けたが、月城も本作で既にトップスターとしての貫禄を身に付けつつある。その成長と共に、これから彼女がどんな月組を作り上げるのか楽しみだ。裏社会で成り上がり富と地位を手にしたギャツビーに対し、表社会を真っ当に生きて来たにも拘わらず何一つ報われないのが、光月るう演じるジョージ・ウィルソンである。この2人は「持つ者と持たざる者」「ジャズ・エイジの光と影」として対照的に描かれる一方で、互いに望むものが「ただ愛する女性と一緒にいたいだけ」という純粋さで共通している点も面白い。その意味で、ウィルソンはもう1人の主人公と言って良いだろう。(彼らを待ち受けている結末も、はっきりとそれを示唆している)個人的には、風間柚乃がこの役だったら、一般的な【グレート・ギャツビー】のイメージとはひと味違った印象の舞台になっただろうと思う。それだけ重要な役柄だ。そんな影の主役を、光月はさすがの演技力で魅せた。新人公演でウィルソン役を演じる真弘蓮には、「自分が主役に抜擢された」くらい強い気持ちで役に挑んでもらいたい。この役は間違いなく君を成長させてくれるはずだ。それだけに、ぜひ無事に新人公演が行われる事を願っている。その日を信じて、今は今できる事を頑張れ!!ありがとう!!他のキャストに関しては、また後日。
2022.07.29
前置きで宙組の話題に触れようと思っていたのだが、それ以降にも色々と発表があったため、舞台の感想を書く時にきちんとまとめて書く事にした。次回公演【HiGH&LOW -THE PREQUEL-】は、8月30日(火)のチケットを手に入れた。演目が発表された時、ネット上の評判があまりに悪かったので「チケットが完売する可能性は低そうだから、2回目は自分で席を選んで買おう」と思って1枚しか抽選に申し込まなかったのだが、先着順当日にあっという間に完売した(笑)。やはり、ポスター画像の反響が大きかったのだろうか。今後は、ちゃんと2枚抽選に申し込もうと思う(笑)。さて、月組【グレート・ギャツビー】は原作小説は勿論、映画も観た事がない状態での観劇だったのだが、思った以上に奥行きのある作品という印象を受けた。さすが1925年に発表された小説らしく、内容は至ってシンプルで古典的ですらあるのだが、主要キャストだけでなくどの登場人物にも表と裏、光と影があり、彼らが様々な場面で交差する中でそれぞれの人生が垣間見え、非常に多面的な煌めきを見せる作品となっている。そこが、原作が時代を超えて愛され続け、宝塚でも再演が繰り返される理由なのかなと感じた。個人的には、ノスタルジックではあっても全く古臭さは感じず、かなり新鮮に作品を楽しめた。勿論、そこには小池修一郎の演出と月組生の芝居が大きく関わっている事は言うまでもない。3度目の上演という事で、恐らく初演から色々とブラッシュアップされているのだろう。各場面に見所と見せ場があり、無駄な演出が無い。それを彩る歌やダンスも印象深い。配役もかなり適材適所で、今の月組が見せられる最高の舞台となっている。まあ、時々そこにARIが居ない寂しさも感じはしたが、逆に次の若手がどんどん前に出て来ており、彼らの頼もしさに頬が緩んで、あまり感傷に浸る暇も無かった(笑)。特に、本作はほぼ全員がスーツ姿のため、男役としては格好良さを存分にアピールできる場面が多かったように思う。彼らが輝月ゆうまを中心に歌い踊る『第8場C アイス・キャッスル奥』は、ここだけ何度も繰り返して観たくなる場面だ。本当はもっと内容に触れたいのだが、シンプルな物語だけにネタバレになってもいけないし、登場人物達と絡めながら書いた方が上手く纏められると思うので、今回はここまでにする。不測の事態が無ければ来週また観劇予定なので、キャスト別の感想を順次書いて行こうと思う。その前に、ちょっと脱線するかも…。ありがとう!!
2022.07.27
さて、最終回は推理の答え合わせと、観劇した中で気付いた事などについて語って行きたい。とは言え、答え合わせに関しては、公式HPの解説文がいつの間にか書き換えられて正解を有耶無耶にされてしまったので、今回は勝負預かりという形で矛を収める事にした。「一角獣の聖杯」も「怪盗ダアト」も登場しないのだから仕方が無い。と、ここで気になるのは「小柳奈穂子はどうして脚本を書き換えたのか?」、そして「どのタイミングで書き換えようと思ったのか?」という事だ。「ルーチェvs怪盗ダアト」の構成が上手く纏められなかったからなのか、書いている途中で「アンジェリーク=本物のプリンセス」という発想が閃いたからなのか。その辺りを、直接本人に訊いてみたい所だが…。ハッ、まさか……!Σ( ̄□ ̄;)脚本を書き換え、組子達を裏で操り、観客の目を欺き、その隙に一角獣の聖杯をまんまと盗み出した怪盗ダアトの正体は、実は小柳奈穂子ッ!!なんて、オチじゃないだろうな…?(笑)しかし、登場しなかったとは言え、キャストの中に怪盗ダアトが居ないとは断言できない。もしかすると、全員が集合するラスト『第16場 マルクト広場』で怪しい動きをしたり、分不相応に高価なものを身に付けているキャラクターがいるかも知れない。それを2回目の観劇で確認しようと思っていたのだが、コロナ禍で公演が中止になってしまった。DVDを購入した方は、一度チェックしてみて欲しい。実際に観劇して、憶測が確信に変わった事もある。それは、小桜ほのかが演じていた「ジュディス」の役名だ。ジュディスは旧約聖書外典に出て来る英雄的女性ユディトの英語読みだが、どう考えても小桜の芸名とは結び付かないし、ストーリーとの関係性も見付けられない。(因みに、「旧約聖書」とはキリスト教側の呼称であり、ユダヤ教では正式に「タナハ」と呼ぶ)しかし、「ユディト」「生命の樹(セフィロトの樹)」「ヴェリタス」を並べた時、ある一人の画家が僕の脳裏に浮かんで来た。グスタフ・クリムトである。 (左から『ユディト』 /『生命の樹』 /『ヌーダ・ヴェリタス』)思えば、公式HPのトップ画像もやけに黄金色に強調されていたし、小柳がこれらからクリムトを連想させようとした可能性は充分に考えられる。そして、この推察はロナン・ヴェリタスとジュディスが恋仲だった事で確信に変わった。小柳奈穂子はクリムトが好きなのだろうか。(まるでこの記事にタイミングを合わせるかのように、先週末から山田五郎が『オトナの教養講座』でクリムトの解説を始めてくれた…笑)因みに『ヌーダ・ヴェリタス』の上部に書かれているのは、ベートーヴェンの『第九(歓喜の歌)』でもお馴染みの詩人シラーの言葉である。「汝の行いまたは汝が表現せしめるものにおいて 万人を幸福たらしむる事の難きを思いたまえ 幾人かに喜びを与えんと欲せよ 如何なる人をも幸福たらしめる事は 悪しき事と覚えよ シラーより」これは、要約すると「大衆に迎合しようとせず、真の芸術を追求せよ」といった意味になる。もしかすると、この言葉は脚本・演出家としての小柳の信念だろうか。その辺りも、直接本人に訊いてみたい所だが…。それ以外で印象的だったのは、舞空瞳が演じるヒロイン、アンジェリークの人物像だ。考察の中で、僕はプリンセスの性格を「国よりも自分の人生を優先する女性」と予想していたが、実際のアンジェリークは「自分の気持ちよりも祖国を想う女性」として描かれていた。彼女は、自分の出自の秘密を前向きに受け止めただけでなく、花婿選びにおいても恋仲のルーチェをエコ贔屓せず、飽くまでもルールに従って相手を選ぶと宣言した。また、オンブルの手先に捕まった時も、彼女は逃げ出そうとしなかった。アンジェリークは確かに気が強く「自分の事は自分で決めます」と自己主張する女性なのだが、決して自分の利益のためには行動しない。国民の上に立つ者としての自覚が備わっているのだ。最初は単なる「お気楽なラブコメディ」だろうと思っていたが、どこぞの宮家のプリンセスと対比させて観ると、実はなかなかに風刺の効いた作品だという事に気付かされる。まあ、小柳奈穂子が本当にそこまで意図してこの人物像にしたかどうかは不明だが、国の『象徴』たる君主には、男系であれ女系であれ、自分の利益や幸せよりも祖国の安寧を願う人物がなって欲しい、と僕も思う。と、ここまで書いて不意に思い出した。そうだ、天皇家に古くから伝わるという秘密の紋章には、一角獣が描かれているのだった。 まあ、この紋章を書き写したのが明治期に日本を訪れたニコラス・マクラウドという外国人である事や、中央に描かれている12匹の獅子が京都・西本願寺の唐門に彫られている獅子の配置と同じである事から、マクラウドが唐門を参照して勝手に紋章を考えた可能性は充分あるが…(笑)。とは言え、唐門には天皇家の菊花紋章と共に一角獣の姿も見られるので、全くの無関係という訳でもなさそうだ。 その事を裏付けるかのように、京都御所の清涼殿にある御帳台(天皇の椅子)の前左右には、現在でも一角獣と獅子の像が対で置かれている。また、ご存知の方もいると思うが、京都・八坂神社の狛犬にも角がある。(狛犬では、口を閉じている一角獣が「雌」で、口を開いている獅子が「雄」とされる) 小柳奈穂子がどこから「一角獣の聖杯」を発想したかは知る由もないが、もし上の紋章からだとしたら、彼女はきっと『日ユ同祖論』のファンに違いない(笑)。『日ユ同祖論』とは、日本人のルーツがユダヤ人(古代イスラエル人)と共通の先祖ヤコブを持つ兄弟民族であるという説である。旧約聖書によれば、古代イスラエルには元々12支族あり、ダビデ王の時代にイスラエル王国として統一される。しかし、ソロモン王の死後、サマリヤを首都とする10支族による北イスラエル王国と、エルサレムを首都とする2支族による南ユダ王国に分裂。紀元前722年、北イスラエル王国がアッシリアに征服されると10支族は離散し、その後の消息が不明となる。彼らは、残った2支族から「失われた10支族」と呼ばれた。(なお、ユダ王国は紀元前597年に新バビロニア王国に制圧され、バビロン捕囚の体験からユダヤ人達が自らのアイデンティティを守るために編纂を始めたのが旧約聖書である)同祖論では、この10支族の中の何れかがシルクロードを通って日本に辿り着き、天皇家と結び付いたと考えられている。初代・神武天皇の即位が紀元前660年2月11日とされているので、年代的には矛盾しない。『記紀(古事記と日本書紀)』には「国譲り」の記述もある。また、1994年にはミャンマーに住む少数民族が失われた10支族の一つマナセ族である事が判明するなど、全くの空理空論と言えないのが同祖論の面白い所である。近年では、人気漫画『ONE PIECE』に登場する「Dの一族」が、日本人と古代イスラエル人に共通する遺伝子Y染色体の「D系統」を指すのではないかという噂が、同祖論への関心を高めた。因みに、秘密の紋章に描かれた「一角獣」は北イスラエル王国に属したヨセフ族の、「獅子」は南ユダ王国に属したユダ族の紋章であり、南北イスラエル統一を象徴していると言われている。今回の【めぐり会いは再び next generation】には、「一角獣」と共に「獅子(=レグルス)」を名に持つ人物も登場するだけに、果たして小柳奈穂子が最初にどんな物語を描こうとしていたのか気になる所だ。一角獣の聖杯が「女性▽」のメタファーなら、獅子は「男性△」とも考えられる。小柳が本作の主眼に置いたのはクリムトではなく、本当は同祖論だったのではないか…。(よくよく考えると、「生命の樹」も旧約聖書に登場するエデンの園の中央に植えられた樹だ)そんな、語られなかったエピソードに思いを馳せてみるのも面白いかも知れない。という事で、【めぐり会いは再び next generation】の考察は、これで全て終了。如何だっただろうか。「一角獣の聖杯」から始まった考察が、思わぬ軌道で日本の皇室を辿り、再び一角獣へと戻って来るという面白い展開になった。更に、日本史上最大のミステリーとも言える「日ユ同祖論」にまで触れる結果となり、僕としても有意義な時間を過ごさせてもらえた。ありがとう!!(同祖論については、いつかこのブログで取り上げたいと常々思っていたのだが、よもや宝塚の話題で紹介する事になろうとは…笑)『日ユ同祖論』について知りたい方は、先ずこちらを参照 →『神社神道とユダヤ教の類似点』
2022.07.25
この回では「人物相関図」を基に、僕が改めて推理した事を書いて行きたい。相関図を見て一番驚いたのが、僕が怪盗ダアトと睨んだセシル・ピーター・ウェルズが探偵事務所の仲間だった事だ。これは完全に想定外だった(笑)。しかし、レグルスの項で書いたように、これによって「怪盗の正体が私立探偵」という可能性が生まれ、話としては面白くなった。職業が「劇作家」という事で、重要参考人のカペルと繋がりができたのも嬉しい誤算だった。更に、同じ探偵事務所にティア・シモニーまでおり、「怪盗ダアト=複数犯」説が俄かに信憑性を帯びて来た。とは言え、やはり「ラブコメディ」という大前提は絶対に崩せない。そこを踏まえた上で、どんなシナリオが考えられるか…。そこで次に注目したのが、「謎の依頼人」である事が判明したアージュマンドだ。アージュマンドという名前には、「高貴な」や「誉れ高い」といった意味がある。名前の意味、そして依頼内容から察するに、王宮内の人間である事は間違いないだろう。そして、もう一つ気になるのが「プリンセス役」という表記だ。何故「プリンセス」ではなく「役」なのか…。考えられる可能性は2つ。・花婿選びは、飽くまでも男達の「王族としての適性審査」が目的であり、プリンセス本人がその場にいる必要が無い・或いは、プリンセスが失踪して、本当に居なくなってしまった物語としては、後者の方が俄然面白くなりそうだ。そうなると、カペルが実は本物のプリンセスという可能性も出て来る。彼女は、自分の意思とは関係無く結婚させられるのが嫌で、王族の証である「一角獣の聖杯」を持って家出した…。旅芸人の一座に紛れ込めば、国外へも逃亡し易いだろう。もしかすると、劇作家のセシルは事情を知ってその手助けをする事になったのかも知れない。一方、そうとは知らないルーチェは秘宝探しの依頼を受けてしまう…。であれば、アージュマンドはカペルの母親(=女王)、もしくは姉妹と考えるのが妥当だろう。ただ、そうなると「怪盗ダアトは何のための存在なのか?」という疑問が生じてしまう。怪盗ダアトになる理由が、セシルには無くなってしまうのだ。もしかすると、カペルを匿っている内に秘宝を失くしてしまったか、コソ泥一味に盗まれてしまい、取り返そうと必死に探しているとか…(笑)。こうなると、オンブル親子が怪盗ダアトという可能性も再び考慮しなければならなくなる。例えば、宰相オンブルはコーラス王から密命を受け、息子や部下を使って家出したプリンセスと秘宝の行方を探している…、とは考えられないだろうか。事情が事情だけにセシル側もオンブル側も表沙汰にはできず、双方が秘密裏に入り乱れて動いている間に、怪盗ダアトの噂が世間で勝手に広まってしまった…。(コーラス王とアージュマンドも、お互いが別々に捜査を依頼している事は知らない)と、ここまで書いてあった時点で、綺城ひか理の口から「宰相オンブルは“めぐり会い史上”最大の悪人」という衝撃の告白が…(笑)。という事は、オンブル親子は独自にプリンセスを探しているという事か。宰相オンブルはコーラス王を陥れ、息子を花婿にして王位を奪おうと企んだのかも知れない。(ただ、そうなるとロナンがルーチェの「恋のライバル」という可能性は消えてしまうため、親子は別行動と考えるのが順当か…)その陰謀に気付いたカペルは、王家を守るため秘宝と共に姿を消した…。或いは、アージュマンドの方がプリンセスだとすると、姉を守るために妹のカペルが秘宝を持って失踪した…、とも考えられる。何れにせよ、「一角獣の聖杯」が無ければ、正当な王位継承者と認められない決まりなのだろう。日本で言えば「三種の神器」か。そして、助けを求められたセシルとコメット座の面々が、月組【All for One】の剣戟(けんげき)一座よろしく芝居を使ってオンブル親子の陰謀を暴こうと台本を書いた。これなら、旅芸人一座にも見せ場ができる。そう言えば【All for One】で思い出したが、今回の【めぐり会いは再び next generation】でも男女の双子(カストルとポルックス)が登場する。しかも、人物相関図では天寿光希が演じるユリウスと「待ち合わせ」とある。名前から想像すると双子はコメット座の一員のようだが、ユリウスが歌姫エメロードの大ファンという事なので、彼女に会いに行くのだろうか。その途中で、怪盗ダアトの騒動に巻き込まれるとか、或いはダアトと間違えられて捕まってしまい、それをルーチェが助けるというシナリオも考えられる。また、アージュマンドないしカペルがプリンセスだとして、誰が花婿に選ばれるのかというのも気になる。花婿候補4人の肩書きを見るとこれと言った人物がいないし、物語の展開によっては意外にレグルスという可能性もある。獅子座の恒星レグルスには「小さな王」という意味があるからだ。さて、僕の推理はこんな所だろうか。これ以上は幾ら考えても際限が無いし、堂々巡りにしかならないような気がする。後は、実際に観劇して答え合わせをしよう。それにしても「花婿候補」に「審査委員」「姉妹」と書くと、どこぞの宮家の結婚騒動を思い出してしまうが、もしかして小柳奈穂子はそれを意識して脚本を書いたのだろうか。いや、寧ろそこには触れない方が良いのか…(笑)。この後、小柳奈穂子がインタビューで「ルーチェは親に弁護士事務所で働いていると嘘を付いている」とか「ロナンはルーチェのライバル役」と発言しているのを読んでニヤリとしながらも、それ以上は推理しなかった。最終回は、これらを踏まえた上で「答え合わせ」と「まとめ」をして行きたい。(一部、踏み込んだ発言をしているが、これは飽くまでも僕個人の解釈であり、小柳奈穂子の意図とは全く関係無い事を予め断っておく)
2022.07.25
謎その3…怪盗ダアトは誰か?ダアトの正体について推理した時、被疑者は3人いた。順番に見て行こう。被疑者1…レグルス・バートル(瀬央ゆりあ)私立探偵で、主人公ルーチェの親友。普通なら考えられないが、若い頃に観た映画の中に「怪盗の正体が、彼を追う私立探偵だった」というものがあった。つまり一人二役を演じていた訳だ。余談になるが、実は世界で最初の探偵と言われるフランソワ・ヴィドック(1775~1857年)は、元々は犯罪者だった。殺人以外のあらゆる犯罪に手を染めていたヴィドックは何度も逮捕されるが、投獄と脱獄を繰り返す内に「犯罪は割に合わない」と悟り、足を洗う。そして、新たに就いた職業が、何と警察官だった。裏社会や犯罪手口に精通していたヴィドックは次々に手柄を立て、最終的にはフランス国家警察のパリ地区犯罪捜査局の初代局長にまで出世する。そして、パリ警察を退職後に開いたのが、世界初の探偵事務所だったという訳だ。主人公の親友が弱小探偵事務所を営みながら、裏では怪盗として暗躍する。話としては面白いのではないか。更に、主要キャストの中で彼だけが恒星(レグルス)を名前に持っている事も気になった。小柳奈穂子が何の意図も無くそんな事をするとは思えない。何か秘密があるのだろう。とは言え、やはり本作は飽くまでも「ミステリー仕立てのラブコメディー」。そこまで深刻な内容になるとは考え難い。という事で、レグルスは被疑者から外した。被疑者2…ロナン・ヴェリタス・オンブル(極美慎)フランス語で「影」を意味する姓を持つ最重要人物。「光」を名前を持つ主人公ルーチェと好対照をなすだけでなく、それを演じるのがバウ公演の初主演を決めて勢いに乗る極美慎というのも、容疑の目を向けられ易い理由だろう。しかし、それだけに逆に僕は、彼は怪盗ダアトではないような気がした。理由は3つ。確かにオンブル(影)はルーチェ(光)と好対照をなすが、オンブルは姓であって個人の名ではない。(オンブルを姓に持つ登場人物は他にもおり、決定打に欠ける)次に、ヴェリタスが「真理」というラテン語の意味を持つ一方、ファーストネームのロナンには何の意味も関連性も見付けられなかった。最後に、「一角獣の聖杯」と「カペル」が用意周到に隠されているのに比べ、名前が「影」だから彼が怪盗ダアトだという着想は、あまりに単純過ぎではないか。これらの理由から、僕は「オンブル=影=ダアト」は小柳奈穂子が仕掛けたトラップだろうと判断して(笑)、被疑者から外した。最終的に、ロナンは事件解決のため、或いはアンジェリークを巡る三角関係など、何らかの形でルーチェのライバル役として登場するのだろう…、という結論に落ち着いた。被疑者3…セシル・ピーター・ウェルズ(天華えま)多くの役名がジェンヌ達の芸名に因んで付けられている本作にあって、最も違和感があったのがこの役名だった。普通、天華えまという芸名から付けるなら、「天」を意味するフランス語の「シエル(Ciel)」が一番良いと誰でも思うはずだ。しかし、実際は「盲目」が語源となる「セシル(Cecil)」という役名が与えられている。他にシエルという役名のキャラクターがいるなら話は別だが、これは明らかにおかしい。音の響きからしてもセシルとシエルは似ており、無理にセシルにする理由が見当たらない。ならば逆に、そこまでしてでも役名を「セシル」にしなければいけない理由が小柳にはあった、と考える事はできないか…。その発想から、怪盗ダアトとの関連性を探る事にした。怪盗ダアトの名前の由来が「生命の樹(セフィロトの樹)」にある事は言うまでもないが、調べた限りこの樹自体に特に関連性は無さそうである。前々作で登場したケテルやコクマも「生命の樹(セフィロトの樹)」に由来した役名ながら、物語に重要な役割を担っていたようには見えない。本作のダアトとマルクトも、飽くまで名前を借用しただけと考えるのが妥当だろう。ただし、ダアトが「アビス(深淵)」の中にあり目には見えない存在である事は、怪盗という役柄に重ねてあるように思われる。「アビス(Abyss)」とは奈落や混沌、底知れぬ闇を意味している。僕が、オンブル(影)よりもセシル(盲目)の方がダアトの正体に相応しいと考える理由もここにある。光の無い場所には、影も存在しないからだ。盲目の方が、闇のイメージにより近いだろう。次に、ミドルネームの「ピーター」に注目してみよう。ピーターという名前から先ず思い浮かぶのは、イエス・キリストの弟子で初代ローマ教皇でもあるペテロだろう。彼を象徴するアトリビュートとして代表的なものが、「天国の鍵」である。(アトリビュートとは、西洋美術において伝説上・歴史上の人物または神話上の神と関連付けられた持ち物で、その持ち主が誰かを特定する役割を果たす)この「天国の鍵」はバチカン市国の市国旗にも描かれ、様々なバリエーションがあるのだが、基本的には2本1組で、鍵山が十字架の形になっている。 さて、ここで質問。【めぐり会いは再び】の公演中、こんな形の鍵をどこかで目にした記憶は無いだろうか…。 ポスター画像で一緒に写る天球儀にヒントが隠されているのなら、この鍵も何かを示唆するためのアイテムと捉えるのは不思議な事ではない。また、鍵はフランス語で「clé (clefとも)」と書き、「ciel(天国)」と共に「Cecil」の綴りの中にあるのだ。最後に姓のウェルズだが、これに関しては特にこれと言った関連性は見付けられなかった。ただ、英国にピーター・ウェルズというチェスのグランドマスターが実在する事は気になった。本作には、王(キング)や司教(ビショップ)、トーレス(ルーク=塔の形をしている)などチェスの駒を思わせるキャラクターが複数いるからだ。(王都であれば、他にも「騎士(ナイト)」や「女王(クイーン)」が出て来そうな気がする)場合によっては、宙組【シャーロック・ホームズ】の切り裂きジャックのように、怪盗ダアトは複数犯という可能性もある。また、キリスト教ペテロの本名が「シモン」である事は、有沙瞳が演じるティア・シモニーを連想させ、何かしらの関係性があるのかも知れない。(「ペテロ」とは「岩」という意味のあだ名である)と、ここまでが人物相関図が発表されるまでに僕が推理した事だ。次回は、相関図を基に進めた新たな推理をお送りしたい。
2022.07.25
星組公演【めぐり会いは再び next generation】が無事に千秋楽を迎えたという事で、予定通り本作の深読みし過ぎ解説をして行こうと思う。人物相関図が発表される前の推理を前後編に分けて、そして相関図を見た上での推理と答え合わせの全4回でお届けする。僕がどこに着目し、どういう経路で推理を進めたかを理解してもらえるように書いたつもりだ。では、どうぞ。謎その1…「一角獣の聖杯」とは何か?「一角獣の聖杯」について考えた時、聖杯そのものではないのではないかという直感があった。恐らく何かをシンボル化した呼び名、比喩であろうと。そう考えて、先ず一角獣について調べてみた。一角獣は架空の生物だが、特に何の神話も伝説も見付からなかった。あるのは、ただ「非常に獰猛な生き物だが、乙女(処女)の前では大人しくなる」という誰もが知っている情報だけだった。因みに、キリスト教ではこの処女を聖母マリアに、一角獣をイエスに結び付けて語る事もあるようだが、今回の作品とは関係が無さそうだ。そこで次は、星座から何か手掛かりを見付けられないか調べてみた。本作には星に因んだ役名が多く見受けられる事から、一角獣座にも何かあるのではないかと思ったのだが、ばら星雲以外に特に目立った星は見当たらなかった。しかし、たまたま見たサイトで「一角獣座は冬の大三角に囲まれている」という説明を読んだ時、ハッとする。その配置は、さながら「一角獣の聖杯」のようではないか…。この発想は、決して突拍子の無いものではない。映画【ダ・ヴィンチ・コード】の中で、主人公のラングドンが同じ解釈をしているからだ。「剣」を一角獣の「角」に置き変えれば、全く同じになる。因みに「ダヴィデの星=六芒星」は、この2つの三角形を組み合わせたものだという説もある。と、そこまでは割と順調に解明できたものの、最終的に「一角獣の聖杯」が何を指すかは、情報が無いため想像するしかなかった。・「リドル(=なぞなぞ)」という名前の登場人物がいる事から、星座を使った単なるお遊びか?・角が男性を、聖杯が女性を示すなら、大切な誰か(恋人や家族)を探して欲しいという隠喩か?・宝石を星座に見立てた、「一角獣の聖杯」と呼ばれる王冠や首飾り、指輪などの宝飾品か?色々と考えた結果、ストーリー的にも宝塚的にも最もそれらしい「宝飾品」を答えに選んだ。では、それを盗んだ、或いは持ち出した人物は誰なのか…。次は、この謎に迫ってみた。謎その2…重要参考人は誰か?「一角獣の聖杯」が星に由来しているなら、それに関わる人物もまた星の中にいるのではないか。そう考え、星を名前に持つ登場人物を検証してみる事にした。その中で怪しいと感じたのが、カペルだった。この名前は、ぎょしゃ座の恒星カペラ(Capella)に由来する。カペラとは「雌ヤギ」という意味で女性名なのだが、作中では娘役の鳳花るりなが演じているにも拘わらず、最後のaを外して男性を表すカペル(Capell)になっている。他の役柄がそのまま恒星の名前になっている中で、下級生が演じる役に何故わざわざこんな仕掛けをする必要があるのか…。そこには必ず理由があるはずだ。そこで気になったのが、双子座の恒星ポルックス役を演じる詩ちづるだった。言うまでもなく双子座は男の兄弟だが、詩は娘役である。そしてもう一人、娘役の星咲希が演じるノエラは、男性名のノエル(Noel)にaを付けて女性になっている。女が男に、男が女に…。【めぐり会いは再び】の第一作で、レオニードという女性が男装している前例に鑑みても、カペルが男装した女性である可能性は非常に高い。(原作の戯曲は「女性の男装」「他人への成りすまし」「小芝居」がキーワードになっている)更に、恒星を名前に持つ役柄のほとんどが旅芸人一座のメンバーである事からして、カペル(=カペラ)は自分の身を隠すために素性と性別を偽ってそこに紛れ込んだ、と考えるのが妥当だろう。「木を隠すなら森の中」に倣い「星を隠すなら星座の中」という訳だ。それに「星」は「犯人(ホシ)」にも通じる。それだけではない。カペルが重要参考人であるという動かぬ証拠も、僕は見付けていた。それが、こちらである。( □ …「Capell(a)」の文字 / ○…雌ヤギと星のイラスト )ルーチェの可愛い笑顔に目が眩(くら)んで危うく見落とす所だったが(笑)、この画像の背景にはぎょしゃ座のカペラ(Capella)がしっかりと写っているのだ。しかも、ルーチェのマントで最後のaを隠すなど、完璧に計算された配置になっている。これでカペルを疑わなかったら、余程の間抜けである(笑)。更に付け加えると、ポスター画像の天球儀には牡牛座と双子座が写っており、それは物語の鍵となるモノがこの2つの星座の間にある事を示している。そう、答えは最初から僕達の目の前にあったのだ。 これで2つ目の謎も解明できた。しかし、いくらカペルが重要参考人だからと言って、そこまでの下級生に怪盗ダアトを演じさせるとはとても考え難い。別人と考えるのが妥当だろう。では、怪盗ダアトとは誰なのか…。後編では、3人の被疑者についてそれぞれ考察してみたい。
2022.07.25
少し早い話題だが、11月に宝塚大劇場で開幕する星組公演【ディミトリ~曙光に散る、紫の花~】に関して、気になる記事を見付けたので載せておく。公式HPの解説にもあるように、本作は13世紀のジョージア(旧グルジア)を舞台にしている。ほんの数ヶ月前、朝日新聞が記事の中でジョージアの事を「旧ソ連のグルジア(ジョージア)」と書き、駐日ジョージア大使から「私たちは「ジョージア」です。今更の「グルジア」は故意に思えてなりません」、「さらに「旧ソ連の」ですか…私たちの国の長い歴史をこのような焦点で写さないで頂きたい」と苦言を呈されるという失態があった。そして、在日ジョージア大使館は「ジョージアに関する正しい認識をお願いするための声明」を発表する。問題となった記事アーカイブ → 『朝日新聞デジタル』駐日ジョージア大使のTwitter → 『駐日ジョージア大使 ティムラズ・レジャバ』 駐日ジョージア大使のティムラズ・レジャバ氏は、「ジョージアは独立した国であり、独自の歴史やアイデンティティがあります。私たちの精神も独立しております。よろしくお願いします」、「「旧ソ連のジョージア」と言わないで下さい。書かないで下さい。よろしくお願いします」とTwitterで訴えている。僕達は、ジョージアは旧ソ連が崩壊してから生まれた国のように誤解しがちだが、彼らにとっては「旧ソ連に侵略・支配されていた時期はあったが、ジョージアはずっと独立した国家である」というのが正しい歴史認識のようだ。「ジョージアって何処よ?」「ジョージアって地味じゃない?」程度の軽口なら笑って許してもらえるだろうが、あまり度を越した発言で「宝塚ファンは良識に欠ける」「国際問題や歴史認識に疎い」と思われないようにしたいものだ。因みに、ジョージアでは自分達の国を「საქართველო(サカルトヴェロ)」と呼ぶらしい。また、100年前の日本の閣議決定の公文書には「ジョルジア」と記載されており、日本は元々その呼び方が正式だったようだ。
2022.07.02
先日「宝塚関連の記事は暫くお預け」と書いたからなのか、翌日から花組公演のDVD発売や月組の次回公演ラインナップが発表されて、何だか急かされている気分になってしまった(笑)。その前に、こちらの話題から。花組【巡礼の年】で、オノレ・ド・バルザックを演じている芹尚英の休演が発表された。きちんと確認していなかったので申し訳ないが、彼女は今公演で退団予定らしく、1日でも早く復帰して千秋楽の舞台に立てる事を願っている。また、ネット界隈では、コロナ陽性反応により【ガイズ&ドールズ】と【千と千尋の神隠し】が公演中止になった事が話題になっている。個人的に一つ疑問なのは、「これを以てコロナ禍は終息したとみなす」という明確な数値目標や判断基準を、政府と国民はマスコミを介してきちんと共有できているのか、という事だ。(あまりニュースを観ていないので、不勉強だったら申し訳ない)つまり、「自分達は今どこにゴールを設定して頑張っているのか?」という共通認識を、果たしてどれだけの日本人が共有しながら生活できているのか、という問題である。現在のような状況下では、「いつ終わるか」より「どうやって終わらせるか」の方が重要になるのだが、政府や国民がそうした議論をしているようには見えない。まあ、この国は80年前にも、勝てる見込みの無い戦争を無駄に3年9ヶ月も続けた実績があるので、今回もまた誰も決断できないまま、ダラダラと日数だけが過ぎて行く可能性は充分にある。そして、国民は国民で不安と同調圧力に抗えず、これからも黙ってマスクをつけ続けるのだろう。(今年の夏は、コロナより熱中症の方が危険だと思うが…)僕はもう馬鹿馬鹿しくて、これ以上コロナ禍について語る気にはならないので、最後にバルザックの言葉を紹介しておこう。「指導者は世論の誤りを是正できなくてはならない 単に世論を代表するだけでは その責務を果たす事はできない」という事で、ようやく花組ショー【Fashionable Empire】の感想。幕開けにスーツ姿の永久輝せあが登場して「今回はシックな大人の雰囲気なのかな?」と思ったら、次に登場した水美舞斗がパーカーに革ジャンという出で立ちで意表を突かれた。玉座の柚香光も、正に皇帝(エンペラー)の如くファッショナブルで格好良い。彼女の前では、着られる衣装でさえかしずくのかも知れない(笑)。そして、ここで歌い踊る組子達が実に楽しそう。【巡礼の年】が決して明るい雰囲気の作品ではなかったため、そこで抑えていたものをショーで一気に発散しているかのようだ。更に、銀橋で歌う柚香・水美・永久輝の3人がじゃれ合っている様子は、演出なのか素なのか分からない程に自然で、彼等の笑顔を見ながら「こういう組の形もあるんだな~」とちょっと感慨にふけってしまった。それは、明日海りおの頃とは違う「柚香光による花組」が完成した事を物語っていた。『Labyrinth』での柚香と水美の絡みも妖艶で見惚れてしまった。音くり寿達の歌声も、まるで媚薬のように観る者を迷宮へと誘う。丸い舞台セットというのも何だか珍しく、色々な意味で印象的な場面だ。ダンス主体の2人に対し、今回の永久輝は『The Fashion Show』や『Beautiful Night』など歌を中心に魅せた。『Fashionable Moment』は、今回のショー最大の見せ場と言って良いだろう。「今を生きる」というメッセージと共に、その喜びを全身で表現し、客席に届けようという組子達の想いがエネルギーとなって伝わって来た。いつまでも観ていたいと思わせる感動的な場面だ。『To the Future』は、聖乃あすかを中心にした若手の見せ場になっている。「どこかで聴いたメロディだな…」と思い、記憶を辿って行ったらボビー・ヘブの名曲『サニー』だった。原曲はちょっとメロウだが、劇団のアレンジは力強く情熱的で、若手の熱いダンスと相まって印象的な場面となった。コートやスーツ姿での群舞も格好良く、前2公演と比べるとオーソドックスな印象ながら、今の花組らしさを上手く引き出した構成になっている。芝居と共に、じっくりと観たいショーだ。ありがとう!!
2022.06.30
改めて観劇して気付いたのは、ショパンの「何のために音楽をするのか?」という問い掛けが、以前に紹介したオペラ歌手・車田和寿の語る「音楽の本質」と通底している事だ。そして、恐らくそれは「何のために宝塚の舞台に立つのか?」というタカラジェンヌ達への問い掛けと無関係ではないだろう。ショパンのリストに対する言葉は、「どこまで出世できるか」「路線か否か」でしかタカラジェンヌ達の努力が判断されない昨今の風潮を懸念し、「他人の評価に振り回されて自分を見失うな」という生田大和からジェンヌ達へのメッセージにも聞こえた。(これは飽くまでも僕個人の印象であり、生田がそれを意図したという意味ではない)そうした独善的なファン心理を具現化したようなキャラクターが、音くり寿が演じるラプリュナレド伯爵夫人だろう。音は幼顔ながら、さすがの演技力でどんな役柄でもこなせる幅広さを見せ付けた。とにかく、台詞回しというか感情の乗せ方が抜群に上手い。タールベルクを懐柔する場面などは、ゾクッとするほど女の怖さが滲み出ている。歌唱力も高く、正にこれからの躍進が期待されていただけに、退団は残念だ。残念と言えば、飛龍つかさも同様だろう。彼女も幅広い演技力と安定感で、個人的には輝月ゆうまに続く存在になってくれる事を期待していただけに、やはり勿体無いと感じてしまう。退団後の予定は知らないが、また新たに輝ける場所を見付けて欲しい。(先日、東京で大千秋楽を迎えた綾凰華にも幸あれ!)そんな飛龍と音が並んで歌う場面を用意した、生田大和の心遣いに感謝だ。バウW主演を決めた帆純まひろと一之瀬航季も、限られた見せ場でしっかりと存在感を示した。帆純は、貴族達の酔狂に翻弄されるジギスムンド・タールベルクの不運を、無邪気な笑顔とその後の茫然自失した表情とで上手く表現していた。ただ、もっと振り切った演技でも良いような気がするので、自分なりに工夫してみて欲しい。そして、最後になってしまったが、マリー・ダグー伯爵夫人を演じる星風まどかは、今回も安定の芝居と歌で魅了してくれた。マリーはかなり起伏の激しい人生を送っているが、その場その場の心情を的確に表現しているし、少女のような可愛らしさと大人の落ち着いた雰囲気のどちらも自然に演じている。歌声も、つい「もっと聴いていたい」と思わせるほど耳に心地好い。という事で、今回の【巡礼の年】は、個人的には大満足の作品となった。既にDVDが欲しくて仕方が無い心境だが(笑)、改めて考えると本作はテレビやパソコンの画面で観る事も意識して、組子を配置しているように感じる。だから、各場面がすっきり纏まって見えるし、一人ひとりにも眼が届き易い。正に、花組と生田大和による渾身の力作だ。正直「生田先生、こんなに気合いの入った舞台を作っちゃって次回作は大丈夫…?」と要らぬ心配をしたくなってしまうが(笑)、星組【ディミトリ~曙光に散る、紫の花~】も期待している。ありがとう!!感想を纏めるのに忙しくて後回しになってしまい申し訳ないが、朝月希和の退団発表には驚いた。おおらかなの彩風咲柰と穏やかな朝月は、大人の雰囲気があって非常にお似合いだったし、トップコンビとしてもこれからと言った感じだったので、たった3作での退団は残念だ。次回作の雪組【蒼穹の昴】をしっかり見届けたい。因みに、月組【グレート・ギャツビー】は7月26日(火)と8月2日(火)に観劇予定。その前日、7月25日には星組【めぐり会いは再び next generation】の深読み考察の更新がある。「一角獣の聖杯」から何となく始めた考察だが、最終的に日本史上最大のミステリーと繋がり再び一角獣へと戻って来るという、自分でも予想だにしないスケールの読み物になった(笑)。こういう展開に運命を感じる。まあ、それまでに1ヶ月以上あるので、【Fashionable Empire!!】の感想をのんびり纏めたい。(のんびりし過ぎて忘れる可能性もあるので、気を付けないと…笑)
2022.06.17
以前、星組【めぐり会いは再び next generation】の感想で、「劇中に出て来る『壁』という表現は月組【All for One】へのオマージュではないか?」と書いたが、今回の花組公演を鑑賞して「もしかして『壁』は【巡礼の年】のキーワードでもあるのかな?」と考えるようになった。そう思った理由は、【巡礼の年】の中に「アルルカン」という単語が出て来たからだ。アルルカンとは、小柳奈穂子が脚本を書いた【めぐり会いは再び-My only shinin’ star-】の原作喜劇『愛と偶然の戯れ』に登場する道化役の名前である。(宝塚版では、ブルギニョンという役名になっている)現在公演中の星組と花組の双方で過去作品へのオマージュが見られる事からしても、小柳と生田大和が話し合って、互いの作品にそうした趣向を取り入れた可能性は無くはない。(今頃、相手の作品を観て「お、そう来たか」とニヤニヤしているかも知れない…笑)というマニアックな妄想をしながら、14日(火)は2度目の観劇。主人公のフランツ・リストを演じる柚香光は前作よりも更に役柄と同化し、もはやリストなのか柚香光なのか分からない程の芝居(素?)を見せた。本人もインタビューで「芝居と歌とダンスの垣根が無くなった」と語っているが、本作を観るとそれが決して大袈裟でない事が分かる。ピアニストの役柄ながら見事な剣舞のシーンもあり、柚香ファンにとっては全編が見処の作品と言っても良い。個人的には、普段の宝塚ではなかなか見られない「髪をかき上げる」仕草があまりに格好良く、今後の作品でこういう髪形を増やして欲しいとさえ思った(笑)。前回の感想でも触れたが、リストにとっては、自分の技能不足が原因で父親を失ってしまったトラウマがやはり一番大きかったのだろう。最初、『S16 魂の彷徨・2』でショパンが「子供」という台詞を口にした時はどこか唐突な印象を受けたが、リストが名声を求めずにはいられなかったのも、誰にも負けたくない(見下されたくない)という強迫観念から逃れられなかったのも、全て子供時代の挫折に端を発していると考えると腑に落ちる。あの瞬間から、リストの魂はずっと彷徨い続けていたのだ。それを描いた『S5 リストの記憶』とは一転、ラスト『S17 修道院での再会』で笑顔の子供達を登場させたのは、魂の救済だけでなく未来への希望を感じさせる素晴らしい演出だと思う。そんなリストを最後まで嫉妬させた好敵手フレデリック・ショパンを演じる水美舞斗は、リストとは対照的に穏やかで控え目な人物。友人として本気でリストを気遣うも、それが伝わらないという少し気の毒な役回りだ。(友人の夭逝さえ、リストは悲しむどころか「天は俺よりショパンを選んだ」と悪態を付く始末…)水美自身の人柄を感じさせる物腰の柔らかな前半から、命を削ってでも芸術と友人へ想いの丈をぶつける緊迫した後半への流れが素晴らしい。そんなショパンにサンドが寄り添いながら語り合う最期は、ピエタの如く美しい。(個人的には、この場面が一番ぐっと来て、泣きそうになった)「男役をしている女性が、男装している女性を演じる」という、言葉にすると何だか混乱しそうな役(笑)、ジョルジュ・サンドを演じる永久輝せあは文句無しに素晴らしかった。リストに対して、マリーに対して、ショパンに対して…、当たる光によって微妙に色合いを変えるサンドの胸の内を、永久輝は見事に演じ分けている。回数を重ねれば、更に芝居が深まるだろう。どこまで深化するか楽しみだ。前回の感想で、リストとショパンに対する愛がサンドの中で形を変えていると書いたが、実はリストとマリーの愛の形も前半と後半では違っている。これは他のファンの方が感想で指摘しており、僕も公演プログラムを読み返して気付いた事だが、『S17 修道院での再会』の2人はもうかつての「フランツ・リストとマリー・ダグー伯爵夫人」ではなく、「リスト・フェレンツとダニエル・ステルン」なのだ。2人が共に2つの名前を持つからこそ可能な演出だろう。『S8 巡礼の日々・1』では白だった衣装が黒へと反転している事も、2人の関係性がかつてとは違う事を示している。(サンドの場合は、衣装が男物から女物へと変わる事でショパンへの愛を表現している)このように本作は、前後半で様々なものを反転・逆転させる事で、物語を構築している。過去作品へのオマージュだけでなく、よくぞここまで計算して脚本を書いたものだと感心する。関係性が反転するのは、それまで仲間だった芸術家達と袂を分かち、革命へと進むエミール・ド・ジラルダンも同様だ。人物相関図を見た時は「聖乃あすかの出番は少ないのかな?」と思ったが、『S14 共和主義運動』では渾身のラップを披露するなど見せ場もしっかりとあり、存在感を示した。男役としての胆力(たんりょく)も備わって来たのか、立ち姿からして堂々としており、着実な成長を感じさせてくれた。『宝塚GRAPH / 6月号』を見たら【冬霞の巴里】では随分と怖そうな役を演じたようで、これが良い経験になったのかも知れない。(こういう振り切った役、汚れ役、悪役は絶対に一度は経験しておいた方が良い)柚香・水美・永久輝の背中を追い掛けながら、これからも素敵な男役を目指して欲しい。ありがとう!!ちょっと長くなったので、他のキャストはまた後日。
2022.06.15
昨日は、花組公演【巡礼の年〜リスト・フェレンツ、魂の彷徨〜】の観劇日。午前中は薄曇りだった空も、午後の宝塚は晴天に恵まれた。見上げると木々の葉は深緑に染まり、花のみちを吹き抜ける風は既に初夏の匂いがしたが、目線を下げると紫陽花が幾つも咲き始めており、梅雨の訪れが近い事を教えてくれる。宝塚は、僕に四季を感じさせてくれる数少ない場所だ。(普段、どれだけ出歩いていないかバレるな…笑)【巡礼の年】は思った以上に奥が深く、かつ群像的であったため感想を纏めるのに手こずった。何を何処から書き始めても、どんどん長くなってしまうのだ(笑)。とりあえず鑑賞した第一印象は、「花組と生田大和による渾身の力作」そして「かなり緻密に計算された作品」というもの。序盤は、場面によって登場人物をはっきり分ける事で、何を表現したいかを明確にしている。かつ、できるだけ多くの組子達を出し、歌や踊りで見せ場を作る配慮がなされている。その一方で、フランツ・リスト(柚香光)がマリー・ダグー伯爵夫人(星風まどか)やジョルジュ・サンド(永久輝せあ)と2人きりの場面は敢えてじっくり見せるなど、対照的に描いているのが上手い。(途中まで観て、「このペース配分で時間内に収まるのか…?」と心配になった…笑)舞台転換は多いはずなのだが、内容的にはすっきり纏まっており、人間関係も分かり易い。ただし、ラスト前で急に観念的な話になり、ショパンの問い掛けに対してもリストがきちんと答えないため、観る人によっては消化・昇華するのに時間が掛かる作品かも知れない。個人的には、リストの出した答えは、『S5 リストの記憶』とラスト『S17 修道院での再会』で登場する音楽院の子供達の表情や動きの違いで、間接的に表現されているように感じた。更に印象的だったのは、例えば【CASANOVA】や【エリザベート】【fff】【アウグストゥス】など、過去の宝塚作品を思わせる演出が幾つも散見される事だ。これは、観客がどの作品を観ているかによって感じ方が違うと思うので、ぜひ各自で楽しんでもらいたいが、そうした遊び心も交えつつ描いた所に、本作に対する生田大和の熱量の高さを感じた。舞台セットも素晴らしく、「こんな舞台で芝居したら、絶対に気持ち良いだろうな~」と花組生達が羨ましくなった(笑)。生田と言えば、前作【シャーロック・ホームズ】では「鎖」がキーワードになっていたが、本作では「壁」がそれに当たるだろう。リストが口にする「人と人とを隔てる壁」とは「身分」であり「才能」である。身分に関しては「名声によって壁を乗り越えようとした平民のリスト」と「革命によって壁そのものを壊そうとした貴族のマリー」とのすれ違いで表現されている。結果、2人の立ち位置が逆転し、登り詰めていたが故にリストは落ちる(落とされる)という構図が、何とも皮肉だ。そして、才能による壁は、盟友ショパン(水美舞斗)との関係性で表現されている。ショパンからの友情や真心が、リストには持つ者から持たざる者への憐れみに感じられてしまう。そうした劣等感がリストの心に葛藤を生み、野心を抱かせ、名声に走らせたのではないだろうか。(彼には、子供時代に自分の技能不足が原因で、父親を失ったというトラウマもある)芸術家の仲間達に対してもあまり心を開いていない所を見ると、壁を築いていたのは他でもないリスト自身である事が分かる。端から見れば羨ましい限りの美貌と才能に恵まれながら、彼の魂が安寧できる場所は無い。そんなリストの野心を焚き付けるサンドもまた、実は男装する事で劣等感を隠していた女性のように感じた。彼女はリストを名声へと向かわせる一方で、(恐らく本人は親切心からなのだろうが…)マリーをジラルダンに推薦する事で革命運動へと向かわせてしまう、ファムファタル的な役割を担っている。しかし、その代償はあまりにも大きかった。サンドが最後に着ている服装を見ると、彼女の中でリストとショパンに対する愛の形が違っている事に気付くだろう。このようにリスト、ショパン、マリー、サンド4人の関係性は群像劇のように絡み合っており、それぞれ対比させながら観ると面白いのではないかと思う。それと、これは完全に僕個人の話だが、前回の記事で「要らなくなったら、いつでも手を放してくれて構わない」と書いた直後に、芝居では「手を放すな」と言われ、ショーでは「手を取れ」と言われ、何だか本心を見透かされたようで気まずかった…(笑)。そうか、手を放そうとしていたのは僕の方だったな。ゴメンよ…。いや、こういう時は「ありがとう」か。ありがとう!!という事で、今回はここまで。次回は、各キャラクターをもう少し掘り下げつつキャスト別の感想を書きたい。ただ、来週14日(火)に2度目を観劇するので、印象が変わったり新たに気付く事もあるだろうし、感想はそれ以降になると思う。て言うか、俺の心理、劇団に見抜かれ過ぎじゃね?
2022.06.08
明日観劇する予定の花組公演【巡礼の年〜リスト・フェレンツ、魂の彷徨〜】の前置きを書いていたら、思った以上に長くなってしまったので、単体で載せる事に。気が付けばもう6月。1年の半分が過ぎようとしている。今年に入ってから、ARIの組替えに始まり、上田久美子の退団、成田悠輔(と宮台真司)との出会い、Z世代への関心など、色々と思索する中で「僕はいつまで宝塚に携わるべきか?」という事も考えるようになっていた。思い入れの深いタカラジェンヌ達はどんどん卒業して行くし、次世代のジェンヌ達にとって僕のアドバイスや評価がありがた迷惑になる日が来ないとも限らない。厄介なファンだと思われる前に、大好きなARIと95期の卒業を見届けたら僕の役目は終わりかな、などとぼんやり考えていた。そんな僕の胸の内を察知したのか、もの凄いタイミングで劇団から「これからもI NEED YOU」とメッセージが届き、「ずっと観ろって事か…(笑)」と苦笑してしまった。まあ、必要とされている内が華だと思って、前向きに受け取っておこう。そして、これからも必要としてもらえるファンでいられるように、自戒の意味も込めて心に留めておきたい。(逆に、要らなくなった時は、いつでもその手を放してくれて構わない)せっかくなので、こちらからもお願いを一つ。『NEW GENERATION V』が随分と長い間発売されていないが、そろそろ新刊を検討してもらえないだろうか。(正に「NEW GENERATION(次世代)」だ…笑)勿論、理由があって出さない、出せないのであれば無理強いはしない。若手を知るための情報が、少しでもあると助かる。ついでに、『カフェブレイク』に出演した風色日向にアドバイス。可愛らしい顔に対して声が意外と渋いので、その長所をもっと活かしながら役作りができるように心掛けてみて欲しい。また、芝居だけでなくショーでも「目」で語れる、「目線」でアピールできるようになれば、爽やかさだけではない色気のある男役に成長できるだろう。声と目を意識してみて欲しい。礼華はるは、素質は良いだけに「もっと弾けても良いんじゃないかな?」と感じる。トップスターの月城かなとを始め、月組にはコメディが得意な役者が揃っているので、意図的に役の振り幅を大きくしてやれば、自然と芝居の引き出しも増えるのではないだろうか。かつての水美舞斗や最近の聖乃あすかのように、ショーで合宿させてみても良いかも知れない。そして、こちらもついでの話題だが、108期の馳琉輝には華世京や一輝翔琉と同じオーラを感じる。上手に育てて欲しい。勿論、色々な若手にチャンスをあげる事も忘れずに。それと、話題にするのが随分と遅くなって申し訳ないが、珠城りょう目当てで観てみたTVドラマ『マイ ファミリー』が予想以上に面白かった。久し振りに、ドラマを集中して観た気がする(笑)。たまきちの熱演も様になっていたし、濱田岳ら一般の俳優陣と演技している姿も新鮮で、彼女が宝塚を卒業した事実を改めて実感した。これからも色々な事に挑戦する中で、新しい珠城りょうを見せて欲しい。一方、『パンドラの果実』は華優希が出演した回だけ観た(失礼…)。何話か続けての出演だったらなぁ…(笑)。
2022.06.06
いつだったか、僕は「星組には、宝塚歌劇団の星組という以上に、彼ら単体で星組歌劇団を結成しているような団結力を感じる」と評したが、今公演のプログラムで小柳奈穂子も「宝塚は家族、ファミリーとよく言われますが、星組はその中でも特に家族的な組だと思います」と語っていた。確かに今の星組は、礼真琴を中心にますます結束力が強まっているように感じる。稽古場でその空気を感じ取り、小柳は「家族」という言葉を使ったのだろう。トップに就任して4作目となり、礼真琴と舞空瞳にも余裕と貫禄が出て来た。勿論、本人は相変わらず一生懸命なのだろうが、伝えたい事を無理なく表現できているという自信が、彼らの芝居からは感じられる。本作がコメディで、良い意味で肩の力が抜けているというのも、それをより強く感じさせる要因だろう。息もピッタリで、まだまだ大人に成り切れていないルーチェとアンジェリークの恋模様を、愛らしく演じている。(15年も付き合っているのに「君達は高校生か!?」という感じが、オジサン目線にはもどかしくも微笑ましく映る…笑)2人だけではない。ベテラン勢はもとより、中堅から若手まで組子達の個性が全体的に際立って来ている。各々が役柄のイメージをしっかりと把握した上で、自分が何を表現したいのかをはっきり理解できている証拠だろう。特に、前回【柳生忍法帖】で会津七本槍を演じた面々は、同じ悪役という設定の中でいかに一人ひとりの個性を出すか試行錯誤した経験が活きている。まだ幕開けから日が浅いにも拘わらず、皆が地に足のついた芝居を見せているのが印象的だった。それは大人しいという意味ではなく、ドタバタしてもゴチャゴチャしない、という意味だ。瀬央ゆりあは、礼真琴とさすがのコンビ感を見せている。同期のひろ香祐も、安心の安定感で舞台を支えている。敵役の綺城ひか理は、脱力系キャラ達に囲まれながら、一人だけ肩に力の入った芝居で存在感を示している。天華えまは、遅筆な劇作家役を周りとのバランスを考えながらコミカルに演じている。これまでやや物足りなさを感じていた極美慎と碧海さりおも、随分と「らしく」なって来た。極美はバウ初主演も決まり、ここから一気に飛躍する可能性は高い。碧海も何かチャンスを与えれば、更に伸びるだろう。これから、ますます注目の2人だ。コソ泥役の天飛華音も、脇役ながらしっかりと見せ場があり、持ち前の個性を発揮していた。それに負けじと、奏碧タケルと大希颯も溌剌とした芝居を見せており、この公演でどこまで自分をアピールできるかが今後の鍵になるだろう。3人で協力して楽しみながら、舞台を盛り上げて欲しい。雪組への組替えが決まっている咲城けいは、無邪気な王子役を好演していた。新人公演でも初主演を務めるため、ここぞとばかりに礼真琴から学べるだけ学んでおくと良い。そのアドバイスが雪組でも活きるはずだ。『カフェブレイク』でどんな話が聞けるかも楽しみにしている。稀惺かずとも、ようやく認識できる役柄に当たり、詩ちづると一緒に可愛い双子役を演じていた。まあ、子役なので男役としての魅力を発揮できなかったのは残念だが、華やかさもあるし今後の活躍が楽しみだ。そんな若手を支えるベテラン勢も、安定の芝居で魅せた。今公演で卒業する天寿光希は、普段よりも落ち着いた雰囲気で、一つひとつの場面や台詞を噛み締めながら演じているかのように感じた。本当に星組が好きだったのだろう。まるで彼女の心の声まで聞こえて来そうな、星組愛に溢れる芝居だった。そんな天寿がどんな想いで卒業を決意したかは察するに余りあるが、残された日々を仲間と思う存分に楽しんで欲しい。それ以外でも大輝真琴、輝咲玲央、朝水りょうといったイケオジ担当(?)の面々も目を引いたし、そこに娘役まで加えたら、一人ひとりを堪能するには何回観なければいけないのかと思うほど(笑)、皆が個性的に演じている。ストーリーも分かり易く、個々のキャラクターも単純ながら、誰かが芝居をしている最中も、脇では小ネタが繰り広げられているので、見た目以上に情報量が多い作品だ。ありがとう!!次回の観劇は5月17日(火)。それまでに、組子達も芝居が馴染み、更にワチャワチャ感が増している事だろう。と思っていたら、関係者にコロナ感染が確認されたとの事で、GW中の公演が急遽中止となった。先日、花組【巡礼の年~リスト・フェレンツ、魂の彷徨~】のチケットを無事に手に入れてひと安心したばかりというのに、一進一退はまだまだ続くようだ。それでも、出口は近いと信じて今は耐えよう。僕はGW営業で休みが10日まで無くなるので、暫くは更新が滞ると思う。特に話題が無ければ、暇を見付けて「深読みし過ぎ考察」を書き上げてしまいたい。記事は全4回だが、勿体付けても仕方が無いので7月25日に全部まとめて更新する。(一応、順番が狂わないように10時から10分おきに自動更新されるように設定した)
2022.04.30
先週19日(火)は、成田悠輔との出会いに希望を感じる一方で、飛龍つかさと音くり寿の退団発表に落ち込んだ日でもあった。僕の感覚からすれば、98期や100期は「まだまだこれからの期」という気がしてしまうが、本人達にとってはそうでもないのだろうか。僕達ファンには卒業が無いし、嫌な舞台は観ないという自由もある。その事で、誰かに文句を言われる筋合いも無い。一旦飽きて観なくなる期間があったとしても、再び興味が湧けばいつでもファンに戻れる。ファンとタカラジェンヌとでは、宝塚に対する向き合い方、覚悟がそもそも違うのだろう。現時点ではまだチケットの抽選結果は出ていないが、しっかりと見届けたい。花組と言えば、帆純まひろと一之瀬航季がW主演でバウ公演【殉情】を務める事が発表された。何かの切っ掛け一つで、まだまだ化けそうな可能性を感じさせる2人だけに楽しみだ。この機会を大切に、思う存分に演じて欲しい。余裕があるなら、続けて他の組でもワークショップを実施してあげて欲しい。さて、26日(火)は星組【めぐり会いは再び next generation】を観劇。とりあえず、ストーリーに関する僕の推理はほとんど外れ(笑)、7月末に載せると公言した深読み考察はタイトルを「深読みし過ぎ考察」に変えなければならなくなった。というか、どうにも気になったので確認してみたら、公式サイトの解説文がいつの間にか書き換えられており、「これじゃ絶対に正解なんか出ないよ!!」という衝撃の展開に…(笑)。まあ、仕方が無いので、今回は引き分け(?)という事にして、僕の考察は全く別のアナザーストーリーとして読んでもらう事にしよう。(相変わらず、恋愛要素は薄いです…笑)しかし、外れたとは言え、推理したからこその驚きや得心もあり、普段の観劇以上に脳が活性化された。また、本作は2011年と2012年に上演された舞台の10年後を描いているため、推理の過程で多少なりとも配役や人間関係を把握していたのも功を奏した。できれば、予習をしておく事をお勧めする。内容的には、架空の国を舞台にしているだけに自由度が高く、宝塚らしいファンシーな世界観が思う存分に表現されている。まあ、前半に情報や小ネタを詰め込み過ぎて、話の整理が追い付かない箇所もあるが、主要キャストだけでなく脇役にまできちんと見せ場があり、小柳奈穂子の組子に対する愛情を感じた。そして、これは僕の推察通りだったが、後半はそこはかとなく月組【All for One】を意識した流れになっている。(だから「壁」なのかな、と思った…笑)宝塚らしさ全開の作品だからか、組子達も実に楽しそうに芝居をしている。また、前回【柳生忍法帖】という宝塚らしくない作品を経験したからだろうか、全員の芝居に深みが増しているように感じた。特に、会津七本槍を演じた面々の成長は目に見えて著しい。【柳生忍法帖】は、ファンからすれば観たい舞台ではなかったかも知れないし、組子達にとっても共感し難く、また演じ難い内容だったかも知れないが、礼真琴が文化庁芸術祭賞の演劇部門新人賞を受賞した事に鑑みても、今まで自分の中に無かった感情を表現するという点で、演者としては実りのある作品だったと言えるのではないかと思う。(人生はいつだって何が功を奏し、何が裏目に出るか分からないものだ)スペインを題材にした【Gran Cantante(グラン カンタンテ)!!】も、礼真琴の魅力を思う存分に活かした情熱的なレビューとなっている。組子達の表情も自信に満ちており、頼もしい限りだ。まこっつあんは、芝居と合わせて演じるとかなり体力を消耗するのではないかと思うが、まだまだ幕を開けたばかりだし、無理の無いようペース配分を考えながら公演を続けて欲しい。そして、今公演で初舞台を踏む108期生の初々しくも熱の入ったロケットも素晴らしかった。こんな時代だからこそ、夢と希望を抱いた若者達の溌剌とした笑顔は救いになる。彼らの中からどんな個性が飛び出して来るのか、楽しみにしながら見守りたい。ありがとう!!キャスト別の感想は、後日改めて。そして、今日は……■抽選結果お申し込みをいただいた中から厳正に抽選させていただいた結果、誠に残念ですが、以下の公演につきましてチケットをご用意することができませんでした。申し訳ございません。・宝塚歌劇 宙組公演 ミュージカル・プレイ『カルト・ワイン』ARIに続いて、ずんにも嫌われた!!エェーーーーーン!!。。゚・(((つД`)))・゚。
2022.04.27
つい先日、とあるブログに「演目の決定に、ファンの希望はどれくらい反映されるのか?」といった疑問が書いてあるのを見付け、ちょっと考えてみた。宝塚ファン歴の浅い僕に、「誰を主演にどの演目が観たい」という希望が全く無いからだ。とは言え、「演目選びは大切だ」という意見にも一理ある。ただ、僕の感触で言わせてもらえば、「人事」「番手」「演目」に関してファンの希望が通る事は殆ど無いと思う。こう書くと「じゃあ、お前のジョージアはどうなるんだ!?」と非難されそうだが(笑)、ここで勘違いしてはいけないのは、僕は別に「『斜陽の国のルスダン』を舞台化して欲しい」とも「ジョージアを舞台にした作品を観たい」とも発言していない、という事である。僕はただ一人で勝手にジョージアに親近感を覚えて、ブログで話題にしていただけなのだ。ただし、僕が紹介したジョージアン・ダンスや民族衣装が劇団なり演出家の興味を引いた、という事実はあるだろうと思う。僕がこのブログに宝塚以外の話題を積極的に載せるのは、(まあ、そもそも宝塚ブログではないという理由もあるが…笑)演出家諸氏に何かヒントやアイデアになれば良いという狙いもあるからだ。そして、若いジェンヌ達には「君達が考えているより世界はずっと広く、人生はずっと奥深いよ」という事を知ってもらいたいからである。また、僕の独特の感性と価値観は、作品に新たな視点を加える事ができる(と自負している)。逆に言えば、それ以外の事は特に何もしていない。普通に舞台を観て、感想を書いているだけだ。僕は「人事」「番手」「演目」に関しては、一切の口を挟まない事を信条にしている。基本、劇団に対しては「やってみなはれ」という姿勢だ。恐らく、たいていの宝塚ファンはこう考えているだろう。「ファンあっての宝塚なのだから、劇団はもっとファンの意見に耳を傾けるべきだ」これに対して、僕は全く逆の立場を取っている。「宝塚あってのファンなのだから、ファンはもっと劇団やタカラジェンヌを尊重すべきだ」(「ファンあっての宝塚」とは劇団やジェンヌが言う台詞であり、ファン自らが言うべきではない)これは決して「劇団の言いなりになれ」という意味ではない。「敬意を払え」という意味である。どんな関係でもそうだが、「自分を受け入れて欲しいなら、先ず相手を受け入れよ」という事だ。「気に入ったものは褒めて、気に入らないものは貶す」だけでは本当の信頼は生まれない。また、いつだったか忘れたが「僕は飽くまでもタカラジェンヌの味方であって、宝塚ファンの味方ではない」という意思表示も、このブログで明確にしている。だから、僕がジェンヌ達の人事や番手、演目に口を挟む事は無いし、他のファンと徒党を組んで劇団や演出家を批判する事も無い。恐らく、そうした姿勢が劇団やタカラジェンヌから一定の支持を得ている、或いは安心感を与えているのだろうと思う。勿論、僕にも人事や番手に関して希望が無い訳ではない。しかし、劇団には劇団の事情があり、全てのファンの希望を満たすのは絶対に不可能だという事も充分に承知している。ならば、無理難題を言って劇団やタカラジェンヌからの信頼を失うよりは、余計な事は言わない方が良いという立場を選んだ。何も言わない事で、却って劇団やタカラジェンヌ達の信頼を得られるのなら、その方が良いに決まっている(笑)。そういう姿勢を貫いているからこそ、たまの一言が「この人の意見なら検討してみよう」と、劇団の心に届くのだろうと思う。「ファンの利益」ではなく、「タカラジェンヌの利益」を考えての発言だと受け取ってもらえるからだ。まあ、たまに調子に乗って余計な事を言ってしまう時もあるが(笑)、それで信頼を失うならそれは僕自身の落ち度なので仕方が無いと覚悟している。自分のブログだから自分の希望を書くのは自由だ。ファン同士で盛り上がるのも構わない。しかし「人事、番手、演目に関して自分の意見が通る事はない」という事実を大前提にしておく必要がある。そうでなければ、結局最後は、劇団に対する不信感と不平不満しか残らなくなってしまうだろう。(実際、そういう人達がブログ村にはたくさんいる)せっかくブログという便利なツールを使っているのだから、先ずは劇団と信頼関係を築く努力をしてみてはどうだろうか。いくら会社組織とは言え、そこで働いているのはあなたと同じ心を持った人間である。あなたが劇団に対して度量の大きさ、愛情の深さを示せれば、必ずしもあなたが望む形ではないにせよ、きっと何らかの形で劇団も応えてくれるようになるはずだ。(実際、僕も別に「ジョージア」を望んでいた訳ではないが、やはり嬉しい…笑)もしかすると、今回の「ジョージア推し」は、劇団が僕を出汁にして、分かりやすい形でその事をファンに示そうとしたのかも知れない。(あれ、そうなると僕はただのピエロって事じゃないか…笑)そうした関係性を喜び楽しめる余裕ができれば、少なくとも今より面白い宝塚ファン生活が送れるのではないかと思う。これが、僕が約6年に渡って宝塚歌劇団と関わって来て、自分なりに出した結論だ。と、今回は他のファンの疑問に真面目に答えてみたが、僕は人事考察はしないので「○○さんはトップになると思いますか?」とか「添い遂げ退団すると思いますか?」といった疑問には一切反応しない。質問されても「さあ、分かりません」としか答えないだろう。(実際、本当に分からないし…笑)僕はただタカラジェンヌ達を見守り、叱咤激励し、受け止めるだけである。70億人を愛する事に比べたら、たかが400人の女性を愛するなんて、俺には朝飯前だぜ。よし、どんと来い!!
2022.04.15
12日(火)は雪組【夢介千両みやげ】の2度目の観劇。予定を忘れないように、いつもスマホのスケジュール機能を使い、「明日 ○組△時~」と前日に通知が届くように設定しているのだが、今回は「雪組13時」と通知が来てちょっと慌てた。いつものように15時30分公演だと思い違いをしていたのだ。予定を忘れる事は滅多に無いとは言え、こういう間違いがあるからこそ、やはりスケジュール機能は必要だと改めて思った。あの日の俺、ナイス判断!!(笑)そして、チケットを買った時には気付かなかったが、僕が観劇した4月12日は彩風咲奈と朝月希和がトップに就任して1周年記念日だった。きっと、これも運命だと思おう。あの日の俺、ナイス判断!!(何でも都合の良い方に考える男…笑)そのせいかどうかは分からないが、この日のショー【Sensational!】では普段よりも拍手や手拍子の音が大きかったように感じた。加えて、直前に宝塚受験スクール『クラレス』の動画を観たせいか、感動も何割増しかになり、「宝塚に出会えて良かった」と改めて思う公演となった。ありがとう!!いや、違う。まだ感想の途中だった(笑)。前回公演のショー【Fire Fever!】を僕は「チームプレー」と評したが、今公演の【Sensational!】では組子一人ひとりの個性に更に磨きが掛かり、それが構成の上手さと相まってずっと見せ場が続く濃厚なショーとなっている。また、彩風の個性に合わせてダンス中心ではあるが、一人でも多くの組子にソロを歌わせようという意図も感じさせるショーだった。(それに応えるように、組として歌唱力が上がっている)そのおかげで、いつも以上に個々に目を向ける機会が増えた。まあ、その分ずっと双眼鏡を構えていないといけないので落ち着かないが(笑)、これも贅沢な悩みとして喜ぼう。打線と打率が見事に噛み合った結果と言えるだろう。退団する綾凰華はソロだけでなく、彩風咲奈と銀橋で絡む場面もあり、芝居と同様に最大限の配慮がなされている。綾にとっては、これ以上無い餞(はなむけ)だろう。最後の日まで、思う存分に舞台を楽しんで欲しい。黒燕尾の群舞も素晴らしく、今の雪組が持つ魅力を余す事なく引き出したショーと言える。芝居ではボーッとした役柄だった彩風も、ショーでは思い切り攻めており、スタイルの良さも相まって惚れ惚れする格好良さだった。つまり、彩風咲奈に岡惚れしちゃうという訳だ(笑)。【夢介千両みやげ】は改めて観ると、別々だったエピソードや登場人物達が夢介を中心にだんだん繋がって行く様子が面白い。そのおかげで、若手からベテランまできちんと見せ場がある良い作品だと思う。コメディなので、組子達もちょっとオーバーに芝居したりして楽しそうだ。ありがとう!!
2022.04.14
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