全11件 (11件中 1-11件目)
1
牛乳を飲んでお腹が痛くなったり、下痢したりってよくある症状です。砒素だって急性中毒の症状は、腹痛と下痢です。物質だけを利用しようとすると、ここどまりです。同じように腹痛と下痢を起こす物質ですが、背景がだいぶ違うってところを治療に使うのが、ホメオパシーのレメディーです。牛乳のレメディーの場合、飼育される牛の環境やカスピ海ヨーグルトに燃えてた女性達や、それを遠巻きにみていた人々の心境に似た精神的背景があります。例えば「みんなおんなじ制服着て、同じことするのがすごいヤダ。教室にいると気分が悪くなる。休み時間に連れ立ってトイレに行くとか、お昼を誰と一緒に食べるとか、ホント最悪。」なんて理由で、学校に行く前に腹痛、下痢とか・・・。砒素は、最近ですとアジアの地下水汚染が有名ですが、これまでも宮崎県の土呂久鉱山の砒素中毒とか、森永砒素ミルク事件とかいろんな健康被害を引き起こしてきました。こういう事件が報道されると、人は皆不安に駆られます。「健康に対する不安」が強まります。古くから、食事に混入して弱らせるという目的でも使用されてきましたので、「人は信用できない。」とか、「不安から治療家に依存」というパターンがあったりします。「いつもの病院がそばにないと不安で、出かける自信がない。」ので、学校行く前に腹痛、下痢とか・・・。同じような腹痛と下痢ですが、理由がだいぶ違います。「その症状と似た症状を起こす物質を与えることによって、症状を治そうとする」の中身は、体の症状だけでなく、精神的な面でも似たものを探します。なので、一度に使うレメディーの数が多いと、なにがなんだかよくわからなくなってしまいます。
2008.11.28
コメント(0)
昔の人は言いました。「食べてすぐ横になると、牛になる。」と。本当のことです。本物の牛は胃に入れたものを、口までもどして噛み直す反芻をやります。人間の場合、そこまで戻しませんが、胸元あたりまで逆流します。胃には胃酸がありますので、一度胃に入ったものが逆流すると、胸焼けの原因になります。と、言うわけで「胸焼け」と言われたら、食べてすぐ横にならないか聞きます。薬よりもレメディーよりも、大事なことです。牛ではないのですが、牛乳から作られたレメディーがあります。かつて、カスピ海ヨーグルトが流行った時、つてをたどって種菌をやりとりするという行動様式が、このレメディーに似ていると思っていました。通常、牛は家畜として群れで生活します。この「大勢で群れをなす」が、ポイントです。牛として当然のことですが、もしもそれがたまらなく嫌だと感じていたとしたら、そこから始まる不調も可能性としてはあると思います。「お付き合いが嫌。」とか「沢山人のいる所は怖い」といった、所見がこのレメディーにはあります。大勢でなくても、つるむと言えば、10代の女の子が、休み時間にトイレに連れ立っていくのもよく似ています。「トイレが怖い」という所見があるのですが、他の国の関係者は、「狭いのが怖い」の延長だと思っているでしょうね。日本の10代が、休み時間の連れ立ってトイレの時間を苦痛に感じているという方が、理由としては納得できます。(10代でなくてもやりますが・・・。)「牛は牛連れ、馬は馬連れ」という日本のことわざは、類は友を呼ぶみたいな意味で、ここでもつるんでいますが、中国にいくと「鶏口牛後」で、大勢の群れの後ろにいるより、小さい集団のトップの方がいいよねになります。国民性の違いでしょうか。以前読んだ遠藤周作のエッセイで、「女性は牛に似ている」という一文がありました。一度消化したはずのことを何度も蒸し返すのが、反芻に似ていると言うのです。カスピ海ヨーグルトのブームの担い手も、連れ立ってトイレに行くのも確かに女性が多いですが、実際にこのレメディーが女性に多いかは、まだ経験がないのでなんとも言えません。
2008.11.26
コメント(0)
連休のうち1日は、セミナーに参加しました。「セッションの最中、自分がどう感じているか、きちんと自覚しておきましょう。」が、今回の最大の収穫でした。話を聞いていて、「いかんでしょ~。それは~。」とか、「許せんっ!」ってジャッジが入ると、患者の全体像がゆがみます。「いかん。」や「許せん。」は、聞いているこちらの問題であって、クライアントの問題ではないのです。「いかん。」のつっこみは、自分の方にこそ必要です。セッションでは、俯瞰で見ることを心がけていますが、そこには自分も含みます。毒出しではなく、日常をどんな考えに毒されているのかを見るやり方のホメオパシーでは、聞く側にも毒されている考えがないかを、俯瞰で見るって必要なことです。
2008.11.24
コメント(0)
お会いすると、ちょっとドキドキする年頃の方々がいます。中高年の皆様です。心筋梗塞とか、脳梗塞とか、癌などの可能性を考える必要のある年齢層ってあるのです。実家は小さな診療所ですので、大きな病院に紹介するかどうか、真剣に考えます。検査してみると、実際そうだったりすることもあって、「見つかってよかったね~。」というような日常を生きています。なので、「薬は必要ない。」という教義に納得したことは、一度もありませんし、簡単にはまる気持ちも理解できません。偏った小さい世界に身を置いてみたい、お年頃なのかもしれませんね。「いけません。」って言われるほど燃えるのか、現実から目をそむけていたいのか、反抗なのかは知りませんが・・・。いつか、世界の本当の大きさを知る日が来ます。楽しみですね。それにしても、ここ数日、お年頃の若者がデートしたくらいで、大の大人が大人気なく大騒ぎしているのには、ウンザリです。「人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ」って知らないのでしょうか。
2008.11.21
コメント(0)
紛争とは無関係に生産されたダイヤモンドを、conflict free diamondと言うのだそうです。conflictには、紛争以外にも摩擦や葛藤という意味もあります。ホメオパシーを学び始めてから、覚えた単語です。ケースの話をするのに結構、便利です。「子供をとても愛してるんだけど、ものすごく腹が立つって葛藤がありますね。」とか・・・。経過を見るのにも、実は「conflict free」を所見として大切にしています。症状がよくなれば、日常の自由度が増します。自由に好きなものを食べて、自由に外出できて、自由に恋愛したり、自由に仕事したり、学校に行ったり・・・。できないという思い込みの背後にある葛藤が軽くなると、人は身軽になるようです。経過中のトラブルに対して、どう対処するのかを観察する際にも、「conflict free」は重要です。病院に行って薬を処方してもらったとか、処方された薬を飲まなかったとか、なにもしないで様子を見たとか、レメディーで対処したいと連絡をしてきたか、しなかったか・・・などなど。病院や薬に対する葛藤が軽減すれば、自由に利用できるようになります。薬やレメディーに対する必要度が減ってくれば、主治医は薬のことを検討するでしょうし、ホメオパシーのセッションも徐々に遠ざかっていくものです。あらかじめ「病院には行かないで。」とか「薬は飲まないで。」と、治療する側が制限を設けてしまうのは本当に残念だと思っていますが、そういうコンセプトの治療家を選ぶのも各自の自由ですね。観察する側の内面の「conflict free」が、実は一番大事かもしれません。
2008.11.19
コメント(0)
昔、神様に勝ったことがあります。・・・と言っても本物ではなく、人間の自称「神様」。(笑)田舎には「神様」という商売の方がいて、お家に神棚を作ったり、人生相談みたいなことをしていたようです。直接お会いしたことはありません。「神様」のお客様が、血相変えて飛んできたことがありました。「神様に、血圧が高いから診てもらえと言われた。」そうです。測りました。血圧。何回測っても正常なんです。「よかったですね。」と言ってお帰り頂きましたが、なんともほのぼのとした笑い話です。実際、勝ち負けではないですが、当時若くて世間知らずだったもので、「「神様」に勝った。」と思っていました。(バチあたり)その「神様」は、もうずいぶん前に癌で亡くなられたと聞きました。「神様」、不老不死じゃないんですね。人間だもの・・・。それはそうと、最近の自称「神様」に微笑ましい感じがしないのはなぜでしょうね。
2008.11.17
コメント(0)
お昼になにげなく見ていた番組で、「キムチで体脂肪、減るんですよ~。韓国と日本の女子大生で比較したら、こんなに違いがあったんです~。」なんてやってましたが、どうか本気にしないで下さい。どこかの大学の研究結果として、グラフが出されていましたが、それも鵜呑みにしないで下さい。ずいぶん前になりますが、「キムチを食べるとやせる」で、ちょっとしたブームになったことがありました。その頃に、「毎日キムチ」を実践されていた方に、まとめてお会いしたことがあります。まさしく女子大生くらいの年齢の女の子達だったのですが、みなさん異口同音に「調子悪い。」と言っていて、胃が痛いだの下痢が続いているとかが、主なお悩みでした。当然アドバイスは、「キムチ食べるの止めようね。」でした。今回もまた、同じようなことにならなければいいのですが・・・。人間はみんな、どこの国でも同じ五臓六腑ですが、「毎日キムチ」に耐えられる人々と、そうでない人々とが存在するのです。先に出されてたグラフも、とても気に入らないのが、キムチの消費量と体脂肪と体重だけの比較で、「キムチを沢山食べるとやせますよ。」と断定できるのかということです。運動量は?野菜や肉の摂取量は?食べても太りにくいといった遺伝的素因は考慮しなくていいの?などなど・・・。実際の研究論文では、ここまで調査されているかは知りませんが、自分たちに都合のいいデータだけを切り取って、番組作りはされるものなのですね。誰でも表現する自由はあると思いますが、それが適切な内容かどうかは、別の問題のようです。
2008.11.13
コメント(0)
高校生の頃、家庭科の授業で「ホヤは保夜とも書きます。古くから婚礼の席のお膳には、かかせないものとされてきました。」と習いました。一応宮城県は産地ですので、こういうこともお勉強するものなのでしょう。はっきり言って下ネタですが・・・。実際ホヤに、強壮作用があるかどうかは知りませんが、人間は古くから動物や植物や鉱物に、自分達の望む効用を求めてきました。繁殖の際に沢山産卵するとか、形が似ているとかがその根拠で、なかば言いがかりのようなものです。でも、全て迷信と一蹴できるかと言うと、そうとは言えないケースもあって、それが後の世に言い伝えられ、語り継がれて、今日まで「強壮剤扱い」が何千年と続いていたりします。もともと治療と自然とは、切っても切れない関係があります。現在使われている医薬品の中にも、もとは木の皮だったり、熊の胆汁だったりというルーツを持つものもあります。植物を乾燥させただけの「○○茶」でも、肝臓に障害の出るケースもあります。なにが「体に毒」になるかは、個人によって違いますので、取り扱いは慎重にするべきです。通常の医療でも代替療法でも、使った結果改善があるかどうかとか、自分に合ったものかどうかのチェックは必要です。その際に、くれぐれも感情に振り回されないことが大事です。「すごくいいって友達に聞いたから。」でも、自分に合っていると言えるか、自分のフィルターに通して吟味するのは必ず行うべき作業です。冷静な判断のために、感情は差し引いて、頭は冷やして目を開いてが基本姿勢です。もちろん、疑問に思うことは、医者なり治療家なりに聞いてみるのも大切です。どんな答えが返ってくるかも、判断材料になると思います。
2008.11.12
コメント(0)
ホメオパシーを学び始めて7年ぐらいになりますが、最初の頃は、レメディーの所見の中で、有名なものだけをピックアップしたプリントやテキストが、授業でよく使われました。最初はよかったのですが、実際にクライアントを見るようになると、プリントの所見通りではないのに愕然としました。レメディーの所見だけではなく、物質のことをいろいろな観点から把握するという勉強の仕方は、世界中で広く行われています。有名な所見だけに頼ると、ダイヤモンドのレメディーは、パートナーシップに問題のある女性だけかと思ってしまいます。それこそ「よく泣く女の子が母親から離れたがらなければ、プルサティーラ」レベルの、表面的な観察による処方と同じです。「深い悲しみ」や「憤り」に対する、ダイヤモンドの可能性は、「遺骨をさらに焼いて、ダイヤモンドにして身につける」とか、「産地には紛争がつきもの」といったことを知って、はじめて考えることができるのです。いろんな角度から、レメディーの材料になる物質を学ぶように、クライアントのこともいろんな角度から観察するのは、時にしんどいこともありますが、根本的な原因に触れるレメディーをつきとめることができた時は、本当に嬉しいものです。今まで病気に使っていた時間を、自由に人生を謳歌する方向で使えるようになることを目指して、個人セッションでお会いする時は安心して語って頂ける雰囲気づくりを心がけていますが、レメディーの探求にあたっては、自分自身に厳しくありたいと思います。
2008.11.10
コメント(0)
男女の縁を切ることを、日本語の慣用句で「手を切る」と言います。・・・偶然でしょうか。「ダイヤモンドは永遠の輝き」です。そして、「永遠の愛の証」として贈られるものです。贈られた側には、勢い余って「愛してるんです~♪」とか言って歩きたい人もいるかもしれません。それから何年かたって、関係が冷え切ってしまうということも人によってはあるわけです。所変われば、紛争の資金源になったり、子供をさらってきて兵士にしたり、採掘や研磨の現場で労働させるという暴力とも深い関連があります。最近では、亡くなった方の遺骨やペットの遺骨を、ダイヤモンドに加工するという技術があります。そうやって姿を変えて、アクセサリーとして身に着けることで、ずっといっしょにいることができるのだそうです。これもまた、ある意味愛の形ですね。「骨まで愛して」という、古い歌謡曲を思い出しました。その人の心象風景まで、所見として加味することができるのが、ホメオパシーのいいところです。「愛を声高に叫びたい衝動がある」「ダンナが大嫌い」「怒り」「反抗心」「悲しみにくれて涙が止まらない」「時間が、えらくゆっくり流れていくような気がする」「動物が別の何かに姿を変える夢を見る」薬が効きにくいとか、検査成績に表現されない不調の背後には、こういうものがあったりします。過度の緊張や、必要以上のテンションの高さの「もと」を探る必要があるのです。あふれんばかりの愛情や、それと同じ量の憎しみや、どうしても許せない怒りや、なかなか脱することのできない悲しみなど、度が過ぎるものはなにか、どんな考えに毒されているのかが、重要な所見です。あなたの世界観に「似たもの」は、こうして選び出されるのです。
2008.11.06
コメント(0)
植物、動物、鉱物の持っているエネルギーを、治療に使うというのは、ともすると怪しくなりがちです。エネルギーのことだけでなく、現実に起こったことにもしっかり目を向けないと、本当に人やレメディーを理解したことにはならないと教わったのが、ダイヤモンドのレメディーでした。まだ新しいレメディーですが、イギリスから来る先生方に、処方した症例やレメディーのことを教わったものです。このレメディーにはいろんな精神面での傾向や身体の所見があるのですが、なぜか印象に残ったのが、「手足のない子供が産まれる夢を見る」という精神面での特徴です。実は、本当にあったことです。シエラレオネは、1991年から2002年までダイヤモンドの採掘をめぐって内線状態でした。そこで、人々を恐怖に陥れるために、斧で手足を切り落とすことが行われたそうです。ダイヤモンドのせいで、手足のない人が作られるという現実が、レメディーの所見に反映されているのです。その物質が持つエネルギーを理解することは、クライアントが持つエネルギーを理解することでもあるのですが、世の中に起きたことを目をそらさずに見つめることでもあると思っています。ちなみに、シエラレオネ産ダイヤモンドは、こうした経緯で採掘されたものということが世界中に知れ渡っているので、「Blood diamond」(血まみれのダイヤ)とか、「Conflict diamond」(紛争ダイヤ)と呼ばれて、とても嫌がられたそうです。当時、宝飾業界にいた方の話では、「このダイヤはシエラレオネ産ではありません」証明書を、せっせと発行しなければいけなかったとか・・・。そういえば、「ダンナが大嫌い」という所見もありました。友人で、彼女にダイヤモンドの指輪を贈るとなぜか別れるというジンクスの持ち主もいました。場合によっては、ダイヤモンドが断ち切るものは、手足だけではないようです。
2008.11.04
コメント(0)
全11件 (11件中 1-11件目)
1