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フィギュアスケート史上最大のスター(By プルシェンコ)の新たな可能性を鮮烈にしらしめたパフォーマンス、『レゾン』。まさしく、誰も見たことのない氷上のショーナンバーだった。選曲にも驚かされた。氷上で表現するのは非常に難しい、コンテンポラリーな若者の歌を、動的で華麗な「羽生ワールド」に昇華させた、そのテクニックに完全に圧倒された。清冽な情熱、汚れのない官能、理性的な狂気――およそ、誰も見たことのない、想像もしたことのない世界が氷上で展開されていく。しなやかな腕の動きや、軽やかな飛翔、ブレない回転動作。そこに抜群のスタイルと、それを引き立てるシンプルで美しい衣装が加わる。魔力をもった白い鳥が、人間の姿を借りて舞い降りてきたかのよう。もちろん、『レゾン』を見たファンの熱狂は凄まじく、それはネット上で津波のように広がっていった。誰もが評論家になり、感動をさまざまな形で発信していた。このように人々の心を揺さぶる力。それを得るのは、五輪でメダルを獲得する以上に難しい。五輪でメダルを手にすると、それが力量のピークで、その後はフェイドアウトしてしまうスケーターが多いが、羽生結弦は例外なのだ。いや、例外というより、規格外。平昌で引退していたら、おそらくはこの圧巻のパフォーマンスはなかっただろう。明らかに、羽生結弦は金メダル後も進歩し続けた。その結果が『レゾン』だとも言える。勝つことにこだわり、点数を重ねる戦略を練って試合に臨むタイプだったから、羽生結弦は勝負師であり、アイスショーには向かないのではないかという意見もあった。だが、『レゾン』で彼はそのネガティブな予想を一蹴して見せた。今後は、羽生結弦の新しいショーナンバーを見るために、多くの人がアイスショーに押し掛けるだろう。それはMizumizuが長年夢見てきた、フィギュアスケートの新たな展開。メダリストのお披露目としてのショーではなく、氷上の舞踏芸術としてのフィギュアスケートの可能性。それを切り拓いてくれる才能が、またひとり日本から生まれた。
2022.07.21
有名なギリシア神話の逸話に「イカロスの墜落」がある。翼を得たイカロスが、父の忠告を無視をして太陽に向かって高みへ、高みへと飛んでいく。だが、太陽に近づきすぎたために翼を失い、墜落して命を落とすという逸話だ。これは西洋では、傲慢さへの戒めとして語られる。だが、そのイカロスのイメージを完全に真逆にして再構築した詩人がいる。西洋世界の伝統のくびきの外で育った日本人、片岡輝だ。西洋的常識の世界では、自分の力を過信した傲慢さから悲劇的な死を遂げたと解釈される存在を、彼は、誰も目指したことのない高みに到達しようとした「鉄の勇気」をもつ存在へと作り変えた。それが『勇気一つを共にして』だ。♪昔ギリシャのイカロスはロウでかためた鳥の羽根(はね)両手に持って飛びたった雲より高くまだ遠く勇気一つを友にして丘はぐんぐん遠ざかり下に広がる青い海両手の羽根をはばたかせ太陽めざし飛んで行く勇気一つを友にして必ずしも頑強とは言えない身体で、壊れやすい足を奮い立たせながら、4Aという人類未踏のジャンプに挑み続けた羽生結弦。選手生命が短いことで知られるフィギュアスケートで、五輪二連覇という偉業中の偉業を成し遂げながら、さらなる高みを目指して現役を続けた羽生結弦。北京五輪でメダルを逃した彼を見て、それが完成してもいないジャンプに固執したがための「墜落」だと冷ややかに見た人も少なからずいたことは承知している。ただでさえ恐怖をともなう前向き踏切の、足に凄まじい負担がかかる4回転半のジャンプ。下手をしたら二度と滑れなくなる怪我を負うかもしれない。たった一瞬で。五輪二連覇を成し遂げ、輝かしい栄光を手にしたまま引退することもできた羽生結弦が、そんなリスキーなことをする必要はなかったのだ。常識から考えれば。その常識を自らの意思で一蹴し、人類未踏のジャンプの完成、その先にあるさらなる栄光を目指して苛酷な練習を重ねた羽生結弦。それはまさに「勇気一つを友にして」高みへ飛翔しようとした、日本生まれのイカロスだったのだという気がしてならない。だから、片岡輝が作り上げた新たなイカロスの歌のエンディングを、羽生結弦のあとに続くスケーターたちに、そして、何かをやるべきか、やめるべきか、常に迷っている市井の人々に捧げたい。ぼくらはイカロスの鉄の勇気をうけついで明日(あした)へ向かい飛びたったぼくらは強く生きて行く勇気一つを友にして
2022.07.19
オリンピックの本番が終わったあと、さっそくワールドを目指して練習を再開した宇野昌磨選手が、フリーをノーミスで滑ったというニュースを聞いて、大いなる期待を抱いたMizumizuだったが、それが現実になった。単独の4回転、連続の4+3を決めて首位に立ったあとのフリー。曲は『ボレロ』。名選手にしか滑りこなせない難曲だ。冒頭は格調高いポースが印象的な振付。ビシッと決まる宇野選手のポーズを見た時、奇妙なことにMizumizuはウクライナの生んだ偉大なチャンピオン、ヴィクトール・ペトレンコ選手を思い出した。重厚で風格ある滑りを得意としたペトレンコ。ウクライナに里帰りしているときに戦争がはじまり、キエフから脱出できずにいるというニュースが入ってきたばかりだ。その彼がこの場に舞い降りて、新たな伝説を紡む者を祝福しているようだった。それは単なる幻想かもしれない。しかし、アイスリンクには決して現れるはずのないものを見せてくれるのが、宇野選手の他の選手には決して真似できない表現力だ。例えば『天国への階段』では、宇野選手がふっと両手を差し伸べたとき、Mizumizuには天から降りてくる光が見えた気がした。観る者の想像力を刺激し、見えないものを見せてくれる能力――それは浅田真央選手にも、確かにあった。その意味で、宇野選手は浅田選手のもっていた、稀有な能力の継承者とも言える。別に統計を取ったわけではないが、おそらく浅田選手を愛するファンは、宇野選手のようなタイプのスケーターを評価するのではないかと思う。今回のフリー、とりわけ単独4回転の完成度が素晴らしかった。それも、ループ、サルコウ…なんと後半にフリップ。後半のフリップを素晴らしい完成度で降りたとき、宇野選手の勝利は決定的になった。そのあとは体力がもたなかった感がある。4トゥループで乱れ、3Aからの3連続は最後がシングルフリップに(3A+1Eu+1F)。それでも、失敗は最小限…という印象におさまった。お休みする間のない難曲、ボレロ。途切れない表現を重ねながら、これだけ難度の高いジャンプを決める、その体力・精神力には脱帽だ。さらに最後にもってきたステップシーケンスの独創的な動きに目が釘付けに。そして、突然やってくるドラマチックな終焉。芸術と技術の至高のマリアージュ。卓越した振付! 平昌のあと、表彰台落ちが続いた宇野選手を見たとき、「このままシルバーコレクター」として終わってしまうのだろうか、と危惧した。そのまま終わっていくのか、再浮上のきっかけをつかむのか。ギリギリのライン上で明らかにもがいていた宇野選手を救ったのが、ランビエール・コーチ。ワールドを複数制覇した名選手が、これほどの名コーチであることを誰が想像しただろう? 「昌磨はチャンピオンになれる」と断言し、導いたランビエール・コーチの手腕はもちろんだが、それ以上に、この2人の相性がとても良かった気がする。宇野選手もランビエール・コーチも、自分以外の誰かに対して「惜しみなく献身できる」という卓越したキャラクターをもっている。ひたすら自分のため、自分の栄光、自分の名誉だけを見据えて突っ走る人もいる。それはそれで素晴らしい能力だが、誰かのために努力するというのも、素晴らしく、しかも稀有な能力であり、才能だ。調子の悪いときの宇野選手は、単独ジャンプを決めても、連続ジャンプで失敗する。連続は決まっても単独で失敗する。あるいはその両方が重なる――という悪循環に陥っていた。それが今は、フリップ、ループ、サルコウ、トゥループの4回転の確率が格段に上がっている。それが連続ジャンプにも良い影響を及ぼしている。欲を言えばフリーの連続ジャンプ。これを試合でミスなく決める力を見せたとき、宇野昌磨のスケートは完成する。
2022.03.27
2022年のフィギュアスケート世界選手権、女子シングル。坂本花織が金メダルに輝いた。シーズン初めには想像さえできなかった結果だ。しかも、ショート&フリーともミスらしいミスのない、1位+1位の「完全勝利」。ロシアの根深いドーピング問題に揺れ、ウクライナ侵攻という想像を絶する暴挙に翻弄された今季のフィギュアスケートだが、坂本選手という、実にフツーに成熟した美しい体形の選手の、長年積み上げてきたスピード感あふれる素晴らしいスケーティングと、その流れを止めることなく跳ぶ高さと幅のあるジャンプを見ると、フィギュアスケートが本来もっている魅力、その醍醐味を再認識させてもらった気分だ。細い軸の高速回転で高難度ジャンプを跳ぶ、ロシアの少女たちが席巻してきた昨今の女子シングルだが、ここで「健全な競技に戻れ」という見えざる神の手が働いたかのよう。そもそも、最近のシングルはやたらクルクル回りすぎる。いつの間にか滑る競技から回る競技になってしまったかのよう。それによって、「長年滑り込むことでしか体現できない」スケーティングそのものの味わいを損ねてきたのも事実だろう。しかし、この勝利がフィギュアスケートの原点に戻るきっかけになれば、これほどうれしいことはない。そしてもう1つ。多くの有力選手が、さまざまな理由でこの舞台に立てなかった。オリンピック前は「(ロシア女子の)唯一の競争相手」と称されてきた紀平梨花選手。Mizumizuもロシア女子がコケた場合、表彰台の頂点に立てるのは紀平選手だろうと思っていた。坂本選手はトリプルアクセル以上のジャンプがなく、しかもルッツのエッジに不安がある。だが、ワールドが終わってみればトリプルアクセルを武器にしようとした選手は軒並み回転不足判定に泣き、大技はもたないものの、ジャンプの質が抜群によい坂本選手がぶっちぎりの点数を叩き出しての勝利となった。いかに、トリプルアクセルが女子にとって難しいか。その難しいジャンプを軽々跳ぶ一部ロシア女子選手がいかに疑わしいか。回転不足による減点の厳しさについては、Mizumizuは常に反対の立場だ。この厳しさが女子に過重なまでの減量を強い、選手生命を短くしている。体重が軽い、若いというよりもはや幼いといっていい時代の女子選手なら回転不足なく跳べるが、年齢を重ねるにしたがって、軒並みこの判定に苦しむようになる。回転不足を厳しく見ること自体には反対しないが、減点はもっと抑制すべきだ。エッジ違反の減点がひと頃より抑制されたように、回転不足の減点ももっと抑えるべき。だが、悪法だからといって、それが現行の法ならば、それにそってジャッジするのは審判の立場に立てば当然のこと。今回の坂本選手の勝利、いろいろな要素があるが、最大の理由はセカンドに跳ぶ3Tの確実性と質だったと言える。リザルト(プロトコル)を見ると分かるが、3回転+3回転のセカンドジャンプは多くの選手が回転不足(<やq)を取られている。坂本選手は「セカンドに跳ぶ3回転」を後半に2つも入れてきて、その落ちないスピード、回転不足になりにくい幅(高さももちろんあるが、セカンドでは特に幅が大事だ。垂直跳びに近くなると回転不足になりやすい)を見せつけて、高い加点を引き出した。欠点であるルッツに関しては、判定が好意的だった。ショートではエッジ違反を取られずに加点、フリーでは「!」にとどまったことで、ここでも加点を引き出した。クライマックスにもってきた得意の3ループはいつもよりは慎重だったかもしれないが、チャンピオンを決定づけるにふさわしいドラマチックなものになった。そして、なんといっても後半になっても落ちないスピード。連続ジャンプは、ファーストがむしろ抑え気味でセカンドを高く、遠くへ跳んでいる。前後のスピードもまったく落ちない。この跳び方は高く評価されるスタイルだ。やれと言ってできるものではない。高難度ジャンプを入れることで顕著になってきたジャンプの種類の偏りもない。アクセル、ルッツ、フリップ、ループ、サルコウ、トゥループ…全部跳べる。まさにジャンプ構成のお手本。こういう選手こそ女王にふさわしい。五輪後は調整が難しい。にもかかわらず、五輪以上のパワフルな滑り。これは坂本選手の体力、つまりは健康の勝利だと言える。逆に、深刻なのは河辺選手。ルッツにもフリップにも「!」…これはエッジの使い分けが曖昧だというメッセージだ。トリプルアクセルは不安定、セカンドに跳ぶ3回転ジャンプも回転不足気味…。これだけ技術に突っ込みが入ると…
2022.03.26
北京五輪、男子シングルが終わった。金メダリストは4ルッツと4フリップを完璧に決め、当然のように4サルコウと4トゥループを入れたネイサン・チェン。銀メダリストは4ループ(少しだけ回転不足)、4サルコー、4トゥループを決めた鍵山優真。大きな武器である4フリップを失敗しながらも、4ループと4トゥループを決めた宇野昌磨。実に納得しやすい順当な順位となった。つまりアクセル→ルッツ→フリップ→ループ→サルコー→トゥループという、フィギュアの「伝統的な」難易度の順位付けに忠実な結果になったという意味で。かねてからフィギュアは全員に公平な基礎点中心でいくべきで、主観で操作できる加点や演技・構成点を重視しすぎるべきではない、というのが持論のMizumizuにとって、この男子シングルは理想に近い形での競技会になった。基礎点重視といいつつも、やはり「モノにできていない」ジャンプを跳べば、点は伸びない。その意味でも、非常に健全な採点がなされたと思う。金博洋(ボーヤン・ジン)の低得点を除いては…だが。金博洋選手の演技・構成点の低さは信じられない。平昌五輪での中国人審判の「身びいき」不正が、尾を引いてしまっている気がする。4ルッツをきれいに決め、4トゥループも2回決め、ステップもスピンもレベル4の選手に、演技・構成点の5コンポーネンツで9点台を出したのが一人しかいないというのは、いったいどういうことか。中国は明らかにシングルを捨てて、ペアに力点を置いているようだ。自国の「推し」がなければ、こういうことになる。金選手の採点に対しては怒りをおぼえるが、日本人としては、日本人選手が2位、3位、4位に入ったのは素直に嬉しい。国内大会3位の選手が、上の2人を押しのけて、しかもオリンピックという大舞台で2位になるなんて、日本男子はいつの間に、これほど層が厚くなったのか。全盛期のアメリカのようだ。だが、ひとつ気になる点がある。それはジャンプ構成の偏り。4回転時代に突入して、複数の4回転を持てば、必ずしもバランスよく6種類のジャンプを跳ばなくてもよくなった。一番有利なのは、(4アクセルは今はまだ夢のジャンプなので)4ルッツと4フリップを跳べる選手だから、ロシアなどは、ことさらルッツとフリップを強化している感がある。だが、真の王者、真のオールラウンダーとは、「苦手なジャンプがない選手」だ。ネイサン・チェンは4フリップを2回跳び、4ルッツと3ルッツを入れているがループを入れなかった。彼の名誉のために言っておくが、ネイサンは別にループが苦手ではない。ただ、今のルール上、入れる必要性を感じていないのだろう。鍵山選手の場合は少し事情が異なるかもしれない。彼の3ルッツには、明確なアウトサイドという印象がない。構えているときはアウトにのっているが、踏み切る直前に少し中立に戻ってしまう。グッとアウトエッジにのって跳べるルッツがないから、試合に入れていないのかもしれない。羽生選手の場合は、足首の状態もあるのだろう。彼は決してそれを言い訳にしないが、フリーでのサルコウでのあのコケ方は…それぞれの事情はあるにせよ、今回の男子シングル、上位選手のジャンプ構成を見ると偏りがやはり気になる。もちろん選手の立場に立てば、今のように回転数で順位が決まるとなれば、基礎点のより高い、自分にとって得意なジャンプを多く入れるようになるのは自然なことだ。以前にもあった提案で、結局は通らなかったが、3回転以上の6種類のジャンプをすべて入れて回り切った選手にはボーナスポイントを出すというのはどうだろう。それも高いボーナスポイント、4回転1回分に匹敵するような点を。ジャンプのバランスの良さは高難度ジャンプに匹敵する、もしくは凌駕するくらいの価値があると、Mizumizuは思う。また、こうしたボーナスポイントがあれば、複数の4回転がなくても、別の要素や舞踏的な表現力に優れた選手がより闘いやすくなり、ジャンプ大会と化していくのをある程度抑制できるのではないか。五輪で上位にくる選手は決してジャンプだけではない。というか、「滑る」技術が優れているからこそ、スムーズにジャンプが跳べるのだ。とはいえ、フリーを見ると、選手はたくさんのジャンプを跳ぶことに体力を取られ、それ以外の表現を抑制せざるを得なくなる。表現という意味での面白さ、フィギュアの醍醐味は、今回は各選手とも、むしろショートプログラムのほうがフリーに勝っていたかもしれない。
2022.02.10
北京五輪の男子シングルが始まった。今日はショートプログラム。羽生選手は残念だったが、宇野選手、鍵山選手がベストな滑りを見せてくれ、大いなる感動をもらった。「また4-3が4-2になるかな~」と心配していた宇野選手も片手をつきながらも4-3が入ったし、鍵山選手は若さ溢れる生き生きとした演技で、しかも高難度ジャンプを危なげなく決めた。羽生選手の4アクセルと三連覇ばかりに注目が集まったのも、プレッシャーがかからなかったという意味で宇野選手、鍵山選手にはよかったのかもしれない。五輪になると、その前の全日本よりパフォーマンスが落ちるのが日本選手の恒例だっただけに、これは嬉しい結果だ。羽生選手は氷上の穴にはまってしまったよう。練習では軽々と決めていた4サルコウだけに、悲しい気持ちになったが、人生とは得てしてこういうものだ。喘息があり、コロナ禍ということで北京入りをどうするかなど、羽生選手は難しい決断を迫られたはず。五輪の悲劇は思わぬところで、思わぬ選手に起こる。4年前はネイサン・チェンのショートプログラムだった。あの思いもよらない結果に、本人だけでなく、多くのファンが落胆したはずだ。アメリカのテレビ局は、チェンのメダルが絶望的と知るや、さっさとフィギュア男子の中継をゴールデンタイムから外してしまった。フリーのネイサンは素晴らしかったというのに!今回のネイサン・チェンは、4年前の悪夢など微塵も影響していないパフォーマンスだった。練習から調子がよく、失敗するイメージがこちらもほとんど持てないほどの仕上がり。本番でも、その実力をいかんなく発揮してくれた。後半に4ルッツ+3トゥループを持ってくるという、「そこまでリスキーなことしなくても、勝てるでしょ?」の高難度構成。それをきれいに軽々と決めた。この瞬間、「もう誰もネイサンには勝てない」ことがはっきりしたと思う。プルシェンコが、「平昌で勝つために4回転ルッツは必要ない。北京では必要かもしれないが」と言ったとおりの展開になった。宇野選手も鍵山選手も点数の上ではいいところにつけているが、4回転ルッツを120%決められるネイサンの敵ではない。最も難しいジャンプを跳ぶ選手が勝つ。北京大会はスポーツとしてのフィギュアの王道をいく大会になりそうだ。ストイコに「フィギュアスケートが死んだ日」とまで言わしめた、バンクーバーの暗黒時代から、ロシアを中心に求めてきた「スポーツとしてのフィギュア」への軌道修正は、ネイサン・チェンというたぐいまれな才能の持ち主を得て、ついに完全な正常化に成功した。今のシングルはジャンプ大会になっているが、トップにくる選手は決してジャンプだけではない。それは女子シングルでも同じだが、大きな弊害も出ている。それは特に女子に顕著だが、それについてはまた別途書こうと思う。ほとんどの選手が試合に入れることさえできない4ルッツを軽々と決める。それだけなら金博洋選手のほうが先駆者かもしれないが、チェン選手は4フリップもショートに入れて、簡単に決めてしまう。4ルッツと4フリップを完璧に装備しているという点で、今回の五輪王者にふさわしいのはやはりネイサン・チェンしかいない。ジャンプがあまりにすごいので見逃されがちだが、ネイサンのもつ美しさも、実は破壊的なレベルだ。氷上でポーズを取っただけで、その均整の取れた細身のプロポーションに目を奪われる。奇妙に聞こえるかもしれないが、Mizumizuはネイサン・チェンの足首が、すっと伸びたその瞬間が好き。その足首のやわらかさ。ブレードが氷に貼りついているよう。まさに「足先まで神経が行き届いている表現力」の好例だ。4年前のネイサンの「ショートの悲劇」を見たとき、果たして次の五輪で彼はまだ4回転を跳べるだろうか――と密かに危惧していた。4回転という大技を長きにわたって跳ぶのは非常に難しい。ケガも付き物だ。だが、その後のネイサン・チェンの快進撃はとどまるところを知らなかった。そして、4年前以上に洗練されたジャンプとスピンとステップを携えて、彼は堂々と五輪の舞台に戻ってきたのだ。これほど五輪王者にふさわしい選手が他にいるだろうか? 金メダルにもっともふさわしい選手が、実力をいかんなく発揮して栄光をつかむ。その姿はその選手がどこの国に属していても、嬉しい。
2022.02.08
アイスダンスと並んで、世論を二分した…かもしれないフィギュアスケート女子シングル五輪代表3枠目。候補に残った三原舞依選手と河辺愛菜選手の点差はわずかで、しかも、三原選手のフリーの内容はさほど悪くなく、ただ連続ジャンプを跳びすぎたために点数ロスが大きかったというもの。2人の表現力は相当な差があるように感じたが、得点を見ると演技・構成点の2人の点差は2点とわずか。個人的にはもっと表現力の差を点数に反映してほしかったが、昨今のジャンプ重視の採点の流れから言えば、どうしても主観が入る演技・構成点では「順位はつけるが、点差はつけない」ほうが、無難…というか公平な採点になる。では、代表にふさわしいのはどちらの選手か? 実績から言えば三原選手だが、今シーズンの河辺選手はとても調子がよい。とりわけトリプルアクセルの安定度は大きな武器だ。高難度ジャンプを「跳べる」といっても、高い確率で認定され、GOEプラスの評価を得られるジャンプを跳べなければ、得点上は意味がない。今の評価システムでは、重要なのは回り切っているかどうかであって、着氷したかどうかではないのだ。この価値観にMizumizuが必ずしも同意できないのは、過去に何度も述べているので繰り返さないが、そういうルールになっている以上、それにもとづいて得点が与えられるのは当然のことだ。Mizumizuは樋口選手のトリプルアクセルに期待していたが、全日本が終わってみれば、樋口選手のそれは1回でGOEはマイナス評価。河辺選手は2回入れてどちらもプラス評価だった。認定されるトリプルアクセルを跳ぶことができ、かつGOEでもプラスの評価を得たことが河辺選手の大きなアドバンテージになった。心情としては苦労を重ねてこの舞台に立った三原選手を五輪に送ってあげたいが、まだ若く将来性があり、かつ難度の高いジャンプを跳べる河辺選手を派遣しようという結論は、今の選手評価傾向からすれば、妥当かなと思う。河辺選手は、「私はまだ実力不足」と控えめだが、どうしてどうして、ショートのトリプルアクセルを降りたあとの微笑みには女王を予感させる雰囲気があった。フィギュアスケートでは技術だけではなく、その選手のもつ個性も大事だ。河辺選手はまだ純白で自分の色が出てきていないようにも思える。だが、若いわりには落ち着いていて、どこか神秘的な表情は、「これから」に大いなる期待を抱かせる。注目は先輩の2人に集まるだろうから、外からのプレッシャーはそれほどでもないハズ。自分にあまり重圧をかけず、伸び伸びと五輪のリンクで滑ってほしい。地域猫にご飯を贈る地域猫にたっぷりご飯を贈るネットショッピングをして地域猫活動(TNR活動)を応援する
2021.12.27
高橋大輔選手のアイスダンス転向でにわかにメディアの注目が集まったのが、去年。正直、昨季の段階では、小松原組とのレベル差が大きすぎて、注目が全日本優勝カップルにさっぱり集まらないことに腹立たしささえ感じた。だが、今季の「かなだい」組には、心底驚かされた。なんといってもRDの「ソーラン節」の革新性。ひと昔前なら、「ダサい」と若者に敬遠されたであろう日本の伝統的な楽曲が、えらくカッコよく、オシャレなモダンダンス曲になったことに衝撃を受けた。振付が斬新、だから見ていて面白い。衣装のデザインは、特にカラーリングが極めてハイセンス。You tubeに上がったかなだいの「ソーラン節」に、リピが止まらない。コメントを読んでも同じように感じた人が多いらしく、これで間違いなくアイスダンスを見るファンが増えるだろう。これまでアイスダンスは、シングルと抱き合わせで売らないとチケットがさばけないようなお寒い状態だった。ヨーロッパでは「かつて」は人気があったのだが、その人気もある時期を境に急降下し、どん底まで来て、下げ止まったかどうか、という状況。だが、アイスダンスのもつ「成熟したスケートの魅力」「氷上の舞踏藝術としてのポテンシャル」は、元来、他の追随を許さないものだったはずだ。稀代の名振付師もアイスダンス出身者が多い。そこに登場したのが、世界を魅了する氷上のダンサー、高橋大輔。彼を強く勧誘したのは、小松原組以前にはリード氏と組んで全日本覇者だったアイスダンサー村元哉中。メディアの注目先行だった昨シーズンとはガラリと変わり、その急速な「進化」ぶりには驚きを通り越す衝撃があった。もともと村元選手はリード選手と組んで、小松原組以上の成績をワールドでおさめているし、実力はお墨付き。課題は高橋選手にあったのだが、なんというか、天才はやはり天才なのだな、そうとしか言えない。かなだいの魅力は、きわめてフェミニンな身体のラインを持ちながら、どこかしら、ひどく「漢」なものをもっている村元選手と、この1年で肉体改造と言えるぐらいの筋肉をまとい、きわめて男性的なボディを手に入れながら、どこかしら、守ってあげたいようなかわいらしさを失わない高橋選手の個性の相乗効果にある。村元選手は、「ソーラン節」の始めでは巫女的な神秘性を強く印象づける。「ラ・バヤデール」の始まりの彼女のポーズは極めてたおやかでうっとりするほど美麗。ところが、演技に入ると、古典的な性差の境界がぼやけてくる。その意味で、このカップルはとても先進的なのだ。対照的なのが「ココ」こと小松原美里/小松原尊組。とてもオーソドックスでアイスダンスの王道をいく演技。フリーの「SAYURI」では、「美里を美しくみせたい」と力強く抱負を語るちょ~ハンサムな夫。アメリカ出身ながら、日本語を話し、さらにルーツを日本古来の伝説にまでさかのぼることのできる「尊(たける)」という名を選ぶという知性派。おまけに伝統的なアメリカの好青年の典型で、常に前向きで努力を怠らない。メディアの注目が結成2年目のライバルにばかり向く中で、くさりもせずに自分たちの課題を見つけ、1つ1つそれを克服しようと研鑽を積む姿は本当に尊敬に値する。多くの日本の若者にも見習ってほしい。全日本でココ組が着たフリーの紫の衣装は素晴らしく美しかった。演技もNHK杯より確実に良かった。ただ…もう少し…かなだい組を突き放す点をフリーで出せていれば、五輪代表は確実だっただろう。勝ったとは言っても、かなだいとの点差はわずか。昨季のワールドの実績も19位と、やや期待外れだった。といって、かなだいにも今回のRDに見るような不安定さがつきまとう。2人の個性はそれぞれ際立って素晴らしいが、アイスダンスのキモであるエフォートレスな(に見せる)一体感という意味ではココ組には及ばない。選考結果は間もなく発表になるが、日本中が、どちらも応援したい気持ちでいるのではないか。地域猫にご飯を贈る地域猫にたっぷりご飯を贈るネットショッピングをして地域猫活動(TNR活動)を応援する
2021.12.26
圧巻、神の領域、史上最高…あらゆる賛辞のはるか上をいくパフォーマンスだった。羽生結弦選手の2021全日本、ショートプログラム。度重なるケガ、コロナ禍という特殊な状況、台頭する若手、スターゆえのアンチによる誹謗中傷…なにより、すでに五輪二連覇という、栄光をきわめた選手がどうやってモチベーションを維持するのかという問題。羽生選手がここまで現役を続けてきた、それだけで「圧巻」なのに。それは誰も行ったことのない砂漠に一人で足を踏み出したようなもの。どこにオアシスがあるか分からない、どこに誰がいて、どんな危険が潜んでいるかも分からない。そんなところへ「行く」など、常識的な大人なら止めるはずだし、「蛮勇」ではないかとネガティブに捉える向きも多いだろう。それでも彼は行き、そして、結果を出した。それが今回のショートプログラムだったと思う。Mizumizuはかつて羽生選手を「凄いジャンパー」だと評した。むろん、今もそうだ、だが、ジャンプだけだったらすでに羽生選手以上の難度のジャンプを跳ぶ選手がいる。しかし、このショートプログラムは…誰も到達できない域、もはやこの世のものではない出来だった。とりわけ凄味を帯び、壮絶な美を見せつけたのは、後半のステップ。ステップだから足さばきで魅せるのが王道…そんな常識をぶち壊す、羽生結弦にしかできないムーブメントの連鎖。目が釘付けになる、鳥肌が立つ…あらゆる形容がいっそ陳腐になる世界観だった。選曲はロンド・カプリチオーソ。曲自体はフィギュアスケートではありふれている。名選手なら一度は演じたことがあるのでは、というくらいよく使われる曲だ。ところが羽生選手の場合は、バイオリンではなくピアノ。「あれ? あれ?」と思っているうちに、演技が進む。耳慣れた曲のはずなのに、どこか違う。しかも、羽生選手の動きにぴったり。音がついてくるかのように一体となっている。それがオリジナル編曲(清塚信也氏による)の羽生バージョンだと知ったのは演技後だったのだが。この作品の「初演」が五輪を控えた全日本だったというのも運命的だ。初披露のインパクトが、ミスのないパフォーマンスとあいまって、感動の嵐をさらにすさまじいものにした。Mizumizuの好きなオペラ作品にモーツァルトの「ドン・ジョバンニ」があるが、これの初演はプラハのエステート劇場だ。今後フィギュアスケートのプログラムが1つの芸術作品として認知されるようになってくれば――そして、それを町田樹氏のような逸材が実現しようとしている――原曲・編曲・振付・演技者の名とともに、初演の場の名称も歴史に刻まれるかもしれない。それほどに、語り継ぎたい「初演」だった。これほどのものを見せてしまって、羽生結弦にこの先があるのだろうか? 凄すぎてそんな懸念が生まれるほど。そもそも27歳という、シングルのフィギュアスケーターとしてはもう若いとは言えない年齢で、どうしてあれほどしなやかで細い、アンドロギュノス的なプロポーションを維持しているられるのか。男性の場合は筋肉が「つきすぎても」跳べなくなるという。本人が並外れた節制をしているのかもしれないが、それにしたってプロポーションというのは天賦のもの。それだけで神に選ばれた存在としか言いようがない。すべてが奇跡――あのパフォーマンスをあの場で生で観た方々は、一生の誇りにしていい。地域猫にご飯を贈る地域猫にたっぷりご飯を贈るネットショッピングをして地域猫活動(TNR活動)を応援する
2021.12.25
紀平選手の欠場で、一部で「主役不在」とも書かれた全日本フィギュアスケート女子シングル。ロシアのメディアにいたっては、「唯一の競争相手だったのに…」などと、すでに「日本女子眼中になし」宣言をしていた。確かに、トリプルアクセル以上のジャンプを次々に投入してくるロシア女子には、現在のところ「(日本女子は)歯が立たない」だろうというのが大方の見方だ。今のシングルは事実上のジャンプ大会になってしまっており、フィギュアスケートが元来もっていた多彩な魅力が損なわれている。北京五輪の女子シングルで誰が女王になろうと、その後あっという間に跳べなくなり、あっという間にいなくなる、ソチ、平昌の女王と同じ道をたどるだろうことは目に見えている。にもかかわらず、と言うべきか? その五輪を目指す国内大会、全日本は常に、いつも、素晴らしい。今年の女子シングル、ショートも期待を裏切らない大会になった。上位を争う選手にミスが少なく、「ショートは失敗しないことが大切」というフィギュアスケートシングルのセオリーをきちんと踏まえた演技を披露したうえで、それぞれの個性が花開いていた。首位に立った坂本花織選手のスピード、迫力のある大きなジャンプは、予想以上だった。最初のダブルアクセルからもう…、「すごい」としか言いようがない。トリプルアクセルや4回転がなくても、それに匹敵する感動があった。これぞフィギュアスケートにおけるジャンプの醍醐味だろう。2位は樋口新葉選手。トリプルアクセルを期待したが、ショートではダブルに。だが、その他の要素やフリーとは対照的なプログラムの雰囲気を見事に演じて、円熟味すら感じさせる出来だった。もともと世界選手権で銀メダルに輝いた実力者。前回の五輪が「不運」だっただけに、是非ともこの五輪には行ってほしい。そして、あの、理想的な放物線を描くトリプルアクセルを決めてほしい。3位は宮原選手…ではなくて、河辺愛菜選手だった。トリプルアクセルを決めたのが大きい。ジャンプ重視の今のシングルの「潮流」を象徴するような順位。そして、4位の宮原知子選手。個人的に最も感動した演技。ちょっとした膝の使い方だとか、腕を使った表現だとか、スムーズな滑りや緩急のメリハリ、それに正確で上品なスピン。あらゆる要素が「これぞフィギュアスケートのお手本」という技術から成り立っている。しかも、技術一辺倒のつまらなさはなく、情感も豊かで、表現力もピカいち。全日本を何度も制覇し、世界選手権でも上位を争っていたころより、宮原選手は何倍も成長し、魅力的になった。とにかく、美しい。10代から20代にかけて、これほど美しく成長した選手も珍しい。かつてメダルの常連だった宮原選手だが、あのころの彼女のアイスショーには、特段行きたいとは思わなかったが、今の宮原知子なら、まずまっさきにアイスショーに駆けつけたい。時間をかけて磨いてきた技術が美として開花する。まるで精緻な工芸品を見るような宮原選手の演技。だが、今の採点傾向では、ジャンプが足りないと点数は出ない。こうしてますます女子シングルの選手生命が短くなる。残念なことだ。5位の三原舞依選手の表現力も見逃せない。リンクに立ったとたん、周囲の空気が浄化されていくような透明感、清潔感。この世のものとは思えないような儚げな佇まい。技術は正確で、基礎の確かさが伝わってくる。ジャンプはとても丁寧に跳んでいる。すべてが決まるフリー、それぞれの花が開くとき。ワクワクするし、ドキドキする。そして、アイスダンス!革命ともいえる「かなだい」の登場については、またゆっくり。地域猫にご飯を贈る地域猫にたっぷりご飯を贈るネットショッピングをして地域猫活動(TNR活動)を応援する
2021.12.24
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