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「ほっといても治る」とドクターに言われながらも、一進一退でなかなか治らなかった腱鞘炎。ついでに、あちこちに連鎖的な痛みも出て、「もう治んないんじゃないの?」などと悲嘆にくれたり、「もしかして、リュウマチとかもっと悪い病気じゃないの?」などと心気妄想にとらわれて眠れなくなったりしていたのだが、時間こそ思いのほかかかったものの、ちゃんと治ってきた。すっきり完治とはいかず、手首を内側にひねった時に、ぴりっとした痛みが出たり、右手の親指の関節が腫れが引いていなかったりしているが、もうサポーターもいらないし、日常生活で不自由を感じることもほぼなくなってきた。夏の間、数週間だが自宅におらず、エアウィーヴで寝れなかったせいか出ていた首の痛みも、自宅に戻ってエアウィーヴ睡眠に戻ったら、かなり軽減してきた。ヨカッタヨカッタ。さてさて。今日、近所のカフェに初めて行ったのだが、そこでのアルバイトと思しきウエイトレスのおねーちゃんとの会話。Mizumizu(メニューを見ながら)「カリモーチョって何ですか?」おねーちゃん(あせりながら)「えっと、あの、お酒…」Mizumizu(お酒ったってワインやビールの類とは違うでしょ?)「お酒って何の?」おねーちゃん(ちょいあせってはいるものの、悪びれもせず、明るい声で)「えっと、あの、私お酒飲まないんで、分からないですぅ」ハアッ?? オドロキませんか? この答え。明らかにバイトとはいえ、店で働いている人ですよ? 「私はお酒を飲まない」から、知らないのは当然ってか? 飲むのはアンタでもアンタの友達でもないでしょ? お客でしょ? あなたは仕事中、あなたは注文を受ける人ですよ? 一瞬、沈黙するMizumizu。自主的に、「少々お待ちください」と聞きに行く様子もないねーちゃん。「他のもの頼んでほしいなー」とでも言いたげな、「自分はラクしたい」オーラを発散させている。そうはいきません!Mizumizu(冷たい声で)「知っている人に聞いてきていただけますか?」おねーちゃん(そう言われれば素直に)「あっ、はい」(聞きに行く)しばらくして戻ってきて、「ワインとコーラのカクテルだそうです」と、この程度のことはちゃんと伝書鳩がわりになった。はいはい、おりこうちゃん。ヨクデキマシタネ。欧米の観光地のカフェの「雇われ」が、だいたいこんな程度なのは承知している。自分が働いている店で売ってるモノに関しても、商品知識なんてものはなく、覚えようという気もない。無知を補うために「気を使う」なんていう文字は彼らの辞書にはなく、逆にできるだけ手を抜くための努力は惜しまない。だから、こちらがやってもらいたいことは、1から10まで口頭で伝えなければいけない。だが、日本もこのレベルに追いついた…というか、落ちてきたらしい。いよいよ日本も、海外からの観光客にお金を落としてもらわないと、頭が悪くて向上心も責任感もない、自国の労働者を食わせていけなくなってきたということか。ヤレヤレだ。
2016.09.23
【お取り寄せスイーツ】牧場アイスケーキギフト『アイスケーキティラミス』【バースデーケーキ・ランキング入賞・誕生日プレゼント】【楽ギフ_包装・楽ギフ_のし・楽ギフ_のし宛書・楽ギフ_メッセ・楽ギフ_メッセ入力】【P27Mar15】腱鞘炎、こんなにも完治しないものなのか?手首が少し痛く、肩が重だるい。日常生活で手首をひねる動作が、まだ怖い。はーーー。ひどい時期はもう脱した。それは確実。良くなったり後退したりを繰り返し、少しずつ完治に向かっている。そうは思うが、さすがにここまで引っ張られると、落ち込むわ。以上、現状報告でしたとさ。おわり
2016.08.19
【再販開始】スカンツ ワイドパンツ 2type 7分丈 9分丈 ワイドパンツ 無地 ストライプ ミディアム ワイド ガウチョ パンツ ボトムス 【lgf0337】レディース ボトムス スカーチョ 無地スカーチョ 柄スカーチョ【即納&予約】【7月30日入荷予定順次発送】春新作 メ込価格:1380円(税込、送料無料) (2016/7/26時点)腱鞘炎、完治目前と書いてからはや1ヶ月。「もうすぐ自然完治するだろ(しそう)」と思ってリハビリ治療をやめてしまったせいか、治りが遅い。手首をひねったときなど、まだ「グキッ」と来る。おまけに右手をかばうせいか、右の肩も痛くなり、左手首もあやしくなってきた。医者は「ほっといても治る」と言ったのだから、重い腱鞘炎ではないと思うのだが、痛いものは痛い。身体のどこも痛まない人生を送っている人が心底うらやましーや、あーあ。
2016.07.26
長いことほったらかしのブログに毎日3000人もの来訪者。ありがとうございます。実はMizumizuは腱鞘炎2ヶ月目(「前兆」の手の痛みを含めれば、ほぼ4ケ月)。ステロイド注射を避けたせいか、治るのに時間を要しております。しょーじき、ここまで痛いとは思わなかった。ここまで不自由とは想像してなかった。トホホ。原因は明らかにパソコンの使いすぎ(つまり仕事のしすぎ)。ようやく完治が見えてきたところ。手が治ったら、また書きます。ではでは。
2016.06.27
先日ご紹介したミネラル(亜鉛)サプリ、再入荷した模様。試してみたい方はどうぞ。ミネラルバランス 120粒 の購入なら米国サプリ専門店【楽天市場 米国サプリ直販のナチュラルハーモニー】ミネラルバランス 120粒【消費期限目安:2016年6月まで】サプリメント/サプリ/マルチミネラル/Jarrow Formulas/ジャロウフォームラズ/アメリカ【20P05Sep15】
2015.09.24
サプリは好きなほうですか?世の中にはサプリにやたら頼る人と、サプリは警戒してまったく見向きもしない人がいる。それが両極だとすると、多くの人はどちらか寄りの中間帯にいるだろう。Mizumizuも、そう。どちらかというと「ややサプリ好き」に寄った中間帯に位置している人間だと思う。若い頃は、サプリは「自然な食材からの吸収力を弱める」という話をわりあい真に受けて、飲まないようにしていた。だが、「花の色は移りにけりな」。いつしか時は過ぎ、吸収力の低下より、加齢による身体の衰えのほうをマジで心配しなければいけなくなった。で、サプリ。実は案外、いろいろなものを試している。が、宣伝が派手で値段が高いサプリに限って、しばらく続けても何の効果も感じられないが多い気がする。ビタミン剤のようなものは常備しているのだが、飲まなくなるとほったらかし状態。そんなMizumizuだが、ここのところ半年以上続けているサプリがある。それが、こちら。ミネラルバランス 120粒 の購入なら米国サプリ専門店【楽天市場 米国サプリ直販のナチュラルハーモニー】ミネラルバランス 120粒【消費期限目安:2016年6月まで】サプリメント/サプリ/マルチミネラル/Jarrow Formulas/ジャロウフォームラズ/アメリカ【20P05Sep15】「ミネラルバランス」。ビタミンD3、K、カルシウム、マグネシウム、亜鉛、ケイ素などが含まれていて、だんだんに気になりだした指の爪のもろさと、髪の量感の低下(ペタっとした感じで、スタイリングしようにもふわっとならない)に効果があるという。もともと食事のバランスが悪いMizumizuが、これだけのミネラルを自然な食材から採るなんて無理な話だ。そして、この商品、値段も高くない。なので、最初は特に期待しないで買ってみた。1日に摂取していいのは6粒までと多いが、1日せいぜい飲んでも1粒だけにした。で、数か月…確かに髪の毛が元気になったではないか!「元気になった」というのは、見た目は量感が増したということ。でも髪の毛が増えたというより、毛根が元気になったというのが実感としては近い。ペタっとしがちだった髪が、わりとふんわりとまとまる。そして、爪の割れも以前ほど気にならなくなってきた。活力は増した…かなあ? それはちょっと分からない。だが、髪と爪の状態が改善したのは、まぎれもない事実。これだけ、ある効果が実感できたサプリは珍しい。ということでMizumizu母にも薦めてみた。数か月たって、やはり、なんとなくだが、髪が以前よりふんわりしているように見えた。Mizumizu母はどちらかというとサプリを嫌うタイプだが、続けてみたいというので、追加分をプレゼント。「髪」や「爪」に、Mizumizuと同じような問題を抱えている方はお試しあれ。ただし、増毛効果とは違うと思うので、そこのところを過剰に期待しないように。追記:昨日、上記のエントリーをあげたところ、今日ですでに売り切れてしまったようです(汗)。すぐに再入荷されると思いますので、欲しい方は、しばらくお待ちを。
2015.09.06
そういうワケで、1年間1万円の会費を払う高島屋ゴールドカードを作ることにしたMizumizu。手続きは新宿店舗で行ったのだが、ポイントの仕組みや付帯サービス――例えば旅行保険など――の説明も丁寧だった。保険サービスは、高島屋がダイレクトにやっているサービスではいから、こちらが質問してすぐに担当者が分からない場合もある。そういう時は電話で詳細を熟知している担当者に聞いてくれる。海外旅行時の保険が付くといっても、それはこのカードでチケット代を買ったときに限るという条件のあるケースも多い。そういった見落としがちな部分についてもしっかりチェックするMizumizu。「リボ払いはどうなさいますか?」と聞かれて、即効「不要です。すべて一括で」と言えば、カードを(そこには存在しない)秤にのせるマネをしながら、「だいぶ(口座に)入っていらっしゃいますね」などとユーモアをまじえた嬉しがらせを言う営業の男性。別に口座残高が多いんじゃなく、「ローン」だの「キャッシング」だの「リボ」だの、カタカナ語をくっつけても、それは結局、「100万のモノを120万(場合によっては130万だろうか?)」にする商売だとしか思ってないMizumizuは、その手の「金融商品」は自分にとって損だし、嫌いだから利用しないというだけだ。これは、簡単な掛け算と引き算の問題で、Mizumizuが重視するのは「総額で」いくら払うかということ。「月々で」いくら払うという思考はまったくゼロ。分割払いにしないと買えないようなものは、初めから買わないのがポリシーで、そもそもそういうものは欲しくならない。申し込みから少し時間を置いて、カード到着。さ~、使い倒すぞ~。トクしちゃうぞ~と、カードを携え高島屋へ。するとカードを持つ前は、関係ないから目にも入らなかった「ポイント優待」の表示がやたらに目につく。実はこのポイント優待――つまり日頃は8%なのを10%にするとか――のイベントを、高島屋はしょっちゅうやっている。そして、つぶさに見て回ると、三越より断然自分の趣味に合うデザインのファッションが多いではないか。それに20万、40万というレベルの衣類を見ていた後だと、5万、7万という価格帯が、とても「お手頃」に見える。「三越より立ち止まる頻度が多いね」とは、Mizumizu連れ合いの観察(笑)だが、あっちで引っかかり、こっちで引っかかり、気がつくと、トップスだとかスカートだとかを、「今なら10%ポイントが付きますので」のダメ押し営業トークにのせられ買っている。ゴールドカード会員専用のラウンジは、新宿店ではかなり期待外れだった。土日はあまりに利用者が多く、座れないほどだし、コーヒー、お茶、オレンジジュースが飲めるとはいえ、それは高速道路のサービスエリアにあるドリンクの自販機が、種類が少なくなって置いてあるのと同じような感じで、味もよくない。違うのはサービスエリアのベンダーマシンにはお金を入れないといけないが、高島屋新宿店ではその必要がない、ということ。日本橋店のほうのラウンジは、もっとスペースもゆったりしていて、注文を聞いてから担当者が運んでくれる。味も新宿店より明らかに上。ただし、ここも土日は混みあって、待たされることもしばしば。とはいえ、待ちスペースにも椅子が置いてあるから、新宿店のように、混んでいたら立ち飲み状態で空席を待つなんていう、駅の待合室状態になることはない。駐車券はもちろんくれるのだが、よく考えると、行くたびに、5万、7万と使っていたら、別にゴールドカードなんて持ってなくても同じことだ。万まで行かなくても、数千円でカワイイものがあれば、ついつい買ってしまい、「タダで停めさせてもらって使い倒す」はずが、明らかにこちらの持ち出し(という言葉が正しいかとうかはともかく)のが増えている。ポイントを積み立てたあとにもらえるお買い物券にも、実はしたたかな高島屋の戦略が隠れている。というのは、このお買い物券、1枚が2000円で、おつりが出ない。そして使えるのは高島屋だけなのだ。2000円というのが物凄く絶妙な(売り手にとって)ライン。というのは、例えば一番気軽に利用できる地下の食料品コーナーでは、案外一店舗2000円は超えないのだ。ただ、ちょっと高めの商品なら2000円を超えてくるから、その手の商品を買うか買わないか迷った時、「そうだお買い物券あるし」というのが背中を押すことになる。お買い物券には使用期限はない――というのはカード作成時には、「わ~、良心的ぃ」とお客の心をキャッチする役割をうまく果たすわけなのだが、ポイントの積立期間には制限があり、あと何ポイントでお買い物券が出る…なんてことも、ラウンジの機械でチェックできるから、その分じゃあ早めにまた何か買うか、ということにもなる。これで積立期間にも制限がなかったら、そういう「追い立て」効果はないだろう。恐るべし、高島屋。本当に、実によく考えられているではないか。で、楽天のほう。楽天と高島屋は、一見すると別に直接の競合相手には思えない。楽天は通販モールだし、高島屋は直販百貨店(もちろん通販サービスもあるが)だ。前者はどちらかというと手軽さと安さが売りで、後者は明らかに手厚いサービスと質の良さが売り。だが、買い手にとっては、特に何でも「総額」で考えるMizumizuにとっては、買う場所がどこであれ、そこで出してる金額が増えれば、その分別の場所での出費は控えるようになる。気が付けば、楽天で買うのは明らかに街中の店より安く買える量販品に限られるようになってきて、買い物頻度が極端に減ってきた。だから、Mizumizuに起こったこの現象は、充分に「楽天から高島屋に取り込まれた」と言っていいと思う。戦略だけではなく、高島屋の現場の努力もたいしたものだと思う。特に日本橋店の駐車場サービスの人員配置は、かなりのもの。駐車場だけに、これだけ人を置いたら人件費はいくら? などと思うが、シニア層を雇用することで、明らかに1人頭の人件費は抑えている。どのスタッフも対応は非常に丁寧で、「おもてなし」されている気分にさせてくれる。繁忙期は人が足りず、スタッフもカッコだけは一人前だが、対応はまるで不慣れなド素人のような長崎ハウステンボスにも見習ってほしいもの。こういうスタッフ1人1人の仕事ぶりを見ていると、「さすが華のお江戸の高島屋」だと褒めたくなる。百貨店業界に逆風が吹くネット時代だからこそ、いろいろと工夫して生き残りを図る。カードでの優待で人を誘い、仮想空間のモールでの買い物では味わえない、リアルの愉楽で囲い込む。高島屋も頑張っているなあと思う。皆がネットで買い物をし、デパートがなくなってしまったとしたら、それは誰にとってもあまりに寂しい。いったん取り込まれた仮想空間から、現実空間に戻ってきたMizumizuは、人が人と直接コミュニケーションを取る対面販売の良さを見直したのかもしれない。
2015.07.07
高島屋の2015年3-5月期の販売実績は堅調、という記事を見た。http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKBN0P60TN20150626昨年3月の駆け込み需要の反動による落ち込みは依然残るものの、一昨年に比べれば増収増益。特に営業利益22.3%増という数字は目覚ましい。これは嬉しいニュースだ。というのは、今やMizumizuはすっかり高島屋に取り込まれているからだ。詳しく説明しよう。Mizumizuは少し前まで、よく日本橋の三越を利用していた。駐車場・契約駐車場の使い勝手の良さでなんとなく行くのが習慣になったようなものだった。で、三越という百貨店、サービスはいいし、びっくりするような質のよいものも置いていて目の保養になるのだが、衣料分野が「シニア向け」すぎるのが難点だった。全般的に価格帯が高く、例えば洋服を見ていて、「これはいいな」と思うと、軽く20万は超えてくる。客層も、身に着けてるモノで「お金持ってます」オーラを振りまきつつも、足元はラクなウォーキングシューズで来るシニア層がメイン。もちろん、若いお客向けのファッションも置いているが、お高いものを見たあとだと逆に見劣りがしてしまうし、そもそもピンとくるものが少ない。そして、もう1つ。Mizumizuは少し前まで、楽天カードに取り込まれていた。楽天カードの長所は、なんといってもポイントの使い勝手の良さ。貯まったポイントを別の買い物に利用できる。還元率も明確で分かりやすい。Mizumizuが楽天カードを持ったころは、他社のカードのポイントなんて客寄せのオマケみたいなもので、現実には、欲しくもないような景品との交換しかできなかったり、「何ポイント貯まったらいくら(ただし有効期限あり)」というムダが出るシステムがほとんどで、うっかりしたらポイント有効期限が切れて、何の役にも立たなかった…ぐらいのものだった楽天カードはその点、ずっとユーザーフレンドリーなポイント制度だった。「だった」と過去形で言うのは、Mizumizuが楽天カードを作った当時はそうだったのだが、その後、楽天カードに客を奪われた競合他社も巻き返しを図り、楽天カードに負けない簡単・明瞭・使い勝手のいいポイントカードも増えてきたからだ。ともあれ、カードを使えば使いたくなる。ポイントを使うことで、実質割引で買える楽天市場のショップでの買い物が増えたMizumizu。街中の店では、あまり買い物をしなくなった。楽天での買い物のデメリットと言えば、やはり一番は、「ついで買い」をしてしまうこと。通販の場合は、「送料」がネックで、「何千円以上なら送料無料」と言われると、ついついその金額を上回る額の買い物をしてしまう。自分ではムダなものは買い足していないつもりでも、後からよく考えると、「別にその時買わなくてもよかったんじゃ」と思うこともしばしば。街中の店より1点あたりは安く買ったつもりでも、案外「ついで買い」で余計な出費をしているとも言える(それが楽天ショップの狙いだろうけれど・笑)。結果として、出費総額が増える。また、価格が比較できるとは言え、実際には各店舗でバラバラな送料が、コミだったり別途だったりするので、どの店が一番安いのか、比較するのに時間を要する。計算すれば出るもんだから、あっちの店をクリック、こっちの店をクリックして計算機を叩き、30分、1時間と時間を費やしたあげく、トクする額は百数十円だった…なんてことも。よく考えれば、無駄な作業だ。「時は金なり」――そんなことやってるくらいなら、仕事を進めたほうがいい。それに街中の店も、このごろはお客がネットの情報を見て比較することを知っているから、ネットで出回るような品はそんなに割高にはしていない。というか、割高にしている店はやっていけなくなった、という言い方のほうが正しいかもしれない。楽天カードのメリットがだんだん薄れてきたな、と思っていた時に、たまたま入った高島屋で、猛烈な「タカシマヤカード入会勧誘攻勢」に遭った。最初はポイントだけ貯まる年会費無料のカードを作るつもりだったのだが、年会費1万円の「タカシマヤゴールドカード」のサービスが、かなりいいと気付く。新宿・日本橋店での駐車場が、たとえ買い物しなくても3時間から5時間タダ。メンバーズサロンの利用がタダ(無料のドリンクサービス付き)。空港でのラウンジ利用がタダ。衣料品などは8%~10%のポイントが付き、お買い物券として還元される(ダイレクトに付くわけではなく一定期間ポイント積立期間があるとか、食料品のポイントは1%と悪いとか、仕組みは結構ややこしいのだが、要は高額商品を買った場合はかなり還元率はいいと理解すればよろしい)。高島屋以外で買い物をしても、還元率は悪いが(0.2%)ポイントは付く。「え? つまり~、買い物しないで駐車場代わりに使ってぇ、さらにタダでカフェ代わりにも使えるじゃん? 洋服なんかは、実質8%引きとか10%引きになるじゃん?」これは、かなりいいっしょ?都内に住んでない人には理解できないかもしれないが、都心では駐車場代というのがバカにならない。たとえば、デパートは2000円~3000円買えば2時間駐車できるとか、家電量販店なんかに比べれば使い勝手はいいのだが、2000円買い物したら5回でもう1万円だ。それは、高島屋は、1万円の年会費で1回につき3~5時間、タダで駐車させてくれるというわけ。「わ~、太っ腹~」と思ったのだ。カードを作るときは。「これでタダで停めさせてもらって、タダでコーヒー飲ませてもらって、ついで他の場所にも行ったりして~」と、「使い倒し」をもくろんだのだ。カードを作るときは。で、その結果、どうなったか?続きは次回!
2015.06.26
7/5 23時21分配信のasahi.com(朝日新聞社)の記事アルマーニさん「日本へ敬意」 和のファッションに喝采によると、パリ・オートクチュールコレクションでファッション界の「帝王」ジョルジオ・アルマーニが、「日本へのオマージュ」を掲げたコレクションを発表したもよう。ジョルジオ アルマーニブランドのオートクチュール部門は「プリヴェ」のブランド名で展開しているので、記事にある和のテイストを取り入れたクロージング写真は、プリヴェ・コレクションからのものということだろう。非常に美しい2つの作品に、大いに感銘を受けたMizumizu。上記の記事の上の写真は、着物の帯風のデザインベルトを斜めに腰にかけ、結び目を前身ごろの端にもってきて、「キモノのオビ」のイタリア人による再解釈を強調している。下がシンプルな黒のパンツルックなので、上半身の赤のフローラル模様が、より華やかにフェミニンに見える。曲線的な花柄を散らしながら、胸元と帯の一部はメタリックなグレートーンの変形市松模様で、都会的なニュアンスも入ってきている。布地はグロッシーなプラティナカラーで、ピンクにほんのりと染まっている。下の写真の作品は逆に、上半身がすっきりとした黒。肩のラインは日本の寺のやや反り返った屋根のラインを彷彿させる。ハイウエスト部に巾着を2つつけたような装飾的なデザインがある種の諧謔性をもって目を惹くが、スカートは平面的で、足首に届きそうなくらい丈が長い。こちらのフローラルパターンは、日本の伝統的な着物の柄とのつながりを感じさせ、かつ構図も一幅の花鳥画のようでありつつも、よくよく見ると花はオレンジ色の大胆な南国風で、スカート下部には水墨画からインスピレーションを受けたようなブラックラインが面白みをもって交差している。日本画や着物の要素を取り入れ、バラバラに解体して再構築したかのようなデザインには、イタリア人らしい華やかで明るい色調とオートクチュールならではのシックな色合いが混在しており、日本人が見ても奇異ではなく、かつ新鮮だ。記事には以下のような記述もある。アルマーニさんは「日本の芸術や人々の精神性、女性たちのたたずまいが自分の創作の源になっていた。それを世界に知って欲しい」と話した。日本人独特の精神性や女性のたおやかな美しさ・・・それらは今、失われつつあるかもしれない。だが、薄められたとはいえ、確実に受け継がれているものもある。それがヨーロッパの優れた感性を刺激し、新しい芸術の境地が拓かれていく。私たちはそれにもっと誇りをもっていいのではないか。なお、ジョルジオ アルマーニは次のような被災地支援も行うということだ。被災地で就学が困難になった小中学生を支援する「ジョルジオ・アルマーニ奨学生」制度を、日本ユネスコ協会連盟と協力して設立するという。
2011.07.06
不忍池をとおりすぎて、家族連れで賑わう上野動物園のすぐわきを通ると、不思議と異次元に彷徨いこむような気分になる。子どもたちのはしゃぐ声が遠くから聞こえる。道の柵のすぐそばに、馬がいて草を食んでいる。通り過ぎる人間やクルマの音には慣れているのか、あまり関心を払わず、一心に食んでいる。道の左右には大きな木が立っている。上野の杜からのしかかるように伸びた緑が、車道をほとんど陰の路にしている。アスファルト敷きの曲線に沿って、過去へ向かって歩くようだ。お洒落とか最新とかといった言葉とは程遠い。だが、ここは大都会・東京の真ん中なのだ。そこに佇む1軒のホテル「水月ホテル鴎外荘」。ここには日帰り天然温泉がある。その名も・・・鴎外温泉。ここに森鴎外の住居があったことから名付けられたらしい。一応(?)かけ流し・・・ということなのだが、Mizumizuが行ったときには、温泉は出ておらず、さほど広くない湯船に赤っぽいお湯がたまっている状態だった。それでもとりあえず、循環式ではないそうだ。雰囲気は・・・なんというか、高級な銭湯、などと言ったら失礼だろうか? しかし、手入れと掃除は行き届いているものの、古びてこじんまりとした、露天も何もない温泉は、やたらと豪華で広い設備を備えた「ホテルの温泉」のイメージからは程遠い。時間をかなり逆戻りした感がある。そのせいなのか、人がおらず、ゆったりと1人で湯船につかることができた。これはこれで嬉しい。なんといっても上野のど真ん中なのだから。そして湯上りには、脱衣場にど~んと置かれた無料のマッサージ椅子を使ってみた。かなり痛かった(笑)。泉質は東京の天然温泉は、みんなこれ・・・としか言えない、赤っぽくて口に含むと少し塩気のある重炭酸ソーダ泉。どうということはないが、上がってみればそれなりに体はあたたまり、肌はすべやかになる(気がする)。正直に言ってしまうと、露天もなく、この狭さで1500円は高いと思う(バスタオルとタオルは無料で貸してもらえる)が、ときどきキャンペーン価格で安くなることも。ホテルには生演奏を聴かせるレストランもあり、こちらは賑わっていた。ホテル内には緑豊かな庭をそなえた鴎外の住居跡もある。いまにも明治の文豪が縁側に立ちそうだ。まさに都会の異次元空間。鴎外の娘・森茉莉もここにいたのだろうか? 時を超えて森親子と対話ができそうな場所。もう2人とも、とっくにこの世にいないのに。それをふと忘れてしまうような空気が、ここにはある。水月ホテル鴎外荘
2011.07.05
東日本大震災では、「何か自分にできることはないだろうか」と、ほとんどの日本人が自問自答したことと思う。阪神大震災の教訓として、中途半端なボランティアは返って被災者の迷惑になるということが言われた。今回の大震災でも、やはり頼りになるのは軍隊(日本の場合は自衛隊)だということがはっきりとわかった。組織力、統率力、隊員の訓練度。「自衛隊車両が通るたびに、感謝の気持ちで手を合わせたくなった」と言った被災者がいたが、さもありなん。だが、民間でも組織された経験のあるボランティア団も、やはり復興の一助を立派に担っている。参加することは難しくても、そうした団体を資金面で支援することなら誰にでもできる。今回の大震災、被災者への義援金や支援活動への資金提供を一般人が考えたとき、不安材料になるものがあるとすれば、それは、「本当に自分の寄付したお金が東日本大震災の義援金もしくは援助活動資金に使われるのか?」ということではないだろうか。実際、義援金詐欺も相次いでいるという。そうなるとやはり、ある程度大きく、実績のある団体に寄付しようということになるのは当然だろうと思う。Mizumizuもそうだ。今回Mizumizuが選んだ寄付先は3つ。「社会的認知度が高く、寄付金の使用先を、収支報告を含め(なるたけ)オープンにしている団体」だった。そういうい団体なので、当然所得税控除の対象にもなる(ただし、5000円以上。くわしくはこちら)。具体的には以下の団体だ。 1)日本赤十字社信頼度、知名度からいっても、やはりここになると思う。使用目的は被災者への義援金。直接寄付することもできるが、いろいろな団体が、それぞれ募金を集めて、日本赤十字社に送付することを謳っている。今回Mizumizuが行ったのは、楽天銀行を通じての寄付。ここを選んだわけは、楽天銀行に口座をもっていればネットで送金ができ(手数料は無料)、手軽だったからだ。所得税控除の対象になるとも書いてある。ところが!送金してから、ふと気づいた。「税金控除を受けるための領収書はどこからどう発行されるのだろう?」。それについての説明は一切ない。送金先が日本赤十字社だから、受領書発行も日本赤十字社だろうと思い、電話をかけて聞いてみた。すると、「楽天銀行からの寄付はひとまとめに来るので、日本赤十字社は個々の受領書は発行しない」という返事。ならば楽天銀行なのだろうと思うのだが、どこに電話をかけたらいいのか、実に探しにくい。カスタマーセンターをクリックしても、いったいどこにかけたらいいのやらサッパリわからない。とりあえず、商品全般ということで、「0120-77-6910」にかけてみた。すると、「現在電話がこみあっております」と延々と待たされた。フリーダイヤルに電話をすればすぐに通じて、必要な情報は即座に入手できた日本赤十字とは雲泥の差だ。ようやくオペレーターにつながって、聞いてみると、(すぐにはわからず待たされたのだが)、領収書の発行は日本赤十字社で行うが、それを申請するのが楽天銀行なのだという。しかも、実際に日本赤十字社に入金されてから手続きが進行するので、領収書が送られてくるのは、2ヶ月以上先になるとのこと。実にわかりにくいが、とりあえず、手続きの申請は電話で口頭で申し込むことができた。あとは数ヵ月後(苦笑)に、日本赤十字社から領収書が送られてくるのを待てばいいということだ。本当にちゃんと来るのだろうか? いつぐらいになるのか曖昧なのが不安だ。正直・・・楽天銀行は失敗だったかなと思った。手軽に自分の口座からネットで手数料無料で寄付できるのはいいのだが、そこから先の手続きがわかりにくいうえに、面倒だ。三菱・三井銀行もしくは郵便局を通じて日本赤十字社に直接寄付すれば、そのときの振込用紙がそのまま領収書になるので、氏名と住所を通信欄に書き込めばいいとのこと。そちらのほうがずっとすっきりする。銀行や郵便局の窓口まで足を運ぶべきだった。また、楽天銀行からだと、とりまとめて日本赤十字社に入金されるから、実際に日本赤十字社に届くのは1ヶ月から、場合によっては2ヶ月以上かかることがあるという。日本赤十字社に直接送金すれば、当然このようなことはない。ちなみに、日本赤十字社の担当者に、「入金されるのが遅くなったために、東日本大震災以外の目的に使われてしまうことはないのか」と聞いてみたが、今回の大震災の義援金募集は長期にわたって行われ、使用目的は被災者への義援金に限定されているため、他の目的に使用されることは一切ないとのこと。こうした心配の声は多いようで、(以前よりは)日本赤十字社も広報に努めている。仮設住宅の家電などは、海外の赤十字社から日本赤十字に送金されてきた義援金で調達したとテレビのニュースで言っていた。こうしたフィードバックは、寄付金を集めるうえで、非常に大切だと思う。 2)国境なき医師団大震災発生後すぐに被災地に入り、宮城県南三陸町と岩手県田老町の避難所では、高血圧症や糖尿病など慢性疾患をかかえた被災者の診療に当たり、医薬品や救援物資の配布も行ったという。また、臨床心理士による心理ケアも開始したとのことだ(4月5日のニュース)。今回の震災で、慢性疾患を抱えた被災者の支援がいかに困難で、かつ必要とされているかはテレビのニュースで認識したので、そうした支援を専門的に行うこの活動法人に寄付することにした。クレジットカードでの寄付も可能なのだが(サイトはこちら)、ここでまた、「待てよ」と立ち止まることになる。カードだと、例によって国境なき医師団に入金されるまで2ヶ月ぐらいのタイムラグがある。その間に医師団がミッションを終了してしまう可能性はないのだろうか?さっそく問い合わせることにした。電話番号はこちら0120-999-199楽天銀行と違って、すぐに連絡先がわかり、また電話もすぐつながった(笑)。問い合わせたところ、結果として、「カードで送られてきた寄付金のタイミングによっては、東日本大震災でのミッションは終わっていて、他の目的に回されることもありえる」とのこと。そもそも「国境なき」医師団なのだから、理念からいっても当然といえば当然だ。「日本は先進国なので、我々の支援が早めに終了することはありえる」という率直な話が聞けた。たった今入ってきた寄付金なら、間違いなく東日本大震災の被災者支援に使われるとのことなので、郵便局を通じて寄付することにした。当然、振込み用紙が所得税控除のための領収書となる。すぐに当該団体に入金になる振込先はこちらなので、日本の被災地の医療支援活動に寄付したい方は、郵便局の以下の口座へ。口座番号 00150-3-880418加入者名 特定非営利活動法人 国境なき医師団日本通信欄に、「東日本大震災あて寄付」と明記。振込み用紙には住所と氏名を記入。 3)CIVIC FORCE被災者への義援金ではなく、被災地の支援活動(お風呂を設置したり、テントを作ったりといった)をスピード感をもって行う民間の支援団体。活動報告も詳細で、信頼度を高める努力をしている姿勢が感じられる。被災者の顔がわかるような写真を使わないなど、プライバシーに配慮しているのも、目立たないが好感がもてる。直接寄付する場合は、こちらのサイトから。Mizumizuは元フィギュアスケート・アイスダンス日本代表の田中衆史&河合彩氏の呼びかけ(チャレンジ)に賛同するかたちでの間接寄付を行った。クレジットカードで自宅から気軽に寄付できる。しかもこのチャレンジでは、寄付金額も自分で入れることができ、小額でも大丈夫だというのが特長。ネット上での操作も簡単。こちらのサイトから寄付できる。呼びかけ人(チャレンジャー)のお1人、河合彩氏のブログはこちら。モスクワ開催となった世界選手権のアイスダンスのテレビ初解説に備えて、元コーチのもとに出向いて現行のルールをいちから学び、頭に叩き込むべく奮闘中とか。こちらのチャレンジも、一視聴者として楽しみにさせていただいている。例によって、「クレジットカードを使った寄付のタイムラグ問題」については、CIVIC FORCEに直接メールで問い合わせたところ、「今回の支援活動は長期にわたるので、東日本大震災の名目で送られた寄付は、他の目的に回すことはない」と返答がすぐに来た。領収書に関しては、CIVIC FORCEのほうから発行される。その手続きもネット上でできる(ただし、CIVIC FORCEへの入金後になるので、本人がクレジットカード募金を行った2ヶ月後ぐらい)。楽天銀行を通じた日本赤十字社への寄付金の領収書は、このまま待つだけだが、CIVIC FORCEの場合は、ネット操作で、領収書の申請ができるかどうか(つまり入金がされたかどうか)を自分で確認できるので、ずっと安心感もある。メールで質問すれば、回答がすぐに来る。全体として、このチャレンジャーを通じたCIVIC FORCEへの募金のほうが、楽天銀行を通じた日本赤十字社への募金より、はるかに透明性が高い。というか・・・楽天銀行が、寄付ばかりやりやすくして、他のことは不親切すぎるのだが。以上、Mizumizuとしては、多角的な支援の資金援助ができるよう、寄付先を選択したつもりだ。上の3つの団体の主旨に賛同いただける方は、それぞれのリンク先からクレジットカード、もしくは直接振込みにて寄付をお願いいたします。また、信頼できる活動先で資金援助を必要としている団体からの情報をお待ちしております。申し訳ありませんが、実際に活動を行っている方に限らせていただきます。「またぎき」のチェーンメールはご遠慮ください。
2011.04.18
キャサリン・サンソムという英国外交官夫人の著作に、「東京に暮らす」がある。日中戦争の直前まで日本で暮らし、教養人の女性としての視点で日本人の特性や生活習慣などを描いたエッセイだ。彼女が例えば民俗学といった、特定の専門分野をもった学者でないことが、返ってこのエッセイを普遍的なものにしている。やや蔑視的な表現がないわけではないが、自分の中の差別意識を極力抑制して、曇りのない目で日本人を見つめ、温かい気持ちで理解しようと努めている。その姿勢がいい。このエッセイを読むと、日本が失ってしまったものも数多いことに気づかされる。たとえば、子どもの養育に関するくだり。赤ん坊が生まれてきて一番幸せな国は日本です。日本人は子どもをとても大切にしますから、子どもを虐待したり、子どもに対して罪を犯すということはめったにありません。子どもはみんなから可愛がられ、あやされ、ほめられます。イギリスの赤ん坊のように早くから厳しくしつけられることはありません。これを読むと、いったい「日本」とは、どこの国のことなのかと思う。確かに、Mizumizuの子どものころは、「子どもの虐待」などという言葉が聞かれることはなかった。実際に「なかった」のか、あるいは「隠されていた」部分が多いのかはわからないが、それにしたって、今のように親の酷い虐待が社会問題化することはなかった。「しつけ」と称して子どもを殺してしまうような親も(多分、ほとんど)いなかった。どちらかと言えば、子どもは確かに、みんな――他人も含めて――から可愛がられ、あやされていた。これは日本人が失ってしまった最たるものの例だろう。今の日本が子どもにとって幸福な国だとは到底思えない。だが、不思議と「変わっていない」と思える部分も多いのだ。たとえば日本人の礼儀正しさと自己抑制に、関東大震災がからんだエピソード。日本人の礼儀正しさは、優雅な話し方やマナーのよさばかりではなく、他人との交際において利己的にならないということだからです。外国人だったら自分のことを色々と話しますが、日本人は自分のつまらない話をしては相手に悪いと考え、どんなに悲しい時でもそれには一切触れず、一般的な世間話しかしません。以前、ある日本人の紳士が私に「どんな宝物をお持ちですか、ご主人は日本に長く住んでいらっしゃるから、美しい屏風を始め色々な美術品を収集なされたでしょう」と尋ねたことがありました。私は主人が収集したもののほとんどが、1923年の大震災でやけてしまったとこぼしました。私があれも、これも、それも・・・と嘆くのを紳士は同情しながら聞いてくれました。続いて私が、「その時は東京にいらっしゃいましたか、失われたものはありませんか」と尋ねました。紳士は微笑を浮かべながら「妻子をなくしました」と答えました。私は愕然とし、懸命に紳士を慰めようとしましたが、彼の方は、私たちが楽しい話をしているかのように微笑み続けていました。実際、紳士は悲しみに浸っているわけにはいかず、思いもかけぬ不幸を知って動揺した外国人女性の気持ちをなんとか鎮めなくてはならなかったのです。それで彼は日本人の例の微笑を続けていたのでした。悪意をもった外国人なら、「妻子をなくした話を、薄笑いを浮かべながらする不気味な日本人」「悲しくないのか」などと言いそうなところだ。もちろん、悲しいのだ。紳士の無念さは日本人にはよくわかる。彼はそれを自分自身で乗り越え、少なくとも乗り越えることを自分に課し、微笑を浮かべながらおだやかに話したのだろう。美術品を失うより、妻や子をなくすほうがよほど重大な悲劇だ。だが、彼は問われるまで、その話はしなかった。そしてサンソムも、自分の個人的な感情よりも相手への配慮を優先させる日本人の行動を驚きとともに、一種の敬意をもって描写している。2011年の未曾有の大災害のあと、世界を驚かせた被災者の忍耐強さや秩序正しさは、1920~30年代当時とまったく同じではないにせよ、日本人の美徳意識が、依然として受け継がれていることを示している。そして、サンソムは日本人特有のやさしさと辛抱強さを形成したものは何かということについて、次のように考察している。日本人は自然を愛するだけではなく、私たちとは違って、今でも自然の中に生きています。だからといって日本人の中に旺盛な精神の持ち主があまりいないというわけではありません。ここ半世紀の間に彼らのやりとげたことの一片でも知る人は、その逆が正しいということを知っています。日本人はいつでも辛抱強く、しかも楽しそうにその時々の状況を受け容れています。それにはもちろん気候の影響もあるでしょう。(中略)冬を除くと湿度がとても高いということは、外国人だけでなく、日本人にとってもつらいことです。文字通り「天気にやられない」ためには、健康な人でも強い意志の力を持たなくてはなりません。ここで東洋人特有の強い忍耐力が役立つのです。また、辛ければ辛いほど逆に笑おうという驚くべき態度は、おそらく、神経を鎮め、大気の異常な重みが神経をいら立たせるのを少しでも和らげようとする日本人の生活の知恵なのでしょう。さらには、多湿の空気だけでは不十分というかのように、地震がかなり頻繁に発生し、中には人々が外に逃げ出すような大きなものもあります。しかし何といっても腹立たしいのは台風で、夏の間いろいろな強度のものが日本の一部を襲います。(中略)このように日本人が遭遇する空と地と海からのかなり頻繁な危険と不安を考えると、彼らが意識的にも無意識的にも、かなり独特な性格を作り出さなくてはならなかったことが理解できます。たとえ怒りっぽく興奮しやすい国民であったとしても、そういう性格をあまり露骨に出すことはおそらく許されないでしょう。台風の時に怒っていたらとんでもないことになりますから。優しい手が日本人の頭の上にかざされていると思うことがあります。このことが正に日本文化の真髄かもしれません。日本人も、意識的にせよ無意識的にせよ、そう望んでおり、またそう望まなくてはならないのです。 【中古】文庫 東京に暮らす-1928~1936-【10p12Apr11】【画】
2011.04.13
去年、満開の桜を見たのは千鳥ヶ淵だった。そのときのエントリーはこちら。同エントリーでは、たまたま思い出した「摩利と新吾」の桜のシーンについても触れたのだが、1年経ち、東日本大震災から1ヶ月たった今日、あらためてこの漫画の桜のシーンを読んでみたら、奇妙な符合に気づいた。「音もなく桜が散る ため息のように散る 見たくないか? 摩利・・・・・・」物語の中で、そう新吾が心の中で友にささやきかけてから、季節がめぐり、次のシーンは1923年の夏に飛ぶ。そして、その年の9月、関東大震災が起こるのだ。これはヨーロッパにいた摩利が、大震災のニュースを見て茫然自失するシーン。「日本国大崩壊」「熱海 伊東の町は消え 富士山頂が飛び」「帝都 灰燼に帰す」「東京 横浜の住民は10万人死亡」「三日三晩猛火につつまれ」と、真実と誇張がないまぜになった報道がヨーロッパを駆け巡る。昔このシーンを読んだときは、「大正時代だから、さぞや情報が届きにくかったんだろうなあ」などと思ったものだが、88年たった今でも、案外似たようなものだ。単なる誤報や無知からくる偏見も多いが、明らかに意図的な煽りもある。花粉症でマスクをし、目をしょぼしょぼさせている人を写して、「放射能に苦しむ東京都民」などと海外で報道するのは、知っていてワザとやっているとしか思えない。1923年9月1日 午前11時58分・・・ M7.9の大地震が日本を襲った。のちに言う関東大震災である。ちょうど昼食時だったため、市内いたるところの台所から出火した地獄の猛火は3日間燃え続けた。特に地盤の弱い東京下町では、ほとんどの家屋が倒壊し、火に追われ、水に飛び込んで溺れ、死者は累々。東京だけで6万人に及んだという。私たちが1ヶ月前に見た光景には、これに大津波が加わった。死者の数は関東大震災のほうが多いが、東日本大震災のほうが、被災地は広範囲にわたる。関東大震災から1ヵ月後の東京の風景。崩壊から復興へ 混乱から秩序へ 88年後の今日は、2011.3.11からちょうど1ヶ月。もし地震と津波だけだったら、同じように言えただろう。だが、今回はおさまる気配を見せない余震とともに、いまだに収束の見通しがたたない福島第一原発の事故という重いくびきが、元通りの生活に戻ろうとする私たちの行く手を阻んでいる。折りしも東京都知事選挙が行われ、脱・原発一辺倒では立ち行かない現状を訴えた石原慎太郎が4選を果たした。これほどまでに恐ろしい原発。手を引くことができれば理想的だ。だが、それは一筋縄ではいかない。代替方法で効率的かつ安定的な電力供給が可能であるというのなら、希望論や机上の空論ではなく、実際に見せて欲しい。今後原発に頼らない方向に進まなければいけない。それは今回の事故でハッキリした。だが、今すぐに「脱・原発」したらどうなるだろう。私たちの生活は、経済は?節電すればいいじゃないか、ちょっとぐらい停電になったって、我慢すればどうってことない、昔はそうだったんだから・・・・・・そう言える人は、ある意味強い人たちなのだ。だが、たとえば人工呼吸器などの高度な医療機器に頼らなければならない、弱い弱い立場の人たちは? 停電のたびに、命の危機に見舞われるのではないか。「昔」なら命をつなぐことのできなかった人たちも、生きていけるようになった。それは医療の発達と経済的に豊かになった社会の賜物なのだ。その豊かさには、もちろん安定して供給されてきた電力の恩恵も含まれる。また経済は? このまま節電、節電で企業活動が滞れば、個人の消費活動も鈍り、経済は失速する。それでどうやって、この未曾有の大災害から復興するのか?もちろん、無駄な電力消費はやめるべきだ。特に東京は無駄に明るすぎたし、無駄に便利すぎた。だが、それだけで脱・原発を図れるのだろうか、本当に? 現在進行中の福島第一原発の事故は、この国の経済が、絶望と紙一重で回っていたという、危うすぎる事実を見せ付けた。原発が本当に安全などと、心から信じていた人がいるだろうか? チェルノブイリやスリーマイル島の事故を見ているのに? 皆心の中で、本当に大丈夫なのか、もし日本の原発に最悪の事態が起こったらどうなるのかと恐れていたはずだ。だが、原発から遠い場所に住む、特に都会の人間は、便利で快適な暮らしの中で、「最悪の事態」を想像することをやめ、信じたい言葉を信じてきた・・・あるいは少なくとも、信じるふりをしてきたのだ。最悪の事態が起こった今になって突然「覚醒」し、理想論を振りかざすのは、社会的に無責任なポジションにいる人間にはたやすい。聞こえもいい。だが、この国の経済活動の一端を担っているという自覚のある人間になればなるほど、物事は机上の理論どおりにはいかないということを知っている。経済を発展させることと環境を守ること。この2つは簡単には両立できないのだ。あちらを立てればこちらが立たずの状況を、なんとかあちらを立てつつ、こちらも立てて、四苦八苦してやっていかなければならない。すぐにすべての原発を止めることは不可能だ。だが、危険な原発施設をどうするのか、これから作る予定の原発は本当に必要なのか。そして、原発に頼らないとするなら、それに替わる技術をどうやって開発していくのか。一朝一夕には結論の出ない重い課題を、2011年の私たちは背負っている。5000円以上で送料無料!【中古】afb【古本全巻セット】摩利と新吾_全8巻[完結]_木原敏江_白泉社_文庫版_【あす楽対応】【240ポイント付】摩利と新吾 文庫版 1-8巻 全巻 【ポイント×5倍】【中古漫画】【中古】摩利と新吾 (全13巻)/木原敏江
2011.04.11
ながらく休止しておりましたが、来週あたりより、またブログを再開いたします。よろしければ、また遊びに来てください。最初の内容は・・・以下からお察しを。【送料無料】STEP!STEP!STEP!高橋大輔STEP!STEP!STEP! 高橋大輔 フィギュアスケートを行く (日経ビジネス人文庫) (文庫) / 原真子/著【送料無料】NHKスポーツ大陸(石川遼・福原愛・高橋大輔)【送料無料選択可!】ワールド・フィギュアスケート 45 【表紙】 高橋大輔 (単行本・ムック) / ダンスマガジン/編
2011.04.01
読者の皆様Mizumizu宅は地震の被害はなく、本が数冊本棚から落ちてきただけですみました。未曾有の被害の甚大さはテレビで知るのみです。それについてもちろん思うところはありますが、今はエントリーにあげるべきときではないと考えます。関東地方では月曜日から輪番停電に入るようです。したがいまして、読者の皆様には節電のご協力をお願いしたいと思います。1人ひとりの努力は小さなものですが、チリもつもれば山となります。パソコンやケータイからの拙ブログへのアクセスを1週間程度自粛をお願い申し上げます。電力消費節減、ケータイのトラフィック負荷軽減にどうぞご協力を。現在、福島原発が厳しい状況です。しかし、現場の技術者や担当者は最悪の事態を食い止めようと精一杯のことをやっていると思います。このようなときに一番まずいのは、「善意」によるネット上のデマの拡散だと思います。すでにコスモ石油の社員を名乗るデマ情報がネットを駆け巡っているようです。不確実な情報をチェーンメールで拡散するはやめましょう。電力供給が安定し、かつ私自身が落ち着いた時点でまたエントリーをあげたいと思います。Mizumizu拝
2011.03.13
NHKの朝の連続テレビ小説というのは、これまで見たことがなかった。「ゲゲゲの女房」が初めて。このドラマは、Mizumizuのように従来の「NHK朝連」にまったく興味のなかった人々の関心を引いたと思う。Mizumizuがことに気に入ったのは、ヒロインが職業や特別な才能といった「強い色」をもたないがゆえに、周囲の「働く人々」(あまりまっとうに働く気のない人も含めて)の意思や生きざまがうまく描けていたことだ。水木しげるが実際にかかわった人たちをモデルにしていることもあり、みな実に個性的。昭和の日本人が没個性などと、誰が言ったのだろう。むしろ今の日本のほうが、画一的な「へのへのもへじ人間」しかいなくなったのではないか。「ゲゲゲの鬼太郎」と「♪から~んころ~ん、からんころんからん」というあの歌を知らない日本人は恐らくいないと思うのだが、Mizumizuはもっぱらアニメで見ていたほうで、水木漫画は読んだことはなかった。ドラマで印象的だったのは、貧乏時代の水木しげるの生活。ちょうどそこのころの作品である「墓場鬼太郎」が杉並区の図書館には収蔵されている。「ゲゲゲ」になる前の鬼太郎がどんななのか、興味を引かれて借りてみた。で・・・いやあ、かなり驚きました、ハイ。「ゲゲゲ」と「墓場」は相当違うというのはなんとなく聞いていたのだが、墓場鬼太郎は、本当に邪悪な顔をしている。 コレ↓およそ妖怪「ヒーロー」のイメージとは程遠い。読んで字の如し、「墓場から来ただろう」というムード満載の顔なのだ。この場面、何をしているかというと、鬼太郎が蝋燭を食べている。それを見た目玉親父が・・・この会話になんともいえないユーモア、おかしみがあるから、蝋燭にがっついていた鬼太郎が妙に可愛く見える。この「おかしみ」が墓場鬼太郎の特長で、それがまた実に日本的なのだ。たとえば、時の総理に呼ばれて、鬼太郎が首相官邸にクルマで向かう場面があるのだが、そこで総理の使者が、鬼太郎の髪から出ている目玉おやじに気づき、「おつむに変なものが・・・」と言う。それに対して、「これはぼくの父親です」と鬼太郎が答えると、使者は、「はあ?」とまったく理解できないのに、「おみそれしました」と目をそらしてしまう。よくわからないものは見て見ないフリをしよう・・・日本人の事なかれ主義的行動パターン――あるいはそれは、相手の気分を害さずにその場をやりすごすための、ある種のやさしさかもしれないが――がよく出ていて、思わず笑ってしまうのだ。墓場鬼太郎は人間の味方ではない。人間とはまったく違う世界に棲んでいる。だから、「人間って非情なんですね」と気づくと、その非情さに対しては迷うことなく復讐する。人間を助けることもあるが、それはほとんど鬼太郎自身の行動原理に沿った「結果」に過ぎない。アニメの鬼太郎は、どんどんカッコいいヒーローになっていってしまった感がある。それはちょうど、古今東西に残るおとぎ話が、オリジナルは非常に残酷なのに、「子どもには残酷すぎるから教育上よくない」という配慮で変えられていったさまを見るようでもある。だが、現実には残酷で不条理な物語を子どもの目から遠ざけようとすればするほど、境界線をあっけなく越えて、大人を驚かせるような残酷な行為をやってのけてしまう子どもが増えた。人間の想像力のもつ残酷さを、幼い感性から遠ざけることが果たしてよかったのか、これからもそうしたほうがよいのか。考えさせられる問題だ。ブリューゲルのエントリーで、このヨーロッパ中世末期の巨匠と日本の漫画家の類似点について指摘したが、やはりと思わせる場面が「墓場鬼太郎」にあった。これは、押し入れから不可思議な世界に迷い込んでしまった人間が見る建造物。ブリューゲルの「バベルの塔」↓に相当似ている。雲にも届く高さを獲得する一方で、このバベルの塔は土台のほうが崩れてきている。それでも上へ上へと工事を続ける人間。ブリューゲルはこのバベルの塔に、ローマのコロッセオの面影を反映させている。400年前にローマのコロッセオを見てバベルの塔を連想した画家がいる。そのバベルの塔を見て「何か」を受け取った漫画家が日本にいたとしても不思議ではない。もう1つ、「墓場鬼太郎」を読んで気づいたこと。それはこの漫画のもつ不条理な世界観には、水木しげるの戦争体験が色濃く反映されているということだ。これは砂地獄に落ちたねずみ男の台詞。ねずみ男の裸体(笑)は、飢餓そのものを象徴しているように思う。ガリガリの手足。浮き出たあばら骨。それでいて下腹は少し出ている。半分砂に埋もれた骸骨を見て、「間もなくあんなふうになるのだ・・・」という諦念にも似た台詞、奇妙な静けさ。Mizumizuにはこれは戦場の兵士の飢えと絶望の果ての独白に見える。鬼太郎もねずみ男も、とにかく飢えている。そして物価が上がった、先行きが見えないと言って、政治家を批判しているのだ。今と同じではないか!我が家には「悪魔くん」があるのだが、水木しげる自身のあとがきに興味深いことが書かれている。桜井昌一氏(「ゲゲゲの女房」では戌井慎二)にインスピレーションを得たという「メガネをかけた出っ歯のサラリーマン」について。僕は、このキャラクターにこそ、働いても働いても落伍していく善良な現代人という感じがよく現れている(原文ママ)と思う。働いても働いても落伍していく善良な現代人――これは、昨今言われているワーキングプアを別表現ではないだろうか? してみると、一億総中流と言われた日本の一時代のほうが、高度成長時代が見せたほんの刹那の幻で、日本人というのは結局、ずっとこの問題をかかえてきたのではないだろうか。「一億総中流」意識こそがユートピア的幻想であって、今の状況のほうが、実は普遍的なのかもしれない。実際、水木しげるは当時の困窮ぶりについてこんなふうに書いている。長年の貧乏は、あの半死半生の目にあった戦争より苦しいほどで、一山百円の腐ったバナナを買って食うのが無上の楽しみという、人には話せないような思いをさせる貧乏を、せめてマンガの中だけでも、魔法の力によって撃破できたらと、ペンを握る手にも思わず力が入るほどの意気込みだった。「一山百円の腐ったバナナを買って食うのが無上の楽しみ」という貧しさは、今の貧困層の生活よりさらに深刻にも思える。もちろん、もっと困窮している人もいるのかもしれないが。状況は深刻であるにもかかわらず、今の貧困層、とりわけワーキングプアと呼ばれている人たちの多くが抱える問題点が水木しげるには見えない。今のワーキングプアの最大の問題点は、自分に力で生き、道を切り拓いていこうとする意欲の低下のようにMizumizuには見えるのだ。何度か挫折を体験すると、打ちひしがれ、立ち上がる気力をなくしていく。それでも自分の器以上の無理を重ねると、今度は身体的あるいは精神的に病み、最悪の場合は自殺。そこまで行かなくても、生活できずに社会保障に頼ることになる。いったんそこに陥ると、なまじっか働くより生活保護を受けたほうが「豊か」でいられるために、ますます生活再建が難しくなる。若くても働けない理由は、いくらでも作り出せる。生活が厳しく、仕事も見つからないとなれば、不安になる。不安になればうつ状態になる。自分の責任でかなり改善できるものがあることに目をつぶり、社会の仕組みや世間の無理解を糾弾すれば、そこに自分の存在価値を見出すことができる。今はネットがあるから、ネットで遊んでいれば、時間はすぐすぎるし、匿名の世界で外の広い世界とつながったような錯覚を覚えるのは容易だろう。そうやって個人がリアルな世界で生き抜く力がどんどん失われ、それでもなんとなく何とかなるものだから、(長い貧乏時代を過ごしていた)水木しげるが持っていたような「意気込み」を持つ人が消えていく。不思議とこの状況は、「大きな夢を持つこと」が主にメディアを通じて奨励されるようになってから、ますますひどくなったように見える。いい年になって、それまで何の実績も上げられていないのに、そして日常的な努力もしないのに、それでも空しくも壮大な夢を「諦めず」にいる人が多い一方で、普通に自力で生活していくことさえままらない人間が増えている。自力で生きて生きていけないから、当然誰かを支えることもできない。いつまでも誰かからの理解と応援を求めている。「夢を諦めるな」というきれいな励ましが含む偽善に、Mizumizuは最近かなりウンザリしている。「意気込み」のほかに、現在のむなしき夢追い人にはなくて、貧乏時代の水木しげるにはあったものがある。それこそ、作品にも漂っているユーモア、おかしみ、どんなどん底でも自分を客観的に見て、笑うことのできる精神だ。桜井氏の勧めで「悪魔くん」を描き、桜井氏の会社から出版したもののさっぱり人気が出ずに、連載が途中で頓挫したときのこと。東考社(桜井氏の会社)も桜井氏も非常に良心的な出版社だったし、いうところのない人物だったのだが、貧乏神にとりつかれている点が最大の玉にキズだった。その貧乏神を追い出す悪魔くんのはずだったが、うまくいかなかった。貧乏神にとりつかれている点が最大の玉にキズ――この文章にも、なんとも言えない「おかしみ」がある。そうか、悪魔くんよりパワーのある神様のせいじゃ、仕方ないよね・・・そう2人の肩を叩きたくなる。先行きが不安だと萎縮してばかりいる、実はかなり豊かな日本人は、失うものが多くて恐れているのかもしれない。持っていないのがもともとなのだと考えれば気持ちもラクになる。自力でなんとかできなかったことを、すべて自己責任にして自分をどこまでも責めたり、あるいは世間や社会に責任転嫁して鬱憤をたぎらせたりするのではなく、多くを望まずに、「ま、これも神様の思し召しだから」と笑って流すのも、生きにくい時代を生き抜く知恵なのかもしれない。ストーリーを追う楽しさ以外に、こんなにも多くのことを考えさせてくれる漫画家。水木しげるの雑草のような逞しい精神こそ、今の日本人が取り戻そうとしているものなのかもしれない。
2010.10.06
山口県民の郷土の誇り、萩焼。山口県で萩焼の食器をもっていないという家は、ほとんどないのではないか。山口県民には馴染みの深い萩焼は、しかし関東では、茶人を除けばほとんど知られていない。九州の有名窯元のものならデパートに多く入っているが、萩焼はあまり見ない。関東人に萩焼がもうひとつ受けない理由・・・それは個人的には、あの人肌を思わせるくすんだ色調にあるように思う。土色寄りになるか灰色寄りになるか、あるいはピンク寄りになるかという違いはあるにせよ、萩焼といえば基本は肌色というイメージがある。もちろんそれがすべてではない。すべてではないが、イメージとしては「萩焼=肌色」なのだ。高校時代までを山口県で過ごしたMizumizuだが、土着の山口県民でないせいか、何を隠そうあのぼやけたような肌色が苦手なのだ。模様めいた違った色合いの差したものなど、アトピー性皮膚炎の持病をもっている身としては、なんだか皮膚に浮いた疾患を見ているようで、ことさら気味悪く感じてしまう。だが、萩に行って有名な窯元巡りをしてみると、一般に安く流通している萩焼のイメージを覆す作品を作っている陶芸作家も多いことに気づく。先日、そんな窯元の1つである大屋窯を萩に訪ねてみた。山と川に挟まれた緑豊かな土地にある大屋窯のショップは、天井の高い簡素な東屋風で、とても洒落ている。敷地は傾斜地ながら非常に広く、自然の勾配を活かした登り窯やアトリエのほかに、お願いすれば母屋も見せてもらえる(もしかしたら、買い物した人限定かもしれない?)。母屋は思い切り広く、隅々にまで和的な美意識が行き届いた大豪邸(←東京の人間からすれば)だ。ゴージャスで贅沢な暮らしをしているということではなく、自然の懐に抱かれて、精神的に余裕をもった生活しているのがヒシヒシと伝わってくる。創意に溢れた美的な暮らしを東京で見ることはほとんどない。単なる金持ちや資産家ならいくらでもいるが、それと「うつくしく、豊かな暮らし」は別のものだ。大屋窯の器たちは、萩の街中のお土産屋に置いてある手ごろな量産品に比べると格段に高いが、質の高さも値段に見合って図抜けている。まず気に入ったのはこの陶器の大皿。茶色の地に白っぽい釉薬のムラがいい味を出している。カレーやパスタにぴったりだと購入決定。こちらは土色の昔風の色調に、柄がモダンなお香立て。葉を象った、灰色がかった白のソープディッシュ。真ん中あたりにポツッと落ちた、たった1つの茶色の斑点が、ナチュラルなアクセントになっているのも憎い。こちらは陶器にしては表面がつややかだと思ったら、磁器なのだという。陶器のもつ素朴さが磁器にしかない洗練と結びついて、不思議な佇まいを見せている。聞けば、陶器のもつ趣きを磁器と合体させるというのが、大屋窯のライフワークの1つでもあるという。こちらがその「磁器なのに陶器のようなニュアンス」をもった作品の代表例になるだろう。大屋窯の濱中史朗氏の作品。フォルムは古代ギリシア時代からあるような、極めてクラシカルなもの。釉薬を使っていない表面の質感はテラコッタ風なのに、色はといえば、どこまでも白い。こちらに同氏の無釉白磁の作品が並んでいるが、骸骨が中央にあるのが暗示的だ。アトリエにも、ひたすらシンプルなフォルムで、ひたすら骨のように白い磁器作品がさかんに並んでいた。つまりこの作家は、骨めいた白という磁器の色に妄執にも似た愛着を抱いているのだろう。白は純潔を表す色でもあるが、骸骨に代表されるように終焉の色でもある。濱中史朗の無釉白磁は、穢れのない無垢な白というより、穢れさえ朽ち果てた先の白ではないか。Mizumizuが買った甕風の花瓶は可憐なレース柄が特徴的なので、「骨めいた白」のイメージは薄まっている。だが、この甕のような花瓶を掌におさめてみると、クラシカルでシンプルなフォルムは遠い過去を、洗練の極限を極めた一色の白ははるか未来を暗示しているような気がした。繊細な柄の花瓶のはずなのに、骨壷のようでもある。きれいな色のはずなのに、それがいつのまにか不気味さを帯び、不気味さの中に静かな美しさが宿る。「一楽二萩三唐津」「萩の七変化」といった萩焼の伝統的な強みをいったん放棄して、新しい表現手法を探っている窯元も確かにあるのだ。伝統に学びながらも、伝統から脱却していく・・・大屋窯の方向性は、これからの日本の伝統産業の職人が生き残る道を示しているようでもある。
2010.09.20
以前、リモージュ焼きのソーサーを直してもらった文京区の修理工房 六屋。またも割れ物がでたので、修理してもらった。こちらは急須のフタ。2つに割れたうえ細かい破片に分かれてしまった。製造元に問い合わせても、フタだけの在庫はないと言われたので六屋に持ち込んだ。漆などを使って接着させたあと、金粉を蒔き、十分に乾燥させたあと、サンドペーパーで研いで表面を滑らかにするのだとか。金の線をさっと描いただけのようにも見えるが、実は手間も時間もかかっている。要はこの部分だけ磁器ではなく蒔絵になるので、食洗器や乾燥器にかけない、漂白は最小限にしなくてはいけないなど、それなりの扱いが必要になるのだが、割れ目が模様のように見え、おもしろい味わいが出た。こちらはヴェネチアで買ったガラスのコップ。食洗器にかけてるうちに、見事に3つに割れてしまった。通貨がリラで、物価の安かった時代のイタリアお土産で、たいして高いものではないし、捨ててしまおうかとも思ったのだが、小さな家族経営のガラス工房で、「誰が作ったの?」と聞いたら、「オレさ!」と自慢げに胸をそらせていた小柄な老人の姿が脳裏に蘇り、捨てるのがしのびなくなった。あの年老いたガラス職人は、もしかしたらもうこの世にいないかも・・・ そんなことを思ったら、直せるものなら直して使ってみようと。実はこちらのガラスのほうが六屋のご主人は確信なさげだった。「うまく接着しないかも・・・」と言うので、「ダメならダメでいいですよ」と答えた。だが、できあがったものを見たら、非常にきれいに直っている。うまくつかなかったらそっと飾っておくだけにしようかと思ったコップが十分実用に耐える。もともと日常的に使うためのコップなので、さっそくそのお役目に戻った。不況のせいか、六屋には地方からも多くの修理依頼が舞い込むのだという。愛着のあるモノを直しながら使う・・・ そんな気持ちを取り戻すことができたのが長引く不況のせいならば、それはそれで悪くない。
2010.09.16
Bunkamura ザ・ミュージアムで8月末まで開催された「ブリューゲル版画の世界」展。ブリューゲルは16世紀にネーデルランドで活躍した画家だ。ネーデルランドとは現在のベルギー、オランダ、ルクセンブルクを含む。ブリューゲルはアントウェルペン(アントワープ)が活動拠点だったので、現在の国で分ければベルギーの画家ということになる。生没年代は1525年(あるいは30年?)~1569年。イタリアならルネサンス時代に属するが、北方ではこの時代はまだ中世末期とされることが多い。ブリューゲルはイタリアを旅行し、ルネサンスの息吹を北方絵画にもたらしたので、北方ルネサンスの先駆け的存在だとも言えるが、その世界観は明らかに中世に属している。Mizumizuは10代のころからブリューゲルの世界観に常に魅せられてきた。たとえば『イカロスの墜落』・・・作品のテーマであり、ギリシア神話の中でも極めて大きな事件であった「どこまでも高く飛ぼうとした少年の悲劇」が、ここではほとんど誰にも気づかれていない。一般庶民の日常生活の中にイカロスの悲劇は埋没してしまっている。こうしたアイロニーにMizumizuは近代人に通じる洞察力と精神性を見たのだ。それは恐らく、黒澤明の「七人の侍」にも通じる世界観でもある。だが、Mizumizuがティーンエイジャーだったころの日本人が一般に好んだのはもっぱらフランスを中心とする印象派の絵画。イタリア・ルネサンスの巨匠ですら、知られた作品は限定的で、さらにマイナーな北方絵画のしかも中世末期の作品なんかに興味をもつ好事家はほんの一握りだった。「ブリューゲルの版画展」は確か1度どこかで開催された覚えがあるが、見に来る人なんて本当にわずか。ブリューゲル作品でも、色彩のある板絵なら少しはアピールしたかもしれないが、版画となると展覧会場はガラすきだった記憶がある。だが、Bunkamura ザ・ミュージアムの様子は昔とはガラリと変わっていた。渋谷というロケーションもあるにせよ、中は若い世代でいっぱい。見に行ったのが週末だったせいか、重要な作品群の前には行列ができるほどだった。この成功は、宣伝手法が功を奏したからに違いない。こちらのPR動画を見てもわかるとおり、「400年前のワンダーランドへようこそ」というキャッチコピーで、イマドキのアニメや漫画に通じるようなブリューゲルの「変キャラ」にスポットを当てている。ブリューゲルの描いた怪奇なキャラクターが、日本の漫画に出てくる異形の存在にどこか似ていることは、昔からMizumizu自身気づいていた。だが、今と違って漫画の文化的地位は非常に低く、アカデミックな美術史研究者が真面目に取り上げることはなかったのだ。当時はもっぱら、ヨーロッパの研究者の研究を紹介することに主眼が置かれていた。ヨーロッパ世界でもっとも大切なのはキリスト教的価値観。キリスト教的な感性では明らかに異端に見える「変キャラ」のうごめく世界を描いたブリューゲルや、彼にインスピレーションを与えたボッシュといった中世の画家が、純粋なキリスト教徒であったのか、異端であったのか・・・そんな論議を真剣に紹介していたのが昔の日本の展覧会だ。だが、もともとほとんどがキリスト教徒でない日本人にとって、そんな話はまったく興味の対象外だろう。「キリスト教」あるいは「キリスト教徒」にとってこうした作品がどういう意味をもつかなど、日本人にはどうでもいいことなのだ。それよりも、1人のクリエーターの創り出した異形の存在が放つ風刺やユーモアに日本人は惹きつけられる。マンガチックなブリューゲルの「変キャラ」は、「表現するものたち」が本能的に関心をもつ「隠れた人間性」を象徴している。その普遍性は時代も地理も超えるのだ。そして、恐らく日本人の漫画家は、こうしたヨーロッパ中世期の画家の作品からもインスピレーションを受けたはずだ。絵を描く人間なら、ヨーロッパ絵画の図版ぐらい目を通すだろう。虫や鳥といった人間以外の生物と人間が合体したようなキャラクター、あるいは壷や木といった無生物と人間が合体したようなキャラクターは、それがキリスト教の図像学でどういった意味をもつかなどということとは関係なく、あらゆるクリエーターに視覚的刺激を与えうる。若者が大勢この展覧会にやってきて、ヨーロッパ中世の巨匠の創り出した「変キャラ」を興味ぶかげに覗きこむのは、だからある面では、ヨーロッパ絵画にも学んだ(であろう)日本人漫画家やアニメーターの功績だと言ってもいいかもしれない。ヨーロッパの画家が創り出した「異形の存在」と日本人漫画家が描いたそれとには、視覚的に共通する部分が多い。キモチ悪いのにどこかユーモラスに描かれたキャラクターを見るとなおさらそう思う。ただ、ベースとなっている思想には明確な違いがある。アニミズム(精霊信仰)の国である日本は、モノや場所にはそれぞれ神様が宿ると信じている。それを視覚化したのが、日本の漫画の「異形の存在」のルーツだろう。一方、ブリューゲルの「変キャラ」で人間と合体したモノは、キリスト教的図像学の意味から読み解けるものが多い。割れやすい「卵」はこの世の「はかなさ」、目に見えない楽しみを奏でる「楽器」は「虚栄」を表す・・・というように。アトリビュートと擬人像もキリスト教図像学における決まりごとだ。たとえはこの「七つの大罪 傲慢」を見ると・・・中央に鏡をもった女性が立っている。鏡は「傲慢」を意味するアトリビュート(持物)、だからそれをもっている女性は「傲慢」を象徴する擬人像だということになる。だが、個人的にはそんなことより、鏡に写った女性の顔が「ニコちゃん人形」みたいにマンガチックに描かれていることのほうがおもしろい。こうした「遊びゴコロ」も、ブリューゲル作品の大きな魅力だ。ヨーロッパ中世期の画家は、キリスト教的な理論でキャラクターの多くを描いている。だが、悪魔的風貌の動物的なキャラクターは、キリスト教図像学ではなく、もっと古い時代にそのルーツを求めることができるかもしれない。ヨーロッパの古い時代、具体的に言えばロマネスクからゴシックにかけて建造された聖堂の柱頭には、「グリーンマン」と総称される半植物半人間の怪奇なキャラクターが掘りこまれていることがある。最近の研究によれば、こうしたキャラクターのルーツはヨーロッパの先住民族ケルト人の文化にあるという。ケルトはアニミズムの民族だった。彼らを駆逐した一神教のキリスト教徒は、アニミズムを野蛮なものと蔑視するようになる。そこでケルト民族が信仰していた、生物・無生物を問わずあらゆるモノと場所に宿る精霊という概念とキリスト教の悪魔の概念が結びつき、ケモノめいた風貌の悪魔像が生まれ、キリスト教の世界では憎むべき存在として定着していったというのだ。つまりグリーンマンは、ケルトの精霊が悪魔に収斂されていく過程のもっとも初期の姿だということだ。ブリューゲルの「変キャラ」にも悪魔的風貌のものがいる。キリスト教図像学では読み解けないこうしたキャラクターの姿はやはり、ケルトの精霊をキリスト教徒が侮蔑的に再解釈した「異形の存在」の系譜につながるのかもしれない。それを見て、キリスト教的な「精神の縛り」のない日本人がまた、自由な想像の翼を広げ、自分なりの解釈をする。生み出されてから400年もたっているというのに、ブリューゲルの世界観は日本という風土でさらに重層的な感動を呼び、フレッシュな目をもった若い世代がその作品に新たな存在意義を見出す。おもしろい現象が起こったものだ。今回の展覧会ではブリューゲルの変キャラを気の利いた商品にしていた。あんまり楽しいので、いろいろ買ってしまったMizumizu。これは「傲慢」Tシャツ「傲慢」の中に出てくる変キャラと・・・アトリビュートをもった擬人像を脇にあしらい・・・逆サイドには日本語で「傲慢」の文字・・・(苦笑)。こちらの黒いTシャツは、ほとんど全面黒なのだが、後ろのお尻の上あたりに、キモ悪キャラが3つ並んでデザインされている。どちらもバカバカしいTシャツだが、デザイン配置が妙に凝っているのがおかしい。ピルケース。銘菓「ひよこ」がマントを着て楽器を背負ったような、このほのぼのキャラ・・・日本製としか思えない(?)。変キャラ付箋。
2010.09.14
「財源はあるんです」と空手形を切って政権を奪取した民主党。実際に政権運営に当たってみたら、「ある」と言い張っていた財源はやはりなかった。ないにもかかわらず、子ども手当てなんていうバラマキを、借金してまでまだ続けている。このまま行ったら財政破綻、だから消費税アップ。思ったとおりだ。ないものを「ある」と言い張り、次の世代が払うことになる借金を積み重ねてバラマキを続けたら、それ以外道がなくなるのは、とっくに見えていたはずだ。5%という税率は、食料のような日常必需品にかかる税金としたらもともとすでに高いのだ。一方で贅沢品にかかる5%という税率がヨーロッパの先進国に比べて安いのは、確かなこと。日本の所得税も、高福祉を掲げるヨーロッパの先進国に比べたら安い。それは認めよう。所得税も贅沢品にかかる消費税も安いのに、ヨーロッパの福祉先進国なみのサービスを提供しようとしたって、無理な話だ。それもわかる。しかし・・・消費税ばかり言われるが、自分個人にかかっているいろいろな税金を考えると、それだけでかなりアタマに来る。家を買えば・・・固定資産税、都市計画税車を買えば・・・自動車税、重量税(かかってくるのは2年に1度だが、毎年払ってるのとどう違うというのか?)会社を作れば・・・法人税(会社が赤字でも取ります)、消費税(これはクライアントが負担してるものと言えばそうだが、そのために発生する事務経費はこっちもちだ。消費税のプラスマイナス計算は、ハッキリ言って税務の素人には無理)それとは別に個人に・・・所得税、都民税さらに何かというとかかってくる印紙代。あれだって租税公課だ。個人=会社のような小さな組織の場合は、法人税と所得税を別々に納めるのは、ある意味で、「2重取り」されているような気分になるのだ。これは、経験者なら頷くだろうと思う。ある程度稼げていれば、法人税と所得税を払うことに違和感はないかもしれないが、商売が傾いてくると、非常につらい。さらに個人の能力に依っている事業というのは、たいてい「いいとき」が長続きしない。元競輪選手の中野 浩一氏が、「あのころ(競輪選手として無敵の強さを誇り、稼ぎまくっていたころ)に納めた税金を返してほしい」と言っているのをテレビで聞いたが、本当に気持ちはよくわかる。スポーツ選手はその典型だが、スポーツに留まらず、個人の才能で稼ぐ仕事は、うまくいったらいったで、いつ「売れっ子時代」の幕が下りるのか、常に不安につきまとわれる。人間の能力というのは、一生を通じて均等に発揮されるわけではないのだ。また、Mizumizuの会社は資金調達のために社債を発行した。暴利をむさぼる銀行に借りるのがイヤ(まあ、向こうだって貸したがらないだろうが、こっちだってはなっから願い下げだ)なので、そうしたのだ。社債を発行して資金を出してもらったのは親族だが、そのために利子をつけるのは、相手が親族だし、銀行の利子より低めに設定したのでいいとしても、利子課税が20%って、何ですか?20%ですよ、国民の皆さん。今、銀行の預貯金の利息なんて二束三文だと思うが、そこから20%も取られている。天引きだから意識していないだけで、せめてその利子が10%だったら、まだ利息として受け取れる現金が増えるじゃありませんか。さらに言えば、サラリーマンは所得税を勝手に天引きされている。なのに、年末調整でお金が戻ってくると嬉しがったりする。おかしーでしょ。もともと自分が払うべき税金だ。なんで勝手に天引きされてることに疑問をもたず、取りすぎた分を返してもらって喜ぶのか?さらに愚かしいのは、借金をしなければ家を買えない貧乏人が、「ローン審査が通った。貸してもらえるのは、私(夫)の信用が高いから」などと、誇らしく思っている姿だ。お金を貸してもらえたことが何で自慢になるのかわからない。ローンを組んで家や車を買う庶民など、金貸しにとってはただのいいカモだ。もともとの価格以上のお金を自分で払うことになるのがローンというものではないか。払えなくなったら取られてしまう。それじゃ、自分のものじゃないでしょう。「ローン審査」などと仰々しく言い、それに通ったらひとかどの人間のような錯覚をさせる。本当はお金がないから、欲しいものを手に入れるためには借金をしなければいけない。それだけの話から目を背けさせるための金貸しのペテンだ。そして、何年も利息を払い続ける貧者は、借金があるゆえに、いつまでも貧者に留まる。そのうえ、「家を持っている」「車を持っている」と言って、そこから国にさらに税金を取られるのだ。これじゃ死ぬまで貧者だ。もともと1人で始めた仕事が増えてしまって、今ではMizumizuはフリーランスの方に仕事をお願いすることも多々ある。というか、仕事が増えるにしたがって、税金にからむ事務が増えてしまい、本業ができなくなったのだ。おかげで個人としてのスキルは落ちる一方。「経営」と言えば聞こえはいいが、小さい会社の経営なんて、要は事務屋。外注費を支払う際に義務付けられている源泉預かりなんてものも、事務手続きをやってるこっちにすれば、まったくもって時間と労力の無駄以外のなにものでもない。他人の税金を預かり、半年ごとに計算し、いちいち税務署に納めに行く。バカにしてませんか? 取りすぎた分は申告にしたがって後から還付。こうやって毎年毎年、非効率な儀式が繰り返される。天引きなんてやめて、申告ベースで個人に納めさせれば、1度で済む話じゃないのか?「消費税をプールしておくことのウマミ」については過去にも書いたが、もう1度言うと、何かを売上げ、消費税を顧客に払ってもらったら、会社はそれをいったん金融機関にプールすることになる。そして所定の時期に経費計算したうえで必要額を払う。右から左へ納めるわけではない。すると、どういうことが起こるか? プールしている消費税は金融機関に置いておくわけだから、それに対して金利がつくのだ。Mizumizuみたいな小さな会社にはほとんど関係ないほどの微々たるものだが、これがトヨタのような大会社になったらどうだろう? 間違いなく、消費税をプールしている期間に、相当金利で儲かるはずだ(たとえ20%国に取られても・笑)。財界がさかんに消費税アップを求めるのは、大きな会社にとって消費税は、目に見えにくいウマミがたくさんある税制だからだとMizumizuは思っている。表向きは「国の社会保障がもたなくなるから」だが、そう言いながら「国際競争力の観点から見て、法人税は下げるべき」などと主張する。結局自分たちの生き残りが大事で、全然国民のことなんて考えてないじゃん(苦笑)。家や車は持ってるから税金がかかるのであって、持てない人間よりいい・・・と言う人もいるだろう。それは基本的に「持てない者」の理屈で、「持っている者」は、それに対する税負担に常に不満で、不公平だと思っているものだ。キャッシュを生まないアセットに課税されることは誰にとってもキツイ。だから、資産家になればなるほど、脱税に興味をもつ。国のほうは、「持てない者」が「持っている者」に対して抱く敵愾心を必ず煽ろうとする。「XX(有名人や資産家)が脱税」というニュースが、実際には税法の解釈の相違から生じたことであっても、おかまいなしに大々的に報道されてしまうのは、そうした裏があるとMizumizuは思う。「脱税」のレッテルを貼られると、社会的信用が一挙に失墜する。こうやって国民は分断され、「持てない者」と「持っている者」が共闘して国家による合法的追いはぎ行為を抑制することは不可能になる。実にうまく出来ている。
2010.07.14
東京でもっとも典雅な桜の棲家、千鳥ヶ淵。抹茶色の水と、水面に散らばった青のボートと、桜色としか言えない花の饗宴。年年歳歳花相似 歳歳年年人不同 年年歳歳花あい似たり 歳歳年年人同じからず劉廷芝の詩の「花」は桃の花を指すが、Mizumizuにとっては桜。毎年桜の花を見ると、ふだんは忘れているこの一節が口をついて出る。つまり、千鳥ヶ淵の花は、昔――Mizumizuにとっての――から、いつも同じように絢爛たるさまだから。自分は年を取り、変わったと思うのに、ここの桜は変わらないように見えるから。花の時期にいつでも行くわけではない。思い出したように行くと、そこにあるのは「同じとき」を巻き戻したような風景。世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし盛りの桜を見ようと繰り出す人の多さを目の当たりにすると、必ず頭に浮かんでくるのが、在原業平のこの和歌。もう咲いたか、満開か、散ってはいないかと、桜の季節ごとに、みなヤキモキする。いっそ桜なんてなければ、こんなに心を乱されることもないのに。ソメイヨシノの寿命は100年ないと聞いたことがあるのだが、千鳥ヶ淵の桜は、永遠に絢爛と咲き続けるようにすら思う。「永遠」なんて幻想でしかないのに。だって、人はいつもいつもいつも、美しいだけでなく、どこか不気味でもある花ざかりの枝が差し出す世界へ、漕ぎ出してみたい誘惑に駆られるのじゃないかしら。そうやってボートに乗る人は、「歳歳年年、同じからず」なのに。遠くに見えるビル群とタワーは、桜が植えられはじめた明治のころにはなかっただろうけれど。あのビルがもっと高くなっても、あるいは消えてしまっても、この絢爛たる花の宴のほうは、「永遠」なのだと思う。満開になると同時に、散り始める桜。どんなに人が惜しんでも。だから桜は、華やかさと同時に、どうしようもない儚さと死のイメージをまとっている。そして、風に舞う桜の花びらを見るときに浮かんでくるのは、漢詩でも和歌でもない、ある少女漫画のワンシーン。それは、木原敏江の『摩利と新吾』。音もなく桜が散る ためいきのように散る 見たくないか? 摩利・・・摩利と新吾は幼馴染の親友で、共に日本で成長し、欧州に留学して第一次世界大戦までを異国で過ごす。戦争が終わり、大人になったとき、2人の活躍の場は欧州と日本に分かれることになる。欧州に残ることを決めた親友の摩利に、日本に戻った新吾が桜を見ながら心でささやきかけたのがこの言葉だ。もう日本へは戻ってこないかもしれない親友に、「戻ってきてくれ」と間接的に訴えかけたとも取れる。『摩利と新吾』は、非常に好きな漫画なのだが、少女時代に引っかかったのは、なぜ、作者がこの少年たちの物語を青春群像で終わらせず、あえて、2人が「おじさん」になって第二次世界大戦で命を落とすところまでを描いたのかということだった。少女向けの漫画には、そのエンディングは似つかわしくない。『摩利と新吾』というからには2人の少年(摩利とは男性)の関係が物語の軸であり、それならば2人が物理的に離れたころ、つまりは社会人になったところあたりで、ロマンチックな終焉をもってくることもできたはずだ。読者である少女にとっては、あまりに設定年齢のスパンが長すぎるこの展開が、少女漫画としての人気にはマイナスの影響を与えたことは想像に難くない。実際に、新吾に対して恋愛感情をいだき、肉体的にも結ばれることを望んでいる摩利と、摩利は自分にとって「命を投げ出しても惜しくない」運命の相手だと思いながらも、肉体的には摩利の要求にこたえられない新吾との関係が、摩利が「愛する相手の望まないことなら」と譲歩するかたちで、冗長に続いていくのは、読んでいてもかなり違和感があった。2人だけの関係に注目すれば、この持続性はあきらかに理想的すぎ、感情移入が難しい。いかに少女漫画とはいえ、相当に無理がある。『摩利と新吾』の結びは、「かれらは至福の時代を生きたのだった」になっている。つまり木原敏江は、大正から第二次世界大戦で日本が惨敗する前までを、「(日本にとって)至福の時代だった」と書いたのだ。最後のあたりになって、GHQの日本占領政策、特に教育政策に対する批判めいた場面が登場する。摩利と新吾の少年期をはぐくんだのは私立の全寮制高校で、寮を舞台にしたエピソードがストーリーの大きなウエイトを占めているのだが、その全寮制高校は、占領軍によって「思想的に害あり」とされ、廃止されてしまう。2人の主人公が死に、旧制高校が姿を消す。そして、「至福の時代」が幕を下ろす。至福の時代の主人公だった摩利と新吾は、第二次世界大戦後を生きてはいけなかったのだ。木原敏江はそう考えている。実際に、木原敏江自身が対談で後に語っていることだが、『摩利と新吾』で一番書きたかったのは、この結びの言葉だったという。戦前の日本と戦後の日本を語るときに、日本人は奇妙な自己矛盾に陥る。勝ち目のない無謀な戦いに国民をなだれ込ませた、戦前の全体主義的な国家体制を悪とする見方には多くの人が共感する一方で、言論の自由・男女平等・民主主義などが「輸入」されたあとの日本人は、明らかに徐々に徐々に、品位と高潔さを失っていったのではないかという思いも、多くの人の胸から去らない。そもそも今の日本人は、アメリカ人のいう「自由」がなかった時代より、 幸せなのだろうか? 敗戦によって、日本人にとって大切な美しい「何か」が、完膚なきまでに断ち切られたという思いは、木原敏江だけでなく三島由紀夫のような作家も抱いている。ジャン・コクトーは戦前の日本を、「あらゆる邪悪から守られている島だった」と言っていた。かつて戦前の日本を写したというカラーの記録映像を見て、Mizumizuはそのあまりの美しさに衝撃を受けたことがある。木陰で微笑む、可憐な柄を散らした着物姿の若い女性。結い上げた日本髪は、まさに烏の濡羽色。緑に覆われた土手の下をきよらかな水が流れ、その流れに乗って、小舟を操る船頭は思索にふける哲学者めいている。撮影は日本人によるものだったらしいが、カメラアングルも秀逸だった。したたるような自然美にいだかれた、かつてあった美しい国。今の日本の風俗・風景とは似ても似つかない。今桜の下を歩いているのは、手ごろな価格のラクな服を、誰も彼も同じように着た人の列だ。ドブで煮しめたような色は、コンクリートで覆われた都会の景色を、さらに陰鬱なものにしている。戦前をまったく知らない、完全無欠の「戦争を知らない子供」であるMizumizuには、戦前と戦後を比べて何かを結論づけることはできないが、ただ現実には、自由の国・アメリカに行って、自分が自由だと感じることはほとんどないのだ。むしろ、目に見えない網の目のように張り巡らされたルールによって、常に行動を規制されているように思う。アメリカを動かしているのが一般の市民だという「神話」も、信じることはできない。アメリカを動かしているのは資本の力だ。言論の自由さえ、完全に保証されているとは思えない。イラク戦争開始前にアメリカのメディアの見せたヒステリックな偏向ぶりには、「戦前の日本がどうのとか、アンタラにいえるの?」と突っ込みたくなった。男女平等の先輩国であるはずの欧米の女性のほとんどは、Mizumizuにはさっぱり幸せそうに見えない。日本の女性のほうが、よっぽど「うまく」生きている。にもかかわらず、日本のマスコミが諸外国のポジティブな一面だけを変にクローズアップして過大評価し、日本がさも遅れた悪い国であるかのように喧伝するのには、心底ウンザリしている。問題は多くあるにせよ、平和で物理的にも豊かで、かつまだまだ安全な日本は、世界的に見てもかなりいい国だ。敗戦後の占領国による政策によって、何か大切なものがなくなってしまったにしても、日本人が醜く変わってしまったにしても、9世紀の在原業平の歌に込められた感情が、今と変わらないことを発見すると、やはり日本人は日本人であり、断ち切られずに受け継がれていく美意識もあるのだと、少しばかり無責任に、「アタシラこんなになっちゃいましたけど、こうやって明治の人の植えた桜を見てみんなめいっぱい感動してますし、まあ、そんなに嘆かないでくださいな」と、先達たちに言ってあげたくもなるのだ。
2010.04.05
殺人的なスケジュールだった12月。1月になったら気が抜けて、仕事のペースがガタンと落ちた。それでも、相変わらずコンスタントに仕事が入り、「南の島で休暇」というささやかな(?)夢がまた遠ざかる・・・12月に何か請求し忘れている案件があるような気がしていたが、案の定だった(苦笑)。新しく仕事が来て、そのクライアントさんへ12月の仕事の請求をし忘れているのに、そこで気づいた。額が小さかったせいか、完全に抜けていて、チェックしたつもりでも気づかなかった(クライアントにとっては好都合?)。おまけに6月から12月の外注費の源泉預かり金が、税理士事務所で計算してもらった数字と合わない。それも250円。イライラしながら、在広島の事務所と何度か電話でやり取りし、やっと間違いを見つけた。ミスしていたのはMizumizuのほう。数字には基本的にヨワいMizumizu。もともとこの手の作業には向いていない。向いていないが、いい加減に済ませることができない性格なので、ちょっとでも数字が違うと、「ま、いいや税理士のほうが正しいだろうし」という気になれずに、双方の計算をチェックしないと気がすまない。ごくたまに税理士事務所側の勘違いもあるのだが、だいたい間違っているのは、Mizumizu。自分が間違っているたびに、税理士事務所を巻き込んでひと騒動になる(←迷惑なクライアントだなあ)。250円ぽっちの数字が合わないために、何時間も無駄にした。電話代だけで250円を上回っているのは必至。この源泉預かり金、1月20日までに納めなければならず、毎年大いにムカつかせていただいている。ムカつく理由はただひとつ。 「何でひとさまの税金をこっちが預かって、納めなけりゃならんの!」源泉徴収という日本独特――独特かどうか、世界中の税金システムを知ってるわけではないのでハッキリ言えないが、少なくともアメリカにはないはず――のシステムのおかげで、毎年毎年、実に多くの無駄な労力と経費が使われていると思う。企業側にしたら、源泉預かり金の計算と納付という手間。そのために人件費もかかる。源泉されるほうの手間はたいしたことはないと思うが、自己申告にもとづいて還付される場合が多いハズで、そのための事務処理と膨大な銀行の手数料がかかる。個人が追加で税金を納める場合もしかり。こうした手数料は国持ちとはいえ、それはもともと税金。銀行ばっかり、やたらもうかるシステムだと思う。小耳に挟んだ話なのだが、この天引きシステムは、軍国主義の時代、税務署の職員が軍人の家に税金を催促に行くと、刀を手に払わないとスゴまれ、困った役人が考え出したもので、そのときに主導的な役割を果たしたのが宮沢喜一だったそうな。へ~ X 3どうも「帝国軍人」を悪者に仕立てあげたいがために、誇張されたエピソードという気もしないでもないが、そんな昔に作られたシステムがいまだに続いているのにウンザリする。経営者側から、「源泉徴収やめようぜ」的意見が発せられることもあるが、言ってるのはたいてい起業家、つまり新しく企業を興した人だ。大企業のトップが源泉無駄論を吹いてるのは、あまり聞かない。もう「そういうもの」として定着しているということなのか。あるいは、「預かり金」を銀行にプールしている間に利息がつくので、それが大企業となれば膨大だろうし、案外「もうかってる」部分もあるということか。これは消費税についてもいえる。しかし、こうまで企業側に面倒な事務作業を負わせ、いったん企業から納めさせた税金を、国から個人に還付するなどという二重の無駄な作業をしても、なおペイするシステムなんだろうか、これ。つまり、源泉をせずにすべて自己責任とし、脱税に厳しく対処するという(これはアメリカ式システムだと思うが)労力に比べると、とりあえず取りっぱぐりはない源泉徴収にしたほうが、総体的に見て経費が安くあがり、かつ適正な税収を得られるのだろうか。よくわからないが、どうもそういうマクロの視点からは議論がされていない気がするし(まあ議論しても、どっちが効率的か結論は出ないかもしれない)、財務省と銀行の癒着という面もあるように思う。ひとさまの税金を預かって納める側からすれば、額が大きいだけに、その数字を見ただけで少々ムカつくのだ。つまり、もともとは預かってるお金なのだが、イザ自分の懐から出て行くとなると、「自分が払っている」ような、損した気分になるということ。これは消費税を払うときも同じ。消費税は別に請求しているので、もともと払ったのはお客さんのほうなのだが、イザ自分が払う段になると、「こんなに払わないといけないわけ?」などという気になる。この2つは気分的なものだが、日本中で源泉預かりに絡んで支払われる労力・経費は、集合体で考えると、壮大な無駄だとしか思えない。
2010.01.09
1メートルほどのラズベリーの苗木を植えたのが4年前。最初の収穫時期(初夏)に、1日数個取れる状態が続き、ラズベリー好きのMizumizu連れ合いはホクホク。翌年は、剪定をせずに放っておいたら、葉っぱばかりあちこちから繁茂したが、実はならなかった。それで適当に剪定したら、次の年(それはつまり、昨年なのだが)には6月頭から実が成りだした。7月中旬にいったん終わったのだが、10月ぐらいになって、また食べられそうな実がつきはじめた。最初の年は初夏にしか収穫できなかったので、知らなかったのだが、ネットで調べたら、ラズベリーは年に2度実をつけるのだという。へ~ X 3初夏のころのように「次々と」熟してくるということはなく、実も初夏のときのようにきれいな形にならないものが多いのだが、それでもゆっくりしたペースで、数日間獲れない日が続いたあと、1日1個か2個食べられる実が獲れるという状態が続いた。雨のあとに実が急に熟すのは、初夏のときと同じだった。冬に入ると実が熟すペースはさらにゆっくりになり、熟しきらずにしぼんでしまうものも増えたのだが、それでも、12月になっても、やっぱり週に何度かは獲れるのだ。寒さが進み年末になってくると、大きく分かれた枝のほとんどは、先のほうまで枯れてきた。1本だけ、テラスのほうに伸びてきていた枝だけが葉も何枚か緑で、弱々しく熟そうとしている実をちらほらつけている。そして、1月6日。おそらく最後の収穫になりそうな実が獲れた。形はいびつだが、これでも冬に入ったあとのラズベリーとしては整っているほう。他にも少し赤くなりはじめているのもあるのだが、おそらく熟しきる力はなさそうだ。しかし、一般的には6月中旬から7月、9月下旬から10月が収穫時期と書いてあるラズベリーが1月に入っても、まだ獲れるとは・・・さすがにヒートアイランド東京、と言うべきか。そういえば、東京では蚊が越冬しているという噂がある。ここらあたりでも、11月までは蚊は確実に飛んでいる。
2010.01.06
<きのうから続く>テレビで紹介されていた職人。それはおあつらえむきに、陶磁器の割れやヒビの修理を専門にしている人だった。もともとは骨董商で、独学で陶磁器の修理を学んだという。最初は同業者からの依頼がほとんどだったのが、だんだんと一般の人からの注文も増えたのだとか。「六屋」という工房を文京区にかまえているらしい。「案外、愛着があるから直してまた使いたいという方が多いんですよ」職人の言葉は、Mizumizuの思いそのままだった。「金継ぎ・銀継ぎ」という手法を使うとかで、テレビで説明されていたのだが、「???」とにかく、非常に細かく、凝った作業をやるらしい。さっそく、行って相談することにした。もともと文京区千駄木が本籍地のMizumizu。六屋工房のある小石川のあたりは、なんとなく懐かしい場所だ。クルマが轟々と通る春日通りのビルの1階。道すがら窓ガラス越しに覗いても、古っぽいものが雑然と並んでいて、何をやっているのかよくわからないような店だ。入っていくと、目指す職人さんは、部屋をパーティションで区切り、わざわざ「隅っこ」のほうに応接セットと作業用の机を置いて、そこに座っていた。入り口に近い空間は・・・外から見たとおり、古っぽいものが雑然と並んでいて、ただ単に無駄なスペースになっている・・・ような気がした。しかも、無駄にしてる空間のが広い・・・変わり者の雰囲気ムンムン・・・(苦笑)。隅っこに置かれた応接セットに、うながされて座り、パキーンと見事に2つに割ってしまったリモージュのソーサーを見せた。「直せますかね?」「う~ん」唸りながらひっくり返して見ている。「模様はあまりないんですね。ほとんど白か」「そうですね。ですから、継ぐだけでいいんですけど」「どのくらいまで元通りになるか、わからないけど・・・」「まあそのへんは・・・もちろん新品みたいになるとは思ってませんから」「これだと、昔ながらのやり方ではなくて、化学的な接着剤を使ったほうがよさそうですね」は? 化学的な接着剤? もしかしてそこらのセメンダインの類ですかね? 金継ぎナンタラとかは、関係ないわけで?「実際にかかる時間は、もちろん、すぐなんだけど・・・少しイメージトレーニングしてからやりたいから」は? い、イメージトレーニング? 「しばらく預からせてもらっていいですかね?」「どうぞどうぞ、いつでも気分が乗ったときで(←これは大事だ)。できたらご連絡いただければ。別に急ぎませんから(←職人はせかせてはいけない)」そんな話のついでに、「どこからいらしたんですか?」と聞かれたので、杉並だと答えると、「ぼくも杉並にいたことあるんですよ」とのこと。ちょうどそのころMizumizuは家(新築・中古を含めて)or土地orマンションを探していて、馴染みのある文京区も当たっていたのだが、不動産は杉並よりやはり一段値段が高かった。そう言うと、驚いたように、「へええ? そうですか? 文京区のが高いんだ」などと言う。「・・・」文京区はいわゆる「山手線の内側」で、江戸時代から将軍のお膝元。武家屋敷跡地が高級住宅街になっている。それに比べれば杉並なんて、もともとは別荘地として不動産開発が始まった。不動産価格がどっちが高いか、普通の感覚でもわかりそうなものだし、ましてや両方に住んだことがあるというのに、気づいてないって・・・商いにはむいておへんな(←どこの言葉?)。職人になってよかった。ぬぼ~っとした風体もやっぱり、ホントに骨董を商ってたんどすか?間違いなく地味な職人作業が向いている人だ。だいたいの見積を聞いて、もちろん十分に良心的な言い値だったので、そのまま預けてきた。1週間もたたずに、「できましたので」の電話があり、取りに出向くと、「化学的接着剤」で「イメージトレーニング」して、仕上げたらしい修理は思った以上に見事にできていた。接着剤が漏れているわけでもなく、ぐるりの模様がズレてるわけでもない。遠目には割れ目さえわからない。「おお~!」と、感嘆符のあとに、さらに丁寧にお礼を言おうとしたのだが、なんだか照れたようにすぐ向こうを向いてしまって、「よろしいですか?」の言葉もない。最初の日はわりに饒舌だったのに、どうしちゃったんだろう。社交的なのか内気なのか、よくわからない人だったが、仕事にも値段にも満足して店を出た。それをちゃんと口で伝えられなかったのが残念だったのだが、向こうを向いてる人に、しつこく話し続けるのも変だしね。これが現在のソーサーの割れ目。かなり拡大して撮って、やっと手前から向こうに一直線に縦に走っている割れ目が写った。肉眼だと、よっぽど目を近づけてみて、「ヒビかな?」と思う程度。ヒビどころか、真っ二つだったのですよ。使っている間にコーヒーの液が入り込んで、割れ目が目立つようにならないかな・・・と懸念していたのだが、案外大丈夫。裏は多少カケが目立つ。なんだか、それこそ骨董品みたい(笑)。割れてしまったものは割れてしまったものだが、あえて自分の足で直しにいったことで愛着は深まった。別に売るわけではない、使い倒すつもりで買ったモノなので、それで十分だと思う。こちらはお揃いのデザートプレート。金彩がやはり、少し剥げてきている。これは割らないように気をつけよっと。
2010.01.05
陶磁器が好きなので、焼き物で名高い街に行くと、思い出に食器やカップ類をいくつか買うのが習慣になっている。あまり高いものは買わない。せいぜい数万レベル。磁器の食器は平気で10万、50万とするものもあるが、そういうランクになるとキズついたり、色が剥落したりするのが怖くて使えなくなる。緻密なハンドペインティングだとか、金彩が場違いに華やかなものだとか、買ってもコレクションとして眺めるだけになる陶磁器にはあまり興味がなくて、Mizumizuの目的はあくまで日常に使えるもの。それをあれこれ迷いながら、窯元あるいは窯元に近い街で選んで歩くのが好きなのだ。日本ならまだいいのだが、個人で海外旅行しているときはやっかいだ。旅の途中で割れ物を買ってしまったら、最後まで自分で持って歩かなければいけない。「大丈夫かな? 割れてないかな?」と常に心配になるのがストレスだし、といって確認のために梱包を解いてしまったら、あとがもっと面倒だ。それでもやはり買ってしまう。フランスのリモージュを訪ねたときも、気に入るものがないかいろいろと店を見て歩いた。ハッキリ言って、リモージュの街での磁器探しは、期待したほど楽しくはなかった。窯元があるわけでもなく、ショップも案外大量生産モノを置いているところが多く、白一色のダイニングセットなど見ると、「これじゃ、ノリタケと変わらんじゃん」と心から叫びたくなった。ノリタケがリモージュのマネをしたのかもしれないが。ともかくリモージュは、磁器を扱う店は多いのだが、どこも似たり寄ったり。日本のデパートに入ってくるリモージュは、それなりに「おフランスっぽい」ものが選ばれているが、現地で見たら、わりあい「どこにでもあるふつー」の磁器が多かった。なんというか、これなら何もリモージュくんだりまで来る必要はない。パリのデパートで十分じゃないかと。焼き物の街という意味では、有田や伊万里のほうがずっと雰囲気がある。リモージュの国立陶磁器美術館も思いのほかレベルが低い。リモージュで磁器産業が始まったのは18世紀末。肥前磁器の始まりは17世紀初頭。その差がいかに歴然たるものかを確認する結果になった。それでも、街の中心の広場に面したHaviland(アヴィランド)直営店は品揃えも質もよく、ここで気に入ったデミタスカップ&ソーサーとデザートプレートを2種類買った。アヴィランドはリモージュ土着のメーカーではなく、ノルマンディーに起源をもつ(と自分たちで主張する)アメリカ人貿易商が作った会社だ。そのせいなのか、アヴィランドのリモージュ焼きは、東洋風のもの、いかにもフランスらしいロココ風のもの、そして超モダンでスマートなものまで、デザインの選択肢が非常に広い。「外部からの風」と採り入れることに躊躇がない。東洋風のものは「シノワズリー」と呼ばれる中国趣味のものから、ヨーロッパで一世を風靡した「柿右衛門」カラーを採り入れた和風なものまで・・・・・・というか、実際にはそのフュージョンになっていて、中国の磁器とも日本の磁器とも違う、フランス的解釈の不思議な東洋が器になった、という印象。ロココ風のものは、ルイ絶対王政時代を彷彿させる豪華絢爛な金彩を特徴とするものと、可憐で華やかな花模様とに大別できると思う。リモージュ焼きは花柄デザインをマリー・アントワネットのイメージとくっつけて、うまく商売をした感がある。オーストリアから輿入れしてきた美貌の王妃を、自分たちの手で首チョンしておきながら、今ではフランスのプロモーションに思いっきり利用している。実に都合のいい人たちだ。「悲劇」が、常に最高の商売のネタになるのはいずこの国も同じこと。さて、アヴィランドで意外と充実していたのは、現代的なすっきりとしたデザインのものだった。これにも案外心惹かれたのだが、モダンなものなら日本製にもあるし、やはりリモージュ焼きを買うなら、徹頭徹尾フランス風のフェミニンなものがいい。というわけで、選んだのが、「ヴァルドロワール(ロワール渓谷)」と「ヴィウパリ・ヴェール(旧きパリ、緑バージョン)」という、いかにもフランス的なネーミングの2品。りっぱな店構えの高級店だったが、日本人がいい客だと知っているのが、売り物を棚から自分の手でおろしてじっくり選んでいても、齢おそらく60歳超のマダムは、何も言わずに脇でニコニコしていた(でも、かなり笑顔が引きつっていたので、内心、「割らないでよ、割らないよ」と念じている雰囲気はビシビシ伝わってきた・笑)。「自分で日本に持って帰るので、丁寧に包んで」と英語で言ったのだが、全然通じない。すると奥に引っ込んでわざわざ英語のできる若い女の子を連れてきた。こういう丁寧(というか、ま、日本のレベルなら当たり前のことだが)な接客は、フランスでは珍しいので印象に残った。これしきのことで好印象の店になるってのが、フランスの凄いところだ。同じことを英語のできるお姉さんに言うと、「もちろん、もちろん。気をつけるわ」と胸を張りながら、ごくごく普通の梱包をしてくれた。愛想のいいマダムは、最後まで笑顔全開。翻訳すると、「できればもっと買って欲しい」というところ(意訳)。よっぽど売れないのだろうか、リモージュ焼き。日本でも高級磁器は苦しいと聞くが、いずこも同じかもしれない。だが、こういう「人との思い出」ができるのが、旅先の買い物の楽しさだと思う。店に個性があるように、売る人にも個性がある。それがおもしろい。最近はそういう「人の顔」が見られる店が、特に日本では、少なくなってしまったが。リモージュを発ってクルマで中部フランスを回り、パリ経由で日本に帰って来た。自宅で梱包を解くときはドキドキする。よかった。割れてない。リモージュ焼き全般に言えることだが、地の白が青ざめていて、透明感がある。温かみには欠けるが、何ともいえないクールさが上品で貴族的だ。Mizumizuはなぜかデミタスカップの円筒形が好きで、気がつくと家中デミタスカップばかりになっている。普通のコーヒーカップが非常に少ない。デミタスカップの形なんて、どれも同じなのだが、その同じ、小さな円筒形に、違ったデザインが施されているのを見るのが楽しいのだ。リモージュで買った2種類のデミタスカップとプレート。使ってみると、どちらかというとヴィウパリ・ヴェールのほうが好きになってきた。ヴァルドロワールのほうは、寒色のニュアンスのある地色に、寒色のブルーを基調とした柄なので、これでデザートを食べると、かなり「寒い」感じになる。ヴィウパリ・ヴェールのほうが使用頻度が増えた。で・・・割れ物の運命の瞬間が、1年とたたずにやってきてしまった。つまり・・・洗ったあとにシンクにうっかり落としてしまい・・・パキーン!デミタスカップのソーサーが、まっぷたつに割れてしまったのだ。「わ~!!」と、大声をあげたのは、たまたま一緒にキッチンにいたMizumizu連れ合い。Mizumizuがヴィウパリ・ヴェールをとても気に入ってると知っているので、必死に慰め始めた。ショックのあまりMizumizuが暴れると思ったらしい(?)。だが、割ってしまった本人のほうは、誰のせいでもないし、わりあいあっさりと、がっくり・・・しただけだった。もうちょっと使いふるしてから割りたかった。いや、そりゃ、できれば永遠に割りたくなかったが。しかし・・・きれいに2つに割れていて、そのままくっつけたら使えそうだ。セメンダインで貼り合わせてみようかと連れ合いとも相談したのだが、素人がやったって、きれいにくっつくわけがない。割れてしまったものは割れてしまったものだし、ソーサーなしでカップだけ使うしかないかな、と思いつつ数ヶ月放置・・・しておいたら、神の啓示か、テレビである職人が紹介されているのを見た。<明日に続く>
2010.01.04
あったのかなかったのか、それすらもはや分からないMizumizuの正月休み。大晦日と元旦はとりあえず仕事はしなかったのだが、ぐったりしていて、何をしていたのか、すでにほとんど記憶すらない。2日になって多少よみがえり、請求書作成という簡単な事務をこなす。しかし、4日までに納品しなければいけない仕事もポツポツとたまっている。というか、クライアントの「できれば年内」という希望を、無理言って延ばしてもらったのはこっちなのだ、ははは(←乾いた笑い)。せめて4日までは新しい仕事は来ないだろうと思っていたら、甘かった。2日の夜にさっそく仕事依頼のメールが。クリスマス前に来るはずだった仕事で、延び延びになっていたので、もう立ち消えになったかと思いきや、2日に来るとは・・・って、クライアントはアメリカの企業なのだ。つまり・・・「オイ、アメ公、テメーらだけとっととクリスマス休暇に入りやがって! こちとら30日ギリギリまで働いてんだよ! 2日に仕事よこすな!」などとは決して思わず、3日朝から仕事スタート。ああ、忠犬ハチ公よりエライな、チームMizumizu(←一応企業形態にしてるが、規模は「チーム」の域を出ない)。この時間になってようやく、新規の仕事も終わりが見えてきているところ。そんなときに、目に留まったのがこのニュース。主要百貨店の初売りが2日、始まり、消費不況の中、福袋の人気が目立った。 日本橋三越本店(東京・中央区)には、昨年より約3割多い約8000人が、行列を作った。女性用のカシミヤセーターやダウンコートが入った1万500円の福袋が人気で、用意した700個は午前中で完売した。 三越は、「福袋には、価格を上回る価値ある商品を入れた」とお得感を強調する。だが、買い物客の目線はシビアで、「ムダになる商品はいらない」と、中身のサンプルを確認する光景が目立った。一昔前の「不況」のときには、高級ブランド品は売れていて、「消費の二極化」と言われたものだが、最近は高級品も売れない。消費者も目が肥え、賢くなり、高級品を所有することで自分のステータスが上がったという夢を見るのではなく、身の丈に合ったものをできるだけ安く入手しようとしている。それにしても、去年より行列にならぶ人が増え、あの日本橋三越に8000人の行列とは。よく行くデパートだが、それは銀座の三越よりすいているから、というのが大きな理由なのだ。この寒い中、あのレトロチックなデパートに8000人が並んだ光景を想像してまず率直に思ったのは、「あ~、うっかり行かなくてよかった」ということだ。「並んでまで買いたい」という気持ちは、ほとんど理解できないMizumizu。逆に言えば、それだけ経済的に「まだ」恵まれているのかもしれない。だが、そんな個人的な話より考えさせられたことがある。このニュースはあまりに鋭く世相を反映しているということだ。今の世の中、流行っている商売というのはかならず、「値段以上のお得感を提供しているところ」なのだ。この原則は、店屋のような商売でも、才能を売り物にするフリーランスでも、独立した専門職ですら変わらない。いいものだからいくら高くても売れるという時代は完全に終わった。今はクライアントが、「払ったお金以上の価値があるモノ(あるいはサービス)を手にした」と思わなければ、商売繁盛にはならないのだ。そうなると、どうなるか? 当然のところ薄利になる。多売ができればいいが、できない職種も多い。そもそも多売になったら質を保てないから、あとは安売り合戦になってしまう。クライアントが増えてくれば、それに対応する人手も確保しなければいけない。だから、流行っている店(あるいは忙しく働いている専門的職種)というのは、「仕事は回っているけど、そんなには儲けてない」ということになる。以前は「他の店、他の人間には提供できない特殊なサービス」を売れる人間は、もっと「気持ちよく」儲けていたはずだ。多忙な知人に話を聞いても、だいたいみな同じことを言う。「忙しいけど、儲からない」。これは実感だろうと思う。福袋だってそうだ。提供する側は、「お値段以上の価値」を強調するが、客のほうはシビア。福袋というのは、もともとは売れ残りや在庫の処分が目的。それにさまざまな付加価値をつけることで肥大化してきた恒例ビジネスだ。だが、極論してしまえば、もともとの値付けが価値に見合ってないから売れ残ったのだし、少なくともそういう商品が大半だろうと思う。放っておいても売れるものを福袋に詰めて安く出したりはしない。もともとの値付けだって、べらぼうに高かったわけではないだろう。売り手はあくまで、「これぐらいなら売れる」と考えて値段をつけるのが普通だ。それが売り手の思惑ほどは、買い手がその価値を評価してくれなかったということなのだ。この原則はモノだけではなく、人が提供する特殊な技能や才能、専門知識に立脚したサービスにも当てはまる。提供する側は、「(自分の力量にしたら)かなり安くやっている」と思っても、客側はたいていはそうは思わない。「もっと安ければいいな。でも(サービスの)質が落ちても困るけど」。商売はそのバランスの上に成り立っていて、サービスの売り手が提供するものの価値が、払った値段以上のものだと買い手側が納得すれば仕事は増える。仕事が増えたからといって、じゃあ報酬も上げようとなると、とたんに仕事の依頼が来なくなるのは、専門職でも飲食店でも、パターンと同じだろう。専門家になるためには、それなりの技能、あるいは専門知識が必要だが、技能や専門知識を身につけたからといって、それだけでは「売れっ子」にはなれない。難しい資格を取ったからといって、それだけで将来は保証されない。自分をアピールする営業力、売り込みに成功して仕事が来たら(あるいは職を得たら)、今度はクライアントの信頼を持続させるため(あるいは組織から常に必要な人間だと認めてもらうため)の努力が欠かせない。ましてや他人とは違う何かを持っていない人間は、それこそ時期が来たら、自分を安売りしても買い手(雇い主)が見つからないという事態に陥ってしまう。そういう時代だからこそ、より強い翼を持たなければダメだろう。他人にはない自分の強みを見極めて世の中をわたっていく力。基礎的な力を身につけなければ応用も利かないし、そもそも自分の強みを見つけられない。目覚しい経済発展の中で、日本人はいつのころからか翼を鍛えるための地道な努力を嫌がるようになったように見える。そのかわりに蔓延ったのは、空想的・理想的・楽観的な平和主義や平等主義、手前勝手な権利意識だ。今の日本人は先人が築いてくれた目に見えない財産を食いつぶして、なんとか世界の金持ち国の一員に留まっている。その中で確実に中産階級の没落が始まっている。忙しい人はますます忙しく、暇な人はいつまでも暇に。貧しい人はどんどん貧しく、安いもの、ちょっとしたお得感のあるものに群がって時間を浪費する。こうした状況に陥ってから、慌てて「恵まれない人」に、乏しい国庫からいくらかのカネをばら撒いても、何の役にも立たない。「母子加算が復活したら、寿しを食べたい」だの「子供を人並みに旅行に連れて行ってあげたい」だのと愚かなことを言っている母親は、施しをもらってもそれを次世代の教育のために使うという理性がない。単に自分の欲のままに消費して、それで寿し屋と旅行業者が一時的に、ほんのちょっと潤うだけ。昔の「日本の親」は、こんな態度ではなかったと思うのだが。寿しも旅行も、子供を一人前にしてからでいい話だ。子供がひとかどの人間になれば、育ててくれた親に対して寿しだって旅行だってプレゼントしてくれるだろう。今は我慢しても、将来に堅実な夢を持つ。そうやってかつての日本人は自分の足で階段をのぼっていったのに。
2010.01.03
ここ数日のMizumizu・・・30日にようやく仕事が終わるものの、すでに日付の感覚なし。31日に納品の終わった仕事の請求書を作成せねばと思いつつ、もう仕事はイヤだ! Mizumizu以上に働いてるMizumizu連れ合いは、きのうまでは疲労困憊していたのだが、一晩ぐっすり寝たら体調がよくなったよう。夕方になって大晦日の東京を見物しようと2人でクルマで出かける。Mizumizuを助手席に乗せてクルマを運転するのが大好きなMizumizu連れ合い。ちょっと時間ができると、「(クルマで)ぐるっとするか?」と誘ってくる。どこへ行くということもないのだが・・・もちろんOKですよ♪♪ ハート♪♪イルミネーション都市・東京の麗しさに改めてうっとり。次々に趣向を凝らしたイルミネーションが現れる。多少シャビーなものや、色がちぐはぐなものがあるのはご愛嬌。星マークのイルミネーション飾りを下げた、どこかの並木道が気に入る。銀座松屋の地下の食料品売り場に、閉店時間の30分前に行って、その混雑ぶりにビビる(人が多すぎてなかなか進めない!)。だが全般的に道はすいていて、人も少ない。家で紅白を途中から見るも・・・ほとんど知っている歌がないことに、ガクゼンとする。イタリアの友人に手紙を書くも・・・イタリア語のスペルがあやしくなり、ガクゼンとする。数日前イタリア人の友人から電話が来たのだが、イタリア語が聞き取れなくなっていた。言葉って長い間実際に使わないと、本当に忘れてしまうと実感。年が明けて、たった今思っていることは・・・12月の数々の納品をなんとかこなせて、本当にヨカッタ! あとは請求書だ。3日までには作って送らないと。・・・このごろ納期はなんとか忘れず守っても、後回しにした請求を忘れそうになる自分にガクゼンとしている。数週間もすると終わった仕事のことを忘れている。あ、そういえば、4日までに納品する仕事もあるんだっけ。やっぱ元旦から始めないとダメかしらん。トホホ。
2010.01.01
むかしむかし・・・誕生日プレゼントにイギリス製のデミタス・カップ&ソーサーを父に買ってもらった。イギリスでではない。山口のデパート。今はもうなくなってしまったが、「ちまきや」という、市内で唯一のデパートだった。ミントン社の製品で、カップの裏を見たら、Grasmere(グラスミア)とあった。詩人ワーズワースが住んだというイングランド北西部の小さな村だ。ゆかしい名前を持つデミタスカップ。確かちまきやで父と一緒に選んだのだと記憶している。そのときにお揃いで使えるデザートプレートがないか聞いたのだが、そもそもそのデミタスカップ自体が一点しかなく、お皿はないという話だった。模様は華麗だが色味は落ち着いている。グレーブルーのパターン模様はハンドペインティングではない。基本的には量産品だと思われた。メーカーのミントンもよく知られている。なので、ちまきやにはなくても、都会のデパートに行けばあるような気がしたし、そのうちイギリスに行ったらついでに探してもいい・・・そんな気持ちだったように思う。ところがところが。東京のデパートの洋食器売り場に行っても、ミントンのグラスミアシリーズというのは、全然見当たらない。その後イギリスに行く機会もあったが、行ったら行ったで観光が中心になるので、落ち着いてミントンの食器など探す時間は取れなかった。デパートの食器売り場をちょっと覗いてみたりしたが、「ありふれたもの」という予想を裏切って、さっぱり見当たらない。Mizumizuは自分でカップを買うときは、だいたいデザートプレートとセットで買う。スイーツとコーヒーあるいは紅茶を出すときに、カップと皿がちぐはぐだと――我ながら少しばかり神経症的だとは思うのだが――気分が悪いからだ。少女時代に父から買ってもらったデミタスカップは相棒のデザートプレートがなく、なんとなくあまり使わないまま棚にポツンと置かれているのが、少し可哀想なのだった。気にはなっていたのだが、「そのうちに・・・」とほったらかしている間に、長い時間が経ってしまった。なので、とうとう決心して、ネットで同じグラスミアシリーズのデザートプレートを探してみることにした。ところがところが。いくらでもヒットしてくるだろうと思いきや、これが全然ないのだ。どうやら日本のショップで新品が売られているということはないらしい。海外のサイトで見たところ、ミントン社のグラスミアシリーズは1974年から1998年まで生産され、現在は廃盤になっているということがわかった。Mizumizuがデミタスカップの相棒に欲しいと思っているデザートプレートはだいたい20センチぐらいが相場。その海外のサイトではサラダプレート扱いになっているのが目指す品のようで、値段は33.99ドル。ともかく海外ではかなり大量に出回っているということだ。なら日本のネット個人オークションはどうかとしばらく見張ってみたが、ヤフーにも楽天にも出品されてこない。最後の手段で古物商を当たった。すると一軒だけ、鎌倉の古物商が扱っているのを見つけた。そのサイトの説明では当該プレートは日本未発売で英国で購入したものだと言う。日本未発売?しかし、Mizumizuが同じグラスミアシリーズのデミタスカップを買ったのは、日本なのに・・・ しかも、海外のサイトもその日本の古物商も、脚付きのカップは売っているが、Mizumizuが買った円筒形の小さなデミタスカップはまったく扱っていないのだ。どういう経緯で、あのデミタスカップが日本に輸入され、しかも山口のデパートの陳列棚に並んだのか?逆にそれが不思議に思えてきた。「量産品」と侮っていたが、案外レアなものだったのだろうか。とにもかくにも、相棒プレートを見つけたからには買わなくては。ありがたいことに鎌倉の古物商がつけたプライスは2100円(送料は700円・割れ物保証付き)と、かなり安い。申し込むと、あっけないぐらいすぐに送られてきた。ずいぶん長いこと心の隅に引っかかり、デパートの食器売り場を歩くたびに、「あ、そういえば、グラスミアはないかな?」と気にしていたのは何だったのだろうというぐらい、あっけなく。繊細で貴族的な柄なのに、色調はどこか陰鬱。華やかなのに暗い――この二律背反が、いかにもイギリス。こうしてめでたく、むかしむかしに買ってもらったデミタスカップは、相棒プレートと一緒になったのだった。鎌倉の古物商は、「アンティーク」と言って売っているが、それはちょっとオーバーだと思う。だが、周囲の金彩が、この値段の量産品にしては、かなりしっかり厚く塗ってあり、劣化したりハゲたりしていないのは、たいしたものだと思った。そういえば、Mizumizuが買ったデミタスカップの金彩も、時間が経っているわりには剥落がない。いい仕事をしているということだろう。地の色はクリーム色で、プレートもカップも厚味がある。イギリスの磁器はフランスの磁器に比べると地の色が柔らかい。アヴィランド(リモージュ)の青ざめたような白地にもフェティッシュな魅力を感じるのだが、イギリスのウエッジウッドの乳白色、そしてこの「やや古い」ミントンのクリーム色の地色も暖かみがあって気に入っている。
2009.12.25
東京という街はおもしろい。クール&モダンなビル群が林立している脇で、江戸の風情の残る古びた路地も残っている。最先端のデザイン性を追求した空間を歩くのも楽しいし、ゆかしい坂にいざなわれて、時代を忘れるちょっとした迷宮に遊んでみるのも捨てがたい。だが、どうにも陰鬱で虚無な空間もある。その多くは、あのむなしいバブルの時代の遺産だが。東京で「好きになれない」場所というのもいくつかあるが、そのうちの1つが案外行く機会の多い西新宿のビルの1階。1泊7万も取る高級ホテル、パークハイアット東京のグロッサリーストアと、デザイン性の高い(ついでに値段もバカ高い)小物を売っているコンランショップの間、ここに広がっている空間は、実に近代的で、実に無機的だ。いつもここに来ると、地下の駐車場に入るだけで、巨大な霊廟に飲み込まれていくような気分になる。駐車場からエレベーターで1階に上がってくると、目の前に広がっているのが、このバカバカしいほどデカいロビー。案内嬢がきちんと座ってるのさえ、一種の虚構に見えてくる。こういう空間でも、生きた人間が頻繁に行き交えば、もう少し体感温度が上がるのかもしれない。だが、いつ行っても人が全然いない。内装に使われている素材も、どこまでも冷たく、無機的で、ヤケに明るい蛍光灯の白っぽい光に照らされて、何もかもが白々しく、無価値に見える。こういう空間は、ちょっと歩くだけでひどく疲れる。ところがところが。ここから、ホテル棟に移って、ほの暗いグロッサリーストアに入ると様子は一変するのだ。美味しい惣菜やパン、チーズといった軽食を置いている店内は、いつも人で賑わっている。要するにこのビル、人がいる場所とまったくいない場所に極端に二分化されているということ。賑わうグロッサリーストアを抜けて、コンクリートで固めた中庭からコンランショップのある商業棟の1階に移ると、またもパッタリと人がいなくなる。天井から吊るされた装飾は、巨大なエチゼンクラゲのようで、オシャレなつもりでデコレートしたのだろうが、人気のない冷たい空気の中では、いっそ不気味だ。エスカレーターを上って2階に上る。そこから見るコンクリート漬けの中庭。デザインだけ見れば洗練された都会的な中庭だといえるかもしれない。だが、この広場で、どうやって人が人間的な気持ちになれるというのか。寒々しいのは真冬だからというばかりではない。あくまで人工的で、どこまでも殺風景。人が立ち止まって安らぐことを拒否するような「モダン」なデザインの中庭は、ただ足早に通り抜けるしかない。東京の街角で人々をひきつけているイルミネーション装飾もない。コンクリートの平面と凹凸面が、都会のもつ虚無性を強調するばかり。あまり居心地のよい中庭――あるいは人が付け入るスキのある空間というべきか――にしてしまうとホームレスが集まってきて迷惑だとか、そうした懸念があるのかもしれない。ここにクルリと背を向けて、コンランショップの中に入れば、不思議と人がいるのだ。売れているかどうかは定かではないが、奇抜なデザインの小物類の並んだコンランショップは、見て歩くのは楽しい。ショップ内は、音楽をかけて、外界とはまったく異質の世界を演出している。パークハイアット東京の上階も同じように、自己完結したそれなりにオシャレな空間を持っている。41階(!)にあるラウンジやバーは、摩天楼都市東京の景観を存分に楽しませてくれる。ここもやはり、人がいないということはない。だが、その足元がこんなにも虚無的だということに、(主に白人の)ホテル宿泊客は気づいているのだろうか。繁華街新宿に至近で目の前が公園だと言えばひどく聞こえがいいが、その公園は実は悪名高いハッテン場。このビルは都庁にも近く、新宿駅まで遠くはないのだが、と言ってぶらぶら歩いて楽しい道だとは到底言えない。いつも車で行くのだが、ビルの谷間に作られた広い車道の脇の、これまただだっ広い歩道は、ほとんど人が歩いていない。こんなにも人が歩かないのに、なぜあんなにも広い歩道を作ったのか。まったくもってちぐはぐだとしか言えない。ここは田舎ではない、東京でも屈指の繁華街・新宿のすぐそばなのだ。新宿駅に向かう途中、周囲の寂しさをむしろ強調するような寒々しいイルミネーションや、邪魔なだけの無意味なオブジェが道の脇に現れるのだが、それを見ると、ますます歩きたいという気持ちが失せてくる。いくらホテルやショップが高級でも、こうも周辺の環境が人工的で無機的では、魅力は半減してしまう。こうした人間味のない開発は、時代が悪かったのか・・・いやむしろ、この西新宿の土地そのものが呪詛的な性格を秘めていて、ヒューマニスティックな暖かみがとことん拒まれてしまったのではないか。新宿中央公園が、「そんな場所」になってしまったのも、この土地に何らかの因縁というのか、ある種の磁場があるからではないのか。昔ここらあたりに何があったのか、古地図で調べてみたくなる。
2009.12.23
Mizumizuが使っている楽天ブログは、無料で使える写真容量が50MB。これは他社の無料ブログ・サービスに比べると少ない気がする。先日写真容量がいっぱいになったと通知された。容量を増やすと有料になり、月々100円で20GBまで使えるようになる。20GBならあれば、たぶん一生(一生書くとも思えないが)大丈夫ではないかと思う。だが、この有料サービスから抜けたとたんに50MBに戻ってしまう・・・つまり、いったん増やして載せた写真も、月々100円を払わなくなったとたん消えてしまうということだ。う~ん・・・月々100円、1年で1200円、10年で1万2000円・・・ただの趣味ブログなのに、わざわざ払うには高い気がする(←せこッ!)。なので、ブログを引っ越そうかな~と思い、いろいろと見てみた。世の中にはテーマによってブログを変えて、複数持っている熱心な書き手もいるそうな。Mizumizuはとてもそんな根性はないので、自分に興味のあるテーマをカテゴリー分けして1つのブログでごっちゃに書いている。しかも、カテゴリー分けもかなりテキトーで、あとから思い付いて追加したり、そもそも自分で分けるときに間違えたりして、相当めちゃくちゃだと思う。思うのだが、自分にとってのブログの目的はあくまで気晴らしなので、あとからまとめて読む人にははなはだ不親切だとしても、まぁ、ブログというのは元来、「一挙に読むには不便」という欠点を内包していると思うし、どうでもいいんじゃないか、と直す気もない。無料でブログを提供しているところは多々あるのだが、やっぱり、「引っ越すのが面倒」という気持ちが打ち消せない。仕事も忙しいし、たかがブログにあまり時間を取られたくない。管理方法――といっても、ブログの管理なんて、たいしたことではないのだが――をまた覚えるのも億劫だし、慣れた楽天ブログのほうが、やっぱりラクだろう。それともう1つ、長く楽天ブログをやっているせいか、アフィリエイト報酬というのが入るようになっている。アフィリエイト関連商品の紹介(広告)には全然熱心ではなく、たまに本当に気に入った商品についてレビューを書くぐらいで、ほとんどタッチしていないMizumizuだが、月々の100円だったら、この楽天からの報酬で十分補えそうだ。・・・ということで、結局有料サービスを申し込んだ。なんだか、だんだんと楽天の世界にはまりこんでいくようだ。楽天JTBカードを作ったら、案外これが便利で、従来もっていたVISAやダイナースは使わなくなってしまった。買い物のたびに付くポイントが、楽天市場での通販に使えるし、それにヨーロッパとアメリカで使ってみたら、VISAやダイナースより、ユーロおよびドルのレートがよかった(ただし海外旅行保険は付いていない)。「ポイントが付くから・・・」と言って、決まった家電量販店で買い物をするように、通販も楽天市場を利用することが多くなった。必ずしも安くはない場合もあるのだが、そこはそれ、「ポイント付くし、貯まったポイント使えるから・・・」ということになる。徐々に、徐々に取り込まれ、いつの間にか楽天の思うツボ・・・ただし、オークションは充実していない。オークションはもっぱらyahooを利用しているMizumizu。オークションもはまると、たった100円、200円でみょ~にアツクなる。インターネットが浸透しはじめたとき、同じようなモール・サービスを展開しようとした人はかなりいたと思うのだが、楽天は間違いなくそのトップランナー。楽天のサービスには、特に大きな不満はないが、何か質問があってもメールだけのやり取りなので、案外わかりにくい。一度、アフィリエイト報酬の詳細について問い合わせたのだが、結局隔靴掻痒の答えしか来なくて、突き詰めるのを諦めた。あとは、勝手にサービスを変えることがあるのが、やや納得できない。最近だと、1ヶ月のアフィリエイト報酬が3000ポイント(3000円分)を超えた場合は、超過分だけキャッシュでイーバンク(ネット銀行)に振り込むようにするから、イーバンク(ネット銀行)の口座を作れ・・・みたいに強引なことを言ってきたことがあった。作らないと3000ポイント以上の報酬はパーになるそうな(呆)。ネット銀行はすでにソニー銀行を開設しているMizumizuには、ただ面倒なだけ。それでなくても、銀行との付き合いは多くて、通帳の管理が面倒なのだ。イーバンクにはおまけに、自分の口座から現金を引き出すときにいちいち手数料を取るという信じられない落とし穴(?)がある。この話、余程苦情が来たのが、あるいはシステム運用に支障が出たのか、いったんペンディングになったよう。多少の不満はあれど、まぁまぁ便利に使っているのだから、思うツボになったといっても、損をしたわけではない。ないのだが、ブログを開設したときには、ここまで楽天ライフに取り込まれるとは想像もしてなかったのも事実。いろいろな会社が無料でブログスペースを提供するのは、こうやって徐々に自社サービスに取り込むためなんだな、と実感した。
2009.12.14
某有名ブランドが日本撤退を決めたことに関して、イコール日本経済の衰退、というような論調で語られることが多い。確かにそういう側面も否定できない。目覚しい発展を遂げている(らしい)中国経済に比べると、すでに成熟しきった日本市場に今後拡大の余地はたいしてない。中産階級の崩落が始まり、貯蓄もままならないような貧困層が増えている。日々の生活で手いっぱいの家庭では、ブランド品への興味なども湧かない。だが、果たしてそれだけだろうか、とも思う。Mizumizuはガラス瓶のデザインを見るのが好きで、海外旅行に行くとよく免税店の香水売り場をウロウロする。買うための品定めではなく、ただ香水瓶のデザインを見て歩くのが楽しいのだ。だが、最近どうもそれが楽しくない。有名ファッションブランドがフレグランス分野に乗り出すのはお決まりのパターンなので、各社ともこぞって新作の香水・オードトワレを宣伝してはいるのだが、瓶がとても安っぽくなってしまった。デザイン自体は新奇なものが多いのが、蓋などに使われるメタル素材がえらくちゃちだ。メタル部分には、たいてい銀あるいは金のメッキが施されているのが、ごれがまたひどく薄そうで、安そうだ。宝飾品で名をなした有名ブランドの香水瓶に使われている、ブランドロゴを象った蓋の金メッキ仕上げがあまりに安っぽくて、思わず手にとってしげしげ見てしまったことがある。買おうかどうしようか迷っていると思われたらしく、店員が近づいてきて売り込みを始めたのには閉口した。いや、ガラス瓶も薄くて加工が簡単に見えるものが多い。ガラスそのもののデザインに注力しているとはとても思えない。かわりに、やたらと目立つのは、ブランドのネームやロゴ。昔と違って商品サイクルが短く、どんどん「新しい香り」を出すせいもあるかもしれない。廉価な商品を作って購買層の裾野を広げ、売り上げを伸ばそうという戦略もあるかもしれない。だが・・・それじゃ、高級ブランドじゃないでしょ!これは大昔にパリで買ったオードトワレ。瓶のデザインが、「いかにも」のエッフェル塔なのだが、つくづく見るとシンプルだが工夫されている。香水瓶としては、かなり厚手のガラスを使い、すりガラスになった部分と透明な部分がうまく組み合わされている。すりガラスで建築物のどっしり感を出し、透明な部分で置物としての軽さを演出する。そのバランスが絶妙だし、2種のガラスを通すから、中の液体の見え方にも変化が出る。エッフェル塔を象ったカーブの造形も洒落ている、模様は最小限だが、「塔」の構造を簡素化しつつ暗示しているところが、まさにデザイナーのセンスだ。瓶の底には「手作り」とプリントしてあった。デザイナーらしきフランス人の名前も入っている。念のためにグーグル検索してみたが、ヒットしてこない。特に名のあるデザイナーのものではない、どちらかというと安価なお土産品(あるいは、フランソワ・トリュフォーのような、エッフェル塔グッズマニア向けか?)なのだが、これだけ手のこんだ、洒落た小物が街角にあった。それが昔のパリだ。今パリに行くと、巷に溢れているのは見るからに中国臭のする安価な大量生産の土産品ばかり。もちろん、昔だって大量生産のちゃちなお土産品はあったが、こういうちょっとしたセンスの光る、間違いなくフランス人の職人が作った「価格手ごろな」小物も同時に存在していた。今こういうものを買おうとすると、えらく高くつく。イタリアでも、昔は家内制手工業のように革製品を作っていて、それが案外安く品質がよかった。そもそも西欧の高級ファッションブランドが日本人の心をとらえたのは、品質の高さと流行に左右されない保守的なデザインだったはず。値段は高いが、長く使える。それが今は、くるくるとデザインが変わる。あまりに「イン」なものを買ってしまうと、その分それが「オシャレ」である期間が短くなる、つまりすぐに「アウト」になってしまうようだ。インな物を持ち続けたいと思ったら、新しい物を買い続けるしかない。この戦略が、日本の消費者に見放されたのではないだろうか。あまりに売り手に都合よくできすぎている。革製品で評判を得たイタリアの有名ブランド店を見て歩いても、小物類の品質低下、それに逆行するような価格の高騰がひどく気になる。革製の財布などを見るとよくわかる。たとえば縫製。悪くはないがよくもない。というより、財布程度では、縫製の技術の高低など、たいした意味を持たないのかもしれない。革そのものの質も、悪くはないが突出しているとも思えない。そして金具部分の安っぽさ。これはどんどんひどくなる。ロゴには金具を使い、しかもロゴはやたらと目立つようにデザインされたものが多いから、革素材の上質感(もない合成素材も、近ごろは多いのだが)を台無しにしている。それでいて、やたら高い。これはもちろん、ユーロ高のせいもあるかもしれない。そして目につくのは、デザインの豊富さだ。確かに選択肢は増えている。目新しいデザインも多い。だが、これは実は、諸刃の剣ではないかと思う。選択肢が多いと、案外人は何も選べなくなるのだ。「今年のモデルはこれ」と自信をもって絞り込んだほうが、あるいは少なくとも絞り込んだフリをしたほうが、高級ブランド然として見えるのではないか。デザイン力を過剰に自己評価しながら品数を増やすことで希少性を低下させ、それと並行して、「素材」がブランド内で占めていた地位も相対的に低くし、コストコンシャスの原理に従って安価な素材を使い始めた。そして実際に商品を作るのはそのブランドおかかえの職人ではなく、人件費が安く、そのわりには仕事のいいアジアの下請け工場。グローバル化の波にうまく乗って市場を拡大してきた高級ブランドが、顧客層の裾野を広げる過程でないがしろにしてきたもののために、今になって、日本の消費者に見放され始めた。それはある意味、ブランドネームだけにとらわれるのではなく、自分の目で価値を判断しようとする日本の消費者の成熟がもたらした現象ではないか。いいモノなら高くてもいい。だが、たいしたモノじゃないのに、名前やイメージだけで売ろうとしてもダメ。さんざんたいしたことないモノに、喜々として高いお金を払い、しかも売り手から敬意をもって扱われもしなかった日本人がそれに気づいたとすれば、むしろ喜ばしいことではないかと思う。オマケ:こちらはだいぶ前にイタリアで買った、某有名ブランドの財布。オーソドックスなブラックカーフ。革の上質感を前面に出したシンプルなデザイン。留め具も黒のラッカー仕上げで、けっしてちゃちではない。ブランドネームは留め具のところに控え目に入っているだけで、ほとんどわからない。ブランドネームなんて見えないほうがいいと思うMizumizuの嗜好にも合っている。ユーロ導入以前のイタリアでは、こうした上質な革製品もたいして高くはなかった。こちらも大昔にイタリアの革職人の店で買った3連の財布、折り返し部分がボタン留め。余った革で工夫して作った、というような遊び心のあるデザインだが、サイズもカードがぴったり入るし、ジーンズのポケットにも入れられる。重宝して長く使っている。とても丈夫で使いこむにしたがって味が出てくる。もちろん、値段も手ごろだった。値段のワリには品質のいいものを見つける――こういう買い物の楽しみが、いつの間にかヨーロッパからはなくなってしまった。今はむしろ、東南アジアに、「価格が手ごろで、質もそこそこな掘り出し物」がある。
2009.11.16
この数日、えらく忙しい。座り仕事なのだが、久々に眼の疲れからくる頭痛、肩こり、それに座りすぎからくる腰痛に悩まされている。今年は不景気なので、Mizumizuも週末だけはだいたい休めるようになった。好景気というのも、実はチョット考えモノだと思っている。景気がよくなると、みんなヤル気が出て、張り切りすぎる。仕事の依頼もムチャが増え、「あ~、夜仕事入れますんでぇ、翌日午前中に仕上げもらえると嬉しいっす」みたいなことを平気で言ってくる。去年までのほぼ2年、Mizumizuは週末まるまる休めるということさえほとんどなかった。これが業績悪いとなると、客先の担当者もヤル気がなくなるので、「あ~、仕事出すの忘れてました。適当にやっといてください。まあ、2~3日中で」とユルくなる。景気がいいとなると押せ押せムードに皆が流され、仕事のサイクルがどんどん速くなる。だが、人間なんて機械じゃないから、そんなに長時間働けるようにはできてないのだ。ムリヤリな長時間労働を続けていると、まず早晩体を壊す。体が壊れるより先に、心が壊れる人もいる。「忙しい」とは「心を亡くす」ことだとは、うまく言ったものだ。不景気になって、だいぶ体はラクになったのだが、それでも突発的に急ぎの仕事が来て、「寝る」「起きる」「食べる」「仕事する」「休憩する」の繰り返しだけの生活になることがある。外出もままならない。心身ともにキツい。とはいえ、だんだん集中力が落ちるので、「休憩する」時間が長くなるのだが(苦笑)。こうなってくると、仕事以外のことは考えられなくなる。つい最近までは、「暖かいところに転地したいな。石垣島なんてどうだろ。いやむしろそれならハワイのが安いくらいかな。う~ん、でも時差が」などと考え、行こうと思えば行ける状態だったのだが、忙しくなるとすっかりその気も萎えてしまう。サンフランシスコに赴任した外交官の従兄弟から久々にメールが来たので、「そっちに1ヶ月ぐらい転地するのはどうかな」と聞いてみた。転地したいという希望そのものはいまだにもっているというわけ。Mizumizu連れ合いと海外に行くときは、必ず持っていかなければならないのが、パソコン2台と携帯用プリンター。こうした機器は結構重い。チェンマイへの旅行で、それまで使っていた布製のカバンが壊れたので、引きずることのできる、アルミ製のビジネスケースを買った。【レビューで送料無料★MVP受賞46%off!!】【RIMOWA】リモワ 928.40 TOPAS(トパーズ) Business Trolley[※北海道・沖縄県は別途525円かかります。]堅牢さはまだ使ってないのでわからないが、基本的に飛行機に持ち込むつもりなので、持ち込めるサイズのものにした。軽さは文句なし。パソコン2台と携帯用プリンター1台がちゃんと入る。ネームタグは、中に名刺を差し込むタイプ。裏面にはゴム製のストリップが付いているので、引きずるときは、大きなスーツケースの上に置いて、大きい方のスーツケースのハンドルをここに通せば、安定がよくなる。すっかり旅の準備は整ったのに、肝心の旅行をする気力がなくなった。非常にキツいスケジュールは来週頭まで続く。またこの週末も仕事かしらん・・・トホホ。さ、これを書いたら「休憩」は終わり。また仕事に戻らなくっちゃ。いったい今何時なんだろうね? 忙しくなると昼夜の感覚もなくなる。勝手に外が明るくなったり暗くなったりしてる感じ。あ~、きっとアタシって、こうやって仕事だけして(←結構遊んでるって、人は思ってるよ)早死にするのよ、そうに決まってるワ(←もうすでに早死にには手遅れかもよ)。世の中夢も希望もないわね。
2009.11.11
最近、ヒマな人が増えてる・・・というのは、いろいろなシーンで実感する。いい年の男が無職で犯罪に走り、テレビニュースに・・・ というのは、気分の悪い極端な例だが、街でやたら見かける「行列」は何なんだろう。祝祭日ならまだわかる。たとえば、荻窪はしょうゆラーメンで有名な街なのだが、行列ができているのは、週末。わざわざ遠くからやって来るのだろう。地元に住んでる人間からすると、「並んでまで食べるほどのラーメンがこの街にあるのか?」という気もするのだが、平日時間の取れないラーメン好きが週末に来て先客が多かったら、並ばないわけにもいくまい。だが、平日でも都内を走ると、案外いろいろなところで「行列」ができている。パチンコ屋の前、レストランの前、映画館の前・・・みなさん、お仕事は?と、そのたびに思う。しかし、金曜日に池袋にオープンしたヤマダ電機の開店に合わせて並んだ人が1万5000人というニュースには、心底たまげた。テレビ画面いっぱいに映し出される人、人、人の波。週末ではない、れっきとした平日なのだ。なのに、学生でもなさそう・主婦でもなさそう・リタイヤ組でもなさそう――ふつうに考えたら、シャカリキに働いてそうな年代の、それも男性がいっぱい。君ら、仕事は?大昔に中国で初めて大型スーパーが出店して人がおしかけたとか、その手の映像を思い出した。だが今の日本で家電量販店なんてものは、別に珍しくはない。並んでいる人は、ただ「目玉のパソコンがすごく安い」とか「目玉商品の59800円のテレビを買うと、先着500人に7774円分のポイントがついてくる」とか、お得感を求めてやってきたのだ。バーゲンセールに並ぶ女性と同じ心理。あとは、イベント感覚の気分の高揚もあるのかもしれない。Mizumizuは並ぶのは大嫌いなので、バーゲンセールにもめったに・・・というか、ほとんど行かない。並んで時間を取られるぐらいなら、その間仕事をしたほうが金銭的なメリットも多いと考えるクチだし、実際、混み合った店で1つや2つの買い物に半日以上かけるなんて、骨折り損のくたびれ儲けにしか見えない。パソコンはいつもDELLで買う。自分でカスタマイズできるし(しかも机に座ったまま)、何と言ってもDELLはサポートが素晴らしい。なので、家電量販店のオープンめがけて殺到する人の心理はまったくわからない。だが、1つだけハッキリしてるのは、忙しい人はそんなことはできない・しない、ということだ。ヒマな人が並ぶ。そして、ヒマな人の数は確実に増加している。日本人=ワーカホリックという図は、完全に過去のものになったと思う。いや、今でも忙しい人はめちゃくちゃ忙しい。ヒマな人と多忙な人が両極端に分かれている。ヒマな人は、経済的余裕もない。余裕がないから安いものに殺到する。その数が半端ではない。驚くばかりだ。安いものに行列する人たちがいる一方、新奇な高級品に殺到する人も多い。銀座・三越のラデュレに長い間できていた週末午後の行列は、最近ではもうなくなったようだが、そこは、新しいモノがどんどん入ってくる東京。丸の内ブリックスクエアで最近見かける行列。みなさん、何を求めて並んでると思いますか?答えは、「バター」。かねがねMizumizuは日本のバターの質に不満タラタラだった。特にクッキーのアブラっぽさにはガマンがならない。フランスには飛び切りのバターがある。だからバターを使ったお菓子やパンが美味しい。「バタークリームのケーキ」というと、日本では粗悪品扱いだが、フランスでは伝統の味なのだ。そのフランスでも評価の高い「エシレバター」が日本に上陸したのだ。この丸の内の店に並ぶ人たちは、バターそのものというより、バタークリームの生ケーキやエシレバターを使ったクロワッサンがお目当てのよう。お昼過ぎには完売御礼。しかし、エシレバターを使ったクロワッサンというなら、Sadaharu Aokiのクロワッサンだってそうなのだが、こちらはあまり買っている人を見ない(ケーキは非常によく売れている)。池袋では安い家電製品に長蛇の列、丸の内では飛行機に乗ってやってきたフランスA.O.C発酵バターに長蛇の列。この両極端なモノに向かってのびる行列も、今の日本を象徴している。エシレバターの行列は、何ヶ月続くことやら。あんまり売れるので、ホクホクして二号店を作ったころには、ブームは終わる。そして客足が伸びず、商品の数が減り、さらに客足が減る。だいたいこれが、フランス有名店が東京で辿る道。ラデュレのマカロンもこのところ、種類が減ってきたような・・・?(苦笑) ピエール・エルメのマカロンにいたっては、種類も少ないし、そもそももう、買ってるお客をめったに見ない。安い家電と高くても美味しいモノが売れる一方で、どこでも閑古鳥なのが、高級ブティックやそこそこ以上のカバン・バッグを扱う店。丸の内でも、銀座でも、日本橋でも、いや荻窪でも、ブティックには人が入っていない。そのくせ店舗の数は多い。店員さんもヒマそうだ。デパートも衣料品売り場には人がいない。賑わっているのは地下の食料品コーナー。みんな着る物はユニクロでいいらしい。そもそも池袋のヤマダ電機が出店したのは、もとはデパートだった場所。吉祥寺でもデパートが撤退し、そこにヨドバシカメラが進出してきた。そして、家電量販店が(高級感のない)デパート化し、衣類や小物、アクセサリーなどを扱い始めている。週末には三越、高島屋、あるいは伊勢丹で買い物するのを楽しみとしているMizumizuにとっては、憂うべき状況、というべきか?
2009.10.31
あれから2ヶ月。宮野の朝市での夫婦の言葉など半信半疑で買った3匹の金魚兄弟は、私の思惑など平気の平左で日増しに大きくなり、ついに赤くなることが決定的となった。特に一番大きなそれはもう完全に赤い金魚で、腹はますますふくらんできた。ふと私でも金魚の3枚下ろしが出来そうだなと思ったりする。残る弟分の2匹も背びれ尾ひれに黒色がわずかに残るだけで、こちらも完全なる赤い金魚だ。嬉しいような悲しいような気分。嬉しい気分はまるで我が子の成人式を祝うが如しで、悲しい気分は尻尾の先にわずかに残った黒までもが消えてしまう寂しさである。ともかく、日増しに大きくなる居候たちに新居を与えなければならない。丼を少し大きくしたような住みかではどうにもならんと、さっそく水槽を買いに出かけた。それでも3匹だけだからと、一番小さな水槽を買った。酸素を送るものもいるだろう。私は自分の身の丈に合わせ、それらのものをそろえ日曜日にさっそく引っ越しをさせた。これで彼らは完璧なる居候となった。大きな水槽に入った3匹は、実に楽しそうに泳ぎまわる。酸素の泡がぶくぶくと立ち上がり、その間をぬけ金魚藻の茂みをくぐる。「どうしてそんなに楽しいか」と、問うてみる。「さぁてね。広いし。こんなに暴れ回れるなんて最高さ」時々水槽のガラス越しに私を一瞥する。今に私の顔をみると「腹へった」と寄って来るのだろう。くわえて「部屋の掃除はどうなっちょる」などとささやくかも知れない。居候とはいうものの、私は朝、目が覚めるとまず彼らにあいさつをする。朝から元気がいい。底の石を突いて食べ物をさがしている。あわてた私は例のドイツ製の餌を撒いてやる。うすいフレーク状のそれは泡に押し流されまるで生き物のように漂ったのち、さらさらと沈んでいく。その何分間かは、彼らは下に横に上にそれをキャッチするために大忙しだ。「5分以内に食べきるように」と餌の与え方に書いてあるのでそのとおりにしているつもりなのだが、友人の話によれば「1日1回でいいのではないの」という。そうかなと思ったりする。何でも魚なんて餌をやれば与えただけ食べるという。まるで子犬と同じか。そういえばこの頃、彼らはのべつまくなし長いフンを引っ張りながら泳いでいる。「金魚のフンみたいにつながっている」とは子どもの頃、遊び仲間とわいわいさわいでいると大人から言われたような記憶があり妙に納得した。そのフンをとろうと歯ブラシで彼らのしりを追うのだがなかなかうまくいかない。するりと歯ブラシをすり抜け相変わらず細い線のような排泄物を3匹でくゆらすさまは優雅とは絶対言えないが生活感にあふれている。ある日私は、今度は朝市でエビを見つけた。小さなビニールの袋の中に薄緑の藻にくるまれ、5匹くらいはいる。その辺の川にいるような雑魚のようなエビだ。透明で小さいのは、今生まれたのではなかろうかと思われる。大きな土色の一匹に踏みつぶされそうだ。「金魚といっしょに飼えます。水槽についた緑色の汚れを食べます」と書いた紙につられた。 今度私はエビをやといました。 彼らは水槽の掃除夫です。 しっかり働いてくれるでしょう。と友人にメールをしたら、彼女はなにを勘違いしたか、 それはいいね。 しっかり大きくして食べましょう。ほんとうにのんきで、楽しい友人だ。しかし、このエビが水槽に付いた青い汚れを食べているところなど見たことがない。最近では金魚の餌を密やかに横取りして抱え込んでいるのを目撃したのである。まさか赤いエビにはならないだろうが・・・。夏が金魚の成長期とはいうものの、わが家のそれはその第一人者ではないかと思う。なにしろ8月・9月の2ヶ月で体長は3倍弱。とすると体重は27倍。それはないにしても暴力的成長ぶりだ。私が水槽をのぞくと心なしか3匹がまっしぐらにやってくる。もう完全にメタボで、頭は小さいのに腹のふくらみは見事なものだ。真正面の形相は円の中心にあいかわらずパクパクと気ぜわしげに動く口、その両側に黒い目玉。これだけは元のままで愛らしい。美容院は差し障りのない話に花が咲くことがある。昨日は金魚の話が出た。「うちには金魚がいましてね。あまりの水の汚さに水槽を掃除したんですよ。大変でした。大きな水槽なものですから。数匹いたんですが皆死んで、それ一匹だけがすごく大きくなりましてね」私は思わず耳を傾けた。「はじめは小さかったのにそれだけは生き残り、今ではおおきな水槽を独り占め」「尻尾をのんびり揺らせ、緑色の水の中を生きているんですよ」「大きいって、どのくらいですか」「このくらいですかね」と、彼女は手で肉まんのような形をしてみせた。私はすぐわが家の水槽の3匹を思った。「あの水槽ではだめか・・・」途端に巨大化した3匹が、がぁーんと鏡の奥から私を襲うのだった。(終わり)xxxxMizumizu母の上梓した旅行記については、こちらをご覧ください。ご購入ご希望の方は、メールにてお知らせください。
2009.10.22
今日は気分を変えて、Mizumizu母の生き生きエッセイを。このくらい楽しい表現がスムーズにできれば、今季は「演技・構成点」も高し!?XXXXXXX「このたびわが家に居候をおくことにしました」と、友人にメールをしたらさっそく返事がきた。「居候ってKちゃんが帰ってきたの。よかったねぇ。ひとり暮らしは寂しいもの。これで安心よ」と、とんちんかんなことを言う。「ありがとう。それがさぁ、3人よ」「えーっ、みんな帰ってきたの」私も図に乗っての応戦だ。とんでもない。誰が帰ってきますか。子ども3人は東京で母親などいつでも元気と思っている連中だ。わが家の居候というのは実は金魚が3匹。体長1.5センチ。尻尾まで入れたら2センチか。数日前、宮野の朝市で買ってきた。ところがその色といったらまるでフナの子どものようにうすい茶色。私は最初その類の魚と思ったわけだ。しかしぴんぴんと元気に泳ぎ回る姿をみて気に入ってしまった。「それ、金魚だよ。今に赤くなるし、卵も産むよ」日焼けした顔のおじさんが奥から大きな声で言った。そう言われしげしげ眺めれば、なるほど尻尾の形はまぎれもなく金魚で、3つに分かれひらひらとしている。 「どんどん大きくなりますよ。こんくらいかな」夫婦だろうか。隣のおかみさん風の女がにこにこしながら、両手で大福のような形をつくり教えてくれた。私はまさかと思いながらも、本当に赤くなったら面白いと買うことにした。さしあたりの彼らの部屋は、前にメダカを飼っていたときのものがある。直径15センチほどのガラスのボールだ。睡蓮の小形のような藻も一緒に移しかえたら、まるで新居ではしゃぐ3つ子のように泳ぎまわった。何が嬉しいか金魚風情がと、ほとほと感心した。おまけに酸素をだす石という石灰のような円筒状のものも残っていたので2個入れた。わずかに泡が出てきた。 「わが家の居候。金魚3匹。今はなぜかフナみたいに黒い色をしています。しかしやがて立派な赤い金魚に変身するそうです」「赤い金魚になったら成人祝いをしますから、おいでください」すると友人は、「黒い金魚が赤くなるわけないでしょ。それ金魚じゃないよ。騙されたんではないの」ときた。私はそこでまた金魚鉢をのぞきこんだ。彼らの体型は菱形。背びれも、胸びれも腹びれも小さな体に揃っている。泳ぐときは胸びれと腹びれを、器用に小刻みにゆらし泳ぐ。口といったら1分間に100回はパクパクとやっている。水面からのぞくと背中のフナ色が濃く腹側はうすい黄金色で鯉のようだ。尻尾の付け根に白いすじが通っている。ちびのくせに腹はもっこりしていてすでに卵でも抱えているようだ。さて次は食べ物がない。いくらこのちびでも何か食べなくてはならないだろう。家にはパンのかけらもなければ麩など勿論ない。早くやらなければ飢えてしまう。餓死させたら大変と夕方の町を再び車で出かけた。めだかの餌を買った店が嬉しいことに健在だった。「黒っぽい金魚の子どもを買ったんだけど、そんな金魚っているのかしら」一番聞きたかったことをぶつけてみる。「ああ、いますよ。だんだん赤くなるの」店の女性がさらりと言った。まるで拍子抜けで、私は彼らが赤くなることを信じることにした。「よし。絶対に成人パーティだ」と、ひとり張り切るのだった。金魚の餌の原材料をみてまたまたびっくり。商品名 テトラフィン 製造元ドイツテトラ社。フィッシュミール、穀類、酵母、植物性タンパクシュリンフミール、油脂、海藻・・・まだまだビタミン、ミネラルと続く。どうりでこれを食べさせれば美しい色彩を引き出すとうたえるわけだ。わが家の金魚どもには少し高級かと思ったが、たったの304円きりだった。フレーク状で1日3回3分間で食べきるように与えるらしい。水も水道水を7時間以上くみ置きして、カルキを抜いて替えるようにといわれた。あああ・・・。かなり手数がかかります。しかし君たちよ、絶対に赤い金魚になっておくれ。
2009.10.21
作曲家・音楽プロデューサーの加藤和彦氏が自殺したと、テレビが言っていた。かとうかずひこ、かとうかずひこ・・・名前は聞いたことあるな、と思っているうちに代表作が流れ出した。♪オラは死んじまっただ~縁起でもない歌詞だが、この曲を作った人なのか・・・♪かな~しくて かなしくて とてもやりきれないあ~、知ってる知ってる。すごく古い歌だが、よく聞く。これも彼の作曲だったのか。かとうかずひこ、かとうかずひこ・・・まだ知っている歌がある気がする。♪あの~素晴らしい愛をもう一度~それもそうなのか。でも、それじゃない・・・かとうかずひこ、かとうかずひこ・・・何度も名前を繰り返してみる。やがて記憶の壷の底から、「彼女」の声が聞こえてきた。「これは、かとうかずひこの曲」確か「彼女」から、テープ(当時はCDはなかった)を借りたのだ。「彼女」の部屋で聞いたその曲があまりに衝撃的だったから。借りて何度も聞くうち、返すのが惜しくなった(オイオイ)。「もういいかげん、返して」と言われても、なんだかんだ言って手元に置いていた(ダビングができる機械を持っていなかったんだな、多分)。けど・・・誰が歌った、何と言う歌だっただろう? 一生懸命記憶の壷をさぐる。♪旅無残~暗い壷の底から、やっとぼんやりと断片的な歌詞が浮かんできた。ミもフタもない歌詞だ。歌っていたのは女性。はて、名前はなんだっけ?ウィキペディアで加藤和彦の過去の作品を調べてみた。「旅無残」ない・・・仕方ない、「彼女」に聞こう。ゲイ大時代に知り合った女友達。最初の出会いも憶えている。大学構内の絵画棟という建物の1階で、確か最初のデッサンの授業だったのだ。薄暗いホールに、大小さまざまな石膏像が並んでいる。鬱々とした空間だった。木製のちゃちな椅子に腰掛けて、授業の開始を待っていたら、椅子をずずっと引きずる音がして、隣に座ってきた女の子がいた。それが「彼女」だった。椅子を引く腕や、座る動作が最初から大人びていた。大学一年の女の子なんて、右も左もわからないウブも多いが、「彼女」はとっくに「女」だったのだ。髪は長くして、ウェーブをかけ、顔立ちはレオナルドの描いた聖アンナを思わせた。最初から親しかったわけではない。だが、自分で「好き嫌いが激しい」と言うわりには、寛大で優しい、母性的な性格で、交友範囲も広く、Mizumizuも何となくその輪の中にいた。群がってくる男の子も多かったが、「彼女」はうまくあしらっていた。ただ単に異性にモテる美人というだけなら、「彼女」とそれほど親しくなろうとは思わなかっただろう。だが、「彼女」には、Mizumizuを惹きつけてやまない「言葉」があった。「言葉」は不思議だ。どれほど修辞を凝らしていても、どれほど理論的に筋が通っていても、まったく自分の内側に入ってこない「言葉」もある。こちらの身体の外をするりと落ちてしまう「言葉」を話す人、書く人とは、結局理解しあうことはできない。逆に何気ない「言葉」、さりげない「言葉」が、まるでキューピットの放った矢のように、ココロの真ん中に命中することがある。そういう「言葉」を持った人とは、お互いに興味が持てる。相手の言っていること、言わんとすることが、よくわかるのだ。「ウマが合う」というのは、こういうことかもしれない。「彼女」は、8ミリの映像作品を撮っていて、それを見せてもらったことがある。それはまた衝撃的だった。淡々とした口調で、かつて想いを寄せた男性と、現在付き合っている男性について「彼女」自身の声で語る。女の内面を抉り出す、一種の私小説でありながら、どこかファンタスティックな雰囲気に溢れていた。「彼女」は自分が髪をのばした理由を、「半径15センチの外界を遮りたかったから」だと告白する。「私より15センチ上に顔のあったあなた」を思いながら、現実に「あなた」と呼ぶ男性は、「ずいぶん入れ替わってしまった」。そして今の「あなた」は「私にリンゴをむいてくださる」。それをありがたく受け取りながら、「なんだか、私までむけてしまったようだ」とつぶやく。ずいぶん前に1度見ただけの作品だが、そのさりげない「言葉」がハートに命中し、忘れることができない。そして、「彼女」が取り上げたテーマ。愛してくれる男性がいて幸せなはずなのに、「彼女」はどこかで倦怠し、そこはかとない孤独を感じている。自分を縛る「愛」に密やかな苛立ちを感じているのかもしれない。それは別れの予兆でもある。愛されながら孤独――それはMizumizuにも共通する重いテーマだ。子供のころから今にいたるまで、Mizumizuには常にその感覚がある。だが、あまり口に出して言う勇気のないことだ。それを「彼女」はいとも冷静に、いとも生々しく、そして幾分ナルシスティックに、映像にして見せた。そして「彼女」は、その作品で、トリノ国際ヤングシネマフェスティバルの8ミリ映像部門の大賞を獲ってしまった。イタリア人が、あの作品にMizumizuと同じような(かどうか、わからないのだが)感動をもってくれたのかと思うと、なにやら嬉しかったことを憶えている。「ヴィスコンティ映画なら、やっぱり私は『ベニスに死す』かな」と「彼女」は言った。『白夜』『熊座』『家族の肖像』を好むMizumizuにとって、『ベニスに死す』は多少冗長なのだが、そもそもヴィスコンティ監督作品を好む人間が大学時代には周囲にあまりいなかったから、「彼女」は数少ない、その手の映画について語り合える相手だった。私たちは2つの円だった。一部が重なりあっている2つの円。重なった部分にヴィスコンティや「彼女」の撮った8ミリ作品や、そして、あの「旅無残」の歌が散らばっている。うろ覚えの歌詞をメールに書いて、「彼女」に聞いた返事は、すぐに来た。「問い合わせの歌は中山ラビのMUZANだね、懐かし~っ」ああ、そうか。中山ラビというシンガーだったんだ。「旅無残」は歌詞の一部で、タイトルはMUZANといったのか。「確かにその曲は加藤和彦作曲中山ラビ作詞、アルバム「MUZAN」が加藤和彦全面プロデュース、それ迄フォーク詩人色濃かった中山ラビが世紀末っぽくイメチェンしたと賛否両論あったアルバムでした」へ~~~ 「フォーク詩人」「世紀末っぽくイメチェン」――これはMizumizu円の外にある、不可思議な響きをもった言葉だ。そういう時代があった、ということなのだろう。♪夜の帳をおしのけて あなたが突然現れた わけも言わず抱きしめて 私の心に火を灯す行って帰らぬ愛の旅 ならば今宵が瀬戸際で やさしい思いもないままに 求める人にすがりつく川は流れて消えていく 焦るあなたがいじらしい いつか描いた幻の摩天楼から人が降る ゆくにゆかれぬ愛の旅 あきらめようと頷いて 冷たい肌を取り戻す 求める人を振り切って それでいいわと声がする それでいいわと声がする 聞いてはならない幻の誘いに乗って旅無残この曲が作られたのは1980年代の初めらしいのだが、やはり「言葉」がハートにぐさぐさと刺さってきた。こうしたニベもない詞は男には書けない。あるいは少し、椎名林檎に似ているだろうか? 女の性の深淵を見つめて表現するのが巧みなタイプは、いつの時代にもいるのだろう。そして、それにストレートに共感できるタイプも。♪今日はどこまで流れゆく あしたはどこの人と寝るいっそこのまま 燃え尽きてしまいたい作曲家の訃報を聞いて、ほとんど忘れていた歌を思い出した。歌は歌としてだけではなく、思い出とともにある。ゲイ大の正門。白い横断歩道で音校と美校に分かれている。美校の門に、「彼女」が立っている。動物園のほうからあがってくるMizumizuに、何か声をかけている。隣りには、「彼女」を追い回している男の子のうちの1人。タバコを手に持って立っている「彼女」の凛たる姿は、今もMizumizuの視界に鮮やかだ。
2009.10.20
2016年のオリンピック開催地が、リオデジャネイロに決まった。最初にシカゴが最下位で脱落したあと、第2回目の投票で東京が落選、最後の決戦でマドリードが苦杯をなめた。東京では、東京タワーをレインボーカラーに染め、レインボーブリッジに五輪マークを描き出すなど、美しい光の演出を使っての援護射撃があった。日本のライティングアートの水準は間違いなく世界トップだ。冬に街を彩るイルミネーションもそうだが、光の演出のセンスにはいつも感心させられる。Mizumizuも夜都心方面へドライブして、普段と違う東京タワーのライトアップを楽しませてもらった。もし東京に決定した場合は、都庁わきの新宿公園から花火をあげるという話もあった。ということは、台風が接近中の悪天候のなか、深夜の花火に備えて公園で待っていた担当者がいたということだ。天気が悪いのに、深夜までお疲れさまでした。本当に残念でしたね。東京は難しいんじゃないかということは、すでに何度も言われてきたし、直前のメディアの報道でも、敗戦ムード一色でスッカリ弱気(苦笑)。かく言うMizumizuも、そもそもこの政治色が強く、商業主義にまみれた世界的一大イベントそのものにかなりウンザリしているし、「オリンピック、オリンピック」とオリンピックばかりに注目して大騒ぎする風潮が好きではないので、積極的に誘致賛成というほどの熱意はなかった。都の財政状態を考えると、むしろ反対派だったといってもいい。だが、東京に住んでいると、誘致活動に真剣に携わっている人たちの熱意や真剣さは伝わってきた。たぶんに政治的・商業的思惑もあるとはいえ、そうした損得勘定抜きに、「子供たちに夢を」と支持してきた人もいるのも確かだ。商業主義にまみれているとはいえ、参加する選手にとっては、オリンピックは最高の「夢の舞台」。4年に1度しかないこのイベントに出場できるだけで並大抵のことではない。そこで自分のベストを尽くしたいという選手の情熱に夾雑物は一切ないし、参加するアスリートのこうした姿勢が多くの人々の感動を呼び、オリンピックというイベントを支えてきたのだろうと思う。「都民の70%がオリンピック開催に反対している」と伝えているメディアもあったが、あくまで普通に生活しているいち都民としては、それほど皆が反対しているという空気は感じられなかった。スポーツ好きの知人などは、積極的に賛成していたし、他の多くの人も、「立候補したからには、勝って欲しいかなぁ」という、消極的賛成派がむしろ多かったように思う。西荻の商店街を歩くと、アーケードには「2016年、東京にオリンピックを」という旗がつるされ、歩くたびにいやでも目に入る。世論の支持が低いと言われたマイナスポイントを跳ね返すため、都も努力した。それにともなって、最初は「反対」していた人も、「そんなにやりたい人がいるなら、まあ反対、反対というのはやめようか」というふうに、ムードが変わってきたのではないか。鳩山総理じゃないが、「ここまで来たら、勝ちたい(でも、無理だろうけど)」といったところじゃないだろうか。しかし、そうした宣伝・啓発活動も、すべて税金で行われたことだ。これまた政治的な思惑で反対してきた人間は別だが、負けて落胆している関係者の姿を見るのは、ふつ~の感覚をもっている日本人にとっては辛いと思う。でも、それを言ったら、過去にも立候補して涙をのんできたマドリードの関係者の失望のほうがずっとだろう。といってこのまま万が一東京に決まっていたら、土壌汚染問題で紛糾している築地市場の移転も強引に進められてしまったかもしれない。ジオラマに5億もかけたらしい(りっぱなジオラマだとか? 一般公開してくださいよ)とか、誘致活動関係者50人に配布したスーツの値段が1着30万だったらしいと聞いて驚いてる、それが一般庶民の感覚なのだ。個人的にそれほど興味はないとはいえ、「国家にも、個人にも、夢が必要。オリンピックで皆に夢を」という考え方だってアリだと思うし、さほど悪いことだとも思わない。オリンピックの経済効果は3兆円、そういう経済面での試算はちょい眉唾の匂いがするのだが、オリンピックが自国で開催されるなれば、やはり国民は盛り上がる。普段は「愛国心」「国家主義者」などという言葉にアレルギーを持っている人も、オリンピックの試合となると、個人的に肩入れしている外国人選手がいない限り、突如完全なナショナリストに変貌して、まるで長年の友人を応援するかのように自国の選手に声援を送り、他国が負けると大喜びする。あるいは、ある競技で圧倒的な才能を見せる選手が登場すると、あたかも長年その競技のファンであったかのように放送に釘づけになり、「やっぱり○○はスゲエ。人間超えてる」などと感嘆する。それが、オリンピックの魔法なのだ。だが、そういう夢を、東京はすでに見させてもらった。世界にはまだ、その魔法を自国で体験していない人がたくさんいる。2020年オリンピックに東京が再度立候補するという話もあるようだが、それについては声を大にして言いたい。やめましょうよ。よほどスポーツ好き・オリンピック好きの人は知らないが、こうしたイベントの利権に絡まない一般都民は、再度の立候補なんて望んでないんじゃないか。それより先にやることがある。削られるばかりの高齢者への支援。人は、若いころは、自分が年取るなんてイメージを持てないから、「年金なんて、いらねぇんじゃね」「病院行ったら年寄りばっかり、もっと医療費取れよ」なんて言う。自分が60歳になったときに、同じことが言えると思いますか?若いころは自分の遠い未来の話なんて他人事なのだ。「自分は、そんなに長生きしないと思う」「若いままで死にたい」なんて言ってる人間に限って、なかなか神様はお迎えに来てくれない。そして、よっぽどの資産家でない限り、自分が働いた金だけで老後の蓄えを作るのは至難の業なのだ。そもそも、いつまで生きるのかわからない。他にも行政が率先して解決を図らなければならない問題は、山積みのはずだ。たとえば、子供を預ける場所がなくて困っている母親へのサポート。今の世の中、夫だけが働き、妻が家にいて子育てや家事に専念するなんていうのは、「過ぎ去った中産階級の理想」になりつつある。待機児童の問題は、子供手当てなどより優先して取り組むことではないか。今、「すぐに働かなくちゃ家計が立ち行かなくなるのに、子供を預ける場所がない」と困っている人を救うほうが、子供手当てをバラまくより効果的でかつ至急を要する政策課題だと思うが、どうか。一部の報道によれば、シカゴがまっさきに落選した背景には、シカゴ開催に反対する(おそらくその多くはアメリカ人)市民からのメール攻勢があったという。2016年夏季五輪開催地決定の投票権を持つ国際オリンピック委員会(IOC)委員に対し、シカゴを回避してリオデジャネイロへの投票を呼び掛ける電子メールが大量に送り付けられていたことが2日、分かった。リオとともに2強と目されていたシカゴが真っ先に脱落した波乱の背景には、シカゴ開催反対派による“草の根ロビー活動”も影響を与えた可能性がある。IOCの猪谷千春副会長、岡野俊一郎委員によるとメールは約2カ月前から届き始め、1日当たり20通ほど。猪谷副会長は「シカゴが1回目で落ちるのは分かっていた」と述べ、シカゴ開催には反対意見が根強いとの認識がIOC委員の間に広まっていたとの見方を示した。メールとの関連は不明だが、IOC総会開幕前までは「リオを応援するシカゴ市民」というウェブサイトも存在。シカゴ市の財政赤字が約4億2千万ドル(約377億円)となる中、五輪よりも優先して取り組むべきことは山積しているとして、IOCへの意見表明を呼び掛けてもいた。リオは世論の支持が圧倒的だったとも聞く。まだ南米地域で開催されていないのだから、その意味でもリオ・オリンピックの意義は大きい。2020年のオリンピック開催地も、同じ大義名分で選ばれるべきだし、またそうなると思う。すでに一度大きな夢を見させてもらって、かつ財政面から多くの市民が、「オリンピックより福祉の充実を」と言っている国が、また再度立候補する意義のほうは、どうにも見当たらないのだが。
2009.10.03
荻窪・西荻界隈の猫は、野良も飼い猫も、わりとゆるゆるやっている。以前武蔵野に住んでいたころは、隣のアパートの「ネコおばさん」からエサをもらう野良猫クンが、我が家の庭先をトイレにしてくれて、悩まされた。夏なんて、暑くても窓開けられないのだ、臭くて。荻窪に引っ越してきたとき、堂々とウロウロしてる野良猫クンを見て、糞尿被害を恐れたのだが、これが案外たいしたことがない。逆に飼い犬クンの粗相のほうに、不快を思いをさせられる。杉並は「飼い犬の落し物」が比較的少ない区だという話で、路上に放置されたフンのほうは、確かに散歩してるワンちゃんの数に比べれば少ないようにも思う――犬のフンだらけのパリから帰ってきたばかりのときは、心底感動した――のだが、じゃあ、ひとんちの玄関にオシッコかけさせてもいいのか、と言えば、やられるほうとすれば腹が立つ。玄関のドアを開けて、階段を降りる。道路に出ようとしたとたん、目に入ってくる「あやしげな水溜り」。自分ちの玄関にはさせないでしょう、愛犬家の皆さんよぉ!というわけで、やや「愛犬家嫌い」(←犬はちなみに、だ~い好き)になってる昨今なのだが、猫クンたちからは、イヤな思いをさせられないせいか、その傍若無人ぶりも愛らしくみえる。誰かが干した車のフロアマットの上で、遠慮会釈もなく熟睡する猫クン。多分そのマット、持ち主は干す前に掃除機かけてきれいにしたと思うよ。「そりゃ~、気が利いてるニャ~」 ちなみに、脇は車も人も行き交う道路。だら~んと垂れた足は警戒心ゼロ。タイの「ゆるネコ」代表、アユタヤの涅槃猫とどっちがゆるい?平和だなぁ。You tubeで見つけた犬VS猫の爆笑動画はこちら。猫クン、ひどいなぁ・・・面白いほどよくわかるネコの気持ち
2009.09.09
あまり「お取り寄せ」はしないのだが、どうしても「この店でなくては」というのもあって、そういうモノは、わざわざ送ってもらっている。なんといってもこれでなくちゃというのは…醤油!関東の醤油は水っぽいのに、やたらとしょっぱい。Mizumizuのお気に入りは九州の井手醤油(福岡県久留米市合川町1346、電話:0942-43-5725)。ネットで検索しても出てこないぐらい小さな醸醤家。ここの醤油、東京在住の友人に何人か紹介したことがあるが、皆絶賛する。関東圏の醤油より甘く、でもコクがあり、見た目もトロリとしている。色のわりには味が上品なので、煮物などを作ると色が濃くなりすぎるきらいはあるが、味は絶品。ホームパーティで、この醤油を使った料理を出して、「美味しいからレシピ教えて」と言われて教えたのだが、後日「同じようにできない」と報告があった。醤油が違うから作り方が同じでもダメなんだろうな、と実感した。九州の醤油って、みんなこんなに美味しいのかな? それとも井手醤油が突出してるんだろうか?東京では千葉あたりにある大手の醤油メーカーがシェアを独占している感があり、九州の醤油は入手しにくい。他の九州の美味しいといわれる醸醤家のものと比較したいと思いつつ、ハズれたら面倒そうで、今のところ井手醤油一本。ずっと作り続けて欲しい味だ。そして、すし酢。すし酢も気に入ったものがなかなか見つからず、苦労した。普通の酢に調味料を入れて自分で作っても、あまりうまくできない。よく売ってる市販品は、あくどい気がして、好きになれない。だが、和歌山のこの「寿しの酢」は文句なし。置いてる店はなかなかないのだが、ここらあたりでは、スーパーの成城石井が扱っている。「那智勝浦町」丸正酢 寿しの酢 300mlこちらは、オマケ近所のセブンイレブンでたまたま買って気に入った、山口県産の温州みかんを使ったみかんジュース。ラベルにあったメーカーは「日本果実工業」。温州みかんを使ったジュースは大手メーカーも出しているが、ハッキリ言って味ではこのメーカーがダントツ。みかんの濃度がたおやかに濃く、それでいて味がやわらかい。オレンジでは出ない、日本のみかん独特の甘さもある。でもってよくよく見たらこの日本果実工業、なんと高校卒業まで住んでいた山口県の会社だった。所在地は仁保とある。仁保に会社なんて、あったんか!と、普通の人が聞いたらサベツ発言にしか思えないような台詞を1人吐くMizumizu。だってさ~、仁保っていったら、田舎中の田舎よ。インテルサットしかないかと思っていたワ(←わかる人が何人いるのかな~。このジョーク)。ちなみに「じんほ」じゃなくて、「にほ」ね、読み方。しかし、仁保で作ってるみかんジュースを、「瀬戸内」と言われると… Mizumizuの記憶によれば、山口市内から仁保に向かうディーゼル列車も、仁保に近づくにつれ、あまりに線路の勾配が急でスピードを落とす。そのくらい山の中だと思うんだけど。仁保駅のある山口線は電化されていない。「電車」じゃなくて「汽車」なのだ。「汽車」というと東京の人間は、「汽車だって~」「いつの時代の話ぃ~?」と、まず100%笑うけど…今の話です!
2009.07.09
Mizumizuが起業して4年。それまで個人事業主だった身には無縁だった「法人税」という枷がはめられるようになった。公共性の高い大企業のことは知らないが、個人・家族レベルでやっている会社が決算期に考えることはだいたい次のどちらか。(1)なんとか黒字決算にして、銀行からの融資を打ち切られないようにしないと。→赤字の会社、それも中小となると銀行はお金を貸してくれないのだ。(2)個人レベルでやってるのに、法人税まで払えるか! それでなくても所得税を払っているのに。大赤字はまずいけど、なんとかギリギリ赤字にしたい。これが会社がもっと大きくなり、株式公開したりすると、「粉飾決算しても儲かってるフリして株価をつりあげよう」とどっかの誰かのような発想になる。みんながみんなそうではない(と思う)が。で、Mizumizuのような、連れ合いと外部のフリーランスの仕事仲間とで、ごく小規模にやってる会社の場合は、(2)のような発想になる。仕事は相変わらず忙しい。合間にパソコンに向って「弥生会計」で決算書類の準備をする(会計のコなんか雇える余裕もないし、そもそもそれほどの規模じゃないのだ)。決算月の2-3ヶ月前から、「赤字になるのか黒字になるのか」予想するために、売上と経費をパチパチ入力して、その場でバランスシートをチェックする。今期はどうやら、黒字になりそうだ。黒字だと法人税を払わないといけない。赤字でも「均等割り」とかいう税金がかかってくるが、まあそれは会社ですもの、仕方ない。黒字決算をしたい会社というのは、上にも書いたように銀行からの融資が必要な会社。ウチは融資が必要ない文筆業の人間が作った会社。だから、勢い発想は…黒字になって法人税払うより、経費で何か備品を買おうという健全(←ホントにけんぜんか?)なものになる。ところが!毎日毎日忙しい。注文は次々入ってくる。モノを買いに行く暇もない。せいぜい気晴らしにブログを書くぐらい。非常に忙しいときなど、ボールペンが全部切れてしまい、困った。100円ショップで数本まとまって売っていたボールペンだったのだが、書きにくいのなんの。もう100円ショップでボールペンを買うのはやめようとかたく心に決めた。で、駅前の文具屋まで行けば、もっと高価(??)なボールペンがいくらでもあるのだが、それを買いにいってるヒマさえなかった。日中は時間単位で納期に追われるから、家から一歩も外に出られないこともしばしば。ようやく夜になって仕事が片付くともう店は閉まっている時間。やっと日中に外に出る時間を見つけ、1本170円の高価な(苦笑)ボールペンが買えたときは、感動しちゃったもんね。か、書きやすい!こんな、ボールペンさえ買いに行く時間がないほど、納期に追われまくって必死こいて働いてる小庶民から、まだ法人税を取るのというのかね!といわれのない怒りに震えるMizumizu。もちろん、会社組織だから、自分の給料にかかる所得税はキッチリ払っている。このままムザムザ法人税を払うより、やっぱり何か大きい備品を買おう!しかし、何買えばいいんだろう?業務に必要な消耗品を経費で買う場合、大きな(ってことはないが)落とし穴がある。それは…30万以上だと一括で経費で落とせないのだ!いわゆるひとつの、減価償却というやつね。何も知らない人のために、ごくごく簡単に説明すると、たとえば50万の「何か」を買ったとする。その「何か」には耐用年数が定められていて、たとえばその耐用年数が5年だとすると、その「何か」を経費として落とせる額は、50万を5年で割ったものになる――というような考え方。実際にはもうちょっと複雑で、すっぱり50万÷5年=10万(1年に落とせる経費)にはならないのだが、まあ考え方としてはそういうことだ。だから、儲かったからと言って高い備品を買っても、1年の経費で落とせる金額は案外少なくなってしまうということ。これが30万より少ない額のものなら、一括で経費で落とせる。このまま黒字になりそうだとわかった決算月の数ヶ月前、いろいろ考えてブルーレイのDVDレコーダーを買うことにした。これなら業務に必要だし、30万以下で買える。で、忙しい合間をぬって量販店に見に行き、ちょうど29万ぐらいのを見つけた。スペックも文句ないので、「よっしゃ、これだな」とアタリをつける。さて、決算月に入った。ちょうど30万弱ぐらいの黒字になりそうなので、29万の消耗品を買えば、まさにピッタリ赤字になる。ふふふ、なんてうまくいってるんだろう。やっぱり日ごろの行いがいいせいかしら。とすっかり悦に入って、同じ量販店にいよいよ買いに行ったら…あ…ちょっと前に見た製品より、さらにスペックのいい新製品が出てる。しかも、22万!ちょっと前より7万も安くなってしまった。その上のグレードになると30万を超えてくるし、そこまでのが欲しいとも思わない。ふつうなら安くなってウレシイはずなのに、Mizumizuのアタマをよぎったのは、が~ん、これだと8万の黒字だ。税金だ(←払えよ、そのくらい)。払いたくない!それで、急遽ブルーレイのDVD買ったり、書籍を買い揃えたり始めるMizumizu。しかし、案外8万に届かないのよね、この手の小さなものって。四苦八苦して業務に必要な小備品やこれまで買わずにいた資料などを買い揃え、弥生をパチパチやって、とうとう数千円の赤字になった!やった!そしていよいよ決算。友人兼顧問税理士のI氏に、こちらで入れた決算データを送り、「赤字が数千円と微妙なので、もし入力ミスなどあって黒字になるようだったら、あらかじめ教えて」とメールを書いた。「わかりました」と優等生の返事。ところが!1ヶ月たっても1ヵ月半たっても、正式な決算が終わったという連絡がない。もしかして、忘れてる?不安になったMizumizuはメールで友人兼顧問税理士のI氏にメール。「決算はまだ? そろそろ法人都民税払う期限じゃない?」すると、その翌日か翌々日に、「遅くなりました。決算終わりました」とデータが送られてきた。やっぱり忘れていて、慌ててやったなぁというのがバレバレな対応。しかも、数千円の赤字だと思っていたら、「最終的に35万の赤字でした」って…ええ~!どうやら、こちらの入力にどこかミスがあったらしい。黒字になってしまうよりは、マシ(ましか?)だが、35万もの赤字とは予想外。なんのために、ブルーレイのレコーダーを買ってしまったのだ?サラリーマンが「会社の経費で」何か落とすと言ったら、使った金額を返してもらえるということだが、自分で会社をやってる人間は、単に使った金額が「経費として計上できる」というだけで、サラリーマンのようにお金が返ってくるわけじゃない、当然だけど。「欲しがりません、黒字になるまでは」のよいコのMizumizu、ガッカリ。別に古いレコーダーでもよかったし、無理して今期に買う必要もなかったのに。もうちょっと待てばもっと安くなっただろうに、ブツブツ。会社の利益の調整とはかように、うまくいかないというお話でした。ちゃんちゃん。
2009.01.04
日本経済は全治3年、景気の回復を待って消費税アップを国民にお願いしたい。率は10%が適当ではないか――麻生総理の発言だが、いよいよ上げるのか、という気分で聞いた。前々から財務省は上げたくでウズウズしていたわけだし、国の財政が非常に悪いのはわかっている。高齢化社会を迎えて負担増はやむなし、とまあ、国の主張は一応筋は通っている。消費税を上げるべきか否かについては、いろいろな意見があるし、短絡的にどうこう結論付けるつもりはないのだが、この税金について、あくまで零細企業経営者として思うところをちょっとばかり書いてみたい。専門的な話ではない。ちょっとした「実感」を交えた経験談といったところだ。Mizumizuが起業したのが、2004年。それまでは「青色申告」の個人事業主だった。個人事業主をやめようと思った理由の1つが、「1000万円以上の売上のある個人事業主にも消費税がかかる」ことになったためだ(それまでは下限が3000万以上で、そこまでの売上がない身には関係なかったのだ)。この税制改正をMizumizuは申告のときまで知らなかった。いや、話は聞いていたのだが、まったくもって無知なことに、「自分は直接のクライアント(当時はエージェントだった)に消費税5%を請求していない。もらってないんだから、払わなくていいんでしょ」と勝手に思い込んだのだ。ところがそうは問屋がおろさなかった。青色申告を手伝ってくれる申告会というのがあるのだが、そこに相談に言ったら、「5%上乗せして請求してるかどうかなんていうのは、あくまでお宅とお客の間の話。売上が1000万以上あるなら、消費税は払わないといけない」と来た。「え~、だって、もらってないんですよ。去年まで払ってない消費税を払うとなったら、負担増じゃないですか。売上が1000万あるたって、全部が自分の所得じゃない。フリーランスの人に仕事を頼んでるし、言ってみれば、その人に払う分をこちらがいったん受け取ってるだけなんですよ」と抵抗したが、「それがぁ?」という顔をされるばかり。先方からすれば、1000万円以上の売上のある個人事業主は消費税がかかるという、シンプルでわかりきった税制改正に、手前勝手な理屈で意固地に抵抗してるMizumizuが世間知らずに思えただろう。「来年からはエージェントさんに請求したらいいんですよ」で終わり。エージェントを通していたとはいっても、それはあくまでおカネの流れがそうだっただけで、Mizumizuは基本的に、クライアントと直接仕事をしていた。つまりクライアントから見ればMizumizu=エージェントだったということ。ただ、請求だけは会社をもっていないMizumizuからではなく、仕事上の知人のつくった株式会社を通して出していた。当然その株式会社をもっていた知人にもコミッションのようなものをMizumizu担当の仕事の売上から払っていた。消費税がかかるのでは、知人の会社を通す意味はほとんどなかった。そもそもそういう形態をとっていることで、こちらの取り分が減ってしまっていたのだし。おまけに知人は、会社の名前だけを貸して「ボクは社長だよ」と言ってるだけの役立たずで、こちらの仕事を手伝うわけでもなく、しかも非常にガメつい性格だった。たとえこちらがどんなに忙しく働いていようと、「何か手伝うことある?」などとは思いもせず(なにせ、社長サンだし、手伝って自分の取り分のお金が増えるわけでもないと合理的に考えてるってワケ)、自分は昼間からテニスに行って平気なヒト。もう潮時だと思い、自分で株式会社を立ち上げた。起業までのいきさつはこんなところなのだが、会社を設立した当初は、5%別にかける消費税はそのまま税務署に行くのだと思っていた。つまり、いったん5%の消費税をお客さんからお預かりして、まんま税金として納めるのだと。ところが、税理士によればそうではないという。経費に使った分で払った消費税を引いた残りを納めればいいそうな。どういう理屈そうなるのか、どう計算するのかは、専門的な話になってよくわからないのだが、とにかく、聞いたところでは、それはそれなりに筋が通った話だった。それと消費税の計算は結構複雑で、税理士にまかせないと無理そうだな、というのもはっきりした。それで、個人事業に毛が生えただけの零細企業であるにもかかわらず、税理士を頼むことに。会社なので、そうした経費に加え、たとえ赤字でも「均等割り」とかいう法人税がかかってくる。また、個人の収入は今度は給料扱いだから、個人の所得税も別にかかる。個人事業主時代にはない負担だが、なんといってもゴーツクでボンクラの知人と縁が切れたのが嬉しかった。会社勤めのサラリーマンが一番大変なのは、実は社内の人間関係だったりするが、Mizumizuとしても、ウマの合わない人間と仕事するのは大変な苦痛だった。仕事相手は一緒に働いてみないとわからない。会社の名前を借りられるということで、自分で会社を作るリスクもないなどと簡単に考えていた自分が馬鹿だったと、彼の仕事の能力と性格を知ってから後悔したのだが、あんまりすぐに会社が変わるのも、クライアントへの印象が悪くなると思ってかなり我慢してきたのだ。クライアントとはずっと同じ形態で仕事をしていて、すべてお付き合いの長いお客さんばかりなので、自分で起業したからといっても会社の名前が変わった程度で、向こうからすれば特に何も変わりはない。以前からの仕事は以前どおり順調に来て、会社はちゃんと回り出した。「弥生会計」を覚える必要があったが、これも税理士の助けもあり、難なく覚えられた。で、消費税のことだが、感覚としては「お客さんからもらっている5%分の消費税に比べて、税務署に払ってる消費税の額は案外少ないな」という気がするのだ。あくまで「感覚として」なのだが…… 具体的な数字は忘れてしまっているが、たとえて言えば、消費税として100万もらっているのに、払っているのは50万ぐらい、というような感覚だ。じゃ、その差額の50万はどこに行ってるのだろう? もちろん経費として払った分を取り戻してる、というような意味合いに考えれば、最終的には税務署に行ってるはずなのだが、どうもこの差額部分が、「こちらに残ってる」あるいは「払っていない」という気がするのだ。だって、そうじゃありませんか? サラリーマンが何かを買う場合、たとえばスーツなんかならほとんど仕事上の経費といっていいと思う。だが、その分は別に自分が払った消費税が戻ってくるわけでも、給料を多く請求できるわけでもない。5%から10%に消費税が上がるとしたら、給料は別に連動してないから、サラリーマンにとっては、そのまま負担増だ。だけど会社の場合は? 消費税が倍になって、100万だった年間のお客からもらう消費税額が200万になったとしよう。経費にかかる消費税は50万から100万に倍増。そうすると引き算は? 5%のときは50万だった。それが10%になると、「もらっておいて払わない――理論上は「払わない」わけではないのだが、こちらの感覚として――消費税」が100万に倍増する。どーも、「会社に残るお金が増える」気がするのだ。わかりますか?さらにもっと。消費税はお客さんからもらったあと、しばらく銀行にプールされることになる。消費税を納めるのはもらった後、まとめてなので、その分は会社の銀行口座に入り、当然ながら金利がつく。ウチのようなたいした売上のない会社の消費税分の金額につく金利なんて知れてるが、これがトヨタみたいな大企業になったら? はっきりいって膨大だと思うよ。お客からもらって銀行口座に入り、税務署に向かってに出て行く前に、税金といってもらったおカネに金利がつくのだ。大きい会社になればなるほどそれは大きくなる。ウハウハだろう。だから、トヨタの経営トップなんかが重要なポストを占める財界からは、消費税アップを求める声がやまないのではないかと邪推してる。ふつうに考えたら、トヨタみたいに、庶民相手に車を売ってる会社は、消費税が上がると車が売れなくなって損なハズだ。だが、おそらく消費税アップで見込める、表に出ない収入アップのうまみが蜜の味なんだろう。消費税が上がって車が売れなくなったら、現場の下々の営業マンのオシリを叩けばいい。上でも書いたが、こういうお得感は個人のサラリーマンには皆無。収入の低いフリーターにも、まさしく負担増以外の何ものでもない。じゃ、誰もかれも会社にすればいいかというと、そういうわけでもない。朝日新聞が、「税金を回避する方法」としての起業を上げていたけど、実に表面的で一方的――特に「経費扱い」に関して、起業した人の理屈だけを鵜呑みにして書いていて、税務署側の所見は取材していないのがまずい。経費に対する解釈はそれほど単純ではなく、規模な小さい会社なら単にお目こぼしにあう場合が多いだけであって、税務のプロがその気になって調べればいくらでもイチャモンつけられる。何年も経ったあとから追徴課税されるケースだってあるのだ――な記事だった。会社を作るのは、確かに簡単だ。司法書士を使わなければとても安くあがる。Mizumizuも一切を自分でやったので、安くあがった。だが、会社を維持していくのはそれなりに大変なことなのだ。5年たつとほとんどの会社――軽く半数以上――がつぶれているという現実がそれを表している。そして、消費税は大きな会社にとってはうまみが多く、収入の低い個人になればなるほど、負担が大きくなる税金だというのは間違いない。誰もが同じ額を負担するから公平な税なんてのは、嘘っぱちの屁理屈。ヨーロッパの消費税ともいえる、付加価値税は日常的な食品になんかつかない。低所得者にちゃんと配慮している。ところが、日本の場合は、えらい複雑な計算で会社の払う消費税を決めてるぐらいアタマのいい人たちが作った税なのに、「食品といっても、たとえばマクドナルドなどを非課税にするか課税にするか、判断が難しくなる。レストラン扱いで課税にしてしまうと、スーパーの食料品売り場のハンバーガーとの整合性をどうするかとう問題になる」なんて理屈をつけて、食品だろうと贅沢品だろうと、わけ隔てなく同じ率をかけている。けど、考えてみれば、単に基準を決めればいいことで、食品非課税なんて簡単にできるはずだ。消費税が導入されたとき、「消費税を廃止します!」と声高に叫んでマドンナと称するオバサンたちがいっぱい当選したが、アノ人たちは今いったい何やってるんだろうね。「廃止できるわけないよ」と横目で見ていたが案の定だった。結局いったん決まってしまえば、長いものに巻かれてしまう「よき市民」なのだ、日本人は。そして、庶民は貧乏でも、多くを望まず明るく楽しくお暮らしなさい、というのがお上のお達し。もちろん、おカネがあれば楽しい人生というわけでもないし、貧乏でも明るく生きてる人はいっぱいいる。ただ、消費税が貧乏人をますます貧乏にする税金であることは、確か。
2008.10.31
名優緒方拳がなくなって10日あまり。遺作となったTVドラマも好評だと聞く。亡くなるまでの経過を聞くと、この作品の完成と同時に力尽きてしまった感があるだけに、高視聴率という結果に結びついたのはよかった。緒方拳は個人的に特に好きということはなかったが、素晴らしい役者さんだったことは確か。一番印象に残っているのは、『復讐するは我にあり』(今村昌平監督)の壮絶な演技。この映画も好きか嫌いかと言われれば、好きとは答えられないが、感銘を受けるにせよ、吐き気をもよおすにせよ、無関心ではいられない傑作であることに疑問の余地はない。緒方拳の追悼番組が放映されているが、ただ1つ、彼の代表作であるにもかかわらず、日本で公開されていない映画がある。1985年制作の『MISHIMA: A Life in Four Chapters』(ポール・シュレイダー監督)がそれ。緒方拳死去にともない、三島の遺族が意見を変え、日本公開が決まらないものかとチラと思ったが、当然そんな話にはならなかった。コッポラ&ルーカスのプロデュース、カンヌ映画祭ではパルム・ドールにノミネートされ、最終的には芸術貢献賞を受賞している。この作品で三島由紀夫を演じたのが緒方拳。他にも永島敏行、佐藤浩市、沢田研二、板東八十助などビッグネームがずらり。ところが、「例によって」三島の遺族の抗議によって日本公開が阻まれてしまった。「例によって」というのは、三島の未亡人の平岡瑤子氏(彼女が亡くなったあとは子供たちがその意思を引き継いでいる)による数々の三島関連書籍の出版差し止め請求は有名だからだ。映画『MISHIMA』に対する抗議とおそらくは同じ動機でなされたのが、三島作品の英訳を手がけたジョン・ネイスンの「三島由紀夫―ある評伝」の日本語版への抗議。ネイスンはこの中で三島は同性愛者であり、家庭生活では夫や父の役割を「演じているだけ」だったと書いた。すると瑤子夫人が出版社に猛抗議し、同書は回収された。再出版されたのは瑤子夫人の没後。映画『MISHIMA』で描かれた三島像は、このネイスンの評伝にもとづくと思われる部分がある。それが遺族には気に入らないということだ。そのほかにも共通性があると思うのは、1998年に三島の遺児が三島の愛人だった福島次郎と文藝春秋社に対して起こした『三島由紀夫――剣と寒紅』出版差し止め請求。この作品は福島が三島との行為も含めて非常に赤裸々に2人の関係を綴ったもの。同時に平岡(三島)家の決して褒められたものではない内情もあからさまになってしまった。『剣と寒紅』に対して三島の遺児が起こした裁判は、表向き(?)は三島の書簡を福島が勝手に公開したことによる著作権侵害だが、実はそれよりも、三島の死後の彼の実母に対する遺族のぞんざいな扱いなど、表ざたにされたくない話が暴露されてしまったことが大きな動機ではないかと思う。『剣と寒紅』裁判は最終的には福島側が敗訴するのだが、すでに出版された書籍をあちこちの図書館が収蔵してしまったから、一般人でも読むことは可能。杉並区の図書館にもちゃんとある(えらいぞ!)。そもそも三島由紀夫自身も生前は自作でプライバシー侵害で訴えられている。おまけにあのチョー人騒がせな死に方。そのくせ遺族の名誉意識、権利意識はほとんど選民思想に近い。三島由紀夫ほどの存在となれば、さまざまな研究がなされてしかるべきだし、そのためには、多少(いや相当)大きなお世話のお下劣な暴露話な話が含まれているとはいえ、福島次郎のような人の証言は貴重なのだ。個人的には『剣と寒紅』は三島の子供っぽさや身勝手さや滑稽さや俗人ぶりを書くことで、福島次郎自身の志の低さと劣等感のあまりの強さが暴露されていると思うし、感想としては、そもそもキミたち、別にお互いに愛し合ってもいないのに、なんで付き合ったわけ?といったところ。簡単に言えば、三島が福島を書生にしたのは、自分のファンである田舎の文学青年のカラダが好みのガッシリ体形だったから。福島が三島と肉体関係をもったのは、三島のネームバリューで自分も大手出版社に紹介してもらいたいという打算があったから。三島は福島の文学に興味などなかったし、正真正銘の(?)ゲイである福島のほうは三島の貧弱なカラダにどうしても「燃え」なかった(それは三島がボディビルで肉体を改造したあとも同様で、要するにタイプじゃなかったのだ)。肉体的には生まれながらに「勝ってる」福島は、三島のカラダを徹頭徹尾バカにしている。もし、ほんの一瞬でも三島に対して本当の愛を感じたことがあったのなら、決して書かないだろうような表現を使って。『剣と寒紅』についてはその程度の感想しかないのだが、それでも三島の遺族がこの本を世の中から消そうと画策したことには、憤りを感じる。そして、日本人が日本語で演じた映画『MISHIMA』を、日本人が観賞する機会を奪われたことにも同様の感情をもたざるをえない。『MISHIMA』が面白いとかつまらないとか言う前に、それを論じる機会さえなくなってしまったのだから。実在の人物をモデルにした映画は、ほとんど家族には気に入らない。『サウンド・オブ・ミージック』でさえ、マリア未亡人は、映画に描かれた夫が実像と違いすぎると抗議した。だが、彼女は映画の権利をすでに売ってしまっていたので、どうにもできなかったのだ。現実とはかけ離れていたかもしれないが、映画としての『サウンド・オブ・ミージック』が大変な傑作で、時を超え、空間を超えて、今でも多くの人々に感動を勇気を与えているのは事実だし、それはマリア夫人の想像を超えた結果だった。作品というのはそういうものなのだ。残すべきか消すべきか、決めるのは本人でも、ましてやその家族でもない、世の人々なのだ。自分たちのもっている権利を最大限振り回し、自分たちが気に入らない作品の流通を妨げる。それで三島の名誉を守っているつもりなのだろうか。逆だと思う。そんなことをすればするほど三島の価値は下がるばかり。本当に、最低の家族だ。
2008.10.16
10月11日はジャン・コクトーの命日。エディット・ピアフの公式の命日でもある(実際には、ピアフが亡くなったのは10月10日)。土曜日で休日だったので、昼間から『エディット・ピアフ シャンソンの誕生』というDVDを見ていた。ピアフが亡くなった4年後の1967年に制作された追悼番組で、俳優のジャン・マレーもピアフの生前の友人としてインタビューに応じ、ピアフとコクトーの関係についても詳しく話していた。夜8時からNHKのアメリカの金融危機についての番組を見た。要するに、普通のよくある休日だった。そのあとのNHKのニュースを見て、驚愕することになる。三浦和義元社長、ロスで自殺ニュースの冒頭では、「自殺を図った」と言っていたので、最初は死んだのか未遂だったのかわからなかった。最後のほうで、「死亡が確認された」とアナウンサーが言うのを聞いた。彼について個人的には何も知らないし、神様ではないので、事件の真相など知るよしもないが、ごくごく直感的なセンサー、本能のようなもので、「うさんくさい人間」だとずっと思ってきた。こういう、ごく平凡な市井の人間としてのMizumizuのカンはわりあいよく当たる。近づきたくない人間、友達になってはいけない人間――そうした人間を避けることで、自分は人生を踏み外さずに来れたと思っている。偏見と言われればそれまでだが、三浦という男には常に強烈な負のオーラがつきまとっていた。そういう人が何をどう偉そうに言おうが、いかにそれを支援するグループ――というよりも、Mizumizuから見れば、こういう人に群がって発言をし、それで商売する人たちだ――が声高に人権や正義を主張しようが、やってることを見れば到底シンパシーはもてない。このうさんくさい人は、少年時代はヒーローになりたくて放火をした。ロス疑惑で無罪となったあとは、万引きを繰り返した。今回の共謀罪での逮捕は、アメリカが日本の司法制度を「後進的で信頼に足らないもの」と苦々しく、というより馬鹿にして見ていたことの表われのようでもあった。ロスで疑惑をもたれたのは日本人、彼をクロだと確信して追及したのは日系人。日系3世のジミー佐古田(Jimmy Sakoda)という警察官には、日本に住む日本人がかつては強烈にもっていたものの、経済的に豊かになるにつれて徐々にないがしろにした「悪を憎む正義感」があると感じた。戦争で敵国になった国から来た外国人の子孫が周囲から信頼を得るためには、曲がったものに染まらない強烈な正義感、社会秩序に対する確固たる忠誠心が必要なのだろうと思う。決して多数派ではないアメリカの日系人の多くが現在、高い社会的地位を得て活躍しているのは、勤勉さ、実直さ、地道な努力、高い倫理観といった日本人の美徳を親から叩き込まれたからだろう。翻って日本に住む日本人はそれを忘れ、やれ人権だ、個人の自由だと、擁護する必要もない人間まで擁護し、罪を憎む潔癖さを時代遅れの迷信か何かだと思っている。「人が犯罪を犯すのは、周囲のせい。社会に問題があるからだ」「犯罪者にも尊重すべき人権がある(でも被害者やその家族はないがしろ)」「先進国では死刑制度は廃止の流れ」などと叫べば先進的なのだ。最後まで芝居がかった三浦和義自殺の報道に接して思ったのは、「天網恢恢疎にして漏らさず」という故事成語だ。それがなされたのが日本でなくアメリカであったことに、歯がゆさも残る一方、そのアメリカで、執念で三浦を追い詰めたのが日系人だということに、神の摂理のようなものも感じる。多少物語的な脚色をするならば、この事件は佐古田という男と三浦という男の死闘だったのだ。聞けば今回の逮捕も、三浦のブログを監視していた佐古田氏から当局へ情報提供があったからだという。もしロス市警にジミー佐古田という1人の日系人警官がいなければ、この事件はとっくに迷宮入りだった。3世ともなれば、日本語ができない日系人も多い。だが、佐古田氏は日本語が堪能だった。これぞ神の摂理でなくて、なんだろう。結局、もう三浦和義がアメリカの刑務所から出てくる可能性はなかった。それを思い知った時点で彼は逃げたのだ。自殺となれば当局の管理体制を批判する声が必ず出る。それも狙いだったのだろう。嘘と虚飾で塗り固めた、派手だけれど空虚な人生を送ってきた男が、悪運が尽きたときに選びそうな実に姑息な、自己顕示欲にまみれた幕切れだ。アメリカでの死亡日は10月10日。日本時間では10月11日。人の大好きなピアフとコクトーと同じ日に自殺なんかすんなよ――せいぜい、言ってやるとすれば、そんなところ。
2008.10.11
2008.4.22 日暮里のびぶらアート劇場でバリトン歌手青戸知(あおと・さとる)の独演コンサートに行った。わずか100席の小さなコンサートだが、質的には世界最高峰だったと言っていいかもしれない。青戸知の美声に驚いたのは、先日もエントリーにのせた2002年の新国立劇場での『サロメ』だった。ちょうどチューリッヒ歌劇場で『トスカ』聴いたあとで、オケの実力差はまざまざと感じざるをえなかったのだが、歌手に関して言えば、チューリッヒではルッジェーロ・ライモンディだけが突出していて、他はどうということはなく、新国立劇場の歌手の実力は決してチューリッヒにひけをとるものではなかった。中でも青戸演じるヨハナーンは、「ヨハナーンがこんなにリリカルで若々しく、健康的でいいのかい?」と戸惑うくらい、つまりちょっと違和感あるくらい、暗さのない伸びやかな美声を響かせていた。役に合っているいないかは評価が分かれるところだろうが、個人的にはたいそう気に入ってしまった。ヨハナーンの定番イメージをくつがえすに足る声、それもとびきりに美しい声だった。それからしばらくたって、偶然NHKの『名曲アルバム』で、信じられないくらい甘美で若々しく、希望にさえ満ちているような"Gute Nacht"が流れてくるのが耳に入った。Gute Nachtは言わずと知れたシューベルトの『冬の旅』の一曲。女性に振られた男性が彼女の住む家のドアの前でひそかに別れを告げて去っていく歌だ。こんな声の持ち主は、あのヨハナーンしかないのではないか。そう思ってみたら、案の定だった。NHKの人材を見る眼には感服する。誰が選んでるんだろう。マーラーで知られる青戸に、シューベルトのこの"Gute Nacht"を歌わせるなんて、あまりにツボでびっくりしてしまった。おそらく『冬の旅』の中でもっとも青戸に合っているのが"Gute Nacht"だろう。しかもそのおかげで、青戸版『冬の旅』全曲も聴いてみたくなってしまった!シューベルトの『冬の旅』は、日本では『菩提樹』の格調高く重々しい名訳のイメージがあまりに強く、ジジイが自分の人生を振り返ってる歌だと誤解されている。まったく違うのだ。『冬の旅』はマイスターを目指す若者のさすらいの旅の歌であり、精神的には挫折感と絶望感に悩みながらも、肉体的には死に拒否されている生命力が裏にある。日本ではジジイの曲になってしまった『菩提樹』も、早いところ木々のささやく「安らぎ(つまりはラクな人生)」に背を向けて、風に向かって進もうとする若者の意思的な歌に戻して欲しい。"Gute Nacht"も沈鬱な歌唱、もしくは繊細な歌唱が多いが、青戸の歌唱はまったく異色だった。彼の声には希望と意思の力がある。声の張りと伸びやかさが、従来の失恋の歌のイメージをくつがえす。バリトン歌手としては珍しい明るさ、それが青戸の天性の魅力なのだ。この天性の明るさをもった声で、屈折したキャラクターを演じると、そこに不思議な齟齬が生まれる。評価しない人もいるとは思う。だが、陰りのある性格を極限まで陰に演じることだけが、オペラの役づくりではない気がする。青戸の声のもつ純粋さが、屈折した、あるいは倒錯した役に、他の歌手では出せない奇妙な味を与えているように思うのだ。今回のコンサートで歌ったフィリップ・グラスのアリアもそんな系譜に位置づけられる歌唱だと思った。つまり、普通の人が屈折だとか倒錯だとか思う性格も、本人にとっては生来であり、その意味では純粋なのかもしれない。常軌を逸した理屈を切々と訴えるPlease listen to me。これを聴くと、悪魔も善い行いができないという意味で、純粋な性格なのかもしれない、そんな解釈があってもいいのではないかと思った。狂気の世界、倒錯した世界を青戸のひたすら明るく伸びやかな声で押しすすめたら、ぞっとするような新境地が拓かれるかもしれない。今回のコンサートにはプレトークがあり、それがとても興味深かった。当初、青戸はグラスのこのアリアがなかなか歌えなかったという。まるで氷の上をすべっていくように、リズムが自分から離れていってしまう。そんな試行錯誤のなかで、青戸はグラスの旋律がどこかで自分が体験してきた音楽に似ているということに気づく。それは得意のマーラーの「大地の歌」だった。そこで「大地の歌」を先に練習し、それからグラスの歌曲に入ったところ、自然に歌えるようになったという。さらに、グラスについてのドキュメンタリーを見て、グラスが独学で作曲を学んでいたとき、マーラーのシンフォニーをひたすら写譜していたことを知ったという。「大地の歌」は中国の漢詩をもとにしているが、グラスも東洋に興味があり、インド音楽、特にシタールの音色を自らの音楽に取り入れている。グラスとマーラーはそんなふうにつながっていたのだ。ちょうどヴィスコンティとコクトーのつながりについてブログで書いているところので、奇妙な符合にちょっと慄然となった。今回のコンサートでは、そんなグラスのアリアを歌ったあと、青戸の真骨頂であるグスタフ・マーラーの『さすらう若人の歌』が来た。「他に比肩するものがない」と絶賛されているというだけあって圧倒的に素晴らしい。今回のコンサートで一番感動したのは、「燃えるような短剣を持って」のひたすら男性的な歌唱。う~、もう一度聴きたい!! いや、何度でも聴きたい!!!しかし、こんなに凄い歌手のCDが一枚もないとは…… ホームページもないのでコンサート情報や出演オペラを調べるのにえらく苦労する。一般人はなぜかテノールばかりに夢中になる。CDにしろ、コンサートにしろ、オペラの「歌手」として人気があるのはテノールばかり。本当のオペラの屋台骨はバリトン歌手なのに。青戸の現在の魅力は、バリトンの大御所のような重々しさではなく、若さと明るさにあると思う。ライモンディのような悪魔的な魅力でもなく、クルト・モルのような深遠なる重厚さでもないが、デビュー10年の今の青戸知にしかないエネルギッシュな魅力。こうした個性は年齢とともに変わっていく。他の魅力が加わるにせよ、今の青戸の「常に希望と若々しい意思を感じさせる」歌唱は失われるかもしれない。だがら、ぜひとも今の青戸の歌唱をCDで残してほしいと思う。青戸は今回、マーラーの音楽についても解説してくれた。あまりにおもしろいので、勝手に(苦笑)簡単にご紹介。マーラーの音楽の特徴の1つに、「やわらかいリズム」があると青戸はいう。なぜマーラーを聴いて「やわらかい」印象を受けるのか? それはマーラーの音楽には、大きく分けて3つの「仕掛け」があるからだ。(1)アルペジオ(2)フェルマータ(特に小節と小節の間の)(3)トリルアルペジオは、擬音であらわすと「バーン」という音を、「ジャララララーン」と変化させる。フェルマータは音楽の流れに一瞬の「間」を生じさせる。トリルはすっきりした旋律を、いわば「ぐじゃぐじゃ」に変形させる。この3つの「仕掛け」がマーラーの音楽には綺羅星のごとく使われており、それらの効果でマーラーのリズムは「やわらかく」聴こえるのだという。そしておそらく(ここからはMizumizu理論)、青戸知という東洋に生まれたバリトン歌手の声のもつ伸びやかさとマーラーのリズムのもつやわらかさが、時を超えてピッタリと寄り添い、さすらう若人の歌=青戸知という幸福なコラボレーションになったのだろう。今回歌った『亡き子をしのぶ歌』については、青戸はずっと歌うのを避けていたという。これはマーラーが娘をなくしたときに作った曲で、2人の子供をもつ父親である自分にとっては、ある意味「縁起が悪い」からだ。だが、そんなジンクスめいたことにこだわるのは芸術家の姿勢とはしては好ましくないのではないかと思うようになり、いわば封印をといたのだという。個人的にはこの歌唱は、将来の青戸知にとっておいてもいいかな、という気がした。もちろん、悪い意味ではない。青戸の今の一番の魅力は、悲劇があってもそれを寄せ付けないような、みずみずしい生命力にあると思うからだ。こうした個性をもったバリトン歌手は、世界広しといえども、ほとんどお目にかかったことはない。東京が世界有数のオペラ消費都市であることは間違いないにしても、青戸知のような歌手が日本にだけ留まっているのは、世界のオペラファンのためにももったいないことのように思えてならない。マーラー研究の話はとてもおもしろかったが、やはり歌手は、青戸自身も舞台で言っていたように、「歌ってナンボ」なのだ。美しい声質は天からの贈り物だが、テクニックはもっと向上させることができるはず。それは地上での作業だ。ぜひ、ザルツブルクでも、バイロイトでも歌ってほしい。その日が来たら…… もちろん追っかけますとも! もちろん、パリ、ウィーン、チューリッヒ、ミラノ、パレルモ、どこでもOKだけれど。XXXXXコンサートの楽曲は以下のとおりXXXXグスタフ・マーラー 《亡き子をしのぶ歌》 1 今太陽は輝き昇る 2 今にして良くわかる、なぜそんなに暗いまなざしか 3 おまえのお母さんが 4 よく思う、あの子たちは、ちょっと出かけているのだと 5 こんな嵐の日にはフィリップ・グラスオペラ「流刑地にて」からアリア Please listen to meグスタフ・マーラー《さすらう若人の歌》1 恋人の婚礼の日に2 朝の野辺を歩けば3 燃えるような短剣を持って4 二つの青いひとみ アンコールシューベルト An die Musik
2008.04.23
無知に技巧だけの衣装を着せたコラムを読むとむなしくなるが、一方で日本はやはり優れて文化的な国だと思うこともある。N響のホームページで先ごろ発表された「最も心に残ったN響コンサート&ソリスト2007」。これで一位になったのが、ネルロ・サンティが振った「プッチーニ/歌劇「ボエーム」(演奏会形式)」だったのだ。こうした演奏会形式のオペラには客寄せに有名歌手をもってくるのが普通なのだが、今回の歌手にそうしたビッグネームはない。それでも聴衆が一位に選んだということは、サンティの指揮とN響の演奏がいかに素晴らしかったかということだ。実はこのコンサートには行っていない。あまりに仕事のスケジュールがきつく、とてもコンサートどころではなかったからだ。2007年のN響+サンティのコンサートで足を運んだのは、NHK音楽祭「華麗なるオペラ・バレエ音楽」の世界の最終夜。このときのサンティの斬新な「ダッタン人の踊り」については11月27日のエントリーで述べた。あれ以来、サンティの見せてくれた、若い踊り子が跳ねる踊りの虜になってしまった。ふつうのゆったりとした「妖艶な」踊りでは満足できない。「見せてくれた」と書いたのはサンティの音楽が極めて視覚的・絵画的であるからだ。あの驚異的な「ダッタン人の踊り」を聴いたとき、Mizumizuは確かに、足首に鈴をつけて踊る若い踊りの姿を見ていた。衣装のデザインや色さえイメージしていたかもしれない。あるいは顔の表情も。サンティはなぜスコアを見ないのだろう? もちろん暗譜しているからだ。だが、それだけではない。サンティはおそらく、指揮をしながら音楽だけではない、何か別のものを見ている。視線の先にあるのは、直接的には彼の弟子たる奏者だろう。サンティは指揮者であると同時によき指導者でもある。奏者や歌手と対立する指揮者も多いが、サンティの場合はほぼ例外なく、彼らに慕われ、尊敬される。だが、それだけでは聴衆は感動しない。おそらくサンティは指揮をしながら、音楽に人生を見ている。あるいは風景を。ある情景を。それに観衆は魅せられ、サンティの虜になるのだ。たとえば、同じN響で「モルダウ」を聴いたときは、ちょうどチェコから帰ってきたところで、現実に見てきたブルタヴァ(モルダウ)川の情景がまざまざと蘇ってきた。それだけではない。川が生まれるときの水の最初の一滴を、現実にはありえない情景を、見ているような気分になった。これほど豊かな視覚的空想の世界に誘ってくれる指揮者はそうはいるものではない。これはリッカルド・ムーティの作る音楽とは対極にあるかもしれない。ザルツブルク音楽祭でムーティ+ウィーンフィルのオペラ「魔笛」を聴いたが、あれはおそらく、完璧というものがこの世にあるとするならば、もっともそれに近い音楽だった。ムーティはスコアに完璧な世界を見ている。人の世ではありえない、音楽でしか作り上げることのできない完璧な世界。だからムーティはスコアを凝視する。だからムーティの音楽は厳しい。ときに聴いていて息苦しくなるほど。2007年のサンティ+N響の「ボエーム」が素晴らしかったことは想像に難くない。それはMizumizuが2002年4月チューリッヒ劇場で、サンティの「トスカ」を見て衝撃を受けたからだ。そのときはサンティのことはよく知らず、歌手のルッジェーロ・ライモンディが目当てだった。ライモンディはむろん素晴らしかったが、何といってもサンティの棒にひれ伏してしまった。チューリッヒ劇場のオケの実力も想像以上だった。東京に戻ってきて、すぐに新国立劇場にオペラ(「サロメ」だった)を観に行き、オケのレベルの低さに愕然となった。日本のオペラ事情でどうしても見劣りするのがオケの実力だ。それは残念ながら今でも変わらない。そして、「サロメ」が終わったあと、オペラファンの仲間に、「チューリッヒで観たサンティが素晴らしくって~!」とアツく語ろうとした。ところが、誰もサンティを知らなかった! 関西からわざわざ泊りがけでオペラを見に来るようなオペラオタクも、だ。しらっ~とした周囲の視線で、チューリッヒでのサンティ経験談義は不発に終わった(苦笑)。あれから5年以上たった。幸いなことにN響が頻繁にサンティとコンサートを行い、ついには演奏会形式のオペラをやってくれたことで、日本のオペラファンの間にもサンティの名が浸透してきた。もはや彼の話題でオペラファンが全員「しらっ~」とすることはあるまい。彼の振ったオペラが2007年の最も心に残ったN響コンサートのトップに選ばれたのを見て、「日本の聴衆は本当にわかっているし、信頼できる」と思った。これはむろんサンティの実力でもあるが、日本の一般聴衆がよく音楽を知っているということの証明でもあると思う。あとはサンティ指揮の全幕オペラだ! 演奏会形式ではない本当のオペラ。衣装と舞台美術、そして演出がなければオペラという芸術は完成しない。そして、できればプッチーニではなくヴェルディで(←これは完全に個人的な趣味・笑)。オケはN響。他には考えられない。チューリッヒ劇場レベルのオペラが東京で観られる日を、心から楽しみにしている。
2008.04.15
2008年4月11日付朝日新聞の天声人語の記事は、これを書いた記者がいかにパバロッティに興味がなく、オペラに無知かということをさらけ出している。オペラファンなら一笑に付して終わりだろうが、一般の人は間に受けてしまうかもしれない。だから、そこそこオペラを見ている人間の「ふつー」の感想を、書いておくのも意味のないことではないと思う。XXXX以下、天声人語XXXX「私は勝つ。勝利(しょうり)する」と歌い上げる(うたいあげる)くだり(件)は、突き抜ける(つきぬける)ような驚異(きょうい)的な往年の声の張りを思わせるものがあった――。06年2月10日、トリノ冬季五輪の開会式。ルチアーノ・パバロッティの熱唱(ねっしょう)を伝える小欄である。ただし〈テレビで見る限り〉として▼寒空(さむぞら)の下に流れたアリア「誰も寝てはならぬ」は、13日後、荒川静香さんに金メダルの滑りをさせた曲でもある。あの夜の名テノールが「口パク」だったと聞いて、しばらく本当に寝られないファンもいよう▼当時のオーケストラの指揮者が、近著で「歌も演奏も録音だった」と打ち明け(うちあけ)た。映像を確かめてみた。歌い手は左手に白いハンカチを握りしめ(にぎりしめ)、太い眉(まゆ)を八の字にし、口を大きく丸く開けている。ただならぬ存在感だ。弦楽(げんがく)の奏者たちもしっかり弓(ゆみ)を動かしていた▼「高音の王様」は4カ月後に膵臓(すいぞう)がんと診断され、07年9月に71歳で逝った()。トリノの頃はすでに痛みを覚えていたらしい。当日は体調を考え、数日前に別々に吹き込んだ歌と演奏を会場に流したという▼これが最後の大舞台となった。拍手と歓声に向かって右手で投げたキスは、母国での大役を「無事」に務めた喜びか。いや、歌の神様への感謝、謝罪、そして別れだろうか▼かつて、一度の野外(やがい)公演で何十万人もを酔わせた(よわせた)声楽家にすれば、歌うふりは恥ずべきことかもしれぬ。だが、これで彼の「勝利」が消えるはずもない。大声で弁護はしないが、現にあの夜も、世界中の何億人かが酔った。「それも芸じゃないか」と、口だけ動かしてみる。XXXXXXXX文章はうまいし、よくまとまっている。だが、その内容たるや、情けないぐらい勝手な思い込みに終始している。1)突き抜けるような驚異的な往年の声の張り→パバロッティがとっくに驚異的な高音を失っていたのは、オペラに興味がある人間なら誰でも知っている。トリノでのvincero'もかつてのパバの突き抜けるような艶やさはなかった。そんなことぐらい「テレビをとおして」だってわかるだろう。「往年」の彼の歌唱をおそらくは一度も聞いたことのない人間が、堂々と「往年」などと言う。なんたる欺瞞だろう。もし、この記者がパバの高音の比類なさを知っているなら、ただのイベントにすぎない「野外コンサート」の例など出さないはず。パバが全身全霊をかけ、「その声を出す前は、体中の筋肉が緊張する(パバの弁)」というハイCを響かせて聴衆を驚愕させた伝説のオペラの演目を例に挙げるはず。2)名テノールが「口パク」だったと聞いて、しばらく本当に寝られないファンもいよう→アリアのタイトルに引っ掛けたと思われる変なオヤジギャグだが、「本当の」オペラもしくはパバロッティのファンなら別段驚くことではない。パバロッティが口パクをやったのは、トリノが初めてではない。超高額のコンサートで口パクをやってしまい、叩かれたこともある。これはNEWS WEEKの日本語版でも「どうしちゃったの? ルチアーノ?」という記事で紹介された。これにからめて、「なぜ口パクをしたのですか?」とインタビューを受けているパバの姿も日本のテレビで放映された。パバは微笑みながら、「私が悪いんです。うまくやれると思っていたのですが」と答えていた。あのときは相当な騒ぎになったのだが、朝日新聞の天声人語担当者はまったく知らないようだ。いかにオペラに興味がないかわかるというもの。Mizumizuの個人的な話でいえば、トリノでパバが登場したとき、「また口パク?」と思い、そう口に出した。それがむしろ普通のファンの反応だろう。パバが歌えるとは思えなかったからだ。すでに、パバは何度も「引退コンサート」をやっていて(笑)、ついには「引退という宣言を本当に守れますか?」などと突っ込まれていたからだ。ところが、口パクだろうと思って見たら、口パクには見えなかった(苦笑)。しかも、相当いい感じだ。これには実は驚いたのだ。そして、「ああ、最後までちゃんと歌えてよかった!」などと胸をなでおろしていたのだ(もちろん、内心ちょっとだけ、「やっぱり口パクだったんでは?」という疑惑は残った)。パバにやられたってことだ(笑)。天国のパバヘ:見事に騙されましたよ、お見事!3)数日前に別々に吹き込んだ歌と演奏を会場に流したという実は、この「数日前」というのは相当ひっかかる。演奏はともかく、当時のパバが「数日前」にあそこまできちんと歌えたのだろうか。本当は歌唱の録音はもっと前のものだったのではないか…… と密かに思っている。4)拍手と歓声に向かって右手で投げたキスは、母国での大役を「無事」に務めた喜びか。いや、歌の神様への感謝、謝罪、そして別れだろうか投げキスはいつものパパのしぐさ。コンサートではたいていああやるし、オペラでのカーテンコールでもそう。特別なポーズではない。もちろん、あれが最後の雄姿となったわけだから、見る側が主観でそう信じるのは勝手だが。感傷的に入れ込んだ文章を書く前に、パバのオペラの1つぐらいは見てはどうだろう。5)かつて、一度の野外公演で何十万人もを酔わせた声楽家にすれば、歌うふりは恥ずべきことかもしれぬ。だから初めてじゃないんだってば。本当にパバが恥だと思っていたら、何度も口パクはやらないって。パバにとっては体調不良のままライブで歌って、途中で声が出なくなることのほうが恥だし、聴衆をガッカリさせると思っていた。そうならないという自信はすでに晩年のパバにはなかった。だから口パクをやったのだ。単純な話だ。それに、雑音だらけの環境でマイクを通して大勢に聴かせる野外公演なんて、お祭りみたいなもの。本当の声楽家の勝負は劇場でのオペラなのだ。パバはスカラ座でブーイングをあびて以来、かのオペラの殿堂の舞台には立たなかった。晩年のパバの声の衰えは、それと反比例するようなパバロッティがらみの高額チケットビジネスとあいまって批判の対象にされたのだ。6)「それも芸じゃないか」と、口だけ動かしてみる。 ……いまどき天声人語を真に受けて読む読者もいないかもしれない。だが、影響力のある新聞なのだから、こんな「知ったか」を書く前に、多少オペラに詳しい人間に話を聞くなり、パバのオペラのビデオを1本でもいいから見るなり、パバについて少し知る努力をするべきではないかと思う。イタリアでのオリンピックという歴史的なイベントにおいて、イタリアが生んだ歴史的歌手を登場させること――それがイタリア人にとって、そして世界の人々にとっても、もっとも重要なことだった。その後まもなくパバが亡くなってしまったということを考えると、あの舞台にパバが立ったこと、それが何よりの意義だろう。すでに引退状態のパバに「往年の美声」を期待した人がいたら、それはまったくパバに関心がなく、パバの現状を知らない人だ。東京は相当ハイレベルなオペラ消費都市なのだ。これほど一流の歌手が頻繁にコンサートを行い、一流のオペラハウスが引っ越し公演をやっている街は世界広しといえども、そんなにはない。首都東京の一般聴衆のレベルがこんなに高いのに、国のオピニオンリーダーになるべき新聞記者が、ここまであからさまに無知では情けなくなる。
2008.04.14
<オールドムービーファンの方は明日おいでください。明日は連載に戻ります>2006年9月に新国立劇場で上演されたオペラ「ドン・カルロ」が昨夜、NHKで放映された。このオペラには足を運んだ。舞台演出が非常に斬新で気に入った作品だ。今になってテレビで見ることができるとは嬉しい限り。ありがとう! NHK!!個人的にオペラでもっとも好きなのはモーツァルトの「ドン・ジョバンニ」とこのヴェルディ作品。いずれも妥協できない強烈な「個」をもった登場人物たちが、それぞれが信じるものを互いに譲らず、精神的に激しくぶつかりあうところに醍醐味がある。「ドン・カルロ」は特に、階級や身分、立場といったものから自由になれない者たちの物語。彼らはそれでも自分の自尊心をかけて、己の生き方を貫いていこうとする。それはある意味、とても男性的な葛藤。最近だとNHKの「風林火山」や「風の果て」、アン・リー監督の「ラスト、コーション」もこうした男性の視点が描かれていた。つまり、いずれも政治的な立場が個人の愛や友情にどう介入してくるかということが重い命題になっているということ。「ドン・カルロ」の主な登場人物は5人。フィリッポ2世、その息子の王子ドン・カルロ、ドン・カルロの婚約者だったはずがフィリッポ2世に見初められてその妃となったエリザベッタ、ドン・カルロを慕う美貌のエボリ公女、ドン・カルロに忠誠と友情を誓う臣下のロドリーゴ。フィリッポ2世は16世紀スペイン最盛期の国王。ドン・カルロは父の妻である王妃エリザベッタを愛している。エリザベッタはフランス宮廷からフィリッポ2世のスペインに嫁いできた外国人。彼女もドン・カルロを深く愛しているが、王妃という立場から決してその愛を受け入れることはない。エボリ公女はドン・カルロが自分ではなく、王妃を愛していることを知って逆恨みの復讐に燃える。忠誠心に篤く、ドン・カルロと義兄弟の契りを交わしているロドリーゴは、スペインによるフランドル(今のオランダ、ベルギー)の圧制に心を痛め、次の王であるドン・カルロにフランドルの民を救ってほしいと願っている。そこに当時の社会で国王以上の権威を誇っていたキリスト教教会の宗教裁判長が絡んでくる。2006年新国立劇場主催「ドン・カルロ」ですぐれて目を惹いたのは、モダンでシンプル、それでいながら複雑精緻なマルコ・アルトゥーロ・マレッリの舞台背景だった。「ドン・カルロ」といえば、やはりオペラ・ファンならゼフィレッリ(もしくはもっと古いヴィスコンティ)の「これぞオペラ」という重厚で豪華絢爛なバロック的舞台を理想とするだろう。だが、今の時代に彼らと同じ美意識の土壌で勝負して勝てる演出家はほとんどいない。そもそもお金がかかりすぎる。マルコ・アルトゥーロ・マレッリはゼフィレッリに見られる正統派路線を追うことなく、舞台装置をほとんどすべて「灰色の六面体」、すなわち、正面から見ると四角形に見える箱で独創的な空間を作り上げた。幕が開くと、舞台の中央に、4つの大きな四角が見える。それらの間がちょうど十字架のような空間になっている。この4つの大きな四角が六面体で、上2つは上下左右に移動し、下2つは弧を描いて奥へ、あるいは左右へ開いたり閉じたりする。だが、十字架の形は、まるでカトリック教会が強い支配力をもっていた当時の時代背景を暗示するかのように、常に舞台のイメージに君臨する。以下に写真があるので、参考までに。http://www.nntt.jac.go.jp/frecord/updata/10000053.html衣装も含めて、最初はほとんど「色」がない。グレー、グレー、グレーの世界だ。王妃も白とグレーの縦ストライプの衣装をまとって現れる。多少灰色の入った衣装…… それは完全に純潔とはいえない、ドン・カルロへの思慕に揺れる王妃の心情を象徴している。普通は見逃してしまうような場面で印象的だったのが、王妃の貞操を疑うフィリッポ2世が、王妃がフランスから連れてきた女官の伯爵夫人に帰国を命じる場面。王妃が凍りついたように立ちすくみ、沈鬱な合唱が「ああ、国王は妃を傷つけた」と歌う。そして、王妃は心の支えだった伯爵夫人に指輪を「私の形見」と渡し、「心はいっしょに(フランスへ)ついていきます」と悲しみをこらえて別れを告げる。王妃が運命を受諾する瞬間。王妃役の大村博美の繊細で気品に満ちた歌唱が心にしみた。これ以降、ラストまで王妃は喪服のような黒い衣装を常にまとうことになる。残酷な宗教裁判の場面では、「天の声」を歌う幸田浩子の澄み切った歌唱があまりに美しかった。火刑に処せられる罪人が断末魔の苦しみにもがくなか、その前景をベールを後ろにたらした聖母マリアのような清廉な女性が群集の中から登場し、キリストを思わせる幼子を抱きながら、通りすぎ「魂は高く飛びなさい」と愛情のこもった祝福の歌を歌う。このアリア1曲で幸田浩子は完全に聴衆を虜にした。「ドン・カルロ」でもっとも有名なアリアである、フィリッポ2世の「ただ一人寝て」は、実はそれより数年前、サントリーホールで聴いたホール・オペラ(サントリーホールがそう呼んでいる、演奏会形式でのオペラ)でのフルラネットの奇跡的ともいえる絶唱の印象があまりに強烈で、そのときのことばかり思い出してしまった。だが、王の寝室を暗い牢獄のように見せる舞台装置と照明――六面体の壁を前面に出して空間を狭くし、窓の格子の月明かりの影をベッドと床にかぶせる――の効果で、王妃に愛されていない自分を嘆き、「私が本当にゆったりと眠るのは死んだあとだろう」と権力者の孤独を歌う王の心情が迫ってきた。しかし、フルラネットのフィリッポ2世を完全なオペラ舞台で聴いてみたいもの。フルラネットはすぐそのあと、新国立劇場でドン・ジョバンニを演じたのだが、実はこちらのほうはそれほど傑出したものではなかったのだ。やはりMizumizuにとっての最高のドン・ジョバンニは若き日のルッジェーロ・ライモンディ。あの魔的な魅力にかなうドン・ジョバンニはなかなかいない。そして、妻屋秀和の宗教裁判長! このオペラでの主要なキャラクターを根こそぎ引き倒すような、まがまがしいまでの迫力。妻屋はほとんど腰を90度曲げて、キリスト磔刑像を先にくっつけた杖にすがりながら、よぼよぼとした足取りで登場する。紫の手袋と帽子は強い照明の下で寒色がかったショッキングピンクのように輝き、この小さなアイテムだけで宗教裁判長の冷たさを強烈に印象づける効果があった。フランドルの民衆に同情的なあまり、ほとんど反逆児のようになっているドン・カルロのことを嘆く王に、宗教裁判長は「ドン・カルロの反抗など子供のいたずらのようなもの。本当の反逆者はほかにいる」と、忠節の臣下であるロドリーゴの処刑を求める。ロドリーゴを心から信頼している王は、「あなたの残酷さには我慢ならない」と怒りを爆発させるが、宗教裁判長は「私は先王と貴殿の2人に戴冠した」と応じ、「いまだかつて邪悪が支配したことのないスペイン」の安定を保ってきたのは自分だと強烈な自負を見せ、王を圧倒する。妻屋・宗教裁判長は最後に、その権威で怒れる民衆までもねじ伏せる。政治改革を求める群集が王の居室になだれこんできたとき、今度は手袋と帽子だけではなく、紫の法衣をまとって登場し、「この方は神に選ばれた方。神に逆らうとは何事か」と恐ろしい声で瞬く間に人々の心を鎮圧してみせる。神を畏怖した民衆は次々と膝をつき、最後に地上の最高権力者であるはずの国王も裁判長の前にひざまずく。自らを神の使者だと信じて疑うことのない老獪な権力が、当時世界の半分を支配していた国の王を屈服させる瞬間。妻屋のまがまがしいまでの迫力たるや比類なし。そして、サンジュスト僧院での、王妃とドン・カルロの別れの場。花嫁のような純白の衣装をつけた王妃が、1人で故国フランスと過ぎ去った青春への憧憬を歌う。大村博美の気品に満ち、深い情感をたたえた表現が満場の拍手を誘った。そこへドン・カルロが登場。王妃への想いを断ち切れずにいるドン・カルロに対し、天上の「ここよりももっと素晴らしい世界で」結ばれましょうと涙ながらに諭し、ドン・カルロもそれに唱和する。そして、運命のクライマックスへ。息もつかせぬグランドオペラの迫力を十分に堪能させてくれる舞台だった。日本人歌手の歌唱は特に素晴らしかったし、斬新でモダンな舞台装置も、モノトーンを基調とする洗練された衣装も最高に楽しめた。Bravissimo! Marco Arturo Marelli! とはいっても、やっぱりヴィスコンティあるいはゼフィレッリ的ドン・カルロの舞台も、もう一度見てみたい…… 新国立劇場さん、ヴィスコンティ衣装版の再演頼みます!<おまけ>この「ドン・カルロ」。ジャン・コクトーなら間違いなく、ロドリーゴとドン・カルロの物語にしてるだろうな。あの2人は「兄弟!」といってやたら抱き合うし、ロドリーゴはドン・カルロの腕の中で死んでいくし、コクトーを刺激しそうなエレメンツでいっぱい……
2008.04.08
中学時代、クラスメートの「展子さん」が半ばゴーインに貸してくれたさだまさしの『私花集』。 Mizumizu「さだまさしって、どこがいいの?」展子さん「よく言われることだけど、やさしさかなぁ」Mizumizu「ふ~ん」てな会話をした記憶がある。昔はよく、自分の好きなアーチストのアルバムを結構、一方的に貸してくれる友達というのが存在していた(現在の中学では、そんなお節介は絶滅?)。『私花集』でもっとも気に入ったのは山口百恵の歌った「秋桜」でも、ファンの間で人気抜群だという「主人公」でもなく、梶井基次郎の小説をベースにしたというクラ~イ歌、「檸檬」だった。XXXXXXX♪あの日湯島聖堂の白い石の階段に腰かけて君は陽溜まりの中へ盗んだ檸檬細い手でかざすそれを暫くみつめた後できれいねと云った後で齧る指のすきまから蒼い空に金糸雀色の風が舞う喰べかけの檸檬聖橋から放る快速電車の赤い色がそれとすれ違う川面に波紋の拡がり数えたあと小さな溜息混じりに振り返り捨て去る時には こうして出来るだけ遠くへ投げ上げるものよ君はスクランブル交差点斜めに渡りながら不意に涙ぐんでまるでこの町は青春達の姥捨山みたいだというねェほらそこにもここにもかつて使い棄てられた愛が落ちてる時の流れという名の鳩が舞い下りてそれをついばんでいる喰べかけの夢を聖橋 から放る各駅停車の檸檬色がそれをかみくだく二人の波紋の拡がり数えたあと小さな溜息混じりに振り返り消え去る時には こうしてあっけなく静かに堕ちてゆくものよXXXXXXXXXXXXXX およそ「やさしい」歌ではないと思う。「捨て去る時には出来るだけ遠くへ投げ上げるもの」「使い棄てられた愛(を)鳩が舞い降りてついばんでいる」。結構残酷な世界じゃない? 青春の残酷、そしてどこかよそよそしい怜悧さをもった女性のイメージを歌にしたものだという気がした。とにかく、大変に気に入って、「湯島聖堂って行ってみたいな~」などと思っていた。大学は東京の上野だったから、歌に出てくる聖橋や湯島聖堂のある御茶ノ水は遠くない。実際、御茶ノ水には本を探しによく来た。来るたびになんとなく「あ、聖橋ってどれかな」「湯島聖堂って白い階段があるんだっけ」などと思い出すのだが、地図を見るという一手間が面倒で(笑)、明大通りから神田川の向こうにちらっとみえる水道橋を見て「聖橋ってあれかな?」などと勝手に考え、「ちょっと遠そう。ま、いいや。また次来たときに行こ」などと思いながらいつの間にか忘れていた。湯島「聖堂」というからには、それはカテドラル、つまりキリスト教教会だと思い込んでいた。ジーンズ姿の大学生ぐらいの男女がカテドラルの白い階段に腰掛けている。カップルの頭上には教会の尖塔と十字架。たぶん中にはステンドグラスがあるだろう。そんな絵が似つかわしいと1人で信じ込んでいたのだ。この週末、湯島神社に梅を見に来たついでに、そんなに遠くないからとクルマをちょっと移動させて、「湯島聖堂」に初めて行ってみた。だが、湯島聖堂に近づいてみても、敷地の中に教会があるようにはどうしても思えない。あるのは明らかに、中華風の建物だ。「教会はどこかね~?」「教会があるのぉ?」などという会話を連れ合い(このヒトも全然わかっていない)と交わしながら正門のところに来て、ようよう湯島聖堂が教会ではなく、孔子廟だという事実を知った。が~ん!なんというか、青い目のフランシスコ君に会いに行ったら、出てきたのが論語をかかえた白髪三千丈の老師だった、みたいな衝撃だった。これが湯島聖堂の正体。確かに階段は白く見える。でも実際はもっとクリーム色だった。汚れているので、とてもここに腰掛ける気になれない。中はこんな感じの中庭。これってアン・リー監督の『グリーン・デスティニー』の世界ぢゃ・・・そのあと聖橋に行って、連れ合いと総武線(かつて車両が檸檬色だった「各駅停車」の電車。今はシルバーの車体に黄色いラインが入っている)など眺めて、すっかり「檸檬」の世界にひたった。ふと見ると、連れ合いは眼下の中央線・総武線・丸の内線の写真を撮っている。やってるやってる~。「ここから檸檬投げないとね~」などというMizumizuに「そうだね~」と、連れ合いも調子を合わせてる。フムフム、完全に「檸檬」の世界だねェ、私たち。駐車場に戻る途中、湯島聖堂の近くで見つけた千代田区と文京区の境。坂道の途中で分かれているのがなんとなく変だった。すっかり青春の檸檬の世界にひたったなぁ・・・ と悦に入りながら帰路につく。ところが、帰りのクルマの中で、実は連れ合いは、さだまさしの「檸檬」を知らなかったということが突如判明する。曲を口ずさんだら、「何? その歌」ときたのだ。「えっ? さだまさしの名曲を知らないの? 聖橋から檸檬を放る歌」「知らないな~」「で、そこに電車がすれ違うわけよ」「あ~、それで檸檬がどうのとかって言ってたのぉ」「はあ? わかってなかったの?」「全然。さだまさしっていったら『関白宣言』ぐらいかな、知ってるのは」「だって相槌打ってたじゃん。電車の写真も撮ってたし」「いや、単に鉄道マニアになってみただけ」とほほ・・・全然話が通じてなかったんだね。なんのために2人で湯島聖堂&聖橋に行ったワケよ。1人で感傷にひたってたMizumizuがバカみたいじゃね~の。同年代なのに、何で知らないのだ?と思って調べてみたら、なんと『私花集』って1978年のアルバムだった。さっ、さんじゅうねんまえ!?そんな昔の歌だったのか。道理でえらく懐かしい感じがするわけだ。youtubeで、「檸檬」の世界をばっちり写真におさめているエントリーを見つけた。さだ版檸檬を知らない方、忘れた方は、どうぞ。↓http://www.youtube.com/watch?v=U3lFrw83DVI追記:中学時代のクラスメートの「展子さん」は、同窓生名簿から察するに、地方都市で自分の会社を興したようだ。会う機会があるかどうかわからない。でも東京でもし会う機会があったら、ぜひ「聖橋」で待ち合わせしたいもの。今度こそ、さだ版「檸檬」の世界に、ちゃんとそれを知ってるヒトとひたりたい。
2008.03.04
文京区の湯島神社に梅を見に行く。受験の神様らしく、受験生とその親とおぼしき人々が列を作っていた。すごい絵馬の数。ほとんどが合格祈願。「就職できますように」というのもあった。できたかな?梅自体の開花はもうひとつ。日当たりのよい場所では咲いていたけれど、来週末あたりが見ごろかも。盆栽の花のつき方は見事の一言。お茶をたてるキモノの女性にカメラを向けてみる。ちょっとした観光客気分。紅梅。日の光に透ける白梅。上野広小路へ抜ける道は急な坂になっている。このあたりは本当に坂が多い。神社の石垣と梅。つーか、これ何? トックリが2つ??猫ちゃん、知ってる?「知るかよ」
2008.03.02
<フィギュアファンの方は、明日おいでください。明日もう少しフィギュアについて書くつもりです>2008年2月19日、キューバのフィデル・カストロ国家評議会議長が引退を発表した。チェ・ゲバラらと共にキューバ革命をなしとげ、50年近く同国の社会主義体制を率いてきたカリスマがついに表舞台から姿を消す。カストロ議長を独裁者と見るか、超大国アメリカの横暴に対抗した英雄と見るか。これほど評価の分かれる人物は他にいない。だが、ごくごく一般的な感覚として、キューバが独裁的な政治体制をとっていることは認めても、アメリカの政治家が言うように、カストロをいわゆる「独裁者」だと考えている人間は少ないのではないだろうか。カストロは独裁者のイメージからは程遠い。贅沢をしているわけでもなく、個人崇拝を国民に強いているわけでもない。ただ、ソ連崩壊後のキューバの経済状態が悪いのは確かで、大量のボートピープルの出現などを見ると、長い間続いたカストロ体制がキューバ国民にとって幸福だったのかどうか軽々には判断できない部分もある。だが、そのキューバの経済状況でさえ、カストロの力量不足ではなく、やはりアメリカの経済封鎖、つまりは大国の底意地の悪さのせいだと考えている人も多いように思う。日本もかつてほぼ同じ目に遭い、無謀な戦争へと駆り立てられた歴史をもつ。現在のキューバ国民の直接の感情はわからないが、少なくともカストロが横暴な独裁者であれば、50年近くの長きにわたって権力を持ち続けることはできなかったはずだ。フィデル・カストロが、なぜこれほど長くキューバのカリスマ的リーダーでいられたのか――Mizumizuにとって、これは実に興味深い問題だ。カストロについては政治的な思惑から、冷静かつ客観的な分析がなされていないきらいある。だが、その存在がやがて「歴史」になったとき、さまざまな観点からの研究が行われるだろう。彼が第一線を退いた今は、革命家・政治家カストロ研究が端緒につく時期であるのかもしれない。Mizumizuがカストロに興味をもつのは、ひとり彼の存在がユニークで魅力的であるからだけではない。それは、カストロという人間を思うとき、どうしても、革命の同志であり、英雄であり、伝説でもあるチェ・ゲバラの存在に思いを馳せざるをえないからだ。力を合わせてキューバ革命を成し遂げたにもかかわらず、キューバを出て、39歳という若さで散った悲劇の英雄チェ・ゲバラと、そのキューバで、81歳という高齢になるまで長く権力の座にあったカストロ。この2人の友人の人生は、たとえドラマの筋書きでもここまでは、と思うくらい明確に対照的だ。日本で政治家カストロに興味をもつ人は少ないが、逆にチェ・ゲバラの人気は、特に若者の間で絶大なものがある。この「赤いゲバラ」はTシャツにもなっているし、あちこちでよく見かける。そう、「若者はチェ・ゲバラ」なのだ。Mizumizuの家の近所にも、こんな看板を出している店がある。「Bar Bitch」ですか…… 大胆なネーミングで……(苦笑)。この「赤いチェ・ゲバラ」をそこここで見るたびに、「チェ・ゲバラは若者のイコンなのだ」と思う。イコンとはキリスト教の正教会で用いられる聖像のこと。信者はイコンに祈りを捧げるが、聖像そのものを崇拝することが目的ではない。イコンとは、それを通じて別の世界を見る「窓」だとされる。つまり、イコンを崇敬するということは、その窓を通して、聖なる世界を記憶し、理解するということなのだ。日本の若者にとって、おそらくはチェ・ゲバラとは、自分の今いる場所とは違った、何か崇高な世界を垣間見る「窓」なのだ。チェ・ゲバラのマルクス主義的革命のもたらす理想郷をまさかそのまま信じている人間はもはやいないだろうけれど、チェ・ゲバラの生き方、死に方に見る自己犠牲的な精神や純粋な理想主義は、若者に訴えかける魔力のような力をもつ。加えてチェ・ゲバラはえらいイケメンだ。これは「赤いチェ・ゲバラ」イコン像の元になった写真。どーして、そんなにもカッコいいわけ? キミは。「じゃ、撮影行きま~す」「ヘアメイクさ~ん、ちょっと前髪垂らしたほうがよくないですかぁ?」「どうでしょう? こんなもんで」「いいんじゃないっすか~」「じゃ、ゲバラさん、こっち見て。カメラは上から撮りますんで」みたいな会話をして撮った映画のスチールのよう。どう考えてもカッコよすぎでしょう。照明がもうひとつかな。もうちょっと顔に影が入ったほうがいい(笑)。「お~い、照明さん! もうちょっと寄って、右から当てて、右!」NHKでもチェ・ゲバラ没後40周年に当たる2007年12月、「知るを楽しむ/私のこだわり人物伝(4回シリーズ)」でチェ・ゲバラを取り上げていた。チェ・ゲバラゆかりの地での取材を敢行し、往年の写真もふんだんに使った、大変に力のこもった番組だった。先日その再放送があったばかりだ。一番印象的だったのは、やはりチェ・ゲバラとカストロの道が完全に分かれる場面。反米主義をかかげるカストロは、当時の超大国ソ連に接近せざるをえなくなる。ところが、ゲバラはそのソ連を強く非難する演説を行う。激怒したソ連はカストロに、ゲバラを要職から追放するよう圧力をかける。遊説先から戻ったゲバラを出迎えるカストロの写真がテレビに映っていた。ゲバラの演説は、ある意味、カストロの路線を間接的に批判したということにもなる。だが、カストロは怒ってはいなかった。ただ、困っているように見えた。この後、2日間カストロとゲバラは2人だけで話し合い、ゲバラはあの有名な別れの手紙をカストロに残し、キューバから去る。ゲバラの別れの手紙は感動的だ。「マリア・アントニアの家で君に初めて会った日のことを思い出す」「君のそばでカリブ海の(中略)あの日々を生きたことを誇りに思っている」「あの日々の君ほど輝かしい政治家はいない。君に躊躇なく従ったこと、君の思想に自分を重ね合わせたことを(中略)誇りに思っている」「キューバの指導者としての責任から君には許されないことが、私にはできる。別れの時が来たのだ」。このあと、ゲバラはアフリカ・コンゴへ、その後ボリビアへ向かい、そこで悲劇的な最期を遂げることになる。キューバを去ったあとのゲバラに対するカストロの支援については、変に美化して誇張されてきた部分もあり、実際のところどの程度2人が連絡を取り合っていたのかわからない。実際にはカストロはたいしたことはしなかった、あるいはできなかったという説もある。「新たな革命を求めてキューバを去った」というのも、ある意味、相当カッコつけた言い方であって、実際には超大国を批判したために、政治家としてはキューバに居場所がなくなり、出て行かざるをえなかったということだ。ゲバラはそれ以前には、日本に来て産業施設を視察しているから、キューバを工業国として発展させる夢も描いていたはずだ。またゲバラが処刑される際に、自分を殺そうとする兵士に向かって言ったとされる「落ち着いてよく狙え」という言葉も、NHKで放映されたゲバラの遺体を見ると、あまり信憑性がないかもしれないと思った。明らかに額を至近距離(つまり、額に銃口を当てて)から撃たれており、ほかに体には銃痕はなかった。つまり、単に額に銃を当てて撃って、それで終わったように思うのだ。そういう状況で「よく狙え」というのも不自然ではないか。だが、多少演出過剰なエピソードで脚色されすぎているとはいえ、ゲバラが「若者のイコン」としての資質を十分に備えた存在であることは間違いない。そしてそのゲバラが、「キューバの指導者」と立てたカストロは、その後半世紀にもわたってキューバのカリスマであり続けた。ゲバラはカストロの中に、自分にはない現実主義の強さを見たのかもしれない。ちなみに、この2人、ゲバラが双子座でカストロが獅子座。西洋占星術では、双子座は風のグループ、獅子座は火のグループに属する。ゲバラはまさに風のように清冽に現れ、そして去ってしまった。カストロの政治生命の火はキューバで燃え続けた。しかも、この炎、相当にしぶとい(笑)。アメリカは何度もカストロという「火」を消そうとしたが、ついに成功しなかった。多少こじつけめくが、カストロとゲバラ、いやフィデルとエルンストという2人の革命の志士の生きかたは、星のささやく風と火の神話にどこか似つかわしい気がするのだ。だからフィデル・カストロという、長く燃えた火がついに消えようとする今、風のように駆け抜けていったエルンスト・ラファエル・ゲバラという対照的な存在がまた、あらためて輝きを放って見えるのかもしれない。
2008.02.20
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