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桂林から帰って、まだ2ヶ月経っていない。なのに、また、次の桂林行きを考えている今日この頃。。そんなところに一通の手紙が届く。桂林で撮った写真(マーさんと叔父さんと私)のを送ったNさんからだ。(Nさんに『「元気でいる」事を伝えてくれ』と叔父さんに頼まれた経緯がある。Nさんは日本在住の女性。)私とNさんに直接的な関係はない。でも、人生の不思議ってこういうものなのかと思った。Nさんが桂林に行ったときも一人旅で、彼等に出会った。そして、20年後に私が桂林に行って、同じもてなしを受けてきた。つまり、時間差はあるが2人の同じ年代の女性が桂林を尋ねて、同じ感動を味わってきたのだ。これを縁と言わずして、何と呼べばいいのか。。Nさんから頂いた手紙の文体から察するに、私と彼女の間にあるものは計り知れない。しかし、同じ体験を経て「日中友好」を願う気持ちにかわりはないのだと、何度もNさんの手紙を読み返して、また、何度も確認する自分がそこにいた。(自己陶酔好きです。)載せたくても観光してないからなっ。。。こんな写真しかないけど載せるね。
2007年05月14日
前日は小雨で肌寒かったのに、一転して蒸し暑い一日だった。(日本でもこの日は暑かったそみたい。)午前中に広西師範大学を訪問の後、午後は滝を見に行った。滝を見るとは知らなかったので、ややかしこまった洋服で山に入る。暑くてズボンは折った。しかし、山にはいると草履に履き替えさせられた。おまけに赤いヘルメットまで・・・。「えー、こんな草履で山なんか歩けないよー。」と、文句を言う根性もなく。。。素直にマーさんについて行くと滝が見えた。滝に上った人は全身ずぶ濡れになる。そうとは知らないマーさんは登った。(彼はロッククライマーだから血が騒いだらしい。)私は写真を撮るからと言って先にマーさんに登ってもらったので濡れずに済んだ。でも、内心は登りたかった。楽しい時間は夢のようで、山を下りるときに、通り過ぎる老人に「体に気を付けてね」と言いながら降りていくマーさんに感心しながら「明日は上海か。」と、いつまでもこうしてはいられない現実に、一瞬、羽交い締めにされた。それから、桂林の一人旅行の際、たくさんの人に声をかけられた。何せ、どこから見ても日本人だから、何も言わなくても話しかけられる。ある時は中国語である時は日本語で、またあるときは桂林語で。世界中から観光客を受け入れているだけあって、懐が深いのだろう。話で聞いていた中国と桂林には大きなギャップがあった。桂林の平均的な収入は日本円で2万円くらいだそうだが、私は5日で2万円使ったから(これでも、使わなかった。)中国の経済のためには良いお客さんだったと思う。すっかり中国びいきになってしまった私は、家に帰って求人を検索してみた。大学での日本語教師募集がまだある。貞さんには(先に中国で日本語教師をしている。)後10年待つように言われたが、10年待てそうもない。。。と、恐ろしいことを口走る今日この頃だ。(口走ってるのは、まだかわいいか・・。)※この辺で、桂林旅行記は終わります。コメントを書いてくれた方々!とても感謝しています。ありがとうございました。
2007年04月11日
「面子」が一番重要という中国人。自分の顔、相手の顔を立てる。これが上手な人は認められる。交渉の時も相手の面子を立てて実行させる。面子を立ててもらったのに実行できないときは、謝って酒の席を用意して十分に楽しんでもらう。合理的な社会にな気がするのは私だけかな。(人口も多いので聞いた話がどこまで通用するかはわかりませんが・・。)では、日本人は何だろう。「信用」かな?相手をどのくらい信用するかで、こちらの行動を判断しているような気がする。あくまでも、私の場合はね。よくわからないので、もう少し中国を知ってみたいと思った。写真は七星公園の黒鳥。中国では「白鳥」も「黒鳥」も全く違う言い方なんだよね。お隣なのに不思議~。
2007年04月10日
中国の男子は大変だ。家を持っていないと彼女ができない。家と車があれば呼ばなくても嫁が来るそうな・・。家と言ってもマンションタイプが殆どで、土地は国の物だから借地権を買って家を建てるか、建て売りの分譲マンションを購入するかだそうだ。もちろんキャッシュで買うんだから、仕事もしっかりしていないとそれなりの金額はできない。また、親が子供に家を買ってあげることはできないらしい。私の旦那は結婚するとき、貯金が20万なかった。。ホントニそれに比べると、中国の男子はしっかりしているのかなと思う。でもね、どんなに大恋愛をして結婚しても。中国では儒教色が強いので奥さんより自分の親と子供を大切にするのね。だから、仕事がうまくいくと簡単によそに女の人を作ったり、奥さんは旦那さんを金ズルみたいに扱ったりすると聞くから、やっぱり奥さんを大事にしてくれる旦那がいいのかなーと思う。「大事にする」といってもいろんなパターンがあると思うけどね。写真はその名も「小さな天使幼稚園」。看板の書き方が中国らしいと思いました。(*^_^*)
2007年04月09日
ガイドと言っても空港と空港の橋渡しを頼んだのであるが、上海の浦東空港に到着して桂林行きの飛行機まで3時間あり、その間に夕食タイムを挟んでいろいろな会話を楽しんだ。私が夕食を食べ終わるまでずっと話し続けてくれたホーさんは、見たところ20代半ばのブルースリーと古畑任三郎を足して2で割ったようなお兄さん。ストライクゾーンではなかったが、なかなかいい男だった。(発想がおばさんかな。)日本語は上級。しかし、日本に来たことはないそうだ。日本語をドラマやアニメで勉強したという彼は中国語(普通語)と上海語、英語も話すバイリンガルだ。そんな彼でも、私が使った日本語で知らなかったのが「ドレッシング」。意外だったけど、こういう瞬間がおもしろい。中国語では「千島汁」と書くのだが、味はお菓子のように甘くて生クリームのような風味がする。(多分、コンデンスミルクが入ってっているのではないかと推測。)始めはとても食べられなかったが、帰りにはおいしく感じていた。それから、ホーさんは日本人がお土産に買っていく物が「中国人でも買わない物」だそうで、大変不思議がっていた。シルクのパジャマでもランクが下の物を買うなんてどういう事かわからないそうだ。でも、日本に売っている物は中国製が多いから、特徴のあるお土産を買うのは本当に苦労する事は知らないからそのように言ったのだと思う。もちろん、その辺は簡単に説明しておいた。日本のガイドさんは私情を挟んだような会話はしないが、中国のガイドさんは何でも話せて面白かった。写真は上海の「南京東路」。300メートルぐらいの直線を往復する観光用の乗り物がある。地元の人は殆ど歩いていないところだった。
2007年04月08日
ここは桂林の隣の町、苺狩りをした後に滝を見に行くことになった。道路が悪いのではなく、この乗り物が上下に揺れる。ポンピングと言う表現がぴったりかもしれない。シャッターを切ってもぶれていないか心配だったが、何とか見られるので載せてみた。別のお客さんも乗ってきた。マーさんと桂林語での会話が弾んでいるようだ。運転手は女性。桂林のタクシーなどは女性ドライバーが多かった。私が乗った乗り物は、バイクを改造したもの。これに乗ったのが、一番楽しかった観光でした。・・と言ったら、マーさん怒るかな~。
2007年04月07日
「国際ローミング」という契約をすると海外で今持っている携帯が使えるサービスがある。私もそのサービスに加入した。 現地到着後、マーさんに電話をして会う約束をしていた。 しかし、携帯はずっと圏外のまま。ガイドさんの携帯を貸してもらって何とか連絡を付けた。桂林は田舎だから、電波が悪いのかな、と思っていたが、上海でも携帯は使えなかった。どうして使えないのか知りたいところだが、データを消されてしまったあの店にはもう行きたくない。。混んでるし。。 そういえば、上海の虹橋空港の近くではアンテナが一本立ったのでかけてみたが、結局無駄だった。と言うことは、何が原因なんだろう???と、今朝思い出したので、ブログに書いてみた。
2007年04月06日
桂林ではルーさん(マーさんのおじさんの家)に招待されておもてなしを受けた。奥さんは仕事で不在だったが、13歳の息子さんには会えた。ルーさんは大切にしていた日本人の写真と手紙を見せてくれた。20年前のものだった。「今もここににこの人が住んでいるから、私が元気だと伝えて欲しい。」と言って、その方の住所を教えてくれた。 今もその日本人が忘れられないらしい。 私はそのときの手紙を読んで、彼女の方にはそんな気持ちがないことがわかった。ルーさんは日本語が少ししかできないので、その文章から彼女の気持ちを知ることはできない。 でも、私はルーさん達と撮った写真を彼女に送ることにした。もちろん、ルーさんの伝言を伝えるためにだ。 なんだか複雑な気持ち。簡単に書いた手紙をもう一度推敲する。聞くところによると、彼女は今も一人でいるらしい。・・懐かしく思ってくれるかな、これを読んでどう思うかな。誤解を受けないように、慎重に書き直した手紙をこれから出してくる。桂林の写真は畑に咲いていた花。
2007年04月05日
一人旅行なので、帰りの食卓は一人でした。旅行会社で用意した昼食です。写真に写っているのは一人前です。チャーハンは3人前はありました。その他にお粥、米粉でできたうどんがありました。ここの料理は日本人用にアレンジしてあって、ケチャップも使っていました。しかし、一般的な桂林の料理には塩・味噌・醤油・砂糖・ソース・ケチャップ・マヨネーズなどの味付けは一切なし、塩味さえも殆どしません。素材の味を香辛料で引き立てると言った方法でした。また、卵料理は殆どなく、ピータンの方が多く使われていたような気がしました。初めて食べたピータンは思っていたよりおいしかったです。一方、上海の料理は日本人の口に合いますね。写真は蟹スープを肉まんの皮包みとラーメンです。日本人の貞さんに連れて行ってもらったところで食べました。中国から帰って関西空港で久しぶりに食べた日本食は、カツ丼とそばの定食でした。すっかり桂林の味に慣れていたせいか、濃い味付けに感じました。(^^;)ああ、もちろん完食しましたよ。。。気になる体重は、無理して詰め込んだからでしょうか、1キロ増えていました。
2007年04月04日
気ままな一人旅に出た私ですが(5日だけね)、想像とは違う中国でした。ビビリ過ぎていた感もありましたが、怖い人は一人もいませんでしたし、みんないい人達ばかりでした。笑顔で話しかければ、笑顔で言葉が返ってくる。暖かい人たちばかりでした。帰国後、タオさんに旅行の感想を聞かれたので「中国がますます好きになりました。中国の方は、いい人達ばかりですね。」と言ったら、中国のことわざには「よい人にはよい人生がある」(好人有好命)と最大の褒め言葉を頂きました。謝謝さて、下記は桂林の写真です。桂林というと桂林山水といわれる山並みが有名ですが、敢えて別の角度からアプローチしてみました。まず、バスは私が支払いをしなかったので料金は定かではありません。古いバスで座席以外にも人が座っていました。バスには料金を徴収するお姉さんも乗っていました。時刻表はなく、人がいっぱいになったら発進です。また、信号は私が見た限りで2つだけ。広い道路の交差点にも、信号機はありませんでした。この写真にも、横断歩道はあるけれど、横断者を導く信号はないのがわかると思います。そして、他の一般の道路には、自動車用の信号機も歩行者用信号機もなし。斜線も守っているのかどうか定かではなく・・。直進はできずにバイクや他車をよけながら運転していました。それから、歩行者が道を横断する時には、不思議なタイミングで渡っていて、私には短時間では体得できませんで、マーさんの腕をしっかりとつかんで「引かれる~」と日本語で絶叫しながら横断していました。・・・・という感じで、旅行記を書いてみたいと思います。
2007年04月03日
無事に卒業できることとなり、これから東京に行って卒業式に出席してきます。みなさんのブログ訪問もまばらになると思います。落ち着いたら、また、暖かく迎えて下さいね。それから、今回は2度目の卒業式なので、袴は穿かないことにしました。やっぱり、着た方がよかったかな~とも思ったりして・・。で、衣装代まで削って行く、卒業旅行。いよいよ、来週に迫ってきて(このネタでだいぶ引っ張ってすみません。)緊張してきました。帰ったら、旅行記を書きたいと思います。できる限りではありますが・・。では暫くの間、留守にします。
2007年03月18日
今回の旅で何よりも楽しみなのは「出会い」。たくさんの子供達との出会いもある。(予定)桂林と言えば水墨画のような風景が有名だが、そこで暮らす人々については何も知らない。それから、私と桂林の仲介をしてくれているのは“マーさん”だが、日本人に慣れているようで(私には慣れていないが・・)人当たりがとてもいい。この延長で、知らない中国人に接してはいけないと指摘されているので、気を付けようと思っている。ところで、観光は殆どしないが、なぜか最後の日にロープウェーに乗る事になっている。前にブログで読んだことがあるが相当怖いらしい・・。なのになぜ・・。というような感じで、計画は進行中である。ではまた。
2007年03月02日
航空券とホテルの手配、仕事の休み・・もろもろの計画の中間発表。福島空港発 ↓関西国際空港 ↓上海(浦東)空港 ↓桂林空港 ↓桂林滞在4日 (以下この反対の経路)地方に住んでいると、不便です~。お金は惜しいし、時間も拘束されてるからね・・。新幹線と電車を何回も乗り換えるより、空路を使って乗り換えを少なくしました。福岡発も探したんだけどいまいちでした。ここまで決まったと行っても、フリーなのでここからが本領発揮?かもしれません。桂林には「広西師範大学」があるので、そこにも寄ってきたいと思います。では、また!(つづく)
2007年02月22日
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