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昨日は岡山方面にツーリングに出ました。家内は1日教習所なので1人遊びです。そういう状況だったので、先週に続き別のツーリンググループに申し込んでいました。でも雨確率60%という予報が土曜日まで変わらず中止になってしまいました。「おぅ」、でもめげませんよ。ならばと晴れの国岡山方面です。ちょっと備前熱に浮かされてるので、瀬戸大橋・鷲羽山・金甲山・海岸線をメインメニューにしました。ほんとは山城の1つでも登りたいところですが、3時間予報で15時曇り・18時雨、さらに21時には2mmの雨という結構な降りなので、夕方帰着が目標なので登城は諦めます。4時前に目が覚めました。まるでもっと夜明けが早い5月や6月のお目覚め時間です。用足して着替えて、なんだかんだで5時出発しました。まずは給油、207km/6.23L=33.2km/L。先週高速を走ったのに、地道以上に燃費がいいです。このバイク、実に経済的に出来ています。6時にならないと明るさを感じない季節なので、しばらく夜の高速を西に向けてひた走ります。先週の和歌山行きより早い時間だからか、なんとなく寒いです。二重靴下の完璧防寒の足元ですが、こっちも寒いです。でも手と胸は、自作ビニールシートハンドルガードとガイラシールドのおかげで全く寒さ知らずです。いつもながら80km/hを定番走行し、中国道から山陽道に入り、定番の「三木SA」をパスし姫路を越えました。が、寒さがじんわり身体を蝕んできたので、「白鳥PA」で避寒休憩です。ここで「朝カレー」で体を温めます。480円なのにご飯の量が多く、かなりお腹いっぱいになりました。続いて「瀬戸PA」、さらに「吉備SA」と休憩間隔が縮まっていきます。こんなことなら約60kmごとにあるSAで毎回休憩する方が楽しいかもと思うようになりました。小学校の授業時間と同じ、45分授業受けて15分休憩のパターンです。吉備SAで、無料地図をゲット。これ見てると、鳥取県の蒜山と瀬戸大橋だったら同じぐらいの距離です。蒜山も射程距離に入ってきたかな?吉備という言葉の響きが好きです。古くは、菅原道真とともに体制側一族系でなくて太政大臣まで出世した実力者・吉備真備を思い出します。静岡県と共に温暖な気候の地で、瀬戸内海気候の晴れの多い国。作物も豊かで律令制の上国。「吉備路」をじっくりゆっくり探索したいものです。「岡山JCT」・「倉敷JCT」を経て、瀬戸大橋方面に入ります。「水島IC」で下車。いよいよです。「鷲羽山スカイライン」に入ってみます。かつては有料道路だったのでしょうが、路面整備もイマイチのワインディングでした。でもバイクで走ると楽しいです。出会った車は1台だけでしたが、追い抜いていったバイクは5台以上。カワサキとかが、甲高い音を残してあっという間に視界から消えていきました。地元バイク乗りの練習コースになってる感です。そんなバイクが後ろからやってくると、僕は左ウインカー出して抜いてもらいます。抜いた後に左手サンキューサインもカッコいい。スカイラインから時折見える東側は、水島工業地帯でしょう。近代的な工場が広がり、煙突から白い煙が上っています。「鷲羽山ハイランド」という遊園地?まで来ると、目の前に瀬戸内の多島海が広がり、瀬戸大橋が島々を渡っています。子供の頃家族旅行で何度か来ました。子供達を連れて家族で来たこともあります。景色はとてもいいですが、あの頃と比べてなんだか寂れてる感じです。
2011/02/28
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今、「宇喜多直家」を読んでいます。備前の戦国武将で、播磨・備前・美作の守護だった赤松氏を下克上してのし上がった浦上氏を、これまた下克上してのし上がった武将です。去年、家内と自転車で吉井川沿いを走ってて偶然、浦上氏の居城天神山城の横を通りました。素人目にもかなり急峻な地形を利用しており、こりゃ難攻不落だなあと思い、浦上氏に興味を覚えました。調べてみると、あの宇喜多直家は浦上氏の被官でした。武将にはいろんな方がいます。平将門や上杉謙信は、知略で戦術を練り、日頃鍛錬で鍛えた精鋭兵士軍で兵力差を跳ね返す正攻法です。僕には、この型が一番かっこよく見えます。織田信長や秀吉は、戦闘が始まる前に相手方を調略し、自軍有利の構図を作って戦闘に入るタイプ。これらに対し、謀略タイプの武将がいます。商人から成り上がって、後北条氏を作った北条早雲。同じく油売りから成り上がった美濃の斎藤道三。三好氏の被官から成り上がり、室町将軍を暗殺し、東大寺を焼き、最後は信長に攻められ信貴山城天守閣で自ら爆死するという破天荒の生涯を送った松永久秀。そして最後に、この宇喜多直家です。読んで最も面白いのが、この謀略タイプです。流言・調略は多くの武将がしますが、だまし討ち・下克上を生き残るためとは言え、平気でやってのけます。宇喜多直家は、自分を家来に加えてくれた浦上氏を下克上し乗っ取りますが、本妻の実家の城を攻め舅を抹殺し、自分の本城とします。これで、本妻は自害。祖父が攻め落とせなかった堅城の嫡男に娘を嫁がせ、自分への油断をついて城を攻め娘婿を抹殺し、自分の出城にします。これで娘と孫は自害。知略・謀略、何でも使い、自軍兵の損害少なく大きな成果をあげていきます。この直家をとんでもないひどいヤツと書かないところが、作家の腕。興味深く読んでいます。サブタイトルに、「秀吉が恐れた希代の謀将」となっていました。ちょっと読んでは、地図を広げ、岡山の山城の本をめくり、エア山城攻略して楽しんでいます。明日は、またグループツーリングに申し込んでいたのですが、雨が降るということで中止になってしまいました。で、宇喜多直家が活躍した備前を通過し備中を目的地に、ソロツーリングするかなあと考えています。高速で一気に目的地まで飛び、地道で備中・備前・播磨の海岸線を探索し、時間と空模様と相談しながら、適当なところから高速に乗って一気に帰宅というのはどうだろう。
2011/02/26
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日曜日のツーリングで、今年初めてカメラを車載しました。1月の今年初ツーリングでは、手の出し入れをしにくいハンドルカバー仕様だったので、カメラのスイッチボタンの押しにくく車載しませんでした。手の自由なビニールテーブルコルス・ハンドルガード仕様にしたので、楽にカメラ操作が出来るようになりました。でも二重のウインターグローブなので、スイッチを押しにくかったのではありますが。当初は、今まで同様、単調な高速道路ではほんの少しだけと思っていたのですが、グループ走行だったので撮りだすと面白くなって、結局倍速編集しても1時間の長編になってしまいました。いつものように、テロップに流した僕の独り言に誤字などが見つかりましたが、面倒なのでそのままアップです。ご一緒した女性の方が、僕のRAMマウントにとても興味を持たれていたので、彼女も車載ムービーを始めるかもしれません。南部梅林5 昨日・今日と暖かです。いよいよ春ですね。それと、随分夜明けが早くなってきました。朝6時はもう薄明るいです。こうなると5時半ぐらいから走れそうで、僕の出勤前早朝バイクも復活できそうです。
2011/02/25
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月曜日は、家内の教習日でした。昼から2時間です。夕方になり、家内からメールが届きました。「半分先生も根負けしたのか、第2段階に進んでくださいと言われたわ。何回もききなおしたわ。びっくりやね。」ぐふふ、教習後の部屋の家内の様子が目にうかぶようです。「本当にいいんですか?」なんて何度も確認して大喜びしてたのでしょう。すぐに、よいしょメールを返しました。帰宅して、家内の教習ノートを見ると、月曜日の1時間目に新しく加わった「坂道発進」は1回でクリアしていました。ATだから簡単かもしれないけど、一本橋同様1回クリアだったようです。ずっと4回ぐらい連続で宿題になってた「直線のスムーズな運転」も1時間目にクリア。一本橋で全く落ちないのに、直線でスムーズな運転が出来ないなんて、僕には理解できませんが・・・2時間目は、最後まで残った「曲線(S字・クランク・スラローム)のスムーズな運転」と「第1段階みきわめ」が課題で、1回で見極めをパスしたようです。まあ、AT小型では3時間しかない第1段階を7時間かかってのクリアなんですが、1回でみきわめクリアというのが、本番に強いというか、度胸のある家内らしいです。で、合格プレゼントを渡しました。『10年先も君に恋して』という昨年NHKで放映されたドラマのDVDです。1回目がすごく良かったので、家内に一緒に観ようと誘ったのですが、火曜日夜10時からの番組なので、通常寝てる時間で家内には起きているのが無理でした。僕にとっては、10年に1度の素敵作品だったので、バレンタインデーにプレゼントしようと思って、発売前に予約注文していました。発売されてすぐに送ってきてくれたのですが、残念ながらバレンタインデーを過ぎていました。仕方ないので「ホワイトデー」のプレゼントにしようと思ったのですが、3/14なんて忘れてしまいそうだから、この合格記念日のプレゼントにしました。喜びの言葉は、早い方がいいです。大学時代所属してたヨット部の部訓に、『汝を打ち破った者に最初の幸福を 汝が打ち負かした者に最初の感激を与えよ』という一節があります。僕は家内に打ち破られたいないけど、これでいいのだ。
2011/02/24
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参道の途中のお店で先に食事してるみたいです。ならば入れ違いでいいなと、趣味の謂れ板を写真に収めながら階段を下りていきます。参道で手を振ってくれている女性がいます。「待ってくれたんだ。もう食事を終えたのかな?」2Fに上がると皆さん揃っておられます。僕が注文すると、すぐに食事が出てきました。僕のも遅れずに。「え~僕を待っててくれたの~。しまった」走って戻れば良かった。すいませんでした。ここから帰路です。予定ではまた高速で変える予定でしたが、午前中から混んでたので下道に変更になりました。また山の中のワインディング、僕は高速よりこんなみちをのんびり走る方が楽しいな。下りに入ると視界が広がり素敵な景色が眼下に広がります。ソロなら激写タイムですね。高野山から下りてくるR480・金屋・有田川。あの人はこの近くでみかん栽培してるんだ。今年訪問してみよう。有田川沿いから再び山越えです。楽しい。r18となっていました。降りたら「海南」でした。往路、南下するとき、海南ICを越えて始まるトンネル銀座を越えたのですね。「海南東IC」、ヨットレースで何度来たろう。入る前に次の集合場所「紀の川SA」と指示がありICに入ります。入るとブイーンと速度アップしていきます。僕もと思いましたが、無理は事故の元なのでマイペースを保ちます。リーダーさんには、「遅いから置いてってください。次の集合場所で追いつきます」と言ってあるので気楽です。後ろを走ってた女性も抜かしていっちゃいました。僕と同じVTRの方も速いです。「怖くないのかなあ?」「細いから風圧をあまり受けないのかなあ?」なんて思いながら。少し慣れてきたのでスピードアップしましたが、防風壁のないところにくると横風で揺れるのでおっかない。スピードダウンしてマイペースに戻ります。「紀の川SA」入り口のところで、リーダーさんが止まっています。通り過ぎないように見てくれているのですね。僕にはマシンと僕のハートのポテンシャル的に無理な仕事です。ここで解散です。2人が先に帰り、残りの方はSAでお茶タイムです。今日の感想などを話し帰路に着きます。途中3ヶ所の料金所を通りますが、最初の料金所を通過したら皆さん左に寄って後続を待っています。自由に走行しながら、暗黙の了解なんですね。最後吹田で中国道に入ったところでリーダーさんが待っています。中国道で帰るのは僕含め3台なのですが、1台阪神高速の方に行っちゃったみたい。でもまあ、そちらからでも帰れるし。「豊中IC」前でリーダーさんが、手を振りながら僕を抜いて行かれました。僕はここで下ります。皆さんいい人ばかりで、思いの外楽しめました。ありがとうございました。帰宅後、バイクを乾拭きし、道具を片付け、装束も片付け部屋に入ると7時半。夕食は僕の好きなスープスパゲティを食べながら、バイク教習の本読みながら半分寝かかってる家内の横で、今日の話をします。家内は程なく布団の中。僕も話す相手がいなくなったので9時過ぎて布団の中。お礼しなくちゃとPCを立ち上げたが、2通目の途中で夢の中。朝起きて続きを書きました。楽しい1日でした。
2011/02/23
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次の集合場所「岸和田SA」到着。ここで2台加わります。月1回のペースでいろんな所を巡っているのだとか。初参加は、僕を含め4人。僕のバイクにタンデムしてるお守りの「ひこにゃん」が、女性に可愛いと褒めてもらっています。カメラマウントに興味がある女性に、製品名やインプレッションなどを教えてあげました。そしてハンドルガード。「ええ~、これテーブルクロス?」って驚かれました。そりゃそうですね。BGMが流れるバイク、バイク用ドライブレコーダーが付いてるバイク、いろんなバイクがありました。250ccは僕含めVTRが2台。400ccはW400とCB400が2台、みんな女性。僕以外の男性は皆さん大型バイクでした。続いて南部IC手前の印南SAで休憩。岸和田から1時間ぐらいでした。海南を過ぎると片側1車線になりますが、いきなり上り線が混んでいました。休日は毎度のことですが、午前中から混んでるなんて、帰りはどうなってるんだろう?「南部IC」を下りて梅林に向かいます。ここでガソリン補給。僕はほぼ満タン状態でまだ180kmなので余裕ですが、ここで入れておきます。これで家まで給油なしでOKです。13Lタンクなのに給油5.2L、燃費34.2km/Lでした。高速乗ると燃費悪化するはずなのに、給油のお姉さんの給油量が甘かったようです。初めての「南部梅林」です。車は駐車場に入る渋滞が起きていましたが、梅林内を巡る道を上がると交通量はあまりありません。道が細いのでバイクはスイスイですが、車はゆっくりなので、車に追いつくとゆっくりになります。売店がある中腹の駐車場にバイクを入れ、そこで休憩。梅はまだ満開ではありませんが、それなりに咲いています。お団子食べる方やお茶飲んでる方、皆さんそれぞれです。一眼レフを持ってきておられる方もいます。ほとんどが白い花です。近所の公園の梅林のように観賞用じゃないから、みんな同じ種類みたい。ほんのり梅色の「梅うどん」なるものをお土産に買いました。おつゆ付きです。680円。梅林内道をグルグル回り下り、山を降りたところの梅畑横で写真撮影休憩です。ずらりと1列にバイクが並び記念撮影。こういうのもグループツーリングの良さなんでしょう。いつもなら、地図とGPS・道標をにらめっこしながら走るのに、ついて行くだけだから楽チンです。続いて、「道成寺」。歌舞伎の安珍清姫伝説の地ぐらいしか知識がない。山に入り、適当なワインディングの楽しい道になりました。ただ、僕よりペースが早く、ついて行くのに精一杯です。4人の女性もみなさん上手です。車間距離開けて、のんびり景色をキョロキョロしながら走る僕だから、少しは頑張ったけど、僕の後ろの方はしんどかったんじゃないかなあ?この道良かったのですが、途中でカメラの電池がなくなりムービーはなしになってしまいました。1人なら道端に止めて、電池を入れ替えるのですが、そうもいきません。道成寺到着。駐車料金150円。ここで電池を入れ替えです。横のハーレーさんは、ワイヤー施錠です。やっぱり高いバイクは、それなりのセキュリティをしないとダメなんだ。先に作業を終えた僕は、道成寺に向かいます。「あれっ?誰もいない。そんなに早かったっけ?」迷子になった模様ですが、まあいいやとお参りです。「道成寺の謎」なんて立て札が掛かっています。ハーレーさんは、寺務所の方に行かれます。このグループは、参ったお寺で訪問証明を書いてもらうのだそうです。今で言うスタンプラリーですね。西国33ヶ所巡りも四国お遍路みたいなものだからな。僕はパスして、塔や伽藍を写真に収めます。おトイレで用足してると電話がバイブしだしました。きっとリーダーさんからです。慌ててゴソゴソした後電話に出ると切れてしまいました。用足しの続きです。またバイブレーション。掛けなおしたらいいなと、用足し優先しました。今度はずっと鳴らしてくれたみたいで、電話に出ることが出来ました。
2011/02/22
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昨日は、和歌山の南部梅林にバイク出動しました。2週間前に車で南部を通過したのにまた和歌山南部です。バイク免許取って1年経った去年、2人乗りOKになりました。足付き万全な通勤リード110ccに家内を乗せて、いろんな所に行きました。そして免許取って3年目になり、ずっとソロだったけど余裕が出てきたので、今年はグループツーリングに参加です。先月初めて2台で走り、少し感じを掴み、またグループツーリングに参加してみました。8時半に「阪和道・東大阪PA」集合です。朝食食べてお風呂入ってと余裕持ってやってたら、時間の経過が早いです。予定していた服装に着替えると、着すぎのようで靴が履けない。上下1枚ずつ減らして着膨れ解消しました。寒いかな?と思っていたのですが、3月の気温だったので高速巡航中も平気でした。家内に教えてもらった靴下2枚履きは、なかなかナイスです。バイク極寒対策で唯一残っていたつま先の冷たさも感じませんでした。VTR250に、カッパ・工具を積んで、今年初めてハンドルにカメラをセットしました。8時なのでいきなり遅刻かも?R171・中国道豊中IC突入。ここで課題が・・・去年12月にETCをセットしたけど初走行です。ETCレーンへ・・・開くのか?・・・開くのか?・・・開きました。課題1クリア。続いて課題2。冬仕様で使ってたハンドルカバーから、先週「透明テーブルクロス・ハンドルガード」にチェンジしました。材料費1000円以下という超破格自作は、先週走った神戸行にはほぼ100点でした。「高速に耐えられるのか?」。結果はGood、95点というところでしょうか。ハンドルカバー同等に、寒風が全く手に当たりません。よって指先の冷えは感じません。機能的には100点満点。でも、3点固定のバックミラー部の右側だけが、少し下に下がります。100km走って少し下がるぐらいだから、手に風を受けることはありません。腕に受ける風の位置が少し下がる程度で、走りながらちょいと引き上げれば回復するので、問題なしです。合格。僕はいい仕事しています。「東大阪PA」には初めて入りました。高速道の下にあるのですね。「え~地道に下りちゃう?」と思いました。バイク置き場?と思われるところに15台ぐらいのバイクがいます。僕が入ると、5台ぐらいのバイクが出ていきました。皆さん速そうなバイクです。残りのバイクの後ろに停めてあたりを見回すが誰もいません。「休憩所があるのかな?」と歩き出すとトイレ発見。まずは用足しです。トイレから出ると、本日の幹事さんが僕の名前を呼びます。「はい」「じゃあこちらに。皆さんおられます。あと1人待ちます」ファーストフード店のような所に皆さんおられました。女性も4人おられます。バイクで西国33ヶ所巡りするグループです。皆さん初対面ですが、年齢も近そうですし、「こんにちは」「はじめまして」って感じで、なんだかホッとしました。一番の懸念がさらに深まったのは、駐車してあるバイクをざっと見たときです。ハーレーが数台&BMWも、1台真っ赤な素敵な新型VTR250があったけど、他は動力性能が僕より上のばかりです。「ついていけるのか?」僕はのんびり派なので、高速でも下道でも車やバイクを抜かすことはほとんどありません。高速なんて、抜かされてばかりです。リッターバイクが、圧倒的なスピード差で追い抜いていきます。でもこの乗り手の方々を見ると、そんなに速く走られないのではないか?と思いました。自己紹介するために席に着こうと電話を見ると着信履歴が残っています。さっきあったようです。ヨット部の後輩からです。ヨット屋さんに勤めてるので、クルージング艇のメンテナンスをしてもらっています。「セイルが修理中なのでその関係かな?」と、外に出て電話すると、僕の中高の同級生とクルージング中だとのこと。牛窓に向けて明石海峡大橋を抜けたとこだと。母校系列校の野外施設の管理をこれまた同級生がやってるので、そこに向かってるのだそうです。同級生に電話が代わり、これまた同級生夫婦とうちの夫婦で行った自転車ツーリングの話になりました。向こうは船の上で暇だからな。電話を切ると、出発のようです。グループでの役割があるようで、新人の僕は間に挟まれ、先頭と殿は大型の外車です。9台のバイクが1つの車線内でジグザグに隊列組んで走行します。車から時々見る光景ですが、僕がその中に入ってます。90km/hまでなので、僕でも大丈夫です。
2011/02/21
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今月の読書は、既に3冊読了です。先月は、1冊だけでした。海音寺さんの長編「風と雲と虹と」上下巻の文庫本だったので、ページ数が多かった。平安時代に、関八州を制覇し京都朝廷から独立した平将門に呼応するように瀬戸内海伊予の国を本拠地に、海賊を束ねて大坂・淀川から遡り、後1日将門が討たれたことが伝わるのが遅れたら京都朝廷を倒していた藤原純友さんの歴史小説です。今月は、家村耕さんの「光秀奔る」。続いて、荒木次也さんの「危ない夫婦の再生術」。そして、荒木つながりというわけではありませんが、荒木村重の歴史小説「兵庫の壺・異問本能寺の変」新宮正春著です。3冊とも星2つ、かなり面白い本でした。その中で、「危ない夫婦の再生術」を紹介します。僕はNHK好きなので、我が家の朝は、「おはよう日本」で鈴木奈穂子さんを綺麗だなあと鑑賞し、「おはよう関西」で井田寛子さんが可愛いなとまた鑑賞し、「てっぱん」のオープニングダンスで赤いスカートの子が映ると喜び、「あさいち」途中で出勤という流れになります。ある日の「あさイチ」でゲストに来てたのが、荒木次也さんでした。カウンセラーです。離婚の80%は女性から。新婚5年目まで、子供の手が離れた40代、旦那さんが定年退職する時期、この3つの時期に離婚に至ることが多いらしい。その心理を上手に説明されていたので、その日にいつもの本屋さんに本を注文しました。男は結婚しても、基本的には生活スタイルは変わらない。今まで母親にしてもらっていたことを妻に求めている。つまり、掃除・洗濯などのハウスキーピング。食生活。そして子育て。でも女性は、娘から主婦に一気に変わる。仕事を続ける女性が増えましたが、ほとんどの女性はプラスされた主婦の仕事もこなしている。離婚相談に訪れた女性のアンケートには、感謝してほしいやさしくしてほしい認めてほしい感想を言ってほしい思いやりがほしいもっと話を聞いてほしいもっと話し合いたいもっとよく見てほしいといったことがよく書かれています。妻たちの願いは、「もっと私のことを気にかけてください」ということなのです。それに対し男は、いちいち言わなくても分かっているはずだ。話を聞いても、なかなか結論に至らないので疲れてします。会話しても、女性の方がずっと会話スピードが早いので、聞き役ばかりになりストレスが貯まるので、会話を避ける。男性の会話は、物事の伝達や何かを決めるためのものだけど、女性の会話はストレス発散だったり、会話そのものを楽しんだりするので、女子会の会話はてんでバラバラの話をそれぞれがしてても、みんな満足出来る。「もうダメ」と離婚という結論を出した夫婦は、弁護士の門を叩くが、ご夫婦のどちらかがカウンセラーに来るということは、まだ新婚時代に戻れるということ。ここで登場するのが、『二人の関係を回復させるためのカウンセリングシート』です。これを毎日書くことから始めるのだそうです。---「相手の長所」を書いてみましょう。(あの人はとても魅力的な人です)21個「相手の好きなこと」を書いてみましよう。(好きなことは才能・魅力です)12個「相手にしてもらったこと」を思い出して書いてみましよう。(してもらったことは、あなたへの愛情表現です)12個「相手にしてもらっていること」を書いてみましょう。(してくれていることは、今のあなたへの愛情表現です)12個「相手にしてあげたかったことで、まだしていないこと」を書いてみましよう。(愛を忘れていたのです)12個「相手との楽しい思い出、協力してやったこと」を書いてみましよう。(これは2人の記念碑・絆です)12個「相手とと良い関係に戻れたら一緒にやってみたいこと」を書いてみましょう。(イメージで体験しましょう)12個---昨日と同じことを書いてもOKなんだけど、最初相手の長所が1つも浮かばない人も多いそうです。でも毎日書き続けていると、少しずつ書けることが増えていくそうです。今まで相手の欠点ばかり見つけて、離婚しなくちゃ自分が幸せになれないと思っていたのが、相手の長所を考え見つけようと観察することで、見えなくなってしまっていたいいところが見えてくる。そうなると、相手への言葉が優しくなり、その変化に相手が気づいて相手もカウンセリングにやってくる。そういう流れで、多くの夫婦が3ヶ月でニコニコしながら元の鞘の戻る。同じように、自信を失って会社や家庭に居場所がなくなった方には、----『自分らしく生きるためのカウンセリングシート』 毎日続けることで効果が出ます「私の長所」を書いてみましよう。(長所は素晴らしい才能です)21個「私の好きなこと」を書いてみましょう。(好きなことは能力です)12個「私の夢」を書いてみましょう。(夢は才能・能力やる気を引き出します)12個「身近な人の長所」を書いてみましょう。(良い所を見ていると、嫌な所は気にならなくなります)12個「今日の良かったこと」を書いてみましょう。(楽しみ・喜びは毎日発見し、気づくものです)6個「いまの仕事、将来目指す仕事の社会的意義」を書いてみましょう。(どんな仕事でも人の力になっています)6個「私がしてみたい、気分の良くなる行動」を書いてみましよう。(気分の良い時は幸せです)6個---不出来なわが子を嘆く方には、---『手どもの才能を発見するカウンセリングシート』 毎日続けるとすごい効果です!「お子さんの長所」をできるだけ沢山書いて下さい。(長所は素晴らしい才能です)21個「お子さんの好きなこと」を書いて下さい。(好きなことも才能です)12個「お子さんの夢」を書いて下さい。(夢は能力を引き出します。できる、できないは考えずに)12個「配偶者の長所」を書いて下さい。(または、家族の長所)12個「今日、お子さんをどんなことでほめましたか?j(ほめることは心の栄養です)6個「あなたがお子さんと一緒にやってみたいこと」を書いて下さい。6個---共通していますね。僕がやってきたことにドンピシャだったので、嬉しくなってしまいました。結婚してから、家内に小言を行ったことはないし、怒ったこともない。欠点なんて誰でもいっぱいあるけど、それは大抵自分でも気づいてるから、傷に塩をすり込むようなことはしない。同じように誰でもいっぱい持ってる長所は、大げさに持ち上げる。我が子に対しても同じように接してきました。家内にそういう人を選んだこともあるけど、僕以上にいずれ気付くと我が子に任せて育てた。長男がお嫁さんを連れてきて、お嫁さんに僕らを紹介した時の第一声が、「僕な、親に怒られたことがないねん」。結婚式の最後の新郎挨拶では、「僕のキャラを作ったのは、紛れもなくこの親です。何も制限せず、何でも好きなようにやらせてくれた」この本による採点では、僕はかなり高得点のようです。この逆を母から体験してる僕は、こうなって当たり前なんだろうと思う。子から孫、さらに・・・と続いて行って欲しい。だって、僕は次の生で僕の子孫に生まれたいと思ってるから。
2011/02/19
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日曜日、ナックルガード制作を終え、先輩が入院してる病院に向かいました。ナックルガードの具合を見る目的もあります。R171を西宮へ。山手幹線を神戸に向かって西進。前通った時に、良さ気なケーキ屋さんがあったので、そこでお見舞いを買う予定です。「みかげ山手ロール」というお店でした。ロールケーキ専門店のようで、品数は少ないですが、素敵な美味しそうなロールケーキが並んでいます。お客さんも途切れることなく入ってこられます。店員さんが手際よく、すぐに購入できました。とてもおいしそうだったので、次回は、家内へのお土産に利用しましょう。「神戸海星病院」を目指します。山手幹線と阪急六甲から上がってくる道との交差点が目標で、そこから少し北西に坂を上がったところにあるそうです。「簡単だな」とGPSは持って来なかったのですが、通りすぎてしまいました。「王寺動物園」まで来たのでこれは行き過ぎました。山手幹線を離れ、もっと北の東西の道路を東進します。適当に「ここかな?」って感じで曲がっていると、病院の看板が目に入りました。病院は予想以上に立派です。カトリック系なので、クリスチャンの先輩の奥さんの関係でここに入院されたのかも?休日で受付はおやすみです。看護婦さんに教えられてB1にある休日受付に向かい、病室を教えてもらいました。4人部屋でした。カーテンが閉まってるので、小さく名前を呼びます。「はい」と返事。声のする方を覗くと、ベッドに座って新聞を読んでおられました。片目だけど新聞が読めるぐらいだから大丈夫そうです。同階の団らんスペースに移動し、小1時間しゃべりました。規則正しい生活なので、体調はかえって良いそうです。片目以外は、以前と一緒なので安心しました。ただ下を向いていないといけないので、僕と話すときもずっと下を向いておられます。先輩に上から目線はいけませんので、僕も猫背で話します。傍から見ると、これは怪しい談合の図ですね。1週間もすれば退院のようなので、安心して病院を後にしました。帰路はR2まで下りて東進しました。午前中の作業の結果インプレッションですが、このナックルガードは最高です。市販のガードより大きいので、走行中風が手に当たりません。ガイラシールドで胸に当たる風もなくなったので、冬でも快適仕様になりました(バイクにしては)。見た目、シールドもナックルガードも透明なので、ネイキッドのスタイルが損なわれません。僕にしては、ナイスな作業でした。安いタイラップで留めてるだけなので、ハサミで簡単に取り外せます。ガード本体も透明テーブル・ビニールシートだから、いつでも安価に調達可なので、日焼けして色が変わってくれば使い捨てても惜しくありません。これは、ハンドルガードの革命かも?病院を3時半に出たのですが、武庫川まで帰ってきてもまだ4時です。家内の教習は、1時半からと3時半からです。まだ時間内なので見物に行きました。1時間目に見て、今回は5時間目。最短では3時間で第1段階終了なので、もう2時間オーバーしてるのですが、かなり上達していました。自転車しか乗ったことがないので、最初は危なっかしい感じでしたが、S字もクランクもウインカー出して入っていきます。クランクは先生が後ろについていますが、ポールに当てずにちゃんとクリアしています。1本橋もちゃんと落ちずに渡っています。その夜、教習手帳を見ると、まだ余裕がないのでクランクが合格点に届いていないし、坂道走行・発進はまだ1度も教習していないので、第1段階見極め合格まではまだかかりそうですが、さすがプロ、家内を上手に教えてくれているようです。外周走行はもう大丈夫そうです。その後、昨日の木曜日に2時間連続で教習しました。ひょっとすると、第1段階合格するかも?なんて期待しましたが、一本橋が合格しただけでまだ第1段階が続きます。次は月曜日。でも、「今日は、自転車に乗れますよね?って先生に言われなかったよ」と喜んでいました。それにしても早々に一本橋を合格するなんてすごいです。僕が教習所に通ってた時の難問はクランク、続いて一本橋でした。そのことを話すと、クランクもS字も同じとのこと。クランクは、先生がもっとゆっくりと言うから、フラフラしちゃうのだそうです。月曜日に、第1段階クリアできるかも?です。
2011/02/18
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一連のバレンタイン行事が終わりました。我が家の場合、4年前から親父の命日にもなり、なかなかナイスな日に亡くなったものだと、親父の最後の仕事にグッジョブしています。バレンタインデーの朝、TVでその話題をやってました。昔は本命さんだけに「渾身の1個」だったのに、最近は義理チョコや友チョコなんかで、やたらと数が多い。さらに、女性から男性へのチョコより、女子to女子のチョコの方が多いらしい。インタビューされてた女子も、男性にはあげないんだって・・・はずかしいって。そして義理チョコなどが増えて、意中の男性に本音が伝わらないんだって・・・なんじゃそりゃ・・・ああ、情けない。僕は、純粋な日本版バレンタインのいい時代を過ごしました。「もらえるかなあ?」、あのドキドキ感が良かった。本命さんからもらって高ぶった時もあったし、ノーマークな女子から呼び出され、チョコだけもらってその後はお断りしたこともありました。かつてを思い出しながら、いい気持ちになってる横で家内が、「私ね、チョコあげるの好きじゃないの。だってそのお返しを気にされるでしょ~。なんだか催促してるみたいで~・・・」「なるほど・・・」とは思いましたが、通勤スクーター上で、心理学的には自分がお返しを期待してるから、それが気になるんだなと僕の分析結果が出しました。人って、無意識に自分の思考回路を他人に当てはめるものだからなあ。僕は、自分がしたいからするだけで、その反応にはむとんちゃくなところがあります。そして、「これは今年は家内からのバレンタインチョコはないな」と読みました。予想通り、バレンタインチョコはありませんでした。そして、お通夜出席&大雪での断念のバタバタで、僕が用意してたチョコも渡し忘れてしまいました(僕は毎年バレンタインを家内に贈っています。イタリア人だから)。チョコを仕事場から持って帰るのを忘れたので、なんとも盛り上がりのないバレンタインになってしまいました。で、翌日「1日遅れだけど、ちゃんと渡さなきゃ」と仕事場で用意してると、大阪に行ってた家内が寄って、「これバレンタインドーナツ」って、「東京蒸しドーナツ」ってのを持ってきてくれました。有名なお店のだそうです。チョコ色してました。その晩、家内からもらったドーナツと、僕からのチョコを持って、「一緒に食べよう」って帰宅しました。美味しかったです。こういうお祭りは必要です。で、さらに翌日、また通勤スクーター上で考えました。バレンタインデー当日の家内の話を心理学的に分析しなおすと、「毎年用意してるのに買いそびれてしまったから、そのカモフラージュ」という結論に至りました。そしてもう一つ、「バレンタインデーの翌日の方がお得だから?」というのも頭をよぎりました。クリスマスケーキがイブ翌日には値崩れを起こす現象が、バレンタインデーにも当てはまるのか?家内にとっての僕の値打ちが、本命への渾身の1個から友チョコ、さらに義理チョコにダンピングされないように頑張らなくちゃ。
2011/02/17
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朝起きると家内から、「明石大橋、自転車で渡れるようになるかもしれないんだって」と。毎朝、しっかり新聞読んでるので、僕の興味がありそうな最新の話題を教えてくれます。兵庫県が、現在高速道路しか通っていない明石海峡大橋を、歩行者・自転車・小型バイクでも通行出来るように出来るかの調査費に、予算500万円を計上したそうです。たこフェリーがなくなって、もうバイクで淡路島を走れないなと嘆いていました。去年家内と2人乗りして巡った淡路島一周がとても楽しかったので、残念でした。その時、「日本で一番大きな島に、スクーターで渡れないなんておかしいよね。道路行政として、これはおかしいと思うな」と言ってました。フェリーで淡路島に渡る手段がなくなっても、歩きの人は50人乗りクラスの中型渡船ジェノバラインに乗るか、高速道路バスで渡れます。問題は自転車と小型バイクです。自転車もその渡船に乗れますが、まともな置き方はできません。たこフェリーに乗っていた自転車台数をこなすのはとても無理です。バイクは、渡船には乗れません。高速道路を走れる125cc以上だと橋を渡れますが、それ未満のバイクは渡る手段がありまえん。去年2人乗りした我が家の110ccスクーター・リードでは渡れなくなってしまいました。もう1台のバイク250cc・VTRなら橋を渡れますが、大きな問題があります。海面60~70m・20~25階建てビル屋上というとても高い所に掛かる橋で、風を遮る物がないので、強い横風の恐怖があります。高速道路なので、周りを走る車との関係で、風が強いからとゆっくり走るにも限界があります。横風がすごくて、恐怖で途中で止まったバイクもあると聞きます。強風が吹く橋の台風設計上の問題があるのかもしれませんが、高速道路側壁に付けられている透明の防音壁が付くと、かなり恐怖が軽減されると思っているのですが、僕にはあんな風の強い橋をバイクで渡る気になりません。突風が吹くと、コケなくても1車線は平気で横移動させられると思います。僕のはワンボックスということもあるのでしょうが、車で走るときでさえ、かなりの横風を感じスピードダウンします。僕と同じように感じる人が多いのでしょう、新聞によると、「125cc以下バイクの渡航手段がないことが地域住民の暮らしに影響が出始めている」となっていた。15万人も暮らす島にスクーターが渡れないのは、どう考えてもおかしいです。で、一般道がここを通るようになれば、「明石海峡大橋・恐怖体験ウォーク」が全国区の観光客を呼ぶでしょう。「明石海峡渡航サイクリング」もイベントとしての知名度を上げるでしょう。僕もスポーツ自転車で渡ってみたいぞ。しかし、地元のおばちゃんが、ママチャリで渡ることはないような気がします。せいぜいガッツな中高生男子が、通学に使うぐらいだと予想されます。一般道を通すと、風対策が重要なので、やっぱり無理だとなる公算が大です。そうなると、赤字補填してフェリー復活だな。この短い船旅、僕は好きだな。旅してる感じがするから。
2011/02/16
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昨日は大変な雪でした。朝は降っていなかったのですが、午前中から降り始め、降やみません。日中の雪なので、どうせ溶けてしまうだろうと思っていたのですが、気温は下がるし、道路に積もってくるし、「ほんまか~」という感じになりました。というのも、夕方から出かける用事があったからです。朝メールチェックしていると、幼稚園の同級生女子から届いていました。バレンタインデーか?なんてメールを読むと、同級生のお母さんが亡くなった知らせでした。で・・・いつもどおり、みんなへの連絡と供花の手配を頼むとのことでした。この子は、3才の時から同学年のドンで、僕はいつも命令されてました。「あんた専業主婦して、もう子供も働いてるんだから暇なんちゃうん?」と言いたいところですが、この上下関係は今でも変わりません。毎年の同窓会でも、女子連のおしゃべりの聞き役です。でも幹事とかのお鉢は、こっちに振られるんだよね。葬儀会館に電話し、お花を手配し、みんなに訃報と葬儀詳細と協力金の振込メールを送ります。僕の通った幼稚園は、3年保育という当時としては画期的に長い保育期間でした。同年代で、僕以上に幼稚園を長く通った人はいないでしょう。同級生は、みんな教育熱心ママの子です。「親子で一緒に成長しましょう」というキリスト教系の幼稚園だったので、お昼ごはんもおやつも母親たちが交代で幼稚園にやってきて作ります。夕方までの保育です。でも子供に母親が来ているのを知られると保育に影響が出るので、子供とは別にやってきます。子供は、入園した1ヶ月後から、1人で電車やバスに乗って通います。僕も3才から電車とバスに1人で乗ってました。料理が苦手な母親も、ここでレパートリーを広げます。一緒に料理を作り、クリスマスプレゼントも一緒に作り、濃~い母友を作るのも目的です。1学年15人しかいないので、同学年の子はみんな我が子みたいになり、僕もよその子のおばちゃんをみんな知っています。こんなとこなので、今でも延々と同窓会が続いています。同窓会と言っても、母親同士の同窓会でもあるので、小中学校の時は母子で同窓会参加でした。それから、子供だけの同窓会になり、最近は子が親を連れての同窓会になっています。こんなだから、僕は嫁さんより親しく同窓生女子に言われたりします。不思議な関係だから、去年の同窓会に家内も連れていきました。数人の母親がおり、「あんた1番泣き虫やったねえ」「え~・・君よりマシやったから、2番や」なんて僕が反論するのを、どんな顔で見ていたのでしょう。前置きが長くなってしまいましたが、今日の告別式に行けないので、昨日のお通夜に行く予定でした。ところが雪が降やみません。7時からなので、5時半で仕事場を離れ、帰宅しました。メインな道は路肩と中央線に雪があるだけで、他は溶けているのですが、枝道は雪道になっています。スクーターもゆっくり走らないとダメです。途中、走らないといけない国道が渋滞しています。夕方の交通量に加え、雪でゆっくり走ってるからのようです。自宅に戻り車を見ると、屋根にもフロントガラスにも全面に雪が積もっています。ノーマルタイヤなので、往路は行けても、8時過ぎる復路が心配です。冬になると、4WD・スタッドレスで毎週雪山に向かっていましたが、滑るのを知ってるだけに余計慎重になります。今日来られたタクシーの運転手さんも、「昨日みたいな日は早々に切り上げて家に帰るんや」と言ってました。お客さんの命を乗せてるから、無理しちゃあかんそうです。で、お通夜参列を断念しました。会館に電話し、供花代金を振込みにしました。告別式には、数人の同級生と母親が行くので、喪主の同級生への心遣いは任せます。亡くなったお母さんは、僕が幹事だった去年の同窓会でも結局体調不良で来れませんでした。ケニア旅行中の女子同窓生からは、「連絡ありがとう。残念だけど、向こうの世界で待ってるママ友もいるから・・・」なんてメールが来ました。また、チビの僕のご飯を作ってくれた方が減りました。まあ、順番なので仕方ないけど・・・
2011/02/15
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日曜日は、家内の二輪教習日なので、1日中バイクツーリングに出られるなあと計画していました。ところがです。教習は午後からなので、「午前中にお墓参りしようか」と家内から提案されました。僕の父親の命日がバレンタインデーなので、参ろうということです。僕はもちろん(ほんとは・・・)OKしました。大阪難波から路面電車の阪堺電車を見ながら浜寺公園まで走り、海岸線を探索南下しながら和歌山でやってるジュニアのレースを観に行こうと思ってたんだけど。朝食後、8時過ぎに家を出ました。猪名川町のお墓までいつものr12です。ほんとは旧道の方が面白いけど、車なので細い道回避のために現道を北上します。我が家の墓園は規模が大きく、事務所でお花などみんな揃うのだけど、この日は庭の水仙を束にしてきました。「このくらいの長さで良かったかな?」とハサミを入れたのですが、家内に見せると、「あれ~ちょっと短いかもね?」だって。墓園が近づいてくると、周りの山の上の方は前夜降った雪で白いです。「あの坂は無理かな?」と思いながら墓園に着くと、事務所前の駐車場までは平気でしたが、そこから先の墓園内を上がる坂に雪が見えます。上の駐車場まで上がるのを断念し、徒歩で階段を上がることにしました。1ヶ月ぶりのお墓は、掃除するところもないほど綺麗です。で、水も冷たいことだし、来月はお彼岸でまた来るしと、掃除を省略しました。花生けの水は凍ってるし。持参の水仙を入れると、家内の予想通り少し背丈が足りません。家内が体裁良く生けてくれて、まあいいでしょう。こういうものは気持ちのものだからね。生前暮らした家の庭のお花の方が、両親は喜ぶだろう。1300円浮いたし。帰路、スーパーに寄って買出しして10時半帰宅。ここから僕はフリーです。VTR250を家の前に置いてゴソゴソし出しました。冬は手が寒いので、最強のハンドルカバー仕様なのですが、手の出し入れがしづらく、とっさの動きが少々不安です。ナックルガード仕様に変更するゴソゴソを始めました。バイク用のちゃんとしたのを買うと1万円とかそれ以上するので、自作します。テーブルに掛ける透明ビニールカバーの一番厚い2mmのをホームセンターで買ってきました。ハンドルを覆う適当な大きさにハサミで切り、電動ドリルで3ヶ所穴をあけ、そこにタイラップを通してハンドル周りに固定します。作業は30分ほどで終了しました。出来栄えは上々です。透明でよく分かりませんが、市販のハンドルガードの2~3倍の大きさです。でかいと風をいっぱい防ぐのだ~。作業中、弟家族がやってきて、実家の仏壇に手を合わせ、これからお墓に行くという。お花のことと、お墓の道の雪のことを弟に伝えました。まだ小学生の姪は、家の周りの雪の写真を見せてくれて、うちの長男のお嫁さんが新婚旅行先のケニアから出したはがきの話をしてくれた。昨日届いたそうです。長男たちは1週間前に帰国したのに・・・僕は男兄弟で、我が子も2人とも男だったけど、女の子がいると随分違うなと感じます。昼食を食べ終わると、家内が出発する1時になりました。僕も一緒に出発です。目の病気で手術。入院された先輩のお見舞いです。手術も終わり、内蔵はどうもないので暇にしてるとのことだったので。
2011/02/14
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今朝起きたら雪が降っていました。この冬は寒く、1月に1度ツーリングに出ただけで、VTR250は長期冬眠しています。通勤スクーターは毎日乗ってますし、リード110ツーリングも1日したのですが、やっぱりギアのあるバイクが運転が面白いです。2月に入り一気に暖かくなり、行けるなあと日曜日の予定が気になる今日この頃です。先月末から、家内がAT小型二輪免許を取りに教習所に通っています。「日曜日だけ通うから」(僕の裏の声・・・むむ、ラッキーかも?)と言ってたのですが、学科26時間・実技9時間を日曜日だけ通って履修するのは学科課程の実施日の関係で無理で、ウィークデイも通うようになりました。1月最後の日曜日は、リード110で旧西国街道探索が出来ました。でもこないだの日曜日は、何も履修できる課程がなく家内はフリーになってしまいました。(・・・むむ、バイクで何処かに行こうと思ってたのに)で、家内と和歌山の温泉&奈良十津川村吊り橋ツアーをしました。この火曜日の実技第1段階みきわめは、見極めにも至らなかったみたいで、これを合格しなければ第2段階の学科教習も受けられず、また日曜日は家内がフリーになるのかなと思ってました(・・・がっかり)。ところが、日曜日に2時間も実技予約ができたそうで、(・・・バイクでどこかに行けるかも?)ラッキー。「でも日曜日は午後からだから、午前中お墓参りに行く?」って家内から提案がありました。うちの親父の命日がバレンタインデーなので・・・。正月に参って、3月はお彼岸で参るからいいやんと思うのですが、家内の実家は、祖父母の月命日をお坊さん呼んでする家なので、こういうのをやっときたいようです。家内からの提案なので、ダメなんて言えません。多くのお父さんは、この心境をおわかりいただけると思います。よってバイクで出かけられるのは、半日だけになりました。(・・・近場しかいけないし、残念かも)家内と一緒も楽しいけど、1日バイクツーリングもまた別の楽しさがあります。まあ仕方ないです。その次の日曜日は、どうなるのかなあ?教習で1日埋まることを期待しましょう。
2011/02/11
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意を決して(意を決したのに)、家内に続いて(男子たるもの・・・でもおっかないので女子の後塵を拝します)橋を渡り始めます。予想よりお客さんが少なく、10人ぐらいが橋の上です。「二輪車は走行できません」って、ここを二輪で渡る度胸満点な御仁がおられるのか?僕は尊敬するね。橋を渡りだすと、向こうから帰ってきたおっちゃん2人が、走り出しました。「こら~何すんねん!」揺れます~。家内の方が速いので、僕を置いて離れていきます。中央部に来ると、ワイヤー上に固定された踏み板に節穴が開いてる。固定されてる針金が緩んで、板が動くし。中央部が一番揺れるし。と恐怖の最高潮になりました。でも前の吊り橋の方が細かったから、あれより怖くありません。本番直前学習が効いているのでしょうか。「絶対、止まったらアカン」(この1年の吊り橋歩行修練によると、止まったら揺れをストレートに感じて、もっと怖いです)と言い聞かせながら、気力を振り絞ります。時折向こうからやってくる人とすれ違い、幼稚園ぐらいの子が親と手をつながず笑って通り過ぎます。(なんだ~地元の子か~?)「怖くないの?」と声をかけると、「うん」と頷きます。僕もチビの頃は平気だったのだろうか?中央を通りすぎると、気持ちが楽になりました。最後の1/10ぐらいは走ることも出来そうです。というより、早足で早く向こう岸に渡りたい。さっきの2人のおっちゃんもこういう心境だったのかも?向こう岸で数分うろうろキョロキョロし、復路です。僕としては往路で満腹満足なのですが、復路をこなさなければお家に帰れません。この復路は、往路でなれたのかさらに楽にこなせました。大満足の谷瀬の吊り橋初体験になりました。2時を回ったので、ここで遅い昼食にしました。実は吊り橋横の駐車場は、吊り橋たもとに立つ「望橋」というレストランの駐車場です。なにか買わないとアカンでしょう。レストランに向かうと、そこから出てきたおっちゃん達が、家内の顔を覗き込んでいきます。吊り橋に向かって大きな窓があり、そちらに向かってカウンター席が用意されており、ここから渡る人を観察できます。「おっ、ちょっと可愛いお姉ちゃんが渡ってきたぞ」とでも仲間内で話していたのでしょう。すれ違いざまに、弁天様を拝んだのでしょう。家内と歩いていると、こういうことはよくあります。こないだなんか、先輩の散骨という厳かな時の帰りに、前を走ってた先輩の船がUターンして、僕の船の横を並走します。みんなこっち見てるけど、何も話しかけてきません。「あれ?向こうの船にベッピンさん乗ってへんか?」「ちょっと拝みに行こか」みたいな会話があったに違いありません。後輩の嫁さん見に来てどうすんねん・・・僕もようわかります・・・男ってアホです。こんなんやってるから、世の女性から、見下されるんですわな。「似合わんなあ、横のおっさん」とでも僕を見てるのでしょう。まあほんまやからしゃあないわな。我が夫婦、外見の差がありすぎますから・・・カウンターから橋を見ていると、1/5は引き返しています。さらに最初から超へっぴり腰の若者男子がおり、もう一人の男子の肩に掴まって引き返してきます。仲間の女子の1人は、まるで草原を駆けまわる少女のごとく早足で渡り、真ん中でワイヤー持って揺らしています。世の中にはすごい人がいるものだ。僕が渡ってる時、あの娘がいなくて良かった~。ここからまたGPSを自宅にセットし、R168・R24・南阪奈道路・阪和道・近畿道・中国道のルートで帰宅しました。僕もそうですが、家内も「面白かった~。また行きたい」と大満足のツアーでした。帰り道、横で眠る家内の寝顔を見ながら、「今日の僕はなかなか頑張ったぞ。いい所にエスコート出来たかも」。この時期としては気温が高く、セーターでも大丈夫だったし、風が弱く吊り橋の揺れも小さかったのも満足度を上げてくれたと思います。
2011/02/10
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「十二滝」というのがありました。水量はチョロチョロですが、落差の大きな滝がR168の真横にあります。梅雨時だったら、豪快に落ちているでしょう。R168走行中の車にもしぶきは掛かるね。「道の駅ほんぐう」でトイレ休憩。家内が、ご近所さんにお土産を2つ買いました。初めてこんなに長く走ったR168は、大雨が降るとどこかで通行止めになる険しい山肌を縫って走り、至る所で道路改修・付け替え工事をやっていました。がけ崩れ改修が間に合わず、鉄柱を打った上に敷かれた仮説道路上を走る所もありました。枝道は、素敵な渓谷に吸い込まれていき、バイクで入ってみたい山道の宝庫でした。R425に合流し、少し寄り道です。R425を少し、さらにr735を少し走ると、目的のそれはありました。「野猿(やえん)」渓谷に渡したワイヤーにぶら下げられた木製の箱に乗って、同じく対岸に渡されたロープを手繰って対岸に移動します。観光用ではなく現役です。渓谷の上を宙ぶらりんになって渡るので、乗って記念写真だけと思っていたのですが、家内は動かしてみたいとのこと。僕がビビってるのを見透かしています。だあ~れもいません。定員は1人なので、家内だけが乗って渓谷に乗り出していきます。僕はムービーオンして、ロープ移動を手助けします。川の真ん中付近まで行って、「気持ちいいよ~」って叫んでいます。ビビってる僕を乗せてみたくてしょうがなさそうです。家内が帰ってきて、なんだか僕にも行けそうな気がして、交代して乗り出してみました。1人乗りの狭い箱の中ですが、高いところの端にくるといつもやってくる、足がスースーするあの感じが来ませんでした。「これ面白いかも?」僕の本日の一押しです。ワイヤーの現役吊り橋がありました。ちょっと自信ついたので、渡ってみることにします。家内はトコトコと行ってしまいますが、僕は中央付近までが限界で引き返しました。向こうにいって折り返し後ろから追いついてきた家内が、「腰が引けてるよ~」「へっぴり腰になってるよ~」と笑っています。「何とでも言え。こっちは真剣なんや~」無事生還。「次の本番に向けて、こんなところで全精力使い果たすことないからね」と、苦しい言い訳です。再びR168に戻り北上を続けます。標高1400mまで上るアップダウンとワインディングの道が続きます。眼下遥か下に緑の水が満々と貯えられています。雄大すぎる深い渓谷が僕をビビらせます。この道を南下すると、渓谷側を走ることになり、かなり恐怖かも?そして次の目的地、「谷瀬の吊り橋」にやってきました。ここ数年の高所恐怖症克服プログラムの目標地です。写真を写しながら、「落ち着け」と自分に言い聞かせます。野猿も吊り橋も真ん中に至らず、途中で引換しています。でもここは何としても渡らなねば。さっきの予行演習が無になってしまいます。僕の高所恐怖症克服プロジェクトに、金字塔を打ち立てねば。
2011/02/09
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GPSに指示され、「仙人風呂」到着。時刻は9時過ぎ。予定より1時間早いです。「10時ぐらいから入れるのかな?」と思っていたのですが、6時半から夜10時まで入れるようです。河原の石ころゴロゴロの無料駐車場に車を入れ、僕は車内で水着に着替えます。家内は薄着になるだけで、着替えは仙人風呂横の女性用掘っ立て着替え小屋を利用するそうです。仙人風呂まで100mほど歩きます。河原から湯気の出ているところがあり、道路を隔てた温泉旅館からは、湯気の立つお湯が流れています。源泉が溢れ出ているのでしょう。仙人風呂横のヨシズのところで服を脱ぎ、水着になって風呂に入ります。ちょうどいい湯加減です。温泉に浸かりながら、景色をカメラに収めます。(読者Sさんと同じ図)時折来る車やバイクの観光客が偵察にやってきて、カメラをパチリとしています。男子の半分以上が素っ裸にタオルです。30代と思われる女子も1人その出で立ちでした。「うおっ」。立って歩いたら、ラインがぁ~・・・広い河原のお風呂に10人弱のお客さん。何故か同志連帯感があり、「あっちは熱いよ」「写真写しましょうか?」なんて声がかかります。僕ら夫婦も写真を撮ってもらいました。よく考えると、2人でお風呂に入ってる写真なんて今までなかったかも?帰宅後、家内はこの日一番だったという貴重で楽しい体験でした。ただ僕らが風呂から上がって着替えていると、手をつないだアベックがやってきて、さらに駐車場にベッピンさん女子2人と男子1という車がやって来たのが残念でした。「もう少し後からの方が良かったねえ・・・」と僕の心を見透かした発言が、家内からありました。「いや・・・まあ・・・」素直に残念です。地図ですぐ近くにあるとなってる世界遺産「熊野大社本宮」に向かいました。R168に合流し、ここから熊野川沿いに北上です。雄大な広がりを見せる河原が素敵です。ほどなくして到着。駐車場が満杯だそうで、消防署横の駐車場に車を置きます。家内が「うわ~大きい」と大鳥居を見つけました。平安神宮の朱色大鳥居に匹敵する大きさです。違いは黒いこと。「なんで鳥居なのに黒いの?」。ここは本宮跡だそうで、以前はここに多数のお宮が建っていたそうです。紀伊山地の水を集める熊野川と他の河川が合流する中洲で、明治期の大水で流されたそうです。残ったお宮を今本宮がある高台に移したのだとか。現在の本宮に参りました。まず目についたのが、三本足の真っ黒な鳥の大きな幟です。謂れ板によると、「八咫烏(やたがらす)」が熊野大社の家紋(社紋?)で、神武天皇を山奥深い熊野国から大和国まで導いたのだとか。JFA(日本サッカー協会)のシンボルマークになっており、日本代表ユニフォームの胸に輝き、日本代表を頂点に、シュートを相手チームのゴールに導くのだとか。どこかで聞いたことあるな。「う~む、かっこいい」。AFCアジア選手権前に、代表関係者がお参り願掛けに来たのだろうか?石段下でおばちゃんが「もうで餅」というのを売っていました。近づくと、「試食のお餅をどうぞ」って。「美味い」。帰りに買うことを約束し、石段を上がっていきます。三社が並んで立っていました。お参りし、社務所のお守りやおみくじコーナーを冷やかします。八咫烏のお守りがカッコいい。でも僕のウエストバックには既に3つもお守りが下がっています。帰りに「もうで餅」をお土産に買って、R168北上を続けます。
2011/02/08
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日曜日は、紀伊半島山中に行ってきました。家内が小型二輪AT免許を取りに行きだしたので、しばらくは1人の日曜日になるなと思っていました。ところが、履修の進み具合で、日曜日に取れる講座がなくフリーになりました。こういう場合は、夫婦で何処かに出撃です。ヨット以外は夫婦でお出かけ優先です。最初、大混みの桜の季節前に奈良・吉野山伽藍をゆっくり巡ろうと計画していたのですが、この1週間気温も高く天気はいい日が続くので、2年越しのあそこに行くことに変更しました。「和歌山・川湯温泉&奈良十津川村・谷瀬の吊り橋」ツアーです。川湯温泉は、大塔川の河原から温泉が湧き出している温泉で、スコップ持って適当に河原を掘り、川の水を適当に引いて温度調節するという楽しげな温泉です。毎年11月初めから2月終わりまで、地元の温泉協会がブルドーザーで大きなお風呂「仙人風呂」を掘り無料開放されます。十津川村の「谷瀬の吊り橋」は、日本一長い吊り橋で、高所恐怖症気味の僕にはかなりの試練になるはずです。でも、日本最長を渡りきれば他は大丈夫に違いないと、ここの征服に向けて、吊り橋を見つけるとその練習のために渡っていました。この2つは、紀伊半島山岳地帯中央部を縦走するR168で結ばれています。これを同時制覇すべく、今まで数度計画を立てたのですが、標高1500m級の山が連なる紀伊半島中央部を縦走するだけあって、道路事情に左右されます。「雨で仙人風呂が流れたので、水が引くまでしばらく入れません」「R168ががけ崩れで一部通行止め」などで、いつも計画倒れになっていました。去年11月も計画しましたが、他の用事が入り断念。また1年持ち越しだなと思っていたのですが、2月に入り何故か今冬の厳寒がどこかに行ってしまいました。「このチャンスを逃すまじ」です。家内に計画変更を提案すると、いつものようにふたつ返事でOK。水着を引っ張り出して、「やっぱりワンピースの方がいいよねえ」なんてやってます。「タオル巻いといたらいいんじゃないの」の僕の言葉に促され、着替えが簡単なセパレートを選択しはりました。日曜日は朝4時に目が覚めました。すぐに車にキーを突っ込みます。3週間ぶりに動かすから、エンジンが掛かるのか・・・一発OKでした。そのままGSに向かい、満タン給油と空気圧点検しました。空気圧が減っていました。これが減っていると、燃費減とパンクにつながるからね。5時に出発です。中国道豊中ICから入り、近畿道を南下、阪和道に入り「紀の川SA」で休憩しました。ここは久しぶりで、以前工事していたのが完成したようで、綺麗になっていました。僕はイチローばりに朝カレー、家内は和歌山ラーメンを食しました。この道を使うときは、和歌山マリーナシティでのヨットレース関係がほとんどで、いつも「海南東」で下ります。今回はそれを過ぎてさらに下ります。ここからはトンネルばかりでした。「みなべIC」で下りて、R42で「白浜」に向かいましたが、もう1つ先の「南紀田辺」まで高速&「田辺バイパス」を利用した方が良かったです。白浜から、後で知るのですが「熊野古道」に沿って走るR311で紀伊半島山岳地帯目指して奥に入っていきます。川沿いの道なので緩やかな勾配で上がっていくのかと思っていたら、さすがに秘境紀伊半島に向かう道らしく、いきなり急勾配で高度を増して行きます。両側に急峻な山が迫り、川沿いではなく渓谷を縫って走る感じで、素敵な景色が続きました。交通量は少なく、2車線の快走路と離合に気を使う中央線のないワインディングロードが交互にやってきます。バイクで走ると楽しそうです。時々、「世界遺産・熊野古道」への招き道が交差します。家内が、「熊野古道も歩きたいね」だって。次計画しましょう。
2011/02/07
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今日は、バンコクでトランジットか~。昨年秋に結婚式を挙げた長男夫婦が、新婚旅行に行っています。5月に入籍し新居を構え、秋に結婚式・披露宴、年をまたぎ1月末から新婚旅行と、今はこういうバラバラなのが一般的らしいが、1年間に渡る結婚セレモニーが終わります。長男たちはケニアに行っています。今大変な事になっていますが、長男が学生時代に行ったエジプトからの帰りで一緒になった旅行者から、「人生観が変わる」とまで絶賛の言葉を聞かされた長男の希望でケニアになりました。お嫁さんもケニアは初めてだそうです。旅行前に送られてきた日程表によると、日曜日出国・バンコク・ナイロビ、月曜日ナイロビ・マサイマラ、火曜日マサイマラ、水曜日マサイマラ・ナイロビ・アンボセリ、木曜日アセンボリ、金曜日アンボセリ・ナイロビ、土曜日ナイロビ・バンコク、日曜日帰国という予定です。ナイロビからマサイマラ・アンセボリの2つの国立公園への移動は車で、片道200kmもあるそうです。水曜日は500kmも車移動です。ぐったりかも?ナイロビ到着後、お嫁さんから家内に、無事到着と絵葉書を出すとの連絡がありました。「連絡がないのが無事な証拠」の僕に似た息子たちから、こんな連絡をもらったことがないので、家内はとても喜んでいました。そして毎日、郵便屋さんを待っています。でもまだ絵葉書が届かず、毎日残念そうです。「きっと帰ってくる方が早いわ」なんて言ってます。この旅行に向けて、長男も一眼レフを買いました。僕と同じソニー製なので、ソニーの前身の僕のミノルタ望遠レンズが使えると、正月に帰ってきたときに持って行きました。活躍してるのだろうか?エジプトがこんなことになり、ケニアは大丈夫かなあ?なんて家内が心配していますが、僕はキリスト教国なので大丈夫とちゃうかな?なんて何の根拠もなく安心しています。無事帰ってくればOKです。まあ、何かあってもそれなりの経験を積んでるし、仕事関係のネットワークもあるだろうし、何とかするでしょう。明日は、夫婦で和歌山の山の中の秘境?混浴に出かけるつもりですが、帰国したらきっと連絡があるだろうから、家内の携帯はONにしておかなければと思っています。気温が上がり天気も良さそうなので、道路事情が改善されていると予想し、数度雪やらがけ崩れやらで断念した和歌山の山の中を目指しますが、僕らこそ、無事たどり着けるのか?そして無事帰って来れるのか?秘境混浴温泉。家内は昨夜、やっぱりワンピースかなあ・・・なんて水着を引っ張り出して吟味していました。
2011/02/05
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「JR長岡京駅」まで来ました。「長岡天神」の道標に従ってそちらに行き適当に巡りましたが、あまり興味を引くものはありませんでした。駐車場が有料で路上駐車するのもはばかる感じだったから、探索はなしです。2時になってお腹は減るし、帰路へのタイムリミットになったし。ここは、奈良時代桓武天皇が遷都したところです。奈良盆地は水利が悪く、西方から来る物資は難波の津で陸に上がり人力で、多くの人口を養う水も不足し、度々疫病が流行する都市でした。もっと水利の良いところとここに遷都しました。木津川・瀬田川・桂川が交わり、大坂へも淀川の大河川でつながってるので、西方の物資が直接山崎の地に荷揚げできます。でも西山からの勾配がきつすぎた丘陵だったからか、洪水に悩まされ、わずか10年で平安京に再び遷都されてしまいました。それらにつながる遺跡や寺社が山ほどありそうなのですが、タイムリミットになってしまいました。僕の探索には毎度のことですが、道中寄り道が多すぎました。桓武天皇は僕の歴史年表のランドマークです。奈良京から、長岡京・平安京と2度も遷都し、第50代天皇というのも覚え易いです。第・・代天皇と言う表記があると、桓武天皇の前後を考え、おおよその年代を特定します。また、清和天皇と共に、武家につながる天皇でもあります。清和天皇から、武家源氏・清和源氏、河内源氏・源頼朝・・足利尊氏・・・とつながり、桓武天皇からは、武士の本場関東に根を張った武家平氏、5世に関八州を平らげ新皇になった平将門とそれを破った平貞盛が、そして貞盛流れの清盛へと続きます。好きなので、いくらでも続くけどやめとこう。長岡天神前の土産物屋街ででも腹に入れる算段だったのですが、どうもそれらしいところがありません。こんなに有名なのに・・・。r110に面する「天下一品」に入ろうと思ったら、駐車場がないぞ・・・断念。長岡天神前のr110を南下し始めました。「丹波街道」となっています。北上するとR9山陰道に至るようです。r62に合流し、往路パスしたJR島本駅横の「史跡・桜井駅跡」に寄りました。横のコンビニでパンを2個購入。史跡内ベンチに座って食べます。父子像がありました。それを見たとき、「ああここか」と分かりました。生涯親天皇方だった楠木正成・正行親子が、東上してきた足利尊氏軍と最後の決戦に臨む時、幼い正行と最後の別れをしたところです。正行を本拠地河内に帰し、湊川の戦いで敗れ自死します。正行も正成亡き後南朝方に与し、北朝側を何度も打ち負かし、時には京都を室町幕府北朝方から奪い返しますが、最後は討ち果たされます。為政者の都合で、反逆者から天皇中心治世で国を治めようとした明治新政府により大功績者に180度変わった親子です。歴史ってほんとに面白い。そして歴史の人物像は、後の為政者によっていくらでも変わる典型です。もう3時を回りました。ここからできるだけ旧街道r62をなぞりながら地元を目指します。高槻からR171に乗り、一気に自宅に戻りました。面白いバイク旅になりました。
2011/02/04
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北摂の山が迫り、天王山が近くなってきました。風が冷たくなり時折雪が舞います。寒すぎる。着込んできたけど風をまともに受ける胸が冷たい。2週間前VTRで走った時は感じませんでした。やはりVTRのウインドスクリーンの効果が大きかったようです。手の寒さ防止に導入した「職人の店購入・膝あてナックルガード580円」JR線路を挟んで「サントリー山崎蒸溜所」がありました。日曜日なのに結構人がここの踏切を渡って蒸溜所の方に行きます。「工場見学の無料アルコール提供目当てだな」サントリーの袋をぶら下げた方が踏切を渡ってきます。左党にはたまらないのかも?この踏切のところに、「京都府・大山崎町」という現代の道標が立っていました。その横に「関大明神社」。謂れを読むと、古代山背国(後の山城国)と摂津国との境界がここだったそうで、関所があったそうです。朝廷派遣の兵士が守っていた交通の要衝だったそうな。平安時代初期には廃止された古い古い史跡の建てられた神社だそうです。続いて「離宮天満宮」というのがありました。「結構大きそうだけど知らんなあ~」と思いながら興味本位で中に入ってみました。謂れを読むと、清和天皇が夢のお告げにより、宇佐八幡から心霊を奉じて帰国した僧が、ここ山崎の地で霊光を見た。そこを掘ると岩の間に清水が湧いたので、国家鎮守のため「石清水八幡宮」を建てた。その後淀川を隔てた対岸の男山にも分祀し、そっちが石清水八幡宮と呼ばれるようになった。でも毎年4月になると、勅使がこちらに参った後、船で淀川を渡り、男山に渡り参拝するのだそうです。「知らなかった~」「知りませんでした」。これだから、現地直接探索は面白いです。そして同じく清和天皇の時代、神主さんが植物の種から油を絞り神祀の灯火に使ったので、それが全国の寺社や一般家庭に広がったそうです。なるほど。油といえば山崎。油売り流通の胴元になってる寺社が山崎にあるとは知っていましたが、この離宮天満宮だったようです。斎藤道三・織田信長が楽市楽座を開くまで、商業は寺社を中心にした組合組織が一般的で、自由に誰でもその商売にないと出来なかった。統制の厳しい独占フランチャイズチェーンが普通で、仲間内の利益を守っていました。何気なく寄ったお宮が、その胴元だったとは。これだから謂れ読みはやめられませんなあ。山崎に生まれて油売りを生業に美濃に入り、成り上がって一国の主にまでなった斎藤道三も、きっとこの宮につながる油売りになったのでしょう。斎藤道三が山崎に生まれていなかったら、美濃の主になっていなかったでしょう。歴史の不思議、偶然です。「油祖像」という油売りの像がありました。
2011/02/03
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こんもり木々が立つ森があり、寄ってみると「太田茶臼山古墳」というのがありました。堀に囲まれ、宮内庁管轄らしく人を寄せ付けない雰囲気です。「芥川」を越えました。ここらの旧道らしく旧家が残っています。堂々とした佇まいです。先祖に誇りを持って、この家を守っているのでしょうね。ありがたい事です。「高槻駅」の道標。「駅舎でも残っているのかな?」と思いましたが、何のことはない現在の電車の高槻駅の方角を示しているだけでした。旧道でタイムスリップ中なので、思考回路が江戸以前です。「芥川一里塚と芥川宿」の道標。さっきの郡山宿の1つ京都よりの宿場町のようです。高槻駅を越えると、r67になり、旧街道の道標も少なくなり道路整備もされて、面白くない道になりました。高槻市東部、次の島本が近づいてくると、またいい感じの細さを取り戻し、再び旧家も現れ始めました。この辺の旧家は土壁の色が赤っぽいです。ベンガラでも入っているのかな?篠山の郊外で、こんな赤っぽい大きな旧家を見て、武士の粋や色気・お洒落を感じましたが、ここもそうかもしれません。「畑山神社と梶原寺」謂れによると7世紀後半に梶原寺というお寺があったそうです。大化の改新の頃、明日香が中心の頃とは古いですね。聖徳太子が仏教を中心に置いた治世にしたのが7世紀始めだから、最古仏教寺院群の1つなんでしょう。ここも明治政府の神仏分離令により神社単独になったようです。廃仏毀釈の嵐がここにも吹いたんだろうな。あれで、相当数の仏塔や仏舎が葬り去られたのでしょう。アフガン戦争の時に破壊された仏像に、「貴重な文化財を壊して、文化の分からないヤツだ」みたいな報道がありましたが、日本だってたった100年前にやったんですから・・・ついでに江戸幕府の一国一城政策で、多数の山城が打ち捨てられ打ち壊された。ああ、もったいない。畑山神社で写真を撮っていると、中学生風の青年が入ってきて、手を合わせていました。この時期だから受験成就かもしれません。菅原道真を祀ると書いてあるし。ここの地名は「梶原」、どっこい地名で古の寺名が残っています。道標に次の「史跡・桜井駅跡」が記されていました。史跡となってるから現在の電車駅じゃないね。小学生の時、「駅」という字を教えてくれた先生が、昔街道筋の適当な距離ごとに馬を飼っており、早く届ける手紙や人がこの馬を乗り継いで走ったのだと教えてもらった。1区間馬で走り、疲れた馬を次の駅で乗り換えるのだそうだ。その馬を飼ってた「馬屋」の2文字がくっついて少し簡単になって「駅」になったそうだ。「今の電車は1駅で疲れないから乗り換えなくていいね」って、面白い話だったので1度聞いただけで、すぐこの駅の漢字を覚えてしまった。駅という字を見ると時々この話を思い出します。面白いね漢字。JR島本駅横を通過。駅前ロータリー横に大きな石碑などが立った公園があります。ここが桜井駅跡のようだが、すでに12時を過ぎています。篠村天満宮に行くのは諦めてるけど、「長岡天満宮」には行きたいなと予定変更してるので、先にそちらに急ぎます。
2011/02/02
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日曜日の旧西国街道探索です。石橋の阪大坂下を過ぎ、旧道に入ります。阪急桜井駅横を過ぎ箕面線を越えます。ここまでは早朝自転車でも来る距離です。R171に合流し、今度はR171の南側に分岐する旧道に入っていきます。時速20~30kmの曲がりくねった細道を走ります。この曲がり具合が旧道って感じで好きです。歴史街道に力をいれている箕面市が舗装の色を変えています。街道道標も立っており、次の旧跡までの距離を標しています。長屋門を備える旧家も時々現れ、いちいち激写タイムを取るもんだから時間がどんどん過ぎていきます。女子を後ろに乗せた中学生と激写ごとに抜き返される自転車巡航スピードです。「萱野三平邸」何度も来てるけど朝早すぎて休館時間でしたので、初めて中に入ってみます。忠臣蔵同志に加わりながら、赤穂浅野家への仕官の道を付けてくれた父や旧主への恩や迷惑との板挟みで討ち入りのための江戸下りに加われず、大石内蔵助に「お先御免」の手紙を出して自刃した部屋が公開されていました。これがきっかけになり、半信半疑だった仇討への同志機運が結束されたと言われています。僕一人の独占見学を終え、係のおじさんに頭を下げて出発しました。謂れ板に、「500m南にある萱野家累代の墓に、萱野三平の墓もある」となっていたのでお参りしました。萱野家は、清和源氏の血を継ぐここ萱野の豪族で、摂津守だった荒木村重の信長への反旗に与し、屋敷を焼かれ領地を没収されたそうです。しばらく世に隠れていましたが、近在を領した徳川旗本に仕官し、そこを代官して再びこの地に戻ったそうです。再度R171に合流し、すぐにまた南に分かれます。ここの入り口が西行一方通行で入れません。途中から旧道に乗りました。また同じような幅の道で、自転車で走るのが一番適しています。西国街道の道標の横に鳥居があります。バイクを置いて探索です。川をわたって小高い丘を登っていきます。いかにも砦跡というか豪族の屋敷跡という感じの地形です。この川が天然の堀になり、それを隔てて西国街道を睨めます。時々は、旅人を脅し臨時収入も得られそうです。「春日神社」というお宮でした。戦時中に奉納されたのか軍艦の絵馬も掛かっています。参道の階段横には簡易電灯がつながり、お祭りや行事の時は提灯なども掛かりそうです。今でも氏子さん達が大事に守っているのがわかります。宿川原町というところに来ました。「おや?」と思う旧家があったので止まったら、「郡山」という宿場町の本陣跡だそうです。個人の表札が上がっていましたが、謂れ板が立っています。中を覗くと土間があり、いい感じです。「中にはいってみたいなあ」。今度はR171を北に越えます。また一方通行で入れず、r110から回って途中合流しました。この合流部に謂れ板が立っていました。「交通の要衝・中河原」西国街道と京都亀岡に至る亀山街道との結節点だそうです。そして、信長時代の茨木城主だった中川清秀はここの豪族の生まれだそうです。高槻城主の高山右近同様摂津守荒木村重麾下だった中川清秀は、村重反旗に呼応しました。信長にとって摂津勢は大きな障壁で、織田軍団と摂津勢が衝突したら信長の命運が尽きるかもしれない大戦争になっていたでしょう。しかし、キリシタン弾圧をほのめかされ翻意した高山右近を知り、次の最前線茨木城主中川清秀も翻意しました。この全面戦争が勃発し長引けば、播磨攻略中だった秀吉に抗する播磨勢や毛利の援軍が力を得て、秀吉敗走・・・その後の歴史は大きく変わったでしょう。中川清秀は、この地の豪族だったんだ・・・初めて知りました。
2011/02/01
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