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先週は3回も「早朝バイク」に出られたのに、今週はゼロ。おまけに「早朝自転車」もナシでした。いつも通り、朝早く起きていたのですが、ずっと庭の手入れをしていました。今日、長男が帰省し、明日仕事明けにお嫁さんが帰ってくるからです。去年は、あと1ヶ月ほどジャングル化し、垣根も美的限界に近づいたところで、重い腰を上げたのですが、ちょっと早めにやっつけはじめました。先週、僕が早朝バイクで遊んでる時に、家内は長男夫婦が泊まる実家を掃除していました。仏壇の世話と空気の入れ換えをほぼ毎日やってたぐらいで、どこを掃除する必要があるのか分からないけどやってはります。僕も、何かしないと・・・やれることは庭掃除ぐらいしかありません。草刈り器具を右手に、左手で草を引っこ抜く・・・電動枝切りで、伸びて邪魔になってる枝を払う。90Lのゴミ袋にして10袋は頑張ったと思います。それも今朝終了し、電気が入った実家の冷蔵庫を覗くと、いろんなものが入っていました。どう考えても、たった2泊の2人分には多い量です。テーブルの上には、ティーセットが2脚用意されてるし・・・いつもながら家内は、息子が帰ってくるとなると、嬉しそうに掃除や準備をしています。まあ、残ったものは、僕の食料になるから、僕にも恩恵があるんだけど。美人のお嫁さんだから、僕も嬉しいんだけど。
2011/04/29
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日曜日、ウェルカムゲートツーリングから帰宅しました。「早かったね」、家内がいました。バイク用品店に、家内のバイク装束を買いに行きました。先週木曜日に、明石運転免許試験場にて、AT小型二輪免許を取得してきました。合格ぎりぎりの90点だったそうです。僕と同じコミネのプロテクター・メッシュ・ジャケット&パンツを購入。ジャケットは、サイズSがなんと定価の半額近い5980円でした。2割引になってたプロテクターグローブを購入。女性用の小さいのは、種類が少ないね。おしゃれなのはプロテクターないので、安全性に問題ありそうだし。「ゆっくりしか走れないのに大げさねえ」「小さなバイクで、こんな格好して乗ってる人はいないねえ」「僕も着るから一緒やん」なんて言ってますが、貰い事故ってやつもあり、バイク壊れても家内には怪我してほしくないから必要です。僕は、車でシートベルト着用が義務になる前から必ずしてたし、海水浴でもフェリーでも家族全員ライフジャケット着用する人です。一旦帰宅し荷物を置き、讃岐製麺にスクーター2人乗りで昼食に繰り出しました。帰宅後、リート110で、家内公道デビューしました。自宅周辺をぐるりと回ってくるだけだけど、自信なさそうです。まあ僕も、四輪免許取得後、初運転で町内をぐるりと回ってて、狭い道で内輪差で電信柱にぶつけてドア凹ませたし・・・。怪我しなかったらOKですよ。映画の時間になるまで、自宅で昼寝TV。その間、僕が買ってきたロールケーキの箱を冷蔵庫で見つけ、「これ何?」「お土産、真っ黒なロールケーキがあったので買ったの。イカスミかなあ?」「黒豆じゃないの?映画の後食べようか」ということで、またスクーター2人乗りで、映画館に向かいました。「阪急電車」という映画で、阪急の食材宅配に入ってたパンフレットで、家内が観に行きたいと言ってたやつです。僕が10年通った阪急・西宮北口~宝塚までの車内・駅・その周辺での出来事をオムニバス風に紡いだ素敵な作品でした。この沿線なら最も絵になるのできっと出るだろうなと思ってた母校の正門~中央芝生~時計台~甲山の風景がやっぱり登場し、母校学生やそこを目指す女子高生が重要なストーリーを展開していました。この1年でNo1作品でした。僕らは、大学の同級生夫婦です。学生時代に知り合い、卒業2年後に結婚しました。2人の母校が太線で登場し、僕らが結婚式を挙げた学校内チャペルが正門から時計台風景の脇に映り、披露宴をした宝塚ホテルが、物語の中の最初の重要シーン結婚式で登場。「あ、あそこだ」とわかる校内も映ってました。これ以上僕らを喜ばせる映画はないでしょう。先行上映2日目ということもあるでしょうが、「三丁目の夕日」以来のお客さんの数でした。阪急沿線ローカルでは、大ヒット間違いなしです。ルンルンで帰宅し、ロールケーキのおやつ時間です。「イカスミ?」「黒豆?」、両方不正解で、黒い元は「竹炭」でした。見た目は真っ黒ですが、お味はビューティフルでした。またまた素敵な休日になりました。
2011/04/27
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神戸電鉄「三木駅」の横を通りました。とても趣きのある駅で、1人だったら寄り道してたでしょう。こないだ探索した「三木城址」横を走って北上。三木城址探索の時、竹中半兵衛のお墓探して反対に曲がった交差点を曲がり、「クリーンセンター」と書かれた交差点を曲がって丘に登ると、「三木SA・ウェルカムゲート」がありました。ここの交差点も「ウェルカムゲート」の表示なし。ウェルカムゲートには、上りSAと下りSAを周遊する一方通行ルートの図が書かれています。面白い。お客さんを呼びたいけど、この駐車場の大きさで、従業員さんや納入業者さんの車のことを考えると、いっぱい来られると対処できません。苦渋の姿が容易に想像できます。「グリコショップ」などSA内を探索し、お土産に真っ黒なロールケーキを買いました。バイクに戻り、周遊コースを走って反対側の「三木SAウェルカムゲート」へ。こちらで朝食。僕はまたイチロー真似で朝カレーとしてコロッケカレーを食しました。「呑吐ダム、行ったことありますか?」バイクが集まり、珍しい車も集まるところだそうです。行ったことないので、連れていってもらいました。三木城址探索で利用したr38を東進し、その時寄り道した神社の交差点を南に入るとダムでした。バイクのたまり場になってる駐車場は、想像していたより小さく、売店もトイレもありません。自販機が数台あるのみですが、バイクが10台ほどいます。オープンにしたダイハツ・コペンがいます。年配のご夫婦と思われる方が乗ってきたみたい。奥さんが乗馬のロングブーツ+ハンティングキャップでかっこいいです。ああいう夫婦になりたいな。おお~ホンダS800。オーナーさんは、外車と思われる2シーターの小型オープンカーの方と話しています。ホンダのS8の維持には、随分お金が掛かるでしょう。すごいな。2シーター・オープンライトスポーツの現役は、コペンとマツダロードスターしかないけど、楽しそうです。同じオープンでも、メルセデスとかだと、ラグジュアリーだけど、軽快にクキクキ走る感じじゃなさそうです。昔のゼロ戦じゃないけど、ライトウェイトなのは、動かしてて楽しそうです。霧はすでに晴れましたが、風が強めで空模様があれです。雨に降られないうちに帰宅ということで、ここで解散です。r85をそのまま進み「箕谷」。r15で「唐櫃台」~「有馬温泉」。r51で宝塚まで下りてきて、帰宅はお昼頃になりそう。ううむ、家内の予定を聞いてないから、帰っても1人かもしれない・・・R176を右折しr33で北摂里山地域突入しました。r33・r68・r49で「母子」方面に向かい、r49とr308の間の山道を母子に抜ける道探索することにしました。「ここかな?」・・・またr49に戻っちゃったし・・・。「ここかな?」・・・「この先行き止まり。渡れません」の看板で撤退。「ここかな」・・・3度目でビンゴ。数軒の家・・・別荘のようです。さらに進むと、「ありゃ、地道に」。はたと思案しますが、踏み固められてる感じなので、行けるところまで行きましょう。ここで、ポツポツと雨が落ちてきました。山に入り、上空を暗い雲が流れて来たけど、小さい雲なのでGOしてました。木陰に避難。通り雨だろうから、舗装路まで引き返そうとUターンし、軒先のある小屋の手前まで来て、前方の舗装路はどしゃぶりになってます。典型的な小さい雲から降ってくる雷雨模様です。「え~」って小屋の前でバイクを停め、軒下に緊急避難。「ザ~」って大雨になってしまいました。ヒョウも混じってるし・・・雷は鳴っていませんが、結構な雨です。でも空の半分は薄い雲のエリアなので、カッパを着ながら休憩。10分ほどで雨が上がりましたが、探索の地道の状態は想像でき、本日の探索は終了・退却となりました。r49志手原まで戻ってくると、濡れてる路面具合もマシだし、r68・r33で「長尾山トンネル」まで来ると、雨が降った形跡なしです。
2011/04/26
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日曜日は、バイク知り合いGさんとツーリングでした。当初、岡山県の「広域農道はしご」の予定でしたが、夕方雨確率が40%ということで、播磨ウェルカムゲート・ツーリングになりました。タイヤを変えたところで滑りやすいから、ウェット路面は走りたくないそうです。ウェルカムゲートなんて、僕は利用したことなく、新世界に踏み入れが楽しみです。朝6時に第二神明明石SA集合なので、4:30出発予定を立てました。遅れたら迷惑かけるので、一応目覚ましを掛けましたが、4時前に目覚め、いつものように目覚ましは必要なしでした。家内と今日のことを話していなかったので、置き手紙しました。「播州にツーリングしてきます。午後帰宅予定。映画「阪急電車」観に行こうか?18:10~」。「夏用プロテクタージャケット・パンツ+釣用シマノ防水上下」という春秋装束です。宝塚ICから中国道に入り、西宮北から阪神高速7号線で明石に向けて南下。途中縦溝区間があってちょっとおっかない。制限速度表示が上がっていました。スピード違反ドル箱路線だから、減収になってるでしょう。第二神明に合流して、75km/hほどで走ってる車の後ろで、ちょうどいい感じで明石を目指します。大型バイクがギューンと抜いていき、バイクが1台後ろにつきます。抜かしていかないので、Gさんのようです。明石SAで左ウインカー出すと、後続バイクも同様に。同じVTR250。新型いいな。僕のと違い手入れが行き届いてピカピカです。バイク置き場に停め、「おはようございます」の次の言葉が、「えらい霧ですね~」でした。大久保付近から、霧が出ていました。で、「龍野西ウェルカムゲート」から探索する予定が、さらにショートバージョンに変更です。まず、「別所PA」まで自由走行。第二神明から加古川バイパス・姫路バイパス走行。「別所IC」を下りて、「権現湖原PA」に向かいます。途中コンビニでホットタイム。僕は着込んでるから平気ですが、寒いのでコーヒーで温まり生き返っておられました。「神吉」は、有岡城より前に惣構えの平城があったところ。探索予定地です。r65で家内の実家の前のお墓横をかすめ、「平荘湖」到着。平荘湖道標は、家内の実家に帰るたび、何度も目にしたところだけど、初訪問です。周囲をランニングコースが巡ってるようで、トイレやお風呂がある施設があります。自転車で一周するのもいいね。「夫婦で自転車」で、北条~三木した時走った道を北上。「権現湖」脇を通って、枝道に逸れて小高い丘に入る・・・と、そこには「権現湖PA・ウェルカムゲート」がありました。「ウェルカムゲート」って、先月岡山で初利用した「スマートIC」とは違うものでした。スマートICは、SAに併設されたETC専用出入口ですが、ウェルカムゲートは高速道には入れません。PA従業員用の駐車場を開放して、高速利用者以外にも来店してもらおうというもの。駐車場にバイクを置いて、徒歩でPAに入ります。「なるほど~」、こんなのがあるのを初めて知りました。一般道からここに入る交差点には、何も表示がなく、枝道のようなアプローチ道なので、ここにたどり着くのは大変です。Gさんも、何度もミスロードして発見したのだとか。続いて、「三木SA・ウェルカムゲート」へ。JR加古川線の現在の家内実家お墓最寄りの「厄神駅」横を通過。見覚えのあるr20を東進。「夫婦で自転車」でここも走りました。あの時は、廃線になった「三木鉄道」の駅を訪問したな。
2011/04/25
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朝日新聞に、「関西電力が美浜原発の代替原発計画を一時凍結する」と書かれていました。福井原発事故による地元民の反発を考慮しての計画凍結ですが、代替機建設方針には変更がないとのこと。今回の福井原発事故で、東京電力は実質倒産しました。自民党政府が、原発推進で各電力会社を動かしてきたので、政府も賠償責任があり、実際には倒産しない(させない)でしょうが、一私企業としては、到底まかなえる補償額ではありません。今、電力会社トップは、苦渋の選択の上に座っているでしょう。原発がたった1機壊れただけで、世界有数の企業が倒産してしまいます。水力発電所や火力が潰れても、倒産までには至りません。この原発リスクを、GOと最終的に印を押すトップは、脳天気な人でないと無理なんじゃないだろうか?日本政府は、原発推進、さらにあまりに危険なので他国が建設、さらに研究までやめてしまった核爆弾に使うプルトニュームを燃やす、プルサーマル原発も推進しています。日本は、フランスと並び原発大国です。総電気量に対する原子力発電比率が仏に次ぎ高い国です。僕は、「いつでも核爆弾作れますよ」というメッセージの裏付けとして、大手を振って研究開発できる原発の意義があると思って、消極的賛成派でした。アメリカやロシアで事故がありましたが、日本の設計と施工技術ならまあ大丈夫だろうと思っていました(初期のは輸入ものだけど)。僕はゆるい放射線も受けないし、バリウムも飲みません。専門家が別の部屋に逃げたり、体の中が透けて見えるものなんて、体にいいわけありません。もっと強いCTスキャンなんて、よっぽどのことがないと必要ないと思っています。日本の病院は、放射線機器を乱用しすぎだと思う。導入したら償却しないと損になるから、健康診断程度で勧める医療機関はどうかと思ってます。喜んで被爆する日本人は多く、わざわざ海外からそれを受けに来る人に気持ちがわかりません。今回の事故被害を見て、さらに「直ちに健康被害の出る状況にはない。冷静な行動を」「想定外の・・・」とのコメントを繰り返す政府・マスコミを見て、これはあかんなと思いました。超過激反対派とまではいきませんが、積極的反対派(ソフトランディング原発ゼロ派)に宗旨変えしました。1回のみのレントゲンやCTスキャンを、常時浴びる可能性が高い屋外数値と同じ表に並べ、この程度ですという趣旨の説明をする。1回のレントゲンでも、レントゲン技師や医師は別の部屋に避難し、レントゲン科の医師の中には、奇形児誕生の可能性を恐れ、避妊してる方もいると聞くのに・・・放射性物質が風に流されて飛び、数キロ・数十キロ離れた土地に落ち、地下に地下水に染み込みます。海に垂れ流された放射性物質が、魚介類に入り、食物連鎖によって大きな魚に濃縮されて行きます。汚染された土地は、チェルノブイリのように、長い間使えない場所になる所もあるでしょう。その保証は、一企業で負担できる金額ではなく、政府支援といっても、その元は税金というみんなで出し合ったお金です。事故が起きなくても、原発が運転を続ける限り、決して人に触れてはならない汚染物質が増え続けます。一般ゴミだって、ゴミ処理場に困ってるのに、その処理をどうするのでしょう。今までは、新しい技術が開発されて、穏便に解消していくと期待していましたが、大事故が起こったこの機会を捉えて、エネルギー政策を大きく方向転換しなければ、ズルズル続いてしまうでしょう。日本には、商業原発の廃炉がまだないです。福島も新聞に載った美浜もそうですが、設計耐用年数30年を超えた原発(福島・美浜は現在40年)は、当初予定の廃炉にならず、耐用年数の延長が行われいます。うがった見方をすれば、廃炉ごの現実を白日の目にさらすことで、原発行政推進が立ちいかなくなる恐れをいだいているのだと思う。一度原発が稼動し始めたら、炉の中は放射性物質の塊になります。それらは、放射線を出し続けながら、だんだん衰えていきます。その費用は、小型原発で1000億円、最新鋭原発で千数百億円、現在稼働中原発約50基の解体・撤去・廃棄物処理に少なくとも30兆円と試算されています。廃棄物処理といっても、ドラム缶に入れて地中深く埋める処理までで、安全な物質に戻ることではありません。解体と行っても、放射性物質満載の炉を船の解体のようにバラバラにすることなど出来るわけないので、外部から固めてコンクリートの大仏殿にして埋めるぐらいだろうと、想像しています。定期点検で停止した炉は、核燃料を冷やし続けるなどのお守りが必要です。廃炉のお守りを何十年・何百年としていかなければなりません。電気など一つも益を産まない物を、ずっと子守し続けなくてはなりません。25年で世代交代します。僕の年齢では、今子の時代です。25年経てば孫の世代になり、50年経てばひ孫の世代です。僕らの得た益から出た負の遺産を残していっていいのだろうか?「原発反対なら電気を使うな」という極端な意見もあります。現在の電気使用量に占める原子力の比率は25%ですが、これは政府の原発主力政策によってこうなっているだけです。定期検査停止もあり、原発稼働率は80%。過去に作った水力発電所の稼働率は25%・電気使用量に占める割合10%、火力発電所稼働率は50%・電気使用量に占める割合70%。これは、新潟地震で最新鋭の柏崎原発が停止したのに、東京で停電が起こらなかったのを不思議に思って調べたものです。原子力発電所は、政府方針に従い、目一杯稼働させ総電力に占める比率を上げています。水力・火力は、半分以上遊んでいます。停止している発電所を再稼働させるには時間も準備もいりますが、現在でも原発なしでやっていけそうです。ドイツは、原発ゼロを政府方針として長年やってきています。代替エネルギー研究開発に政府が投資し、年々化石燃料消費型の火力・原発比率が下がり、風力・水力・太陽光など再生可能エネルギー比率が上がっています。日本が、再生可能自然エネルギーでの発電が遅いのは、政府が原発中心主義で動いているからです。再生可能エネルギー主力に舵を切れば、日本人の技術は、いずれ世界をリードするでしょう。今回の事故で、国内はもとより世界各国で原発新設機運はしぼむでしょう。では国内は?政府保証がなければ、地震列島ではおっかなくて新規原発は電力会社として設置できないでしょう。造ってしまったのだから、お守り費用負担しながらも、老朽化原発から廃炉にしていく、脱原発エネルギー路線への転換を願います。
2011/04/23
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目が覚めたら、また真っ暗でした。何時だろう?トイレに階下に下りたら4:10。またまたGoodです。家内が起きだす1時間後まで、起こすと悪いのですることがありません。ということで、バイク装束に着替えて出発します。ごそごそ着替えたり、玄関ドアの音がしたりするので、多分家内を起こすことになってるでしょう。探索したい枝道もあるのですが、4:30出発なので3時間という時間があります。これは、篠山まで行けます。「亀岡・神尾山城址」を探索してみることに決定。池田からR173に乗り、「一庫ダム」でr604・r106経由R477に合流し、R372交差点まで北上です。以前調べた時の脳内情報では、城址少し手前のお寺まで車で行けるとなってたし、お寺の名前は忘れたけど、目指す山容も大体わかってるので行けるでしょう。脳内地図頼りに、R173合流手前の道を左折して篠山方面に西進します。いきなり雰囲気のいい苔むした神社があったので、まずここを探索。「広峯神社」。謂れによると、「出雲系に屈した人たちが、由良川をさかのぼってこの地に住み着いた・・・須佐之男命を祀っているが、その昔は牛頭天王を祀っていた・・・」とのこと。神社の謂れを読んでると、出雲の豪族が日本海側から瀬戸内海側や畿内に戦闘しながら勢力圏を広げ、本拠地を移動していく図が見えるような感じになってきます。篠山や亀岡・丹波は、たいてい北方からです。畿内で大きな勢力になった天皇家が、古事記や日本書紀に、先祖からの言い伝えを自分たちに都合のいいように書き残したのだろうと、想像されます。昔の人にとって最も大事なのは、天皇なんかじゃなくて、食べること。食料を得る農耕に大きな力を発揮してくれる牛は、神様のような物。インド渡来の牛崇拝とも重なって、「てんのう」と言えば、「天皇」ではなく「牛頭天王」が一般的だった。明治の世に、強力な天皇中心主義・中央集権富国強兵を成し遂げるために、牛頭天王のお宮が、軒並み天皇家の先祖を奉るお宮に衣替えした。ここも、そんな歴史を経たようです。そのお宮の横にある、暗く怪しげな道を山に向かって登りだしました。が・・・小さな住宅街になり、袋小路でした。道は、獣避けフェンスに遮られています。鍵はかかってなかったので、自由に入れるのかもしれいけど、説明板がなく撤退しました。元の道に戻り、さらに東進し、めぼしい道を探ってみましたが、どれも空振りに終わりました。お寺への道標が立ってると思ってましたが、甘かったです。山際の田舎道の交差点には、道標もなく、この道を山に上がれば、どこに行くのかさえわかりません。詳しく調べて再挑戦することにして、R372旧道中心に脇道にもうろうろしながら、亀岡に向かいました。神社や造り酒屋を見つけては探索し、R9まで東進し、R372・R432、r732でr106に出て、往路そのまま帰宅しました。ちょっと後ろめたい気持ちで帰宅しました。というのは、前日に運転免許試験場で、家内がAT小型二輪免許に合格しました。そのお祝いで、昨夜ミスタードーナツでドーナツを買ってきたのです。夜ということもあり、今朝に祝の宴を持ち越していました。にもかかわらず、7:30帰宅です。庭の草刈りしながら待ってたようで、玄関脇には90Lの大きなゴミ袋に草がいっぱいになっていました。「ごめん、遅なった・・・お腹空いたんちゃう?」「パン1枚食べたから大丈夫。コーヒー作るね」って、あ~だこ~だ試験の話をしながら、2人だけのドーナツお祝いをしました。
2011/04/22
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数日前の「山田川ムービー」は、通勤リード110初ムービーでした。VTR250より、タイヤ径が小さいので路面の凹凸をより拾い、飛び跳ねをよりしますが、スクーターでのカメラマウントシステムは、これが良いように思います。リード110+RAMマウントシステム+NikonL20
2011/04/21
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目が覚めたら、まだ夜でした。トイレに下りていく時、時計を見ると4時半。Goodです。急いで着替えて、早朝バイクに出発です。勇んで表に出ると・・・なんか、霧のようなものが降ってるような・・・空を見上げます。曇ってるようだけど、東の空に雲の切れ目発見。西の空の方が重要だけど、見なかったことにして出発です。池田から、R173。R423から箕面の山に上がり、箕面ダムから高山経由でR423に下りてくるルートを考えていたのですが、軽いものの霧から小さな粒の雨になり、五月山の上の方は雲の中なのでルート変更しました。そのままR173を北上し、一庫ダムに上がる手前の「山下」で右折。清和源氏・多田の末・塩川氏の居城・山下城址に初攻めです。城山を見ながら、適当に曲がっていると、趣のある建物。郷土資料館というのがありました。今度、開館時間に訪問して資料を拝見させてもらおう。資料館の裏側に回ってみると、右手に神社発見。さらに右にお寺もあるようです。資料館の駐車場に置こうと思ったら、チェーンが掛かってて無理だったので、住宅前のどん突き道に置かせてもらいました。定番の神社裏から登山道があるだろうと神社に向かって歩いていたら、それらしき道を発見。つづら折れの山道をハーハーしながら上がると、横には大きな縦堀が残っています。後世の人が立てた小さな石仏が現れだすと、祠の立つ小さな広場に出ました。そこからは勾配が緩くなり、細道が続きます。木々が切れたところから、山下の町や東の町が一望出来ました。猪が掘ったような跡もありました。しばらく歩き、最も高所を越えて下りだしたし、相変わらず小雨が降ってることもあり退却することにしました。まだ道は奥に続いています。比高を見て、すぐに山頂に行けると思ったのですが、意外に懐が深いです。そして、谷を隔てて西にある山の方が高く、その山の西にR173・能勢街道が通ってるので、普通に考えればあちらに城を築くだろうと思いながら歩いていた。歩いた道の奥で、西の山への道に繋がっていそうな予感がしました。半日ぐらい、しっかり時間を持って攻めるべき所のようです。麓の「平野神社」に寄りました。「マムシに注意」の看板が、数ヶ所に立っています。予想通り、塩川(本姓:源)氏縁の神社で、伊丹有岡城主:荒木村重との戦に負けたとき焼かれたと書かれてありました。前の道にモクレンが咲いていました。東隣の「大昌寺」に寄りました。場所的に、「塩川氏」代々の墓所かも?と思ったのですが、それらしきお墓はありませんでした。太平洋戦争の戦死者のお墓が多く目立ち、う~んと考えてしまいます。ここの鐘は、底部が円形ではなく波打っているちょっと変わった鐘でした。どんな音の響きになるのか興味をそそりましたが、朝なのでゴーンと衝くわけにも行かず・・・R173~r12旧道で帰宅しました。2時間のお散歩。
2011/04/20
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日曜日、先月ツーリングをご一緒した方々と桂PAで別れ、僕はすぐに「京都南IC」で下車。R1を「東寺」。五重塔を横目に「東大路通り」を北上し、大学正門到着。改修中で、時計台前に直接車が入れません。守衛さんから教えてもらったスペースに駐車して戻ると、昨秋の全日本470中、我が家で合宿した2回生T君がやってきました。現役や若手OBが車でやってきて、新入生も集まってきました。今日は30数名やってくるそうです。「えっと、恒例の折田先生像は、今年も出た?」「ありましたよ。もう撤去されちゃいましたけど」「ガーン、僕は毎年春最高に楽しみにしてるのに~」僕は第3陣で新入生を満載して出発しました。北白川から「山中越」で琵琶湖・近江神社に抜けます。戦乱の世、この山道を数々の軍勢が京都に攻め上り、敗走・凱旋したのでしょう。僕は京都・琵琶湖ピストンを1回だけで、レスキューに乗り込みます。2回生O君と、次男同期のI君と、同じく当時男子部員人気No1だったマネさんで、レスキュー担当です。この時期、各大学とも新人勧誘真っ盛りです。仏大はハーバーでなんやかややってるし、沖ではリッツも新入生を乗せて走っています。マークを4つ落とし、試乗会エリアを限定し、その中心にアンカリングします。インフレータブルでハーバーからやってくる新入生を各ヨットに載せ替える基地です。2種類のヨットに乗るので、トラピーズハーネスの着せ替えなど、仕事はいっぱいです。第1陣が乗ってきて、第2陣がやって来たときに電話が鳴り、なんと車が足らないから大学正門まで来て欲しいと・・・慌てて、アンカーを上げてハーバーに戻り、僕だけ下船。また山中越えして大学正門へ。また部員満載して琵琶湖に戻ります。艇庫で部員にレスキュー艇のことを聞くと、僕の代わりが乗ったとのことで、陸上待機することにしました。新入生にヨットの事を説明するのをひと通り聞き、マネージャー手作りおにぎりで腹を満たし、ハーバーうろうろに出かけました。琵琶湖ジュニアのお母様方と思われる方々が、お茶してます。元ボートレース建物横の倉庫が開いており、中を覗くとOPが入っています。お茶してるお母様方に声を掛けて、琵琶湖ジュニアの元艇庫を教えてもらいました。前の艇庫と、そんなに大きさも環境変わらないね。ハーレム状態で、コーヒーやお菓子をご馳走になり、あ~だこ~だおしゃべり。息子の大学先輩で、琵琶湖ジュニア選手現役パパさんのMさんが来られて、またペチャクチャ。夕方になり、OPが戻ってきたので艇庫に帰ると歩き出すと、「あれっ?何でここに?最近バイクに乗ってるんやてねえ」って、琵琶湖ジュニアパパOBのYさんに声を掛けられました。「いやあ、新人勧誘の手伝いで・・・」中学生の時、僕がアセアン選手権に連れて行った息子さんは、ロンドンオリンピックまっしぐらです。またあ~だこ~だ喋ってると、「あれ~、なんでここにいますん?」って、リッツのS君がやって来ました。早いもので、もう4回生になったそうな。親御さんも元気だそうです。またあ~だこ~だしてると、今日琵琶湖ジュニアコーチしてた次男と同学年の元琵琶湖ジュニアN君が、そしてTちゃんが・・・。結局試乗会が終わるまで、あ~だこ~だで楽しく過ごせました。試乗会が終わり、合宿所で鍋です。また手作りおにぎりで小腹を満たし、終了の7時半を待ちます。全部終了して、また新入生を満載して「山中越」で大学正門まで戻り、お終いです。
2011/04/19
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日曜日は、大学ヨット部の新人勧誘の手伝いでした。11時に京都の大学正門なので、朝に余裕があります。2週間後に迫った長男夫婦の帰省に供え、庭の手入れです。長く咲いてくれている黄色いスイセンとチューリップが見頃で、他に名前を知らない小さな花が咲いてくれています。が、春になりだんだん庭がジャングル化してきました。軍手はめて30分ほど、腰を落としてゴソゴソしました。いつも難儀な刺のある草がまた元気に復活しています。電動枝切りで、根っこの方までカットしてやりましたが、どうせ焼け石に水でしょう。暑すぎないことで汗はかかず、虫のいないのでネットを被らずにできるのでマシでした。8時になり車で出発です。家内は、午前中教習所のようです。ということは、木曜日の2度目の卒検もダメだったんだな。玄関出てから、わからんように「頑張れ~今日は絶対合格するよ~」と家内に向かって念を入れておきました。黄砂が飛んできているのか、フロントガラスの雨粒の跡がくっきりです。我が家の敷地は道路から数段上がっており、造作出来ない青空駐車場を借りるしかないので、仕方ないです。長男が帰ってくると使うだろうから、その前に洗車もしなきゃ。名神に乗り、京都を目指します。例年なら、朝一番に京都入りし、一眼レフで桜を写してから大学正門に向かうのですが、もう桜は終わりです。8時半過ぎに「桂川PA」到着。先月ご一緒したバイクグループさんが、ここで集合し、「三井寺」他を回るそうです。話をしに寄りました。9時半集合なので、まだ時間があります。最近通過ばかりの「桂川PA」をじっくり回ります。名神高速は、ここから作り始めたそうです。その記念碑や説明板を読んで、売店を冷やかし、たくさんいるバイクを見ながら車に戻ります。向こうから見たことのあるBMWのバイクとCB400が入ってきました。そして、僕の車の横に停まりました。「おはようございます」「あれ~、服装が違うから・・・」。ポツポツとグループのバイクが入ってきて、皆さんとおしゃべりし、一緒にPAを後にしました。京都と琵琶湖を、「山中越」で数度往復して、琵琶湖で試乗会のお手伝い。それが終わり、8時過ぎに京都に新入生を送って、名神でグーンと帰宅。家内は食卓でお勉強です。家内がつくってくれている夕食を用意しながら、目ざとく僕は見つけてしまいました。食卓のテーブルに貼ってあった卒業検定コース図が無くなっていることを。「おおっ、これは合格したな」トイレに張ってあったのも処分されています。「おお~、こりゃ確実」ということは、合格祝いケーキがあるかも?と期待しましたが、午後から出かけた神戸の帰り、阪急夙川駅構内にある美味しいお店で食べてきたのだとか。「朝食べたっきりで、エネルギーがなくなり、家に帰れつきそうになかったから~」「そりゃ大変」。家に無事帰る方を優先ですね。今朝持って行った仕事荷物箱に、美味しいのが入っていました。ぐふふ「見せてあげようか~」って、教習手帳を見せてくれました。第1段階実技・通常3時間のところを7時間だと思ってたら、9時間でみきわめ合格でした。第2段階・通常6時間のところ9時間でみきわめ合格。上達してるね。卒業検定1回目は、S字でポールにぶつかってアウト。2回目は、一本橋で脱リンアウト。3回目で目出度く合格でした。可愛いんだけど性格男で、度胸も座ってるのに、教習で失敗しないところでつまずいてたみたいです。珍しく小心になったのだろうか?「コースに3人、背広着た人がいたの。コースを作り替えると聞いてたから、その下見だと思ってたら、適正な卒業検定してるかどうか警察の人が来てたんだって」「警察の3人と、教官の試験担当官の点数も、ほぼ一緒でご協力ありがとうございました」って、試験後教官が言ってたのだそうです。「じゃあ、いつもより厳しかったのかも?すごいじゃん」と、いつものように、大いに褒めておきました。「明石免許試験場」に、いつ受けに行くの?「うんとね~・・・朝6時に明石駅に行くと、その日の試験問題を教えてくれる人がいるんだって」と教官が言ってとか。ほんまかいな?夕食を食べ、気持よく1日が終わりました。
2011/04/18
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昨日の朝は、通勤リード110で、早朝バイクに出ました。武庫川から、山田川をさかのぼって香下寺に、舗装路が続いているそうで、それを確かめに出ました。地図は点線道なので、抜き差しならない所に迷い込む可能性があり、いつものVTR250ではなく、最終人力で脱出できるリードにしました。朝、5時過ぎに出発。いつもの「長尾山トンネル」を抜け、北摂里山地帯に突入。今週3回目です。r33に合流し、「川下川ダム」方面に枝道を入り、ダムへ。水量が激減しています。雨が降っていないからでしょうか?このダムの上を渡る「新名神高速道路」の工事のために、意図的に抜いているのでしょうか?相変わらず里山地帯は湿気が多いが、これでは朝霧を供給できません。武庫川沿いに下り、遡っていると、前方に小動物発見。ゆっくり走りながら、ウリボウかな?と・・・動きが狸でした。さらに近づくと、僕を見つけて横の藪に消えていきました。今週4回早朝バイクに出て、3回動物に会ってます。確率高し。JR道場駅の横を通り、JR三田駅方面に北上。土手道は、桜が満開で散り始めています。それに気を取られていたら、一方通行に入ってしまいました。20mほど走って気づき、慌ててUターン。いつもの橋を渡り、JR線路を越え、以前から気になっていた「感神社」に寄り道しました。鳥居奥の参道に、濃いピンクの桜が満開です。ソメイヨシノの薄ピンクより、濃いピンクの方が好きです。植木屋さんの畑にはよく咲いてるのですが、なんていう種類なんだろう?お参りして、いつものように裏に回って本殿見物して・・・この裏山にあるという山城跡への登山道を捜すが、確認出来ずでした。バイクに戻り、「千刈CC」への道を走り、途中で山田川に沿う枝道に入りました。ここからが本番です。すぐに小さなダムに行き当たりました。「山田川ダム」とでも言うのかな?舗装路は狭いけど、右に曲がって続いています。突入。コンクリート道になった所に休坂がありましたが、リードでは楽々でした。VTRで対向車が来ると厳しいかも?1車線ないような道なので、賢明な車は走らないでしょうが。山道ほど暗くない細道をゆっくり進むと、視界が小さな里に広がりました。「おお~」、なかなかナイスな里です。このまま香下寺まで続くのかと思いましたら、すぐにまた森の中に。うねうね道を暫く走ると、香下の里に出ました。正面には、香下寺の裏山の「羽束山」の連山が見えます。これは、なかなかナイスな道を発見しました。きっと行き止まりだろうけど、里に枝道が数本交差し、これを探索しても面白そうです。香下寺前で、r68に乗り、「西谷農協」手前で、これまた気になっていたお寺に寄り道しました。ここらになんで住宅が立て込んでいるのかな?と疑問に思っていました。それらに隠れて、「宝山寺」。茅葺屋根の山門がお出迎え。なかなかいいです。バイクを置いて、急な階段を上がると、寂れ加減がいい感じのお寺がありました。宝篋印塔風の塔が建っています。お墓の墓石も適当に古い。ぐるりと回りを歩くと、周りに一部土塁が残っています。「ええ~」と、ちょっと驚き、ぐるりと敷地の縁を歩いてみました。全方位、急坂に囲まれています。中世の山城跡では?と直感しました。ここに城があると、香下や西谷の里に睨みを効かせられます。夢想して、ちょっと嬉しくなり、r33~長尾山トンネルのいつものルートで帰宅しました。
2011/04/16
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NHK・朝のニュース関西ローカルのキャスター井田寛子さんが夜のニュース9のお天気キャスターに移動し、がっかり気味です。全国版の鈴木奈穂子さんが変わらなかったのはありがたいけど、「街かど情報室」を最近見ませんが・・・ニュース9も見てるのですが、地震以来の特別時間が続いているのか?お天気の時間が前より遅くなってる気がします。僕は早寝なので、見ずに寝る時もあって・・・でも、朝の新しい楽しみもできました。NHK朝ドラマが、「ひまわり」に変わりました。好きな井上真央さん主演で、語りがこれまた好きな若尾文子さん、そしてすぐに亡くなっちゃったけど井上真央さんの母親役で原田知世さん。うぉ~安曇野が舞台なので、素敵な風景が時々バックに流れます。う~ん、これはナイスです。原田知世さんは、年齢不詳ですね。いっこも変わらん。映画「私をスキーに連れてって」・・・DVD持ってます。映画「彼女が水着にきがえたら」・・・当然、観に行きました。
2011/04/15
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暖かくなってきました。そして夜明けも早くなり、早朝自転車も再開され、早朝バイクにも多く出かけられるようになってきました。これから6月一杯が、最も楽しい朝を過ごせます。梅雨もありますが、雨が振らない日は早朝行動に支障ないので、梅雨期間も結構好きです。今朝も早く起きたのですが、2日連続で早朝バイクに出たので、今日はお休みしました。自転車のメンテナンスです。僕のは、頑張れば早く走れるロードバイクですが、僕の目的はタイムトライアルではなく、足の筋力が衰えないようにする散歩でありランニングの代わりだから、遅くてもいいんです。息が弾まない程度の有酸素運動で、楽に遠くまで走れると、旅気分も味わえるから、長続きするだろうと購入したものです。快適でないといけません。だから、サドルはかっこいい細身のを外して、ママチャリに近いでかいサドルにジェルカバーして、お尻が痛くならないようにしています。そしてもう一つ、ハンドルにもクッションをかぶせています。ママチャリより長く乗れるように、ロードバイクは前傾姿勢になります。お尻と腕に、上半身の体重を分散させるためです。そのクッションがくたびれてきました。昨日の昼休み、いつもの自転車屋さんで、分厚いクッションのついたグローブがないか聞きました。ありません。で、クッションを更新することにして、ホームセンターで金属の角の辺を保護するL字クッションを買ってきました。こいつをハンドルの持つ部分の長さに切って、結束バンドで留めました。去年付けたクッションより厚くてしっかりしているので、より快適になりそうです。玄関ドアを開けっ放しにして、玄関前のコンクリの上で作業していました。出来栄えに満足していると、家内の携帯電話が鳴りました。「はい」って、家内が着信したメールを見せてくれました。長男のお嫁さんからです。先月、1月に行ったケニア新婚旅行の写真などを見せに来てくれることになっていましたが、地震で流れていました。で、ゴールデンウィークにこっちに来るとの内容でした。僕らの休みの日曜日に合わせて3日間来るようです。「ちょうど仕事明けにお休みが取れました・・・」長男は暦どおりの休みですが、お嫁さんは日曜や祝日ほど忙しい仕事なので、きっとわざわざ休みを取ったのだと思います。そして、ちょっと嬉しかったのは、「行きます」ではなく、「帰ります」と書かれていたこと。関西の人じゃないし、東京で知り合い、東京で住んでいるので、こっちで住んだことはありません。自然に気遣いができる賢いお嫁さんです。長男も幸せ者です。
2011/04/14
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目的地は、「日吉ダム」とのことです。R173を北上、篠山側に下るところにある縦溝が嫌だなあと思っていたら、「はらがたわトンネル」を抜けたところで、右折。r731・r54で「るり渓」を抜けます。いつも僕はr453でR372に下りるのですが、r54~R372は初めてです。r453もいいですが、r54もなかなか楽しいです。R9を越え、r19に入ると「日吉ダム」です。いつもダムを通過し、美山の方に向かうのですが、初日吉ダムです。駐車場にバイクが多いです。日吉の周りの京都の山道に入るのか、プロテクター装着の本格的なオフローダーのグループもいます。ダム堤体に向かって歩きます。途中に、温泉と温水プール棟があり、一大レジャーゾーンになっています。横の桂川には、少々色あせてますが、鯉のぼりも渡ってます。寒いと大変だなと思い、冬装備で来たのですが、さすがに暑いです。たくさんやってきてるローディーは半袖の方もいるし・・・。もう冬装束はお蔵入りですね。堤体下まで行くと、エレベーターで上まで上がれます。ダム上を歩き、今度は下って花見公園で休憩です。ちょうどいい花の見頃ですが、お客さんは少なく、グループで宴会するにはもってこいの場所です。草地の鹿糞の多さが気にならなければね。駐車場前まで戻り、レストランで昼食です。僕は二種女子さんから教えてもらった「ダムカレー」にしました。ご飯がダム型になっており、古代米のご飯も載っています。ダムを決壊させて食しました。二種さん2二人は、五目うどんです。そばみたいに細めのうどんは、五目が入っているのでうどんの白ではなく、そばと勘違いしそうです。リーダーさんは、わらじみたいに大きなコロッケ定食。普通のコロッケの3倍ぐらいありそうです。日吉ダムで作られた「天若湖」の西岸を南下し、キャンプ場みたいな広い公園に寄ります。キャビンが点在し、散策路もあります。「山桜小道」を天若湖畔まで歩きました。帰りは山道を行こうと思いましたが、思いの外勾配を稼ぐようなのでやんぺ。ここから帰路。能勢のログハウスに向かって往路と同じ道を帰りました。僕が一番大きな排気量なのですが、皆さん速いです。グーンとアクセルを開けなければついていけません。僕の技量でこのスピードでは、山のワインディングに入ると、周囲の自然を愛でるいつものバイクツーリングは無理でした。まあこういう日もアリですが。深山を回りR173に戻り、「気遊」というログハウス喫茶店に寄ります。裏側の崖下がR173旧道でした。ここで新たにお二人と合流。堺の方から来られた方と、尼崎?から来られた方です。僕以外は、ログハウス喫茶店巡りをしておられるお仲間のようです。ここで2時間ぐらいおしゃべりしたでしょうか。ログハウス巡りのスタンプ押してはりました。スタンプラリーですね。僕はこういうスタンプ集めに手を突っ込まないようにしています。最後の1つとかが気になって仕方なくなるからです。「ダムカード」というのがあるらしいです。日本全国のダムの事務所で、無料でくれるそうです。でも北海道から沖縄まで渡り歩くことになり、ダム事務所はお役所仕事なので、日祝日は休みで、ウィークデーの5時までとかしか開いてなく、かなりな難度らしい。ダムカレー食べたとき、おまけでダムカードに似せたものが付いていました。う~む。清算し、ここの駐車場で解散です。アドレスさんが一抜けし、僕が二抜けしました。「森上」でr602に入り、r12「杉生」に抜けました。往路で桜が綺麗だったので、もう一度です。お墓に寄りました。バイクだったので、下の事務所でお花を買えませんでしたが、お墓の掃除をして満開の桜を両親と堪能しました。あと20年ぐらいは、しゃんと生きれるかな?ヨボヨボになる前に、あっさりと子供たちにいいイメージのままここに入ることにしよう。帰りは、いつもののんびり走りで、長尾山トンネルを抜けて帰りました。桜も綺麗でしたが、やはりコブシの白が素敵でした。次は「フジ」の紫の季節、そして「はなみずき」に続きます。今年も盛夏まで、山の樹花が僕を楽しませてくれるでしょう。我家の庭は今、黄色スイセンとチューリップが咲いています。お隣がこの時期だけ貸してくれる梅の盆栽も見事に咲いています。家内は枯らさないように必死ですが。
2011/04/13
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日曜日は、グループツーリングでした。今年に入って始めたグループツーリング。3度目ですが、毎回バイク知り合いが増え、楽しみが増えてきました。AM10時に家から30分ぐらいで行ける道の駅集合なので、それまでにいろいろ回ろうかと思っていましたが、県会議員選挙の日で中途半端な時間になってしまいました。朝7時から投票なので、朝風呂に入ったり食事しながらダラダラと過ごしました。去年、長男の結婚記念に植樹した庭の「はなみずき」は、相変わらず生きてるのか枯れちゃったのか不明なしょんぼり姿です。数日前に、購入した植木屋さんで「はなみずき」見てきたら、新芽が育ってるのはなく、我が家のとそんなに変わらずちょっと安心しました。相談して、肥料を購入し、金曜日に投入しておきました。きっと大丈夫でしょう。7時になり、家内と公園内の公民館に投票に行きました。4人立候補で3人当選です。1人は、我が家によく遊びに来ていた次男の小学校の友達のお父さんで現職、もう1人は僕の小学校同級生で市会議員からのステップアップ。民主党の女性候補があかんような気がするけど、投票前日にやってきたステップアップさんによると、落ちるんやったら僕か彼女やわなんて言ってた。はてさて・・・。公園の桜が満開で、鳥インフルエンザ禍で規制線が張られてた梅の丘も回りました。こっちはもう花が終わり、枝が剪定されています。池の周りに、バズーカレンズを備えた一眼レフさんが数人おられ、鴨撮るの?ってちょっと不思議な光景がありました。僕が小学生の時、釣りしたり泳いだりしてた池にバズーカレンズが押し寄せた。貴重な野生がおるのか?帰宅後、家内は教習所に向かいました。僕はツーリングに出ます。まだ早いので、長尾山トンネル抜けて北摂里山地帯に入り、r33・r319でr12に抜け、「杉生」からr602に入りました。うすピンクの桜もいい季節ですが、なんといってもコブシの白が里山の斜面に目立ちます。山はまだ若葉の薄緑ではありませんが、深緑の白を散らせたようにコブシがいいアクセントになっています。r602でR173手前の「森上」まで来て、「岐尼神社」に寄り道しました。謂れを読むと、祭神に古の神々に混じって「源満仲」が入っていました。さすが地元、清和源氏の祖ですね。裏山には「能勢氏」の山城があり、それを攻城した山下の「塩川氏」の戦闘で焼かれたことも記されていました。どちらも満仲の末同士の清和源氏流れの豪族ですね。その後、織田勢力の西進により再び焼かれ、江戸時代になって再建されたとか。ここらは、少し北の丹波篠山の波多野氏が、信長に反旗し光秀との激しい攻防があり、南の摂津では摂津守・荒木村重が信長に反旗し、大規模な攻防戦がありました。拝殿裏に回り、その桧皮葺の本殿を拝見。覆い屋でしっかり守られていました。なかなか立派な本殿でした。きっとこの神社から山城への取り付き道がありますね。探そうと思いましたが、そろそろ時間なので撤退です。すぐにR173です。この交差点にあるのが道の駅と思っていましたが勘違い。数分南下して、「道の駅・くりの郷」到着。バイクが多いです。どこかなと思ったら、すぐに分かりました。原付二種2台+リーダージュベル200さん3人来ておられ、二種さんとは初めましてのご挨拶。結局この4台でのツーリングになりました。僕が一番後ろを走ることになりました。
2011/04/12
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r25に戻り、保津川を渡ります。川沿いの道へのアプローチが分からず太めの道を下流方向に入ってみましたが、山裾住宅地の迷子道に入り標高を上げるばっかりです。とうとう行き止まりに行き着き、「亀岡・・」という力士生誕地の碑になってしまう。誰や?道を戻りながら、見晴らしの良さそうな枝道を見つけ、徒歩で偵察に行ってみると、崖の上です。下界を俯瞰し、目指す道を発見しました。保津川下りの川船がくぐる沈下橋の道がアプローチ道でした。「え~、また川を渡るの~」とがっくり。次の分かれ道を凝視すると、川に向かって下ってそうです。チャレンジするとビンゴでした。目出度く川沿い道にアプローチ。下流を目指します。「通行止め」の看板が立ってるが「請田神社」までは行けそうなので進みます。神社到着。ちょうど「ラフティング基地」の対岸でした。「保津川火祭り」で有名のようです。謂れによると、祀られている「大山・神、美保津姫命」は、亀岡を開拓した神で、出雲地方からやってきたとのこと。年代不詳のようで、「古事記」・「日本書紀」の時代、天皇家の勢力拡大の流れに合致しているなと、ちょっとフムフムしてしまいました。神々の戦いという神話になってるけど、地方豪族のダイナミックな攻防を、勝者の天皇家が自らに都合のいいように書き残したのだと思っています。「起点・F401A002・京都府」の四角い標識が立っています。府道401のようです。ここにも通行止めの看板がありますが、道が塞がれてる風でもなく、程度は良くないがアスファルトが続いているので進みます。すぐに舗装が切れ地道になりますが、最近穴ぼこを砂利で埋めている形跡があり、放ったらかしの道ではなさそうです。「土砂崩れあり。自己責任で」の看板。進みます。やがてアスファルト道になり標高を増し、保津峡渓谷を眼下にして素敵な景色の道になりました。「トロッコ軌道」も見えます。トロッコと渓谷を、JR山陰線鉄橋が渡る所に来ました。「もうすぐJR保津峡駅だな」と思った矢先、土砂崩れ現場になりました。元々1車線道だったのが、3/4土砂で塞がっています。渓谷側1/4は通れ、二輪車が何台も通った轍が残っています。が、僕のはオフ車ではないし、この先もっと大きながけ崩れ現場があったら、もう一度ここを通らないといけないし、今までも小さながけ崩れ現場が数ヶ所あったし・・・ビビリな僕は名誉の撤退決定です。何度も切り替えし、Uターンして帰路に着きました。それにしても気持ちのいい景色です。渓谷側に開けたところで、保津川下りの船が下っているのに出会いました。2隻続いています。遥か上にバイクの人がいる。どんな風に見えたのだろう?ビデオに撮りました。この道、当然だけど交通量ゼロ。暗くなったら鹿なんかの獣道になりそうです。今度は、沈下橋の上を通ってみました。観光川船の屋根ギリギリの高さにあるので、ここで船に出会ったら、たくさんの観光客さんのシャッターに収まるのでしょう。r25・R9・R423で家路につきました。帰宅後、家に入ると家内が勉強中。「ただいま」とだけ声を掛け、家の横でバイクを洗車。先週の雪解け水の道で大いに汚れていました。食卓で勉強中の家内の横で、夕食のうどんにおつゆを注ぎます。「あ~、やっぱり本人の予想通り、今日のテストは不合格だったんだなあ」と思い、そこには触れずにTVのとこに行って食べようと用意してると、「あのねえ、96点で合格したの」。「え~そりゃすごいやん。本番に強いねえ」「それでね、合格祝いしようと思って、ケーキ買ってきたの」って。なんだ、勉強中は演技だったんだ~。まあ国のテストも控えてるから、まだしないといけないんだけどね。食卓で、2人でなんだかんだ言いながら夕食を食べました。その後ケーキを持ってTVの前に移動し、途中になってたNHKドラマ「10年先も君に恋して」の最後のDVDを観ながら、ケーキで合格祝いをしました。今日も、楽しい日になりました。保津峡を走ろう5
2011/04/11
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日曜日に親戚を大阪空港から見送った後、家内は自動車教習所に行き、僕は、バイクツーリングに出ました。亀岡~JR保津峡間の保津川沿いの道の探索です。去年、長男夫婦と一緒に下った保津川下りで、船頭さんが川沿いに嵐山まで行ける道があると言ってたので、それを確認にです。「夫婦で自転車」のコースも考えています。その下見も兼ねて。亀岡に車を置き、嵐山まで自転車で下り、嵐山でごそごそしてJRで戻ってくるコースです。まずは亀岡まで。先週改修成ったR477を使ったので、1本東の南北の道であるR423利用です。池田からR423に入り、子供の時の思い出がいっぱいある「不死王閣」、余野川の渓谷沿いを走り北上します。午後なので車が多く、朝のように快走路とはいきませんが、豊能町に入るとそれなりに楽しいです。亀岡に入る前の斜度のあるヘアピンカーブで僕はゆっくりになるので、後続車もあることもあり、「柚原」でr733にチェンジしました。ここからは交通量がほとんどありません。r407へのショートカットで、山道に入り、r407を亀岡盆地に下りたR423合流まで走りました。R423直線で、やんちゃそうなお兄ちゃんが乗ってるスクーター数台が法定速度で走っています。・・・ネズミ捕りをしていました。京都縦貫道下の信号で止まると、「やっぱりやってたな~」と上機嫌です。誰かが「ゆっくり走れ」司令を出したようです。両側田んぼの見通しのいい区間ですが、制限速度40km/h・イエローライン。調子よく走る車を、容易にお縄に出来ます。むむ~。道なりにR372になり、R9を突っ切ってr25。そのまま「保津川下り」乗船場を越えて橋を渡る予定でしたが、「篠宮八幡」さんを探しに行くことにしました。ここは足利尊氏縁の神社です。清和源氏末源頼朝が作った鎌倉幕府末期、倒幕の狼煙を上げた後醍醐天皇方を討つため鎌倉幕府側から派遣された尊氏は、天皇方を破り天皇を壱岐に流す。再び伯耆の国で倒幕の旗揚げした後醍醐天皇を再び制圧に赴くが、今度は丹波のここ「篠村八幡宮」で、天皇方に寝返る。京都の幕府方守護・六波羅探題を落とした。鎌倉も新田義貞などに滅ぼされ、鎌倉幕府は滅ぶ。その後複雑な経緯で、新田義貞・楠木正成など後醍醐天皇側と戦い破れ、九州に落ちて行く。再び勢力を盛り返した尊氏は、「湊川の戦」いで新田義貞・楠木正成を倒し、京都に入った。後醍醐天皇は、「三種の神器」を足利側に渡し皇位を譲って和平し、室町幕府が成る。でもすぐ譲った「三種の神器」は偽物として、後醍醐天皇は吉野に逃れ、こっちが正式な天皇流れとして南朝を立てる。ここから長い南北朝の戦乱時代になる。「太平記」のハイライトの「篠村八幡宮」ですが、初訪問です。「六波羅探題」との戦闘に向かう諸将が鏑矢を盛り戦勝祈願した「矢塚」。「足利尊氏旗揚げの地」の碑。各地から集まって来る友軍の目印にした源氏の白旗を立てたやなぎ。僕には、「おお~」という名所ですが、お宮は小ぶりで拝殿も本殿も小さめ、観光客用駐車場もありません。「う~む」な感じですが、大満足でした。八幡様の裏道に「旧山陰道」と書かれていました。今まで思ってた表側の道とは違ってたみたい。バイクで裏道側に出て、これで亀岡に向かいました。予想通り、少し走ると表道に合流しました。京都側に走ったらどこで合流するのかな?さあ、本日のメインに向かいます。そうそう、境内に土俵がありました。大相撲は八百長事件の後始末で大変ですが、膿を出して復活して欲しいです。八百長試合なんて、興ざめです。プロレスが八百長興業だったことを知り、見なくなりました。プロレス団体が、盛衰を繰り返しているのは、八百長興業を多くの人が知ったからだと思います。勝負の行方が前もって決まってたら、プロ野球だってサッカーだって、観客はみんな勝負の行方に興奮しないでしょう。
2011/04/09
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日曜日、早朝自転車から帰宅して、洗車とかごそごそして10時前、早いけど車で空港に向かいました。通勤リード2人乗りを考えていたのですが、土曜日より気温が下がったので家内に風邪を引かせたらまずいので車出動です。たった10分の距離なのに、勿体無いです。空港に着いて、まずお店を探しました。日本料理のお店が良さ気でしたが、滑走路が見えるビッフェもいいです。他にもたくさんお店があり、目移りしてしまいます。お土産物屋さんを覗くと、美味しそうなケーキ類があちこちのお店で目につきます。今回のお土産は、宝塚ホテルのケーキ?お菓子?を家内が用意しました。前回は地元のだったので、今回は「宝塚歌劇団」で全国的に有名な隣町のを。軽くお使い物が必要なときは、百貨店ではなく空港に来れば事足りそうです。滑走路の見えるロビーで椅子に座り、家内とあ~だこ~だ。予定の11:15に近づいたのでJALカウンターに下りたら、ちょうど電話が入りました。モノレールの空港駅に着いたそうです。空港駅の方に歩き出すと、すぐに見つけられました。長男の結婚式の時1度会っただけですが、わかるものです。彼女の選択は、「せっかくだから滑走路の見えるところで」ということで、3Fビッフェの滑走路に向かう席で食事をしました。僕はまたカレー。声がお姉さんそっくりです。聞き上手なのでとても話しやすい。男の子にモテそうです。彼女はハワイで結婚式を挙げました。長男も一緒に行ったのですが、長男とお姉さんが英語がペラペラなので、尊敬しちゃったそうです。でも2人とも必要な仕事柄だから、どうって事ないと思うけど。で、「お父さんもペラペラなんですか?」って聞かれてしまいました。僕がペラペラな訳ないけど、ジュニアヨットのナショナルチームを国際レースに引率したこともあり、大会関係者とコンタクト取れるぐらいは大丈夫です。次男も1人で格安チケット取って海外に出るぐらいだから、大丈夫なんでしょうが、息子たちが英語を使ってるところを見たことがありません。次男がジュニア時代、アルゼンチンでのレースでお世話になったコーチが来日したとき、2人でサポートしたけど、僕ばかりしゃべってました。その時、「お父さん、英語出来るの」なんて驚かれた。海外レースに引率した時も、選手から「すごい」と言われました。そこいらのおっちゃんなのに・・・と思ってたみたい。笑顔とジェスチャーがあれば、大丈夫だと思ってるからね。普通に学校で英語の勉強してたら、発音を気にせずともゆっくり喋れば、案外通じるものです。英語でも、相当なまりがあるから、英会話の授業でイントネーションをワイワイ言うから、英語嫌いになるんじゃないのかな?ろれつの回らないお年寄りの日本語でも、たいがい理解できるやん。12:15になったので、またJALカウンター前に下りました。ちょうど一緒に帰る友達がモノレールで到着しました。ここでお別れです。僕らがこの世からいなくなっても、長男とは長く付き合うことになる人です。よろしくね。帰宅し、家内は教習所に向かいました。今日は学科のテストです。これに合格しないと、実技の卒業試験に臨めません。朝晩と、問題集をしゃにむに解いていますが、平均70点台だそうで、90点取らないと合格できないから今日は小手調べなんだとか。
2011/04/08
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日曜日は、長男のお嫁さんの妹さんが大阪にやってきたので、その見送りに伊丹空港まで行ってきました。お嫁さんは器量良しで、穏やかで強い芯を感じる女性です。美人三姉妹の2番目の妹さんが、友達の結婚式で大阪に来ました。土曜日に式・披露宴などがあり、お昼の便で帰ります。空港は自転車で10分ほどの距離なので、一緒にお昼を食べて見送りする予定でした。夜明け前に起きればバイクでひとっ走りしようと思っていましたが、目が覚めた時は外が明るかったので、早朝自転車にしました。荒木村重・有岡城コースにしました。有岡城は、日本の城作りには珍しく惣構えの城でした。中世ヨーロッパ都市国家と同じように、南北1.6km・東西800mの都市全体を城域に内包する形です。子供の頃から、同じ摂津の商業都市・堺を見てきたので、堺の都市国家に習ったのかもしれません。まず惣構え北の守り「岸の砦跡」の猪名野神社を訪問しました。土塁がそれとわかるように残っています。多分当時は2倍ぐらいの高さだったのでしょう。北側の川が流れる道と西側のバス道は、堀跡でしょう。東側は段丘なので、自然の崖で守られています。次に西の守り「上臈塚砦」。それに向かって自転車を走らせます。南に向かって少しずつ下がっていきますが、西側とは明らかに高低差があります。今は道路などで緩やかな坂に削られていますが、東側の段丘から続く丘の地形を利用し、西側の丘の切れ目までを城域としたのが分かります。この砦跡は、信長勢に落とされた時に虐殺された女子供の霊を祀ったお寺の敷地内になっています。この日は訪問せず。続いて南の守り「鵯砦」。ここが確認できないんですよね。この日の目的の第一は、ここの確認です。ここも東のJR線に向かって大きく下る場所にあり、南側も勾配を増して下ります。周囲から高くなってる丘全体を城域にしています。今までは適当に探索していただけですが、この日は念入りに探索しました。自転車を押して、路地の奥まで入りどん突きの民家まで行ったりしましたが、結局確認できませんでした。「ひよどり公園」という小さな公園があり、周囲を探索した地形や高低差を考えても、すぐ近くだと思うのですがありません。2つの砦跡が、他所の城跡同様神社とお寺になってるのに、最後の1つが行方不明です。日本人気質から考え、祠ぐらいは建ってるのが普通です。村重が滅んで以降も、酒造りの町として栄えた街域です。多くの死者を出した砦を、何も残さず他に利用するなど考えられません。公園の隣が大きめのマンションで、この塀の中なのかな?それとも周囲の民家の庭にひっそりと守られているのかな?縁のある方が代々守っている気がしてなりません。この日はJR駅前の天守閣には寄らずに家に戻りました。
2011/04/07
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メタセコイヤ並木を初めて見物し、用事のため京都市街地に入りました。JR京都駅ビル駐車場は、バイクが停められませんでした。駅南の八条口駐車場は、バイクOKで1回400円でした。用事は、コーチしてる大学ヨット部の卒業式です。今年の追いコンは、いつものところと変わり「グランヴェルジュ京都七条倶楽部」というところです。本職は結婚式場だそうです。七条に面し、JR京都駅にも近いこじんまりした2F(3F)建てです。1組しか出来ない広さなので、落ち着いています。OB会長さんの挨拶に始まり、乾杯・歓談・・・挨拶の最初は僕でした。いつもは、卒業生それぞれのエピソードなどを交えるのですが、今年は東北関東大震災に絡めて、我が家の阪神淡路大震災のことを。卒業生の次男の震災後の流れを話し、今までの人生・これからの人生の出来事が、みんな次に繋がっていることを話しました。それから、後にボランティア元年と言われるようになった避難所での若い子達の大活躍を、僕から見たその時の若者の姿をしゃべらせてもらった。避難所には震災2日目には、完璧な収容者名簿が出来上がっていた。子供たちが校庭でサッカーをして笑っており、それを大人達が見て笑っていた。卒業生たちに、自分たち若者の持っているパワーと、どんな境遇になっても前を将来を向いている力を、大いに笑って発揮して欲しいと。学部での自分の研究、ヨット部で身についたことを底辺に、これから進む次のステージでも一生懸命やって欲しい。避難所での若者のように、君たちの力で周りを盛り上げて欲しいと。午後8時に終了。JR京都駅まで歩き、いつものように円陣を組んで、卒業生へのエール、応援歌、琵琶湖周航の歌を歌い解散になりました。その後、またブレザーからバイク装束に着替え、名神高速で帰宅しました。京都市街地に入ってから給油しました。304km/9.34L=32.5km/L。山道・路肩に雪の盛られた道で、低いギアで超減速走行した割にはいい燃費でした。
2011/04/06
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「夫婦で自転車・海津大崎~マキノ~湖西沿い」を考えているので、湖西岸を南下し始めました。桜の名所・海津大崎のバックの湖北の山々、対岸の長浜のバックにある伊吹山はじめ湖東の山々も、雪を被ってとっても綺麗です。湖岸に別荘がポツポツ建っており、交通量のほぼない道をゆっくり走ります。湖岸に銅像が立っています。「ん?誰?」と思ってバイクを停めると、横に高島市にある道の駅「しんあさひ風車村」があったので、そこにバイクを停め銅像を見物しました。謂れによると、「瀬田川さらえに命を掛けた太郎兵衛親子三代」の銅像でした。琵琶湖の唯一の出口瀬田川の流れが少ないので、琵琶湖湖岸は毎年洪水に見舞われました。瀬田川を浚渫した「瀬田の洗堰」の先駆者ですね。ここの庄屋さんだそうです。ここからr23で安曇川沿いを西進しだしました。安曇川の周りの広がりが良く、気持よく走れました。「朽木」で「R367・鯖街道」に合流しました。山登りの方がバス停で待っています。周囲の山への登山口のようです。京都の大原の里に向かって南下を始めました。峠にかかると、周山街道同様路肩の雪がおっかないですが、その他は、走りやすいです。でも周山街道の方がバイクは気持よく走れます。R477分岐の「途中越」を越えると、交通量が増え面白くなくなってきました。大原の里で右折し、r40に入り「鞍馬街道」に抜けました。これで京都市街地に向かって南下。「京都産業大学」脇を通り、上賀茂神社・下鴨神社・鴨川沿いを七条まで南下し、七条で西進しましたが、日曜日の午後、メチャ混みでした。会場に到着したのが2時間前の午後4時です。バイク駐車場がなかったので、JR京都駅南のアバンティの24時間駐車場に入れました。
2011/04/05
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今朝から、NHKの朝ドラマが新しくなりました。井上真央主演ということで、僕の心には鐘が鳴っています。僕はNHK好きなので、いつもONすると総合か教育のどちらかのチャンネルが映ります。朝は、洗濯物を干し、ご飯を食べ、時には朝風呂に入り、身支度して出勤まで、横でNHKが流れています。8時前後に出勤するので、見るときと見ないときがありますが、ここ2週間ほど、ハッピーエンドに向かういつものドラマパターンで、朝ドラマへの興味を失っていました。今朝からちょっと家を出るのが遅くなりそうです。第1回目は、安曇野・・・そして若尾文子さん・・・若尾さんの回想で物語が始まりました。なるほど、子供の時安曇野にやってきてから、若尾さんの経営するペンション?に至るまでの人生が描かれるのだな。若尾さんも好きです。ギャラのほどは知りませんが、今回の朝ドラマにはNHKの気合を出演者の顔ぶれに感じます。
2011/04/04
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食事を済ませ僕が出る用意をし始めたら、バイク乗りさんが入ってきました。大阪からで、同じく小浜に向かうそうです。僕同様、まさか雪が・・・なんて言っておられました。先行きに不安になったところに、この店が現れたのかも?お暇を言い外に出ると、さっきのお客さんのドカティが、僕の前に停まっていました。「昨日は吹雪やったよ。でもこの時間からやから、峠も越えられるんちゃうかな。帰ってくるバイクもないし」みたいな店主さんの言葉を信じて、先に向かいます。別の季節なら適度なワインディングで楽しい道ですが、雪があるのでゆっくりです。峠を越えて、「美山ふれあい広場」まで下りてきました。オンシーズンならわんさかいるバイクですが、閑散としています。ここから先の周山街道は、未体験ゾーンです。峠はあれですが、それ以外は、気持ちのいい伸びやかな川に沿う道です。「道の駅・名田庄」でトイレ休憩です。雪が降ってるし、積もる粉粒雪になる時もあり、とにかくトイレが近いです。休憩ごとにトイレに行ってます。体内の水分を外に出して、冷えないように自己防衛してるのでしょう。冷える日の午前中は、いつもトイレ回数が多くなります。バイクが2台停まっていました。1台は女性。ご夫婦ツーリングのようです。ご夫婦そうなので、会釈のみで声を掛けませんでした。小浜に近づき、R27に乗り換えますが、その手前に「広域農道」との交差点がありました。地図では国道ではないので無視されているような扱いですが、それ故交通量の少ない伸びやかな快走路が多い広域農道。何処に行くのか分かりませんが、乗ってみました。多分かなり時間短縮してR27に合流しました。次の目的地「熊川宿」に向かいます。その名のとおり、宿場町です。R303に乗り換えてしばらく走るとそれがありました。でも僕の期待が大きすぎて、期待はずれでした。宿内の一本道を通っただけで、何処にも寄らずにR303に戻りました。次は、本日のメイン「マキノ・メタセコイヤ並木」です。京都に向かうとき使うR367との分岐を過ぎ、何度か滑りに来た箱館山スキー場への分岐も過ぎ、元有料道路の湖西道路R161に乗りました。国道なので制限速度60km/hですが、高架道路なので東側に琵琶湖・その向こうに雪を被った伊吹山が見え、快走路しました。マキノ出口で下車、案内板に従って、「マキノピックランド」に向かいます。「あ~」、前方に一直線のメタセコイヤ並木が・・・。この季節なので、葉を落として茶色の並木道ですが、素敵な景色でした。一眼レフを構えたお客さんが数人、路上でカメラを構えています。僕もバイクを停めて激写タイム。バイクなので一眼レフじゃないけど。バックの湖西の山々が雪を被り、とてもいいです。寒いこともあり、お客さんはとても少ないです。売店で、リンゴパンというのを買って昼食にしました。めだかの水槽のある休憩室で、それを食べたのですが、窓から、小さな子を連れたご夫婦が、芝生で遊んでいるのが見えます。小学生低学年の女の子連れの家族が並んで、ジェラートを食べています。幸せな風景が、ここに似合います。いい時間を持てました。
2011/04/02
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東北関東大震災が起こり、NHKは震災一色になりました。でも定時のニュースは、いち早く復活・・・僕が密かにファンである朝の全国版のキャスター鈴木奈穂子さんは、すぐに復活しましたが、朝の関西ローカル版のキャスター井田寛子さんが、なかなか登場しません。「どうしちゃったのかなあ?」と心配していました。鈴木さんは、長男のお嫁さん、井田さんは家内に似てると思うんですよね。そして昨日の朝、久しぶりに井田さんが登場し、「黒もいいなあ」といつものように家内に同意を求めていると、ニュースの最後に・・・「今日が最後になります」って。「え~」、僕のハートは凍えました。なんで~寿退社?もったいなあ~なんて嘆いていたら、夜のニュース9のお天気担当になるそうです。お~、とうとう全国区に出世するようです。現在のニュース9のお天気は、お天気担当No1と思ってる男性が担当しています。その後釜です。NHKお天気の顔が、井田さんになるようです。ますます井田寛子ファンが増えるでしょう。応援する気持ちもあり・・・遠くに行ってしまう寂しさもあり・・・です。
2011/04/01
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