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R29で更に西進。途中でR482に乗り換え、「隼駅」に到着。世界最速バイク・スズキ隼乗りの聖地です。僕のは、250ccの遅速バイクだけど、来てみたかったんです。駅員のいない無人駅なのですが、たくさんやってくるバイク乗りさんのお相手をするために地元の駅守りさんがいます。売店も出来ています。と、駅守りのおじさんに教えてもらいました。「何処から来たね?」「この駅のことを、何処で知ったね?」と、おしゃべりしました。僕もバイクに乗ってることを聞き、いろんなバイクが来るよと教えてくれました。若桜鉄道隼駅の交通安全のお守りステッカーを購入しました。バイクに貼りましょう。R482を西進、岡山~鳥取主要幹線のR53を南下。横を走るJR因美線は電化されていないようです。ローカル線が好きな家内は、列車がやってくるのを期待してるみたい。「智頭」到着。更にR53で美作の雄峰・那岐山の肩を抜けます。トンネルやループ橋で標高を稼ぎ、南側に抜けました。那岐山が、岡山と鳥取の県境で分水嶺です。小さな「奈義トンネル」を抜けてすぐに、目指す「三穂神社」があります。僕の遠い先祖・美作菅家党の粗・三穂太郎を祀った神社です。僕だけが訪問したことがあるので、ずっと家内が来たいと言ってました。外に出ると、これまた雨が小康状態、「私たちラッキーね」と家内が喜んでいます。参道入口の三穂太郎の像を眺め、階段を上がって拝殿本殿に上がります。三穂太郎の謂れを読み、車道の方で車に戻りました。そのまま南下し、「美作IC」から中国道に乗ってもいいのですが、まだ13時前なので、一旦「智頭」まで戻ることにしました。那岐山の峠のドライブインで、昼食にしました。智頭からR373で「佐用IC」を目指します。以前「夫婦で自転車」でお世話になった「智頭急行」と、「鳥取道」に平行しながら南下します。宮本武蔵生誕地の大原を訪問しました。生家や宮本武蔵神社・武蔵の墓などを訪問。日曜日なのに、悪天候だからかお休みのお店が多いです。続いて、智頭急行の「宮本武蔵駅」。続いて、R373沿いの宿場町「平福」訪問。宿場町、代官屋敷が残る観光地です。「平福駅」に寄ると、小さいながら落ち着いた観光駅になっていました。地方鉄道の駅は、特色を出そうと楽しいです。列車を下車されたお婆さんなのか1人、お迎えの車を待っている風でした。平福の佐用川沿いの景観を眺め、最後に平福の外れの六地蔵に行きました。ここは、宮本武蔵の最初の決闘場所です。映画やドラマでは、必ず出てくる六地蔵河原。武蔵がまだ12~13歳の頃だったようです。28歳で、巌流島で佐々木小次郎と世紀の決闘に勝利するまで、生涯無敗だった剣豪です。ここも、雨脚が落ち着いていて、ほんとにラッキーでした。再び、R373で南下し出すと、すぐに「佐用IC」でした。帰りの高速は、往路より雨はマシだったけど、風が強くなっていました。強風で、50km規制です。ワンボックスなので、時折風で振られます。明石海峡大橋は、通行止めかな?と思っていたら、ニュースで二輪車通行止めと言ってました。台風並みの悪天候で決行した播磨北部・因幡東部・美作観光でしたが、大満足な1日になりました。宮本武蔵関連など、下見探索してた材料を家内に案内できて良かった。いつものように高速に乗ると、スヤスヤ寝だした家内の寝顔を見ながら、強風の場所では速度を落とし、ゆっくり帰りました。
2011/05/31
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日曜日は、台風2号の影響で梅雨前線が刺激され、雨風の強い1日でした。でも、夫婦で予定のない日でしたので、出かけました。町内会の溝浚いの日だったので、朝一仕事してから出発の予定でしたが、雨のため中止。よって朝一から出発です。まあ7時前だから、いつもより遅いのですが。雨なので、自転車もバイクも出来ません。電車も考えたのですが、車で僕の遠い先祖が祀られているお宮に出かけることにしました。ずっと家内が訪問したいと言ってたところです。現岡山県・律令国家で言えば美作の国なので、中国道です。NHKラジオで台風・豪雨情報を聞きながらの道中です。四国に大雨洪水警報が発令され、やがて京都にも発令されました。まさに発令中の中の道中ですが、車は快適です。横風に注意するぐらいで、叩きつける雨音でラジオの音が聞き取りにくいぐらいでしかありません。さすがにバイクは、走っていません。ところが、「加西SA」で休憩したら、GSに2台のスクーターが給油していました。風防が大きなスクーターですが、この天候では辛いのに・・・強者を見ました。「山崎IC」下車。R29で北上します。最初の目的地は、「岩屋堂」です。スキー場のある「戸倉峠」に向かって、少しずつ登り、とても良い景色がつながります。雨は降ってるけど、ゆっくり走りながら、「あ~ここいいなあ」なんて2人で。スキー場への案内板が増え、「戸倉峠」を越えました。ここから鳥取県です。4WD車を買い換えてから来なくなったけど、雪の便りを聞くと毎週のように通ったここらのスキー場エリアが、別の景色で見えます。そろそろ、ここらだなと思いながら道標に注意を払っていると、「岩屋堂」の案内を発見。もっと観光地だと思ってたけど、R29から枝道に入ると、すぐにそれがありました。車5台ほどの駐車場に入り、カッパを着て傘差していざ出陣。激しい雨が小康状態でマシです。岩盤を手彫りした中に、木造のお堂が作られていました。南北朝時代の創立で、修験道の盛んなこの時代の密教系の一院なんだそうです。小さなお堂ですが、凛としたものを感じさせます。この日見物した中で、2人共通して一番良かったところでした。浄土宗や浄土真宗は、庶民に仏教を広めた宗派ですが、葬儀仏教という感じがします。比叡山の天台宗、高野山の真言密教など古い仏教は、仏教本来の山岳修行を伴い、山深い質素な寺院からは、辛い修行からくる悟りを感じてしまいます。修験道修行者・山伏は、今でも出家せず在野修行者で、金銭がからまない悟りへの道を極めている感じがして、崇高な人に見えてしまいます。比叡山の千日回峰修行者のあの雰囲気が・・・。大峰山で経文をとなえながら、一心に冷たい水に浸り、滝に打たれる姿を見て唸ってしまいました。外来した仏教と、日本古来の自然信仰が融合して出来上がってきた修験道信仰・・・熊野信仰にも通じますね。惹かれます。観光客が誰もいないお堂を後に、R29を更に西進します。若桜鉄道「若桜駅」に到着。転車台があるということだったので寄りました。ここでも雨は小降りでした。駅に素朴な等身大の人形がおり、鉄道員さんの優しさを感じます。駅舎などを写真に収めてると、鉄道に乗ろうとしてたお客さんから声が掛かりました。「機関車に乗ろうとして来たんね?今日は雨で中止だよ。駅員に声をかければ、ホームにも入れてもらえるよ」と。田舎に来ると、人の優しさと人との間の垣根の低さに感動さえ覚えます。時刻表を見上げると1~2時間に1本の運行ですが、「本日雨のため、蒸気機関車の運行を中止します」の紙が下がっています。お願いすれば無料なのかもしれませんが、ここはちゃんと利益を上げてもらわないと。駅員さんに声を掛け、構内見学300円払いました。「ありがとうございます。これ首から下げてね。帰りに戻してくれればいいから」と、人懐っこい駅員さんが対応してくれました。プラットホームに入ると、ちょうどそこに列車が入ってきました。下りてこられたのは、お婆さんが1人。電化されていないので、ディーゼルエンジンのノスタルジーな音を残し、鳥取方面に折り返していきました。「見学順路」という案内板が立っていますが、どこでも見学自由という感じです。SLを見て、SLの前の転車台を見学、引込み線を囲う建物の中に、貨車が収まっていました。駅舎に戻ってくると、電気が消えていた待合横に部屋に電気が点き、駅員さんが中を説明してくれました。若桜鉄道グッズの売店であり、観光案内のようであり、楽しい部屋でした。枕木の小片キーホルダー、線路の輪切り文鎮、鉄道グッズもあります。この地で、雨でなければ訪問したかった「若狭鬼ヶ城址」について聞いてみました。小冊子を見せてくれ、外に出て、城山を教えてくれました。道順も聞きました。次回は、登城ですね。700円で、鬼ヶ城保存協会発行の小冊子を購入しました。地元有志や学術研究者が発掘調査した資料が、たった700円でダイジェスト紹介されており、僕にはなかなかの値打ち物です。ここで、大きな登山リュックを背負った若者が数人、駅舎に入ってきました。鬼ヶ城からの帰りなのだろうか?切符を求めていました。SLのことも駅員さんに尋ねました。第2第4日曜日に、通年運行しているようです。たまたま運行日だったので、僕らをそれ目当てのお客さんと思われたようです。家内は、1両の若桜鉄道が気に入ったようで、乗りたそうです。いずれSLや鉄道に乗りに来るでしょう。その時は自転車持って、半分サイクリングで楽しみましょう。
2011/05/30
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「誕生日はマイナス1」という題名の歌がありましたが、昨日家内の誕生日でした。僕らは、同級生夫婦ですが、家内の方が半年年上の姉さん女房です。毎年やってくる僕の方が若い「誕生日はマイナス1」期間が、今年も始まりました。昨日の朝、「誕生日おめでとう」と、皮肉を込めずに素直に・素直に、お祝いの言葉を掛けました。ここで、後ろからプレゼントを出して・・・となるのでしょうが、僕は数年に一度、「これ」というものがあったときにしかしないので、今年も何もなしです。毎年プレゼントしてたら、悪しき習慣になってしまいます。感動も激減するし・・・でも、僕の言葉は、Pricelessだと思います。前回のプレゼントは、2年前のクリスタル・シンデレラ・シューズです。結婚式の定番「コリント人への第二の手紙の一節」を刻みました。気持も新たに・・・というところです。昨夜帰宅すると、僕の連絡物置き場に、手提げが置いてありました。「おやっ?父の日でもないし・・・」着替えながら・・・わかりました。「これ、誕生日プレゼント?」「そう」「開けてもいい?」「いいよ~。メッセージも入ってるからね」手提げの中に、セロファンで包まれたポロシャツが2着入っていました。封筒を開けると、メッセージが。「お母さん、お誕生日おめでとうございます。・・・」長男のお嫁さんからでした。仕事でニューヨークに行ったそうで、そこで買ったそうです。「好きなブランドで、私も着ています。向こうの方サイズなので、そで丈が長かったりするかもしれませんが、お父さんと自転車やバイクに乗るとき、着てください」だって。「いやあ、やっぱり女の子は違うねえ・・・良かったなあ・・・」なんてお嫁さんを持ち上げると、次男からも母の日プレゼントを貰ったことを言い、男の子の良さも語ってはりました。今朝、ニュースを見ながら、「日曜日は、雨みたいねえ」とちょっと残念な言葉を掛けると、「日曜日、プレゼントに貰った服を着なくちゃならないから、出かけるよ~」と、前向きな言葉が返ってきました。プレゼント、喜んでますね。早速着たいようです。「舞子駅まで行って、バスで淡路島はどう?」「電車で、どっかに行く?」って、僕的にはイマイチな提案がありました。「山崎に行こうか」「京都の山崎?」「いいや、播磨のおばちゃんがいる山崎」雨なので、自転車もバイクも出来ません。車で、中国道を走り、山崎ICからR29で北上し、「岩屋堂」、ローカル鉄道「若桜駅」、若桜の山城(降雨により無理そうだけど)、バイク隼乗りの聖地「隼駅」、R53を南下し僕の先祖「三穂太郎神社」に参り、美作ICから中国道で帰宅のコースを描いています。那岐山は、夕方遅くに大雨の予報が出てるので、朝早く出発し、夕方になる前に帰宅するタイムスケジュールです。距離的にはいけそうだけど、どうなるのかな?
2011/05/28
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5時少し前に目覚めました。微妙な時間です。4時ぐらいに家を出られれば、「丹波守護代・内藤氏の亀岡・八木城址」に登ろうと考えて寝たのに・・・多分その時間に一度目を覚ましたのに・・・バイク装束に着替え、未踏の峠越え道に行くことにしました。去年挑戦しましたが、がけ崩れ通行止めで退却しました。r12~R173~R423で北上。「乳の泉」で京都府・亀岡に入り、しばらく走り左折してr732。「堀越峠」で左折し、目的のR477「地黄」に抜ける林道に入ります。「能勢妙見山・奥の院」への分岐で、前回は通行止めでしたが、今回はバリケードなしでした。舗装されてるけど、「大丈夫か?」な細い林道を、セカンドとサードギア半々ぐらいで慎重に走ります。石ころは転がってるし、倒木や枝も路上にあるし、先週の雨によって川になった名残水がまだ流れてるところもあります。もちろんそれによる流枝も残っています。湿地があるようです。もちろん、誰にも会いません。こんな寂しい道で、会ったら怖いです。「ぐふふ」楽しい。去年、奥の院トレッキングの時、下りてきた道と合流し、既踏道になり余裕が出ました。野良犬施設が、朝から鳴き声でやかましいです。棚田で作業してる方に向かって吠えてるのでしょうが、これが毎日だから、地元の方に大迷惑です。R477・地黄の郵便局のところに出ました。奥の院の山の裏側を回ったということです。「野間神社」前を西進し、R477バイパスに出て、それに乗って北上。「能勢氏の丸山城址」のある丸山の北で左折、また枝道です。この道、丸山城址の裏なので、堀切が道になったのだと想像しています。かなり深い堀切で、北からの防備をしたのでしょう。石仏さんが数体並んだところ、石仏さんが祠に入ってたりします。この峠は、その名もズバリ「仏坂峠」というらしいです。最近知りました。ここらは、能勢氏が信仰した法華経勢力が強く、石碑に法華経が刻まれています。r106側に下りてきました。続いて、2本目の未踏峠探索です。r106をゆっくり南下します。r4交差点を越え、西側の山の地形を見上げながら、西進する枝道を探します。「ん?ここかな?」入ってみます。「大丈夫かなあ?」な道を上がっていると、BMWのオープンカーが下りてきました。どう見ても地元車ではなさそうです。「あんな車が通れる峠なのか?」標高を増すと、何と道が広がりました。中央線まであります。「坂井峠」想像してたのは、「仏坂峠」のような道だったので、これは驚きです。r104に合流、さらにR173に合流。これで、予定の峠メニューを全てクリアしました。まだ時間がありそうなので、もう一本。「民田」からr603「阿古谷」に抜け、「阿古谷川」沿いを下り、r12・旧道に出て帰宅しました。2時間少々・70kmほどのショート・ツーリングでした。堀越峠~地黄林道2
2011/05/27
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最近の僕、月曜・夜10時といえば、NHK・ETV「チャレンジホビー・自転車で旅をしよう」です。お笑いの男爵さんと安めぐみさんが、先生についてロードバイクに挑戦しています。僕のロードバイクレベルは、男爵さんより体重がない分マシで、安めぐみさんと同じぐらいかな?家内と一緒に見ていますが、家内は途中でダウンか、始まる前にダウンして寝ています。速く走ろうなんて、僕らの「夫婦で自転車」では求めようもなく、お二方同様、ゆっくりでいいから楽しく走りたいレベルなので、楽しく拝見させてもらっています。それにしても、安めぐみさんは可愛いです。ETV「サイエンスゼロ」の司会でも、毎週のように見ていますが、チャレンジホビーの方が、素が出てさらに可愛いです。喋り方というか・・・ 仕草というか・・・「安めぐみさん、可愛いなあ」なんて言ってたら、彼女のピンク系の可愛いスカートが気に入ったようで、家内も自転車用じゃないけど、対抗して買って来てはりました。次の日曜日は、久しぶりに家内と休みが重なります。自治会の地区掃除を朝一番にやっつけてから、何処かに行こうと思います。早朝出撃できないので、遠くにはいけないけど、土曜日からの雨が残るようならかえって都合がいいです。さあて、どういうメニューにしようかな?
2011/05/26
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また雨が止んだので出発。12時半なので予定通りです。ここから「金屋」まで長い下りです。「龍神スカイライン」じゃない方のR371に入ります。旧道なのかな?この道、高野山のとこからすぐに細めの舗装山道でした。しばらく走ると道路が広くなり快走路になりますが、ここで雨脚が強くなってきました。「こりゃあかん」樹の下に避難し、車載カメラを収納し、カッパを上に着ました。夏用メッシュジャケット&パンツの上に、ダイワブランドの釣り用カッパ上下を着ているので、平気なんでしょうが、ここは無粋な色合いだけど職人さん用のしっかりしたカッパを上から着ます。その後、「金屋」到着まで、時雨雲が来ると降り、通りすぎると上がる繰り返しでした。いくつかの交差点で迷い、じっくり地図を見て正しい道を選択できました。交通量のない楽しい道でした。こんな不便な山奥でも集落があります。日本人凄いです。20~30km/hでしか進めない細いワインディング・ロードですが、こんな道好きです。木々が切れると、山並みが広がり、谷底が見えない渓谷にビビります。高所恐怖症気味だから、遥か下が見通せると、足から血の気が引くのを感じます。北摂の低山とは、スケールが違います。この道、延々走っても、地図上ではなかなか進みません。R480になり、「有田川」上流沿いを下ります。深山の渓谷道が終わり、道が広がると、「道の駅・しみず」の案内がありました。休憩しようと案内に従って橋を渡るも、どこにあるのか見えへん。国道沿いに道の駅作らなわかりませんがな。R480に戻り、少し下ると、「あらぎの棚田」の案内がありました。棚田百選の上位ランクで、近畿ではトップランクの棚田です。国道から見えると思ってたのですが、少し逸れて山道を2分ほど走ります。50人ほどの団体さんが下ってきます。見物の柵があり、30人ほどの人がいます。この人ら何処から来たんだ~。ずっと交通量のない道を来たので、ちょっと驚きました。小雨でしたが、円形棚田が有田川の蛇行で残された土地に・・・見事です。ちょうど田植えの時期で、観光客さんが田植えをしています。お百姓さんが指導する観光田植えなのでしょう。R480に戻り、すぐに「道の駅・あらぎの里」がありました。棚田で激写休憩したのでパス。「二川ダム湖」がありました。赤い吊り橋に惹かれて停車。高所恐怖症気味克服のため、橋の1/3ぐらいまで歩いてみました。雨に打たれる静かなダム湖がいい雰囲気です。吊り橋上で、傘差して一眼レフ構えるおじさんがいます。きっと棚田からの帰りでしょう。r182への分岐がありました。Mさんのみかん畑はこの道沿いだと思うけど、雨降ってることもあり、この枝道はパスしておとなしくR480を南下します。金屋に下りてきて、「道の駅・明恵ふるさと館」に入りました。Mさんに電話して道順を聞こうとすると、「近くだから、迎えに行きます」と。お宅は、すぐ近くでした。農園の脇に住んでおられるのかと思ってましたが、街中でした。子供の学校のこともあり、住むのはこっちの方がいいよね。まあ街中とはいえ、南も西もみかん畑で、西のみかん畑の向こうの竹林は、有田川土手とのこと。「う~ん、羨ましい環境です」ちょうど12時に到着したので、お昼をご馳走になりました。こちらは午前中、結構な雨が降ったようで、農園作業はしなかったそうです。浜で買ってきた「しらす」と「かつお?の刺身」を頂きました。僕の為に買いに行かれたのでしょう。申し訳ないです。ここから3時間以上、おしゃべりしました。南の山から、雨雲の霧が晴れていき、竹林にいるというキジの鳴き声が時々聞こえ、羨ましい羨ましい自然を堪能させてもらいました。おしゃべりのうちに、空模様は晴天にまで回復しました。予報より数時間、天気の流れが早くなったようです。カッパをしまい、通常春秋ルックで帰路に着きます。お土産に、しらすをもらっちゃいました。ご飯&しらす&自家製タレがうまかった。下ればすぐに有田ICです。海南までの上りはいつも混むのですが、2日前に上りも2車線になったようで、渋滞解消成ったようです。でも天気も良くなり、高速じゃあもったいないので海南まで山越えすることにしました。Mさんから教えてもらったルートは、3月に「南部梅林ツーリング」の帰りに使った道r18でした。あの時は、10台ぐらいのグループツーリングだったので、ついて行くので必死で、景色を堪能する余裕はありませんでした。R480からr18にルートチェンジ。楽しいワインディングです。海南側に出た時の景色が最高です。激写タイムしました。「海南東IC」から阪和道に乗り、「紀の川SA」で休憩。ガソリン補給、242km/6.75L=35.9km/L。山の中を2速・3速多用だったのに、伸びますね。雨だったのにバイクが30台ぐらいいます。山では会わなかったけど、僕同様、雨平気バイク乗りも多いようです。「貝塚SA」で2度目の休憩。そして、家まで一気に帰りました。ああ面白かった。念願のMさん宅訪問も出来た、有意義な1日でした。
2011/05/25
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日曜日は、バイクで四国初上陸の予定でした。しかし、天気予報は無常にも雨・・・四国カルスト目的なので、山の上は更に雨だろうと考え、清く断念することにしました。晴れの国・岡山、和歌山・奈良南部・兵庫北部などの天気予報を調べ、和歌山・金屋の丸山さんとこの農園を訪問することにしました。友人Mさんにコンタクトすると、在宅のようでOKです。高速でブーンと行くだけだとつまらないので、高野山から有田川沿いを下るルートにしました。高野山への登りも既走の道はつまらないので、新規開拓です。下市市からR309~r20~R168~r53が、良さ気です。高野山より標高の高い峠を通るみたいで、山深い紀伊山地の景色に期待できそうです。高野山の天気予報は、15時から雨なので、このルートだと、5時出発~下市7時~高野山9時~金屋12時なので、山の中で雨はなさそうです。平地で雨に降られても、雨平気な人なのでどうってことないです。4時台に目を覚まし、5時過ぎに出発できました。まだ早いけど、まずは給油。147km/4.63L=31.7km/L。早朝バイクで、山城に上ったり、峠三昧したのに素晴らしい燃費です。北の空に暗い雨雲が浮かんでいます。ここらは午後から雨の予報だけど、今にも降ってきそうです。中国道~近畿道・松原JCT~西名阪・柏原IC下車。近鉄南大阪線沿いを南下したところで、GPSをON。「下市駅」までルート案内お願いしました。右手に「葛城山」「金剛山」の勇姿を望みながらr30を南下。楠木正成の本拠ですね。いつか「千早赤阪城址」なども探索しなきゃね。GPS指示に従って、R309で下市到着。予定通りの時間です。天気は晴れ。「雨なんか降るの?」って感じの行楽日和です。紀の川を渡り、R309を進みます。もうGPSルート案内切って、現在地表示のみです。大まかな方角さえ間違っていなければ、道標と野生の勘で迷うのもまた楽しです。ルート案内されてると、道標や東西南北を考えることをしないようになるので、ツーリングとして面白くないんです。で、いきなりr20への分岐をロストしました。「行き過ぎたな」と感じ、止まってタンクバックの地図見て、アナログ・リルートして、r20に乗りました。最初、拍子抜けするほどいい道でしたが、だんだんそれなりの山道になり、景色を楽しみながらのんびり走行です。交通量がないのがいいです。R168に合流。この道は何度も走ってるので、気楽なものです。交通量も少ないし、追いついてくる高速車に上手に抜いてもらうだけです。「道の駅・吉野路大塔」でトイレ休憩を取りました。目の前に、「天誅組本陣跡」があります。資料館もあったのですが、まだ開館前の時間で訪問はできませんでした。出発しようかなと思ったら、パラパラと雨が落ちてきました。山に入ってから雲が出てきたけど、予想外に早い時間帯の雨です。でも車載ムービーを収納するほどの雨ではなく、すぐ上がりそうです。幸いすぐに上がり、「猿谷ダム」からr53に乗りました。ところが、GPSでは東に向かってる・・・あれ~・・・r53は合ってるけど、反対方向に走ってるようです。Uターンです。静かなダム湖では、バス釣り?ボートが出ています。素敵な景色なので激写数枚。r53は交通量ほぼゼロの道でした。でも案内板がしっかりしてて、迷うことはありませんでした。細い舗装山道でどんどん上ります。木々の切れ間から、雄大な紀伊山脈の連なりが望めます。素晴らしい景色です。激写タイム。高野山から橋本に下りるR371のトンネルのところに出ました。また小雨が降って来ました。奥の院横から金堂の方に、高野山メインルートを進みます。和菓子屋さんを見つけ寄ります。6個入りの和菓子をお土産に買いました。葛餅が美味しそうだったので、店内で頂きました。
2011/05/24
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数日前、4時過ぎに目がさめたので、「早朝バイク」に出ました。出勤まで3時間以上あるので、少し遠出です。先月チャレンジして、アプローチ道が見つけられず撤退した、「神尾山城址」に再チャレンジです。r12・旧道~R173、ウィークデイなので走れるr604~r106で北上します。R477との交差点手前で左折し、気になっていた道を走ってみます。摂津国と丹波国との国境である「ひいらぎ峠」に至るので、旧街道と思われます。寺社・旧家探索です。屋根は替えられていますが、立派なお宅がありました。「ひいらぎ峠」で休憩。R477を亀岡側に下り、R372との交差点手前で左折します。前回は、もう一本手前で左折し、ロストしました。旧街道を西進しながら、目指す神尾山と照らし合わせ怪しげな道を探索します。Uターンして目星をつけた交差点で曲がり、山に向かいます。「金輪寺」という小さな案内板を見つけ、この道がビンゴだったことがわかりました。城址のすぐ下に「金輪寺」があります。GPSをONすれば、案内してくれるのですが、野生の勘で見つける喜びの方が、いいものね。中央コケのコンクリート道という素敵だけど、少々緊張する道を上ります。ここで、まさかの・・・山歩き装束のお父さん・息子2人という親子連れとすれ違いました。「こんにちは」こんな道で人に会うとは・・・「金輪寺」駐車場に到着。そこに謂れ板がありました。奈良時代最後の創建の天台宗寺院で、国指定のものなど重要文化財が数点あるそうです。「神尾山城」は、全国史では、明智光秀の丹波平定の最難敵・波多野氏を高城山・八上城に兵糧攻めし、和議成ってここで光秀と対面したことが残ります。信長以前は、丹波守護代・内藤氏、それを討った丹波最強・波多野氏とともに勇猛で知られた柳本賢治の居城で、守護・管領細川家と三好家との京都を巡る抗争に何度も駆り出されている。機内・近国の合戦を読むと、時々顔を見せます。「金輪寺」は、修理中でしたが、裏の道から「神尾山城址」に登りました。「金輪寺」側からは10分ぐらいで、主郭があったと思われる山頂に達します。途中、素人目にも段曲輪跡と思われる人工的な扁平地が見られる。空堀も縦堀と思われる地形も見られ、少しですが石垣まで残っていました。なかなかの保存状態で、登った甲斐がありました。松尾芭蕉が謳った「強者どもの夢のあと」は、単なる原っぱ・河原でしたが、こういう打ち捨てられた山城こそ、当時の様を想像させる「夢のあと」のように思います。往路の逆ルートで帰宅しました。神尾山城址4
2011/05/23
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東京電力の社長が交代するようです。当たり前ですね。大事故を起こして、初動の重要な時期に入院してちゃ、話にならないです。体調が悪かろうが、動けるなら這ってでもカメラの前に出て謝罪しなくちゃ。自分に体調不安があるなら、すぐにトップ交代して、トップが陣頭指揮に当たらくちゃ。そういう心意気が、世間に受け入れられ、全社員の士気を高めると思う。中小企業トップのバイタリティーがないなあと思う。僕が、平安~室町~戦国時代の武将に惹かれるのは、トップが先頭に立って戦に望み、討ち死にすれば、一族郎党が結束して次の当主を立てるから。トップは、支配地や一族郎党の利益を守るために、戦に臨む。朝のニュースで、原発避難指定地域の2度目の一時帰宅と、地域の復興に全力を注ぐというコメントが流れていた。避難指定地域が、指定解除になると思っているのだろうか?僕は、チェルノブイリの先例を見ても、最低数十年は無理だと思う。半減期数日のヨウ素131はまだいいとして、セシウムの半減期が30年らしい。それが土壌に積もっているのだから、放射線を放出しなくなるまで、そこで暮らせないのは僕でもわかる。「復興に全力をつくす」などの僕から見れば絵空事を並べるより、辛い事実でも「この地域は50年使えないでしょう」と現実的な将来像を伝えないといけないと思う。僕は、事故数日後、燃料棒が水から出て冷やせなくなったと報道され、メルトダウンしたと判断した。この日記にも書いたが、やっと東電が認めました。燃料棒が水から顔を出し、冷やせなくなったら溶けると言われてるのに、原子力の専門家は当然そうなることを知ってるのに、確認できるまで言わない。「最悪こうなる」「たぶんこうなってる」と、言わなきゃいけないでしょう。「国民がパニックを起こす」ということで、言わないのだろうが、馬鹿にしてるものだ。日本国民は、もっと賢いと思う。とても生活できない地域は、早く切り捨て全額保証し、復興できそうな汚染度の低い地域に復興資源を投入すべきなんじゃないだろうか。辛いけど、その線引きをしないと、中途半端に被災者を苦しめると思う。僕が学生を卒業して数年後、父親が癌で余命半年と宣告された。それで、僕の気持ちが吹っ切れた。父亡き後を考え、商売の人員配置やルーチンを見なおした。父の看病は母に任せ、その後僕が当主として、母・僕の家族・弟・従業員さんの生活を守るために、仕事に集中した。大胆に、父を仕事から外した。幸い父は持ち直し、僕の息子たちが成人するまで命を永らえたが、あの時医師が父の余命をきちんと教えてくれたことを今でも感謝している。「父を直すために、全力を尽くします。死が確認できるまでは、将来を軽々に口にできません」では、ズルズルと中途半端なままで、気持ちの切り替えができません。原発周辺の多くの被災者が、「こりゃ先祖代々の地も捨てなきゃなんないな」と思って、次の永住の地に移動し生活に踏み出そうとしているだろう。僕が原発から10kmに住んでいたなら、とうに諦めて、家族や親戚にそれを伝え、行動を起こしているだろう。そして、当地での生活再建など考えず、東電と全額保証交渉を始めるだろう。歯切れの悪いどっちつかずの言葉は、非常時には迷惑なだけです。電力会社も、1つの事故で超優良会社でさえ一発倒産し、数十万人の人の生活基盤を一瞬にして奪うような設備は、考え直さなあかんわ。企業として、社会的存在意義があるのか自ら考えないと。
2011/05/21
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昨日、「早朝自転車」を少し早めに切り上げました。前ギアに入れたとき、変な音がします。「ギアの変速がおかしいみたい」昼休みに帰宅し、自転車屋さんまで乗って行って見てもらい解決しました。原因は、シートステイに固定してる携帯空気入れが外側に少しずれていて、それがチェーンに当たってるだけでした。「あっ、これだね」と自転車屋さんに言われ、はい解決。「自分で気づけよ!」って、自分に突っ込んでおきました。「お騒がせしました」と低頭して退散。朝、早めに切り上げたのは、これだけが原因ではありません。帰宅後、通勤リード110に2人乗りし、車の通らない道に行きました。そこで、30分ほど家内のバイク練習です。川を挟んで右岸と左岸を橋を渡りながらオーバルコースします。ウインカー忘れてるし・・・スピードにメリハリないし・・・、でもこける感じは全くせず、気持ちよく走ってる風に見えます。いいんじゃないのかな、これで。などやりながら、新企画「バイクで北海道」が着々と具体化しています。来月後半に旅立ちます。7月からがラベンダーの季節でいいらしいけど、観光客が増え、いろいろ高くなるし・・・、それに案外雨が多いみたいです。富良野の辺は、6月が最も雨が少ないらしいので。3日間しか時間が取れないので、富良野・美瑛に絞って北海道バイクを体験してこようと思っています。バイクは千歳空港でレンタルします。フェリーだと、北海道に入るまで1日半、出てから1日半必要です。時間貧乏の僕には、ブルジョワな乗り物です。6月の平均気温は、最高気温で20度、最低は10度。道中、標高の高いところも走るでしょうから、最高で10度を覚悟しています。大阪の冬気温です。ということで冬服装で行きます。近所の旅行社に行き、往復の飛行機を手配しました。4万円。長男が、マイレージで切符買ってあげると言ってくれてるのですが、自分は我慢する親分肌の所がある子だから、親父だけの旅行に使わせたくないです。また母親が一緒の時、お願いします。レンタルバイク屋さんに電話しました。昨秋に、系列の上野店でバイクを借りて2人乗り東京ツアーしたので、僕は会員さんになってました。CB400SB保険付・2日間25000円+レンタルヘルメット1200円+GIVIボックス1700円+電源ソケット500円+車両保険4500円で、借りる前に32125円払って、3時間ほど超過するだろうから、超過分は後払いするそうです。北海道は、スキーでしか行ったことないので、楽しみです。
2011/05/20
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先週土曜日、朝5時前に目がさめたので、「早朝バイク」に出ました。田植えの季節になったので、「長谷の棚田」の風景が変わっただろうと目的地にしました。お気に入りのr12・旧道を北上し、r604で阿古谷集落を抜けて「三草山」の肩を越えて長谷を目指しました。三草山の北側に下ったところで、キジを発見しました。畦道を歩いていました。オスのキジで綺麗です。しきりにあの声で鳴いてたので、メスでも探しているのでしょうか?きっと恋の季節です。一眼レフを出動させていたので、パシャパシャいい写真が撮れたでしょう。続いて、いつもの交差点で左折し、長谷川沿いに「長谷の棚田」方向に入りました。鷺が田の数話降りており、いつもながら素敵な景色です。数度、激写タイムを繰り返しながら、「才ノ神峠」まで上がりました。ここで大失敗に気づきました。一眼レフの記憶媒体挿入を忘れていました。よって、キジさんの写真も残っていません。「ああ~」気をとりなおして、「槻並」方面に下りはじめました。車ではとても走れないコンクリート舗装路を、慎重に下ります。セカンドでもスピードが上がる勾配です。急カーブもあり、僕の技量では上りはきつそうなので、下りでしか走っていません。数日前の雨で、この道は川になったようで、その運搬物が路上にたくさん残っていました。「槻並」の集落に下りてくると、藤の花が路肩からいくつも下がっています。r12・r329・r33で帰宅しました。2時間ちょっとのお散歩です。長谷の棚田~才ノ神峠2
2011/05/19
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2時を過ぎ、ここから帰路です。旧西国街道で帰るつもりですが、ダイレクトに狙うと車の多い京都中心部を通るので、「今出川通」を西進します。「同志社」「御所」を通過。家内が「同志社小学校は、ここにあるのね」だって。今回、新兵器を投入しました。ヘルメットに付けるバイク用インカム・トランシーバーです。「デイトナ・クールロボ・イージートーク・ワイヤレスインターコム2台セット約2万円」。PTPスイッチ操作など必要ない双方向性インカムです。常時繋がってるので、電話で話しているような感じで、走行中、横向いて大声で話すなどしなくてもOKです。これは大変便利です。単4電池1個で使えるので、電源確保が簡単です。エネループ予備2個用意してたので、1度交換しましたが1日OKでした。道は、「京福電鉄・嵐山線」の側道になり、知らんうちに、「大沢の池」の横を通る道になりました。「嵯峨野」まで出て、「嵐山」に向かって南下。嵐山は、相変わらずの人でした。ちょうど今日は、京都三大祭の「葵祭」でした。御所~下鴨神社~上賀茂神社のコースなので、当然これにかち合うと当該道路は通行止めです。昼食を下鴨神社で摂るようなので、走る時間帯をずらしました。「渡月橋」を渡り、阪急電車に沿ってR9まで南下。道なりにr67で「向日市」。ここはもう「旧西国街道」です。平安京の前10年ほど都があった「長岡京市」。「大山崎」で「油座」の全国総元締めの「離宮八幡」で休憩。サントリー大山崎工場をかすめ、「JR島本駅」横で休憩。ここは、ずっと後醍醐天皇・南朝方だった楠木正成・正行親子別れの場・「櫻井の駅」跡です。僕はアイス、家内はヨーグルトを駅前コンビニで購入し、ベンチに座って食べました。続いて「郡山宿」で休憩。旧道は、長屋門のある旧家や趣きのある寺社が時々出現し、速度は出ないけど楽しいです。箕面・牧落交差点からR171・西国街道現道でギューンと帰ってきました。京都~自宅は下道でも2時間なのに、寄り道ばかりで4時間、帰宅は7時前になってしまいました。でも家内が一緒だったので、楽しい1日になりました。このインカムは、ツーリングで2台で走っても会話しながら走れそうです。ナイスなアイテムです。
2011/05/18
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r50に入り、「越畑」を越えた次の集落・たぶん「嵯峨密原」で、素晴らしい古民家を見つけました。立派な家だなあと見上げていると、ここらの家は総じて立派です。こんな標高の高い山奥にあるのに、この集落の経済力は何故?なんて考えてしまいました。「JR保津峡」に向かう下りに入り、柚子畑が山肌に現れ、そして「清和天皇陵」がありました。バイクを置いて、御陵まで歩きはじめましたが、片道20分の案内板を見て・・・往復40分かあ~・・・と断念しました。軟弱夫婦です。3月末にここを通った時は、路肩に雪があり、JRまで対向車1台だけでしたが、この日は天気が良く、バイクにロードバイク・ハイキングの人と、数組とすれ違い、この細い道にしてはきっと大賑わいでしょう。上り坂を平地同様のスピードで上がっていくロードバイクに驚かされました。僕らだったら、歩いています。「JR保津峡駅」で休憩です。3日間の雨の影響で水量が多く、駅の下を保津川が勢い良く流れています。こんなだったら船頭さんは漕がなくてよく楽ですね。その分、岩を避ける竿さばきが冴えないといけませんが。駅にはロードバイク2台、バイク2台、電車から下りてきたハイキングさん数名がいました。露天売店が開いており、烏龍茶ボトルと玉子を購入しました。おばちゃんに「ゆで卵ちょうだい」と言うと、「出汁玉子」の方が美味しいよとのこと。そっちを食べました。お蕎麦のつゆに3日間漬けとくといいんだって。嵐山・嵯峨野方面に出発。すぐに、「トロッコ保津峡駅」で、また休憩。橋を渡っていると、保津峡下り船がやってきたので手を振ります。観光船のお客さんが皆さん手を振り返してくれます。ちょうどそこにトロッコ列車到着。例の鬼さんがご乗車。きっと小さな子を泣かすのでしょう。出発の合図が鳴ったので手を振ります。沢山の方が振り返してくれます。観光地の地元の人(僕は地元じゃないけど)と小さな交流があると、それだけで印象アップだからね。世の中、楽しく行きましょう。さらに下り、自転車の場合の最大の難所・「六丁峠」に差し掛かります。バイクだから平気だけど、自転車だったら歩き押しだね。峠を越え、嵯峨の赤鳥居に下りてきました。その先は、朝8時からバイク通行禁止です。夏に長男夫婦と歩いた「嵯峨野五百羅漢」の方に進み、「清滝トンネル」手前から嵐山方面に下ります。「大覚寺・広沢の池」に寄り道。お寺なのに菊の御紋が入っています。謂れを読むと、京都に遷都した桓武天皇の20年後に即位した嵯峨天皇が、ここに別邸を造営し別御所だったそうです。それで、菊の御紋なんだ。続いて「広沢の池」、大沢の池より広いです。世界遺産ロードを東進し、「仁和寺」「龍安寺」「金閣寺」前を通過します。「加茂川」「高野川」を越え、東大路交差点から南下して百万遍に至りました。百万遍駐車場は、長蛇の列。この界隈の喫茶店外にも行列ができています。百万遍知恩寺さんには、分骨の下調べで数度来ていますが、観光ルートから外れ、いつも閑散としています。ところが・・・「なにこれ?」って家内が驚いています。僕も驚きです。ここまで、「百万遍・手作り市」が人気だとは知りませんでした。いつものイメージで来ました。百万遍交差点を銀閣寺方面に東進し、歩道にバイクを停め、百万遍さん境内に入ります。ものすごい人です。子供の頃のデパートや、正月のえべっさん状態です。出店者は自らテントを張り、思い思いの手作りの品をテーブルに並べています。この大勢の人の中を全部見てまわるのは至難の業と思われます。この状態なら、僕らの没後も賑やかそうです。適当に切り上げ、昼食に。前食べた「京大テラス」に向かいましたが、ここも並んでいます。家内から「京大学食」を提案され、歩いて向かいました。体育館の手前の「関西日仏会館」前を通ると、ここにもレストランがあるみたいです。ここにしました。ちょうど、「英検」ならぬ「仏検」の試験日でした。日仏会館で仏検なんていいですね。まさか仏教の「仏教検定」の略じゃないと思うけど。フランス料理なのでしょう、昼食コース料理を食べました。1500円。家内はケーキ300円も追加してました。京大サークル 「ウェルかも」 鴨川で楽しくゴミ拾いだって
2011/05/17
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昨日の日曜日は、15日でした。以前から訪問してみたかった毎月15日に境内で開催される「百万遍知恩寺さんの手作り市」に行ってきました。僕ら夫婦は、智恩寺さんに分骨しようと思っています。家内の実家は、京都・永観堂さんに分骨しています。僕らもそれに習い、我が家のお寺さんの本山・浄土宗智恩寺さんにお世話になることにしました。浄土宗総本山・知恩院さんの下の本山七大本山の1つです。浄土宗開祖・法然さんが加茂川で教えを説かれた屋が前身とか。後醍醐天皇の世、京都を襲った疫病平易のため、当山住職が百万遍祈祷し、流行病を退治したそうで、「百万遍」の名を後醍醐天皇から賜ったそうです。まあ僕らの希望はそうだけど、長男が「骨を2ヶ所に分けるなんて、あかん」と言えば、分骨にならないけどね。家内の実家のお墓にも参るけど、京都・永観堂に参るのを口実に、定期的に京都訪問してる生活もいいなと感じています。最初、亀岡から自転車で保津峡沿いを走って嵯峨野まで下り、そこから東進して百万遍を目指そうと思っていましたが、数日前に3日間も雨が続き、亀岡~JR保津峡間のがけ崩れ多発箇所が危険な状態かもと思い、通勤リード110ccタンデムにしました。日曜日は、その前に一仕事しました。バイク友人のグッチさんが、自転車でしまなみ海道を渡ったTV番組を録画したので、それをダビングしてくれるということで、その受け取りに西宮北IC付近に7時の約束です。6時に出れば間に合うだろうと、5:30に家を出発し、1時間も早く着きすぎたので、有馬川探索、北六甲台住宅地内で景色のいいところを探索、生野高原住宅地から三田方面を眺めたりしました。待ち合わせ場所のローソンに30分前に到着すると、Gさんは既におられました。今日は車です。ブルーレイディスクを受け取り、少々あ~だこ~だしゃべり、R176で帰宅しました。予定より早く7時過ぎに帰宅しましたが、朝食とか朝風呂とかして8時半に出発です。r12・旧道~R173~R477で「亀岡」に入り、r73で「八木」でR9合流。ここのGSで燃料補給とタイヤ空気圧チェックです。これから山道なので、準備は万全に。R477を走ってると、ツーリングバイクが抜いていきます。さらに10台ぐらいのツーリング集団に道を譲ります。この10台、R9でガソリン補給の時、前を通り過ぎた集団です。遠回りしたみたいですね。女性ライダー数名、子供タンデム1台、と和やかな感じです。r50との交差点「廻り田池」で激写タイム兼ねた小休憩してると、あの10台が戻ってきて同じく休憩されました。休憩中もツーリングバイクが、2組ほどR477を東進していきます。
2011/05/16
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通勤リードに、新装備を投入しました。「デイトナ・エアロショーツスクリーン・リード110用・14000円」昨年12月に、VTR250に「ガイラシールド大」を投入しました。その結果、胸に当たる風がなくなり、冬バイクで胸の寒さから解放されました。自作・ハンドルカバーで、手の寒さからも解放されました。副作用で、高速道路燃費が15%改善され、バイクでの風対策の有効性を切実に感じました。そこで、片道10分通勤とショートツーリングにしか使わないけど、リード110にも風対策をしてみたくなりました。通勤では、真冬でも雨でもリードに乗ります。冬は、胸の寒さを感じ、雨の時は、もう5年は使ってるくたびれたカッパ使用もあり、長時間運転すると、胸のところから下の服も濡れてきます。VTRで、スクリーンは雨対策にもなると実感したので、シールドを付けることにしました。いろんなのが出ていました。銀行さんカブ仕様の大きなのが、効果抜群であるのは容易に想像できますが、あれを付けてしまうと、バイクカバーが使えません。バックミラーぐらいの高さがあるものがあれば・・・ありました。でも、カラーがスモークしかありません。クリアの方が、いいんだけど・・・でも、これ以外に良さ気なのがないので、デイトナさんにしました。自分で取り付けました。30分ぐらいでしょうか。朝めし前にやっつけました。スクリーン専用ステイを、バックミラー基部ネジに取り付けてお終いです。専用ステイに、バックミラー取り付け穴があるので、そこにバックミラーを取り付けます。単純に取り付けただけで、バックミラーは左右とも2cmほど外側・上方に移動します。僕は、後方視界を良くするために、元々バックミラー取付基部に1段ネジ下駄を履かせていたので、さらに上方に2cm上がりました。これにより、さらに後方視界が良くなりました。そして、スクリーン本体も2cm上がり、風防効果が上がりました。オリジナルの高さだと、スクリーン上縁を超えた風が、喉とジェットヘルスクリーン下部に当たるかんじだったのが、喉に当たらなくなりました。2日間、これで通勤しましたが、Goodです。前方からの見た目も、スモークカラーなので、引き締まった印象になりました。でも、僕の好みはクリアの方だけど。バイクカバーも、今までのものが使えて問題なしです。
2011/05/14
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日曜日、岡山広域農道ツーリングから帰宅して、バイクの手入れをしました。帰りに、チェーン擦れの音が聞こえ始めました。月1回ぐらい、チェーンにオイルを差さないといけないらしい・・・毎回、ツーリングから帰って来る度に差してる人もいるらしい・・・僕は、マメにバイク屋さんに定期点検出してるけど、日頃のメンテナンスが疎かです。メンテスタンドでバイクを立て、チェーンクリーナーとチェーンルブで、しっかりとオイルの手入れをしました。家にはまだ家内は帰っておらず、風呂に入りました。早朝の高速走行だったので、厚着し過ぎでした。途中1枚脱いだのですが、それでもまだ暑く、結構汗をかいてしまいました。ここは家内が帰って来る前に、さっぱりしなくちゃ。というのも、六甲山山頂に夜景デートの約束があるからです。風呂から上がり、「もう終わったかな?」と家内に電話。応答なしです。しばらくして電話が掛かってきました。大阪の会合の終了が少し遅れたようです。最寄り駅に迎えに行き、逆瀬川から山頂に向けて上ります。山頂は、やはり寒かったです。大坂のホテルでの会合用のスカートと薄着なので、僕のジャンパーを貸してあげました。いつも思うけど、女子は寒がりのくせに、なんで薄着なんだ?家内のカメラも持って行ったのですが、靴も持って行ったら良かったようです。ハイヒールは、しんどいよね。景色のいいお店で、お肉の載ったお弁当で夕食にしました。暗くなってきて眼下に夜景が広がっていきます。家内のお目当てだった「六甲枝垂れ」も点灯され綺麗です。この時間になると、お若いカップルが目立ちます。今でも、デートスポット健在のようです。夜の気温が上がるこの時期、夜景を観たくなります。前は、日本三大夜景・六甲摩耶山にケーブルとロープウェイで登りました。車より、ケーブルカーなんかで登る方が、雰囲気出るね。また逆瀬川に下り、楽しい1日が終りになりました。
2011/05/13
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昨日は、1日雨でした。仕事で垂水に行く用事がありました。電車で行けば楽ですが、面白く無いので、通勤リードで出撃しました。西宮から須磨までは、阪神高速の下を走るR43で西進しました。内側車線を走ると、高速道路が傘の代わりになって、濡れません。快調に走りながら、そういえば阪神の震災の時、この高速は横倒しに倒れてたんだなあと、感慨にふけりました。用事を終えての帰り、行きに見えてた高層マンション群のあるところに寄り道しました。神戸長田・・・震災の時、一面焼け野が原になったところです。昔ながらの低層地区に、再開発で、高層マンションが数棟建ちました。行きの雨の中、それの高層階が霧に隠れて見えませんでした。よくTVで紹介されていた長田の市場のアーケードを見てみました。自転車やバイクがアーケード入口に停められ、お買い物のお客さんがたくさんでした。そして、長田駅前広場に・・・巨大鉄人28号が、雨の中右手を斜め上に伸ばして、頑張っていました。10年後も、ここで頑張っててほしいな。前の日曜日を前にして、次男から母の日プレゼントが届きました。「ピンクの紫陽花」です。家内は大喜びで、食卓に飾り、続いて玄関に飾っています。去年僕が父の日プレゼントでもらった「盆栽の松」と並ばせて、記念ショットを写して、次男に送っていました。何にも言わないのに、ありがたい事です。「来月の父の日に、また盆栽が送られてくるんじゃない?」と家内。「え~、去年の盆栽はギャグやろ」と僕。親父がいなくなって、庭の手入れが僕の仕事になったけど、基本趣味ではないし。草花や樹花を愛でるのは、人並み程度だし。息子たちも、父親が和服着て盆栽いじってる姿なんて想像できないと思います。去年、盆栽が送られてきたとき、「あいつ~」って笑ってしまいました。その時、頭に浮かんだのは、波平さんの姿。僕は、頭のてっぺんに髪の毛1本・・・にはなりたくないなんて。こうやって、我が家も僕ら夫婦が親から世代を継いだように、次世代にバトンタッチして行くのだろう。我が家も、阪神高速同様、あの震災のえらい損害からなんとか持ち直すことができた。東北も、10年後、新たな顔をして蘇っているでしょう。唯一の不安要素は、原発。どこまで被害が広がるかわからない。原子炉に注入した水の相当量が行方不明だそうな。海に流れだしてるのは明白。さらに、原子炉核燃料が今のままおとなしくしてる保証はない。内側から高温で格納容器を壊して露出する勢いで進んでいると、僕は思ってる。半径30km圏内退避で済むのか?チェルノブイリの先例を考えると、最低数十年は立ち入り禁止です。こんなことが各地の原発で起これば、日本という国が存在できなくなりそうだ。事故を制御できないような技術を、僕らは使ってはいけない。多くの生命が、脈々と世代交代を繰り返してきた地球、今その将来のキャスティングボードを握ってるのが人間。牛だって馬だって、猿だって鹿だって、細菌さえもみんなつながり合って共存してる。避難地域におられた方の無念さを思うと心が痛む。先祖代々耕してきた農地を捨てる人も多いだろう。我が子に、それを渡せないんだ・・・我が家の本家が、その地域に指定されたら、どんな気持ちになるだろう。指定地に田舎があって、都会で暮らす人も多いだろう。今度の原発事故で、トレジャーハンターの映画で主人公が発見するスーパーパワーを持つ禁断の箱を元の場所に戻すシーンが脳裏に浮かびました。スーパーパワーを、元の場所に戻す時期なのかもしれない。
2011/05/12
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またフリー走行です。「岡山自動車道」を中国道合流の「北房JCT」まで走り、西に向けて中国道に合流して、すぐの「北房IC」出たとこで集合。Gさんは僕のより非力なシングル223ccなのに、スーッと行っちゃいました。後ろから見てると、運転もスムーズで、僕もあと10年ぐらい乗ったら、あんな風に乗れるようになるのだろうか?CB223はウインカーが小さいですね。「曲がりそうだな」と見てるからわかるけど、意識していなければ、日中は見落としそうです。追突されそうで、危ないかも?「北房IC」は、今年「吉備路~高梁・松山城」ツーリングしたとき乗ったICです。その時利用したR313を高梁の方に少し戻り、ここから2本目の広域農道「奥吉備街道」が始まります。ここも、広域農道の表示が何も無いので、普通なら見過ごします。「有漢常山公園」までフリー走行。「吉備高原街道」より広めの道ですが、こちらも交差点は少なく、信号が1つだけです。道なりに走ると難なく公園に到着。快走路です。数台トレインで走っていくバイクとすれ違いました。走り屋さんは、こっちの道を選ぶのですね。こんな道が、大阪近郊にあったら、間違いなく走り屋さんバイクの練習路になり、やがて二輪通行禁止になるでしょう。お城の形をした展望台がありましたが、眺めは駐車場からとさほど変わりません。石の風車が回る広い芝生公園「風の舞台」がありました。人は少ないですが、小さな子連れで来ると楽しめますね。さっき通った「岡山自動車道」の有漢IC横を抜けて、ぐにゃぐにゃ曲がりながら東南東に進みます。途中で交差するR429の所にある「道の駅・かもがわ円城」に寄ります。ここはバイクのたまり場とのこと。30台ぐらいのバイクがいました。ここから「奥吉備街道」に戻り、またフリー走行。いやあ、交通量はほぼナシと言っていいぐらいの快走路で、実に気持ちがいいです。横に斜面に牛がいます。止まって写真撮ってると、牛が「何してんの?」という目で見ています。r71にT字路でぶつかり終了。ここで待ち合わせました。r71で東進。「奈義山」の方に行くR53で、「旭川」沿いの「福渡」という町で昼食です。Gさんの思ってたR53沿いではなく、「JR福渡駅」の方に少し入ったところでした。お勧めを聞いたら「ハンバーグ定食」ということだったので、それにしました。お肉屋さんのやってる小さなお店ですが、「1DAYドライブ岡山」で取り上げられてるぐらいで美味でした。11:30。R484で東進。R484は、国道だけど交通量は少ないです。また「?」と思うところに、最後の広域農道「美作やまなみ街道」の入口がありました。これで「津山」まで北上します。地図上では交通量の多いR53と平行して走っていますが、向こうは川沿いで、こちらは山中ぐにゃぐにゃ道。バイクでは、こっちの方が数段楽しいです。ここもフリー走行です。桃(岡山だから勝手にそう思っています)?梨かな?のビニールを被った畑が広がっています。橋の上でバイクを止め、少し歩いてバックし、橋とバイクを写したり、「美作やまなみ街道」と大きく書いてある交差点で記念撮影したり・・・、津山の町に下りてきて終了です。「津山IC」から中国道に乗り、「勝央SA」で集合し、ここで解散になりました。ややこしいところだけトレインで、その他ほとんどがフリー走行というツーリングでした。寄り道好きの僕に合わせてくれました。初めての僕でも、迷うことなく辿りつけました。Gさん、待たせてばっかりですいません。・・・ありがとうございます。「晴れの国・岡山」がさらに好きになりました。「勝央SA」で話してると、スズキのアメリカンバイクで入ってきた方が、停めるときサイドスタンドが出きっておらず立ちゴケされました。大型エンジンガードのおかげで斜めにしかならず、3人で楽々起こせました。「ありがとう。疲れてんのかなあ~」なんて、言ってはりました。僕はアイス食べて休憩で、Gさんスズキアメリカンさんも、先に行かれました。次の「加西SA」でも、スズキアメリカンさんに、会いました。「加西SA」から、いつもの宝塚トンネル渋滞にも遭わず、ノンストップで帰宅しました。
2011/05/11
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日曜日は、3人乗りのポイントレースでしたが、今月のレースメンバーから外れたので、岡山県の広域農道を初体験しに行きました。2週間前に高速道路・ウェルカムゲート巡りに連れていってもらったバイク友Gさんに案内していただきました。毎年のように、岡山広域農道を走りに行ってるようです。朝7時に、山陽道岡山IC近所の「吉備SA」集合です。僕が体験したスマートICを、体験してみたいということで、こうなりました。自宅から2時間少しかかるので、4時起床・4時半出発の予定を組みました。遅れてはいけないので目覚ましを掛けましたが、3時に自然に起きました。早寝早起きが習慣になってるので、ここ数年、目覚ましのお世話になることがありません。4時に家を出ました。宝塚ICから中国道に乗り、一路西に。体力温存のため、80km/h走行+SA毎休憩のペースに入ります。まず「三木SA」で休憩し、本線に戻り走ってると、前方にバイク。その前の乗用車の後ろについて走っています。ここまで2台、大型バイクに抜かされたけど、前方のは僕のと同じぐらいの車格に見えます。「ひょっとして・・・」と思って抜くとき横を見ると、シルバーのヘルメット、CB223。やはりそうでした。前回のツーリングでは、集合場所手前で僕が追いつかれたけど、今回は僕が追いつきました。前回は僕と同じVTR250でしたが、今回はお持ちのもう1台の方です。先月買ったばかりの新車です。手を振りながら、前に入ります。前の乗用車が遅いので、抜きました。すぐに僕に追随し、僕の80km/hペースで並んで西進しました。僕は、60kmほど先の「龍野西SA」で休憩でいいですが、Gさんは神戸からなので休憩を取っておられないことも考えられ、手前の「白鳥PA」で休憩しました。トイレと昼食(またイチロー真似の朝カレー)を済ませ、集合場所の「吉備SA」まで走りました。PAで休憩したので70kmほどの距離に増え、最後ちょっと疲れました。SA間隔60kmを休憩含めて1時間のペースが、僕にはいいみたい。休憩し、ガソリン満タンにして、スマートIC前まで横に寄せてストップ。写真を写しておられます。スマートICはゲート前白線で一旦停止してから、ゲートが開きます。ここから出たことがあるので、r72交差点まで先導し、ここで先導交代です。信号が少ないからと選択されたr61を北上。気持ちのいい道です。前方に池の土手みたいなのが見えてきて、「ははあ、ここだな」と。最初の訪問地は、「岡山空港」です。Gさん曰く「しょぼい二輪置き場」にバイクを入れます。確かに、トタン屋根が錆びてるし、10台も置けない小スペースだし、高校の自転車置き場にも負けそうです。「地方空港の割に、便数が多いんですよ」との説明。空港ターミナルには、お客さんが次々入ってきて、コリアンエアと中国東方航空が定期便を飛ばしています。国際空港です。100円払って展望デッキに出ると、ちょうどANAが飛び立つところでした。空港の横から、僕の初岡山広域農道が始まります。「吉備高原街道」。山沿いを走る快走路という広域農道のイメージとは違い、山間部を縫うアップダウンの激しい舗装路でした。標高が高いので、数々の低山の峰を見通せたり、下界の集落を囲む棚田が一望できたり、交通量がほぼナシなので、直線では50~60km/hで走れるけど、そんなに速く走ってはもったいない最高に気持ちのいい道でした。満開の藤が至る所に下がっています。交差点はありますが、終点まで道なりなので間違いようがありません。フリー走行というお達しで走ってるので、自由に休憩し写真撮ってOKです。Gさんはもう何度も走ってるので、先に行ってしまいました。僕は、ゆっくり・キョロキョロ走りながら、写真休憩も挟みます。エンジンを切ると、ウグイスの鳴き交わしが降り注ぎ、素晴らしい道でした。待ち合わせは、吉備高原街道終点近くの「賀陽IC」から「岡山自動車道」に入り、北上した次の「高梁SA」。「いやあ、最高の道でしたわ」と満面の笑みで、バイク置き場に帰着。すぐに隣のCB1300さんから声を掛けられました。「タンデムひこにゃん」「ビニールテーブルクロスお手製ハンドルガード」の事、「暑いねえ」・・・。続いてヤマハの大型バイクVMAXが入ってきました。存在感のあるバイクです。僕でもわかります。ヘルメットを取ると、70才越えてるだろうおじさん。「蒜山高原って、どう行けばいいかねえ?」。バイク乗りって、初対面なのに、待ち合わせしていた知り合い同士みたいにフレンドリーです。
2011/05/10
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自転車に戻り、浜大津港に向かって下りました。ミシガンが接岸し、芝生には家族連れが楽しそうにしています。琵琶湖岸を東進します。いい風が吹いています。はるか沖のレース艇が見えます。全部で100艇ぐらい出てるようです。たくさんレースが出来そうです。次男もたくさん楽しめそうです。「大津プリンスホテル港」という桟橋があり、横を見上げると高層のランドマーク・プリンスホテルが建っていました。「近江大橋」から瀬田川沿い右岸を南下します。遊歩道が整備されており、釣り糸を垂れる人が大勢います。大津港からずっと釣り人だらけです。レトロな可愛い船で瀬田川を遊覧する遊覧船が桟橋にいます。その出発を見送り、自転車で桟橋から下りてきた係員さんに声を掛けます。「大人1300円で、1時間遊覧。次は石山寺桟橋から出ますよ」って、教えてくれます。ミシガンより随分小さな船なので、こっちの方が楽しそうです。係の方は、自転車で陸路石山寺桟橋に向かうみたい。なんだか楽しそうです。いつか乗りましょう。瀬田川は、ボートのメッカ。各大学の艇庫が並び、ボートを整備しています。「瀬田の唐橋」下の川沿いでお昼ごはんしてる女学生のところで休憩。そこに京大ボート部艇庫がありました。へえ~ここだったのか~。川沿いの散策道がなくなりR422に乗ると、すぐに「石山寺」でした。山門前に自転車を置こうと思ったら、駐車場整理の人がやってきて駐車場内にそのスペースがあるのだとか。石山寺は、紫式部が源氏物語を書いたところで有名ですね。伽藍を回り、紫式部の像を写真に収め、下りてきました。山門を出ようと思ったら、向こうから「おおつ光君」がやってきました。「おおつ光君で~す」と、お姉さんに手を引かれながら、ゆるきゃらぬいぐるみが来ます。家内との2ショットを写真に収めました。ここで昼食を目論んだのですが、4組待ち、お隣は「40分ぐらいお待ちいただかねがばりませんが・・・」の言葉で退却。仕方ないので、さらに南下し「瀬田の洗堰」を観て、ここで昼食・・・有名だと思うのに、お店屋さんがありません。「う~む」、家内が燃料切れになりそうですが、ここから帰路・石山寺方面に戻ります。地元の幸を賞味したいが、それにこだわらず適当なお店を探していると、ちょっと古めのお食事処が目に入りました。家内からのダメ出しが出るかなと思っていたら、お腹の減りがそれを上回ってるようで、あっさりOK。店内は、地元のお客さん1人、店主さんとその奥さんという、昔はどこにでもあったお食事処です。手書きのメニューを見て、「定食ありますか?」と聞くと、黒板を示され、「今日の定食はこれ、この品みんな付くの。ご飯の量だけ選んで」と。家内は小、僕は中を注文。魚・シジミの味噌汁・お漬物・・・840円にしては豪華です。目の前の瀬田川のシジミというご当地の幸も賞味でき、味もとても美味しい。2人して、「美味しいねえ。石山寺がダメで良かったねえ」と最高のお昼ごはんになりました。往路の道を帰るしかなく、時間的にもレース終了が迫り、京阪坂本線「石山寺」駅から電車に乗ることにしました。途中浜大津を通るので、混み具合が気になりましたが、座席が埋まることなく、自転車乗車でもヒンシュクを買うことはありませんでした。「皇子山」駅下車。再び自転車を組み立て、ハーバーに戻ります。3時過ぎですが、既にレース艇は着艇していました。自転車を車に載せ、艇庫に下りました。家内から次男との2ショットをせがまれカメラを出すと・・・次男の後輩OB君が撮ってくれました。ここで僕らは帰宅。名古屋方面は、京都ICからずっと渋滞でしたが、反対はスムーズで楽しい1日を終えることができました。
2011/05/06
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昨日は、琵琶湖に行ってきました。月曜日夕方に、長男夫婦が帰っていきましたが、それと入れ替わるように次男が帰ってきました。彼の会社は復興関連で忙しく、2日間だけの休みを琵琶湖のレースに出るために帰ってきました。東京から直接琵琶湖の艇庫に入り、そこで寝泊りする方が楽なのに、自宅で2泊しました。自分の顔を見せることで、母親が喜ばそうと思ってるね。火曜日、次男がレースに向かった後、「応援に行きたいなあ。もう少し早く言ってくれたら・・・」なんて家内が言ってました。その日仕事しながら少々思案し、家内の要望を叶えてあげることにしました。「明日、休んで琵琶湖に行こうか?レースは観れないから、出艇したら自転車持って電車で琵琶湖北部を走りに行こう」とFAXしました。しばらくして、「じゃあ、そうする」との返事。レースのタイムスケジュールを予想し、JR湖西線の時刻表を調べ、地図で自転車での所要時間を予想し、「海津大崎~マキノ・メタセコイヤ並木」と「メタセコイヤ~新旭町水巡り」の2ルートを考えました。出発時刻によって選択です。帰宅すると、家内は楽しそうに次男の食事とかやってます。僕が自転車旅の用意をし出すと、「自転車も持っていくの?」って質問。どうやらFAXの後半のメッセージは目に入らなかっら様子です。火曜日、6:00に出た次男は、連休渋滞で琵琶湖まで1時間40分もかかったようなので、水曜日は5:30出発しました。ところが渋滞はなく、ハーバーに早く着きすぎました。しばらく車内で話した後、学生たちがやってきたので、次男は準備に下りました。現役学生はもちろんいますが、次男同期もいます。2人で組むそうです。1回下の代のOBも2人来ています。出艇を見送り、車に戻って自転車の用意です。「遊覧船に乗るの?」って聞いてきます。琵琶湖遊覧船に乗れば、レース海面の近くを通るからだそうです。予約もしてないし・・・乗船時刻も分からないし・・・で、パッと閃いたレース海面を望観できる湖岸の寺社巡りに予定を変更しました。まず、「近江神宮」に参ります。家内は、今年初めての自転車です。「夫婦で自転車」の復活です。「近江神宮」前で自転車を置き、大鳥居から厳かな雰囲気の大社を巡ります。近江神宮の裏山山頂に、森可成最期の地になった去年登った「宇佐山城跡」があります。織田信長が、大坂の石山本願寺攻めしているとき、浅井朝倉連合軍に背後を突かれないように、森可成が守備しました。大兵力の連合軍との戦に敗れ討ち死にしますが、ここで踏ん張ったおかげで、信長は退却の時間を稼げました。森蘭丸以下数名の子息を御側衆に置いたのは、可成への信頼の証ですね。続いて、天智天皇が築いた「大津京の遺跡」に寄りながら南下します。「皇子山運動公園」横を過ぎると、すぐに「三井寺」前になりました。山門前に自転車を置き、散在する伽藍を観て回ります。ここは「弁慶の引き摺り鐘」で有名ですね。天智天皇が産湯に使ったという湧き水が大事に覆い屋で保護されていました。この「御井戸」が、三井寺の名の謂れだそうです。水の湧く音もします。「ホホ~」と聞いていると、「CDが流れてるの?」って家内。う~む、そうかも知れないけど夢の広がりがないなあ・・・。弁慶の引摺鐘にちなんだ風鈴を買いました。山をトレッキングする時の、熊鈴の代わりです。いい音すぎて、反対に熊が寄ってくるかもしれませんが。レース海面を望観できる高台の茶店で休憩しました。家内は、お抹茶セット。僕は黒蜜トコロテン。トコロテンの原料は寒天。我が家近在では能勢町で作られ、全国的には長野県が生産トップ。寒い山間地方で作られる寒天の原料は、何故か海藻のテングサ。昔は輸送に時間がかかるのに、この辺の結びつきがよく分かりません。三井寺を順路に従ってぐるりを回ったら、南の「長等神社」に下りてきました。翌日のお祭りの準備で、皆さん忙しそうです。天狗の大きなお面とか、お祭りの出し物とかいろいろ拝見できました。ここから、自転車を置いた所まで三井寺に沿って北上します。この道、琵琶湖疎水の取水口の真上の道でした。前から見たいと思っていた所だったので、ラッキーでした。
2011/05/05
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日曜日10時、義姉の家に行くために、長男夫婦と車で出発です。R176、宝塚を過ぎr51・有馬街道で一本です。つづら折れで高度を増し、蓬莱峡の横を通るこの道は、僕の早朝バイク定番道でもあります。住所を聞きGPSにインプットしますが、かんぽの宿の前だからすぐわかりそうです。早朝バイクでは、いつも有馬ロープウェイで折り返すのですが、いつもの道沿いにかんぽの宿がありました。実に簡単。温泉街の急坂沿いだったらややこしいなと思っていたのですが、マンションにエントリーするのも楽々です。マンション前で電話すると、姉たちが下りてきました。部屋からの眺めは南の六甲山向きで、見上げる眺めです。北向きは有馬の町が一望できるけど、日が入らないからこっちにしたんだって。そして姉たちの還暦の祝いのビデオ。姉たちも僕ら同様同級生夫婦なので、2人で赤いちゃんちゃんこと帽子を被っています。子供たちが万事整えてくれたんだって。長男くんの司会です。小雨の中、有馬温泉の中心部を散策して、予約してくれたレストランに入ります。マンションから道を隔てた東急の施設です。マンションも東急不動産なので、同時期に建てられたのかな?気の知れた僕らなのに、コースを用意してくれてました。いつもはかんぽの宿でバイキングしたり、温泉街の中のうどん屋だったりのようですが、僕らのために奮発してくれたようです。姉たちも初めてのレストランのようで、レポートリーを広げるためのようです。温泉街が一望で、おいしい料理に舌鼓みしました。北海道の話が出たので、僕の「バイクで北海道」計画を披露すると、「僕のマイルで買ったらええねん」て長男から。「でも自分たちで使ったらいいやん」「貯まりまくってるから、全然平気だよ」だって。お言葉に甘えて、またまた航空券をプレゼントしてもらおうかな?おみやげ買って一旦車に戻り、小雨が上がったので再び温泉街散策に出かけます。今度は神戸電鉄・有馬温泉駅まで下ります。ただこの有馬温泉、急坂の町なので、戻ってくるのが大変です。有馬川に掛かる橋で信号待ちしてると、「あれっ?・・さんじゃない?」と姉がそこにいた人に声を掛けます。「あれ~、なんでこんなところで?」家内の実家の数軒お隣さんでした。その界隈ではとても大きなお家で、僕もすぐわかりました。横におられた方はお嬢さんで、某TVキー局にお勤めで、TVで見るお顔です。そう言えば、前家内から聞いてたな。休暇を取って、母娘で有馬温泉旅行のようです。ホテルの送迎バスを待っておれる所でした。うだうだ話してると、送迎バスがやってきて・・・でも橋に来ずに、そのまま川沿いを上がっていきます。「ありゃ?」、走ってってバスの運転手さんに合図します。で、目出度く乗車。トコトコ散策して、お猿の芸をやってました。さっきのバスは、歩くのと同じぐらいでしか動かないね。また挨拶。子宝・安産のお宮にお参りし、「裏道から行こか」と、地元の方しか知らない道を兄に付いて上がります。「おお、かんぽの宿の横に出ました」部屋に戻り、新婚旅行のケニアの写真をワイワイ言いながら見て、鍵を渡されました。前々から、鍵渡すから自由に使ってくれたらいいと言われていました。ただ職員さんとバッティングしたらあかんから、連絡だけするようにと。鍵貰っても、僕らだけで来ることはないように思うけど・・・姉たちがいたら来るけどね。僕達が付き合ってた学生時代、兄は結婚後また学生に戻り、貧乏生活の補給路として、家内の実家から生活物資を車に積んで兄たちの家に何度も遠征しました。いい兄弟持ってるなと、家内との結婚の意志をさらに強めました。兄・姉とも温和だから、子供たちもみんなゆったりした子になってます。わが子たちの素晴らしい従兄弟です。長男とお嫁さんがマンション内の大浴場に入るというので、兄に案内してもらいながらついていく。金泉・銀泉両方の温泉が引かれてなかなかいいので、僕も入ることにしました。銀泉の方が、ぬるっとします。屋外露天風呂の金泉の方が肌にピリっと来て、塩分が高いです。「金泉の方が効く感じがするなあ」って長男。僕が先に出て、女湯との間にある休憩室に入ると、お嫁さんが既に出ています。「金泉の方が、効く感じでしたよね」って、さすが夫婦、同じ感想だ。部屋に戻ると、姉夫婦はもう帰ったみたいです。職員さんがやった仕事のチェックを資格持ってる兄がしないとお金をもらえないようで、この日は早めに退散し、月曜日の仕事を終えてまた来て、3白するそうです。
2011/05/03
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長男が金曜日に東京から帰ってきて、お嫁さんは仕事だったので、土曜日に帰ってきました。土曜日、僕の仕事終わりを待って、遅い夕食を回転寿司しました。2月に行ったケニアの新婚旅行の話などで盛り上がり、楽しい夕食になりました。でも翌日曜日の朝は、まだお腹が満腹で、朝食抜きになりました。この日の予定は4人で、有馬温泉ケーブル駅から六甲山山頂にケーブルで上がり、トレッキング下山でしたが、天気が思わしくなく、土曜日に義理姉にコンタクトを取りました。前々から来いと言われていた有馬温泉のマンションに、来てるのかな?と思って。すると、ちょうどマンションに行くから、昼食を一緒に食べようということになりました。結婚式の前日晩に話しましたが、もっとお嫁さんと話したかったのでしょう。うちの子達がちびの頃、2家族でキャンプしたりいろいろ遊んだので、姉夫婦はうちの子達をわが子のように思ってくれています。「11時に有馬においで」とのことなので、10時まで暇です。で、家内のバイク練習に出ました。小雨の心配がある空なので、カッパを着ます。でも少しかっこいいよ。釣具メーカーのブランド物・ダイワの釣具防寒・防水スーツです。バイク乗るときの春秋用として購入したのが気に入ったので、家内用にも買っていました。AT小型二輪免許取得記念プレゼントです。黒・灰色・赤しかなく、僕が赤買っちゃったので、家内も赤でお揃いです。この年になってペアルックもなんですが・・・。「これ、私用?」って、喜んでくれたので良しです。ペアルックのことは不問でした。通勤リード110に2人乗りして坂を下り、川沿いの交通量のない道へ。ここで交代です。300mほど行って、国道側道の橋を10mほど渡って、また川沿いをここに戻って、ここの橋を渡るというコースにしました。全線見渡せるので、何があっても走って行けます。30km/h程で颯爽と出発しました。国道の側道まで行って、側道に入らずUターンし始めました。ゆっくり足を着きながら回って・・・ドコッ。道の縁石に前輪がぶつかってストップ。少し坂になってるので、バック出来ないようです。下りてバック・・・前進してドコッ。それを繰り返し・・・手を振っています。「ありゃ、ヘルプです」。まさかほんまに、走って行かないといけない状況になるとは思っていませんでした。走って駆けつけます。交代して、ドコッ・トラップから脱出させました。ドコッっとなってからバックするのはいいですが、ハンドル角度がそのままなので、当然前進しても同じところにドコッです。僕の脱出を見てたので、ここは何も言わず、「じゃあ、今度はこっちから行こうか」、また30km/hぐらいで快調に走り出しました。でもまた向こうで、ドコッ・トラップにはまっています。今度は斜度がないので、数回で脱出して戻ってきました。「あんな、バックするときハンドルを反対に切ったら、ほら」。教習しました。「うわっ、ほんとだ~」って、あんた小学生か?自転車でこうなった時、どないしてたんやろ?可笑しいというか、可愛いというか・・・心の中で、大笑いしました。最初にドコッとなった縁石の横はマンションでした。そこの方が、植木に水やりをしていました。「何してるんだろう?って、ジロジロ見られたよ」って、家内がその時のカッコ悪さを教えてくれました。
2011/05/02
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