仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2007.05.25
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カテゴリ: 東北
山形県では今、県議会議員のモラルと議会の権威が問われている。

飲酒運転で摘発された議員に対して、県議会が議員辞職勧告を決議。それでも辞職しない意向を示したため、県議会は臨時会最終日の22日、各会派の総意で、議員政治倫理要綱に基づく行為規範に違反する疑いがあるとして、政治倫理審査会審理開始を決定。同審査会は県議の公選法違反事件などを受けて03年に設置したが、審査開始は初めて。

渦中にあるのは、今月2日未明に飲酒運転した村山隆議員(東村山郡区選出)。議会の総意としては、村山さんという問題の県議を辞職させて自浄能力を示したいのだろうが、当の本人は勧告されても辞職しない。辞意を示せば議会も閉会したのだろうが、辞職しない意向を示したため、会議時間を延長して村山県議を出席させて議会運営委員会を開催。この場でも村山県議は、4年間の職責を全うしたい、と述べた。これを受けて阿部議長が政治倫理審査会の審査開始を後藤政倫審委員長に命じた。

午後7時過ぎの本会議終了後ただちに、1回目の審査会を開催。次回を6月12日と決定。後藤委員長は「議会の信頼回復に向け県民に分かりやすい審査をし、村山議員に辞職を促していく」と語った。

■山形新聞 記事 (政倫審が審査開始決定-村山議員の飲酒運転で県議会)

他紙では河北新報が、記者の署名記事で椅子にこだわる議員の姿勢を非難している。斎藤知事は23日の記者会見で、県民として政治家として恥ずかしく思う、と発言。率直で至当の発言だろう。

ちょっと思い出すことがあった。高校生の時に生徒総会の過去の会議録を見ていたら、会長がやめるやめないのやりとりがあった。何かの理由で意欲をなくしたのだろう、辞めるといった生徒会長に対して、任に留まって職責を果たすよう促すような誰かの発言があった。

中学の頃、教科書の巻末に掲載された日本国憲法の条文を読んで驚いた。内閣の総辞職が制度化されている。ものすごく違和感を覚えた。せっかく国会から選ばれて総理になり内閣を組織しているのだから、頑張って職責を全うするだけのことだろうに、総辞職しなければならない(第69条、第70条)と他律的な辞職が制度化されているとは、とビックリした。

もちろんこれは三権分立や議院内閣制を理解していないからである。総辞職制度はあくまで近代憲法史上の一所産にすぎないのであって、普遍的で絶対不可欠のものではない。内閣は国会の信任の上に浮かんでいるから、国会が不信任を突きつけたり、国会のメンバーを改選した場合には、内閣もリセットします、というだけのことだ。さらに、説明の仕方はいろいろあるが、内閣に解散権を認める以上、均衡として議会の側の不信任決議が実効あるものでなければならない、という側面もある。

つまりは、制度設計の話だ。憲法は何も、人間たるもの仕事は一途に頑張れ、という職業倫理や人生訓に立脚しているのではない。統治制度をいかに設計するのが、統治者の恣意を防ぎ、国民の自由や権利をより侵害しないか、という観点から、歴史上の試行錯誤で、とりあえず今の時点ではこんな制度を採用しています、というだけだ。今の制度が人類の到達した終局の理想などではない。そもそも三権分立などは、効率性を犠牲にしてでも何とか恣意を防ごうという、言ってみれば後ろ向きの発想に立っている。

現行憲法は素晴らしい民主主義の贈り物だ、みんなで守ろう、みたいな教育を受けてしまっているから、そんな人類の普遍真理の中に「頑張ることを止めよ」なる命題があるなんて、と当惑してしまう。

その意味では、戦後民主主義教育が絶対真理と教えてきた「多数決」だって、普遍性や客観的妥当性は実は怪しい。人類出現以前から宇宙に存在したような正統性を装わされているが、そんなものじゃない。他に方法がないから手続的正義として一応わかりやすいだけのことだ。

山形県議の話に戻るが、職責を全うしたいから留まる、というのはどう見ても空虚な保身のヘリクツにしか聞こえない。選ばれた以上頑張る、というのはその限りでは良い言葉だが、民選の政治家の場合は全く事情が違う。公選の職は世の中をまとめるための、いわば道具なのだ。言葉が不適切かもしれないが、そうなのだ。

だから、公選された公務員について職業選択の自由などを持ち出して多選制限はできない、などという論調が、私はことのほか嫌である。職業選択の自由という権利を享有するのは国民の側だ。その権利の保護を含めて、自己実現や幸福追求を最大限に可能ならしめるための役割が公職だ。道具なのだ。道具が自己目的化することはありえない。公選のポストに職業選択の自由が憲法上保障されることは原理的におかしい。(もちろんサラリーマンである一般職公務員は別だ。)

この点については書生論と言われそうだが、公選公職は民意に完全に従属すべき道具として考えるべきだと思っている。公職や公職者の事情を考えて発想すべきでない。身分安定や議員特権の要請があるとすれば、それは議員活動を十全ならしめ議論を尽くしてもらう趣旨ではあっても、身分安定が決して政治家個人の地位を安定させる趣旨でない。またリコールの直接請求は当選後1年間は禁じられるが(地方自治法84条)、これも選挙の蒸し返しによる混乱を防ぐ趣旨であって、身分保障は反射的利益に過ぎないだろう。このように身分安定の制度は、議会制度の円滑な運営のためであって、公職自体が自己目的なはずがない。ましてや選ばれた人が立派だからではない。だから、相応しくない人ならば、身分安定の要請など後退して当然だ。

選挙民に選ばれたから、とか、任期を全うするべきだから、などというのは、どこから見ても自己保身の詭弁だ。あなたでなければならない理由はない。

確かに形式主義的民主主義論からすれば、選挙で選ばれたから選挙で落とされるまで頑張る、県民の審判で落とされるなら本望だがまだ審判受けていない、などという形式論も一応あるだろう。しかしそんな問題じゃないだろう。普段は県民の声を不断に聴きます、と言って都合の良い(悪い?)ときだけ、選挙の審判ないからネの論を持ち出すのはおかしい。

また、村山県議の属する東村山郡選挙区は1人区だから、補欠選挙を行うことになるコストも要するが、コスト払ってでもスッキリしたいのが選挙民じゃなかろうか。

もっとも90日以内なら選挙せずに次点者が繰上当選。接戦で敗れた自民候補が当選となるが、もうちょっと頑張って、それは阻止したいということだろうか。

とにかく飲酒運転というのは、本当に恥だ。悪いと思っているはずなのに、それなのにやるのだから、本当に醜い。合わせる顔がない、となるハズなのだが。(ため息)





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最終更新日  2007.05.25 06:03:34
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