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昨日(19日)のニュースには驚いた。大崎市民病院の歯科医師が、診察室内で歯科衛生士の首を絞めて、殺人未遂と傷害の疑いで逮捕されたというのだ。捜査段階なので罪状を決めつけて論ずるべきではないが、衝撃である。ところで、河北新報の紙面(20日朝刊)では「大崎市民病院医師を逮捕」の見出しで、これは問題がある。法制度(医師法、歯科医師法)の上でも一般の認識でも、医師と歯科医師は別個独立の職種であり、歯科医師は医師に含まれないだろう。記事本文では正しく歯科医師とあるが、見出しがこうなるのは河北新報の編集担当者の無知か不注意か。目くじら立てるほどではないかも知れないが、医師たちは無用に印象悪くされたと思うかも。何より、読者に事実を伝える報道の役割としては明らかに失格だ。当たり前だが、他のメディアでは歯科医師や歯科医の語で見出しを付けている。今日見ると河北新報オンラインでは見出しは「歯科医師を殺人未遂容疑で逮捕」とされている。
2024.04.20
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イーグルスCS進出に暗雲。好機で打てない。ところで、走者満塁などの「好機」にどのくらい得点を期待できるものか。統計的なデータがある。■川村卓『野球の科学 解剖学、力学、統計学でプレーを分析!』SBクリエイティブ(SBビジュアル新書0022)、2021年■鳥越規央ほか『勝てる野球の統計学 セイバーメトリクス』岩波新書(岩波化学ライブラリー223)、2019年アウトと走者の状況から、そのイニングが終了するまでに何点入るか。サンプルは、NPBで2004年から2013年のレギュラーシーズン全イニングだ。状況走者なし1塁2塁3塁12塁13塁23塁満塁無死0.4550.8211.0401.3601.4171.7211.9742.2001死0.2420.4990.6870.9190.9051.1581.3351.5412死0.0910.2140.3210.3710.4340.4870.5860.740このうち、「無死走者なし」の場合とは、当然ながらどのイニングでも最初に出現する状態なのであり、157,706回の機会があった。逆に最も出現数の少ない走者状況は、「無死走者3塁」で1,507回、つまり年に100回程度しかない機会である。高校野球になると多少状況が変わる。無死満塁(1.90)よりも無死二三塁(2.18)の方が期待値が高い。(2017-2019年、春夏の甲子園大会219試合のデータ)
2023.10.04
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伝統的なスタイルに捉われない自由なデザインの創作こけしの生産量は、群馬県が日本一。また、高崎だるまは年間約90万個の出荷で、全国シェアの半分を占める。こけしもだるまも、仙台・宮城の伝統工芸品。群馬と宮城、親近感わきますね~■参考 『群馬のトリセツ』2020年、昭文社■関連する過去の記事(群馬県) 日本三古碑と上野三古碑(2023年01月13日) 多賀城碑、壺の碑、日本中央碑について(2010年11月1日) 多賀城 壺の碑(08年9月15日) 日本の三古碑(07年8月22日)(多賀城の碑)
2023.01.19
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NHK-FM「吹奏楽のひびき」でオリジナルポップスを聴きながら、作業中。思い出すのは、もう5年ほど前か。文京シビックホールで、シンフォニックジャズ&ポップス全国大会を聴いた。当日券で飛び込んだのだった。わが宮城からは八巻先生率いる古川学園高校の堂々たる演奏もすばらしかった。この大会は、吹奏楽の新しい可能性を引き出すため創設されたのだという。ウインドの響きを重視しながら、マーチングや特殊な楽器編成などに走らず、ステージで演奏者たちの主体的な楽しさを感じてもらいたい、ということだろうか。思えば、今日の番組の冒頭に流れた岩井直溥さんの曲は、1975年の課題曲だ。あのころ、やはりポップス系の課題曲を提供した河辺公一さんが、いまの若者が軽音楽から離れていることに危機感を持っていたというのを、何かで読んだ気がする。東海林修のディスコ・キッドは、譜面が稚拙とかかなりの批判もあったが(バンドジャーナルに書かれていた気がする)、課題曲として採用した吹奏楽連盟も含めて、関係者は音楽と教育について、ほんとうに真剣だったのだと思う。
2023.01.15
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先日大船渡線のことを記事にした際に、ナベヅル線の形成に関わったとされる西磐井郡中里村(現在の一関市)出身の代議士柵瀬軍之佐(さくらいぐんのすけ)を知った。岩手県から衆議院議員当選6回、大正14年には加藤内閣の商工政務次官。64歳で没(1819-1932)。北上川にかかる橋に柵ノ瀬(さくのせ)橋があり、一関中心市街地から平泉方面に旧国道4号を北上すると、柵ノ瀬口というバス停があったような気がする。ここから国道を折れて東に田んぼの中の道を進むと、対岸の舞川にわたる柵ノ瀬橋に通じるのだ。往古の今泉街道につながったのだろうか。柵瀬をサクライと読むのは意外だが、北上川の狭窄部でもあり、橋の名に残る柵の瀬の地名と関連があるのだろう。そして、思い出したのは、以前に記事にしたシンコペーションな名前のこと。桜井 さくら・い佐倉井 さ・くら・い柵瀬 さく・らい見事だ。■関連する過去の記事 大船渡線の成り立ち(2022年12月22日) シンコぺーテッドな名前(06年12月22日)
2023.01.03
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朝からPCに向かい作業をしている日曜日。NHK-FMをらじるらじるでかけながら。ところで、さきほどの7時のニュース、東北地方のニュースに移って大槌町の震災後に見つかった写真などを持ち主に返すイベントの報道で、じっさいに亡くなられた親戚の思い出の写真を見つけた来場者の方がいた。心をうつ出来事で、今なおこのような報道をするメディアの姿勢には敬意を表する。ところで、アナウンサーがこの来場者の発言を紹介する形で、こう言っていた。「大槌のことを忘れない日はありません」一瞬、間違い?と思った。NHK盛岡放送局のサイトのニュースを読んだが、やはりそう書かれている。------------震災の津波で大槌町の自宅を流されたAさん(ODAZUMA注:匿名に)(78)は、津波で亡くなった親戚の子どもの頃の写真を12枚見つけ、「写真が見つかって楽しかった日々を思い出し、懐かしい気持ちになりました。大槌のことを忘れない日はありません」と話していました。------------まだ悩みの中です。
2022.11.27
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朝新聞で読んで良いと思った記事。埼玉県八潮市で「方言漢字サミット」が開かれた。珍しい漢字に込められた意味など、地域の歴史を学ぶ意義があるということ。記事で具体的に紹介されているのが、宮城県の「閖上」八潮市の「垳」(がけ)匝瑳市の「匝」羽咋市の「咋」である。シンポジウムは地元市民グループが主催。早稲田大の笹原宏之教授が講演したという。方言漢字という言葉があるのか。「閖」上が合成された字というのは聞いていたが、こうやって普通に漢字変換される(ひと昔まえはそうでなかったな)。古川あたりの「李埣」、桃生郡にあったと思う「π山」(ギリシャ文字のパイで表示。「元」の上の横棒を取った、というとわかりやすい。はげやまと読むと聞いた)。方言漢字とは違うが、小牛田を「こごた」と読ませる(午でなく牛なのに)も、たいへん興味深い。漢字の使い方を含めた先人の思いと、地域の歴史の意義深さ。まったく同感だ。
2019.11.18
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昨日の読売新聞の「よみうり寸評」で書いていた。大学の地元での略称。チョーダイ(長崎大学)、ブンダイ(大分大学)など。ウダイ(宇都宮大学)は聴いたことがあるし、ガンダイ(岩手大学)は当然なじんだ呼び方。でも、記事になるくらいだから全国的には、あっそうなんだ、というなのだろう。たしかに、大分大学のブンダイは、私には新鮮だ。さらに紹介されているのが、同音の大学で、ヤマダイ(山形、山口)、フクダイ(福島、福井、福岡)、カダイ(香川、鹿児島)、キンダイ(近畿、金沢)、シンダイ(神戸、信州、新潟)。関西では神戸大学をシンダイというそうだ。新潟大のことも地元ではシンダイというのか。これらも自分にはニュースだ。そういえば、わが東北大学も昔はトウダイとかホクダイとか呼んだと聞くが、今ではトウホクダイか、隠語的にトンペイだ。沿革から言うと(推察)、大学も少ない頃は、トウダイと地元で言えば東北大学を確実に指したのかも知れないが、全国的視野ではやはり東京大と混乱するから大学関係者などからホクダイが発生し、今度は北海道の帝国大学がホクダイを名乗ったので、結局グローバルな視点からどちらも消滅した...いずれにせよ、今は地元に固有の略称も特になく、このグローバルな視点でトウホクダイと呼んでいる。やや長いとストレスを感じることもない。(ちなみに私はメモなどではTUと書く。なお、東京大はUTだから区別される。)関西ではシンダイで通るのだろうか。関西の人とはシンダイで通用するが、グローバルな場面では、コウベダイ、と呼ぶのではないかという気もする。今度、関西の人に聞いてみよう。
2017.02.23
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ニュースで、相模原市の知的障害者施設殺傷事件に関して、被疑者である元職員の追送検の報道があった。NHKでは、この報道に続けて、被害者の名前を一部公表していた。その言い方は、警察がこれまで家族の意向で死亡者の名は公表していなかったが、警察が重軽傷を負った被害者については、家族の同意が得られたとして名前を公表したから、というのだ。続けて、名前が公表された被害者の母親の話が報じられている。息子(被害者)にはちゃんと名前があるのだから、本人のために、家族と話し合って決めた、という。また、別の被害者の父親は、公表を望まない考え方にも理解を示した上で、息子の障害も個性であって何も恥ずかしいことはないと理解を呼びかけたい、との話。私は、この親の方々の考えは理解できるものだと思う。問題は、自らの取材と報道についての主体性や責任などは棚上げにして、「警察が公表した(しない)から」というようなメディアの姿勢なのではないか。ニュースでは、この後に続けて、実名の当否についてのコメントがある。それも、まずは、「警察の公表が実名と匿名に分かれたことについて、警察は家族の要望だと説明した」という趣旨の説明をした後で、某大学の教授の解説を伝えている。正直言って、私にはこの教授の解説は不可解なものだった(NHKが自社に都合良いようにつまんだ可能性もあるが)。(報道のとおりとすると、この教授の論理は、)障害者差別の風潮が残る異常、被害者や家族の匿名要望は理解できるが、事件の真相や被害者の痛みを伝えるには実名報道が望ましく、事件ごとにバランスが重要。匿名を望んだ人でも、時間の経過や公表の重要性を理解して考えが変わることもあり、公表するかどうかは警察が判断する現在の仕組みより、報道機関が判断する仕組みを検討する必要がある、というものだ。最もおかしいのは、現在は警察が判断する仕組み、という認識だ。今後は報道機関が判断する仕組みを検討、とも言う。現在も昔も、報道は報道機関の責任だろう。おそらく、NHKの側で、現在の仕組みは警察が決めるので報道機関の主体性が(出そうとしても)できないと聞こえるようにしたかったのではないか、と疑いたくもなる。今だって今後だって、本当に伝えるべきと思えば、警察に遠慮も何もなく報道すべきだけのことだ。それとも、自ら取材などせず発表報道に依存するNHKの体質が素直に出たか。この教授のコメント(とされるNHK報道)の後半は、まったくその通りで、報道機関が判断すべきことだ。警察の判断は正しいと限らないから、権力をチェックするメディアの視点からも、そうあるべきだ。(だから、警察は実名の情報開示をすべき、情報開示がないと取材ができない、報道機関が報道に際して匿名か実名かは責任をもって決めます、などというメディアの言い分は、どうも理解できない。国民の知る権利ではなくて、自分たちが楽をしたい本音ではないのか、と言いたくなるのだ。前に書いた。こちらが理解不足か。)私自身は、被害者の匿名については、これまで配慮に関しての議論が少なかったのではないかと感じている。今回の場合は障害者だから特に配慮があって当然だと思う。とは良いながらも、ニュースに登場した親の方のように、障害も個性だから実名で良いという考え方も、もちろんあって良いと思う。だから、どうしても本人(家族)の同意が条件になる面はある。では、(障害者だけでなく、より)一般的に被害者の実名報道は同意を基本とすべきか。マスコミはこのようなシステムや社会的合意があるとしたら、とても困るだろう。これは、個人情報保護と報道をどう考えるかという難しい問題だ。個人情報の保護という概念も決して古くからあるものではないことからもわかるように、人々の考え方なども移ろってきている。憲法や哲学などから、一義的で普遍的に演繹されるような公式は、ない。報道の価値も踏まえて、どう考えるのが適当か、国民的議論がなされるべきかも知れない。今まで、捜査上の支障と報道のあり方については、論議も深められてきたような気もする。誘拐事案などでの報道協定、バスジャック現場報道のあり方、などなど。これに対して、個人情報に関しては、議論が進んでいるのだろうか。たとえば新聞協会でガイドラインを作るとか、そのような議論でもあるのだろうか。(不勉強で、これから調べたり聴いたりしていきたいことだが、)実名報道をあくまで基本としたいメディア側としては、議論すらはばかられるという面があるのではないか。映像メディアと新聞でもスタンスが多少異なるかも知れない。まずは、メディアが主唱する「真実の報道や被害の痛みを伝えるためには(被害者の)実名が必要」というテーゼがどれだけ客観的に正しくて、また、どれだけ国民に理解されているか、についてまずはじっくり解説したり検証したりする努力が、メディアには求められるのではないか。(こちらもしっかり勉強したいですね。)■関連する過去の記事 被害者の実名報道の是非を考える(2016年7月30日) 石巻殺傷事件の実名報道を考える(続)(2016年6月25日) 石巻殺傷事件の実名報道を考える(2016年6月16日)
2016.12.19
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どうでも良いことだが、東横○○なる会社があるのを広告でみた。東横建設だったか、東横不動産だっかた。たしかに東横インはあるのだがと思いつつ、考え込んでしまった。東京と横浜を総称するのなら、京浜工業地帯とか京浜東北線のように、京浜が本来ではないだろうか。たしかに東横という言い方があるものの、東京人には馴染みかも知れないが、私の言語感覚ではしっくり来ない。あえて、その理由を考えて見ると、2つ。(1) 横(よこ)は訓読みだから音読みの東(トウ)と並ぶ苦しさがある。例えば、仙山線、仙石線、横黒線(横手と黒沢尻)、水郡線などはハマっているだろう。ケイヒンの方が読みやすい。なお、逆に訓読み同士で並べた例に、目蒲線などがあるが、それまた、大和言葉として一体性があると言えるだろう。湯桶や重箱の合成語はどうも苦しいように感じるのだ。埼京線という響きに最初は違和感があった。京葉線はしっくりするが。(2) 東京の2文字を1文字にするときに、東か京か。そもそも、地名を一文字にするときにどの文字を選択するかを考えるに、仙台なら「仙」で、石巻なら「石」だが、最初の文字を選ぶとは限らない。大阪のように印象度の高い「阪」を選ぶこともある。阪神、京阪奈。また千葉も、京葉線など。そこで、問題の東京の場合だが、成り立ちからして「東の都」なので、どちらも土着の固有性がなく印象の薄い文字だ。あえて言えば、方位の東より「京」を選んで、上京とか帰京とかいうのが、どちらかといえば自然な気がする。東大、東電、東芝の例もあるが、それは合成された名称を合成要素に細分解して最初の文字を綴ったのだから、場合が違うというべきだろう(もっとも、阪大、ナベツネなどの例もあるけど)。さて、では、なぜ東横という言い方がされてきたのか。私は東京人でないから全く自信はないが、おそらく、東横(とうよこ)で連想するのは、東横イン、東横線と東急百貨店でないか。東横線と東急百貨店は東急グループ。中心企業の東京急行電鉄は、前身は東京横浜電鉄と称し(1924年)、1939年に姉妹会社の目黒蒲田電鉄(目蒲線)と合併。なお、東横短大は、もともと東急の五島氏が設立した学校法人なので、東急グループゆかりの東横の名を継承したもののようだ。他方で、東横インは東急グループとは関係がないそうだ。東横線の呼称は1927年からという資料があるから、前後関係からして、東京横浜電鉄の頭文字(東大、東電のパターン)として造語的に命名したのではなかろうか。そこから、東横(とうよこ)の語が、田園調布や学園都市のイメージと相まって、好んで使われてきたのではないか。東横をトウオウと読む手もあったのだろうが、新規性がない。あえて、耳になじまない湯桶読みで、ブランニューな印象を与えようとしたのではないか。五島総帥の高等戦略か。勝手な推測だ。これを受け止めた人たちとしては、単に東京と横浜を中心とした一体を機能的に指し示す京浜(ケイヒン)ではなく、あの、洗練された東横なのよ、という感覚か。...どうでも良いことだった。
2016.11.26
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親に似て何かが抜けている高校生の娘。ある朝電車に乗ろうとしたらsuicaも財布も家に忘れたことに気づき、たまたま駅にいた中学の同級生にお金を借りたという。その同級生にお金を返してお礼をしなければならないのだが、携帯番号も聞いていないし、どうしようか。だいたいこの時間の電車だろうからというので、何日かの間、朝すこし早めに駅に行って、改札の前のあたりで立っているようだ。いまだに念願を果たしていないようだが、駅舎の隅の方でボーッとたたずむ姿は、なぜか昔話の「みそかい橋」を思い出させた。炭焼きの長吉が夢のお告げで、町に出て「みそかい橋」に立っていると、何日目かに奇妙に思った人に話しかけられる。長吉が正直に訳を話すと、その人は、なんだそんなことか、それなら自分も某村の長吉という家の杉の根っこに大金が埋まっているという夢を見たが、と大笑い。長吉は村に飛んで帰って大金を得る。こんな話だったと思う。私は子どもの頃、昔話の比較や分類をしてみたことがあった。子どもといっても、専ら聞き手である幼少の頃ではなく、小学校高学年か中学の頃だが、全国の昔話を見渡して、話の筋の類似性、笑い話か、教訓か、悲劇伝承か、意外性をつくストーリーか、など勝手に類別したりしていた。(なお、大人になってからは、南方系の説話など日本人の起源にせまる分析や、天皇家や豪族などの歴史と関連する神話や記紀の研究などにも興味を持っています。日本の文化の基層をどう理解するか。大きなテーマに対して、私などは生半可な興味だけですが。これらに関する過去の記事も多少あります。)中でも、「みそかい橋」は岐阜県あたりの昔話というが、何かが「凝っている」と感じていた。だいたいの昔話は、自然な流れで展開するか、あるいは意外性が聞き手を引き付ける場合も多いが、「みそかい橋」のように夢のお告げを偶然で重ね合わせるというダイレクトな反射は、異彩を放つような気がしたものだ。今朝多少調べてみたら、柳田國男が、味噌買い橋の話の由来を研究しており、ドイツに同様の話があり、さらに古く10世紀頃のアラビア人の記述にも同様の話があるという。最近になって、地元高山の研究者の方が明らかにしたところによると、昭和初期に地元の先生がグリム童話を参考にして創作し、郷土教育資料に発表したというものだそうだ。私が聞き手だった幼少のころは、大正生まれの祖母が語ってくれた。話の結句は「どんどはれ」だった。あまりレパートリーは少なかったが、郷土に固有の由来譚などではなく、全国的によく知られた話が多かったように思う。祖母が聞き手だった大正や昭和初期には、すでに童話の全国的な普及や画一化が進んでいたのかも知れない。ともかく、昔話の世界は、世界とつながり、歴史を反映して、奥が深いと思う。我が家の娘はいつ「どんどはれ」を迎えるのか。
2016.10.16
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東京から関西方面に新幹線で移動するとき、それまであまり気にしていなかった車内アナウンスの英語に、軽い疑問をいだいた。Welcome to the Shinkansen...と呼びかけているのだ。この場合、Shinkansen は大文字で始まる感覚なのだろう。じっさい、車内の電光文字メッセージ(正式には何というのか。)には、大文字で流れていた。英語に弱い私だから自分の適当な感覚の話になるのだが、the Shinkansen と定冠詞で言い切っているのが、よくぞ本家本元日本のザ・新幹線に乗ってくれたね、という尊大なニュアンスに聞こえたのだ。ちょっと具体的に書くと(私の言語感覚を論じても何の役にも立たないのですが)、新幹線を大文字でいうのなら、(日本の)新幹線という乗り物あるいは新幹線ネットワークを利用していただいてどうもありがとう、というだけで良いのに、わざわざ the で限定するのが気になる。何かに限定する文脈にしたいのなら、(冠詞なしで)Tokaido Shinkansen とすべきだろうが、the で導いたということは、「今皆さんの乗っているまさにこの新幹線」に乗って皆さん良かったね、と言っているように聞こえたのだ(何度も言いますが自分の英語感覚ですから全く当てになりません)。われらが東北新幹線の場合は、Welcome on board to Tohoku Shinkansen. とアナウンスしているような気がする(これも適当)。今朝ネットでみてみたら、on board the Tohoku Shinkasen なのだそうだ。the があることの感覚については後述するが、少なくとも、「東北」新幹線と紹介していることはまず指摘できる。つまり、(どの路線と特定しないが日本の)新幹線に乗ってくれたね(無冠詞のShinkansen)、というのならいい。また、新幹線一族のうちでも「東北新幹線」に乗ってくれたね(Tohoku Shinkansen)、というのもわかる。なのに、(1) なぜ、the が必要なのか(これは東北でも東海道でも)(2) なぜ東海道は the Shinkansen なのかという疑問だと分析できようか。ちなみに私が違和感を抱いた「ひかり号」車内での日本語アナウンスは、「今日も新幹線を利用いただきありがとうございます。」だったから、これに相応しい英語は、私の乏しき感覚ながら、Welcome to Shinkansen だと思う。まず、(2)について。これは英語の問題というより意識の問題なのだろうか。すなわち、我こそ新幹線。日本には、ほかに東北新幹線や秋田、山形、最近は北陸や北海道新幹線もできたみたいですけど、この新幹線が本家本元でっせ。こんな主張をしたいということではないか。と考えてみたが、開業当初からこれで通しているだけかも知れない。それとも、ひかり号やのぞみ号は、山陽や九州新幹線に乗り入れることもあるから敢えて一般的に表現しているのだろうか。さて、(1)について。これが最も厄介なところだ。はるか昔の学生時代に読んだマーク・ピーターセンさんの『日本人の英語』では、a,the,無冠詞の区別は文脈が全てであり、名詞の性質によって前につく冠詞が決まるということでは決してないという説明を思い出す。限定の文脈なら固有名詞だって the が付くのはおかしくない。冠詞は名詞に付くのではなく、意味的カテゴリー(限定か一般か)を決める役割を持っている。日本語の「今日も新幹線をご利用いただき...」は、特に「どの新幹線」と決めつけていないニュアンスを受けるから、無冠詞の Shinkansen が素直だと(私の乏しい英語感覚では)思う。もっとも、このアナウンスは、東京駅を出発してから発せられたわけだから、皆さんが乗車している「この新幹線」ないしは「このひかり号」という意味で、聞き手の乗客と話し手の女性(録音だけど)の間に、特定の文脈を受け入れる前提はできている。だから、新幹線にいくつかの種類があるという認識があるという前提の中で(ウルトラマンに一族があるように)、「この新幹線」とか「この新幹線列車」ということなのだと理解できるのだろうか。だとすれば、逆に、Tokaido などと付けていないのもうなずけるというものだ(the Tohoku Shinkansen という言い方はおかしいことになる)。つまり、Welcome to the Shinkansen(みなさんが乗ったこの(東海道)新幹線にようこそ)Welcome to the Shinkansen train(みなさんが乗ったこの新幹線列車にようこそ)という意味内容において成り立っている、と。ネイティブに聞けばすぐわかることでしょうが。本棚から探し出して『日本人の英語』もう一度読んでみますか。
2016.09.19
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相模原市の障害者施設津久井やまゆり園の事件で、神奈川県警は被害者の名前を公表しない方針を貫いている。これに対して、新聞メディアは批判をしている。例えば、産経「主張」では、なぜ新聞が実名発表を求めるかを説明している。その論理は、こうだ。●報道側が求めるのは実名報道ではなく、実名の開示だ。●実名報道の当否は取材の結果で決める。●取材ができなければ真実に一歩も近づけない。●個人情報保護法は報道目的の提供は適用除外とする。だから、同法を根拠とする被害者実名非公表は、誤りだ。●メディアスクラムに批判があり、反省すべき点もあるが、取材をやめるわけには行かない。その基本論理は、「まず公開せよ」、しかも(報道の当否は自分たちが決めるというのだから)一般向けにでなく報道機関に対して公開せよということだ。そして、報道の当否は、新聞みずからが決めるという。それは形式としては当然のことだが、しかし、メディアが「正しい」判断のできる神様だとは、どれだけ読者や国民が思っているだろうか。本当に報道するべきと新聞社が考えているなら、すでに名前くらいは情報持っているだろう。警察が公開するかしないかは、何も関係ないはずだ。自分たちの報道(あるいは報道の是非の判断)が阻害されていると言いながら、実際は「警察が公表した」という事実の形で報道したいだけではないのか。(さらに言えば、事件の真実を報道するに際して「実名」が必須なのかどうか。仮名のルポなどで問題を訴えることは、メディアがよくやるだろう。告発者の利益を守るために仮名が許されるとして、不幸にして亡くなった被害者は実名しかないのか。それはおかしいだろう。このあたりの説明がメディア側から行われていないのが不思議だ。)さらに、産経の論理では、警察がの実名非開示によって、(報道を阻害するのみならず)取材活動じたいができなくなっている、と訴えたいようだ。これも奇妙なことだ。どこに取材の自主性や報道の責任があるというのか。昔のことだが、私も個人情報を扱う立場でマスコミ対応で苦慮したことは多い。あの時の記者の言葉が忘れられない。匿名とする理由などを何度も何度も聞かれた後に、記者はこう言う。「公開しないのはおかしい。報道するかどうかはこちらで判断することだ。」「それは●●(個人名)だろう。皆言っているよ。」被害者が特定されないために匿名が必要なケースとしていたが、絶対の自信はなかった。今なら判断は違うかも知れない。ただ、この記者に対しては、だったら自分の責任で報道したらいいじゃないか、と内心思ったものだ。もちろん、この新聞社も実名報道はしなかったが。真実の報道の自由、読者や国民の知る権利、などと言いながら、その実態は自分たちが楽をするためと責任転嫁。そんな浅ましい姿が、浮き上がってくる。今回の神奈川県警の方針は、その是非について議論はあるだろうが、私自身は誤ってはいないと思う。犯罪被害者の配慮は、たしかにこれまで軽視されていた。障害者だからという点が特に考慮されたとされており、この点についても、障害者もひとしく命の重さは同じだし、差別的扱いはあってはならないが、そのことと被害者側への配慮は全く別の話だ。もちろん、いくら家族の意向があっても、開示すべき場合はあるだろう。だが、警察は真実の捜査とマスコミへの材料提供だけが任務ではない。被害者への適切な配慮も、責任ある行政活動の一部とみるべきだろう。マスコミが自分たちに都合悪くなることを嫌うのは、わかる。しかし、誤解を恐れずに言えば、警察の情報取扱方針くらいで、取材や報道ができないなんてことはないだろう。真実報道の名の下に小さなことにケチつけるよりは、犯罪被害者と報道の問題をみずから解説したり読者・国民の意識を探るなど、もちろん警察の対応を徹底論議してもいいのだが、そのようなことに、それこそ真の自主性や責任を発揮して欲しい。■関連する過去の記事 石巻殺傷事件の実名報道を考える(続)(2016年6月25日) 石巻殺傷事件の実名報道を考える(2016年6月16日)
2016.07.30
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どうも引っかかっていることがある。新聞が政治や政治家をどう評論するか。もちろん自由で良くて、なにも形式上の公平性を常に重視しろと考えているわけではない。しかし、仮にも米国大統領選挙で二大政党の一の候補者に指名されようとする人物やその陣営を、あからさまに非難するような論陣を展開している事実に、やや大げさに言えば、愕然とした。7月22日の読売新聞「編集手帳」だった。その大要はこんな感じだ。「政府が何をしてくれるかではなく、自分たちが何をできるかを考えよ」とは、ケネディの演説と思われているが実は29代ハーディング大統領の演説。ケネディが盗用したかはともかく、拝借したい誘惑を起こす名言だったろう。トランプ候補の妻が党大会で行った演説が盗用と判明して、陣営が謝罪。文章を書くことを「ものす」というが、「に」を加えた「ものにする」(盗用)はダメだ。「に」の字を、"暴言"三昧でここまで来た夫君に進呈する。その人が11月の本選後に謳うのが「がい歌」でなく、「に」を加えた「苦い歌」になるよう祈りを込めて。「に」の有無をモチーフとした言葉のシャレも、美しくもなくウィットも効いていない。そして、何より、敗戦すれば良いさ、自業自得だとばかり、ケチをつけた物言いで、たいへん品が悪い。大新聞の論説委員がこんなこと書くのだろうか。わざと悪文をものしたとも思えるような、文章作法の下品さとは別に、その政治的な反響の狙いも重大だろう。他国のこととはいえ、これから国民の審判を受けようとする一方勢力を落とそうとしている、つまりは、読売としてはトランプが当選しない方がいい、と言ったに等しいのだから。まさに、ペンによる政治そのものだ。何らかの配慮か圧力か。昨年の今頃は、一過性のブームであって党の指名を受けるはずはないというのが、評論家の相場だった。しかし、指名を受けた。読売直系の中央公論は8月号でトランプ現象を特集している。だいたい、「世界を蝕むポピュリズムと排外主義」と煽動的に銘打っているあたりが、悪と決めつけているのだが、この中で大変面白かったのは、トランプを支持する複数の人物の談が載っていることだ。このあたりは、ジャーナリズムの良心か。これによると、トランプは法外なことをぶち挙げているようだが、実業者としてのキャリアにおいて発言は一貫しており、現実主義的でもある。外交政策などの発言の過激さは、指名を得るまでの周到な作戦という面もある。そもそも氏は酒もたばこもやらない。節度と丁寧さを備えた好人物との評がある。グレン・フクシマ氏は、日米のビジネス文化の違いから、米国の日本に対する見方は、好意的と否定的の両極端に分かれて中間がないと指摘する。日本相手に成功した人と、苦杯をなめた人に分かれるのだ。そして、日本はアメリカから一方的に恩恵を受けているとか、日本の繁栄が米国の雇用を奪う、あるいは自国に不利な通商を導く米国内の政治リーダーが無能だなどと、わかりやすい図式に衆人の関心が寄せ集まっていく。予測不可能の語でくくられるトランプ氏の存在だが、躍進の先には、一皮もフタ皮もむけてバランスのとれた見事な政策を提示する時がやってくるのかも知れない。ヒラリーが安泰とは決して言えない。まさに、予測できない。それにしても、どうして読売「編集手帳」はああなのだろう。ポピュリズムに自ら飛び込んだような書き方。読者は、トランプをこき下ろす薄っぺらで一時的な快楽?よりも、なぜアメリカは選択肢としてトランプを選び出そうとしているのか、選挙の論点はどうか、日本にどう影響するのか、などを知りたいだろう。教養ある我が国が世界に誇る大新聞。盗用はけしからん、選挙にまけやがれ、などと小学生の喧嘩のあとの悪態のような「社論」でいいのだろうか。苦々しく思った国民は、私だけか。
2016.07.28
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大震災の一年ちょっと前だった。石巻市の中心部、私もかつて住んでいた場所にほど近い、JR仙石線沿いの住宅で2人が殺害され1人が重傷を負う悲劇があった。当時18歳の少年の犯行で、第一審の仙台地裁では死刑判決。少年事件で裁判員裁判で死刑が宣告された唯一の事件。そして、今日、最高裁は元少年側の上告を棄却して、死刑が確定。許される余地のない悪行だが、元少年の育った家庭環境なども報道され、更正の可能性の判断もそうだが、事前の警察の指導状況などを含めて、家庭や個人に社会や行政がどう関わるべきかなど、考えさせられる事件ではあった。裁判の結果はそれとして受け入れるべきものと思う。ところで、死刑が確定したことを受けて、メディアは元少年を実名で報道している。NHKの場合は、凶悪な犯罪で社会の関心が高く、また、死刑確定で社会復帰の可能性が事実上なくなったため、と断りを入れていた。メディアも慎重に検討したと思われるので、いまその判断については議論しない。ただ、気になるのは、社会復帰や更正の可能性が無くなったから実名で報道する、というのは、論理的はわかるが、それこそ文字通り一人の人間の存在や配慮を「切り捨てる」ような感覚に襲われて、そら恐ろしい気もする。更正可能性があるから原則の実名報道を曲げて来ただけで、原則に戻るだけのこと、としても。朝日新聞も実名だが、その理由は、国家によって生命を奪われる刑の対象者は明らかにすべきだから、という。事件当時が少年であっても同じで、その方針は2004年に決めたのだそうだ。NHKとは明らかに根拠が異なるが、その意図はわかりにくい。極刑に処せられる者の犯罪の重大性が根拠なのか、それとも、死刑という制度の是非を議論するために実名を出すということなのか。時事通信は、(1)死刑確定で社会復帰可能性なくなること、(2)国家が命を奪う死刑の対象者の情報は広く社会に共有されるべきこと、(3)事件結果が重大で社会的関心が極めて高いこと、の3点を総合判断する、として本件を実名報道としている。今日の時点で幾つか報道をみてみると、放送も新聞も実名が多いようだが、新聞でも読売は毎日は(ネットで見る限り)匿名のようだ。河北新報は実名だが、その理由が、(a)死刑が確定することで更正・社会復帰に配慮する必要が無くなったことに加えて、(b)事件の凶悪さや社会的影響、(c)一人の命が匿名のまま奪われることへの懸念、なども考慮した、という。(a)と(b)はNHKの根拠と同じだろう。ただ、(b)について厳密に考えると、本来(b)が原則だが少年事件の場合は(a)を優先して匿名にする、という関係なのか、それとも、少年の場合でも(b)を重視して実名報道もある、という論理関係なのかは明らかでない。それはともかく、不思議なのは、根拠(c)だ。何を言っているのか不明。匿名のまま命が奪われた場合に困ることとは何だろう。朝日の根拠(これも必ずしも明確でないこと上述)と同じことなのかも知れないが、朝日は死刑制度を前提にしているのに対して、河北の場合は文理上はそうではない。死刑に限っていないから、「およそ人間は命を奪われるという事態に遭遇する場合(殺害される場合も死刑執行の場合も)、その事態(殺人事件、死刑執行)の重大性に鑑みて、広く社会の関心や論議の対象とされるべく、当該の事態について具体的に明らかにされるべきであるから当然に氏名も明らかにされるべきものだ」ということだろうか。
2016.06.16
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しばらく前から洗面台の排水がうまく行かない。U字トラップ部分はこれまでも年に1度程度、はずして掃除していたので、今回もやったが、それでもダメ。一応、ステッキ管もはずして、床下の配管部分にワイヤーをつっこんでゴシゴシしたが、改善しない。家人がさわぐので、天気の良い朝のうちに作業。画像のうち、U字トラップ管をはずして、その先の部分(形状からステッキ管と呼ぶらしい)を抜き出して、屋外の明るい場所で、徹底的に洗浄した。(画像は、わかりやすいようにトラップ部分を、よじって撮影しました。U字の下にちょうど背後のガラス瓶が映っています。なお、U字部分は水漏れ対策として、6年くらい前にホームセンターで購入し交換しています。)ここで、症状を記しておく。洗面台に水がたまってしまい、流れない。3分くらいかけて徐々に吸い込まれていく。最後にはボッボッと気泡が出てくる音が配管内から聞こえてくる。U字管の髪の毛などは除去したし、床下配管にも問題がないとすれば、やはりステッキ管が問題だろう。さて、抜き出したステッキ管に、ワイヤーを入れてみると、ワイヤー自体はすんなり進んでいくのだが、ヘドロのようなものがワイヤーの先にくっついて顔を出してきた。ジャバラになっている管の先からよく覗いてみると、どうも内側に随分付いているようだ。ステッキ管は、U字管と一緒になって全体でS字のトラップを形成しているのだが、水の流れが、2番目のカーブ以降、すなわちステッキ管の区間で詰まってしまい、U字区間を遡って洗面台にまで滞留するのだ。そこで、ステッキ管とワイヤーをもって屋外に移動。庭の放水ホースで管内部にジェット水流を流し込む。ワイヤー君にも働いてもらう。すると、管の先から、管の内径と同じ太さで紫黒色のものが出てくる。チューブから絞り出された感じと言えばいいだろうが、わかりやすく言うと、ウンチが出てくる感じだ。ジャバラのステッキ管が大腸みたいなもので、ジャバラの内壁にくっついて「成長」したのだろう。管内部の黒さが、出口から覗いてほとんど見えなくなるまで洗浄。ステッキ管の水気を取って、屋内に戻り管を連結。やはり排水はスッキリ。元にもどった。なお、しばらくはトラップから水が漏れないか注視したい。(U字の下に、小さなタライを置いてあります。子ども達が幼少の頃に使ったアンパンマンのタライです。)我が家も20年。DIYでやるべきことが色々ある。今回は、20年分の便秘の解消、でした。■編集長の最近のDIY活動です 蛇口のパッキンを交換する(2016年4月30日) ホームタンク設置と銅管接続しました(2015年12月5日) 大震災の日に感じるご支援の絆(2015年3月11日)(台所水道栓カートリッジ交換)
2016.05.15
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きのう運行が始まった。1週6分間で400円。初日は2666人が楽しんだ。則本投手も乗ったそうだ。今朝の新聞によると、昨年8月閉園の仙台ハイランドの名物だった観覧車を生まれ変わらせたという。当時のアルバイトだった方が紙面に登場。ハイランド閉園のあと海外に転売される話があったが、球団が買い取った。広島県の工場で再整備、塗装。ゴンドラと駆動装置は新品とのこと。つまりは転用するのは骨材部分ということか。ハイランドは、懐かしい施設だ。調べたら、私が数度訪れた時代には仙台ハイランドと改称していたはずだが、なぜか「西」仙台ハイランドと呼んでしまいたくなる。仙山線の駅もなくなった。
2016.05.04
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昨日、浴槽にある混合栓のハンドル内のゴムパッキンを交換した。我が家も20年。あちこち不具合があるのも仕方ない。しばらく前から、ハンドルを締め切っても吐水口から水が滴ることがあった。左の湯の方が、ガタついている感じ(ハンドルを回転させるとガクガクする感じ)がしていた。家人が締め切れずに水を出したままにして、浴槽が水であふれたことが2日ほど前にあったので、思い立って昨日、修理に踏み切った。素人考えで、ゴムパッキンの劣化で交換が必要になるのだろうと、まず考えて、分解だ。元栓と温水器の供給側パイプを締めて、作業。ハンドルの上の丸い部分(ポイントと呼ぶらしい)は、ねじり込んでいるのだと思って(ハンドルを押さえながら)一生懸命左に回してみたが、キャップのようにはめ込んでいるだけだった。カッターナイフを水平に差し込んだら、意外と簡単にはずれる。中には、湯水の通り口を開閉する核心部分であるスピンドルをハンドルに固定するための、ビスの頭が見える。これを慎重に緩めていくと、ハンドルが取り外される。スピンドルの軸の上半身が現れる。今度は、(もう上の画像ではわかりませんが、)ハンドルの下、水栓本体を覆っているカバーナットを、レンチで慎重に緩めて取り外す。すると、スピンドルを抜くことができる。その下部には、固定コマ(ケレップ)があり、ゴムパッキンを下から突き刺すようにネジで固定しているのだった。また、水栓カバーナットの裏(内部)にも、外部への漏出を防ぐためだろう、スペースを充填するように厚いゴムパッキンが詰められていた。このあと、ホームセンターに行ってパッキンを買い求める。合計428円。水栓ハンドル内のパッキンをえぐり出して、新しい物を詰め入れる。また、コマ(ケレップ)のパッキンも交換。分解したのと逆の手順で、スピンドルを差し込み、水栓カバーナットを締め付け、ハンドルを頭からビスでスピンドルと連結固定する。元栓と温水器給湯パイプを再開して、水と湯を出してみる。ハンドルを回すと、以前とは違い、軽くキュッキュッと音がする。そして、湯の方のハンドルのガタつきは完全に解消していた。ポイント(キャップ)をはめなおす。終わってからよく考えると、湯の方のハンドルとビスのゆるみが問題なのであって、ゴムパッキンが悪いのではなかったように思う。しかしまあ良かろう。実はこことは別に、洗い場の方は数年前に混合栓ごと交換したのだが(シャワー切り替えとシャワーホースなどもついて4千円くらいの格安のもの)、混合水栓を交換するよりはずいぶんと楽だった。夜になって、高校生の娘が浴槽に湯を入れる際に、アレなんか違うよ、と言う。そうだろう。気がついたか。
2016.04.30
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断定の語である「~だ」の地域差をみると、大きく3つの地域に分かれる。(1) ~だ 東日本全域と鳥取、島根(2) ~じゃ 岐阜、近畿南部、中国、四国、九州(3) ~や 近畿これら断定辞は、すべて、「である」の変化形である。(1) である → るが脱落、さらにであ(室町時代に見られる)deaの母音eが脱落 → だ(2) であるの母音融合 dea(であ、室町時代) → dya → zya により じゃ(3) zyaの摩擦が弱まって濁音が消える → ya や(江戸中期に関西女性に広まる)(1)のだは、東日本と、島根・鳥取に分かれるが、これら2地域で上記の変化が起きたものと一般に考えられている。しかし、ズーズー弁も東北と島根県出雲地方(鳥取県西部含む)に分かれるため、断定辞の分布と関係があるかも知れない。西日本では、関西弁が周囲に広がりつつある。九州は本来じゃが優勢だったが、やの使用が増えつつある。原因や理由を表す接続助詞の「から」には、きれいに地域差がある。○ 共通語のからは、関東地方、東北南部、西日本の一部。○ 東北北部、津軽 はんで、はんて○ 近畿から北陸 さかい この「さかい」は俗説に物の境目に由来するというが(浮世風呂)、名詞が助詞の用法に変化する事例はあるので、否定できない。たとえば、東北で、助詞の「を」にあたる「とこ」がある。「鳥とこ捕まえる」。「とこ」は事(こと)の変化で、「鳥のことを捕まえる」の意味。 共通語の「から」も、「家柄」などの名詞「柄」に由来すると考えられている。○ 新潟県 すけ (← さかいの変化)○ 庄内地方 さげ、はげ (← 上がさらに変化。江戸時代に北前船が関西弁を運んだもの。) 用例:「雨降ったさげ(はげ)、行ぐなやめれ」○ 近畿南部 よって、よってに 「依りて」の変化でかつて関西全域で使われたが、さかいに押された○ 名古屋、鹿児島県 で 用例: 雨が降っとるで(名古屋) 雨が降っちょるで(鹿児島) 「ので」が変化したもの○ 静岡県は駿河がから、遠州がでだが、んてもわずかに見られる。八丈島や秋田県でも。 用例: 雨が降ってあろんて、行こわやめろ(八丈島)○ 富山県砺波地方 さからいで○ 長野県 に○ 西日本各地 からに○ 宮崎県東部 かり○ 種子島 からい○ 中国地方 けー (広島県:じゃけー)○ 西日本各地 けん(松江市)、かい(京都府)、かいに(砺波地方)、きに(高知市)■佐藤亮一『滅びゆく日本の方言』新日本出版社、2015年 からところで、上に勉強した中で、庄内地方のことばに「行ぐなやめれ」(行くのは止めろ)とある。あの食べれ降りれ用法は、やはり庄内か。すると、関西由来だろうか。しかし、以前の記事では(下記)東北日本海側と九州とあったので、逆に時代に取り残されたもの(周圏論)だろうか。はたまた、動詞の活用を統一化しようとする現代的な流れなのか。■関連する過去の記事 日本語の動詞の活用の今後を考える(2016年1月22日) 起きれ食べれ降りれ用法は東北日本海沿岸か(2013年1月26日) 食べれ!降りれ?(07年6月20日)
2016.04.13
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子が問う。都道府県名だけ大学名となっているのは国立が多いが、ない県もあるかな。事の発端は、仙台や東北大学は有名だが、宮城県は知られていないんじゃないか、仙台大学はあるが宮城大学は知られているだろうか、などという話題から。県立の「宮城」大学はあるが、「青森」大学はあるのか(子)、たしかに国立は弘前だが、私立で青森大があるぞ(親)。すると、影の薄い県、石川県とかは怪しいよ、私立でも金沢医科大とかいうし(子)。長野県もみんな信州と自称するから、私立でも長野大学は無いような気がするな(親)。愛知大はないんじゃないか(子)。それは私学であるが、栃木はどうか(親)。奈良も国立は奈良女子大で、奈良医科大もあるけど、奈良大学はないんじゃないか(子)。ということで、調べてみました。結果は、存在しないのが「石川大学」、「栃木大学」。奈良、沖縄、長野はそれぞれ存在する。石川県については、石川県立大学があるが、ほかは都市名の金沢を冠するものが多いようだ。栃木県は、宇都宮を冠するもののほか、自治医科、国際医療福祉、白鴎、獨協医科など独自のものがあるが、ずばり栃木を標榜する(四年制の)大学はないようだ。県立大がない事情も関係しそうだ。■関連する過去の記事 大学名あそび(2012年10月14日)(県名や都市名ごとに、それを冠する大学の数を拾ってみました。)
2016.03.23
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昨日は仙台防災未来フォーラム2016に参加した。国際センターと博物館で行われている各セッションを行ったり来たり、大変充実した内容で、防災行動を仙台から世界に発信する意義を改めて強く感じた。防災・減災のために何をすべきか、どのような課題認識を持って我々は対応していくべきかの私の本業に関する中身の議論はさまざまあるのだが、当ブログ編集長としては地域づくりの視点で大変興味深く思ったことを記したい。内閣府主催の地区防災計画フォーラムでは、地区防災計画づくりと実践に関する全国20の取組事例が紹介された。高齢者、学校との関係、企業との連携、活動承継の課題などなど非常に多くの論点が浮き彫りとなり、同時に解決への鍵も多かった。また、応急対応だけでなくその後の5年10年の取組プロセスも視野にいれた「事前復興」の考え方、また、自治会に入っていない人への対応、別荘滞在者などの対応なども視点も提示された。こう考えると、地区防災計画づくりは、まさに地域づくり、まちづくりと重なってくる。お仕着せのプロトタイプでは役に立たないのであって、その地域の生の姿に見合って地域を生かし続けるための計画だからだ。中でも一つ。福井県あわら市の吉崎地区の方のお話があった。まず、吉崎地区の市街地の中を、福井県と石川県(加賀市)の県境が分断している。県境またぐ町なのだ。日本海地震の津波想定は、両県で異なる。そして、避難場所は、石川県域も含めて、福井県側にある吉崎小学校に指定されている。県境をまたいで共同で防災訓練を実施しているという素晴らしい取組が行われている。まさに、命は一つ。こんな「県境またぐ町」の存在が、まず驚きだった。かつて石井裕さんの県境に関する本を読んで、山形県の鼠ヶ関が同様に新潟県境を抱えているのを知った。十和田湖のほとりでも青森秋田両県の境がある。■関連する過去の記事 鼠ヶ関と県境(10年9月25日)市町村境をまたぐ市街地という視点で探してみると、もっとあるように思う。仙台市縁辺のように市街地膨張で市境を突き抜けて連たんしたケースを別にすると、どこがあるだろうか。例えば、大河原町と柴田町(旧船岡町)。距離は近いながらも間に丘陵地を挟み、かたや船岡城をいだく城下町、かたや宿場町として形成されただろう。明治以降だと思うが、大河原駅の周辺の住宅地形成が船岡町分に入り込んだ。現在の西住町(西住小学校は昭和58年開校)の名も船岡(柴田町)の西という意味だろうか。■関連する過去の記事 大河原の尾形安平 東北本線実現に尽力(07年1月5日)また、旧築館町と旧志波姫町。築館市街地を南北に縦貫する国道4号は、東北電力支店のあたりで旧志波姫町域を走っている。ここの辺りは、比較的最近まで旧築館の町場の外の田畑地帯だったろう。福井・石川の吉崎の場合は、古く藩政時代に町場を両国に分けたか、あるいは地物による境界にある寺社などの拠点的施設の両側に宿場が形成されたなどの事情だろう。このように古くから境を抱えてできた町というのは、宮城県内にはないように思う。
2016.03.13
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今日は東日本大震災から5周年。自分の脳が記憶を消そうと動いているのを感じていたから、先週から当時の記録本を読み込んでいた。事実や報道を、思い出すと同時に、自分は何ができたのだろうか、という反省や自責が沸き起こる。これが当時を思い出したくないという自動的な脳内の機制なのだろうが。震災に関しては、実にさまざまなことを論じたいが、ここでは一つだけ。2月24日(火)の朝日新聞の声の欄にあったもの。どうも今でも頭に残っている。「どう思いますか」のコーナーで、1月19日付の茨城県の読者の投稿「指定廃棄物は福島県内で管理を」について、4人の読者の意見が掲載されている。その1人目の方の意見だ。「地元は原発を受け入れ、潤沢な交付金を受けてきました。受け入れの恩恵は享受するが、原発から出た汚染廃棄物は管理しないというのは無責任ではないでしょうか。原発の廃炉に伴って出るものも含め、廃棄物については立地自治体が引き受けるのは、やむを得ないと思います。国の政策の結果として原発を受け入れたとはいえ、立地自治体としての責任を免れるわけではないからです。」という記述(文中の赤字は当ジャーナルで施した)。これに続いて、1月19日付けの投稿のような意見をこれまで議論して来なかった政治やマスコミの怠慢を指摘している。角を立てるのを避けるのではなく、あえてこうした問題提起をする趣旨だと結んでいる。これは、大変驚いた。端的に言えば、福島原発事故の影響を地域の住民が受けている現状は、電源交付金などの恩恵を受けてきたのだから仕方ないという論旨だ。いくら、多角的な意見を広く紹介するという趣旨だとしても、大新聞がこんなおかしな意見を載せるのか、という率直な感想だ。この人の論理は、全く誤っている。論理的に反駁する気も起きないほど悲しい意見だと反射的に感じてしまい、忘れようとしたのだが、逆に頭に残ってしまっているので、いま、多少論理的に考えてみよう。まず、論評の対象とされた1月19日の投稿。指定廃棄物の管理は宮城を含め各県で問題となっており、環境省は各県ごとの処理を進める方針だ。私は、指定廃棄物の管理や処分の場所をどうするかは、政策選択の問題だと思っている。投稿者のように福島で管理するのも結論としては一案だ。福島は大変なのだからこれ以上不都合を押しつけるな、という論調も非常に強いが、他県でも不都合を押しつけられている状況は同様であって、そこに、福島の被災者や被災地をことさら優先するかのような「情の先行」があるとすれば、そうではなくてより客観的で合理的な解決策として論議されても良いとは思う。その意味で、1人目の意見が、あえて角を立てようと論陣を張ることはわからないではない。問題は、その立論のあまりにひどい内容。とんでもない「情」の暴露だ。まず、原発立地地域はカネもらったのだから何かあったときの不利益を甘受していいというのは、全く筋が違う。立地地域の意識としても、カネを受けて原発立地を許容したのは、雇用が生じる、学校教育施設が向上するなどの地域活性化を期待したからだろう。そういえば「最後は金目(カネメ)でしょ」と発言した閣僚がいたが、まあたしかに最後はカネだとして、そのカネは危険性を引き受けますからという対価ではないのだ。国策として原子力を推進するため、科学的に検討して選んだ(はずの)特定の地域に対しての折衝を進める上での解決金とでもいうべきものであって、地域側から主体的にアプローチできたものでもない。百歩も千歩も譲って、電源交付金を配った側の東電や国に、何らかの地域に対する「免責」がある(地域からすれば何らかの不利益を引き受けた)としても、それは、例えば避難訓練の手間や近くに異質なプラントを置くことの抽象的な不安感などを、少し和らげるためという程度というべきでないか。原発運転上の具体的な過誤まで免責するものであるはずがない。被害は極めて広汎で甚大で長期間に過ぎて、この投稿者はたっぷり配ったというかもしれないが、電源交付金の比では全くない。住んでいた地域に戻れない、コミュニティも分断された、先が見通せない。投書した人は明日に被災地に足を運んで見てほしい。明後日には、離れた場所でまだ何年も暮らさねばならないお年寄りの話でも聞いてほしい。時間が止まったとよく言うが、人間の年齢は進んでいく。そもそも、この意見はおそらく、まずは(非論理的レベルで)福島事故は人災だ、原発は悪だ、原子力ムラの閉鎖体質が根源、立地地域をカネで黙らせる、などの方式の原子力悪者論が先にあって、そこから後付け的な理屈で、立地地域はカネでこんな悪いことだらけの原発を受け入れたのだ、と一方的に決めつける。カネで受け入れたというだけならまだ良いのだが、それを地域住民が悪の原発コンプレックスの一味だと単純に位置づける。非常に困った見方だ。たぶん、従来から原発銀座はカネで潤っているとラベルを貼っている人なのだろう。汗流して働く生活を放棄したとでも見ているのか。美しい野山を放射能汚染に晒しても構わないと判断したとでも思っているのだろうか。そうかも知れないというより、そうなのだろう。悲しいことだ。電源交付金くらいで、その住民と茨城や東京都民とで何がどう違うというのか。ちなみに、合計で4人の読者の意見があるが、2人目の方は、好きこのんで福島の立地地域が受け入れた訳ではない、豊かな都民が不利益をいやがって地域に押しつけする論理に過ぎない、とする。これは冷静で適切な見解。もちろん私としては、福島で管理すべきかどうかの結論はどちらでもいいのであって、好きこのんで立地地域が原発を受け入れたのではないという見方について、正しいと言いたい。3人目の方は宮城県の人。事故の影響を受けている福島は負担が大きいことを重視。1人目の投稿者からすれば、それこそ情に流された見解と評されるだろう。同じく宮城県の4人目の方は、情に流されがちな中で勇気を持った投稿だと敬意を示している。立地自治体も安全神話を信じて国策に協力した自分たちを責めているのではないか、とまで述べている。電力自由化になるので、消費者は事故などにも想像力を働かせて電力会社を選ぶべき、という全くトンチンカンな意見で結ばれている。被災地域は災害直後の対応や復興に際して、これまでさまざまな局面で反省や後悔はあるだろう。震災前に原発立地を受け入れた判断についても当然さまざまな評価があろう。しかし、原発立地自治体が原発の安全性に関して自責の念をもっているはずなどという論評はまったく当てはまらない。そもそも安全性を担保する立場ではないし、従って(いくらカネをもらったとしても)事故について帰責されるいわれがない。これも1人目と通底したラベリングだ。朝日新聞によると、(単純化して言えば)国民の半分はこのような極めて硬直な思考方式で、福島原発立地地域は自治体も住民も悪だと見ていることになる、のか。私自身は、こう考える。たしかに被災者優先論のような情に流れる風潮があるかも知れない。これと表裏をなして、相当なやっかみ意識が一部国民にあることも事実だろう。具体的には、医療費、学費、生活環境などで国民全般の負担のもとに過度の恩恵を受けているなどとする見方だ。そんな反作用的な「情」の流れがほとばしって、原発事故被災地も過去に恩恵を受けていたなどと決めつけるのだろう。東京など原発立地地域ではない大多数の国民は、もっぱら原発事故を被害者の立場でしか考えないだろうことが、このような流れを増幅させる。だが、この反作用的な流れは、大変危険だ。メディアには、こんな「情」の善し悪し論議ごっこよりも、せめて率直に被災の実態を読者に報じることに注力してほしい。
2016.03.11
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今日の夜はだいぶ寒くなった。というのも、昨日が暖かすぎた。仙台では20度を越えて、6月の気温だという。2月としては観測史上最高の、20.9度。東北各地はどうだったのだろう。仙台のほか、福島でも2月の記録更新だそうだ。久慈では、22度と7月並みの暑さだったとのことだ。ついさっき車を運転してきた私だが、外気温はマイナスだった。何とも激しい寒暖差。このようなときに、体調を崩したり、おかしなミスをしたりするというのが、人生のこれまでの教訓だ。明日、深い後悔のないことを祈りつつ。
2016.02.15
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以前、「起きれ」「食べれ」のように、上一段や下一段活用の動詞を、本来の命令形(起きろ、食べろ)ではなくて、五段活用の命令形で話すのは、東北日本海側と九州であるということ(新聞に書いていたこと)を記した。現代の合理的な言語の進化というべきなのか、それとも(東北と九州というから)方言周圏論的な地域分布で説明されるのか、などと関心を抱いていた。大野晋『日本語について』(岩波書店、1994年。この中の「文法ぎらい」という部分で、初出は1977年)に次のようなことが書いている。------------サ行変格活用の「する」は、「し、し、する、する、すれ、しろ」と活用するのが文法の教え。だが、千葉県、神奈川県、埼玉県の中では、「勉強しる」という言い方がある。また、北海道では「勉強しれ」という。また、「来る」について、千葉、埼玉、神奈川では、「あいつは、まだ、きない(来ない)」という人がある。現在の「こ、き、くる、くる、これ、こい」は、将来おそらく「き、き、きる、きる...」となると予測されることがある。このことを以下に解説する。「する」についていえば、昔は「せ、し、す、する、すれ、せよ」と活用した。それが、「し、し、する、する、すれ、しろ」と進化した。ところが、「朝、起きる」という動詞は、昔は「起き、起き、起く、起くる、起くれ、起きよ」(上一段活用)だったのが、「き、き、くる、くる、くれ、きよ」となり、さらに今日では「き、き、きる、きる、きれ、きろ」となった。この変化とおなじ道にきっと引き込まれて、現在のサ行変格活用は、将来、「し、し、しる、しる、しれ、しろ」と変わるだろうと推測できる。千葉や神奈川の「そうしる方が良い」という形は、この前衛的な新形だと言える。この方式にならうと、「来る」も、「き、き、きる、きる、きれ、こい」と進展することが十分予想できる。千葉や埼玉の「あいつは、まだ、きない(来ない)」は将来の先取りと見られる。あと200年くらい経つと、日本語のサ行変格活用はなくなって、「する」は「しない、した、しる、しる、しれば、しろ」と活用することになると予言される。すると「来る」(こ、き、くる、くる、くれ、こい)は、全く孤立するので、記憶の経済上何か似た形に引き寄せた方が楽だから、現に千葉、埼玉、神奈川に現れているように、「き、き、くる、くる、くれ、こい」に移り、さらに「き、き、きる、きる、きれ、きい」みたいになるだろう。「くる」が「きる」になるのは、「する」が「しる」になるよりも遅れてさらに100年か200年後になろうが、日本語の昔の流れを見れば将来そういくだろう。------------最初に紹介された北海道の「勉強しれ」(たぶん命令形としてだろう)の説明はないようだし、上一段や下一段活用の動詞の命令形としての「起きれ」「食べれ」に直接関連する内容ではないのだが、大変参考になる説明だとおもう。■関連する過去の記事 食べれ!降りれ?(2007年6月20日) 起きれ食べれ降りれ用法は東北日本海側方言か(2013年1月26日)
2016.01.22
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今朝から作業をして、11時頃に完了。まずは画像をご覧下さい。(1枚目)ストレーナと接続した銅管(上部はタンク本体です)(2枚目)同(下からのアングルです)(3枚目)古い銅管。細目のノコギリで切ったもの。(ごく短い管は、2度目の切断によるものです)我が家のエネルギーは電気中心で暖房も電気だが、補助的に温水ルームヒーターも建築後2年目くらいに設置して使っている。これまで2度ほど修理や部品交換をしたが、今シーズンも室内機を押入から取り出して設定。試運転したら、エラー表示が出る。室外機の点火ミスということで、点火プラグなどの部品交換が必要なのだろうか。コールセンターにお願いして、修理に来てもらったら、問題はホームタンクの方だという。水が相当たまっているし、サビもあって老朽化しているからタンクを交換しておきなさい。その後また点検修理に来ますから、ということだそうだ(家人による)。そこで、まずは先週から今週にかけて現在のタンクの水と灯油の処理。やったこともなかったが、水抜き栓からたしかに大量の水が、まずは出てくる。20リットル以上はあっただろうか。結露などではなく、どこかから雨水が漏れ入ったに違いない。その後、出てくる液体が灯油に代わって、ポリタンク2個分ぐらい出た。出し切ってから、いつもお世話になっているガソリンスタンドに持ち込み、廃棄してもらう。実は、水抜き栓から液体が出るペースが遅いので、ここまでは大変時間がかかったのだが、今週の晴れ間を見て、作業しておいた。木曜日に最寄りのDIY店で取り寄せてもらった95リットルの新品ホームタンク(1万円強)を、自宅に搬入し、代わりにカラになった古いタンクは引き取っていただいた。そして、いよいよ今日(土曜日)の設置作業だ。(DIY店で、200リットル以下なら資格不要で自分で設置可能、と聞いていた。)開梱して組み立てまでは、ストレーナの取り付け(ねじ込み)がかなりきつかったが、屋内の畳部屋で何とか完了。日差しが出てきて小春日和の屋外に移って、ヒーターの室外機まで灯油を導く銅線でつなぐ作業に入る。銅線は既存のものを残しておいたので、これを活用するのだが、よく見ると所々に折れ曲がりかけたような部分がある。そもそも全体が長すぎるようなので、丁寧に銅線のカーブをなおしながら、思い切って折れ曲がり箇所を含む部分を切り捨てることにした。細い目のノコギリで切る。しかし、切り口が斜めになったような気がしたので、2回目。切った後を、ヤスリで丁寧に補正して、そのあと、管の内側に残った銅の切りくずや粉を、綿棒で何度かきれいにしてやった。その後、ヤスリできれいにした銅管に押さえナットを通そうとするが、銅管が微妙に曲線を成しているのか、するっと入らない。石けんを持ってきて塗りつけてみると、何とかナットが通った。そのあと、樹脂スリーブ(ねじ込むと潰れてパッキンの役割をするらしい)をはめて、タンク本体のストレーナに繋げておいたI型継ぎ手に、接続。継ぎ手を押さえて、回らなくなるまでねじ込んだ。ここまで終えて、ホッと一息。家人が業者に連絡して灯油が真新しいタンクを満たすことになり、来週早々にルームヒータの修理の業者にふたたび来てもらうことになっている。あとは、ちゃんと油が室外機まで漏れることなく供給されて(私の作業に問題がないこと)、室外機が正常に作動してくれれば(部品交換はするのかな)、安心です。(なお、毎シーズンの水抜き作業はやった方が良いのでしょう。タンクの取扱説明書には、半年に一回以上、とある。それと、季末の灯油は残さずに使い切った方がいいでしょう。雨の夜や寒い早朝に、時間のかかる水抜き油抜きの作業は嫌でしたから。)
2015.12.05
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なにやら英文の暗唱をしたらしく、その後で高校生の子が問うに、アメリカ人はなぜ皆、英文法理解しているのか。答えて曰く、文法を勉強したのではなく、子どものことから英語をしゃべったり聞いたりしていて背後にある共通ルールを知らず知らずに会得するのだ。日本人だって、五段活用とか下一段活用とかの文法を学ばなくても自然と覚える。例えば、若者が何か新しい言葉を考え出しても、自然と形容詞や動詞として活用させるだろう。子が言う。キモい、キショい とかね。でも、遺伝とかで英語を話せるようになっているのではないのか。続けて説明。それはちがう。言語は後天的に獲得するものだ。では、アメリカ人も日本に生まれれば日本語になる、と。そうだね。ただし、世界のどんな言語でも、同じ人類で有る以上は一定の共通ルールみたいなものがあるという議論はあるけどね。チョムスキーという学者が言った。生まれながらに生物学的に持っているというのだ。言語学は奥が深いよ。日本では米の炊き方、欧米では馬の走り方など、語彙の豊かさが違うだろう。述語が最後に来るのは日本と韓国だけ。アフリカでは数詞が1から4とそれ以上は「たくさん」という語しかないところもあるらしいぞ。社会生活を反映しているのだ。。編集長(私)の最後の説明はやや適当なのですが、子が多少でも関心を持ってもらえばと言う思い。(何気なく言った親の言葉を意外と憶えているものです。このことは上の子でも実証ずみ。)さて、私はそのあと、自分で思い出していました。中学の頃、国語の教科書に書いていたことで、ことばの機能として「思考の乗り物」の働きがある、と。なるほど、ということは、人間は言語を習得していなければ、思考はできないのだろうか。原始人や赤ん坊は、本能的な行動や条件反射行動はするだろうが、頭の中だけで抽象的あるいは論理的な「思考」をするには、コトバがないとできないのだろうか。ヴィトゲンシュタインの議論ほどではないのですが、こんなことをルル自問自答していたのでした。みんな悩んで大きくなりましょう。
2015.12.03
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小さな話です。まずは、証拠のレシートをお見せしましょう。夕方、ガソリンスタンドで給油した。このGSは、給油した後に画面がスロットみたいに動いて、1等から5等までが当たる仕組み。だいたいは5等で、リッター当たり1円分が割り引かれる結果になります。そして、たまに2円引きになります。店の景気が悪いときに調整しているのか、それともこっちが定額でケチケチ給油するからなのか、まったく当たらない時期もありました。だいたいこういうものは、1等が当たることは無いのだろうと思っていたら、近所の知人が1等にめぐまれたという話を聞いた。それも、もう10年近く前のこと。いずれにしても、上等の当たりは、自分には縁のないことと受け止めてきました。と、ところが、です。今日の給油後に、いつものとおり「絵柄が揃えば...」の音声で動き出すスロットを眺めていたら、アレアレ、両脇が「7」で止まる、こうなると経験的に真ん中も揃うのだろう、いやしかし1等だけは甘くないのかも知れない、と思いながら見つめていると、真ん中の桁にゆっくりと「7」が納まりました。たぶん15年通っているこのGSで、初めての快挙。ああ、こんなこともあるのです。仕事では何かと思うに任せない毎日。しかし些細ながらも(たぶん最初で最後の)幸福が舞い込みました。小さな話です。
2015.10.13
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ラグビー日本代表が話題になっている。南アに勝ったので、どれほど凄いのかと子に問われて、説明した。そうだね、N中(我が家の学区の中学校)の野球部が仙台育英に勝ったぐらい。実はラグビーのことをちっとも知らない適当な説明で、子も呆れていた。さて、五郎丸選手も注目されている。私はこちらも失礼ながら知らなかったのだが、TVでもずいぶん取り上げているから素晴らしい人材なのだろう。ところで、この選手の名を耳にして、元阪神のドラフト1位の源五郎丸洋選手を思い出した人も、私のほか全国に100人くらい居たのではないか。指名されて話題になったのは自分も高校の頃だったように思う。これも子がかつて話していたのだが、なんでプロ野球選手には変わった名前が多いんだろうか。(以下、変わったと形容すると失礼な気がするので、貴重な名前と表現しよう。)佐藤とか佐々木とか、鈴木、三浦、菅原、工藤、熊谷、斎藤などは、東北ではありふれた名前という感じ。田中、西本、森川とかいうと、関西の人には平凡なのだろうが、東北人からすると、ちょっと憧れに似た印象を持つ。(そう言えば先日、関西の人に「千葉」って格好いい名前だねと言われて、お互い感覚は違うものだと実感した。)こんなウエスタン系名前がプロ野球では多いようだ。しかし、そんなウエスタンよりも、さらに貴重な御名前がたしかにプロ野球選手には多いように思う。楽天イーグルスだけでも貴重な名前を挙げると、聖澤、則本、八百板、安樂、美馬。さらに、銀次(いや苗字ではないですね。でも赤見内は貴重)、大坂谷、などなど。聖澤選手などは、野村監督も間違っていた(ヒリジサワ)が、全国でも数軒だとラジオで誰かが言っていた。まさしくスーパーレアだ。貴重な名前とはその人で初めてお目にかかる名前、と取りあえず定義しておくと、貴重な名前は確かに世の中の標準的確率よりは登場頻度が多いようだ。比較してみよう。セ・パ両リーグのプロ野球選手の数より多い、我が国の衆参両院の国会議員。貴重な名前(私にとってそれが初耳だった名前)というと、主濱、御法川、二之湯、萩生田、穀田とか(初耳だったか記憶が曖昧な人もいるが)。あとは、アントニオ、デニー、エリカ様、ナベ菅...(失礼)。昔の国会議員だと、飛鳥田、後藤田(今もいるけど)、一万田、達増(今は知事さん)、ミッチー、サッチー(暴走)。スーパーレアはいるだろうか。名前より中身だけど。(文中で敬称略といたしました。)
2015.09.24
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国勢調査の回答をネットで行いました。たしかに簡単です。調査員の方が再訪したり内容を確認する手間が省けるのは、良いことだと思います。訪問調査によるトラブルや不祥事があったからです。まずは、調査員を救うという効果があると考えます。また、一度提出してからあとで回収もできるし、プライバシー保持の仕組みができているという点でも、記入者である国民にとっても良いことではないでしょうか。気になったこといくつか。その1 パスワードの1(いち)とl(エル)が判別しにくい。フリガナのような表示があると良いと思った。このことは、アンケートにも書いた。 おそらくは、ここで1とlを記入者が誤ったからといって問題はないだろうが、記入者の側で不安に思うことがあるかも知れないからだ。IDについても同じで、私の場合はわかりやすい文字と数字だったが、ゼロとO(オー)などについても、配慮があって良いと思う。その2 インターネットアドレスからアクセスする方法の案内として、YAHOO!JAPANとGoogleの2つの場合を説明している(紙のパンフレット)。どうでも良いことだけれど、私は別のポータルから入った。この2つでないと入れないと思った人も、国民の1%くらいはいるのではないか。以上は、大したことではないのですが、これ以外にも全国でネット利用者が気づいた大切なことが、あるのかも知れません。アラ探しをするつもりはありませんが、ネット回答は良いことなので、さらに確実に、かつ便利になるように総務省には意識を高くしてほしいです。■関連する過去の記事 国勢調査は不要なのかも知れない(2015年10月11日)
2015.09.12
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暑い夏の一日、奈良市にいた私は短い時間の間で、何とか名所を回ってみたいと思案していた。旅館の親切なご夫妻が、自転車を使って良いよと言ってくださったので、用事の翌朝の5時から巡ってみた。本当の古都散策なら、中に入ってしっかり味わって回るべきなのだが、かけられる時間も少なく、ともかくは目に見て雰囲気だけでも体験して来ようと...朝5時の東大寺周辺はもう鹿が歩いていて、餌やりのおじさんや早朝散歩の人たち。南大門を呆気にとられながらしばらく見上げて、奈良公園、奈良ホテル、五重塔で鐘の音を聞く。6時だったのだろう。興福寺、猿沢池は、高校の古文を思い出す。今度は三条通を一路西へ。都跡小学校の辺りで道を曲がって、唐招提寺と薬師寺方面へ。秋篠川沿いに、自転車道が整備されている。思ったより田んぼが多くて、散歩やジョギングの人が多いが、東大寺とは違って地元の方々のようだ。実は、もう25年ほど前なのだが学友達と訪れたことがあった。当時は、深く歴史を探訪する気持ちも無かったが、それでも東大寺大仏殿に入り、薬師寺でも境内に立ち入って東西の塔を見上げた記憶がある。楽しい思い出なのだが、あのとき、薬師寺に行くときに友人が停めた駐車場から、田んぼを眺めながら竹藪のようなところの脇道を歩いた思い出がなぜか印象的に記憶に残っていた。そこにもう一度身を置いてみたかった。(1300年の歴史より25年間の小さな私感を優先する人間の小ささ。嗚呼。)たぶん、この辺りだったのかな、と。田んぼの中の道を、親子が散歩していた。おはようございます。薬師寺は修理をしているようで、巨大な鞘がかけられていた。宿にもどると、もう7時過ぎ。ご主人が、古い自転車で大変だったでしょう。いやいや、本当に助かりました。爽やかな気分になりました。奈良の町、大変良かったです。(この写真は、一緒にがんばってくれた自転車君。背景は、県道から唐招提寺に向かう入り口。)歴史の深みと向き合ったと言えるほどではないのだが、おそらく2度目でこれが最後かもしれない奈良のひととき、道路と田んぼと、多少の鹿の糞をみただけなのだが、自分の足で風を感じて、自分史に向き合えて良かった。これが本心だった。変わった客に見えただったろうが、宿のご主人の、仙台育英を応援していたよ、勝ってほしかったねとの言葉が、何ともうれしかった。9時には電車の乗客となって次の仕事の地に向かったのだが、ぜひいつかまた奈良に来たい。そのときはじっくり時間をかけて、しっかり歴史に向き合いたい。そして、できればあの旅館の自転車で回りたい、と願いながら、車窓から奈良の街並みを見送っていたのだった。
2015.09.05
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いつの間にか8月17日になっています。もう2時ですね。涼しい夜中に、狭いパソコン部屋兼書斎にて仕事をしています。今週と来週はかなり忙しくなりそうです。日中は副業(一応、おだずまジャーナル編集長を本業とした場合の呼び方ですが)がビッシリ、家に帰って夜中に原稿書き。期限が刻々と迫ります。本業の当ジャーナルでじっくり東北を考える時間は、どれだけあるか、かなり苦しいでしょう。お盆明けで、明日、いや今日の電車も混むかと思うと、忙しさの予感もあって、やや陰鬱な気持ちにもなりますが。クヨクヨしても時間が増えるわけではないので、まずは寝ますか。ちなみに、同様に?宿題と夏休みの終期を気にしだした子ども達は、もう寝ています。結局、期限に追われることになるのは明白ですが、これも遺伝です。
2015.08.17
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ずいぶんと涼しくなった夜中。PCに向かって仕事中なのだが、ある問題の複雑な実情をどう整理するかで、プチ行き詰まり。いかに筋立てて見せられるか。主観や恣意ではなく、データにどう正しく語ってもらえるか。そんな訳で、気分転換?に、PC画面で我がブログ眺めてみていたら、記事たちの一番下に「よく読まれている記事」というコーナーがあって、閲覧総数が表示されている。管理画面での説明だと、順位は前日の閲覧数で、表示されている閲覧総数は昨年9月からの累積数だそうだ。楽天さん、ありがとう。こんな配慮していただいたのですね。私の記事など人の役に立たない代物ですが、何かの弾みや間違いだとしても、訪問いただくのはありがたいこと。拙ブログの閲覧総数トップは、センバツの東北高校の逆転負けの話。ちょうど高校野球の季節で、アクセスしてくれたのでしょう。感謝いたします。ところで、ブログ今月末で10年経過です。もともと自分の勉強や考えを綴って記録するのが主で、その上誰かにコメントでももらえれば幸運で、という考えでスタートしました。いつの間にか、私も子ども達も世の中もみんな等しく10年経ったようです。成長したかどうかはそれぞれで。一息ついて、ウィンドウを仕事の方に戻します。
2015.08.14
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遅い梅雨入り影響でイーグルスの試合が中止。バックネット裏席と世界のビール祭りが涙雨で流されて、残念でならないが、腹いせに朝から家のワックスがけ。やっぱり雨の日は乾きが遅く、後悔しながらも12時過ぎまでかけて完了。全然関係ないが、作業中つけていた(なぜか)教育TVでやっていた。900mlのグラスと400mlのグラス。この2つだけを使って、300mlの水を量る。答えは、(1)900グラスに水をいっぱい入れる。これを400グラスに注ぎ出す。2度繰り返すと、900グラスには100mlだけ水が残る。(2)これを400グラスに移し替える。(3)いま一度、900グラスに水をいっぱい入れる(900ml)。(4)900グラスから、400グラス(すでに100ml在中)がいっぱいになるまで水を注ぐ。すると、400グラスには(400ml-100ml=)300mlだけが入るはず。(5)したがって、900グラスには600mlが残る(900ml-300ml=600ml)。解説としては、ゴールから発想するということだった。600とは、900-300である。つまり900グラスから300mlを抜けばいいのだが、そのためには400グラスに100を残した状態にすれば良い。ここに気づくことがポイント。グラスに一定量を残すという通常にない使い方を発想できるかどうかも重要であろう。このゴールから考える発想は大変大事で、数学の証明問題や説得力有る論文書きなどでも応用できる、ということだった。なるほどね。なぜか頭に残ったので、今日のおわりに記します。
2015.06.27
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先月のことだが、図書館に行った際に、以前借りた本がまだ戻っていないと言われた。コンピュータ上で、私がまだ借りている状態のままとのことだった。その後、家中を探したが出てこない。自分としては当該の本は、図書館に行く家人に頼んで返却したつもりだが、100%戻したという確信もある訳ではない。あるいは進学した子どもたちが昔読んでいた本たちを、近所の施設に差し上げたが、その際に紛れてしまったか。公共のものを紛失しては申し訳ない、と大変気になっていた。その本は、下の子が部活に関連して興味を持ちそうなのでと思って借りていたもので、他の中学生たちも読もうと思っているかも知れない。いつまでも図書館に蔵書されない状態にしてしまってはいけない。ここは、弁償か。役所だから金で弁償されても困るだろうから、自分で買って寄付すればいいか。1500円くらいだし... などと思っていた。週末に図書館を訪れた際に、家にはどうも無いようなので、と話して、係の方が、事情はわかりましたので、という。新しく借りる本を決めてから、開架の書棚を確認している係の方のところに行って、やっぱり戻っていないですか、などと話す。この場所にあるはずなのですが。すると、係の方が、ありましたね、と一言。本来あるべき位置とはちょっとずれた場所に並べられていた。確かに、その本だ。念のため、複数蔵書していたのではないですね、などと確認してしまったが、とにかくホッとした。おそらくだが、返却処理の際に、バーコード読み取りがされずに、しかし本そのものは館の人の手で戻された。しかも、場所が本来ではないところに。こんなこともあるものだ。図書館では、リストと陳列順番の一致を確認したり、貸出返却の状況と照合したりなどの作業を定期的にやっているのだろうか。それはかなり大変なことだろう。
2015.05.27
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地震の前に、空や雲に異状がみられたり、音や磁気などに異変が出るとか、あるいは動植物が普段にない動きを示すなどの報告例や仮説がある。東日本大震災の場合も、数時間前からウミネコが全く飛ばなくなったなどの話を聞く。塩竈神社の末社である御釜神社。釜の水は涸れることもなく溢れることもない。日本三奇に数えられる不思議なスポットだが、震災の日にはいつになく水が澄んでいたと言われる。私自身が体験したのは一つだけ。小さな体験だが、動物が異変を感じている能力を確信した。高校生の頃、ちょうど今ころか6月だろう。初夏の夜中に、家で勉強していた。窓は網戸で外からはカエルの合唱が響いている。ふと、カエルが鳴きやんだ。鳴いている最中は鳴いていることを気にしないが、静寂になると、却って不審に感じられるのだ。すると、数秒後、震度2にもならない揺れがグラッと来た。また、数秒後、カエルたちは元のように鳴き出すのだった。これは、予知とか予兆というよりも、地震活動の一環として揺れの直前に生じる何らかの異変を、カエルが察知しているからだろう。人間の五感は、揺れが始まってはじめて地震を感じる。しかし、動物は、その前に、初期微動なのか地下の異音なのか、何らかの異状を感覚できるのだ。けっして、超常的に感覚外の(第六感)予知をするというのではなくて、あくまで科学的に解明可能なものだろう。解明されているかどうかは別としても。そのことを確信したのだった。予知ではなく、早期行動とでも呼ぶべきか。勝手にそう考えている。何億年も地球で暮らしてきた動物たちだから、地震活動から生じる音、におい、磁気、などを敏感に感覚する能力を獲得していておかしくはない。
2015.05.17
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仙台駅で、杜の都コンサートというのがあって、公開リハーサルにちょうど出くわしたので、ご高齢の方々のじゃまにならないよう気をつけながら、イスに座ってのんびり聴いていた。北欧の特集で、ニルセンとシベリウスの生誕150年だとのこと。また、グリークの歌曲も組み込まれている。仙台フィルで指揮は新田ユリさん。合間に短く聴衆向けの解説もしておられた。ソプラノの千石史子さんは宮城県の出身とのことでもあるが、素晴らしい歌声を披露していた。ところで、リハの直前にスタッフに守られるように入ってきて、演奏者らと言葉を交わして、明るい笑顔で前の方の列に座った人が居る。係員が用意された席を促したようにも見えたが、さりげなく聴衆の中の空席にひとり収まって、気取りも偉ぶった様子もない紳士。あれ、テレビでよく見る池辺晋一郎さんだ。この企画の音楽監督を務めるようだ。リハの最後に、ご挨拶をされた。池辺さんといえば、私は子どもながらに見ていた「黄金の日々」(NHK大河ドラマ、1978年)を思い出す。当然、先生も年齢は進んでおられるはずだが、駅で拝見した氏はとても若々しい雰囲気だった。それと、仙台人にとっては「独眼流政宗」(同、1987年)も深い縁がある。これももう30年近く前になっているが、かりに今聴いても新鮮だろう。一時、イーグルスの鉄平が登場曲に使っていたが。駅は都市の玄関。思わぬ出会いもある。
2015.05.08
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総務省統計局の人口推計(昨年10月1日現在)が先週発表された。対前年で総人口は減少するなか、都道府県別では増加が7都県。しかも東京、埼玉、神奈川などは増加率が前回よりも増えている。減少率は、秋田、青森、高知の順に高い。宮城は増加から減少に転じた。人口増減の要因別に都道府県を類別してみると、下のとおり。(1)人口増加(1a)自然増・社会増 東京、神奈川、愛知、沖縄(1b)自然減・社会増 埼玉、千葉、福岡(2)人口減少(2a)自然増・社会減 滋賀(2b)自然減・社会増 宮城(3b)自然減・社会減 その他増減の結果を捨象して類別すると、a 自然増・社会増 東京、神奈川、愛知、沖縄(前回は同4県プラス滋賀)b 自然増・社会減 滋賀 (前回はなし)c 自然減・社会増 埼玉、千葉、福岡、宮城 (前回は宮城、埼玉、福岡、千葉、大阪)d 自然減・社会減 その他38道府県 (前回は37道府県。今回は大阪が加わる)である。自然増が若い世代のいる東京や神奈川など、地域的に限定されているということ。しかもこれら地域では、社会増の率も上昇している。
2015.04.24
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電車の乗客でコート姿がめっきり減ったこと。来ているのは仙台からちょっと離れて早起きの人。通勤経路にある家のシーリングファンが止まっている。大きな吹き抜けがあるようで、窓からいつもファンが見えるのだが、今までは常に回っていた。我が家にもあるのだが、そろそろ止めるか、それとも夏向きに回すか(暖房使用時の冬とは逆の回転)気にしていたところだ。4月下旬、来週は連休。田んぼに水が張られるだろうか。本州最北、青森の桜は例年になく早いようだ。
2015.04.23
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一昨日の夜のこと。帰宅すると、自転車空気抜けてたようだと家族の声。上の子が日中の用事で使ったのだが、夕方に自動車学校に行く際には使えずに、そのため車で迎えに行ってくれとのこと。迎えは良いのだが、自転車は早速直しておかないと明日以降困ることになりかねない。さっそく自転車を確かめると、たしかに前輪がペチャンコ。前日にしっかり空気入れてやったのだが。パンクだろうか。もう夜7時も過ぎたし、どうしようか。よく行くDIYに電話で聞くと、外注になるのですぐには直せないと。それでは、と自転車を車に積んで、やや離れたところの自転車屋さんに直行してみたら、シャッター締まっている。次にショッピングモールに行った。自転車屋さんがあったはずだと。自転車屋さんが開いていて、受け付けてくれた。夜9時前に取りに来てくれと言われる。どこかの親子が、やはり故障したのだろう、マウンテンバイクを持ち込んでいた。ホッとして、その足で上の子を迎えに行き帰宅。ゆっくり風呂にも入ってから、再度ショッピングモールに行って、自転車を回収。あの親子もマウンテンバイクもって店を出るところだった。虫ゴムの交換で、500円程度。(こっちが古い感覚だったのかもしれないが)遅い時間でも対応してもらって、本当に良かった。
2015.04.04
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東日本大震災から4年。宮城県では鎮魂の日と定められ、各地で追悼の式典があった。改めて被害の大きさと、人々の心に残した爪痕の果てしなさを感じさせられる。政府主催の追悼式では、ご遺族代表の方の話に、ご自身の悲しみとともに、いまだ遺体が見つからない遺族など他の人たちへの気遣い、そして救助に奔走してくれた人々、数多くの支援してくれた人々への感謝のことばも心に残った。救助や支援は、私たちの目に見えないところで、広く深く存在していたのだ。ところで、今夜、私は帰宅後に台所の水道栓の部品交換工事をした。下は修理後の画像です。少し前から漏水があり、最近では水滴が間隔を置いてしたたるようになったので、修理を考えていた。内部のパッキン交換で済まないか(古典的発想)、でも分解の仕方もわからないし、丸ごと交換だと値が張るな、などと思いあぐねていた。日曜日のこと、もう20年近く前の建築時の各設備の取扱説明書を束ねたファイルから、水道栓の説明書を引っ張り出す。外国製の混合栓で、説明書の最後にフリーダイヤルがあった。一応かけてみたが、つながらない。留守録になったようだったが、諦めて電話を切った。しばらくしてから、携帯らしきナンバー表示で電話がかかってきて、どうかされましたか、と。事情を説明すると、カートリッジの交換ですね、と即答され、型式を確認された。どうも、外国の当該メーカーは解散しているようで、部品交換などのメンテナンスをこの会社が担っているような感じだった。翌日の配達でカートリッジと施工解説書を送ってくれるという。8千円ほど。住所を話して、はいヨロシクお願いしま~す、と終わるところだったが、会社の方が言う。あれ、3月11日前ですね。被災地支援で半額にしてくれるというのだ。何でも、被災地の方に向けては代金を半額にすることで、顧客がその分を復興なり自分のことに使ってもらうという趣旨で割り引いているというのだ。会社には、寄付があるのか、それとも業界や会社の独自の取組なのだろうか。そして、それが4年目の3月11日までの期間の扱いのようだった。私としては、安くなることはもちろんだが、4年も経ってそのような絆が受け継がれていることに、驚きとありがたさでいっぱいになり、わざわざ折り返してくれたことと併せて御礼を申し述べた。私の家は、実は地震保険で半壊に認定されるほどで、被害がないではないのだが、外壁や内壁など見栄えが気になるところは自分で直した程度で、建物本体、水道、電気などいずれも問題はなかった。(停電や断水の影響はもちろんあったが。)津波で流失したり地震で倒壊した方に比較すれば、何でもないというべきものだ。どなたの厚意か目に見えないながらも、支援をありがたく受け取ったわけだが、このように支援の絆が日本中にあることに改めて気づかされる。支え合っていること、支えられていることに。水道や電気などは、普段は思い通りに使うことができて当たり前。特に何の意識もない。断水や停電があって、逆にはじめてありがたみがわかる。思えば、4年前は、電気も水もなかった。水の大切さも家族で身にしみたものだった。いま、震災の日にあたり、ふたたびその有り難さに思いを致す。そして、その大切な水については、水回りの専門の人たちが私たちのために支援しようとする、温かい心の絆がしっかりあることの、そのことの有り難さにも思いを致している。
2015.03.11
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午後から雨。夜には結構強くなった。家の中にいてもかなり雨音が聞こえる。冬に雨は似合わないと言ったのは、NSPだったが、東北人にとって大雨は春の予感でもある。だが、これだけ強く降られると、うれしくも何ともない。発達した低気圧で、明日から明後日にかけては大荒れで暴風雨が予想される。雨と雪解け水で浸水もあるという。明日の夜にかけて青森県の山沿いでは大雪になるとか。青森県では明日が県立高校の入試。前期と後期に分けていたものを10年ぶりに一本化した。みな同じ条件とはいえ、荒天は受験生に気の毒だ。気分も沈むというものだが、いや、未来を見据えて、がんばれ青森の受験生たち。そして明後日は震災から4年目の日だ。■関連する過去の記事(NSPのこと何度か書いていた。知識や記憶とは実に狭いものだ。) 12月の雨(2010年12月23日) NSPを思い出す(2006年12月27日)
2015.03.09
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今朝は強風で、電車もやや遅れたし、仙台駅舎を出てからの風当たりも強かった。雨や雪がないだけ良いと思うしかないが、そのようなことを考えていると、4年前のあの日を思い出した。曇天の下、雪が降り出したあの午後を。帰宅してからも、何かうす寒い感じがしている。あとひと月で4月だ。春が一日ずつ近づいていると考えていこう。
2015.03.02
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最近多く見かけるようになった気がするのだが、夜に無灯火のまま道路を走行する車。非常に危険である。たとえば、仙台駅前や東二番丁通り辺りなら、街路灯と周囲の建物の明かりで、何とか車の存在が認識されるだろうが(だから良いという訳では勿論ない)、普通の道路上でこのまま50kmで走られたのでは、たまったものではない。当のドライバーは(通常の感覚で)前後左右を注視して運転しているのだが、対向車や歩行者はそうはいかない。もし何気なく車道に歩き出す人がいて、眼前に停車していた車の背後から無灯火の車が飛び出してきたり...あるいは、交差点で右折しようとしたら、前から無灯火車が平然と直進してきたり...などなど、考えるとゾッとする。考え過ぎかもしれないが、交通安全には考えすぎも必要かと。無灯火車をみつけたら、皆さんどうしますか。どうしようもない。それも一理。しかし、私は、いちおうできるだけのことはする。パッシング、手振り、クラクション、など。私が歩行者のときだったら、大きいジェスチャーで教えようとする。ちょっとまえに、逆送自動車について書いた。■自動車の逆送を考える(1月27日)ひょっとすると、無灯火もお年寄りが多いのかも。いや、前に目撃したのは若いor準若い女性だったような気がする。とにかく、皆さん気をつけよう。防げる事故は防ぎましょう。当然、かくいう自分も戒めます。交通ルール 守るあなたが 守られるこれは本当に名言。いい標語だと思います。時たま、「交通ルール」を他に置き換えますが、結構通じます。お互いを尊びあい、励まし合い、学び合って過ごしていくのが世の中。だから、当たり前ながらも深みのあるいい言葉で、いつまでも残る至言なのです。ところでこの標語、宮城県警察のオリジナルだったのでしょうか。宮城県の人にはすっかり定着していますね。他県の人に今度聴いてみよう。いいぞ、宮城県警。
2015.02.24
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3つ違いの娘たちが受験生なのだが、高3の上の子は過日入学先が決まった。自分の描いた職業に一歩近づいたことになるが、今後は与えられる勉強だけでなく、広い視野で物事を考え、常に人や世の中を考えながら地域に尽くす自分の進路を歩んでほしい。と格好いいことをいっているが、子の行く末の第一段階が来たという実感は、親としてはない。今週、銀行で払い込みや郵便局で書類の郵送などやってあげたが、この間郵送したばかりの2次試験の前期や後期を、受けなくて良くなったのだなという目先の感覚ばかりが強い。なんだかんだ言って、推薦で早めに決まったことにホッとしたのが先に来る。もっと実感がないのが、御本人。普段したくてもできなかった読書でも何でも思い切りやってはどうか、などと諭すが、突如解放された空虚感のようなものに包まれているようだ。さて、そこで、進学までに自動車の免許を取得してもらおうかと考え、本人もそのつもりでいるので、近くの自動車学校に行った。さっそく今日、入校式と学科の勉強。空きがあれば技能もやるという。今頃ハンドルを握っているかもしれない。入校手続までそばで見ていたが、教習の仕方もずいぶん昔とは違っている。私の頃は4段階制だった。第3段階の最後が修了検定で、仮免取って第4段階で路上。今は、2段階制で、しかも、各段階の中で一定の順番を踏んで実技や学科を受けなければならないものもあるそうで、安全運転のために工夫がされているのだろう。ところで、我が子は誕生日が3月で、免許を取得できる年齢の18歳に達するには、またひと月以上ある。松森の免許センターに行く日が誕生日以降なら良いのだろうと思っていたのだが、そうではなくて、仮免許が誕生日以降ということだった。すなわち、誕生日までにできるのは第一段階までになる。ちょっと早すぎたかとも思ったが、2月3月はかなり混むのでやっぱり正解のようだ。技能の時間もかなり埋まるらしい。ともあれ、我が子も人生の歩みを進めているということか。
2015.02.14
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朝のNHKニュースで、市民10万人が犠牲になったとされるマニラ市街戦から70年が経ち、体験者が語るなどの催しがマニラ市内で開催されたという報道があった。10万という数字にも異論があるだろうし、これだけの一般人が犠牲になった原因や背景をどう考えるかについては、さまざまな見方があるだろう。今朝の報道は、連合国側と日本のいずれにも責任を負わせるような言い方はしていないようだったが、大事なことは市街戦で多数の市民が亡くなり、都市が壊滅した事実の存在と、それを伝えていくことの重要さだろう。ところで、本題をほとんど逸れるのだが、このニュースでは、「旧日本軍とアメリカ軍が」市街戦を演じたなどと説明していた。なぜ、日本だけは「旧日本軍」というのか。確かに、「旧日本軍」という言葉は一般に定着している気はするのだが、字幕にまで出たのを改めてみると、なぜアメリカはそのままで日本は「旧」なのか、と思ったのだ。おそらく、日本には現在は軍隊はないという前提で、あるいは、日本の陸軍と海軍は終戦をもって組織がなくなったのだから、過去の存在であることから「旧」としているのだと一応は考えられる。しかし、過去の存在に何も「旧」を付していない事例だって多いだろう。たとえば、「昭和60年にA氏は大蔵省に採用された。」「昭和60年に泉市内であった殺人事件を今思い出す。」などの文章を考えよう。その組織名や地名が現在は存在しないことを敢えてハッキリさせたいのならば、たぶん、「当時の大蔵省に入り」や「当時の泉市内であった」とするか、「大蔵省(現財務省)」「泉市(現仙台市泉区)内で」「仙台市泉区(当時は泉市)内で」などとやるのが通常ではないだろうか。もちろん、「昭和60年に旧大蔵省に採用された」「昭和60年に旧泉市内であった殺人事件」でも、解らなくはないが、昭和60年時点では「旧大蔵省」なる存在はないから、時制の一致の関係でちょっと違和感もなしとしない。とすると、「70年前に旧日本軍とアメリカ軍が戦った」と表現する場合には、現在から見て「今はない昔の組織であるところの旧日本軍」という意図を込めて表現しているということになるのだろう。ここには、戦前と戦後の断絶をことさら意識し、また戦争や戦力を忌避してきた戦後の国民感情を背景に、「あの時代のもの」という戻ることのない過去に押し込められたイメージをまといながら、単語として独り立ちした「旧日本軍」の存在がうかがえると思う。たんに言葉の感覚の問題として。
2015.02.04
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我が子は受験生。センター試験も終えて、二次対策にいそしんでいる(ようである)が、推薦の出願もしたので、自分のセンター自己採点をもって合格となるかどうか、審判の時を待つ気分のようだ。人事を尽くしたのなら、もう結果は客観的に決まる。自分が合否を知るかどうかのタイミングは何の重要性もないのだよ、などと親は話す。気にしても仕方ないから、二次対策に集中したら、という気持ちで諭しているのだが、そういう親としても、合否のわかる時点までの緊張感や気になる気持ち、また、発表前までは一生懸命勉強する姿勢を示そうというある種の信心深さをもっているような、受験生の心理もよくわかる気がする。私も、大事な発表や宝くじの当選番号を読む前には、善行に努めるという実は情けない小市民である。ところで、受験生が知る前に結果は全く客観的に決まっている、という話をしながら想起したので、カルバンの予定説の話をした。子:でも、それだと誰も努力しなくなるよね。父(おだずま編集長):たしかに、誰が天国に行くかは当人の努力にかかわらず予定されている。人間たちは自分が選ばれているかどうかはわからないし、努力で運命を変えることも絶対にできない。しかし、神が選ぶ人間は堕落した人間であるはずはない、と予想はできるだろう。子:あ、なんかそんな話聞いたこと有るよ。1年の倫理で。あれは、良い授業だった。良い先生で。父:過去も将来もお見通しの神様なのだから、今からの改心や努力も含めて人間を見ている、というよりその人間の運命を完璧に支配しているはずなのだ。とすれば、信者はいっそう信仰を深めることにより、「あらかじめ神が選んだ人間」らしく振る舞うことになるだろう。それでも選ばれているかどうかは確信はないとしても、だ。子:やっぱりマジメになるよね。審判を待つ受験生...父:まあ、近いかもしれないね。そして、勤勉に働いて、天職という考えができて、マックス・ウェーバーが利潤を大きくすることを正しいとした。だから、資本主義が正当化されて産業革命も起きた。科学の誕生や民主主義だって、宗教革命から始まったヨーロッパの固有の精神なのだね。日本人のようにぐらついていない、はっきりした精神基盤があるのだ。子:宗教は強い。父:だいたい、憲法だって欧州の歴史の産物で、日本人は皆誤解しているが...(もう話が噛み合わない。)
2015.01.28
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逆送がかなり話題になっている。少年法のアレではない。高速道路などで走行方向と反対に走る車両がひきおこす、怖い事故だ。多くはインターチェンジが原因となっており、中には自分の考えた方向が違っていたとしてUターンするケースもあると言うから、本当に恐ろしい。高速道路ではなく一般道なのだが、しばらく前に私自身も目撃したことがある。我が家のほど近くに、片側2車線の道路がある。中央分離帯に植栽があって、反対車線を走る車両の上半身(?)くらいは見える。十字路の交差点や、丁字路でも信号のある大きな交差点なら中央分離帯が切れているが、住宅地内の小さな道からこの大きな道路に出るだけの丁字路だと、中央分離帯を切っていないので、大きな道路に出る車は当然ながら左折して行くしかない。だが、あろうことか、この地点で右折していった車があったのだ。通常の感覚だと、中央分離帯の存在を状況認識できるし、従って、中央分離帯の奥に反対車線があって、手前の2レーンはいずれも左に行く流れだとわかる環境ではある。しかし、この車の運転手は、中分帯を道路の向こう側と誤認して、眼前の2レーンが、片側1車線の道路そのものだと思ってしまったのだろう。おそらく高齢のドライバーなのだろう。次の大きな交差点で気づいてくれたと信じたい。高速なら、本当にあぶない。
2015.01.27
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最近、我ながら郵便クレーマーのような気もしています。郵便局さん、すみませんが、もう一言。■関連する過去の記事 誤配と郵便局の対応を考える(2014年12月11日)毎年この時期になると年賀状を書く。皆さんも同じでしょう。私は例年よりかなり早く書き上げて、週末に郵便局に行った。ところがポストには年賀状専用の差し入れ口がない。今までも普通のポストに投函していたような気もするし、だいいち12月中に年賀状が届いた経験はないから、普通のポストでも仕分けしているはずだろうと確信して投函した。実は、昨年も同じ状況で、窓口も閉まっている時間なので、ちょいと建物の脇に回ってみたら、局内で作業している人がちょうど出てきたので、お願いしますといって渡したのだった。その前だと、大きな郵便局や駅前などで、専用の差し入れ口のあるポストに入れるか、正月を迎えてから書いていたような気がする。そもそも、若い頃などは何も考えずに、投函していたようにも思う。さて、本当はどうなのだろう。一応気になって、郵便局のサイトのよくある質問を見てみる。すると、こうだ。(年賀状をポストの専用でなく通常の投入口に入れてしまった、との問いに対して...)郵便局において仕分けをする際に、普通の郵便物の中に年賀状が混入していないか確認しています。ただし、より早く確実にお届けするためにも、年賀状専用の投入口へお出しください。この回答は、2つの点で不自然あるいは意図的だ。第一は、問いに対する答えがないこと。つまり、質問者は通常郵便の扱いをされてしまう(年内に届いてしまう)のではないかと心配しているのに対して正面から答えていない。おそらく、「混入していないか確認している」の表現で、仕分けしていることを説明しているというつもりだろう。さらに言えば、「仕分けしているので安心を」と言い切ってしまうと専用ポストの意味がなくなってしまうと受け取られるので、なるべく専用ポストを使ってほしい郵便局としては、そこまでは言わないようにしているという意図がうかがえる。「より早く確実に」という言い方を補足しているのも、専用ポストの意義をあえて確認するとともに誘導をする意図だろう。もう一点は、それならば専用ポストとはどこにあるのか、の説明がないこと。直接の問いではないかもしれないが、質問者は専用投入口が有れば心配しないのだから、このことにも答えるのが自然だろう。なまじ専用ポストが存在するから、心配する人が出てくるのだ。それなら専用はどこにあるとか言い添えるのが普通の対話の流れだろう。しかし、ここは本来、「できれば専用ポストに入れて頂きたいのだが、事情もあってすべて専用とはできないから、通常の投入口しかないポストではそこに入れてください」とだけ言えばいいのだ。なるべく専用ポストに誘導したいという意図があるから、このような不自然な対応になる。以上からすれば、間違いなく、通常の投入口に入れても問題はないのだ。郵便局の問答は、やはり客の立場ではなく、自分たちのことが優先なのだ。私はこう感じる。私がこの企業の広報担当なら、書き換えますよ。前回の記事の件も当然ですけどね。
2014.12.22
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高校生の娘がアメリカの文化の話をしていた。私が、多民族で多文化だからね、それ、melting pot というだろう、というと、何それ知らないよ、サラダ・ボウルというんだ、と。今は the salad bowl というのかな。私が学生の頃は、人種の坩堝という熟語があって、留学生と話しても、the melting pot で通じていたのだが。そんなことがひと月ほど前にあった。今日の夕方、車中でラジオをつけたら、サラダ・ボウルの語が飛び出した。かつては melting pot と言ったという解説も。そして、サラダ・ボウルとは、それぞれの具材はそれぞれの個性のままなのだが、みんなの上にはアメリカというドレッシングが掛けられている、というイメージなのだそうだ。なるほど。それは合点がいく。メルティング・ポットは、乳鉢の中ですりつぶされているか、鍋の中で溶け合ってしまうかのように、個性が均一化してしまう印象を与えるのだろう。そうではなくて、ネイティブ・アメリカンも、ヒスパニックも、アジア系も、それぞれが自分の形を持ちながら、だけれどもアメリカという共通性を身にまとってnationを形成している姿は、salad bowl の形容がふさわしい。文化論ないし文化観の進展に応じたキーワードの変遷なのだ。さっそく夜に娘が帰ったら、解説してやるか。相手にされないだろうが。
2014.12.16
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別にクレームでも何でもなく、ただ感じたこと。昨日我が家に別人の宛名のはがきが届いていた。見ると、住所のうちの番号の部分が一か所だけ違う。もちろん名字も違うのだが、なぜか、とにかく誤配されたのだ。さほど遠くないから住所を探して正しいお宅に届けてもいいが、あまりヒマもない。そのままどこかの郵便ポストに入れてしまおうかとも思ったが、消印があるから投函してはいけないのだろう。内容は喪中欠礼だった。差出人は届いたと思っているだろうから、何とかしなければならない。いちおう家を出るときにカバンに入れて、仕事場の近くで郵便局を尋ねて、窓口で渡した。窓口の人は言う。ちなみに住所のどこが違っているのですか。はい、ここですね、というと誤認した箇所をメモしたようだった。内部的な処理の上で必要なのだろうか。そのうち本来の宛先にこのハガキは到達するのだろうから、良かった。以上のとおりなのだが、私が感じたのは、なにやら割り切れなさ。年末だからか窓口も混んでいて、並んでしばらく待った。恩着せがましく、わざわざ届けに来たぞとばかりに気負っているわけではないにしても、足を伸ばして持ってきたことに一言感謝のことばがあるだろうな、という予感は正直いって多少はある。そうであれば、足を伸ばした甲斐もあるというものだろう。だが、違った。すみませんでしたという言葉くらいはあったように思うが、誤認箇所の確認作業が優先。味気なく、はい次の方、という感じ。たしかに窓口の人の責任ではないし、数ある中にはあり得る間違いだろう。だが、オレが持ってこなければ浮かばれない一件なのだから、そこは一言有っても良いんじゃないのかな。べつにティッシュ一つくれ、といっているワケじゃないんだから。もう、差出人や受取人が困らないで良かった、と思って忘れるしかない。忘れる前に、本来このようなときどう行動すべきか、日本郵便のホームページを見てみた。「他人あての郵便物が届きましたが、どうしたらいいのでしょうか」という項目があって、誤配達であると付せん貼ってポストに投函するか、最寄りの郵便局か相談センターに連絡ください、という内容だ。そして、その次に、郵便局以外の配送物はそれぞれの事業者に連絡せよ、との旨。そして最後には参考として、郵便法42条の規定が。「郵便物の誤配達を受けた者は、その郵便物にその旨を表示して郵便差出箱に差し入れ、又はその旨を会社に通知しなければならない。」と。それはそうなのでしょうが。正しいか誤りかではなく、書き方のほんのちょっとした配慮の話なのに。こんな案内ぶりを平気で掲げているのなら、今日の対応も納得できるというものだ。
2014.12.11
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