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9月15日、ヨーロッパから帰って翌日仕事。しかし、9月下旬から私の生活に新たな不安が・・・。■9月20日(火)胃が悪いので通っている、診療所へ。血液検査をしましょうという医師。高い検査料を払って血液検査。■9月21日(水)家にいたら、診療所から電話。血液検査の結果を話したいから、明日、来てくださいという。■9月22日(木)診療所に結果を聞きに行ったら、「血小板」が異常に少なくなっているとのこと。検査ミスかもしれないから、もう一度、検査したいとのこと。やっぱり、異常に少ない。8月2日から使い始めた、骨粗鬆症の自己注射、フォルテオが原因が考えられるとのこと。仕事の帰りに、骨粗鬆症の治療で通っている医院に行って、血小板の異常な減少を話すと、今日からフォルテオは止めましょうとのこと。血小板が少ないと、血が止まらなくなっているのだそうだ。■9月27日(火)骨粗鬆症の医者が、うちでも血液の検査をというので、検査する。22日よりも減少。血液の専門医に診てもらうことに。■9月29日(木)血液専門医でまたもや、血液検査。8月2日までは、まったく異常がなかったのに、あまりにも少なくなっているので、10月に骨髄の検査をすることに。■9月30日(金)仕事の後、骨粗鬆症の医者に29日のことを報告に。「入院せんでええの?自転車に乗らん方がええわ。うちどころが悪かったから、えらいことになるよ。ちょっとの間、会社は、休んだ方がええよ。」自転車はやめます。でも会社は休めません。来月の間、ちょっとの間、タクシーで通勤することにした。会社を辞めることもあるかもしれない。フランクフルトやパリで楽しい旅行のあと、思ってもいなかった病気・・・。一週間で採血を4回したが、血が止まりにくので、採血のあとが大きな紫色になっている。 ■9月に見た映画■*ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2■9.*モテキ■9.25*あしたのパスタはアルデンテ■9.25 ■過去の書き残したネタ■*ドイツネタ。*パリネタ。*原発の集会。 *江戸風ガーデニング*ファーストレディ *浜寺の水練所 *電力会社のやらせ *節電・・・自動販売機 *「小石川の家」 *大型店の開店 *あさぶら *小説「アーレンガート」 *椅子 *ラパン・アジル *チューブとメトロ *メトロのすり *二つの風車 *ヨーロッパの家はなぜきれい? *「北極星」 *アルミ缶エコ *江戸時代、和歌山の防災意識 *子供と春の花と桜 *ケチな近鉄・・・吉野の桜 *「ゲゲゲの女房」昭和30年代。貸本屋、方言 *瀬田の町で見つけた小さな川 *インテリアのページ *近所で見つけた古いものたち *冬のオリンピック(フィギアスケートの採点)・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2011年9月30日*月を愛(め)でる*・・・・・・・・・・・・・・
2011.09.30
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ずらりと並んで楽しそうに話している・・・。屋台みたい。 しかし、この屋台、車輪がついている。それに客の足元には、ペダルがついている。 正面には運転手がいて、この屋台、走るのだ。「ビア・バイク」というこの屋台をレーマー広場で何回も見た。キャーという黄色い声に見れば、若い女の子たちがビア・バイクを必死にこいで疾走する。観光客は、ビックりしながらも、大笑いしてシャッターを切っていた。ビールの宣伝でもしているのだろうか?このカラフルな可愛らしい電車は、エッベルヴァイ・エクスプレス。エッベルヴァイとはりんご酒の意味。この地方はりんご酒の名産地なのだそうだ。 このリースは、りんご酒のお店の意味だそうだ。日本でも、作り酒屋の酒屋の軒先に杉玉を見ることがあるが、洋の東西を問わず、同じようなことを考えるものだと感心した。 電車の中は狭い。その中を売り子が、りんご酒を売りにくる。 座席の前には穴のあいた小さなテーブルがあって、急停車してもビンが倒れないようになっている。市内を1時間かけて、のんびりとまわるこの電車は1977年からフランクフルトの顔として人気があるのだそうだ。どこから乗っても、どこで降りてもいいこの電車、貸し切りもありだそうだ。■欧州2011■■9月7日(水)朝9:50関空発・ルフトハンザ■9月8日(木)ライン川と川のほとりの町なみ。ランチ、ワインの試飲。*ライン川*■9月9日(金)ハイデルベルクの古城とフランクフルトの市内観光。 洗濯とネットカフェ、観光バスも。*ネッカー川*■9月10日(土)フランクフルト市内観光 旧市庁舎前広場、ゲーテハウス、りんご酒電車、マイン川遊覧船など。*マイン川*・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2011年9月29日*案山子*・・・・・・・・・・・・・・
2011.09.29
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■あしたのパスタはアルデンテ:あらすじ■他人の望む人生なんて、つまらない。南イタリアのレッチェでパスタ会社を経営するカントーネ家。現在の社長ヴィンチェンツォ(エンニオ・ファンタスティキーニ)はいつか息子に後を継がせることを夢見ていた。ある日、会社を引き継ぐための重要なディナーが開かれることとなり、ローマで大学に通っている末っ子のトンマーゾ(リッカルド・スカマルチョ)が故郷に帰ってきた。そこで彼は、家族の望む経営学部ではなく文学部を卒業し作家になろうと思っていること、そしてゲイであることを発表すると決めていた。しかし、あろうことか兄アントニオ(アレッサンドロ・プレツィオージ)が先にゲイであるとカミングアウトし家族は大騒ぎに。結局トンマーゾは父親に懇願されパスタ会社を共同経営者の娘と共に任されることになり…。 カントーネ家の長男、アントニオが食事の時、ゲイをカミングアウトしたら、倒れてしまった父親。年齢からして、この父親は私と同じ年齢なのだろうが、息子がゲイだったら、私も、ぶっ倒れるだろうか?最近、テレビなどで活躍する人たちも、ゲイが多いが私はゲイに対しては、そんなに不愉快とは思わない。まあ、それは、他人事だから言えるのかもしれないが・・・。当の本人は、そのためにイジメにあったりと、辛い人生を送って来ているのかもしれない。だからこそ、私は、彼らを暖かく見守ってあげたいと思うのだが、お父さんは入院までしてしまう。ローマからやってきたトンマンゾーのゲイの友人たち3人の楽しそうなこと。海辺で音楽に合わせて踊るのを見て「ウォーター・ボーイ」を思い出した。映画の中でイタリアンな音楽もいい感じ。祖母、父親、子ども・・・。家族を大切にするイタリアらしい、雰囲気の食事風景が素敵だった。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2011年9月28日*トリビアの井戸:敬老の日特集/通う千鳥の鳴く声に・・・*・・・・・・・・・・・・・・
2011.09.28
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■モテキ:あらすじ■恋が攻めてきたッ!派遣社員を卒業し、晴れてニュースサイトのライター職として正社員になった藤本幸世(森山未來)。波乱の“モテキ”を経て成長したかに見えたが、結局未だ新しい出会いもないまま。しかし、ある日突然“第二のモテキ”が訪れる。年下の雑誌編集者・松尾美由紀(長澤まさみ)、美由紀の親友で清楚系OLの桝本留未子(麻生久美子)、ガールズバーの美人店員・愛(仲里依紗)、毒舌のSキャラ先輩・唐木素子(真木よう子)など全くタイプの異なる4人の美女の間で揺れ動く幸世。果たして、幸世はモテキの波を越えて本当の恋愛にたどり着けるのか…? 昨年、TVドラマとして放送され話題を呼んだ久保ミツロウ原作による人気漫画「モテキ」を映画化。 映画が公開される前に、テレビ版「モテキ」を見た。主人公は、モテないオタクな草食系男子。ツイッターをやったり、漫画に詳しかったりしてオタクな草食系男子って、私は好きだ。その主人公を演じるのが守山未来。この人も好き。テレビで見たらその守山クンが踊る、踊る。切れのあるターンを見せて、ジャニーズも真っ青という感じなのだ。こりゃあ見るしかないと映画を見たが、深夜の放送ながらギャラクシー賞をとったテレビの方が面白い。再放送、ないかな・・・。お正月にはテレビ版を借りてきて見ようと今から楽しみにしている。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2011年9月26日*父の麦わら帽子:目次*・・・・・・・・・・・・・・
2011.09.27
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子どもの頃は、台風の後は、梨が食べられた。台風の次の日、父は私たち子どもに言った。「さあ上見(うあみ・地名)へ、梨を買いに行こう!」父が荷車の用意をしている間に、私たち、子どもも大喜びで、すぐ用意した。荷車を引いて、登り坂を30分あまり。峠の途中に、梨を作っている農家があった。父は、この家の主人と友達だったので、いろいろ話をしていた。その間に、私たち、子どもは、梨の木の下で、台風で落ちた梨を拾い集めた。集め終わると、持ってきた林檎箱にいれ、荷車に乗せ、ロープをかけた。「早(はよ)う、帰って、梨を食べよう。」皆、そう言いながら帰りを急いだ。帰りは、下り坂なので、子どもが荷車に乗っても平気。途中、誰からともなく、「梨、食べよう、一個だけ・・・。」荷車を止めて、父が、梨をくれる。前歯で、上手に皮をむいて、ガブリとかぶる。「おいしいな~。上見(うあみ)の梨は・・・。」皆、わらった。 渋い脇役の、沢村貞子が書いた「あたりみかん」と言うエッセイを、随分前に読んだ事がある。値段の安い、キズもののみかんを「キズみかん」とよばず、「あたりみかん」というやさしさ・・・。そんな内容だったと記憶している。私たちが、食べたのは「あたり梨」ということになろうか。「ヤーリー」という品種の名とともに、あの時の味は、今も忘れられない。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2011年9月26日*父の麦わら帽子:目次*・・・・・・・・・・・・・・
2011.09.26
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俳優の山本太郎が、原発事故による子どもの放射能汚染を考えるプロジェクト「オペレーションコドモタチ」への賛同を表明し、5月14日(2011年)にYoutubeを通じて動画メッセージを発表した。山本は4月には「芸能界で仕事干される」と明言した上でデモに参加するなど、震災以来「反原発」の姿勢を明確にしている。 事実、7月に決まっていた仕事もキャンセルされたそうだ。その山本太郎氏が24日(土)に「たかじん胸いっぱい」に、原発問題のパネラーとして出演。本人も久しぶりだと言っていた。タレントが反原発をいうと痛い目に遭うぞという電力会社の圧力。実際、彼は、反原発を言うようになってから、仕事がなくなったのだ。山本氏は、早口で、あれも言おう、これも言おうと痛々しいくらいに話をした。 ■ツイッター■では、「たかじん胸イッパイ出演、終了。テンション上がってしまって反省。限られた露出の中で最大限の情報を伝えなければならないのに。今、僕を使ってくれる、発言の機会を与えてくれるTVマンの心意気に感謝。関テレ、すごい局だ。」彼の主張はこうだった。★原発は今すぐ止めても、今後、クリーンなエネルギーを考える間のつなぎとして水力、火力、どでやっていける。★電力会社が「節電」を言うのは、「原発がないから、節電しないと・・・」という脅しだ。★チェルノブイリでは25年たった今でも、健康に生まれる赤ちゃんは、15%だとのこと。★原発の電気で工場を動かさないと、日本は潰れるという意見がある。しかし、今のままだと、原発事故の後始末に多大なお金を使い、またいつ、このような事故が起こるか分からない。放射能の影響で病気になって、国が潰れるより、少々貧しくても健康な国でありたい。★文部科学省が定めた子どもの年間許容被ばく線量「20ミリシーベルト」という値は異常だ。★今の政府のやり方は、「殺人」、「棄民」、国民が怒らないのが不思議だ。彼は、今、誰からも見放されているような気になっているのではないだろうか。必死で喋る彼を見ていて涙が出そうになった。それにしても、原発反対も言えない国って民主国家と言えるのか?■山本太郎・ツイッター■・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2011年9月25日*里山の歌:われは海の子*・・・・・・・・・・・・・・
2011.09.25
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ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749年8月28日 - 1832年3月22日)はドイツの詩人、劇作家、小説家、哲学者、自然科学者、政治家、法律家。ドイツを代表する文豪であり、小説『若きウェルテルの悩み』『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』、叙事詩『ヘルマンとドロテーア』、詩劇『ファウスト』など広い分野で重要な作品を残した。 フランクフルトはゲーテの故郷で、ゲーテハウスは、旧市庁舎と共に、フランクフルトの名所の一つだ。もとの17世紀の建物は、第二次大戦中の空爆により破壊。その後オリジナルに忠実に再建された。台所、居間、交流サロンの家具調度品や家財は、後期バロック様式のブルジョワのもので、戦争の時は、家具類は疎開させていたそうだ。 ゲーテの父親は資産家で、働かなくてもいいという身分。趣味は本を集めることだとか。大きな本棚のある部屋があった。ゲーテにも勉強を教えていたらしい。 立派な父親の書斎とは反対に、母親の部屋というのはなかった。この時代には、もちろん沢山の使用人を使っていただろうから、のんびりと本を読んでいるヒマなどなかったのだろう。母親も裕福な家の娘だったらしいけど、当時の女性は親から財産を受け継ぐことが出来ないというのは、「傲慢と偏見」などで知っていた。部屋の隅の小さなテーブルで針仕事をするのが、彼女の楽しみだったと、オーディオガイドがいってたが、哀しい人生だ。もっとも、彼女は、それを哀しいとも思わなかったのだろうけれど・・・。 ←キノコの形のドアノブ。来月、映画■「ゲーテの恋」が■公開される。この家も当然出てくるのだろう。楽しみだ。■ゲーテハウスの写真のサイト■ 楽しみにしていた・シュテーデル美術館。ボッティチェルリ、フラ・アンジェリコ、ルーベンス、フェルメール・・・等々、見たい絵があったのに改装のため、休館していた。_| ̄|○■欧州2011■■9月7日(水)朝9:50関空発・ルフトハンザ■9月8日(木)ライン川と川のほとりの町なみ。ランチ、ワインの試飲。*ライン川*■9月9日(金)ハイデルベルクの古城とフランクフルトの市内観光。 洗濯とネットカフェ、観光バスも。*ネッカー川*■9月10日(土)フランクフルト市内観光 旧市庁舎前広場、ゲーテハウス、りんご酒電車、マイン川遊覧船など。*マイン川*・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2011年9月24日*なーるほど・ザ・大阪♪:大阪の地名*・・・・・・・・・・・・・・
2011.09.24
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■9月10日(土)■フランクフルトの一番有名な観光地は、旧市庁舎のあるレーマー広場。ホテルからトラム11番ですぐだ。 レーマー広場には、露天の花屋があった。 その中で気をひいたのが、初めて見る、多肉植物。 しかも、多肉植物を入れた鉢が、バケツだったり、白い陶器風だったり、ちょっと変わった形だったり・・・。鉢に巻貝を飾ってみたり、白い陶器の鉢の割れたの風のを飾ったりと楽しい。多肉植物は、暑い国というイメージがあったが、寒いドイツでも育つのかな。■欧州2011■■9月7日(水)朝9:50関空発・ルフトハンザ■9月8日(木)ライン川と川のほとりの町なみ。ランチ、ワインの試飲。*ライン川*■9月9日(金)ハイデルベルクの古城とフランクフルトの市内観光。 洗濯とネットカフェ、観光バスも。*ネッカー川*■9月10日(土)フランクフルト市内観光 旧市庁舎前広場、ゲーテハウス、りんご酒電車、マイン川遊覧船など。*マイン川*・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2011年9月23日*トリビアの井戸:岸和田の地車(だんじり)が疾走するわけ *・・・・・・・・・・・・・・
2011.09.23
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■9月9日(金)■ハイデルベルクから帰ったら3時過ぎ。雨が降っていたので、無理な行動は止めよう。★洗濯しよう。実は、前の朝、コインランドリーはどこですか?と聞くと「洗濯ものなら、部屋の袋に入れておけばやっておきますが・・・」と澄まして言うフロント。私たちは駅のツーリスト・インフォメーションに行って、コインランドリーの場所を聞いた。なんと、私たちの泊まっているホテルから数分。★洗濯が終わると、娘が調べ物をすると言うので、ネットカフェに。日本のネットカフェというと、個室というイメージなのだが、ここは本当にカフェって感じだった。 ★まだまだ時間があるのし、雨も上がったので2階建て観光バスに乗る。緑の多い街の中は気持ちがいい。 イヤホーンを耳にすると10ヶ国語対応。トラム代わりに使えば、交通と観光の一石二鳥だ。 夕食に、娘は「のだめカンタービレ」の「のだめ」の好物シュニツェルを。娘のレイは、安いホテルに泊まってでも、美味しいものを食べるのだそうだ。もっと、贅沢させたい気持ちはあれど、彼女のためにならないので、この程度で満足してもらう。■午前中のハイデルベルク■での、満足できない気持ちが天気と一緒に晴れた。■欧州2011■■9月7日(水)朝9:50関空発・ルフトハンザ■9月8日(木)ライン川と川のほとりの町なみ。ランチ、ワインの試飲。*ライン川*■9月9日(金)ハイデルベルクの古城とフランクフルトの市内観光。 洗濯とネットカフェ、観光バスも。*ネッカー川*・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2011年9月22日*月遅れの八朔(はっさく)*・・・・・・・・・・・・・・
2011.09.22
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■9月9日(金)ドイツで最も美しい古都のひとつハイデルベルク。ワイン大樽で有名なハイデルベルク城や旧市街など見所満載です。といううたい文句を信じて、■ハイデルベルク半日観光■にを申し込んだ。客は年配のアジア人女性2人との4人だ。運転手兼ガイド氏は、30代後半のドイツ人で英語がペラペラ。アジア人女性二人はフィリッピン人でこれまたペラペラ。私たちは、昨日に続いて、心細い。ハイデルベルク城に着く前にガイド氏は、「城に入ったら、日本語のオーディオガイドを借りれますよ」と言う。フィリッピン人二人は、運転手兼ガイド氏と、私たち親子はオーディオガイドを持って、1時間後にバスの所で集まることにして別々に行動。 それがアダとなった。私たちは、バスに向かったのだが、どこかで道を間違え、バスは見えない。15分ほど探したが、ツアー会社に電話。出てきたのは、ドイツ人で英語で会話する。なんとか私は見つけてもらったものの、この間に30分のロス。他の人たちに、申し訳ない気分でいっぱいだった。嗚呼、英語が話せたら、一緒に廻れたのに・・・。 雨が降って来たので、車で少し廻って、ハイデルベルクは終わり。フランクフルトから車で往復3時間。それで半日って、このツアーには無理がある。城は、確かにこの都市の最も重要な象徴的建造物であるが、それはこの都市を印象づける川、橋、城の三要素の一つに過ぎない。 さまざまな思想家や詩人、学者が行き通い、立ち止まっては想いにふけったといわれる“哲学者の道”など行ってないので、イマイチなツアーだった。 ハイデルベルクのことを「アルト・ハイデルベルク」というが、アルトとはドイツ語で古いの意味。日本でも古都京都なんていう。「荒城の月」という歌もあるが、荒れ果てた城は、ロマンチックだ。■欧州2011■■9月7日(水)朝9:50関空発・ルフトハンザ■9月8日(木)ライン川と川のほとりの町なみ。ランチ、ワインの試飲。*ライン川*■9月9日(金)ハイデルベルクの古城とフランクフルトの市内観光。 ネットカフェも。*ネッカー川*・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2011年9月21日*彼岸:日の伴(とも)*・・・・・・・・・・・・・・
2011.09.21
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遊覧船に乗るまでのバスの中でも、乗ってからでも葡萄畑が広がっている。日本だったら茶畑といったところかとレイと話た。 ドイツは、寒冷な気候のために、ブドウの栽培が南部の地方に限られる。主にフランスに近いライン川やその支流沿いでワインが生産されている。ドイツで生産されるワインは、圧倒的に白ワインが多い。その厳しい気象条件のために、黒葡萄は十分に色付くことができず、数少ない赤ワインも、気候に恵まれた地域のものと比べると、より色が薄い。しかし、緯度が高いことを利用して、夏季に穏やかな日照時間を長く取ることによって、凝縮性が高く、独特な酸味と果実性に富んだワインが造られる。この酸味の豊かさが、ドイツワインの長命性、殺菌性に貢献していると言われている。ドイツでは、ワインを飲んで風邪を治療する人もいる。 このあたりも昔から葡萄作りが盛んだったのか、家を飾る葡萄の絵が楽しい。ワインの試飲もあった。赤ワイン、白ワイン、ロゼの他、自然に凍結した葡萄から作られる特別なワイン、アイスワインなど数種類が試飲することが出来る。しかし、私はアルコールは、いっさいダメ。ビールやワインを一口飲んでも、美味しいと思わない。娘のレイのようにワインやビールが飲めたら、旅ももっと楽しくなるだろうに・・・。 ライン川の遊覧船に乗る前に、昼食。私たちの他に5人の日本人女性がいたが、彼女たちは、ひとつのテーブルについた。私と娘は、ガイジンと・・・。話を聞いていると、50代風のオーストラリア人夫婦と30代アメリカ人女性。それに、どこの国か分からない、黒髪の40前?の女性。旅行のための英語は、なんとかいけるが、食事中に楽しく会話なんて、私たちは、無理。話しかけてくれるなと祈っていたが、黒髪女性が「日本人か?英語は話せるのか?日本、ドイツ間は何時間かかるのか?」と話してくる。日本人で、英語は、ちょっとだけ、日本、ドイツ間は11時間かかると答えると、「11時間って、どこ経由なの?」とまたもや、全員で質問。「ノンストップで11時間」と答えると、皆ビックリしていた。こっちからも何か聞かないとと黒髪女性に「どちらからですか?」と私。「***」黒髪女性は答えたが、はじめて聞くので、「***ってドイツ?ヨーロッパ?」と聞くと、答えたが鮮やかな英語なので聞き取れない。娘が中近東やと思うと言う。「日本は寒いのか?」とその黒髪女性。「暑いですよ、夏は35度を超えることもあるから」と私。「そう?日本って寒いイメージだった。でも私の所は、暑い時は55度を超えるの。だから外に出られない」と黒髪女性は言う。55度を超える国って、どこだろう?私にも言えることだが、彼女にとって日本人と食事のテーブルを囲むって、今後、ないかも知れない。彼女が質問ぜめにしたように、私ももっと彼女の暮らしが知りたかった。他にも、話せる限り話したが、もっと自由に英語を使えたら、旅行は何倍も楽しいだろうと我が語学力のなさが恨めしい。近年の温暖化の影響により、昔は作られていなかったイギリス全土でワインの生産が可能になり、殊に発泡ワインは、イギリスでもワインとして広まり始めている。■欧州2011■■9月7日(水)朝9:50関空発・ルフトハンザ■9月8日(木)ライン川と川のほとりの町なみ。ランチ、ワインの試飲。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2011年9月21日*彼岸:日の伴(とも)*・・・・・・・・・・・・・・
2011.09.21
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ライン川のほとりは、古い町なみが続いている。実は私は30年ほど前にも、ライン川の遊覧船に乗った。しかし、その時は、船から見るだけだったので、あまり印象にない。 しかし、「ザ・ドイツ」という感じの家や葡萄畑を背景に広がる小さな町は、絵のように美しい。 パリの■ヴァンブの蚤の市■で出逢った日本人の露天商は、「こちらの人は、古いものを大事にしますよ。絶対に捨てません」と言っていた。古いものを大事にすることは、ドイツもイギリスやフランスに負けてない。 ■欧州2011■■9月7日(水)朝9:50関空発・ルフトハンザ■9月8日(木)ライン川と川のほとりの町なみ。ランチ、ワインの試飲。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2011年9月21日*芋名月*・・・・・・・・・・・・・・
2011.09.20
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■9月8日(木)■日本からネットで予約していたライン川の遊覧船に乗る。ホテルから歩いて数分の所に事務所があり、バスに乗る。乗客は30人くらい。日本人は、私たちの他に5人の家族。ガイドは中年のドイツ人の男性で、英語でマシンガン・トーク。 ライン渓谷中流上部(ラインけいこくちゅうりゅうじょうぶ、Reine Gorge)は、ドイツの世界遺産の1つ。ラインラント=プファルツ州の都市であるコブレンツとビンゲン・アム・ラインの間のライン川の65キロメートルの渓谷のことを指す。登録範囲は、272.5平方キロメートル及び緩衝地帯は、約346.8平方キロメートルに及ぶ。私たちが乗ったのは、その一部だ。私たちの乗った区間には、橋が無いことに気付いた。橋の代わりに渡し船がある。瀬戸内海と四国の間に3本も橋を架ける日本人と少々不便でも、自然の美しさを守るドイツ。ここまでして、守っている美しさに観光客が多いのは分かる。 川の中州にあるこの城は、ライン川を通る船から税金を取った所だそうだ。 古城が沢山あった。 観光客を乗せた船が多いが生活の貨物船もよく見た。ライン川は今も生活の物資を運んでいるのだ。■欧州2011■■9月7日(水)朝9:50関空発・ルフトハンザ■9月8日(木)ライン川と川のほとりの町なみ。ランチ、ワインの試飲。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2011年9月19日*重陽の節句のワンピース/十五夜*・・・・・・・・・・・・・・
2011.09.19
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フランクフルトでの宿、「レオナルド・フランクフルト・シティ」は、中央駅から2~3分の便利な所。部屋の鍵、カードを差し込まないと、電源が入らない。反対に、出て行く時は、鍵(カード)が必要だから、電源は切っていくことになる。ドライヤーがあるが、コンセントから抜いてある。ポットもあるが、これまたコンセントが抜いてある。なにより驚いたのは、トイレ。上の写真、中央にある、シルバーの部分を押すと水が流れる。しかし、同じシルバーの部分の上のには、「STOP」の文字。必要に応じて、「STOP」を押すとすぐに水が止まる。水を流す機能と共に、止める機能のついているのだ。この機能、日本では見たことがない。さすが、ドイツ!!と感心して、何度もためしてみた。エコじゃない私。_| ̄|○ ■2011.9.7■4時頃、ホテル着。6時頃、次女、レイがホテルに到着。 1年ぶりの再会だ。8時、中央駅の飲食店でソーセージと水の夕食。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2011年9月17日*父の麦わら帽子余滴:「おひまち」の「かきまぜ」/イギリスで手ぬぐいを*・・・・・・・・・・・・・・
2011.09.17
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ヨーロッパに向けて出かけたのは、9月7日の朝。9時50分を出発して、フランクフルトに着いたのは、同日の15時の予定が30分早まった。約11時間25分の長旅だ。食事を2回して、軽食、ドリンク、映画・・・。眠れないまま、フランクフルトに着いた。飛行機の中では、地図を見ながら過ごした。スカンジナビア半島の右にあるバルト海。そこで、疑問が浮かんだ。日露戦争の時に名をはせた、「バルチック艦隊」。この語源は、バルト海にあるのではないだろうか?帰ってから調べて見るとやはりそうだ。というか、今頃気がついたのか私。ボスニア湾というのが近くにあったので、ここに「ボスニア・ヘルツェゴビナ」があるのかとこれも帰ってから調べたが、関係なかった。なんでだろう?地図を見るのは好きだけれど、覚えられないから、何回も発見がある!■明日からヨーロッパへ ■・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2011年9月15日*サルビア歳時記:9月の三箇条*・・・・・・・・・・・・・・
2011.09.16
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■浜辺 遥さま■「ローズ・デ・ロミー」。道路工事のため、あやうく命を落とすところを、ものずきな私に見つけられ、遥さんによって、再び美しい花を咲かせているバラ。その、命拾いしたバラに名前をつけるとしたら「ローズ・デ・ロミー」しかないと思うのです。私たちの共通の友人の名前をとって「ひろみのバラ」という意味。フランス語風な響きがあって、おしゃれな、遥さんにぴったりだと自画自賛。「ロ」の頭韻もあるし、やっぱりこれしかないと悦にいってます。私もこの春、花屋でツルバラを購入。赤い花をさかせてくれて私のガーデニング熱を上げるのに一役かってくれました。で、その後のバラなのですが、ものすごく成長が早く、あれよあれよという間なのです。そこで私、ハタと気がつきました、ツルバラには彼女を支えるものがいることを。今、ブームの「イングリッシュガーデン」の本を見ると、アーチに絡ませたり、塀に絡ませたりと、美しさの裏には、なみなみならぬ努力が・・・。努力という言葉の不似合いな私はこれを見て、ため息、吐息。あわれ私のツルバラは、地を這うよりしかたなく、ニョロニョロと、地面をはっています。ガーデニングは、ドロナワ式でなく、計画的にきちんとしなければいけないんですね。 とりあえず、おおいばりしているアロエに絡ませたんだけど、この後どうしよう、と思案投げ首。いいアイデアがあれば教えてください。ええかげんで、出たとこ勝負の私ですが、台所の窓から見るピラカンサは、うっとりモノです。この家に引っ越してきた10数年前、ごみを少なくしようと、裏庭(といえる広さではない)に生ごみを埋めていました。なんきんの種なんかも埋めたら律儀にちゃんと芽を出し、花が咲いたりしました。ピラカンサを花瓶に活けた後、土にかえそうと埋めたところ、偶然、芽が出て・・・。10年後のただ今、2階のベランダに届くほど大きくなってくれました。初夏には、真っ白な花が咲き、秋冬には、真赤な実がなり、おまけに、一年中みずみずしい、緑の葉が目を楽しめます。鳥もピラカンサの恩恵を受けています。真っ赤な実を求めてか、近くに大きな木がないせいか鳥がたくさん集まります。中には巣を作って卵を抱いている鳥(どうやら、キジバトみたい)までいて、賑やかです。私は、台所のテーブルに座りながらバードウォッチングできるという偶然のもたらした贅沢を楽しんでいます。そして先日読んだガーデニングの雑誌のフレーズを思い出します。◎庭作りは急いじゃいけない。 植物は、自分が成長したいように育っていくのだから。◆追伸:「ローズ・デ・ロミー」の発音は、鼻にかけてフランス語風にね。◆おしゃれ手紙◆・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2011年9月15日*サルビア歳時記:9月の三箇条*・・・・・・・・・・・・・・
2011.09.15
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■ふらんすへ行きたしと思えど ■とつぶやいたのが7月の末。8月のはじめ、イギリスに住む次女のレイから電話で、「いつ来るの?」行きたいけど行けないと思っていたのが、「行く」に決まった瞬間だった。8月4日、5日とたて続けに旅行会社にいって、大まかに決めてきたのがドイツとパリ。期間は、9月7日~15日の7泊9日。本当は10泊はしたいところだけれど、これ以上は、会社に無理言えない。昨年も9月7日に出発しているが、これにはわけがある。*真夏だと、ホテルにクーラーがついていない所があるらしいので、心配。*月末、月初めを避ける。となると9月の初旬ということになる。今回は、一人旅なので、飛行機の中が退屈だろうな。しかも、眠っている間とか、トイレに行く間、貴重品が心配。2007年■中国■2009年■ハワイ■2010年■ヨーロッパ(イギリス・パリ)と旅行中もエコを心がけてきたが、今回も環境のため、ホテルではシーツの交換を断ろう。■水不足■人口の急増、産業の著しい発展によって水不足が増大しており、現在、アジア、アフリカなど31ヶ国で水の絶対的な不足に悩んでいます。 また、水不足が深刻な食料不足をもたらしている地域も拡がっています。*水が原因で、年間500~1,000万人が死亡 。*12億人が安全な飲料水の確保ができない。*30億人が十分な衛生設備を利用できない 。*2025年には48ヶ国で水が不足する見込み。 ・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2011年9月6日*父の麦わら帽子:待つが祭 *・・・・・・・・・・・・・・
2011.09.06
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■ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2■♪音が出ます!これが最後。慣れ親しんだホグワーツを飛び出し、ヴォルデモートと死喰い人たちの追撃から逃れつつ、3つ目の分霊箱を破壊したハリー、ロン、ハーマイオニー。そんな彼らを助けて命を落としたドビーへ報いるべく、3人は4つ目の分霊箱が隠された地下銀行・グリンゴッツに潜入する。だが、難攻不落の銀行を守るゴブリンたちに見つかり、ハリーたちは地下奥深くへ追い詰められていく――。遂に完結! 『ハリー・ポッター』シリーズ最終章の後編。 今回が最終回の「ハリー・ポッター」を見るのは、始めて。なんと10年で8作品もあるのだそうだ。シリーズ作品ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2 [3D] (2011)ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1 (2010)ハリー・ポッターと謎のプリンス (2009)ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団 (2007)ハリー・ポッターと炎のゴブレット (2005)ハリー・ポッターとアズカバンの囚人 (2004)ハリー・ポッターと秘密の部屋 (2002)ハリー・ポッターと賢者の石 (2001) 日本でも人気だけれど、アメリカでも人気だったのだろう。「プラダを着た悪魔」で怖い女編集長が自分の娘が望む「ハリー・ポッター」の小説を新人の女性に、持ってくるように言っていた。しかも、まだ発売前のものを。ファンは、次々と読みたくなるのだろう。私にとっては、最初で最後の「ハリー・ポッター」だったが、終わってから若い女の子たちが「泣きそうになったわ」と話しあっていた。10年間の思い入れがあったのだろう。そこまで思い入れのない私は、箒で空を飛ぶ魔法が使えたら通勤に便利だろうなと本気で羨ましかった。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2011年9月5日*泣かにゃ笛吹く隣の子/「純情きらり」と私の昭和:団塊の世代*・・・・・・・・・・・・・・
2011.09.05
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あきゃあ(秋は)、香り盛れ昔の人ぁ、うめぇことをゆうたもんだすで。あきゃぁ(秋は)、庄原でとれる香りのぃのするもんをた~んと(いっぱい)食うてくれんさいよ。秋の「香り」と言えば、松茸。最近は、不作が続いとるんじゃがの、昔は、びくいっぱいに松茸が取れよったんじゃと。ほかにも、庄原の秋の山にはいろんなナバ(きのこ)がえっとあるんじゃ。「香り松茸、味しめじ」と言われとるおおはぎ(ホンシメジ)や、くろっこ(クロカワ)、コウタケ、ねずみで(ホウキダケ)、ヒラタケ、ナメコ、いっぽんはぎ(ウラベニホテイシメジ)、マイタケ、あかなば(サクラシメジ)・・・。中には毒のあるもんがあるけぇ、注意が必要じゃ!くろっこ生で食べると中毒をおこすけぇ気ぃつけんさいよ。昔の人は、どがんにぃして毒のあるものを見分けたんじゃろか。ナバは、和え物やお吸い物にしてもおいしいんじゃが、やっぱり七輪で焼いて食べるんが、一番うまい!庄原の秋には欠かせん味覚じゃ。■里山の旬だより■ 広島県の庄原という所に行った時、「道の駅」で偶然見つけた、「しょうばら里山の旬だより」という小冊子に紹介されていた。伝統の食事や諺の数々・・・。はらぁあ(春は)にが味ぃ盛れ。なつぁあ(夏は)、酸味盛れ。父が5~6歳の頃の90年以上前の話では、ドンゴロスという麻袋いっぱい、松茸がとれたという。背中にかけた麻袋は、小さな子どもには、大きすぎて、引きずりながら帰ったという。その際、松茸が地面にふれて、傷み、香りが、あたりいっぱいに漂ったとのことだ。私の子どもの頃も、秋になると時々、父が山から松茸を採って来てくれた。七輪で焼いて、裂いて食べる。松茸を食べなくなって久しいが、今も思いだすあの頃の食卓。松茸は、私にとって、懐かしい思い出の味だ。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2011年9月3日*「純情きらり」と私の昭和:水差し/地名:白骨(しらほね)*・・・・・・・・・・・・・・
2011.09.03
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東日本大震災で、岩手県釜石市の市立鵜住居地区防災センターは、避難所に指定されていたにもかかわらず、逃げ込んだ避難者ら50人以上が死亡した。市は避難訓練で「津波が来たら逃げ込んで」と呼び掛けていたとされ、住民は安全な場所と信頼していた。センターは昨年オープン。地震の8日前にも避難訓練を実施していた。祖父を失った柿野佳佑さん(18)は「皆『大丈夫』と思っていた。今思えば、低地にあったのに」と話す。 震災当日、センター側は高齢者を誘導。「消防署の隊員もここに残った。ここが危ないとの説明はなかった」 死者数十名を出した場所は避難センターだった。この防災センター、なんのために作ったかと言いたい。私は、公共事業としてハコモノを作ったのではないかと推測している。岩手県釜石市の市長、市会議員、行政は、猛反省するべきだろう。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2011年9月1日*まいまいこんこん*・・・・・・・・・・・・・・
2011.09.01
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