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"You are having nasty cough, Mummy."ひどい咳をしてる。という意味です。nasty bruise:ひどいたんこぶ(打ち身、あざ)nasty cut:ひどい切り傷とか、身体的に使うことが多い気がしますね、この単語。日本にいるときは、「いじわる」という意味かと思っていたのですが、あんまりそのような意味では用いませんね。似たような単語で「いたずらな」というnaughtyがあります。もちろん子供に用いた場合は、それで正しいです。でも、頻度は低いでしょう。cheekyと言う気がしますね、その場合。この単語は、大人に用いると、場合によっては「エッチな」という意味になりますので、注意して下さいね。
2005年11月30日
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いや、風邪はまだ治ってないと思う。どんどん悪化しているとも言える。でも、とりあえず、出社した。お風呂上りに、「何か食べようか~」ってことになり、ぱなっちは残したお弁当のサンドウィッチでいいよね。私は、久しぶりにアンチョビのパスタにしよう、簡単だから。唐辛子とにんにくとアンチョビと胡椒。これだけ。かーんたん。友達から貰った乾燥唐辛子。中国のもの?色々な大きさがあって、辛みにも差が。今日は風邪っぴきだから、一応ちぃさい唐辛子にしておきましょう。ワインも開けて、ちょこっとね。いただきま~す!あれ、このパスタ、辛い!ものすごく辛い!どうやら、普段当たらない、辛い唐辛子に当たったらしい。(私は辛いものが大好きなのね)上等な辛さでございました。おまけにワインなんて飲んじゃってるし。咳が止まらなくなった。クリスマス気分を盛り上げようと、蝋燭なんて点けているのもいけないのかも。蝋燭を点けている部屋は天井に煤が溜まるもんね。窓ガラスもテレビも真っ黒になる。慌ててぱなっちに蝋燭を消してもらった。喉が貼り付くように苦しくて苦しくて、また眠れなかった。喘息って、こんな感じなのかな?
2005年11月29日
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喉が苦しくて眠れなかった。それなのに、いくつか夢を見た。ネギ夫さんの前で大きなおならをした。隠し切れない。どこかに遊びに行っていた子供達が帰ってきた。「ぱなちゃん、具合悪いよ。」と言う。ぱなっちが全身砂まみれで倒れている。南の島にあるような白い砂まみれだ。顔の砂を払ってみる。揺すってみる。目覚めない。息もしていない。抱えて医者へと走り出した。リゾート・ホテルなんだろうか。プール・サイドを抜け、必死に走った。「お母さん、××を取ってきて。僕が病院へ連れて行くから。」と、見知らぬ男の人がぱなっちを抱いて走って行ってしまった。何を取りに行けと言われたのかわからなかった。でも、部屋に戻って取ってこなくてはいけない。日本語だったから、ここは日本?健康保険証だろうか?それよりも、病院がどこにあるのかさえ知らない。ものすごく汗をかいて目覚めた。会社を休むことに決めた。ぱなっちも咳をしてるので、学校お休みさせよう。今日は二人でまったり過ごそう。ぱなっちは元気だったけど、私は1日寝ていた。「まったく、どれだけ寝たら気が済むの?」ぱなっちが呆れ顔で言った。そうだね、少しは食べよう。うどんを作った。ぱなっちには素うどん。(何か入れるといやがる)私は、卵とじうどん。「スーパーおいしい!ありがとう、マミー!」と言って、箸で上手に食べた。こんなもので、ごめんよ。もっと何かお料理しないとね。おつゆもみんな飲み干した。あ、あれ?全部飲んじゃったの?そう言えば、イギリス人に麺類を作ると、いつもこれに驚かされるんだよね。彼らにとっては、スープ麺なんだよね。
2005年11月28日
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ダディはドイツに就職することになりました。ま、私達の生活は今までと変わりませんな。もっと早くに親元を離れて独立するべきだったのです、奴は。いつまでも手元において置きたがったのは、奴の母親。当然と言えば当然ですが、孫よりも息子がかわいい。ぱなっちが住む家に困っても、息子を取り戻した人です。この1年、奴のマミーの身にいろいろと大変なことが起こってしまい、とても気の毒に思う反面、ざまーみろと思ってしまうのも事実です。悪行は結局自分のところへ帰って来ます。私も、自分の行いには注意せねば。自分の幸せを追求するのも大切ですが、みんなの幸せも考えるべきでしょう。さて、そんなわけで、ダディはお別れを言いに来ました。本来は先週の木曜日の予定だったのですが、何故か私からの「お風呂に先に入っているね。」というTEXTは奴に届いたものの、奴からの「出たら電話して。」というTEXTが届かず、お互いに誤解が生じてしまいました。私のVxdafxn、ときどきこういうことが起こります。大切なTEXTに限って届かないということが起こるのです。以前、ネギ夫さんからのTEXTも1日遅れました。今回はそれ以上に酷く、木曜以降のTEXTが届いたのが、土曜日の昼!全部まとめて受信されました。いや、おかしいな。金曜日にジャンクTEXTは届いていたな。あれ??そういうわけで、奴からのTEXT届かず。でも、本当に来たければ、電話して来ればいいんだよねぇ。そういうわけで、「やっぱり私達は重要ではないのね。」でも、ぱなっちが「ダディ来るよ。だって、プレゼント渡さなくっちゃ。Playを押すとぱなが『ダディ!起きて!!』って言うの。でも、何が入ってるかは言っちゃだめよ。」と、とっても楽しみにしていたので、「特別なプレゼントがあったのに。。。。(T_T)」と、嫌味なTEXTを入れておいた。そしたら、今夜来た。ウィーンからの帰り道(何故ウィーンかは聞かないでおこう。奴の彼女は大変お金持ちの家のお嬢様で各国に家がある。)、奴の父に空港から拾ってもらって(奴はもう資産がないのね、この国に。)。ぱなっちは奴がドイツに行くのを知ってか知らぬか、普通どおりにお絵かきを持ってきて、「これね、塗るの。手伝って。」と、普通に対応。「ほら、プレゼント渡さないと。」「はい。(渡す)---- それでね、ここの色ね。」あんなに楽しみにしていたのに、そんな渡し方かい。ダ「クリスマス・プレゼント?」マ「違うよ。開けて。」ダ「クリスマス・プレゼントに見えるけど、いいの?」マ「開けて。」(悪いねぇ、包み紙がそれしかなかったんだよ。)ぱなっちの写真の入った目覚まし時計。ダ「ありがとう。」マ「箱も開けて。」ダ「まだ、開けるの?!」マ「いいから、開けて。もう録音してあるから、RECは押しちゃだめよ。PLAYを押してね。」ぱなの音声「ダディ!起きてー!!」ダ「??何て言ってるの?」ぱ「ダディ!起きてー!!」ダ「日本語?」マ「Wake up, Daddy!!」ダ「!ありがとう。すごくいいプレゼントだね。ありがとう。」少し感動していた。その後もぱなっちは塗り絵のことを話し続け、奴は、これからインターネットでテレビ電話できるようにセット・アップしようねとかなんとか言っていた。ま、ぱなっちの応対が正しいな。だって、私達の生活はダディがこの国にいようがいまいが、ぜーんぜん関係ないんだもん。月に2回とか決まった間隔で会ってたわけじゃぁ、ぜんぜんないもんね。頻度的にも、月に一回が良い方だったんじゃないの?生活は変わりません。ところで、養育費、どうしてくれるのさ?!7月からずーっと貰ってませんけど?!CSA(養育費をとりたててくれる機関)は、英国内だけが対象なんだよ。養育費を支払う方、養育費を貰う方、どちらか一方が国外に出た場合、ケース終了としちゃうんだよ。だから、私はこの国に居座ったのよ。奴から養育費を取り立てる為に。養育費逃れとしか思えん!!
2005年11月27日
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Londonって、空気悪いからさ、鼻の中が真っ黒になる。帰りの電車の中からなんか喉の調子が悪くなってきた。しゃべりすぎたかな?とか思っていたけど、そうじゃなかったらしい。夜中にのどがイガイガして眠れなくなった。動悸もしてきた。うがいして、救心飲んだ。少し眠れた。喉が痛い。風邪ひいたらしい。
2005年11月25日
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ぱなっちのパスポートは子供用で5年しか有効でないので、もう更新だって!まぁ、あの乳児の写真のパスポートは、誰が見たって本人確認が不可能だろうと思うので、1年毎に更新と言われてもしかたなかろう。5年も有効でありがたいほどだ。そんなわけで、申請だけは本人でなくてもOKなので、一人でLondonにある総領事館に出向いた。ただし、既に5歳以上なので、『本人』が『サイン』した申請書を持って。この日のために小さい枠内に名前を書く練習をしたんだもんね、ぱなっち。上手に書けたよ。毎回のことなのだが、国籍事項の説明が面倒なんだよね。善良なる日本人である大使館員には、「父親が英国籍なのに、娘であるぱなっちが何故英国籍を持っていないのだ?!」ということが、かなりの疑問なのよね。イギリスの国籍法は、結婚していないカップルから生まれた子供は、自動的に母親の国籍だけを引き継ぐことになってるのよ。あなたも知ってるでしょ?それで、こうして、ぱなっちのイギリスでの出生証明書も持って来ているの。普通は日本人でない方の親のパスポートを提出すればすむことでしょうけど、そんなものを貸してくれるはずないでしょ、奴が。この出生証明書がないと、ぱなっちの名前はヘボン式ローマ字で書き込まれてしまって、とんでもないパスポート名になってしまうの。いろいろ余計な申請書や証明書が必要で、めんどうなのよねぇ、ホント。それでも、まぁ、滞りなく手続きが済み、今日のメイン・イヴェント。いつも思いつきで行動している私が、突然「明日、会ってください!」とお願いしたのに、快く都合をつけてくれました。以前からお会いしたかったNinaCatさんと飲茶を楽しみました。いやー、これ以上食えないってところまで食べたわ。お話も楽しかった。みんな、幸せに向かって歩いているんだよね。うん。再確認。
2005年11月24日
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そんなわけで、深夜映画を2時半まで見ていたので、今朝寝坊した。こんなこともあろうかと、夕べお弁当を作っておいて正解だったわ。昨日も今日も車は凍っていなかったので、びゅーとすぐに発進できたのだけれど、道が大渋滞。まったく、この町の道路行政はなっとらん!10年かかってもいいから、駅周辺をなんとかしてくれ。
2005年11月23日
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以前にVIDEOを借りてきて見た事があるのだけれど、理解を深めるために、がんばって見た。夜中過ぎ開始だったのだけれど、がんばって見た。英語字幕で見たのだけれど、やはり分からない部分は分からなかったわ。お誕生会でいやな子供が「養女だ!」って言っていたのは、「父親でなんかないだろ。ルーシーが『養女だ』って言ってたもん!」と言っていたのですね。そこに現れたルーシーは、何がショックで飛び出してしまったのでしょうか?法廷でも「生物学上の『父』かどうかでなくて、あなたは本当に父親の能力があると思いますか?」と相手側弁護士に詰問されていたし。本当にサムの娘のようです。いや、でも7歳の知能の人間はそちらの方も7歳のはずで、そういうことはできないと聞いたことがあるのですが。ちょっとこの辺が理解不能なのですが、ま、とにかく泣けるお話です。
2005年11月22日
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あぁ、この話題、もう何度目だろう。寒いです。『地球温暖化』はどこへ行ってしまったの?毎朝、毎朝、こう車が凍っていては、出勤に時間がかかってしかたありません。どうにかしてください。(↑私が、もう少し早く起きれば済む話ですね^^;)だいたい、お湯をかけたその瞬間にそのお湯が凍ってるって、どういう冷たさなのよ、車。ウィンドウ・クリーナーの出口が凍り付いているせいで、ウィンドウ・クリーナーが吹き出せなくて、ワイパーだけがガリガリガリって氷を削っているって、どういうことよ。会社が近いから、会社についてもボンネットの氷が解けてないって、どういうことなのよ。月曜日のオフィスは寒くて寒くて、お昼までマフラーとジャケットは必須です。でも、たぶん、日本の方が確実に寒いな。日本の冬は寒かった。みなさん、かぜなど召しませぬよう。
2005年11月21日
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うー、寒い、寒いよー!今日は起きたら、一面真っ白。雪ではありません。霜と氷。こういうものも樹氷というのでしょうか。道路も車もフィールドも木も、なにもかも真っ白に、かちんこちんに凍っています。その上霧まで発生して、これでは散歩に出掛けて遭難しかねません。これがお昼過ぎまでこの調子で。私は、頭痛がどっくんどっくんと酷くて、使い物になりませんでした。少し起き上がっては、頭痛薬と吐き気止めを飲んでまたごろんとなる1日でした。イギリス人の1日の限界服用量を1錠残して、頭痛薬を服用しつづけました。日本人用量の倍の量です。大丈夫です。人間はこのくらいの薬では死なないようにできていますから。家の中はもちろん暖房ががんがん効いているので、ぱなっちは「外に出て遊びた~い。」と。「いいよ。一人で行って来てね。」「どんどんってノックしたら、ドア開けてね。」「マミー起きたくないから、ドア開けっ放しで行ってよ。」「はーい。」「ふふふんふん♪」ものの2分で、鼻歌交じりで帰ってきた。「寒かったでしょう。」「寒かった~~。」でしょ、だから無理だって言ったのに。それから家の中で、VIDEO見たり、お絵かきしたりして過ごしてました。ふだん、みんなのところへのコメントで、「汚れやほこりで人間は死なない」とか言っておきながら、やっぱりやるべきことができないとストレスが溜まっちゃうのよね。死にそうになりながら、洗濯機2回回した。よっぽど乾燥機を使おうかと思ったけれど、「いや、部屋の中は湿っていた方が風邪にはいいのだ。」とかなんとか、やっとの思いで洗濯物を干した。「あー、掃除機かけなきゃ。」「日曜日くらいご飯炊かなきゃ。」とか、ずるずる起きるものの、結局頭痛薬を口にして、またベッドに戻るという1日だった。ぱなっちは文句言わずに、おせんべいとさきいかを出してきて食べていた。夕方、なんとか起き上がって、納豆ご飯を食べた。(←両方とも冷凍してあったもの。)お味噌汁も作った。もちろん日本茶も煎れた。具合の悪いときは、日本食ですよ、日本食。お味噌汁は本当に効きます。生き延びたわ。
2005年11月20日
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夕べは我が町のクリスマス・イルミネーション点灯式。でも、ぱなっちは咳をしていて学校をお休みしたので、チャイルド・マインダーさんのところから大人しく家へ帰った。寒かったし。夜、まったりしていたら、ブライアンとリオンがやってきた。「寒かったからさぁ、サッカーの練習行かないで、こっちに来たんだよ。」って、おいおい。ま、いいけど。さっそくリオンはいろいろおもちゃを壊して帰ったぞ。ま、いいけど。今日は、バレエの練習をお休みして、二人でごろごろしていた。でも、食料を買わねばならないので、スラーまで出掛けた。なんでしょね、この街の雰囲気というのは。まず、車の運転が荒いんだよねぇ。めちゃくちゃな運転するし。道路標識読めないのかよ!って。読めないんだろうな。でね、私の車は軽ではないけれど、小型車なので、この町の人々に人気があるのよね。それで、よく同じクラスの車を見かけるんだけれど、もう、そこに乗っている人々の数が半端じゃない。どうやったらそんなに乗れるの?トランクの中にも乗っていたの?ってくらい、人がぞろぞろ出て来るのよ、この小型車から。でね、お父さんはいつも不機嫌なんだな。笑わない。ま、お母さんが笑っているところも見た事ないけど。店員さんだって笑わないぞ、めったなことには。万引きの現行犯を取り押さえているところにでくわしたこともあるな。ASDAで。車に8人くらい乗っているんだから、大家族なんだよね。商品を根こそぎ買っていくの。セール品は棚がガラガラ。まず買えない。平気で欠品させておく店にも問題はあるんだけれど。野菜だって、牛乳だって、夕方行ったらもうないんだから。今はもうやってくれない、私が大好きだったコメディ・シリーズ『Goodness Gracious Me』っていうのを見てもらえると、一番わかりやすいと思うのだけれど。これは、アジア人(インド・パキスタン系の人々)を笑い飛ばしているもの。出演者達に理由も知らされずに突然打ち切りになってしまった、大爆笑コメディ。たぶん、かなり苦情が殺到したんだと思うよ。アメリカにおけるギリシア人のような行動様式を取る人々なんだよね、アジア人って。ま、とにかくそういう人々がいっぱいいる町なのです。
2005年11月19日
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私は、こう言っちゃなんだが、日本にいるときには、とてもきれいな英語を話していた。地元の英語学校へ行けば、「こんなところで、こんなにきれいな英語をしゃべる人に会うとは思っていなかった。」と、講師に言われ、ここではレベルが合わないと、お断りされる。英検の面接官からは、「完璧なアクセント!」と驚かれる。それが、今ではすっかりカタカナ英語の発音でベタなジャパニーズ・イングリッシュを喋っている。なぜ?それは、こっぱずかしいんですね。今勤めている会社は英国人がマイノリティ。外人たちみんなが、好き勝手なアクセントで英語を喋っているので、発音を気にしながら英語をしゃべるのが、恥ずかしい。なんか、めんどう。だって、どう発音したって、それらしき音を出していれば、通じるんですよ。出せない母音に気を使って話すより、適当な音をくっつけて話したほうが早い。以前は、アメリカやイギリスに長くすんでいる日本人が(生まれ育った人は別として)、どうしていつまでも日本語英語を話しているのか、すごく不思議だった。あの、ヨーコ・オノですら、立派な日本語英語を話している。今ではわかる、その理由。日本語の発音を忘れたくないんだな。きっと。日本語から抜けられないんじゃなくて、日本語を忘れたくないんだよね。
2005年11月18日
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「ねぇ、ダディ、ダディのダッキーちょうだい。」「えー、ダッキーって、Under-water-ducky?だめだよ。」「ぱなのダッキーみんな持って行っていいから。そうしたら、ダッキーいなくても淋しくないでしょ。」「だめだよ。だって、あれ、ダディのだもん。」Under-water-duckyというのは、お風呂のあひるちゃんのこと。このあひるちゃんが水中めがねとスノーケルをしている。それで、『水中あひるちゃん』。お風呂おもちゃはいくつも買ってあげているし、あひるちゃんも4つも持っている。でも、ぱなっちはこのダディのあひるちゃんが欲しい。それは、ダディがくれないから。私は、自分のものは全部「ぱなっちのもの」という気持ちでいる。ぬいぐるみなどは、もうすでにぱなっちのものだ。日本にある本だって、日本語が読めるようになって、みんな読んでくれるといいなと思っている。女の子なので、いずれは私の服も着てくれるかなと、期待している。ところが、ダディは違うのね。男の人がみんなそうなのか、奴だけがそうなのか。奴が『最後の家族旅行』でユーロ・ディズニーランドで買ってもらったと言う"ミッキー・マウスのグラブ"、かわいかったのでぱなっちの部屋に飾っておいたら、激怒した。「俺のだ。ぱなっちのものじゃない。これがどういうものか知っているのか云々。」と。知ってるよ。その後両親は離婚しちゃったんでしょ。最後の家族旅行の思い出なんでしょ。でも、イギリス人、野球なんてしないじゃん。一度も使ったことなんてないんでしょ。ぱなっちの部屋に飾るくらい、いいじゃない。言わなかったけど。その後、家を出るときに、奴はグラブやあひるちゃんはもちろんのこと、『機関車トーマス』のVIDEOも本も、『プーさん』の本も、ビー玉も、自分のおもちゃはなにもかもみーんな持って行った。ぱなっちが奴から譲り受けたおもちゃは何もない。そんなに大切なの?それともぱなっちは、自分の家族じゃないから?Under-water-ducky、私が最初にあげた、奴への誕生日プレゼントなんだよね。
2005年11月17日
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ぱなっちは明るいだけでなくて、正直者。なんでも正直に打ち明けてくれる。「子供の嘘は普通。」と、こちらの子育て読本に書いてある。以前一緒に暮らしていたブライアンも、「子供の嘘は正しい成長過程の一環」だから、「いちいちそんなことで俺の子供を叱るな」と私を非難していた。「親のおしおきが厳しければ厳しいほど、子供が何か悪いことをしたときにつく嘘の度合いは増す。」と、書いてある。私は、子供の夢想と嘘はまったく別のものだと思う。子供は半分くらいは夢の中で暮らしているので、ときどき現実との区別がつかなくなって、とんちんかんなことを言い出す。これはぜんぜん問題とは思わない。でも、『嘘』というのは、明らかに自分の非を隠すために言っていることなので、私は許さない。正直に言えば私は怒らない。ただし、少しは叱るかも。ものを大切に扱わなくて壊したり、なくしたりしたとき。私は、叱り方が厳しすぎるのだろうか?私が激怒するで、リオンはいつも嘘をついていたのだろうか?ところが、ぱなっちは、なんでも正直なんだよなぁ。「マミー、○○がみつからないの。」「マミー、あのね、これね、壊れちゃった。すこーしね。」いや、私は、怒らない。「××の中は探してみた?」「じゃ、のりではりつけてみようか?」嘘をつくのが普通の子供なのなら、怒られるだろうということを自ら言いに来るぱなっちはやっぱり宇宙人なのだろうか?正直なぱなっち、トイレに行く前に必ず私を探し、「あのね、ぱなね、トイレ行っちゃうからね。」(何故か、トイレは『行っちゃう』ものらしい)と、言ってから、ぴゅーっと走っていく。そんなこと言わなくてもいいから、間に合わなくなる前に行ってよ。と思う。私が朝寝をしていても、ドアを開け、顔を覗かせ「ぱなね、トイレ行っちゃうから。」と囁いてから、トイレへ。学校でトイレに行くのには、先生の許可が必要なの?
2005年11月16日
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日記に度々登場する隣の市、スラー。"ラー"は思いっきり気を抜いて発音してくださいね。ここは、かなり都会。ビジネスもたくさんあり、チョコレート工場(最近みんなの憧れでしょう、チョコレート工場ですよ!)まである。大きなバス・ターミナルもあるし、ショッピングもどちらかと言えば充実していると思う。ちょっと郊外に出れば、それはそれは美しい家並み、美しい村々が囲っている。でも、ここスラーにいる人々は、どういうわけか、『不幸せ』。もう、どう説明していいのかなぁ、このスラーの雰囲気。みんなが不機嫌で不幸せ。こう感じるのは私だけ?では、なかったようで、BBCで『スラーを幸せにしよう!』との番組が始まってしまった。やはりイングランドでのスラーのイメージはみんな一緒だったようだ。50人のスラー人を募集して、その人々に「幸せになるためのマニフェスト」なるものを日々実行してもらい、幸せになってもらおうじゃないか。という企画。でも、それでスラー全体を幸せにできるのか?ボランティア50人の中の一人が働くオフィスを訪れて、そこの社員の皆様にもこのマニフェストを実行してもらおう!撃沈。社長さん(?)に相手にされなかった。鼻で笑われて、「後日出直し」て来いと。お昼時間にランチを買いに出たビジネス・マン達にもこのマニフェストを訴えてみる。撃沈。読んでももらえない。簡単なこと10ヶ条なんだけどね。笑う。パートナーと話をする。友達に電話をする。とかなんとか。番組冒頭、街行く人々に聞いてみた。「スラーを幸せにしたいんですけれど、スラーは幸せになれると思いますか?」「無理。」「1~2週間ならね。でも長くは続かないわ。」「ありえない!」「そう思うのは、どうして?」「だって、この街を見てみろよ!!」もう、どう説明したらいいのかなぁ、このスラーの雰囲気。。。あ、プリンセス・サーヤがミセス・クロダになったんですね。おめでとうございます。
2005年11月15日
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「ぱなっち、お風呂入ろうか。」「まだ。なんか食べたい。」「何?」「I want to eat something like... like いか!」烏賊ですか?「ぱな、持って来るね。マミーは せんべい 持ってきて!」さきいか と おせんべい の大好きなぱなっちです。日本茶でも煎れようっと。
2005年11月14日
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昨日はあれから、厩舎へ行った。落ち込んでいるのを知ってか知らずか、ぱなっちが「馬に会いにいこうよ~。」としきりに言うので、じゃ、そうするかと行ってみた。突然訪れたにもかかわらず、ゲートを開けて入れてくれた。もう日暮れで、お馬さんたちは自室に戻りご飯を食べているところだった。厩舎の人々はみんな暖かく迎えてくれて、忙しいだろうにお茶を煎れてくれた。人気者のぱなっちなので、みんなも「ひさしぶり~~。会いたかったよ~。」と、とても嬉しそう。明るい娘を持っていて良かったなぁ。ぱなっちは自転車にきこきこ乗ったり、そこの子供とお絵かきしたり、楽しく小一時間ほど過ごした。冬の日暮れは早い。とっぷり暮れてしまった。買い物行かなくちゃね。(真っ暗な小道を運転するのは怖いのよ。)「いつでもwelcomeだからね。またすぐにおいで。」と言われ、後ろ髪を引かれつつ、牧場を後にした。うん、今度は昼間に来ようね。今日はプールへ。競泳用プールで泳いだり(沈んだり?)、子供プールではしゃいだり。何度も何度も、「マミー!」と呼んで手を振ってくれた。すぐ側にいるのに。明るい娘を持っていて良かったなぁ。
2005年11月13日
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私は、すでに人生の半分を生きてしまった。が、レーザー視力矯正をしてみようかなと、思い立った。Talkieさんも憧れるレーシック。何故か?それは、老眼が始まりそうだから。(T_T)眼鏡は安く買える。普通のものなら。私は自分よりも視力の弱い人にいまだかつて会ったことがない。度の強いレンズというものは、"眼鏡、二つで一つのお値段!"などというお買い得品には該当しない。それ+超薄型レンズの値段3万円なのだ。しかも、二つだとしたらx2。ばかばかしいので、おまけの一つはない方がいい。これが遠近両用などとなれば、もう死にたくなるほど高い。そして毎月のコンタクトレンズ代。3000円。これを考えたら、今施術してしまって、近い将来老眼鏡だけ買った方がどんなにか幸せ。近眼の人は老眼になるのが遅いのでは??という声をよく聴くのだが、それは、遠くが見えにくくて近くが見える人の話だ。眼鏡をはずせば老眼は緩和されるというだけ。私は眼鏡をはずしたら何も見えない。近距離は10センチですでに何も読めない。そんな人間はどっちみちその近距離を見るための眼鏡が必要なのだ。そこで、コンサルティングに行って来た。わざわざ隣の市まで、電車に乗って。結果。視力矯正不可それは、あたりまえのことだが、視力が悪すぎるから。それだけでなく、角膜が突起しているため(表面が球形でなく円錐形)、その角膜に当てる技術が確立されていないのだそうだ。そう言えば思い出した。日本にいるとき、コンタクトレンズを作るときに目医者さんに言われていた。円錐形なので、コンタクトレンズがのりにくい。押さえ部分の大きなものでないといけないと。それで、いつも私のコンタクトレンズはものすごく大きなサイズだった。検査を始める前から、目医者さんがかなり言葉を選んでいるのが感じられたのよね。「技術は日夜発展しているから、将来円錐角膜の人へのレーザー施術が確立されるかもしれない。その日が来たら、こちらから連絡しますから。」ま、当分は無理なんだろうね。そして、そのうち老眼も始まっちゃうんだろうな。人生も2/3生きちゃってたりして。施術しないで一生終わるんだろう。ひどいドライ・アイも抱えているので、たぶんだめだろうとは思っていたけれども、実際「出来ません。」と言われたときには、かなりショックだった。不治の病を宣告されたような。ちょっと、オーバーか(^^;)ぱなっちはダディに預けてきちゃって一人だったので、誰も話す人がいなくて、かなり落ち込んだ。買い物でもして気分を晴らそうかなと、あてもなく歩いてみたけれど、やっぱり直ぐに帰ることにして電車に乗った。駅に迎えに来た奴が、「どうだった?」「ダメだった。」「それは、good?それともbad?」「かなりbad。」「これからも、コンタクトレンズと眼鏡か。。。。」慰める言葉がみつからなかったらしい。間抜けな会話だった。ちなみに、私の目の悪さは-10.25。レーシックが対応できるのは-10までです。
2005年11月12日
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昨日の日記で書いたように、ぱなっちは日本語が良く聞き取れない。それは、当然のことながら、ぱなっちが英語耳だから。そして、日本語耳のマミーにはディズニー映画が難しいというのは、前にも書いた。最近ぱなっちが凝っているのが『シンデレラ』。『ビビディバビィディブー』は魔法使いのおばさんが歌うんですよ。この『シンデレラ』の中で、シンデレラがお掃除するときに歌う歌が、どうにもなんと言っているのかわからない。英語耳のぱなっちは当然、一緒に歌っています。「なんて言ってるの?」「♪xxx xxx xxxx♪」「えっっ?」「♪xxx xxx xxxx♪」「ええっっ??もう一回言って。」「すぷりんぐ すぷりんぐ ないちんげーる!」そうすか。想像もつきませんでした。日本語発音もできるぱなっちです。
2005年11月11日
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先日のJames Bluntの『You're Beautiful』ですが、やっぱりイギリス人も同じように思っていたようです。今朝のMagic、DJが「James Bluntが歌っているこのLadyはいったい誰のことなんですかねぇ。。。」って。私も気になるわ。
2005年11月10日
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会社の同僚からアイルランドの金管楽器を3つもらった。リコーダーのようなもの。一番小さいのがぱなのね。と、ぱなっちが勝手に決めた。どれを使ってもらってもいいのだけれど。日本で買ってきた童謡の本『うたおう、おうた!』。ボタンを押すと歌が流れる、カラオケにもなる。日本語の聞き取れないぱなっちが、てきとーにそれらしき日本語で歌う。かなり面白い。どこぞかの番組で、外人さんに日本の歌を聞かせて、それを即興で歌ってもらい、なんて曲か当てる。みたいな。いや、それより、ずっと上手い。この歌に、笛を合わせることを思いついたぱなっち。あんまりテンポの速い曲はできない。♪う~み~は、ひろ~い~な、おおき~な~♪がちょうどよいらしい。「マミー、聞いて!笛で一緒に歌うから!」♪ふーふーふ、ふふふーふ、ふふふーふーふー♪「すばらしいでしょ!歌えるでしょ!(I can sing with it!)」いや、笛は歌うとは言わないよ。笛は吹くんだよ。と、思ったが、変な英語を教えてしまいそうだったので、止めといた。
2005年11月10日
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メーベルさんが、夢に出てきた彼からメールをもらっている間に、私は変な夢を見ていた。そこに登場した私の恋人役は、会社の同僚。むむむむ。。。しかも設定としては、大学の時のサークルの合宿に出掛けているのだ。大学時代の彼はこのサークルの先輩なのだが、付き合いだしたのは、彼がこのサークルを脱退してからだ。サークル内での付き合いはなかった。それが、合宿に出掛けて、同じ部屋で寝泊りしているらしい。しかもその部屋にはL字型の湯船が付いている。この部屋に入ったとたん、その日本人の彼が、イギリス人同僚に変化していた。他の登場人物はサークルの人々のままなのに。その後は映倫にひっかるような展開となったので、以下省略。こんな変な夢を見ると、その人が気になって仕方がなくなる、、、ってことはなく、いつもとかわらぬ日常でした。なんだかもうドキドキするという神経が切れてしまっているみたい。つまんないの。
2005年11月09日
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ほめられた♪ま、1年生だからね。それほど厳しく指導ってことでもないか。「今何をしたらいいのかちゃんと理解できる。」「体育もがんばっている。」「目上の人に礼儀正しい。」「他の子に手助けしてあげる。」「片付けが上手。」などなど。毎日のように遅刻しているので、「生活態度を改めてください。」とでも言われるかと、びくびくしていたので、ほっとした。実は、イギリスの小学校は5歳になる年から始まる。その子が5歳になる年度もしくは学期(私達の住んでいるバークシャーはこちら)から幼稚園とは別の入学準備クラス(reception)に入る。そこで基本的な読み書きを習得することとなる。ぱなっちは日本で言う「早生まれ」summer babyなので、レセプションには4月から7月までしかいなかった。しかもレベルの劣る学校の。そこで渡されたのが、「レセプションで学ぶべき基本用語」。「これだけ覚えていないといけないんです。でも、ぱなちゃんはサマー・ベイビーなので、もちろん、ここまでやっていないことは分かっています。学校でも教えますが、チャイルド・マインダーさんかお母さんが時間のある時にこれを覚えさせてください。」はぁ。。。そして、「1年生で覚えるべき単語」。「12月からはスペリング(書き方)が始まります。ぱなちゃんはいくつか書けない文字があるので、それを正してください。」はい。。。うぐぐぐ。。。やっぱり厳しかった。「『あなたたちは、ラッキーなのよ、2000文字も覚えなくちゃいけない国だってあるんだから。』って、生徒達に言っているんですよ。」でも、そのアルファペット52文字の中にも正しく書けない文字があるってことね。日本語への道は遠いな。今夜から、ひらがなは忘れて、英語に集中させよう。
2005年11月08日
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朝歯医者に寄ってから会社へ。9:20の診察のはずが、順番を飛ばされて、1時間待たされた。治療費、ただにしてくれた。こういうところが大好きだ、イギリス。
2005年11月08日
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ばらの花って、、、咲いちゃうとかわいくない。つぼみが少し開いたころが一番きれいだな。ただ今、先週のピンクのばらがキッチンに、今週の白いばらが居間に。花の成長を遅らせる薬ってないものだろうか?切花についてくる「花のえさ」を入れると、元気でいるけれど、その分開花が早い気がする。そろそろクリスマス。ハイジに習ってろうそくを飾ってみた。ぱなっちは喜んでくれた。確か小さい小さい卓上クリスマスツリーがあるはずなんだけれど、、、、どこに仕舞ったかな?何かクリスマス気分の鉢植えでも買おうか。
2005年11月07日
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「ねぇ、VIDEOってどこで買えるの?」「VIDEO屋さん。」「それ、何?」「HMVとかVMSとかかな。TESCOでも買えるよ。」「ねぇ、図書館でなくて、VIDEO屋さんからVIDEO買って。図書館だといつか返しに行かなくちゃいけないでしょ?VIDEO買えば、ずっと家においておけるでしょ。何度も何度も100っぺんでも見られるでしょ。『ハイジ』すばらしい映画だから、買って。」と、『ハイジ』にいたく感動していたぱなっち、夜には『ターミネーター3』を見ていた。「マミー、こういう映画を見たかったのよ!」だって。先週奴の家で見た『STAR WARS』もすっごく気に入ったらしく、帰ってきてしばらくは『STAR WARS』の話ばかりしていた。どうして子供は、あーゆー戦闘ものが好きなのかね。
2005年11月06日
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『アルプスの少女ハイジ』でございます。日本のサイトが見つかりませんでした。未公開なんでしょうか?これ、日本のアニメが原作なのかと思っていました。(^^;)ちゃんと、こちらのお話だったのですね。こんなに有名な『ハイジ』なのに、私は実はそのアニメを見た事がありませんでした。でも、登場人物はすべて、「お、これがペーターだな。」とか、「クララ、確かにこんな感じ。」とか思ったので、どうやらアニメのキャラクターだけは知っていたらしいです。驚いたのは、私は、ハイジのことを「アルプス版おしん」と思い込んでいたこと。かってにハイジがいぢめられると思っていました。だって、映画の説明文には「かわいそうな("poor")」って書いてあったもので。ところが、お話としては、どちらかと言えば恵まれた環境に育つハイジでした。周りのみんなもとってもやさしいし。特にクララはとっても良いお嬢さんで、いじめ役と信じ込んでいた私はびっくりしてしまいました。ロッテンマイヤーさんとおばさん以外の人々はみんな好意的で、いい人達ばかりでしたね。前回日本で買ったぱなっちのお菓子に入っていたおもちゃ、ロッテンマイヤーさんが子猫におびえているフィギュア。このフィギュアの意味がやっとわかりましたとさ。最後にも一つびっくり。ロケ地はどこだと思いますか?ウェールズとスロヴェニアでした。スイスは高すぎて使えなかったんでしょうね。
2005年11月06日
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花火を打ち上げる日です。(省詳細)家の四方八方でドカンドカン上がっていました。かと言って、部屋の全方面に窓が付いているわけではないので、私の部屋、ぱなっちの部屋、居間と移動しつつ見ていました。そのうち眠っちゃった。花火を見ながら眠れるなんて、贅沢だね。ぱなっちは、花火なんて無関心で、テレビを見ていました。
2005年11月05日
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学校に制服を着ていかなくてもよい日。そして、このようなお達しが。We are encouraging children to wear their 'home' clothes in exchange for tombola contributions for the Christmas Fayre.????もう、まったく意味が分からない。まず、私の小さな英和・和英辞典には載っていない単語が2つ。"Tombola" と "Fayre"。でも、長年のイギリス暮らしで、どちらも知っている。「クリスマス・パーティで行うくじの賞品を提供してもらうかわりに、私服を着てくることを奨励します。」????どういうことぉ?(すいません、私の訳が間違っていたら、どなたかどうぞ訂正してください。)まったくわけが分からない。奴に夜中に電話して聞いてみた。(起こしてすまない。)「えぇ?!もう1回それ読んで。」"We are encouraging children to wear their 'home' clothes in exchange for tombola contributions for the Christmas Fayre."「????」「どうして、くじの賞品を提供することと私服を着て行くことが関係あるの?それに、何を持って行ったらいいの?」「それは、何を提供して欲しいのか、学校に聞いてみることだね。」「じゃぁ、明日はただ私服を着せていけばいいの?」「たぶんねぇ。。。。」むむむむ。。。私は最初この文章をまったく無視していた。でも、昨日ぱなっちを迎えに行ったら、チャイルド・マインダーさんが、「明日、何を持って行かせる?どうする?」と言うので、そんな但し書きがあることに気付いた。「私が子供の頃は、缶詰とかなにかそういうものを持って行ったのよ。でも、今はそんなもの有難くないでしょ。提供するものなんて何もないわよぉ。もう何かお菓子でも買って持たせるしかないわね。」むむむむむ。。。。で、「献上品は学校に聞いてからでいいか。」と手ぶらで出掛けようと思ったのだが、みんなが何か持って来ていて、ぱなっちひとりが年貢が納められないのもかわいそうと、そこにあったポテチ6パックを急遽袋に入れて学校へ。「とりあえず、マミーが先生に聞いてから、これ出すからね。」と、ポテチは持たせず、教室へ入れた。すると、ぱなっちがぴゅーっと戻ってきて、「マミー、その袋かして!」とポテチの入った袋を持って行き、先生に渡した。見ると、テーブルの上におもちゃやらお菓子やら、沢山乗っていた。私は、いまだにくじの賞品と私服の関係が分からない。
2005年11月04日
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おかしいな。忙しいぞ。男の子達は暇そうなのに。どうして、こうも次から次へと頼まれてしまうのだろう。一度突発的に修正してあげたりすると、「ありがとう~~~。You're the best!」などと、ものすごーく喜んでくれるけど、その瞬間にそのプロジェクトが私のものとなっているのは何故??前任者はどこに消えてしまったの?ま、暇よりいいけどさ。今日は調整に追われ、あちこちに連絡を取っているうちに1日終わってしまった。実りのない1日だったな。。。あ、半分終わったのもあったか。
2005年11月03日
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今日は、Aのさんが通っている公立専門学校の、『お勉強よくがんばりました』賞の表彰式。Aのさんはヴィクトリア&アルバート博物館のジュエリー部門でも賞を取った偉~い人なのだ。「二人まで同伴していい」ということなので、Y子ちゃんとのこのこ参加した。拍手をいっぱいしてあげようと。いや、表彰式の後のビュッフェが目当て。お酒がただで飲める!ぱなっちは、ダディが学校へ迎えに行って、ダディのママがお世話する。(ダディは夜仕事)次の朝ダディが学校まで送って行く。だから、私は朝を気にせず飲める!はずだった。なのに、いつものようにダメだしが入った。「ごめん、明日朝早くルートン空港へ行かなくちゃいけないので、学校へ送って行けない。今夜、ぱなっちをそっちへ送っていくから。」「ルートン空港で何するのよ?」「ドイツにちょっとビジネスで。」「何よ、面接でも受けに行くの?」「そんな感じ。」いつもこうしてLast Minuteで変更が入るから、もう驚かないよ。事業を始めると言って会社を辞めたかと思えば、彼女と暮らすからフランスへ行くと言った二月後には、会社に戻ると言ってみたり、今度はドイツで仕事かい。それも、わざわざ私のお楽しみに当てて。「仕事が終わったらぱなっちを送り届けるから、時間は気にせず楽しんでいいよ。」「家にかってに入って待っててちょうだい。」たっぷり飲んで、気持ちよく酔っ払って、夜中に帰ってやったわ。「明日朝5時発なんだよ。」「がんばってね。」はたして奴に眠る時間はあったのだろうか??
2005年11月02日
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前に書いたのだが、奴は私の料理に文句を言わない。それは、私が、天下無敵に料理が上手いのではなく、奴の食べれるものしか作らないから。もちろん奴の舌が肥えていないというのも大きな要因。イギリス人は美学として、「これ食べる?」と尋ねられると、"I'm OK."と答える。これは、「食べるよ。」の意味ではなくて、「いらない。」っていうことだ。"I'm OK. No thanks."の略。決して「はらぺこだよ~」などとは言わない。たとえ3日何も食べていなかったとしても。が、ときにこれが、「食べてもいいよ。」の意味もあるから、ややこしい民族だ。"I'm OK with it."の略。正しく訳すと、「それでもいいよ。」。これは非常にカチンとくるので、そんなときは、その食べ物を出してあげない。私はとても傷つきやすいのだ。日曜日、ずーっと前から「日曜の夜はトマトのパスタ作ってあげるね。」とぱなっちと約束していた。玉ねぎとトマトの簡単パスタなのだが、気持ちに余裕のあるときしか作れない。煮込むのにちょっと時間がかかるから(^^;)。プールに入っている間に奴から電話が入った。来たいのかなと思ったので、電話して「OKだよ。」と言ってあげた。(恩着せがましい?)さて、お夕飯どうしよう。奴に聞いてみると、案の定、「いらない。」と。ぴきっと来たのが伝わったのか、「ランチ沢山食べたから、あんまりおなか空いていないんだよ。少しだったら食べれるけど。」イギリス人は伝統的に"Sunday Lunch (Dinner)"というご馳走を日曜の4時くらいに食べる。き「別にいいのよ、どうせたいしたもの作らないから。」ぱ「今日はパスタだよ、パスタ。ね、ダディも食べるでしょ。」き「ぱなっち、トマトのパスタはダディは食べれないの。」ぱ「えー、どうしてぇ?」ダ「ただ、火を通したトマトは嫌いなんだよ。」奴にはオーブンに突っ込むだけのものにするからいいよ。ところが、料理を始めるとすぐに奴の双子の兄から電話が入った。「車が壊れたから助けに来てくれ。」AAやRAC(日本でいうとJAF)には加盟しておらんのか!「貧乏で、とってもそんなお金ないよ。」「行ってあげたら?」「ぱなっち連れて行ってもいい?」「いいよ。」と、ぱなっちを伴わせてあげた。ぱなっち、帰ってくるころにはもう寝ちゃってるかなぁ?.......お腹空いたなぁ。.......食べちゃおうかなぁ。.......食べちゃおう!もう、ぱなっちは車の中で眠ってしまっていると仮定して、トマト・ソースも唐辛子と胡椒をたっぷり入れ、私用に味付けしなおし、半分は明日のお弁当にすることにして、一人で食べることにした。そしたら、帰ってきた。ぱなっち、ピンピン。「このパスタでいい?」「おひげのパスタがいい。」小さいリボン・パスタのことだ。4分で茹るからいいとして、問題はソース。唐辛子を入れてしまった。お手製のトマト・ソースをちょこっとと、あとはトマト・ピューレを混ぜ、チーズをたっぷりのせて出した。子供の食べ物はいつもそれほど味付けしていないから、特においしいものではないのよね。「いただきまーす。」おっと、奴の食べ物を忘れた。でも、「いいよ。」と言うので、ほっといた。ぱなっちはもう眠いらしく、ほどんど食べないで「ごちそうさま。」ダ「ダディが、食べてもいい?」ぱ「いいよ。」き「あ、それ、おいしくないよ。」お腹空いていたんだろうな。ぱなっちのトマトパスタ食べようと思うなんて。でも、やっぱり食べれなかった。「何か他のもの食べる?チーズ・トーストは?」"I'm OK."そうか、と何も作らなかった。
2005年11月01日
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