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ブライアンが来てるので、ぱなっちの訪問どうすんのかなぁ、と思って「どうする、自分の家へ連れて帰る?」と奴にテキストを送った。そしたら、奴が私のデスクに来た。週の何日かは夜の仕事があるので、できたら、会いに来たいとのことだった。「ところでさぁ、なんか匂うわよ。(By the way, you smell...)」「そう?普通俺は臭いよ。(Do I? Generally I smell.)」「そうじゃなくて、飲んだ?(No! You smell drink!!)」「ビールか(Beer?)」 いいご身分ですこと。前にも書いたけど、この「俺、臭い?」っていうの、イギリス人の男は良く使います。実際臭いんです。なわけで、ダディはぱなっちに会いに来ました。が、ブライアンがいますから、ぱなっちだけと遊ぶわけには行きませんよ。ブライアンはダイニングを占領していて、ぱなっちと私はごはんが食べれない。ま、いいんだけど、私は夜食べなくても。でも、ぱなっちには餌を与えねば。熊の顔のソーセージとチーズとディップとにんじん。当然のごとくリオンも一緒に食べる。ぱなっちは気前がいいので、なんでも分け与えるので。「ヒヨコマメのディップ、僕もだーい好き。」とか言って、食べつくしてるけどさ、ブライアンがこのディップ買ってるの見たことないよ。好きだったの?そこで気付いた。この子、好きでもない食べ物毎日食べさせられてるんだな。どうりで残していることが多い。ブライアンは似非日本通健康志向気功士なのだ。日本食材を買ってくることが多いが、とんでもない料理の仕方をしている。どうせイギリス人のこと、味付けなんかしていないも同然だろう。あのまずそうな料理、子供向けとはとても思えない代物だし、やっぱりリオンはあの食事では不満足なのだろう。こんな手のかかっていない物で良かったら、食べなさい、食べなさい。にんじんもう1本剥こうか?それから二人は私の部屋で遊びだした。クリスマス・プレゼントに貰ったマジック・セット。リオンがインストラクションを読み、一生懸命やってみている。そこへ、ダディ来訪。ぱなっちに会う日くらい、残業しないようにしようよ。とりあえず、正気のアグネットに紹介。ブライアンは、、、会ったことあるから、いいね。見えてないみたいだし。部屋に入って、背後からハロー。リオンもぱなっちも恥ずかしそう。なんで、二人とも照れてるの?「どうして、君が子守してるんだぃ?」と、口の横っちょから聞く。「ブライアンがあの調子だから、リオンはブライアンを怖がって私たちと一緒にいたがるのよ。」と、口のすみっちょから答える。あー、君が日本語をしゃべってくれたら、普通に会話できるのに。ダディがマジックに参加。私が下でお茶を入れている間に練習して、リオンと二人で色々見せてくれた。いや、実際リオンよりも夢中になっていた。ぱなっちも「カップを通り抜ける黄色いポール」のマジックを見せてくれた。ぱちぱちぱちぱち。「これが、難しくて、どうもうまく行かないんだよ。」と紐とコインを使ったマジックの取り説をずーっと読んでいた。そのうちに飽きた二人が別のことを始めても、まだマジック本を読んでいた。「この、マジック・セット、あなたの年齢にぴったりだったってことね。」と、パッケージに書いてある「対象年齢6歳以上」というのを指しながら言ったら、「え?いや、もうちょっと俺は上だよ。」と、真顔で答えた。笑って欲しいところだったんですけど。8時半になったので、歯磨きをして、お休みの時間。リオンにはアグネットが本を読んであげる。ぱなっちには、ダディがPooh Bearの続きを。お休み。ダディもバイバイ。10時前くらいに、リオンが泣いて起きてきた。下で本を読んでいたアグネットがもう一度寝かしつけた。ブライアンがあんな調子では、リオンが情緒不安定になるのも仕方ないな。それでもダディといるのが幸せなのか?ブライアンはしばらく静養した方がいいんじゃない?
2005年01月31日
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ブライアンが金曜の夜中に帰ってきたので、日曜は恒例のお食事会。ブライアンの友達夫妻の息子二人とリオン、今回はぱなっちと仲良く遊んでいる。かくれんぼ。こんな狭い家で隠れて何が面白いのか分からないけれど、うきゃきゃきゃ大喜びしてる。リオンが習っているキーボードがある。簡単に弾けるように編集してある楽譜をブライアンが買った。それをちょろちょろっと弾いてみる。この楽譜は、イギリス人にはお馴染みの曲ばかりが収められているらしく、私にはお初の曲でも、ぱちぱちぱちと拍手を貰えた。その中で、やっぱりぜんぜん知らない曲をスティーヴが弾いて、息子のスコットに、「この曲、結婚式のときに、お前のママが歩いてきたときに、かかっていた曲なんだ。ママが、、、、」と、ここで言葉をど忘れ。"Your mum was walking down the...."すると、ぱなっち、"Hill!!"私は、大うけしたんだけど、スティーヴはにこりともせず、"No, the aisle."って。あの道、なんて言うの?新婦がお父さんと歩く赤絨毯の道。それのことだと思うんだけど。ぱなっちの、「丘を下った。」の方が適切よねぇ。結婚式っていう丘を下るって。その後の人生なんて、きっと下り坂なんだし。下るしかないんだし。(って、結婚したこともない私に言う資格なしか。)ぱなっち、ナイスぼけ!
2005年01月30日
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友達の家へ遊びに行った。道は簡単。A205からA218へ入ればいい。んが!A219までは番号が出ていたのに、その先が消えた。まったく、不親切極まりない、ロンドン。通り名も満足に書いてないしさ。渋滞の上に迷って、ひどい目にあったわ。ぱなっちはその間ずっと、お昼寝してた。友達はお寿司とおでんを用意してくれていた。あー、ありがたや。ここでもぱなっちは、お風呂をいただいて帰ってきた。また一つ制覇。帰りはとっても楽々。楽しい1日だったね、ぱなっち。
2005年01月29日
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を見ました。例によって、テレビで。ちょこちょこ用事を片付けながらだったので、真剣には見れなかったのですが。どんな映画も賛否両論だし、話題に登ることも多い映画だったので、私が言うまでもないことですが、面白いドキュメンタリーでした。想像していたほど悪い映画でもなかったな、というのが私の感想。映画のなかで言っていた「貧しい国民は、軍隊に入るのはいい選択。」というのは、ここイギリスでも同じなんですねぇ。進学するだけの財力のない子供は、とりあえず軍隊に入ってみる。兵役の中でいろいろ学べるシステムがあるのです。テレビ・コマーシャルでもさかんに「学びたければ、軍隊へ。」と"リクルート"しております。日本でもそうですよね。自衛隊航空大学を出て、民間機のパイロットになる人、けっこういますよね。(次元が違う?)私の知っているなかでも三人ほど、(経済的理由ではないとは思うけれど)一時期入隊していた人がいます。みなコンピューター技術者として、社会復帰しております。奴も「RAF(英国空軍)に入ろうかなぁ。」などと、間抜けなことをぬかしていたことがありました。彼の場合は爆撃機に乗りたいとの希望までつけて。奴の家は代々軍人なんですね。おじいさんが、第二次世界大戦で爆撃機に乗っていました。日本にも駐留していたことがあるそうです。(でも、日本には悪感情はないそうです。ほっ。)そんなおじいさんの思い出話、「毎日飛び立って、毎日誰かが帰ってこない。」「あの頃のこと、確かに楽しかったことも沢山あった。でも、決して懐かしくは思わない。("I've never missed those days.")」を聞き、戦争も始まり、さすがの奴も空軍入りは思いとどまったようです。アメリカのリクルートの仕方はもっとえげつなかったですね。貧しい子供達をターゲットとして積極的にリクルートしてましたもんね。ハロー・ワークでも、失業対策として、積極的に入隊を選択肢として挙げてましたからねぇ。結果として、そういった最底辺にいる若者達(多くは黒人でした)に国への忠誠心を誓わせ、誰も負いたがらない責任を負わせてしまっているんですよね。議員の子供の誰一人として戦地に送られていないのに。あれ、面白かったですね、「自分の子供を真っ先に戦地へ送ろう!」署名。逃げ惑う議員達。ばかやろ。それにしても、この映画をもってしても、ブッシュの再選を避けられなかったアメリカって、分かってはいたけど、バカな国よのぅ。まーいーや、この次は北朝鮮を叩いてくれ。是非とも、日米安全保障条約の名の下に。そのときには、自衛隊を巻き込まないでおくれよぉ。米軍だけで戦ってくれたまえ。ブレアに助けを頼んでもダメ。もちろん自分(議員)達の子供を最前線に配置するように。頼んだよ。
2005年01月28日
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日本で休暇中に、ものすごく歯が痛くなった。もともと疲れると歯が痛くなるのだが、それは、もう右顔が痛いというくらいの痛さで、夜も眠れないくらいだった。別に歯肉に腫れが出ているふうでもなく、とにかく顔が痛かった。でも、健康保険はないし、もうすぐ帰国だしと、我慢していたら治ってしまった。どうやら風邪の前触れだったらしく、風邪の症状+眼病が出て、代わりに歯痛が消えた。風邪は葛根湯、眼病はホウ酸洗眼で、なんとか抑えつつ帰国した。それでも気になるので、今朝歯医者さんに行って来た。(先週電話して、予約が今日だった。)かーるく歯を診て、「私の目には異常は見えませんね。症状が出たときにまた来て下さい。」「レントゲン撮ったりしなくていいんですか?」「必要ありません。歯は悪くないです。」本当に大丈夫なのかな?歯の奥の方が腐ってたりしない?
2005年01月27日
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昨日、おとといとダディが遊びに来ていたので、ぱなっちは大興奮だった。食事以外はダディに任せたが、あんまりにもはしゃいでいるので、寝かしつけているときに、つい「ぱな、いい加減にしなさい!」と声を荒げてしまうほど。ダディも久々にぱなにお付き合いして、子供と生活することの大変さが分かったことだろう。今日はマミーと二人っきり。この静けさが、なんだかね。。。寝るときも、本を1冊読んだら、すぴーっと眠ってしまった。やっぱり、マミーとこうした落ち着いた夜がいいでしょ?
2005年01月26日
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もともとは、1匹の野良猫だったのよ。かすかな物音に、「仲良しになった猫来てるんだけど、会う?」と彼に紹介された。引き戸を開けると、そこにお行儀良く座っていた。その猫が彼と一夜共にし、二夜共にし、とうとう私が遊びに行くと、焼きもちを焼くまでになった。その猫が子供を産んだ。同時に浮気発覚。隣の部屋の学生とも仲良くしていて、帰ってこなくなった。三匹産んだ猫の名前まですでに付けて、かわいがっていたのに。怒った彼が、たまたまそこを歩いていた子猫の一匹を拉致した。母猫はたまには帰ってくるようになったけれど、餌をねだるだけで子育てをしようとしない姿勢に益々彼が怒って、きっぱり離別した。残された子猫もあっという間に大人になって、子供を産んだ。またも三匹。そのうちの雌猫二匹を、私の実家に引き取ってもらった。こうして、我が家に家族が増えた。その美幾とちぃは、それぞれ五匹ずつ子供を産んだ。美幾さんは世話なし猫さんだったので、ある朝目覚めたら、出産を終えていた。子猫の引き取り先も難なくみつかり、四匹里子に出した。ちぃの方は、小さい体にお腹いっぱい妊娠していたものだから、出産も大変で、母が産婆をして、とりあげた。そのうちの一匹は、数日後に死んでしまった。残った四匹が不憫で全員家で飼うことにした。七匹の猫は元気に暮らし、楽しい我が家だった。中でも私は真っ黒の猫ぽち男が一番かわいくて、ぽち男も私に一番懐いてくれていた。「ぽち」なのは、生まれたばっかりのとき、ラブラドール・レトリバーの赤ちゃんのような顔をしていたから。本人も自分を犬と思っているらしく、お隣の白い犬チロちゃんを母と思っているようだった。いつもまとわりついて、チロちゃんを困らせていた。泣き声もチロちゃんから教わったのか「ワーワン!」だった。猫らしいわがままなところが一つもなく、立派な忠猫ぶりを発揮してくれた。そんなぽっちゃんが病に倒れた。そのころ別の猫モーモーがてんかんであることもわかり、家族はみんな、モーモーの看病に気をとられていた。なにしろ、発作が休みなく起きるので、目が離せなくなっていたのだ。そして、何度目かの入院で、ぽっちゃんは帰らぬ猫となってしまった。病院で死なせてしまったことは、悔やんでも悔やみきれない。誰も看取ってあげれなかった。一人ぼっちで死なせてしまった。「モーモーとぽち男、どちらかこっちに来て欲しいのだが。」と神様に聞かれて、「はい、ぼく行きます。」と、ぽち男さんは答えたに違いない。それくらいの忠猫なのだ。同時にモーモーのてんかんも持っていってくれた。本当に、数時間毎、数分毎に襲ってきていた発作は、その日以来、一度も起こっていない。そして、私には置き土産として、年末ジャンボの当たりくじをおいて行った。このお金はとてももったいなくて我が物とできず、「ぽち男さん基金」として貯金して、猫の医療費に当てることとした。ぽっちゃんが亡くなったときの脱力感といったらなかった。もう、こんな悲しい思いをしたくない。猫一匹が死んでこの悲しさだったら、肉親が死んだりしたら、私はどうなってしまうんだろう?そして、自分の中で出た結論が、「できるだけ遠くにお嫁に行きたい。」だった。いつも一緒にいるから情がわく。情が深くなるから離れられなくなる。無理やり引き裂かれる死は、私に平常心を失わせてしまう。それなら、最初から一緒にいなければいいんだ。愛する家族と距離をおいておけば、そのときが来ても、精神的ダメージが少ないはず。と、考えた。でも、お嫁になんて、簡単にいけなかったのねぇ。そしたら、こんなに遠く離れた国から仕事が舞い込んできた。渡りに船とはこのこと。お受けしますとも。家族と離れるために選んだイギリス。6年がたった。でも、やっぱり悲しかった。テディちゃんのときも、ちぃのときも。情は距離では薄められない。
2005年01月25日
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があった。奴から。社内に発表したから、私も公表しよう。先週奴が相談に来たのはこのこと。「プランはあるんだよ。」とか言って、将来設計を話してるけどさぁ、うまくいくものですかね??そして、私は一番聞きたいこと「養育費はどうすんのよ!」を、押し戻した。お金の話をすると、どうせまた不機嫌になる。聞いたところで、「減額する」とか、「支払えない」とか平気で言いかねない。もう、お金のことでもめたくないのだ。好きにさせよう。好きにしてくれ。ぱなっちがこうして、楽しくダディと遊んでいるのを見るだけで十分ではないか。とか言いつつ、、、養育費どうすんだよ?
2005年01月24日
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実家の猫がまた一匹天国へ。これで4匹となってしまった。クリスマス直前に黒猫のテディ子が召されて、その母の美幾(みき)さんが具合悪くなってきて、心配していたところだった。元気かに思えた美幾の姉妹のちぃが、突然具合悪くなって、そのまま金曜日にジジババに看取られて、旅立ったそうだ。いつまでたっても子猫のままの顔なので、ずっと子猫のままなんじゃないかと思っていたけど、もう16歳。そういう時期とは分かっていても、辛い。私の彼の下宿にいついてしまた野良猫が産んだ子猫が産んだ猫。面倒見切れなくなって、私の実家に泣きついて、わざわざ群馬から杉並まで車で猫を引き取りに来てもらった。男の子は大丈夫だろうからと、二人姉妹だけを託した。それが美幾とちぃ。美幾は子供を産んだらしっかり女王猫らしくなったのに、ちぃは子供を産んでもまだ子猫みたいな顔つきで、子猫にどんどん追い越されてしまった。そのかわゆさ故に、町内の大学生からもかわいがられていた。もちろんぱなっちも大のお気に入りで、毎日追い掛け回しては、だっこして「一緒に写真撮って。」とポーズしていた。(実は、これがストレスになっていたんじゃないかと、密かに思う。もう、このころから抗う力がなかったんじゃないかって。)一番家族っぽい猫でもあった。どんなときにもちょこんと参加している姿がまた愛くるしかった。お風呂の湯沸かし器が壊れて熱湯が吹き出たとき、駆けつけた家族の足の間からちぃの顔が覗いたときには、それまでパニックだったのに笑ってしまった。「あー、ちぃも心配してくれたんだな。」って。長い間、私たちに愛と笑顔を振りまいてくれてありがとう。ちぃちゃん、我が家に来て幸せだったかなぁ?私たちは同じだけの愛と笑顔をちぃに返せたんだろうか?今頃は、息子のぽち男さんに久しぶりに会ってるね。テディちゃんもいるから、淋しくないね。ちぃちゃん、ありがとう。またね。
2005年01月23日
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最低でした。Baby Sitterまで雇って行ったのは、お金と時間の無駄でした。まず、参加する旨をパートナーの名前まで付けて返信させておいて、会場には十分なテーブルが用意されていなかった。2/3の人々は立ったまま食べていた。食事はビュフェだと書いてあったけれど、その場で1品のみを選択させられた。少量ずつ色々な味が楽しめるのが、ビュッフェだと思っていたので、ものすごくがっかり。デザートは、冷凍ものを解凍しただけ。これも1品のみ。暖かい飲み物はなし。カジノがあるというので楽しみにしていたのに、カジノ・テーブルはたったの3つだけ。楽しかったのは、カーレースくらいだった。これはゲームだけど。とりあえず、写真アップしました。最初の年に行った、Windsor競馬場でのパーティーが一番たのしかったな。近かったし。こんなパーティーじゃ、会社の宴会担当者は首になるかも。社長自らだったりして。
2005年01月22日
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こんな感じ。 で、これは、ぱなっちが寝かしつけた、クマ子ちゃん。 二人はこんな風にソファで眠りこけております。
2005年01月21日
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というよりも、早寝早起きの正しい生活習慣が身についてくれたのだろうか。帰るとコテン・スピーと、あっという間にご就寝のぱなです。これで、早起きの時間をもう2時間繰り下げてくれたら、言うことなしなんだけどなぁ。そんなわけで、寝顔のかわいいぱなです。頭頂部から見ても見えるぽっぺが、とってもラヴリー。よいっしょっと、毛布を蹴り上げる足もラヴリー。
2005年01月20日
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私はそうでもないと思うのですが、ぱなっちが時差ボケです。家に帰ったとたんにコロンとなってます。それを見て私も一緒に寝てしまうので、毎朝4時には起きてます。今日は、帰るなりピンクのテディと毛布を自分で持ってきてソファで眠りに就いてしまいました。このピンクのテディは、カロリンが買ってくれたもので、どちらかというとみずぼらしい(安っぽい)熊さんです。が、ぱなっちの最もお気に入りの熊さんで、一時期はどこに行くのも一緒でした。どこに行くのも一緒のくせして、すぐに手放すので、遊びに行く家遊びに行く家に忘れてきて、子供達からは「ぱなっちのテディ」と呼ばれて有名な熊さんです。家では、食卓の椅子に座っていたり、バギーに乗っていたりします。あまりにみすぼらしいので、この家では大切に扱われたためしがなく、リオンの格好の餌食です。先日も「Washして、くだぁさい!」とぱなっちから渡されたテディには、ピンクの食べかすがこびりついていました。「何、これ?」「リオンが、ガムおいた。」あの糞ガキ!それがガムか何かは分かりませんが、つまみ洗いで落ちました。ほっとしました。 今日は、ですます調でお送りいたしました。
2005年01月19日
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日本に行ってからものすごく日本語が上手になったぱなっち。帰ってきてからも、お店の人に向かって、「なーにしてんの?」と、日本語で話しかけている。とにかく日本語でしゃべるのが楽しくて仕方がないらしい。ただ、どうしてそういうアクセントになっちゃうのかなぁ?日本人はそういうしゃべりかたしないでしょう?アクセントをここに表せないのが非常に残念。納得して、「そっかぁ。」バービーに向かって、「こぉれ、かぁわいぃ。」マミーに向かって、「そぉれ、やぁめてぇ。」お風呂に入って、「あちぃ!さむい、いれて。」("冷たい"を"寒い"と勘違い。確かにhotとcoldって蛇口には書いてあるけどね)トイレの電気を自分で点けたのをほめたら、「うん、あのね、できた。ぱなね、ちょっとできないかなーとおもった、からぁ、、、(延々しゃべる)」「から」は、becauseとちゃんと結びついていて、日本語では文の最後にもってくるということもわかっている。電気が点かないかと思ったので、こーしてみた、あーしてみたとしゃべってくれる。たったの3週間でここまでしゃべれるようになるとは!今までは日本に行っても、ぜんぜん日本語をしゃべろうとしていなかったのに。自分が日本語をしゃべらなければ、ジジババと会話が成り立たないと悟ったらしい。今のところ、マミーにはきっちり日本語で会話してくれる。逆にダディとの会話が怪しくなったらしい。ダディが「"hello"ってなんて言うのって聞かれたよ。」と困っていた。「こんにちは。」「そうか、"コンニチハ”だったっけ。あと、"アリガトウ"しか知らないよ。」「だいじょうぶ、ぱなっちから日本語習えるわよ。」ぱなっち、ダディに厳しく指導してやってくれたまえ。
2005年01月18日
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ヒースローに到着して、携帯の電源を入れたら、奴からのメッセージが入っていた。で、やりとりの結果、今日会いに来た。なーんか臭いなぁ、と思っていたら、相談したいことがあって来たのだった。そんなこととは露知らず、私は時差ぼけ真っ最中なので、奴が来たとたんにぱなっちの世話をまかせ、自室でグースカ寝ていた。だって、ぱなっちは朝から「お絵描きしたーい。」と言っていて、自分でエプロンして絵の具セット出して、「(寝てて)いいよ。」と言ってくれたから。ぱなっちがVIDEOを見始めたので、降りていって、日本で撮ってきたDVDを奴に見せてあげた。「ぱなっちは、日本でもこーんなに幸せ。愛情一杯の家族ですから、ご心配なさるな。」との嫌味を半分込めて。ぱなっち、この間にご就寝。見に行ったら、テディを枕にして床に転がっていた。それから、奴が話を始めた。まー、私に相談されてもねぇ。自分で正しいと思う方向に進めばとしか言えないわよ。じゃ、ご飯でも食べるぅ?で思い出した。実は、ブライアンの野郎が物置のドアを開かなくしてある。物置にペンキを塗ったのはいいけど、生乾きのまま閉めたのだろう、ドアが固まっている。この物置の中に冷凍庫があるのだ。食材が取り出せない!「俺がみてみようか?」「ダメ!ブライアンが悪いんだから、ブライアンが開けるべき!!」(この時点で私はかなり怒っている)と、止めたのだが、先々を考えたら、やっぱり開けられるのなら開いていた方がいいと、雨の中裏庭へ。開かない。「これ、鍵がかかってるんじゃないのかなぁ?」私が知っている限りの、この家の鍵の数々を渡してみる。開かない。「#*$%@&D!」(益々腹がたってきて、ののしり出す)雨の中とぼとぼ戻ってきて、"English Breakfast"を作ることにした。ソーセージとマッシュルームと卵とベイクドビーンズと緑野菜。それから揚げパンを奴に作ってもらうことにした。「はい、フライパンはこれ。」と出したら、使ったままだった。あのやろー!!私の中のプチンと切れる音が、奴にも聞こえたに違いない。奴が何も言わずにフライパンを洗い、何事もなかったかのように、料理を始めた。大人よのぅ。その後もまだ腹の虫が収まらない私は、ブライアンの二重人格騒動を、調理の間中、奴に語って聞かせた。大人げないのぅ。相談事をしにきて、逆に私の不満話をとくとくと聞かされた奴だった。かわいそうに。
2005年01月17日
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帰りの飛行機の中で寝ないからさ、やっぱり時差ぼけなのね、ぱなっち。ブライアンがいなくて良かった。前々回はミントぶち切れてたもんね。着陸寸前に眠りに就いて、夢遊病状態で歩かせ、飛行機を降りてきた。お迎えの車の中からだから、午後4時から眠って、午前1時に目覚めた。あー、マミーはまだ寝ていたい。寝かせてくれ。でも、容赦ないのね。どうせ掃除しなくちゃいけないから、4時頃しぶしぶ起きたわ。帰宅そうそう第一の仕事が「掃除」って、そんな生活どうよ?夕方、スーパーからの帰りの車の中でご就寝。まだ3時なんだぞ。寝るなぁぁぁ!
2005年01月16日
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帰ってきちゃった。さみしいやら、ほっとするやら。気分的には、やっぱり「イギリス」に「帰る」なのよね。3週間の休暇は短すぎる。12時間半のフライトは長すぎる。いやー、今回はどこにもお泊り出かけずにただひたすらに休養してました。が、世界では災害続きで、気が休まる暇がありませんでした。日本国内では毎日のように地震があるし。そんな大変な時期に不謹慎ですが、毎日テレビ漬けでした。今回一番の収穫は、マツケンサンバ2です。スマスマで香取君が物まねしてて、「?」って感じだったけど、姉が、「あーこれ、今一番売れてるのよ。」って。益々「??」だったわ。「だから、本当に金ラメの着物で、サンバ歌ってるんだってば。」って。信じてなかったけど、翌日ご本人を目の当たりにして、呆然。暴れん坊将軍、どうしちゃったの?借金でもあるのかな?でも、本人も楽しそうにやってたわね。大晦日まで毎日どこかしらのチャンネルで観てました。それから、今、旬の芸人さん達。どこがおもしろいのかあんまりわからなかったけど、とにかく毎晩出てたギター侍。「ヒロシです。」ってのも、聞けてよかった。わからないネタだったけど。他の芸人さんも、あんまり笑えなかったなぁ。SMAPととんねるずは相変わらず面白かったなぁ。TOKIOとV6もまだ笑える。あれ?とんねるず以外は芸人じゃないじゃん。「韓流ドラマ」って言うんですか?何故「韓国ドラマ」じゃいけないの?噂には聞いていましたが、まーびっくり。毎日どこかしらで流れてる。はまったら怖いから、観ないようにしてた。「負け犬」って言葉も覚えたよ。私も「負け犬」?その負け犬代表が新年早々玉の輿に乗っちゃって。私もあやかりたいわ。そんなわけで、すっかり日本通のきなこです。遅れ馳せながら、みなさま、本年もよろしくおねがい致します。
2005年01月15日
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