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我が父、日に日に歩行困難で、腰部脊椎管狭窄症との診断。手術すれば歩行も可能と言われるけど、高齢でもあるしコルセット着用で2週間に1回の通院としてきた。往きは通勤途中送っていくけど、帰りの歩行がだんだん困難になってきた。そして、ボケの頻度もますます・・・。主に介護している母も同じく高齢。介護認定を受けようと決めた。申請してほどなく、ホームドクターの所にも市から連絡があったそうだ。そして昨日ケアマネージャーの訪問。父、母、そして私も同席して聞き取り。父も質問内容に返事はするけど、メンドクさくなると無言。母もしっかりしているようだけど、話がそれていく。私も行きすぎないよう、所々返事。ケアマネージャーも感じの良い方で、程なく終了。結果が出るまで、1か月はかかるという。せめて通院の介助を頼めたら・・、これが私の希望。整形外科に内科の受診。仕事続けながらはとてもではないけど無理。オリンピックで話題が多いけど、ボケがある父だって同じくオリンピックに興味がある。でも、オリンピック選手がいつのまにか肉親になったりするときもあって。夜遅くまで見ていられないから、就寝する母に「世紀のオリンピックに関心がないとは、何事だ」と怒る父でもあって、何かと家族は迷惑してる。でも、それはまだガマンできることで、これからどうなっていくか、不安材料はたくさんある。今朝も「墓を買いに行く」と父が言う。もちろん私に「車に乗せていけ」という事だけど、スーパーに買い物に行くわけじゃなし・・。墓所はすでに購入済みで、まだ墓石がないのでそれを作りたい・・、それが父の希望。それに反対するワケではないけど、「いきなり」には「うん」と言えない。「誰か墓石を建てた人に聞いてみたら。業者を紹介してもらおう」と言ったら、それではダメなのね。勝手に夫の知人に聞いても、父にはおもしろくないようで返事はなし。自分で決めたいらしい。朝から、父はおかんむり・・。「leafは言うこと聞かないから、妹を呼べ」と。そう言ったって、妹は入院中。高齢の父に心配かけまいと内緒にしてるのに、子の心、親知らず。怒るのはいいとしても、聞く耳持たないのは困ったもので、ボケと知りつつ、おもしろくないわね。ある時は惚けていても、終の棲家は気になってるらしい。しっかりしてるんだか、どうなってんだか、ワカラナイ。早く介護認定が出てもらいたいし、せめて介護1は認定されるんだろうか。在宅介護、ますます我が身に重くのしかかろうとしている。今までラクしてた私、人生の帳尻はきっちり合ってるみたいね。
2004年08月29日
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秋ですね。スーパーで生筋子を見つけた。100g498円、約300gの筋子。生だからすぐ食べられない・・・。手を加えて「いくら」にしなくちゃね。誰もが作るものでもないらしく、売れ残ってた。400円引き。もちろん、私作ります。醤油味のいくら作ります。1000円そこそこで筋子買いました。正しい作り方、とっくにワスレタ。でも自己流、自己流。まずお湯を沸かしてから。筋子にさっとお湯かけて、と。卵を覆っている膜がちりちりと縮んでいく。水で洗いながら、丁寧に卵をほぐす。コレステロール、脂肪たっぷりなのね・・・。白く脂っぽく水が濁っていくもの。きれいに洗った卵をざるにあけ、水を切る。そこに酒と醤油を好みの分量をいれてできあがり。タッパー一杯できちゃった。毎年、卵の入った鮭をいただく。今年もまた、いただけるはず・・?いくら作りもベテランの境地?冷蔵庫で一晩寝かせたら、透き通ったきれいないくらがデキル。息子もまだ帰省中。明日は好物のいくら丼だよ!
2004年08月28日
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妹が突発性難聴で入院して4日目。「聴力の生死にかかわる」と言われ、即入院。急に耳が聞こえにくくなり、めまいもしたらしい。早めの処置が第一で、手遅れにすると聴力の回復も望めないって。原因は不明らしいけど、ストレスや過労も一つの要因と言われてる。まさしく、妹の場合もストレス・過労当てはまる。女手一人で、息子3人育て、心労は大きいもの。いまだに長男成人しても、悩みの種だ。まったく。絶対安静には、入院するっきゃないね。夏休み中だし、3男も中2で留守番は可能。「おばちゃんちに来ていたら・・」言ったけど、「大丈夫、自分ちにいる」と3男。冷凍食品はある、コンビニ弁当はある。「自分のことは自分でする」って言う。まさか入院してる妹の洗濯物まで、子供達が面倒はみられないだろうから、そこは私が協力する。その位なら、超カンタン。時には、冷蔵庫におかずもいれといてやるよ。今までならおじいちゃん、おばあちゃんが登場だけど、今では頼めないこと。おじいちゃんは自分のことで精一杯状態。妹が入院したことも知らせていない。余計な心配かけたくないから。2週間たてば退院できるし、安静のための入院ってこともあって。入院してる妹も「同じ病気でも、手遅れの人も多い。入院して良かった」と言っている。入院して初めてわかった病状。「今は病気を治すことと、ゆっくり休養もしてくるから」とも言ってる。この程度で大事に至ってないけど、家に病人がでると何かと歯車は狂ってくる。ホント。妹に何かと心配かける息子達も、今回の母親の入院、結構身に染みてるらしい。よ~く、反省せよ!我が甥達。明日は、妹の2男3男連れて、美味しいもの食べに行く約束してる伯母ちゃんの私。中学生で留守番、けなげだもんね。
2004年08月27日
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20日から2泊3日のドライブ。昨年娘と夫と私で訪れたところを再び。そのくらい気に入った場所で、今回は娘に代わり息子が同行した。東北地方は、先の台風の影響で、風と雨がまだ残っていた。月山スキー場まで行ったけど、視界ゼロ。この天気では、昨年行った湯殿山も無理・・。出羽三山をあきらめ、酒田へ直行することにした。酒田付近では、雨もやみ晴れ間もさしていた。あの有名な山居倉庫に行く。倉庫の並びと欅の並木は絵になる。「おしん」の世界そのものだ。庭先に展示してある船も、おしんが最上川を下った時乗った船に思えるし。その後、豪商でならした本間邸を見学。庄内平野の穀倉地帯をバックに米相場で財を築いた豪商と、幼くして奉公に出なくてはならない貧農の子供の対比。ただ建物だけ見ても、おしんのドラマの哀しさを感じてしまう。その後、鳥海山麓の鳥海山荘に宿泊。鳥海高原を望む露天風呂にも入った。ずっと続く高原の景色、コレが見たくて来たわけ。翌朝は、晴れ上がり鳥海高原もすがすがしい。玉すだれの滝にも行く。少し前なら、「オゾンを浴びて・・」と言うのかもしれないが、今は「マイナスイオンを浴びて」。鳥海ブルーラインを山形側から行く。秋田県の県境まで走る。途中大平山荘の展望台から、日本海を眺める。広々とした鳥海高原の向こうに、日本海の海岸線がくっきり見え、感激。夫と仲良く記念撮影した後、海岸縁を南下し、次の宿泊地飯豊温泉へ向かった。日頃ペーパードライバーの息子だけど、運転はなかなか。だてにバイクに乗ってる訳じゃないのね。
2004年08月24日
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すっかり足腰が弱ってしまった父、少々惚けも入るから、父を残して母も遠出はできない。そんな両親を連れて、チョットお出かけ。「どこに行きたい?」聞いたら「裏磐梯」と父。日帰りで、運転手私だけではチョット厳しい距離。「那須に行こうか」と言うことになり、朝8時出発。惚けも入った父でも、途中「前来たときは雨降ってた」「前は、帰りは白河の方に出たっけ・・」まともな回想。平日ということで、道路もスイスイ。途中、道の駅寄ったりしながら、ゆっくりと行く。片道3時間。那須に到着。今日も異常に暑い。高原でも暑さは同じ。殺生石と言ったっけ、あの硫黄クサイ所も通って、上に登って行く。ロープーウェイまで行きたかったけど、上の方で渋滞。途中で引き返すことにした。空は晴れ上がり、眺めはいい。父を車から降ろすけど、最近動かないせいか、太り気味で重いね。私も今から摂生しないと、年取って動けなくなっても、誰も持ち上げられなかったりして・・・。注意、注意。このまま帰るのもアレで、南が丘牧場へ立ち寄る。かつて子供達が小さい頃来たこともある。今回は、両親連れて・・。たいした距離ではないのに、歩くのは困難な父。「疲れたなあ」と父が言うのに、鬼の娘(私)は「少し運動しないとダメだよ。今日はいい運動したわね」と言ってやる。そういうふうに励まさないと、無気力状態の父だから。お土産買って帰途につく。「塩原にも行きたい」と言うけど、強行軍は無理なんで次回を約束する。途中「道の駅 那須与一・・」の看板を見つけた。カーナビもあるんで、そこへ。新しい道の駅で、きれい。遅めの昼食もそこでいただいた。今まで一般道を行くと、トイレに困ることが多かったけど、この道の駅の出現で、とても重宝してる。身障者用の広めのトイレもあって、年寄り連れにも役立ってる。休みながら行ったので、無事家に帰ってきた。「車に乗ってるだけでも、疲れる」と父は言うけど、往復250km運転の私はもっと疲れてるわよ。「仕方ないね」、娘のつとめとあきらめてるから。「ご苦労さん」とねぎらってくれたのは、まだまともな父でもあるわけで、安心する面もあり・・。ただね、言ってる事で、ムッとすることがある。それは、父が運転して行った時とルートが違うので「Leafは遠回りした」と何回も言うのよ。さも私が道を間違えたかのように・・。ムッとする私、まだまだ人間ができていなくてね。・・・反省。
2004年08月19日
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開会式は、もちろん録画でみた。2時半過ぎから生で見るのは絶対無理だし、それほど興味もない。各国のユニフォームには目が行く。57番目の日本登場。アメリカの大選手団の後に出てきた日本。ユニクロ製のユニフォームだったわね。私には、いいも悪いも特に感想なし。手に持ったうちわが、便利に使われていいんじゃないの。その程度の感想でした。前回シドニーでの色とりどりのマント。パッと開いて、私は嫌いじゃなかったけど、非難ゴーゴーだったと聞く。好みなんて十人十色、こうでなくちゃ・・ということは、ないんだから、いろんなスタイル取り入れればいいと思う。長い時間の入場行進で、全部の国はみてないけど、スイスのユニフォームは、選手にとても好評と解説してた。みれば、ポロシャツ風のカジュアルっぽいもの。海賊イメージ?したとか言ってたけど、ホントに何気ないもの。着やすくて、選手達にフィットしたものであればよし。かつて日本の選手というと、ブレザーにスカートorズボン。そしてカチッとした帽子・・・。まじめそのもののイメージだったけど、だんだんクダケて場慣れた感じにはなってきたと思う。今回、とくにこの国のは素晴らしい・・、はなかった。聖火が灯され、夜空に炎が燃えさかるのをみるのはすばらしい。でも、パフォーマンスの長い開会式、テレビを通してはあまり感動しなかった。やっぱり、その場で体験しないと興奮は感じないかも・・。
2004年08月14日
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ずっと共働きしているせいか、掃除洗濯炊事すべて手抜きしている私。自分自身食いしん坊なので、炊事に関しては掃除洗濯よりは、いくらか手をかけてるほうとも思っていたけれど・・・。でも、息子が「おふくろの味」として思い浮かべるのはなんだろう。そういや、息子の好物って、何だ・・?いくら丼? これは素材を買ってきてご飯に載っけただけ。鍋物? これだって、新鮮な素材をそろえればできあがり。果物好きの息子だけど、これは別の話になるし・・・。渋~く、「ふきの煮物」だの「ひじきの煮物」煮物が好きな息子。でも息子にとっては、「おふくろの味」というより「おばあちゃんの味」さて、私が息子に授けた味は何だろう?というのは、オリンピックの話から始まった。あのマラソンの円谷幸吉選手の遺書から、ご両親始めご家族に「~が美味しゅうございました」とお礼を述べている文章。なんとも、胸に迫る文がある。同僚の奥様も、仕事や趣味に忙しく家事に手を抜くタイプらしい。息子さんが言ったって。「僕なら、『お母さん、カップヌードルが美味しかったです』」それ聞いて、我が息子も然り・・・、思ってしまった。息子に「お母さんの作った何が好き?」聞いてみたいけど、チョットこわいね。せいぜい帰省中の息子に、スパゲッティにオムライス作って食べさせよう。そう思った私。今夜意図的に、おふくろの味の王道、肉じゃがを作ってみた。息子はよく食べていたわ。息子は私の「肉じゃが」キライではないらしい。
2004年08月11日
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「おかあさん、N先生って知ってる?」と娘に聞かれる。「N先生って、あなたの中学時代の校長先生じゃないの」と思いつくまま答えたら「そうだよね。どこかで聞いたことあると思ったし、弟の先生かなと思ったりして」と娘。昨日の吹奏楽コンクールで、N先生はお偉い方だったらしいが、娘の中学が金賞とったことで、N先生に直接「K中学、よくなったね。よく頑張った」とお褒めの言葉をいただいたそうだ。そして、握手までしてきたそうだ。「なんか、見たことある・・」娘はその時思ったらしい。中学のPTAの会合も最低限しか行かない私が覚えてるのに、当時の生徒が先生の名前忘れていいか・・?その先生から、卒業証書もらったのに忘れてるオバカな娘。マンモス中学ではなく、こじんまりした中学だったよ。校長の名前くらい、覚えていなくちゃ・・・。まだ卒業して10年経ってないじゃないの。あきれ・・。我が娘、自分のことは自分でする、結構しっかりした性格。親としても黙って見てられるタイプ・・と、思いきやとんでもないことポッカリ欠落タイプ。「長生きするよ」「今度N先生に会ったら、実は教え子でした。って言ってみたら・・」と言ったら「今更、恥ずかしくて言えない」だって。
2004年08月10日
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吹奏楽コンクールの県大会の日。生徒の親ではないけど、休暇とって見に行った。入場料にプログラム代支払って入場。私にしても、娘の晴れ姿(?)をみなくちゃね。子供達が学生の頃は、学校の定期演奏会よく聴きに行ってた私でもある(我が子は、吹奏楽部じゃないけど)。県内の各地区から選ばれて県大会に。吹奏楽を聴いていると、なぜか気分の高ぶり感じるのね。まさしく、元気になるってやつ。吹奏楽の知識はないけど、演奏の上手い下手はなんとなく。あと選曲の善し悪しも、なんとなく。ソロの部分が長いのも、中学生には負担が大きいようにも・・・。娘の中学校の番。「やっぱり、上手くなってる」そう思えた。以前地元の祭りで演奏してるのを聴いたことがある。その時よりも。コントラバスがいいかな・・?ソロの部分もいい。「よくまとまってる」素人目にはそう感じた。娘の指揮・・?よくわからないけど、生徒が娘の方を見てるから大丈夫・・?最後もキチッと締まる。母親の目には、「大変良くできました」他の中学と比べても遜色なし、そう思ったわ。午前の部で帰る。夜帰宅した娘に、結果をきく。「金賞」で5位。「生徒達、棒だの涙?」って聞いたら「そうでもないよ。なんで優勝しなかったんだろって言ってるの。」かなり、自信をつけた生徒達らしい。娘が「自分では楯貰ったことないのに、生徒は貰ったんだよね。」と、かなり満足している。「自分では指導らしい指導しなかったけど、練習は一緒にやってきたから・・」とも。私にしたら休日返上で教採の勉強大丈夫か心配したこともあったけど、コンクールで結果も出せたし、教採の一次も通って、メデタシではある。娘に「コントラバスがあって、良かったんじゃない」と感想述べたら、「講評に低音が良く出ていたとあった」とのこと。素人の私の耳も満更じゃないわね。
2004年08月09日
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私の母方の祖母の実家(殆ど付き合いはない・・)のお家騒動が勃発してるらしい。母は直接見聞きしてるわけではなく、近所に嫁に行った自分の妹(私には叔母)から情報を得て大騒ぎしてるってわけ。私や父に「こうなのよ、ああなのよ」と話してるだけだから、外に影響及ぼしてるわけでもなし・・・。仕方ないとあきらめるか。しかし、はっきり言ってクダラナイ。そして聞かされれば、心証も害する。そこをわかってないのよ、我が母は。この傾向、歳と共に大で「父が惚けて・・」私はよく言ってるけど、母もある意味、大騒ぎする惚け症状と思うね。お家騒動とは・・・。実家を守る人は、母の従姉になる。当時に珍しい一人っ子で、婿養子をもらい家督を継いでる。この街中に少々不動産を持ってる(持ってた)から起きる話。母の従姉は体が弱く、子供できず親類から養女をもらう。その養女とは、私と同じ歳。蝶よ花よと育てられたわがまま娘になる。今一回り以上年下の男と結婚して、財産を勝手にしてるって。よく聞く話。はっきり言って、どうでもいいじゃないの。人の財産、どうなったって。別に我が母が相談受けてるわけでもなく。何度も聴かされるんで、「そういうけど、娘にも言い分あるんじゃないの」と母に言ってやる。「そうなの・・、ふんふん」と相づち打てばいいのかもしれないけど、いい加減うんざりしてる私、はっきりいうわ。母の従姉も結構ワケありの人と思う。かつて私が中学に進学するとき、そこの娘とも同じ中学になるはず。その従姉は、何かの手づる使って娘を越境入学させたよ。私と同じ中学で「養女」であることがバレルことを懸念したかもしれないけど、実は成績を比べられるのがイヤだったらしい。つまらないことだ。その後、養女は結婚した。でも、なんだかんだで離婚。従姉はだいぶ娘の相手方の悪口言ってたけど、自分の方だって非があるのは、確か。その時妊娠してたけど、流産したとかなんとか・・・。そして出戻り娘、ゴルフ三昧の生活。私と同年齢で遊び暮らしてたワケ。許してる親も親で、私には関係ないことと聞いてた。その娘、一回り以上下の男と再婚。夫婦共々、無職。それでも暮らしていける生活環境。実際身近にもいるのよ、こんなのが。世間の皆様方、こう言うのは許せないのよね。それで、「娘の婿が勝手に財産を自由にしてる」って話が。でも、それは余所サマの家庭の事情で、別に従姉が放り出されたって話でも無し、娘の代で財産が底をつこうと関係ないことなのよ。そういうクダラナイ話、朝から何回も聞かされ、うんざりしてる私なのだ。せっかくの休日、顔を合わせればクダラナイ話で、今夜もビールでも飲まなくちゃやってられないわ。高齢の両親、今は元気だけど、いつ寝たきりになるかもわからない・・・。私は長女でやるべき事多いんだから、余所様の事情聞かされてもどうしようもない!
2004年08月08日
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「だいぶメールを気にしているな・・」とは、思ってた。親子清掃の日とかで、朝早くからジャージ着て出勤していた娘のこと。昼前に、帰宅しても絶えずメールをチェック。「若者だから、何かと気にかかることもあるよな」なんて、ノー天気に構えてた私。せっかく休みが一緒なんで食事に行くことに決定。あまりうかない様子だけど、「フレンチ、フレンチ」と連れ出した。チョット遠出して、小ぎれいなフレンチのレストラン。2100円也のランチ。適度な間で料理が出てくるし、味もgood。その後、近くのスーパーで買い物。それでも、いつもの娘の「乗り」ではないの・・・。「月曜日に県大会も控えてるんで、何かと気にかかることはあるだろう」娘の心中、思いやってる優しい私(自画自賛)のつもりだった。家に戻ると、母が門の所にいる・・・。コレがヤバッ。本人無意識のようだけど、私や娘の車の音がすると必ず出てくる。我が母だからいいけど、私が嫁の立場なら「見張ってる」そんな気持ちになるかもしれない。「手紙が来てるよ。○○から」すでに読んで渡してくれるわけ。まさか封書を開封なんてことはないけど、大きなお世話なのだ。娘、ボソッと一言。「教採の通知が今日来るんだ」と。コレで、納得。娘は合否の通知を、針の筵で待ってたのだ。母から受け取った封書。急いで本人開封。「合格」今年も一次は合格してた。朝から、同じ受験仲間からメールが来てたらしい。ある友は「合格」ある友は「不合格」と。その後の娘、いつもの元気な娘に戻る。勤務先の校長先生が「今年合格するのはAさん(娘のこと)だけかもしれない・・」と仰られたとか。他に4人受験されたようだけど、皆さん教採のベテランになっていて最初からあきらめ状態の方もいるらしい。あまりにも採用人数が少ないため、ずっと講師のままでとうとう合格をあきらめてしまうという話も聞く。今フリーター多き世の中を憂いているけど、今の採用状態ではやむを得ずフリーターという人も多く、一概に若者を責めることはできないことだと、痛感する。娘、二次対策の勉強も待ってるけど、今年常勤の講師として現場に立っているから、教育の現場も実感してるわけでナマの回答はできるものと思う。二次合格するもしないも本人次第。頑張ってもらいましょう!
2004年08月07日
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ある会合で同じスタッフのO氏が「会合場所は、できることなら別の所にして貰いたい」と笑いながら言う。「毎年同じ場所って決まってるようだし、駅から近いし無理みたいよ」とまともに返事したら、そういうことではなく、この会場=ホテルはO氏の結婚式を行った思い出(良くも悪くも)の場所なんだそうだ。かくいう私も、実はここで。昨年から一緒のスタッフKさんも「ここ」でだったと聞いている。他の方々には聞いていないが、少ないスタッフの中で3人同じ場所で結婚式だったわけ。昨年、このホテルをKさんと歩いていた時、式場の前で「実は・・・」「あら、私も・・」という経緯があった。かなり昔のことなのに、ホテル内のあちこちで、何となく思い出すことがある。O氏も同じ思いらしい。気恥ずかしくなるというか、赤面することだけが、よみがえってくるんだって。結婚式の指輪交換でのこと。自分のと奥様のを間違えて、奥様の指に入れてしまったから、自分の指には入らない。「焦った・・・」「そういうのばかり思い出して、イヤになるよ」って。爆笑して聞くけど、私も指輪交換のとき、私の薬指に入らない。ぴったりサイズに作ってあるから、チョット回しながら入れてピッタリって具合。その時新郎の夫、小声で「入らない・・」私、思わず自分で自分の指に・・。もちろん、入りました。だから、そのこともついでに話す。誰にも言ってなかったこと(わざわざ言う必要もないけど)で、私と夫と神主さん(って言うんだっけ)しか、知らないことだったけどね。(現在、私が指輪を外しているのは、そういう理由からではないの。指が締め付けられそうで、好きじゃないから・・。)本日の会合も終わり、片づけていると、若いカップルが次々と会場の下見に来る。私たちもあの頃は、あんなに若かった・・。万感の思いまさしく。今回のスタッフの方々と、「来年の会場予約」で打ち合わせの部屋に行ったら、結婚披露宴の予約のカップルで一杯。我が娘も適齢期。私も昔とは違った立場での結婚式、いつあっても不思議ではない事。
2004年08月01日
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