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早朝から目が覚めたので、ちょっと国会議事堂まで散歩にでることにした。着いた日に対岸の王宮側から国会議事堂を見たので、今度は国会議事堂側から王宮を見る。朝から結構車が多い。それもなんとなく見たことない車が多くて、ToyotaやHondaなんかは走っていない。Skodaが多い。(チェコの自動車)朝の冷たい空気で肌がピリピリするし、体もだるいのに、これで帰国かと思うと足取りが軽くなる。帰るとなると、名残惜しい気がするのは常だ。ハンガリー。私が見かけた人たちはマジャール人だったんだろうか。東洋に近い顔の人たちは観光スポットで露天なんかを開いている人だけだった。裏から見た国会議事堂。さて、帰りますか。朝食後、全員集合。「オネエチャン、ナイトクルーズあかんかったわー」「たった、こっからあそこまで走ってまた戻ってくるだけやもん」「食事つかんとこれだけで8000円は暴利やわー」「飲み物もしょぼいしぃ、豪華客船でもないしぃ」「あれならホテルグレードアップした方が絶対お得やで」添乗員の挨拶。「皆様、私もこの仕事を始めてはや6年になり・・・」? ? ? 6年? 6年やってて、こんな・・・その後の言葉は驚きのあまり、全て聞き逃す。バスの中ではあちこちから「6年やて・・・」今までどれだけの人が犠牲になってきたことか。空港に着くと、あれだけ買い物していたのに、チリチリバラバラ蜘蛛の子のように散っていく。広くて大型のお店がドーンといくつかに分かれて品揃えはハンガリー製品だけじゃなくて各国の物が揃っている。 F&Mの紅茶を見ていると「オネエチャン、それおいしいんか?どれ、どれおいしいん?」「無難なところでこれかなー」「そうかいな、じゃ、これを1.2.3.4...」10個持った! ノイハウスのチョコレートを見ていると「おいしいんか?」1.2.3.4.5...ドイツでいっぱい買ってたでしょー、まだ買うの? ウニクムを見ていると「これなんなん?、ちっさい瓶でかいらしいなー」1.2.3...「オネエチャン、ちょっとこれ見て、これでいくらなん?私いくら買い物できるん?」 「オネエチャン、これなんなん?食べ物なん?」「オネエチャン、これカードで払う言うて!」 「オネエチャン、ちょっとワイン見てー」「オネエチャン、このだら銭、どこの?」 ふと、私はいい人なのではないかと思うことがある。Pepsiをclick!
July 7, 2008
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cafeをあとにして、外に出るとホテル周辺は結構な賑わいになっていた。ナイトクルーズに出る人たち、鎖橋のたもとをぶらぶらしながら夜景を楽しむ人たち。 ブダペストは昼間より夜の方が綺麗だと思う。チーンとした澄んだ空気を吸いながら、ライトアップされたライオンや王宮を見る。東欧、最後の夜かー。 「オネエチャン、行って来るでー」「ほな、明日なー」私のロマンチックムードをぶち壊し、船は出航したのだった。 「ホテルでなんか食べる?」「あんまり食べたくないねー」「お粥あったじゃない?」あらあらあらー、ケーキ屋さんのほかにもパン屋さんがあるんだー。(intercontinental内)「おいしそーじゃない?」お兄さんと目が合ってしまった。とっても親切な笑顔。「これ買って、部屋で食べたい」 決まり!ウィンナーやチーズのパンやサンドイッチはやめとおこう。(でもすごいおいしそう!)朝食であんなにパンの種類があったのに、ここではまた違うものばかり置いている。何も食べたくないと言ってたわりには2-3個ずつ買った。 しっとり感といい、ふわふわ感といい、味といい、3拍子揃っている。おいしー!私は安上がりな娘であり、妻である。 Pepsiをclick!
July 6, 2008
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夕暮れ時、オペラ座からintercontinentalに向かっててくてく歩いていると、どこからともなく聞き覚えのある声が。 「オネエチャン、どこいくのん?」「私ら、ナイトクルーズなんやけど、まだ時間あるしぃ」「ひゃぁ、エリザベートが通ったカフェかいな、うちらも行ってええ?」 ああ、期待どおりの外観。「こんなとこ、こんな格好で入ってええのん?」店内はclassicな感じで。cafeはそんなにかしこまっていない。「オネエチャン、コーヒーなんて言うのん?」「ホット、ホットで頼むわぁ、寒くてかなんもん」あ、orderは私がするのかー、テーブル別なのに?! 私はエリザベート、母はマリアテレジアと名のついた飲み物をorder.それぞれ、グラス、コーヒーカップで出てきた。ああ、ケーキもおいしそう。あああ、高級感で溢れてるー。 エリザベートもマリアテレジアも一口飲んだらお酒が入っているのがわかる。普段なら有り得ないけれど、芯から冷えているのでなんだかホッとする。だんだんと体もあったまってきた。 「オネエチャンはこれから豪華ディナーかいな?」「え?胃の調子悪いんかいなー、そりゃ、かわいそうやなー」「調子悪いんかー、そやかてケーキ食べとるがな」sissiの愛したcafe Gerbeaudに関西弁が響き渡っている。な、なんとかしてください。Pepsiをclick!
July 5, 2008
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中央市場で皆様と別れ、聖イシュトバーン教会に向かう。市内を一望できる展望台があると聞いて行って見たものの・・エレベーターが見つからない。守衛のおじさんに聞くと現在工事中で上には上がれないと言う。せっかくここまで歩いてきたのだから、イシュトバーンの聖なる右手を見ることにする。(私はちょっと・・母がもう一生見ることはない!と言うので) ぐるぐる回ってもまた見つからないので、また守衛のおじさんに聞くと持ち場を離れて連れて行ってくれた。おそらく、英語も通じていなかったろうに、ありがとう。それは・・・真っ黒のような、濃い灰色のような、ミイラです。 そこからオペラ座に向かう。そろそろ通勤ラッシュの時間で電車は混んでいるし、人通りも多い。てくてく進んでいくけれど、この方向でいいのかな・・・優しそうな女性を探して道を聞く。どうやら、英語は通じていないらしい。そろそろ陽も落ちてきているので帰りのことも考えて小刻みに道を聞いて進む。「あっち?こっち?」「地図を見なさい、地図を」あなたの娘が数字と地図に弱いの知ってるでしょーが。 一人、優しそうではないけれど、中年女性に声をかけた。何か怒ったようにまくしたてて、方向を指したので、そのまま進んだが、その人の言ったことだけは違っていた。わざとだったのかな・・さして遠回りもせず、オペラ座発見。パリのオペラ座のように「怪人が住んでいても不思議でない」ほど大きいわけでなく、やっぱりこじんまりしている。 オペラ鑑賞をしなくてもとりあえず、中に入る。寒いし。パリから見れば豪華な感じもなく、小劇場と言った風情だが、どこか温かい感じがする。 売店はまたまたsissiで溢れ返り、何故か浮世絵のポストカードもあった。さて、暗くなる前にホテルまでは帰らないと。「ホテルはここをまっすぐでしょ?」「わかんないよ」「地図を見なさい、地図! 本当にわかんないの?」「わかんないから、任せるってば」 Pepsiをclick!
July 4, 2008
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intercontinentalで解散し半日free time. まず中央市場に行ってみよう。「オネエチャン、どこ行くのん?」「中央市場、行きたいわぁ、一緒に行ってもええ?」みんなでわいわい歩き始める。商店街みたいな道をずっと行くと市場が見えてきた。結構、思ってたより立派。お肉、ソーセージ、ハム、サラミ。 おいしそうだけど、持っては帰れない。 果物、野菜。ぶらさがってるのはパプリカ。ハンガリーの刺繍はデザインや色がとっても可愛い。広ーい、リビングなら映えること間違いなし。でも我が家ならコテコテに見えそう。魔法使いが箒に乗ってコイルで吊り下げる人形を2つ買った。値切り交渉没。(英語がわからないふりをしてる。他のことは通じるのに?) ハンガリー特産の蜂蜜。お人形は民族衣装を着ているのが多い。ホテルの朝食でもおしげもなくコムハニーが出ていた。コムハニーをダロワイヨのアングレに乗せて熱々で食べるのが大好きなんだけどー。大きくて重いので諦める。 市場なのに混んでいないし、お土産物がいっぱいってことは、きっと地元の人は来ないんだろう。値段を見ていても「安いー」と感じることはない。 楽天で見つけた比内鶏のハンガリー煮。ちょっとどんなのか想像できない。ハンガリーではフォアグラって結構食べるのだろうか。路面電車を待つブダペストの人々。Pepsiをclick!
July 3, 2008
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17世紀、オスマン帝国の侵略によりぶどうの収穫が遅れ、偶然できたのが貴腐ワイン。 ぶどうの実を腐らせずにしなびさせる奇跡の菌によって造られる。 ハンガリーのトカイ産貴腐ワインを献上されたルイ14世は「ワインの王にして王のワイン」と評した。 1779年にはマリアテレジアが黄金色に輝く貴腐ワインには金が含まれているのではとウィーン大学で分析させたこともある。トカイワインと言っても、甘口、辛口のほかに、数種類(段階がある)あってなかなか難しい。段階はプットニョッシュと言う単位で表されていて製造過程でどれだけの桶分の貴腐ぶどうが使われているかによる。3-6まであって、数値が高いほど甘みが増す。 甘口、辛口、プットニョッシュと文字で書かれても目安にはなるけれど、実際どーなの?と聞いてみたい。ガイドに連れて行かれた土産物屋でトカイワインがあって、husのお土産に買おうと思っていた私はガイドとは関わりあいたくなかったけれど、聞いたのだった。だって、ハンガリーに住んで早13年とか言ってたんだからー。全てとは言わなくても、数種類は飲んだことあるに違いないもの。「この中で一番、日本人でも飲みやすいのはどれですか?」皆様もご主人様へのお土産に是非とも世界で名だたるトカイワインを買って帰りたいので足を止めて聞き入っていた。 「そんなこと言われても困りますね。答えられませんよ」あっ、そう。もう聞きません。それと、あなたの言動はアンケートに絶対書かせて頂きますので。「ちょっとぉ、なんやのあのガイドー」「ここで買い物したらガイドにキックバックあるんやろ、私絶対買わへんわ」 ハンガリーで一番バランスがいいとされている4プットニョッシュを買ってきた。お酒を飲めない私が言うのもどうかと思うが、ワインと言うよりは梅ブランデーの様な、まろやかな甘めのお酒だった。フルーティというよりは芳醇な感じ。菌がどうのと言うから、かびくさいのかと心配だったが、香りもよく、食前酒みたいなイメージだ。ちょっと舐めてみただけだけど、おいしい。Pepsiをclick!
July 2, 2008
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チェコの養命酒はベヘロフカ。ハンガリーの養命酒はウニクム。 ウニクムは1790年、ブダペストで誕生した。当時の皇帝ヨーゼフ2世(マリアテレジアの息子)は胃腸が弱かった為、重臣でお抱え医師でもあったツバック家は、46種類のハーブ、スパイスからこのハンガリーの養命酒を作り出した。(レシピは門外不出)でもヨーゼフ2世は1790年に亡くなっている。間に合わなかったか。 ウニクムとは、ユニークの意味。「特別な」、「一風変わった」という意味があり、はじめてこの酒を飲んだ時の皇帝が「Das ist ein UNICUM(これはユニークだ!)」と言ったことから、名づけられた。社会主義時代、レシピの商標権を持つツバック家はアメリカに亡命するも、ハンガリー国内でのみ生産、販売される。ウニクムはちょっと重過ぎるハンガリー料理の消化や、二日酔いに効くそうで、今でもヨーゼフ2世がユニークだと言った時そのままのレシピで国民に愛飲されている。 大きなお世話だが、重いと誰もが感じているハンガリー料理なら、40度もあるウニクムで消化を助けるより、料理自体を工夫すると言う発想がないのが不思議だ。伝統料理を守りつつ、日常の健康に気を使うという日本のようなレシピはないのか。 ロシア、ハンガリー、トルコ、それぞれの国の男性の平均寿命は他の先進国からみて極端に低い。ロシアはとにかく「飲みすぎ」が原因で、ハンガリー、トルコはこってりした料理なのかもしれない。それにしても、ロシアと深いつながりがあった社会主義時代ですら、ロシアの料理はハンガリーに入っていない。体制的に組み込まれていても、自らの食文化は守り通したんだ。料理の工夫と言えば、英国も不思議な国だと思う。欧州はそれぞれ近いし、王家は親戚であるのに、どうしてパンは固くてモソモソしたまま、料理は味気なく工夫もない。お菓子はただ甘くモソモソしている。クリスマスプティングをハロッズから取り寄せたことがあったが、自分で当時Faxでロンドンから取り寄せた!という充実感がなければ、あんなのはもう食べたくない。イギリス人は食べる物に関心が薄いのだろうか。 イギリス人がspyとなって素性を隠して他国に潜入しても、レストランですぐ見破られると言う小噺がある。だって、なんにでも塩、胡椒をかけて食べるから。Pepsiをclick!
July 1, 2008
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漁夫の砦とは、(漁夫の利ではありません)ドナウ川の流れを見下ろす古い要塞跡に、1890年から作られた7つの塔を持つ砦風の展望台のこと。 展望台と言っても、なかなか立派で大きくて、結構歩き回れる。建物全体が長い回廊で繋がっていて、川の傍まで降りていくこともできる。とんがった塔がとても可愛い。名前の由来は、中世時代、ここにドナウ川で漁をする漁夫達のギルドがあったことから、とする説や、19世紀に市民軍が王宮を守ったとき、ドナウの漁夫達が川沿いに襲来する敵を、この砦から見張ったことから、とする説等があり、いまだにはっきりしていない。1905年に完成したのに、100年しか経ってないのに、由来がわからない!??真ん中におわしますのは、建国の王、イシュトバーン。 イシュトバーンと言うとなにやら難しく聞こえるが、ドイツ語読みではStephan。(結構普通)気の毒なことに3人の子供が彼より先にみんな亡くなってしまった。 ハンガリーの王冠はイシュトバーンがマリア様に誓いを立てて、戴冠したもので、何故か十字架が傾いている。んー、どうしてなのか知りたい! 宝塚の「エリザベート」でもしっかり王冠の十字架は傾けて作ってあるらしい。 現在は国会議事堂にあるものの・・・1945年にはアメリカが持って帰っちゃって・・・ハプスブルグ家は亡命していたにも関わらず、所有権の放棄をずっと拒み続けた。1978年に返還。歴史あるものはその土地にこそふさわしいのに、戦争のたびに戦勝国がなんでも持って帰ってしまう。 「う、うちのお父さんがいてません! !」お父さんって、boyfriendか。なかなか広い砦なのでトイレに降りたら、迷ってしまったらしい。「ちょっとぉー、あんたぁー! !なにしとるん!」「まあまあ、奥さん、そう怒らんかて。迷うても仕方ないわ」「ぐずくずしとらんで、はよう!」百年の恋も冷めなければいいけど。Pepsiをclick!
June 30, 2008
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ここがマリアテレジア、フランツ.ヨーゼフが戴冠式をあげたマーチャーシュ聖堂。 マリアテレジアの夫、フランツ.シュテファンはどの窓から妻の戴冠式を見ていたんだろう。 そこは、女帝の夫なので、やぐらを組んで見たらしいんだけど、かなり上部から見たのか。sissiはフランツ.ヨーゼフの戴冠式に皇妃としてしちゃんと一緒に参列した。 ハンガリー側はどうしてそんな意地悪をしたのか・・フランス人だから? なんとなく、ウィーンのシュテファン教会に似ている。こちらの方が、暖かい感じがする。戴冠式を行なったにしてはこじんまりしていて、圧倒されるような荘厳感はない。力の象徴っぽい教会と違って、暖かな、人間味あふれる印象。そもそもハンガリー初代国王イシュトバーンはモンゴルの脅威に備えてキリスト教に改宗した。キリスト教同盟に入れば、助けてもらえる。 宗教ってそんなことで決まるのかとも思う。 イシュトバーンは9世紀にウラル山脈を越えてハンガリー平原に移動したマジャール人なわけで、それじゃ、それまでそこにいた人々はどうなってしまったんだろう。聖堂内は観光客と信者さんたちでごった返している。宗教は時に政治や権力に利用されるけれど、教会で真摯にお祈りしている信者の方々は心から神を信じ、神とともに生きているのだなぁとつくづく思う。ヴァチカンの財宝を見る時、矛盾を感じるのは私だけだろうか。sissiの胸像。皆様一緒にパチっ、パチっ。 (お母さん、ぶれすぎだってばー。)世界的美女と2ショット。ぶれたくらいでちょうどいいか・・・ (世界的美女がまたここに。ヘレナの誘拐)Pepsiをclick! 明日から飛騨高山に行き来ます!
June 26, 2008
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「オネエチャン、インターコンチどぉやの?眺め、ええのん?」「Holiday Inn な部屋はまあまあなんやけど、窓から見えるのんは草ぼうぼうのテニスコートやねん」「うちらもグレードアッフすればよかったわぁ」 「今晩、クルーズ申し込んだからな、その時夜景見せてもらうわ」バスは王宮に着いた。元々は13世紀に建てられ15世紀にイタリア職人によりルネッサンス様式に。17世紀トルコとの戦いで消滅。その後バロック様式に建てかえられる。(再建したのはマリアテレジア) その後、大火災と二度の世界大戦でまた完全に破壊され、今ある王宮は1950年から建てられたもの。「復元」って発想はハンガリーではなかったのか。内部は美術館と博物館になっていて、何度も破壊されてしまった為か、調度品や所謂私たちが「王宮」とイメージする物は残っていない。 17世紀まであった財宝は現在ヴァチカンにある。その頃トルコに取られまいと財宝を移したのは理解できるが、そろそろ返してあげたらどうなんですか、ヴァチカンー! 見きれない程財宝持ってるでしょーが。(その上、今は美術館が移転。どうなってるのかなー。) Europeに行くたびにどうしてこんなに遠いんだろうって飛行機の中で嫌になるが、もしEuropeが近かったら、日本はどうなっていただろう。ハンガリーはこの王宮が建てられる前後だけでも、モンゴル軍に攻められ、今度はトルコ軍に攻められ、その後、ドイツに。やっと戦争が終わったと思ったらソ連の干渉。 元寇の時、台風が来なかったら、日露戦争で負けていたらと想像するだけで怖い。「なんか、あのガイド、感じ悪いんちゃう?」「ちっとも話おもしろくないなぁ、説明聞いててもさっぱりわからん」そう、そうなのだ。機械的に年号を並べるだけで、エピソードなんかは一切ないので、あまりにも味気なく、何も印象に残らない。いつもはガイドさんの横に行って、一言も聞き漏らすまいとしっかり説明を聞いているのだけれど、近くに寄りたくない。あなたねー、その上から目線の話し方、なんとかしてもらえませんかー。Pepsiをclick!
June 25, 2008
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ロビーで待っているとガイドが現れた。昨日からこのスカしたような、人をバカにしたような態度の日本人ガイドが嫌だった。 添乗員と皆様はHoliday Innなので今からこちらにやって来る。彼はロビーのソファにどっかと座ってそっくり返っていたので、昼食後のfree timeに行く予定の聖イシュトバーン教会と中央市場の位置について地図を持って聞きに行った。「それは僕の仕事ではありません」それは僕の仕事ではありません!? 私はfree timeにここまで案内しろと言ったわけではない。昼食後の解散がこのホテルだからどっちにどう行けば行けるのか、歩いて行けるのかと聞いただけだ。本当に嫌な男。こんなガイド見たことない。 思いっきりむったりしてこちらも何も言わず、Intercontinentalの笑顔満面のフロントで聞くととても親切に教えてくれた。初めからフロントで聞けばよかった。こんな嫌な男と半日一緒なのか、気分が悪いな。 バスは丘へと向かった。ガイドはバスの中で説明していたが、「それでは皆さん、どうぞ。」と言って自分は車中に残る。怠慢すぎる。Brrrrrr ドナウ川と左手が王宮、右手が国会議事堂。世界遺産の看板も凍っている。要塞の後みたいになっていて、これより先は有料だと言う。10分しかないので門の下まで行って覗き込むと中世の小道みたいになっていた。おもしろい物発見。いやー、もう寒いのなんのって・・・ 沿道に毛糸の帽子や手袋が売っていて、何人か買っていた。その人たちはとっても薄着でパーカーにウィンドブレーカーと言ういでたちでずっと通していた。手袋もここまでしていなかった。(買い物する時間もないし)そもそも事前の電話でムートンくらい必要なのか?と聞いたとき、添乗員はそこまでしなくともと言った。風邪をひいてなければキルティングのコートと普通の靴で来る予定だった。きっとみんなもそういうことは聞いていて、日本の11月くらいの認識だったと思う。「ここ、どこですのん?」のご夫婦は「恥ずかしいんですけど、この下パジャマ着てますねん、着る物持ってきてないんですわ」と言っていた。用意して来てないのだ。なのに、自分は雪国で子供がするような耳あてをし、オーバーコートにブーツ、さらにマントまで来ている。どういうことなのか。その上、ブダペストはこの嫌な男がガイド。あ゛ーーーーー! ! !Pepsiをclick!
June 24, 2008
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さて、今日も朝早くから出発。 朝食に降りたら、外はまだうす暗い。 感じのいいウェイターさん。昨夜雪が降ったらしく、ああ、でも暗いから雪じゃないかもしれないと希望的観測を持ちつつ、テーブルに着く。玉子やソーセージを焼いてくれます。ハンガリーはアジアに近くて人もeuropeぽくなくてアジア人に似ているってよくTVでやっているけれど、アジアの顔の人は殆どみかけなくて、皆様こんな感じ。この方々がマジャール人なの???おやつみたいなパンやケーキばっかり持ってきてしまった。明日も来るのが楽しみだー。 母は焼きたてのフランスパンを切ってもらっている。ご満悦。 昨晩は殆ど食べてないので、いつもよりたくさん食べる。 ハンガリーはフォアグラをたくさん輸出してる。良質の羽根布団で有名だもの、そりゃ、たくさんフォアグラできるなー。 こうして並べて見ると・・ちょっと残酷で可哀想。 Pepsiをclick!
June 23, 2008
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ブダペストに着いた時にはもう真っ暗だった。 夕食は生のバンドが演奏してくれて、可愛らしい衣装の女の子たちが踊ってくれるレストランだったんだけど・・・日本と言えば、sushiと言う様に、ハンガリーと言えばグラーシュ。パプリカの粉と、肉とじゃがいも、たまねぎ、そしてタルホニヤ(Tarhonya)というゆでた団子を一緒に煮込んだスパイシーなシチュー。これが・・私のコートより赤くて、妙な感じに辛い。独特のスパイスが使われてて、私はだめだー。1-2口飲んだらもうお腹が熱くなってきたー。普通のシチューが食べたい・・・・ 今から思えばトルコ料理に似ている。それもそのはず、パプリカは16世紀にトルコから入ってきた。色んな物がトルコから入ってきている。パンとサラダだけで食事は終えた。 最後の2連泊はグレードアップしてIntercontinental hotel.ドナウ川のほとりに建っていて、部屋からの夜景が綺麗で有名なのだ。「オネエチャン、グレードアップしたんかー」「私ら、Holiday innやんー。ほな、明日なー」窓から見える夜景には限りがあるので、ちょっと外に出てみた。鎖橋もすぐ。これをとぼとぼと歩いて向こう岸に渡り、国会議事堂をみるつもり。王宮もlight upされてて綺麗。ほほぅ、ここもライオン。ドナウ川にかかる鎖橋を歩く。目の前には王宮。出迎えるのはライオン。 8時なのでまだ人通りも多く、危険そうでもない。カップルが多い。対岸に渡ると、見えてきた、見えてきた、世界一美しいゴシック建築! Pepsiをclick!
June 22, 2008
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ウィーンを後にし、スロバキアのブラチスラバに向かう。チェコスロバキアの社会主義が崩壊して、分離する際、ユーゴスラビア紛争の様な流血は起こらなかったので、なめらかな布のような別れだったと言うことからビロード革命と言われた。英語ではvelvet divorce。離婚がなめらかな布ねぇ。。 スロバキア城のガイドさんはとーっても真面目できちきちっとした方だった。 大学で日本語を専攻している学生さんで日本語もきちきちっとしている。ブラチスラバ城。右側の塔が4辺のそれぞれについていて、ひっくり返したテーブル城とも呼ばれている。マリアテレジアの居城でもあったらしいんだけど、非常に簡素で「要塞」と言ったところ。オスマン帝国ににらみをきかせる為の城だったので、こうなのか。 ドナウ川沿いの小高い丘にあって、見晴らしのいい展望台にもなっているのだが・・・「ソウル?」あちこちから聞こえてくる。一部古い建物は残っているものの、丘から見た市内は韓国のソウルのように普通の建物が密集した感じ。(誰も写真撮ってない)真面目で可愛らしいガイドさんには申し訳ないけれど、ここに来るなら、この時間、ウィーンにいて王宮をもう一度見たかった。 「ここはもう来んでもええねー」ガイドさん、聞こえてたらごめんなさい。写真右下の平屋は売店になっていて、眺めがこうな割には可愛らしくて、センスのいいものがいっぱいあった。お城を出て、目抜き通りに向かう。これがスロバキアの銀座。建物はところどころ可愛らしい。スロバキアで一番有名なマンホール。ガイドブックに必ず載っている。知らないで上ばかり歩いていたら躓きそう。 Pepsiをclick!
June 21, 2008
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えっ!?という間でウィーン観光終了。返す返すも勿体無い。 お昼はウィンナーシュニッツェル。(お昼なんですけど)スープ。浮いてるのはチーズじゃなくて、パスタと麩のあいのこみたいな物。 ウィーンで平たいスープ皿を見たことがない。両手付きかライオンボールと言われるスープボウル。形的にはライオンボールが可愛くて好きだが、自宅使いでは安定性が気になるところ。これが一番、この旅行中、口に合った。 日本のとんかつから見ればかなりあっさりめ。 シュニッツェルはスペインからイタリアを経てオーストリアに伝わった。ラデツキー行進曲で有名な帝国のラデツキー将軍がミラノの鎮圧に遠征した際持ち帰ったと言う説が一般的。薄く延ばしてあるのは、叩くことによって、仔牛の繊維をつぶし、揚げても硬くならないようにする為。 レストランのザッハトルテ。ザッハーやデメルからみるとあなりあっさりめ。でもシュニッツェルを食べたあとに濃厚な本家のレシピは辛いからこれでいい。 Pepsiをclick!
June 20, 2008
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シェーンブルンを後にし、ヘルヴェデーレ宮殿に向かう。 なんと、今回ウィーンの観光はこの2つのみ。駆け足過ぎる。 ウィーンを堪能したい方、おいしいものtryしたい方は2日は滞在した方がいい。(それでも足りないくらいだが、オーストリアだけのtourはなかなかない)とても素敵が華美すぎない門。このライオンがちょっとおもしろくて、 妙なポーズで立ってて笑える。最寄の駅から歩いてベルヴェデーレに入ると宮殿までは30分はかかる。段々になった庭と各所にある噴水の横をずーっとてっぺんの宮殿まで歩くのは楽しい。今回はバスの駐車場が上部にあるので、殆ど歩かずに宮殿前についた。この寒さと花がないことを考えればその方がよかった。雪は止んだものの、すごい風でこの写真以外は髪もムートンもぐるぐるになっている。宮殿から見下ろした風景はこんな感じ。夏のような華やかさはないけれど、気持刺繍っぽくしてくれてるのが有難い。こっちにも少し、クリスマス用の売店が立っていた。物置みたいに並んでいるのはクリスマス市。 フランツヨーゼフがシェーンブルンに住み、皇位継承者フェルディナンド大公はベルヴェデーレに住んだ為、当時はシェーンブルンvsベルヴェデーレの様相を呈した。今は美術館として公開されている。 「こっちー、こっちー」「オネエチャン、目立つからな、どこにいても目印になってええわ」「雪の中でも見失わんですんだでー」。。。。お役に立てて何より。 この旅行中、行った先々で通りすがりの欧米人も私をじーっと見るので、もしかして、私はstreet girlと間違われてるのかと不安になり始めた。この格好まずかった? 帰国してからEurope人の友達に次回の旅行のこともあるので、street girlに見えるなら正直に言って欲しいと聞いてみたところ、「europe人にとって、round faceは珍しいからね」そりゃ、民芸品みたいな顔してますけどっ。「street girlはこんな格好じゃない、冬のeuropeでは女性はスカートをはかない。おまけに君のはショートスカートだし。パンツじゃないのが不思議だ。」トルコ旅行まで私はパンツを持ってなかった。長いスカートはひざ周りに布がからまる感じがしてイライラする。「どうして寒いのに短い丈なの?これじゃ、寒いよ。furは長くないと用をなさない」そりゃ、私だって毎年ムートンが長ければなぁって思いますよっ、でもsmall Japaneseの生き残りだから、毛布着てるみたいで、今にも転がりそうに見える。Europe人って私たちよりずっと合理的だと思う。Pepsiをclick!
June 19, 2008
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X'masまでまだ一ヶ月以上あるのに、もうクリスマス市なんだ! シェーンブルン宮殿の広場でクリスマス市なんて素敵すぎる。(ウィーンでは市庁舎前のクリスマス市が有名) 軽食なんかも売ってる。こちらはプリッチェルのお店。親子かなー、おそろいのセーター着ちゃって。何故かはちみつも売ってる。おにいさん、この寒いのに素手でビスケット食べてる場合じゃ・・ 私はガラスの玉を集めていて、行った先で見つけると買うことにしている。ドイツやオーストリアはガラスの玉でロシアは木製。手書きで書いてる絵が可愛らしいし、出窓の上部から吊り下げたりしてる。どれにしようかなぁ。たくさんありすぎて迷っちゃうな。透明なガラスに細かくレースを貼り付けたような模様のがいいな。母も集めているので、お互い物も言わずに見る。吊り下がっているのと、手にとって見るのとではまた随分感じが違うし、上手に書けてるのがいい。華奢でいつも持って帰るのに大変なのに、つい買ってしまう。なんか、ふわふわで可愛いなー。こちらはバネで吊ってるので近寄るとあちこちひっぱってくれるから、人形たちが上下にビヨーンビヨーンと動いて楽しい。ぁぁぁぁあ、見るのは楽しいけど、鼻の感覚も、もうないし、指先がかじかんで痛い。足の指もじんじんしている。「オネエチャン、ホットワイン、ホットワイン」「あったまるでー、こんなん変や思うてたけど、ええわ」私もワインを温めて飲むなんて想像もできないし、絶対おしいくないだろうと思っていた。Europeでは全然普通に飲まれているし、彼らはice tea(coffee)なんて絶対に飲みたくないと言う。でも暖かい物を手にとりたかったし、コーヒーよりは温まりそう。ふぅー、アッタマルー。そんなに違和感ないかも。ワインと知らずに飲めば、ローズヒップかフルーツティかと思うだろう。色はあんなに綺麗じゃないけど。 集合時間。これでシェーンブルンともお別れか。散々だったな・・・「1.2.3......皆さん、お揃いですね。添乗員さんは.....あら、またいない」(入場時も、退場時も遅れて来るなんて。門の前で10分立って待っていた、寒いんですけど。)Pepsiをclick!
June 18, 2008
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やっぱりシェーンブルン宮殿はいいなー、と感慨に浸って外にでると・・・あー、雪か。ううっ、寒い。 さて、グロリエッテまで辿り着けるだろうかと思いながら階段を下りていると(バルコニーにいるオレンジの点は私)いきなりこんなことになった。えーっ!? 吹雪!??グロリエッテは宮殿正面にネプチューン噴水や刺繍の庭をはさんで丘にたっている見晴らし台。 宮殿からは歩いて20分くらいかかるけれど、ゆっくり刺繍の庭を眺めながら丘を登っていくのはそれだけで素敵だった。グロリエッテからの眺め。マリアテレジアイエローはもっと濃くて、刺繍の庭はもっと模様がはっきり見えて、ここに座って30分はこの眺めを見ていた。グロリエッテが見えない! ! 王族たちの遊びの一つ、迷路。(これは夏の写真。今回は勿論これがどこにあるのかなんて見えない。)前回、歩いてみたが、複雑でもなく、2時間を要したって説明はちょっと。それは、デートだったのでは。私とhusは20分足らずで出ましたが。(夏の写真)宮殿の反対側に移動しよう。傘とショールも出して小走りでいく。風は横殴りでペチャペチャと顔が濡れて来た。 「オネエチャンどこ行くのん?」「わかんないけど、反対側に行く!」「うちらもついてくわ!」 反対側に着くと小降りになり、コンサートの準備中の広場に出た。こんななか、屋外コンサート?夏にはどこからともなくバイオリンの音色が聞こえ、それはそれはRomanticだった。(宮殿には室内音楽用のサロンがいくつかあって、窓が開放されていた) ふと、振り返ると、クリスマス市!Pepsiをclick!
June 17, 2008
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フランツ.ヨーゼフの苦悩は果てしなく、何も好転しないまま、第一次世界大戦中に没。 (フランツ.ヨーゼフの勉強部屋) 1.帝国内の民族紛争はますます高まり、「オーストリア帝国」は「オーストリア.ハンガリー帝国」となる。(ハンガリー人が優遇を求めた為、他の民族も蜂起しはじめる) (西洋風キャビネット)2.強大な軍隊を持ちながら、指揮官の失策により、イタリア戦争でロンバルディア、ベニスを失う。 (左.マリアテレジアが夫を偲んだ漆の間。右.マリーアントワネットの部屋)3.ビスマルクに敗れ、ドイツ全体から排除される。(陽の沈まぬ帝国はこうしてどんどん小さくなっていく) (こども部屋)4.sissiの奇行が激しさを増す。 (緑の間)5.皇太子ルドルフがマイヤーリンクで心中。 (くるみの間)6.メキシコ皇帝マクシミリアン(弟)が殺害される。 (左.Chinese room.壁は陶器.右.黄色の間)7.sissi暗殺 (宮殿内教会)8.皇位継承者とした甥のフランツ.フェルディナント大公との対立。 (会議室)9.フランツ.フェルディナント大公暗殺(サラエボ事件) (sissiの髪飾り)10.第一次世界大戦勃発(帝国崩壊) どの部屋も素敵で、どこか「人」を感じさせる。豪華だけれど、どこか完璧ではなくて、暖かい。一番はっきり覚えているのは漆の間だろうか。Europeの宮殿に漆がこんなに使われていて、喪の間として作られたのは興味深い。マリアテレジアは漆の美しさを評価してくれていただろうか。Pepsiをclick!
June 16, 2008
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フランツ.ヨーゼフとsissiの息子、ルドルフはマイヤーリンクで心中したとされている。 1983年長い亡命から帰国したオーストリア.ハンガリー最後の皇后ツィタはタブロイド紙にあのヨーロッパを愕然とさせた大スキャンダルが「暗殺」であったことを語った。 1.暗殺の疑惑があったが政府要人が関与した為、、政治的混乱を回避した。2.教皇は1度は皇太子の葬儀許可を拒否。暗殺の疑惑をもって2度目に許可。3.事件後の室内は、家具がひっくり返える等、激しい争いの痕跡があり、壁に弾痕・血痕が多数あった。 4.皇太子は綿の詰められた黒い手袋をしており、(軍服であれば白手袋が常識)手の自由は奪われていた。5.皇太子の右手は手首から切断されていた。 この時、皇太子30歳、マリー.ヴェッツェラ17歳。17歳で愛人なのか・・・「ルドルフが生きていたら、第一次世界大戦は起きなかった」と言われている。直後、第一次大戦が勃発し、調査もままならぬまで今日に至る。皇后ツィタは選民思想が強く、ハプスブルグ家は必ず再興すると死ぬまで信じていた人だから、嘘ではないかもしれないが、思い込みもあるかもしれない。それだけプライドの高い彼女が大衆紙にそれを語ったというのも腑に落ちない。オーストリアは謎を謎のまま封印するだろうか。それとも墓を掘り返して徹底的に調査するだろうか。(既に墓は荒らされている)ルドルフはベルギー王女ステファニーと結婚し、1女をもうけていた。彼の死後、「王室とは一切関係なし」と誓約書を書かされ、再婚する。最後の皇女エリザベート(母と同名)は軍人と結婚後、うまくいかず、社会党幹部と再婚、「赤い皇女」と呼ばれた。 Pepsiをclick!
June 15, 2008
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歳月は可憐な少女を大女帝に変えていく。神聖ローマ帝国の大公女として生まれた彼女は、フランスからウィーンに留学していたロートリンゲン公フランツ.シュテファンと恋に落ち、当時としては奇跡的な恋愛結婚をした。この結婚の為、フランツはロートリンゲンを放棄しなければならず、嘆き悲しんだ。 現エリザベス女王とフィリップ殿下でもわかるように、女帝と結婚した夫は常に妻の後を歩き、観劇の際は妻は1列目、夫は2列目と屈辱的な場面に遭遇する。女帝はフランツを深く愛していたものの、女帝としての権威は絶対的に持ち続け、政治には一切、口をはさませなかった。「女帝の飾り物」として扱われ、マリアテレジアがハンガリー女王になった時、ハンガリー側ではフランツの席すら、用意しない。「共同統治者は認めない、彼は王妃でもない、故に彼の席は用意できない」 戴冠式は教会の窓から覗いたと言う。 フランツは自然科学に興味を持ち、植物園や動物園を造った。毎回、動物園に行く時間はないが、宮殿と動物園ってちょっと異色でおもしろいと思う。 マリアテレジアは16人の子供を産み、その中の一人はマリーアントワネット。 16人って・・・妊娠可能な時期、殆ど妊婦だったと言うことか・・アントワネットがナイフとフォーク、sweetsをフランスに持ち込んだのはあまりにも有名。グレートギャラリーと鏡の間。マリアテレジアは年とってからの肖像も残しちゃったんだ。 ルイ14世はシェーンブルンの様な宮殿が欲しくてベルサイユを造った。ベルサイユの方が絢爛豪華で完成された感じはあるが、シェーンブルンはどこか人間味を残してあるように思う。今回は床の美しい模様が磨り減ってきていて歩くたびにきしきしと音がする。 ベルサイユと言えば、当時のふっくらしたドレスは宮殿に王族用のトイレしかなかった為、庭で用を足せるようにあのデザインになったそうで、「花を摘みに行く」の意味は。。。 Pepsiをclick!
June 14, 2008
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そもそも皇帝フランツ.ヨーゼフはエリザベートの姉、ヘレーネとお見合したのに妹が見初められ、結婚した。姉の胸中は・・フランツ.ヨーゼフとの結婚は幸せだったろうか。堅苦しい宮廷生活、干渉過多の姑、子供たちは自分で育てられず、なつかない。エリザベートとの結婚は、幸せだったろうか。もっと宮廷に馴染める女性を選んでいたら、皇帝の苦悩は少し減っていたかもしれない。 172cm 50kg ウエスト50cm.(ダイアナ元妃くらいか) それで50kgならがりがり。 ウエスト50cmをkeepするためのトレイニングルーム。 写真奥にあるのが、妙なエクササイズ器具。 一年のうち数日もウィーンにはいなかったのだから、何度使われたのか。 美しくなれるからと言って、私は牛肉のしぼり汁なんて飲めない。髪のセットは2時間を要し、洗髪は生卵で1日かけて行なう。自分ではしないだろうが、御付の者たちは大変だったことだろう。 エリザベート(sissi)は一所にいられない。死ぬまで「旅」を続けた。御付の者たちは、家族とも会えない。日に5時間も「散歩」に出る。それは散歩ではなく競歩だったらしい。でも一人で行かせられるわけがない。 日本では「美の追求者」「近代的女性」とされているが、海外文献では責務を放棄し、我儘を通し、フランツヨーゼフに苦しめ、狂気をおびた皇后とされていることが多い。sissiはノイシュヴァンシュタイン城のルードヴィヒ2世の従姉妹。二人とも精神病であったと言う説、あまりに勝手に振舞うので世間体で精神病としたと言う説がある。ナポレオン皇妃ウージェニー、イギリス王妃アレクサンドラとお互いに「美しい」と言う噂を聞き、対抗意識を燃やしていたあたりは、ご愛嬌か。 sissiがすごいのは若い時の肖像しか意図的に残さなかったこと。年取ってからは常に扇で顔を隠し、絶対に人には見せなかったそうだ。 公人であるのに、そんなんでいいの?60歳没なのに20代の肖像しか残してないのは天晴れとも言うべきか。「写真撮らなかったら、葬式の時若いの出せるねん」もあながち間違ってないかも。。 Pepsiをclick!
June 13, 2008
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今日は雪が降るらしい。(また寒いのか)ウィーンの観光は半日ですぐにスロバキアに向かう。勿体無い。朝食はチーズやハムが豊富でドイツのような感じ。ただ、パンがsweets系の物が多い。朝だけどケーキも食べちゃお。 バスに乗り、中心部で現地ガイドさんをひろう。ウィーン在住の日本人奥様。 「皆さん、おはようございます。今日は一番の冷え込みです」 毎日一番の冷え込みか・・・ 「今日の予報は雪です。」 雪まで降るのか・・・ この直後にバスのマイクが壊れた。 そろそろ市内中心部の見所、市庁舎や王宮のあたりに着いてしまう。 そこには見所が集中しているので、「はい、右手は・・・はい、左手に見えますのは」とテンポよく説明しないとすぐに通り過ぎてしまう。中心部であるため、停車はできない。 添乗員が「それでは、私が真ん中に立って、後ろのお客様に伝えます!」 一同、ぎょっとする。 ウィーンのショウウィンドウと言われるこのポイントではそんな伝言ゲームは不可能だろう。 そもそもあなたが真ん中に立つよりも、ガイドさんが真ん中でお話したほうがいいではないか。 ガイドさんの話を真ん中で復唱する彼女は滑稽にさえ見えた。(で、間違ってるし)復唱している間に次のpointは過ぎていく。ガイドさんは相当イライラしている。後から「もう、いいです。危ないから座ってください」皆様、優しいなぁと思う。間違った伝達で、それもバカみたいに大声はりあげて、次のpointの説明がかぶって聞こえない。誰から見ても止めていただいた方がよかったのだ。「大丈夫です!私頑張りますから!」遠まわしに言ってもわからない人種は困る。 バスはシェーンプルン宮殿に着き、「チケットを買って参りますので、皆さんはまっすぐ進んで入り口正面でお待ちください」ハイ、了解。追いついたガイドさんが人数を数え、「皆さん、揃ってますね、さあ、参りましょう」「添乗員がいません!」 Pepsiをclick!
June 12, 2008
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昼食を済ませ、半端に残ったコルナを使い切るため、売店に向かう。ガムや飴は買えない。結局ミュシャのpost cardを数枚買った。プラハの中心部から出ると、やっぱり女の子がぽちぽちと立っている。 バスはウィーンに向かう。ウィーンは2回目で、お気に入りの都市のひとつ。前回はhusと航空券+ホテルだけで来たのだった。観光も全て個人でまわったので、かなり歩いたけれど、じっくり観る事ができた。 ウィーンの中心部、素晴らしい王宮のまわりには馬車がたくさんいるし、憧れのシェーンブールーン宮殿、ベルヴェデーレ宮殿は夢のようだった。デーメルか、ザッハーでoriginalはどっちか揉めてるザッハトルテはザッハーで食べた。たっぷりのウィンナーコーヒーと夢にまでまたザッハトルテ。おでこが痛くなるほど甘かったが、ホテルザッハーのopen cafeで食べるそれは「ああ、ウィーンにいるのだ」と実感させてくれたものだ。 カフェ.ツェントラルでは初めてトルココーヒーを飲んだ。あの時はこんなまずいコーヒーが世の中にあるのかとびっくりした。ウィーンではパンも、ケーキもとにかくおいしい。 マリア.テレジアが生き、モーツァルトが音楽を奏で、フランツ.ヨーゼフとエリザベートが帝国の落日を見、ヨハン.シュトラウスが遠き日の栄華に思いを馳せる。 ああ、ハプスブルグの栄光と衰退。 明日はウィーン再びだ。シェーンブールーンのあの刺繍の庭はどんなになっているだろう。 ホテルに着くと、70代のカップルの荷物がようやく届いていた。"boyfriend"が言った。「パンツ、3日はきついで」私の頭の中の「美しき青きドナウ」は止まった。 Pepsiをclick!
June 11, 2008
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プラハのみどころと言えば、「プラハのオルロイ(天文時計)」中世風の街にこの時計はとってもよく似合う。色といい、デザインといい、良い趣味だー。1410年、時計職人とプラハ大学のコラボで生まれたこの時計は1945年ドイツの空爆により甚大な被害を受けた。3年を要して1948年に復元。新宿アイランドにレプリカがあるそうだが、偶にアイランドタワーに行くものの、気づかなかった。 12時とか13時とかぴったりの時刻に小さな窓から使徒が現れる。仕掛け自体はミュンヘンのように大仕掛けではなく、「あれ、もう終わった?」という感じだが、本当に素敵な時計だ。時計の前に立って、仕掛が動くのを待っている間、周りを撮ってみた。人が多くて動けないので、同じ位置から方向だけ変える。教会の上部がなんか可愛い。 なぜか、とても可愛い。ロマンチック街道も可愛いけれど、現代がMixされているし、もっと明るくて健全な感じだと思う。プラハは本当に古くて、romanticで、「魔法の都」にふさわしいと思う。 確かに、歩いていてもレストランってあまり見かけなかったし、あったとしても20人以上がいっぺんに入れるレストランは少ないのかもしれない。 旧東側の「国営レストラン」ちょっとそれは・・・勝手なイメージを持っていたが、全然明るく、清潔で違うところと言えば、働いている人、全員に表情、愛想がないということだけだ。今回のツアーでここだけEuro,yen,$が使えない。コルナでございます。ホテルで$8だけ両替しておいたのだ。(飲み物の為) (写真を撮ってないのでリーガロイヤルから似た物を)チェコの伝統料理は鱒料理。川魚は苦手だが、お肉も続いていることだし、どれどれ。「このソースと鱒、合わんとちゃう?」「鱒、塩してグリルしてくれたほうがよかったなー」 パンとケーキはまあまあ。 お水が高かったのでビールとワインをorder.($8あれば充分って、添乗員が言ったのに)昨夜もそうだが、チェコのビールはドイツや日本と比べると元祖なのかもしれないけれど、大味と言うか、多分初期のビールに近いのだと思う。husのお土産に空港でビールを買って帰ったが、「んー、チェコのビールはもう買ってきてくれなくてもいいかも」と言われる。Pepsiをclick!
June 10, 2008
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カレル橋を渡りきり、集合場所に着く。初日に「置き去り」事件があったので、集合時間より、より早く皆様は集まってくる。 カレル橋のあちら側、プラハ城のあたりも可愛らしい町並みだったが、渡ってきたこちら側も少しずつ、建物は大きくなっているが、デザインがとても可愛らしい。ボヘミアングラスやガーネットのお店に行く。普段なら、ちょっと苦手なのだが、寒いので、どこでも入れてくれるなら入らせてーと言う気分だ。ほほぅ、日本人が連れて行かれるお店は店構えも立派、内装も重厚だ。(かなり儲けてますね)1階はボヘミアングラス。そこで免税や保証についての説明がある。何故か値段表示は円で、目につくものは結構なお値段だ。素敵だけど、持って帰れるわけでもなし、セットなんかは10万くらい平気でする。嬉しいのは、店員さんはたくさんいるけれど、誰も声をかけてくるでもなく、勧めて来たりもしない。 東欧の旅の記念にチェコではガーネットのピアスを買おうと決めていたので、とっとと2階に上がった。んー、どれどれ。割と古典的なデザインが多く、ガーネットはやっぱりルビーからみると、ちょっと地味めな色。こちらから「Excuse me,」と言わなければ、全く近寄ってこない。「Please show me this one」それでも笑顔ひとつなく、無表情だ。これが旧東側なのだなぁと思う。ロシアもそうだった。つけてみてもいいかと言えば、だめとも言わず、つけているのは見ているが、「よくお似合いですよ」とか勧めるでもなく、こちらは自由。 売っても売らなくてもお給料は一緒なのだろう。歩合制なら彼女たちも、もっと熱心になるんだろうか。 あまりアンティークな感じでも服を選びそうなので、シンプルな小さい物を買う。「オネエチャン、何かったん?」「ピアスか、ええねー。かいらしぃわー」「私ら?何も買わんわー、オバチャンが赤い石つけてどないすんのん?」と、そこへ70歳前後の荷物を受け取れなかった奥様が通りかかり、「オバチャンかて赤い石つけてもええがな。私は買いましたで。それとな、私ら夫婦じゃあらしませんので、ほな」。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。「やるわぁ、人生、謳歌しはってん」「すると、なにかいな、あの人はboyfriendかいな」「結婚なんてしたら、面倒みなあかん、ええわ、boyfriendー」コメントできず。 お店から全員に1個ずつこんなお土産をもらった。 ただでもらったものにしては可愛くて綺麗でとても気に入っている。 Pepsiをclick!
June 9, 2008
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神聖ローマ帝国カール4世の名を頂く、カレル橋。1357年着工開始、完成は1400年。全長516M.幅10M. カレル1世はローマ教皇をアヴィニョンからローマに帰還させ、帝国初の大学を創設。(プラハ大学)当時はヨーロッパ随一の栄華を誇っていた。 橋の上には30体の聖人や歴史的人物が建っている。ヤン.フスの像。下方左側には触ると幸運が訪れると言う犬が彫られていてみんなが触るのでピカピカになっている。観光シーズンには動けない程混雑して、渡るのを諦めないとならないことがあるそうで。 ちらほらとお土産物の露天もたっている。あまりに寒いので、立ち止まる人は殆どいない。何故かお店の人もいない。ヴルタヴァ川、凍りそう。後方右手がプラハ城。あんなところから歩いて来たんですからー。顔、隠してますけど、ひきっつって、こわばって、freeze状態。ぁ゛ああああ、寒すぎる!鼻の中が凍ってきたし、睫毛がひっついてきた。 「オネエチォン、写真いっぱい撮っときー、私らみたいになったらな、自分見るの嫌やねん」「皆さん、お若いじゃないですかー」「写真みたらな、これ、私やないって思うわ。」「写真撮らなかったらな、葬式の時に若いの出せるねん」え!? Pepsiをclick!
June 8, 2008
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プラハ城を出て、徒歩でカレル橋に向かう。ああ、暖かかったら、この中世そのままのlovelyな街をゆらゆらと歩けたらなぁと思う。顔をこわばらせ、おしゃべりもそこそこにひたすら歩く。 奈良から参加の奥様が「すみません、ここ、どこですのん?」と言う。「えっと、これからカレル橋なんですよ」「どこの国ですのん?」 え?「チェコのプラハです」「お父さんー!ここプラハやからちゃんと見とかにゃ」 「あの。。もしかして昨日からプラハにいること。。」「わかりませんわ」え?これから毎日、「ここどこですのん?」と聞かれることとなる。 世界中、あちこち旅行なさってるご夫婦なんだけど、そんなに執着はなく、旅行社から本が送られてくるので、行かないと悪いなぁと申し込んでしまうそうだ。今回はプラハ以外興味がないので、あとはサッと流すつもりなのだとか。街全体が絵本の中のようで可愛い。 チェコと言えばマリオネット。国立マリオネット劇場があり、学校もある。デフォルメされているとは言え、やはり人形達も特徴ある顔だち。木製の小物やガラス細工なんかもあって可愛らしい。みんな小さなお店で、窓が木枠だから寒そう。 プラハ城にいる間は寒いけれども偶に屋内に入るのでちょっと息抜きできた。城を出てから、ずっと歩き、カレル橋は徒歩で渡る。あああぁぁぁ、足が冷たくて痛いー。「ちょっとぉ、毛穴なくなったんちゃうの、こんな寒くて。」「ほんま、すべすべになっとるわ。」そろそろカレル橋が見えてきた。これぞ、モルダウですぞー。(凍てついてるけど)「この橋、なんて言いますのん?」「カレル橋です!」 Pepsiをclick!
June 7, 2008
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衛兵の横を通り過ぎ、プラハ城内にすすむ。それにしても、石畳の上ってどうしてこんなに冷えるんだろう。聖ヴィート大聖堂正面と薔薇窓。プラハ城はギネスブックによれば、世界で一番古く、大きな城の一つ。ボヘミア国王や神聖ローマ皇帝の居城だったし、大統領府もここ。 ステンドグラスにはアルフォンス.ミュシャの作品もある。(作品をクリックするとステンドグラスをご覧になれます。) 現代絵画風のステンドグラスも斬新で印象的。アルフォンス.ミュシャはスメタナの「わが祖国」聴いて大いに感動し、チェコ共和国設立の際、無償で国章、切手などのデザインをかってでた。ドヴォルザークもスメタナの影響を受けている。 メインタワーとゴールデンゲート。ボヘミアの宗教家、ヤン.フスの像。フスは免罪符があった頃、「教皇ではなくイエス・キリストこそが至上の審判である」「人は真の懺悔によって赦しを得、金では購うことはできない」と説いた為、火炙りの刑となり、ライン川に捨てられた。「なんぎやったなぁ」「よく、言わはったわぁ」 そもそもお金を払ったら免罪になるなんて。公然とやってのけたのか不思議だ。城内から撮ったプラハの街。プラハの建物は「塔」に特徴があると思う。高くて、丸みを帯びているけれど、先がとんがっている。それがなんとなく御伽噺の様な、暖かい、可愛らしい印象を与える。 時間がないからか、公開していないのか、「城」って感じの物は見学せず。大聖堂や大統領府など、全てを含んで「プラハ城」なんだけれど、印象は薄い。ヴェルサイユとか、シェーンブルーンとかそういう「城」をイメージしていたのでちょっと肩透かし。 Pepsiをclick!
June 6, 2008
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ホテルの朝食は素朴な感じ。玉子は赤玉で味が濃い。ハムやソーセージはドイツの方が断然おいしかったかな。パンは固め。 今日はずっと外になりそうなので、一番厚手の首すっぽりのセーター+インナー2枚、一番厚手のタイツ+タイツ+ストッキングと重装備。バスに乗り込み、現地ガイドさんを待つ。外は昨夜からの雪でよく言えば、幻想的、はっきり言えば、どれだけ寒い一日になるのか恐怖が先立つ。道行くチェコの方々もガチガチと震えながら歩いているのがはっきりわかる。 そこへ、ものすごく大柄で、顔のパーツも、頭も大きいインパクトある男性が通りかかった。「お母さん!アンドレアジャイアント!!!」「すごくごつい人だわー」なんと、私達のバスに乗り込み、(えっ!?)「皆様、お待たせ致しました!」と流暢な日本語で言った。うわっ、今日のガイドさんはすごいな・・・さんまのからくりなんとかに出てくる、初代なんとかチャンピョンのなんとかさんに似ている。(日本通の対抗戦で王者奪還を目指してる人)彼は20代で(!)チェコにバイオリン留学していた日本人の女性に猛アタックし、結婚したのだそうだ。「彼女が寂しがりますから、私がなるべく日本語で話します」優しい人だ。 「皆様、昨夜から雪が降って今日は一番の冷え込みです」ドレスデンだって一番の冷え込みだったじゃないのー!百塔の街はすっぽり雪に覆われている。バスから降りてプラハ城まで少し歩く。それが寒すぎて永遠に感じる。寒すぎる。ブーツの中で足が凍ってるー。かゆい。凍っているのは私たちだけでなく・・・衛兵も凍っていた。(こちらの衛兵は顔のパーツも小さめ、頭も小さい)トルコの衛兵はテレフォンブースみたいな箱に入ってたけど、こちらはちょっと犬小屋チックなのに立ってるから、それはそれは寒いと思う。 「ガイドさんの奥さんの親、あんなごっついお婿さん連れて来て、びっくりしたとちゃうの」「ごっついなぁ、普通の外人さんかてあんなにごつくない。」「うちに来たら、部屋狭くてかなんなー」チェコならアメリカや英国と違って日本人は少ないだろう。この閉ざされた街で心細く一人暮らしをしていて、優しい人に出会い、昼も夜も「愛してる」と言われたら、断れないかもしれないではないか。「とっても優しい人かもしれないじゃん」「そやかてー、ごついわ」 「ガイドさんのセーター、首と胴体と今にも離れそうなんだけど・・・」え!?「ほんま、ほんま。コートもしわくちゃやし、この人何も気にせぇへん人なんやわ」「セーター、ボロボロでも奥さんが幸せならそれでいいじゃん」「ほな、オネエチャンはあのガイドさんと結婚できるかー?」あのー、ガイドさんは最愛の人と結婚されていてるんですよ。私が彼と結婚できるかどうか考えて見なくでもいいと思います。Pepsiをclick!
June 5, 2008
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さてさて、プラハのホテルでcheck in.「皆さん、本日のホテルには温泉プールがあります! フロントで確認しましたが、この出口を出て一旦外に出ると右側に・・・・」当時私は温泉に全く興味がなく、ましてや海外旅行先で温泉なんて想像もできなかった。 6人組は予め調べて来たらしく、「オネエチャンもいこーや」と誘われたが、「水着持ってきてないもん」と即断った。部屋に入って、寒かった、寒かったとずっと言い続け、母に「もうわかりましたから、早くお風呂に入って寝てください」とうるさがられる。zzzzzzzzzzZZZZZZZZZZZ そして、翌朝。「ちょっとぉ、オネエチャン。昨日添乗員温泉やってるって言いはったやろ。私らすぐに水着に着替えて薄着で行ったらな。場所が全くわからん。で、あの寒い中ぐるぐる歩き回ってそれでもわからん。そしたらあの人も着替えて来てな、一緒にまたまわってん。鍵かかってるからフロント行ったら、もうとっくに終わってン」!?!?!? 「あんなんなら、初めから、部屋でお風呂入ってとっとと寝たかったわ」「せっかく養命酒飲んであったまったのに、凍えたわ」「英語だか何語だか知らんけど、わからんのに、嘘いわはってん。話にならんわ」あの寒い中、温泉に入るつもりで水着に着替え、Tシャツやジーンズは着たかもしれないけど、外に出たのだ。フロントで何か話してるのは見たが、わかってなかったのか。なんて気の毒な話だろう。誰も風邪をひいてなければいいが。 あまりに気の毒なので、すぐには聞かなかったが、この時私はKさんの背中に妙な物体が乗っかってるのを見ていた。なんだろう。クリーム色のセーターの左上の背中になにかコロンとしてるが球体ではない、妙なかたまりがある。 「Kさん、背中に何か・・」「え!?」「ほんま、あんた、何しょっとるん?」真っ赤になって彼女は席をたった。今朝、Kさんが言うには、「今朝、サラのブラしてん。で、やっぱりきつくて、他のにしてん。その時腕にサラのブラひっかけたまま、他のブラしてその上にアンダー着てセーター着てん。」(サラとは新品の意味だそうで)さっきまでのっかってたのは・・・ブラですか。「誰にもいわんといて」「もうみんな知ってるがな」 Pepsiをclick!
June 4, 2008
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プラハに着いた時にはもうあたりは真っ暗でまっすぐレストランに向かう。「百塔の街」「魔法の街」と言われるプラハだけれど、殆ど何も見えない。それがまた・・・寒いのなんのって。半端じゃない。添乗員Yが「今日のレストランは前回も行ったんですけど、とても素敵なんですよー」前回って・・・初めての添乗じゃないのか。「ここの方が近いのでここで降ります」知ったかぶりで言った彼女だが、歩いていくうちに「あら、こんなのあったかしら」「あれ?」やっぱりね、あなた、完全に迷ってますよね。今!札幌の雪祭りなんかよりずっと、ずっと寒いこの極寒のプラハで、しかも、雪降る夜に、あなたの勘違いでこんなに客を歩かせていいと思ってんですかー!レストランの中に入ってもなかなか体が温まらない。みんなパーシャル状態なので手袋すら脱げないでいる。チェコの人は無愛想だと聞いていたが、まあ、特に愛想がいいわけではないが、そんなこともない。顔つきが今まで訪れた国の人たちとは違う。私にとっては新しいversionだった。 写真左がチェコの養命酒「ベヘロフカ」。食前酒として、全員頂けた。ウォッカをベースに天然水、20種類の薬草、香辛料をブレンドしたハーブリキュール。チェコにはカルロヴィ・ヴァリと言う、名水の源泉があって、13番目の源泉はベヘロフカ専用と決まっているのだそうだ。アルコール度数が38度と言うので、私には無理かと思ったが、これを飲み始めて皆様が「あったまるぅ」と言いながら手袋を脱ぎ始めたので、ちょっと舐めてみた。色はlightな梅酒程度でにおいもさわやかではないが、「えっ!?」というほどでもない。お酒が飲めないので「おいしいー」とも思えないが、もし美容にいいと言われたら躊躇なく飲めると思う。右の写真は70度のアブサン。70度ってどんなんだろう。 日本で飲まれている殆どのビールはピルスナータイプと言うらしいが、チェコが元祖でドイツに入り、そこからラガーとなって世界中に広がったのだそうだ。普通のビールと黒いビールをorderしてみた。よくわからないが、ドイツのビールの方が口当たりがよかったような。あまりに寒い中、歩かされたので、この私が酔わない。何に見えます? 下はトマト。上の部分がクリームでもマヨネーズでもない初めての味。細かーくにんじんみたいな物がまじってるような気もするが、食べても何かわからず。ちょっとくどいので、取り除いてトマトだけを頂く。このあと、お肉やポテトの盛り合わせ。なんとなくだめでパンだけ頂く。 デザートはちょっともそもそ系のケーキ。体が殆ど凍っていたのと、バス移動の疲れが出てきたのか食欲がない。動きたくない、このまま横になれたらなぁ。 Pepsiをclick!
June 3, 2008
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さて、シュトーレンもgetしたし、お昼だー。 集合場所に集まった皆様は、すごい荷物になっている。 スーツケースに、それ、入るんですか?スーツケースの前に、バスに乗ったらそれどこに置くんでしょう?集合場所のパン屋さんの前。とてもおいしそうなので、ガラスに顔がつかないようにじーっと見ていたら中のおじさんに笑われる。これからお昼じゃなかったらちょっと買ってバスの中で食べるとかできるのになー。日持するような物はなさそうだし。人と人の間の後方に巨大くるみ割り人形、わからないかな。 お昼のパンは味はしっかりしているものの、ちょっともそもそ。 付け合せがずっとポテトかキャベツのピクルスだったので、トマトやレタスがふんだんに入っているサラダが新鮮に感じられる。 ハンバーグ。普段はお酒を飲んだら赤くなって心臓がドキンドキンしてしまうのに、体が芯から冷えているせいか、2口飲んでも全然体が熱くならない。もっと暖かくなれるものなら飲みたいが、これからバスに乗るのに具合が悪くなっては困るので止めておく。バスに乗ると案の定、皆様のお買い物された品々は足元にも棚にも置ききれず。プラハに向かう。 外は雪がちらちら舞って来た。「雪や!」「木が真っ白で綺麗やわー」陸続きの国境って通るたびに何故かわくわくする。ヨーロッパの方々にはなーんでもないことだと思うが、海を越えなければ「外国」でない私たちにはいつでも新鮮だ。国境地点でトイレタイムがあり、どんなところか降りてみた。路面は凍り始めている。男女どちらともまず同じ入り口から入る造りなのだけれど、その入り口のどまんなかあたりに、日本では「子供だって来る場所」には絶対置かれない自動販売機があった。「ちょっとぉ、こんなどまんなかになんやのー」「loveてなによー、loveー」「こんな人いたら誰も買えんとちゃうの?」すごく違和感があった。どうしてこの地点でこの場所にこの自動販売機。ひゃー、寒くて、また体が芯から冷える。バスはなんなく国境通過。すると・・・・この寒いなか・・・国境を過ぎたらすぐに・・・ちらほらと「女性」が立っている。ここにも、あそこにも。彼女たちはロシアや旧東側の国からやって来る。そして、勿論、旧西側諸国より、圧倒的に安いサービス料で客をとる。すごく、若く、すごく、お化粧が濃い。こんなに綺麗ならもっと他にできることはないのか。初めはびっくりして、じーっとバスの中から見ていたが、行けども、行けども、その光景が続き、途中で飽きて寝てしまった。 Pepsiをclick!
June 2, 2008
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ツヴィンガー宮殿内にあるアルテ.マイスター。(古典絵画館) ラファエロの「システィーナの聖母」の下方に描かれている2人の天使はあまりにも有名。ラファエロもこの天使達だけがclose upされて、小物にも使われるなんて想像できなかったろう。 フェルメールの「窓辺で手紙を読む女」 (フェルメールと言えば、CMで吉永小百合様が「真珠の耳飾の少女」を紹介されてますね。)落ち着いた色調のピンクの壁に絵画が並ぶ。見所のポイントはガイドさんがパッパッと連れて行ってくれ、ほう、ほーぅと説明に聞き入る。「ここで1時間とります。もし、絵画に興味がおありにならなくて、スーパーに行きたい方は10分後、この場所に集合してください。すぐ裏手のスーパーに私がお連れします」どうする?見所はおさえたし、スーパー行ってみたくない?今日ドイツ最後だし。10分後、そこに集まったのはほぼ全員。皆様、絵画よりスーパー。「あら、殆ど全員いらっしゃいましたね。」とガイドさんもプッって感じか。(ちゃんと人数を数えて)出発。そこは30分で買い物するには調度いい食料品中心のスーパーだった。 ああー、現地でスーパーはやっぱり楽しい! シュトーレンが欲しいなぁ。 あった! これ、これ。なんか固そうだけど、おいしいのか・・パサパサしてないのかなと思いつつ、3euroなので2つ買う。それにしてもお砂糖で真っ白。シュトーレンを知らなければ、何かわからない。あとは・・お土産にできるお菓子なんかを買おう!とりあえず、ドイツだからハッチェス!レジに並ぶと・・・ツアーの皆様は両手に抱えきれないほどの箱を持ち・・棚卸!??私がシュトーレンを持ってるので、並びながら、「それなんなん?」「おいしい?」「いくらなん?」私だってまだわからないですよー。「私も買っとくわ」「私も」私を見かけた方々は全員回れ右して、シュトーレン奪取に走った。そこにあったシュトーレンは全て完売。20個以上のチョコの箱を両手で抱え、シュトーレンをその上に載せ、いったい誰にそんなに配るんですか?お店やってる方々?「で、これなんなん?」シュトーレンです!ドイツのクリスマスのお菓子!「ほう、そかー。じゃ、クリスマス時期にしか買えんということやね」わかりませんからー。「で、おいしいん?」自己責任でお願いしますよっ、私だってまだ食べてないんですから。「ま、3euroだしね、失敗してもええわ」これが、もっと買ってくればよかったと思うくらいおいしかった!!Pepsiをclick!
June 1, 2008
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ツヴィンガー宮殿は1732年、アウグスト強王の命により完成した。 城や宮殿の見学に行くにはお花の咲いている時期の方が断然いいのだと今回つくづく思う。ここもまた1945年の空爆で消失したものの、戦後すぐに再建された。 アウグスト強王は365人の子をもうけたと言われている。365人って、何人の愛妾がいれば、産み終われるんでしょう。 その中でも有名なコゼル伯爵夫人は25歳でアウグスト強王に見初められた時には既婚者だった。王はその夫に莫大な年金を与え、夫人から「正妃が他界した場合には自分が王妃になる」こと云々を買い契約書を作り、サインさせる。その若さで王に契約書、夫か家族の入れ知恵だとしても、やるなー。 3人の子供を生み、深く愛されている筈だった。しかし、王はポーランド王になりたかったので、正妃と離婚した後、カトリックのポーランド貴族の娘と結婚してしまう。彼女はあせり、従姉妹に預けてあった結婚契約書を取りに行くが王の策略か既に契約書は存在していなかった。 彼女はそのまま逐電し、長い間王の元に戻らなかった。(当たり前のような気もしますが)王はそれを反逆罪とみなし、彼女はその後49年にわたって軟禁される。二人の蜜月の頃、王が与えた宮殿の一部。今はホテルとして使われている。 英国のヘンリー8世は次の女性に気が移った時、アンブーリンを処刑した。それからみれば野蛮な人ではないように思える。 アウグスト王がザクセンにもたらした偉業は誰も否定できないだろう。芸術を愛し、育み、後世に残る文化をこのドレスデンに与えたのだから。Pepsiをclick!
May 31, 2008
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1945年ドレスデンは爆撃によって、壊滅的な被害を受けた。 エルベ川のフィレンツェと呼ばれたこの街の住民はドレスデンだけは空爆には合わないと心から信じていたという。 85%が壊滅した。死者は3万人-15万人。あまりに数字に開きがありすぎる。殆ど戦争の決着がついていた頃の無差別爆撃とあって、ナチの被害を受けていたヨーロッパ各国からも倫理上の非難があがったそうだ。 12年の歳月をかけて復元された聖母教会。1万もの瓦礫をパズルのように組み合わせたことから「世界一のパズル」と呼ばれる。黒の部分がオリジナルの石。一瞬持ちこたえたかに見えた。その2日後、2000度の高熱にさらされた後、冷えてもろくなった石は崩れ落ちる。優美なシルエットはやはり聖母教会という名にふさわしい。(下線部をクリックすると美しい全景がご覧になれます) シュタルホーフ 馬上試合や狩猟が行なわれた。きっとアイヴァンホーに出てくるような中世の騎士たちが鎧をまとって、飾られた馬に乗り、美女たちが声援をおくり、華やかな催しだったことだろう。 シュタルホーフの北壁、102mにも及ぶ「君主の行列」壁画であったものを1904-1907にかけてマイセンが24600枚の特殊タイルに替えた。空襲の炎の中、マイセン焼きはみごとに残った。すぐ近くの聖母教会が崩れ落ちたのに、マイセン焼きは残るってすごい!この壁の向かい側には木の人形やオルゴールを売ってるお店が並んでいて、すごく可愛い。おじさんの口から煙が出るタイプの人形を一つ買う。 観光スポットがぐるりと歩いて見られる距離にあるのは、普段なら嬉しいけど・・・寒ーーーい! ! ! Pepsiをclick!
May 30, 2008
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朝食での話題は昨日のスーツケースの件で納得いかず日本のご主人に国際電話したとか、いつ置いて行かれるかわからないから、お互いに用心しようとか、朝としては緊張感があった。 ドレスデンの旧市街に着く。 フランクフルトやミュンヘンとは違い、なんだか古めかしく、中世の香りがする。さ、寒ーい。風がすごい。顔だけ何かで刺されているみたいに肌がチリチリ痛いし、足の指はブーツの中でチーンと冷えている。「おはようございます!」ドレスデン在住の日本人女性ガイド登場。「今日は一番の冷え込みです。皆さん大丈夫ですか?」(大丈夫ではないんですけど)エルベ川を右手に三位一体教会の説明を聞く。風で髪が顔にへばりついてくる。それを痛い指先でいちいち直す。なかなか思うように指が動かない。この辺り一帯は2002年の大洪水で水没したそうだ。 アウグスト強王はドレスデンがプロテスタントの街であったのに、ポーランド王になる野心からカトリックに街全体を改宗させた。錬金術師を幽閉するわ、カトリックに改宗させるわ・・・強引だなぁ。この教会の地下にアウグスト強王の心臓がおさめられていて、彼の好みの女性が来るたびに、その心臓はいまだ、鼓動を始めると言われている。78体もの聖者の像が立ち並ぶ。イタリア人建築家が母国からたくさんの職人を連れてきてつくられた為、このあたりにはイタリアンレストランが多数ある。 どうりで、ドレスデンの街とはちょっと合わない、妙に明るいお店ばかりだ。通りを隔てて、世界のオペラファンの憧れ、ゼンパーオペラ。初代指揮者はリヒャルト.ワーグナー。世界一の音響だとドイツ人は言う。 ここで、70歳はゆうに越えて居そうなご夫婦のご主人がトイレに行きたいと言った。添乗員はあたりを見回すでもなく、「あと30分我慢してください」と即答した。この寒さの上、お年寄りなのだ。日本人ガイドがついているのだから、自分はこのおじいさんを連れて、後で合流すればいいではないか。間に合わなかった。Pepsiをclick!
May 29, 2008
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ドレスデンのホテルに着いた。バスからスーツケースが降ろされる時、皆様不安な面持ちで見守る。落ちたのは11-12個。開閉不可能の物は幸いにもなかったが、ぱっかり割れているのが3個。あとはへこんだりで、形が歪んでいるもの、大きな傷がついているもの、いろいろ。先程雨の暗がりの中で見たので、よく見えなかったが、とても2度と使える物ではなくなっていた。「みなさーん!ご自分の荷物をcheckしてくださーい!」「もうしてるがな」「破損等ある方はこちらへどうぞ」20人ほどのツアーだ、半数はそちら側へ。「運転手さんはちゃんと閉めたと言ってるんですよ。こんなことは初めてだって。航空会社に請求しますので、ご安心ください」航空会社に請求する!??? 何を!??飛行機から降ろした時には無事だった荷物を、バスから落ちて破損した荷物を航空会社に保険金を請求する!?????「バスから落ちたのに、なんで、飛行機のせいにするん?」「大丈夫ですから。それともご自分の保険で手続きなさいますか?手続きは帰国便搭乗時に行ないますので覚えていてください」あなた・・・それは・・・保険金詐欺です!夕食時:「みなさーん、今日はみなさんにご迷惑かけましたので、ドリンクは弊社でもたせていただきますので、なんでもご自由にオーダーしてください!お一人1ドリンクでお願いします」「ドリンク一杯ですむかいな」「運転手さんのお昼忘れたから、腹いせにされたんちゃうの」「旅行社の落ち度なんだから、旅行社で補償してしもらわな」「自分の保険使えってどういうことなん」はっきり抗議しないものの、ひそひそずっとこんな会話が続いていた。部屋に入ると:少しして誰かがノックした。大阪からのパワフル仲良し6人組みの一人だった。「ヒーター、ついてん? ちょっと見に来てぇ」2部屋訪問し、ヒーターの温度を上げてきた。また少しするとノックが。沖縄から参加のご夫婦の奥様が立っている。「ヒーターですね。」「それと、あのぅ・・・私、今日、髪洗った方がいいんでしょうか?」(え!?????)※関西弁nativeではないので、思い出しながら、書いてますが、言い方に間違いがあるかもしれません。ご容赦を※ Pepsiをclick!
May 28, 2008
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マイセン磁器工房を出てホテルに向かう。夕刻から雨が降り出して、バスからは何も見えない。なんとなく、皆様うとうとし始めたその時、「スーツケースが落ちてる!」と声がした。えっ!?? そちら側の席にいた人はみな窓ごしに暗闇の中の路面をじっと見ている。「また落ちた!」「拾わにゃ、早く止めてぇ! !」 添乗員Yはやっとこの時窓から路面を見た。「あんた、見てるより先に、バス止めて拾わにゃ、よその車につぶされる!」 男性陣が雨の中、降りて行く。「相当前から落ちてたんちゃうの」誰一人戻ってこないし、ずーっと先まで行った様で姿すら見えない。親切なドイツの青年が2-3個のスーツケースをバイクに乗せて持ってきてくれた。「ありがたいわぁ、でもこの人、どこから来たん?ずっと先やないの?」 20分くらいして男性陣の姿が見え始めた。暗がりの中でも破損しているスーツケースが見える。Yはしきっているようだが、信用できない。自分で降りて確認しなくては。男性陣と私だけ自分と連れのスーツケースを確認した。「これで、全部ですね」とYが言う。どうして、これで全部だと言い切るのかわからない。「元々何個あったんですか?落ちたのも、残っているのも数えて確認してください」珍しく言ってしまった。このまま走り出して、ホテルでまた誰かのスーツケースがないのは我慢できない。Pepsiをclick!
May 27, 2008
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マイセン、プラハ、ブタペストが2泊のツアーを選んで探した。だから、ベルリンは駆け足でもしかたない。 17世紀東洋の陶磁器を手にしたヨーロッパ各国はこんな陶磁器を自分たちも作りたいとこぞって開発を始める。ザクセン王、アウグストも錬金術師ヨハン.フリードリッヒ.ベドガーを幽閉し、開発に当たらせた。競うのはわかるけど、「幽閉」か・・・それも「錬金術師」・・・選ばれたくなかっただろう・・・そして、ベトガーは幽閉をとかれることなく、30代の若さで没。 工房に入ると一つ一つの工程の部屋に分かれていて、すぐ近くで作業を見せてもらえる。 お兄さんのポロシャツにはさりげなくマイセンの2本の剣マーク。昔、日本の有田焼の絵付けを複製した頃、ザクロはヨーロッパで知られていなかったので、みんなそれを玉葱だと思った。だからマイセンの有名なあの柄は「ブルーオニオン」。 こうして見て行くと、自分たちにしかできない技を持った職人さんはすごいなぁと思う。細ーい、持ち手がシャープペンシルみたいな筆でこんなのを書いているのかー。個人的にはマイセンの人形の顔よりリヤドロの顔の方が好き。食器はウエッジウッドの方が好き。マイセンのカップは私のしまりのない口にはなじまない。マイセンで紅茶を頂くとき、どうしてか口角から紅茶がこぼれる。ヘン?! いや、しかし、ここにあるマイセンの美しいことと言ったらこの上ない。 写真では細部まで見えないかな・・・Pepsiをclick!
May 26, 2008
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ペルガモン博物館を出て、昼食。置き去りにされた新婚カップルは無事合流できた。皆様、次々と「大変やったね」と声をかけている。集合時間にバスが見当たらず、誰もいなくなってることはかなり焦ったようだ。そりゃ、そうだー、移動している旅なんだから、尚更。さて、皆様ビールをorderしている。 私は飲めないので、とりあえずcoffeeを。母のビールをちょっと飲んでみたが、やっぱり日本以外のビールはぬるい。味はきっとおいしいのだと思う。 スープがなんとありがたいことか・・・ああぁ、暖まる・・ソーセージと、ポテト。ドイツはどこに行ってもかならずポテトなんだなぁ。 デザート、ケーキも出たのに、アイスクリームも・・・・せっかくスープで温まったのにな・・こちらの方々は寒くないのか、これで・・・それにスープとポテトとソーセージとなんて言うと随分シンプルに聞こえるかもしれないが、その量と言ったら・・・お昼からこんなに食べられない!って量で何もかもが大きい。満腹だー。 しかし、満腹だったのは私たちだけで、運転手さんはお腹をすかせて待っていたのをこの時点では知らない。バスに戻ると添乗員Yが運転手さんを見るや否や、「あ、ごめんなさーい!買ってくるの忘れちゃった!」このレストランの周りは駐車できないので、本来なら私たちがペルガモン博物館にいる間に運転手さんはお昼をとる予定だった。でも新婚カップル救出のため、戻ったりしていたので、昼食をとれず、レストランでなにか見繕って持ってくると言う手はずをYは忘れた。レストランにいる間、彼女は忙しそうだったわけでもないし、思いっきり寛いで自分も飲んでいた。ハンガリー人の運転手さんはギョッとしていたが、「ああ、いいよ」と言った。これからマイセンまで何時間もあるのに。。。。※クリックできる画像は楽天の商品です。食べかけの写真しかないので、似た物を貼りました※ Pepsiをclick!
May 25, 2008
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何故、ドイツに「ペルガモン博物館」がある?ペルガモンは思いっきりトルコの遺跡。(ギリシャ時代の)ドイツ人がペルガモンを発見して殆どの物を持って帰ってしまった。トルコのペルガモン遺跡でカトさんが「そのドイツ人はトルコに何ももたらさず、お金は自分と奥さんの為に使ってしまいました」と言ってたっけ。 どうりでトルコのペルガモン遺跡には残骸しかない筈だ。たった数個の装飾部分か、柱自体しかない。ちょっとでも凝った物は根こそぎ持ってきたのだろう。なんでもかんでも持ってきちゃだめだー。アルハンブラのライオンとかぶる。バビロニアのイシュタール門はなんかとっても素敵で感動。どんな色かと言うと、こんな風。藍色というか、ブルーで門一面、壁一面こんな感じで、一番上の本の表紙のように、馬やライオンが描かれてる部分もあり、それが立体的にまでなっていて、紀元前6世紀からこんなの作ったんだー。藍色のベースにライオンが何頭も歩いているようなデザインはなんだかとってもかっこいい。 ルーブルやエルミタージュからみれば、そんなに大きくないので時間のない観光客には調度いいくらいの規模。 古代ギリシャ、ローマ、エジプト、それぞれ惹かれるけれど、「バビロン」って神秘的な冒しがたい、また違う魅力を感じる。バグダッドの南方90kmにあったのか・・・ あ゛ー、もう屋外に出たくない。 Pepsiをclick!
May 24, 2008
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いないって・・・バスかなり進んでますよね?添乗員Yが慌てて人数を数えだした。「ほんとに2人足りないわ」足りないわじゃないのだ。人数を数えもせず、約束した時間の5分前に出発したのはあなた。 車中は思いっきりざわざわし始める。「気の毒やわー、この寒いのに」「なんで、人数かぞえんと、出発するん?」集合時間に戻ったらバスもご一行様も誰もいないなんて、不安だろう。手袋してても、タイツ+ブーツでも、ムートン着ててもこんなに寒いのだ、置き去りにされるなんて絶対許せない。出発を早めるなら何故人数確認をしないのだ。 「皆様には次の博物館に行って頂きます、それから私はバスでお客様の救出に戻ります!」あのね、新婚カップルは迷子になったんじゃないんですよ。あなたが、置いてきたんですよ。わかってるのかな。次のポイントが博物館で時間もたっぷりあるし、屋内だからよかったものの、ブランデンブルク門あたりで置き去りにしたら、私たちが大聖堂の前で凍えていないとならなかったではないか。 一同は、その新婚カップルがどんな人たちだったかまだよくわからないけれど、「パニックになって、歩き回ってなければいいけどな」「こんな寒いなかかわいそうやな」と心から心配していた。 「私、この添乗員絶対やると思ってたわ。今まで一度も人数数えてなかったやろ」やっぱり、みんな気づいていたのか。「こんなん、ごめんなさいで済まないで。」 Pepsiをclick!
May 23, 2008
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ブランデンブルグ門から歩いて2分くらいのところに、ホロコースト記念碑がある。2711基の石碑が規則正しく、整然と並ぶ。決して、お墓のようでもなく、人の形をした彫像などもなく、どんな飾りもない。正確にカットされた長方形、それぞれの高さだけが微妙に違っている。ただ、ただそれは人類の愚かさと、悲しみの象徴のようで、忘れられない。忘れない為の記念碑なのだ。 そこから1.5kmほど離れたベルリン大聖堂へと向かう。ぉおおおおー、いかにもヨーロッパだ。 左右対称のがっちりとした造りがいかにもドイツらしい。装飾のブロンズも優美と言うよりは剛健な感じ。駆け足ツアーでは外からの写真撮影のみ。それにしても、寒い。指先は冷たく、ブーツの中の足もじんじん痛いくらい冷えている。 とにかく写真を撮ってバスに戻りたい。早く、早くぅ。凍えるってば。このあたり、歴史的な建物と現代風の町並みが混在している。すぐ横手には移動式の観覧車まであった。もう、もうだめ。ちょっと早いがバスに戻る。殆どの皆様がもう既に戻っていて、ガチガチに震えて、体をさすっている。 少し、予定より早めに出発。5分くらいたった時、後方から声がした。「一番後ろにいた新婚さんがいませーん」。!!!!? いない !? Pepsiをclick!
May 22, 2008
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あまりに寒いので早々に壁の前の撮影を終え、次のポイント、ブランデンブルク門に向かう。 ぉおおおー、これだ、これだ、1989年、世界中の人々が何度も何度も繰り返し見た、ベルリンのシンボル、ブランデンブルク門。結構大きい。1791年竣工。てっぺんにあるのはクアドリガ(四頭馬車)と女神ヴィクトリア。ナポレオンは女神ヴィクトリアをプロイセン占領の際、フランスに持ち帰った。それをまた戦争で勝った時に持ち帰って、再び載せたのだ。 門のあちら側は見通しのいい公園にしたいらしいのだが、各国大使館は協力的なのにもかかわらず、アメリカだけは、頑としてアメリカ流を貫いている為、世論はアメリカに厳しいそう。だって、門の向こうはなるべく景観よく、平和的な場所にしたいのに、一番目立つ、とってもいい場所にアメリカ国旗をこれでもかって掲げ、物々しい警備はとても異質な感じ。門の内側、ミネルウァ。ローマ神話における知恵と工芸を司る女神。 寒い、寒いー。皆様あまりの寒さに決められた時間よりも早めにどんどんバスに戻る。写真を撮るときも「早く、早くぅ!」とみんな叫んでいる。でも・・・・ベルリンが一番暖かかったのだ。あとにして思えば。あ゛ー、暖かいココアと甘い物が欲しい・・寒い・・ 昨日、ベルリンフィルのコンサート会場の火災がありましたね。1000人もの人がいたのに、けが人なしでよかった。楽器や楽譜の損害がなければいいけれど・・・Pepsiをclick!
May 21, 2008
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旅行日程の週間天気予報を見ながら、どのコートを持っていくべきなのかずーっと考えていた。動きやすい物がいいし、できれば荷物にならないほうがいい。どの都市も最高が10Cくらいで最低は2-3C。最低気温の時には寝てるか食事中だろうし、軽くて肩の凝らないバーバリーのキリティングか雨が降っても大丈夫なコーチのコートかなんて気楽に考えていてた。ただ、出発直前に風邪をひいてしまって、当日、大げさかとは思ったがムートンのジャケットに決めた。持ってる中で一番暖かいのを着ていく! husは私と母が旅行に出る時いつも心配していてくれるのだが、彼は彼なりの方法で私の安否をcheckしていた。トランジットの空港で手持していたLip pencilが折れているのに気づき、買った。帰国した時、迎えに来てくれたhusは「風邪ひいてたから心配してたけど、空港で買い物したのをVISAカードのオンラインで見たから、倒れこんではいないなって安心したよー」......そんな安否確認方法か・・ バスの中からところどころ残っているベルリンの壁を見る。映画や「ベルリンの壁の崩壊」の頃、映像で見ていたあの冷たくて、恐ろしい壁は。。跡形もなく、壊され、よくNYにあるようなPOPな落書きだらけ。とても人々の人生を変え、たくさんの悲劇をもたらした壁とは思えない。 こうなってよかったのだ。バスは壁がわりと残っているスポットに止まった。壁が撤去されたあとには刻銘が線で残されている。寒い。まだ早朝だから仕方ないか・・でも寒い。ムートンにして正解だったのだ。日本での10Cを想定して来た方々は薄着で唇が青くなってる。 Pepsiをclick!
May 20, 2008
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11月初旬のヨーロッパを甘くみていた。これから、今までの生涯一、寒い、寒い一週間が始まる。ベルリンのホテルには深夜到着、例によって早朝出発なのでまだ暗い。空港でスーツケースを受け取れず、手配に時間がかかってしまった70代のご夫婦がみんなに謝って歩いている。そんなのいいんですよー、お互い様なんだから。荷物が出てこなくてさぞかしご不便でしょう。 (この時、暖かいホテルの中で外がどれだけ寒いかなんて知る由もない。) カイザーパンも申し分ないし、さすがドイツ、ハムは色んな種類があって、かなりおいしい。ちょっとずつ、色んなのを試してみたいのに、意外とステーキ並みに切っている物もあり。(ドイツの人は朝から結構食べるんだな) チーズもたくさんある。朝なのでブルーチーズ系の物は避けて持ってくる。 子供の頃、spyになりたいと思っていた私は、東ドイツ、ソ連と聞くだけで胸の奥底がまだドキドキし始める。かつては鉄のカーテンによって完全に秘密が守られていた東側。今、私はまさしくベルリンにいるのだ!と・・・今回の添乗員Yは恐ろしく、spy志願者の添乗には向かない「ありえない添乗員」。今まで一度も人数を数えていない。トランジットもあったのに。海外旅行初心者もいれば、高齢者もいるのだ。そもそもベルリンまで一人もかけずについたのは奇跡かもしれなかった。皆様、帰国便では疲労が重なっているにも関わらず、アンケートを長い時間かかって書き込んでいた。遠めで見ても、用紙は文字でびっしり。クビになってないことを祈ります。Pepsiをclick!
May 19, 2008
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