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朝、「黄金の環」のひとつ、モスクワから2時間ほどのセルギエフ.パサードに向かう。これでイズマイロボとさよならできると思うと、思いのほか嬉しい。 イワンは長ーい、朗読をすると言って、暗ーい、なんだか陰鬱な話を始めた。皆様、とっくの昔に深い眠りの中にいる。この暗く、退屈な話を私はずーっと聞いていたけれど、予定よりセルギエフ.パサードについたことで、ただでさえわからない話が途中で終わった。 ★大修道院★ピョートル大帝は政敵から逃れる為、2度もこの修道院に隠れていたことがあるという。ここでは神学校の生徒さんがガイドを務める決まりになっている。ほう、これはこれは真面目で誠実そうな神学生だ。あまりに清潔で端正な顔だちの為、写真を撮りたかったけれど、神々しくてそんなことはできなかった。 昔ながらの鍵を持ち、ひとつひとつの扉を開けていく。神学生さんの説明をイワンが訳して話すんだけど、神々しい彼のお話はイワンを経ることによって、難解に大衆化する。ソビエト政権下、鐘楼は全て鋳潰され、聖遺物等は売却されてしまった。それを考えれば、エルミタージュや武器庫の財産が守られたのは奇跡だな。 このあたりはとても静かでゆっくりと時間が流れている。昼食はスモークサーモンでなかなかおいしい。女性は皆、花柄や伝統的な模様のスカーフをかぶっている。スカーフより迫力bodyに目が行くけど・・花島sisters姉がこそこそっとやってきた。「お願いがあるの」「モスクワに来てから、誰もイワンと写真撮ってあげてないでしょ。私より若いあなたがいいと思うの」あ・・・(一緒に写真撮って頂けますか?)私はイワンと二人で写真におさまった。イワンの笑顔を初めて見た。★ロシア旅行記におつきあい頂きまして、ありがとうございました。ロシア記はこれにて終了です★ ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
November 6, 2008
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世界各地で〇〇の銀座と聞いて、「銀座」だったためしがない。 「〇〇のメッカ」なんて表現もあるけれど、イスラム教徒にとってはメッカはそれはそれは神聖な場所で生涯の目標なのだから、軽々しく使うべきではない。観光地を表現する場合、もっとボキャブラリーがあったらと思う。★アルバート通り★トルコのイスクラティル通りやブタペストのヴァーツィ通りからみれば少し広めだけれど、「銀座」ではないかな。お土産屋さんや雑貨、衣類の店が立ち並ぶ。オルゴールは流石に露天よりは高めだけれど、それなりにちゃんとした作りなのでこっちでもよかったかな。こうして見ているとロシアの雑貨はなかなか可愛いデザインが多くて、見ているだけでも楽しめる。 ロシア風建物を刺繍したミトンや壁かけ、置物、クロス、基本的にはヨーロピアンスタイルなのにどこかちょっと違う。洗練とはまた違う、「癒し系」かな。手にとると、可愛くて思わず顔がほころぶ。クロスに「血の上の教会」らしき教会や星が刺しゅうされた壁かけと、木製で手書きの球、(天井やカーテンレールから吊り下げる飾り)を買った。ま、幾分無愛想なんだけれど、しつこくもされず、価格表示は始めからされているので買い物は楽だ。(なんでも安くはないけど)端から端までゆっくり、ぶらぶらと歩いて半分くらいのお店に入ったろうか。 集合場所は大きな工芸品のお店で、とても素敵な物ばかりずらーっと並んでいて圧巻なんだけれど、あらー、素敵ーと思うと何万円もするわけで、何も買わないで終わる。3組をのぞいて皆様、一緒にホテルに戻った。 夕食時、別行動をした方々と話す:ホテルまで5000円では足りなくて、メーターが上がる度、生きた心地がせず、結局7000円位払ったそうだ。よかった、7000円なんてルーブルで持ってないし、ドルで払いたいとロシア語でなんて言えないもん。 次の1組は成田で剃刀を持ってた子で添乗員はだめと言ったけれど、モスクワの地下鉄に乗りたくて自力で地下鉄で帰って来たそうで、噂通り、地下鉄の駅は豪華だったらしい。(それは羨ましいなー、綺麗だと評判だからなー) イワンと同行した勇気ある女性2人組みは:(市場、いかがでしたか?)「それがね」 (あまり話したくなさそう)「市場って、食料品とかお花とか、雑貨とかそういうものが売ってる市場だと思ったの」(え? それじゃ、お肉専門市場だったとか!??)「モスクワの秋葉原って言うか・・それも新品じゃない、中古の家電とか部品とか」....お気の毒すぎて言葉が出ない。 「ただ、疲れて、行かない方がよかったわ」どうしてそんなとこに連れてく? ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
November 5, 2008
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モスクワ2日目にFree Timeがある。 日本を発つ前、添乗員に確認した。どこかで一旦解散し、集合する様な1-2時間のFree timeなのか、完全に解散し、自力で夕食までにホテルに戻るのか。彼女はクレムリン周辺で一旦解散→集合→ホテルとはっきり言った。 オルロフのダイヤモンドははずせないので、ダイヤモンド庫の位置さえ把握すればあとは集合場所に行くだけ→徒歩で。と思っていた。地下鉄やバス、タクシーのことは全く調べていない。当日の朝、「本日は昼食後、Free timeです。夕食までに各自でホテルにお戻りいただきます」。車内は「えええ?」「聞いてない」とどよめく。それならそれで、始めから言ってくれれば調べて来たのに。 「皆さん、大変申し訳ないのですが、地下鉄の利用はテロの関係で控えていただきます」予備知識なく、女二人で、英語の通じない、ドルが使えないかもしれないタクシーに乗れと言うのか? (クレムリンからイズマイロボまでいくらかかるんでしょうか?)「5000円くらいです」あなた、よくそんなことを平気で言いますね。それなら初めからサンクトペテルブルグで多めに両替しておきましたよ。(イズマイロボでは両替はできなかった) もうルーブルは5000円あるかないか。あのひどい渋滞の中、5000円で帰れる保証はない。ふつふつと怒りがこみあげてきた。 「そんな話は聞いてないし、もうルーブルはない。どこかでこのバスに待っててもらうわけには行かないのか?」「女性だけでタクシーに乗るのは不安だわー」「で、イズマイロボの住所はどこなの?」そうだ! タクシーで帰るなんて頭はないから、イズマイロボの住所だって知らない。結局、折衝案として、1.イワンが連れてってくれる「市場」に行く。2.アルバート通り(モスクワの銀座)で解散→集合3.自由行動から選択できることになった。 ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
November 4, 2008
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1885-1916年の間、毎年のように作られたインペリアルイースターエッグのうちロシアに残っているのは9個(10個?)しかない。クレムリン1904年ロマノフ家以外の為に作られたエッグは12個で、(そのうち5つはスウェーデンのノーベル家)ファベルジェエッグは62個ある筈なんだけど、どこに行っちゃったのかわからない物も5つはある。1913年もし、アメリカや英国にあるものも全て集めて年代順に並べてみたらどんなにすごいだろう。誰かそんな企画たててくれないだろうか。1899年いやぁ、宝石、貴金属に興味のない私でも十分、堪能した「武器庫」。 外にでます。イワン雷帝の頃に作られた鐘。火事があった時に水をかぶってしまい、その部分が欠損に。 ★ブラゴヴェシェンスキー大聖堂★空が青いと白の建物ははえる。 ★ウスペンスキー大聖堂★大統領就任式の祝福はここ。イワン雷帝もピョートル大帝、ニコライ2世もここで戴冠式を行っている。左手奥にもたくさんの金の飾りが。かわいい。 これにて、クレムリン観光、終了。 ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
November 3, 2008
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受付で大きな荷物やカメラを完全に預ける。 (よって、外で「センエン! センエン!のガイドブックを購入し、撮影。もっと好みの宝石があったんだけど、編集されてて、全部は載ってない) 荷物(リュックサック等)は係員の足元へ。カメラは受付のテーブルの上にバラバラっと並んでいる。(返してくれるんだよね・・・)うわぁ、これは・・・王笏(杖みたいの)の先っぽについているのが、オルロフがエカテリーナ2世に贈ったダイヤモンド。ごろっとしていてすごい厚み。王冠はエカテリーナ2世の戴冠式用に作られたもので、5000個のダイヤモンド、真珠、世界で2番目に大きい尖晶石がtopについている。 ★ブローチ Rose(ダイヤモンド)★ ★聖アンドレイ勲章★ ★冠「ロシアの平原」★ ★首飾りとブレスレット★ ★大きなブーケ★ ★ネックレスとイヤリング★ダイヤモンド庫は更に別料金で、小さな部屋なんだけど、十分その価値あったー。ロシアの宝石職人の粋の集結で、ほんとにセンスいいなー。歴史的、芸術的、国家財産ってのもわかる。外で歩道を車がビュンビュン走っている、いささか、野蛮なところとは思えない美しさだった。 ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
November 2, 2008
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おー、あちらにキラキラ輝いているのはー! ★キエフ大公モノマフの帽子★ぼ、帽子って・・王冠じゃないのか?「神の意志」を表してるらしい。ロシアらしく、毛皮つき。 ★宮廷儀式用の帽子★18世紀には金や銀で硬貨を作るのを中止して、教会や王冠の装飾に使った。またー、宮殿だって金ぴかじゃないのー、あれ金箔でしょうが。★ピョートル大帝のダイヤモンドの帽子★このごつごつしてるの、全部ダイヤモンド。ピョートル大帝の頃だからまだカットの技術が進んでなかったんだろう。結構それぞれの大きさがいびつ。いくら2mのピョートル大帝でもこれは重かっただろうな。 ★アレクサンドル3世の戴冠式の様子★何もかも金ぴか。★モスクワ大公ミハエル.ロマノフの帽子とオーヴ★独特のデザインもさることながら、ロシア帝国以前の宝飾品も残っているのはすごい。混乱、戦争、革命を経て、よくもこれだけの物が国内に残ったものだ。 そろそろ集合時間。この博物館内に「ダイヤモンド庫」がある筈で、Free timeに来なくてはならない。場所をイワンに聞いておかないと。 (すみませーん、ダイヤモンド庫はどこですか?)「あっちです。ダイヤモンド庫行きたいですか?」(ハイ。後でフリータイムで来るつもりなので)すると数名の皆様が「え? ダイヤモンド?何?何があるの?」と集まってきた。(オルロフのダイヤモンドがあるんですよー、母が見たいと言うので)「私も見たいわ!」「私も!」とどんどん波及していく。 「ここが入口です。ちょっと待ってください。」と受付の人に何か聞いている。「今、混んでません。すぐ入れます。見たい方、今行って来ていいですよ」イワン! !そんな気の利いたことできたのかー、ありがとう!(と言っても、彼がこのツアーで貢献してくれたのはこの件のみ) ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
November 1, 2008
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さてさて、あちらにたくさんのドレスがあるー。 古めかしいのから豪華なのまでいっぱい。 ★ニコライ2世夫妻の戴冠式用★銀の糸で刺繍がびっしり。 ★伝統的衣装のニコライ2世夫妻★この皇后はいつもこうやって憂鬱そうな虚ろな表情をしてて、本人も不幸だったかもしれないけど、周りの人も不幸だったに違いない。で、ラスプーチン登場なわけだし。 ニコライ2世って気の毒だな・・ドレスは筒型の丸いデザインの物はなくて、横幅のあるこのスタイルが多い。どれも高そうな生地に豪華な刺繍、飾りがいっぱい。横広がりのデザインも手伝って、ウエストが細く見えるったらない。 それにしても皆様、意外と細くて小さかったんだなー。靴なんかも子供の靴みたい。ついついこれを撮ってしまった、あくまで毛皮好きな私。男性用の物は式典用の軍服や主教のマントなんかが展示されている。 「嘘よー、絶対、嘘よー」という声に振り向くとあるドレスに数人の日本人女性が注目している。どれどれ。「エカテリーナ2世がこんなに細いわけないじゃない? いくらコルセットで締めてもこれは無理よー」見たところ、ウエスト48-50cmってとこか?でも確かにエカテリーナ2世の式典用のドレスと書いてあるじゃん! きっとこれはとーっても若い頃のドレスに違いない。10代で結婚しているんだから、10代ならこの体型で納得かも。だって・・・こうだもん。 ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
October 31, 2008
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クレムリンって聞くだけで、ちょっとゾクっとしないだろうか。 (拘束されたりとか、尋問をうけたりとか)政治的なクレムリンは一部であとは豪華絢爛なロシアの歴史が散りばめられている美しいところだった。各宮殿が素晴らしいらしいのだが、時間がなく博物館となっている「武器庫」に向かう。 人気のSpotらしく、チケット売り場は長蛇の列。武器庫って昔はそうだったかもしれないけれど、今になってもどうしてそのままなんだろう。っと・・・ 私の前に、怪しくうごめくそれは・・お尻?!全身白のオーガンジー、ブラは黒、タンガは真赤。ダンサー?なんとなく透けてるってレベルをはるかに超していて、目のやりばに困るというよりはむしろ、びっくりしすぎて直視してしまう・・ これはいったい・・・私は「裸」だと思いますが。どうもロシア語を話しているみたいで、年配の男性と二人連れだ。ま、お二人がそれでいいなら、私は構いませんけどー。(ロシアの若い子は下着が透けようと、胸がはだけてようと関係ないようだ) ここでイワンとしぱし別れる。「私がガイドしてもいいです」と言ったのに、皆様、「自分でみるからいいわー」と言ったのだった。言えなかったけど、嬉しい。 武器庫はロシア最古の博物館で、世界的な宝物館である。ずらずらずらっと、銀食器や調度品がショーケースに陳列されている。★金の湯沸かし器★これでお茶をいれますね。★皇帝の杓子★これが杓子と言うのもびっくりだけど、皇帝がいったい何をすくうのか?★金ぴかの椅子★勿論、皇帝用。二人掛け。あまりの数になんだか有難味が薄れていく。甲冑や楯や武器もすごい数だ。こうして見るとすべてぴかぴかに手入れされていて、なかなかロシア人もまめなのかと思う。★皇室専用馬車★昔はモスクワ→サンクトペデルブルグ間を皇帝とは言え、これで移動したわけで、長い道中さぞかし疲れただろう。これはまだ進化した馬車で「バネ付き」。少しでも振動を抑える仕組みになっている。馬車って一つだけ見てるとロマンチックで素敵なイブニングドレスなんぞ着て、これに乗ったらなぁなんて思える。あまりにたくさんある馬車は何故か蟹にみえてくるから不思議だ。 ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
October 30, 2008
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「皆さん、右手は大統領官邸です」 (えー、こんなに簡単にプーチンのそばまで来てるのか!)「プーチン大統領がいる時、国旗は上まで上がってます。今は半旗なのでいません」いないのか。なんだかテンション下がる。「ここにはプーチンは住んでいません」じゃ、あなたのおっしゃる「大統領官邸」ってのはなんなの? プーチンには妻と娘2人がいるんだけど、どうも私的には彼に家族がいて一家団欒を楽しんでいることもあるなんて想像できない。 「プーチンはミーアキャットに似ていますね」そ、そんなこと言って、イワン、消されても知らないからね。★前から話題の上半身の裸★確かにたるんでるとこはないけど・・広報は協議しなかったのか。報道の自由がないんだから、本人の希望? ★今まで見たこともないようなご満悦な表情★右はカバエワさん。ロシアで最も成功した美女。 プーチンは少年時代からSpyになりたかったそうだ。(私も!)中学生の時にKGB本部を訪れ、法律学部卒が有利であること、自分から志願した者は採用されないことを知り、サンクトペテルブルグ大学の法律学部に進んだ。(中学生でKGB本部に行ったのかー? Spyになる為に名門大学の法律学部に・・ここで差が出たか。) プーチン発言集より:「ソ連が恋しくない者には心がない。ソ連に戻りたい者には脳がない」わかるような、わからないような。「もしあなたがイスラム教徒になりたくて割礼が必要ならモスクワに招待する」チェチェン紛争に関するコメントを求めたフランス人記者にたいして。「10人をレイプした強い男性でうらやましい」イスラエルのカツァブ大統領に関して。「汚職する公務員は手を切り落としてしまえばいい」 Jokeのpointが違うのか、過激な人なのか、品がないのか、全然わからない。ロシアの労働者層の方々はこう言った発言を好むのだそうだ。しかし、大統領になってから英語を勉強して、各国首脳とは通訳なしで話している彼はおみごと。★存在感薄い現大統領★どうも顔と肩幅のバランスが悪い。これ、失敗の合成写真かと思った。サンクトペテルブルグ大学法律学部卒業。プーチンの言うことを聞いてね、消されないで。 ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
October 29, 2008
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眠い、疲れたで早く休みたいと思うものの、なにせ、宿泊はイズマイロボ。 ホテルが見えてくると暗ーい気持になってくる。 相変わらず、カビくさくて、エアコンなし。(←変わるわけないけど)お湯がでて、お風呂に入れるだけよしとしなければ。(←そう思うしかない)朝食はサンクトペテルブルグからみると落ちる。(←言わなくてもわかりますか)チーズ、ハム、パンの種類がぐっと減った。(←予想つきますね) ここはきっと選手村の大会場かなんかだったんだろう。すごく広い。なんだか悔しいので紅茶をバラジャムを入れて少しでも優雅に振舞おうとする私。ここにはもはやメキシコ人さえあらわれません。 向いでサラダを食べていた母が妙な動きをして、顔色が変わった。「な、なめくじ ! ! 」ガーデニングをしてる彼女は多少の虫ではびくともしない。(なめくじってレタスにくっついてるものなの?)実物をみてないから平然と言ってのける私。 「し、知らない。でも芋虫や毛虫じゃない。これはなめくじ!」みるみる母の腕に鳥肌がたっていく。 皆様、なめくじと言うのは、レタスにくっつくもんなんでしょうか。そして、これは衛生状態が悪いと言うことでしょうか。これはイズマイロボのせいだけとは言えないんだろうけど・・・もし、なめくじをあやまって飲み込んでしまっていた場合、サラダにかけたお塩で消えてなくなってくれるんでしょうか。これ以降、母が長い間レタスを食べられなくなったのは言うまでもない。★皆様、楽天から回答があり、Googleツールバーの最新版をアンインストールして古いバージョンに変えたらカウンターが戻りました。知らせていただいてありがとうございましたやーねー、Google!★ ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
October 28, 2008
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バレエ観劇のついたツアーが多いけれど、車中泊なしを選ぶとボリショイサーカスになってしまった。 サンクトペテルブルグでバレエ観劇の希望者はマリアさんに1万円払って夜出かけた。10人以上はいたと思う。ちょっと迷ったけれど、ツアーで夜でかけると翌日からとても体力的にきつくなるので体力温存の為にやめておいた。 翌朝(どうでした?)と聞いたらマリアさんのいないところで、退屈な演目で寝てしまった、自分が好きな演目じゃないとロシアで観てもありがたくなかったそうだ。とっととホテルに戻って寝ればよかったと皆様おっしゃっている。 サーカスは子供の頃にみたことがあるし、この日程で無理してわざわざ行きたくないな。もし、ホテルに一旦戻るなら、キャンセルさせてもらおうと思っていたけど、夕食後そのまま劇場に行くことになり、着いて行かざるを得なくなった。ツアーだから仕方ない。 8頭身の美人が次々と現れ、熊や象、ピエロたちがそれぞれにshowを披露していく。私たち以外、観客席はロシア人らしく、子供づれの方が多い。子供たちはものすごく純粋に目をイキイキさせて見入っている。ピエロが何かするたびにすごく楽しそうに笑っている。日本ならここに連れて来てももしかして数パーセントはピコピコとゲームを始めるのではないか。 花島sistersやケンイチさんのご両親は既に深い眠りの中にいる。ああ、もうだめだ・・・ね、ねむい・・・ そんな半分以上ねぼけてる私に添乗員が「トレチャコフ美術館ではイワンの話に最後までつきあってくださり、ありがとうございました。実は彼、4人になってしまったことを大変気にしていて・・もし、誰もいなくなってたらと思うと・・・本当に喜んでいましたよ。ありがとうごさいました。」 花島sisters妹はダウンしたまま。 ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
October 27, 2008
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夕食のレストランに入ると花島sisters妹がいない。 添乗員が慌てて、「妹さんはどうされましたか?」「疲れて食べたくないと言ってバスにいます」「バスにですか? ? ? 運転手もここで食べますから、バスはエアコンが切れて・・大変です。お連れします」彼女はたったかと走って運転手とともに駐車場へ向かった。 イワンはどっかり座っておりますね。迎えに行ったものの、妹さんは爆睡状態に入っており、声をかけても起きられなかったそうだ。 もう30度ではないかもしれないけど、閉め切った車内ってやっぱり危険かもしれない。泥棒か強盗に狙われるかもしれないし。 今晩は私がロシア料理で一番好きな、クリーム系の壺焼である。必ず舌を火傷するけれど、やめられない。昔、husの誕生日に作ってみたがパイの蓋部分が膨らまず、太鼓みたいにパンパンになり、スプーンでは破れず、結局包丁でギコギコ切ってようやく食べた。素人が作るもんじゃないですな。 日本人にとってはロシア料理の代表の一つなのに、ボルシチとかペリメニのように決まった名前がないんだそうだ。日本のレストランでは「壺焼」で通ってるけど。いや、またこれがおいしいのなんのって。何故かとてもクリーミーなのに濃厚で野菜にもしっかり味がしみ込んでいるし、パイもくどくなくてちょうどいい加減だ。花島sisters姉が「あの子はいつも一番おいしいものを逃すのよね」と言いつつ完食した。(70歳をゆうにこえているのにお元気) 「さっきの美術館、疲れたわね。私たちだけになっちゃって、あれなら逃げられないものね。おもしろくなかったけど、我慢しちゃったわ」(ほんとに。とても疲れました)「あなた、偉いわよー、ちゃんと聞いてあげて。私は最後の方、全然聞いてなかったわ。それにしてもあの人の日本語わからないわねー」疲れたし、おなかも満足したし、もう帰りたいな。 でもこれからボリショイサーカスに行かなくてはならない。 ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
October 26, 2008
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トレチャコフ美術館ではイワンが一応説明するけれど、皆様自由に見学してもいいということだった。初めの絵は全員揃って説明を聞いた。一人残らず。 2点目の時に2-3人輪からはずれ、3点目の時には10人くらいいなくなった。そりゃ、そうでしょう。説明がおもしろくないし、聞き取りづらいもの。それにあなた、2時間しかない中でトレチャコフ美術館の見るべきポイントおさえてるの?大丈夫なの? 私は思うのです。ある程度のことならガイドブックやインターネットで知ることができる。ガイドたるもの、本に載っていない、ロシア人のあなたにしかわからないことを、それも私たちが興味を持って聞けるような話をしなければならない。 あなたはたまにメモを見ながらまるで棒読み。何年に描かれたか年号だけを強調するけれど、私が聞きたいのは、その絵が描かれた背景や画家のエピソードなんですよ。 皆様どんどん輪からはずれていき、とうとう私、母、花島sistersの4人になってしまった。ああ、これではもう逃れられまい・・・・それに4人だからたまに相槌をうたないとあなたは話をやめますね、でもおもしろくない、相槌うつのも疲れてきた・・・ この人のせいなのか、私に芸術的情熱がないのか、ここで覚えているのは神々しいイコンたちだけ。やっぱり聖なる物として人々の心の支えになったものはどこか違う。★ウラジミールの生神女★(本当はウラジミールと言う都市の物だったのに、モスクワがとっちゃった)東方教会(正教会)に於いてのイコンは正教徒以外の者が描いてはいけない。時を経ても平面的な構図なのは遺された物をそのまま踏襲していかなければならないルールの為。これを描くにあたっては食事制限があったり、必ず司祭の成聖がいる。配置の仕方にも決まりがあるそうだ。 正教会では「聖母マリア」とは言わず、生神女(しょうしんじょ)と呼ぶ。すごくない?同じキリスト教でもいろいろと違うんだな。★テッサロニキのデミトリオス★(ローマ皇帝に知事に任命されたが隠れキリシタンだった。槍で殺されたが、病を治す聖人、守護聖人として崇拝されている)もう時間です。集合時間。 でもイワンはまだ説明したいらしくて、時間をオーバーしてるのに「もう一つ」「もう一つだけ」と言ってどこまでも話続けるのであった。あなたのお話、わかりません。帰国してからネットで調べます。 ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
October 25, 2008
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一時間のフリータイムならレーニン廟よりデパートでしょう。 まだキャビアとチョコレートしか買ってないし。★国立グム百貨店★なんでも巨大なロシアだけど、デパートもしっかり巨大。わりと綺麗にされていて、近代的な感じ。パリのショッピングセンターよりワサワサしてなくて心地いい。皆様、アイスクリームやお菓子をお買い求め。毛皮好きのワタクシとしては、何か記念に小物が欲しかったけれど、 100万以上するコートしかございませぬ。 マフラーも帽子も10万位。思いっきり外国人向け価格だな。路上で「1000yen 1000yen」と毛皮もどきの物も売ってるけど、その中間の価格帯ってないのか。 服やバッグもすごく高くて、ロシアでブランド物じゃなくてこんなにするのかとびっくり。結局何も買わなかった。 雀の丘にある、モスクワ大学へ。言わずと知れたロシア最高学府。正式名称はロモノーソフ モスクワ州立大学。(ロモノーソフはダヴィンチの様にマルチな科学者で詩人、画家でもあった) ゴルバチョフはここの卒業生。流石に今となっては有難味が薄れたゴルバチョフだけれど、ノーベル平和賞ももらったし、この人なくして改革はなかったのではないかと思っていたけれど、ロシアでは、確かに、ペレストロイカ、グラスノスチを実行したのは彼だけれど、彼はソ連が崩壊するなんて夢にも思ってなかった、砂が指の間からこぼれおちるように、ソビエト体制は終わったと言われている。 それにしてはいまだに日本講演で1回1400万とってて、ちゃっかりしてるなー。(ちなみにブッシュ父の講演料は890万)ここの露天で聖ワシリー聖堂の形をしたオルゴールを買った。何もすることなかったし。何故かまたケンイチさんが現れ、やりとりを見ている。あのー、私のカタカナ英語、駐在帰りの人に聞かれたくないんですけど! ! ! ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
October 24, 2008
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「赤の広場」と聞くと思いっきり社会主義的な感じがするけれど、この場合のロシア語の赤は古いロシア語で「美しい」と言う意味の言葉なんだそうだ。 イワン3世がこの広場を整備し、イワン4世(雷帝)がこの横に聖ワシリー聖堂を建てた。「ここは赤の広場です。あそこはレーニン廟、ここが歴史資料館、あちらがグム百貨店です。1時間フリータイムです」(あなたの説明、これだけなの?! )★歴史資料館★これが結構、美しい。またまたお菓子のようなできばえ。聖ワシリー聖堂より綺麗だと思う。地下にはハワイみたいなフードコートがあるらしい。時間があれば、ロシアの方々がどんな物を召し上がっているか見てみたかったけど。 レーニン廟はセキュリティチェックが厳しい上に混んでいて時間がかかりそうなので初めから行くつもりがなかった。亡くなったままの姿で安置されてるって話だけど、カタコンベ、ミイラ、遺体系の物は避けられるなら避けたい。 見てきた方の話では蝋人形みたいで全然怖くなかったそうだ。ソ連の影響で多くの社会主義国の指導者はこのスタイルで永久保存されてきた。(内蔵をすべて摘出され、ホルムアルデヒド溶液に漬けられる。年一のメンテナンスあり)スターリンの遺体は当初レーニンと枕を並べていたけれど、のちに権威失墜とかで撤去される。 遺族にしてみれば、普通に静かに埋葬してもらって、静かにお参りしたいだろう。それも撤去とか、複雑だろうな。レーニンは常々自分の死後は記念碑等作らないで欲しいと言っていたのに、こんなんなっちゃって、気の毒だ。 モスクワ出身者がソ連(現ロシアも含む)の最高指導者になれないのは、ジンクスらしい。レーニンは貴族出身の神童でサンクトペテルブルグ大学で首席だったそうだ。プーチンもサンクトペテルブルグ大学だったな。 ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
October 23, 2008
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Newsで「モスクワからお伝えします」と言えば、必ず背景は聖ワシリー聖堂。 ロシア史上、最悪の暴君として名高いイワン雷帝がカザン.ハン国併合の記念に建てさせた。 この近辺にはレーニン廟、クレムリン、歴史資料館、グム百貨店とモスクワの名所はすべて揃っている。「血の上の教会」とそっくりなのは、ロマノフ家がこのような教会を建ててほしいとオーダーしたから。 んー、実際そっくりなんだけれど、「血の上の教会」の方が細部も凝ってるし、ねぎぼうずのひとつひとつが可愛らしい。この聖ワシリー聖堂のねぎぼうずの色はもっとペンキチックでもっと趣のある色はなかったのかー? もっと質のいい塗料はないのかー?と思った。 イワン雷帝は同じ物を建てさせない為にロシア人建築家2人の目をくりぬいたという説があるけれど、事実かどうかは不明。タージマハールの設計者も目か手を不自由にされたんだっけ。 実際に建築した人をそんな目にあわせても、建物は実際に建ってるわけだし、そのあとの建築家が見てれば、まったく同じ物ではないかもしれないが似たような物はつくれるではないか。ある日、一人の大貴族が仮面舞踏会で乱痴気騒ぎをする雷帝に苦言を呈したところ、その日のうちに処刑されてしまった。 やっぱり建築家の目も・・やっちゃったのではないか。★ここでのイワンの説明は「ここは聖ワシリー聖堂です、修復中で中には入れません」のみ★ ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
October 22, 2008
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モスクワのホテルはイズマイロボと言う名前で、なんでもモスクワオリンピックの選手村だった施設だそうな。 これだけで期待してはいけないことはわかっているけれど・・・逆さまから読むと「ボロイマズイ」ホテルなわけだし・・(しゃれにならない)大きいことは大きいけど、妙なセンスの倒産しちゃったボウリング場の巨大版みたいな感があり・・・いやいや、部屋はそんな昔に建てたんだから改装されてるでしょうと気を取り直す。 サンクトペテルブルグでは何かするのに「待つ」なんてことなかったのに、ガイド力の差は歴然でかれこれ1時間も立とうというのに、さっぱりcheck in ができない。ハードスケジュールの旅ではないんだけど、こういう1時間って無駄だし、だんだん腹がたってきた。 イズマイロボのチープなロビーに疲れ果ててる日本人グループがもう1時間半もcheck inを待っている。当のホテル側とイワンは全く気にしてる風でもなく、ちんたら動いておりますね。何人か添乗員に苦情を言ってるようだ。 やっとcheck inがすみ、部屋にはいってみると・・・・それは・・・今まで★十年の人生の中でこんなホテル泊まったことない・・・なんとなくカビくさく、エアコンはなく、家具がボロボロ。たぶんそんなにキッタナーイって程でもなく、お湯も出たんだけど、絨毯も家具もこれだけボロボロだと全てキタナク見える。 あ゛ー、ここで3連泊!?!? こんなとこに3夜も寝るの!???あのー、皆様。私は決して、格安ツアーで行ったのではございません。一人35万払いました。車中泊を避けてDomesticを飛行機にした分割高でした。 あまりのショックにクラクラしていたら、すぐに添乗員が来た。あなたね、非常に恐縮されてますけど、35万出してこんなとこに3連泊ってどういうことですかー。(言えないけど)何組かの皆様はやはり苦情を言ったらしい。そりゃ、苦情くらい言いたいですよ、こんなキッタナーイホテルに3連泊! !それも今夜の食事はホテルで。もー、やだ! ! 食事に集合すると皆様こんな汚くて古いところに泊まると知ってればこのツアーにはしなかった、35万のツアーでこんなんなのかと不満爆発。一気に団結力が生まれ、とりあえず、その時のドリンクは旅行社持ちになったんだけど、そんなもんですまされるかい!ってくらいひどいホテルだー!カビくさいのと30度なのにエアコンなしで眠れない・・・ ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
October 21, 2008
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モスクワに着いた。これからホテルまで絶対にトイレには行けないと思うとなんとなくプレッシャーを感じる。それも「トイレがない」ならまだしも、あれより汚いと脅されると更に気になってしまう。そんな不安の中、空港に現れたのは、 動きが妙に遅すぎる。なんか嫌な予感がするな。で、あなたは若いのか? バスに乗り込むと「私は結婚しています。赤ちゃんが生まれました」で彼の話は始まった。そりゃね、日本人はこういう時「おめでとう!」と言いますよ。言いましたよ。 でも普通「皆様、モスクワへようこそ」とか「フライトお疲れ様でした。」とかそういう挨拶から始まるのではないの?いきなり見ず知らずの一言も話したこともないあなたに「赤ちゃんが生まれました」と言われてもね、困るわけですよ。 で、あなたは29歳とおっしゃいますけど、ロシア人は20代でこんなに太っちゃうんですか。 モスクワは車がとても多い。たまに日本車もいるが、ベンツやBMWもいっぱい。あとはどこの車かわからないけれど、東ドイツの車みたいなネオクラシックカーみたいのも結構走っている。渋滞もひどく、クラクションも頻繁になる。と、数台の車がススーっと走って行った。え゛!?そこ、歩道でしょ?!(車が歩道走ってるんですけど!)「モスクワでは普通です。」 モスクワでは普通って・・じゃ、人はどこを歩くわけ!?危ないじゃないのー、あんな普通のスピードで車が走ったら。無茶苦茶すぎる・・・「だから人は気をつけて歩かなくてはいけません」 ロシアでは車に轢かれたら、轢かれた方が悪いらしい。 ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
October 20, 2008
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サンクトペテルブルグに未練たらたらでモスクワに向かう。 また飛行機汚いんだろうな・・ 空港に着いてチケットを受け取ると普段活字で見慣れている項目が手書きなのでぎょっとする。(こ、こんなんでちゃんと座席確保されてるの?)あげく、どうも搭乗ゲートが変更になるらしいのに、どのゲートになるのか決まっていないと言う。(ってことは定刻には飛ばないの?) 不安になっていると、これまた不安な顔した外国人にゲートはどこになるか知ってるかと聞かれた。(私もわからないの)Japanese?(はい、そうです)I am an Egyptian.(え、エジプト人なのかー。初めて話すエジプト人だー)やっぱり定刻に飛ぶかどうか心配している。(私もわからないけれど、こちらはツアーコンダクターと一緒なので私たちについてくればいいんじゃない?) Are you married?(え? また唐突に。はい。)Ah,I am single.(おじさんさー、おじさんがsingleでもなんでも興味ないですよー) How old are you?(またいきなり話題が飛ぶのか。★★ですけど?)☆★?(いいえ、★★。おじさん、いい人じゃん、20代かと思ったのかー、気に入ったぞぉ。)横に座ってる母ががんがん肘でつついてくる。 搭乗ゲートの案内が出た。スクリーンではなくて「声」の案内だけど。みんなぞろぞろと薄暗いゲートに向かう。 また小さい飛行機。モスクワに着いたらトイレが汚いらしいので機内ですませるように言われる。機内だって十分汚いのにもっと汚い空港のトイレってどんなんだ・・・案の定、まったく流れない機内のトイレは誰かが出てくるたびに異臭をはなっていた。 ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
October 19, 2008
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ひゃー! ピョートル万歳! ! すごい、すごいー! 綺麗だー。(画像では素晴らしさが伝わらなくて残念。もっと綺麗だったのに)ピョートル以前にロシアに噴水はなかった。噴水の高さは高くなったり、低くなったり、水量も変わったりして全然飽きない。貴族風コスチュームの人たちも現れた。(暑いだろうなー) しばしここで青い空+美しい宮殿+噴水の眺めを見ていた。(HOMEのpageのフォトアルバムにも1枚入れてあります。じーっと見ていていただくと噴水が出てきます)噴水の時期にロシア旅行の値段はいっきに上がるけれど、これは見るべきだと思う。 それでは庭園に参りましょう。どこもかしこも噴水。さすがに噴水好きなだけあって色々と研究した様子。 大帝はいたずら好きだったのか、庭園内の普通の小道を歩いているとあちこちから急に噴水が出てきて、子供たちは大喜び。初めからカッパを着てる子もいて、リピーターなのかしらと思う。花壇はヴェルサイユからみるとほのぼのとしたデザインが多い。ヴェルサイユはヴェルサイユで美しいけれど、こうしたデザインも和む。一見、普通のベンチ(休憩所)に見える。うっかりこの前に立つと各石の間から噴水、噴水。(えー! 不思議! どうして、どうして?)「ったく。いくつでそんなこと言ってるの。後ろのあのおじさんを見なさい」実はこのベンチの後ろにもう一つベンチがあって地元の人らしきおじさんが座っている。このおじさんの足元に噴水を出すペダルがあって、子供が逃げるたびに逃げたところから噴水が出るように調節していた。 日本人のおじさまが「このハイテク時代にセンサーを使わず、大の男を一日中この為に座らせておくなんて前時代的だ。ロシアだな」と言っている。そういう見方もあるかもしれない。庭園を管理しているチームが当番制でやってるかもしれないではないか。この仕事でこのおじさんの家族は生計を立てているのかもしれないではないか。これでいいのだ、ロシア。 宮殿敷地内にある教会。きっと中は素晴らしいことだろう。外から見るだけでもこんなに美しい。 サンクトペテルブルグの観光はこれですべて終了。ロシア、ロシアと怖がってた割にはかなり楽しんだ。何も不便はなかったし、食べ物もおいしい。これから午後の便でモスクワに向かう。大満足! サンクトペテルブルグ! ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
October 10, 2008
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サンクトペテルブルグは1703年にピョートル大帝によって建設された埋め立て都市である。 ピョートル大帝はオランダ好きだったから、「北のペニス」より「北のアムステルダム」にしたかったらしい。 夏の離宮「ペテルゴフ」に向かう。5月-10月の期間中のみ運行の水中翼船。(冬期は凍るし、噴水もやってない。)もっと汚い船を想像していたので、新しく、綺麗な船を見たときにはホッとした。結構速いし、揺れもなく、快適だった。35分でペテルゴフに着く。遠ーく、遠くに宮殿が見える。おー、なんだか整然としてとっても神々しい風景だ。ここもドイツによって完全に破壊され(美術品は壊されるか略奪)終戦後長い時を経てやっと復元された。(噴水の治水施設も爆破されてしまった。ほんとにっ、もうっ) 宮殿までの道のりは結構長いものの、空気が市街より澄んでいるし、また30度だけれど、木陰を歩いて行けば気持いい。 (右は木炭を使う湯沸かし器。道端でドライバー相手にお茶を売ってる人を何組か見た)宮殿内部の見学から。★ここでも豪華な階段★(段々見慣れて来てありがたみが薄くなってるー)★ヴェルサイユを意識した広間★スウェーデンには勝ちたい、ヴェルサイユみたいな宮殿を作りたい、オランダみたいな船を作りたいで、ピョートル大帝はいくらお金があっても足りない。色々な物に税金をかけ始め、最後には髭(ひげ)税まで徴収した。 ★ダイニング★他の国と比べて食器のラインが随分丸みをおびていて可愛い。★なんだっけ・・・★エルミタージュより何故か落ち着く。2mを超える大男の大帝が次から次と新しいことを思いつき、ロシアの慣習を打ち破っていく様を貴族や聖職者たちはわなわなしながら、呆れながら見ていたことだろう。外科手術、歯医者の道具を持って、患者を探していたのはこの宮殿だったろうか。 ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
October 9, 2008
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ラスプーチンはなんと薄気味悪い男だろう。 (これはよく写ってる。)ラスプーチンがユスポフ、ドミトリー大公らに暗殺されたのがこのユスポフ宮殿。時間がなくて外から眺めただけだが、内装がまた素晴らしいらしい。ユスポフ家はロマノフ家よりもお金持だったらしく、タタールの家系。(トルコチックな顔ではないような・・でもロシア人の顔とも違うような)ドミトリー大公はニコライ2世の甥。ハンサムで有名だったそうだ。(歴史上になかなかハンサムな登場人物はいない。もっとこういう人をクローズアップして欲しいものだ。) ユスポフは青酸カリ入りの食事を出すも、ラスプーチンは平然と平らげ祈祷を始めた。背後から銃で2発撃ち、それでもまだ暴れるので窓から道路へ放り投げる。それでも息があるので、凍ったネヴァ川に穴をあけ、そこから落とした。 3日後、遺体となって発見された。溺死であったと言う。(青酸カリでも拳銃でも絶命しないタフな人だったんだー) ラスプーチンはロシアの歴史をかえる程の人物だったろうか。マリーアントワネットの首飾り事件同様、ひとつのきっかけではあったと思うが、ロマノフもブルボンも倒れることは避けられなかったろう。 シベリアの貧村から流れ着いたペテン師がどうして簡単に貴族社会に受け入れられたのか不思議だ。アレクサンドラ皇后はあの英国のヴィクトリア女王が育てた孫娘なのに。孫となると甘やかしたのか・・ラスプーチンの殺害を知り、皇后は怒り狂い、ユスポフもドミトリー大公もロシアを追放になる。それが後に幸いし、彼らは命拾いをした。革命後、ボルシェビキにより国内に残っていたロマノフ家、主だった貴族はことごとく殺害されている。この時生き延びたユスポフが「ラスプーチン暗殺秘録」を出版。(日本語版もあり)ラスプーチンはニコライ皇帝に「私は近いうちに殺されるでしょう。私を殺すのが、農民であればあなたは安泰。私を殺すのがあなたの身内であれば、ロマノフ家は終わるでしょう」と言ったらしい。結果、ロマノフは倒れたけれど、これ、予言と言うよりは脅し?ドミトリー大公クラスのルックスじゃないとねぇ、騙されない、騙されない。 ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
October 8, 2008
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さてさて、ネヴァ河クルーズに参りましょう。 私たちは屋根のないこんな船に。結構大きいので、ベニスのゴンドラよりもずっと安定性があって怖くない。(泳げないので、もんじゃクルーズでも十分怖いワタクシ)こんな橋の下を通過する時は結構ギリギリで立っていると危ないので、このお兄ちゃんが各橋の手前で立ってる人を座らせる。日本語も英語もだめらしく、何かロシア語でワーワー叫ぶ。ネヴァ河クルーズってどうよって思ってたけれど、そもそも美しいサンクトペテルブルグの街をかなり下の方の目線から見られるわけで、とても綺麗だった。ピンクのストロガノフ邸が見えてきた。ビーフストロガノフで有名なストロガノフ家はイワン雷帝の頃から豪商で、製塩業で莫大な富を築く。ピョートル大帝の頃には戦費の援助などでロマノフ家を支え、代々家系から政府高官を出し、ずんずんと出世し伯爵の位を得た。 ビーフストロガノフはこのストロガノフから出たレシピであることは間違いない。ストロガノフ家の誰かが思いついたレシピなのか、お抱え料理人が作ったレシピなのかはよくわからないのだそうだ。 当時お金持はこぞってフランス人料理人を雇っていたし、ストロガノフ家の人々でフランスで生活している人もいたので、フランス料理の影響はあるかもしれない。ロシア革命後、一家はアメリカに亡命。所有地はすべて国有となった。 ★日露戦争にも使われたオーロラ号★ん、なんだか完全に曇ってきた。 前の記事で話題にしたロシアのサワークリームスメタナ。なんと、スメタナはカスピ海ヨーグルトだった! スメタナは発酵時に膨張するので、容器に穴をあけなければならず、それが日本の食品衛生法でひっかかるので、「スメタナ」としては輸入できない。それを種(菌)で持ち込んだのがカスピ海ヨーグルト。 なんと我が家の冷蔵庫にスメタナはあったのだ。 ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
October 7, 2008
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なんともオドロオドロシイ名前だけど、こんなに美しい教会。 ★聖ハリストス復活大聖堂★1881年にアレクサンドル2世の乗った馬車がテロリストに爆弾を投げつけられて、衛兵2人が死亡。様子を見に降りた皇帝にさらに爆弾が投げつけられ、瀕死の重傷のままエルミタージュ宮殿に運ばれたが1週間後、息を引き取った。 ロマノフ家がアレクサンドル2世を偲ぶ為、この地に教会を建てる。入口でまた靴カバーをかける。ブルーのシャワーキャップみたいなやつ。ちょっと滑って歩きづらいけど、床も美しいし、これくらい仕方ない。 元々は公開されておらず、ロマノフ家の為の教会であった。トパーズや貴石で飾られている。ひゃー、本当に美しいなー。アレクサンドル2世は農奴を開放したのに、それでもまだ足りなかったんだー。社会が成熟してしまったんですねー。孫のニコライ2世でロマノフは終わってしまうから、もう2代前から帝政は危なかったんだろう。皆様、エルミタージュの金きらきんの居室、高級娼館のような閨房を覚えてらっしゃいますか?あの私とは趣味が合わないであろう、皇后はアレクサンドル2世の嫁です。大恋愛の末、結婚したものの、長くは続かず。子供は8人、その間に私生児3人。 48歳で女学生と激しい恋に落ち、4人の子を持ち、皇后の死後(14年後)貴賎結婚した。(この妻と子供たちは皇帝の死後、ロシアを追放される) そういうことがあっての、「すねた女性の気持を落ち着かせる部屋」なのかー。こんな美しい、可愛らしい教会をソ連はロマノフの物だからって「地区教会」に格下げし、第二次世界大戦中は「野菜倉庫」として使った。や、野菜? 当時は「じゃがいもの上の教会」と揶揄されていたそうだ。じゃ、じゃがいも・・・1997年、修復とともに60年ぶりに公開されることとなった。そりゃ、ソ連が帝政時代の物を嫌うのも、宗教を禁止したのだからこの教会を粗末に扱うのはわからないでもないけど・・・ とりあえず、残っててよかった。 ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
October 6, 2008
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「買ったんだねー」またケンイチさん登場。 ケンイチさんとは:何故かいつも急に背後から現れる。エカテリーナ宮殿でお尻のあたりを蚊に刺された時も聞いていたらしく、「大丈夫?」と言われて困ったんだった。(聞かないでよ!) 多分私より3-5歳年上のアメリカ駐在経験ありの東京在住の方。ご両親が仙台から参加されるので、ロシアだし、心配で今回同行。お父様はとても面白い方で、しょっちゅう話しかけて来てくれるんだけど、そのたびにお母様がいやーな顔をして「ごめんなさいね、うるさいでしょ。ご迷惑でしょ」と横からおっしゃる。 定年退職されて一緒の時間が増えたとたん、お互いにピリピリしてるらしく、ケンイチさんは旅の終わりころには「もう親と旅行には来ない、コリゴリだ」と苦笑いしていた。お母様はこのあと、私にも「外面ばっかりよくて、私には文句ばっかり」とおっしゃってたけど、お母様も甘い声で「ケンイチー」と言うのに、ご主人には鬼のような顔で接している。笑 「だんなどうしたの?」(え?)「だんなおいてきちゃったんだ」(ご自分もね、ご家族置いてきてるでしょー。言わないけど) 「いくつなの? あっちの母娘は名前が一緒だからまだ独身だろ、お宅は名前違うから、だんないるでしょ」(そんなこと、部屋わりの時に聞いてたのかー? 言えないけど)「あっちの娘の方が年上かな」(えー、そんなストレートな。いえいえ、あちらの方がお若いと思いますよ) 「で、いくつ?」(★★です。)「え、結構いってんだな。それじゃ、だんなは忙しくて来れないよね」 あなた、今、結構いってんじゃんって言いました?? 言いましたね? ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
October 3, 2008
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お昼が終わるとキャビアのお店に連れていかれた。なんでもモスクワより安くて質のいいキャビアなんだそうだ。 NY vs Boston 、東京 vs 大阪のように、モスクワとサンクトペテルブルグも何かにつけて「ライバル」。 お店はこじんまりしていて、中は清潔で、西側(古い言い方だけど)ヨーロッパのお店と変わらない。一行はサーッと奥の方に連れて行かれ、お盆の上にキャビアを乗せてる可愛らしいオネエサンに「いらっしゃいませー」と迎えられた。彼女は、もっと偉そうなスタッフがキャビアの説明をしている間にこやかにそのまま立っている。(結構説明、長いなー。キャビア。で、おいくらくらいで買えるわけ?)ロシアで最高級のキャビアだと言ってる。(それはいいとして、ここで買って、旅行中大丈夫なのか?)皆さん、大丈夫です。ホテルに帰ったら冷蔵庫に入れてください。(疲れてるし、忘れそうじゃないのー。それに帰国するまで冷蔵できない時間だって結構あるじゃないのー) 皆さん、この青いラベルが最高級品です。1つ5000yenです。yenで払えます。(え! 5000yenもするの? 1つ? 日本のデパートならわかるけど、ここはロシアですよー。こんな小さな靴クリームみたいな大きさの瓶でそんなにするの?)赤いラベルのは質が落ちます。1つ3000yenです。(そんな質が落ちるなんてはっきり言われたら、買えないじゃん)とりあえず、考えるのが嫌なので、説明が終わるとともにその場を離れる。 ホテルの売店で見たような、綺麗な細工の物がいっぱい。あ、値段は一緒だ・・・高いものなんだ。皆さん、こちらはロシアで最高級のチョコレートです。おいしいです。どれどれ・・あ、確かにおいしいかも。大きめの飴玉大の大きさで1つ1つキャンディーみたいに包まれている。10個で1000yenです。(まあ、高くはないけど、でもこの大きさ、箱なし、ロシアの物価を考えれば安くはないなー)今回のツアーも買い物できる時間が殆どないので、(時間があったとしてもなかなか買い物は難しいと思う)買える時に買っておいた方がいいか。 とりあえず、30個買ってたら、ケンイチさんが背後から現れ、(いつも背後から急に現れる) クラッカーの上に乗ったキャビアを食べながら、「これ、おいしいよ。全然生臭くないんだ」(はあ、でも・・もともとキャビアおいしいと思ってないし・・)そこで母が「おいしいなら、★★さん(husの名前)に買ってきなさい」(えー、5000yen じゃん)「何を言ってるの、キャビアは元々高いってわかってるでしょ。この先買い物できるかどうかわかんないんだから」 (じゃ、3000yenのにしようかな)「最高級って言ってるんだから、5000yenのにしなさい。あ、3つ買っておいてね」確かに、青の方が明らかにおいしかった。 ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
October 2, 2008
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あー、エルミタージュはすごかったー。 宮殿は第一次世界大戦時には仮設病院となったそうだ。 宮殿を開放するなんて、当時は人道的だったんだ。 30度を超す屋外に出ると現実に引き戻される。天井→壁→床→美術品と各部屋でずっとキョロキョロしてるので首も痛いし、人が多いのでなんとなく酸素不足で貧血気味。 お昼はロシア風餃子ペリメニ。餃子と言ってもそこは西洋風なのでラビオリの方が近いかもしれない。スープ餃子やワンタンの様に完全に浮かんではいなくて、スープはわりとちょっと。一つ一つに入っているお肉や野菜も私たちが思う「餃子」よりも量が少ないので、そんなにボリュームを感じない。 シベリアのアジア民族から伝わったという説が一般的だけれど、トルコ風餃子って味は違うけれど形がそっくりなのもトルコで見たので、トルコから来たってことだって考えられるのでは。逆に、ロシアからトルコに入ったのかもしれない。(トルコ風餃子よりずっと日本人好み) ひゃー、おいしい!って程でもないけれど、これはちょっと・・ってことは全然ない。ロシアにはもっとおいしいものがたくさんあるのでレストランに行ったらこれは頼まない。一週間いて、メニューの中にあるぶんにはバリエーションがあってOK.冷凍餃子の様に、冷凍ペリメニがあって、家庭では気軽に食べているらしい。 ( ロシアにはコットンのパンケースもあるんだ!右)お店の若い男性はまだ太ってなくて、肌が真っ白。目の色はグレーがかったブルーの子が多くて、ちょっとシベリアンハスキーを連想させる。もちろん、チェコみたいに表情は殆どない。地元の方々も結構いたけれど、皆様お肉とピロシキを食べてらっしゃる。 あのー、お昼からそんなに食べない方がいいと思いますがね。 ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
October 1, 2008
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67年の生涯の中で「愛人」の数、数百とも、21人とも言われるエカテリーナ2世。 15歳でロマノフに嫁ぎ、その後8年間は「淑女」として生きていたようだ。結婚後8年経って、世継ぎに恵まれないことを危惧したエリザヴェータ女帝が絶世の美男子(どんなんだ?)セルゲイ・サルトゥイコフを差し向ける。パーヴェル1世誕生。エカテリーナは真剣だったようだが、セルゲイはお役目を果たすと、とっとと別の女性に走り、二人の関係は終わった。 ロマノフ家の安泰の為とは言え、もしセルゲイが王子の父親は自分だと公にしたり、摂政になるとか言いだすリスクだってあった筈だ。(暗殺されるのがオチだと思うけど)次はスタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ。 スタニスワフの出現により、エカテリーナは当時たくさんいた愛人を全て捨てる。エカテリーナの後押しでポーランド国王になったものの、失政続きで結局ポーランド王国を消滅させてしまい、彼女から多額の年金を受けることで晩年をおくった。二人の間にはアンナが生まれる。次はオルロフ。無骨であり、思慮深いとは言えない将校の彼が新鮮だったそうだ。 エカテリーナの夫である、ビョートル3世をクーデターにより暗殺したのはオルロフ兄弟。愛人に夫を殺害させて、女帝の座についたのだった。(いくら元々愛のない結婚だったとは言え、殺してしまうんだー、幽閉じゃだめだったのかな)それも死亡した理由は「痔の手術中の事故」 オルロフは結婚したかったらしいが、野望はかなえられなかった。(そりゃ、手を汚してまでエカテリーナを女帝にしたんだから、それくらい望むのは当然か)二人の間にはアレクセイが生まれ、ボーブリンスキー伯爵家を創設。(寡婦だから、実子としては宮殿に残せなかったんですね)その後女帝の愛が若いヴァシリコフに移り、焦ったオルロフはダイヤモンドを贈るが功を奏せず、そのうちポチョムキンの出現により、完全に2人の関係は終わる。 ポチョムキン36歳の時に10歳年上のエカテリーナとの関係が始まった。 エリザヴェータ・チョムキナが生まれる。極秘結婚したとの説もあるが、ロシアvsトルコ戦争で彼が戦ってる間もとっかえ、ひっかえ、若い愛人と楽しんでいる。オルロフがいなかったら、女帝になれなかったかもしれないし、ポチョムキンがいなかったらロシアはこれほど広大ではなかったかもしれない。多分、エカテリーナが浮かれて恋をしたのはセルゲイあたりまでで、後は権力を手に入れたい女と、その権力に群がる男達の果てしない戦いだったのだろう。得られるのは「唯の女」の愛ではない。地位、名誉、冨。彼らの全てだったろう。ポチョムキンもポンパドール夫人のように、選りすぐりの若者を女帝に贈り続けた。自分への愛が冷め始めた時、彼らは意のままに操れる玩具を提供することで権力者とのつながりを保ち続けた。 (まったく知らない誰かに寵愛をとられるより、ずっと安全だもんね) ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
September 30, 2008
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レンブラントは好きな画家の一人。 光と影の魔術師で肖像画なんかは、今、まさに動き出すのではないかと言うくらいリアルなのがいい。 特に中世独特の真っ白な襟を描かせたら天下一品だ。エルミタージュにあるレンブラントは暗めのレンブラントの作品の中でも更に暗い、ちょっと重苦しい系統のコレクション。 ★放蕩息子の帰還★財産分与の後、跪いている弟は散在を繰り返し、豚の世話係をしながら豚の餌で飢えを凌がなければならない程になり、父の元へ戻った。(聖書のルカ福音書の「放蕩息子」からの題材) レンブラントは粉屋さんの息子として生まれ、若くして画家として成功し、冨を得たものの、浪費癖がひどく、莫大な借金を抱え、最後には共同墓地に埋葬された。この弟と自らを重ねていたようだ。レンブラントは色盲だったという説もある。 ★ルーペンス 「バッカス」★いくらバッカスだからってこんな描き方いいのか・・・このぶよぶよ感すごすぎ・・・・ルーベンスの描く天使はとても可愛いけど、「裸婦」はルノワール同様すごいことになっている。ふくよかさが美の象徴なのだな・・・ ルーベンスと言えば、私的には「フランダースの犬」なんだけれど、地元ベルギーでは「フランダースの犬」は全くと言って良いほど知られていない。感動の名作なのだ、涙なくして読めないのだとヘドウィッグに話したら、子供の為の物語がそんな悲惨な結末なんてヨーロッパでは考えられない、おじいさんが亡くなった後、まわりの人々がネロを援助しないのも不自然だし、ベルギー人は鬼ではないと偉くご立腹だった。 ★ヴァン ダイク★★エル グレコ Peter & Paul★エル グレコは8頭身の人物を描くのでルーベンスやルノワールの後に見ると、未来人間みたい。★ルノワール★★マグダラのマリア★やっぱりダヴィンチコードを思い出してしまう・・・ ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
September 29, 2008
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やっぱりここでもダヴィンチは別格扱い。 ★ダヴィンチホール★ダヴィンチは結構な美男子だったらしい。おじいさんみたいなデッサンしか見てないから知らなかった。 ★リッタのマドンナ★ これぞルネッサンスの理想の美なんだそうだ。美しく健康な肉体があってこそ、内面の美が生まれると言うことらしい。肌と影がとても自然に美しく書かれている。リッタと言うのは初めにこの絵を買った人の名前。ダヴィンチは生涯20点の絵画を残しているが、そのうち2点はこのエルミタージュにある。 彼は芸術のフィールドにいたのかと思っていたけれど、チェーザレ.ボルジアの教皇軍の軍事顧問をしたり、フランソワ1世と教皇の和平交渉の調停役なんかもやっている。いくら天才と言っても、どんな経緯で各フィールドを渡り歩いたのだろう。 ★ラファエロの廊下★ラファエロだって勿論、別格扱い。この回廊はエカテリーナ2世がオーストリアの版画家にラファエロの壁画を模写させて作ったもの。で、「ラファエロの廊下」の名前までつけちゃって、許される? ★コネスタビレの聖母★ラファエロはとても人当たりがよくて、そつない人だったらしく、教皇や貴族のパトロンを数多く持ち、画家としては珍しいくらいの冨と権力を持った人だった。 ★聖家族★でも37歳の若さで没。今日では性感染症だったという説が有力。ああ、モーツァルトもラファエロもそんなことで命を落としたのか・・ 二人がもっと長生きしていたら、もっと素晴らしい作品がこの世にたくさん残ったのに。 ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
September 27, 2008
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孔雀石(マラカイト)って言うのをそれまで知らなかった。 コリント柱(緑.碧色?)がそれ。★孔雀石の間★マントルピース、食器、調度品、殆どの物が孔雀石で統一されている。左の壷もそう。孔雀石はギリシャでは子供のお守り、イタリアでは魔よけなんだそうだ。 単色ではなくて、こうして年輪のような、大理石のような模様が入っている。 ★パビリオンの間★右側のショーケースの中はポチョムキンがエカテリーナ2世に贈った孔雀のからくり時計。月に2度この孔雀が羽を広げ、手前の籠の中のふくろうが首をふり、にわとりが鳴くらしい。テレビで見たことがあるけれど、すごかった。黄金製、イギリスで特注。 皆様、黒海にポチンと出ているクリミア半島もポチョムキンからエカテリーナ2世への贈り物でございます。 ★ローマ時代の戦を再現したモザイクの床★エルミタージュは、それぞれの床の装飾がとても凝っている。ちゃんと写真撮ってくればよかった・・ ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
September 26, 2008
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アレクサンドル2世とマリヤ皇后の居室「白の間」を通過し ★「黄金の客間」★これは黄色ではなくて、金ぴかの金色。天井もこんな感じ。壁も天井も金。テーブルの上のテント型のショーケースたち。(さすがに床は金ではない)ヨーロッパ屈指の宝石やカメオが展示されている。 でも殆どスタスタと通り過ぎて1つ1つは全然みられない。 ★マリヤ皇后の閨房★思いっきりロココスタイル。「閨房」とは寝室や女性の居室を意味するらしい。英語表記でこの部屋はBoudoirと書くんだけど、きっといい意味じゃない。 辞書では一応、寝室、すねた女性が気持を落ち着ける部屋となっている。でもなんとなく、映画に出てくる高級娼館みたいなインテリアにも見える。別名「ラズベリーの間」マリヤ皇后の趣味はちょっと、私は落ち着かないかも。(ってこんなところに住めるわけもないですが) キンキラキンの黄金の間もラズベリーの間もこういう部屋があってもいいけど、長時間いるのはちょっと耐えられない・・(そんな心配いりませんが) ★10月の階段★1917年の10月革命の際、暴徒はこの階段から侵入した。ここまで駆け上がった時、彼らは何を思ったろう。興奮か、憎しみか。 ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
September 25, 2008
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★1812年祖国戦争の長廊下★ナポレオンに勝利したことは、ロシアにとって、それは物凄く大きなことだったらしい。 広場のアレクサンドルの円柱もそうだし、街中には凱旋門もあるし、この戦いの間もそうだ。壁にかかる332枚の肖像は1812-1815年に参戦した少将以上の官位のロシア軍人たち。殆どは実物を前にして書かれたが、その時までに亡くなってしまった軍人は生前の絵姿を元にしたそうだ。 肖像画を書けなかった人物たちは額を空にして30ヶ所ほど残っている。描かれるはずだった人物の名前と功績は後世に残されるべきたと考えられたからだそうで、ロシア人の考え方と言うのは意外とロマンチックでもあり、人情深いんだなー。 1837年の大火の時には兵士たちにより一番に運び出され、焼失を免れている。ずらーっと並んだ将軍たちは勿論それなりのお年である為、あらーなんてhandsomeはいないから、うむうむ、そうなのねー程度に説明を聞いていく。 ナポレオンと言えば、真っ先に思い浮かぶその姿は白馬に乗り、ナポレオン帽をかぶり、なんか疾風のごとく現れたような絵だけれど、やっぱりあれは権力者への配慮と言うか、遠慮だと思う。実際はこんなもんか、もっと・・・イタリア系だからかヨーロッパ人としてはあまり大きくない167cm禿げてからの肖像画は必ず帽子をかぶってるものしか許可しなかったそうだけど、その前に、ちょっと太めな上に足が短め・・・ St.Georgeと書いてサンクト ゲオルギーと読む。次はゲオルギーの間、別名「大玉座の間」大きな公式儀式の殆どはここで行なわれた。★正面の玉座★聖人ゲオルギーがドラゴンを退治するレリーフがある。この最も大切な「玉座の間」の入り口が軍人の肖像画でうめつくされた廊下であるのは偶然ではなく、彼らの功績を称えるとともに、いつまでも皇帝を守って欲しいと言う願いがこめられているんだそうだ。 この時代は結構暖かい考え方をしてたんだな。 ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
September 24, 2008
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★ピョートル大帝の間★正面にある肖像画はピョートル大帝と知恵と戦の女神ミネルヴァ。「知恵と戦」ねぇ・・・ 大帝は臣下の歯の治療までしたと言う。治療なら嬉しいだろうけど・・・そもそもプロに治療されたって昔は麻酔も技術もないんだから大変だったと思う。皇帝(逆らえない)、素人に歯なんて触って欲しくない。でも「外科医」と称する手術道具も歯の治療道具も持ってたんですよ、大帝は。 そしていつも患者を探していた。治療したくてうずうずしてたろうな。「歯が痛い」なんて絶対に言えない。。言いたくない。。 肖像画の前にある小さな玉座は何故かパーヴェル1世のもの。ピョートル大帝と言えば、ロマノフ朝いやロシアにおいて重要な役割を果たした皇帝なのに、多分、ロマノフの血が入ってないパーヴェル1世の玉座を前に置くとは。違和感、感じる。 ピョートル大帝はここには住んでおりませぬ。小さい玉座の間と言われるだけあって、椅子は小さく見える。 ★紋章の間★うほー、すごい! 金ぴか!ロシア全県の紋章がある。皇帝がここで、各県の貴族や都市の代表などと引見した。う、美しすぎる。奥に並ぶ彫刻は古代のロシア兵士。兵士の服の細かい皺も見事に彫られてとても綺麗。古代の兵士だと他の国では素肌が出てるけれど、やっぱりロシアは古代からちゃんと着てる。寒いもんね! ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
September 23, 2008
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ヨルダンギャラリー、トレジャールームを通り過ぎる。 あっと、宝石でできたブーケは見逃せないんだった。あー、本当にうっとりするけれど、じーっ、じーっと見ている時間はない。ヘレニズムの間を通り、(彫刻、天井、床の細工が綺麗!)ヘラクレスの間を通り、どんどん進んでいかなければ。 あー、勿体ないなー、時間がないー。★愛と美の神アフロディーテ★愛と美の神と言うからには、これが理想の体型ってこと?これくらいの「くびれ」とおなかでいいなら、ほっとするー。脚もむちむちだしぃ。 あ、また宝物だ。この冠は1世紀の物らしい。で、どこで見つかったの? ああ、わかんないけど、もう行かないと! エルミタージュの所蔵品は300万点だそうで、1つにつき5秒で見るとしてもまるまる1ヶ月はかかる計算だ。(不眠、不休で)全部は見る必要ないんだけれど、(展示してある他にも倉庫で眠ってる物がまだまだあるらしいし)それにしても、こんな通勤と同じ速度でどんどん通り過ぎるには勿体ないなー。 これでいいの、grand floor ! ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
September 22, 2008
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ルーブル美術館は宮殿だったけれど、王の関心がヴェルサイユに移ってしまって建設が頓挫した為か「宮殿」という豪華さは感じない。 オルセー美術館は元々駅だった。大英博物館は図書館だし、メトロポリタンはヨーロッパのような古い歴史はない。 エルミタージュの豪華さはコレクションを所蔵しなくても充分なのに、華やかなバロック宮殿の中でこれだけの芸術にふれることができるのは素晴らしいと思う。 芸術がわかってなくても、この素晴らしさには驚嘆するばかりだ。★大使の階段★各国大使が皇帝に謁見する為に訪れた際、ここを登ることから大使の階段と言う。真っ白な階段に真っ赤なカーペット。きらびやかな装飾に美しい彫刻。★階段の装飾★フランス語で「Hemitage」は「隠れ家」だけれど、こんな隠れ家、有り得ない。 入場してすぐだと言うのに、「ほう」「wow」「Oh」と各国語のため息であふれ、シーンとなった後、徐にカシャカシャ撮影が始まる。 その昔、各国の大使もこうして、圧倒されていたろうか。 ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
September 21, 2008
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エルミタージュの大型バス専用駐車場に着いた。雲ひとつない気温30度のサンクトペテルブルグの空に「冬の宮殿」は映える。神々しいくらい。 皆様、ひとくちに「エルミタージュ」と言っても、それはそれは広いのです。上空からの見たエルミタージュ。右上、アレクサンドルの円柱の辺りに立つとこんな感じ。背側は旧参謀本部。1905年の「血の日曜日」事件、1917年の10月革命はこの広場で起こった。 現在、冬はスケートリンク。これだけ広ければ、楽しめそう。 アレクサンドルの円柱は1812年のナポレオン戦争に勝利した記念碑で、花崗の一枚岩なんだけれど、完成したのは1833年で、勝利したのはいいのだけれど、20年も経ってから記念碑というのも随分悠長な話だ。2000人の退役軍人がこの柱を直立させたそうだが、唯でさえ、寿命が短いロシアで、20年待たせたら、せっかく戦ってくれた兵士の相当数は亡くなってしまうではないか。 旧参謀本部と聞くと、ええっKGB? SPY?なんて血が騒ぐがこれもナポレオン戦争の勝利を記念して建てられた物で旧海軍省へと続く。シェーンブルーン宮殿のマリアテレジアイエローよりは薄い黄色だが、軍の建物とは思えないくらいの美しさ。 流石にエルミタージュは混んでいるので、開館前に来て、こうして待っている。「もっとあっちに行きなさい」「もっと遠くに行かないとアーチが入らない」暇だからって、写真撮影の為、随分広場を走らされた。 暑いんですけど。 ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
September 20, 2008
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サンクトペテルブルグ2日目の朝。 パンやケーキを選んでいると、 またメキシコおじさんがにこにこして現れた。 「おはよう。サンクトペテルブルグはどう?」ど、どこにいたの。家族は遠くにいるのか、おじさんしかいない。 オリンピックのTシャツも着てない。「昨日はどこに行ったの?」エカテリーナ宮殿と市内をちょっと・・・「僕達はエルミタージュに行ったよ! 素晴らしいよ!」私は今日行くんです。「日本の映画は素晴らしいね。クロサワ好き? サムライはいいね」エルミタージュの話は終わったのか・・いきなりクロサワか。外国人と話すと必ずクロサワなんだけど、実際海外での絶賛評価からみれば日本人はクロサワ映画の価値を認識していないと思う。「サムライの・・・すごく貧乏なサムライの・・映画見たよ」 クロサワの?「いや、クロサワじゃない。セイベイ」セイベイ ? 「ラストサムライ見たよ。セイベイはラストサムライに出てたね」 ラストサムライにセイベイが出てた? 真田広之? あ、たそがれ清兵衛のことか!んー、しかし、「たそがれ清兵衛」観てないな・・「もう一つ単語を知ってる」え、もう清兵衛の話は終わったの?私が答える間もなく、おじさんの話題はどんどん進んでいくのであった。今度は何。「Senbei」え?「Senbei. I love it 」え? rice crackerの?せ ん べ い ?「Yeeeeeeeees」っもうっ、そうじゃなくてー。 Pepsiをclick!Pepsiをclick!★ブログランキングに参戦中↑子犬をclickして頂けると頑張れます
September 19, 2008
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キエフ風カツレツはウクライナの伝統料理ではなくて、ソ連時代にキエフ周辺で作られたレシピ。 鶏肉のカツでナイフで切るとガーリックバターソースがジュワーっと出てくる。そのソースにパンもつけちゃう。これはおいしい。ガーリックバターの替わりにマッシュルームクリームソースのレシピもあるらしい。それも絶対おいしそう!ボルシチもウクライナ発祥の料理で、吉祥寺のカフェロシアで出てくる綺麗なピンクのボルシチは家族で眼鏡さん、赤ビーツの自然の色です。ボルシチは例によってスープ皿からソーサーにじゃぶじゃぶこぼれなから 運ばれてきた。いやー、本当に繊細さにかけるなー。お店のコたちはみーんな「ブリジット.ジョーンズ」みたいだ。ボルシチには必ずサワークリームが入っている。 サワークリームと言うからにはヨーグルトみたいに酸っぱいんじゃないか、そんなの野菜スープと合わないんじゃないかと退けて食べようとしたら、マリアさんに見つかり「酸っぱくありませんからー、混ぜて、混ぜてぇ」いや、ホント、生クリーム程濃厚じゃないけれど、まったく酸味はない。ロシアではスメータナと言う。ウクライナ料理はあのあたりが穀倉地帯であること、歴史的にギリシャやトルコの影響を受けていることから非常にバラエティに富んでいるし、おいしい。私が絶対だめだなぁと思うのは、「サーロ」と言われる豚の脂肪の塊で、豚の角煮のお肉の全部脂身バージョンって言うのがあるらしい。生、塩漬けでウォッカのつまみにしたり、野菜と炒めたり色んな料理に使うんだそうだ。豚の脂肪、生なんて、絶対嫌だー。塩漬けでも火をとおしても、それだけでなんて食べられないなー。 そんなの食べちゃうから、あの土地の方は・・・・。Pepsiをclick!Pepsiをclick!★ブログランキングに参戦中↑子犬をclickして頂けると頑張れます
September 18, 2008
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早めにホテルに戻ったので、売店をのぞきに行く。 ★ロシアの白樺工芸品ベレスタ★白樺の樹皮から作られていて、一切人工接着剤等は使われない。防腐、殺菌作用があり、パンや穀物入れとして一般家庭で使われている。白樺は水洗いできる上に、耐久性が高いので10年以上の使用に耐えられるそうだ。 細やかな細工が美しく、お弁当箱みたいな物やピクニックバスケットみたいのもあった。とても小さい箱はピチッと蓋が閉まり、クリーム等化粧品を入れたりもするらしい。 年々、職人さんが減っているそうだ。ホテルの売店だからなのか、8000円以上はする。hand madeとは言え、ロシアの物価を考えると高すぎる。 ★いかにもロシアの塗り物★これはすごく綺麗だなー、記念に買おうかなーと思ったけれど、1万円以上したので止めた。(この教会(右)の形が好きで) ★ホフロマ塗り★新宿西口のスンガリーで出てくるのは使い込んであって褪せているけれど、こうして新しい物がずらーっと並ぶととても綺麗だ。 衣類、革製品、毛皮製品のお店もあったけれど、日本で買うよりも高いのではないかという価格帯でびっくり。きっと外国人価格なのだろう。それにしても、各お店に入っても、いらっしゃいませでも、何かお探しですかでもなく、店員は座ったままこちらを向こうともしないのがロシアチックだ。 ↑PepsiをClick!blog ranking参戦中★子犬をclickして頂けると頑張れます
September 17, 2008
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ソ連時代は医療費、薬代は無料だったそうで、社会主義は悪いシステムではないとロシア人は言う。 現在、病院にかかることも薬代も高額なので、人々は自力で風邪を治すらしい。いろんな方法があって、1.コップに蜂蜜を1/3入れ、レモン1個を搾って飲む。2.桶にお湯をはり、カラシパウダーを入れて寝る前に足を浸ける。(浸けた足は洗っていいの?)3.寝る前に熱いミルクにたっぷりのバターを落とし飲む。4.紅茶にウォッカを入れて飲む。5.ガーゼをウォッカに浸し、一瞬火をつけて消す。それを油紙で包み、喉と背中のくぼみにあてる。(使い捨てカイロで代替可)ロシアではマスクをつける習慣がなく、花粉症の時期の日本の映像を見て、それはびっくりしたそうだ。マスクをつけるのは非常事態宣言が出るような時だけらしい。★聖ニコライ大聖堂★サンクトペテルブルグは海の町なので、水兵、漁師の無事を祈って建てられた。エリザヴェータ女帝の時代に9年をかけて建設され、正面の柱はコリント様式。Pepsiをclick!Pepsiをclick!★ブログランキングに参戦中↑子犬をclickして頂けると頑張れます
September 16, 2008
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1992年まではレニングラード.キーロフ劇場と呼ばれていたマリンスキー劇場。 淡いグリーンと白のコントラストが美しい。これは劇場裏側。マリインスキーはアレクサンドル3世の皇后マリアの名前が由来。 キーロフはスターリン時代、スターリンをも凌ぐ人気があった指導者の名前。1934年、キーロフは不倫相手の夫(反スターリン派)に暗殺される。これを機にスターリンの大粛清が始まった。フルシチョフの時代に入り、スターリンを神格化しない風潮が高まると真実が公となる。キーロフの人気に焦りを感じたスターリンが彼を殺した。有力対抗馬を暗殺し、それを反スターリン派のせいにして大粛清。邪魔者を一気に一掃したスターリンは理不尽だ。マリインスキー劇場の総裁ワレリー.ゲルギエフはモスクワ出身のオセチア人である。(若ノ鵬、露鵬、白露山、みーんなオセチア人)1988年ソ連崩壊の混乱の中、35歳の若さで総監督に就任、外国からの援助をとりつけ、どんどん才能を開花させていく。46歳で19歳の音楽学校卒業生と結婚。自身でこれは犯罪だと語っている。笑2004年の北オセチアで起きた小学校占拠事件の際はチャイコフスキーの「悲愴」を涙を流しながら指揮したそうだ。(ゲルギエフは幼少期~青年期までこの地方で育った)そして、今、グルジアの侵攻により2000人もの犠牲者を出したオセチアを憂いている。 日本ではロシアが悪者、あちら側ではグルジアが悪者という見方だ。どちらがどうとは言えないけれど、確かに日本の報道は偏っているかもしれない。チェチェン、北オセチア、アゼルバイジャン、アルメニア、グルジア等は所謂コーカサス(カフカス)地方。「白人」と和英辞書を引くとCaucasianと出てくる。コーカサスとは元々スキタイ語の「白い雪」だったらしい。でもヨーロッパ系白人を表すのが何故Caucasianなんだろう。マイナー過ぎるなー。と思っていたら、「ノアの箱舟」が辿り着いたとされるアララト山がコーカサスにあって、ヨーロッパ人の起源はその神聖な地、コーカサスだと言うことなんだそうだ。強引だ・・・・。Pepsiをclick!Pepsiをclick!★ブログランキングに参戦中↑子犬をclickして頂けると頑張れます
September 15, 2008
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昼食を終えて外に出ると、ひゃーって言うほど暑い。よく見ているとロシアの方々はみんなピンクになってる。血管が肌の近くにあるんだナぁ。★聖イサク大聖堂★ドーム部分は写真で見るよりもっと金ピカで、これがまた、ピカー、ピカーッと光ってますます暑く感じる。★ニコライ1世の像★ニコライ1世はエカテリーナ2世の孫にあたる。父はパーヴェル1世。エカテリーナ2世とピョートル3世の子ではなく、セルゲイ・サルトゥイコフ伯爵の子かもしれない。実のところ、この時点でロマノフの血は途絶えていた可能性の方が高い。エカテリーナ2世は皇太子妃時代に公然とセルゲイ・サルトゥイコフ伯爵と付き合っていたし、エリザヴェータ女帝が「子供を持つこと」を優先にその関係を推奨したとも言われている。 ロマノフの血じゃなくてもいいってこと?生まれてすぐにエリザヴェータ女帝に引き取られ、母とは接点なく育ったパーヴェル1世はエカテリーナ2世と折り合いが悪く、彼女に暗殺されるのではといつも怯えていたという。ニコライ1世は身長205cmの長身で、ピョートル大帝もそれくらいだった。 だからメドヴェージェフがTVに映る度、小さい、小さいと思ってしまう。頭の大きさの割りに肩幅が狭いし。サンクトペテルブルグ-モスクワの線路図はニコライ1世が自ら定規を引き、たまたま3本の指に当たって3箇所でこぼこっとなったのを誰も指摘できずそのまま作られた。ほんと? Pepsiをclick!Pepsiをclick!★ブログランキングに参戦中↑子犬をclickして頂けると頑張れます
September 14, 2008
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Baltikaはサンクトペテルブルクのビール。 バルチック艦隊の兵士も飲んだの? と聞いたら設立は1990年。 バルティカの製品名は番号で 数字が大きい程、濃くなるのが、おもしろい。開発者が1.2と番号で呼ぶのならわかる。番号で売り出すのに反対意見はなかったのだろうか。 歴史上の人物名とか選択肢は多々あったはず。最高峰の食器に科学者の名をつける国ならではなような気がする。 ◆Baltika No.0◆ non-alcoholic beer made from light barley malt. ノンアルコールを0番に持ってきたあたりも合理的。大麦の麦芽か。◆Baltika No.1(Light)◆ 4.4% characterized by "light colour.malt and hops taste." ◆Baltika 2 (Pale Beer)◆ Lager brewed from pale barley malt, rice, and "exclusive varieties of hops." こ、米も入ってる?◆Baltica No.3◆ 5.1% pale lager. This is also known as Klassicheskoe (Classic). ★楽天で買える★ 日本人が最も好む味なんだそうだ。 御茶ノ水の「サラファン」でちょっとだけ飲んだ。炭酸がしっかりしていて、おいしかった。 ◆Baltika No.4◆ 5.6% amber coloured lager brewed from caramel and rye malts. Such coloured lagers are often termed Vienna. This is also known as Originalnoe (Original). No.4にして既に琥珀色!caramel maltsは濃色麦芽のことでヨーロッパには数種類ある。ウィンナービールってことか。◆Baltika No.5 (Gold beer)◆ lager brewed with both pale and caramel malts. 金色なだけあって、神々しい、綺麗だー。◆Baltika No.6 (Porter)◆Baltika 6 is a bottom-fermented 7% dark beer that the brewery classes as a porter "brewed according to traditional English recipes." Such strong dark lagers are often termed Baltic porters. 「ポーター」の名は、テムズ川流域からロンドンまで荷物を運んだポーターたちが好んで呑んだのが由来。元々はイギリスのオリジナルがバルト海沿岸まで輸出され、地元でも作られるようになった。これも少しだけ「サラファン」で飲んだ。7%なのでちょっと舐めてみただけだけれど、炭酸、コク、深みがしっかりしていた。◆Baltika No.7 (Export)◆ 5.4% pale lager. 輸出用で、日持ちさせるためAC℃高め、ホップも多め。ピルスナーよりも濃度が濃く、甘味が強いビール。ピルスナ-とダークラガ-の中間的性質のビ-ル。◆Baltika No.8 (Pshenichnoe)◆ 5.0% an unfiltered wheet ale . 小麦を濾過しない?!◆Baltika No.9 (Krepkoe)◆8-10% strong lagerPepsiをclick!Pepsiをclick!★ブログランキングに参戦中↑子犬をclickして頂けると頑張れます
September 13, 2008
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お昼。 バスを降りてレストランに入るまで、とにかく例の半裸の女の子たちが目につく。近くで見ると更に迫力!レストランは高級と言うよりも、小じんまりしていて、アットホームな感じ。真っ白なテーブルクロスやナプキンは高感度up.サンクトペテルブルグには、勿論、エアコンはない。室内に入ってしまえば、そんなに30度超してるーって感じはなかった。★冷たいじゃがいものスープ★ ★ロールキャベツ★ スープは両手のついたスープボウルに入った冷たいじゃがいものスープ。 これが、ソーサーにじゃぶじゃぶとこぼれて豪快に運ばれてくる。お国柄だ・・・。と、ブイヨン+多分クリームで煮込んだロールキャベツ。 これまでロールキャベツが好きじゃなかったけど、こうして時間をかけて味が染みているキャベツだと全然問題なく食べられる。↑ あたたまった、キャベツと白菜は好きじゃないのできっと半日以上、いや、1日は寝かせているのかもしれない。サラダは通常私たちが食べるサラダと変わりなく、ありがたいことにドレッシングがかかっている。スペインやトルコならオリーブオイルだから、あまり食べられない。パンはライ麦パン。ホテルのお菓子みたいなパンの方が好みだけれど・・・・。デザートのケーキは食後に食べるにはあまりに大きい。これが通常の量なの?普通に紅茶が出てきて、ジャムはお決まりなのかと思っていたので、ちょっと拍子抜け。ロシア人は紅茶に最低3倍か角砂糖3個以上はいれてるー。もう止めた方がいいってば。 Pepsiをclick!Pepsiをclick!★ブログランキングに参戦中↑子犬をclickして頂けると頑張れます
September 12, 2008
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金色に輝くのは王族専用礼拝堂。★ロシアのクーポラは本当に美しい★★教会内部★夏の離宮だからか、外も白とブルーだし、教会もブルー。確かにブルーは涼しげであるけれど、夏は短いだろうに。冷水浴施設やハマムも宮殿内にあったようだ。宮殿から外に出るとガイドブックを手に1000円! 1000円と叫ぶ若者たちに囲まれる。 持っている本と絵葉書はみんな一緒で値段も一緒。不思議とおじさんはいなくて、若い大学生くらいの男の子ばかりだ。ガイドブックを売るよりちゃんと働いた方が将来の為ではないかと母に話していたら、マリアさんが、「彼らは若くて可愛いから雇われました。おじさんになったら本は売れません。それまでに仕事を探さなければなりません」ほう、基準は容姿端麗か。と言ったら花島sistersがすかさず、「あなた、それはそうよー、おじさんなら無視できるけど、こんなかっこいいコに声かけられたら、立ち止まっちゃうわよ」んー、70歳すぎてもそうなんだ。庭園はベルサイユやシェーンブルンのように人工的な壮麗さはない。鬱蒼としていない森と言う感じか。大きな池があり、コテージがあり、たまにブロンズ像がある。★loversを住まわせる為の館★エカテリーナ1世から始まり、歴代の主は多くの愛人を持ち続けた。どれくらいの頻度で引越しが行なわれたものか。彼女達は「質素な食事を好んだ」と言われている。それぞれの肖像画を見る限り、絶対そんなことは有り得ない。宮廷ではフランス料理が好まれたようだ。女帝の寵愛を失いかけると、男達はポンパドール夫人のように、自分たちの意のままになる若い、美しい献上品を次々に贈り続けたと言う。そんな話を聞いてる最中だが、どうもお尻の下あたりが急に痒くなってきた。絶対、蚊に刺されたんだ。 Pepsiをclick!Pepsiをclick!★ブログランキングに参戦中↑子犬をclickして頂けると頑張れます
September 11, 2008
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エカテリーナ宮の入場料は3000円くらい。↑ 外国人料金。エントランスからすぐの階段。現在はロココ様式。 入り口で靴にかぶせるシャワーキャップみたいなのを受け取り、カシャカシャ、カシャカシャと登っていく。階段の壁にあった美しい時計。 1717年 エカテリーナはドイツ人に夏の離宮として建設させた。↓アンナ女帝がロシア人に増築を命ずる。↓エリザヴェータ女帝がイタリア生まれのロシア人 ラストレッリに抜本的な改築を命ずる。全長325m.★食卓 ちょっとやっぱりお皿の形やデザインが独特★ロシアのロモノーソフはセーブルやウェッジウッドより古い。1744年「ロシア皇帝専属磁器工房」がサンクトペテルブルグに設立1925年モスクワ大学を設立したことや、現在の分子と原子に相当する粒子と元素の区別を主張したことで知られるロシアの科学者、ミハイル・ロモノーソフの名から窯名を「ロモノーソフ」へ改称。プーシキンは「ロモノーソフ自身が大学である」と称えたらしいんだけど・・・。窯名が科学者の名前?コバルトネットシリーズは分子と原子の計算の賜物だとか?ロモノーソフはロシアの公式晩餐会で使われている。★サロン★★エカテリーナ2世 お気に入りの緑の食堂★ 「英国心酔」と自らを分析していたエカテリーナ2世はスコットランド人建築家にこの食堂を作らせた。どうりでウエッジウッドっぽい。臣下の心情を配慮して公にはロシア式を通していた。ドイツ名を改名し、ロシア正教に改宗し、好みの部屋は公にせずひっそりと楽しむ。女帝も自由なようでいて、何かと気を遣うんだ。 Pepsiをclick!Pepsiをclick!★ブログランキングに参戦中↑子犬をclickして頂けると頑張れます
September 10, 2008
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ロシアに行くにあたり、数冊の本と「おろしや国酔夢譚」を手に入れた。大黒屋光太夫はエカテリーナ宮で女王と謁見している。柱の間 ロシア領に漂着してから、サンクトペテルブルグに行くまでの道のりの長いこと。ペチカはオランダのデルフト焼き。大黒屋光太夫がエカテリーナ2世と謁見する大広間。★ソフィー.マルソーの「アンナ.カレーニナ」の撮影もここ★撮影時には宮殿内で「火」を使うのが厳禁な為、ろうそくの火は電気を工夫してちらちらと本物に見えるように工夫したそうだ。なぜ「おろしあ」なんだろう。現地で謎は解ける。ロシア人が「ロシア」と言うとき、私達のようにはっきり「ロ」とは言わず、舌を丸めてるのか、「ォロシア」か「ンロシア」と発音している。「戦争と平和」の中でオードリーが弟を「ベーチャ! ベーチャ!」と呼んでいてベーチャって名前かと思ったら、ピョートル(Peter)→ベーチャプーチンだとウラジミール(Vladimir)→ワロージャとなるらしい。エリツィンのフルネームはボリス.ニコラェビッチ.エリツィン。ロシアの男性の名前には父称が必ずまんなかにつく。ビッチ→〇〇の息子の意だから彼の父の名前はニコライ。離婚が多いロシアでは父称が変わったり、兄弟全員の父称が違ったりするそうで、父親がわからない場合は「わからない」と言う意味の単語がつくらしい。それもちょっと。。 Pepsiをclick!Pepsiをclick!★ブログランキングに参戦中↑子犬をclickして頂けると頑張れます
September 9, 2008
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琥珀(amber)とは、4000万年前の樹脂が化石となった物である。*バルト海沿岸は産地として有名エカテリーナ宮の琥珀装飾は元々1701年にドイツのフリードリヒ1世が製作を命じ、その後ロシア-ドイツの友好の証としてロシアに寄贈される。このユニークな「装飾板」はエルミタージュに飾られた。エカテリーナ1世が最高級の琥珀装飾を施し、1755年にエリザベータの命でエカテリーナ宮に移され、1770年に祝典応接室として完成する。 エカテリーナ2世は琥珀の間がお気に入りで許可した者のみ入室を許された。ん? 意外に狭い。「うわー!」「はぁー!」あちこちで日本語が飛び交う。琥珀の艶って独特だなぁと思う。きんぴかでもなく、クリスタルほど、透明じゃなく、木から見ればやっぱり光っているし。色んな色の琥珀があるし、天然のものを寄木細工やモザイクのように集めてあるので、単色じゃない分、落ち着かないと言えば落ち着かない。 樹脂の化石をこれだけ集めたエネルギーや労力、財力に感嘆するばかりだ。1941年、ドイツがソ連に侵攻した時、ドイツ軍は6-7人で36時間かけて琥珀の間を解体し、持って帰ってしまう。またまた泥棒。その上、略奪の限りを尽くした後は、この美しいエカテリーナ宮を爆破しようとした。地下に爆薬がしかけられたのをすんでのところでソ連兵が阻止したと言うのがロシア側の発表。ってことはソ連兵は国の至宝が略奪されて行くのを見ていたってこと?6tの琥珀をトラックに積むのを?1944年までは琥珀博物館としてケーニヒスベルク城で展示された。*ケーニヒスベルグはフリードリヒ1世ゆかりの土地フリードリヒ1世はまさか自分が友好の証として寄贈したあの琥珀がもっと高価な物となり、帰郷するとは思ってもみなかっただろう。しかも略奪。今度はソ連がドイツに侵攻。琥珀の間は見つからないまま、城は爆破された。腹いせのようにソ連はこのドイツ固有の土地をカリーニングラード(スターリンの腹心の名。飛び地のロシア領)と改め、北方領土の様に奪う。今でもオリジナルの「琥珀の間」を探すトレジャーハンターが世界中にいると言う。 Pepsiをclick!Pepsiをclick!★ブログランキングに参戦中↑子犬をclickして頂けると頑張れます
September 8, 2008
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ツァールスコエ.セロー(皇帝の村の意)に向かう。 エカテリーナ宮はピョートル1世から2番目の妻エカテリーナへの贈り物。*後のエカテリーナ1世。エカテリーナ大帝と呼ばれるエカテリーナ2世ではない。エカテリーナは元々現ラトビアの貧しい農民の娘で一家がペストで次々と倒れる中、子守をしていたドイツ人牧師の家庭に引き取られて育つこととなる。スウェーデン兵士と結婚するも、ロシアvsスウェーデン戦争で夫は戦士。彼女自身もロシア側の捕虜となった。 その後ロシア軍将校の愛人となり、ロシア貴族メンシコフの愛人となり、ピョートル1世の愛妾となる。一家がペストで全滅、兵士と結婚、死別、捕虜になる・・・・。あー、なんて過酷なんだ人生は。 将軍の愛人→貴族の愛人→皇帝の愛人。今度はわらしべ長者みたいにどんどん駆け上がっていく。彼女が美しかったと言う記録は残っておらず、体躯のがっちりとした、豪放な人だったらしい。ピョートル大帝は科学分野に強い関心があり、当時ドイツが最先端の技術を有していた。エカテリーナはドイツ語が話せる。寵臣メンシコフの愛人だったエカテリーナをピョートルが気に入り、献上した。献上・・・。貧しい農民の娘はそして皇后になり、12人の子供を持った。しかし、月日は流れ、暴飲、暴食を繰り返すエカテリーナは (12人も産んでるんだし、それだけじゃないと思うけど)著しく器量が落ちて、ピョートル大帝はエカテリーナを疎んじていたと言う。ピョートル大帝の死後、エカテリーナはロマノフ朝2代目となるエカテリーナ1世となった。 2年だけだけれど。「テーブルとベッド」に快楽を求め続けたロシア初の女帝は1727年没。 Pepsiをclick!Pepsiをclick!★ブログランキングに参戦中↑子犬をclickして頂けると頑張れます
September 7, 2008
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