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さて、まずはお知らせですが、3月6日から13日までのフィボナッチクラスにお一人キャンセルがでましたのでもし、まだご希望の方がいらしたらご連絡ください。何人かキャンセル待ちの方たちにお伝えしたのですが(たぶん全員に連絡をお伝えしているかと思いますが、もし連絡していなかったらごめんなさい)急なことで、どの方もスケジュールが合わず、一応、こちらで告知してみることにしました。クラスの人数は多すぎるぐらいなので、人数的には減っても問題はないのですがキャンセルされた方のチューニングフォークは既にオーダーされていてリトリートのお部屋も支払ってあるので、もし他に誰も代わりが入らなければその方がお支払したほぼ全額が、返金不可になってしまうのでできれば、見つかるといいなあと。前回、リトリートの方も急にキャンセルになった後、それからまた別の方が入られたのですがこういう本質的な変容に関わるヒーリングやクラスは、直前でもすでに料金の全額をお支払いの後であっても、キャンセルされることがあるのですね。その方にとって変容のタイミングが来なければいくらセッションやクラスを受けたくてもそうならない「現実」が出てくるものなのだなあと。結局は、変化する準備、幸せを受け入れる準備、が潜在的にあるかどうかだけですが、それは頭でいくら考えてもどうにもならないことですから。一方で全くヒーリングやキネシオロジーなんて興味がなかったのに奥さんに言われて、とか、友達に言われて、何も考えずに、もしくは半信半疑で参加したり受けてみたら、その人にとって、いろんな気づきとなる変化が起こったり人生が大きく変わった方、という方も少なくないですから人が頭で考えていることは、人生にとってはほとんど関係ないとも言えるわけです。それぞれの人にとって、必要なことが必要な時に起こるようになっているのは確か。これを運命というのか、宇宙の計らいというのかわかりませんが。さて、私とおさむは、あと5日でハワイに出発となりました。先日、この日に製本のためにコピー屋に行かなければ間に合わないという状況の中、直前に、すべての翻訳が終了して製本のオーダーすませ、昨日、ハワイに郵送してぎりぎり間に合うことができました。ギリギリ間に合うという(潜在意識下の)予定だったのでぎりぎり間に合ったわけで、特に驚くこともないのですがそれでも、とりあえずはほっと一息です。こういうちょっとドラマチックな展開が好きなのよね〜、私の潜在意識ちゃんはということで、まだ何も始まってもないけど、おさむと二人でとりあえず、祝杯をしました。ま、何かにつけて、祝杯を上げるわけですが実は、私とおさむが出会ってから、今月でちょうど20周年なのでそのお祝いも兼ねての乾杯です。最初に出会ってから20年の月日が流れたなんて、信じられないような感覚もあり一方では、前世の記憶ぐらい遠い昔(前世の記憶ないけど)のような感じです。おさむも私もあの頃からすれば、随分変化したなあと。20年前のおさむは、音楽にしか興味がなく、一日中ギターの練習をしていて自由を奪われる恐れや抵抗が強く、自己表現、コミュニケーションが苦手で人のケアなんて、とてもできず今から思えば、最もアスペルガー的な性質が出ていた頃でした。一方、その頃の私は、若くてかわいかったけど(ふふ、自分で言うのよ)情熱的で、激しく、衝動的で、短気で、忍耐力がなく、言いたいことを何でも言う人でしたから(情熱的なのは、今も変わらないけどね)そんな二人がよく続いたよね〜、奇跡だよね〜と、話しています。今から思えば、アスペルガー的な性質の人に、例え泣いて訴えても、怒りを伝えてみても情熱的に伝えても相手には理解しがたいし(いや、理解の仕方が違うというだけなんですが)感情表現が苦手で、傷つきやすく、気持ちの切り替えが苦手なアスペルガー的な性質の人にとってはそういった表現は、大きなストレスや傷として残ってしまうのです。私は昔から、自分の感覚を正直に伝え、その時々で感情解放したらすぐに気分が切り替わる人だったし当時は、そんなおさむの性質を理解することが全くできませんでした。そんなことにじょじょに気づいて、私自身も変化して(サバイバルモードでもありましたが)おさむの性質をそのまま受け入れることができるようになってからだんだん彼との間に深い信頼関係もできてきたところに私がIHヒーリングをやるようになってから、おさむも私も加速的に変化してまた別のレベルでつながれるようになってきたわけです。おさむは、人とのコミュニケーションも楽しむことができるようになってキネシオロジストにまでなってあの頃から見ると完全別人ですがたぶん、その変容のピークは去年だったのではないかと。(毎年そう言っている気もするけど)ですから、例え、アスペルガー的な調整をしなくても信頼関係を築くことは可能ですが一方で、アスペルガーとしての脳や遺伝の調整をすれば一気に変容が起こるし、さらに楽な自己表現やコミュニケーションができるようになるということも、去年後半のおさむへのセッションだけでなく様々な方をやっていてよくわかってきました。ここ最近は、おさむの変化に慣れてきた私でさえ時々とまどうぐらい、愛情表現してくれてサポートしてくれるようになりました。例えば、キネシオロジーの資料やリストなども以前はすべて私が作成して、彼に渡していましたがここ最近は、おさむがチューニングフォークのヒーリングのために東洋医学のツボをまとめた見やすい資料を作成してくれたり英語のリストを作ってくれたりで、とても助かっているしハワイの手配などもほとんど彼がやってくれています。おさむに限らず、自分で計画を立てて行動する、ということもアスペルガー的な性質の人は苦手な人が多いのです。そして、彼が毎日の食事の買い物に行って、夕食もいろいろと工夫をこらして、愛情を込めた料理を作ってくれるというそれだけでも、何だか幸せすぎて怖い、と言いたくなってしまうのですがさらに、ここ最近は、お風呂にお湯を入れて「のりこ入っておいで」とセッションが終わった後、コンピューターにかかりっきりの私を促しそれじゃあと私が湯船に浸かって上がってみればベッドルームをきれいに整え、照明をつけてアロマを炊いて待っていてくれて「おさむサロンへようこそ」とアロマオイルで全身をマッサージをしてくれるといういや〜ん、これぞ憧れのお姫さま待遇(いや、これは単にのろけ話なんですが)で、私が頼んだわけでもないのに、マッサージのためのオーガニックのオイルをあれこれ選んで買ってきてくれて、マッサージのテクニックをyoutubuなどで熱心に研究し「はい、次はうつぶせになって」とまるで、その道のプロかのようなテキパキした仕草で、動いている姿を見れば「え?それってどういうキャラ?」と思わず言ってしまいます。さらに、それがエスカレートしてきて、先日は「俺はのりこの美容のために、がんばることに目覚めた」と言い出し「太ももやお腹を細くするするリンパマッサージ』とか「豊胸のためのマッサージ」とかのビデオをどこからか見つけてきては「のりこ、今日はこれやってみよう」とか「ちゃんとこれ毎日やらなきゃね』などと言って今ひとつ美容にモチベーションが上がっていない私を促し積極的に取り組んでいるわけです。う〜「豊胸マッサージ。。。」と来たか〜私へのケアなのか、単なるスケベ心なのかわかりませんがまあ、男にスケベ心がなくなったら、おしまいとも言えるのでその気遣い?もありがたく受け取ることにしておさむの言われるままに、何でもやってもらっています。(昔だったら『ちょっと〜。私が気にしているわけでもないのに(気にしてないわけでもないけど)私の胸に何か不満なわけ?』とかって言ってたかも?)どちらにしても、こういうのは、私は自分ではなかなかやろうという気が起こらないので(それは女性性の欠如なのか?)あれこれとお世話を焼いてくれるのは、とてもありがたいというか。ふふ、お姫様は自分では何もせず、何でもやってもらうのですあれだけ人のために時間や手間を取ることを自由を奪われることのように恐れていたおさむがここまで私への時間を取って、愛情表現をしてくれるようになったのはもちろん、私がそうなるようにと願って調整したわけでもないですからこれは想像もしていなかったギフトというか。私たちは、ハワイでは1ヶ月近くのリトリートの後フィボナッチのクラスが1週間その後は、約1ヶ月のハワイ島、カウアイ島でのバケーションに入るのですが「のりこ、バケーションになったら、俺が食事作って毎日マッサージしてあげるからね」というおさむの言葉に、幸せすぎて泣けてきます。ということで、苦節20年(って、本当は、苦節20年だったのは、おさむの方なんだけどね)オーソリティイシューも抜けて、20周年のこの頃セッション中はあいかわらず「侍モード」の私ですがプライベートでは「お姫さまモード」でいけてま〜すあ〜今日、こんなこと書く予定なかったんだったわ〜〜
2016年01月28日
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今日はここ最近、何人かのセッションで出てきたオーソリティ•イシューに関して私のメモとして。Authority Issue オーソリティ•イシューとは、直訳すると「権威的な問題」ですがアメリカ人のクライアントさんに「今日のテーマは、Authority Issue だと身体が言っています」とお伝えすると、だいたい、すぐに納得されますが日本ではあまりなじみがない概念だなあと感じます。オーソリティ•イシューは、例えば警察や政府、と言った社会的な権威としての抵抗や恐れ、怒りといったものから自分の親や上司、先輩、先生、目上の人など自分にとっての権威的な立場にある人に対する葛藤など幅広くあります。その要因を調べてゆくと、前世、または集合無意識などのエネルギーとして権威に対する抵抗があるという方も少なくはないのですが多くには、その方の子供の頃の父親との関わりが大きく関連しています。父親というのは、家族の中では権威的な存在を象徴するものなのでその父との関わり方が、その人の人生での権威との関わりに深くつながってくるのです。例えば、お父さんが怒ると怖い人で、子供の頃、怖かった、とかお父さんに認めてもらえなかったというのは権威への恐れや抵抗、怒りにつながりますが一方で、父親が頼りなくて、指導してくれなかったというのも、問題として上がってくることもあります。私の子供の頃、友人が、友達のようなお父さんだと言っていたのを聞いて当時の私の父はとても厳しく、まさに権威そのものだったので友達のようなお父さんっていいなあ、と思ったことがあったのですが今、クライアントさんの身体の声を聞いているとそういう友達のような父親が、その子にとってバランスが取れるということでもないということがわかります。父というのは、男性性の象徴であり、権威の象徴ですから父親が友達のようであると、男の子にとっては頼れるリーダーを必要としているのに、それを得られなかったという思いが残り大人になって、人をリードしたり、守ってゆくという男性性を持つことのブロックになったり女の子にとっては、女性は男性に守られるという意識の欠如につながってゆくのです。ですから、、女性性、男性性の観点から見るとオーソリティ•イシューというのは、明らかに男性性の問題であって上司に認められるとか、社会で認められている、という仕事やキャリアなどの問題に関わってきます。もちろん、女性でも男性性はありますからオーソリティ•イシューはあります。ちなみに、オーソリティ•イシューに関わらず認められたい、というのは男性性の問題であり愛されたい、というのは女性性の問題であると私は捉えています。ですから、例えば、女性が愛されたい、と美しさを追求したり、彼に甘えるのは問題がないのですが、認められたい、という意識が強く、例えば「こんなに私は育児をがんばっているのに」とか「私はこんなに仕事をやっているのよ」と彼やパートナーに認めてもらおうとすればするほどパートナーとの関係が上手くいかなくなるケースが多いのです。おさむが以前「のりこには、全く認められたいという意識がないよね〜。どうしてだろう」と言っていたので、そうかなあと見つめ直してみると全くないわけではなかったですがたぶん、これも私の父親との関わり方にあったのだなあと。私の父は、昔は頑固で柔軟性がなく、彼のやり方を押さえつける人でしたから子供の頃から、それに対する抵抗はありました。私はほとんど忘れていたのですが、母曰く「あなたは、よくお父さんに反抗して、殴られて目の下にあざを作って、学校行っていたわね~」だそうですからかなり抵抗していたわけですがでも、私の意識上では父は、私がきちんと自分の気持ちや考えを説明したり情熱を持って伝えれば、最後には必ず何かしらの理解を示してくれたし、父の愛情深い面も感じていたので例え殴られても、傷ついた、という認識は残らなかったのだなあと。むしろ、尊厳のある父をとても尊敬していたのでその父と戦い、認められた(あくまでも意識の上でですが)という感覚が私にとっての自己価値につながっていたわけです。それもあってか、昔から、信頼できる先輩や上司やオーナーや先生と出会いそういった立場の方から、かわいがってもらったり、認めてもらうことが多かったのは「自分を偽らず、誠意を持って伝えれば、必ず相手に通じる」という父との関係で生まれていた感覚とやはり父から受け継いでいた義理堅さや忠誠心や人情が強かったからだなあと。(それらも調整しましたが)ところが、一方で、女性としては認めてもらおう、とすればするほど女性は愛されなくなる、というのが、10代後半から感覚的にわかっていたこともあって彼に対しては、できない自分、だめな自分を無意識に出していたこともあり愛されたいはあっても、認められたいという意識は全くなかったわけです。昔、つきあっていた彼に経済的にも完全に頼っていて家事も気が向いた時にしかやらず毎日、彼のお金で飲んだくれたり、遊んでいるだけの時期があったのですがその彼に「のりこは、ほんと何もできないんだよなあ」としみじみと愛おしく言われたことがあってその時に「何もできない(やらない)私なのに、愛されている〜〜」とものすごく、うれしかったことをよく覚えています。私が自分でやる、とか、経済的に自立する、ようになったのはおさむとつきあい始めてからで(もちろんこれはサバイバルモードですが)ここ2、3年で、ようやく、その二つの極端なあり方のバランスを取ることができるようになってきたかなあと。あ、これはちょっとオーソリティ•イシューから話がずれました。一方で、私もオーソリティ•イシューは40代中盤まで抱えていてそれは、子供の頃に権威であった父親と闘ってきた(という意識)に加え前世的な要因から、権威=抑圧するもの、自由を奪うもののという認識であり、それに対する怒りや抵抗はいろんな形で現れていました。私の権威との戦いは、中学校から、信頼できない先生の言うことに従わないという形で現れ、高校でも、当時の彼との交際を学校と親から禁止されて反発して学校に行かない時期があったり大学に入っても様々な問題がありました。大学の頃、嫌いだった先生の個人授業で、バイオリンの練習をしなかったので「すぐにここから出ていけ〜お前は学校始まって以来の恥さらしだ」などと怒鳴られたりしていたのですがそのことで落ち込まないどころか、むしろ当時の私にとっては「権威に服従しなかった」という誇りであり周りのロックミュージシャンの友人たちに話しては「さすがのりこだね〜」などと共感されてさらにそれは加速していったわけです。まあ、ありがちなロック少女でその当時から、人に認められようとする、ことや、人の期待に添うことは私にとっての心地よさに反するものであったわけですが今思うと、そんな私をいつも無条件で受け入れてくれる友人たちに恵まれていたからこそ人への信頼やつながり感を持ち続けていられたのだなあと。大学を卒業し、会社に入ってからは、会社が私にとっての権威の象徴となりました。例えば、当時、帽子事件、というのがあってその頃、私は帽子が好きで、室内でも被っていたのですが会社内で、私が帽子をかぶったままでいる、ということが問題になり帽子を脱ぐように上司から言われたことがありました。まあ、ごく一般的なマナーを言われているだけなんですがその当時の私は「私が何を着ても、被っても自由」などと、頑として帽子を脱ごうとしませんでした。「それでクビになるなら、どうぞ。そんな会社はこちらから辞めよう」ぐらいの気持ちだったなあと。(あ〜「おまえは、ほんとめんどくさいやつだな〜」とニャンコ先生から当時の私に言ってやってほしい)で、結局、私が帽子を脱がないことで、私の直属の課長が処罰されるという事態になり、義理堅い私としては、それはあり得ないと帽子を脱ぐことになったわけです。当時の私にとっては、その一連のことがまるで権威からの抑圧のように感じていたわけですがもちろん、実際に抑圧されていたわけではなく私の抱えていたオーソリティ•イシューがそういった形で現れていただけで、そこに投影していたわけですね。オーソリティ•イシューは、必ずと言っていいほど「自由」に関わる意識が関連していて抑圧される、自由を奪われることへの抵抗や恐れというのが、根底に潜んでいます。で、そんな私のオーソリティ•イシューは、さらに政府や警察への怒り、という形で現れてきて30代の私にとっては、政治や闇の世界の真実を知ることや原発などの問題に関しては、つねに最も大切な問題でした。政治や何らかの反対運動などをやっている方の多くはこのオーソリティ•イシューを様々な形で抱えているのではないかなあと。それがスピリチュアルなことに意識を向けるようになってから徐々に顕在意識の上で抜けてきていたのですが潜在意識レベルでほぼ完全に抜けるきっかけとなったのが今から思えば、2011年にマトリックス•エナジェティクスのクラスを受けてカウアイ島に行ったあたりから。IHでも何度か前世的な要因は出てきたので調整をしたこともありますがマトリックス•エナジェティクスは、非二元的(ノンデュアリティ)な意識の変容なので、善と悪、抑圧するものと抑圧されるものという二元的な物の見方が抜けたということもあるのかもしれません。つまり、私が経験した、と感じているオーソリティ•イシューに関するあれこれはいわば、私の意識が作り出したストーリーにしか過ぎず真実とは全く違うのです。このあたり、詳しく説明しだすとまた長くなってしまうのですが。そのことを再認識することになったのが去年、フランスに行った後のある日おさむが「俺はのりこに対して、オーソリティ•イシューを投影させていた」と言い出したことにありました。最初は「へ?どういう意味?」とすぐには理解できませんでした。つまり、私がおさむにキネシオロジーを教えたり伝えてきたこともあって、おさむにとってはヒーリングという分野でのオーソリティが私であり私に認められたい、という意識が無意識に強くあったということです。それで納得したのは、私のちょっとした言葉やアドバイス例えば「これはこうやったら?」などという言葉に対してもおさむにとっては「俺は認められていない」と抵抗感になっていたのだなあと。一方で、私の認識としては私は、彼のキネシオロジーの実力も充分認めていたのでだからこそ私が感じていることを率直に伝える、という意識だったわけですから私から見ると、なぜ?こんなに認めているのに、となるわけですね。もちろん、これは彼の父親との関係から生まれていたオーソリティ•イシューを私に投影させていたから起こっていたことでそれをおさむは、自己ヒーリングで認識したということでした。は〜私としては女性として「のりこは何にもできないやつだな〜」などと言われつつダーリンにいろいろとやってもらって甘えたかったのに男性性の最も象徴であるオーソリティとして、見られていたんじゃこりゃ女性として守られないわけだよなあとおさむ曰く「のりこはあまりわかっていないけど、俺だけでなくのりこに対して、オーソリティイシューを投影させているヒーラーやセラピストは、けっこう多いと思うよ」ということ。なるほど、今まで、そういう風に見たことはなかったのですがそういう視点で見てみると、いくつか思い当たることがありました。私をとても慕ってくれていたのに例えば、私が何かのお誘いを断った、というようなちょっとしたことであっても私がその人を認めなかった、と勘違いして、いきなり疎遠になってしまったり傷ついた〜と言われるようなことが、何度かあってなぜそんなことに相手が大きく反応してしまうのかその時の私は単に、被害者意識が強く傷つきやすいのだなあと捉えてしまっていたのですがそれは、私に対して、オーソリティ•イシューを投影させていたからなのかもと。私は相手そのもののエネルギーは見ていても相手が私をどう見ているか?には意識を向けていないことが多いのでそこに気づかなかった(気づかないようにしていた)のもあるなあと。このオーソリティに抵抗していた私自身が今度はオーソリティとして投影されているなんてほんと人生っておもしろい。もちろん、それは投影している本人のオーソリティ•イシューの問題であって私の問題ではないわけですが一方で投影されるということ自体もやはり私自身が無意識に持っている「何か」のエネルギーであるわけです。それから、キネシオロジーで調べてみると、やはり私がつながっていたオーソリティとしての前世やら何やらが出てきてそこで、またいろんな気づきがありました。あ〜だから、なぜか昔から「民衆=無知」みたいな意識がどこかにあって「民衆」という言葉から来るイメージがどうも嫌いだったなあ、などということもわかったし、また昔から先生という立場になることが多かったのに一方でリーダー的な立場になることへの抵抗もありそういったことの根本要因も去年の暮れになって、いろいろ見えてきたわけです。そういう風に見ていくと、私は権威に関してある次元では、権威への抵抗や怒りがありある次元では、権威への忠誠や義理がありある次元では、権威そのものでありこれだけを取っても、いろんな関わり方があったわけで人は、ほんとうに多次元的だとも言えますが実際はそこに何も実体はないわけだなあと。(いや、単にめんどくさいやつ、というだけなんですが)と、いうことで、今日はこれまでの私のオーソリティ•イシューの物語でしたがこれからの人生、権威に対する抵抗も、また権威そのものとして投影されることもなく(?)生きていけるいいな〜とま、このあたりは、私の頭で考えて選択できることではないのでまた何か出てきたら、それはそれで完璧なのですけどね。
2016年01月25日
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さて、ここ最近も何人もの方から、セッション後の感想を頂いていますが率直な感想は、私自身の今後の参考になるので、本当にありがたいです。セッションで、クライアントさんの身体の声をあれこれと聞いていれば例えば今回のセッションで、どういったところに、どのぐらいの変化が起きるのか、とかこのテーマに関して、何がまだ要因として残っているのか、などだいたいのことは観えてくるわけですが実際に、そのセッションで、クライアントさんがどう変化するのかまたクライアントさん自身がどこを変化として感じるのか、または感じないのかなどは、次にそのクライアントさんに会って身体に聞いてみるまではわからないので、こうして感想を頂くことで私が今後、セッションをやる上でのいろんなヒントを頂いています。ということで、今回も、また頂いた感想の中から掲載の了承を頂いたので、ご紹介させてくださいね。前回のセラピーの後、身体的にどんよりモヤモヤした疲れた状態からぐんと楽になりました。と思ったら 何故かバタバタ忙しくなり、いろいろな事柄に追いつけないというか 元がノロマなので 身体は疲れていなくても 何かにつけておくれぎみになってしまいます。一方で 仕事なのですが 正社員のオファーを頂き今月から契約社員から正社員に変わります。お給料も今より良くなるし、上司は仕事のできるとても良い方で、 周りの方達も良い方達で今回初めて普通の もしくは恵まれた環境で、 世界がかわったようです。っていうか 世界が違います。仕事の内容も気に入っています。50歳で Finallyって感じです。やっと基軸の向きが変わり始めたのかなあと思っています。まだ 言葉で説明できないのですが 違うんですね、本当に手にとって見せる事が出来れば良いのですが、ちがうんです。彼との事柄も すごく良い方向で対応出来るようになってきたました。これも 上手く説明できないのですが、 以前のように自分の身を焼け尽くすように怒ったりしなくなりました、不思議なくらいに。彼が "Noriko is very smart, she knows how to explain" って言ってます。のりこさんはスマートだけど のりこさんは きっと私の体がのりこさんに 示しているのをヒーリングしてくれると説明したいのですが 黙っていました。私の説明出来る範囲を超えているので何も言わないほうが 事をややこしくしないで済むと思ったので。あんなにキネシオロジーなんか 非科学的みたいにいってたのに のりこさんの所へ行ってくると言うと それはgoodって前回も言ってました。しかも 彼に 私についていた霊をのりこさんが 離してくれた事を 話したんです。前なら そんな馬鹿げた事を話して、僕の時間を無駄にしないでくれ君は大学も卒業してるのに、本当にそのような事を信じてるんじゃないだろうね って言ってたのに (それでも話すわたしなのですが)何と、それでのりこさんは、どうしたら その霊がついてこなくなるか 教えてくれた?って 聞いてきたんです!!!えええ?これ本当に聞いてんの??と思ったんですが のりこさんが説明して下さったように 寂しいエネルギーとか 恨みのエネルギーとかが マッチしなければ ついてこないんだってだから私のエネルギーを変えないといけないんだって、 って答えると次に それじゃあ のりこさんは エネルギーを変えるために 助けてくれるの?って聞くから だから のりこさんから そのためのセラピーを受けてるんです、って話すと納得してたので 私としては そんな会話が出てくるなんて夢にも考えたことなかったので ただただ驚きです。もう この事だけでも ビックルなのに他の人間関係も 以前よりぐんっと 良くなってるんです。だから先にも書いた通り 違う世界なんです、そんな言葉しか見つからないです。生まれ変わったような感じでもあるかもしれません。のりこさん、心から ありがとうございます。この違う世界を感じてる、と言うか経験している事を 伝えたくても これって経験しないときっと言葉じゃわからない人いっぱいいるんじゃないかなあと 思います。この方は何度かセッションを受けられていますが今回のセッションは、主に、脳と性質遺伝の調整で霊のことは付属的に出てきた問題でした。何度かお話したように、なぜ霊が憑いてしまったか、は大切なのですが霊のこと自体にフォーカスしてしまうと問題の本質からずれてしまうので私はクライアントさんにはお話しないで秘かに霊とのつながりを切ってしまうこともよくありますが今回の場合は、憑いているのは、アパートにいる霊、と身体が伝えてきてクライアントさんに直接お話しすることが必要でした。お話を伺ってみると、最近、そのアパートで自殺したおばあさんがいて彼女はそのおばあさんと共同のバストイレを使用していた、とのこと。霊と言っても、つまりは強烈な念、エネルギーであって自殺というのは、恨みや後悔、自己卑下や悲しみ、深い孤独感などの念がその場所や家などに残ってしまいがちです。もちろん、自分の中に、それに全く呼応する要因がなければくっつかないですが多くの人は、孤独感とか自己卑下など多かれ少なかれ、持っているものですし例え、憑依体質でなくても、くっついてしまうのはそう珍しいことではないのです。こういったアパートや家に憑いている霊の場合ほとんどは、そのセッションで一緒に浄化し、天に上げることができますが中には強烈なものがあって、その霊から離すことはできてもセッションではその霊を天に上げるまでは無理、と出てくる場合もあります。そういう場合は、できれば引っ越した方がいいのですがそうもいかない場合もあるし、どちらにしてもこういった霊やエネルギーは、比較的どこにでも存在しているものなのでくっついてしまわないように、自分自身のエネルギーを変えるしかないわけですね。この方は、まあ、波乱万丈の人生というか幼少期を含めて、平穏だった時がひと時もないという人生を送って来られたわけですがそれには、遺伝や脳、前世的な問題も含めて、様々なことが関わっていました。何度かセッションを受けられて、その度に変化をされていましたが大きく変化したのは、両親からの性質の遺伝を調整するようになってからではないかなあと思います。この性質の遺伝というのは、好む好まないに関わらずDNAとして受け継いでいるので、小さな頃はお父さんのこんな性格が嫌だなあと思っていたとしても、いつのまにか自分も同じような性格が出てきて嫌でも出てきてしまうのです。この方の場合は、感情的になりやすく、一旦火がつくと、怒りを制御できなくなるという性質や人との親密で安心したコミュニケーションが防ぐ様々な性質を両親から受け継いでいました。ちなみに、両親から遺伝的に受け継いだ性質というのは一つや二つではなく、たくさんのものを受けついでいるので私の最近のセッションでは、一回のセッションで、そのテーマに直接関わらない性質であっても問題だと身体から伝えられた性質の15~30つぐらいを調整しています。遺伝は、自然なものではないのですか?と言われる方もいますが身体がそれを調整してほしい、と伝えてくるものは例えそれが遺伝であっても、もともとの本来の自分ではないもの、として私は捉えています。Noriko is very smart,she knows how to explainふふ、本当は私の力ではないのに、褒められて得した気分ですが実際、私はこの方の身体の声からの言葉を、そのままお伝えしているだけですからそう、もちろん、スマートなのは私ではなくクライアントさん自身の身体であり、その身体とつながっている魂レベルの意識です。実際の私(の頭)は、何もわかっていませんから筋肉の反応を確認して、身体からの声を聞かなければ何も説明できないことばかりなのです。この感想の中の「私の説明出来る範囲を超えているので何も言わないほうが 事をややこしくしないで済むと思ったので」というのは、今の時点では彼女にとっては、自分を守るために言わない方が安全いわゆる前回の日記で説明したようなサバイバルプログラムーsafe bodies になっているわけですがここで、おもしろいなと思ったのは霊のことを話せば、彼から「馬鹿げたこと」と言われると思っていたのにも関わらずそのことに関しては、彼女は彼に話しているのですのですよね。ところが、彼女の予想に反して、彼が今までとは違った反応を示したというのもまた興味深いなあと。例え、彼女が上手く説明できなかったとしても、彼女自身のエネルギーの変化は彼に(エネルギー的に)伝わっているのでだからこそ、彼が持っていたキネシオロジーに関する認識も変化していったのでしょうね。よくスピリチュアルなことを話すと友人から怪しいと思われるから言えないという方がいますが、怪しいと相手に思われてしまうのはそれを話している自分自身のエネルギーが相手にとって何か引っ掛かっているからです。例えば、Aさんは自分自身や人への信頼感と安心感を持っている人でBさんは被害者意識で、いつも不安な人だとしたらある人に対して、Aさんが話すのと、Bさんが話すのとでは例え同じことを話したとしても、その話の印象は全く違ってきます。その印象は、話の内容そのものとは、関係ないことも多いのです。つまりこの方の彼が以前なら「そんな馬鹿げた話をしないでくれ」と言っていたのに、今はその話を受け入れて、興味を持った、というのは彼女のエネルギーの変化を、彼が意識しているいないに関わらずしっかりと感じているからだと思うのです。変化した本人より、周りの人の方がその変化をより感じていたりするのですよね。この方と同じように夫や彼が全くこういったヒーリングなどに興味を持っていなかったり否定していたのに、彼女がセッションを受けて変化するに従って彼もセッションを受けてみたいと言い出したり認めてくれるようになったり、というご報告はけっこう多いです。ですから、上手く説明できないと感じている間は、無理に説明する必要もないし説明しなくても、伝わってゆくのもだしまた、自分自身が変化していくに従って、いずれ自然と話すことができるようになると思います。本当に、彼女の言うように、自分で経験してみないとわからない、というか今の意識から、抜けてみないとわからないことはたくさんあります。違う世界といっても、様々なレベル?(と言っても上下のレベルではないですが)がありますからきっと彼女も、これからさらに、違う世界に入っていかれるのでしょう。そして、私もまた、違う世界へと入ってゆくのかも。50歳で Finally(やっと)と彼女は言われていますが私のところにお越しになる方は、60代以上でも新たなキャリアを開拓していったり新たにパートナーとの関係を築いていっている方が、少なくありません。年齢に関係なく、人はいくらでも変わることができるのです。さて、これから、どんな違う世界が待っているのかこんなおもしろい時代に生まれてきたことに乾杯して(って、ほんとは今から仕事なんですが、気分だけでも)
2016年01月19日
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まずは、お知らせですが、ハワイ島のキネシオロジーリトリートですがA 班に一名空きが出ましたので、もしまだ興味がある方はお知らせくださいね。リトリートに関することは、こちらのブログへ。さて、今年に入って、半月が過ぎました。ここ数年そうだけど、たった半月前ことが、まるで遠い昔のように感じるのは一体どういう現象なのかしらね。こうして今、久々にブログをアップしようと、マックに向かっていると何というか安心感とか、ほっと落ち着いた感覚になる自分を感じています。自分が感じていることを言葉に変換する作業は、私にとっては、一種のゲームみたいなもの。言葉は限界があるので、自分の中にある感覚を言葉に変換した途端その全体的な感覚は、まるでのっぺりとした平面に切り取られてしまう感じがあって「え?ほんとうにそんな言葉でこの感覚を集約できるの?』という後ろ髪を引かれる感覚も毎回あるのだけれどそれでも、私の思考は、感覚を言葉にするのがおもしろいらしく自分なりに上手くパズルがはまった時には、すっきり〜となるわけです。私にとっては「考える」という言葉の定義は、こうしたらこうなるかな、とかあの時、こういえばよかった、とかあの時、あの人がこういったのは、こういう意味だったんじゃない?などという思考のイマジネーションであっていわゆる妄想に近いもの、と捉えているのですが感覚を言葉にする作業は、考えることとは違ってただ内なる感覚を「言葉」という媒体を使って、変換し、切り取ってゆく作業でありそれは、その感覚に意識を向けた途端、瞬時に行なわれるものなのでそこにはイマジネーションが入る余地はないわけです。そして、その切り取り方(言葉の選択)はどういう方向(視点)からでも、切り取れるわけなんですがそれを感じた直後に切り取るのと、1年後に切り取るのとはではまた大きく違ってくるしほぼ無限大に存在するものであってなので、本当は、そこには何も意味も実体もないわけです。だからこそ、またゲームとしておもしろいのだなあと。で、それをブログにアップするというのは、私にとっては例えて言うなら、子供が学校で思ったことや感じたことを家に戻って、お母さんに報告するような感覚かもしれないなあと。「お母さん、今日ね、こういうことがあって、だから私はこう感じたんだよ」みたいな。で、それをお母さんがどう思うか、どう感じるかは、あまり関係ないというか。だって、お母さんは私の意識が作り出したもの、でしかないから。私が「お母さんはわかってくれない」と潜在的に感じていればそういう現実(感覚)が現れるだろうし「何も言っても大丈夫」と感じていればそういう現実が現れる、だろうしね。実際は、私の子供の頃は、あまり自分の思いを親や友達に伝えるような子供ではなかったのですけどね。親もごく普通だし、親しい友人もいたけれど、どこか孤独感というかこの社会全体が、私(という感覚)と分離しているような感覚はいつも片隅にあったから自分の内なる感覚を伝えるという発想もなかったのだなあと今は感じます。時々、ブログをやるのが苦手、とか、書いたものを人がどう思うか気になると言われる人がいますがたぶん、そういう分離感の中にいれば、自分を守るためには、表現しない方が安全ということに潜在意識下ではプログラムされているので自己表現はリスクを伴う、恐ろしいものになってしまうわけです。もちろん、自己表現と一言で言っても、いろんな意識レベルがあるわけでブログを頻繁にアップしている人が自由な自己表現ができているということではないしクライアントさんのチャクラを見てゆくと、一見、おしゃべりな人や社交的な人でも第5チャクラ(スロートチャクラ。コミュニケーション、自己表現に関するチャクラ)は閉じている、というケースもけっこう多いです。自己表現は、いかに自分にとっての真実を表現しているか、なので当然、知性と直感の第6チャクラ、感覚と愛のハートチャクラ感情とクリエイティビティの第2チャクラとの密接な関わりもあり第5チャクラは、私たち多くの人にとって最も難しい?チャクラと言えるのかもなあと。あ〜このあたり、最近読んだ本との関連からの気づきとして書けばまた長くなってしまうのだけど。私のセッションでも、例えば、脳の調整やエネルギー的な統合を行なえばルートチャクラは安定してくるし、またハートチャクラは、セッション中であっても自分の内なる感覚とつながった途端、一気に開いてきたりしますがこの第5チャクラは、開いてゆくのが最も難しいチャクラだなあと感じます。だから、何かストレスがあると喉に来る、という人はけっこう多いのですよね。と、今、ふと思ったのですが、ブログをアップするというのがおもしろいのはこうして自分の感覚を言葉に変換しながら、タイプしていると自分が予想していなかった方向に話が流れていったりするので最初に何となく「これについて書こう」と意識していた方向とは違う着地点に着くことが多いということもあるかも。ということで、前置きが長くなったけど(これが前置きだったんかい!!)「お母さん、この15日間に感じたこと、話すから聞いて〜〜」(って、もう聞いてもらってるっちゅうに)あ〜15日間に感じたことを全部話すのには、少なくともあと20話ぐらい必要だ〜さて、近況報告としては、私とおさむがハワイへの出発まで、あと2週間ちょっととなりここ最近は、日々のセッションの合間にハワイに出発するまでに、やるべきことが山積みしていてその第一は、フィボナッチクラスのための翻訳本を製本し、ハワイに郵送する、ということ。今回、翻訳者は、えりこさんというプロの翻訳の方にお願いしていてそれがほぼ出来上がってきているのですが今、その校正というのか、彼女の訳する上でのいくつかの疑問を一緒に考えたりロンにわからないところをメールしたりしてよりクリアで正確な訳になるように、進めています。今回、翻訳をえりこさんにお願いして本当によかった〜と思うのは彼女の完璧なまでのプロとしての仕事ぶりと、選ぶ日本語のセンスのよさ。ただそのまま原本を訳すだけではなく、様々な参考文献を事細かにチェックして、原本の間違いなども、たくさん見つけてくるのでロンも「ここまで徹底しているとは、すごい」と感心していました。この本は、東洋医学の経絡やツボに関する記述が多いしそれを西洋のセラピストが書いているので本来の東洋医学のものとは若干違っていて、訳が難しかったり様々な独特の言い回しを使っていたり、で訳すのはかなり大変なのです。彼女のすごいのは、この複雑な内容をちゃんと把握していないとけして見つけることはできない原本の記述の間違いなども見つけてくるところで一度もクラスを受けたことがなく、東洋医学をやっているわけでもないのにここまでやれるのは、まさにプロ根性というのか。ロンも「ビンゴ!』と言っていましたがこのフィボナッチのクラスを支えてくれるメンバーは完璧なんだなあと。もちろん、翻訳は、実際にクラスを受けないと内容がわからないところや独特の表現としてわからないも多いので彼女が、どう訳していいのかわからないところは、こちらに質問として送られてきて私がわかるところは、お答えしていますがほとんどは私もわからないので、ロンにまたそれを送って質問しています。それに対して、ロンからの説明は、とにかく、わかりやすくて一発でストン、と理解できるのがまたすごいなあと、毎回うれしくなります。例えば、これも先日の問題でIt can help people to let go of their denser, thicker, safe bodies,or habits that no longer serve their evolutionary process.この中でsafe bodies というのが、どういう意味なのか前後の文を読んでみても、よくわからない。で、ロンに聞いてみたら、それに対するロンのお答えがIt can help people to let go of the energies and habits they have created as protection from their fears and that are no longer serving their evolutionary process.という、クリアな説明が送られてきてなるほど、これはキネシオロジーで言うところのサバイバルプログラムのことなのね〜とわかったわけです。恐れから守るために潜在意識が作り出したブログラム、それがsafe bodies (安全なボディ)ということ。まさに、前置きの自己表現のところでお伝えしたように「自己表現をしないことが安全」という潜在的な感覚やエネルギーそのプログラムのことであって、こういう言い方もあるのですね。また他には、オーバートーンとアンダートーンという言葉が使われているのですがオーバートーン(倍音)はわかってもこのアンダートーンを日本語としてどう訳すか、ということでそのコンセプトをロンに聞いてみたらWe could also look at this as a left-brain / right-brain issue.Overtones occur naturally… a very right-brained thing. The left brain says if there are overtones why aren’t there undertones? So it has created them mathematically. という、これまたわかりやすい説明をしてくれてつまりは、オーバートーンは自然なものであるけれどアンダートーンというのは「オーバートーンがあるんだったら、アンダートーンがあってもいいんじゃない?』という左脳的なコンセプトで生まれた言葉であるということ。こういった概念も含めてわかれば、また違った理解が出てくるのですね。実は、このアーキュトニックの原本は前から持っていたけど、これまでほとんど読んでおらず今回、初めて知ることばかりでした。そんなこんなで、ここ最近は、かなり苦手な英語本と格闘しつつ日々のセッションも埋まっているので好きなワインも1週間以上飲んでいない状態です。あ〜今夜あたり、ちょっとだけ解禁にしようかな私の潜在意識は、一度にいろんなことがやってくる、という現実を作り出すのがお好みなようで訳本やハワイの準備だけでなくハワイに行くまでに、確定申告をすまさなければ、とか1年前に歯医者で「すでに神経が死んでいて、いつ痛みだしてもおかしくない」と言われていた奥歯が、やっとここ最近、痛みだしてとうとう歯医者に行かなければならない(しかもこの時期に!)とかいろいろと必要なこと(だと感じること)を作り出してくるわけです。「間に合うかどうかぎりぎり」というのも、実際は、私の潜在意識が作り出した「現実」でしかないわけで絶対にすべて完璧に行くという確信に近いものがありつつも上手くいくかどうか、ちょっとわくわくしているというま、これも潜在意識が作り出した一種のドラマ中毒だと言えるのかも。これも一度、キネシオロジーで調整してみた方がよさそうだなあ。ということで、あと2週間、走ります〜〜お母さん、聞いてくれてありがと〜(で、結局何が言いたかったのか、わかりづらい内容でごめん!)
2016年01月16日
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あけましておめでとうございます〜♪今年もどうぞよろしくお願いいたします!と新年の挨拶もそこそこに、今日はアスペルガーについて書いてみますね。12月中盤から、ここしばらくのセッションはなぜか、アスペルガー的な性質を持った方が多くお越しになられて先日は2日間に5人、アスペルガーの調整が続くということもありました。そのおかげというか、アスペルガーの脳や遺伝の仕組みがかなりわかってきました。アスペルガー的性質と一言で言っても、その症状もレベルもそれぞれですが共通しているのは、自分がどうしたいのか?何がストレスになっているのか?など自分の感覚を受け取るのが苦手という性質や人との共鳴力や深いつながり感の欠如新しいことにチャレンジしたり、変化が苦手という性質そして、よく出てくるのは、概念形成が苦手であるということ。ちなみに、概念形成がどういうことであるのかを自分の言葉で説明できない方は、すでに概念形成が苦手です。また、気持ちの切り替えが苦手、一つのことが頭から離れなくなる強迫観念なども、アスペルガーの性質としてよく出てきます。アスペルガー的な方は、おとなしくて自分のことを話さない方が多いですが逆に相手が興味があるかないかに関わらず、一方的に話す人もいます。本来は非社交的な性質ですが、中には後天的に社交性を身につけた方もいらっしゃるので必ずしも非社交的とは限りません。感情表現が苦手で、怒っていないのに不機嫌に見られたり、怒っているように見られてしまうという方もいます。また記憶力に関しても特殊で、記憶力がとても悪い人もいれば特殊な記憶力がある方もいらっしゃいます。自分が感じていることを上手く受け取れないので決断力がなく、そのため、中には親や会社や友人の言う通りにしか動けない人に意見を聞かなければ自分では何も決めれないという依存性パーソナリティになっている方もいます。もちろん、アスペルガーでなくても、自分の感覚を受け取るのが苦手だったり非社交的だったり、概念形成が苦手な人はいますが何が違うかと言うと、脳と遺伝的な性質に特徴があります。アスペルガーの方は、記憶と感情に関連する脳の海馬に反応がある場合が多くその他、感情を読むことに関わる扁桃体また共感に関わる前帯状皮質顔情報を読みとる紡状回概念形成に関わる角回など一カ所だけでなくいくつかの脳の部位に渡って、身体の反応があるのでこれはアスペルガー的な脳だとわかるのです。また、ウェルニッケ野や松果体もアスペルガー的性質に大きく関連していることが、ここ最近わかってきました。松果体から出ているセロトニン分泌も少ないケースが多いです。またアスペルガー的性質は、言葉に対する理解が断定的で柔軟性に欠けて、生真面目な方が多いのです。アスペルガーのレベルが深い人になると人と目を合わせて話すことができなかったりするのでそういった場合は、脳の上側頭溝などにも反応があります。ですから、アスペルガー的な性質の調整の場合脳の調整が主になるのですがほとんどの場合、両親からの脳の遺伝、または性質の遺伝が関わっています。そして、アスペルガーの方のうち、4、5人に一人ぐらいは幼少期に受けたワクチンの影響も上がってきます。また魂的な観点から見ると、多くのケースで前世での人嫌い、不信感、傷つけられた、強迫観念、自殺などが上がってきますが先日、前世での職人というのが出てきた方がいました。アスペルガーの方の中には、ある一つのことに深く興味を持って追求したり何かを極めたり、こつこつと続けてゆく職人気質を持っている方もけっこう多いのですね。ということで、先日、日本からお越しになって4回のセッションを受けられた方が感想を送ってくださったので、シェアいたしますね。率直な感想をありがとうございます!セッションレポートを、どうもありがとうございます。ほんとうに大変な状態だったのをひとつひとつ体の声を聞いて調整してくださったんだなあと思うと、感謝の気持ちでいっぱいです。今日まで実家で家族と過ごしていました。家族と暮らして、自分がいまどんなふうに感じているかに注意を向けるようになっている自分を感じました。前にはなかった感覚です。セッションであがってきた、母のプライドの高さや人を見下しているという点ああ、なるほどね、と思うことがたくさんありました。だからお母さん嫌い!とか、こんな人の娘で失望だわ、もうやだ~!という気持ちではなく大変そうだから、楽になってほしいな、という気持ちです。(こういうふうに落ち着いて観察している自分にも驚いています。)少しですが、母に思っていることを言えました。ほとんど聞いているふうではなかったですが!でも、何も言わなかったのと比べたら、大きなわたしの進歩です。他に変わった点といえば、人のことがぜんぜんうらやましくなくなったことです。前は、facebookなどで楽しそうな人の投稿を見るとうらやましい→あ!うらやましいと思っちゃダメだ→自分の持ってるものに感謝しなければ!というように、頑張ってうらやましい心を見ないようにしていたのですがなんだか今は、他の人の楽しそうな様子をみると、いいねいいね、良かったね~という穏やかなような、嬉しいような気持ちになるので、とっても楽です。早速友達と会うことになったのですがそれが純粋にとっても楽しみです。今までは、必ずちょっと面倒だなと思っていたのですが。あと、なぜか無性に寂しいです。人に会いたくて、自分から友達に連絡して会う約束をしてそれを楽しみにしています。以前から、恋人もいなくし寂しいな~と思ってはいましたがそれとはちょっと違う寂しさなので新鮮で寂しいと思いつつ味わっています。寂しいのがちょっと嬉しいような気すらしたりして・・・。ともかく、無理に罪悪感を押さえつけたり、いい点を無理やり数えあげたりしていないのでなんだか生きているのが楽です。ほんと、楽です。そして、いつもなんとなく、ハートにお湯が半分くらい入っているような感じがしてます。実は、こういう気持ちに、こんなに楽でいいのかな~と時折すこしだけ戸惑ってもいますが。これまで、幸せを感じたくて、瞑想をしたりセミナーに行ったり本を読んだりいろいろやっていたけれど、もともと病んだ自分でそういうものを取り入れてもなかなか効果は出にくかったのかもしれませんね。ゆがんだ状態のところへ、無理やり頭でっかちな知識をあれこれくっつけてかえってこじれて、がんじがらめの状態だったのかも…。いわゆる普通の病院では健康と診断されるわたしですが実はのりこさんのような宇宙レベルのドクターにかかる必要があったんだなあと思います。なんとなく、間一髪で間に合った、という気がしています。初日のセッションのあとは、あまりにもひどい自分の状態にショックでがーんとなりましたが実はすがすがしくもありました。それは、ショックを受けつつも、これまで冷たい自分が嫌いでなんで自分は嫉妬深くて根が意地悪で、優しい人になれないのだろうと実は辛かったことに気がついたけれどそれは自分が悪いのではなく、努力でどうにかできるものでもなく(できる人もいるのかもしれないですが)脳の調整で改善されるのかもと少し明るい気持ちの芽のようなものも、多分感じていたんじゃないかと思います。ロボットのように生きていたわたしですがこれから人間として生きていくぞー!と心の底で小さくわくわくしています。JOYのある生き方を知りたいし、体験したい!楽しいことをやる! のりこさんの、体は叡智という言葉を思い出すと、いつも心に光がさしたような気がします。今回はほんとうにありがとうございました。この方にもお伝えしたのですが彼女に最初にお会いした印象は、存在感が薄いということでした。アスペルガーの方は、第6チャクラもハートチャクラモ閉じていることが多いので(アスペルガーでサイキックの方もいますが)目に光がなく、存在感が薄いと感じる方が多いです。最初、彼女は「一番の問題は結婚です、でも本当に自分が結婚したいのかどうかわかりません」と言われていました。それで、身体に聞いてみると思考はあれこれと考えていますが自分自身が何をしたいのか、またはしたくないのか全く感じることができず、まるでロボットのような状態でした。自分自身のことをある程度、感じることができていればセッションで身体から出てきた内容をお伝えすると「まさにそうなんです」と気づきや喜びになりますが自分が考えている自分と本当の自分が感じていることとのギャップが大きいと最初はショックを受けたり、それを受け入れられないこともあります。この方の場合は、最初2回のセッションでは「傍観者」という言葉が上がってきたのですが感じる力がないため、自分の身体からの声がまるで自分のことではないかのようです、と言われていました。その彼女が変化しはじめたのが、3回目のセッションからでした。私のお伝えすることが、どういうことなのかがだんだんピンと来るようになってきて「あ、顔が出てきた!」と。4回目のセッションが終了した時には存在感や目の輝きが生まれ、この方本来の顔、が表に出てきていました。ちなみに、「人をうらやむ」とか「人を見下す」などという性質はアスペルガーとは関係なく多くの人が持っている性質であって、ほとんどの場合は親からの遺伝の性質です。性質遺伝の調整も、ここ最近の私のキネシオロジーのセッションの中で最も取り組んでいることの一つなのですが例えば、いくら「人をうらやんでも仕方ない」と頭でわかっていたとしても、こういった性質は自分の意思や努力に関わらず自動的に出てくるものなので、自分ではどうしようもないのです。キネシで調整をすればその性質は解除されてくるのでできるなら、セッションを受けて調整した方が楽になりますが例え、受けなくても、そのまま受け入れることが大切なのです。そういう性質を持ちたくて持ったわけではないのですから。この方のように「うらやましいと思っちゃだめだ」と一生懸命否定すればするほど、自分のことが嫌いにあんってより苦しむことになってしまいます。例え、うらやましいという気持ちが出てきたとしても「あ〜私はうらやましいのだなあ」ということを理解して受け入れることができれば、楽になります。そして、自分自身が楽になるに従って、例え、他の人がどんな性質を持っていたとしても嫌だと感じることなく、受け入れられるようになるのです。この方がお母さんの性質を見れるようになったのもそして、それをそのまま受け入れることができるようになったのも大きな変化だなあと。アスペルガーの人は、人と深くつながっていなくても寂しいということさえ、感じていないことが多いので人とつながりたいとも思わず、人との交流を避ける傾向にあります。ですから、このセッションの後、彼女が寂しいという感覚を感じるようになった、というのもとても大きなプロセスだと感じます。正直なところ、この4回のセッションで彼女がここまで自分の内面を見たり、感じることができるようになるとは最初にお会いした時には、私も予想していなかったことです。4回のセッションが終わった後、彼女の顔が輝いていて「今度、ここに来る時は、人間としてやってきますね!」と笑顔で戻られる姿を見た時には本当にうれしくて、私の心までぽっと暖かくなりました。アスペルガーの調整は、いつかクラスで教えたいとは思うのですが私がやっているのは、かなり面倒なプロセスなのでこの方法では、たぶん、ほとんどのキネシオロジストは嫌になってしまうだろうしもっと楽にできる調整法が見つかればいいなあと思いつつ今のところは、クライアントさんの頭に脳やDNAのチューニングフォークをひたすら当てていく日々です。ということで「キネシオロジーアスペルガー科」にようこそ
2016年01月07日
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