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時々、自己啓発とヒーリングを混同している方がいるのですが両者は全く違うものです。特にキネシオロジーでは、目標設定をしたり、アファメーションを唱えたりしますので自己啓発的なものと受け取られやすいのかもしれません。もちろん、自分の中の制限をはずし、自分の可能性や能力をのばしてゆくという意味では同じようなところもあるのですが最も違うのは、自己啓発がマインドの目標に従ってゆくのに対しヒーリングは魂の目標に従ってゆくということです。先日「魂の夢、マインドの夢」という内容で書きましたが自己啓発で行っているのはマインドの夢です。ですから、何年も自己啓発系のセミナーに通ったり本を読んだりしているにも関わらず、目標はなかなか達成されず逆にがんばれない自分が、意思の力が弱いだめな人間に思えてくる方も少なくありません。また、例え、自己啓発でよい方向に向かっているようでいても時間が経つと再び、問題が出てきたり、どこか満足できないものがあったりします。私は昔、自己啓発系の本などもいろいろ読んで実践してきたのですがその頃は、全く自分の理想は実現できませんでした。ではキネシオロジーがすべて魂の目標に従ったものかというとけしてそうではありません。マインドの目標に合わせて調整することも可能ですし実際、ほとんどのキネシオロジーではマインドの目標でセッションを行っているところが多いのではないかと思います。タッチフォーヘルスでは、目標設定は基本的にマインドで行いますから一時的なストレスの軽減や身体の機能の調整には有効だと思いますが本質的な問題の解決にはつながらないこともあります。IH(インテグレイテッドヒーリング)キネシオロジーでも、魂の目標とマインドの目標の違いなんて教わりません。セラピストの立場で言えば、クライアントさんのマインドの目標で行うのはとても楽で、何の身体の抵抗も起こらないし、好転反応もないし時間も1時間もあれば充分で、どうかすると30分で終了します。IHはシステムがとても上手くできているので、マインドの目標で行っても何らかの効果が出ることが多いのですがでも、マインドの目標では、根本的な問題の解決にはなっていないことが多く問題は再び出てきます。例えば、10Kgやせたい、と思っていたとして「健康的な食事をして、運動を行い、体重を減らします」などというマインドの目標でセッションを行うと実際に潜在意識は調整されるので、効果はあるのですがそれが何らかのきっかけで食事や運動をやらなくなったりしてまたもとに戻ってしまったりすることも多いのです。太ってしまうというのは、実は食事や運動や生活習慣が問題なのではなく根本的な要因は他にあることがほとんどです。ごくたまに、マインドの目標と魂の目標が完全に一致している方もいますがそういう方は、ごくまれで、たぶん30人に一人もいないだろうなあと。純粋に身体の機能的な問題の場合は別ですがほとんどは、マインドの目標と魂の目標は、ずれていますから。完全に一致するためには、かなりマインドを手放していないと難しいです。また例え、魂の目標であっても、本質的な目標と表面的な目標があります。例えば、子供の時から母親が嫌いで、今でもゆるせないという問題があったとして(親をゆるせないと感じている人は案外多いのですが)そういう自分が嫌だし、周りからも親をゆるすことが大切だよと言われてそれでセッションに来られたりした場合「母をゆるします」というのは、魂の目標の一つではあっても本当の目標ではないことがあるのです。本当の魂の目標は、母をゆるすことではなく母との関係において、どういう自分になってしまったか?どこが本来の自分からずれてしまっているのか?にあります。私は以前は、人にはヒーリングされる段階があり、いきなり本質的な目標での調整は難しいケースもあると思っていました。それで身体が「この目標が、このセッションでのベストの目標だよ」と反応している場合は、その目標で潜在意識を調整していました。でも、ようやくここ数ヶ月で、いきなり本質的な魂の目標で調整を行うことができるようになってきました。(もちろん、いくつかの段階が必要な時もありますが)それは、マインドの目標での身体のごまかしを外せるようになったことと(身体はけして嘘はつかないのですが、ごまかそうとするので)セッションの時に、私が完全にハートに意識が入るようになってからクライアントさんの身体が、マインドの目標には反応しなくなったこともあります。本当に深い魂の目標で調整を行えば身体の抵抗や好転反応も起こることもよくありますが本質的な意識が変わるので、大きな変容が起こります。とはいえ、けして自己啓発が無駄だということではありません。人生の中では、あれこれがんばってみる時期も無駄ではありませんから。でも、がんばって何かをやっている以上、問題はずっとあります。「がんばらなければならない病」これはまるで伝染病のように人々に伝染しています。もちろん私も何かをやって、後から、よくがんばったなあ、と思ったりしますがその時は無我夢中でやっていて、がんばらなければ、とは思っていないのです。がんばらなくても、魂の導きに従っていけば、自然と道は開けてくるのですがマインドの目標に従っている以上は、次々と問題は出てくるのです。マインドの目標を見つけるのは簡単です。「しなければならない」というのはすべてマインドの目標ですから。「痩せなければならない」「お金を稼がなければならない」「人に貢献しなければならない」「ちゃんと自立しなければならない」「恋人を見つけなければならない」「人を楽しませなければならない」「もっと勉強しなければならない」自分の中にある「ねばばらない」をあげてみると、何がが見えてくるかもしれません。「だってお金を稼がなければ食べていけないじゃない」とか「だって痩せなければ、恋人ができないじゃない」とかマインドはあれこれ理屈をつけてきます。もちろん、お金を稼ぐことは大切で、自分のベスト体重にすることも大切でありその目標に向かってゆくことには何も問題ないのですが「ねばならない」と感じているところに、何かがあるのです。魂の目標に従って、がんばらないでいると、今の状況でこれでいいやとなってしまってもっと成長したり、上達したり、成功したりしないんじゃないか?と恐れている人もいますが、実は反対です。魂の目標に添っていけば、どんどんと自分の道が輝いてゆき本当の意味での人生の成功があります。ちなみに、がんばることと、チャレンジしていくこと、冒険していくこととは、全く違います。私たちの本質は、新しいことにチャレンジしたり、冒険することは大好きなのですが、がんばる必要は何もないのです。もう「がんばる生き方」は終わる時代に入ってきているんだなあ、そんな風に感じるこの頃です。
2012年01月30日
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言葉は、とても限定された表現手段ですから言葉そのものにとらわれてしまうと、いろんな問題が起こってきます。一つの言葉でも、人それぞれみんな捉え方や感じ方は違いますし例えば、自分にとって、その言葉は、特にどうということでなかったとしても相手とっては、それはきつい言葉に感じる、などと自分にとっての言葉の定義と相手と異なると「あんなことを言うなんて、ひどい」とか「こんなことを言うのは、彼が私をないがしろにしているからだ」とか誤解や葛藤が生まれてきます。何度かお話ししていますが、キネシオロジーで調整しているのは言葉そのものでなく、その言葉から導き出されるエネルギーですから実際は言葉そのものはどうでもいいわけですがお互いにわかりやすい手段で伝え合うために、言葉を手段として選んでいるだけなのです。だから、その言葉がその人にとって、どういう感覚をもたらすか?が大切になってきます。相手の話を聞く時に、言葉そのものを聞くのではなく真に相手が伝えたいことを聴く。これができないと、相手の使った言葉に惑わされてあれこれ考えてしまって、事実とは全く違う幻想の中にいることになってしまいます。ちなみに、フラワーエッセンスの中で「ツインフラワー」というエッセンスがあり、たまにクラアントさんの身体が選ぶのですがこれは、真のコミュニケーションのためのエッセンスで言葉そのものではなく、真に相手が伝えたいことを理解するという効能があります。ジャッジ(判断)を手放すためのエッセンスです。(私は、ツインフラワーのアラスカンエッセンスとパシフィックエッセンスを持っていますが、アラスカンエッセンスの方が出てきます)言葉そのものにとらわれないということは価値判断を手放すということなのです。例えば、Bさんが「あ~私は勉強しないといけない」と言ったとしてそれを聞いたスピリチュアルなAさんは「~~しなければならないなんて、何もないのよ」とBさんに言います。このAさんは『~~しなければならない』というのはスピリチュアルな生き方ではない。というスピリチュアルな本を読んだので、これは間違っていると判断しているわけです。「~~ねばならないものは何もない」ということの本質は正しいも間違いもない、ということなのですがその本質を理解せず、ただ言葉だけで理解しているのでこういうことが起こります。一方、勉強をしなければならない、と言ったBさんは本当にhave to ~~ねばならない、という意味でその言葉を使ったわけではなく気持ちとしては、~~したい、と同じ感覚で、その言葉を使っただけ、ということもあるわけです。だから、相手が本当は何が言いたいのか理解せず言葉だけで判断すると、コミュニケーションにおいても様々な行き違いが出てきます。よく相手が心配していたり、落ち込んでいたりした時に励まそうとして「ポジティブに考えようよ」などと言う人がいますが、これもポジティブでいるのがよくてネガティブは悪いという価値判断がそこにあります。価値判断を手放すと、「ああ、今、彼女にとっては心配なんだな」と感じるだけで相手がどんな状態であっても、それがいいとか悪いとかは思いません。私が誰かの話を聴く時には、実は言葉そのものはたいして聞いていなくてただ全体のエネルギーを受け止めています。 メールなどのコミュニケーションの時は、実際に会わないとわからない部分も大きいのですがそれでも、いろんな文を読んでいくと、ある程度、そこから相手の真に伝えたいものを感じ取ることができます。もちろんその人が選ぶ言葉そのものから、エネルギーを感じれることもありますが言葉そのものに惑わされないことが大切だなあと。だから、覚者やスピリチュアルな指導者の言った言葉そのものに捕らわれないことも時として必要かもしれません。ヒーリングを行ったり、スピリチュアルな探求をしている方にけっこう多いのですがいろんなスピリチュアルなリーダーが言った言葉そのものの捕らわれて自分の世界を限定してしまっていることがあります。例えば、あるヒーリングの創始者が「このヒーリングは~~です」と言ったとしてその言葉そのものに捕らわれてしまうと、ヒーリングは限定されたものになります。その創始者の意図は、その言葉の表面的なものではなく、別にあるかもしれないしまた、自分にとっての真実は、違うところにあるかもしれません。それはけして、その創始者が間違っているということではなく別の真実もあるということなのです。そういうこともあって、最近の私が感じているのは、スピリチュアルな本をあれこれ読んでいても、全く読んでいない人と、実はそうたいした違いはないんじゃないかしら?と。例え、言葉で理解していなくても、その感覚を持っていればそれはスピリチュアルな学びなのですから。と、私自身が、以前は言葉だけでスピリチュアルを理解していた、頭でっかちスピリチュアルだったわけですが言葉は制限があるものだ、という認識を持った上でその制限の中で、いかに伝え合うか?を楽しみながら、コミュニケーションができれば、それはまた違った喜びになります。私とおさむは、たまに、遊びで「私は~ねばばらないの~」と「~ねばならない」ごっこをするのですが、これは二人の間に「~ねばならないことは何もない。私たちはわくわくすることだけをやってゆく」という共通の認識が、すでにあることを知っているからできる言葉遊びです。コミュニケーションにおいて、最も大切なのは共通の認識(意識)があるかどうか?であって、話す言葉そのものではないのです。と「言葉そのものに捕らわれない」ということを言葉で伝えようとしているわけですから、やっぱり意味ないかも。私がどういう言葉を使って書いたとしても伝わる人には伝わるし、伝わらない人には伝わらないわけですが何も書かないと何も伝わらないわけですから、とりあえず書いているわけですが。(本当は伝える必要もないのですけれどね)先日おさむが「のりこって、小難しいことをあれこれ考えるよね~」なんて言うのですが、考えているというより意識のどこかで感じていることを、言葉に変換するのが好きなんだなあと。本当は感じていることを、言葉ではけして表すことはできないわけで感じているままにしておくこともいいのですが変換してゆく楽しさもあります。言葉という制限の中で、また肉体という制限の中であれこれ遊ぶためにここにいるのですもの。だから、何をどう書いてもいいのですよね
2012年01月28日
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最近、IH キネシオロジーで「自己価値」についてのテーマでセッションを行うことが、何度か続きました。「ありのままの自分の存在価値を受け入れること」私たちすべてにとって、大切なことでこれがないと、人生は困難になってきます。これまで何度か書いていますが、自己の存在価値を受け入れるのは、けして何かを成し遂げたから、とか人に貢献できているから、ということではありません。ここに辿りつくためには、何度かのセッションが必要な人もいますし初回からこのテーマが選ばれる方もいます。最近は、私がかなり大きな抵抗でも外せるようになってきたこともあって初回のセッションでも、この問題が出てくることが多くなりました。(初回のセッションで、こういう深いテーマが選ばれるとセッションは長くなる傾向にあるのですが)さて、先日セッションを受けられたアメリカ人の男性の方から感想を頂いて、掲載の了承を得たので、ご紹介いたしますね。Thanks again for the amazing session! I wanted to report that I think some changes are already starting to happen.Today my boss commissioned a job for me this Sunday to do outside of work.For the past 7 years I have never asked how much a job pays or how much I will be paid in commission (signs of my low self-worth) but today without even thinking I walked right into his office to discuss the pricing and commissionand also make sure it is fair! This is big change, thanks again.一応、ざっと訳しますね。「すばらしいセッションをありがとう。もうすでにいくつかの変化が起こり始めているので、お知らせしたかったのです。今日、私のボスが私に今度の日曜日にoutside of work(通常の仕事ではなく、エキストラの仕事)を頼んできました。過去7年間、私はただの一度もその仕事はいくらなのか、またその依頼で私がいくら受け取ることができるのか、尋ねたことはありませんでした。(私の低い自己価値の現れですね)でも、今日、私は何も考えることさえなくオフィスに入ってゆき、その料金と依頼について話し合ったのです。そしてそれが公平なものかどうか、確かめたのです!これは大きな変化です。ほんとうにありがとう」この男性は、最初来られた時に、自分には特に何も問題はないと言われてきました。仕事も人間関係もそれほど問題はないし、健康的にも何もないし、何年も日々瞑想も行って、食事にも気をつかい、心は穏やかで、セッションで取り組みたいテーマは特にないけれど、友人に勧められてここに来た、と言われます。それでは、何が出てくるか、見てみましょう~とセッションはスタートしました。セッションの中でカウンセリングはとても大切でクライアントさんの話の中から、私はいろんなヒントを得てこれかな?それとも、これかな?とクライアントさんの身体にあれこれ聴いて、身体の反応を見てゆきます。けれど、問題がない、とあまりその方のことを話してもらえない場合はヒントなしでのスタートになるので、ただ私の直感的なものに頼って見てゆくことになるのですが、それでも必ずその方にとって本質的なテーマや問題は上がってきます。えてして問題が特にないと言われる方ほど、多くの問題を内在的に抱えているものですが、この方の場合も、自己価値を受け入れてない、人のサポートを受け入れることができないありのままの自分を表現できない、などの問題が上がってきました。自己価値の問題が上がってくるのは、親との関係から来ているケースが多いのですがこの方の場合も、子供の頃の母親との関係から、ありのままの自分の価値を見出せなくなっていました。親からありのままに自分を認めてもらえなかったりまたは、子供の時から親をサポートする必要があったりするとそのままの自己価値を認めることができずに自分は常に人に貢献しなければならないと、がんばりすぎてしまっていたり人のサポートはすることができても、人からのサポートは受け入れることができなかったり弱い自分を人に見せることができずに、人に相談することもできなかったり。そうなると、すべてを自分一人で解決しようとするので行き詰まってしまうことも多くなります。このメールを頂いて、初めて知ったのですが彼は7年間、自分の仕事に対しての正当な報酬を得ているかどうかも確かめずにいて、それが問題だとさえ感じていなかったのだなあと。もちろん、多額の収入を得て、自分の報酬なんて全く気にしない人は別ですがこの方の場合は、自己価値を受け入れていないために、そういうことをしようという気も、起きなかったのですね。そして、今回「何も考えずに自然に」相手と話し合うことができたと自分の中の変化を感じられたのは、大きな一歩。潜在意識が変化すれば「こうしなければならない」などと考えることなく自然と行動に移すことができるようになるのです。さて、今回は、self-worth 自己価値がテーマに選ばれましたがこれがself-acceptance になると、また少し感覚(エネルギー)は違ってきます。私の好きな言葉の一つに、unconditional self-acceptance直訳すると「無条件の自己受容」ですが、「ありのままの自分を受け入れる」ということ。どんな状況でも、自分を責めたり、批判したりしない、例え、だめな自分であっても受け入れるということです。もちろんこれは、自分のだめな部分を変えない、ということではありませんしむしろ、しっかりと自己を見つめるということです。一方、self worthの場合は、人との関わりの中での意識であって例え、どういう自分であっても自分は人から受け入れられる存在である、ということを信頼しているという感覚かなあと。他にアメリカ人がよく使う言葉としてself-esteem という言葉があります。日本語で訳すと自尊心と訳されていて自尊心というと、プライドという感じで、あまりよい印象はしないのですがどちらかと言えば、自己価値を受け入れる、ということに近いかなあと。このあたりのニュアンスの違いは、私もまだよくわかっていないところがあるのですが。私にとって、英語でのセッションは、こういった言葉のニュアンス的な問題もありますがそれより、相手に説明する際の難しさを感じることがあります。私は心の中で質問して、身体の反応を見てゆくので英語でのセッションでも、何が問題か、目標かなどは、すぐにわかりますが例えば、何かのテーマがあがってきた時にそのことが、その方の顕在意識では、全く問題だと思っていなかった場合どう問題なのか?を相手が頭で理解できるように、話し合ってゆく必要があります。あくまでもキネシオロジーで行うのは潜在意識の調整ですが、顕在意識でも理解していることが大切なのです。身体は、けして問題になっていないことには反応しないので例えば「責任感」で反応した場合は責任感が、その人の人生で問題となっている、ということなのですが「人には責任感が必要だ」と頭で強い信念があれば例え、身体がそう訴えていても、潜在意識の調整はできません。自分の行為から生まれた結果の責任を自分で負うというのは、この宇宙の法則ですが責任感となると「こうしなければならない」と自分で自分を制限していたり、人からの期待に応えようと必要以上にプレッシャーを感じたり、必ず、自分自身に負担をかけています。自分の人生の責任は、他の人ではなく、すべて自分自身にあるという責任を取る生き方は必要であっても「責任感」は不要なのです。そういった日本語でもちょっと理解することが難しいようなシチュエーションで私の英語力だと、上手く伝える力が不足しているなあと。英語に対するストレスや自信などの調整は行ったので英語へのストレスはないのですが、ストレスがないからと言って、英語が流暢に話せるというわけではないのですよね~ということで、英語力のアップは、これからの私のテーマの一つ。かなり今さらなのですけれど考えてみれば、ずっとここに暮らしていながらただの一度も英語をまともに勉強したことはなかったなあとと、最近、アメリカ人とのIH キネシオロジーのセッションが続いているのでこういうことも考えるようになったわけなのですが。なんといっても、自分の興味があることしかやらない人なのでこれまで英語を勉強しようという、発想さえなかったのですが要は言葉は、ハートでつながることをサポートする一つの手段ですものね。ということで、今年は英語をやります~♪(と、あっさり、自分の目標を変えてしまう人なのでどこまで続くかは、かなり疑問です)
2012年01月26日
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以前は、悟りを開いた人や覚醒した人というのは、覚醒していない人とは、常に全く違う意識状態でいるものとばかり思っていました。でも、ここ数年、私自身が何度かそういう意識状態を経験したことでいくらその瞬間には覚醒していたとしてもまたいつもの意識に戻れば、マインドに戻ってしまうということがよくわかります。その意識状態のままでは、私たちは食べることさえもできなくなるしこの次元では生きていくことはできないのでそれは、この肉体を持って生まれてきている以上、仕方のないこと。(もしかすると、どこかの山奥の聖人なんかで、その意識状態だけで生きている人もいるのかもしれませんが)覚醒の意識を体験したからといって、何も特別なわけではなく誰でも「すでにそれはある」のに、ただ気づいていないというだけですからもしそこに行ったなら「なんだこんなことだったの。これはすでに(意識のどこかで)知っていた」ということになります。ただ、一度でもその状態を体験すれば、何らかの感覚は残っていて自分がマインドにいることに気づきやすくなりますから、意識の大きな変化はありますが、だからといって、3次元的に抱えているすべての問題が解決するわけではなくあらゆる瞑想やヒーリングを行って、頻繁にその意識状態を体験している人でさえ時々、完全にマインドに陥っているのを感じたりします。そして、私自身もそうなのだなあと。でも、その覚醒の意識状態に行く度に「ああ、また戻ってくることができた」という大きな喜びとともに「これは、いつもここにあったのに、あれこれ探し求めていたなんて。私はもう何もする必要はなかったのね」という感覚を感じます。去年、清水友邦さんのブレスワークでもそう感じました。そして、その意識状態を離れた途端、その時、感じたことはしっかりと覚えているのですがもうすでに別の意識になっているのです。覚醒するということは、自我から離れるということですが覚醒した後、再び、自我に戻った時に覚醒を体験する前とは違って例え、自分がマインドからそれをやっていることに気づいていてもこの世界で自分のやりたいことをやってゆくのは変わりないのだなあと。いつだったか、おさむと覚醒状態にいた時に「のりこ、これでものりこは、パチパチとブログ書いたりするの?」と言うので「そりゃないでしょ~。そんなこと何の意味もないし」なんて二人でけらけら笑っていたのですがその意識から離れた途端、バチバチとブログ書いている自分がいたわけです。例え、私が何を言葉で説明したところでそれぞれが体験して感じなければ何も意味はないわけでブログなんて書いても、実は魂レベルで言えば何の意味もないことは充分にわかっているのですがこの3次元世界の中での遊びとして、あえてそれを行うという感じなのです。人生暇つぶしこれは私が20代前半まで、よく言っていた言葉だったのですがニューヨークに来て20代後半から「いや人生は暇つぶしなんかじゃない。それぞれに与えられた使命があるのだ」ということに気づき私の使命を探しながら、あれこれ探求を続けてきたわけなのですがここ最近になって、「やっぱり人生は暇つぶしだったね」とおさむと二人でよく笑います。ただ、20代前半に感じていた暇つぶしと今の暇つぶしとは全く違う感覚。20代前半に感じていた暇つぶしは、刹那的であって人との分離の意識の中での暇つぶしなのですが今の暇つぶしは、すべてがつながっていることをつねに感じながら自分が楽しくやれることを通じて、そのつながりをより深めてゆくという意識。それが例え、エゴであろうが何であろうがこの3次元に生まれてきたこと自体が、そういう体験を通じて何かを感じてゆくプロセスなのだと感じます。私たちに使命があるとしたら、一瞬一瞬を幸せに生きるということだけ。どうせ暇をつぶすのなら、思いのままに冒険しながらハッピーにこの人生を生きて、卒業したいなあと。だから、すべての瞬間が大切で愛おしくて、祝福なのです。ヒーリングをしている時間だけでなく食べている時間、寝ている時間、服を着替えている時間、シャワーを浴びている時間、話をしている時間、本を読んでいる時間、ワインを飲んでいる時間、ブログを書いている時間、、、すべてが愛おしくて抱きしめたくなる瞬間です。では、ヒーリングというのは意味があるのか?そんな質問は何度となく自分にやったのですが意味があると言えばあるし、ないと言えばない。もちろん、私が今の意識にいるのはいろんなヒーリングを通じて、意識を変容させてきた(つまりは自分自身に戻ってきた)からであることは間違いないわけですがでも例え、ヒーリングをせずに完全にマインドの中で、あれこれ苦しんでいたとしてもそれはそれで、魂レベルから見れば、そうたいしたことではないでしょうしいつかは誰でも覚醒するわけですから。ただ、この今の時期というのは確かにあるようで何かが大きく変わろうとしているこの時期だからこそ様々なヒーリングが、社会に広まってきているのだろうなあと。ちなみに、これは私の独断と偏見かもしれないのですが瞑想だけで、マインドから抜けるのは、かなり厳しいなあと。瞑想によって、感情は解放されてゆくかもしれませんが最も問題なのは、私たちが持っている信念体系ですから。これはIHキネシオロジーの中でいつも感じていることですが、セッションの中で、身体の抵抗が大きくなるのは、その人に強い信念体系がある場合です。それは、それぞれの体験したことの深さや重さとは全く関係なくなぜかそこに強力に存在していてそれぞれの魂の導きを防いでいます。だから、そこから抜けた場合は、本当にハッピーですしなぜそんなところに陥っていたのか、不思議なのですよね。私にとって、IHキネシオロジーが最もピンと来るのはこの信念体系を、最も効果的に外すことができるヒーリングの一つだと感じているからなのです。(もちろん外すのは私ではなく、それぞれの方の魂の導きによってですが)ということで、今年2012年。もう10年近く前からここに来ることを目指してきて以前は、つねに自分の中では何かが足りない状態だったのにいつのまにか、ほぼreadyな状態になっていていろんな人たちとともに、そこに向かっているのを感じます。そこには何があるのか、まだわからないですが。そこに向かう途中は、もちろん必ずしも楽し、楽しだけではないかもしれませんが最終的にたどり着くところがわかっていれば、何も恐くはないですね。ということで、今日は何となくこんなことを書きたい気分でした。明日になれば、また意識は変わるでしょうからなんでこんなこと書いたのらしら?と思うのかもしれないですが。(たぶん、後から読むと、こういうこと書いているのもマインドだなあと感じてしまうのですけれどね)
2012年01月24日
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私を知っている方は、よくわかっているでしょうが、私はよく泣きますわんわん泣くわけではないですが、IHキネシオロジーのセッションの中でも普段でも、感動すればすぐに涙が出てきます。でも、涙が出てくるのは、かわいそうとと同情したり、自分が辛くなって泣いているわけではなくてこれまで大変な想いをしてきたんだね~という共感や大変な経験を選んで、ここに生まれてきた魂のへの感動やそこにやっと気づいて、手放し本当の自分に戻ることができることへの祝福の涙なのです。なので、感情移入しているわけではないので次の瞬間には完全に忘れてしまっていて、全く残っていないことが多いです。おさむ曰く「のりこにとって、クライアントさんの話を聞いて共鳴することはまるで、テレビのチャンネルを変えることと同じなんだね」というのですが、確かにそんな感じだなあと。人によっては、ここではとても書けないような大変な経験をされて、人生の中で重い荷物を抱えていらっしゃる方もいます。時々、クライアントさんで「こんなに重い話をしてしまってごめんなさい」なんて言われる方がいらっしゃるのですが私にとっては、その人の経験の重さ、軽さはあまり関係がないのでどんなにディープな話を聞いたとしても、問題ないのです。セッションの間は、一緒に泣いたり笑ったりしていますがそのセッションが終われば、私の中にはもう何もなくなるのですから。その浄化力というのか、意識の変換のスピードは早いのでおさむはいつも「そういうことができるのは、のりこのヒーラーとしての資質なんだよ」と言うのですが実は持って生まれた資質ではなく、培われてきたものだということに最近になって気づきました。それは私自身が経てきたすべての経験から培われてきたもので、必ずしもヒーリングに関することだけではないのです。ヒーリングは、そのヒーラーの人生すべてによって、起こります。これはけして大げさではなく、本当に私が経験してきたことのすべてが今のヒーリングの仕事に生かされているのを、日々感じます。以前から感じるのは、ヒーリングに必要なのは、同情ではなく共感だということ。同情したり、感情移入すれば、それが自分のものとして取り込まれるのでヒーラーとしての仕事は難しくなります。でも共感できないと、クライアントさんが求めているものがわからないし本当の意味での癒しは起こらないのではないかしらと。同情というのは、実は、自分と相手が分離している意識であり相手を信頼していないということ。いくら3次元的には辛い経験であっても、魂レベルではその人の経験は魂の成長にとって、必要なものですからかわいそう、ということにはならないのです。一方で、共感は、あなたの学びによって、私も学んでいるということであり意識でつながっているということ。時々、周りの人の状況に左右されて、自分が落ち込んでしまったりする人もいますがそれは相手が潜在的に持っている力を信頼していない魂の導きを信頼していないということです。ヒーリングにおいて必要なのは、同情ではなく、共感であり心配ではなく、信頼です。どんな状況であったとしても、相手がそこから学び、成長することができるという、相手の潜在的な力を信頼していれば同情したり、心配したりすることはなくなります。そして、それはヒーリングの場だけではなく友人関係、夫婦関係、親子関係、すべてにおいて必要な意識だなあと思うのです。そして相手の力を信頼するためにはまず、完全に自分自身を信頼しているということ。だから、もし相手の状況に対して、自分が心配したり、辛くなったり同情していたとしたら、自分自身へのワークが必要なのです。私たちはみんな完全に守られて、導かれています。傷つくタイミングも、ヒーリングが起こるタイミングも魂のレベルでは、すべては完璧に起こるのですからBlessings
2012年01月21日
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先週は3日連続でレイキのレベル2とレベル1のクラス今日はレベル3のクラスでした。レイキやっぱり最高~とクラスが終了する度に思います。最近の私にとって、レイキのヒーリングやクラスは、憩いの時間。私のすべての細胞をクライアントさんの意識に集中しているキネシオロジーのセッションと比較するとレイキは、何も意識を向けなくていいので、ヒーリングしていてもこちらもまったりと癒されます。クラスは、ほぼプライベートクラスですから受けられる方によって、いろんなスピリチュアルな話に発展したり(というか、脱線したり)一緒にヒーリングしたり、送り合ったりするので、教えながら私も癒されるし、クラスは毎回とても楽しいです。特に最後の実践のヒーリングセッションで、ヒーリングを受ける立場になるとこの極楽感はたまらない。今日も最後は天国でした~でも、クラスの中で行うアチューメント(伝授)の時間だけは毎回、身が引き締まる思いがします。アチューメントというのは、レイキのエネルギーを受け取るための回路を開くためのプロセスで、クラスの中でレベルによって、3、4回ほど行います。1回のアチューメントは5分ぐらいで終了しますが、このアチューメントが一番大切ですからその時間だけは、しっかりと意識を今に集中します。私にとって、アチューメントを行っている時の感覚は、まるで神社の中の神主しか入れない、最も聖なる場所に入ることを許されて、神に直接、捧げものをする大切なお役目を与えられたかのような感じです。そんな大切なお役目を与えられたことに、感謝で一杯になりますし、毎回、その祝福を味わいながら、聖なるセレモニーに全神経を向けます。聖なる領域に静かに入ってゆくその間はアチューメントを受けられている人の印象も、その人の素の部分が出てくるようで、いつもとは違うのを感じます。アチューメントのやり方は、たぶんレイキマスターによって様々だと思いますが私のアチューメントも少しずつ変化、進化しています。アチューメント自体のプロセスはほとんど変わっていないのですがアチューメントに入る直前でのやり方が変わってきたり自分の意識状態が変わってきました。以前から、アチューメントの前にクラウンチャクラ対応のクリスタルボールを使ってから行ったりしていましたが最近は、アチューメントに入る直前の一瞬に、マトリックスエナジェティクスを使って生徒さんとの共鳴を高めてから、アチューメントを行うことが多いです。アチューメントを行う時に高次元の存在にサポートを頼むこともあります。私はサナートクマラとつながって、サポートをお願いすることが多いですが去年のセドナから戻ってきてから、アチューメントの間あのマリアさまのハートの石が目の前に見える位置に置いてあるのでそれを見た瞬間、ハートに意識が戻るのを感じます。意識がハートにあれば、あれこれと考えることは全くなくなるのでただ純粋にアチューメントを行うことができます。そして、アチューメントは、それを行う私の意識だけでなくその場所のエネルギーも大切だなあと感じます。私の家、特にリビングとセッションルームは、私にとっては神殿。ここ場所で行うアチューメントはたくさんの天使やアセンテッドマスターに見守られている感じがするのです。エネルギーに敏感な方は、ここに来られるとよく「すごくいいエネルギーの部屋ですね」と言ってくださる方が多いです。先日も、場所や人のエネルギーにとても敏感な方が来られて『最初ここに来た時、あまりにもエネルギーがクリーンなので驚きました。これは毎日、床拭きされているのですか?」などと聞かれたのですが実際は、床拭きはクラスの前などには必ず行いますが、毎日やっているわけではなく、目についたら行うぐらいです。その場所のエネルギーを高めるのは、掃除やいらないものを処分することもありますが家自体の作りや環境、クリスタルや植物や置いている物たちの影響もありますしまた何よりもそこにいる人のエネルギーかなあと。ここは、以前住んでいた私たちのアパートより、ずっといいエネルギーなのでこのアパートの一階に住んでいる大家さんのエネルギーがいいこともこの家のエネルギーが高い要因なのかも?と思ったりします。もちろん、ここには毎日いろんな方が来られるのでアロマやセージ、お香、フラワーエッセンスなどでの浄化はよく行いますし毎日、今日は何を処分できるかしら?と意識を向けています。あれば少しでもエネルギーレベルが下がるような物たち(使っていないもの、もう必要ないものなど)そして、私の中のいらないものも、見つかり次第、手放します。「不要な感情や思いを見つけたら、次の日まで持ち越さないでその日のうちにヒーリングすること」これは、以前、バハマのセミナーでホリスティック医療の先生が言われていたことです。場所のクレンジングも、自分の中のクレンジングもつながっていますね。ということで、これからのテーマは、コンピューターの置いてある小さな部屋を何とかすること。どうしても書類や資料などは、たまってしまってなかなか処分が進まなないのです。アチューメントやセッションを行う部屋だけでなくてこの家全体を神殿にしていきたいなあと。まだまだデトックスは続きます~
2012年01月20日
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昨日は、私のIH キネシオロジーのセッションを行いました。先日、何年かぶりに、おさむとのバトルがあったことを書きましたが普段、例え、おさむが何らかの原因でイライラしたとしてもそれを個人的に捉えないし、特に何も感じなかった私が今回おさむの怒りに反応して、私自身も怒りを感じたことでこれは私の中にも何かがありそうだなあ、と。その日は理由を考えてみても、ここ最近、セッション続きで余裕がなかったから?とか過去のおさむとの関係で癒されていないものがまだあるのかしら?とわからなかったのですが不思議なことに、その次の日に、ある夢を見てわかりました。以前、本間先生から学んだことですが潜在意識には検索システムがあって、「自分はどうしてそう感じたのだろう?」とか「この根本的な要因は何だろう?」などと疑問を持つと、その答えがふっとあがってくることがあります。例えば、セッションの中で筋反射テストで9歳と出て、普段はその時のことを全く考えたことがなくても「9歳の時に何があったのだろう?」などと疑問を持つと、ふっとその時あったことが思い出されたりするのです。私の場合は、それが夢に出てくることが多く潜在的に抱えている問題や次のセッションのテーマが夢に出てくることがよくあります。それで今回、見た夢というのがある出来事の責任を「あなたのせいよ」とある人に誤解されて、私は「どうして、私のせいになるの?」と誤解されたことにむちゃくちゃ腹を立てている、という夢でした。起きてすぐに、ああこれだとわかりました。以前にも書いたかと思うのですが、私は昔無実の罪とか、ぬれぎぬを着せられるとか、そういうことに敏感に反応していて大学の時は、冤罪についてあれこれ調べたり権力に対する嫌悪感みたいなものも、ずっと持っていました。例えば、道で警察官に会うと何か尋問されて、やってもいない罪を着せられて、刑務所に入れられてしまうような気持ちになって、思わず目をそらしたりしてしまうのです。でも、レイキやいろんなヒーリングをやっていくうちにそんな感覚はほとんどなくなってしまっていてここ何年かはすっかり忘れていたのですがその感覚がまだ自分の中にあったことに、この夢で気づいたのです。先日、おさむの反応に私が反応したのはおさむの思いがけない反応が「私はそんなつもりではなかったのに、誤解された」という私の潜在的に持っていた思いを刺激したからだったのだなあと。それで昨日のセッションでわかったことは私の前世で無実の罪を着せられた時の思いが、今生での無意識に残っていてさらに、今生で、他の人に自分の真意を理解してもらえず、誤解されたことが何度かありそれが「私は人に誤解される」という意識を強くしていたということ。前世でのことが私自身のセッションに出てきたのは今回が初めてでした。そのセッションに入って、すっかり忘れていた思いが蘇ってきました。私は、昔から自分の思いや考えを、周りの人に正直に伝えてゆく人だったのですがたまに、自分の言動が人に理解されず、誤解されて受け取られたことがあり、その時は「どうして、そんな風に受け取るの?」という怒りとともに、意識のどこかでは「やっぱり誤解された」と誤解されることを、どこかでわかっていたような気持ちになるのでした。私の意識の上では「例え、私の言動を人にどう捉えられたとしても、それは人それぞれの受け取り方であり、仕方ない」とそれに対して割り切れていたつもりだったのですが潜在意識では、自分の真意をわかってもらえない時の怒りがあったのですね。今回、その想いを手放し、人から理解されていることを信頼するための調整を行いました。最近は、特に誤解されるようなこともなかったですしすっかり私の意識から消えていた思いなのですがこれは、昔から、私の潜在意識の奥深くにあった思いだったので今回、これを完全に手放すことができたことは、本当に大きかったなあと。これからは、例え同じようなことが起こったとしても私の潜在意識は「人から誤解された」とは受け取らないでしょうしたぶん、そういうこともなくなるだろうなあと。何かの問題が起こるのは、私自身の中に何かがあるからですから。それにしても、先日の、おさむの「自由」に関するヒーリングからそして、私の「無実の罪。人からの誤解」に関するヒーリングにつながったことの始まりは「おさむの寝ぐせ」ですから、やはり、ほんの小さな問題もあなどれませんね。さて、おさむの寝ぐせから始まった「自由」の調整ですが思わぬ二次的な効果がありました。おさむは、ここ最近「俺は人や物のケアが苦手だから、その調整が必要だと思う」とやたらに言っていて、特に私はそれがおさむの問題だとは思っていなかったものの、確かに昔からあまりケアする人ではないので「じゃあ、今度そのテーマでやってみようね」と言っていたのですが、今回のセッションで、どうやらその問題も一緒に解決されたようなのです。あのセッション以降のおさむは、私が何も言わないのに、お花や食材を買ってきてくれたり、いろいろケアしてくれてそんなスィートな行動に慣れていない私はこんなにしてもらっていいの?とちょっとドキドキこれまでも、何でも頼めば買ってきたり、やってくれる人ですが、自分から積極的にそういうことをやらない人でしたから。おさむ曰く、無償に、そういうことがやりたくなったのだそう。意識の奥深くにあった抑圧から解放され、自由になったら人のケアもできるようになったのかしら?一体、何がどこにつながっているか、わからないところがおもしろい♪以前の日記に、トレッキングに行くと、いつもおさむだけさっさと先に行ってしまう、というようなことを書きましたが、これからは、そんなこともなくなるのかも?ということで、あまりスィートな行動を取れない旦那さまや彼をお持ちの方そういう男性でもいつか意識が変わるかもしれませんので長~い目で見ていきましょう~(わたくし、苦節17年、やっとここまで到達いたしました~)←またおさむをネタにしてゴメン>おさむ昨日届いた、Crystal Tone 社のクリスタルボール Aqua 24K gold 早速、セッションで出てきています。これから、活躍しそう。アルケミーシリーズ全部欲しいな~
2012年01月19日
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IH(インテグレイテッドヒーリング)キネシオロジーのセッションの感想を頂きました。今回は代理セッション、旦那さまの代わりにセッションを受けられた方の感想です。もちろん、代理セッションは、ご本人の了承を取って行います。(ペットや小さな子供など、直接了承を取れない場合もセッションの中で代理としてセッションを行ってよいかの了承を取ります)また子供やパートナーや親やペットの代わりに受ける代理セッションは、最低一度は、代理になる方自身がセッションを受けられていることを条件にしています。感想を書いてシェアしてくださって、ありがとうございます私本当に文章書くのは苦手なんです。言いたい事があればある分、とにかく時間がかかってしまうのと、文章にまとまりがないのとでなかなか感想文がかけないのですが今回はやはり代理でセッションできたことで、夫にすぐに変化が現れたこと、私自身、夫への理解の幅が広がったことなど、やはりお伝えしてお礼が言いたくがんばってます!!先日は私と夫のためにセッションをしていただいて本当にありがとうございました。なんだか、泣きっぱなしのセッションでしたが、のりこさんも一緒に泣いてくれるので、気にせずに泣く事ができてよかったです。さて、お酒の量を減らせるようにお願いした代理のセッションでしたが、やはりお酒のことを調整する前にいろんなことをクリアにしておかなくてはいけませんでしたね。そう思ってはいましたが、お酒をなぜたくさん飲むようになったのかその原因を取り除いて、癒していかなくてはだめだってことですよね。普段は私自身の問題を調整するのに、のりこさんにお世話になっていますが、代理は初体験でした。もともと、私自身セッションが始まると腕が硬くなり、抵抗がはじまりますが、今回のはまたいつもと違い、とても激しい抵抗で、指の先までなんだか痺れる感じ、腕も誰かが手で握っている感じがしました。抵抗をとくのに、マトリックスエネジェティクスをしてもらいましたが、頭の先まで痺れが回った感覚で、それを伝えるとのりこさんに「それだけ彼はいっぱいいっぱいでやってるのよ、」といわれ、可哀想で可哀想で涙が出ました。おもしろかったのは、いつもは浄化が始まってくると寒くて寒くて仕方がなくなるのですが、今回こんなにクリスタル・ボールやチューニング・フォークなどなど何度も何度もならしてもらったのに、私自身は全然寒くならなかったのが、代理でやっているから私自身には浄化が出ない、というのがおもしろく、更に普段のセッションでの寒さはやはり浄化のせい、けして、のりこさんのアパートが寒いわけではないのがわかりました。^^セッションでタイム・トラベルもありました。彼の子供のころに戻ったのですが、頭の中は真っ黒の”無”、空っぽのようになりました。私は、ああ、夫はこの頃、こんな感覚ですごしていたのかと思うと、またもや可哀想で可哀想でしかたがなくなりました。代理をすることで、体が痺れたり、こうして疑似体験をさせてもらって、私なりに夫の精神的な感覚、悲しい体験をしたときの感じなどを体感する事ができて、私自身の夫に対する心持も変わることができました。家に帰り、夫にセッションの様子を説明したとき、彼はボソッとありがとう、と言っただけでしたが、その言い方がまるでなんてお礼を言えばわからない小さな子供のようで、その姿がいとおしく感じました。いつもお酒を飲む間に水も飲んでくれと、お願いしても、ものすごく不快感をあらわにする彼でしたがその週末は、なんと素直にお水もたくさん飲んでくれ、次の朝にはこっちの方が自分の体のためにいい、とまで言ってくれました。子供の手のかさかさも、まだまだですが峠を越した感じがしています。すべての人や物事がつながっているというのはこういうことなんですね。不思議ですが、こうして目の当たりにしてしまうと納得してしまうしかありません。今回のセッションで起こった家族の変化にただただ感謝します。セッションがスタートすると私の手を伝わって、クライアントさんにエネルギーが流れるのでまだ何も調整段階に入っていない状態でも、デトックスが始まり身体の体温が下がり、寒くなることがよく起こります。実際、私のアパートは、がんがん暖房が入っている一般的なNYのアパートに比べるとあまり暖房が効いていなくて寒いのですけれどそれだけでなく、身体の芯から冷えてくるので、毛布を何枚か重ねても、ガタガタ震えてきたりします。また、浄化作用として、セッション中に急に頭や背中などが痛みだしたりすることもよくありますが、大抵は、セッションが終了する頃には、痛みがなくなったり、冷えが落ち着いてくることがほとんどです。これまで彼女は何度もIHを受けられてきて毎回のようにセッション中、寒くなっていたのに今回は代理として受けられたので、全く寒くならずまた、筋反射を取っている時の手の感覚も、ずっとしびれるような感じだったそうでそういったいつもとの違いを感じることで自分自身がヒーリングセッションを受けているわけではない、ということを体感されたのです。ただ彼の代理として行ったというだけでなく、夫の感覚を疑似体験することで、彼の気持ちもより深く理解できたなんて素敵だなあと。今回の問題はお酒の量を減らしたいということでしたがお酒の量を減らすことがテーマではなく、もっと深く根付いている心理的な問題を先に解決することが優先だと出てきました。いくつかの深い要因が重なっている場合すぐに直接その問題に対するセッションができない場合もあります。例えば、仕事のことを調整したくても、先に健康の問題を調整しなければ無理という感じで、身体は優先的なテーマをあげてくるのです。これまでセッションをやってきた中で子供の皮膚が荒れたり、アトピーみたいになることの根本原因に両親が持っているエネルギーの問題がありました。両親が癒されたら、子供の皮膚がすっかり治ってしまったというケースもこれまでいくつかありました。子供やペットの病気は、親の問題から来ていることが多いので子供がセッションを受けるより、両親が受ける方が効果がある場合があります。大人の場合は、ヒーリングセッションはできれば直接本人が受けられた方がいろんな気づきがあるのでいいですし例えば根本原因を調べている時に、9歳、という年齢があがってきても9歳に何があったか、本人じゃないとわからない部分があったり何が問題になっているかを見つけるのが、大変だったりしますが一方で代理の方が上手くいくようなケースもあります。病気でセッションを受ける体力がない方はもちろんですが、例えば、本人は癒されたいと思っていてもわざわざセッションに出かけていって受けるのはおっくうというような方の場合。特に今回のように、大きな抵抗が起こる場合はその抵抗を外すのに時間がかかることがあるのである程度の忍耐力が必要になります。実際IHは、適当なところで手をうって、セッションを行うことも可能なのですが私はいきなりディープなところを見てゆきますしそこで身体の抵抗を少しでも感じれば、徹底して抵抗を外してゆくので、時にはセッションをスタートするまでに1、2時間かかったりします。最初は、潜在意識が抵抗している、などと言われても自分の頭の意識としては抵抗しているつもりはないのでなかなか理解できないですしたまに、こういったヒーリングに慣れていない男性の中には、長い間、じっとしていることにがまんできない人もいます。一度、クリスタルボールを鳴らしている途中でむくっと起き上がってしまう男性もいて、笑ってしまったのですが「もう少しで終わりますからね~」などとなだめながら、セッションを進めていく必要があり、そうなるとできるだけ早く終わらせなければならなくなるのでもっとディープに入ってゆくことが難しくなります。なので、2時間以上のヒーリングに耐えれないような人の場合は他の方が代理で受けられる方がセッション自体はスムーズにいく場合もあるのです。ちなみに、どんなに潜在意識の抵抗が起こっていても普通は2時間半~3時間で大丈夫なのですが一度、男性で初回のセッションで5時間半のセッションを行ったことがありました。(その時はさすがに死にました~)それほどの抵抗が起こるケースで考えられる理由は二つ。一つは霊障。そして、もう一つは、本人が絶対に触れられたくない強い恐れを持っているケース。これまで、マトリックスエナジェティクスを行っても外れないような抵抗は、この二つだけでした。(それでも外してゆくのだけれどね)普段、全然がんばらないですしだめだと思えば、さっさとやめてしまう私ですがIHキネシオロジーのヒーリングセッションだけはネバーギブアップなのです。(それはやれば深く行けることがわかっているからなのですが)大変なセッションは、その分、それを終えた時の喜びも大きくなります。もちろん、さくさくとスムーズで楽なセッションも大好きです~♪(いやできれば、毎回そう願いたいのですけれどね)ということで、今日は久々のオフの日。後で、おさむを代理にして、私のセッションを行う予定です。何となく出てくるものはわかっているのですが。私自身の潜在意識のくせは、わかっているので、私をごまかそうとしてもバレバレなのです(って意味不明だよね)さらに、ディープにSurrenderしてゆきま~す
2012年01月17日
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私の好きな言葉の中にSurrender ゆだねる という言葉があります。魂の導き(大いなる宇宙の意思ともいいますが)にゆだねるということ。ゆだねるというのは、私にとっては、何かをあきらめるとか何も行動しないということではなくわくわくすることを結果を考えずにどんどんやってゆく、ということです。先日、セッションに来られた方から「よくスピリチュアルな本を読むと、ゆだねることの大切さを書かれてあるのもあるし一方では、夢を実現することの大切さを書かれてあることもありますがゆだねることと、自分がこうなりたいという夢を実現することとは、矛盾するように思うのですがどうなのでしょうか?」と質問されました。一見、矛盾するようですが、私の中ではこれは同じことなのです。ただ、この夢というのが、魂が望む夢、とマインド(思考)が望む夢と分かれていて、魂が望む夢を叶えることは、ゆだねることになるのですがマインドが望む夢は、魂にとっては抵抗になるので、ゆだねることではなくなるということ。マインドが望む夢というのは何かというと「これが叶ったら、お金を簡単に得ることができる」とか「これが叶ったら、今の仕事をしなくてもいい」とか「これが叶ったら、親が喜ぶ」とか「これが叶ったら、人に貢献できて、人から認められる」とかまたは、周りのみんなやっているから、とか必ず、その夢を叶えることに対しての理屈があるのです。その理屈は、多くの場合、人との関係に対して、または社会的に見て、というものになります。魂が望む夢は、そういう理屈ではなくただ、それをやることがわくわくしてやらずにはいられない、というのが先に来ます。もちろん、後で理屈付けをすることがあったとしても例え、結果がどうであってもやりたい、というのが魂の望む夢です。魂の望む夢にしたがってやっていくことが宇宙にゆだねること、だなあと私は感じるのです。マインドが望む夢にしたがってゆくと、どうなるかというとがんばっているつもりなのに上手くいかない、もしくは、やらなければならないことはわかっているのにがんばれないまたは、目標を達成できたにも関わらず、なぜか満足できず続かないということになります。多くの人は、努力の結果報われた話を聞くのは好きですし、感動します。例えばハリーポッターの、JKローリングが昔、売れない時期に子供を抱えて、貧しい暮らしをしながらもけしてあきらめず、物語を書き続けて、そして、どこの出版社に相手にされなくてもめげずに送り続けて、最終的にある小さな出版社から出たハリーポッターの第一巻が世界的にヒットして大成功した、などという話を聞けば、誰でも勇気をもらうし「私も例え今は、成功していなくても、夢に向かってやり続けよう」などと思ったりする人も、多いかもしれません。でも、その話を聞いて、同じようにがんばれる人はごくわずかです。がんばることができる、というのは、それ自体が一つのお導きであってJKローリングはがんばるというよりも、それをやることが魂の導きだからそうせずにはいられなかった、というのが本当のところだと思うのです。情熱というのは、魂からの夢でないと持てないもの。だから、目標や夢があるのにそれに対してがんばれない、というのはその目標や夢がマインドから来ているからであってもしかすると、本当の自分は望んでいないのかもしれません。マインドの夢は、その時はわからないものですが、後から気づくことがあります。先日、レイキのクラスに来られた方が「興味本位でここに来たのですが、よかったでしょうか?」と言われたのですが、実は、それが魂の導きに従っていることなんじゃないかしら?と。興味本位という言葉自体は、あまりよい意味として使われないことが多いですがつまりは好奇心ですから。私が最初にレイキを学ぼうと思ったのも、好奇心からだったしキネシオロジーも他のヒーリングすべて、何かこれを学ばずにはいられないと感じる、わくわくするからやったのであって、それを仕事にできるかどうか?など考えていたら、きっと始めからやらなかったことでしょう。例えば、プロで成功しているダンサーでも、ミュージシャンであっても最初は、それをやるのがわくわくして楽しいから始めたのであって学ぶ前からそれを仕事にしよう、などと考えてはいないはずです。もちろん、どんなものでも仕事としてやっていくからにはそれなりにがんばる時期も必要なのですが、それもやらずにはいられないからやっている、という感じだと思うのです。私も、キネシオロジーやヒーリングの勉強をするのも身体や心のことを知ることがわくわくするからもっと知りたいという好奇心からやっているのであって勉強しなければならない、と思ってやったらきっと続かないでしょうから。魂が望む夢に従って生きてゆくそうすれば、必ず自然と導かれてゆくなあと。もちろん、例えマインドの夢であっても、あれこれやってみるのはすべて自分にとっての必要な経験となりますからけして無駄なことではないのですけれどね人生での様々なプロセスは、すべて魂レベルでの宝物なのです
2012年01月15日
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先日、おさむの寝ぐせの調整をIHキネシオロジーで行いました寝ぐせなんて、わざわざヒーリングする必要があるもの?と思われるかもしれませんが自分では、取るに足らないと思っているような、小さな問題やちょっとした感情でももしかすると、深い問題とつながっているかもしれないのです。実際、これまで2人、寝ぐせの調整をテーマに行ったことがあるのですが、驚くような要因が出てきたことがありました。寝ている間のことは無意識なので、無意識レベルでの問題が身体の体勢として出てくることがあります。おさむの寝ぐせというのは、寝ている間、両手をバンザイの形に上に上げて寝るというくせです。彼一人で寝ている時は問題ないのですが、私の隣に寝ていて時々「何、この圧迫感は?」と目覚めるといつも彼の腕が私の顔を押しているのです。おさむは寝ていて、わからないのですが私にとっては寝苦しいので、これをテーマにセッションをやってみようということになりました。(もっとも、おさむはそれほど乗り気ではなかったようですが私のため、ということで受けてくれました)と、スタートしてみたら、予想以上にディープな要因が出てきました。まず、このセッションの目標を設定する段階で選ばれたのが「寝ている間、腕を降ろしていても自由を感じています」というもの。つまり、おさむが腕を上げて寝ているのは腕を上げていると自由な感覚になるから、なのでした。そして、その根本的な原因は、前世での問題+今生での思いぐせ。前世で彼は、何か自由を奪われ抑圧されていたようでその思いが潜在意識に残っていた上に今生での様々な要因がその感覚を強力にしていたのでした。今回、サポートとして出てきたフラワーエッセンスはアラスカンのツンドラウエイブレード。「人が最も深いレベルで持っているトラウマや傷(過去性を含む)を癒すのに必要な無条件の愛のエネルギーが入ってくるのをサポート」先日、アラスカンエッセンスから間違って配達されてきたエッセンスですがそれから、何度もセッションで出てきたものでした。へ~こんな寝ぐせにこんな深い想いが隠れていたんだね~とセッションを終えたのですがその後、数日経って、ちょっとした波紋がありました。その日、夜中にもう寝ようと思って寝室に行ったら隣の部屋で、まだおさむがギターを弾いていたので「もう寝るから、ギター弾くのやめてね~」といつものように声をかけました。私としては、ごく普通の感じだったのですがなぜか、その日、おさむはその言葉に反応しました。「なんで命令されなくてはいけないの。俺がギター弾きたい時に弾くのをやめさせられなければいけないわけ?」と、普段のおさむには珍しく、怒りをぶつけてきました。そんな風に私にイライラした感情をぶつけてくるおさむは珍しくて確か前回そうなったのは、去年のセドナでの初日の日でした。ヒーリングセッションの後しばらくは浄化期間であり、好転反応なども出ることがよくありますがセドナなどのパワースポットに行った時は、ヒーリングを受けた時のような浄化作用が出ることがあって、おさむは以前にも何度か聖地に行った初日などに感情がちょっと不安定になることがありました。だから、前回のセドナでの初日におさむがイライラして、何かの私の言葉に反応しているのを見ても私も「ああ、何か浄化作用が起こっているのね」とわかるので、特に何とも思わないのです。ところが、今回は、これが先日のヒーリングセッションでの浄化作用だなんて、全く思いつきませんでした。それでも、いつもの私なら「ああ、何か彼の中に何かがあって、それが私の言葉に反応しているのだなあ」とわかっているのでおさむがどういう反応をしても、それを私個人に向けられたものだと感じないし後でおさむが冷静になってから「どうしてそうな風に反応したの?」と聞いて、けんかになることはないのですがその日は、なぜか私もその反応に反応してしまって口げんかになりました。なぜ、その日、私がおさむの反応に対して反応したのかはよくわからなかったのですがちょうどその日は、朝7時すぎから夜8時頃までセッションが続けて入っていた日で自分が思っていた以上に、神経が高ぶっていたのかなあと。「なんでいつも私が彼を受け入れなきゃいけないのよ!!」と意識がハートではなくマインドにいってしまったのですがこんな風にけんかしたのは、もう何年ぶりかな~と思うぐらい最後は「もう別れてやる~~」ぐらいの勢いでしたでも、私は言いたいことを言ったら後はすっきりするタイプなので、その日はそのままぐっすり。次の朝は壮快な気分だったのですが、おさむが「ごめんね~」と謝ってきたので「どうして、あんな反応をしたの?私の言葉で、私に大事にされていないと感じるような感覚を感じたの?」と聞きました。それでわかったのは、あのヒーリングセッションの後浄化作用として、これまで無意識に抑圧されていた感情が表に出てきて私の「ギター弾くのをやめて」という言葉が「自分の自由を奪われる」という感覚になったということ。そう言えばと思い出したのが昔のおさむはいつもそうだったなあということ。昔、つきあい始めた頃のおさむは私にギターの練習をじゃまされるのが何よりも嫌で私が一緒に何かをしようと誘ったりしてもその行為がまるで「自分の自由を奪う悪魔」のように感じるらしくよく怒っていました。でも、ここ何年かのおさむは、ヒーリングされてそういうことは全くなくなったし例え、私がおさむのギターを弾いている最中に話かけたりしても、全然怒らなくなって、いつも穏やかなので以前のおさむがそうだったことは二人ともすっかり忘れてしまっていたのでした。そして、今回、このセッションの後彼の無意識のレベルでかすかに残っていた「自由を奪われる」という感覚が浮上してきたのだなあと。そして、その潜在意識の奥深くに眠っていた感覚は普段起きている時には全くなくても寝ている間に腕を上げる、という「症状」として出ていたわけです。そう考えると、今回、思いがけず、おさむの反応に対して私自身も反応したのはもしかして、その頃のおさむとの関係においてまだ私の中で完全に癒されていないものがどこかに残っていてそれが、今回のおさむの反応によって、呼び起こされたのかもしれないなあと。今の私は完全におさむを受け入れているし何も不満を感じていないのですが、昔のことがまだ意識のどこかに残っていないとは限りませんから。このあたりは、今度、また深く追求していこうと。さて、寝ぐせの方は、今のところは治っているようでおさむは腕を下げて寝ているようですこれで、彼の潜在意識の奥深くに眠っていた抑圧された思いも解放されて、このセッションをやってよかったなあと。本当に人間の無意識というのはおもしろいですね
2012年01月13日
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私たちは、みんな自分が意識しているレベルだけでなく無意識のレベルで、周りの人たちと共鳴し合っています。遠く離れていてもシンクロしていたりすることもあるのですから近くにいる人はなおさらです。いつも会っている家族、会社の同僚、友人などとは、気づかないレベルでも、様々な形で影響し合っています。自分がヒーリングセッションを受けた後、自分は変わっていないつもりなのに周りの態度や反応が変わった、ということは、本当によく起こりますがこれは自分の持っているエネルギーが変わったために、それに共鳴している周りの人のエネルギーも自然と変わるためです。私は普段はどちらかと言えば、それほど人のエネルギーに敏感な方ではないですしプライベートで人に会う時は、そんなに感じることもないのですがセッションに入ると、クライアントさんと共鳴するためその方のエネルギーを自分のエネルギーのように感じます。これはIHキネシオロジーでもレイキでも同じです。例えば、ある方が来られて、セッションがスタートした途端何だかモヤモヤ、イライラとしたエネルギーを私の中に感じたりします。そういう時に、向こうの部屋でおさむが笛とか吹いたりするとそのイライラ感が刺激され、倍増します。私のセッションルームとおさむの部屋は離れているので普段なら、おさむがセッション中にギターや笛を吹いていたとしても気にもとめないぐらいだし、気がついても何とも思わないのですがあるエネルギーを持っているクライアントさんと共鳴していると、急に、こん棒でも持っておさむのところに走ってゆき「セッション中は静かにせんかい!!バシッ」とぶんなぐりたくなるような感覚になったりするのです私は普段の自分のエネルギーの状態がわかっているので、その次の瞬間には「おっと、これは彼女のエネルギーなのね」とわかりますがもし、それが自分本来のエネルギー状態がわかっていないと共鳴していることがわからず、自分の状態だと思ってしまうわけです。そして、セッションが終わった後、そのクライアントさんから、いつもすぐにイライラしていた旦那がすごく穏やかに優しくなりましたなどという感想を頂いたりします。例え、その彼女自身は、旦那に対して優しく接していたとしても彼女自身が持っているエネルギーに旦那さんが共鳴していれば、彼がイライラしたりマイナスの感情を持ってしまってしまうのですね。特に、人を信頼していない人、または自分は人から受け入れられていない、愛されていないと感じている人は周りの人をイライラさせてしまうエネルギーになってしまうことがよくあります。だから、パートナーや家族がいつもイライラしているというような人はもしかすると自分自身のエネルギーに何かそうさせてしまうものがあるのかもしれないわけです。周りの人との共鳴は、イライラ感だけでなく、ドキドキ感やドヨーンとした感覚や、様々な感覚として、無意識レベルで伝わっています。もちろん、ハッピーなエネルギーやリラックス感なども伝わりますから、何だかあの人に会うだけで、いつもパワーが湧いてくる感じになる、ということにもなるのです。一方、人と共鳴するというのは、けして悪いことではないですが共鳴しすぎる人、いわゆるエンパシーになってしまうといつも周りのエネルギーや感情の影響を自分のものとして感じてしまうわけですから、かなり精神的、体力的にも疲れてしまいます。IHキネシオロジーでは、エンパシーは1回で調整できることがほとんどです。エンパシーの人は、周りへのアンテナが敏感になりすぎていて人との共鳴が常に全開状態になっているのでオンオフの切り替えができるようにするのです。特に人にヒーリングをする人は、オンオフの切り替えができていないと疲れてしまって、とても続きません。私は強く共鳴しているのは、セッションの間だけなので、終了すればす~っともとの自分だけのエネルギーに戻ります。やはり、セッション中は、ある程度、クライアントさんのエネルギーの共鳴ができていた方がセッションがより深くなってくるように感じます。クライアントさんの話や言葉だけからでなく伝わってくるエネルギーが、どんなところから来ているのかで表面には現れてこないものを、見てゆくことができるからです。特にIHキネシオロジーでは、感じているエネルギーを言葉に翻訳しながら、相手の身体に聴いてゆく作業なのでこの感覚がなく、相手の話だけで目標や原因を探しているとなかなか真のところが見えてこないことが多いのです。観えない世界は、ほんとうに不思議。もし自分のエネルギーが周りの人にどのように影響を及ぼしているのが目で観えたとしたら、みんなもっと自分の持っているエネルギーに責任を持つようになるでしょうね。私たちは肉体は別々でも、エネルギーレベルではつながり、共鳴しあっていますからヒーリングを受けて自分が浄化されたり、意識が変わることはほんとうに自分のためだけでなく、家族や周りの人たちのためでありそれは結局、世界平和への大きな貢献だなあそんな風にいつも感じるのですすべてはつながり、共鳴し合っている。私たちは、けして分離していないのです
2012年01月11日
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昨日はおもしろい日でした。(毎日が「おもしろい日」だけどね)夕方から入っていた友人との予定が、前日にキャンセルになったので久々にゆっくり絵でも描こうかな、と思っていたのですが昨日、おさむが、あるライブイベントの告知のカードを見つけて行ってみようと言い出し、急遽、出かけることになりました。私は好奇心の固まりみたいな人なので、何か情報があって、ちょっと興味があればすぐにやってみたり、出かけたりするのですが、おさむはそれが必ず自分にとって、よいものだとわかっていない限り自分から行こうと言い出すことは滅多になく私が誘えば、じゃあ行ってみるか、という感じなのです。それが、今回は珍しく、おさむから行こうと言い出したので、それだけでいつもとは違う日でした。それはBella Gaiaというグループのライブでサイトを見ると、NASAとのコラボレーションでNASAの地球の映像とともに、音楽を演奏するというもの。こちらがそのサイトです。ところが、サイトの映像の中にあるようなステージでの演奏だと思っていたら入ってみると、普通のライブハウス&バーレストランで、チケットとは別にテーブルチャージも必要な場所でした。それと、チケット売り場のお姉さんが新米だったらしく入る前に、とても長い時間待たされたりしたこともあっておさむは、入って席に着いてすぐに「もう出ようよ」と言い出しました。こういうおさむは、珍しいのですが、ごくたまに、何か気分を害するようなことがあると気持ちをすぐに切り替えることができないところがあるのです。(このあたりの調整はできるかも)私が「まあ予想とは違ったけれど、音楽はいいかも知れないわけだしこのままここにいようよ。もうチケットも買って中に入って、すでにワインも頼んだのだし」と言っても「まだライブは始まっていないから、チケットは払い戻しできるよ」と言って帰りたい様子なので、私もおさむがそこまで言うのなら、とそれじゃあ、このワインを一杯飲んでから出ようかという気持ちになっていました。と、そこに「きゃ~のりこさん、おさむさん」と言ってやってきたのは、いつもレイキやIHキネシオロジーのセッションに来てくれているダンサー&ヒーラーのKちゃん彼女を見た途端「ね、言ったでしょこれはやっぱり、このままここにいなさいということなのよ」と、おさむにささやきました。これまでの経験から言って、こういうケースで何かそういうシンクロが起こることが多いのです。Kちゃん曰く、Bella Gaiaは、とても素晴らしい音楽とのこと。それを聞いて、おさむもやっと腰を落ち着ける気になってくれて彼女が救世主に見えました。たまたま、私たちの隣が空いていたので、Kちゃんとその彼と4人で見ることになりました。この時間になると、テーブル席は一杯でKちゃんたちは、席を探していたのだそうでそれがたまたま私たちの隣だったのです。この日のメインのグループは、ミッキーハートというドラマーのバンドでBella Gaiaは、その前に行った3つのグループのうちの一つでした。ステージの上に大きなスクリーンを持ち込んで、NASAの映した地球や自然や人々の映像とともに、演奏が行われます。グループの中に日本人の琴の演奏者もいて、スクリーンに日本の風景が映し出されると、その映像とともに、日本の音楽を演奏したりエジプトの映像の時には、アラビックなダンサーが現れて踊ったりとても素敵なライブでした。ただ、ちょっと残念だったのは、PA(音響システム)があまりよくなくて聴きたい音が聴こえて来なかったこと。リーダーのKenji Willam さんの奏でるバイオリンを、もっと聞きたかったのですが。音楽は人を表しますが、Kenjiさんは、なんと言うのか謙虚なバイオリンを弾くお方。バイオリンは、ソロを取るし、私にとっては派手な楽器という印象が強いのですがKenjiさんのバイオリンは、派手な自己主張がなくてただ周りの音の一部として存在しているような印象なのです。きっと、そういう演奏を意図されているのでしょうがPAによっても、かなり印象は変わってきそうだなあと。またいつか別のステージで見てみたいな。こちらはその様子です。(バンドは暗くて上手く写らなかったのですが)さて、最後のトリである、ミッキーハートは、やはりすごかった~私は知らなかったのですが、彼はアメリカンロック、サイケデリックロックのカリスマ的ドラマーなのですね。演奏が’始まった途端、会場は一気に熱気に包まれました。若い人もいましたが、50代、60代の昔からのファンという感じの人が多かったです。PAも明らかにそれまでのバンドとは違っていてドヒャーンと大音量なのに、それぞれの音が立っていてクリア。メインだから変えているのかそれともバンドごとにPA担当が変わっているのかわからないのですが。音楽は民族的なパーカッションやリズムをフューチャーし様々な要素が入ったロック。普段、家では聴かない音楽なのですが、こういう生で聴くのは最高でした。おさむなんて、ついさっきまで帰ろうと言っていたくせに「あ~~もう幸せだ~」とか言いながら、全身ニコニコで踊っていて(はためには踊っているというより、へらへらふらふらしている、と言う感じなのですけれどね)誰よりも楽しんでいました。まったくもう人騒がせなどうやってこんな曲作りするのだろう、と後からおさむが言っていましたが全部が即興演奏のようでもあり、ボーカルの合わせ方などみると’すでに作曲されているもののようでもあり初めて彼の音楽を聴いた私たちには、よくわからなかったのですがとにかくバシーっと決まっていてかっこいい。リズムは、もう宇宙的。後で、宇宙のリズムを地球の音に翻訳しようと思っている、というミッキーハートのインタヴュー記事を読んだのですが、納得。たまには、こういうライブもいいですね。帰り道は、雲一つない夜空に美しい満月が輝いていました。実は、昨日、ライブの前の満月を見て気づいたのですが私は満月の日をすっかり忘れてしまっていて恒例の満月の遠隔レイキの会の案内を、送っていなかったのです。毎月の遠隔レイキの会を初めてから6年間旅行中でできなかったことは、ありますが満月を忘れるなんてことはなくて、ずっと遠隔レイキの会を続けていたのに、この日、すっかり忘れていたことにガーン。おさむが「これは、レイキマスターとして失格ですな」なんて、私のショックに塩を塗るようなことを言いつつも「いやいや、これはいい傾向だよ」と言うのですが。確かに、たまに遠隔レイキの会を開かなかったからと言ってそれほどがっかりする人もいないでしょうしどうして、一瞬ショックだったのかしら?と考えてみると私のレイキのクラスを受けてくださった方へのサポートのためということで始めたわけですがずっと続けているうちに、何があっても続けるという私の中では、野球選手が連続出場にこだわる感じだったのかも?、と。そう思うと、そんな(どうでもいい)こだわりをこれまで持っていたことが、おかしくなりました。ということで、これからは「気が向いたら行う満月の遠隔の会」にしようと人がマインド(幻想)から目覚めるお手伝いをしているヒーラー自身が、がんばってしまっていたり、変なこだわりを持っていたらどうしようもないですものね。どこまでも自分を受け入れ、自分を優先してゆきま~す♪さて、明日はどんな「おもしろい日」になるかしら
2012年01月09日
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最近「自分を優先する」というテーマでIHキネシオロジーのセッションを行うことが、不思議なくらい、いくつか続きました。これは、これからの新たな時代、ハートに従った生き方に変わってゆくための第一歩として、とても大切なことのように感じています。自分を優先するというのは、他の人をないがしろにするということではなく自分のやり方や生き方を尊重し、時には相手の意向に従うことができなくてもきちんと相手にそれを伝えたり、断ったりして自分が本当に心地よいと感じることだけをやってゆくということ。つまりは「いい人でいる」というマインドを手放すということなのです。昨年のマトリックスエナジェティクスのレベル3のワークショップの最中にリチャード博士が『Don't be nice!』(いい人でいるな)と叫んだ時に自己主張が強いアメリカ人でさえも、いい人でいようとする人は案外多いのだなあ~と思ったのですが和を尊重する日本人は、特にいい人でいようとする傾向があると感じます。でもハートに従うこと、愛の状態でいることは、いい人でいることとは全く別のことです。むしろ、ハートに従っていけば、一般的に言われるような「いい人」ではなくなってゆくのかもしれません。でも、結果的には、自分を優先する生き方をしていると本当に自分にとって心地よいことだけをやっていくことになるのでハッピーなエネルギーを持つことになり周りにとっても、よい影響を与えてゆくことができるのです。自分を優先できないでいると、引き受けたくないことを引き受けてしまったり相手にはっきりと自分の思いを伝えれなかったりしますがでも頭の中では、「あの人にはお世話になったんだし」とか「一度、約束したのだから、今さら断れないし」とか「これぐらいやるのは、たいしたことでないし」などと自分で自分を納得させるための理屈を、あれこれマインドは考えます。でも、本当の自分、つまり魂レベルでは納得していないので何かすっきりしないものをずっと持ち続けることになります。自分で引き受けておいて意識のどこかでは「なんでこんなことまでやらなければならないの?』なんて思っていたりするのです。一方で、ここで何度か書いていますが自分を優先しないで相手の意向に従うことが自分の存在価値を認めることにつながっている場合はもっと抱えている問題は根深くなります。つまり、相手に貢献したりサポートしている自分は価値があると潜在意識は感じていてもそうでない自分、何も貢献しない自分には価値を見出そうとしていないと自分を優先しないことが、自分にとっての安全になってしまうのです。そういう場合は、自分を優先するということよりありのままの自分の存在価値を受け入れることが先決になります。(IHキネシオロジーでは、両方を一度に調整できることが多いですが)自分を優先したりしたら、友人や家族から信頼されないのではないか?受け入れられないのではないか?と潜在的な恐れを持っている人は多いのですが本当に本音でコミュニケーションをすることができればお互いに信頼できる関係だけになるので、とても人間関係が楽になります。例えば、私が友人との約束を何かキャンセルしなければならないようなことがあったとしても信頼している友人なら、キャンセルしたことがその友人を認めていないからではないということをわかってくれているのを私は知っているので安心して自分の意向を伝えることができます。本音でしか人とつきあわない、と決めたら本当の信頼関係が生まれてくるのです。ですから、潜在意識が「自分を優先する」ようになるためにはまずは「人を信頼する」ということができていないと無理なのです。また、相手と意見や考え方が違うことを受け入れず、ただ自分の意見ややり方をつき通そうとしているのだったら自分を優先することより、柔軟性を持つことが先決になることが多いです。柔軟に様々な状況や人に対応することができた上で自分を優先する生き方ができていることが大切なのですね。本当の意味での、自分を優先する生き方ができるようになるにはいくつかの段階を経る必要があるなあと感じます。私は、ヒーリングのお仕事をすることは、今の私が最もやりたいことであり、喜びそのものですから仕事を優先する=自分を優先する、ということと限りなくイコールになっているのですが(おさむ曰く、私は仕事が趣味だと言うのですが)それでも、必要以上のことをやろうとする傾向が、以前にはありました。セッションやクラスの内容以外に関するメールでの質問に答えるなどということも、その一つです。それが相手にとっても、本当に必要なサポートではないことはわかっていても自分の時間を削ってやっていました。私は、昔からずっと何でも感じたままに、自分の想いや考えを伝える人だったのですが、なぜ、自分を優先しない部分ができたかというと正直に伝えたことが、相手に受け入れられなかったことが、何度があったからです。その頃は、私の伝え方も上手くなかったことも理由だと思いますが例え、相手がその時は受け入れてくれなくても、それはタイミングや時期もあり、どちらが悪いわけでもないわけです。でも、私の潜在的には、なるべく波風をたたせずにちょっと自分ががんばってやれることなら、なるべく相手の意向に添おうとする意識がいつのまにか芽生えていたのでした。でも、その思いを手放し、本当に自分を優先する生き方ができるようになってから、無理したりがんばったりする必要はなくなり本当に自分がやりたいと感じるところまでやれる自分がいました。「ごめんなさい、それはできません」と断ることがあっても断ったことにギルティも感じないし、そういうお願いをした相手に対しても全く何も思わなくてすみます。できないことはできないと、はっきりと断っていれば相手も、私が何かをやる時は、けして私が無理をしているわけではなく私がやりたいからだ、とわかってくれるので、逆に安心して、何か必要なことがあれば、私に頼むこともできるようになるのです。基本的に自分を優先できている状態で、他の人をサポートするのと自分を優先できていないから、他の人のサポートをするのとではやっていることは、一見同じようであっても、実は全く違います。自分を優先できていて、人を助けたりサポートするのは本当にそのサポートをすることが相手にとっても、また自分にとっても大切だということが、魂レベルでわかっているから。だから、例えサポートした相手から感謝されなかったとしてもそんなことは全く関係なくなります。自分を優先していなくて、相手をサポートしている場合には相手から感謝されたい、認められたいという気持ちが働いているのでもし、自分が思うような感謝を得れなかった場合には、気持ちが落ち込むようなことにもなります。そして、不思議なことに自分を優先した上で、人のサポートを行うことができるようになると「これが相手にとっていいだろう」という、頭で考えたサポートではなく本当に相手にとって、必要なサポートができるようになるのです。自分の生き方を優先し、人と本音のコミュニケーションがすること。これができるようになると、新たな世界ハートの世界に入ってゆくのです卒業、おめでとう~~(卒業と同時に、また新たな学びも始まるわけですけれどね)
2012年01月07日
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あけましておめでとうございます~とうとう2012年ですね。スピリチュアルな世界では、2012年は何年も前から話題になっていますがその2012年にとうとう入ったのだなあ、と感慨深いのと同時に、とてもわくわくしています。アセンションやマヤ暦やポールシフト、フォトンベルトなどいろんな説があり、人それぞれ何を信じるかは全く自由なのですが、私は2012年に人類が滅亡するとかは、全然信じていないですし、ポールシフトについても、いつかは来るのだろうなあと思っていますがそれが何年後になるのか、どんな風になるのかは、わかりませんからあれこれ考えても仕方ないなあと。ドランヴァロでさえ、実際のところは、どうなるのかわからないそうですし。ただドランヴァロが言われているように、2012年12月21日から地球が女性性の時代に入ってゆくという情報は私にとって、わくわくするので、信じているのです。今の社会を見ると、調和や平和に向かっているようにはとても思えないことも多いのですがのでも、一方で個人レベルでは人々が急速に目覚めへと向かっているのは日々、感じていますから。それと、アセンションに関して、苦しむ人と幸せの人と分かれるなどという選民的な捉え方をされる方もいらっしゃいますが私はそうは思わなくて、どんなことになっても、それぞれの魂の学びにとってベストの道に導かれてゆくと思っています。だから、焦ったり、がんばれない自分を責めたりする必要は全くないのです。むしろ、がんばらないことの方が大切ですね。天の祝福は、すべての人にふりそそいでいるのですから。2011年は、激動の年だったので既成の価値観が揺らぎ始めた人も多いと思います。そして、2012年はさらなる目覚めの年になるのかな~と。目覚めとは、幻想から抜け出て真の自分の生き方をするということ。最近、インテグレイテッドヒーリング、キネシオロジーのセッションでこの自分が持っていた幻想に気づいていく方が、とても多くなってきています。これは、ちょうど先日のセッションの後に頂いた感想です。シェアしてくださって、ありがとうございます先日はセッションありがとうございました。12月は本当に詰まった感じになっていて、ちょっと自分でなんだか良く分からない感じでした。でも、のりこさんとのセッションで一気に自分の中のハートに繋がった感じがしました。私の中で不明でもやもやしていた何かがぽこって取れて、彼に聞きたかった事とか、言いたかったけどどう話していいか分からなかったこと、それが、セッションの後、頭で色々考えなくても、彼に話している自分がいました。そして話を聞いてくれて、私を受け入れてくれている彼を見た時に、あー、あの詰まった感じは何だったんだろう、幻にしか思えませんでした。いつもセッションの後は感慨深いですが、今回もすごかったです。のりこさんと私の中の日本語の解釈が違う為に、のりこさんが心の中で聞くとオッケイなのに、のりこさんが口に出して私の身体に聞くとダメ出しが出てしまうのもすごいなーと思いました。以前にも書きましたが、キネシオロジーで調整しているのは言葉そのものではなく、エネルギーなので私とクライアントさんの言葉に対するイメージ(解釈)が違うと心の中で聞いた場合と、口頭で聞いた場合で身体の反応が変わることがあります。そういう場合は、クライアントさんが心地よく反応する言葉(エネルギー)を見つけるまで、あれこれ調べてゆきます。そして、この筋反射テストで身体が反応するのは、実はトラウマや傷というよりその人の魂の導きを防いでいる不要な信念体系や思い込み「幻想」なのです。どんどん自分の幻想に気づき、手放すたびに魂の導きに添って生きてゆくことができるようになります。最近、男性でもセッションに来られる方が急に多くなったのですがそれは、こういったヒーリングが単にトラウマを癒すためのものではなく幻想に気づき、本当の自分の生き方をするためのものだということを理解する方が多くなってきたからなのだなあと。友人やパートナーから勧められて、セッションに来たけれど自分には特に問題がありません、などと言われて来られた方のほとんどはセッションを通じて、自分が潜在的に持っていた思い込みや信念が本当の自分が進んで行きたい道を防いでしまっていたことに気づかれて、驚かれるのです。どうやって目覚めるか、どのぐらいの期間が必要なのかはそれぞれの魂が決めているのだなあと感じます。何年も瞑想やヒーリングをやっていても、ずっと幻想の中にいる人もいますしこれまで全く何もやって来なかったとしても何かをきっかけに一気に目覚める人もいるでしょうから。何年もかけることが、その人にとって必要ならそうなるでしょうしすべては完璧なペース。そして、この時代のエネルギー的なものがそれを加速させているのだなあと感じます。私も、今年さらに自分を解放してゆこうと。私の中に何か幻想があれば、ヒーリングセッションで他の方がその部分では目覚めれないということになりますしね。(まだいくつかワークする課題があるのはわかっているの)自分を解放するのは、修行でも何でもなくて結局、どこまでハッピーでいるか、ということなのですけれどね。今年、どんな冒険が待っているのかどんな方と出会い、つながってゆくのかこの年の終わりには一体、自分は何を感じているのか未知なる世界は、いつもわくわくです。この冒険をするために、ここに生まれてきたのですから。2012年、今年もみなさまにとって、素晴らしい年になりますように。今年もどうぞよろしくお願いいたします~~今年は龍。私は年女なの
2012年01月04日
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