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医者がいかがわしい仮面舞踏会に潜入するもののばれてしまって見知らぬ女に身代わりに償ってもらう話。●あらすじ35歳の子持ちの医者のフリードリーンと妻のアルベルティーネは仮面舞踏会で別のパートナーと楽しんだをきっかけにして互いに浮気しかけた場面を話し合って険悪な感じになる。フリードリーンは死んだ患者の娘のマリアンネに告白されるもののやんわり拒絶して、通りで学生組合のアレマン団に肘打ちされた後に人生に疲れて17歳の娼婦ミッツィに慰めてもらい、夜に家に帰る気にならずカフェにいくと友人のピアニストのナハティガルと再会して、裸の女が集まる謎の仮面舞踏会の話を聞き、危険を承知で僧服の衣装と仮面を借りて会場にもぐりこみ、見知らぬ女から帰れと忠告を受けるものの断ってその場にいたら合言葉を知らなくてばれてしまって仮面をとるように要求されると、見知らぬ女が代わりに代償を受けることを申し出てフリードリーンを逃がす。フリードリーンは深夜に家に戻り、アルベルティーネが見た変な夢の話を聞くと、アルベルティーネは恋人に抱かれて裸の男女の中にいて、つかまったフリードリーンの死刑判決が下される夢で笑っていたので、フリードリーンはアルベルティーネを憎む。翌朝フリードリーンは仮面舞踏会の真相と自分を助けた女の調査を開始する。●感想(ネタばれあり)フリードリーン視点の三人称。作者は1862年生まれのウィーンの医者兼作家で、内的独白での意識の流れの手法を先取りしていたらしく、この小説中でも使われている。池田香代子の訳を読んだのだけれど、くだけた口語の翻訳で、古い作家だけれど現代の読者でも読みやすい。しかし読みやすいからといって内容がよいわけでもない。謎の舞踏会は誰が何のために開いていたのか、フリードリーンを助けた女の正体は誰なのかという謎でうまく読者の興味を引っ張っていて、途中まではミステリとしてうまく物語を進めているものの、最後はアルベルティーネに仮面を見つけられて事情を話して夢みたいな出来事だったけどうまく切り抜けたしこれからは夫婦仲良くしようというオチで、真相を解明しないまま物語が終わってしまう。舞踏会の開催理由が不明、見知らぬ女がフリードリーンを助けた理由も不明、ナハティガルのその後も不明、ミッツィのその後も不明、アレマン団に喧嘩を売られたくだりやマリアンネの片思いが伏線になるわけでもなく、あちこちのプロットをぶんなげて未完成のまま無理やり物語を終わらせたような出来栄えで、手ぇ出すならしまいまでやれと釜爺みたいな小言を言いたくなる。脇役の活躍をからめて根気よく真相を調査する過程を書いていって長編小説にすれば現代に通用するミステリになっただろうに、せっかく作者が生きた同時代を舞台にして若い娼婦やら謎の仮面の裸女やらが跋扈するいかがわしい世界観を作り上げたのに素材を活かしきれておらずにもったいない感じ。ちなみにスタンリー・キューブリック監督の「アイズワイドシャット」の原作で、こちらは現代が舞台なので小説の退廃的ないかがわしさがなくなっていて私としてはつまらなさそうなのだけれど、難解な作品として映画通には評価が高いらしい。トレーラーに使われている曲はショスターコーヴィチのワルツ第2番で私の好きな曲である。★★☆☆☆夢奇譚 [ アルトゥル・シュニッツラー ]価格:411円(税込、送料無料)
2016.05.25
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少年少女の日常を書いた19作の短編・掌編小説集。鳥になった王子の話を聞いて鳥にパンをあげる少女、花が砂糖でできているかと思って食べようとする少女、少女の見ている前では犬を怖がらないように振舞う少年、軍人に憧れて戦争ごっこをする少年とかの子供らしいしぐさを書いた内容で、子供向けの若干の教訓を混ぜたスケッチのような出来栄え。1937年に三好達治が翻訳しているけれど翻訳がこなれておらず、訳者のあとがきによると小学生でもわかるような平易な文章で書かれているそうだけれど、「在方衆」とか「頑是ない」とか「突喊」とか、単語のチョイスが子供向けでないので現代の小学生は辞書なしでは読めないだろう。かといって大人が読んでもプロットもオチもないので物語として特に面白いわけでもない。フランスならではの風習が書かれているわけでもなく普遍的な子供らしさが書かれているので、フランス文学としても特に見所がない。現代の子供はアンパンマンのアニメやら知育アプリやらで育てられているし、いまさらこの本を子供に読ませようとする親はいないだろう。この本の内容が悪いというわけではないものの、子供の教育用の本としてはもう役目を終えていて、現代にわざわざ読むほどのものでもない。★★★☆☆
2016.05.19
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人体について骨格系、筋系、循環器系などと系統ごとに分類して解説した本。いかにも教科書的な構成で、各章の終わりに問題集がついている。本のレイアウトとしては面白みがないものの、医者になる人には役に立つのだろう。この本の第11版を古本で買ったのだけれど、どこかの学校の教科書として使われているらしくて前の持ち主が手書きであちこちの誤植を訂正していたので、新品で買うより得をした気分。情報量が多いのはよいけれど、体表面積の求め方の数式とか、糸球体濾過量の数式とか、一般人にとっては専門的すぎて知ったところでどうしようもない内容もあるので、医療関係者じゃない人が読んでもかえってつまらないかもしれない。★★★★☆
2016.05.19
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人体について骨格系、筋系、循環器系などと系統ごとに分類して解説した本。本のレイアウトが良くて、図が豊富で、重要語句は赤文字で強調されていて英語での名前もあって、ページの左右には用語の解説がある。図が多い分情報量は少ないけれど、包括的に要点を解説しているので初めて解剖生理学の本を読む人にはちょうどよい。家庭用医学辞典と一緒に家に置いておくと病気のときに役に立つかもしれない。さてなんで私が解剖生理学の本を読んでいるかというと、小説を読んでもつまらないし生活の役にたたなくて時間の無駄に思えてきたので、たまには何かしら役に立ちそうな本も読もうと思ったのだ。たいていの人は人体のおおまかな構成を保健の授業で習って知っていても、腕にある二本の骨のうちのどっちが尺骨でどっちが橈骨かとかの詳しいことは知らないし、人間を解剖したことがある人は医者か猟奇殺人犯くらいで実際に解剖してみるというわけにもいかないので、解剖学の本を読んでみることにしたのだった。小説よりは役に立ちそうでたいへん満足な読書だった。私は昔はミステリ好きだったので犯罪学の本も読んでいたのだけれど、頭蓋骨の乳様突起で白骨死体の性別を見分ける方法が書いてあって、男性の乳様突起が女性より大きいというのを覚えている。この本は骨盤の性差は説明しているけれど、頭蓋骨の性差までは説明していない。女性のほうが男性よりもあごが細かったり頭が小さかったりして、素人から見ると頭蓋骨はけっこう性差が大きい部分のように思えるのだけれど、解剖学的にはたいした違いじゃないということなんだろうか。★★★★☆
2016.05.19
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対豚戦争が起きて老人たちが若者たちに殺される話。●あらすじ年金暮らしの貧乏な中年イシドーロ・ビダルは歯医者で入れ歯にした後、カフェでジミー、アレバロ、レイ、ネストル、ダンテたちとカードで遊んだ帰りに新聞売りのドン・マヌエルが若者たちに殺されるのを目撃する。その後も車をのろのろ運転していたウベルマンが若者に襲われて死亡し、ファレルに扇動された若者たちは役立たずの老人が増えることに絶望して徒党を作って老人を襲っていた。ビダルの息子のイシドリートは家に若者たちが来るときにビダルを天井裏に隠すものの、若者たちにそれがばれてイシドリートは微妙な立場に追いやられる。レイはラブホテルに投資する下見にビダルを連れ出して娼婦といちゃつき、ビダルはレイの老いを感じる。ネストルは息子とサッカーを見に行って暇な若者の標的にされて顔を潰されて殺される。新聞は若者が老人を殺しているのを対豚戦争と呼び、政府は青年将校の人気を失うのを恐れて積極的な対策はしなかった。ネストルの通夜でジミーが青年団に拉致され、ウベルマンの娘のマデロンはビダルが次のターゲットにされていると教えてビダルとやりたがるもののビダルは逃げる。老人たちは車でジミーを探しに行くものの老人狩りに遭遇して、ビダルは一人で逃げて家でネリダに会うと、ネリダはマデロンに惚れているボグリオロが甥を使ってビダル密告していると教えて、ビダルはネリダを好きだと打ち明けて一緒に寝て、ネリダも彼氏よりもビダルを選んで、引っ越して一緒に暮らそうという。翌朝ファヴェールが若者たちが押し入ろうとしたから天井裏に隠れるように忠告して、ビダルは天井裏に隠れた後にネリダの家に避難する。ネリダが彼氏と別れ話をしに言っている間、ビダルは近所のダンテを訪ねてジミーが無事だと聞き、レイを訪ねて事情を聞くと、ジミーは逃がしてもらう代わりにアレバロを差し出してアレバロは病院送りになっていたので、三人で見舞いに行く。ビダルがネリダの家に戻ってもネリダが帰っていなかったので探しに行くと、ネリダもビダルを探し回っていて、ビダルは息子を見かけたと思ったら息子は裏切り者を始末しようとしたトラックにはねられて死に、数日後に対豚戦争は終わる。●感想ビダル視点の三人称。若者に狙われておびえる老人たちの様子を書いていて、次々に事件が起きるスリルがある展開はよい。しかし戦争というものの老人たちが反撃もせず若者と対話もせずに一方的にやられっぱなしで主人公らしい活躍がなく、若者への処罰も老人への補償もなにもないままあっけなく戦争が終結して、ビダルとボグリオロの対立も決着がつかないまま、本質的な解決に至らないまま物語が終わるのはよくない。中年の主人公が年下の女性にモテモテで濡れ場もあるけれどそこは物語として面白いわけでもないし、メインの戦争部分をほったらかして戦争とは関係のないビダルとネリダのメロドラマとして終わって着地点がおかしい。豚の戦記というより豚の恋愛記になっている。年齢が書かれている登場人物がいる一方で年齢不詳の登場人物が大勢いて、情報量がばらばらなのはよくない。主人公のビダルでさえ情報不足で、息子がいるのに奥さんの情報がなく、年金をもらう前は何の仕事をしていたのかも不明で、貧乏なくせにやたらと女にもてるのも謎。ビダルが他の老人仲間よりも若くて60代にはなってないというのが判明するのが後半になってからで、ただでさえ登場人物が多いのに、説明を加えるタイミングが悪いせいでいっそう人物像を把握しにくくなっている。昔の老人と現代の老人の寿命と健康度合いが違うせいもあるけれど、冒頭でビダルが総入れ歯にしているし年金暮らしをしているから70代くらいかと思って読んだら人物像がまったく違っていた。現代人で60代になってないのに総入れ歯という人はあまりいないだろうけど、昔の人は栄養や医療が悪くて老けるのが早かったということなのだろう。読者はエスパーじゃないのだから年齢とか仕事とかの基本的な情報は早めに出してほしいもんである。アルゼンチン史を調べてみると、第一次戦争前の西洋人の移民ラッシュで富裕国になってブエノスアイレスは南米のパリと呼ばれるようにものの、第二次世界大戦以降はクーデターで政権が変わって、1955年に政権をとったロナルディ将軍と、政権を追われたペロン大佐を支持するペロニスタが対立してテロが多発して、1960年代には戦後に経済成長した日本や韓国などに追い抜かれて先進国から没落していく。そのときのアルゼンチンの混乱した時世を反映した物語になっていて、訳者の解説によるとこの小説は巷で話題になってビオイ=カサレスブームが起きたらしい。50年ほど前の1969年に書かれた小説だけれど、役に立たない老人をどう処遇するかというのは現代にも通じるテーマで、老人の寿命が延びて延々と痴呆老人の世話をしないといけない現代のほうが切実な問題かもしれない。日本でも若者のホームレス狩りや親父狩りは起きているし、バブルで稼いで終身雇用で退職金をもらって逃げ切って年金を貰っている老人層と、資産もなく雇用が不安定で年金をもらえる見込みのない若者との格差が広がりつつあるので、若者の老人狩りが起きる素地は十分ある。日本の小説だと姥捨てのテーマが多かったけれど、今後は老人狩り小説が増えるのかもしれない。★★★☆☆豚の戦記 [ アドルフォ・ビオイ・カサ-レス ]価格:668円(税込、送料無料)
2016.05.14
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少年時代にサッコ・ヴァンゼッティ事件を経験したロシア系ユダヤ人のヤリチンのおっさんの半生を書いた話。●時系列順のあらすじユダヤ人のフェデロフ一家はロシアからニューヨークにやってくる。1927年にベンジャミンが13歳のときに弟のルイスとキャンプに行き、年長組みのボンボンのコーンと出会ってベンジャミンは反発する。キャンプの終盤にコーンは野球をやめてミュージカルをみて女の子とパーティーしようと計画するものの、ボストンにはサッコとヴァンゼッティの処刑をめぐってアナーキストが世界中から集まっていて、二人が処刑されてボストン行きは中止になり、ただ一人野球をやりたがったベンジャミンはハブられてコーチのブライアントに見下される。1931-34年にはベンジャミンは大恐慌の最中になんとか自活して、大学で会ったパトリシアと仲良くなるものの、彼女と新年のパーティーに行くのを断ってウェイターのバイトをしたらブラックバイトだったので密造酒を盗んで逃亡する。パトリシアが引っ越したのでそのまま別れ、ベンジャミンはメンヘラーのプレンティスと情事をして結婚を迫られるものの断る。ベンジャミンは体格が良すぎるせいで身体検査に落ちて教員職に落ちる。1932年にベンジャミンはキャンプの指導員をするものの、同僚のシュウォーツが溺死する。1933年にベンジャミンがフットボールをする。1942年に28歳のベンジャミンは20歳のペギー・ウーダムとエッチして結婚して新婚旅行したあと、ベンジャミンがイングランドに派兵されてから3年間は妻とは会わず、離婚したリーと再開してエッチする。1944年にベンジャミンとルイスが戦場で再会する。1946年にブライアントと会ってコーンが戦死したと聞く。1948年にはベンジャミンはペギーが束縛するのに嫌気がさしていてリーと不倫を続けていると不倫がばれて、昔惚れたジョーン・バークスとパーティーで再会して夕食に誘おうとするもののペギーが邪魔をして、ペギーと仲直りする。リーがスタフォードと再婚して不倫はやめる。1957年に父親の葬儀をして、ジョージ叔父さんに会い、弁護士のスタンバーガーからサッコ・ヴァンゼッティ事件の話を聞き、翌日パーティーで若い人に話をしてもサッコ・ヴァンゼッティ事件を知らないことに驚く。1959年にペギーとパリに行って交通事故にあう。1964年にベンジャミンは息子のマイクルの野球を見に行き、荒れた海で泳いでいる少年を見てメンバーについて考える。●感想三人称。1964年に50歳のベンジャミンが息子の野球を見ている場面を軸にして、何度も過去に時代が飛んだり1964年に戻ったりする構成。作者はベンジャミンが野球を見ている間に人生のいろいろなことを思い出すということをやりたくてこういう構成にしたのだろうけれど、映画のようにフラッシュバックで現在と過去の場面が連続するなら面白いのだろうけれど、小説だと場面が途切れてしまって1964年の場面がおろそかになっていて読みにくいだけで面白さにつながっていないので、普通に時系列順に主人公の半生を丁寧に書いたほうがましだったかもしれない。他の欠点としてはベンジャミン・フェデロフをベンジャミンと書いたりフェデロフと書いたりしていて、父親の死後はフェデロフになっていて区別しているようだけれど読みにくい。野球の絵が表紙で野球をしている場面から小説がはじまったからおじさんの青春時代を回想する青春野球小説かと思ったら、どういうわけか前半はイケメンヤリチンがやりまくる話になっていて、その割には心理描写が乏しくて美人につられてほいほいエッチしているだけで教養小説というほど主人公の内面の成長が見られないし、恋愛小説というほど恋愛の駆け引きが書かれているわけでもないし、中盤からはユダヤ系の話題が中心になって、終盤では兄弟の物語になって、小説の焦点がちぐはぐ。人生の様々な側面を書こうとしてどれも中途半端なまま終わったような感じで長編小説としての読み応えが乏しい。最後にベンジャミンがメンバーとメンバーでない人を分類していて、おそらくこれが物語のオチなのだろうけれど、読者に対して説明不足で、メンバーが何を指すのか、どういう基準でメンバーを選ぶのか意味がわからない。アーウィン・ショーはロシア系ユダヤ人で主人公のベンジャミンとほとんど同じ年齢なので、作者の経験が小説に反映されているのだろう。1965年に書かれた小説で、出版当時のアメリカ人の中年読者にとっては若者がサッコ・ヴァンゼッティ事件を知らないとか大恐慌時代のブラックバイトとか野球とフットボールに熱中したとかの話題に共感できるのかもしれないものの、現代の日本人読者にとってはそのノスタルジーの部分が面白さにつながらない。★★★☆☆夏の日の声 [ ア-ウィン・ショ- ]価格:419円(税込、送料無料)
2016.05.11
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輸入豚肉に対する差額関税はおかしくて、安く輸入するほど関税が高くなってしまって企業努力が無駄になるし、消費者の利益にもならないし、国内メーカーの業績が悪化して豚肉の需要が減ると長期的には国内生産者の利益にもならないので、差額関税を廃止して適正水準(10%)で従課税にするべきという主張を展開した本。輸入業者は加工用の安い部位だけほしくても関税が高くなってしまうので、安い部位と高い部位を組み合わせるコンビネーション輸入で関税を抑えていて、さらには架空の仕入れ価格を上乗せして本来払うべき差額関税を払わない脱税の温床にもなっている。差額関税制度の問題点を箇条書きにすると、・かたロース、ロース、ヒレに日本人の嗜好が偏っているにもかかわらず、明治政府が作った日本にしかない枝肉の取引を基準にして消費者の部位別の嗜好を理解しないまま差額関税制度が作られていて、現代の消費の実態にあわない。・コンビネーション輸入のせいで高級部位が余って国産品の高級部位の価格が下がって国内生産者も損をしている。・コンビネーション輸入についての解釈は各地の税関によって異なり、輸入業者が混乱している。政府もガイドラインが出せず、差額関税制度が形骸化している。・差額関税制度は為替の変動を考慮しておらず、一本価格で買っても輸入申告時に為替変動で円建ての価格が下がってしまうと部位別の差額関税を適用しなければならずに関税額が跳ね上がる場合があり、輸入業者のリスクが大きい。・輸入業者がリスクが大きい豚肉の輸入をやめてしまうと国産豚肉の価格が高騰して豚肉が食べられないようになり、豚肉産業全体が衰退する。・差額関税制度があっても豚肉の自給率は下がったので結局国内生産者の保護の役に立っていないし、おかず用の輸入豚肉とご馳走用の国産豚肉の住み分けが既にできているので保護は必要ない。過保護にされることで生産者の競争力がつかなくなる。・ハム、ソーセージの原料の82%は輸入豚肉だが、18%は国産豚肉の脂が使われているので、国内メーカーの加工品が売れなくなると国内生産者も困る。・差額関税制度で加工品の原料になる安い部位の関税を上げても、従価税の加工品の輸入が増えて地元の中小加工メーカーが淘汰されると地産地消ができなくなり、中国産などの安い加工品の輸入が増えて安心して国産品を食べたい消費者の不利益になる。データに基づいて差額関税制度の問題点を主張している点はよいものの、この本の主張は、豚肉は消費量が多い→国産だけでは豚肉が不足するので輸入がないと成り立たない→差額関税のせいで輸入業者のリスクが大きい→差額関税を撤廃するべきという流れになっているけれど、豚肉は消費量が多い→国内生産量を増やして食料自給率を上げるべきという方向にも議論できるはずなのに、差額関税の厳格運用を求める養豚協会の主張を載せないあたりは説得力がない。仮にこの本の主張が正しくて差額関税を撤廃したほうが国内生産者の利益になるとしても、差額関税で保護されていると思い込んでいる国内生産者が意見を変えない限りは差額関税制度は撤廃されないだろうから、生産者の意見を聞いて説得するべきなのに、輸入業者や国内加工メーカーの利益ありきで生産者や消費者を無視して一方的に論を展開してしまっている。いち消費者の私としては差額関税以前に輸入品の安全性をどうにかするのが先じゃないかと思う。中国産のダンボール肉まんとかメタミドホス餃子とかマクドナルドの緑の鶏肉とかマラカイトグリーンうなぎとかの問題がいつまでもなくならなくて、豚肉に限らず輸入食品の品質管理ができてないし、質の悪いものが安い関税でどっちゃり輸入されて国産品が淘汰されてしまうほうが消費者としては困る。★★★☆☆豚肉が消える [ 食肉の輸入制度・流通を考える会 ]価格:925円(税込、送料無料)
2016.05.09
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日本初の三元豚を作り出した平田牧場の創業者の新田嘉一の自伝。米農家の地主の長男なのに父親に反発して養豚を始めて、日本初の三元豚を育成してブランド化したり、赤伝票をよこして買い叩く中内時代の全盛期のダイエーとの取引を切ったり、無添加ソーセージに挑戦して赤字を抱えたりして何度も資金繰りに困りつつも成功したという苦労話や、中国との東方水上シルクロード航路を開拓して外交に貢献したり、地元に空港や大学を作ったり、絵画を寄付して文化保持に貢献したりしたという話が書いてある。地方で成功した実業家はあまりいないので読み物としてはそれなりに面白いけれど、牧場の広さとか豚の飼育頭数の推移とか、客観的なデータがないのは物足りない。2009年にカンブリア宮殿で平田牧場を特集していて、この本は放送後の2010年に出版されている。ただの経営者というより、地元の文化への貢献が大きく政治にも口を出す郷紳といえる。一次産業は土地がないとできないので、なおさら地元への貢献意識が強いのかもしれない。各地方都市にこういう実業家が増えれば日本も面白くなるだろうに、人材も資本も東京に一極集中している現代だともう地方から頭角を現す実業家は出てこないのかもしれない。★★★☆☆平田牧場「三元豚」の奇跡 [ 新田嘉一 ]価格:1512円(税込、送料無料)
2016.05.09
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日本初の三元豚を作り出した平田牧場の創業者の新田嘉一の人物評とインタビューを載せた本。平田牧場の現社長の新田嘉七へのインタビューも載っている。酒田市に縁のある人たちがインタビュアーなので、基本的に新田嘉一アゲの内容になっている。新田嘉一は気性が激しくて敵も多いそうだけれど、インタビューで味の素が三元豚をぱくったことを批判したり、ダイエーの生産者軽視姿勢を批判しているあたりに気性の荒さが垣間見える。『平田牧場「三元豚」の奇跡』には書かれていない馬主としての側面、中国との東方水上シルクロード航路の開拓の詳細、絵画コレクターとしての側面が掘り下げられているので、これを単体で読むよりも『平田牧場「三元豚」の奇跡』の補足的な本として読むとよいかもしれない。★★★☆☆三元豚に賭けた男新田嘉一 [ 石川好 ]価格:1620円(税込、送料無料)
2016.05.09
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牛、豚、鶏がどう飼育されて解体されて食材になるのかということを農学や生物学的なアプローチで書いた本。畜産ビジネスについての本ではなく、どういう工場で加工して製品化して流通するかとか、糞をどう処理しているのかとか、畜舎のランニングコストはいくらだとかの情報は乗ってないので、そういう情報がほしい人は別の本を読んだほうが良い。ユーモアを混ぜた文章で、品種の違いとか、繁殖方法とか、雑種強勢とか、鶏が卵を産む仕組みとかを説明したりしていて、雑学としても面白い。漫画の『銀の匙』にも子豚を育てて売るまでの様子が書いてあるけれど、食肉になる動物がどう飼育されているかというのに興味がある人は読んでも損はない。個人的に面白かったのは鶏の卵について書いてある部分で、鶏が卵の殻をつくるためには血中の二酸化炭素濃度を高くする必要があるけれど、夏には高温で鶏の呼吸数が高まって二酸化炭素を多く吐き出してしまって卵の殻が薄くなるらしい。私は夏に卵を買って殻にひびが入っているのに気づかずに腐らせてしまってひどい目にあったことがあるので夏に卵を買うのは敬遠していたのだけれど、殻が薄くなっているというのは初耳だった。さて私がなんでこの本を読んだかというと、アメリカ産の四元豚の豚バラ肉を安さにつられて買ったものの匂いがケモノ臭くて食えたもんじゃなくて衝撃を受けたので、ちょっくら豚肉について調べることにしたのである。結局この本を読んでもアメリカ産の四元豚がくそまずかった理由はわからずじまいで、ネットで調べたところ去勢してない雄豚は臭くなるらしい。優秀な種付け係以外は雄って役に立たないどころか去勢までされちゃうのだな、とハーレム漫画よりもひどい世界を見た気がしたが、おいしい豚肉になってもらうためには去勢してもらうしかない。国産豚で臭いのに当たったことはないから、たぶん国産豚はアメリカの豚と違ってちゃんと管理されてるから臭くないのだろう。アメリカだと豚の飼育環境が劣悪で、大量の糞がラグーンに溜め込まれていて洪水で川に流れたりして汚染源になったりするらしい。三元豚だろうが四元豚だろうが管理状況がよくないとまずくなるということは、やはり生産者の情報も出してほしいもんである。アメリカはベーコンの本場なのでちゃんと飼育された豚肉もありそうなものだけれど、パッケージにアメリカ産としか表示されていないならケモノ臭いはずれを引かないためにもアメリカ産は全部避けるしかない。野菜が産地や生産者の情報まで出してるのに対して、スーパーの食肉の扱いはひどい。肉も国産、アメリカ産とかの大雑把な産地でなくて、○県産だとかアメリカ○州産くらいの産地は表示してほしいものである。★★★★☆食べ物としての動物たち [ 伊藤宏 ]価格:1015円(税込、送料無料)
2016.05.09
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ニートが浴室で過ごしたり旅行したりする話。●あらすじパリ:27歳のぼくは午後を浴室で過ごすようになってのんびりしていると、同居する恋人のエドモンドソンが部屋の壁にペンキを塗るために二人のポーランド人を雇ってタコを料理して一緒に食事する。直角三角形の斜辺:ぼくは突然誰にも言わずにイタリアに出かけてホテルに泊まると、エドモンドソンがホテルにやってきてパリに帰りたがって険悪になり、ぼくはエドモンドソンの額にダーツを全力で投げつけるもののエドモンドソンは病院に運ばれて助かる。パリ:エドモンドソンは一人でパリに帰る。ぼくは副鼻腔炎になって病院にいき、ドクターとテニスをしてからパリに帰って浴室に入る。●感想「ぼく」の一人称で、パリ、直角三角形の斜辺、パリ、という3部構成。文章は箇条書きのようにひとつの話題ごとに番号を振る形式。ヌーヴォー・ロマンらしく構成は実験的で心理描写もプロットもなく、ポーランド人との食事だのドクターとのテニスだのという普通の小説なら削られるどうでもいいような場面をわざわざ書いている。一人称なのになぜ語るのかという動機がつきつめられていないし、働いている様子もないのに生活費や旅費をどうやって捻出しているかも不明で、「ぼく」の正体が不明であるがゆえに物語全体にリアリティがない。内容は「ぼく」が理由もなく意味不明な奇行をするどうでもいい日常をポップに書いた感じで、「ぼく」が何をしたいのかさっぱりわからない。この「ぼく」が自分の奇行を一人称で語る行為は、現代人の感覚としてはDQNニートが「風呂場で生活してみた」「ポーランド人とタコを食ってみた」「彼女の額に全力でダーツ投げてみた」「ドクターとテニスしてみた」というくだらない動画をYouTubeやニコニコ動画にアップして悦に浸っているような感じで、見ているほうがいたたまれなくなる。DQNニートの自己表現という点では時代を先取りしていたのかもしれないものの、そんなものを先取りしてもしょうがないだろう。1985年に著者が28歳のときに出版された処女作で、17カ国で翻訳されて大ヒットしたらしい。ヌーヴォー・ロマンやらポストモダニズムやらが流行っていた頃はこういう気取った悪ふざけがうけたのだろう。私にとっては特に面白い点はなく、わざわざ読むほどの価値はなかった。★★☆☆☆
2016.05.03
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昭和53-63年に書かれた7作の短編集。「闇にひらめく」は鰻屋の昌平が桂子に惚れられるものの、妻と間男を刺した前科を隠していたので恋心を抑える話。訳あり男と健気な女という定番恋愛パターン。「研がれた角」は道楽で闘牛を育てている富太郎が息子の隆夫と家事手伝いの加代と牛を育てたり闘牛に出したりする話。「蛍の舞い」は俊一郎が同僚の峰子と結婚するものの峰子が部下の藤川と浮気したので会社を辞めて離婚して、故郷で姉と暮らしているうちに蛍の人工飼育に興味を持って蛍の飼育をはじめると、姉に茶道を習っている宮子との縁談の話がくる話。弁護士を通さず慰謝料や財産分与の話もしないで離婚届を突きつけるというのはリアリティがない。間男に制裁もせずに面子を守るために会社には原因を秘密にしたまま仕事をやめるというのは面子を守るどころかむしろ尻尾を巻いて逃げたヘタレだろう。「鴨」は鴨猟師の綾次郎と息子の民雄が川で入水自殺しようとしていた久子を家に連れて行くと、なんでもするから家に置いてくれというので仕事をさせると、民雄が久子に惚れる話。親方、川から嫁候補の女の子が!というご都合主義展開で興ざめする。「銃を置く」は三毛別羆事件を5歳のときに目撃した弥一郎が猟師になって67歳で最後に羆を撃って引退する話。羆ネタの使いまわしのようでたいして面白くない。「凍った眼」は島岡と息子の浩一は錦鯉を養殖していたものの、客の丹野が錦鯉を飼っていた床下の水槽で溺死したのでその錦鯉を引き取る話。「海馬」は26歳のトドハンターの卓夫と船頭の鳴尾が羅臼でトド猟をしていると、卓夫の師匠の梅太郎の孫の由起子が東京に行ったもののレイプされて戻ってくる話。構成がごちゃごちゃしていて読みにくい。●感想大半は登場人物の職業がプロットに活かされるというわけでもなく恋愛を成就させて落ちをつける恋愛小説で、プロットとしては面白くない。ヒロインたちが控えめで自分の意見を言わずに男に従う人たちばかりで、恋愛オチ要員として無理やり物語にぶっこんだ感じで登場人物としてリアリティがない。昭和的ステレオタイプなけなげな女性像を物語に投影しただけで、漫画やアニメの萌えキャラやツンデレキャラが不自然なのと同様に、生きた人間を描写していない。「闇にひらめく」は昌平の妻が浮気、「研がれた角」は加代の婚約者が浮気して婚約破棄、「蛍の舞い」は俊一郎の妻が浮気して離婚、「鴨」は久子の父が浮気して久子が自殺未遂、「海馬」は由起子がレイプされる、という具合にどれも訳ありの男女がねんごろになるのを男性視点で書く展開で、恋愛小説として発想が乏しくワンパターン。恋していることを「特殊な気持ち」という言い回しで表現するのもワンパターン。男性の私でさえつまらないのだから、恋愛好きな女性読者ならいっそうつまらないだろう。恋愛以外の小説は「銃を置く」と「凍った眼」の2作しかない。各分野のプロに取材して特殊な仕事の様子の細部を書いているあたりは唯一面白い部分なものの、取材したことを全部書こうとしたのかプロットに関係ない情報まで入れているあたりは若干邪魔くさい。せっかく特異な仕事に焦点を当てたのにとってつけたような余計な恋愛要素のせいでむしろ平凡な小説になってしまった。下手に恋愛小説にするくらいなら取材したことをそのまま書いてエッセイとして仕上げたほうがましだった。★★★☆☆海馬(トド)【電子書籍】[ 吉村昭 ]価格:432円
2016.05.01
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