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2008年1月1日
10時過ぎヒザン君の家を出て11時ごろKLIA(マレーシア国際空港)に到着。
空港近くの青いドーム屋根のモスク。
空港到着。
ヒザンファミリーとの最後のお別れ・・・
ヒザン君と初めて会ったのは今から10年前1998年のこと。
市の国際交流フェスティバルに出かけたときマレーシア留学生のブースにヒザン君はいた。
マレーシアの民族品を前にして話したとき、とても感じが良くて話が弾み、別れ際に何かあったら連絡してねと連絡先を書いて手渡した。ふた月ほどしてヒザン君から手紙が来て、嬉しくてすぐ返事を書いた。それが出会い。彼がまだ大学3年だった頃・・・
それからときどき手紙のやり取りしたり、家にも食事に招いたりした。
翌年の大晦日の夜、遊びにおいでと招待すると、友達も一緒にいいですかと連れてきたのがファラさん。彼女は1年生だった。とても仲良い二人の雰囲気にほのぼのとした温かさが伝わってきた。(彼女ができてよかったね、と親心の気分)
翌年3月卒業のヒザン君は、エプソンに就職が決まったといったきり連絡なく日が過ぎて、もう会うこともないんだろうと寂しく懐かしんだ。一言さよならぐらい言ってほしかったな、と思いつつ・・・
それが9月ごろたまたま仕事の用事で大学の側を通りかかったとき、向こうから歩いてくる青年が、え~?あれはもしかしてヒザン君・・・? 似てる・・・でも今はもう帰国してるはずだし・・・と思いながら近づいていくと、やっぱり本当にヒザン君だった。もうビックリ!!!!
「どうして?」「どうしたの?」と矢継ぎ早に聞くと、彼はテレながら、「実はファラと離れられなくて、仕事やめて戻ってきました」とのこと。以前は工学部に籍を置き卒業したのに、今度はファラさんと同じ経済学部に聴講生と通っているということだった。なんと!!!!
愛の力は大きいのね、と感心するやら、せっかく入ったエプソンを辞めるなんてもったいないと思うやら、でも、こんなふうに思いもかけずに再会できるなんてと、不思議な縁の深さを思ったり、一人感激したのだった。
しばらくしてもらったメールには、驚くことが書いてあった。
『実は僕たち、もう結婚したんです。2月に子供が生まれるんです』
え~!!!!とまたまたビックリした私。
そうか~もう結婚してたんだ~なんておめでたいこと・・・
その後二人にお祝いしましたよ。
翌年2002年2月に生まれたのがバルキスちゃん。
偉いな~、留学生で勉強しながら赤ちゃんを育てるなんて、と異国で子供を生み育てることの大変さを思いつつ、若いってすごいなと感心した。
そのヒザン君たちが帰国したのは2003年の3月。ヒザン君は経済学部の大学院を修了し、ファラさんも卒業を迎えた。お互いに忙しくて会う暇なく最後の電話は帰国の直前、空港に向かうというときだった。
これでお別れ。元気でね。また連絡ちょうだいね。私もするから。と言って電話を切った。
その後、忙しいことにかまけてメールは出さなかったし、ヒザン君からも来なかった。
2005年に久しぶりにメールを出してみたが返事はなかった。返事がなく連絡が取れないと思うと無性に消息が気になり、知り合った大学の留学生にヒザン君のこと知ってる人がいないか尋ねてもらったりした。でもわからなかった。無性に会いたかったけど、もう2度と会えないんだと思い、縁が切れたことを悟った。
そして去年2007年の3月。タイ行きを決めた一ヵ月後にヒザン君からメールが来たのだ。実に4年ぶりの消息だった。嬉しかった・・・・
別れるとき、そんなことを思い出しながら、どうして4年もたって急にメールくれたの?と聞いたが、ヒザン君はわからないと首を振っていた。
わからなくてもいい。そのメールのおかげで、こうして5年ぶりに会えたのだから。
ありがとう。本当にありがとう。
胸がいっぱいになった。
3日間、精一杯私たちをもてなしてくれたヒザン君、ファラさんの思いが、温かく私の胸に伝わってくる。
「また、きっと会えるよね。忘れないから・・・」とファラさんと固く抱き合って別れに浸った。涙が込み上げた。
搭乗ゲートをくぐり登場口に向かう私たちを、いつまでも手を振って見送ってくれるヒザンファミリー。本当にありがとう。さようなら~
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