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金曜日なら南柏の職場へ出勤するが、ブランチを摂るために柏を降りた。 天気が良くないが何とか歩行で1ヵ月ほどぶりのAKEBIに到着。いろんな選択肢があるが、2ヵ月以上ぶりの特製中華そばの食券を購入してから着席。 しばらく待ったらご対麺。 濃い目の醤油タレと、鶏油、出汁のコクがかなり合う。トロトロ系ではないのに味がかなり濃い目とはすごい。青ネギも薬味としてスープとの相性が良い。ストレート細麺はスープとの絡めと歯切れがよい。味付けの良いレア、肩ロース、バラチャーシューは少々小さくなったが、ちょっと厚くなったため歯ごたえと歯切れがよい。 おいしかったね。淡麗系のように見えるが実に凶暴的なのに食べやすい味だ。久しぶりにレギュラーの中華そばを食ってもやはりすごい味だとしか思わない。次回の訪問でまた何を食うか悩むね。ご馳走様。
2024.05.31
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平日の休日だが、土日の勤務でいろんな作業を今日にテレワークで対応しなくてはならないので、あまり遠い所へ行けない。 2週間ぐらいぶりの亀有を降りた。 年度末以来の「中華そば 敦」に入店。ランチタイムの混雑時間帯の直前なのでまだ大丈夫だ。「煮干しそば 塩」、味玉、チャーシューの食券を購入。煮干しそばの醤油は去年10月にいただいたが、塩は2年ほどぶりだった。 しばらく待ったらご対麺。 トロトロしたのではないが、濁ったスープは煮干し油と煮干し出汁のバランスがよく、煮干しの旨味とコクがしっかり味わえたのだ。タマネギの酸味と塩味の煮干しスープとも合う。平打ち縮れ中太麺は絡めもいいしコシもある。値上げだが、敦に来たらチャーシューを頼まないとダメだ。チャーシューは小ぶりだが歯ごたえ、歯切れ、味付けのいずれもよい。 おいしかったね。鶏煮干味がうまいが、煮干しのみの味もレベルが高い。余裕があればもっと通いたいもんだ。ご馳走様。
2024.05.30
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急にワンタンを食いたくなったため、湯島を降りた後にすぐ御茶ノ水界隈へゴー。 1ヶ月以上ぶりのこうや麺房に入店。開店直後なのにすでに先客がいた。ワンタン麺、醤蛋を注文。というか、注文する前に女将さんはすでに伝票の記入を始めていた。 しばらく待ったらご対麺。 白醤油を使用する豚骨スープはコクがあり、塩気が突出しているものの食べやすい。万能ねぎは量がやや少なくなったが、薬味としてスープとの相性が良い。縮れ細麺は茹で加減が柔らかめだが、適度なコシが保っていて、スープとの絡めがよい。ロールチャーシューは歯切れと味付けがよい。表面は少し炙りの後もあったね。肉ワンタンは皮がもちもちして、肉餡が大きい。 おいしかったね。さすがこうや系の老舗で、肉ワンタンだhsもちろん、豚骨醤油スープの味もハイレベルだ。ほかのメニューにもチャレンジしようかと思っているが、いつもワンタン麺に惹かれてしまった。次回もそうであろう。ご馳走様。
2024.05.29
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火曜日なら南柏の職場へ出勤するが、ブランチを摂るために柏を降りた。天気が悪いので、駅近にあるお店へゴー。 2週間ぶりの「兎に角 柏店」に入店。何を食うかちょっと悩んだら、ラーメン(普通)、チャーシュー1枚、くん玉の食券を購入してから着席。 しばらく待ったらご対麺。兎に角のラーメンは1ヶ月半ぐらいぶりだった。 濃度と粘度が高い動物魚介系のスープは塩気も少々重いがこってりしたのに食べやすい味だ。ネギも薬味としてスープとの相性が良い。胡椒もスープと合う。平らなストレート中太麺はスープとの絡めもいいし、コシもある。燻製チャーシューは大判で厚手で、歯ごたえと味付けがよいが、やはり少し小さくなったかな。 おいしかったね。さすがだ。油そばの有名店として知られているが、兎に角はその前にすでに東葛界隈における動物魚介系の濃厚味のラーメン、つけ麺を提供する有名店なのだ。この味こそ、兎に角の底力であろう。ご馳走様。
2024.05.28
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勤務を無事に済ませた後に、帰宅の道と反対方向にあるニ七通という道でゴー。 少し裏道へ進んだら、ニ七山不動院に到着。二七山不動院はかつて江戸幕府に仕えた直参旗本の桜井氏の屋敷内にある小さい不動明王を祀る祠であったが、徐々にお寺へ発展してきた。お不動さまのお告げである僧が27日の断食を伴う荒行による供養を行ったことから二七不動と呼ばれるようになったと言われる。このため、二、七、十二、十七、二十二、二十七、と月六回の縁日というお決まりもあり、寺の前の道もニ七通りと呼ばれるようになった。大正12年(1923年)の関東大震災の時に火災で焼失したが再建。平成17年(2005年)の火災により焼失され、ご本尊および御前立本尊が大日山神崎寺へ移した。平成26年にニ七山不動院は墨田区太平町に復興したが、令和4年(2022年)に本来の場所に近い現地へ復興したのである。 都内でも珍しい切支丹灯籠。 ニ七山不動院は、あの東郷平八郎元帥とも縁が深い。東郷平八郎は結婚した翌年に、それまで住んでいた品川の下宿屋から現在の東郷公園敷地へ移り住んだ。日清戦争の時に、東郷平八郎の母は、「浪速」の艦長として出征した息子の武運を二七不動尊へお百度詣でをした。さらに、日露戦争の時、東郷夫人は、毎日二七不動尊へお百度詣でをしたが、5月27日というニ七山不動院の縁日に東郷平八郎が司令官として率いた連合艦隊は日本海海戦でロシアのバルチック艦隊に勝利した。のち、東郷平八郎はこのことを知ったため、自宅にあった楓の木を自ら二七不動堂の境内に手植え、さらにしばしば二七の縁日には奥さんと一緒にニ七不動院へ参拝した。しかも、自ら筆をとり、南無大日大聖不動明王と書かれて奉納した。 関東大震災の時に火災で本堂が焼失されたが、ご本尊は無事であった。東郷平八郎は、自宅が災害を免れたのもお不動さんを信心していたためであろうと思って、不動堂が再建されるまでに屋敷の表玄関の高所にご本尊を安置していた。 ニ七山不動院の御朱印にも、東郷平八郎が揮毫した「南無大聖不動明王」、「為二七山大正十二年十一月東郷平八郎書」という東郷平八郎の書の写し印が押印されている。 今の情勢ということで、前から5月27日にニ七山不動院へ参拝することを決めていた。無事に5月27日の日付の御朱印も授与していただいた。
2024.05.27
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月曜日だから飯田橋界隈の職場へ出勤するが、せっかくだから久しぶりのお店へ行こうか。 半年以上ぶりの「九段下 中路」に入店。親友と一緒なら、アレルギーの関係で魚貝類の味を提供するお店を避けるため、あまり頻繁に来れない。特製白味噌ラーメンの食券を購入してから着席。 しばらく待ったらご対麺。初来店の時にいただいた以来ぶりなので、1年半以上ぶりだった。 あん肝を何回食ったことがあるが、この白味噌スープは塩気ではなく味噌の甘味を強調したほうだと味わえた。一条家元のおかげであん肝の塩気を強烈に覚えているので、平打ち太麺はもっちりして、濃厚な味噌スープと合う。大判のチャーシューは歯ごたえと味付けがよい。 おいしかったね。なんとなくあん肝という素材の特徴が感じられらなくなったことに惜しいと思うが、なかなか良くできた一杯だ。また食べに来よう。ご馳走様。
2024.05.27
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今日も朝一から南柏の職場へボランティア活動をしてきたが、もともと担当ではないのでご厚意で早退。木曜日まで休みが取れないので、水曜日までの仕事にどのように乗り越えるかわからん。 去年の年末以来ぶりの「家系ラーメン 王道乃印 柏店」に入店し、チャーシューメン3枚、味玉、ほうれん草の食券を購入し、カタメ、コイメをお願いした。王道家系列なら宗八へ頻繁に通っているが、王道乃印系列からニンニクが消えたという噂を確認するために来たのだ。本ごう家は確かにニンニクが置いていないのだ。 しばらく待ったらご対麺。 王道家に比べればタレの濃さと出汁の濃度が確か下がるが、家系として濃度と粘度が高い豚骨醤油スープだと言える。王道家製の縮れ中太麺は絡めもいいし家系の独特なコシもしっかりしている。直火焼の燻製肩ロースチャーシューは歯切れとと歯ごたえもいいし、香ばしい。ほうれん草はもっとあればいいけど。卓上に置いたのはやはり緑色の生姜かな。 おいしかったね。無限ニンニクなら50円で購入するってことだが、家系のお店に無料のおろしニンニクが置いていないとはちょっと今まで想像できなかった話だ。ご馳走様。
2024.05.26
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今日からの二日間のボランティアで出勤。 自分の業界で台湾の人々に神様と呼ばれ、自分の利益を最大化するために他人の手柄だけではなく、命まで平気に奪ってもいいと考えている奴と奴の楽しい仲間の活躍を許すところの仕事はこれで最後かな。 麺を食わないと気力が湧かないので、昨日に引き続き、「舎鈴 南柏店」に入店。味玉中華そば しばらく待ったらご対麺。舎鈴の中華そばは半年以上ぶりだった。 中華そばは、魚粉で仕立てた動物魚介系のつけ麺と全く違って、動物系スープが下支えする煮干し醤油ラーメンだ。油も効いているが煮干しの旨味がしっかりしている。平打ち縮れ中太麺はゴワゴワの食感を強調したため、不揃いの形で、茹でる前にさらに手もみしたということで、スープとの絡めもいいし、コシもある。バラチャーシューは歯ごたえがよい。 おいしかったね。職場に近いので放置してしまったが、このようなピンチの時に連続に訪問するとは思わなかった。ある意味の危機管理かもしれぬ。またたすけてもらうことになりそうだ。ご馳走様。
2024.05.25
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金曜日なら南柏の職場へ出勤するが、朝から電車のダイヤが乱れたため、念のために南柏でブランチを摂ることにした。 半年ぐらいぶりの「舎鈴 南柏店」に入店し、特製つけめんの食券を購入してから着席。 しばらく待ったらご対麺。舎鈴のレギュラーメニューは1年半ぐらいぶりだったが、レギュラーのつけめんは7年以上ぶりだった。 六厘舎に比べややあっさりした味だが、動物魚介出汁によるつけ汁は濃度と粘度のいずれもちょうどよい。 中太ストレート麺はつけ汁との絡めもよいしモチモチした食感でさすが六厘舎グループによる自社製麺だ。ロールチャーシューは歯ごたえと味付けがよいが小振りなのでちょっと残念。最後はポットでセルフサービスでスープ割。やはりコクがあるスープだ。写真は失念。 おいしかったね。放置したというわけではなく、ピンチの時にここに来ようという気持ちだ。またここに来るような気がする。ご馳走様。
2024.05.24
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木曜日はわしにとって日曜日を除いた唯一の休日であるが、基本的に半休+テレワークってこと。6月からおそらく時間がないので、金町を降り、3ヶ月ほどぶりの柴又界隈へゴー。 寅次郎の像とさくらの像は、さくらが旅に出る寅次郎を見送る形で設置されたという。 柴又帝釈天へ参拝。 柴又街道に沿ってさらに進んだら、「つけめん。 福倉」を見つけ。元々第7代OPBF東洋太平洋ミニマム級王者である中島浩さんが経営していたが、コロナの前に二代目店主へ経営を譲った。コロナ禍の後に営業を続けるが、ただいまクラウドファンディングで運営資金を頑張っている。特製鶏旨味つけめん並の食券を購入してから着席。 しばらく待ったらご対麺。 醤油味のつけ汁は鶏白湯魚介出汁と思われるが、鶏が前に出ており、濃度と粘度が適度で、下町の金町に合う味だ。 平打ち中太麵は歯切れとつけ汁との絡めがよい。減量中ではなければ大盛まで食いたい。チャーシューは表面が少し炙られたようで歯ごたえと味付けがよい。 最後はポットで割スープを注ぐ。 魚介味が強まったがバランスがよい。 おいしかったね。初代店主による味を食ったことがないが、クラウドファンディングの説明からみれば、店主交代でも味がそのままだと思われるため、ずっとハイレベルの味を維持しているだろう。夜にも一品料理とお酒を提供するので、頑張っているってことだね。時間があればまたラーメンを食いに来よう。ご馳走様。
2024.05.23
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瀬佐味亭から出た後に、職場と反対方向へゴー。 少し歩いたら、浄土宗法真寺が書かれる石柱が見えた。 山号が和順山、院号が歓喜院。正確な開山年代は不明であるが、安土桃山時代だった。慶長元年(1596年)京都の知恩院より寺号を附与されている。 御本尊は阿弥陀如来。天保9年(1838年)に火災に遭ったが、御本尊は無事であった。大正12年(1923年)の関東大震災や昭和20年(1945年)の東京大空襲では被害されなかった。 樋口一葉の小説『ゆく雲』に登場した「腰ごろもの観音さま」。 樋口家は明治9年に法眞寺の隣に引っ越した。樋口一葉はここに9歳まで5年間で住んでいだが、樋口家にとって最も安定した時期であった。法真寺は『ゆく雲』に描写されるため「樋口一葉ゆかりの寺」として知られる。
2024.05.22
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週末に長時間の肉体労働をしなくてはならないが、週末までに出さなくてはならない書類もあるので、今日も遅くまで作業するしかない。 こうなったら、体調管理を万全にしたいもんだ。「東京担々麺本舗 瀬佐味亭」に入店。着席してから、黒担担叉焼のスーパーホットを注文し、クーポンでほかほか煮込み茶玉子をお願いした。 しばらく待ったらご対麺。黒担坦は2ヶ月ぐらいぶりだったが、いろんなパターンを頼んだことがあるのに、黒担担叉焼は初めてだ。 黒ゴマの担担タレは濃密で香ばしくて、スーパーホットの辛味との相性も良い。ストレート細麺は茹で加減がカタメで、歯切れとスープとの絡めもいい。叉焼は太肉ではなくレアチャーシューだ。レアチャーシューは結構厚みがあるので、歯ごたえや歯切れがよい。 おいしかったね。何とか元気が出たようだ。やはりゴマは体にいいってことだが、現状から何とか脱退しないとよくなる見込みがまったくないだろう。ご馳走様。
2024.05.22
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火曜日なら南柏の職場へ出勤するが、ブランチを摂るために柏を降りた。 久しぶりに南柏の職場へ出勤する日はいい天気だね。少し遠い所へブランチを摂ろう。半年ぐらいぶりの「鶏白湯らーめん 叶」に来た。特製鶏白湯塩らーめんのしょっけを購入してから着席。 しばらく待ったらご対麺。レギュラーの塩味は初訪問以来、つまり1年ぐらいぶりだった。 塩味の鶏白湯スープは濃度と粘度が適度で、塩気も突出せず、出汁の旨味とやや甘い泡とのバランスがよい。中細ストレート麺は茹で加減がちょうどよくて、絡めもいいしコシもある。 味付けのコイメの鶏チャー、豚のロールチャー、ほうれん草、メンマ、味玉という特製のトッピングは別皿。チャーシューは柔らかいが鶏チャーの歯ごたえ、豚チャーの歯切れがよい。まるでつけ麺のように途中にスープを付けながら食うのだ。 おいしかったね。いわゆる泡系の鶏白湯ラーメンは東葛界隈どころか、首都圏でも珍しい味だ。オープン当初は別の味を提供していたが、この味へ変更して勝負するとは正解かと思う。ご馳走様。
2024.05.21
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月曜日だから飯田橋界隈の職場へ出勤するが、いろんな作業を抱えているため、あまりブランチを摂るお店をサーチする時間がなくて...。 去年10月以来ぶりの「支那そば とも」に入店。びぜん亭が閉亭したため、ブランチに困った時ならおやっさんに頼ることができなくなったが、びぜん亭の遺伝子となるお店は飯田橋界隈にあるのだ。4月にもともへ来ようと思ったが臨時休業だった。チャーシューそば、煮玉子の食券を購入してから着席。 しばらく待ったらご対麺。 濃い目の醤油タレ、鶏油、鶏出汁のバランスがさらによく取れたと味わえた。縮れ中細麺は茹で加減がやや柔らかめでスープとの絡めもいいし、モチモチした食感だ。チャーシューは柔らかいがびぜん亭のチャーシューよりやや硬さが残っている。 おいしかったね。おやっさんの味に恋しいが、びぜん亭の味が食べられるのもありがたい。これからも助けてくれ。ご馳走様。
2024.05.20
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「麺や KATSU!」を出た後に、さらに北へ進み、東水元界隈へゴー。 10分ぐらい歩いたら、「業平山 南蔵院」という文字が書かれる石柱が見えた。 山門。 本堂。天台宗の寺院で、山号が業平山。御本尊は釈迦如来。伊勢物語で知られる平安時代の歌人、在原業平が隅田川の溺死者を弔った経塚のそばに創建された。元禄11年(1698年)、水戸藩下屋敷の用地となった、江戸本所区小梅から本所区中之郷八軒町(現・東京都墨田区吾妻橋3丁目)へ移り、大正12年(1923年)の関東大震災で罹災したため、昭和4年(1929年)に現在地へ移転した。 開運の鐘。 地蔵堂。 南蔵院の地蔵尊は、『大岡政談』にも記載される「しばられ地蔵」として知られる。江戸幕府八代将軍徳川吉宗の治世で、日本橋にある呉服問屋の手代が南蔵院の境内でうっかり一眠りしている間に反物を荷車ごと盗まれてしまった。調べに当たったのは、南町奉行大岡越前守忠相であった。大岡越前が「寺の門前に立ちながら泥棒の所業を黙って見ているとは、地蔵も同罪なり、直ちに縄打って召し捕って参れ」と命じたため、地蔵はぐるぐるに縛られ、車に乗せられ江戸市中を引き廻され南町奉行所へ引っ立てられた。多く野次馬はどのような裁きかと奉行所へなだれ込んだが、大岡越前はタイミングを見計らい、ドアを閉めることを命じ、白州への乱入の罰として反物を科した。さらに手代に多くの反物を調べさせ、盗品を見つけ出すことができ、さらに当時江戸市中を荒した大盗賊団が一網打尽できた。大岡越前は地蔵尊の霊験に感謝し、お堂を建立し盛大な縄解き供養を行った。それ以来、お願いするときは縛り、願い叶えば縄解きするという風習が生まれ、盗難除け、足止め、厄除け、縁結びなど、あらゆる願い事を聞いて下さる霊験あらたかな地蔵尊として祀られている。 聖徳太子堂。ここは元々聖徳太子をご本尊とする聖徳寺という天台宗の寺院があったが、明治維新の神仏分離令による荒廃したらしい。聖徳太子堂の建物は旧聖徳寺の本堂の一部である。本堂の前の松は聖徳の松と呼ばれ、聖徳寺の時からあるという。 水子地蔵。 出世牛。牛に跨ると出世するということであるが、許可が必要かなと思って、御朱印を寺務所へいただいた時に聞いたらご自由にどうぞ、許可の必要がないと教えていただいた。
2024.05.19
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睡眠品質が悪いので、日曜日だし疲れも取れていないのに朝10時頃に目覚めてしまった。こうなったら近所へ散歩してから仕事を再開しよう。 2週間以上ぶりの金町を降りた。北口から住宅区へ進んだら、「麺や KATSU!」を見つけ。閉店した「麺座でん カツシカン!」の店長が独立してオープンさせたお店だ。特製つけめんの食券を購入してから着席。 しばらく待ったらご対麺。 流行っている動物魚介系のつけ汁だが、魚介の味が強いものの魚粉の味に頼らず、動物系の白湯スープの濃度と魚介味とのバランスがよく取れていると味わえた。10何年前の日記を読んだら調味料も結構入っていると書いていたが、今回は出汁の味がしっかりしていると思う。 つけめん並の麺のボリュームは200gだが、今のわしにとってちょうどよい。中太ストレート麺はつけ汁との絡めもいいしコシもある。チャーシューは味付けがしっかりしていて、歯ごたえがよい。 最後はスープ割。あっさりとこってりから選ぶ。これも前店舗と同じシステムだ。やはり魚介系のあっさりではなく、動物系のこってりをお願いした。割スープを入れると、スープは動物系の味が強まったが、魚介系出汁もしっかりしていると味わえた。 おいしかったね。さすがだ。個人的にいろんな理由で前店舗に再訪しようという気がしていなかったが、今日の味と接客なら頻繁に通いたいもんだ。ご馳走様。
2024.05.19
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来月の中旬までに取り組んでいる仕事を一段落まで済ませないとダメなので、土曜出勤だがあまり遠いところへ行けない。 1ヵ月半ぐらいぶりの「家系ラーメン 本ごう家」の前に行列がないので、店外に設置される食券機から、チャーシューメン(チャーシュー3枚)、味玉、ほうれん草を購入してから入店して着席。店長のワンオペなのでしばらく待ったら食券を渡し、カタメ、コイメをお願いした。 しばらく待ったらご対麺。 王道家系としてタレの濃さと出汁の濃度がやや低いほうだが柏の王道乃印と同じ、ほかの家系のお店に比べれば結構濃いめのほうだと味わえた。王道家製の縮れ中太麺ま絡めもいいし家系の独特なコシもしっかりしている。王道家に比べやや小ぶりの直火焼の燻製肩ロースチャーシューは味付けも濃いめで歯ごたえもよい。ほうれん草多めはやはり健康にいいが、やはり昔に比べれば少ないね。途中に大量なニンニクを投入しようと思ったら、置き皿の下におろし生姜と書かれたレッテルが貼ってある。確かにニンニクなら味が弱いほうだが、生姜のきつい味もしないのでよくわからん。 おいしかったね。さすが王道家系の味だ。それにしても、行列がないもののほぼ満席なのに店主のワンオペとはびっくりした。ご馳走様。
2024.05.18
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金曜日なら南柏の職場へ出勤するが、やはりブランチを摂るために柏を降りた。いろんな選択肢があるが、久しぶりのお店へゴー。 半年以上ぶりの「東池袋大勝軒 いちぶん」に来たらちょうど開店。もりそば、半熟玉子の食券を購入してから着席。 15分以上ぐらい待ったらご対麺。いちぶんのレギュラーのもりそばは1年半ぐらいぶりだった。 ほかの東池袋大勝軒系のお店によるつけ汁と違って、ここはあまり調味料による辛さと酸っぱさを強調せず、出汁とタレの味で勝負するのだ。確かに、醤油タレが効いたつけ汁は魚介を中心とした出汁のコクがあり、東池袋大勝軒系の中でも結構味が違ったほうだが、なかなかレベルが高い味だ。 ここは自家製麺ではなく、浅草開化楼の麺を使用。少し縮れの中太麺は絡めもいいしコシもある。出汁の味が出ているので強い麺に負けていないってことだね。円安のせいかもしれぬが、メンマではなく、タマネギが載せてある。チャーシューは味付けと歯ごたえがよいがもうちょっと小振りになったかな。 最後はスープ割。別容器での提供も東池袋大勝軒系の中で珍しいほうだ。 魚介系の割スープはそのまま飲んでもしっかりコクが味わえるものだ。 醤油タレの味がやや薄くなったが、出汁の甘味と旨味がさらに増したって味わえた。 おいしかったね。異なったタイプと言えるが、東池袋大勝軒系の中で味のレベルが高いほうだと考えている。次回は坦々つけか、濃厚つけか、中華そばか、ちょっと悩むね。ご馳走様。
2024.05.17
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五方山熊野神社への参拝が終わった後に、青砥駅を経由し、環七通りから亀有へ。 途中に東京慈恵会医科大学葛飾医療センター界隈へ向かい、環七と並行する住宅区の道からさらに進むと、青砥神社に到着。正面の鳥居は住宅区に向かうため、わかりづらい。 むしろ拝殿の左側の鳥居は比較的に大きい道に向かうので、すぐ見えるのだ。 拝殿。 青戸界隈ではもともと土の質がよかったので、多くの米と土器を作る人が生活してきた。いろんな変遷で1576年(天正4年)に青戸村の鎮守として、「三社明神」として創建された。三社とは、稲荷、白髭、諏訪ということである。つまり元々の祭神は猿田彦命、健御名方命、宇迦之御霊命であった。明治5年(1872年)に社名が「白髭神社」へ改称されたが、昭和18年(1943年)に旧青戸4丁目で鎮座した白山神社を合祀し、「青砥神社」へ改称された。さらに昭和35年(1960年)に旧青戸町内に鎮座した高木神社、八幡神社、北野神社、葛葉稲荷神社、水神社を合祀した。そして、昭和45年~55年にかけての環状七号線の整備により、葛西城址鎮座の青砥藤綱神社を合祀した。このため、祭神は、猿田彦命、健御名方命、宇迦之御霊命、伊耶那美命、高皇産霊神、誉田別尊、菅原道真公、彌都波能目神、青砥藤綱公。
2024.05.16
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「自家製麺 純」を出てから、中川に沿って青砥界隈へ散歩。 ゆっくり歩いてきたので、20分ぐらいかかったが、無事に10年以上ぶりの五方山熊野神社に到着。熊野神社という石碑は陸軍大将荒木貞夫によるもの。自分の仕事では、皇道派と統制派、荒木貞夫、二・二六事件について語らなくてはならないので、感慨深い。近くに、ロンドン海軍軍縮会議(1930)をめぐって艦隊派の重鎮として知られ、軍令部次長、連合艦隊司令長官を歴任した海軍大将末次信正による紀元二千六百年記念の石碑もあったが、見当たらない。 神門。創建1000年の記念で造営された。 拝殿。主祭神は、伊邪那岐命、速玉男命、事解雄命。 平安時代中期、一条天皇の長保年間(999~1003)に、あの陰陽師として名高い安倍晴明によって熊野大神が勧請され、創建された。しかも、安倍晴明ゆかりの神社として関東唯一、さらに葛飾区内で最も古い神社ということである。 五方山熊野神社の創建も放送されているNHKの大河ドラマ「光る君へ」のお話に関連している。花山上皇が出家して法皇になった後に、今「西国三十三所巡礼」として知られる観音霊場へ巡礼・修行していたが、出発する前に紀伊国熊野の那智山で修行していた。天狗が現れて、花山法皇の修行に様々な妨害を繰り返したが、花山法皇と同行した安倍晴明は、岩屋に天狗を封じ込める祈祷をし、天狗たちの妨害を止めた。安倍晴明は法皇に伴い、熊野の地で三年間の滝行と山籠りの行を上皇と共に行った。そして、その後清浄なる聖地を求める旅の途中に、水害に悩まされていたここに来た時、安倍晴明は陰陽道の陰陽五行説(木火土金水)に基づき、三十間五角(一辺が約55mの正五角形)という形状の境内地に結界を張り巡らせ、古代の石剣を御神体として 紀州熊野の神を勧請したとは五方山熊野神社の起源と言われる。正五角形の境内地は創建時のままであるという。 熊野の杜の幸せを呼ぶ白ふくろう。2014年に参拝しに来た時にはなかった。 境内社の天神社。安永5年 (1776年)に 菅原道真公の木彫像がここへ奉納された。そして、昭和61年(1986年)に 亀戸天神社より御分霊を頂き、菅原道真公の木彫像を奉安する天神社が建立された。 境内社の浅間神社。 境内社の香取神社と水神社。 境内社の稲荷社。 ご鎮座一千年記念事業として建立された五重塔。銅造りのものとしては日本一の高さ(地上より7m)という。 五方山熊野神社が飼う「神馬(しんめ)」のポニー。きらら号とちょこ号は見当たらない。姿を現したのは、一番年下の、ばにら号だ。神社の公式インスタを確認したら、30歳になったきらら号は今も活躍しているという。
2024.05.16
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立石諏訪神社への参拝が終わった後に、正面の鳥居から出たら...。 すぐ今日の狙いである「自家製麺 純」が見えた。2019年6月にオープンして以来、京成立石界隈で有名店として必ず挙げられるお店だが、仕事かつて武漢ウィルスとやら新型コロナウィルスとやらの感染拡大でなかなかこの界隈へ来れていなかった。ようやく念願の訪問。ところで、立石諏訪神社からここまで近いと気づかなかった。午後1時に過ぎたのにほぼ満席とはすごい。特製地鶏(醤油)、和え玉の食券を購入してから着席。和え玉は地鶏と煮干し味から選ぶことになっているということで、地鶏でお願いした。 しばらく待ったらご対麺。 メニューの名前、および外見で淡麗系の鶏スープによる醤油ラーメンという味を想像していたが、想像以上に鶏油が効いており、鶏の旨味が出ている醤油スープだ。ただし、基本的に優しい味。それに合わせるのは歯切れと辛めの良いストレート細麺だ。チャーシューは低温調理の豚肩ロースや鶏チャー、および煮豚のチャーシュー。味付けが濃い目の煮豚や低温調理の鶏むね肉は柔らかい。低温調理の豚ロースチャーシューはややは固めで歯切れ、歯ごたえ、味付けがよい。鶏のつくねは生姜が効いている。 途中に和え玉をお願いした。 麺は同じストレート細麺で量が半玉だ。刻み切チャーシュー、ネギ、タマネギが載せてある。粉状のものもかけられてあるが、無知でわからない。 まずはかき混ぜだ。醤油タレの色が濃そうだが、食べやすい。ストレート細麺はラーメンに比べ茹で加減がさらに固めで、タレとの絡めはもちろん、歯切れや歯ごたえもよい。確かに鶏の旨味がしっかりしている。途中にスープをつけ汁のように麺で食うのだ。 最後は残りの麺をスープにかけ、一気に完食。 おいしかったね。最後まで鶏の旨味がしっかり味わえたのだ。ハイレベルという評価も理解できた。塩、煮干味も気になるが、つけ麺にも惹かれてしまった。次はいつこの界隈へ来るかな。ご馳走様。
2024.05.16
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京成立石駅に近づいたら、線路に沿って青砥界隈へゴー。 少し歩いたら、立石諏訪神社に到着。 祭神は、建御名方神、八坂刀売神。諏訪大社の分社であるが、創建の年代が不詳で、たぶん江戸時代中期かと言われる。御朱印は、兼務社の五方山熊野神社で授与するそうだが、五方山熊野神社の社務所で諏訪神社の御朱印が見当たらないので、もらわなかった。
2024.05.16
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久しぶりの平日の休日だが、どこへ行くかちょっと悩んでいた。とりあえず起きる時間で決めようということにしたが、睡眠の品質が悪くて、深夜までデスクワークをしていたのに、11時頃に目覚めてしまった。 予定通りに亀有を降り、亀有新道に沿って京成立石界隈へゴー。亀有信用金庫本店の前にある本田像、つまりこち亀のキャラクターである本田速人の像が立てられてある。 さらに20分ぐらい歩いたら、略称が南葛の東京都立南葛飾高等学校が見えた。南葛と言えば、『キャプテン翼』に出ている私立南葛高校だが、ここは都立高校だ。ただし、キャプテン翼の原作者である高橋陽一先生は都立南葛飾高等学校のOBだ。 正門の近くに大空翼(ツインシュート)の像が建てられる。高橋先生の監修で四つ木や立石界隈に『キャプテン翼』のキャラクター銅像9体が設置されている。大空翼(ツインシュート)の像は平成30年3月に完成され、九体の中で最も遅く設置されたものであるが、この像や渋江公園に設置される岬太郎の像や最初に設置された四つ木つばさ公園の大空翼の像のみは等身大のものである。ほかの像は小型サイズということである。今日の散歩のルートで9体のうちの3体と出会うことになる。 立石みちひろばにある『キャプテン翼』で「天才キーパー」「S.G.G.K」「東洋の守護神」と呼ばれる若林源三の像。 立石一丁目児童遊園に設置され、「ボールは友達!」という原作漫画・アニメにある大空翼がヒールリフトをするシーンを再現させた像だ。 ほかの6体の像と出会うために四つ木界隈にも時間があれば行ってみようか。
2024.05.16
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久しぶりに自分がしたいことをしたが、やはり疲れが取れないかな。今日は山椒の力を借りよう。 先週に続き、「広島式 汁なし担担麺 湯島ひよこ堂」へ。今日は営業するということはすでに公式Xから確認した。 都合により簡易容器での提供も同時に確認できた。汁なし担担麺(麺140g)セット(汁なし担々麺・温泉卵・白飯)の食券を購入し、店主に渡した際に、4.5辛をお願いした。 しばらく待ったらご対麺。 簡易容器とはいえ、レタス、ネギ、ひき肉による肉味噌はやはり豪勢そうだ。 かき混ぜれば、ゴマタレもかなり濃密ってことがわかる。ストレート細麺は持ち上げやすく、タレやレタスや肉味噌やネギとの絡めと歯切れがよい。山椒と辛さもかなり強烈だが、慣れているわしにとってちょうどよいので、途中にガーリックパウダーはもちろん、山椒もさらに投入。 次は温玉の登場。 温玉をつけ汁のように麺で食う食べ方は、温玉を投入し、タレとさらにかき混ぜてから食う食べ方より本来の辛さと痺れを損なわないのだ。 そしてご飯をお願いした。もちろん、並盛だ。 ご飯とタレをかき混ぜ、少し食べてから温玉を投入し、さらにかき混ぜてから完食。やはり温玉をつけ汁のように麺で食うほうが辛さと痺れを最後まで楽しめた。もちろん、ガーリックパウダーと山椒をさらに投入。 おいしかったね。やはりひよこ堂の汁なし担担麺は広島式汁なし担担麺だけではなく山椒系の汁なし担担麺の中でも最高峰だと勝手に考えている。武漢ウィルスとやら新型コロナウィルスとやらの感染拡大から営業が不安定になったのでちょっと心配だが、やはり来れる時に食べに来ないとダメだね。ご馳走様。
2024.05.15
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南柏の職場の勤務が終わった後に、速やかに自宅に戻って、荷物を置いてから速やかに体の治療へ。 治療が終わった後に1ヶ月ぐらいぶりの亀有へ。夜に映画を見に来るパターンは1ヶ月ぐらいぶりだったが、南柏の職場の仕事の後なら1年ほどぶりだった。池波正太郎による原作小説も読んだだけではなく、中村吉右衛門主演のドラマやスペシャルも見たので、ストーリーが想像できるが、やはり新しい鬼平犯科帳の映画を見に来たい。 その前に夕食を摂ろ。1ヶ月半ぐらいぶりの「大輝家直系家系ラーメン 大金家 亀有店」に入店し、燻製チャーシューメン、味玉、ほうれん草の食券を購入し、スタッフに渡した際に、カタメ、コイメをお願いした。 しばらく待ったらご対麺。 はじめてここ、および大輝家へ訪問した時と同じ、本牧家系の面影がない味だと思う。ただし、確かに大輝家の店主の出身店である志田家の初代店長は確かに本牧家系の桂家だけではなく新中野の武蔵家にもいたと覚えている。そうであれば、武道家のような濃い目の醤油タレとこってりした出汁という組み合わせにも納得。平打ち中太麺は滑らかででスープとの絡めはもちろん、歯ごたえもよい。燻製チャーシューは薄切りだが大判で、スープの味を損なわない程度で香ばしいし、歯切れもよい。ほうれん草多めは健康にいいね。もちろん、大量なおろしニンニクを投入。 おいしかったね。疲れがなかなか取れていないのでこのようにニンニクの力を借りたい。とりあえず何とかやって行こう。ご馳走様。
2024.05.14
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火曜日なら南柏の職場の職場に出勤するが、やはりブランチを食うために柏駅を降りた。選択肢なら、やはり柏駅界隈の方が多い。ところが、ニンニク系のお店を除けば、柏駅界隈では火曜定休のお店も多いので、選択肢が限られる。 油そばを食いたい気分なので、3週間ぐらいぶりの「兎に角 柏店」に入店。少し悩んだが、坦々まぜそば(普通)、温玉、チャーシュー1枚の食券を購入してから着席。 しばらく待ったらご対麺。兎に角の坦々まぜそばは、去年の11月末以来ぶりだった。 レギュラーの油そばはカツオ節が載せてあるが、これに対し、坦々まぜそばは高菜が載せてある。 タレは濃密のゴマタレだ。辛いとは言えないが、ゴマの濃度、粘度、香りがかなり強調される。辛口が苦手な方もおいしく食べられる辛さだ。もちろん温玉をかき混ぜたら辛さがさらに弱くなったが、代わりにタレのまろやかさがさらに増した。平らなストレート中太麺は絡めもいいしコシもある。さすが兎に角の自社製麺だ。高菜は少し辛さを足してくれるが、やはり途中にラー油をさらに投入。 途中に割スープをお願いした。 割スープだが、魚粉で濃厚に仕立てた動物魚介味の通常のスープだ。そのまま飲んでも、兎に角のスープのインパクトが味わえるのだ。スープを少し飲んでから、つけ汁のように麺で食う。写真は失念してしまった。 最後はスープを残りの麺にかけ、完食。ゴマタレとスープの相性も良い。 おいしかったね。しかし、兎に角は今油そばの有名店で知られているが、もともと魚粉で濃厚に仕立てた動物魚介系味のラーメンとつけ麺の有名店ってことを忘れたら困るもんだ。ご馳走様。
2024.05.14
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月曜日だから飯田橋界隈の職場へ出勤するが、大雨で職場から離れるところへ行きづらいのではないか。 気になるメニューがあるので、1ヶ月ほどぶりの「九段 井さい」に入店。ランチタイムの混雑時間の直前だが、すでに半分ぐらいの席が埋まっている。特製特上煮干ラーメンの食券を購入してから着席。 しばらく待ったらご対麺。 魚粉で濃厚にした立て、濃度と粘度が高いタイプの煮干しラーメンのようであるが、魚粉の下には清湯の煮干しスープが隠れている。しかも苦みも出ているのに意外と食べやすい。ただし、煮干しの苦みや旨味のバランスがよいと味わえた。それに合わせたのはまさかに手もみ風の平打ち縮れ中太麺だ。厚みのあるものではなく少し薄めのものなので、スープとちょうど合う。バラとロースチャーシューは歯ごたえもいいし、味付けも濃いめだ。ほぐし肉も載せてあるとは意外だった。 おいしかったね。このような濃度と粘度が高そうなのに下が清湯スープだというタイプの煮干しラーメンは貼っているようだ。口コミに書かれた通り、閉店した「つじ田 奥の院」に近い味かと思うが、間違いなく井さいのほうがうまい。いずれにせよこの辺の選択肢が増えてうれしいもんだ。ご馳走様。
2024.05.13
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日曜日だがやはり疲れのせいでなかなか起きられなかった。とりあえず腰のケガを考え、運動のレベルおよび満足できる食事を同時に確保できるお店へゴー。 30分ほど歩いたら、2週間ぶりの三つ由に到着。 狙いは、イレギュラーのべジポタr typeだ。5月6日からの提供だが、今までの状況からみれば、この数日間で終了の可能性がある。今日も提供することを確認してから出かけたのだ。1時前に入店したら、ちょうど先客が出てたので、ほぼすぐ着席できた。ベジポタr type、半熟卵、焼豚ハヤシライスを注文。 しばらく待ったらご対麺。ほぼ同じタイミングで焼豚ハヤシライスもご登場。 つけ汁は、数種の野菜とトマトとにんにく多めによるものだが、実際にニンニクのきつい味がほとんどかじられず、むしろトマトの甘味がしっかり味わえた。つけ汁そのものも濃度と粘度が高いが、食べやすい。タマネギやパルメザンチーズもトマトと合う。卵がつけ汁に沈んである。 レギュラーの平打ち中細麺はつけ汁との絡めもいいし、コシもある。焼豚はレアで歯切れと歯ごたえがよい。 ハヤシライスはタレが濃い目で、肉もいっぱいだが、やはりタレとつけ汁の味と合う。 最後はスープ割。濃度と粘度がやはり高いが、最後まで食べやすい味だ。 おいしかったね。さすがだ。ajito時代の味を封印したが、今のレギュラーとイレギュラーのレベルがいずれも高い。近所に移転してくれて本当にありがたい。1時だから客が少ないと思ったら、急に後客が次ついに来店し、わしが店を出た時に行列ができている。やはり訪問のタイミングが大事かな。ご馳走様。
2024.05.12
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「東叡山寛永寺 護国院」への参拝が終わった後に、大通りに戻り、職場へゴー。 その前にブランチを摂ろう。1ヶ月ぐらいぶりの「麺屋 睡蓮」に来た。 木曜日から「The Noodles & Saloon Kiriya」が封印したというKiri_sobaの醤油味を狙っているのだ。わしが日本にいない時にすでに醤油、塩味を提供したことがあるが、今回は醤油味のみ。ちょうどいいタイミングで空いている席があるので、味玉Kiri_sobaという限定Fの食券を購入し、スタッフに渡した際に、現金で親鶏油の和え玉を注文。 しばらく待ったらご対麺。 焦がしネギが香ばしくてコイメの醤油タレ、油、鶏出汁のコクがかなりマーチしている醤油スープだ。スープの色から想像できない鶏の旨味が口の中にあふれているとは今日の感想かな。縮れ細麺は平らで歯切れ、喉越し、スープとの絡めがよい。レギュラーの柔らかい煮豚だけではなく、香ばしくて歯ごたえと歯切れのよい吊し焼きのチャーシューも載せてある。 途中に和え玉をお願いした。 レギュラーのストレート細麺の上にネギ、刻み切のチャーシューが載せてあるが、やはり鶏の匂いがかなりすごく嗅げる。 麺とタレとの絡めもよく、鶏による匂いも香ばしい。油は濃い目だが食べやすい。 最後の残りの麺をスープにかけ、完食。 おいしかったね。鶏の旨味による何重奏のような味だと思うが、わしの言葉じゃまったくうまく説明できないかもしれぬ。ぜひこれから定期的に提供してほしい。ご馳走様。
2024.05.11
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一乗寺への参拝が終わった後に、入谷ではなく、上野方向へゴー。 少し歩いたら、護国院に到着。天台宗の寺院で、東叡山寛永寺の子院の一つだけではなく、最初の子院であるため、東叡山護国院とも呼ばれる。山門に大黒天という文字も書かれてあるが、谷中七福神の大黒天を祀るということである。 寛永2年 (1625年)、天海僧正が東叡山寛永寺を開いたと同時に、天海僧正の片腕とも言われた生順僧正は、天海の命で護国院を創建した。本堂は寛永寺の釈迦堂として建てられ、寛永寺の根本中堂が完成するまでの間、東叡山の総本堂の役割を果していた。釈迦堂には釈迦、文珠、普賢の三尊像が安置された。御本尊は釈迦如来であるが、子院としてのご本尊は千手観音。また、寛永16年に大坂城落城25年にあたって、豊臣、徳川両軍の霊を弔うため、大念佛法要が執り行われたが、この功績を称えて徳川三代将軍家光より、藤原信実卿筆と伝えられる大黒天の画像が寄贈された。このため、大黒天を祀ることになった。 なお、今の本堂は、享保2年(1717年)に焼失したたため、享保7年(1722年)に再建されたものである。
2024.05.11
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玉林寺への参拝が終わった後に、入谷方向へ引き続き進む。 一乗寺へ参拝。日蓮宗の寺院で、山号が大法山である。 天正年間(1573~92)創建と言われる。言問通りの角に位置することから「かどいち」と呼ばれる。御朱印にも「かど一」の文字が入っている。御本尊は、釈迦牟尼仏であるが、帝釈天も祀られる。安永9年(1780年)4月、松屋橋通り(多分今の日本橋、八丁堀あたり)の川から帝釈天の石像が見つかった。10月に石像は一条寺に委託したが、明治年間でまた八丁堀あたりに京橋の帝釈様として祀られていた。ただし戦災で堂宇が焼失され、復興も難しいということで、昭和24年9月11日帝釈天はまた一条寺で祀られることになった。 かど一の御朱印は種類が多くて綺麗なのでかなり人気があるという。御朱印帳も結構人気が高い。
2024.05.11
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土曜出勤だが、やはりちょっと散歩したいので、根津を降り、谷中界隈へゴー。 今日の最初に参拝する寺院は玉林寺だ。玉林寺は山号が望湖山、院号が香華院であり、天正19年(1591年)、現在地に創建された曹洞宗の寺院である。 ご本尊は釈迦如来。 今日のもう一つの目的は、千代の富士貢への偲びである。第58代横綱で、昭和最後の大横綱と呼ばれる千代の富士は、初めて通算1000勝を達成し、通算成績、幕内成績、横綱成績の通算勝率、横綱在位が歴代3位の力士である。千代の富士の偉業を称えるために、秋元家の菩提寺でもある玉林寺に千代の富士の像が2011年に建てられた。引退後に九重という名跡を継承した九重親方本人も除幕式に出席。千代の富士は2016年に亡くなったが、九重部屋は今でも玉林寺との交流があり、ここでイベントを行う。 千代の富士の像の眼差しは富士山と秋元家のお墓に向けられるという。実際にこの話に基づいて秋元家の墓を見つけ、偲ぶことができた。なお、わしは千代の富士の試合を一試合しか見たことがないが、あの試合でのちの第65代横綱の貴乃花光司(当時は貴花田)のファンになった。 参拝の後に事務所へ御朱印をいただいた。
2024.05.11
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金曜日なら南柏の職場へ出勤するが、柏神社への撮影とブランチの摂取のために柏を降りた。 柏神社での撮影が終わった後に、予定通りに1ヵ月ほどぶりのAKEBIに入店。頻繁に来ているので、何を食うかちょっと悩んでしまったが、半年ぐらいぶりの味玉ちゃーしゅー背脂煮干そばの食券を購入してから着席。 しばらく待ったらご対麺。 燕三条ラーメンだけではなく、背脂チャッチャ系を食うならいつも鬼油、油多めをお願いするわしからみれば背脂が少ない。とはいえ、AKEBIの背脂は、燕三条ラーメンと背脂チャッチャ系のような細かいものではなく、大粒のものだ。動物系に支えられる醤油味の煮干しスープはコイメのタレと出汁の塩気のバランスが良いと味わえた。タマネギの酸味もスープと合う。岩海苔はスープの塩気を増してくれた。手もみの縮れ太麺はスープとの絡めもいいしコシもある。180gは今のわしにとってやや多めだが、コイメのスープとの組み合わせなら何とかなった。焼き豚、豚バラチャーシュー、レアチャーシューはいずれも味付けと歯ごたえがよい。 おいしかったね。やはりレベルが高い一杯だ。次回は何を食うかちょっと悩むかもしれぬが、この悩みの幸せだね。ご馳走様。
2024.05.10
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諏訪神社への参拝が終わった後に、旧水戸街道に沿って柏市区へ戻った。 柏神社へ参拝。参拝者がかなり多いので、いずれの写真も参拝者が少ない翌日の金曜日に撮影したものである。 拝殿。江戸時代に柏近辺で流行した疫病から人々を救うために、寛文元年(1661年)に京都の八坂神社から厄除けとして名高い素盞嗚尊とその妃稲田姫命の分霊を迎えて祀るのが始まりと言われる。万治3年(1660年)頃に山形県出羽三山の羽黒神社より柏の羽黒台に迎えた羽黒神社が、明治21年(1888年)に、八坂神社の境内へ遷宮。明治40年(1907年)に羽黒神社が八坂神社に合祀。昭和49年(1974年)、柏神社へ改称。八坂神社の主祭神は、素戔嗚尊、稲田姫命、羽黒神社の主祭神は月読命、大山祇命、大己貴命、少彦名命、伊氐波神、稲倉魂命。月替わりの御朱印だけではなく、交通安全のイベントも人気。ワイルドスピードに出演したポール・ウォーカー氏の弟さんも柏神社による交通安全のイベントに出席したことがある。 境内社。 境内社の「待道さま」。東葛界隈で信仰されているお産の神様だという。 諏訪神社の御朱印も授与しているため、巫女は、諏訪神社の御朱印の授与を依頼した方に、諏訪様への参拝もしてくださいと必ず言っておく。ご朱印は、参拝した後に授与を依頼するものだと考えているので、わしは、諏訪神社→柏神社というルートで参拝することにしたのだ。
2024.05.09
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にし尾から出た後に、大道まで戻り、交差点まで進んだら右折し、旧水戸街道に沿って北のほうへ向かう。 「明治天皇柏御小休所」の碑。ここは元々江戸時代の柏村の名主で、明治時代になって村長を務めた寺嶋家の邸宅で、多くの文化人が通い、私塾、文化サロンの役割も果たした「摘翠軒」と呼ばれるところであった。寺嶋家は「柏駅」の誘致や「柏郵便局」の開設など実現したともいう。明治13年(1880年)、明治天皇は、陸軍の軍事演習を見学する途中に休みのためにここに立ち寄った。昭和16年に「明治天皇柏御小休所」として、史跡名勝天然記念物保存法による史跡に指定された。 さらに10分ほど歩いたら、「下総 柏鎮守」として知られる諏訪神社に到着。 主祭神は、建御名方命。創建年代は江戸時代だが詳しくは不明ということである。明治40年(1907年)に近辺の山王社・香取神社、天神社、八幡宮、雷神社、琴平神社の6社はに合祀。 境内社の三峯神社、阿夫利神社、八幡宮。 柏諏訪神社は近年、ハシビロコウのお守り・御朱印・御朱印帳を授与することでかなり人気が高い。社務所が都合でしまった場合、柏神社へ授与してもらうこともできる。
2024.05.09
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休日だが早起きして柏へ。後になって自分のミスによる結果がわかったが、とりあえず今日は、自分のせいで休みを無駄にしてしまった一日だった。 勤務日ではないのでニンニク系のお店に行ける。このため、選択肢が勤務日より増えているが、まず久しぶりの人気店へ覗こう。いつも店外にも行列ができている「麺処 にし尾」は満席だが店内で3人しか並んでいない。せっかくのチャンスだから半年ぐらいぶりのお店に入店。醤油味の特製手揉み中華そばの食券を購入してから並ぶ。10分ほど待ったら着席。 しばらく待ったらご対麺。にし尾の醤油味の中華そばは1年ほどぶりだった。 鶏がメインとなる鶏出汁と煮干し出汁によるスープはコクがあり、コイメの醤油タレと油に負けていない。紫タマネギと白ネギも薬味としていい働きをしてくれる。手もみ縮れ太麺は絡めと歯ごたえもいいしコシもある。注文を受けてから麺を打ち始めるため、店の回転が悪いが、やはりこの麺がおいしい。直火焼きのチャーシュー、鶏チャーシュー、厚手のレア豚チャーシューは少し小振りになったが、一杯乗せてある。鶏チャーが柔らかいのに対し、豚チャーは固さがちょうどよく、味付けの濃いめのメンマと共に、いずれも味付けがスープと合う。 おいしかったね。今日の運が良いか悪いかよくわからんが、相変わらずハイレベルな一杯を食えただけで十分に満足した。ところで、店を後にしようとした時にすでに店内も待合席が満席状態になっているので、やはり次回の訪問も天に任せるってことかな。ご馳走様。
2024.05.09
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本郷の職場へ出勤する前に湯島天満宮へ参拝。すでに今日のブランチを摂るお店を決めているので、迷わずに「広島式 汁なし担担麺 湯島ひよこ堂」へゴー。 店主の体調で長期休業していたが、GWの期間中に営業再開した。今日も営業するってこと。2ヵ月ぐらいぶりのお店に入店し、汁なし担担麺(麺140g)セット(汁なし担々麺・温泉卵・白飯)の食券を購入し、店主に渡した際に、4.5辛をお願いした。 しばらく待ったらご対麺。 しばらく食べていないが、やはりひき肉による肉味噌、ネギ、レタスの豪勢さに驚いている。 ストレート細麺でかき混ぜれば、白ゴマタレもかなり濃密だとわかる。4.5辛に慣れたかもしれぬが、辛さと痺れに抵抗感なく麺を啜ってきた。途中にもちろんガーリックパウダーと山椒さらに投入。 次は温玉の番だ。 温玉をつけ汁のように麺で食う食べ方にはまってしまったのだ。 そしてご飯をお願いした。やはり並盛。 ご飯を残りのタレとかき混ぜて、少し食べてから、温玉を投入。このような食べ方なら辛さと痺れが最後まで弱まらずに食べられるのだ。 おいしかったね。さすがわしが勝手に決めつけたカラシビの汁なし担担麺の最高峰のお店だ。もっと頻繁に通いたいので、店主とお母さんにも元気でいていただきたい。ご馳走様。
2024.05.08
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悪天候だが出勤。しかし、大雨の影響で電車が遅れた。時間的に柏へ行くのが勤務の支障をきたすため、そのまま南柏を降りた。 半年以上ぶりの「らーめん あさひ」に来た。公式な開店時間より早いが、やはり早めに開店してくれた。 外の看板で告知された期間限定ラーメンがかなり気になるね。入店し、辛みそラーメン、味玉の食券を購入してから着席。 しばらく待ったらご対麺。あさひの味噌味と辛口の限定はいずれも1年以上ぶりだった。 小鍋でヤサイなどを炒める旭川ラーメンのみそラーメン。ラー油の色もはっきりしているが、辛さが突出されるのではなく、味噌スープとのバランスがよく取れたうまい辛さだ。もやしとネギを中心とした野菜の甘味もスープと合う。縮れ細麺は茹で加減がカタメで歯切れ、スープとの絡めがよい。ロールチャーシューは大判で厚くてちょうどいい固さで歯ごたえがよい。 おいしかったね。南柏駅は柏市における大きな住宅街であるが、駅周辺のラーメン屋は意外と少ない。ここはそのなかで最もいい選択肢の一つであろう。ご馳走様。
2024.05.07
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金城山祖光院への参拝が終わった後に、県道57号に沿ってゴー。やえざくら通との交差点に到着すると、道にわたって左折。 少し歩いたら、話題店の「2番ライト 煮干男」に到着。店主はいろんなお店に短時間で教えてもらった後にここをオープンさせたが、店は、TRYラーメン大賞2023-2024の新店部門・にぼしに入賞した。せっかく松戸にあるお店は入賞したからわしが訪問しなくてはならないのだ。しかし、今日の日付の日記のように、最寄り駅からここまでたどり着いたまでの道はかなり歩きにくい。駅から直行してもたぶん25分ぐらかかるかな。また、わしの休みの日が定休日あるいは朝6時半の部しかやらないという。ただし、今日に特別営業ということで訪問を実行。ランチタイムの混雑時間帯が過ぎたのに先約がいた。限定5、味玉、和え玉の食券を購入してから着席。店主に渡した際に、醤油味をお願いした。今日の限定はホタルスルメの濃厚煮干で、醤油と塩から選ぶってこと。 しばらく待ったらご対麺。店主からホタルスルメのペーストに固い部分があるので気を付けてくださいという案内もあった。 かなり濃い目で塩気も個人的に強いと味わえたが、魚ではなくホタルスルメの味がかなり強調された。最近動物系スープの甘味で魚介の塩気を抑え、バランスのある味を摂ろうとしているものが多いが、やはりたまにこのような塩気の重い煮干しスープを食いたいものだ。味付けのコイメのペーストは確かにややカタメで、溶かすのではなくそのまま食べたほうがよい。ペーストの塩気もスープと合う。タマネギの酸味もスープと合う。細目のストレート中太麺は茹で加減が固めでスープとの絡めと歯切れがよい。大判のレアチャーシューは薄めだが味付けと歯切れがよい。 途中に和え玉をお願いした。醤油と塩味から選べるので、醤油をお願いした。魚粉だけではなく、ゴマもかけてある。 和え玉の麺もタレとの絡め、歯切れがよい。次に残りのスープをつけ汁のように麺で食うのだ。 最後に麺をスープにかけ、完食。やはりかなり濃い目の味だ。 おいしかったね。特別営業じゃなければ食べに来れないので、次の訪問、およびレギュラーの味を食うことについてもわからないが、今日来てよかった。定休日など変えてくれればよいかなと妄想中。ご馳走様。
2024.05.06
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金ヶ作熊野神社への参拝が終わった後に、県道57号へ向かおう。 無事に祖光院を見つけ。 山門と六地蔵。 本堂。曹洞宗の寺院で山号が金城山。釈迦牟尼仏がご本尊。本堂の隣の観音像は、ご本尊と誤解される如意輪観音のようである。金ヶ作熊野神社の創建に関わる石川彦次右ヱ門は江戸時代天明年間(1781-89)で、金ケ作の開墾を機に菩提寺であった川越の養寿院から住職を迎え、ここを創建したと言われる。秋のお彼岸の時期に、境内の樹林一面に彼岸花(曼珠沙華)が綺麗に咲くということで、彼岸花の名所として知られる。 不動尊と大師堂。大師堂は、東葛印旛大師44番である。ただし御朱印の授与がないようだ。 松戸史跡七福神の恵比寿や大黒天、木魚の上に座り眠って肩の上にネズミが乗っている小坊主の像。
2024.05.06
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もともと出勤する予定だったが、無事に予定の作業を土曜日に済ませたため、明日の勤務の準備さえすればよい。せっかくの祝日だから、気楽で行ったことのない界隈へ散歩しようか。 歩行20分ぐらいで新京成線の駅から電車で常盤平を降りた。八柱をさらに東へ進むと、県道とは言え歩道が狭いので、地図の指示に従っても時間がかなりかかることもある。とりあえず無事に金ヶ作熊野神社の参道と鳥居を見つけた。 参道と狛犬。 拝殿。金ヶ作熊野神社は熊野三山のひとつ、和歌山県の熊野本宮大社の分社に当たる。主祭神は、伊弉冉命、日本武命。元武州川越藩郷士の石川家五代目石川彦次右ヱ門氏は金ヶ作で新田開発をしていたが、翌年の天明3年(1783年)7月6日の浅間山の大噴火による大量の火山灰の降灰で田畑が大被害をされた。そのため、急遽、石川彦次右ヱ門氏が神社敷地として1,409坪を寄進され、紀州和歌山の熊野本宮大社から分霊を勧請して、熊野神社を建立した。 境内末社の御嶽神社や稲荷神社。 子供の日の時期なら境内で鯉のぼりや五月人形を飾るようだ。
2024.05.06
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なんと無事に予定より早く作業を終了したので、ゆっくり日曜日の昼まで寝込んでしまった。8時間以上寝込んだのがいつ以来のことか某さえわからない。 「つけ麺 一滴」の公式Xを読んだら、濃密つけ麺という限定を提供しているってことがわかった。かなり興味があるので、電車で2ヶ月ぐらいぶりの金町へゴー。半年以上ぶりの一滴に入店し、特製濃密つけ麺の食券を購入し、無料のニンニク醤油のボタンも押した。 しばらく待ったらご対麺。 デフォと似ている外見だが、実際に煮干しによるつけ汁は濃度と粘度がかなり高い。レギュラーの味は元々ほかのお店に比べかなり濃度と粘度が高いほうだが、このつけ汁はそれを勝ったのだ。 特製はオープン以来ぶりだった。四角い極太麺は一本一本の重みがかなりあり、つけ汁との絡めはもちろ、、歯ごたえもいいし、コシもある。並盛の200gは今のわしにとってちょうどよいが、もっと腹いっぱいで食いたいなら中盛まで頼んだほうがよいかと思う。燻製のバラチャーシューとロースチャーシューはいずれも香ばしいし、歯ごたえもよい。 途中にもちろん、ニンニク醬油を投入。ニンニクの量が少ないので、濃度と粘度が高いつけ汁に負けているかな。 最後はポットで割スープを投入。飲みやすくなったとはいえ、やはり濃度と粘度が高い味だ。 おいしかったね。レギュラーの味もすごいが、さすが限定だ。定期的に限定ラーメンを提供しているので、やはりもっと頻繁に通おうかな。午後1時の直前に来た時、半分の席しか埋まっていないが、着席した直後に徐々に客が入店し、退店した時すでに行列ができている。すぐ着席できたわしの運がよかったね。ご馳走様。
2024.05.05
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吉祥寺への参拝が終わった後に、山門の写真を撮ってから、本郷通りに沿って職場へ。 途中に南谷寺へ参拝。天台宗の寺院で山号が大聖山、院号が東朝院。ご本尊は阿弥陀如来、不動明王。元和年間に万行和尚が伊勢国赤目山で、不動明王像を授けられ、後に今の駒込に庵を開き、赤目不動と号した。庵の前の道は今の動坂で、当時不動坂と呼ばれた。寛永年間、江戸幕府三代将軍徳川家光が動坂の庵に立ち寄り、目黒・目白不動に対し目赤不動と呼ぶべしと命じた。このため、目赤不動尊となり、江戸の五色不動の1つとして知られている。戦争で寺が焼失されたが、御本尊は無事だ。本堂は1958年、不動堂は1983年に再建された。 本堂。しまったままであり、賽銭箱もない。 不動堂。自分でドアを開けて賽銭箱に賽銭を入れる、護摩木を記入するということになっている。御朱印は隣の事務所から書置きでいただいた。
2024.05.04
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駒込天祖神社への参拝が終わった後に、本郷通りに沿って職場へゴー。 途中に吉祥寺へ参拝・見学。吉祥寺は曹洞宗の寺院で、山号が諏訪山。群馬県の永源寺の末寺、神奈川県の最乗寺の孫末寺にあたる。室町時代の長禄2年(1458年)、太田道灌は江戸城築城の際に、井戸を掘ったところ、「吉祥増上」の刻印が出てきたため、現在の和田倉門のあたりに「吉祥庵」を建てたのが始まりといわれる。山号はこの地が諏訪神社の社地であったとされる。のち徳川家康の関東入府にともなって駿河台(現在の都立工芸高校の周辺)に移り、明暦の大火と江戸大火によって現地に移転した。武蔵野市吉祥寺という地名は、明暦の大火で吉祥寺の門前町の住民が住居を失い、五日市街道沿いの地域に移住し、開墾したことによるものである。 御本尊は釈迦如来。江戸時代の時、境内に後の駒澤大学となる学寮「旃檀林」が作られ、幕府の学問所「昌平黌」と並んで漢学の一大研究地となった。 鐘撞き堂。 西暦1804年に築かれた経蔵。文京区指定有形文化財。寺堂などはほとんど東京大空襲で焼失し、1802年築かれた山門と経蔵のみ無事だった。 境内のある釈迦如来坐像と六地蔵。 茗荷稲荷。御朱印は「茗荷稲荷大権現」ということである。 歴史のある寺院であるため、江戸時代の多くの大名の菩提寺にもなった。ここは榎本武揚の墓所。 榎本武揚は幕府の開陽丸発注に伴いオランダへ留学し、のち幕府海軍の指揮官となった。鳥羽・伏見の戦いの時、徳川慶喜は榎本武揚不在の開陽丸に乗って江戸へ逃げたが、2004年の大河ドラマ『新選組!』で榎本武揚、2021年の大河ドラマ『青天を衝け』で徳川慶喜を演じたのは、草彅剛だった。榎本武揚は戊辰戦争で旧幕府軍を率いて蝦夷地を占領、蝦夷共和国の総裁となったが、箱館戦争で敗北し降伏。2年半投獄されたが、黒田清隆の尽力により助命され、釈放後明治政府に仕えた。開拓使、駐露特命全権公使、海軍卿、駐清特命全権公使、逓信大臣、文部大臣、外務大臣、農商務大臣などを歴任、子爵となった。東京農業大学の創設にも関わった。 二宮尊徳墓。二宮尊徳は自筆で金治郎と書いていたが、金次郎として知られる。つまり薪を背負いながら本を読んで歩く姿として知られる二宮金次郎のことだ。江戸時代後期の経世家、農政家、思想家であり、 相模小田原藩士として農村復興に関わり、のち幕臣として召し抱えら、3度目の病気で役所で亡くなった。享年70。 旗本鳥居家の墓。右側はあの鳥居甲斐守耀蔵の墓だ。妖怪と呼ばれる鳥居耀蔵は天保の改革の時に市民に人気のあった南町奉行矢部定謙を失脚させ、自らが南町奉行に就いた。さらに市川團十郎の江戸追放をはじめ市中取締まりを厳しく行ってきた。鳥居と対抗するのは遠山金四郎、遠山の金さんとして知られる北町奉行遠山左衛門尉景元だった。「遠山の金さん」および鳥居の悪いイメージはこの時から芝居、講談・歌舞伎の物語として出来上がってきた。のち鳥居は失脚し遠山は南町奉行として返り咲いた。開国も反対した鳥居は死ぬまで幽閉されていたのである。 八百屋お七・吉三郎の比翼塚。八百屋お七は、本郷の八百屋の娘で、恋人の吉三郎に会いたい一心で放火事件を起こし火刑に処されたとされる少女である。八百屋お七の墓は不明だが、ここはお七や吉三郎をともに祀る比翼塚。
2024.05.04
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駒込富士神社への参拝が終わった後に、さらに住宅区に進み、本務社の駒込天祖神社へ参拝。 無事に駒込天祖神社の正面の鳥居を見つけた。 拝殿への参道。笑い顔の狛犬はかなり特徴的だ。 主祭神は天照皇大神。文治5年(1189年)、源頼朝が藤原泰衡追討(奥州合戦、奥州征伐)の途中に、霊夢に感じ家臣安達盛長に探させたら、松の枝に大麻が見つかった。それで頼朝はその松の辺りに神明宮を建立したのが神社の起源と言われる。その後、中絶して宮守もなく神木の老松の下に小祠のみとなったが、慶安年間(1648~1659)堀丹後守利直(あるいは年直)は再興した。昭和20年(1945年)2月25日おの空襲により拝殿などは焼失したが、戦後に再建された。社殿は伊勢神宮の流れをくむ神明造りである。 境内社の鎮火稲荷神社。祭神は宇迦御魂命。 境内社の三社合祭社。三社とは、淤母陀流神、阿夜訶志古泥神を祀る榊神社、須佐之男命を祀る須賀神社、天手力男命、倭健命を祀る戸隠熱田神社。 亀石。 駒込天祖神社の脇に奉安されている縁結び子育地蔵尊。江戸時代創建という。
2024.05.04
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麺屋なにがしを出た後、本駒込界隈へゴー。 大通りから住宅区へ歩いたら、駒込富士神社の鳥居が見えた。 境内は結構広く、一部が駐車場になっている。 階段から歩いて富士塚へ登った。富士塚の創建年代は不明。 主祭神は、木花咲耶姫。天正元年(1573年)、本郷村の名主は夢の中に木花咲耶姫を見たため、現在の東京大学の地に浅間神社を勧請した。ただし、寛永5年(1628年)、加賀前田氏が屋敷を建つことになったため、1573年、現在の東京大学の場所に、富士塚へ遷座し、合祀された。駒込富士神社は江戸時代の富士信仰の拠点の1つとして知られる。本務社は、近くにあり、通称駒込神明宮の駒込天祖神社である。
2024.05.04
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今年のゴールデンウイークもそろそろ最後の段階に突入しているが、わしには関係ない。とりあえず、今日の残業で何とか取り組んでいる作業を一段落まで終了させないとダメだ。とはいえ、やはりちょっと連休らしき活動をしたいので、駒込を降りた。 山手線の線路に沿って少し歩い荒、無事に開店直前の麺屋なにがしを見つけ。店主が「煮干しつけ麺 宮元」出身で製麺を担当するため注目店となった。行列ができているが一巡で着席できる。定刻開店。特製焼きあごらーめん(醤油)の食券を購入してから着席。 しばらく待ったらご対麺。 あごの限定ラーメンあるいはあごによるレギュラーラーメンも結構食っているが、今回の特製焼きあごらーめんのスープは濃度がかなり高いほうだ。下支えする動物系の白湯スープによる濃度だが、あごの甘味と塩気も結構強調されるため、むしろ魚介が主役って味わえた。糸唐辛子とネギも薬味としていい仕事をしてくれる。縮れ平打ち中太麺は厚みがあり、スープとの絡めもいいし、コシもある。肩ロースのチャーシューも結構の厚手で、歯ごたえと味付けもよいしう、肉の旨味も結構すごく味わえた。何とわしが訪問する直前にチャーシューの肉が銘柄豚(岩中豚・林SPF)の肩ロースへ変更されたってこと。 おいしかったね。レベルが高いだけではなくほかのところでなかなか食えない味でもあると思う。店主が宮元出身なのでもともとつけめんも気になるが、今日の醤油を食ったら塩がかなり気になってしまった。ご馳走様。
2024.05.04
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浅草神社への参拝が終わった後に、少し時間がかかったが何とか混雑エリアから脱出。とりあえずブランチを摂ってから電車で職場へ出勤。 狙っている鬼そば藤谷に来た。ものまね芸人のHEY!たくちゃんは本名の藤谷拓廊として『東京ラーメンショー2011』におけるラーメン店主志望者を発掘し、独立出店を応援するプロジェクト「NRA杯 ラーメンコンテスト バトプリ2011」で優勝し、のち渋谷で店を構えたが、入ったビルが火事に遭った後に店を浅草へ移転し、復活させた。元々月木定休だが今休業なしのようだ。ただし月曜日の午前中に急に臨時休業を発表したため訪問を断念。今日無事に営業するので訪問。 2階にあるラーメン屋さんは最近になって珍しくないが、ここが渋谷で創業した時まだ珍しかった。半分ぐらいの席が埋まっているが、外国人観光客も結構いるようだ。何しろ店主はあのラーメンの鬼と言われる佐野実の弟子としても有名だからだ。鬼塩ワンタンラーメン、味玉を注文。 しばらく待ったらご対麺。 鶏油が透明のような清湯スープの上に張っている。塩スープは塩気がかなり強調された、鶏の旨味もしっかりしている。中細ストレート麺は歯切れとスープとの絡めもいい。チャーシューは支那そばや系として小振りだが柔らかくていい歯ごたえだ。ワンタンは肉餡もかなり大きくて、皮も柔らかい。葱も薬味としていい働きだ。 おいしかったね。さすがだ。スープの透明感に騙されてはいけないってことだ。醤油を食おうとも悩んでいたが、正解だ。次回は醤油にしよう。ご馳走様。
2024.05.03
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世の中はGWの最後の土曜日だが、わしはやはり出勤。もちろん、せっかくの連休だから、連休らしき活動をしながら仕事したいもんだ。 湯島から浅草まで歩行で来た。今日は浅草神社と浅草の観音寺へ参拝しようと思ったが、雷門の賑やかさかつ観音寺の参道の行列で観音寺への参拝をあきらめた。 まず弁天堂へ参拝。浅草七福神の弁財天を祀る。観音寺の南東の小さい丘にある。弁財天は池中の小島に祀られることが多いが、弁天山もかつては池の中にあった。現在、池が埋め立てられて公園となっている。 弁天堂への参拝が終わった後にそのまま直進したら、通称「三社権現」、三社様の浅草神社に到着。 主祭神は土師真中知、檜前浜成、檜前竹成。東照宮(徳川家康)・大国主命を合祀。土師真中知、檜前浜成、檜前竹成は観音寺の創建に関わったため、のち観音のお告げで神として祀られることになった。明治の神仏分離により浅草寺とは別法人になり、明治元年に三社明神社に改称、明治5年に郷社に列し、明治6年に現在の浅草神社に改称した。 境内社の被官稲荷神社の鳥居。 被官稲荷神社の社殿。主祭神は、倉稲魂命。 神社の裏通りにある鬼太郎と目玉おやじの像。ウルトラマンの像もあるそうだが、見つけられない。境内はGW期間中に多くの棚が建たれたため、一部の文化財も見つけられなくなった。
2024.05.03
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萬満寺への参拝が終わった後に、すぐ隣の馬橋王子神社へ参拝。 「王子神社は建長八年(1256年)に馬橋の萬満寺の守護神として創建されました。萬満寺は、千葉氏一門の菩提寺でもあり、当時は大日寺と称していました。また、馬橋一帯は、当時砂丘のような地質で水が乏しかったことから、諏訪明神を勧請して寺領の鎮守として祀っていたといわれています。16世紀半ばになると熊野の若一王子(にゃくいちおうじ)を勧請し「王子権現社」としました。さらに、明治6年には政府の神仏分離政策により「王子権現社」は萬満寺と分離され、「王子神社」と称されることとなりましたが、第二次世界大戦終了後は昭和28年に「宗教法人王子神社」となり、現在に至っています。」というのは神社の説明。 拝殿。祭神は幸江序命、市杵島姫命、猿田彦命。幸江序命という神様の名前はあまり聞いたことがないが、調べたら、お諏訪さま、諏訪南宮法性上下大明神として知られる建御名方神の別名らしい。また、幸江序命で建御名方神を呼ぶのもここしかないみたい。 境内社の浅間神社。 境内社の三峰神社。三峰神社の隣に祀られる道祖神は寛文元年(1661年)の銘を持つ安山岩製で「石祠型」としては千葉県内最古のものだという。
2024.05.02
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