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「( ̄∇ ̄;)ハッハッハ、校舎の中まで入っちゃった!」 徘徊日記 2023年4月18日(火)神大文学部あたり 早逝してしまった同級生をしのぶ会の流れです。「大学行ってみよか?」 六甲台の正門前でタクシーを降りてからヒョコヒョコ歩いて六甲ハイツまで下りてきて、門から覗くと知らないビルがデーン、デーンと立っていて、ちょっと気後れしましたが、そのビルの向こうにありました。 文学部の懐かしい校舎です。 40年ぶりのOB・OGたちは玄関前で記念写真を撮ったりして、おおはしゃぎです。まあ、ボクもその一人なのですが、写真を撮ってもらいながら前に見えるのが駐車場の車回しの二本の木立でした。 背景に映っているビルには見覚えはありませんが、二本の立ち木(名前はわからない)は、あのころの姿のまま(そんなわけはない)変わらず立っていました。ほんま、切り倒されんと、よう、立っとった! まあ、頭をなでてあげたい気分ですが、周りには満開の躑躅の生垣もあります。農学部の前です。 で、何の遠慮もなく校舎に入って、学科の読書室とか、資料室とか、教室とか、ウロウロしていると、ここの所あこがれている(?)芸術学の先生がドアを開けたまま講義をなさっていたりして、思わず写真を撮りそうでしたが、さすがに自重して、裏庭です。 学生のころ裏庭なんて入ったこともなかったのですが、コブシの花が満開で、ベンチがありました。 で、その向こうです。小さな図書館と小さな生協食堂があったあたりに大きな図書館が建っていました。 図書館前の藤棚は健在で、満開でした。 図書館の前から南に出ると、百年記念館というのでしょうか、立派なホールが建っていました。 で、そのビルというか、建物の真ん中が吹き抜けになっていて、六甲道から御影あたりの街と海が見えます。ぽつんと立っている高層ビルが阪神御影の駅前あたりです。 昔は、一面、神戸製鋼の製鉄所で、一日中、煙突(?)から火が吹いているようすが見えました。昼は煙しか見えないのですが、夜になると火が見えて、一晩中アカルイ町でした。 百年記念館とかの南に、瀟洒な民家ふうの建物がありました。山口誓子記念館というと思いますが、俳人の山口誓子が住んでいた家を移築して保存しているようです。海に出て木枯帰るところなし 山口誓子 まあ、高校の教科書にも載っている、こんな句の人ですが、三高・東大の人だったと思いますが、なんで神戸大学に記念館があるのかは知りません。 というわけで、無事、下山です。まあ、あのころは、毎日登山だったのですね。また会う日があればいいね 素直に、そう思う一日でした。で、最後にもう一句どうぞ。春水と 行くを止むれば 流れ去る 山口誓子じゃあ、またね。ボタン押してね!
2023.04.30
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「新緑の山、一面の藤の花!」 徘徊日記 2023年4月27日(木)須磨離宮の裏あたり 2023年も4月になって、週に一度ですが、須磨の高倉台あたりの女の園に出向く生活が始まりました。 お昼過ぎから夕刻まで、ほぼ、4時間立ちっぱなしでおしゃべりして、帰りは須磨離宮の西側の道を山陽電車の須磨寺駅までふらふら歩いて下ります。 歩きながら振り向くと、写真はピンボケですが(笑)、新緑の山の上に女の園の建物が見えます。裸眼のままスマホでシャッターを押すとピンボケなのが分かりません。 ここは、ちょうど須磨離宮の裏山で山一面に藤の花が花盛りです。 歩道から、少し山沿いにある谷川に降り、山の麓まで近づいて、何とか写真を撮ってやろうと企んでウロウロするのですが、いかんせん、ピントがうまく合いません。 何とか撮った写真です。何の手入れもされず、自然に育っているらしい藤ですが、近くで見上げると、なかなかの迫力です。谷川の堰堤に座り込んで花群らを見上げながら、ようやく、午後の一服です。「本日はご苦労様でした!」 藤の花に声でもかけらているつもりで、自分を自分で労いながら、持参したペットボトルのお茶を飲みながら一休みです。 座り込んでいる目の前の大きな木立の上に蔓延っている花の薄紫が若葉との絶妙のコントラストで美しいのですが、何しろピンボケ気味でしようがありません(笑)。 しばらく歩くと阪神高速の高倉台のトンネルあたり、ちょうど須磨の出口あたりですが、そのあたりの東側の斜面に、またまた藤の花です。 歩いている歩道に覆いかぶさるようにして咲いています。 立派なものですね。ここから少し下れば北須磨小学校の横に出ます。歩道のわきでは躑躅も満開でした。いい季節ですね(笑)。 今日はお天気もよくて、歩くのにもってこいだったのですが、久しぶりの立ちっぱなしの4時間のせいでしょうか、腰が痛くて往生しました。 まあ、それにしても、ここらあたりには離宮公園とか須磨寺とか、ウロウロするところがいっぱいあります。楽しみな季節が始まりましたね(笑)。じゃあ、またね。バイバイ。ボタン押してね!前回ご案内した豊助饅頭
2023.04.29
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リービ英雄(英訳)・中西進(日本語現代語訳・本文)・井上博道(写真)「 Man'yō Luster万葉集」(パイインターナショナル) 日本語で書く作家リービ英雄の万葉集英訳の仕事については、「英語でよむ万葉集」(岩波新書)について、すでにご案内していますが、「全米図書賞を受けたという全訳の仕事は翻訳・出版されていないのかな?」 と思って探していて、この本に出合いました。 パイインターナショナルという、聞いたことのない本屋さんから出ている万葉集フォト・ブックの趣の、大きさは文庫版ですが、紙質も少し厚手で、400ページ近い分厚い本です。 英訳は、もちろん、リービ英雄で、現代語訳は中西進、井上博道という人の写真が歌のイメージと重ねられて編集されている美しい本です。 お出かけのカバンの隅に入れて、電車の中でぼんやり覗くのにもってこいですが、少々重くて、価格も1900円ですからお高いかもしれません。 ちょっと開くとこんな感じです。 By Kakinomoto Hitomaro,when Crown Prince Karu sojourned on the field of AkiOn the easyern fieldsI can see the flames of morning rise.Turning around,I see the moon sink in the west. 軽皇子の安騎の野に宿りましし時に、柿本朝臣人麿作れる歌 東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかえり見すれば月傾(かたぶ)きぬ 東方の野の果てに曙光がさしそめる。ふりかえると西の空に低く下弦の月が見える。 で、つぎのページにこういう写真です。 ぼんやり眺めるのに最適でしょ。 本書の事実上の著者、英訳者のリービ英雄は巻頭の「万葉の艶」という文章をこんなふうに締めくくっています。 翻訳しても翻訳しても、驚きは消えなかった。 そして、翻訳してみると、おそらくは多くの日本人が想像している以上に、万葉集は「外」のことばにも伝わる、ということが分かった。 あをによし寧楽の京師(みやこ)は咲く花の薫ふがごとく今盛りなり という日本語が The capital at Mara. Beautiful in blue earth, Flourishes now like the luster of the flowers in bloom となる。花が「にほふ」。花が輝く。花には艶がある。ことばの艶、ことばのlusterが千三百年経っても消えない。 万葉の艶は、英語にも出る。英語に出たとき、万葉集は、人類の古代から受けつがれている最大の抒情詩集、というもう一つの像を結ぶ。 万葉集は新しい。 電車の話に戻れば、光が差してくる窓のブラインドを下ろして、スマホを覗くのに夢中になっている人たちのうつむいた姿が、ずっと並んでいるというのが日常の光景になって久しいですが、そんな中で「万葉集」とか英語でたどたどと読んでいるなんていうのは、世間ずれの程度が、ちょっといいと思いませんか? 万葉集は新しいのです!
2023.04.28
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オタール・イオセリアーニ「素敵な歌と船は行く」シネ・リーブル神戸 イオセリアーニ映画祭の3本目です。大きなお屋敷から少年がボートを操って水路を伝い、街に出かけてゆくシーンから映画は始まりました。 で、そこからのこの少年の行動のわけわかりません、学生アルバイトなのか、ゆすりたかりなのか、物乞いなのか。ああ、家では坊ちゃんのなりをしていますが、街に出るときは、まあ、ただの不良少年です。ピストルとか持ち出してスーパーマーケットで強盗とかやっちゃうのですが、つかまって、一応、映画を見ている感覚では、すぐに出所しきます。 もう一人の登場人物は父親です。鉄道模型の好きな、まあ、ただの好きではなくて、所謂、鉄ちゃんのおじさんです。部屋の中を列車が走りまわっています。ああ、もちろん模型ですよ。お金持ちのようです。でも、何をして食っているのか不明です。やたらタバコを吸って、酔っ払っています。時々庭なのでしょうね、鉄砲を持ち出して狩猟をしたりしています。息子が連れ帰ってきたホームレスのオッちゃんと意気投合して飲んだくれの生活を続けますが、上の写真は住みついた(?)ホームレスのオッちゃんと、なんと、イオセリアーニ本人が演じている父親です。 三人目は母親です。どうも実業家のようです。まあ、いけ好かないおばさんです。で、家の中に、変な鳥がいます。多分、コウノトリの一種だと思いますが、奇怪な表情で立っています。鳴いたり飛んだりしません。上の写真は父親をいたぶっている(?)母親と、家の中にいるコウノトリです。 で、外の世界ですが、デカい単車にのってカフェとかの娘に言い寄る鉄道員らしい男と、まあ、そのカフェの娘が、まあ、目立った登場人物です。で、娘は、なぜか、少年のお屋敷に逃げ込んできていたりします。 他にも、犬とか、変な動物とかが、突如、出てきます。ヘリコプターがなんで飛んでくるのか忘れましたが、自動車やバイクもいろいろ出てきます。なんなんでしょうね。 要するに、知らない人が暮らしている、ちょっと地理感覚の通用しない街と、どうも、その街から少し離れたところにあるらしいお屋敷で暮らしているお金持ちを、ぼんやり眺めているという風情の映画です。正直に言うと、まあ、ほどんど訳が分からない世界です。うーん、脈絡のない世界というほうがいいかもしれません。 予想なんてとてもできない出来事が不意に起こるのです。「まあ、それもありか・・・(笑)」 困ったことにそういう気分にはさせられます。別に、幸福になったりはしません。チラシにはノンシャランとかユーモアとか書いてありますが、ノンシャランとユーモアを感じられる人は、かなり優雅な心の持ち主だと思います。ボクのような貧乏性の小理屈人間には強敵です。「なんなんですか、この映画?」 そう思っていると終わりました。 困ったことに、明日も来そうです。脚本・編集・出演:オタール・イオセリアーニ撮影:ウィリアム・ルプシャンスキー音楽:二コラ・ズラビシヴィリ出演:ニコ・タリエラシヴィリ、リリ・ラヴィーナ、フィリップ・バス1999年・117分・フランス・スイス・イタリア・原題「Adieu, Plancher des Vaches!」2023・03・12-no036・シネ・リーブル神戸no181
2023.04.27
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アンソニー・ファビアン「ミセス・ハリス、パリへ行く」パルシネマ パルシネマの2本立てで見ました。もう1本は「メタモルフォーゼの縁側」で宮本信子さんがボーイズ・ラブ・マンガにはまったおばあさんを好演していましたが、こちらはクリスチャン・ディオールのドレスにあこがれる戦争未亡人のハリス婦人をレスリー・マンビルという女優さんが明るく演じていて気持ちのいい映画でした。作品はアンソニー・ファビアンという監督の「ミセス・ハリス、パリへ行く」です。 第二次世界大戦の戦後、1950年代のイギリス、たぶんロンドンとフランスのパリが舞台でした。ちょうど、ボクが生まれたころの話です。第二次大戦が終わって数年たっているのですが出征した夫の安否がわからないまま家政婦稼業で、まあ、実に気丈に暮らしているハリス婦人の物語です。なんというか、その気丈さが、映画全編にわたって、明るく発揮されつづけるのがこの作品の好さですね。 クリスチャン・ディオールなんて、まあ、何の関心もないし、なんで、女性の皆さんがあこがれるのかも、実は全く分かっていない無粋老人なのですが、母の世代と思しきミセス・ハリスの、一見、冷静で落ち着ついて生きているかに見える女性の、突如のぶっ飛びかげんに、思わず声をかけそうでした。「がんばれハリスさん!」 結婚したばかりの夫や恋人の戦死を受け入れざるを得ない体験をした方は日本にもたくさんいらっしゃったわけで、例えば、もう亡くなりましたが、エッセイストの岡部伊都子さんとか、生涯そのことを語り続けられたわけで、この映画のハリス婦人の心にはそういう深い悲しみがあるに違いないのですが、それをクリスチャン・ディオールのドレスへのあこがれとその夢のような実現として、明るく昇華して描いていく映画の展開に好感を持ちました。 でもね、この主人公、今、生きてらっしゃったら100歳近いんですよね。で、「プラン75」とかいう時代になっちゃったんですね。ミセス・ハリスの夢はどこに行っちゃったんでしょうかね。 まあ、なにはともあれ、ハリス婦人を明るく演じたレスリー・マンビルさんに拍手!でした。 いや、ホント、今日は二本ともホッとする作品でよかったですネ(笑)。監督 アンソニー・ファビアン原作 ポール・ギャリコ脚本 キャロル・カートライト アンソニー・ファビアン キース・トンプソン オリビア・ヘトリード撮影 フェリックス・ビーデマン美術 ルチャーナ・アリギ衣装 ジェニー・ビーバン編集 バーニー・ピリング音楽 ラエル・ジョーンズキャストレスリー・マンビル(エイダ・ハリス)イザベル・ユペール(マダム・コルベール)ランベール・ウィルソン(シャサーニュ侯爵)アルバ・バチスタ(ナターシャ)リュカ・ブラボー(アンドレ・フォーベル)エレン・トーマス(ヴァイ・バターフィールド)ローズ・ウィリアムズ(パメラ・ペンローズ)ジェイソン・アイザックス(アーチー)ロクサーヌ・デュランロクサーヌ・デュラン2022年・116分・G・イギリス原題「Mrs Harris Goes to Paris」2023・03・29・no048・パルシネマno58
2023.04.26
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ベルナルド・ベルトルッチ「ラストエンペラー」元町映画館 「12ヶ月のシネマリレー」の2023年4月のプログラムはベルナルド・ベルトルッチの「ラストエンペラー」でした。このシリーズのチラシの表紙になっている作品です。いわずと知れた傑作映画ですね。テレビでも、何度もやった作品のようです。ところがぼくは今回が初見なのですね(笑)。見たような気がしていたのですが、見終えて、「やっぱり、初めてだ!」 まあ、ちょっと、あてにならない節はないこともないのです。甘粕大尉を演じた坂本龍一の姿に、なんとなく見覚えがある気がしたんですね。でも、まあ、もし、見たことがあったとしても、初めて見たような静かな感動で見終えました。 いまさら、あれこれ言うのもなんですが、個人的には坂本龍一の追悼映画として見たということもありました。「ああ、これが坂本龍一なんだな!」 テーマ音楽を聴きながら感慨に浸りました。一瞬でしたが、彼の顔のアップのシーンもありました。「ああ、この人もいなくなったんだなあ・・・」 まあ、ボクだからの感じ方、見方なのかもしれませんが、映画そのものが、こんなふうに感慨に浸っていられる、そういうゆったりしたテンポだったのが好ましかったですね。 映像は、宮殿や広場の人間の数が、なんというか、スケールの大きな映画をイメージさせますが、閉じ込められた宮殿の奥で「コオロギ」を愛していた少年が60年の波乱の歳月を生きて、コオロギに生まれ変わるというお話の作り方で、いかにも「これぞ映画!」 という納得の結末でした。 ボクにとっては、好きな時代を舞台にしていることもあって、気づいたことかもしれませんが、あたかも歴史をなぞっているかのようですが、すぐわかることでいえば、たとえば、溥儀と初めて謁見し、後継を指名した、あの、西太后のその場での死とか、服毒死が有名な甘粕大尉の拳銃自殺とかのように「こっちのほうが面白いで!」 とでもいうような劇的なイメージを、入念に仕込んでいる脚本にも「映画!」を感じて面白かったですね。 まあ、60歳の庭師、溥儀を演じたジョン・ローンと子役たちに拍手!ですね。それから坂本龍一、ベルナルド・ベルトルッチには、もちろん拍手!でした。 それにしても、かなりなタイミングな上映で、映画館も、なかなか盛況でしたね。でも、まあ、老人ばかりというのは変わらないですけどね。監督 ベルナルド・ベルトルッチ製作 ジェレミー・トーマス脚本 ベルナルド・ベルトルッチ マーク・ペプロー エンツォ・ウンガリ撮影 ビットリオ・ストラーロ美術 フェルナンド・スカルフィオッティキャストジョン・ローン(愛新覚羅溥儀)リチャード・ヴゥ(溥儀3歳)タイジャー・ツゥウ(溥儀8歳)ワン・タオ(溥儀15歳)ジョアン・チェン(婉容)ピーター・オトゥール(レジナルド・ジョンストン)坂本龍一(甘粕正彦)ビクター・ウォン(陳宝琛=溥儀の教育係))マギー・ハン(川島芳子)リサ・ルー(西太后)1987年・163分・PG12・イタリア・イギリス・中国合作原題「The Last Emperor」日本初公開1988年1月23日2023・04・24-no056・元町映画館no169
2023.04.25
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「旧友再会」徘徊日記 2023年4月18日(火)神戸大学あたりこの花はご存知ですか? ええーっと、多分、マンサクという花の一種です。どこで見かけたかというと、こちらの学校の敷地です。「あのー、ここってどこかご存知ですか?」 ハイ、こういう門がありまして、ごらんのとおり、六甲台にある神戸大学の正門です。その向こうが石段です。門の向こうに赤く見えているのは躑躅です。 まあ、40年ぶりにやって来たというわけではありませんが、ここに佇むのは40年ぶりかもしれません。この石段が、こんなに威圧的だということに気づいたのは初めてです。 この辺りを六甲台といいます。神戸大学というのは六甲ハイツから六甲ケーブルの乗り場のあるところまで、六甲山の麓の斜面に上下に各学部が配置された、まあ、山の学校です。一番高いところにあるのが、40年前は教育学部でしたが、今は、たぶん発達科学部という学部です。この辺りは、ちょうど中腹で、その昔の神戸経済大学の本館があったところです。ここに写っているのは六甲台の本館と呼ばれていた建物ですが、経営学部、経済学部、法学部があります。今もたぶん、そうでしょう。 阪急六甲とかJR六甲道の駅が最寄駅ですが、ここまで歩いてくるのは、当時は歩いていましたが、今は、もう、無理です。今日は10人ほどの人と一緒に、JR六甲道の駅前からタクシーを連ねてやって来ました。40年前の、同じ学科で同じ専攻だった人たちの、まあ、同窓会のような昼食会があって、「ちょっと、行ってみる?」 ということで、この正門までやって来ましたが、集まった皆さんが40年前に卒業したのは文学部で、ここからバス停一つ下ったところにあります。 正門前から、バス道を歩いて下っていくと、大学の敷地にこんな花が満開でした。最初の写真の花で、多分マンサクという花の仲間だと思いますが、花の色合いが違う木が複数茂っていました。 で、その茂みの横を下って着きました。この門は同じだと思います。あの頃は、六甲ハイツと呼ばれていて、文、理、農の3学部があって、理学部に地球科学だったかの学科ができたころです。 門から、構内を見ると、なんだか知らないビルがいっぱい立っていてボーゼン!です。「こっ、ここはどこや?」文学部の校舎はどこに? というところで今回は終了です。無事たどりついた続きはその2でお伝えします、じゃあね。 ボタン押してね!
2023.04.24
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伊丹十三「静かな生活」こたつシネマ ここのところ、大江健三郎の小説に、ちょっと、はまっています。昨年の秋ごろから、ほぼ10年ぶりの大江作品なのですが、一作づつ読み終えた時の印象が以前読んだ時と、なんだか大きく変化していることが驚きで、次は?次は?という感じで読み続けているさなかに訃報が伝えられました。3月のことです。「そうか、死んじゃったのか?」 ノーベル賞受賞のころの、いわゆる後期の作品はともかく、1960年代から70年代に出ていた「大江健三郎全作品(第1期・第2期)全12巻」(新潮社)に収められた作品群は、ボクにとっては「青春の読書」の人だったわけですから、その作家の死が感慨深いのは、まあ、当然なのですが、亡くなった時に読んでいたのは「静かな生活」(講談社)という80年代に書かれた作品でした。 読み終えて、「初めて読んだ」という印象だったのですが、その後、メモした付箋が複数貼られている、別の単行本が棚から出てきたところを見ると、再読だったようです。「まあ、そんなもんだ。」 とか思っていると伊丹十三が、その作品を映画化した「静かな生活」をテレビでやっていたので見ました。 原作を読んだばかりでしたから、映画監督が、原作をどんなふうに読んで、どんなイメージを作ったのかということに興味を持ちましたが、見始めると同時にポカン!?として、結局、ポカン?!としたまま映画が終わってしまいました。 小説中のエピソードは映画の中でも使われているのですが、小説で描かれている世界とはまったく別の世界が、映像として繰り広げられている印象でお手上げでした。登場人物たちの演技も、小説でボクが感じていた印象とはかなり違っていて、マーちゃん役の佐伯日菜子さんも、イーヨー役の渡部篤郎くんも、熱演だったと思うのですが、ついていくことができませんでした。 最初に「えっ?なに?」 という感じで違和感を感じたところは会話の中で聞こえてくる声の音でした。多分、会話のテンポと声の音が、いかにも、お芝居のテンポと映画の音の印象が強くて、小説を読んでいるときに思い浮かべているイメージと違うことに引っかかったのでしょうね。 映画の中には、いかにも伊丹十三という印象の、小説にはないシーンもありますが、「なぜ、このシーンがこんなふうに描かれるのだろう?」 というような疑問ばかり浮かんできて、素直に没入して面白がることはできませんでしたね。 読んだことのある小説の映画化作品を見たことがないわけではありませんが、この、ギャップ感は何でしょうね。やっぱり、書いているのが大江で、撮っているのが伊丹十三だということに理由があるのでしょうかね。まあ、ボクの読み方に問題があるとは思うんですけどね。今日は、拍手は無しですね。ザンネン!監督 伊丹十三 脚色 伊丹十三原作 大江健三郎撮影 前田米造音楽 大江光編集 鈴木晄 キャスト佐伯日菜子(マーちゃん)渡部篤郎(イーヨー)山崎努(パパ)柴田美保子(ママ)今井雅之(新井君)緒川たまき(天気予報のお姉さん)岡村喬生(団藤さん)宮本信子(団藤さんの奥さん)大森嘉之(オーちゃん)原ひさ子(おばあちゃん)結城美栄子(フサ叔母さん)左時枝(朝倉さん)渡辺哲(筋肉質の男)阿知波悟美(黒川夫人)柳生博(キャスター)1995年・121分・日本・東宝2023・04・22-no055・こたつシネマ
2023.04.23
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NTLive リンゼイ・ターナー「るつぼ」シネ・リーブル神戸 アメリカの劇作家アーサー・ミラーの戯曲「るつぼ(The Crucible)」を、上演劇場はちょっとわかりませんが、リンゼイ・ターナーという人が演出した舞台をNTLiveで観ました。 前回の「かもめ」が期待外れだったので、あまり期待せずに見たのですが、ものの見事に打倒されました。 「かもめ」を見ていて「好きな劇作家のお気に入りの戯曲だからといって実際の舞台が面白いとは限らない。」 ということを、まあ、当たり前なのですが、感じたのですが、この舞台はアーサー・ミラーという劇作家も好きな人ではあるのですが、話の筋なのか、演出なのか、役者たちの演技力なのか、実際のところ理由は定かではないのですが、戯曲が書かれてから60年たった2023年という今をたらたら生き続けている徘徊老人に、異様な衝迫力で迫り続ける展開で、主人公のプロクター夫妻(ブレンダン・カウエル アイリーン・ウォルシュ)の、とりわけ、夫ジョン・プロクターの最後の決断の姿には胸打たれました。 アーサー・ミラーが、有名な「セールスマンの死」を書いたころの作品で、1690年代のアメリカの農村で起こった魔女裁判を描いているのですが、戯曲が書かれた1950年代、猖獗を極めていたマッカーシズム=赤狩りを批判した作品だと解説されているようですが、「いま」という時代に、ドン、ピシャリ!という印象を持ちました。 映画.COM 上の写真は劇中で、少女たちが悪霊を見る、まあ、モノに憑かれたシーンですが、舞台上の所作、演技としてのイメージを超えて、現代社会そのものを活写して迫ってくる印象で、ある意味、ゾッとしましたが、おそらく演出の狙いなのでしょうね。 いやはや、俳優さんや演出さんにも拍手!ですが、やっぱり、アーサー・ミラーはスゴイ!ですね。拍手!でした。 今年に入って、演劇の専門家を名乗っている(?)旧友と一緒に観ているのですが、便利でいいですね。ボク程度が疑問に思うことは、大概、解説してくれるのです。やっぱり、ナショナルシアター・ライヴ、当分、見続けそうです(笑)。演出 リンゼイ・ターナー原作 アーサー・ミラーキャストブレンダン・カウエル(ジョン・プロクター:実直な農夫)アイリーン・ウォルシュ(エリザベス・プロクター:ジョンの妻)エリン・ドハティ(アビゲイル:プロクター家に奉公していた17歳の美しい少女)ラシェル・ディーデリクス(メアリー・ワーレン:プロクター家に奉公している黒人の少女。18歳。)ニック・フレッチャー(パリス牧師)フィサヨ・アキナデ(ヘイル牧師:魔女狩り裁判のエキスパート)2023年・186分・G・イギリス原題National Theatre Live「The Crucible」2023・04・16-no053・シネ・リーブル神戸
2023.04.22
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「入内すずめって知ってます?」 徘徊日記 2023年3月30日 淡河八幡あたり 皆さん、入内スズメってご存じですか?またの名を実方(さねかた)スズメともいうらしいのですが、淡河八幡の参道の枝垂れ桜に堪能してボケーっと隣のサクラを眺めていると、連れてきていただいたお友達がおっしゃるのです。「おい、ちょっと、足元、見てみ。」「なに、なに?」「散っている花がおかしいと思わへんか?」「なになに?」「桜はな、ふつう花びらがハラハラ散るやろ。ここは花が、そのまま散っとるやろ。」「?????」「この木の上にスズメおるのわかるか?あいつの仕業やねん。」「うん、おるおる。二つおンで。」「あの鳥な、にゅうないスズメいうねん。」「にゅうないって?」「入内いう字があるやろ。普通、じゅだいっていうけど、あのスズメの名前の時はにゅうないいうねん。」「それが、どうしたん?」「あいつらナ、花の蜜吸うのが、メジロみたいに花に頭突っ込んで吸われへんねン。ホンでな、花の根っの蜜のあるとこ直接かじりよんねん。ほやから、花びらで散らんと、花のままちぎれて散るねん。」「わあー、ほんまや、この辺り花が散っとるわ。」「な、おもろいやろ。いろいろおんねん。ちょっと変わったスズメやねん。今日は、カメラがないから、明日撮って送ったるわ。」 お友達はいつも持っている双眼鏡で見ていますが、ボクは裸眼です。もう一度見上げてみると、梢の先端に二羽のスズメがいるのですが、ボクのカメラではどこに写っているのか、もちろん、わかりません(笑)。 翌日、撮りなおして写してくれたのが、入内スズメが花をくわえている写真です。すごい写真が撮れるのですね。 まあ、こうなってはついでのようになりますが、八幡さんの境内はこんな感じでした。 上の写真は、境内から枝垂れ桜の参道を見たところで、本殿の前の狛犬さんはこんな感じです。こちらが「阿」さんです。後ろにはお馬さんがいらっしゃって、桜の花もあってご機嫌です。 こちらが「吽」さんで、向こうに写っていらっしゃるのは、世間話を楽しんでいらっしゃる地元の方のようでした。なかなか楽しそうな雰囲気でしたよ(笑)。 これが、手水場の龍です。もちろん、水は吐いていません。 ここまで写真を並べて、ようやく、気づきました。本殿を撮り忘れていますね。まあ、ボクの場合、ありがちですが、申し訳ないので、もう一枚貼っておきます。鳥居を出たところの若木です。いい色合いです。淡河八幡、花も人もいい雰囲気の神社でした。来年も忘れないようにしたいですね(笑)。 いやはや、枝垂れ桜といい、入内スズメといい、持つべきものは友ですね。30代で、お出会いして以来、実は、親子ともども世話になりっぱなしの友人ですが、何のお返しもできないままです。今後もお世話になり続けることでしょうね(笑)ボタン押してね!前回ご案内した豊助饅頭
2023.04.21
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内田百閒「冥途・旅順入城式」(旺文社文庫) 久しぶりに、内田百閒のことを思い出したのは、松山巌の「猫風船」(みすず書房)という作品集を読んだからです。猫つながりなら「ノラや」(中公文庫)なのですが、ああ、いうまでもありませんが「ノラや」は「ノラや」ですごいですが、なぜか「冥途・旅順入城式」(旺文社・岩波、それぞれ文庫)です。 で、月に一度の集まりで続けている小説を読む会の課題に推すと、皆さんが「読む、読む。」 ということで、読むことになりましたが、集まって感想という段になると、皆さん投げ出したようで、まあ、困ったものなのですが、ただ一人読み終えてきた小説読みの達人Mさんがこうおっしゃいました。「この作品集を、一泊二日で一気読みするのは無理ですね。著者内田百閒自身が『旅順入城式』の序文で『余ハ前著「冥途」ヲ得ルニ十年ノ年月ヲ要シ』いっていますが、『冥途』は全部で18篇、ということは、1篇につき、ほぼ半年の日時を要したということですから、読むほうも、まあ、月に1作というくらいのテンポで読むのが妥当なんじゃないかと思います。皆さんが、忙しさの中で一気読みを目指したのは、そもそも間違いかもしれませんね(笑)。」 なるほど、至言!ですね。で、まあ、「推し」の張本人ということもあって、読んではいたのですが、思いつきました。じゃあ、書き写してみるという手もあるな。 で、早速、書き写しました。ヒマなんですねえ(笑)。冥途 高い、大きな、暗い土手が、何処から何処へ行くのか解らない、静かに、冷たく夜の中を走つてゐる。その土手の下に、小屋掛けの一ぜんめし屋が一軒あった。カンテラの光が土手の黒い腹にうるんだ様な暈(かさ)を浮かしてゐる。私は一ぜんめし屋の白ら白らした腰掛に、腰を掛けてゐた。何も食つてはゐない。ただ何となく、人のなつかしさが身に沁むやうな心持でゐた。卓子(テーブル)の上にはなんにも乗つてゐなかつた。淋しい板の光が私の顔を冷たくする。 私の隣の腰掛に、四五人一連れの客が、何か食つてゐた沈んだやうな声で、面白さうに話しあつて、時時静かに笑つた。その中の一人がこんな事を云つた。「提燈をともして、お迎えをたてると云う程でもなし、なし。」私はそれを空耳で聞いた。何の事だか解らないのだけれども、何故だか気にかかつて、聞き流してしまえないから考えてゐた。するとその内に、私はふと腹がたつて来た。私のことを云つたのらしい。振り向いてその男の方を見ようとしたけれども、どれが云つたのだかぼんやりしてゐて解らない。その時に、外(ほか)の声がまたかう云つた。大きな、響きのない声であつた。「まあ仕方がない。あんなになるのも、こちらの所為だ」 その声を聞いてから、また暫らくぼんやりしてゐた。すると私は、俄にほろりとして来て、涙が流れた。何といふ事もなく、ただ、今の自分が悲しくて堪らない。けれども私はつい思ひ出せさうな気がしながら、その悲しみの源を忘れてゐる。 それから暫らくして、私は酢のかかつた人参葉を食ひ、どろどろした自然生(じねんじやう)の汁を飲んだ。隣の一連れもまた外の事を何だかいろいろ話し合つてゐる。さうして時時静かに笑ふ。さつきの大きな声をした人は五十餘りの年寄りである。その人丈が私の目に、影絵の様に映つてゐて、頻りに手真似などをして、連れの人に話しかけてゐるのが見える。けれども、そこに見えてゐながら、その様子が私には、はつきりしない。話してゐる事もよく解らない。さつき何か云つた時の様には聞こえない。 時時土手の上を通るものがある。時をさした様に来て、ぢきに行つてしまふ。その時は、非常に淋しい影を射して身動き出来ない。みんな黙つてしまつて、隣の連れは抱き合ふ様に、身を寄せてゐる。私は、一人だから、手を組み合はせ、足を竦めて、ぢつとしてゐる。通つてしまふと、隣りにまた、ぽつりぽつりと話し出す。けれども、矢張り、私には、様子も言葉もはつきりしない。しかし、しつとりとした、しめやかな団欒を私は羨ましく思ふ。 この辺りで、休憩です。書き写し始めたのはいいのですが、旧仮名遣いということもあって、なかなか手間がかかります。 私の前に、障子が裏を向けて、閉(た)ててある。その障子の紙を、羽根の撚れた様になつて飛べないらしい蜂が、一匹、かさかさと上つて行く。その蜂だけが、私には、外の物よりも非常にはつきり見えた。 隣りの一連れも、蜂を見たらしい。さつきの人が、蜂がゐると云つた。その声も、私には、はつきり聞こえた。それから、こんな事を云つた。「それは、それは、大きな蜂だつた。熊ん蜂というふのだらう。この親指ぐらゐもあつた。」 さう云つて、その人が親指をたてた。その親指が、また、はつきりと私に見えた。何だか見覚えのある様ななつかしさが、心の底から湧き出して、ぢつと見てゐる内に涙がにじんだ。「ビードロの筒に入れて紙で目ばりをすると、蜂が筒の中を、上つたり下がつたりして唸る度に、目張りの紙が、オルガンの様に鳴つた」 その声が次第に、はつきりして来るにつれて、私は何とも知れずなつかしさに堪えなくなつた。私は何物かにもたれ掛かる様な心で、その声を聞いてゐた。すると、その人がまたかう云った。「それから己(おれ)の机にのせて眺めながら考えてゐると、子供が来て、くれくれとせがんだ。強情な子でね、云ひ出したら聞かない。己はつい腹を立てた。ビードロの筒を持つて縁側へ出たら庭石に日が照つてゐた。」 私は、日のあたつてゐる舟の形をした庭石を、まざまざと見る様な気がした。「石で微塵に毀れて、蜂が、その中から、浮き上がるやうに出て来た。ああ、その蜂は逃げてしまつたよ。大きな蜂だつた。ほんとに大きな蜂だつた。」「お父様」と私は泣きながら呼んだ。 けれども私の声は向うへ通じなかつたらしい。みんなが静かに起ち上がつて外へ出て行つた。 この辺りで、もう一度休憩です。目がしょぼついてついていけません(笑)「さうだ、矢つ張りさうだ。」と思つて、私はその後を追はうとした。けれどもその一連れは、もうそのあたりには居なかつた。そこいらを、うろうろ探してゐる内に、その連れの立つ時、「そろそろまた行かうか」と云つた父らしい人の声が、私の耳に浮いて出た。私は、その声を、もうさつきに聞いてゐたのである。 月の星も見えない。空明りさへない暗闇の中に、土手の上だけ、ぼうと薄明かりが流れてゐる。さつきの一連れが、何時の間にか土手に上つて、その白んだ中を、ぼんやりした尾を引く様に行くのが見えた。私は、その中の父を、今一目見ようとしたけれども、もう四五人のすがたがうるん様に溶け合ってゐて、どれが父だか、解らなかつた。 私は涙のこぼれ落ちる目を伏せた。黒い土手の腹に、私の姿がカンテラの光の影になつて大きく映つてゐる。私はその影を眺めながら、長い間泣いてゐた。それから土手を後にして、暗い畑の道へ帰つて来た。 こうやって、まあ、題になっている「冥途」という作品を書き写してみましたが、「青空文庫」からのコピペを疑われる方もあろうかと思います。ボクも、まあ、そうしようと思ったわけですが、版権が、まだ、切れていないそうで、「青空文庫」にはありません。正真正銘書き写しです(笑)。 18篇の中から「冥途」を選んだのは、「冥途」が、この掌編小説集の中でもとりわけ短かったからにすぎません。所収されている作品の中で、有名なのは「件(くだん)」とかですが、まあ、そちらは文庫本をお探しいただくとして、「冥途」の面白さはというと、写しながら思いましたが、「私の姿がカンテラの光の影になつて大きく映つてゐる。私はその影を眺めながら、長い間泣いてゐた。」 というようなところですね。この文章を書いている「私」を想定すれば、「私」が、少なくとも3人います。ドッペルゲンガーというのがありますが、芥川龍之介の作品にもあったような気がします。「私」を見ている「私」を書いている「私」ですね。 この小説の場合は、描かれている場所そのものが、空想というか、妄想というか、夢の中というか、ですから、夢の中の夢的に入れ子式を繰り返せば、ある意味で、何人でも書けるわけですが、3人というところが肝なのでしょうかね。 たとえば「淋しい板の光が私の顔を冷たくする」光景を見ている「私」のリアリティには、ちょっと、言葉を失いますね。「それから土手を後にして、暗い畑の道へ帰つて来た。」 と、小説は終わりますが、この人、どこに行っていて、どこに帰って来たんでしょう。 まあ、そんなことをぼんやり考えこみますね。久々の読み返し、いや、筆写のおかげかもですが、すごい作品だと思いましたね(笑)。 みなさん!残りの作品も是非!ですね。
2023.04.20
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オタール・イオセリアーニ「皆さま、ごきげんよう」シネ・リーブル神戸「ノンシャランといきましょう、こんな世界だからこそ。」の「オタール・イオセリアーニ映画祭~ジョージア、そしてパリ~」に通い続けてきましたが、そろそろ大詰めです。 ところで、2023年の3月のことです。ここ、数年、月に一度集まって一緒に本を読んでいるMさんとおっしゃるおにーさん、いや、おっちゃんが、おっしゃいました。「あのー、わたし4月から行くところが、まあ、無くなっちゃたんですよね。何にもすることがないというわけでもないのですが、一つ、どうでしょう、シマクマさんの映画館徘徊に同道させていただくというのは?」「えーっ?はい。全然かまいませんが、ボクが見る映画って、選んでいる意識はないのですが、あんまりおもしろくないですよ。」「いえいえ、いつもいつも、フツーの人、あんまり見ないような映画をご覧になっているようですが、そこが面白そうだなということなんですよ。で、シマクマ・シネマ・クラブ、通称SCCという呼び名でいかがでしょう。」 なんか、褒められてるのかあきれられてるのかわからないようなお言葉なのですが、まあ、勇気を奮って「これ、見ますが、一緒に行きますか?」 とお誘いしたのがこの映画でした。 オタール・イオセリアーニの最新作!「皆さま、ごきげんよう」です。 舞台は現代のパリのようです。なんだか怪しげな武器売買の男がアパートの管理人のようで、どうもその男の友達が人類学者なんでしょうか、骸骨集めが趣味のようです。この二人が主役のようですが、主役らしいドラマが始まるわけではありません。 で、多分、ジョージアから来たんだと思いますが、どこからやってきたのかわからない男が石ころを拾い集めて家を建てていたり、なんだか機嫌の好さそうな男はホームレスだったり、ローラースケートの悪たれのおにーちゃん、おねーちゃんはかっぱらいだったり、警察官は警察官で「あんた何やってんの?」 みたいなことをしていたり、ストーリーを説明することはボクにはできない映画でした。で、最後は、家を建てていた男の家の外壁に、びっしりと貼られているポスターと、煙突からたなびく白い煙のシーンで終わりました。 何とも言えない不可解さと、まあ、満足とはとても言えないのですが、なんとはなしの納得感に、思わず、笑い出しそうでしたが、そうそう、今日はお友達連れでした。 二人で映画館を出て歩き始めるとお友達が口火を切りました。「シマクマさん、今日の映画は何点くらいですか?」「お、きたな!」 と心の中では笑いそうになりながら、しばらく考え込んで答えました。「80点くらいかなあ・・・」「ああ、そうなんですね。それって、かなり高得点?」「はい、いや、まあ、ボクは、いいんですが、困りませんでした?」「えっ?」「だから、ストーリーもないし、結末もオチもないし。腹立ちませんでした?」「いや、最後の壁中ポスターの家のシーンとか、よかったじゃないですか。絵でいえば抽象画なんでしょうね。印象的なシーンのコラージュというか。」「そう、そう。抽象画かどうかはわからないですが、これがイオセリアーニという人というか、わけわからなさ炸裂だったですよね。ボク、ここのところ、この人にはまっていて、10本くらい続けてみてるんですけど、みんな、こんな感じです。で、理屈いうのあきらめたんですけど、いいなという感じはいつもあるんです。」「こんなの見るの初めてですが、悪くなかったですよ(笑)」「あっ、じゃあ、また、来ますか?」「もちろんです。」 ホッとしましたね。 この後、喫茶店とかで、ウジャウジャ話し込みましたが、一人徘徊ではなかったことなので、新鮮で楽しかったですね。 というわけで、第1回SCC、無事終了しました(笑)。「さて、次回はなにを見ようかな?」監督 オタール・イオセリアーニ脚本 オタール・イオセリアーニ撮影 ジュリー・グリュヌボーム美術 ドゥニ・シャンプノワ バジャ・ヤラガニア衣装 マイラ・ラメダン・レビ アンヌ・カラトジスビリ編集 オタール・イオセリアーニ エマニュエル・ルジャンドル音楽 ニコラ・ズラビシュビリキャストリュフュ(管理人)アミラン・アミラナシビリ(人類学者)マチアス・ユング(警察署長)エンリコ・ゲッジ(男爵)ピエール・エテックス(ホームレス)トニー・ガトリフ(ゴロツキ)ミレ・ステビク(警察署長の運転手)ミレ・ステビクマチュー・アマルリック(家を建てる男)オタール・イオセリアーニ2015年・121分・フランス・ジョージア合作原題「Chant d'hiver」日本初公開2016年12月17日2023・03・22-no043・シネ・リーブル神戸no180
2023.04.19
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「うーのはなーの ♫」 ベランダだより 2023年4月16日(日) ベランダあたり 久々に、いいお天気の日曜日です。ベランダでお布団を干しながら、このところ白い花をいっぱいつけている鉢植えが気になります。「なあ、この花なに?」「うつぎ、空木と書いて、うつぎよ。」「ふーん。」「なあ、空木って卯の花のことって、ウキペディアに書いてあるで。」「ああ、そう、そう。 うーの花の、匂う垣根に♪ ほーととぎーす、早も来鳴きて♪ しのびーねもーらーす、なつーは来ーぬー♪ よ。」「歌うんや(笑)。機嫌ええなあ(笑)。もう、夏なんや。ホトトギスとか来えへんな。木曜日、高倉台で、鷹見たけど。あの辺、ホトトギスの声するで。」「うん、この辺はヒヨドリばっかりやね。「こっちはなに?」「カタバミ。」「スイスイいいよったやつちゃうかな?茎がすっぱいねん。」「知らんわ。食べるの?」「うん、しがむねん。」 カタバミです。 ちなみに、チッチキ夫人が歌ったのは「夏は来ぬ」という、唱歌の一番でした。歌いたい方のために歌詞を載せておきましょうね(笑)。「夏は来ぬ」 佐々木信綱作詞 小山作之助作曲卯の花の、匂う垣根に時鳥、早も来鳴きて忍音もらす、夏は来ぬさみだれの、そそぐ山田に早乙女が、裳裾ぬらして玉苗植うる、夏は来ぬ橘の、薫るのきばの窓近く、蛍飛びかいおこたり諌むる、夏は来ぬ楝ちる、川べの宿の門遠く、水鶏声して夕月すずしき、夏は来ぬ五月やみ、蛍飛びかい水鶏鳴き、卯の花咲きて早苗植えわたす、夏は来ぬ ボクも、1番は歌えますが、2番以降は全く知りませんでした。みなさん、いかがでしたか?もう、夏なのですね(笑)。ボタン押してね!
2023.04.18
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ダルデンヌ兄弟「トリとロキタ」シネ・リーブル神戸 2023年の4月に入って、久しぶりの帰省があり、帰って来てみるとPCが壊れているという事件があり、仕事が始まるという焦りがあり、ようやく映画館に復帰したのが4月の10日の月曜日で、観たのは、予告編で気になっていたこの作品、ダルデンヌ兄弟の「トリとロキタ」でした。 最初から最後まで、徹底して救いのない映画でした。しかし、ここまで、徹底できるところにヨーロッパ映画の確かさと、ダルデンヌ兄弟という映画作家の思想の深さを実感しました。「なぜ彼が弟だと分かったの?」 アフリカからベルギーにたどり着き、滞在ビザを得るための面接で、弟トリ(パブロ・シルズ)との再会の事情を尋問官から静かに問い質され、緊張した表情で目を瞠っている少女ロキタ(ジョエリー・ムブンドゥ)のアップから映画は始まり、共に生きていくはずだった姉ロキタのことを語る弟トリが中空を睨み据えた顔のアップで映画は終わりました。「ロキター!」 トリの叫び声が頭の中に、繰り返し、繰り返し響き渡るような錯覚にとらわれて、暗くなった映画館で、しばらく座り込んでいると、スタッフの若い女性が入ってこられて、掃除を始められたのですが、先日、ポケットに入れていた老眼鏡を座席の下に落とした時に、拾っていただいた方だったので、思わず声を掛けました。「先日は、お世話になりました。で、この作品はご覧になりましたか?」「はい、厳しい映画ですね。ダルデンヌ兄弟の作品は好きで見てきたのですが、こんなに厳しいのは初めてでした。今までに見たどの作品も、どこかにあかりがあるのですが、これはない気がしました。」「そうか、やっぱり、そう思いますか。でも、悪くないですよね。この厳しさというか・・・」「そうなんです。友達とかにはすすめられないのに、やはり、見てよかったというか。私は見たよというか。」「ありがとう。いつも、いろいろ迷惑かけて、ごめんね。話せて、ホッとしました。また来ますね。」「いえいえ、はい、今度は、ホッとできる映画も選んでくださいね(笑)。」 会話した通りです。見終えて、楽しい映画ではありません。誰にも、おすすめしません。しかし、ボクはこの映画が突き付けてきたことを、もう、知らないとは言えないと思いました。 それは、この映画を見た前後、偶然、読んでいた「河馬に噛まれる」(講談社便庫)という、つい先日亡くなった、大江健三郎の小説集の中に、「この項つづく」という詩人で小説家の中野重治の作品中の言葉が引用されていましたが、ボクの中で「この項つづく」というべきものを、この映画に突き付けられたということです。 説明不足ですが、大江と中野の「この項つづく」は、以前書いた「河馬に噛まれる」の感想にも少し書いています。おそらく、今後も言及することになると思いますのであしからず、です。 それにしても、ダルデンヌ兄弟、すごいですね、こういう映画製作者がヨーロッパにはいるのですね。ちょっとうれしいですね。静かに拍手!です。ロキタとトリを演じたジョエリー・ムブンドゥとパブロ・シルズにも、もちろん拍手!です。まいりました(笑)。監督 ジャン=ピエール・ダルデンヌ リュック・ダルデンヌ脚本 ジャン=ピエール・ダルデンヌ リュック・ダルデンヌ撮影 ブノワ・デルボー美術 イゴール・ガブリエル衣装 ドロテ・ギロー編集 マリー=エレーヌ・ドゾキャストパブロ・シルズ(トリ)ジョエリー・ムブンドゥ(ロキタ)アルバン・ウカイ(ベティム)ティヒメン・フーファールツ(ルーカス)シャルロット・デ・ブライネ(マルゴ)ナデージュ・エドラオゴ(ジャスティーヌ)マルク・ジンガ(フィルマン)2022年・89分・G・ベルギー・フランス合作原題「Tori et Lokita」2023・04・10-no050・シネ・リーブル神戸no179
2023.04.17
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「ハナミズキ! ツツジ! 北長狭通・橘通」 徘徊日記 2023年4月10日(月) 元町あたり JRの元町駅前から、JR線沿いをちんたら歩いて、北長狭通の7丁目くらいまで来ると、3月の街路樹はコブシだった通りが、ハナミズキの通りになっていました。浄土真宗西本願寺のモダン寺と呼ばれているお寺のあるあたりです。 お天気が良くて、青空を背景にしたハナミズキはいいですね。 この通りには、いつも行列ができる洋食屋さんとか、ボクがひいきにしている100円パンのパンジロウーとかがあります。、まあ、小麦の高騰とかで150円パンになってしまいましたが、三宮、元町の映画館に出かけるときには神戸駅から出発して、この辺りを歩きます。 パンジローの前のハナミズキです。人通りも少なくて、ちんたら歩くのにもってこいの道です。 パンジローの向かいのマンションの庭のハナミズキは、ほんのりピンク色です。街路樹というより、庭の植え込みですが、木が高くて下から見上げた写真しか撮れません。 もう少し西に歩いて橘通まで来ると地方裁判所とかのお役所があります。そこではツツジが咲き始めていました。 地方裁判所の隣にある神戸地方検察庁の生垣のツツジです。少し早いのですが、見事に咲き誇っています。 全景はこんな感じですね。 アップすると、こうなります。 ウメ、モクレン、さくら、アーモンド、ハナミズキ、イペ、ツツジ、街路樹にいろんな花咲いて楽しいですね。歩くと汗ばむようになって、相変わらずの厚着を脱いで、生垣のコンクリートの築地で一服します。いい気分です(笑)。ボタン押してね!
2023.04.16
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庵野秀明「シン・仮面ライダー」109シネマズハット「ああ,そうや!」 そう思って、やってきました。久しぶりの109シネマズハットです。庵野秀明という監督が気になって「シン・ゴジラ」、「シン・ウルトラマン」と観てきたのですから、まあ、当然、この映画も、というわけです。 観たのは庵野秀明監督の最新作「シン・仮面ライダー」です。ぼくにとって庵野秀明という監督は謎の人です。なにせ「新世紀エヴァンゲリオン」という作品について原作もアニメも見たことがないのですからね。噂だけの伝説の人です。 「シン・シリーズ」は、かつてのヒーローの再登場が特徴です。今回の仮面ライダーも、もともとは1970年代のテレビドラマです。ところが、ボクは、当時、高校生だったわけで、仮面ライダーがうれしかった世代ではありません。「わるもんがショッカーで、仮面ライダーは・・・」 と考え始めたあたりで行き詰まります。マンガの原作が石ノ森章太郎だということくらいは知っていますが、テレビを見た記憶も原作を読んだ記憶もありません。 映画は仮面ライダー1号(池松壮亮)の誕生から、その死。仮面ライダー2号(柄本佑)へと引き継がれていく「ええもん」の系譜のストーリが、まあ、物語の筋立てで、開発者(?)である緑川博士とその娘緑川ルリ子(浜辺美波)、そして仮面ライダー1号、2号のそれぞれのキャラクター造形が味付けで展開しますが、筋の運びは古色蒼然という印象でちょっと照れ臭い気がしました。 「わるもん」として次々と登場する「なんとかオーグ」と名づけられた化け物たちが、「ええもん」の危機を演出し、結果、「わるもん」との苦闘に勝ち残って進化するという、子供のころのヒーロー・マンガのステロタイプをそのまま描いていて、「この映画、今時の若い人たちはどんな風に見るのだろう?」 というのが率直な感想で、庵野秀明という監督のオリジナリティがどこで表現されているのかに気づく眼力は、残念ながらボクにはありませんでした。「蝶オーグをやっていた森山未來に、とにかく、拍手やったわ。」 後日、帰宅した、まあ、我が家の若い人で、森山未來大好き人間であるピーチ姫の笑いながらの感想です。 それをいうなら、蠍オーグに扮して、大いに笑わせてくれた長澤まさみとか、仮面ライダー2号になっていく柄本佑の大根ぶりも忘れてならないと思うのですが、どうなのでしょうね。 ゴジラ、ウルトラマン、仮面ライダー、「シン・シリーズ」で取り上げられ、懲りずに見てきたヒーローたちを並べてみると、今、現在、60代の人たちにとって、子供時代を象徴する「人造ヒーロー」というべきキャラクターで、ちょっと大げさに言えば、その人たちが暮らした「昭和」という時代だからこそ生まれた存在なのですが、映画は、どの作品もその時代背景に対する批評性を意図的に捨てているのではないかという印象を持ちました。それは、とりもなおさず、制作者たちが「昭和」という時代に対する歴史的総括はともかくとして、「現在」という時代に対する批評意識、あるいは批評精神を喪っているのではないか、というのがボクの大雑把な感想です。 娯楽映画というのか、大衆映画というか、よくわかりませんが、映画の大衆性を支えるのは、観客たちが暮らす社会に対する批評精神ではないかと思うのです。それを喪った作品は、いってしまえば「オタク」化するほかないんじゃないかと思うのです。それって、もう、大衆娯楽映画とは言えないということですね。まあ、そういうことを言うのはもう古いのでしょうかね。変な時代になってきましたね。監督 庵野秀明原作 石ノ森章太郎脚本 庵野秀明 撮影 市川修 鈴木啓造キャスト池松壮亮(本郷猛・仮面ライダー)浜辺美波(緑川ルリ子)柄本佑(一文字隼人・仮面ライダー第2号)塚本晋也(緑川弘)森山未來(緑川イチロー・チョウオーグ・仮面ライダー第0号)松尾スズキ(SHOCKERの創設者)手塚とおる(コウモリオーグ)西野七瀬(ハチオーグ)本郷奏多(K.Kオーグ)長澤まさみ(サソリオーグ)大森南朋(クモオーグ・声)上杉柊平(背広の男)仲村トオル(本郷猛の父)安田顕(犯人)市川実日子(緑川イチローの母)松坂桃李ケイ(声)竹野内豊(政府の男)斎藤工(情報機関の男)2023年・121分・PG12・東映2023・03・27-no045・109シネマズハットno26
2023.04.15
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「鯉川筋のイペ!」徘徊日記 2023年4月10日(月)元町あたり イペ!です。 モクレンやコブシが咲いて、桜の季節が通り過ぎていくと、JR元町駅から大丸あたり、だから鯉川筋にそってイペという、南米から来た花が咲きます。実は、毎年楽しみにしています(笑)。元町駅前の花盛りの木の全貌は撮り忘れてしまいましたが、交番の横の木はこんな感じです。 写真を撮りながら、交番の建物のデザインを、あらためて見直して笑ってしまいましたが、この交番の前の花壇はいつでも花がいっぱいです。 少し南の大丸の交差点あたりでも咲いています。少し前には白い木蓮が咲いていたところです。 この花は、なんというか、ヒラヒラ咲きます。そのヒラヒラな感じが異国情緒というか、南アメリカというか、まあ、そんなふうに喜んでいるのはボクぐらいかもしれませんね(笑) さて、お次は北長狭通のハナミズキと地方検察庁の生垣のツツジです。じゃあね。ボタン押してね!
2023.04.14
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マーティン・マクドナー「イニシェリン島の精霊」パルシネマ パルシネマで、「プラン75」を見終えて、2本目がマーティン・マクドナー監督の「イニシェリン島の精霊」でした。1本目の「プラン75」で、まあ、ひたすら疲れましたが、気を取り直して座りなおしましたが、こっちは、なんというか、暗いし、説明不能で意味不明なところがあっちこっちあったのですが、映画としては、なぜか、納得でした。 とりあえず、見たままを説明すると、アイルランドの近所にあるらしい孤島、イニシェリン島の住人たちの暮らしを描いた生活ドラマというと、まあ、的はずれもいいところなのでしょうが、ボクにはそう見えました。 海の向こうでは戦争が続いていますが、弾が飛んでくるわけではないこの島では、午後の2時になるとパブ(?)に集まってビールとか、シェリー酒とか、ああ、アイリッシュでしょうね、ウィスキーも飲んでいました。男だけではなくて女もお酒を飲んで踊っています。だいたい黒ビール、ギネスばかりを飲んでいますが、食べるシーンはほとんどありません。島の道は、風よけでしょうか石垣で囲われていて、分かれ道にはマリアなのか、イエスなのか、聖像が立っていて、日曜日には島中のみんなが教会にお参りしています。カトリックの島のようです。 映画の出だしから、その島の風景がすごくて、教会もそうですが、パブであれ、友人の家であれ、どう考えても、ちょっと行ってくるというような距離ではないところに歩いて出かけていきます。道が1本しかなくて、歩いている人同士が、お互い出会わないで歩くことができない社会です。海の眺めもすごいのですが湖もあるようで、なんというか、映画の世界の距離感が別世界です。ついでに言えば1920年代という時代設定で、暮らしの灯りはランプで、乗り物は馬車、海を行くのは帆船です。もちろん、映画ですからドラマがあります。で、そのドラマを演じるのは、三人の男と一人の女、そして、一頭のロバと一匹の犬です。まあ、パブに集まる男たちとか、預言者風のばあさんとか、ちょっと、どうかという警官とか、手紙を盗み読む郵便局のおばさんとか、馬とか牛とかもいるのですが、まあ、その4人と2匹が主人公たちです。 一人は海辺の小屋のような家に住んでいる音楽家コルム(ブレンダン・グリーソン)で、もういい年のおっさんです。一人は警官の息子で、ちょっと足らない感じの青年ドミニク(バリー・コーガン)で、バカの代名詞のように名前を呼ばれています。あと二人はしっかり者の妹シボーン(ケリー・コンドン)と人のいいおっちゃんパードリック(コリン・ファレル)という兄妹です。ロバはジェニーという名前でパードリックの友達です。ワンチャンは、名前は忘れましたが、コルムの相棒です。 パードリックとコルムは親友ですが、ある日、何の理由もなくコルムがパードリックに絶交宣言します。それが、ドラマの始まりです。「お前の話はくだらない。今後、俺に話しかけたら、そのたびに俺は自分の指を切る。」 これが絶交宣言です。不条理というべきなのかもしれませんが、ほとんどコメディの展開なのです。 人の好さの塊のようなパードリックには、まあ、そりゃあそうだろうと同情しましたが、コルンこの宣言が、全く理解できません。 で、何とか仲直りしようと話しかけるものですから、いこじなコルンが、実際に、左手の5本の指を羊の毛刈りばさみで切ってしまうというというこじれ方です。唖然!ですね。 この間、まず、妹のシボーンが村の暮らしに愛想をつかして島を出ます。シボーンをこっそり愛していたバカのドミニクが湖に落ちて死んでしまいます。で、コルムがパードリックの家のドアに投げ捨てた5本の指の1本をのどに詰めたロバのジェニーが死んでしまいます。それを見たパードリックが、ついに切れてしまい、ワンちゃんだけは助けて、コルムの小屋に火をつけて焼き払います。 火中から、まあ、なんとか逃げ出したコルムは、翌朝、パードリックと海岸で再会し、和解を申し出るのですが、パードリックが言うセリフがこれです。「終わらない方がいい戦いもある!」 上のチラシのシーンです。映画の筋としては、ネタバレをみんな書きましたが、これで、奇妙に面白かったこの映画の説明になっているとはとても思えません。例えば、アイルランドの内戦のメタファーだとか、まあ、いろんな解説がありますが、ボクにとっての面白さを納得させてくれる解説には出会えませんでした。 ボクの記憶に残ったのは、最初の指をコルンに返しに行ったシボーンに、コルンが「パードリックはくだらない。」 と言うのですが、それに対して答えたシボーンのこの言葉でした。「最初から、ずっと、くだらないわよ!」 ボクにとっては、この言葉がすべてでした。そうなんです、人間のやってきたことは最初から、ずっとくだらないのです。そして、くだらないことから、何とか抜け出すための戦いは終わらないに違いないのです。 映画館徘徊を始めたころ見た「スリービルボード」で唸ったマーティン・マクドナー監督ですが、期待どおりでしたね。拍手!拍手!です。 4人と、二匹、いや、ヤギも牛も馬も、みんな拍手!でした。なかでも、ロバのジェニーと妹のシボーンを演じたケリー・コンドン、とてもよかったですね。拍手!でした。監督 マーティン・マクドナー 脚本 マーティン・マクドナー撮影 ベン・デイビス美術 マーク・ティルデスリー衣装 イマー・ニー・バルドウニグ編集 ミッケル・E・G・ニルソン音楽 カーター・バーウェルキャストコリン・ファレル(パードリック・スーラウォーン)ブレンダン・グリーソン(コルム・ドハティ)ケリー・コンドン(シボーン・スーラウォーン)バリー・コーガン(ドミニク・キアニー)ゲイリー・ライドン(ピーダー・キアリー)パット・ショート(ジョンジョ)ジョン・ケニー(ジェリー)シーラ・フリットン(ミセス・マコーミック)2022年・114分・PG12・イギリスパルシネマno57
2023.04.13
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早川千絵「プラン75」パルシネマ パルシネマの2本立てで見ました。賛否はともかく話題になっていっている映画です。早川千絵という監督の「プラン75」です。 疲れました。もう、その一言で済ませばいいという思いもありますが、カチンと来たところを記録しておこうとと思います。 まずは、78歳で住居無し、家族なし、貯金なしという孤独で貧しい女性角谷ミチを演じた倍賞千恵子の熱演に拍手!です。死を覚悟した彼女の手のシルエットを映し出した演出も悪くありません。 彼女が、職場で知り合った女性たちとカラオケに行くのですが、そこで、ディック・ミネの名曲「リンゴの木の下で」を歌いますが、死に損なった彼女が夕陽を見ながらもう一度、その歌をたどたどしく歌うシーンも悪くありません。こんな歌詞の歌です。ボクの世代までの人であれば歌える人が、結構、いらっしゃる歌で、元はアメリカの歌だったと思います。倍賞千恵子の歌声を久しぶりに聞きました。♪リンゴの木の下で明日また会いましょう黄昏赤い夕陽西に沈む頃に楽しく頬寄せて恋をささやきましょう真紅に燃える想いリンゴの実のように♪ 死をとまどう老人たちの相手をする市役所の職員を演じた、二人の若い俳優、磯村勇斗と河合優実も悪くありません。移民労働者として、より高給な職場を求めて死体処理施設で働くことになるマリア(ステファニー・アリアン)もリアルでした。 にもかかわらず、ボクは何にカチン!ときているのでしょう。 最近、集団自決という言葉が世間をにぎわせていますが、この映画と同じ現象だと思います。人を殺すこと、それが他殺であれ、自殺であれ、それを否定することは人権以前の問題だということが見落とされているのではないでしょうか。人は如何なることがあろうとも、「明日またリンゴの木の下で出会うこと」を保証し合う、「集団自決」や「プラン75」に対する反論の論拠を模索しなければならないにもかかわらず、例えば、集団自決であれば、発言者をメディアから隠したり、情緒的な反論を繰り返すだけで、社会思想として根本を見据えた反論はどこからも出ていないのではないでしょうか。 この映画にも、具体的な反論の描写はありません。人間もまた、死体になれば、ただのゴミであることはクローズアップされて、危機感を煽りますが、生きている人間をゴミとして扱わないためには何が必要なのか、問いかけもありませんし、提示もありません。描かれているのは善意の情緒の兆しだけです。夕日を眺めて「リンゴの木の下で」を口ずさんだ老婆はどこに行くのでしょうね。この映画を見終えた老人たちに対して「皆さん、こうなりますよ、覚悟してくださいね!」とでもいう現状肯定のプロパガンダ映画になってしまう恐れがあることに監督自身が気付いていないのではないかという疑いを強く持ちました。 まあ、もう一つ言えば、文化庁の助成金や笹川日仏財団などという怪しげな団体がスポンサーとして名を連ねていましたが、そういうお金で、こういう作品を撮って大丈夫なのですかということですね。映画館にいたのは、ほぼ該当者ばかりでしたよ。皆さん、帰り道では預金の額や年金の額を思い浮かべていらっしゃったに違いないと思うと、やっぱり、カチン!とくるわけですね(笑)監督 早川千絵脚本 早川千絵脚本協力 ジェイソン・グレイ撮影 浦田秀穂美術 塩川節子音楽 レミ・ブーバル編集 アン・クロッツキャスト倍賞千恵子(角谷ミチ)磯村勇斗(岡部ヒロム)たかお鷹(岡部幸夫)河合優実(成宮瑶子)ステファニー・アリアン(マリア)大方斐紗子(牧稲子)串田和美(藤丸釜足)2022年・112分・G・日本・フランス・フィリピン・カタール合作2023・04・11-no051・パルシネマno56
2023.04.12
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「ああー、引き分け! ホッ!」 徘徊日記 2023年4月9日(日) 阪神甲子園球場あたり 2023年、アレを目指してトラの野球シーズンが開幕しました。強敵ヤクルト・スワローズを相手に甲子園も開幕して、1勝1敗で3戦目の日曜日です。 やってきましたよ、何年ぶりでしょう。甲子園球場です。ヤサイクン家の愉快な仲間とジジとババ、総勢7人で野球観戦です。 この壁を見上げるとドキドキします。もっとも、写っていませんが、このあたりは外野席のゲートを目指す人の大群です。のんびり写真を撮っていると邪魔になります。 案内板がありました。ここはレフト側のアルプス席の裏ぐらいです。 目指しているのは19番ゲートです。 ( ̄∇ ̄;)ハッハッハ、席に着くと思わず笑いが出ます。ここはレフトスタンド最上階です。天気は快晴、いや、カンカン照りです。見晴らしのよさ抜群です。燕の応援団がすぐ下で頑張っています。外野席は超満員です。 始まった試合は投手戦です。タイガースのピッチャーは期待の才木君です。三振ばっかりとっています。ヤクルトのピッチャーは吉村君です。こちらも剛速球のいいピッチャーです。タイガースは3回になんとかかんとか1点をとってリードしましたが、あてにはなりません。何せ、相手は,調子を上げている山田君、いつでもホームランの村上君、器用なのか不器用なのかわからないオスナ君のクリーンアップです。 5回が終わってのグランド整備の時間に場内見学に出発しました。 ここはライト・ポール際の金網の横です。これが今日の外野席の様子です。プレイが再開すると、やはりレフトスタンドとは違います。皆さん元気に応援していて、一斉に声を張り上げ、拍手する声援の中にいると鳥肌が立つ感じです。 感動していると、ピンチです。代打、川端君のライナーが目の前に飛んできて同点です。落胆していると、近くに立っていたおばあさんが恐る恐るの様子で近いづいてきて言いました。「旦那さん、私、トイレに行って帰ってきたんですが、席がわからないんです。あのあたりだとおもんですが。」「えっ?あっちはアルプスですから、通路が止められていますすよ。だから、この上か、この下あたりじゃないですか?チケットはお持ちですか?」「持ってないんです。」「うーん、困ったなあ。ご家族は?」 そこにやってきた警備員君が言いました。「あのー、ここは通路ですから。」「はい、わかってますよ。このおばーちゃん、何とかしてあげてね。 スコア・ボードを撮り忘れましたが、延長12回、結局、1対1の引き分けでした。いや、ほんと、負けなくてよかったですね(笑) それは、そうと、あの、おばーちゃん、無事席に戻れたのでしょうかね。写真は甲子園球場レフトスタンドからの春の日没です。楽しい一日でした(笑)。じゃあね。ボタン押してね!
2023.04.11
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松本大洋「鉄コン筋クリート(全3巻)」(小学館文庫) 松本大洋を追いかけています。アニメにもなって、傑作の誉れ高い「鉄コン筋クリート」(小学館文庫全3巻)にたどり着きました。傑作でした。 第1巻の巻末にあるミニ・シアターのページに主人公二人と舞台である街が写っています。この絵によれば舞台である街は、明らかに大阪ですが、マンガの中では「宝町」と呼ばれている街です。ヤクザが跋扈し、チンピラ高校生がうろつく「宝町」は、1970年代のヤクザ映画を彷彿とさせますが、大阪と具体的に固有名詞化したのは映画化されたときの発想のような気がします。 ボクは全編を東京近郊の街が舞台だと思って読みました。それにしても、この作品は松本大洋の最近の作品「東京ヒゴロ」と同様に「街」の描き方が魅力的です。そのあたりについて、この「鉄コン筋クリート」を映画化したマイケル・アリアスが第3巻の巻末の「解説」にこんなふうに書いています。 レトロ・フューチャーな街が都市再生開発によって変貌していくその軋みの中で捉えられる、この手短には語れない二人の孤児の物語「鉄コン筋クリート」は、僕が出会った他のほとんどの芸術作品に無いものを描いていた。更に重要なことに、この作品は、圧倒されるほど映画的だったのだ! シネマスコープ的な意味で映画的だったし、サラウンド・サウンド的な意味で映画的だった。 まあ、ズバリとおっしゃっているので、付け加えることはありませんが、松本大洋初心者としての驚きはもう一つあります。 「白・シロ」と「黒・クロ」と名付けられた主人公二人は、繁華な街の路地裏に生きるノラ猫をイメージさせる姿で活躍するのですが、一方で、今、読み継いでいる「Sunny」に登場する子供たちの原型というべく、プリミティヴでイノセントな姿で描かれていて、特に第3巻、少年二人の内面の葛藤の描写は圧巻でした。 原作は1994年ころの「ビッグコミック・スペシャル」に連載され、映画化は2006年のようですが、ボク自身が週刊誌マンガを読まなくなり、映画館に行かなくなった時期とぴったり一致していることにも驚きました。 ただ、松本大洋自身は、この30年の年月、描き続けてきたようです。というわけで、ボク自身の松本大洋熱はまだまだ続きそうですね(笑)。
2023.04.10
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「今日の桜 10選 その2」徘徊日記 2023年4月8日(土)団地あたり 今日は朝から晴れています。昨日、一昨日の雨のおかげで団地のソメイヨシノは一斉に葉桜になってしまいましたが、今度は八重の桜は満開を迎えました。住んでいる棟の前には3本の八重桜が植わっていますが、もちろん満開です。 風は冷たくて、かなりなスピードで雲が動いていて、青空と曇り空が30分ごとに入れ替わるのですが、花に誘われての団地徘徊です。 本日の10選は八重桜です。 この辺りは棟の前の桜です。 桜の向こうに見えるのは、今年、2023年の4月から子供がいなくなった小学校です。少し団地の中をうろうろします。 管理組合の事務所、集会所の前の少し濃いめのピンクの八重桜です。アップの写真が案外美しく撮れましたが、全景は暗くてピンボケでした(笑)。 団地の東部というか、東側の並びの棟わきにある白い八重桜です。隣に枝垂桜があって、お気に入りのスポットなのですが、もちろん枝垂桜は葉桜です。 上の桜のある棟の南側の八重桜です。少しだけピンク色がついています。 その棟の南の通路にある桜です。 どこの桜をアップしたのかわかりません(笑)。でもいい色合いと丸々した八重桜らしい風情ですね。ボタン押してね!
2023.04.09
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やまだ紫「ねこのふしぎ話)」(興陽館)「やまだ紫って、亡くなってたん?」「そうよ。だいぶ前のことよ。」「これは、でも、最近、出てんやね。あんたが買うたん?」「うん、だいぶん前やね。お嬢さんが、出さはったんちゃうかな。遺稿集かな。そんな感じ。」 やまだ紫というマンガ家について、わが家でシマクマ君があれこれ言うのは気が引けます。チッチキ夫人と、ひょっとしたら、ピーチ姫のテリトリーで、まあ、お裾分けのようにして読んできました。 「性悪猫」(ちくま文庫)とか「しんきらり」(ちくま文庫)とか、あっちの棚にあったはずですが見当たりません。まあ、そういうものです。 今、目の前にあるのは「ねこのふしぎ話」という単行本ですが、興陽館という出版社の名前は聞いたことがありません。巻末に載せられているやまだゆうという人の「猫も人もふえたりへったり」という「あとがき」(?)のなかに、2009年に亡くなったやまだ紫の作品集が、なぜ、2021年に出版されるのかという経緯が書かれていますから、ぜひ、本書を手に取ってお確かめください。収録作品は「こうして猫がへったりふえたり」が11話、他には「鈍たちとやま猫」、「子供の制服」、「猫の不思議話」、「招く猫」といった短編作品で、90年代から2000年代の初めころに「ガロ」に載せられていた作品らしいですが、単行本になったのは初めての作品群らしいですね。 やまだ紫が愛し、彼女を愛した、白取千夏雄という「ガロ」の担当編集者であった方が保存されていた原稿の書籍化のようです。ちなみに白取千夏雄さんもすでにお亡くなりのようです。 いつものように猫と娘たちとの暮らしの日々が淡々と描かれているマンガ集です。ファンの方はとっくにご存じでしょうが、ご存じでない方が気付かれればいいなという案内でした。
2023.04.08
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「わあー、淡河八幡の枝垂れ桜はスゴイ!で。」 徘徊日記 2023年3月30日(金)淡河八幡あたり(その1) 神戸市の北区、淡河(おうご)というところにある八幡さんの枝垂れ桜です。前回ご案内した豊助饅頭から、少し西に行ったところにあります。お饅頭を買ってくれたお友達に連れて行ってもらいました。 村の小さな八幡さんでした。なんという川なのかわかりませんが、川沿いの参道にそって 枝垂れ桜をはじめ、あれこれの桜がみんな満開でした。 参道はこんな感じで、向こうに石の鳥居があります。ちょっと遠くから見るとこんな感じです。「この辺りは、たぶん、昔から豊かなとこなんやろうなあ。三木から三田に抜ける街道筋の一つやな。今は、すぐ、その向こうに中国縦貫な、高速道路が走ってんねや。」「ふーん、かなり北の端やねんな。ここも神戸市か?いう感じやな。」 お友達に、場所の説明をしてもらって、だいたいどのあたりに来ているのか、なんとくなく見当がつくのですが、自家用車を持たないボクには、まあ、わかったようでわからない場所です(笑)。 近くで見上げるとこうなります。ハラハラ散りはじめている風情が、これまたスゴイ!のです。これだけの桜が咲いていて誰もいないというのが、これまたスゴイ!です。 八幡さんの境内はその2でご案内しますね。なかなか、いい雰囲気の神社でしたよ。じゃあね。ボタン押してね!前回ご案内した豊助饅頭
2023.04.07
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「故郷徘徊、帰りは福知山線。」徘徊日記 2023年4月3日(月)和田山あたり 2023年の4月の始まりは1泊2日の故郷徘徊でした。播但線で帰ってきたので、帰りは福知山線を回って帰ろうかな、という暇な目論見です。和田山駅の裏に昔からある機関庫です。今や、完全に廃屋化していますが、子供のっころ、あの赤レンガの建物は、和田山駅の象徴でした。引き込み線もなくなっていて、ただの野原です。 ホーム沿いに残っている引き込み線にはラッセル車が止まっていました。さすがですね、ここ北の山陰線には雪が降りますね。1メートルを超える積雪もないわけではありません。ラッセル車がいりますね(笑)。 山陰本線下りの電車が入ってきました。車両が東海道線の快速電車と同じです。播但線は寺前➡和田山間はジーゼルですが、山陰本線は、たぶん、城崎までは電化されていますね。もっとも、ボク自身、電車になった山陰本線に乗ったことはほとんどありません(笑)。 ホームから見える和田山駅のサクラです。登りの電車がやってきました。和田山から福知山までは山陰本線の旅です。 車窓のサクラです。これは、山東町あたりの桜並木ですね。夕暮れ時ということもあって、かすんでいます。これで、但馬のサクラはサヨナラです。 電車が夜久野から上川口に向かうと、丹波です。 こちらは丹波のサクラ、下夜久野駅前のサクラです。ホームに停車している間に撮りましたが、追い抜いていく特急の待ち合わせで、駅ごとにやたら停車します。 そうこうするうちに福知山到着です。ここから福知山線です。丹波路快速とかいうらしいですが、待ち時間が30分以上ありました。これは駅前をうろついて帰って来ての写真ですが、それでも、まだ、20分以上あります。 切符が、イコカ・カードなので危惧しましたが、まあ、待ち時間が長いこともあって、無事、駅前に出ることが許されました。 あったのは蒸気機関車でした。C1140車ですね。いくつになっても機関車はうれしい。まあ、そういうことは治りません。 解説プレート版には篠山線で走ってた機関車で、転車台の上に載っているという解説があります。篠山線という廃止された鉄道線路があったことに驚きました。 転車台の上の蒸気機関車C1140です。 機関車といえばD51しか思い浮かばない鉄道素人ですが、調べてみると客車を引っ張っていた機関車だそうです。 きっと新装してから、何年もたっているのでしょうが、ボクには新しい福知山駅です。なんか、まあ、今風ですね(笑)。 で、ここから、福知山線ですが、日が暮れてしまいました。というわけで、写真はありません。三田で神戸電鉄に乗り換えて、谷上で神戸市営地下鉄に乗り換えて学園都市まで、あっという間でした(ウソです(笑))。学園都市からは市バスで20分くらい、自宅には午後9時前に帰り着きました。 久しぶりの故郷徘徊、無事、終了でした。お土産は但馬銘菓「鮎のささやき」でした。ボタン押してね!
2023.04.06
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「故郷は・・・・」 徘徊日記 2023年4月3日(月)朝来市、和田山あたり 裏山に見えますが、一応、裏庭です。子供のころからあった欅が老木になって、50年ほど前に、山からとってきて植えたシャクナゲが群生して花を開いています。満開です。 上で咲いているのは、今は建物もなくなりましが、子供のころ養女でもらわれてきた祖母の育った本家の敷地にある桜です。 下の写真でお判りでしょうが、このシャクナゲの右側に家があります。 池もあります。鯉とか川の魚とかいたのですがいなくなりました。原因は鼬です。ハクビシンとかイタチとかが、住む人のいなくなった無人の屋敷に入って、押し入れに巣を作る話までありますが、実家は、セカンドハウスとして、まだ人が住んでいる状態なので、家の中まで入ることは出来ませんが池の鯉までは守れないようです。 ああ、松の木の向こうが欅とシャクナゲです。 椿。 水仙。 椿、水仙、タンポポ、家の周りが野原のようですが、なかなかいいですねえ(笑)。 おや、こんなペンキ塗りたてくんがいました。 アマガエルを見るのも久しぶりですが、その近所には土筆も生えていました。 ちょっと、下の畑まで行ってみます。 しだれ桜が満開でした。桜はうちの畑の木です。建物は公民館ですね。公民館の向こうに広場があります。そこの桜が咲いているようなので、そっちに回ってみます。 集落の真ん中を流れている石和(いさわ)川、この辺りは石和谷(いさわだに)といいます。桜が青空に映えて美しいですね。 花びらが川面に散り始めています。子供のころは、結構、大きな川だと思っていましたが台風とかのとき以外はただの谷川ですね。もちろん、泳いだりできる深さも広さもありません。 広場の側からの遠景です。公民館もそうですが、この広場も、子供のころにはありませんでした。村を出てから、ちょうど50年の年月がたちました。春休みの月曜日なのですが子供は誰も遊んでいません。昔だって、そんなに人がいたわけではありませんが、静かな春の午後でした。夕方の列車で帰ります。一泊二日の故郷でした。ボタン押してね!
2023.04.05
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「お久しぶりの姫路城!」 徘徊日記 2023年4月2日(日)播但線あたり 今日はコロナ騒ぎが始まって以来のふるさと徘徊です。姫路駅にやってくるのも4年ぶりでしょうか。播但線のホームからのぞいた姫路城です。もちろん、出発は明石駅です。 出発時刻はこの通りです。どうせ、田舎で泊まるので急ぎません(笑)。出発は10時30分です。 姫路までは新快速。で、待っていたプラットホームから見えた、今日の明石城です。 姫路です。播但線のホームに上がると看板の色が赤くなります。このホームから見えたのが最初の写真です。 しばらく待って、入ってきたのがこの電車です。寺前までは電車です(笑)。なんだか、妙に懐かしいですね。 姫路発11時32分のようです。寺前まで30分弱です。 出発しました。車窓から姫路城が見えます。姫路城が傾いて見えますが、撮っているカメラマンが傾いているだけです。もちろん、ピンボケです(笑)。町並みは城の東側です。 寺前到着です。姫路から30分かかりませんでした。で、連絡している和田山行きは12時48分発だそうです。40分以上の待ち時間です。実は姫路でも30分以上待ちましたが、それは、まあ、ボクの責任です。連絡した列車に40分以上待つとは思いませんでした。 で、すでに入線していたジーゼル列車がこれです。「な、なんなんだ、これは?」 ここまでは4両編成でしたが、ここから1両になるのは昔からそうです。 この、車体の絵柄も、なかなかですが、車内は窓ごとに座席が作られている観光列車でした。座席数が少ないので満員です。慌てて席を確保して回りを見ると、友達連れ、家族連れです。「春休みやん!」 座った席の隣の車窓向き合いの座席に座ったのはお父さんと子供二人の家族連れでした。岐阜県を朝早く出発して、青春18きっぷの旅だそうです。姫路から播但線を回って京都に抜けて今日中に帰るそうです。小学生らしい子供たちが楽しそうです。 まあ、乗ってしまえば、長谷、生野と通過すれば但馬です。昔は、ボク自身、ここで言葉が変わりました。 最近、天空の城というような過大広告で有名になった竹田駅です。お城というか、竹田城址はこの反対側の山です。 この駅を過ぎれば、さあ、いよいよ、久しぶりの和田山です。 車窓から大きな橋脚が見えますが但馬自動車道の北へ行く陸橋です。遠くに見える桜並木は円山川の堤防の並木です。 和田山です。竹田から桜並木が続いています。前の川は円山川です。 13時40分、和田山駅到着です。 自動車なら2時間かからない距離ですが、鉄道だと3時間半です。ここからは、もう、20分程で到着です。 但馬も春です。じゃあね。ボタン押してね!
2023.04.04
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狩山俊輔「メタモルフォーゼの縁側」パルシネマ 2023年の3月の末にパルシネマで見た2本立ての1本が狩山俊輔という監督の「メタモルフォーゼの縁側」という作品でした。 鶴谷香央理というマンガ家のマンガ作品「メタモルフォーゼの縁側(全5巻)」の実写版の映画化作品でした。 原作のマンガでは佐山うららちゃんという女子高生と市野井雪さんという70代後半と思しき習字教室の先生の出会いから別れまでを全5巻で描いています。市野井雪さんのお家の縁側で二人がマンガ談義をする話ですが、二人が読むマンガがボーイズ・ラブの少年を描いたマンガだというところが新しい作品です。実は、このマンガのファンなので、この映画にやってきました。 素直で、型通りの作品でしたが楽しかったですね。市野井雪を演じた宮本信子は、マンガの主人公と、実年齢がほぼ同じで、時々、演技とはおそらく関係ない表情に、年齢が浮かび上がっていると思わせる瞬間がある気がして、なぜだかわかりませんが、ドキドキしました。ただ、白髪の様子が、映り方なのか、鬘なのか、そのあたりはわかりませんが、なんとなく不自然で、そっちはそっちで、ちょっと気になりました。 うららちゃんを演じていた芦田愛菜という、若い女優さんにも好感を持ちました。こんな女子高生がいるのかいないのか、まあ、そのあたりはよくわかりませんが、幼なじみの男子高校生河村紡くんとか、よくできる女子高生橋本英莉さんとかとの距離の描き方が、原作マンガの記憶にはないのですが、映画らしくていいなと思いました。 原作がお好きな方はご覧になればいいのではないでしょうか。ぼくは納得でした。芦田愛奈、宮本信子に拍手!でした。監督 狩山俊輔原作 鶴谷香央理脚本 岡田惠和撮影 谷康生編集 木村悦子キャスト芦田愛菜(佐山うらら)宮本信子(市野井雪)高橋恭平(河村紡)古川琴音(コメダ優)生田智子(花江)光石研(沼田)汐谷友希(橋本英莉)2022年・118分・G・日本・日活2023・03・30-no049・パルシネマno55
2023.04.03
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「今日の桜 10選 その1」徘徊日記 2023年3月27日(月)団地あたり 青空がうれしい月曜日です。陽気に誘われてお散歩スタートです。玄関を出たところで西をうかがうと桜並木で、その先に見えるが、近所の中学校です。小学校のこの写真の右手、歩いて校門まで1分です。いつの間にか学校の名前が変わってしまっていて驚きましたが、今年の春の新学期には閉校になるそうです。 自宅の裏の広場の方へやってくると、最近、植えられた桜の若木です。その向こうは雪柳の生垣で、梅からさくらに主役交代の小高い斜面です。 自宅前の斜面の坂を上って振り返ると桜の花陰から見える自宅の棟が見えます。カメラを右に振ると北門通路です。 散策通路を挟んで花盛り。桜、雪柳、桃、箒桃、連翹、色とりどりの春です。向こうに見えるのが北門です。カメラを南に向けると、こちらも桜並木ですね。 そのまま通路を南に歩くと管理事務所があって、桜のトンネルは続きます。 向こうから振り返ると、こんな感じ。 で、この中央散策路から、ちょっと坂を東にのぼると、芝生の広場があって、いつもは子供たちがいるのですが、今日は誰もいませんね。 で、その隣の棟の前には立派に満開してる数本の桜です。 ここは、棟と棟の間の臨時駐車場ですね。スペースはありますが車は止まっていません。ベランダの洗濯物が減ったのと同じ理由で駐車場も余っているようです。で、このまま歩くとこういう花に出会えます。 団地の中に、桜の木が何本あるのか、一度、数えてみるのも面白いと思っていますが、枝垂れ桜は10本ありません。咲くと遠くからすぐにわかります。 で、この木の全景ですが、またすぐに載せますね(笑)。じゃあね。ボタン押してね!
2023.04.02
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「豊助饅頭って知ってます?」徘徊日記 2023年3月30日(木)淡河あたり いきなり、なんですが、「豊助饅頭」ってご存知ですか?上の写真のお饅頭です。こし餡を包んだ田舎饅頭(?)風の蒸し饅頭ですが、皮が薄いんです。わが家では、チッチキ夫人の大好物です。 あのー、ですね、神戸市の北区の北のはずれに淡河という町があるのです。読めますか?「おうご」と読みますが、三宮から六甲トンネルを越えると箕谷というところに出ます。有馬に行く神戸電鉄が走っている谷です。で、そこから、もう、一山超えて北に行くと、淡河です。ちなみにもう一山越えれば、中国縦貫の高速道路が走っている吉川(よかわ)です。 で、今日は淡河の八幡さんのさくらを見ようというので、お友達のご夫婦の自動車に同乗させていただいてやってきました。 で、桜満開の駐車場に車を止めて友人がいいました。「あんたんとこ、ここまで来たのに、これ持って帰らんと、怒るやろ。」「うちはアカンよ。あったらたべてしまうもん。」「えー、食べたらあかんの?」「アカン、アカン、アンナあんこのカタマリ、三つも四つも食べたらドクにきまってるやん。」「ほんなら、シマクマのとこにはドク持って帰ってもらおか(笑)。」「わー、うれしい。ありがとう。しっかりドクもったろ。よろこぶわ!」 駐車場のはずれで、一服しながら待っていましたが、お店の玄関先では枝垂れ桜も満開でした。 これが、豊助タワー(?)です。どうやら、お友達は自分とこ用にもひと包み買ったようです。ドクやとわかっていても、今夜のお茶うけにはあんこのカタマリなのでしょうね(笑)。ボタン押してね!
2023.04.01
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オタール・イオセリアーニ「月曜日に乾杯!」シネ・リーブル神戸 オタール・イオセリアーニ特集、3本目は「月曜日に乾杯!」でした。観終えて、思わず笑ってしまいました。 主人公は、よく見ると男前なのですが、なんとなくやる気が出ない感じの中年男です。名前はヴァンサン(ジャック・ビドウ)で、妻(アンヌ・クラブズ=タルナブスキ)と子供が二人います。毎朝工場にやって来て働いています。このルーティーンが面白いのですが、やたら煙草を吸います。家では妻にいろいろいわれて、でも、結構、真面目に家具の修繕とかしています。本当は絵を描きたいようなのですが、そんな落ち着いた雰囲気は家の中にはありません。 二人の息子のおにーちゃんはお父さんがスケッチ・ブックに描いていた絵を模写して教会で壁画を描いています。多分、映画の舞台はフランスの田舎町なのですが、壁画はジョージアの守り神らしいです。弟君は自転車の部品とかいじるのが好きなようです。 ある日、危篤(?)の父親(ラズラフ・キンスキー)を見舞って、父の家にやって来ますが、集まっている人たちを追い払うと、死ぬはずの父親は実は元気で、見ていたぼくの記憶があやふやなので、正確ではありませんが、息子のヴァンサンにこう言います。「お前は世界を見て回らなければならない。まず、おれの旧友がいるヴェニスに行け!」 で、分厚い札束を渡します。変といえば変な話ですが、なんかワクワクしましたね。これがイオセリアーニかな? でしたね(笑)。 次の日、いつものように工場にやって来たヴァンサンは、いつものように入り口でタバコを吸い終わっても、中に入りません。で、旅に出ちゃうんです。 もちろん、行先はヴェニスです。で、彼の手には煙草にワインです。まあ、それにしても、この監督の登場人物たちはこの二つがお好きですねえ。ずっとお酒をのんで、タバコを吸っています(笑)。 見ているこっちは「おいおい、いいのかよ!」 なのですが、どうも、「それでいいのだ!」 のようです。 で、旅先から家には絵葉書を書きます。だって、芸術家の町だし、彼も絵を描きたいんですからね。 留守宅では、奥さんがおかんむりです。夫から来た絵葉書なんて破っちゃいます。そりゃそうでしょう。子供たちは、それぞれ好き勝手にやっていて、でも、お母さんが破り捨てた父さんからの絵ハガキをつぎはぎして、おばーちゃんはそれを大事に壁に貼ります。 まあ、ここから、あれこれお話があるのですが、最後にヴァンサンは帰ってきます。さすがにたじろいでいるヴァンサンですが、気づいた奥さんの言葉がこうでした。「おかえり。」えー、それでいいのかよ! なのですが、やっぱり、それでいいのだ! なのですね。まあ、笑うしかありませんよね。ぼくくらいの御年であれば、まあ、いいかもしれませんが、若い方がこの映画を観て真似したりするのはやめた方がいいと思います。まあ、死にかけの父親が金庫から札束を出して、「世界を見て来い!」 なんていうシチュエーションが夢のようですから、難しいですね。たとえば、ぼくなんかにも似たような年齢の息子は複数いますが、金庫も札束もありませんからねえ。 それにしてもオタール・イオセリアーニ、スゴイです。拍手!です。どこにも角が立っていないのですが、映画の映し出す現実(虚構ですが)のどこかに裂けめというか割れめというかがあるんですね。だから、たぶん、見ているボクは最後の、いつものルーティーンが、再び始まるシーンにホッとするんでしょうね。 うーん、謎は深まるばかりでした(笑)。でもね、なんだかおもしろいんですよね。監督 オタール・イオセリアーニ製作 マルティーヌ・マリニャック脚本 オタール・イオセリアーニ撮影 ウィリアム・ルプチャンスキー美術 エマニュエル・ド・ショビニ衣装 コーリ・ダンブロージョ編集 オタール・イオセリアーニ エバ・レンキェビチュ音楽 ニコラ・ズラビシュビリキャストジャック・ビドウ(ヴァンサン)アンヌ・クラブズ=タルナブスキ(妻)ナルダ・ブランシェ(母)ラズラフ・キンスキー(父)ダト・タリエラシュビリ(息子)アドリアン・パショー(息子)アリーゴ・モッツォ(カルロ)オタール・イオセリアーニ(エンゾ・ディ・マルテイーノ)ジェレミー・ロシニュー(司祭)ヤニック・カルパンティエ(郵便配達人)2002年・127分・フランス・イタリア合作原題「Lundi matin」日本初公開 2003年10月11日2023・03・11-no035・シネ・リーブル神戸no178
2023.04.01
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