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山村 浩二「『幾多の北』と三つの短編」元町映画館no175-1 上にチラシを貼っている「『幾多の北』と三つの短編」というプログラムのメインは山村浩二という監督の「幾多の北」という作品です。もちろんアニメーションです。 元町映画館で映写とかを担当していらっしゃる黒ぶちメガネのおじさんと最近口がきけるようになって、時々おしゃべりの相手をしていただいています。「これなんか、いかがですか?結構、お好きかも、ですよ。」「アニメーション?知らん人やなぁー。」「この山村浩二という人は、日本ではあまり知られていませんが、海外での評価が高いようですよ。」 まあ、そんなふうな会話があって、差し出されたチラシの裏(下に貼ったチラシです)の子供が描いた落書きのような、へんてこな絵に惹かれて見ました。 へんてこで、かわいい絵の方は7分とか10分とかの短編で、作者が山村浩二ではありませんでしたが、別に感想を書きました。 で、チラシの表の絵の方の「幾多の北」というのが山村浩二という人の作品でした。 題名がまず意味不明で、見終えても「わかった!」にはならなかったのですが、60分くらいの、なかなか気合の入ったというか、不安が充満しているというかのアニメーションでした。 一つ一つのカット、カットが物語を構成するつながりを拒絶しているような、コラージュというのでしょうか、筋を追いかける見方をしているとイライラしてしまうのですが、まあ、意味不明の現代詩を読むのと同じような感じで、表現者の差し出している謎を解くカギを探しながら、ボンヤリ浸りながら見ました。 こちらのチラシの下に女性(?)の顔が描かれています。この目を閉じて、おそらく眠っている顔が画面の下に時々出てくるのですが、ボクにはカギというかヒントに見えました。 だから、どうだということはうまく言えませんが、この女性の意識を共有するような位置をさぐりながら、不思議な音楽に合わせてコラージュされていく、意味不明な映像の連鎖を不安な夢の世界のありさまようにボンヤリ、しかし、そこはかとない息苦しさを感じながら見終えました。 わからないままいうのは変ですが、この山村浩二という人、面白いかもしれませんね。とりあえず拍手!でした。他の作品も、出てくれば見続けると思いました。音楽はオランダの前衛ジャズミュージシャンで作曲家のウィレム・ブロイカーという人らしいですが、そっちもちょっと気に掛かりました(笑)。監督 山村浩二原作 山村浩二脚本 山村浩二アニメーション 山村浩二 矢野ほなみ 中田彩郁彩色 山村浩二デジタルワークアシスタント 山村早苗サウンドデザイン 笠松広司音楽 ウィレム・ブロイカー2021年・64分・G・日本・フランス合作2023・06・24・no77(その1)・元町映画館no175-1
2023.06.30
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ジャン・ルノワール「どん底 」元町映画館 1936年ですから、昭和9年、ほぼ、90年前に作られた作品です。ボクでも名前だけは知っているフランスの名監督ジャン・ルノワールの出世作だそうです。 原作は「嵐だ。嵐が来るぞ!」(「海燕の歌」) のゴーリキーの、こちらは代表作である戯曲です。 見たことのない古い映画なので、まあ、興味本位でやってきた元町映画館でした。場内はガラガラでした。ところが、これが、まあ、なんと、ど真ん中のストライク! 観たのはジャン・ルノワール監督の「どん底」です。 登場人物の名前は、なんとなくロシア風ですが、舞台はフランスの貧民窟のようです。で、その「どん底」に生息している「人間ども」、「貧しい人々」が、まず、すばらしいかったですね(笑)。 泥棒稼業しか働き方を知らないペーペル。博打で地位も財産も失った男爵。木賃宿の家主で、けちくさい欲の権化のようなコスティリョフ。その妻でペーペルの情婦ワシリーサ、ひそかにペーペルに恋している妹のナターシャ。アル中の俳優。流しのアコーディオン弾き。いつも真実(?)を口にする哲学老人。金と権力を振り回し、ナターシャに迫るデブの監督官。 見終えた後で、次々と思い浮かぶこの人物たちを巷間から見つけ出してきたのは、おそらく、原作者ゴーリキーの功績でしょうね。しかし、それぞれの人物に生きている人間の顔をあたえたのは、まちがいなくジャン・ルノワールですね。そこはかとないユーモアを漂わせながら、人間喜劇とでもいう感じのドタバタ的筋運びなのですが、目が離せません。中でも、原作には、たしか、登場しない(?)、博打狂いで破滅する男爵を登場させたのがジャン・ルノワールのすごいところで、映画はゴーリキーの「貧しい人々」の世界から離陸して、ひょっとしたらうまくいくんじゃないか? という「ワクワク」するハッピー・エンディングの予感の中で展開していきます。イヤハヤ、うまいものですね(笑)。 アコーディオンの演奏と、酒場のブラスバンドの音楽だけが、所謂、BGMなのですが、それが見事にドラマの気分を盛り上げていて、アル中の俳優の意味不明な演技と哲学者のトンチンカンなご宣託が世界の行方を暗示しているかのように挿入されるのですが、だからこそでしょうね、なんとなく笑えるのです。初心で恥ずかしがりな娘と愛のために更生を誓った泥棒の恋物語にすぎないのですが、いいもの、みちゃった! この、いい気分はどこから来るのでしょうね。 若き日のジャン・ギャバン、男爵を演じているルイ・ジューベ、そして監督ジャン・ルノワールに拍手!でした。年をとってからの姿しか知らなかったのですが、ジャン・ギャバンが1930年代の人気スターだったことに納得しましたよ(笑)。 監督 ジャン・ルノワール製作 アレクサンドル・カメンカ原作 マクシム・ゴーリキー脚本 エブゲーニイ・ザミャーチン ジャック・コンパネーズ ジャン・ルノワール シャルル・スパーク撮影 フェドート・ブルガソフ ジャック・メルカントン ジャン・バシュレ美術 ユージン・ローリー ユーグ・ローラン編集 マルグリット・ルノワール音楽 ジャン・ウィエネル ロジェ・デゾルミエール助監督 ジャック・ベッケルキャストジャン・ギャバン(ペーペル:泥棒)ルイ・ジューベ(男爵)シュジー・プリム(ワシリーサ:コスティリョフの若い妻)ジュニー・アストル(ナターシャ:ワシリーサの妹)ジャニー・オルト(ナスチャ)ウラジミール・ソコロフ(コスティリョフ:木賃宿の亭主)ロベール・ル・ビギャン(俳優)モーリス・バケ(アコーディオン弾きのアリョーシカ)ルネ・ジェナン(哲学者ルカ)ポール・タン(元電信手)ナタリー・アレクセイエフ(アンナ)アンドレ・ガブリエロ(監督官)カミーユ・ベール(伯爵)レオン・ラリブ(男爵の執事フェリックス)1936年・93分・フランス原題「Les bas-fonds」日本初公開:1937年11月2023・06・27・no79・元町映画館no176
2023.06.29
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矢野ほなみ「骨噛み」元町映画館no 元町映画館で観た「『幾多の北』と三つの短編」というプログラムの中の作品です。矢野ほなみという人が作った「骨噛み」という10分の短編アニメーションでした。 絵が点描風なんですね。点が集まって来て絵になって、ワラワラと集まりがほどけていくと点になります。それがアニメーションの描いている物語のイメージとリズムというかテンポのようなものを作り出していると感じさせるんです。で、ボクには、それが不思議でしたね。 「骨噛み」というのは、死者の骨を噛むという習俗のようなのですが、登場人物はまだ幼い少女です。上に引用している絵の中で浮き輪に乗っている子供の一人です。その小さな少女のお父さんが亡くなって、お葬式の後、火葬場でお骨になったお父さんを前にして、おじいちゃんから「骨噛み」ということを教わります。ボクの記憶では、そこで、シーンがほどけていったような気がしますが、そのあと、主人公が何かいったような気もします。よく覚えていません。 ただ、人の意識の中で、記憶の粒が集まって絵になったり、また、粒に戻ったりしているような印象で見終えました。大人になっても、まあ、ボクのような老人になっても、どこかに持っている、あどけない、しかし、どこか不安で哀しい記憶を描いているのでしょうか、とても印象的な作品でした。監督 矢野ほなみアニメーション 矢野ほなみサウンドデザイン 滝野ますみ音声録音 高木公平整音 浅倉努声 田野彩雲2021年・10分・G・日本2023・06・24・no77(その4)・元町映画館no175-4
2023.06.28
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幸洋子「ミニミニポッケの大きな庭で」元町映画館 元町映画館で観た「『幾多の北』と三つの短編」というプログラムの中の1本です。幸洋子という人が作った7分のアニメーションです。「ミニミニポッケの大きな庭で」という題です。NHK のテレビの、たぶん、こども番組でアニメーション作っている人らしいです。落書きというか、絵日記というか、これで色合いが暗かったらたまりませんが、妙にあどけないイメージの絵に子供のようなナレーションです。音楽も楽しげです。子供になって、一緒に鼻歌うたうしかありません(笑)。フンガ、フガ♪ フンガ、フガ♪ もしもこの1本のために料金を支払って座っていたら、ちょっと、どうしていいかわからない感じですね。意味ネ~じゃん! 心のどこかで、そんな気分をあじわいながら意味を探して座っていることだけはよくわかりました。楽しいにはたどり着けませんでしたね。たとえば5歳の子供にはどう見えるのでしょうね。 でも、まあ、やっぱり、69歳の老人には意味不明でしたね。なかなか思い切った世界ですが、何なんですかねこれ?監督 幸洋子詩 幸洋子アニメーション 幸洋子サラウンドミックス 滝野ますみ音楽 honninman2022年・7分・G・日本2023・06・24・no77(その3)・元町映画館no175-3
2023.06.27
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100days100bookcovers no92 92日目 小田嶋隆 その1『超・反知性主義』(日経BP)『ザ、コラム』(晶文社)『ア・ピース・オブ・警句 5年間の「空気の研究」2015-2019』(日経BP)『災間の唄』(サイゾー)『東京四次元紀行』(イースト・プレス) 大変遅くなりました。 小田嶋隆が、2022年6月24日に亡くなった。 いつかここでも紹介しようかと思っていたのだが、妙な言い方になるが間に合わなかった。間に合わなかったが、今回紹介することにする。 実は、SODEOKAさんの「本」が決まるまえから、次は小田嶋隆と決めていた。一応何とかしてこじつけるが、こじつけ方に相当無理があっても、今回は笑ってご容赦いただきたい。 ただ、「アイヌ」や「家族」に直接関連することはたぶんないだろう。小田嶋隆がそういったテーマの文章は書いたことはあるだろうが、それだけの話だ。 思いついたのは「異端」ということだろうか。「アイヌ」はあくまで「大和」民族にとって「異端」だったわけで、「アイヌ」にとっては「大和」が「異端」である。 そして小田嶋隆の「コラム」もおそらく周囲にとっては「異端」だったはずだ。という曖昧な接点だが、今回はこれでいく。 たぶん最初に出会ったのは、雑誌シティロードのコラムだったと思う。 シティロードが休刊という名の廃刊になってからは、どこで読んでいたのかいなかったのかは記憶にない。 最初の肩書はコンピューター関連の記事を書く「テクニカルライター」で、当時たくさん出ていたコンピュータ関連の雑誌でも記事を読んでいた気がする。 著作で最初に入手したのはたぶん『安全太郎の夜』(河出書房新社)だったと思う。その後、文庫化されたデビュー作『わが心はICにあらず』(光文社文庫)も手に取ることになった。 ちなみに最近誰かがどこかで指摘していてようやく気がついたのだが、『わが心はICにあらず』は高橋和巳のあの著作のもじりだった(高橋和巳については、私が中学か高校のころに4つ上の兄が読んでいたので名前は知っているが、私自身はいまだに未読)。 それから徐々に、様々な媒体で執筆をするようになり、著作も増えていった。十年ほど前に、新刊を買うのをほぼ止めるまでは、「出ると買う」作家だった。 さらに付け加えると、私が、内田樹を読み始めたのが、たしか2000年前後で、その内田樹がたまたま小田嶋隆のファンで影響を受けていると書いているのを読んで、驚きつつ妙に嬉しくなったのを覚えている。 政府の思考停止でふざけた政策、政府高官のろくでなしの発言、世間の軽薄な風潮やエセ文化人のいい加減な記述、発言等に対して、辛辣な、しかし諧謔やユーモア、駄洒落を交えて批判する一方で、内省的な部分も少なからず含まれるその文体は、他では経験したことがないものだった。 twitterでフォローするようになってからは、ツイートに目と通すのが日々のルーティンになっていたので、この数年病気がちで入退院を繰り返していたのは知っていた。 が、病名も伏せられていたし、正直それほど悪いとは思っていなかった。2019年に患ったらしい脳梗塞のことを知ったのもだいぶ後になってからのことだった。だから突然の訃報はほんとうにショックだった。後から考えると、入退院を繰り返すというだけで、ただの病気ではなかったと気づくのだが。 それから近作を読んでいなかったのを「反省」して、例によってブックオフで何冊か手に入れて読んだ。当時、新刊として出たばかりの初の小説集『東京四次元紀行』(イースト・プレス)は新刊書店で買った。探して見つからなければ図書館に行っただろうけど、何だかやはり手元に置いておきたかった。 今回読んだのは、都合5冊。『超・反知性主義』(日経BP)、『ザ、コラム』(晶文社)、『ア・ピース・オブ・警句 5年間の「空気の研究」2015-2019』(日経BP)、『災間の唄』(サイゾー)、『東京四次元紀行』(イースト・プレス)。 これだけまとめて書籍で小田嶋隆の文章を読むのは久しぶりだった。もちろん、シティロードの頃とは多少文体も書く内容も変わっているはずだが、日頃からTwitterやネットのコラムででなじんでいるせいか、やはり小田嶋隆は小田嶋隆だった。みな、おもしろかった。その中で、最も記憶に残ったのは『災間の唄』である。(この記事は2023年2月6日、100days100bookcovers no92として、友人のT・KOBAYASIくんによってFBに投稿されたものですが、以下、どんどん続きますのでその2に続きます。)追記2024・04・05 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目) (51日目~60日目)) (61日目~70日目) (71日目~80日目)という形でまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2023.06.26
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山村浩二「ホッキョクグマ すっごくひま」元町映画館no 山村浩二という監督の「『幾多の北』と三つの短編」というプログラムの中の1本です。たった7分間の白黒の画面でしたが楽しかったです。 ホッキョクグマが主人公で始まりますが、アザラシとかラッコとか、まあ、海獣くんたちが歌に合わせて次々と登場します。 画面のマンガに手書きのテロップがついていて、それをナレーターが歌いながら読み上げています。「ホッキョクグマ すっごくひま」、ふんふん♪♪「アザラシあくび、あさらしい」、ふにゃふにゃ♪♪「ラッコねんねこ、ダッコでねんね」ありゃこりゃ♪♪ まあ、そういう感じです。最後にはやっぱりデカいのが登場しますが、7分ですからね、それでどうなると思っていたら終わりました。 よろしいですね(笑)。監督 山村浩二絵 山村浩二アニメーション 山村浩二サウンドデザイン 滝野ますみ整音 浅倉務音楽 CASIOトルコ温泉2021年・7分・G・日本2023・06・24・no77(その2)・元町映画館no175-2
2023.06.26
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ニコラス・ローグ「マリリンとアインシュタイン」元町映画館 2022年の秋から見始めている「12ヶ月のシネマリレー」も折り返し点を過ぎました。 で、2023年6月のプログラムはニコラス・ローグ監督の「マリリンとアインシュタイン」でした。1985年に作られた作品のようですが、マリリン・モンローとアインシュタインの取り合わせにはなんとなくな記憶がありましたがあてにはなりません(笑)。 1954年の、ニューヨークが舞台のようです。地面の通風孔から吹き上げる風にマリリン・モンローのスカートがめくれ上がるという、まあ、モンローといえばアレ! というシーンの撮影中、通風孔の下から風を送っている二人の男のシーンから映画は始まりました。笑えます! で、歴史的(?)撮影を終えた人気女優は疲れています。セクシー女優としての仕事にも、プロ野球選手との夫婦生活にも・・・、で、彼女が今したいことは「抱かれたい男NO1」のあの男と「特殊相対性理論」について議論することだったのです。もう、一度、笑えます! まあ、そういう脈絡で、舞台は天才物理学者のホテルの部屋ということになります。で、女優が先ほど買い込んだ列車のおもちゃや懐中電灯を駆使しながら特殊相対性理論について会話がはじまります。天才物理学者は楽しそうです。とはいながら、さあ、ここから二人は?という明け方近くになって、女優の夫で元野球選手は闖入するわ、赤狩りの上院議員が飛び入りするわで、ハチャメチャな一夜です。やっぱり、笑えます! とうとう、夜が明けてしまって、時間は8時15分です。壊れていた目覚まし時計と物理学者の腕時計と女優の時計の時刻が重なり合った、その時、場面は一気に破局の様相を呈し、天才物理学者は絶望し、美しい女優は火だるまと化して世界が終わります。見事でしたね。もう、笑えません! 蛇足ですが、8時15分、ヒロシマで原爆が炸裂した時刻です。女優と野球選手の間にはどうしても子供ができないという挿話がもう一つのカギでしょうね。 悪夢から覚めた天才物理学者に、女優はにこやかに手を振って去っていきます。衝立のせいで、女優の手だけ見えているラストは素晴らしいです。 アメリカ映画だと思って観ていましたがイギリス映画でした。だからどうだということは分かりませんが、マリリン・モンローとかアインシュタインとかの描き方の明るさとか、野球カード・フェチのジョー・ディマジオとか、あのトニー・カーチスが演じる赤狩りで名を残しているマッカシーに対する辛辣な批評性はイギリス的でしたね(笑)。 納得の1本でした。映画のあいだ中、モンローのあの衣装で頑張っていたテレサ・ラッセルと、まあ、上手なコメディアン・アインシュタインを演じていたマイケル・エミル、理に落ちそうなテーマを「笑い」で描いたニコラス・ローグ監督に拍手!でした。 原題は「Insignificance」です。「無意味」とか「些末」ということだと思いますが、家に帰って調べてもう一度笑いました。やってくれますねえ。まあ、ホントは笑えないのかもしれませんがね(笑)。監督 ニコラス・ローグ脚本 テリー・ジョンソン撮影 ピーター・ハナン美術 デビッド・ブロックハース衣装 シュナ・ハーウッド編集 トニー・ローソン音楽 スタンリー・マイヤーズキャストテレサ・ラッセル(マリリン・モンローかも?)マイケル・エミル(アインシュタインかも?)トニー・カーティス(赤狩りのマッカーシーかも)ゲイリー・ビューシイ(ジョー・ディマジオかも)ウィル・サンプソン(エレベータボーイ)パトリック・キルパトリック1985年・109分・G・イギリス原題「Insignificance」配給:東北新社日本初公開:1986年8月8日2023・06・24・no76・元町映画館no174
2023.06.25
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クロード・ジディ・Jr「テノール」 なんか、楽しくてスカッとする映画はないかいな? そういう目論見で見当を付けてやってきたシネ・リーブル神戸です。観たのはクロード・ジディ・Jrという若い監督の「テノール」という作品です。 正解でした。まあ、オペラを本気でご覧になったり、お聞きになっている方がご覧になると、オペラの男性テノールのとしては素人という評価が下されそうですが、ボクのような素人にはとても楽しい音楽映画でした。 現代のフランスという国、まあ、ヨーロッパの国々のといったほうがいいかもしれませんが、を舞台にした作品に共通するのが、移民、貧困、格差というリアルな問題群が背景には必ず登場することですが、この作品では貧困地域のフリーターでラップ大好き青年アントワーヌ君の、実に、「マンガ的」ビルドゥングスロマン、地域対抗ラップ歌手からオペラ座のテノールへという夢物語が語られていました。 主役を演じているのはMB14という本物のラップ歌手だそうですが、オペラも、もちろん知りませんが、ラップってなに?の徘徊老人には、上手も下手もわかりません(笑)。こんなこと起こったら面白いやろ! まあ、そういう雰囲気ののりが映画全体を包んでいて、とてもいい感じで、ラップ青年アントワーヌ君がプッチーニの名曲「誰も寝てはならぬ」をオペラ座で歌う大団円はなかなか感動的でした。オペラ座なんて来たこともない地域のガキたちが、まあ、もう、おっさんという連中もいるわけですが場所にビビりながら、大喜びしている姿に拍手!でした。 だいたい、この年になって、相変わらず少年マンガのファンであり続けてるおつむの老人には、こういう筋書きはこたえられませんね。でもね、何とか抜け出せないかと若者たちがとんがっている格差をベースにしているところは、結構マジだと思うんですよね。そのあたりが、観ていてシラケない理由かもしれませんね。監督のクロード・ジディ・Jr.の今後に期待して、拍手!でした。監督 クロード・ジディ・Jr.脚本 ラファエル・ベノリエル シリル・ドルー クロード・ジディ・Jr.撮影 ローラン・ダイアン美術 リズ・ペオ衣装 レナイグ・ペリオット=ブールベン 編集 ベンジャミン・ファブルール音楽 ローラン・ペレズ・デル・マールキャストミシェル・ラロック(マリー・ロワゾー)MB14(アントワーヌ・ゼルカウィ)ギョーム・デュエム(ディディエ)マエバ・エル・アロウシ(サミア)サミール・デカザエリオサミール・デカザマリー・オペール(ジョセフィーヌ)ルイ・ド・ラビ二エール(マキシム)ステファン・デバク(ピエール)ロベルト・アラーニャ(ロベルト・アラーニャ本人役)ドゥードゥー・マスタオスカー・コップ2022年・101分・G・フランス原題「Tenor」2023・06・13 ・no70・シネ・リーブル神戸no196
2023.06.24
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NTLive クリント・ディア―「オセロ OTHELLO」 シネ・リーブル神戸 シネ・リーブル神戸で月に1回のペースで上映されているショナルシアター・ライヴを欠かさず観ていますが、2023年、6月のプログラムは、シェークスピアの悲劇「オセロ」でした。3時間を超える舞台です。 クリントン・ディアーによる演出は、メジャーな劇場での初の黒人による演出となり、シェイクスピア学者ジャミ・ロジャーズ博士が「英国シェイクスピア史における大きな節目」と評価した注目作。 なのだそうです。ボクは日本の現代演劇もほとんど見たことがありませんし、もちろん外国の舞台なんて全く知りません。このナショナルシアターのプログラムだけが、かろうじて演劇とのつながりなのですが、このプログラムではシェークスピア劇の現代的演出の舞台が上演されることが時々あります。イギリスでのシェークスピアの受け取られ方というか、文化の伝統に対するズレのようなものを感じるのはそういう時です。 シェークスピア劇なんて戯曲としてしか読んだことのないボクには、現代的に解釈されているシャークスピアに、ネタはシェークスピアですが、語られているのは現代的なテーマだったりするわけで、時に、ついていけないことがあるというわけです(笑)。 今回の演出でも、ムーア人であるオセロに対する人種的な差別や、デズネモーナや、イアーゴーの妻ですが、エミリアに対するミソジニーっていうのでしょうか、女性蔑視がくっきりと表現されていて、舞台の雰囲気がとがっている印象を受けました。 例えば、まあ有名なオセローの嫉妬というか、湧き上がる猜疑心も、単に男女の問題ではない、人種的偏見に対する猜疑心を引き金でとしながら、一方で、信用ならないものとしての女性に対する疑いで下支えしているかの心理の動きが、かなり鋭角的な印象を感じさせてしんどかったですね。 その分、イアーゴーの悪辣な使嗾が、異常にリアルで、演じていた俳優も上手なのですが、面白いというよりも疲れる舞台でした。 ここのところ、舞台の転換とかでも、とてもテクニカルに映像が使われる舞台を続けてみたのですが、映像で見る限り、生の舞台での視覚体験をしてみたいなあと思わせるスピードとリアルでした。いやはや、シェークスピアって、こんなに疲れるっけ? まあ、そんな感想の舞台でした。映像で見ていることを忘れさせる臨場感というか、中でもイアーゴーをやっていたポール・ヒルトンという役者さん、イヤ、ホンと、すごかったですよ(笑)。演出 クリント・ディアー原作 ウィリアム・シェイクスピアキャストジャイルズ・テレラ(オセロ)ロージー・マキューアン(デズネモーナ)ポール・ヒルトン(イアーゴー)ターニャ・フランクス(エミリア)2023年・185分・イギリス・リトルトン劇場原題 National Theatre Live「Othello」2023・06・23・no75・シネ・リーブル神戸no
2023.06.23
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アマンディーヌ・フルドン バンジャマン・マスブル 「プチ・ニコラ パリがくれた幸せ」 久しぶりに同居人と二人でやって来たシネ・リーブル神戸です。まあ、行きも帰りも別行動でしたが(笑)。観たのはアニメ映画「プチ・二コラ パリがくれたしあわせ」です。思いのほか、お客さんが多くて焦りましたが、無事着席です。「これは、行くわよ。」「ああ、ボクも行く。ヨーロッパのアニメ好きやねん。」「あのね、教養のフランス語の時にね、教科書だったのよ、プチ・二コラって。」「ホトケのHさん?」「ちがう、ちがう。女性の先生。」「名前は?」「わすれたちゃった。」 まあ、こんな会話があっての同伴鑑賞でした。同居人は、フランス版(?)を教科書にしていたようで、ちょっとうらやましいのですが、実は、ボクには読んだ記憶がありません。絵だけは知っていましたが、ルネ・ゴシニとジャン=ジャック・サンペという二人の合作マンガだったとか、1950年代の終わりごろから70年代にかけてフランスでは誰もが知っている作品だったとかいうことを、このアニメに教えられて初めて知りました。 二人の作者の人生が、ニコラ君の案内でたどられるという、シャレた展開でしたが、なによりもアニメの絵柄が上品というか、ページを繰りながら物語が展開するアイデアも落ち着いて、美しいアニメーションでした。多分、子供たちが見ても面白いと思いますが、日本の子供アニメにありがちな、驚きを狙ったというか、奇を衒ったようなシーンは皆無でした。「やっぱり、ヨーロッパのアニメっていいねえ(笑)。」「シャレてるだけじゃなくて、チャンと歴史が描かれていてマトモなのよね。」「うん、クレヨンしんちゃんとかサザエさんとかのネタで、あんなふうなアニメを作るジョーシキというかは日本とかにはないからね。」それぞれ、なぜか、別々に帰宅して、夕食での話題でしたが、やっぱりヨーロッパのアニメはいいですね。 日本語の吹き替え版もあるようです。こちらがそのチラシです。子供連れで見るなら、こちらがいいのでしょうかね。こちらが裏面です。監督 アマンディーヌ・フルドン バンジャマン・マスブルアニメーション監督 ジュリエット・ロラン原作 ルネ・ゴシニ ジャン=ジャック・サンペ脚本 アンヌ・ゴシニ ミシェル・フェスレール音楽 ルドビック・ブールス声優アラン・シャバ(ルネ・ゴシニ)ローラン・ラフィット(ジャン=ジャック・サンペ)シモン・ファリシモン・ファリ2022年・86分・G・フランス原題「Le petit Nicolas: Qu'est-ce qu'on attend pour etre heureux?」2023・06・21-no74・シネ・リーブル神戸no195
2023.06.22
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岩合光昭「虎」(クレヴィス)虎です! なぜ、今、虎なのかというと、老人二人のトラキチ生活だからです。市民図書館の棚に「虎」が並んでいれば借りてきてしまうわけです。5月の終わりだったか、6月のはじめだったか、埼玉地方の芝生広場でトラ対ライオンの戦いがありましたが、期待むなしくトラの敗北で、それからは鷲とか鷹とか、空中戦を得意とする猛禽をはじめ、バッファローといえば獰猛そうですが、たかが牛にさえ敗れ続けるという、他にすることも、まあ、ないのですがテレビに噛り付いている老人二人には、実に哀しい一か月でした。 そんなある日、市民図書館の新入荷の棚にこの顔が並んでいれば、そりゃあ、あなた、やっぱり借りてくるというものでしょう。 で、ネコでしか知らなかった岩合光昭の、多分、一番新しい写真集「虎」(クレヴィス)です。中の写真は寅年だったらしい1986年にNHKの「インドタイガー」という番組のレポーターをなさったときのもののようです。 ベンガル地方(どのあたりだかよくわかっていませんが)の自然の風景、動物や鳥、たとえばクジャクとか、たち、そして「虎!」です。で、まあ、つくづく感じたのはトラはネコとはチガウ!ということで、この写真集を神棚に飾り(ウソですよ(笑))、ここの所、阪神キャッツ化しているネコ軍団に、思わず念を送りました。トラだ!トラになれ! アホなことを書いていますが、美しい写真集でした。岩合光昭という写真家が岩合徳光という動物写真の草分けのような方のご子息だというようなことも、この写真集で初めて知りました。中にはお父さんがお撮りになった写真もあるようなのですが、どれが、それなのかは、ボクにはわかりませんでした。 岩合光昭自身も70歳を超えて、仕事の整理というか、まとめというかの作業をはじめられたのかなともふと思いましたが、これからもネコで結構ですから、楽しい映像や写真期待していますよ(笑)。
2023.06.21
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トマーシュ・バインレプ ペトル・カズダ 「私、オルガ・ヘプナロヴァー」元町映画館 見ようか、やめようか、かなり迷いました。「これは、きっと、面倒くさいやつやな!」 最近、面倒くさい話が苦手です。 「銀行員の父と歯科医の母を持つ経済的にも恵まれたオルガ・ヘプナロバーは、1973年7月10日、チェコの首都であるプラハの中心地で、路面電車を待つ群衆の間へトラックで突っ込む。この事故で8人が死亡、12人が負傷した。 犯行前、22歳のオルガは新聞社に犯行声明文を送った。自身の行為は、多くの人々から受けた虐待に対する復讐であり、社会に罰を与えたと示す。 両親の無関心と虐待、社会からの疎外やいじめによって心に傷を負った少女は、自らを「性的障害者」と呼び、酒やタバコに溺れ、性的逸脱を重ね、精神状態は悪化していく。複雑な形の「復讐」という名の「自殺」を決行したオルガは、逮捕後も全く反省の色を見せず、75年3月12日にチェコスロバキア最後の女性死刑囚として絞首刑に処された。」 ネットの作品紹介にのっていた文章です。こんな話、面倒くさいに決まっているじゃないですか。でもね、チョットだけ気になったの、主人公の事件が起きたのが1973年と書いてあることなんです。ボク、この主人公と3歳ほどしか違わないんですよね。で、出かけてしまったんです、元町映画館(笑)。 観たのはトマーシュ・バインレプという人とペトル・カズダという人が、二人で監督をしているらしい映画「私、オルガ・ヘプナロヴァー」でした。 で、感想ですが、観る前に、あれこれ躊躇していたボク自身の予想は杞憂でした。タバコの吸い方が、たぶん、そう演出しているのでしょうが、最後までさまになっていなかったことが気になったことと、女性の同性愛の「性愛」(古ッ!)シーンに、さほど惹かれないで見ている自分のジジ臭さに気づいたこと以外、実にまっとうな作品だと思いました。「オルガは、あの頃のボク自身だ!」 とまでは言いませんが、描かれていく彼女の存在のありさまには、ほとんど違和感を感じませんでした。 主人公のありさまについて、映画の中でも統合失調症というような病名を持ち出して隔離、保護することが当然だという考え方があることをボクは否定も非難もしません。現実に、何のかかわりもない人間を殺している、その、殺人の当事者なわけですから、事件を未然に防ぐことは不可能だったのか、という視点で考えることは、ある意味で、普通のことです。しかし、映画を作った人は、その視点を捨てることを選ぶことによって、人間存在の普遍的な危うさを描くことに成功しているようにボクには見えました。 「孤独」という、ありきたりな言葉がありますが、人は本来「孤独」でしかありえないにもかかわらず、「孤独」ということについて、正面から見据えたり、考えたりすることを避けて生きています。 では、否応なく、それを見つめざるを得なくなった時、人はどうなるのか。どうすればいいのか。多分そんな問いがこの映画には漂い続けていて、オルガを演じていたミハリナ・オルシャンスカは、一人ぼっちの人間の過酷なさまを実に見事に演じ切っていたと思いました。 チラシの裏をご覧ください。それにしても、この険しい表情の少女が、実は、最後まで「他者」を求め続け、生きることを希求していた姿を映画は描いているとボクは思いました。ある種、露骨な性描写も、いつまでも吸いなれない喫煙も、自動車のぶきっちょな運転も、孤独の壁の乗り越え方を見つけられない少女の子供っぽい仕草の表現に見えて、なんともいえず哀切でした。生き続けていれば孤独地獄で罪悪感に苛まれるだけなのでしょうか。 たとえば「死刑」というような制度は本当に必要なのでしょうか。「やっぱりこの制度はやめたほうがいい。」 ボンヤリした思いですが帰り道、人通りの増えた元町商店街を歩いていると浮かびました。 二人ですが、監督の人間凝視のスタイルに拍手!でした。それから主演のミハリナ・オルシャンスカさん、表情だけでなく体を張った「孤独」の演技は見ごたえがありましたよ(笑)。拍手!ですね。監督 トマーシュ・バインレプ ペトル・カズダ原作 ロマン・ツィーレク脚本 トマーシュ・バインレプ ペトル・カズダ撮影 アダム・シコラ美術 アレクサンドル・コザーク衣装 アネタ・グルニャーコバー編集 ボイチェフ・フリッチキャストミハリナ・オルシャンスカ(オルガ)マリカ・ソポスカー(イトカ)クラーラ・メリスコバ(母親)マルチン・ペフラート(ミラ)マルタ・マズレク(アレナ)2016年・105分・チェコ・ポーランド・スロバキア・フランス合作原題「Ja, Olga Hepnarova」2023・06・19・元町映画館no173
2023.06.20
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神沢利子作・G・D・パヴリーシン絵「鹿よ おれの兄弟よ」(福音館書店) 4人のゆかいな仲間と暮らしていたのが、もう、20年以上昔のことになりました。「ジージの絵本」で案内する絵本も、古い思い出の絵本ばかりです。何か、別の本を読んでいて、ふと思い出して、ああ、あの絵本! まあ、そんな思いつきです。 今日は神沢利子さんの名作「鹿よ おれの兄弟よ」(福音館書店)です。極致を冒険して知る角幡唯介という人の「裸の大地・第1部・第2部」(集英社)というノンフィクション、冒険談を読んでいて思い出しました。 角幡さんの本はグリーンランドでの話ですが、こちらはシベリアが舞台のお話で、直接の関係はありません。角幡さんが犬橇の犬たちのことや、狩りで出合うアザラシやオオカミのことを書いていらっしゃるのを読みながらフト!浮かびました(笑) 絵本は、鹿を狩ってして暮らしている、シベリアの青年のお話です。ページを繰ると4ページ目にこんな絵があります。 で、こんな詩が綴られています。鹿よ おれの 兄弟よ うつくしい枝角を もつ 兄弟よおまえに あうために おれは 川を のぼってゆく前方に そびえたつ シホテ・アリニ山脈の あいだから川は ながれ ながれ タイガを ながれくる小舟を こぎ おれは 川を のぼるプサル プサル プサル 水面に はねる ちいさな魚プツィルド プツィルド おおきな魚が はねる 川をさかのぼる青年の前に広がる世界を描いた詩といえばいいのでしょうか、人間が生きることを美しく歌った詩で、物語はシベリアの自然を描いていきます。裏表紙は川を下る青年のこんな絵です。 2004年ですから、20年ほど前に出た絵本です。家のどこかで見た気がしたので探しましたが見つかりませんでした。しようがないので、市民図書館でお借りしました。絵を描いているのはばパヴリーシンというロシアの画家です。作者の神沢利子さんは1924年のお生まれで、今年100歳です。ご健在であることを祈りたくなる絵本です。二人の紹介を貼っておきます。神沢利子[カンザワトシコ] 1924年1月29日、福岡県に生まれる。北海道、樺太(サハリン)で幼少期を過ごす。文化学院文学部を卒業。詩、童謡、童話の創作に長年活躍し、巌谷小波文芸賞、路傍の石文学賞、モービル児童文化賞、日本児童文学者協会賞、産経児童出版文化賞大賞、日本童謡賞など、数々の賞を受賞している。東京都在住パヴリーシン,G.D.1938年8月27日旧ソ連のハバロフスク市に生まれる。極東美術専門学校を経て、ウラジヴォストーク総合大学歴史学部で学ぶ。「ロシア人民美術家」「ハバロフスク市名誉市民」の称号をもつ。ソ連国家賞、民族友好勲章、レーニン賞、ライプツィヒ図書博覧会金賞、世界絵本原画展(BIB)金のリンゴ賞など、国内外で数々の賞を受賞している。ハバロフスク市在住
2023.06.19
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是枝裕和「怪物」 今回の映画は是枝裕和監督の話題の新作「怪物」です。SCC番外編です。見る前から否定、肯定、いろいろ聞こえてきました。で、絶賛だったのが映画を見始めたSCC会員のM氏でした。「よかったよー。才気走って仕掛け満載。メールでは書ききれません!是枝監督、最高!」 というようなメールもあってSCC主宰者としては見ないわけにはいきません。で、見ました。是枝裕和監督の「怪物」です。 見終えて、すぐにメールしました。「少年二人の哀しさに、安藤さくら演じる母の哀しさ(ほんとは、夫に裏切られた女であること)、瑛太という俳優演じる学校教員の哀しさ(彼は何も悪くないにもかかわらず、いや、むしろ、いい教員であるにもかかわらず・・・)、田中裕子演じる校長の哀しさ(音楽の中にだけしか本当を生きられない)、が、それぞれみんな重ねられているんですよね。 で、最後に少年二人が明るい緑の光の中を走る。別に、大人たちの世界も、こどもたちの世界も、何も変わっていませんね。でも、観ている客であるボクは、たとえば、まあ、唐突ですが、大江健三郎がかつて描いた「出発の可能性」のようなもの、初期の作品から、万延元年くらいまで、書き続けながらズーっと求めていたものを、40年経って、ようやく受け取るという体験をしているのですが、ああ、是枝が求めているというか、希求しているのは、そっちなんだなと、あのラストシーンを見ながら感じて、ホッとしたんです。 映像の中で子供たちが見上げる明るい空をぼくも一緒に見上げている感じというか、そういう「どこかに明るい空があるかもしれない」というか、で、坂本龍一のピアノが、その世界に美しく響くんです。まあ、泣くしかないですよね(笑)。」「近いものでわたしの印象に残っているのは、校長の田中裕子が嵐の中じーっと川を見ていたシーンと.父親の中村獅童がやはり嵐の中.道に転ぶシーンで、これを象徴と取ってもいいですが、むしろ私は映画の中にこれらの場面をしっかり拾っていることに、かなり感心しました。」「そうですね。そういえば、夫と接見している田中裕子が折り紙折ってましたね。あれなんかも、そういうシーンかもですね。 まあ、登場する一人一人についてシーンとして差し出すけれど判断しないのがいいですよね。ああ、それから、あの二人が「死後の世界」にいるという解釈があるそうですが、そのあたりはいかがですか?最近読んだ大江の「芽むしり」では、主人公の「僕」は、最後に森の闇に身を潜めます。村上春樹の「ねじまき鳥」の中では井戸の底に降りた主人公の岡田に光が降り注いで、悪に目覚めたように覚えています。ボクは映画を見ながら、主人公の二人の少年の再生というか出発というかを感じましたが・・・。」「なるほど、死後の世界ですか。でも、それは、いわゆる理に落ちた解釈で、まず私の好む映画文法に好ましくないし、第一、私が実際にあの場面で熱くなった昂りの正体について考えると、かなり違和感を持ちます。」「たしかに、二人を探す大人と少年たちは出会えませんよね。そこから、見た人それぞれの解釈が始まるのでしょうが、Mさんの映画文法って何?」「小説も、読みに関して文法あるじゃないですか。」「ボクはね、それぞれの存在が、同じ次元にいないんじゃないかって感じました。そこがこの映画の面白さかなって。 村上の井戸の底のような、上か下か、あっちかそっちかは分からないですが、ズレた場所ですね。 この映画は、登場人物たちが、互いにズレていることを描きたがっていると思うのです。相手が何者かをカードに書かれている名前というか、言葉というかで見て、了解した瞬間に起こる ズレには気づかないまま成り立っている社会関係を、ぼくらは生きているわけです。だから、お互いが、正体不明の「怪物」なんですね。ついでに言えば、見ているこっちも、そのズレを共有していて、実は怪物なんじゃないかって。「怪物だーれだ?」って言ってましたけど、観客に向かって言っていたんじゃないかなって。 で、それに、直感的に気付いているのが二人だけなんですね。その気づきは肉体的なというか、クィアとかで話題になっているらしいのですが、あれって、同性愛の暗示なんかじゃなくて、自己意識、まあ、主体というか、主観というかを支える身体性、自然性の暗示だとボクは思いました。社会関係の錯綜したズレに対して、個を支えている肉体の発見ですね。普通、大人になることで見失って、老人になることで再発見するやつ。だから、映画としては結構大事なシーンだなあと。まあ、そんな、感じですね。」 というようなやり取りをしてよろこんでいると、この映画を見たわけでもないし、あんまり見る気もしていないこと公言している同居人が言いました。「あのね、是枝っていう人、アホか!いうところがないやろ。理屈っぽいっていうか、子どもとかのエエ、ワルイも、よう分かっとってやし、上手に撮ってやけど、何であんたにわかるねん!って、ちょっと腹が立ついうか、まあ、そんなん思うねん。そやから見いへんねん。」ナルホドというか、まあ、その通りかもですね(笑)。 でも、まあ、いろいろ考えさせられたのは、面倒くさくて、理屈っぽいからこそですからね(笑)。というわけで、いろいろ考えさせてくれた是枝監督に拍手!ですね。監督 是枝裕和脚本 坂元裕二撮影 近藤龍人照明 尾下栄治衣装 伊藤美恵子音楽 坂本龍一キャスト黒川想矢(麦野湊)安藤サクラ(麦野早織・湊の母)柊木陽太(星川依里)中村獅童(星川清高・依里の父)永山瑛太(保利道敏・担任)高畑充希(鈴村広奈・保利の恋人)角田晃広(正田文昭)田中裕子(伏見真木子・校長)2023年・125分・G・日本2023・06・16 ・no71・109シネマズ・ハットno28
2023.06.18
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大江健三郎「芽むしり仔撃ち」(「大江健三郎全小説1」講談社) まったくの偶然なのですが、昨秋から、なんとなく大江健三郎を読む機会があって読んでいたら亡くなってしまうという、まあ、一大事件に重なってしまって、そういうことならという気分で1作ずつ読みなおしです。 今更な紹介ですが、大江健三郎は1957年、東大新聞に発表した「奇妙な仕事」で、平野謙という批評家から激賞され、引き続き「死者のおごり」という作品で同年の下期の芥川賞候補に名を連ね、翌1958年上期、「飼育」で芥川賞を受賞したのが23歳です。 で、その同じ年に、一応、長編小説として発表されたのが、今回、ボクが読み直した「芽むしり仔撃ち」(新潮文庫ほか)でした。 作品の冒頭、第1章「到着」の第1行がこんな文で始まっています。夜更けに仲間の少年の二人が脱走したので、夜明けになっても僕らは出発しなかった。 語り手は「僕」です。「僕」は感化院に収容されている少年です。時代は都市部が空襲にさらされていた太平洋戦争の末期です。 冒頭は遠い都市の感化院に収容されていた十代後半の少年たちが、戦禍が広がる中、感化院ごと山の村に疎開するという、ありそうでなさそうな旅の途中のある朝の描写です。 「僕」と同世代の少年たちと引率の大人が一人という旅に、たった一人だけ年少の少年が紛れていますが、「疎開するならこの子も兄と一緒に連れて行ってくれ。」と両親が依頼した「僕」の弟です。小説は、「飼育」と同型の兄と弟の物語でもあるというわけです。 やがて、一行は山の、川向うにある村に到着しますが、到着した「僕」が語るのがこんな内容でした。 僕らは出発以後、性こりもなく脱走の試みをくりかえしては、村々、森、川、畑の隅ずみで 悪意に燃えさかる村人にとらえられ半死半生の状態でつれ戻された。僕ら遠い都市から来た者たちにとって村は透明でゴム質の厚い壁だった。そこへもぐりこんでもやがてじりじり押し戻され突き出されてしまう。(P217) 僕らの旅は終わろうとしていた。それが暗渠のなかの移動にすぎないにしても、旅が続けられている間は、果たせないに脱走を少なくとも試みる機会はあったのだった。しかし、限りなく奥へと入りこみ、山々のあいだ谷の向こうの村に定住する場所を見つけてしまったなら、僕らは始めに感化院の柿色の塀の内側へ送りこまれた時よりもなお、厚い壁の奥、深い淵の底へ閉じ込められた気がするだろう。そしてがっくりしてしまうだろう。僕らが旅を続けてきた数かずの村がたちまち強固な一つの輪を閉じてしまった後、そこから脱けでることができるとは思えない。(P218) 読書案内とかいいながらなんですが、今回、この小説の具体的な展開をここで紹介する気はありません。この作品を、さて、何年ぶりでしょう、ともかく、かなり久しぶりに読み直して、「あっこれは!」 というふうに驚いたことがあったんですね。で、それは何かというと「壁」だったんです。 最初に引用した1行に端的に出てくる「脱出」と「出発」ということばが「個人的な体験」(新潮文庫)に至る、大江の初期作品群に頻出する象徴的な言葉だなあという気分で読み始めたわけで、まあ、そのあたりで気づけばいいものを、上の引用個所にたどり着いてようやく驚いたというわけです。 この作品を語っているのが「厚い壁の奥、深い淵の底へ」に閉じ込められた「僕」だったということに、なんと、まあ、今迄気づいていなかったんですね。 何をくだくだ言っているのかと思われるのかもしれませんが、大江の20年後、1979年に「風の歌を聴け」(講談社文庫)で出発した村上春樹の40年間にわたって書き続けてきた世界のテーマの一つは「壁」ですよね。今、話題ですが、最新作「街とその不確かな壁」(新潮社)のほぼ冒頭にこんなセリフがあります。「本当のわたしが生きて暮らしているのは、高い壁に囲まれたその街の中なの」(「街とその不確かな壁」P9) 村上の最新作にこのセリフがあることに、ボクはさほど驚きません、しかし、20代のころの大江の初めての長編「芽むしり仔撃ち」の「僕」の述懐との一致には驚いたというわけです。 大江の「壁」について、彼を発見した批評家として有名な平野謙はこんなことを書いています。 大江の初期作品の登場人物たちについて「壁のなかの人間」の状況を執拗に追及するところに、若い作家は文学的出発点を持った。 で、小説の主人公「僕」は、この作品の壁を取り仕切る村長から最後にこう言われます。「いいか、お前のような奴は、子供の時分に締めころしたほうがいいんだ。出来ぞこないは小さいときにひねりつぶす。俺たちは百姓だ、悪い芽は始めにむしりとってしまう」(P312) まあ、このセリフがこの小説の題名の由来なのだと思いますが、当然ながら少年の「僕」は、むしられ撃たれる前に、この村長の手をのがれ逃げ出わそうと奮闘するわけなのですが、はたして、脱出は可能なのか、出発はやってくるのか、行き先がどこなのか、まあ、そのあたりは本作を読んでいただくほかありませんね。 で、60年後の村上の作品で語り手である「ぼく」にこのセリフを口にした少女がどうなるのか。そっちの方はシマクマ君自身もまだ読んでいないので知りません。 しかし、読み手であるボクが生きてきた60年ほどの世界が、村上春樹と大江健三郎という二人の作家によって、ほぼ同型のメタファーで語り続けられてきたのだということの、いかにも手遅れな「発見」は、多くの人には、「何を今更!」 なのかもしれませんが、ボクにとっては新たな事件であったことを、とりあえず、書き留めておきたいと思います。
2023.06.17
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「咲いてましたよ!」ベランダだより 2023年6月13日(火) ベランダあたり「ちょっとぉー、まだ起きへんの?咲いてるわよぉー。」「うん、もう起きる。咲いてるかぁー 今日は2023年の6月13日の火曜日です。いつもならお仕事に出かけるころですが、いよいよ、パートのお仕事もなくなったチッチキ夫人がベランダで騒いでいます。昨晩は二人して、テレビを見ながら無言の行に突入した結果、お互い知らん顔で寝てしまったのですが、今日は朝から口をきいてもいい心境のようです(笑) で、のんびり起きだしてきてベランダを覗くと咲いていましたよ!(笑) わが家ではタンゲ丸くんと呼んでいるサボテンの花です。今年、最初の開花です。本当は昨晩から咲いていたはずですが、心穏やかならぬ老人たちは、ここの所心待ちにしていたはずのこの花のことを忘れていました。勝手な人間どもです(笑) 色々、角度を変えてみます。全体の見てくれは、どっちかというと、かなり不細工なな奴だということがお分かりだと思いますが、殊勝なことに、まだ、沢山の花芽つけているいるのも写っていますね。夏の盛りまでに、もう、何度か咲いてくれそうです。 最初の写真と同じような角度ですが、もう一枚載せておきます。毎年、毎年、まあ、なんともいえない立派な花をつけてくれる立派なサボテン、タンゲ丸くんです。「しっかり、暮らしてくださいよ。まあ、わたしは毎年咲いてあげるからね。」 いよいよ、老人二人組の生活が始まることを、まあ、そんなふうに慰めてくれている気もします。もう、花を咲かせことはありませんが、元気に暮らしていきたいものですね(笑)。ボタン押してね!
2023.06.16
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大江健三郎「『自分の木』の下で」(朝日文庫) 今年、2023年の年が明けたころ、3月にその死が伝えられる直前から、何とはなしに大江健三郎を読みなおし始めていましたが、その死を知って、実は、今まで読まなかった小説以外のエッセイに手を出して読んでいます。 今回の案内の「自分の木の下で」(朝日文庫)も2001年だったか、今世紀の初めころに、だから今から20年以上も昔のことですが、単行本が出ましたが、まったく関心を持ちませんでした。 ボクは、大江健三郎の真面目腐ったエッセイの文章は、一番最初に出合ったのは「厳粛な綱渡り」、「持続する志」、「鯨の死滅する日」(それぞれ、講談社文芸文庫)あたりの、くそ分厚い三部作でしたが、そのころから、ずっと、あまり好きではないのです。 それを、今読むというのは、1935年生まれの大江健三郎は、この本を書いた当時60代の半ばだったわけで、それから20年経って、ボクは当時の大江の年齢を越えました。で、自分が、どんな感想を持つのかという興味に惹かれて読みました。 長い作家生活の中で、初めて子供たちに向けて「文章」を書いていることが繰り返し書かれているエッセイ集でした。 最初の章の題は「どうして生きてきたのですか?」で、その中に印象的な文章がありました。 祖母について数多くある思い出の、後のほうのものですから、私は七、八歳だった、と思います。戦争の間のことです。祖母はフデという名前でした。そして私にだけ秘密を打ち明けるように、名前のとおり、自分はこの森のなかで起こったことを書きしるす役割で生まれて来た、といいました。もし、祖母が、帳面といっていたノートにそれを書いている、見たいものだ、と私は思いました。 なにか遠慮があって、それを遠廻しにたずねてみると、いいえ、まだはっきり覚えているから、という答えでした。もっと年をとって、正しく覚えていることが難しくなったらば、書くことにします。あなたにも手伝ってもらいましょうな!と祖母はいいました。(P24) その話のひとつに、谷間の人にはそれぞれ「自分の木」ときめられている樹木が、森の高みにある、というものがありました。人の魂は、その「自分の木」の根方から谷間に降りて来て人間としての身体に入る。死ぬ時には、身体がなくなるだけで、魂はその木のところに戻ってゆくのだ・・・・。(P25) この本の表題である「『自分の木』の下で」という、『自分の木』について、祖母のことばとして語られています。ここには、さわりを引用していますが、祖母は、子供たちが、自分の木の下で、時間を越えて年をとった自分と出会うことについてまで、大江少年に語った思い出が記されています。 大江健三郎の作品では、森と樹木が、単なるメタファーとしてではない重さで描かれていますが、ここで語られている祖母の話は作家の思想の芯のところにあることを思いうかべながら、この部分を読んだのですが、本書の最後の章の末尾に、こんな言葉で締めくくられています。 子供の私が、「自分の木」の下で会うかもしれない年をとった私に ― お祖母さんがその可能性もあるといったのですが ― 、あなたはどうして生きてきたのですか?とたずねようとしている場面です。別にだまし討ちを計画していたのじゃありません。 私はあらためてこう考えるのです。いまはもう、あの老人の年齢になった自分が、故郷の森に帰って、まだ子供のままの私に会ったとしたら、どういうだろうか?《きみは大人になっても、いま、きみのなかにあるものを持ち続けることになるよ!勉強したり、経験をつんだりして、それを伸ばしてゆくだけだ。いまのきみは、大人のきみに続いている。それはきみの背後の、過去の人たちと、大人になったきみの前方の人たちとをつなぐことでもある。きみはアイルランドの詩人イェーツの言葉でいうと「自立した人間(アップスタンディング・マン)」だ。大人になっても、この木のように、また、いまのきみのように、まっすぐ立って生きるように!幸運を祈る。さようなら、いつかまた、どこかで!》(P215~216) 以前なら、この気真面目さに辟易していた可能性がありますが、今回のボクは、若い読者たちのこの言葉を贈る作家の気持ちに素直な共感を感じました。 というわけで、あまり読むことのなかったエッセイ集を、まあ、ボクも、そういう年になったよなという素直な気持ちというか、少し不思議な気分で読み終えることができたというわけで、ヨカッタ、ヨカッタ、ということです。 まあ、たとえば、素直な高校生や大学生の方が、この本を大江入門として読んで、彼の、たとえば、前期の作品群から取り掛かったりすると、チョット目を回してひっくり返ってしまうかもしれませんが、69歳の老人は、前期のオサライは、もう、済ませていますたから、、まあ、ここからが本番ですね。「燃え上がる緑の木」(新潮文庫・全3冊)という大作に取り掛かろうと思います。読み終えて、感想が案内できればいいですが、まあ、どうなることやらです。うまくいけば、またお読みいただければ嬉しいですね。
2023.06.15
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ダニエル・レイム「屋根の上のバイオリン弾き物語」元町映画館 先日、SCCと称して、このところ始まった二人連れで映画を見る会のおしゃべりでこんな話題が出ました。「あのね、元町映画館に行きたいというからね、これかなと思ったのが『屋根の上のバイオリン弾き物語』という、アメリカの映画作りを話題にしたドキュメンタリーなのよ。」「何ですか、それは?」「いや、だから、たぶん、屋根の上のバイオリン弾きという、ミュージカル、日本でも森繁とかのは知てるやろ。あれは、たぶん、ブロードウェイのミュージカルの輸入版やと思うねんけど、映画ががあるねんね。1970年くらいの。それは、文句なくええ映画やったと思うねんけど、その原作が、えーっと、何やったっけ?ロシアのユダヤ人の小説やねん。あのね、ナチスの前からユダヤ人虐殺ってあんねん。」「ホロコーストの前から?」「ポルゴムやったかポグロムやったか言うねんけどな、そういうのがあるねん。忘れたけど。ユダヤ人がよおけすどった、19世紀くらいやで、東ヨーロッパ、今の、ポーランドとかウクライナとか、もともとロシアやなかったとこをロシア帝国が征服していって、住んでたユダヤ人が追い出されていくねん。まあ、そういうユダヤ人問題やね。それがアメリカで映画になるわけやけど、その辺の話が出てくるんちゃうかなというので、それを見るのもいいかなと。ごめん、あやふやで。」 で、ダニエル・レイム「屋根の上のバイオリン弾き物語」です。本日、一人で鑑賞してきました。納得でした。1970年代のアメリカ映画学講義、ユダヤ人問題編という趣でした。 この映画がドキュメントしている「屋根の上のバイオリン弾き」は日本公開が1971年ですから、ボクは、どこかでリバイバルを観たのでしょうね。劇中歌の一つである「Sunrise, Sunset」は流行りましたね。鼻歌ならボクでも歌えます。 とりあえず、映画の原作はショーレム・アレイヘムという、今、戦争になっているウクライナの、19世紀の終わりから20世紀にかけてのイディッシュ語の作家が書いた「牛乳屋テヴィエ」という短編連作小説です。ポーランド文学の西成彦という人の翻訳で10年ほど前ですが、岩波文庫で出ていて読むことができます。ボクはもっと以前に読んだつもりでしたが、たぶん錯覚です。 で、この「屋根の上のバイオリン弾き物語」とい映画ですが、50年前の「映画製作」の現場をインタビューで追った、とてもオーソドックスなドキュメンタリーでした。 母親役の方は登場しませんが、主人公のテヴィエ、そして三人の娘を演じた俳優さんたちと監督のノーマン・ジュイソン、音楽を担当したがジョン・ウィリアムズが健在で、その4人のインタビューが、まず、聴きごたえというか、とても面白かったですね。 で、その中で、「東欧の、ナチス以前のユダヤ人の社会と、その迫害のありさまを、まあ、ブロードウェイでは当たり狂言であったとはいえ、映画にするときに、こんなに大ヒットするとは考えていなかった」 らしいということが、ボクには一番面白かったですね。ユダヤ人以外の観客を動員できたことが、作った人たちにもかなりな驚きだったようなのですが、その続きに、こんな発言がありました。「ユダヤ人のことなんて、まったくかかわりのない日本人が、この映画や戯曲を喜ぶのはなぜなんだ?」 まあ、本質的にいい映画だからという議論はさておき、日本という社会の海外からの文化の享受というか、受け入れの特質にふれる発言でドキッとしました。そのうえ、やたら流行っていても、歴史的な関心や理解には、大概の場合広がらないまま、ブームが去るところりと忘れる日本人の特質について、たとえば、この映画を作っているダニエル・レイムとかどう思うんだろうと思いましたね。 もちろん、ジョン・ウィリアムスの音楽に関する思い出話とか、トポルというテヴィエを演じた俳優さんの、演じながら思い出した、東欧出身のユダヤ人の祖父の話とか、ノーマン・ジュイソン監督の撮影苦労話とか、とにかく、面白くて興味深い、とても上質な歴史記録的ドキュメンタリーでしたね。 これからも映画史ドキュメンタリーを、連作で撮ろうとしているらしいダニエル・レイムという監督に、期待を込めて拍手!でした。次のターゲットは、なんと、日本のOZUだそうです。どんな、ドキュメントになるんでしょうね。監督 ダニエル・レイム脚本 マイケル・スラゴウ ダニエル・レイム撮影 アースラフ・アウスタッド シニサ・クキッチ編集 ダニエル・レイム音楽 デビッド・レボルトナレーションジェフ・ゴールドブラム(俳優)オリジナルインタビューダニエル・レイム(本映画監督)キャストノーマン・ジュイソン(監督)ジョン・ウィリアムズ(音楽)シェルドン・ハーニック(作詞)ロバート・F・ボイル(美術)ケネス・トゥラン(批評家)トポル(主人公牛乳屋テヴィエ役)ロザリンド・ハリス(長女ツァイテル役)ミシェル・マーシュ(次女ホーデル役)ニnoーバ・スモール(三女ハーバ役)2022年・88分・アメリカ原題「Fiddler's Journey to the Big Screen」2023・06・07-no68・元町映画館no172
2023.06.14
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「今晩は咲くかな?」 ベランダだより 2023年6月12日(月)ベランダあたり ベランダのタンゲ丸くんです。毎年頑張って咲いてくれますが、今年、最初の花芽です。ふくらん来ました。角度を変えるとこんな感じです。 鎌首を持ち上げた蛇みたいです。「今晩あたりかな?」「次々、よおけ芽がついトンね。」「次々咲くんかなあ?こんなよおけ咲いて体力持つんかな?」 二日前には、こんな感じでした。 夕方になって、いよいよの様子になってきました。「もう、咲くで!」「暗くならんと開かへんねんで。」「夜行性やろ。でも、もう、開きかけてるで。」 夕食前の会話でした。 隣りでは、カラーの花が咲いています。葉っぱは元気ですが、花はひっそりです。三年ほど前の「母の日」のプレゼントで、四国からやってきた鉢植えです。 で、この夜、夕食をとりながら見ていた、リーアム・ニーソンが、酔いどれ探偵マット・スカダーを演じているテレビ番組をめぐってのおしゃべりで、何故だか無言の行に突入した老人二人組は、タンゲ丸くんの開花に立ち会うことを忘れていたのでした(笑)。アホですね(笑)。チャン、チャン! ボタン押してね!
2023.06.13
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池内紀「闘う文豪とナチス・ドイツ」(中公新書2448) 市民図書館の新入庫の棚で見つけて読みました。2017年の新刊ですから、まあ、返却本が紛れ込んでいたんだと思いますが、面白かったので文句はありません。さすが池内紀!丁寧で分かりやすい仕事やなあ。 とかなんとか感心しました。 で、それではと「読書案内」をもくろんで、著者の池内紀についてネットをいじっていて「あっ!」 と驚きました。亡くなって、4年もたっていたのです。命日は2019年8月30日だそうです。ボクは亡くなった当座、それなりに反応したことをぼんやりと思い出しましたが、本書を読んでいる最中には、まったく忘れていたのですからひどいものです。 ついでにネットをいじっていると、朝日新聞の2019.10.23の「好書好日」で評論家の松山巌が「故・池内紀さんの仕事、本でひもとく 節を曲げず、創造続ける人に光」という追悼文を書いておられて、その中に本書に関する紹介もあったので引用します。 池内はナチスについても丹念に調べた。『闘う文豪とナチス・ドイツ』は副題に「トーマス・マンの亡命日記」とある通りマンの日記を読解しつつ、彼がナチスといかに闘ったかを綴(つづ)っている。ノーベル文学賞を受けたマンの存在はナチスにとり、煙たかったはずで、マンが講演で出国したのを機にナチスは彼の母国への入国を禁じた。以来マンはアメリカに暮らし、ナチス批判を講演や新聞などで発表し続けた。この本に池内の独自性を感じるのは、マンとは異なる立場でナチスと闘った文学者たちの動きも描いた点だ。ツヴァイクはブラジルに亡命し妻と自殺した。劇作家のブレヒトはマンとアメリカで会っているが、互いに無視した。つまり池内はナチスが何故、大衆に熱狂的に支持されたのか、その本質をナチスに反旗を翻した文学者たちの動きを通して見つめ、文学者の在り方を多角的に問いかけたのだ。ならば当然、日本はどんな状況だったか、抵抗する文学者はいたか、という新たな問いが生まれるだろう。(松山巌「好書好日」2019.10.23) 付け加えることなどないのですが、少し説明します。「トーマス・マン日記」は紀伊国屋書店から全10巻、1918年から1955年までが出版されていますが、本書で池内紀が扱っているのは1933年の亡命生活の始まりから、1955年、トーマス・マンの最後の肖像のスケッチを描いた画家ツィトロンの訪問を受けた7月の末、文字通り長大なトーマス・マン日記の最後の記述の日までです。 生涯の後半生を亡命生活で送ったトーマス・マンを「闘う作家」と呼んでのエッセイです。書き出しはこんな感じです。 日記の始まりは「一九三三年三月十五日、水曜日」の日付を持ち、前夜、「意外なほどぐっすり眠れた」ことから書き出される。 「疲労で神経過敏になっているため、ここ十日ほど、何時間もつづく病的な戦慄に襲われるのが、今朝はそれがなかった。」 友人夫妻から副作用のないカルシウム剤をもらったおかげだという。もしそれが長大な日記を書かせる機縁になったとすれば、二十世紀の歴史に意味深いカルシウム剤といえるのだ。(P1) この、そこはかとないユーモアが、池内紀の持ち味です。で、最後はこんな感じ。 マンの日記がとだえるのは、一九五五年七月二十九日である。その間のことは省いて、聡明な画家の報告をしめくくりにあげておく。「…三週間後、飛行機で運ばれたチューリッヒで、詩人は亡くなりました。そしてスケッチが、〈最後の肖像〉になったのです。」((P221) あとがきにこんなふうに書かれています。「実をいうと私は何をおいてもまず肖像写真を見やりながら、一つまた一つとつづっていった。(P226) 」 4章ある各章の最初のページには、その時代、その時代のマンの肖像画が載せられていて、たとえば第III章の表紙はアメリカ市民権のIDカードだったりします。 最後の章に掲げられた鉛筆書きのスケッチのトーマス・マンの姿に、池内紀の姿がかぶります。温泉話とかお得意な方ですが、とどのつまりには20世紀の全体主義を見据えた仕事を残して去られたことを忘れてはいけないと思います。 ナチスの時代の歴史入門の1冊としておすすめですね。一応、目次を載せておきます。【目次】I 1933~1938クヌート・ハムスンの場合 レマルクのこと リトマス試験紙 プリングスハイム家二・二六事件 二つの喜劇II 1939~1941大戦勃発の前後 ドイツ軍、パリ入城転換の年 奇妙な状況ホモ・ポリティクスツヴァイクの場合 立ち襟と革ジャンIII 1942~1945封印の仕方白バラ」をめぐってゲッベルスの演説『ファウストゥス博士』の誕生 終わりの始まり 噂の真相 終わりと始まりIV 1946~1955ニュルンベルク裁判父と子再度の亡命「正装」の人 魔術師のたそがれ 最後の肖像
2023.06.12
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「飛びます!飛べません!」 ベランダだより 2023年6月10日(土) ベランダあたり「ネェー、チョット、チョットォ~」「ハアーい、何でしょう?」「ふんでしまうとこやった。」「ムカデでも出ましたか?」「チガウ、チガウ、コレ、コレ!」「おー、スゴイ、スゴイ!スリッパの中から出て来よったん?」「そう。そう。また、スリッパで孵らはってんよ。で、履こうとしたら出てきて、もう、踏んでしまうやん。」「まだ、羽が乾いてへんし。ホンとはジーってしてる時やけど、なんか、あわててはるねぇ。」「スリッパの外に出ようとしてんのかな。」「あっ、ヤバイ!落ちてもた。」「あっ、また、はい上がってはる。」「ここから飛びます!かな?」「おーい、ミカンの木に移したったで。」「自分でいったん?」「ちゃう、ちゃう、スリッパごと持ち上げてミカンの鉢に持って行ったら、そっちに移り寄ったで。」「葉っぱのにおいするんかな?」「まあ、こっち方が、安全やろ。」「なんか、ゴソゴソしてるけど、羽根はまだ拡がってないわ。」「孵化してから、いつもは、もっと、ジーっとしてんねんけど。」「チョットォー、簾にうつらはったでぇー!やっぱり飛びたいんやわ。」「頑張ってるやん。もう飛べるんかな?」「あかんわ。羽根が乾いてへんし。まだ、飛べへんわよ。」「飛べません!やな。」「あかんわ。風が強いから、羽根がよじれてもて、開かかれへんのやわ。」「ああー、苦しい。飛べません!」「しょうないから、このままにしといたげるしかないねえ。」「このまま、死んでしまうんかなあ?」「そんなんいわんといてよ。なんとかしはるって。」「あ、おらんようになってるわ。」「ベランダの外の芝生に落ちてない?」「落ちてない、落ちてない。飛んだんやわ。」 雨模様の土曜日の午後の出来事でした。今年二度目のアゲハの孵化でした。あれこれ、大騒ぎでした。でも、何とか飛びだしたようです。「飛びました!ボタン押してね!
2023.06.11
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NTLive「ライフ・オブ・パイ」シネ・リーブル神戸 2023年6月のNTLiveナショナルシアターライヴはマックス・ウェブスターという方の演出で、「ライフ・オブ・パイ」というお芝居でした。 「パイの物語(上・下)」(竹書房文庫)というカナダのヤン・マーテルという作家が2001年に発表してブッカー賞を受賞した世界的ベストセラーがあるそうです。 で、それを10年ほど前にアン・リーという台湾の監督が「Life of Pi」という題名で映画化してアカデミー賞の監督賞をとったらしいのですが、その原作の戯曲化がこの舞台でした。もちろん、というのもなんですが、ボクははそんな経緯も、小説も映画も知らないで観ました。 実に、現代的というか、舞台上に登場する様々な動物たちがパペットというのでしょうか、人形であることと、映像を活用した舞台転換が、実に面白い舞台でした。ボクは映画で見ているわけですが、舞台が大海原に代わっていく、実にリアルな映像の使い方が、実際の劇場で観ているとどんなふうになっているのか、とても興味深く感じました。 インドからカナダに移住する動物園を経営している家族がトラとかオランウータンとかの動物たちと同乗していた、なんと、日本の貨物船が太平洋上で沈没して、パイというニックネームの少年がたった一人生き残って、その少年に日本の運輸省だかの役人が事情聴取するという設定のドラマでした。 太平洋ひとりぼっちという話がありましたが、リチャード・パーカーという名前の、これが、実にでかいベンガルトラとパイという少年の、太平洋二人ボッチの話でした。 本筋とはあまり関係ないのですが、オカモトという名の、病院で寝ているパイくんの事情聴取をする日本人が、なんというか、まあ、いかにもうざい日本人なところが、英国の観客の皆さんは笑っていらっしゃるようなのですが、ちょっと笑えないリアル感が漂っていたのですが、演劇の舞台としてはよくできたファンタジーで、トラとの二人ボッチの展開の具体的な場面の作り方も、結果的に明かされる謎解きも納得でした。 人は、自らの存在のどこかに野生のトラを飼って生きているというわけでした。主人公のパイくんを演じたハイラム・アベセカラという俳優さんと、たくさん出て来たパペットたちとパペット使いの人たちに拍手!でした。 見終えて、帰って来て、「Life of Pi」という映画のほうはトラの実写版で撮っているようなのですが、ちょっと、そっちも見てみたいなという気分です。太平洋を漂う救命ボートにベンガルトラと少年の二人です。面白そうですね。 ああ、ちょっと蛇足ですが、付け加えておくと少年とトラはお友達ではありません。いつ、襲い掛かってくるかわからないという関係ですよ。演出 マックス・ウェブスター原作 ヤン・マーテル脚本 ロリータ・チャクラバーティキャストハイラム・アベセカラ(主人公パイ)ミナ・アンウォーミナ・アンウォーラジ・ガタクラジ・ガタクニコラス・カーンニコラス・カーン2023年・139分・イギリスNational Theatre Live:「Life of Pi」2023・06・09-no69・シネ・リーブル神戸
2023.06.10
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トッド・フィールド「TAR ・ター」シネ・リーブル神戸 SCC(シマクマ・シネマ・クラブ)の第5回の鑑賞作品は気合を入れて選びました(笑)。第1回にイオセリアーニなんていうのを見たせいか、なんとなく「ハズレ」が続いているのを、まあ、主催者は気にしています。これはハズレへんやろ! 提案したのはトッド・フィールドという監督で、ケイト・ブランシェットという有名な女優さんが怪演していると評判の「TAR ・ター」でした。 見終えていつものしゃべりが始まりました。「で、何点ですか?」「・・・・・Mさん、おにぎり持ってきてましたよね。実はボクも持っています。天気もいいし、メリケン波止場のベンチで食べませんか?」「えっ?映画見てて食べちゃいましたよ(笑)。」「えー?隣りで、ゴソゴソしてたようですが、あの時ですか?」「はい。」 というわけで、メリケン波止場のベンチに移動しておしゃべりの続きです。「クラッシック音楽は得意なMさん、どうでした?」「イヤァー、今日はぼくからですか?ウーン、音楽についてはイマイチでしたね。後でセクハラの証拠に挙げられる男子学生とのやり取りシーンで主人公がピアノを弾きながら話しますね。あの時、主人公が弾いてたのがバッハの平均律という曲ですが、セリフとのアンバランスが割と印象深ったなと思いました。」「ああー、冷静に見てますねえ。ボクは、まあ、なんというか、ブチ切れています。」「0点?」「いや、点をつける感じじゃないというか。ボクね、音楽映画だと思って観てたんですね。で、いきなりなんですが、主人公の音楽家としての動作が、とても指揮者というふうには見えなくて、ようするに見世物というか、これってハッタリじゃねーか!という気分で、ドン引きしちゃったんですね。曲目もマーラーとか、あんまり好きではないのですが、でも、あの扱い方はちょっと失礼じゃないのといいたくなるくらい、いい加減だと感じちゃって、ダメでしたね。演奏シーンが、まあ、主人公のキャラクターのための道具でしかないというか。」「音楽映画じゃないですよね。」「そう、ただのスキャンダル映画というか。批評家は権力論とか持ち出して来るんじゃないですかね。でもね、フルトヴェングラーとかカラヤンの話が、どっかであったでしょ。あの取り上げ方も、たとえば、フルトヴェングラーのナチス問題というのは、かなり有名な話なんですよね。 主人公が音楽の本質云々についてしゃべってましたが、そこでは、ある種の芸術至上主義が、政治的な悪に対して脆弱であるとでもいう話で使われていたように思いましたが、それって、ものすごく皮相的というか、単純化した話になっていて、大戦後のフルトヴェングラーの苦難の歴史に対する評価は抜け落ちてる気がして、なんだか不愉快でしたね。 なんというか、取り上げ方が図式的でしたね。 ボクね、ここの所、偶然ですが、池内紀の『闘う文豪とナチス・ドイツ』という中公新書を読んだところなのですが、ナチスのイベントでヴァーグナーをやるのですが、指揮するのを断ったトスカニーニの代わりにフルトヴェングラーがやるとかいうことについて、マンの日記のコメントを取り上げて論じていたりして、いろいろ考えさせられるんですが、そのあたりの深さはこの作品にはありませんね。 ハラスメントの話題やいじめの話題も、主人公の性格設定のための演出なのかもしれませんが、実にありきたりで乱暴だし、とどのつまりは、地獄の黙示録ネタで、メコン川にワニがいるとかいないとか、聴衆がモンスターハンターだかなんだかのお面をつけて正装している演奏会とかの落ちには、まあ、アッシニハ、カカワリゴザンセン!、勝手にやっとけ! でしたね。 ああ、それからバーンスタインの話題が出ていましたね。主人公の音楽観の説明でしょうが、あれって70年代ですよね。当時、10代だとすると、今日の主人公は60歳を超えていないとおかしいのですが、どうなんですかね。小沢征爾とかがバーンスタインの弟子といっていいと思いますが、彼はたしか大江と同い年で、80歳を超えていますよ。ズレてません?主人公のリアリティのための作りごとやなあって感じましたよ。だから、見終えてすぐ、なんで、Mさんどう?って聞いた気持ち、わかってもらえます?(笑)。」「 なんか、お怒りですねえ(笑)。たしかにコロナがどうとか言ってましたから、映画の舞台の時代は同時代ですよね。で、バーンスタインの番組のシーンが、オシマイの方にありましたが、思い出のシーンというか、ビデオの録画を見ていましたよね。 ちなみに佐渡裕は、自分は最晩年のバーンスタインの弟子だと言ってますが、あの主人公を佐渡裕と同世代と考えることに、それほど無理はないと思うんですが。」「えー?主人公、60歳越えていたんですか?そうなると、ケイト・ブランシェット、まさに怪演!ですね(笑)。」 まあ、こういう調子で、期待を裏切られてハチャメチャでした。 で、数日後にM氏からメールがありました。「ちょっと、若い知り合いのいるところでターの感想を思うままに口にしたんですが、えらいことでしたよ。ケイト・ブランシェットって、ものすごく支持率高くて、あの映画も評判なのだそうで、あの時のまま、ブログに書いたりしたら炎上ですよ!」「えーっ?そうなんですか・・・・・。」 まあ、この忠告にビビったせいもあるのですが、投稿が遅れました。見損じているところもあるのでしょうが、世間の評判にはついていけない映画でした。自分にウソついても仕方がないので、このままアップします。 ドキ!ドキ!(笑)監督 トッド・フィールド脚本 トッド・フィールド撮影 フロリアン・ホーフマイスター美術 マルコ・ビットナー・ロッサー衣装 ビナ・ダイヘレル編集 モニカ・ウィリ音楽 ヒドゥル・グドナドッティルキャストケイト・ブランシェット(リディア・ター)ノエミ・メルラン(フランチェスカ・レンティーニ)ニーナ・ホス(シャロン・グッドナウ)ソフィー・カウアー(オルガ・メトキナ)アラン・コーデュナー(セバスチャン・ブリックス)ジュリアン・グローバー(アンドリス・デイヴィス)マーク・ストロング(エリオット・カプラン)2022年・158分・G・アメリカ 原題「Tar」SCCno5・2023・06・05・no67・シネ・リーブル神戸no194
2023.06.09
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鮎川信夫「繋船ホテルの朝の歌」 「戦後代表詩選」(詩の森文庫・思潮社)より(1) 繋船ホテルの朝の歌 鮎川信夫ひどく降りはじめた雨のなかをおまえはただ遠くへ行こうとしていた死のガードをもとめて悲しみの街から遠ざかろうとしていたおまえの濡れた肩を抱きしめたときなまぐさい夜風の街がおれには港のように思えたのだ船室の灯のひとつひとつを可憐な魂のノスタルジアにともして巨大な黒い影が波止場にうずくまっているおれはずぶ濡れの悔恨をすててとおい航海に出よう背負い袋のようにおまえをひっかついで航海に出ようとおもった電線のかすかな唸りが海を飛んでゆく耳鳴りのように思えたおれたちの夜明けには疾走する鋼鉄の船が青い海の中に二人の運命をうかべているはずであったところがおれたちは何処へも行きはしなかった安ホテルの窓からおれは明けがたの街にむかって唾をはいた疲れた重い瞼が灰色の壁のように垂れてきておれとおまえのはかない希望と夢をガラスの花瓶に閉じこめてしまったのだ折れた埠頭のさきは花瓶の腐った水のなかで溶けているなんだか眠りたりないものが厭な匂いの薬のように澱んでいるばかりであっただが昨日の雨はいつまでもおれたちのひき裂かれた心とほてった肉体のあいだの空虚なメランコリイの谷間にふりつづいているおれたちはおれたちの神を おれたちのベッドのなかで締め殺してしまったのだろうか おまえはおれの責任について おれはおまえの責任について考えている おれは慢性胃腸病患者のだらしないネクタイをしめ おまえは禿鷹風に化粧した小さな顔を猫背のうえに乗せて朝の食卓につくひびわれた卵のなかのなかば熟しかけた未来にむかって おまえは愚劣な謎をふくんだ微笑を浮かべてみせるおれは憎悪のフォークを突き刺しブルジョア的な姦通事件のあぶらぎった一皿を平らげたような顔をする窓の風景は額縁のなかに嵌めこまれているああ おれは雨と街路と夜がほしい夜にならなければこの倦怠の街の全景をうまく抱擁することが出来ないのだ西と東の二つの大戦のあいだに生れて恋にも革命にも失敗し急直転下堕落していったあのイデオロジストの顰め面を窓からつきだしてみる街は死んでいるさわやかな朝の風が頸輪ずれしたおれの咽喉につめたい剃刀をあてるおれには堀割のそばに立っている人影が胸をえぐられ永遠に吠えることのない狼に見えてくる 鮎川信夫・大岡信・北川透 編「戦後代表詩選 続 」(詩の森文庫・思潮社)を見つけて、パラパラやり始めて、ハッとしました。「この詩集は谷川俊太郎で始まって、伊藤比呂美で終わっているけど、戦後代表詩の最初は誰なんだ?」 で、鮎川信夫・大岡信・北川透 編「戦後代表詩選 」(詩の森文庫・思潮社)を見つけ出してきてわかりました。鮎川信夫でした。現代詩文庫「鮎川信夫集」(思潮社)で出合って、「荒地詩集1951」(国文社)で読み直した記憶があります。 鮎川信夫との出会いの記憶はこの言葉でした。「さようなら、太陽も海も信ずるに足りない」 上に引用した「繋船ホテルの朝の歌」と同じ時期に書かれた「死んだ男」という詩に出てくる詩句が印象的で、詩集だけでなく「戦中手記」(思潮社)や評論、翻訳まで、取りつかれたように読みました。彼は1986年にあっけなく亡くなってしまうのですが、そころまで読み続けました。何に惹かれてたのでしょうねえ。国文社が「荒地詩集」を1951年から56年まで、年毎にまとめた形式で出したのが1975年くらいでしたが、なぜか全部揃っていて、ちょっと驚きました。さわやかな朝の風が頸輪ずれしたおれの咽喉につめたい剃刀をあてる こんな一節を書きだして、下宿の四畳半の部屋の天井に貼って眺めていた記憶があります。そういえば、黒い画用紙を天井というか、部屋一面に張り巡らし、「竜馬暗殺」のポスターを1枚だけ、その真ん中に貼った、暗い部屋に閉じこもっていた友人もいました。彼とは、下宿を訪ねたその日に分かれて、それっきりです。生きているのでしょうかね。 ああ、それから、引用した詩句の「頸輪ずれした」という部分は、はじめからありましたかね?ふと気になったんですが(笑)。
2023.06.08
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宮崎駿・池澤夏樹 他「堀田善衛を読む」(集英社新書) 宮崎駿の新作アニメ映画「君たちはどう生きるか」が、今年(2023年)の夏前に公開されて、さっそくでかけて愕然というか、唖然というか、あらためて、宮崎駿にカンドーしてきました。「ボクはこう生きてきた、君たちはどう生きるか?」 69歳のボクにさえ、イヤ、その年齢だからこそなのかもしれませんが、その問いかけが鋭く迫ってくる傑作だと思いました。 映画については、他にも書きましたから、ここでは触れませんが、そうはいっても、これが最後の仕事だろうというのが、ボクの率直な感想でした。宮崎駿は1941年生まれですから、今年82歳です。ボクは、この作品を彼の最後の作品として見ましたという気分でした。 ところが、2023年の9月の月末、「映画製作会社のジブリ・スタジオが日本テレビの子会社になった。」というテレビ・ニュースがながれて、その中で、宮崎駿自身は自作のアイデアを練っているという鈴木敏夫の言葉があって、もう一度、唖然としました。「ジブリが日本テレビの子会社になる?!」 本当はこれだけで、現在の日本という社会の鬱陶しさについてあれこれ言いたいところなのですが、引っかかったのは宮崎駿の新作? という言葉のほうでした。 で、この本を思い出したのです。「堀田善衛を読む」(集英社新書)です。 本書は、「ゴヤ」(集英社文庫)、「方丈記私記」(ちくま学芸文庫)の作家、堀田善衛の生誕100年を記念して、2018年に富山県の高志の国文学館で開かれた「堀田善衛―世界の水平線を見つめて」という展覧会での、インタヴュー、講演の書籍化で2018年に出された本です。 今回、この本を思い出したのは、この中に宮崎駿のこんな発言があったとこを思い出したからです。(上に、所収されている文章についてか行きましたが、ここで引用する宮崎駿の文章は、2008年の講演の転載のようです) 堀田さんという人は、私にとっては非常に大事な人です。(中略) 堀田さんが芥川賞を受賞された「広場の孤独」という本と、「祖国喪失」という短編集の中に入っている「漢奸」を、ちょうど二〇歳過ぎぐらいの時にたまたま読んだのですが、この体験が、その後ずっと長い間、自分のつっかえ棒になってくれました。(中略) ボクは一九四一年、昭和でいうと一六年、太平洋戦争の始まった年に生まれました。戦争が終わった時は四歳でした。父親に負ぶわれて逃げる中で、B29が落とす焼夷弾が降ってくるのを目撃した最後の世代だと思いますが、戦争に負けて、小さい子どもなりに屈辱感に満ちていたのです。 同時にそれは,自分のいる日本という国が、何という愚かなことをして周りの国々に迷惑をかけたのだという、恥ずかしくて外に出られないような感覚でもありました。何を支えにこの国で生きていけばいいのだろうと。そういうことで日本がすっかり嫌いになって行ったのです。 「広場の孤独」という作品は、朝鮮戦争が始まった時期の東京で、ある新聞社を舞台に、そこで働く主人公が歴史の歯車にいやおうもなくまき込まれ、いやおうなくコミット―参与してしまう中で、どう生きるか苦しむ姿を描いています。アメリカの資本主義下で戦争に加担するのか、共産党やソ連なのか・・・・。 結局、最後に主人公は、日本からが逃れて亡命するという道を拒絶する、という筋なのですが、この作品から僕は、たとえ日本について嫌いだと思うところがあっても、”それでも日本にとどまって生きなければならない“という実に単純化したメッセージを受け取ったのです。 で、「漢奸」に関しての話が続きます。長くなるので、省略しますね。そして、彼が大切にしている三つの作品の話になります。 もう一つ僕が大切にしている堀田作品に、「方丈記私記」があります。これは昭和二〇年三月、東京大空襲の最中に堀田さんが「方丈記」を読み、自身の体験と重ね合わせて、そこから新たに発見したことについて書かれたものです。 「方丈記」。 そう、今日はこの話をしなきゃいけないんですけど・・・・(中略) その堀田さんが、何かの機会にお会いした時に、「方丈記私記」を映画にしないかとおっしゃっていました。「あげるよ」と。 僕は「方丈記私記」を初めて読んだ時、夜中に寝床で読んでいたのですが、まるで平安時代に自分がいるのではないかと思えて、立ち上がって思わず窓を開けてしまったほどの感覚に陥りました。外には火の手がほうぼうに上がる平安時代の京の町があり、その上、見たはずのない東京大空襲の時、3000メートルの高さまで下りてきて焼夷弾を落としていくB29の腹には地上の火が映って明るかった、といろんな人が書き残していますが、それがいっぱい見えてきそうなぐらい、リアリティのある小説でした。 「そういうものを、ちょこちょことやればいいんだよ、劇画で」とおっしゃるのですが(笑)、「いや、それは難しいです」と。「路上の人でもいいよ」だとか(笑)、いろいろなことをおっしゃるのですが、以来、「方丈記私記」が何とか映画にならないかと、とにかく考えています。 それには、実は知らないければいけないことや、分からないことが、まだまだいっぱいありますから、折りに触れて何か拾って、ひょっとしたらこれは映画になるかなとか、ここが骨になるかなとか、そういうふうに探してはいますけれども、なかなか実現には至っていません。 鴨長明がどういうまなざしで生きていたのかについて、もう少し深く立ち入らないと、簡単に映像にはできないだろうと思うからです。 見た人が、鴨長明と堀田さんと同じように生きた気分になって映画館からよろよろ出てきて新宿の町を歩く時、実は自分は平安時代の京都をさまよっているんだと思える―そんな映画だったらつくりたい。 「方丈記私記」を読むと、そういう気持ちになるのですから。しかし、だからこそ、これは映像になかなかできないだとも思うのです。 長々と引用しましたが、ご理解いただけたでしょうか?宮崎駿の最終作は堀田善衛の「方丈記私記」だ!? どうでしょう、スクープになるでしょうか?(笑)ボクとしては、かなり期待を込めて待ちたいですね(笑)。 まあ、1998年に亡くなって、25年経ってしまったのですが、堀田善衛なんていう作家が、今読まれるのかどうか、よくわかりません。宮崎駿が私淑している作家であることは結構有名ですが、彼の読みは素直で、深いと思います。ボクにとっては「ゴヤ」(集英社文庫・全4巻)、「ミッシェル」(集英社文庫・全3巻)が宿題として残っていヒイキ作家なのです。 で、本書で堀田善衛を論じている方々に関心をお持ちの方には目次のラインアップが参考になるかと思いますので載せておきます。じゃあ、また。目次 はじめに 『方丈記私記』から第1章 堀田善衞の青春時代 池澤夏樹第2章 堀田善衞が旅したアジア 吉岡忍第3章 「中心なき収斂」の作家、堀田善衞 鹿島茂第4章 堀田善衞のスペイン時代 大高保二郎第5章 堀田作品は世界を知り抜くための羅針盤 宮崎駿終章 堀田善衞二〇のことば年表 堀田善衞の足跡付録 堀田善衞全集未収録原稿―『路上の人』から『ミシェル 城館の人』まで、それから…
2023.06.07
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佐藤優「『ねじまき鳥クロニクル』を読み解く」(青春出版社) いまは評論家と呼べばいいのでしょうか、文筆業者と呼べばいいのでしょうか、佐藤優という、元外務省の役人だった人が、出身の同志社大学で授業をなさっていて、その授業の表題が「『ねじまき鳥クロニクル』を読み解く」ということらしいのですが、それを書籍化した講義録でした。 市民図書館の棚に転がっていたのですが、表題にある「ねじまき鳥」という村上春樹が小説で作った鳥の名前に惹かれて借りてきました。 すぐに読めました。「読み解く」と題されていますが、「読み解こうとする」の方が実情に合っている気がしましたが、「悪」をキーワードにしてヒントがたくさん紹介されていてベンキョーになりました。ちなみに目次はこんな感じです。<目次>第1章 メタファーを読み解く第2章 資本主義がつくる悪 第3章 軍国主義がつくる悪第4章 能力主義がつくる悪第5章 無自覚になされる悪 第6章 自分の悪を受け入れる『ねじまき鳥クロニクル』は、人間の根源悪の問題を考える上で、深い示唆を与えてくれる物語です。(P21) まあ、こんな書き出しです。小説の舞台である現代社会を「資本主義」、「軍国主義」、「能力主義」、「自己責任論」といった鍵言葉を持ち出して分析する方法で読解を進めようという、講義形式の「解説本」です。さすがに、同志社です(笑い)。学生さんの反応は真面目で、よく勉強している印象です。 たとえば「資本主義」であれば、カール・マルクスを紹介しながら剰余価値論の基本が解説され、働くことの積極的な価値の喪失ということが、限りなく進行している現代社会を生きる「登場人物たち」のキャラクターの意味を考えさせようとしているようです。 もうひとつ面白かったのは発表された当時、村上の作品らしからぬ歴史事件として作品世界に出て来たことが話題になった「ノモンハン事件」の紹介から、軍国主義など社会システムが生み出す悪を取り上げているのですが、五味川純平の「人間の条件」(岩波現代文庫)が紹介され、小林正樹監督が仲代達也主演で撮った、映画「人間の条件」を見てくることが課題にされたりしているところでした。 帝国主義下の軍隊の官僚化の経緯が解説され、そこから生まれた歴史的な「悪」の実像と村上春樹の作品の描写のつながりを示唆している読解は佐藤優らしい観点で、面白いと思いましたね。 大日本帝国という国家のアジア侵略史は、60代後半から70代の世代には常識(?)ですが、歴史の書き換えや隠ぺいが闊歩する社会に育ってきた20歳の学生には、驚きかもしれません。また、その時代に対する戦後の「文学」や「映画」に共通する批判的な思潮に、作品の鑑賞を通して若い学生の目を向けさせようとしているところは好感を持ちました。 最終的には人間の存在、存在する限り逃れられない諸関係の中で生まれる悪について、たとえば、「これからの「正義」の話をしよう」(早川書房)、「それをお金で買いますか」(早川書房)、「実力も運のうち 能力主義は正義か?」(早川書房)、なんかで流行のマイケル・サンデルあたりの著作を紹介、参照しながら講義、学生とのやり取りは進むのですが、たどり着くのは「聖書」でした(笑)。「わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。」(ローマ人への手紙) で、佐藤優自身の結語はこうです。いちばん難しいことは、自分の内側にある悪と向き合うことです。この小説をきっかけに、ぜひ自分の内なる悪について考えてもらえればと思います。(P194) さて、この講義が村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』の、具体的にはどこに注目したのかについて、まったく触れないで案内していますが、そのことが気がかりな方は本書を手に取っていただいて、村上の作品を読み直していただくのがいいかと思います。初めての方は、まず、村上の作品からお読みいただいて、面白ければ本書を、という順番がおすすめです(笑)。
2023.06.06
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アレクサンドレ・コベリゼ「ジョージア 白い橋のカフェで逢いましょう」元町映画館 アレクサンドレ・コベリゼというジョージア出身の新しい監督の「ジョージア 白い橋のカフェで逢いましょう」という作品を観ました。若い監督の習作という印象を持ちました。 お互い、見ず知らずの男と女が、一日に三度出会うという偶然の結果、「白い橋のカフェで逢いましょう」という約束を交わしながら、なんと、翌日の朝、そのお二人が、揃いも揃って、昨日までの「顔」を失ってしまうという、まあ、いってしまえば無茶苦茶なストーリーで映画は始まります。悪魔だか魔女だかの祟りなんだそうです(笑)。 アイデアはまことに面白いのですが、ナレーションで説明しないと何が起こっているのか、まあ、わからないことが難点でした。無理やりですね、あなた(笑)。映画学校の先生に叱られません? 外国映画のの場合は特にそうなのですが、登場人物の顔認証があやふやな老人は、やっぱり、そう呟きたくなる展開なのですが、不思議なことにそんなに白けてしまうわけでもありませんでした。顔を失った二人がどう出会い直すのかというわけですが、実はこの映画で引き付けられたのは、そのストーリー展開ではありませんでした。 映画の始まりのシーンは、なにか意図でもあるのか、カメラが地面をジーッと意味ありげに映し続け、徐々に引いていってまわりの世界に戻ってくるというニュアンスなのですが、その世界というのが、多分、小学校の校門の登校風景でした。子供たちが、三々五々学校にやってくる様子が、かなり延々と映し出されます。 その後、再び地面に戻って、主人公の女性が落とした書籍を男性が拾って手渡すというシーンで、物語の始まりというわけでしたが、その後、顔を失った二人の出会いというメインストーリーとは、ほぼ、関係のない、サッカーをして遊んだり、服を脱いでポチャポチャの可愛いハダカになって走り回ったり、という子供たちのシーンが、繰り返し挿入されるのですが、なんというか、これがスゴイ!のでした。 音もセリフもほとんどありません。だからといって、主人公二人の回想というわけでもなさそうです。彼ら二人のまわりの世界でのエピソードにすぎないのです。なんなんだこれは! と、もう一度つぶやき直しながら、ボクは、そのシーンに、理由は分からないのですが堪能してしまったのです。 見終えて、何度考え直しても、この子供たちの遊びのシーンとメインのストーリーはどうしても結びつきません。確かに、二人が二人であることを再発見する、いわゆる「オチ」は用意されています。しかし、この、若い監督の才能は、意味の分からないまま、映画のほぼ三分の一を占拠している、この子供たちのシーンに輝いていました。 まあ、あのイオセリアーニの故郷ジョージアの若者のすることですから、という納得もあったかもしれませんが、この監督、そのうち、きっと(?)、今度は〇! まあ、そういう作品を撮りそうですよ。それまでノンビリ待ちましょうね(笑)。 センスの塊のような監督ですが、物語には興味がないようなのは、ジョージアという土地の空気なのでしょうかねえ。ボクは嫌いではありませんが(笑)。監督 アレクサンドレ・コベリゼ脚本 アレクサンドレ・コベリゼ撮影 ファラズ・フェシャラキ美術 マカ・ジェビラシビリ衣装 ニノ・ザウタシビリ編集 ベレナ・ファイル音楽 ギオルギ・コベリゼキャストギオルギ・アンブロラゼ(ギオルギ・前)オリコ・バルバカゼ(リザ・前)ギオルギ・ボチョリシビリ(ギオルギ・後)アニ・カルセラゼ(リザ・後)バフタング・パンチュリゼ(カフェのオーナー)2021年・150分・G・ドイツ・ジョージア合作原題「Ras vkhedavt, rodesac cas vukurebt?」2023・06・03 ・no66・元町映画館no171
2023.06.05
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「アーオイ実がなっています。かりん、アーモンド、梅」 徘徊日記 2023年5月31日(水)団地あたり かりんです。ほんのり赤みがさしていますが、熟するのに半年かかります。夏を過ぎると黄色くなります。おいしそうなのは見かけだけです(笑)。 ウメです。たわわです。もうすぐ収穫です。団地の皆さんは、熟するのを楽しみ待っています。こちらはいろいろ、おいしいものになります。 団地の人たちはこのウメで梅干しとか梅酒とか作っていらっしゃいます。わが家では梅ジュースになります。 こちらはアーモンドです。今年初めて見つけました。この後どうなるのかわかりません。どんな実になるのでしょうね。興味津々です。 ザクロです。まあ、これは、まだ花というべきでしょうか。ガクのところは、すでに実の形をしています。 ビワです。小粒の黄色い実がたわわです。間引けば、少しは大きくなるのでしょうかね。でも、まあ、誰も食べようという人はいないようです。小鳥の餌ですね。わが家では葉っぱをアセモの薬にしていました。干したビワの葉っぱを煎じた汁をあせもに塗ります。本当に効いたんですかね? それにしても、いろいろ実をつけてくれて、なかなか面白いです。ももとかカキとかもあります。まあ、そういうわけで、5月も終わります。 今日の青空はいい気持でしたね。この辺りから、今年もやっぱり梅雨とかになるのですかね。ずっと青空がいいのですが。それはそれで、困るんでしょうね(笑)。ボタン押してね!
2023.06.04
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「あーかい実をたべた!」徘徊日記 2023年5月31日(水)団地あたり すんでいる棟の玄関先で赤い実をつけた山桜桃です。そろそろ食べられそうです。同じ棟に、我が家の愉快な仲間やそのお友達の子供たちが住んでいたころから、ここにあります。大人が手を出す前に、子供たちの口に入ってしまうので食べたことがありませんでした。 ちょっと摘んできました。どことなく青臭くて、渋いような酸っぱい味がしました。田舎暮らしの子供のころの味です。この季節になるとグミとか巴旦杏、スモモですね、とか、思い出しましました。 3月の末から4月のはじめに、下の写真のような花を咲かせていましたが、今は赤い実をつけているというわけです。実になるまで二月ですね。 しかし、考えてみると、あんまり大きくなならないのですね。まあ、庭の選定とかで邪険に扱われていることもあるのかもしれませんが、思い出の時間時の大きさが、なんとなく不釣り合いなところが、不思議です。 子供たちが口に入れていたという記憶は、ただの思い込みなのでしょうかね(笑)。 まあ、もう一枚写真の載せておきます。何年かたったら、木が成長しているかどうか、わかるかもしれませんね(笑)。 今日はちょっと、まあ、お天気もいいし、団地の中の実のなる木を観察してみようと思います。それじゃあ、ウロウロしてきますね。ボタン押してね!
2023.06.03
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デレク・ジャーマン「カラヴァッジオ」元町映画館 2022年の秋から見始めている「12ヶ月のシネマリレー」という企画の完走が目的で、何の予備知識もなしでやってきた元町映画館でした。観たのはデレク・ジャーマン監督の「カラヴァッジオ」、1986年に公開された作品でした。 ふしぎな映画でした。ルネッサンス絵画、ボクのような素人の理解では「モナ・リザ」が、まあ、その代表でしょうが、その後、16世紀の終わりから17世紀にかけて、新しいリアリズム絵画として登場したのが、所謂、バロック絵画ということになるのでしょう。で、その時期に、なんというか、異様に印象的な絵を残していて、20世紀後半になって評判になったのがミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオという絵描きです。 宗教画とは思えないような残酷で、スキャンダラスともいえる画風ですが、一方でフェルメールの光とラ・トゥールの闇へと続くかに見える光と影の描き方は、ルネッサンス絵画と一線を画する独特さで、ボク自身は10年ほど昔ですが、当時、沢山の案内本が出たのですが、その中で神大の芸術学の先生である宮下規久朗の解説が印象深くてハマッタ思い出のある画家です。 映画は、その画家の二人の愛人をめぐる回想をドラマ化していましたが、伝記的な事実との一致はともかく、最初から最後まで、映像的にはとても印象的な作品でした。 最初に不思議な作品といいましたが、一つは、映画の中でモデルを配置して描いているシーンが、幾通りかあります。「これはあの絵の!」 まあ、そんな指摘はとてもできないのですが、そのモデルを配置しているシーンが映像として映るのですが、一瞬、静止して見えるそのシーンがカラヴァッジオの絵そのもので、映画の中で主人公がキャンバスに描いている絵の方も映るのですが、「こっちはちょっと違うな。」 という不思議でした。部屋にモデルを並べて画家が見ているシーンが本物で、それを描いた絵画の映像は偽物って・・・? それは、なんというか、クラクラするような体験でした。 もう一つは、結末のシーンでした。主人公カラヴァッジオの愛人でもあり、まあ、こっちも愛人なので話がややこしいのですが、絵のモデルをしている男性ラヌッチオの恋人でもあったはずのレナという女性の死をめぐって、ラヌッチオの首を真一文字にナイフで刎ねるシーンの鮮やかな残酷さに感じた驚きと不条理でした。 女性のレナも男性のラヌッチオも、カラバッジオにとっては愛の対象であったはずなのに、どうしてこうなったのかというストーリー上の疑問が、当然湧くのですが、それ以上に、ひょっとしてデレク・ジャーマンという監督は、この、実に鮮やかな殺人シーンが撮りたかったのではないかという、ボク自身の中では解決しそうもない不思議な感動でした。 カラバッジオには、たとえば「ゴリアテの首を持つダビデ」というような、まあ、残酷な構図の絵がありますが、その奥底にある不条理というか、わけのわからない怒りの衝動というかに対する監督の共感を、なんとしてでも映像化しようとでもいうような迫力を感じさせるシーンでした。 が、まあ、見終えて「疲れたなあ・・・」 と、感じたことも事実です。でも、まあ、映画そのものとしては納得の作品で、今は亡きデレク・ジャーマンに拍手!でした。監督 デレク・ジャーマン脚本 デレク・ジャーマン撮影 ガブリエル・ベリスタイン美術 クリストファー・ホッブズ衣装 サンディ・パウエル編集 ジョージ・エイカーズ音楽 サイモン・フィッシャー・ターナーキャストナイジェル・テリー(カラヴァッジオ)ショーン・ビーン(ラヌッチオ)デクスター・フレッチャースペンサー・レイティルダ・スウィントン(レナ)マイケル・ガフ1986年・93分・G・イギリス原題「Caravaggio」配給:東北新社日本初公開:1987年8月8日2023・05・29・元町映画館no170
2023.06.02
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草野心平「宮沢賢治覚書」(講談社文芸文庫) 「銀河鉄道の父」という映画を見ました。宮沢賢治とその父政次郎、そして、彼の家族を描いた作品でした。で、帰って来て、なんとなく気になってさがしたのがこの本です。 草野心平の「宮沢賢治覚書」(講談社文芸文庫)です。 映画は1933年(昭和8年)に、わずか37歳で亡くなった宮沢賢治の臨終の場で、質屋・古着屋の篤実な主人であった父政次郎が息子である賢治の「最初の読者」であることを宣言するかのように「雨ニモマケズ」を朗唱するクライマックスで幕を閉じた印象でした。 で、そのシーンを見終えたあと、宮沢賢治が今のように「たくさんの読者」を得て世に知られることになったのは、文学的には無名といってよかった宮沢賢治の死の翌年に文圃堂というところから出版された『宮澤賢治全集・全3巻』(1934年 - 1935年)と、その原稿を引き継いで十字屋書店というところが出した『宮澤賢治全集・全6巻別巻1』(1939年 - 1944年)という二つの、まあ、普通ならあり得ない「全集」の出版事業によってであり、それを成し遂げた人物がいたことが頭に浮かびました。のちに「カエルの詩人」として親しまれることになる草野心平ですね。 東京から葬儀に駆け付けた、まだ若かった草野心平が、映画の中では洋風のトランクいっぱいに入っていたあの原稿を、実際に手に取って驚愕したことが、すべての始まりだったということがどこかに書いてあったはずだというのが気になった理由です。 で、見つけたのがこの文章でした。書かれたのは昭和33年(1958年)ですから、賢治の死後25年経って、当時のいきさつを思い出している草野心平の回想です。 宮沢賢治全集由来 二十六年前の九月二十二日に、私はぶらりと駒込林町の高村さんのアトリエを訪ねた。「宮沢さんが亡くなったですよ。今日デンポウがあって・・・」 多分そのような言葉で私は宮沢賢治の他界を知った。文通でしか知り合っていないお互いなのでその死をは悲しむよりは、賢治の文学創作もこれで遮断されたか、という実感の方が強かったのをおぼろげながら憶えている。高村さんも大体は同じような感慨ではなかったかと思う。高村さんは賢治と一回会ってはいるにしろ、それはアトリエの玄関での僅かの時間のたち話にすぎなかったし、賢治の家族のことなど私たちは皆目知らなかったので、話題は恐らく賢治の芸術に限られていたことだったろう。そしてそのしめくくりとして遺稿が問題になった。おせっかいといえばそれにちがいないが、おせっかいでも考えずにはいられない気持ちだった。家庭なにの事情とかとりまく文学青年などによって遺稿が散逸しはしまいか、とつまらない取越し苦労をしたのである。(あとで分かったことだが、それは正しくおせっかいであり取越し苦労にすぎなかった。遺族による以降の整理の整然さに、私は内面赤面した程だった。遺稿に対するいかにも細心な扱い方は、家族全体の賢治への愛の並大抵でないことを強く、物語ってもいた。)「ボク、行こうかなあ」 というと高村さんは即座に賛成した。そして、「いまはないけど、明日になれば旅費は都合をつけます。君が行ってくれると一番いい」 その高村さんの言葉で私は安心し花巻行きを決めた。 中略 花巻は私にとっては初めての土地だった。駅前の広場に面した雑貨屋で宮沢家の方向をきいたがわからなかったので、一本道を歩いていった。道ばたにはコスモスが咲いていた。 ようやくわかった宮沢家は相当大きな家だった。私は自己紹介して並みいる遺族の方々に挨拶した。そして仏前に焼香した。いまでは何度も何度も見ているナッパ服姿の賢治の写真をはじめてみた。このような人だったのかと私はボンヤリその遺影をながめた。それから清六さんに案内されて色々見せてもらった。道路に面した格子窓のある二階には蓄音機やレコード、それからうず高く積まれた遺稿があった。横線のない縦だけの朱線の自家製の原稿用紙に、鉛筆やペンの、こっちに流れたりそっちにはみだしたりのおもに未定稿が、ずっしり積まれてあった。 賢治が最後の息をひきとったのは別の奥まった二階でだったが、そこで私は清六さんから意外なものを見せられた。十枚ほどの私あてのハガキの反古だった。宛名だけ書かれたものや、内容の半分だけ書かれたものや、宛名と本文の半分だけのものなど・・・・ 賢治のおおらかに流れる書体から感じられるものとは別な角度を見せられたような不思議な気がした。 中略 東京へ帰るとすぐ私は花巻の模様を高村さんに報告した。そして遺稿の膨大さを話した。それらの遺稿を私は、宮沢家でほんのあっちこっちめくった程度にすぎなかったが「春と修羅」や「注文の多い料理店」の延長があんなにもあるのだろうかと、私にとっては一つの驚異としていつまでも頭の中に渦を巻いていた。 以下略(P261~P263 ) いかがでしょうか。文中で高村さんと呼ばれているのは、もちろん、詩人で彫刻家の高村光太郎です。で、この後、出版社が途中で変わった事情や、賢治に対する、弟、宮沢清六をはじめとする遺族の情愛深く誠実な様子についても回想している文章の一部ですが、なによりも賢治の膨大な遺稿に出合った草野心平の率直な驚きの思い出が、ボクには記憶に残っていました。 本書は昭和10年代から20年代に書かれた、宮沢賢治の詩や童話、あるいは賢治の世界に対する評論を中心に編集されています。戦後、たくさんの宮沢賢治論が書かれていますが、始まりの1冊というべき論考群だとボクは思います。ちなみに目次はこんな感じです。 目次宮沢賢治覚書四次元の芸術「春と修羅」に於ける雲賢治文学の根幹賢治詩の性格「農民芸術概論」の現代的意義宿命的言葉無声慟哭 その解説オホーツク挽歌 その解説宮沢賢治・人と作品及び解説二つの極一つの韻律宮沢賢治全集由来 この年になってしまったので「春と修羅における雲」なんていう綿密な論考は読みなおすのが骨でした。しかし、教室で子供たちと一緒に賢治を読まれるお仕事をされている若い人たちには読んでほしい1冊です。古い本ですが、宮沢賢治理解では欠かせない1冊だと思いますよ(笑)。
2023.06.01
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