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100days100bookcovers no91 91日目茅辺かのう「アイヌの世界に生きる」(ちくま文庫) 前回、YAMAMOTOさんからのご紹介が檀ふみの『父の縁側、私の書斎』でしたので、当初、檀一雄つながりで、若い頃によく読んだ坂口安吾にしようかと考えたのですが、ふと、全然関係ない方向へ行ってみようかな、と思い立ちました。 9月に交わした句友との会話に端を発して『ゴールデンカムイ』にはまり、以来、アイヌへの興味が強まっているのですが、先日、散歩の途中にふらっと入った書店で、たまたま見つけた本がありました。むずかしい研究書や資料の類いはもう読む根気がなくなっているのですが、この本は、日本人として生まれながらアイヌのコタンで育った女性への聞き取りで構成されていて、とても面白く読めたので、今回はこれを紹介したいと思います。 『父の縁側、私の書斎』との連関ワードを探すならば「家族」でしょうか。でも、本書に描かれているのは、血縁ではない「家族」のありようです。『アイヌの世界に生きる』(茅辺かのう著、ちくま文庫)。 本書は、アイヌの世界で生きてきた「トキさん」を茅辺かのうが訪ね、1973年におこなった聞き取りをまとめたものです。数奇な運命のなかで誠実に生きてきたトキさんの人生は波乱に満ちたものでしたが、そのことについて書く前に、まず、著者の茅辺かのうに少し触れたいと思います。私はまったく知らない人だったのですが、彼女の人生もまた、波乱に富んだものでした。 1924年に京都に生まれた茅辺かのうは、東京女子大学を経て京都大学文学部に入学しますが、1年で中退してしまいます。すぐに上京し、編集者をしながら労働運動に携わるのですが、1962年、今度は東京を引き払って北海道へ渡り、網走の水産加工工場で働き始めます。東京での労働運動から突然北海道の労働者に転身したいきさつは、本書の中でこのように書かれています。「……このまま惰性に流されて生きたくないと思い始めた私は、今の生活を変え、生産の現場で働いてみようと決心した。 東京を離れることを考えたのはこのころであり、北海道で働こうと思ったのは、その自然を知りたかったからだった。ただの行きずりではなく、実際にその土地の生産的な仕事に就き、自分の生活をもったうえで季節を感じたいと思った。」 1964年に帯広から阿寒湖を訪れたときに、アイヌの観光土産品店を手伝ったことからアイヌ民族への思いが深まり、1965年には本格的に移住してアイヌコタンの近くで生活するようになります。そうした生活の中で、「アイヌの言葉や生活を伝えておきたい」という思いを抱いていたトキさんと知り合い、本書が生まれました。茅辺かのうは1973年に京都へ戻りますが、その後「思想の科学研究会」などに参加し、『階級を選びなおす』などの著書を残して、2007年に亡くなっています。 さて、いよいよトキさんです。トキさんは1906年に福島県の農村で生まれて間もなく、母親に抱かれて北海道へ渡りました。母の夫は先に入植して準備を整えていたのですが、じつはトキさんは、母の夫が北海道へ渡ったあと、母と近所の神主の間にできた不義の子でした。母の夫である義理の父は、それでもいいから一緒に来るようにとふたりを呼び寄せます。現代では考えられない大らかさですが、ひとりでも多く女手が欲しいという生活上の必要があったのかもしれません。が、トキさん以外にも3人の異父兄がおり、貧しく、母親の目はとうていトキさんに届きませんでした。トキさんは子守りを嫌がった異父兄のひとりに川へ投げ込まれますが、手前の藪に引っかかり、大怪我を負いながらなんとか一命を取り留めます。 その噂を聞きつけたひとりのアイヌ女性が、トキさんを引き取りたいとやってきました。やがて、ネウサルモンというこの女性がトキさんの養母となり、アイヌ社会の中で育てます。養母はトキさんの利発さに早くから気づき、トキさんにアイヌの生活や伝統、言葉、儀式などを教えました。 その頃、政府はアイヌ民族に対する同化政策を進めていて、アイヌ人たちは住み慣れたコタンを離れ、土地を与えられて農業を始めていました。が、もともと自然物を採取して生活していたアイヌには土地を私有する意識が薄く、養母も農業になじめなかったので、長ずるにつれ、トキさんが畑仕事に精を出すようになります。小学校にも通うようになりましたが、厳然と差別があった日本人との混合学級になじめず、すぐにやめてしまって、文字が読めないまま大人になりました。 トキさんは、成長した彼女を取り戻しにやってきた実母や親戚たちから逃れるように、17歳でアイヌの青年と結婚します。結婚後は家族も増え、充実した人生になっていきますが、書くとどんどん長くなりますので、ここから先は本書に直接あたっていただきたいと思います。 茅辺かのうは聞き取りの際にトキさん宅に何週間か滞在し、共に生活をしていますが、聞き取りの合間に記されている毎日の生活のルーティンもとても興味深く、トキさんの地道な人となりをよく伝えています。いまは住宅も暖房も進化しているでしょうが、50年前の冬の北海道の寒さ、厳しさは並大抵ではなく、それが手に取るように伝わってきます。前夜、寝る前にやっておかなくてはならないこと、そうしないと翌朝さまざまなものが凍ってしまい、午前中は仕事にならないこと、食料の保存法のこと、食事のこと。 生活は小さな煩雑な作業の積み重ねであり、手を抜いたら些末なところから崩れてきて、身体にも影響を及ぼす。トキさんの暮らしぶりを読んでいると、そんな当たり前を忘れていることに気づきます。けれどもまたトキさんは、晩年になってからテレビ番組で文字を覚え、読めるようになっていたり、教育がないために何もできなかった自分の人生を省みて、娘たちが独り立ちできるように、きちんと教育を受けさせています。毎日の生活を繰り返しているだけではなく、前を向く力が強い人なのです。 そして何よりトキさんは、自分を育ててくれた血の繋がらない養母を敬愛し、感謝の念を持ち続けました。その気持ちの強さが、アイヌの生活や文化、言葉を何とか後世に伝えたいという行動に繋がっていったのだと思います。トキさんの語り口からは、そのときそのときの状況を受け入れながらも流されず、前を向き続けてきた人間としての力が伝わってきて、読者を明るい気持ちにしてくれるのです。 本書では「アイヌ語の世界」という項目を立てて、アイヌ語にも言及しています。生活と強く結びついているアイヌ語の成り立ちに着目していて、「アイヌ語辞典」という役割は比較的希薄なのですが、言葉を通してアイヌの文化に触れることができます。 例えば、「神」を表す「カムイ」という言葉は動物にも使われるのですが、名前に「カムイ」とつく動物は当然信仰や儀式と深い関係があり、それがつくかつかないかで、その動物とアイヌの結びつきの種類が分かります。自然の色を抽象的に表現したり、顔料をつくったりする必要がなかったことから、色彩を表す言葉が極端に少ないことや、自然と深く関わり採集する生活だったので、気候や自然の呼び名も、五感と結びついたものが多いことなどもうかがえます。 トキさんが聞き取りのあとしばらくして農業を辞め、商売を始めるらしい、と最後に書かれた本文を読み終えたあと、本田優子氏の「解説」で、読者は本文では語られなかったことを知らされます。「トキさん」というのが仮名で、本名は澤井トメノさんだということ、そしてトメノさんは、1980年代以降にアイヌ語辞典や教本を監修し、アイヌ民話の書籍を著し、平成9年にアイヌ文化賞を受賞している人物だということを。 おそらくトキさんは、茅辺かのうの聞き書きを受けたあと、アイヌ文化の伝承に強い使命を見いだし、それが人生の最晩年の短い間に結実したのではないでしょうか。『アイヌの世界に生きる』に描写されたトキさんの好奇心、向上心、頑固さと柔軟性を併せ持つ人となりを思うと、それが自然にうなづけるのです。そして本書に描かれたトキさんの人物像には、茅辺かのうの人生観もまた、大きく反映されていることを感じます。本書は、ふたりの女性の生きざまの結晶のような書物でもあるのです。 それではKOBAYASIさん、お願い致します。2022・12・17・K・SODEOKA追記2024・04・05 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目) (51日目~60日目)) (61日目~70日目) (71日目~80日目)という形でまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2023.05.31
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小澤實「芭蕉の風景」(ウェッジ)裸にはまだ衣更着の嵐かな 芭蕉 俳人(?)の小澤實という人の「芭蕉の風景」(ウェッジ)という上・下巻ある本の上巻を、半年がかりで読んでいます。で、ようやく200ページを通過して、ちょうど二月の句が出てきたので、途中経過の報告です。 と、まあ、こんなふうに案内を始めたのが二月の末でしたが、今日は、五月の三十日です。なんでそうなったのかというと、本書の中で、芭蕉のこの句について小澤實がこんな事を云って、この句の解説と鑑賞を始めていたからです。 芭蕉の弟子、支考が師の句文を収集した『笈の小文』という書には、掲出句についての芭蕉の「増賀の信をかなしむ」という言葉が記録されている。平安時代の高僧増賀の信仰心を愛おしむという意味である。増賀という僧を知らないと、掲出句は理解できない。芭蕉も愛読していた、鎌倉時代の仏教説話「撰集抄」冒頭にエピソードが載っている。(P208) ここを読んで、ボクはなにを始めたかというと、「撰集抄」を探し始めてしまったわけですね。増賀上人って?、撰集抄って? というふうにウロウロして、書きかけの案内のことを忘れてしまったというわけで、3ヵ月後の今日にになって、ようやく、ああ、そうだ! ということなので、悪しからずというわけです(笑)。 小澤實という人は「名句の所以」(毎日新聞社出版)という本で偶然、知りました。で、これまた偶然、市民図書館の新刊の棚で見つけたのが「芭蕉の風景 上」という、この本でした。松尾芭蕉の句の風景を訪ねて、あれこれ語った上で、自分の句を読むという企画らしいですが、芭蕉とか知っているようで、実は、全く知らないくせに、高校生には知ったかをかましていた元国語教員には、斬鬼とかいう言葉を思い出させながらも、目から鱗というか、もっと早く出会いたかったと思う本でした。 目次を紹介すれば、こんなふうです。目次第1章 伊賀上野から江戸へ 京は九万九千の花見哉 うち山や外様しらずの花盛 山は猫ねぶりていくや雪のひま ほか第2章 野ざらし紀行 霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き 猿を聞人捨子に秋の風いかに 道のべの木槿は馬にくはれけり ほか第3章 笈の小文 星崎の闇を見よとや啼千鳥 寒けれど二人寝る夜ぞ頼もしき 冬の日や馬上に氷る影法師 ほか第4章 更科紀行 木曾のとち浮世の人のみやげ哉 俤や姨ひとりなく月の友 吹きとばす石はあさまの野分哉 ほか 九十数句の句が表題になっていますが、まあ、それだけの場所を訪ねる旅の紀行文でもあるわけですし、参考句を入れれば二百句近い芭蕉の句、加えて、彼の周辺の俳人たち句の鑑賞にもなります。かなり、重厚な「蕉門俳諧」の教科書という趣でもあるわけです。 そうそう、忘れてはいけないことは、小澤實自身の旅先での句が、それぞれの旅の句として二句づつ読まれているわけで、例えば、西行の庵もあらん花の庭 芭蕉 訪ねて、江戸の内藤露沾(ろせん)邸跡地の訪問が、上巻最後の旅なのですが、そこで詠まれている小澤實の句はこんなふうです。閻魔坂くだりゆきたる椿かな墓地の端椿ももいろひとつ咲くと、まあ、そういう本なのですが、最初に引用した増賀上人にかかわる句の話の続きが気に掛かっていらっしゃると思うので引用します。 増賀上人は比叡山延暦寺の根本中堂に千夜籠もるという修業をした僧である。さらなる悟りを求めて、神宮に参詣する。神に祈って眠ったところ、夢に神が現れ「道心をおこそうと思ったら、自分の身を自分のものと思うな」というお告げを受ける。目覚めてから上人は「これは名利を捨てよということに違いない」と思って、来ていた衣を脱いで乞食にみな与えてしまった。下着も着けず、まったくの裸で、伊勢から帰り、修行していた比叡山に登る。 「名利を捨てる」ということと着衣を捨てるということを直接に結び付け、実際に実行してしまう上人には魅力がある。比叡山では悟りを得るのに千夜かかっているが伊勢では一夜にして得られている。伊勢の神のありがたさをものがたるエピソードでもある。僧と神とが伊勢という場で出合っている。神仏習合の一事件でもある。 芭蕉は伊勢を去るにあたって、増賀のことを思い出していた。「上人のように着衣を捨て去りたいが、二月は裸になるにはまだまだ寒い、いまだ重ね着がふさわしい季節。嵐も吹きすさんで、つらすぎる。」という句意になる。増賀の精神の気高さに打たれつつも、生身の世俗の人間としてはついていけないところをはっきりと示しているところがおもしろい。 「衣更着」が季語。旧暦二月の名称「きさらぎ」の語源説の一つとして、「まだまだ寒いので、着物をさらに着る」からというものがある。そこから「衣更着」という字が当てられているのだ。(P209) で、付け加えられるのが伊勢神宮の解説です。 明治の初めまで、僧は、宇治橋を渡り正殿の前で参拝することは許されなかった。僧が死の穢れに触れることが多いためであるという。芭蕉の「野ざらし紀行」には伊勢参宮の際、僧体であったため、神宮に入ることを拒まれたとことが明記されている。増賀も、西行も、五十鈴川を隔てて、正殿を拝することのできる高みにあった僧尼拝所から拝したらしい。その場所の存在を矢野憲一著「伊勢神宮」(角川書店)によって、帰宅後知った。同著によれば、現在、僧尼拝所のあった場所にはなにも残されていないというが、その位置から正殿を遠く拝してみたかった。芭蕉を訪ねる旅としても、神仏習合を考える旅としても必要だった。ン中略 『笈の小文』の旅においては、神前に入ることを拒まれたのか、許されたのか、芭蕉ははっきりと書いていない。しかし、掲出句の存在は、拒まれたことを意味しているのではないか。増賀と自分とを重ねる立場は、姿は同じ僧体であることをはっきりと意識している。伊勢に来て、神社、神道的なものばかり詠むのではなく、あえて僧を詠む姿勢がおもしろい。芭蕉は神前に入ることを拒まれたことによって、自分が伊勢という土地にとって、僧体の異物であることを意識している。その意識を積極的に楽しみつつ、神道と仏教との出合という奇蹟に目を瞠っている。 で、最後にあるのが小澤實の二句です。さざんかや増賀上人立ち走り 實神域をむささび飛べる月夜かな 長くなりましたが、まあ、こういう本です。毎日、一句か二句、3ページか、4ページ、楽しみで読んできましたが、いよいよ、新たな予約者の出現で、市民図書館から返却せよとの連絡が来てしまいました(笑)。で、大慌て、大急ぎで案内しました。 上巻は返却しますが、小澤さんの旅はまだまだ続きます。そういうわけで、ボクは下巻を借り出すことになりそうです(笑)。追記2023・05・30「撰集抄」の「増賀上人」の説話です。宇治拾遺にもあったような気がします。 昔、増賀聖人といふ人いまそかりけり。 いとけなかりけるより、道心深くて、天台山の根本中堂に千夜こもりて、これを祈り給ひけれども、なほ、まことの心やつきかねて侍りけん、ある時、ただ一人、伊勢大神宮に詣でて、祈請し給ひけるに、夢に見給ふやう、「道心を発(おこ)さんと思はば、この身を身とな思ひそ」と示現を蒙り給ひけり。 うちおどろきて思すやう、「『名利を捨てよ』とにこそ、侍るなれ。さらば捨よ」とて、着給へりける小袖・衣、みな乞食どもに脱ぎくれて、一重なるものをだにも身にかけ給はず、赤裸にて下向し給ひけり。 見る人、不思議の思ひをなして、「物に狂ふにこそ」、みめさまなんどのいみじさに、「うたてや」なんど言ひつつ、うち囲み見侍れども、つゆ心もはたらき侍らざりけり。道々物乞ひつつ、四日といふに山へのぼり、もと住み給ひける慈恵大師の御室に入り給ひければ、「宰相公の物に狂ふ」とて見る同法もあり。また、「かはゆし」とて、見ぬ人も侍りけるとかや。 師匠の、ひそかに招き入れて、「名利を捨て給ふとは知り侍りぬ。ただし、かくまで振舞ふは侍らじ。はや、ただ威儀を正して、心に名利を離れ給へかし」といさめ給ひけれども、「名利を長く捨て果てなんのちは、さにこそ侍るべけれ」とて、「あら、たのしの身や。おうおう」とて、立ち走り給ひければ、大師も門の外に出で給ひて、はるばる見送り侍りて、すぞろに涙を流し給へりけり。
2023.05.30
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市川準「トニー滝谷」パルシネマ 第4回SCC(シマクマ・シネマ・クラブ)は二人して「読んでから見る!」 の作品でした。村上春樹の短編小説「トニー滝谷」の市川準監督による映画化作品で、映画の題名も、そのまま、ズバリ、「トニー滝谷」でした。2004年の作品で、監督の市川準という方は、この作品の数年後、50代の若さで亡くなられた方で、「金鳥」のコマーシャルの人だった記憶がありました。映画では女優の富田靖子さんの「BU・SU」だったかを見たような気がしますが確かではありません。 SCCの例会としては、初めてのパルシネマでした。朝パルという企画で、朝寝坊のボクは間に合うかどうかが心配だったのですが、午前5時には活動を開始していらっしゃるらしいM氏は湊川公園でのんびり佇んでいらっしゃいました。「やっぱり、お早いですね(笑)。」「新開地本通り、いいですねえ!ボク、尼崎の杭瀬がホームグラウンドなのでなつかしかったです。」 というわけで、第4回SCCは始まりました。原作そのものが、けなしているわけではありませんが、いったい何を書きたいのかよくわからないような作品なのですが、映画も同様で、トニー滝谷を演じたイッセー尾形のたたずまいと坂本龍一のピアノの音、そして、宮沢りえのさまざまな靴を履いた足が印象に残る作品でした。 映画が終わったのが、ちょうどお昼時で「長安」という、いかにも新開地という町中華でお昼、まあ、ボクはビール(笑)でおしゃべり開始です。「で、いつもの質問です(笑)。何点でしたか?」「( ̄∇ ̄;)ハッハッハ、今回は結構納得でした。」「じゃあ、80点くらい?」「うーん、まあ、そんな感じ。」「イッセイ尾形と宮沢りえが、それぞれ、一人二役でしたね。宮沢りえの二役は、ちょっと、別の人のほうが良かったんじゃないかと思ったんですが。」「ふーん、そうなんだ。ボクは気にならなかった。」「原作ではトニー滝谷と彼の父以外には名前がないんです。最初の結婚する女も、二人目の女もね。女とか妻と書かれているだけです。で、妻が亡くなった後に登場する二人目の女は、確かに妻と同じ背格好なのですが、初対面の印象に、確か、『いささかくたびれていた』と書いていあったんですね。だからでしょうね、そこに引っかかりましたね。それからナレーションが多すぎません?」「そうか、昨日、読んできたんですね。」「はい、『レキシントンの幽霊』(文春文庫)という短編集の中の短い話です。ついでに言えば、父親が死んで古いレコードを処分して、『本当に一人ぼっちになった』というところで小説は終わりますが、映画は終わりませんでしたね。あの、あたりも気になりましたが、どうなんでしょうね。」「ナレーションは確かに多いですね。西島秀俊という男前の声でしたよね。まあ、基本、男前は嫌いなんですが(笑)、評判になった『ドライブマイカー』の主演の人ですね。」「ああ、それも、村上春樹の原作のやつですね。」「そう、そう、評判がとてもよかったんですが、ボクはなんだかなあ?だったんです。で、今日の映画ですが、ナレーションを聞いていて、あれがないと主人公が、たぶん、見ている人にわからないんですよね。原作の記述を読み上げないとわからない。そういう原作なんですよね。映画としてはうるさいんですが。だから、あんまり引っかからなかったですね。」「映像としては、原作読んでいない人には、トニー滝谷がわからないと?」「そう、そういう人物を春樹が書いているということかな。映画だけでは映画にしたかった人物が描けないというか。で、まあ、だからかもしれませんが、ボクは、イッセイ尾形に感心してみてました。空虚というか、空っぽの人間というか、一人芝居をやる人だと思いますが、すごい演技やなあって。」「なるほどね。で、ラストは?」「監督の作品解釈かなぁ。妻の服と、父のレコードの処分で、部屋が空っぽになって、ああ、ひとりぼっちというナレーション、まあ、それじゃあ、映画は終われないんじゃないですか(笑)。ボクは、ノルウェイの森みたいなラストだなと思いました。」「ああ、電話かけるやつですね。」 というわけで、村上春樹オタク会議のような会話で終了でした。 それにしてもイッセイ尾形の演技には拍手!でしたね。それから、まあ、好き好きなのでしょうが、妙に、病気っぽい、2004年の宮沢りえにも拍手!。で、坂本龍一のピアノです。イッセイ尾形の意味不明な表情とマッチして、いかにも、意味不明な村上ワールドの音でした。拍手!でした。 さて、次回は、どこで、何を見ましょうかね。他の人と一緒に見るというのも、悪くないですねえ。だんだん、楽しみになってきましたよ(笑)。監督 市川準脚色 市川準原作 村上春樹撮影 広川泰士音楽・作曲 坂本龍一 編集 三條知生キャストイッセー尾形(トニー滝谷・滝谷省三郎)宮沢りえ(A子小沼英子・B子斉藤久子)西島秀俊(語り)篠原孝文(トニー少年)四方堂亘水木薫B子の母水木薫草野とおる男(A子の元恋人)小山田サユリ山本浩司木野花(アパートの管理人)2004年・76分・日本SCCno4・2023・05・23-no064・パルシネマ
2023.05.29
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ヴィム・ヴェンダース「ベルリン・天使の詩」シネ・リーブル神戸 この日はチッチキ夫人と二人でアベック映画でした。「完全に寝てたよ(笑)。」「うん、何回見ても寝るなあ。コロンボ刑事出てたやろ。」「うん、出てた。面白かったよ。」「最初に塔の上だかに天使が出てきて、カラーとか白黒とか、まあ、いろいろ技が駆使されて、意識が朦朧となって、後は気持ちよくゆすぶられて。」「うん、何度か、イビキをかきそうやったから揺すったけど。」「それは、それは、ご迷惑をおかけしました(笑)。」「うん、迷惑!」「周りの人に迷惑かけんで、よかったね(笑)。」 まあ、ようするに詩的とかについていけないんでしょうね。「ヴィム・ヴェンダース レトロスペクティブ ROAD MOVIES 夢の涯てまでも」という特集の1本だったのですが、見ているこっちが「夢の涯て」で眠りこけていたのでは感想になりませんね。完敗でした(笑)。監督 ヴィム・ヴェンダース製作 ヴィム・ヴェンダース アナトール・ドーマン製作総指揮 イングリット・ビンディシュ脚本 ヴィム・ベンダース ペーター・ハントケ撮影 アンリ・アルカン美術 ハイディ・ルーディ編集 ペーター・プルツィゴッダ音楽 ユルゲン・クニーパーキャストブルーノ・ガンツ(天使ダニエル)ソルベーグ・ドマルタン(マリオン)オットー・ザンダー(天使カシエル)クルト・ボウワ(老詩人ホメロス)ピーター・フォーク(ピーター・フォーク) 1987年・128分・G・西ドイツ・アメリカ合作原題「Der Himmel uber Berlin」日本初公開:1988年4月23日2022・01・13-no7・シネ・リーブル神戸no205
2023.05.28
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土井晩翠「星落秋風五丈原」 鮎川信夫「近代詩から現代詩へ」(思潮社)より 星落秋風五丈原 土井晩翠(一)祁山悲秋の風更けて 陣雲暗し五丈原零露の文は繁くして 草枯れ馬は肥ゆれども蜀軍の旗光無く 鼓角の音も今しづか丞相病篤かりき清渭の流れ水やせて むせぶ非情の秋の声夜は関山の風泣いて 暗に迷ふかかりがねは令風霜の威もすごく 守るとりでの垣の外丞相病篤かりき帳中眠かすかにて 短檠光薄ければこゝにも見ゆる秋の色 銀甲堅くよろへども見よや侍衛の面かげに 無限の愁溢るるを丞相病篤かりき風塵遠し三尺の 剣は光曇らねど秋に傷めば松柏の 色もおのづとうつろふを漢騎十万今さらに 見るや故郷の夢いかに丞相病篤かりき夢寐に忘れぬ君王の いまはの御こと畏みて心を焦がし身をつくす 暴露のつとめ幾とせか今落葉の雨の音 大樹ひとたび倒れなば漢室の運はたいかに丞相病篤かりき四海の波瀾収まらで 民は苦み天は泣きいつかは見なん太平の 心のどけき春の夢群雄立ちてことごとく 中原鹿を争ふもたれか王者の師を学ぶ丞相病篤かりき末は黄河の水濁る 三代の源遠くして伊周の跡は今いづこ、 道は衰へ文弊ぶれ管仲去りて九百年 楽毅滅びて四百年誰か王者の治を思ふ丞相病篤かりき 鮎川信夫の「近代詩から現代詩へ」(思潮社)で土井晩翠は「明治の詩人」の二人目、トップ・バッターは島崎藤村ですが、二番バッターとして登場します。送りバントがうまい小技の人では、もちろんありません。 紹介、解説で鮎川信夫は、土井晩翠の詩集「天地有情」の序文から引用します。 詩は閑人の囈話に非ず、詩は彫虫篆刻の末技に非ず。詩は国民の精髄なり、大国民にして大詩篇なきもの未だ之あらず。本邦の前途をして多望ならしめば、本邦詩界の前途多望ならずんばあらず。 現在の眼で見れば、滑稽な大言壮語なのですが、この序文の中にこそ、 日清戦争以後、高まりゆく軍国調の世相の中で明治における帝国主義イデオロギーの随一の歌手として、青少年たちに愛唱高吟されたことこそが、詩人の本懐であることが叫ばれている と喝破しながらも、軍歌、校歌、寮歌のへの、圧倒的な影響力を通して、戦前の国民感情の形成に大きな役割を果たした ことを忘れてはいけないと結びます。 ボクが、この「近代詩から現代詩へ」の中で紹介されている、土井晩翠の代表詩の一つである「星落秋風五丈原」という、長編叙事詩を知ったのは、1980年代だったと思います。三国志の時代の歴史的な史話をネタに謳いあげる、長大な(後ろに全文載せておきますが)叙事の風格に強く惹かれたのですが、一方では事大主義的に歴史ロマンを謳う(まあ、嫌いではないのですが)姿勢に辟易する詩でもありました。 鮎川信夫は戦前の国民感情の形成の問題を指摘していますが、戦後民主主義育ちであるはずのボクたちの世代(今、現在、前期高齢者たち)が、小学生の時代から「荒城の月」の「あわれ」に育てられていたことには、生涯、気づかなかったのではないでしょうか。 現代の世相を振り返るとき、土井晩翠的な「国粋主義」が我々のような戦後民主主義世代にも、美しい唱歌のメロディと歌詞によって刷り込まれていたということは、見落としてはいけないという気がします。 まあ、あれこれ考えるの疲れるのですが「星落つ、秋風、五丈原」という詩がどんな詩だったくらいは知っておいていいんじゃないでしょうか。ホームランバッターを目指している詩人だったということがよくわかりますよ(笑)。(二)鳴呼南陽の旧草廬 二十余年のいにしへの夢 はたいかに安かりし 光を包み香をかくし隴畝に民と交はれば 王佐の才に富める身もただ一曲の梁父吟閑雲野鶴空濶く 風に嘯く身はひとり月を湖上に砕きては ゆくへ波間の舟ひと葉ゆふべ暮鐘に誘はれて 問ふは山寺の松の風江山さむるあけぼのの 雪に驢を駆る道の上寒梅痩せて春早み 幽林影を穿つとき伴は野鳥の暮の歌 紫雲たなびく洞の中誰そや棊局の友の身はそれ隆中の別天地 空のあなたを眺むれば大盗競ひはびこりて あらびて栄華さながらに風の枯葉を掃ふごと 治乱興亡おもほへば世は一局の棊なりけり其世を治め世を救ふ 経倫胸に溢るれど栄利を俗に求めねば 岡も臥龍の名を負ひつ乱れし世にも花は咲き 花また散りて春秋の遷りはここに二十七高眠遂に永からず 信義四海に溢れたる君が三たびの音づれを 背きはてめや知己の恩羽扇綸巾風軽き 姿は替へで立ちいづる草廬あしたのぬしやたれ古琴の友よさらばいざ 暁さむる西窓の残月の影よさらばいざ 白鶴帰れ嶺の松蒼猿眠れ谷の橋 岡も替へよや臥龍の名草廬あしたはぬしもなし成算胸に蔵まりて 乾坤ここに一局棊ただ掌上に指すがごと 三分の計 はや成れば見よ九天の雲は垂れ 四海の水は皆立ちて蛟龍飛びぬ淵の外(三)英才雲と群がれる 世も千仭の鳳高く翔くる雲井の伴やたそ 東新野の夏の草南瀘水の秋の波 戎馬関山いくとせか風塵暗きただなかに たてしいさをの数いかに江陵去りて行先は 武昌夏口の秋の陣一葉軽く棹さして 三寸の舌呉に説けば見よ大江の風狂ひ 焔乱れて姦雄の雄図砕けぬ波あらく剣閣天にそび入りて あらしは叫び雲は散り金鼓震ひて十万の 雄師は囲む成都城漢中尋で陥りて 三分の基はや固し定軍山の霧は晴れ 汚陽の渡り月は澄み赤符再び世に出でて 興るべりかりし漢の運天か股肱の命尽きて 襄陽遂に守りなく玉泉山の夕まぐれ 恨みは長し雲の色中原北に眺むれば 冕旒塵に汚されて炎精あはれ色も無し さらば漢家の一宗派わが君王をいただきて 踏ませまつらむ九五の位天の暦数ここにつぐ 時建安の二十六景星照りて錦江の 流に泛ぶ花の影花とこしへの春ならじ 夏の火峯の雲落ちて御林の陣を焚く掃ふ 四十余営のあといづこ雲雨荒台夢ならず 巫山のかたへ秋寒く名も白帝の城のうち 龍駕駐るいつまでかその三峽の道遠き 永安宮の夜の雨泣いて聞きけむ龍榻に 君がいまわのみことのり忍べば遠きいにしえの 三顧の知遇またここに重ねて篤き君の恩 諸王に父と拝されし思よいかに其宵の辺塞遠く雲分けて 瘴烟蛮雨ものすごき不毛の郷に攻め入れば 暗し瀘水の夜半の月妙算世にも比なき 智仁を兼ぬるほこさきに南蛮いくたび驚きて 君を崇めし「神なり」と(四)南方すでに定まりて 兵は精しく糧は足る君王の志うけつぎて 姦を攘はん時は今江漢常武いにしへの ためしを今にここに見る建興五年あけの空 日は暖かに大旗の龍蛇も動く春の雲 馬は嘶き人勇む三軍の師隨へて 中原北に上りけり六たび祁山の嶺の上 風雲動き旗かへり天地もどよむ漢の軍 偏師節度を誤れる街亭の敗何かある 鯨鯢吼えて波怒りあらし狂うて草伏せば 王師十万秋高く武都陰平を平げて 立てり渭南の岸の上拒ぐはたそや敵の軍 かれ中原の一奇才韜略深く密ながら 君に向はんすべぞなき納めも受けむ贈られし 素衣巾幗のあなどりも陣を堅うし手を束ね 魏軍守りて打ち出でず鴻業果し収むべき その時天は貸さずして出師なかばに君病みぬ 三顧の遠いむかしより夢寐に忘れぬ君の恩 答て尽くすまごゝろを示すか吐ける紅血は 建興の十三秋なかば丞相病篤かりき(五)魏軍の営も音絶て 夜は静かなり五丈原たたずと思ふ今のまも 丹心国を忘られず病を扶け身を起し 臥帳掲げて立ちいづる夜半の大空雲もなし刀斗声無く露落ちて 旌旗は寒し風清し三軍ひとしく声呑みて つつしみ迎ふ大軍師羽扇綸巾膚寒み おもわやつれし病める身を知るや情の小夜あらし諸塁あまねく経廻りて 輪車静かにきしり行く星斗は開く天の陣 山河はつらぬ地の営所つるぎは光り影冴えて 結ぶに似たり夜半の霜嗚呼陣頭にあらわれて 敵とまた見ん時やいつ祁山の嶺に長駆して 心は勇む風の前王師ただちに北をさし 馬に河洛に飲まさむと願ひしそれもあだなりや 胸裏百万兵はあり帳下三千将足るも 彼れはた時をいかにせん(六)成敗遂に天の命 事あらかじめ図られず旧都再び駕を迎へ 麟台永く名を伝ふ春玉樓の花の色 いさをし成りて南陽に琴書をまたも友とせむ 望みは遂に空しきか君恩酬ふ身の一死 今更我を惜しまねど行末いかに漢の運 過ぎしを忍び後計る無限の思い無限の情 南成都の空いづこ玉塁今は秋更けて 錦江の水痩せぬべく鉄馬あらしに嘶きて 剣関の雲睡るべく明主の知遇身に受けて 三顧の恩にゆくりなく立ちも出でけむ旧草廬 嗚呼鳳遂に衰へて今に楚狂の歌もあれ 人生意気に感じては成否をたれかあげつらふ成否をたれかあげつらふ 一死尽くしし身の誠仰げば銀河影冴えて 無数の星斗光濃し照すやいなや英雄の 苦心孤忠の胸ひとつ其壮烈に感じては 鬼神も哭かむ秋の風(七)鬼神も哭かむ秋の風 行て渭水の岸の上夫の残柳の恨訪へ 劫初このかた絶えまなき無限のあらし吹過ぎて 野は一叢の露深く世は北邱の墓高く蘭は砕けぬ露のもと 桂は折れぬ霜の前霞に包む花の色 蜂蝶睡る草の蔭色もにほひも消去りて 有情も同じ世々の秋群雄次第に凋落し 雄図は鴻の去るに似て山河幾とせ秋の色 栄華盛衰ことごとくむなしき空に消行けば 世は一場の春の夢撃たるるものも撃つものも 今更ここに見かえれば共に夕の嶺の雲 風に乱れて散るがごと蛮觸二邦角の上 蝸牛の譬おもほへば世ゝの姿はこれなりき金棺灰を葬りて 魚水の契り君王も今泉台の夜の客 中原北を眺むれば銅雀台の春の月 今は雲間のよその影大江の南建業の 花の盛もいつまでか五虎の将軍今いづこ 神機きほひし江南のかれも英才いまいづこ 北の渭水の岸守る仲達かれもいつまでか 聞けば魏軍の夜半の陣一曲遠し悲茄の声更に碧の空の上 静かにてらす星の色かすけき光眺むれば 神秘は深し無象の世、あはれ無限の大うみに 溶くるうたかた其はてはいかなる岸に泛ぶらむ 千仭暗しわだつみの底の白玉誰か得む、 幽渺境窮みなし鬼神のあとを誰か見む嗚呼五丈原秋の夜半 あらしは叫び露は泣き銀漢清く星高く 神秘の色につつまれて天地微かに光るとき 無量の思齎らして「無限の淵」に立てる見よ 功名いづれ夢のあと消えざるものはただ誠 心を尽し身を致し成否を天に委ねては 魂遠く離れゆく高き尊きたぐいなき 「悲運」を君よ天に謝せ青史の照らし見るところ 管仲楽毅たそや彼伊呂の伯仲眺むれば 「万古の霄の一羽毛」千仭翔る鳳の影 草廬にありて龍と臥し四海に出でて龍と飛ぶ 千載の末今も尚名はかんばしき諸葛亮
2023.05.27
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オスカー・ブルニフィエ・西宮かおり訳・クレマン・ドゥヴォ―・絵「よいこととわるいことって、なに?」(朝日出版社) 子ども向けの哲学書(?)らしいです。哲学書と呼ばれる本というのは、まあ、わけがわからんという感想に終着するのが常なのですが、絵本で「てつがく」を名乗るて評判になったのは、工藤直子さんの「てつがくのライオン」ですね。ボクが知っているのは佐野洋子さんの絵でしたが、長新太さんのバージョンもあるようです。 「てつがく」するには、どんな風な顔つきや、座り方でないといけないかという、ある意味、とても難しい「てつがく」だったと思うのですが、子どもたちにはとても喜ばれた絵本でしたね。 それから、子どもと哲学といえば、今年(2023年)の春先、元町映画館でやっていた「ぼくたちの哲学教室」というアイルランドのドキュメンタリーに、とてもカンドーしますた。考えこむ子供の表情を撮っているのがすばらしかったですね。 ヨーロッパにはこういう哲学教育の伝統があるんじゃないかと、その時、考えましたが、ちょうど、市民図書館の棚でこの絵本、「よいこととわるいことって、なに?」を見つけていたこともあったからですね。朝日出版社が「こども哲学」というシリーズで出している1冊です。 「問い」に対して「答え」がないところがいいですね。「正直はいいことか?」 という「問い」に「ううん、だって、本当のことをいったらけんかになることだってあるでしょ」 いかがでしょうか、この答え? 真面目な話、普通に社会人をなさっている立派な大人の方たちって、「正直」が「いいこと」か?「わるいこと」か? お考えになったことがおありでしょうか? この絵本は、多分、一人で本を読むようになった小学生くらいが対象だと思うのですが、寝る前にオチビさんに読んであげることになっている、お母さんとか、お父さんとか、声に出して読みながら、しっかり悩んでほしい気がしますね。ボクは69歳ですが、ようやくわかったような気がします。答えは、永遠にないのかもしれないのです(笑)。 こっちのページは、もう、のけぞるというか、うれしくて唸りましたね。「おなかがへったらどろぼうしてもいいとおもう?」 高校の国語の教科書に、芥川龍之介の「羅生門」という小説教材があります。高校の国語の先生になりたい大学生に授業をしてもらうことがあって、主人公の下人の行動について、まあ、彼は「腹が減ったから泥棒になる」わけですからね、訊きました。「下人の行動をどう思うの」「悪です。」「どうして?」「法律にふれるからです。」「それ、授業でいうの?」 さて、この絵本では、お腹が減った場合の泥棒について、どう「てつがく」するのでしょう。少なくとも、法にふれるから悪だと断定することはないでしょうね。 著者のオスカー・ブルニフィエという人はフランスあたりの哲学博士のようです。訳者の西宮かおりさんは、フランスあたりの現代哲学を翻訳なさっている方ですね。絵はクレマン・ドゥヴォ―という人ですが、上の写真をご覧になってとお分かりでしょうが、これまた、フランスあたりのマンガのイメージです。 学校の先生とかを志望する人は、子どもにあれこれキマリを押し付ける「センセーはね」という、わけのわからない自称口調を練習する前に、子どもに帰って、「なんだかよくわかんない?!」 ことについて、くよ、くよ、イヤ、あれ、これ、考える練習をしましょうね(笑)。そういう時にはこの「こども哲学」シリーズは絶好の教科書になると思いますよ(笑)。
2023.05.26
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成島出「銀河鉄道の父」キノ・シネマ神戸国際 SCC(シマクマ・シネマ・クラブ)の番外編です。というのは、第3回SCCで「帰れない山」というイタリアの小説を映画化した作品を見たのですが、その後のおしゃべりで話題になったのがこの作品です。 成島出監督の「銀河鉄道の父」ですね。「3年ほど前の、直木賞ですけど、門井慶喜という人の『銀河鉄道の父』が映画になっていますね。」「映画、観ましたよ。で、講談社の単行本も手に入れてます。」「原作は直木賞の時に読みました。おもしろかったですよ。」「原作は、今、読み始めですが、映画は見ました。やっぱり、永訣の朝のところ、としこと別れのシーンは涙が出ましたね。」「うーん、やっぱり。」 まあ、こういう会話があって、それならボクも見ましょうと、勝手に決めて、第3回SCCの、ちょっと一杯、の翌日に、キノ・シネマと名前が変わった神戸国際会館にやって来ました。 観たのは成島出という監督の「銀河鉄道の父」です。 宮沢賢治の父、宮沢政次郎(役所広司)が夜行列車に乗って、どこからか帰って来る車内のシーンから映画は始まりました。夜行列車=銀河鉄道の父です(笑)。 原作は、童話「銀河鉄道の夜」の作者宮沢賢治を題材に、質屋で古着屋だった実家の父、宮沢政次郎の視点から、あまり知られていない賢治と彼の家族の伝記的事実、実像を語ったエンターテインメントです。詳しい感想は読書案内に書いています。ご覧いただければ嬉しいです(笑)。 で、映画ですが、役所広司の一人芝居(違いますけど(笑))でした。団扇太鼓を打ち鳴らしながら南無妙法蓮華経を唱える賢治役の菅田将暉くんも、祖父を平手打ちするトシ役の森七菜ちゃんも、ついでにいえば祖父役の田中泯さんも、まあ、乱暴な言い方ですが芝居になっていませんでした。しかし、ボクはシラケませんでした。宮沢賢治だからでしょうかね。 SCCのM氏は「永訣の朝」あたりのシーンについておっしゃっていましたが、ボクは 「雨ニモ負ケズ」を、賢治の臨終の場で、父、政次郎、役所広司が朗読する場で泣きました。場面と関係なく役所広司の朗読がよかったのです。 で、そのことを報告すると、M氏から返信がありました。「雨ニモマケズ」のところは作りすぎでわたしは白けました。母親が見事に描かれてなくて、本当に父と賢治だけの映画ですよね。まあ、観ているこっちも、あとの役者は名前すら知らない。で、作り手と観客がなまぬるさにお互いに甘えているような。でも日本の映画だから許すところがありますね。ちょっと厳しすぎる見方ですかね? なるほど、なるほど、ですね。 M氏は日本の近現代文学について、実に丁寧に読んでいらっしゃる方です。もちろん宮沢賢治についても、詩だけでなく、家族や生活、思想についてもよくご存知のはずです。その彼が「永訣の朝」という、あまりにも有名(?)な詩で描かれている場面に、思わず落涙なさったのは、実はその詩を暗唱できるほどにご存知だったからではないかとボクは思いました。宮沢賢治というだけで、どこか、予定調和的な安心感がありますね。 M氏が付け加えておっしゃった一言ですが、「雨ニモ負ケズ」の朗読に涙したボクですが、実は賢治役の菅田将暉くんが妹トシに「風の又三郎」の冒頭を読んで聞かせるシーンでは、ドン引きでした。「どっどど どどうど どどうど どどう 青いくるみも吹きとばせ すっぱいかりんも吹きとばせ」 菅田将暉くんは、この作品を、まあ、勝手な憶測ですが、読んだことがない、そういう朗読でした。このあまりにも有名な、擬音と擬態を両義的に表していることばの持っている力強さも哀しさも響いてこない声でした。役者として初心者という印象でしたね。 ついでに言えば、ボクが涙したシーンは、父と息子の和解のシーンとして描かれていましたが、黒皮の手帳を見た政次郎の父としての寛容の深さは、息子が手帳に書きつけている詩句を暗唱するほどに何度も読んだという父の子に対する思いに加えて、下の追記に載せていますが、その「雨ニモ負ケズ」の詩句とともに南無妙法蓮華経という法華教の真言が記されていることを、南無阿弥陀仏を信じる目で見た上でのことであったことも大切な要素だと思います。 信じるものが違うまま死んでいく息子の作品の最初の読者になるために父は父として、越えなければならない壁があったわけで、役所広司の朗読は、そのあたりを思い出させてくれる力があったとボクは思いました。 というわけで、役所広司さんに拍手!でした。監督 成島出原作 門井慶喜脚本 坂口理子撮影 相馬大輔編集 阿部亙英音楽 海田庄吾主題歌 いきものがかりキャスト役所広司(宮沢政次郎)菅田将暉(宮沢賢治)森七菜(宮沢トシ)豊田裕大(宮沢清六)坂井真紀(宮沢イチ)田中泯(宮沢喜助)2023年・128分・G・日本配給キノフィルムズ2023・05・16-no061・キノ・シネマ神戸国際追記2023・05・28 折角ですから、宮沢賢治の詩を二つ追記します。「永訣の朝」と「雨ニモマケズ」です。永訣の朝 宮沢賢治けふのうちにとほくへいつてしまふわたくしのいもうとよみぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ (あめゆじゆとてちてけんじや)うすあかくいつそう陰惨な雲からみぞれはびちよびちよふつてくる (あめゆじゆとてちてけんじや)青い蓴菜のもやうのついたこれらふたつのかけた陶椀におまへがたべるあめゆきをとらうとしてわたくしはまがつたてつぱうだまのやうにこのくらいみぞれのなかに飛びだした (あめゆじゆとてちてけんじや)蒼鉛いろの暗い雲からみぞれはびちよびちよ沈んでくるああとし子死ぬといふいまごろになつてわたくしをいつしやうあかるくするためにこんなさつぱりした雪のひとわんをおまへはわたくしにたのんだのだありがたうわたくしのけなげないもうとよわたくしもまつすぐにすすんでいくから (あめゆじゆとてちてけんじや) はげしいはげしい熱やあへぎのあひだからおまへはわたくしにたのんだのだ 銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいのそらからおちた雪のさいごのひとわんを…………ふたきれのみかげせきざいにみぞれはさびしくたまつてゐるわたくしはそのうへにあぶなくたち雪と水とのまつしろな二相系をたもちすきとほるつめたい雫にみちたこのつややかな松のえだからわたくしのやさしいいもうとのさいごのたべものをもらつていかうわたしたちがいつしよにそだつてきたあひだみなれたちやわんのこの藍のもやうにももうけふおまへはわかれてしまふ ( Ora Orade Shitori egumo)ほんたうにけふおまへはわかれてしまふあああのとざされた病室のくらいびやうぶやかやのなかにやさしくあをじろく燃えてゐるわたくしのけなげないもうとよこの雪はどこをえらばうにもあんまりどこもまつしろなのだあんなおそろしいみだれたそらからこのうつくしい雪がきたのだうまれでくるたてこんどはこたにわりやのごとばかりでくるしまなあよにうまれてくるおまへがたべるこのふたわんのゆきにわたくしはいまこころからいのるどうかこれが天上のアイスクリームになつておまへとみんなとに聖い資か糧てをもたらすやうにわたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ雨ニモマケズ風ニモマケズ雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ慾ハナク決シテ瞋ラズイツモシヅカニワラッテヰル一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベアラユルコトヲジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリソシテワスレズ野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒヒドリノトキハナミダヲナガシサムサノナツハオロオロアルキミンナニデクノボートヨバレホメラレモセズクニモサレズサウイフモノニワタシハナリタイ南無無辺行菩薩南無上行菩薩南無多宝如来南無妙法蓮華経南無釈迦牟尼仏南無浄行菩薩南無安立行菩薩
2023.05.25
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谷川俊太郎・下田昌克「ハダカだから」(スイッチ・パブリッシング) 今日の案内は図書館の新刊の棚で見つけた「ハダカだから」という詩集(?)です。スイッチ・パブリッシングという出版社から2023年の4月15日に出版されたようです。ちなみに2200円です。高いのか安いのか、まあ、人によりますが、ボクは、こんなもんだと思います。 下田昌克という人が挿絵(?)を描いていて、谷川俊太郎が詩(?)を書いています。やたら?マークを付けていますが、「詩」の定義がわからないのでとりあえず詩集と詩に?マーク、中に描かれている絵ですが、絵が先なのか詩(?)が先なのかわからないので、挿絵といっていいのか、ふと、気になって?マークです。大した意味はありませんが、読んでいて絵が先だったんじゃないかという気がしました。 ちょっとこのページをご覧ください。 ごらんいただいている見開きの左下に「おしり」に見える線画があります。で、この見開きのページの詩句はこんな感じです。絵が先だったんじゃないかということを、ボクなりに確信したページです。根拠はうまく言えません(笑)。18横に一本線を引けばもう水平線だ絵描きは一瞬で空と海とを創造するあてとは線を自由に遊ばせるだけすると見えてくる足尻腿膝指乳首見える生身に隠れているのは見えないtenderness いかがですか。確かに、谷川俊太郎ですね。どうしてそう言えるのかは、うまく言えませんが谷川俊太郎です。下田昌克の絵もいいでしょ。絵を見ながら詩人が詩を書いているようすを、ボクは思い浮かべました。詩人はやさしく笑っています。まあ、そんな感じです。 実は、他のページには女性の「ハダカ」の絵たくさん乗せられています。ナンバーの18は、たぶん、掲載されている詩のナンバーで、全部で20まであります。 谷川俊太郎の、これはひょっとしてデス・マスクじゃないかと思わせる絵もありますが、詩人はまだなくなったりしていません。一番最後ページはこんな感じです。 ちょっと見えにくいですが、雁が列をなして飛んでいくような絵ですが、雁の旅ではありません。「生と死とは背中合わせ」と無言で言っている。 それが、この詩集の最後の一文です。このページの絵が本の表紙に立体的に印刷されています。写真には写りませんが、手触りではかすかなくぼみを感じることができます。女性の背中の手触りです。とうとう、詩集が女性の体になりました(笑)。谷川俊太郎、91歳だそうです。お元気そうで何よりです。 なにをいっているのかといぶかしむひとは、詩集を手に取って絵と詩をご覧くださいね。ちょっと笑えると思います。
2023.05.24
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マーティン・キャンベル「MEMORY メモリー」109シネマズ・ハット 実は「探偵マーロウ」が見たかったんですね。その映画でフィリップ・マーロウを演じているらしいリーアム・ニーソンという人は、確か、「シンドラーのリスト」のシンドラーですよね。こっちの映画は見た記憶があります。でも、30年前の映画で、その後、彼は超一流の俳優の道を歩んできた人らしいのですが、ボクが見たことがあるのは、2017年の「ザ・シークレットマン」という邦題の、所謂、ディープ・スロート物で、主人公のMark Feltマーク・フェルトを、渋く演じていた1本だけなのです。 ところが、今年(2023年)になってフィリップ・マーロウをやっているというのです。ハンフリー・ボガードやケリー・グラントがやったあの役です。これは何とか見てやろうと思っていたのですが、見逃してしまいました。 で、109シネマズ・ハットのプログラムで見つけたのがマーティン・キャンベルという監督の「MEMORY メモリー」でした。原作は、20年ほど前に「ヒットマン」という題名で映画化されていて、所謂、リメイク作品だそうです。まあ、原作も前作も知らないわけですから、ボクには関係ありませんね(笑)。で、スクリーンに登場したのは、老齢の殺し屋でした。 人を殺す手口というか、動きがいいんですね。ワイヤーとか、素手とか、ピストルとか、方法は何パターンかあるのですが、始まるとアッという間に事が終わっているメリハリ感がスクリーンの空気を一瞬に支配していくんです。その「殺し」のシーンが、まあ、そういってよければ、爽快な印象でした。必殺仕事人のムードといえばいいのでしょうか(笑)。 ところが、この殺し屋さん、アルツ・ハイマーなんです。それに加えて子供は殺さないという、自らに課した「掟」の持ち主という、まあ、めんどくさい老人なのですが、そこが物語の展開の肝でした。 どうして子供はだめなのか、そこのところが、やや、説得力に欠けますが、とどのつまり、アルツ・ハイマーのせいで段取りをしくじってしまうというのは、なんというか、まあ、見ているこっちの年のせいもあってでしょうが、リアルな墜落感を感じました。 とはいいながら、とどのつまりには、「掟」が光るどんでん返しもあって、「よしよし、そうでなくっちゃね!」 という結末で、まあ、シンプルな映画でしたが納得でした。 お目当てのリーアム・ニーソンという俳優さんですが、年をとっても、いい役者ですね。拍手!でした。それから、リンダというFBIの女性捜査官役だったタジ・アトウォルという女優さん、なかなか、よかったですね。拍手!でした。まあ、顔立ちが好みだというにすぎませんが(笑)。 でもねえ、やっぱり、「探偵マーロウ」、どこかでやってくれないかなあ・・・。 でした。監督 マーティン・キャンベル原作 ジェフ・ヒーラールツオリジナル脚本 カルル・ヨース エリク・バン・ローイ脚本 ダリオ・スカーダペイン撮影 デビッド・タッターサル編集 ジョー・フランシス音楽 ルパート・パークスキャストリーアム・ニーソン(アレックス・ルイス:殺し屋)ガイ・ピアース(ヴィンセント:FBI捜査官)モニカ・ベルッチ(ダヴァナ・シールマン:お金持ちのおばさん)タジ・アトウォル(リンダ・アミステッド:FBI捜査官)レイ・フィアロン(ジェラルド・ヌスバウム:FBIの上司)ハロルド・トレス(ウーゴ・マルケス:メキシコの警察官)2022年・114分・R15+・アメリカ原題「Memory」2023・05・22-no062・109シネマズ・ハットno27追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2023.05.23
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ユホ・クオスマネン「コンパートメントNo.6」シネ・リーブル神戸 一緒に100days100bookcoversと題してFB上で本の紹介ごっこをしているお友達たちが「いいよ!」 と噂し合っている映画、ユホ・クオスマネンというフィンランドの監督の「コンパートメントNo.6」という作品を見ました。こんなに後味のいい作品は久しぶりでした。 ラウラ(セイディ・ハーラ)という女子学生がムルマンスクというロシア最北端、だから世界最北端の町まで夜行列車に乗って旅をするお話でした。目的はペトログリフというのですから古代の岩面彫刻の遺跡の見学です。 ラウラは歴史学を勉強しているらしいフィンランドの学生ですが、今は語学留学のためにモスクワにやって来ていて、イリーナ(ディナーラ・ドルカーロワ)という女性の先生の家に下宿しているようです。 で、その先生とは恋愛関係にあると、まあ、当人は思っているようですが、先生(?)、恋人(?)イリーナの発案で始まったはずの今回の旅なのですが、その恋人だか、先生だかのドタ・キャンで一人旅になっているという映画の始まりでした。 この辺りで、「えっ?」 と思ったシーンがありました。それはイリーナのサロンに集まっていた人たちの誰かの発言でした。「チャパーエフと空虚」読んだ? ペレーヴィンというロシアの作家の1990年代の終わり頃の作品で、日本では「ロシアの村上春樹」 とかのキャッチ・コピー付きで群像社というところから出版されていますが、確か映画にもなった作品です。 そこでのラウラの返事は「買ったけど読んでいない・・・」 とかなんとかのぐずぐずで、「そうか、そうか、ボクも買ったけど、読んでないわ(笑)。」 と好感を持ったのですが、そこから、部屋のベッドにもぐりこんで寝ているラウラに覆いかぶさるように「愛(?)」の行為に及ぶイリーナとのシーンが、なかなか象徴的でしたね。 結局一人で乗ることになった夜行列車のコンパートメントのシーンに登場するのは若いロシア人のリョーハ(ユーリー・ボリソフ)ひとりです。 で、この男が映画的には素晴らしいですね。プーチンとかアメリカだったらトランプとかを支持しそうな、いかにもなオニーさんで、コンパートメントに陣取ると、早速、ウォッカかなんかを飲みながら厚かましさ丸出しです。「列車は初めてか?」「 何をしにどこに行く?」「 何をやっている?」 とどのつまりは「仕事は売春か?」 と、のたもうて、ラウラの下半身に手を差し入れんばかりです。 焦ったラウラは、何とか逃げ出そうと車掌と交渉したりもするのですが、結局、男の反対のベッドの上段に逃げ込むしかなくて、いや、ホント、こころから同情しましたね。で、このシーンで面白かったのは男の二つのセリフです。「タイタニックは見たか?」「愛しているってどういうんだ」 イリーナのサロンでは、ロシアの村上春樹が話題だったのですが、ここでは「タイタニック」です。時代はピッタリ符合しています。で、上段ベッドに立て籠もっているラウラは、今度は上から見下ろしていて、男のセリフにこう答えるのです。「ハイスタ・ヴィットゥ」 字幕にどう出ていたか忘れましたが、要するに「くそったれ!」とか、まあ英語なら「ファック・ユー!」とかなのでしょうね。マア、映画好きならすぐにピンときそうですが、「おっ、このセリフ、どこで、どう落とすねん?」 ですよね(笑)。 で、ここからが、完全な(?)ロード・ムービーで、ボクの興味は、ラウラはいつ、上のベッドから下に降りてくるのかなのですが、ペテルブルグでの老婆との出会いとか、インチキなバックパッカー野郎の登場とか、いろいろあって面白いのですがなかなか降りてきません。とどのつまりは極北の地で・・・・。 まあ、いろいろあった上でのことなのですが、終わりの方のシーンで、なんだか、寒々として、本当にペトルグリフとかあるのといぶかるような雪原というか、寒風吹きすさぶ海岸というかで二人が寝そべるんですが、いや、愛し合って抱き合うとかじゃなくてですよ、これが、いかにも寒くて「馬鹿じゃないの!」 とは思うのですが、いいんですねえ(笑)。 世界の果てで、人が人に会えた喜びが零下30度の寒風にさらされているって、サイコー!だと思いませんか(笑)。 寒い中でよく頑張ったラウラ(セイディ・ハーラ)とリョーハ(ユーリー・ボリソフ)に拍手!ですね。ペテルブルグのオバーちゃんを出した監督のユホ・クオスマネンにも拍手! ところで、ムルマンスクってロシア領なのですね。乗車するすぐにパスポートとか調べられるので、フィンランドかノルウェーだと思い込んでいたのですが、家に帰って調べて「ああ、そうか!」でした。監督 ユホ・クオスマネン原作 ロサ・リクソム脚本 アンドニス・フェルドマニス リビア・ウルマン ユホ・クオスマネン撮影 J=P・パッシ美術 カリ・カンカーンパー編集 ユッシ・ラウタニエミキャストセイディ・ハーラ(ラウラ)ユーリー・ボリソフ(リョーハ)ディナーラ・ドルカーロワ(イリーナ)ユリア・アウグ2021年・107分・G・フィンランド・ロシア・エストニア・ドイツ合作原題「Hytti Nro 6」2023・02・21-no024・シネ・リーブル神戸no193
2023.05.22
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安野光雅「読書画録」(講談社文庫) 仕事から帰ってきたチッチキ夫人がうれしそうにカバンから1冊の文庫本を取り出して言いました。「ねえ、これ100円よ。いいと思わない?」「サラやん。」「うん、100円の棚にあってん。」「どこ行っとってん?」「元町。」「1998年やから、25年前の文庫やな。安野光雅、ようはやったなあ。」「文章は短くて、そのかわり絵がついてんねんよ。シャレてるやろ。」「もともと、もう少し大きな本やったんやろな。」「表紙は京都の三条、麩屋町のスケッチよ。」「ああ、梶井基次郎やね、檸檬やろ。難しい字で書くやつ。」 チッチキ夫人は「100円棚の救い主」 を自負しています。まあ、本屋稼業を続けてきたこともあるからでしょうね。新刊本で、売れますようにとホコリをはたいたりした本には、とりわけ情が移るようです。「まあ、あなた、こんな日盛りに並べられて、これじゃあ、あんまりね。」 というわけでしょうか。で、本日、つれかえってきたのは安野光雅「読書画録」(講談社文庫)でした。1989年の新刊ですが、1998年の3刷の本でした。 表紙の絵は、京都の三条、昔「丸善」という洋書屋さんがあったあたりです。内容は安野光雅の読書の思い出エッセイとスケッチです。 とりあえず実物をお読みいただくのがよろしいのではないでしょうか。かつては、高校の教科書の定番、梶井基次郎の「檸檬」です。梶井基次郎「檸檬」 大げさなようだがわたしは、「檸檬」を読んだあのとき以来、文学に対する考えかたが変わった。いま思い返してみると、文学にかぎらず絵や音楽についてもそうだった。再び大げさなようだが、あの時、世界を見る私の意識の曇りが晴れ、心の中に清澄な何かしらあるものが炸裂していくように思えたものだ。(後でわかったのだが、)あれは、かれが二十四歳の時の作で、「檸檬」を読んだ時点のわたしより五つは若かったらしいことは、喜ばしくも腑甲斐ないが、ともかくあの時、「檸檬は絵なのだ」と直感した。 ある時空を越える錯覚を起こそうとつとめ、それがうまくいきそうになると、「それからそれへ想像の絵の具を塗りつけてゆく」かれ、「レモンエロウの絵具チューブから搾り出して固めたやうな単純な色」「本の色彩をごちゃごちゃに積み上げ」る、いかにも静物画を配する行為などをあげて“絵だ”と言っているのではない。 作品全体の構図の緊密なこと、音楽でいえば起承転結、色彩と明暗の対比、何よりも素材の新鮮さ、などと言ってみてもいいが、そのように説明すればするほど、詩の散文的な解説にも似て、かえって「檸檬は絵なのだ」と見た直感から遠ざかってしまう。 彼は絵も描いたし、足しげく音楽会や美術館に通い、透徹した目でそれらを批評している。「中の島の貸ボートの群やモーターボートがまた如何にボート屋のペンキ絵の看板の画家に真実な表現を与へられてゐることぞ、かう思つて私は驚嘆した 綴りの間違つた看板の様な都会の美を新らしく感じた」 また「この靴問屋が靴を造つてゐるのを見て羨しかつたんです、今日は今日で電灯会社かなにかに新しい青竹の梯子がたくさん積んであるのを見て、同様の感を催しました」などと、友人にあてた手紙に書いている(このような視点は、彼の文章の随所に見られる)いわゆる画家が、自分を芸術家だと信ずるために、看板絵などを軽く見ることのすくなくなかったそんな時代に、場末の風俗や、安花火や、果物屋の店頭に、時代に先んじて美しさを発見し、 ― つまりは此の重さなんだな ― といわしめる一顆のレモンを絵にしたのである。 わたしは「檸檬」を絵だと思った。理屈はない、すばらしい絵を見たあとの気分と同じだったというのが答えである。逆に絵はこれほどの感動をあたえ得るものでなければならぬ。ということになるが、それも止むを得ない。 「多読多読、芸術家に教へて貰はなければ吾人は美を感じる方法を知らないから」 これは梶井が友人にあてた手紙の一節だが、わたしはかれからそのように教わったのである。 いかがでしょうか。この文章に、表紙のスケッチがついています。「読書画録」というわけです。 数えてみると、36の作品が取り上げられて、それぞれにスケッチがついていました。樋口一葉は『たけくらべ』で、旧吉原の大門跡、福沢諭吉は「福翁自伝」、三田のレンガ造りの校舎、正岡子規の「歌よみに与ふる書」は上野、根岸あたりです。 巻末には、取り上げた作品と作家の解説、森まゆみさん、あの頃の、森さんがボクは好きですが、その森さんとの対談も付いています。「檸檬」は京都でしたが、谷崎潤一郎の「春琴抄」の思い出では、大阪の道修町です。ザンネンながら神戸のスケッチはありません。 安野光雅が2020年に亡くなって3年経ちました。1980年代でしたか、絵本とか猛烈に流行りましたね。超流行画家だったのですが、お仕事に、なんとなく学校の先生の、細やかな気遣いが感じられて好きでした。 100円で並んでいた文庫なのですが、贅沢な本でしたね。なかなかお得でした。「救い主」のお手柄でしたね(笑)。
2023.05.21
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チウ・ション「郊外の鳥たち」シネ・リーブル神戸 現代中国の若い映画監督に興味があります。ビー・ガンという人の「凱里ブルース」とか「ロングデイズ・ジャーニー」、グー・シャオガンという人の「春江水暖」とか、ここのところ、興味深く見た作品が目白押しなのですが、中でも、若くして亡くなってしまったらしいフー・ボーという監督の「象は静かに座っている」に強く惹かれました。まあ、そのあたりから中国の若い才能からは目が離せないという気分です。 で、今回見たのはチウ・ションという若い(?)監督の「郊外の鳥たち」という作品です。 上のチラシの写真もそうですが、望遠鏡のレンズごしの視野に映っている向うの世界の風景から映画は始まりました。 望遠鏡といっても天体観測に使われるあれではなくて、トランシットといいますが、土地の上下を観測する測量用の機器に取り付けられている小型の望遠鏡です。 具体的にどこの都市の話なのかは分かりませんが、遠景に高層ビルが立ち並び、近景には再開発の取り壊しが進んでいる瓦礫の山や立ち退きが指示されてている中層の古いアパートが映し出されますが、この構図は最近の中国映画の定型の一つだと思います。 現代中国の映画監督たちには、1940年代から30年続いた毛沢東の中国、1980年以降、20世紀末に至る鄧小平の中国、そして現代の習近平の中国という、三つの社会が、まあ、毛沢東以前を入れると四つの社会が意識されているようで、それが、映画に映し出される風景の描写として定型的に構図化されていると思います。この作品も、そういう背景の上に描かれていたと思いました。 もっとも、ボクが、この映画の冒頭で、一気に惹き寄せられた理由はトランシットと箱尺にの登場によってです。理由は個人的なことです。 実は、まあ、もう40年以上も昔のの学生時代のことなのですが、箱尺を担いで測量の助手をやるというアルバイトでのりくち、イヤ、糊口をしのいでいたことがあるのです。この映画で主人公のハオくんとアリくんが交代でやっていたあの役です。 で、ちょっと関係ないような話なのですが、この映画を見ていて気になったのが箱尺を置く位置についてでした。外部から区切られた工事現場なら問題ないのでしょうが、普通の土地の高低や距離を確認する作業で大切なのは基準になるポイントですね。40年前に驚いたことですが、国土地理院によって標準地図として描かれている土地には、まあ、だから、列島全土ですね、何百メートル刻みだか忘れましたが、コンクリートの杭の頭に金属のボタンのようなものがついている測量の基準点が地面に埋め込んであるのですね。 アルバイトの初日、地図を広げて「これ、さがせ!」 って言われた時の困惑と、指示された藪の中を歩き回ってそのボタンを見つけたときの驚きというか喜びというかは忘れられませんね。 で、この映画にもどると、トランシットの望遠鏡によって時間を超えるという着想は、まあ、ありきたりではあるのですが面白いのです。双眼鏡を小道具にして、過去と未来を双方向化したアイディアも冴えていました。で、時間をテーマにした結果、当然、「変化」ということが浮かび上がってくるわけですが、この映画では「陥没」という現象を「変化」の象徴として描こうとしているようにボクには見えました。「世界が沈み始めている!」 というわけです。で、それは主人公であるらしいハオ君の記憶の中にある、不可解と結びついて映画の物語を構成します。あの時、消えていった友達=鳥たちは、大きな穴に落ち込んでしまったのだ。 まあ、そんな感じでしょうか。しかし、問題は「穴」、あるいは「陥没」の正体なのじゃないかと見ているボクは思うのです。「陥没」を確かめるのにトランシットの水平をいうのはわかります。でもね、箱尺を置く基準点があいまいだと変化の実相は解らないんじゃないでしょうか。ボクは、そこのところにこの監督の、まあ、ちょっとエラそうに言いますが、未熟さのようなものを感じました。80年代のアメリカ映画が繰り返し回想の少年時代を撮りました。1970年代初頭のアメリカ社会が被写体でした。この映画にも、名画「スタンド・バイ・ミー」を彷彿とさせる少年たちの姿が映し出されています。同じようなスタイルを踏襲して回想するには、回想する理由が監督チウ・ションにはあるはずなのです。しかし、80年代のアメリカ映画には必ずあった、少年たちの、その後の10年、端的に言って、アメリカ映画のそれは、ベトナムの泥沼の10年だったわけですが、その現実を語るクレジットがこの映画にはありません。主人公が追う不可解な謎は、野原で昼寝をしている夢の世界へと回収されているだけです。「逃げたな?!」 観ているボクはそう思いました。うがちすぎかもしれませんが、郊外の鳥たちが消えていったこの10年に、映画が描いている中国社会で陥没が始まり、その陥没の始まりの原因と穴の正体、鳥たちの行方をこそをこの映画は撮りたかったのではないでしょうか。 この10年とは、習近平の中国の10年です。香港の映画制作者の多くが政治的亡命を余儀なくされ、直近では、2022年、甘粛省の貧しい夫婦の姿を「小さき麦の花」という作品で描いたリー・ルイジュン監督が映画を撮ることを禁じんられた10年です。もしも、チウ・ション監督が基準点を明らかにし、陥没していく世界の実相を思うままに描き出す作品としてこの映画を完成させていたら、ボクはまちがいなく拍手するでしょうが、その結果、一人の映画作家が未来を閉ざされる可能性も感じます。 藪の中で夢に落ちていく主人公を映し出すラストシーンは、今という時代の困難を暗示して、文字通り、現代的な作品の結末だとボクは思いました。 チウ・ションという若い監督のあふれる才能には目を瞠る思いでしたが、作品には納得しきれませんでした。しかし、彼は、いつか、どこかで、すごい作品を期待させてくれたことは確かです。拍手はその時までおいておきたいと思います(笑)。監督 チウ・ション脚本 チウ・ション ウー・シンシア撮影 シュー・ランジュン美術 ユー・ズーヤン編集 ジン・ディー リアオ・チンスン音楽 シアン・ホーキャストメイソン・リー(ハオ)ゴン・ズーハン(ハオ子供時代)ホアン・ルー(ツバメ)チエン・シュエンイー(キツネ)シュー・シュオ(ティン)チェン・イーハオ(黒炭)チェン・イーハオ(太っちょ)シュー・チョンフイ(じいさん)シアオ・シアオ(ハン)ドン・ジン(アリ)ワン・シンユー(課長)2018年・114分・PG12・中国原題「郊区的鳥」「Suburban Birds」2023・05・01-no057・シネ・リーブル神戸no192
2023.05.20
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八木重吉「明日」 鮎川信夫「近代詩から現代詩へ」(思潮社)より 「明日」 八木重吉まづ明日も眼を醒まさう誰れがさきにめをさましてもほかの者を皆起すのだ眼がハッキリさめて気持ちもたしかになったらいままで寝てゐたところはとり乱してゐるからこの三畳の間へ親子四人あつまらう富子お前は陽二を抱いてそこにおすわり桃ちゃんは私のお膝へおててをついていつものようにお顔をつつぷすがいいよそこで私は聖書をとり馬太伝六章の主の祈りをよみますからみんないつしよに祈る心にならうこの朝のつとめをどうぞたのしい真剣なつとめとして続かせたいさあお前は朝飯のしたくにとりかかり私は二人を子守してゐるからお互いに心をうち込んでその務を果たさう・・・・・・・ 鮎川信夫の「近代詩から現代詩へ」(思潮社)という解説集を案内しましたが、その「八木重吉」の項で取り上げたのは「明日」という詩でした。 まず、こんなふうに詩人のプロフィールを語ります。 内村鑑三に私淑し、キリスト教徒として敬虔な信仰生活を送ったといわれる八木重吉は、わずか二十九才の若さで病没しているが、生存中に書かれた詩は意外に多く、七百篇を越えるといわれている。折りにふれての感懐が、日記でもつけるように次々と短詩のかたちでメモされていったという印象をうける。 誰かに読ませるためというよりも、自分自身の悟りのために書かれた詩である。 で、詩が紹介され、こんな解説がサラッと記されています。 「明日」という詩には、作者の実生活の意識がかなりはっきりあらわれていて同情をひく。神を信じ、愛を信じ、生きることに希望を見出してゆく詩人の一途の心が、ごく自然な形で表現されている。 しかし、八木重吉の詩の底に流れる寂寥感はどこからくるのであろうか。天気のいい昼間に、涙をにじませている作者の姿は、いかにも痛ましい。あまりにも信じすぎている人間の無垢の心が、それに応えることのできない現実の貧しさを洗いだして、そこにさむざむとしたスキマをつくっている。 この、短い評言を読みながら、八木重吉の詩はどの詩を読んでもさびしい、そう読んで間違いなかったんだという安心感のようなものに浸りながら、あまりにも信じすぎている人間の無垢の心が、それに応えることのできない現実の貧しさを洗いだして、そこにさむざむとしたスキマをつくっている。という結語に唸るのでした。 八木重吉が結核で亡くなったのは1927年(昭和2年)10月26日だそうです。「明日」の中に「富子」として名前が出てくる妻登美子は、重吉亡き後、残された二人の子どもを女手一つで育てますが、桃子を1937年(昭和12年)、陽二を1940年(昭和15年)、それぞれ結核で失います。ただ、彼女自身は、その後、歌人の吉野秀雄と再婚し、1999年まで生きられたそうです。彼女の遺骨は1967年に亡くなった夫、吉野秀雄の遺言で、八木重吉の墓に分骨され埋葬されているそうです。胸打たれる話だと思いました。
2023.05.19
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鮎川信夫「近代詩から現代詩へ」(詩の森文庫・思潮社) 神戸の元町の古本屋さんの棚にありました。腰巻もついていて、新品といっていい状態ですが、2005年ですから、ほぼ、20年前の本です。もっとも、親本は1966年に思潮社から出された「詩の見方」という本らしいですから、半世紀以上昔の本で、まあ、純然たる古本です(笑)。 著者の鮎川信夫は1986年に亡くなりましたが、ボク自身にとっては、学生時代に、だから1970年代ですが、そのころに出た「鮎川信夫著作集 全10巻」(思潮社)を、買おうか、買うまいか 本屋さんの棚の前で悩んだ結果、結局、買わなかったという思い出の人です。ようするに、ボクは親本の「詩の見方」の世代なのですね(笑)。 どんどん古い話になります(笑)。実は、後ろに引用した「あとがき」にもありますが、創元社から1960年くらいに刊行された「現代名詩集大成」の解説で書かれた文章を集めた本です。「現代名詩集大成」とか、あの頃、図書館で見かけた気がして市民図書館とか近所の大学の図書館の蔵書で検索しましたがありませんでした(笑)。図書館も新陳代謝するのですね(笑)。 で、内容ですが、それぞれの詩人について、なんというか、一筆描き風のポートレイト集になっています。ボクのように、思い出に浸るタイプには、ちょうどいい加減なアンソロジーです。 まあ、若い人には入門のための石段からの風景、お年寄りには思い出の小道の眺めふうで、チョット、いいんじゃないかという案内です。 この本自体も古いので目次を探してもネット上に見つかりません。折角ですから書き上げてみました。島崎藤村から安西冬衛まで、50人です。読んだことのない詩人も数名いらっしゃいましたが、おおむね懐かしいラインアップです。明治の詩人島崎藤村 おくめ 若菜集序詞 8土井晩翠 星落秋風五丈原 14薄田泣菫 ああ大和にしあらましかば 20蒲原有明 朝なり 24北原白秋 邪宗門秘曲 接吻 27河井酔茗 魚の皿 32木下杢太郎 築地の渡 34三木露風 接吻の後に 36大正・昭和の詩人 Ⅰ高村光太郎 道程 典型 40山村暮鳥 岬 46日夏耿之介 心を析け渙らすなかれ 48堀口大学 砂の枕 50千家元麿 自分は見た 52佐藤春夫 秋刀魚の歌 54室生犀星 小景異情 60西条八十 胸の上の孔雀 63萩原朔太郎 竹 小出新道 67宮沢賢治 春と修羅 71佐藤惣之助 ふしぎなる大都会を欲して 77大手拓次 藍色の蟇 80吉田一穂 死の馭者 82尾崎喜八 大地 85大正・昭和の詩人 Ⅱ金子光晴 女たちへのいたみうた 90高橋新吉 壊れた眼鏡 93萩原恭次郎 日比谷 96小熊秀雄 蹄鉄屋の歌 99壷井繁治 風船 103小野十三郎 工業 106中野重治 しらなみ 109草野心平 聾のるりる 111中原中也 正午 春日狂想 115八木重吉 明日 119岡崎清一郎 仮寓春日 121逸見猶吉 ウルトラマリン 冬の吃水 123尾形亀之助 五月 125山之口獏 数学 128大正・昭和の詩人 Ⅲ三好達治 雪 駱駝の瘤にまたがって 134丸山薫 鴎が歌った 141田中冬二 蚊帳 142立原道造 やがて秋 145富永太郎 恥の歌 147菱山修三 夜明け 懸崖 149伊東静雄 わがひとに与ふる哀歌 151西脇順三郎 失われた時 155村野四郎 塀のむこう 体操 161北園克衛 煙の形而上学 166北川冬彦 馬 174安西冬衛 春 172 いかがですか?同世代の方はくすぐったいんじゃないでしょうか?「日夏耿之介 心を析け渙らすなかれ」なんて、詩人の名前はともかく、題が読める方は相当ですね(笑)。ちょっとパラパラしてみたいになりませんか? で、チョット、読書案内も兼ねて、この本でラインアップされている詩人と詩の内容を、それぞれ、まあ、ボクが気に行ったり、面白がったりを案内しようと思います。上の目次の名前をクリックしていただくと、そのページについての案内につながるという趣向です。よろしければクリックしてみてください。最初は八木重吉です。 親本「詩の見方」のあとがきが入っていたので、後半を載せます。懐かしい鮎川信夫がいるとボクは思いました。 あとがき(前略) 七、八年前、創元社から刊行された「現代名詩集大成」の解説を依頼されて引き受けたときの私の気持は、ただ明治以降の新しい詩の概念が、個々の詩人においてどのように発現しているかを、この機会に調べてみたいということであった。それはまた、近代の個々の詩人の努力が、読者のいかなる期待と結びついているかをさぐってみたいということでもあった。 そのような機会は、詩の特殊な専門家でないかぎり、そうたびたび訪れるものではない。現代詩に関する自分自身の考えからはなれて、いわば任意気ままに他人の詩を読んでみるのもおもしろいかもしれないといった気楽な気持ちで引き受けたのであった。 もちろん、私は純粋に鑑賞的態度に終始した詩の見方が可能であるとは信じていない。たとえ、早急な価値判断を抑制して、能うるかぎり作者の意図と結果の領域にのみ分析の範囲を限定したとしても、おのずから「ある評価」によって左右された感情のバイアスはあらわれるのである。 しかし、それにもかかわらず、自分自身の詩的基準や価値判断からはなれて、他人の詩の領域に自由に立ち入ってみたいという気持ちは強かった。それまでの自分の興味の限界に、あるあきたらなさを感じていた、ということもあった。近代詩の成果といわれているものに故意に背を向けていたわけではないが、自身の詩的経験からして、積極的関心を持つに至らなかったという事情もある。 人は誰でもそれぞれ違った詩の観念を持っている。近代詩にあっては、特にその傾向がつよい。位置や姿勢の違いにすぎなくても、根本的な立場の違い、詩概念の違いとなってあらわれてきて、相互に全く理解しえないというような、混乱した状況を呈することがある。ちょっと先入観を抱いているだけで、評価がまるで逆になるというようなこともしばしば経験するところである。 詩に何を求めるか、ということも、もちろん大切である。だが、そのまえに詩とはどういうものかを、ありのままにさぐってみる必要があるであろう。個々の詩人の仕事についてそれを見れば、詩は個性的経験の高度の凝集であることの証であり、時代の影響、流派の制約を越えた表現である。そのことを信ぜずして、詩を読んだり、書いたりすることは、およそ無意味であろう。 解説的な文章を私に書かせた心理的背景を要約すれば、だいたい以上のようなことに尽きる。(1966年10月) 繰り返し、思い出に浸ったことをいいますが、ボクは、こういう啖呵の切り方をする鮎川信夫が好きだったんですね。懐かしいです(笑)。
2023.05.18
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フェリックス・バン・ヒュルーニンゲン 、シャルロッテ・ファンデルメールシュ「帰れない山」シネ・リーブル神戸 1970年代の終わりころだったでしょうか、「見てから読むか、読んでから見るか。」 というキャッチ・コピーで角川映画が大騒ぎしたことがありますが、覚えていらっしゃるでしょうか。 今回は読んだから観た映画でした。 映画はフェリックス・バン・ヒュルーニンゲン、 シャルロッテ・ファンデルメールシュというお二人が、ご夫婦で、監督、脚本をなさっているらしい「帰れない山」です。 この作品はパオロ・コニェッティという、確か、新潮社のクレストブックのシリーズで翻訳されているイタリアの作家の同名の小説の映画化ですが、原作を数年前に読んでいたこともあって、これは、SCC、ピッタリ、行けるんちゃうか!?読んでから見る人と、見てから読む人と、ちょうどやん! まあ、そんなふうに期待して提案しました。もちろん、原作が面白かったからです。第3回SCC(シマクマ・シネマ・クラブ)でした。 街の少年ピエトロと山の少年ブルーノの、山と、父と、友情を描いた作品でした。 で、見終えて、あの質問でした(笑)。 「今日の作品は何点くらいですか?」「なんだか、なあーですね。」「えっ?30点とか?」「イヤぁー、そんなことはないですが、なんか、納得いかないんですねェ。どうでしたか?」「あのォー、村上春樹の『風の歌を聴け』ってありましたでしょ。あの主人公の僕と鼠みたいだなと。真面目な青春映画かなと。結構、面白かったですよ。」「ふーん、そうか。なるほど、そうですよね。ねえ、ちょっとビールでもどうですか。」「いいですねえ(笑)。お茶で、おそばで、第3回は、いよいよ、ちょっと一杯ですね。」 というわけで、元町商店街の金時食堂のテーブルに座って再開です。「あのね、読んでから観た感想だとね、その青春映画というか、友情映画というかになっちゃってるのが不満なんですね。」「というと?」「なんか、まあ、無茶苦茶な言いぐさなんですが、今、見終えて、原作読んでみようって、思います?」「ああー、思いつきませんでしたね。」「主人公の二人に共通するのは父親との葛藤ですよね。で、葛藤のシンボルのように山が目の前にそびえていました。生まれ育ったアルプスの山に残るのはブルーノ、宗教的なというか、なんか意味ありげな山論にかぶれて、父親から遠く離れたヒマラヤにやってくるのがピエトロでしたよね。で、数年後に再会して、ブルーノが山で破滅していく姿をピエトロが見守って映画は終わりましたよね。二人にとって山って何だったのかということが、ぼくにはピンボケなんですよね。」「作品の中で『鼠くん』が山を抽象的に捉えるなと言ってましたね。」「そうなんです。あのセリフはとても重層的というか、小説では、もっと分厚く描かれていたと思うのですが、映画ではちょっと、まあ、ボクが原作をそう読んだということですが、よくわからないんです。ウーン・・・なんだと思うんですね。」「なんか、違う映画を見てたようですね(笑)。」「まあ、山も美しいし、登場人物たちも悪くない作品なのですが、たぶん、脚本の段階で、ボクに言わせればですが、原作を読み損じてるような、なんだかありきたりに青春映画にしてしまったような気がしましたね。読んでから見たから、余計に、なんだよ!なんでしょうね(笑)」 というわけでした。蛇足ですが、映画そのものは美しい風景と、人間の自然との親和、葛藤を人生に重ねて撮っている作品で、悪くいう筋合いはありません。でも、シマクマ君の採点では、残念ですが、50点を越えなかったんですよね。まあ、そういうわけで、やっぱり今回も、ちょっと残念な第3回SCC映画会でした。 さて、次はもう決まっています。パルシネマで「トニー滝谷」です。二人とも「読んでから見る」作品ですね。楽しみですね(笑)。監督 フェリックス・バン・ヒュルーニンゲン シャルロッテ・ファンデルメールシュ原作 パオロ・コニェッティ脚本 フェリックス・バン・ヒュルーニンゲン シャルロッテ・ファンデルメールシュ撮影 ルーベン・インペンス編集 ニコ・ルーネン音楽 ダニエル・ノーグレンキャストルカ・マリネッリ(ピエトロ)アレッサンドロ・ボルギ(ブルーノ)フィリッポ・ティーミ(ジョヴァンニ)エレナ・リエッティ(フランチェス)クリスティアーノ・サッセッラ(子供の頃のブルーノ)ルーポ・バルビエロ(子供の頃のピエトロ)アンドレア・パルマ(10代のピエトロ)フランチェスコ・パロンベッリ(10代のブルーノ)エリザベッタ・マッズッロ(ラーラ)スラクシャ・パンタ(アスミ)2022年・147分・G・イタリア・ベルギー・フランス合作原題「Le otto montagne」SCCno3・2023・05・15-no061・シネ・リーブル神戸no189
2023.05.17
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松本大洋「日本の兄弟」(マガジンハウス) 松本大洋の「Sunny」を5巻まで読んだのですが第6巻が手に入りません。で、こちらの漫画が手に入って読みました。「日本の兄弟」(マガジンハウス)です。短編集でしたが、収録作品の目次はこんな感じです。「m」「何も始まらなかった一日の終わりに[チャリの巻]」「何も始まらなかった一日の終わりに[ハルオの巻]」「何も始まらなかった一日の終わりに[祭りの巻]」「LOVE? MONKEY SHOW」「闘」「ダイナマイツGON GON」「日本の友人」「日本の兄弟」「日本の家族」「べんち(単行本初収録)」 2010年にマガジンハウス社から出版されている本ですが執筆されたのは1990年代のようで、「何も始まらなかった一日の終わりに」のシリーズから「LOVE? MONKEY SHOW」、「日本の~」のシリーズ(?)まで、まあ、だいたい1995年前後に雑誌とかに掲載された作品のようで、最初のページを飾っているフルカラーの「m」だけが、2000年以後の作品のようです。だから、まあ、全体として、初期というか、中期というか、「鉄コン筋クリート」くらいのころの短編作品集ですね。 絵のタッチというか、雰囲気はずっと松本大洋です。そこがお好きな方もいらっしゃるでしょうね。ボクが松本作品に引き付けられるのは、一つ一つのマンガの時間の描き方と、その方法で描きこまれていく、なんというか、重層化した内面描写ですね。 マンガは「絵」によって描かれるわけですから、世界の輪郭が多層に重ねられていることは目に見えますが、セリフやト書きによって異なった時間を書き込んでいくことによって、といえばいいのでしょうか、「物語」の輪郭の奥にある世界の描きかたが面白いのですね。 この作品集の中の「何も始まらなかった一日の終わりに[祭りの巻]」にあるページです。老人が大きな穴が開いている橅(ぶな)の木の根っこのところに座って、過去が周囲に広がります。「ここから見る景色も随分と変わった」「変わらんね君は・・・」君にもらった懐中時計ススキで切った僕の膝「ふふ・・・そうか・・」秒針も・・・赤い血も・・・「そうか・・・」「痩せたか 少し・・・」 時間は、たぶん、何層かに重層化していて、老人は、おそらく「死」と向かい合っているとボクは読んでしまうのですが、マンガの中で老人を見ているのは、通りすがりの猫の眼です。 海の見える高台のベンチとかに、思わず座り込んで過去に浸りながら一休みすることは、徘徊老人にとっては日常的な体験なのですが、そういう老人が、思わず自分を重ねながら眺めてしまう、マンガの中の、この老人を、1995年ですから、まだ20代だったはずの、1967年生まれの松本大洋が描いていることへの驚きというのがこのマンガに対する感想です。ボクは、その年齢の時に「海の見える高台からの風景」のことなど思いもよりませんでした。 まあ、本当に重要なのは、次のページに登場する猫の方なのかなとも思いますが、まあ、そのあたりの真偽は本作をお読みいただくほかありません。 まあ、それにしても、絵も面白いのですが、この漫画家の持ち味はそれだけではないことは確かです。当分、おっかけは続きそうですね(笑)。
2023.05.16
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松本大洋「Sunny 5」(小学館) 松本大洋「Sunny」(小学館)、第5巻です。例によって目次から紹介します。第25話「あつがなついわ」「ドキがむね!」第26話「母をたずねて三千里やね」「さんぜんりって遠いんか?」第27話「こないいっぱいはな水でたら、脳みそでてまう」「ほな、お前もう脳みそないで」第28話「エロケン、ごきげんやな」「カネでもひろたんやろ」第29話「虹って、さわったらあついんやろか?」「青い部分は、つべたいやろ」第30話「台風来とる日は、鳥たちどこでねるんやろ?」 ちなみに、表紙の少年は純介くんです。弟のしょうすけくんと二人、星の子学園で暮らしています。おかーちゃんは市民病院に入院してはって、おとーちゃんのことはよくわかりません。 第5巻の第27話は風邪をひいて38度を超える熱を出して、医者に連れていかれて、「ぶっとい」注射をされた純介くんが主人公です。 朝から、小学校はお休みして、一匹死んでしまった池の鯉の墓をたろう君とまきおさんが作るのを眺めたり、女の子の部屋に忍び込んでウサギのペンダントをパクったり、いつもの純介くんですが夕暮れになるとしょんぼりしているのを見てまきおさんが声を掛けます。「どないしたんや純介?」「わからんねん・・・・」「きもちがこわなんねん。」「日ィあるうちは平気やねんけどァ、空くらくなるとこわいねん。」「おかーちゃんのビョーキのこととか、こわなんねん。」「大丈夫や、純介・・・」「きっとみんなエエようになる・・・」「お母ちゃんの病気かって絶対治る。」「ホンマ?」「ああホンマや。オレが約束する。」 で、その晩、ペンダントパクリをきーこちゃんたちに追及されて、開き直っているところに電話がかかってきます。「もしもし純介か?」「おかあちゃん・・・・・・・・」「あんた風邪ひいたんやってなァ?」「もう良うなったんか?」「うん・・・はちどごぶやったってみつ子さん言うてた。」「朝しんどかったけど、ようなった。」「おかあちゃんはどうなん?」「しんどないん?」「うん・・・病院行ったでまきおさんと・・・」「ちゅーしゃしてんで、うん・・・」「なけへんかったよ。」「みんないつもといっしょやで・・・」「すもう観てるわ・・・・」「しょうすけもかわらへんよ・・・・」「いっつも絵ばっかかいてるで。」「なんやオバケみたいなんかいとるわ・・・」「日曜日になったらまたお見舞い行くで・・・」「クローバーいっぱいもって行くさけな・・・」「しょうすけといっしょに行くさけな。」 この日の純介くんの様子を気遣ったまきおさんがみつ子さんに頼んで病院のおかーちゃんに連絡を取ってくれたようです。 子供たちが暮らし、おかーちゃんが入院している街の空にはゴ オ オ オ オ オ と風が吹いています。徘徊老人は、もちろん、もらい泣きです。さて、次は最終巻ですが、まだ手に入りません。まあ、ゆっくり探します。じゃあね。
2023.05.15
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松本大洋「Sunny 4」(小学館) のんびり読み続けている松本大洋の「Sunny」第4巻です。この巻も、文句ありません。 第4巻の目次はこんな感じです。第19話「神さまが、雨ふらせるんやろか?」「神さんかって、泣きたなるとき、あるんやろ」第20話「ダイコン嫌いや」「なんや、おならのにおいする」第21話「こいびとどうしって、ナニするん?」「おててつないで、チューするねん」第22話「はしゃいどるのぉ…」「はしゃいどるでぇ~」第23話「あおリンゴって、みどりとちゃうん?」「みどりんご!」第24話「あうあうあー」「うぉううぉー」 今回の表紙の顔は「たろう君」です。年齢はよくわかりません。24話で、星の子学園の近所に住んでいて、子供たちから「しょんべん」と呼ばれているおっさんがいます。家があるわけですからホームレスというわけではない、その「しょんべん」の住処でボヤが起こります。で、「しょんべん」がどこに行ったか分からなくなります。 まあ、そこらあたりは読んでいただくほかありませんが、この作品の中で、いつもはだかんぼで、園の庭にある池の中で行水したりしている「たろう君」の存在の意味が、ボクのような鈍い読者にも、ようやく、わかり始めるエピソードでした。 人を見かけで見下したり馬鹿にしたりしてはいけません。 松本大洋がそんなこと言っているわけではありません。ふと、ボクが思い浮かべただけです。ありきたりに見えることばですが、考えてみれば深いですね。「見かけ」ってなんですかね。 23話では春男の所に父親が、20話では朝子の所に母親が登場します。「親」って何なんでしょうね。 しばらく近所をうろついて、春男を競馬馬の飼育場に連れて行ったりしていた父親が去っていくのを教室の窓から見送る春男です。「12コのミカンを四人の人に同じ個数ずつわけるさけ・・・」「ミカンは一人何個もらえるやろか?」「大切なのは同じ数をもらえるゆうことやな・・・」 教室では先生が割り算の説明しています。それを聞きながらは春男が涙を流します。 四人の子供の親で、もと教員の68歳の老人は、やはり、もらい泣きです。 のんびり読んでいるには理由があります。この「Sunny」という作品は全6巻で完結しているようなのですが、第6巻が手に入りません。まあ、そのうちなんとかなるだろう。急ぐわけじゃないし。 まあ、そういうことです。それにしても、なぜ、6巻だけ古本がでてこないのでしょうね。不思議です。 じゃあ、次は5巻の感想ですね。バイバイ。
2023.05.14
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ルイ=ジュリアン・プティ「ウィ、シェフ!」シネ・リーブル神戸 フランス映画でした。予告編を見ていて思いました。「明るいな!」 で、やってきたシネ・リーブル神戸でした。観たのはルイ=ジュリアン・プティという人が監督をした 「ウィ、シェフ!」です。 日本で、ようやくクローズアップされ始めている「移民」とか「難民」の問題は、ヨーロッパでは日常的な現実問題なのでしょうね。2020年だったかに公開されたラジ・リ監督のフランス映画「レ・ミゼラブル」とか、最近見たダルデンヌ兄弟のベルギー映画「トリとロキタ」とか、印象深く記憶に残っている作品が、それぞれ取り上げる角度は異なっていますが、テーマとして真摯に描いていたことからも窺われます。 二つの映画が、厳しい現実の姿を「一歩も引かない」とでもいうべきシリアスな展開で描いている様子に、もちろん、それぞれの監督の現実凝視のスタイル、思想性といったオリジナルな理由はあるに違いなのですが、一方で、ヨーロッパ映画のまともさを実感してきました。 さて、「ウィ、シェフ!」です。明るく、ちょっとマンガ的な展開で、ワハハハとはいきませんが、フフフという感じで笑える秀作でした。 報われない腕利きのシェフ、カティ・マリー(オドレイ・ラミー)が、まず、いいですね。生い立ちに始まるキャラクターの作り方とか、テレビの料理番組を利用した告発のアイデアとか、まあ、そのあたりが、まず、マンガ的だとボクは感じたのですが、現実の問題からは目をそらし、イイネ!で大騒ぎしている軽佻浮薄な「お金」と「メディア」の実相を暴いていく展開の中で、行動力溢れる態度で、まっすぐに生きている女性シェフをオドレイ・ラミーという女優さんが明るく、厳しく演じている姿に好感を持ちました。 チラシを見ていると料理映画という触れ込みのようだったのですが、移民の少年たちとオネ~さんキャプテンのサッカーチームという感じで、まあ、厨房が一応舞台なのですが、カンバレ!ベアーズならぬ、ガンバレ!カティーズというノリとテンポで展開するスポーツ映画(?)でした(笑)。 どうも、俳優としては素人だったらしい少年たちもいい感じでしたし、少年たちが暮らす(?)、収容されている(?)、自立支援施設の責任者であるカルディを演じたフランソワ・クリュゼも、なかなか渋い、いいポジション取りでしたし、職員サビーヌをやっていたシャンタル・ヌービルもデカすぎる体を持て余しながら、いい雰囲気を出していましたね。 ルイ=ジュリアン・プティという監督は初めてでしたが、厳しい現実をテーマにしながら、ちょっと笑えるコメディに仕立てている手腕には感心しました。拍手!ですね。今後、どんな作品を作っていくのか興味津々ですね。 オドレイ・ラミーとシャンタル・ヌービルという二人の女優さんは初めて見ましたが拍手です! ああ、そうそう、フランソワ・クリュゼという俳優さんには見覚えがあると思いましたが、「最強の二人」の車椅子のオッちゃんでしたね。もう、10年以上も前の映画ですが、さて、どこで観たのでしょうね。でも、あんまり老けませんね、この人(笑)。で、拍手!です。 それから、なんといっても拍手!は「ウィ、シェフ!」と元気に叫ぶ少年たちでした。いいですねえ、こういうタイプの映画、ボクは好きですね(笑)。 監督 ルイ=ジュリアン・プティ脚本 ルイ=ジュリアン・プティ リザ・ベンギーギ=デュケンヌ ソフィー・ベンサドゥン トマ・プジョル撮影 デビッド・シャンビル美術 アルノー・ブニョール セシル・ドゥルー衣装 エリーズ・ブーケ リーム・クザイリ編集 ナタン・ドラノワ アントワーヌ・バレイユ音楽 ローラン・ペレズ・デル・マールキャストオドレイ・ラミー(カティ・マリー)フランソワ・クリュゼ(ロレンゾ・カルディ)シャンタル・ヌービル(サビーヌ)ファトゥ・キャバ(ファトゥ)ヤニック・カロンボ(ギュスギュス)アマドゥ・バー(ママドゥ)ママドゥ・コイタ(ジブリル)アルファ・バリー(アルファ)ヤダフ・アウェル(ヤダフ)ブバカール・バルデ(ブバカール)2022年・97分・G・フランス原題:La Brigade2023・05・09-no059・シネ・リーブル神戸no188
2023.05.13
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小澤征爾・武満徹「音楽」(新潮文庫)その1 武満徹という音楽家の名前を初めて知ったのは、これがはっきり覚えていますが、高校2年の時です。高校2年に進級した時です。大学を出たばかりの社会科の先生が「倫理社会」の担当になりました。何がきっかけだったかは定かではありませんが、まあ、ナツイタとしか言いようのない懐きかたで、高校の近所だった、その先生の下宿に繰り返し押しかけ、書棚に並んでいる蔵書を物色し、持ち帰るようになったのですが、その時、持ち替えった本の一冊が武満徹の「音、沈黙と測りあえるほどに」(新潮社)でした。 クラッシックとか、現代音楽とか、いう前に、そもそもラジオしかもっていなかった田舎の高校生だったわけで、音楽とは文字通り無縁な16歳が音楽と出会ったのも、その先生のお部屋のステレオ・セットによって、だったわけで、武満徹のたの字も知らなかったにもかかわらず、何故、「音、沈黙と測りあえるほどに」だったのかは、今となっては謎ですが、お借りして読んだことは間違いありません。 その本で小澤征爾、谷川俊太郎、滝口修三、ジョン・ケージ、大江健三郎、安部公房、という人たちの名前を初めて知りました。 今、こうして思い出しながら、つくづく今は便利な時代ですね。高校2年生で名前を覚えた武満徹や小澤征爾、ジョン・ケージの「音」に出合うのは、それから3年後、大学生になって、その先生から、入学のお祝いということで、お使いになっていたステレオ・セットのアンプとスピーカーをいただき、ターン・テーブルを買い足して聴いたのが小澤征爾のチャイコフスキーとポリーニのショパンでした。 武満徹とかジョン・ケージなんてレコードを探すのが、まず、大変でした。二人のレコードは、その方面が得意な友達の下宿で聞いた記憶があります。 それに引き換え、今では「ノヴェンバー・ステップス」であろうが、ジョン・ケージであろうが、ユー・チューブとかをチコっとすれば聴けるわけで、小澤征爾なんて、いつのどんな演奏でもアクセスできます。すごいものです(笑)。 で、まあ、そういう50年前の思い出を呼び起こしてくれたのがこの本でした。 小澤征爾と武満徹の1981年の対談、「音楽」(新潮文庫)です。1935年生まれの小澤征爾46歳、1930年生まれの武満徹、51歳です。文庫本ですが、懐かしい写真がたくさん入っています。目次はこんな感じで、かなり幅が広くて率直な発言が山盛りです。【目次】I音楽との最初の出会いは?受け身の音楽は音楽ではない日本人の耳、西洋人の耳教えることは麻薬的歓びが湧いてくる音楽の聴き方、習い方愛がたりないII北京のブラームスから甘ったれた日本の音楽社会中国音楽の新しい顔芸術家は千人の外交官僕の先生 斎藤秀雄、ミュンシュ、カラヤン最後の演奏会僕の恩師 清瀬保二、ストラヴィンスキー、メシアン土地固有のオーケストラIII同時代の音が聴こえる国家と芸術家「御上の音楽」意識とオペラ座みそ汁とパスポート社会主義国と音楽家二人のゼルキン氏 で、後記 は武満徹、解説を 細野晴臣が書いています。それに加えて、お二人の年譜、 ディスコグラフィがついていますが、さすがにこれは古いですね(笑)。 で、内容ですが、今から40数年前の対談です。世界の音楽シーンに躍り出たお二人が、「日本」という極東の島国から飛び出して、海の向こうで活躍し、海の向こうを直接見た眼で、当時の「島国の音楽シーン」を振り返り見て、忌憚なく語り合っているのが、まずは、絶対的な面白さです。 世界標準という価値観に立った視線が「日本」というローカルを批評する生の言葉が、初めて、日本人の口から聞こえてくるのは、当時は、新鮮な驚きだったと思います。それが、今では当たり前になったといえるかどうか、そこが問題ですが、たぶん言えませんね。 で、そのことに気づかせてくれるのが、この対談を、2023年の、今、読む、一番の価値かもしれません。交通手段であれ、インターネットであれ、海の向こうの世界はすぐそこにあると思い込み、世界標準で生きていると考えたがっているのが現在の日本だと思います。しかし、世界標準の価値観を維持するだけの歴史や社会、文化に対する基本的な常識を、急速に失いつつあるのが、この島国の現実ではないのか、そういう問いをふと浮かべさせてくれる対談でした。 具体的に興味深く読んだところは、その2で、そのうち報告しますね。じゃあ、今日はこれで。バイバイ。
2023.05.12
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オタール・イオセリアーニ「トスカーナの小さな修道院」シネ・リーブル神戸 同居人のチッチキ夫人と一緒にやって来ました。シマクマ君が見終えて帰ると、あれこれうるさく騒ぐので、それならという気分でついてきたようです。イオセリアーニ「トスカーナの小さな修道院」です。1時間ぐらいのドキュメンタリー作品のようです。イオセリアーニ特集ですが、シマクマ君は4本目ですが、チッチキ夫人は初めてです。 トスカーナっていうのは、イタリアの、まあ、山の中ですね(知りませんけど)。映像で見る限り、四方を山に囲まれた田舎の村です。村のはずれに修道院があって5人の修道士が暮らしていて、お祈りとか、なんか、みんなで声を合わせて歌を唄うとか、修道院のまわりの村で暮らしている人の生活とか、まあ、山の村の生活ドキュメンタリー、修道院編という感じでした。聞こえてくる音楽、というか歌声が、先日見たジョージアのドキュメンリー「唯一、ゲオルギア」で聞こえてきたのと似ていると思いました。 見終えた帰り道に、チッチキ夫人がなにかいい始めました。「ねえ、あの、修道士とかの人たちって、本物?」「うん、ドキュメンタリーっていうことやから、映ってる人らは、まあ、それぞれ、やっぱり本物やろう。」「なんか、俳優さんが、修道院の人を演じてるみたいな気がせえへんかった?」「えっ?それって、やらせということ?」「ちがう、ちがう。お芝居してはるみたいやった、いうてんねんよ。年寄りの人と若い人が、なんか段取りこだわってしてはったやん。なんか、毎日のことやろうに、こだわり方がわざとらしいというか、そんな感じかなあ。」「歌うたうとことかか・・・」「うん、お祈りの仕方とか。なんか、リーダーが指揮みたいなことしてはる感じのとこ。ほかの人、わざとらしいというか…」「修道院って、そういう、なんか、お芝居めいたことするようなとこなんかな?」「でも、村の人がやってた豚の解体とかリアルやったよね。」「うん、まあ、ああいうシーン見るのは初めてやけど、ちょっとドキドキしたな。背骨のとこ縦に切っていくの見てて、あんた、自分の背骨を縦に切られるような気がせえへんかったか?」「ええー、それどういう意味?そんなんせえへんわ。ああ、それと、修道士の服って洗濯して、村のおばさんが洗うんやね。」「あの、白い服な。」「あの人ら、ホンマに神さんとか信じてはるんやろか?」「信じる人になろうとしてはるんちゃうの。よう知らんけど。」「なんか、そこが、ずーっと、不思議やったわ。でも、こういう映画は、まあ、もう、ええわ。」「うん、ボクもどんな映画か知らんかったからなあ。でも、どっか、共通してんねんな。この監督。」「他のは知らんけど、まあ、遠慮しとくわ(笑)。」 というわけで、無事、帰宅しましたが、妙に印象に残ったのが「豚の解体」「選択」「お祈りの段取り」あたりなのでしたが、これってどういうことなのでしょうね。(笑)監督 オタール・イオセリアーニ編集 オタール・イオセリアーニ、マリー=アニェス・ブラン、アニー・シュヴァレイ1988年・57分・フランス・原題「Un Petit Monastere en Toscane」2023・03・12-no037・シネ・リーブル神戸no185
2023.05.11
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イエジー・スコリモフスキ「EO」シネ・リーブル神戸 なんといいますか、いや、まあ、スゴイ映画でしたね。「ロバ」ってご存知ですか?漢字だと「驢馬」って書くらしいですが、ドン・キホーテに出てくるサンチョ・パンサが乗っているあの動物ですね。そのロバが主人公なんです。時々、雄たけびというか、啼くというか、するのですけど、別になんか言うわけじゃあありません。ただのロバです。 見たのはイエジー・スコリモフスキというポーランドの監督の「EO」です。 で、そのロバくんがサーカスでどんな芸をしているのかよくわからなかったのですが、とにかく、サーカスの舞台でなんかしているシーンから始まりました。相方の女性のセリフを聞いているとイーオーと聞こえます。名前がEOなのですね。 だから、まあ、EOと名付けられて、相方のカサンドラ(サンドラ・ジマルスカ)に愛されて、一緒に芸をしていたロバくんが、破産だか、借金だかのせいで暮らしていたサーカスから連れていかれてしまうんです。で、そこから流浪の旅です。ロバくんのロード・ムービーというわけです。 チラシにもスコリモフスキという監督がその映画に刺激を受けて作ったと書いてありますが、この映画を見ていて思い出したロベール・ブレッソンというフランスの監督の1960年代の映画に「バルタザールどこへ行く」という、とにかく結末が哀しい映画があります。その映画もバルタザールという名前のロバくんの、まあ、いってしまえばロード・ムービーだったわけですが、ボクにはバルタザールの眼差しが焼き付いています。人間とは違う、確かに、ロバの眼だったという印象で、たぶん、そこに揺さぶられて記憶に残っているのだと思います。 で、この作品のイーオーくんについても、印象に残ったのは眼でした。それぞれの場面で泣いたり、呆れたりしているように見えるのです。涙を流しているかのシーンもありました。もっとも、この映画の場合は、一緒に登場する馬とか牛とかの眼とか仕草にもにも表情があるのが、もう一つの特徴でしたが、見ているボクは、そのあたりで眠くなってしまいました。なんとなくボンヤリしてしまいました。 最近見たイオセリアーニという不思議な監督のいくつかの映画とか、中国映画でリー・ルイジュン監督の「小さき麦の花」なんかにも、ロバが出てきます。 イオセリアーニの場合は「オッ、ロバやん!」 という感じで、それぞれの作品にやたらと登場する鳥とか犬とかと同様に、実に唐突に出てくるロバという印象の映画でした。 一方、「小さき麦の花」には家畜としてのロバが、貧しい夫婦の生活を支える動物として登場していました。 その映画を見ながら、日本の、例えば、ボクが育った50年前の但馬地方の農村であれば、農家の玄関を入れば左側が牛小屋で右側が座敷であるような家の中で、一頭だけ飼われていた眼の大きな牛のことを思い出したのですが、前近代というか、一時代古い農耕社会の象徴的な存在で、いかにも、愚かなのですが、働き者で、夫婦から愛され、大切にされているロバでした。 この映画のイーオーくんは、それらとは少し違いました。彼はロバだけど、ロバではないという印象ですね。 トコトコと歩き続けるイーオーくんの眼に映る人間たちの冷たい眼差し、敵意なのか友情なのか馬や牛たちの表情、異様に美しい夕日、飛沫をあげて落下する滝、渦巻く水流、流れの上の橋の真ん中に佇むイーオーくんをボーっと眺めているとエンド・ロールでした。「入り込めなかったなあ・・・」 ため息をついて座り込んでいると、久しぶりに盛況だった客席の人たちが我勝ちに起ち上がり、出口の灯りが場内に差し込み始めました。「ああ、こういうことなんだ。」 なんとなく、さみしい得心が浮かんできて、やっぱり、イーオーくんに拍手!、イエジー・スコリモフスキ監督に拍手!だと思いました。 まあ、それにしても、納得という気分ではありません。どうしてでしょうね(笑)。監督 イエジー・スコリモフスキJerzy Sklimowski脚本 エバ・ピアスコフスカ イエジー・スコリモフスキ 撮影 ミハウ・ディメク編集 アグニェシュカ・グリンスカ音楽 パベウ・ミキェティンキャストサンドラ・ジマルスカ(カサンドラ)ロレンツォ・ズルゾロ(ヴィトー)マテウシュ・コシチュキェビチ(マテオ)イザベル・ユペール(伯爵夫人)2022年・88分・G・ポーランド・イタリア合作原題「EO」2023・05・10-no060]・シネ・リーブル神戸no184
2023.05.10
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アリ・アッバシ「聖地には蜘蛛が巣を張る」シネ・リーブル神戸 第2回SCC(シマクマ・シネマ・クラブ)で観たのは、アリ・アッバシという監督の「聖地には蜘蛛が巣を張る」でした。予告編に惹かれてお誘いしましたが、見終えて、ちょっと空振りだった気がして、引き気味だったのですが、あの質問でした。「シマクマさん、今日の作品は何点くらいですか?」「お、やっぱり!」と、やっぱり、心の中では笑いそうになりながら、今回は、ほぼ、即答でした。「50点くらいかなあ・・・」 映画の舞台はイランという国で、よく解りませんがイスラム教の聖地の町ようでした。街角に立つ娼婦をねらった連続殺人事件が起こっているのですが、事件は迷宮入りの様相です。K察による捜査の実態を疑ったラヒミ(ザーラ・アミール・エブラヒミ)という女性のジャーナリストが現地に乗り込み、実態を調べ始めます。 このあたりで、謎の犯人捜し映画だと思って観ていると、意外なことに、犯人はすぐに正体をあらわしてしまいます。サイード(メフディ・バジェスタニ)という名の実直そうな中年男でした。 こう書くと、いかにもネタバレの感想を書いているようですが、ごらんになれば納得していただけると思いますが、多分、そうではありません。サイードはラヒリの身を挺したというか、命がけのというかの活躍で、あっけなく逮捕されてしまって、裁判沙汰ということになります。 この辺りでは、サイードの犯した連続娼婦殺しを巡って、イスラム原理主義的言辞が飛び交い始めて、「ああ、こっちなのか」 と納得しかけたのですが、結果的にサイードは絞首刑になってしまいます。「ポカーン・・・」 メディと権力、貧困と売春、宗教と司法、男性原理と女性差別、数え上げ始めれば、まさに現代社会で問い直されている問題の現実的な端緒ともいうべき、まあ、社会描写としてリアルなシーンが次々と描かれていくのですが、結局、何が言いたいのかわからない、で、何が言いたいのかわからないことだけはよくわかる、そういう、気分の結末でした。 一緒にご覧になったM氏も不可解だったようで、「これって、現地で撮った映画なのですかね?」「いや、ヨーロッパ系の資本で作っているから、ちがう感じですね。イスラムの映画って、社会の描き方によっては、とても現地では取れないということがあるようです。」「で、こういうふうに、外れかな、という場合はどうするのですか?」「ははは、外れは、外れですよね。まあ、小説でもそうですよね。しようがないですね。」「はい。まあ、そうですね。」「ただ、ボク、なんか、引っかかるんですよね。帰って調べてみますね。」 とか、何とかで、せっかく、二人で観たにもかかわらず盛り上がりに欠ける結末で、で、ちょっと遅めのお昼でしたが、ご一緒にそばかなんか食べて別れました。 で、以下に記したのが、その夜のM氏あてのライン上でのボクの発言です。 ええーっと、本日の映画ですが、やはり、現地で撮られた映画ではなさそうですね。よくわからないのですが、イラン本国では、たぶん、上映どころか、作ったこと自体が犯罪の可能性さえあるかも、ということのようです 舞台はイランのマシュハドという有名な聖地らしいですね。映画が描ている連続娼婦殺人事件は2000年くらいに、実際にその街で起きた事件らしいです。 「悪魔の詩」という作品を書いたサルマン・ラシュディという作家が、当時のイランの最高指導者ホメイニから死刑宣告を受けたことがありましたが、それが1990年代だったと思います。で、今日の映画は、どうも、そのころのイランを描いていたようです。 イラン革命というのご存知ですか?ぼくにはわけがわかっていないのですが、何派だったか忘れましたが、イスラムの宗教原理主義を国家レベルで実行するという革命だったような気がしますが、その革命の指導者がホメイニですね。 ああ、ホメイニは1989年に死んでいます。ラシュディがホメイニから死刑宣告を受けたのは1989年ころのようです。 イラン革命の結果生まれたのは共和主義と徹底したイスラム化の国家体制らしいです。で、ボクにでもわかるのは女性に対する宗教的抑圧というか、まあ、乱暴な言い方かもしれませんが、娼婦は殺してもいいけど、買春する男性は問題にならないというような、ボクたちの目から見れば、実に不公平な通念を宗教的には擁護している社会が生まれたということのようですね。だから、こんな例の出し方自体が、なにいってんの!という社会かもしれないってことですね。 例えば、ボクたちの目から見れば、この映画で、まあ、猟奇的な殺人鬼に見えてしまうサイードという主人公の名前ですが、ムハンマドというイスラムの預言者、コーランを語った人の直系子孫の名前ですね。犯人が聖人なのですね。そのあたりも面白い事実だと思います。 今日の映画は、実在の事件を題材にして、フェミニズム的な、まあ、いかにもヨーロッパ的リベラリズムの観点で見直そうとしている作品という一面もあるのかもしれませんが、どうも、それだけでもなさそうですね。。 というのは、描かれている社会そのものが、サイードを信条的に支持する宗教的な感覚と、ヨーロッパ的な近代「法」を順守する社会的感覚、それから、助けるのかと思っていると、平気でサイードの刑を執行してしまうような、まあ、世俗的な権力者固有の感覚が、まあ、他にもあるかもしれませんが、重層化していて、ラヒリの告発の意味が映画として表現しきれていないのかもしれません。 加えていえば、「わかるように描くとラシュディの二の舞のようなことになるのでは・・・」という懸念も制作者にはあった可能性まであるわけで、その結果、わけがわからない映画になってしまったのかもしれませんね。 まあ、複雑すぎて、何がが焦点化されているのかわからないと思うのは、見ているこっちの責任であるかもしれません。 インチキ宗教が権力の中枢と結託していることが話題になっていますが、実は、それ以前に、天皇制という、まあ、いってみれば、謎の宗教制度を象徴というようなことばで目隠しされながら、どんよりとした平和に閉じこもり、よその宗教なんて興味ないという気分で、外部を見失っているのが現代の日本という社会一般の傾向だと思うのですが、そういう社会に浸りきっているボク自身、イスラム社会のことなんて、ホント、何にもわかっていないというのはよくわかりましたね。 まあ、こんなふうに、気になったことをあれこれ調べたりするのが、ボクの映画の見方ですね(笑) 小説とかの読み方にも、その傾向があります。うざいでしょ(笑) というわけで、結局、要領を得ないのですが、感想です。ラインに書いたといってますが、こんなにあれこれ書いたわけではありません。あれこれ付け足しています(笑)。Mさん、ご容赦くださいね。 で、結局、ネタをばらしていますが、その点は、まだ見ていない方々、どうぞご容赦ください。さて、 第3回SCCは何を見ようかな?監督 アリ・アッバシ脚本 アリ・アッバシ アフシン・カムラン・バーラミ撮影 ナディーム・カールセン美術 リナ・ノールドクビスト編集 ハイデー・サフィヤリ オリビア・ニーアガート=ホルム音楽 マーティン・ディルコフキャストメフディ・バジェスタニ(サイード)ザーラ・アミール・エブラヒミ(ラヒミ)アラシュ・アシュティアニ(シャリフィ)フォルザン・ジャムシドネジャド(ファテメ)2022年・118分・R15+・デンマーク・ドイツ・スウェーデン・フランス合作原題「Holy Spider」2023・04・21-no054・シネ・リーブル神戸no183・SCC第2回
2023.05.09
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畑正憲「ムツゴロウの青春記」(文藝春秋・文春文庫) 2023年、だから今年の春のことですが、作家の大江健三郎の訃報に続けて、ムツゴロウさんこと、畑正憲が亡くなったニュースをネットで見つけました。「大江とムツゴロウとなんのつながりがあるの?」 といぶかしむ方もおありかもしれませんが、実は、このお二人は、まあ、大江健三郎が1月生まれ、畑正憲が4月生まれなので学年は違うのですが、1935年生まれの同い年なのですね。 ボクは大江の作品にであう前に であった人が畑正憲でした。北杜夫に「どくとるマンボウ青春記」(新潮文庫・中公文庫)という大傑作がありますが、高校1年生のシマクマ君がはまったのは、まず、この作品で、その中に父親の斎藤茂吉の話も出てくるのですが、そのあたりは「ああ、この人も、いやなオヤジで鬱屈してたんだ。」 という共感の理由にこそなれ、斎藤茂吉の偉さなんて歯牙にもかけない読み方で、マンボウさんの旧制松本高校での、オモシロカナシイ、チョーおバカな生活に、ただ、ただ、あこがれる青春読書だったわけですが、当然のことながら「青春記」という題名に惹かれていたおバカ高校生が、いわば、必然的に(笑い)出会ったのがムツゴロウさんのこの本だったわけです。 こんな書き出しでした。 初めてのラブレター 季節は覚えていない。だが、赤いセーターが目に焼き付いているので、たぶん四月の終わりか五月の初めのことだったろう。 私は内ポケットに一通の手紙を忍ばせていた。むろん、忍ばせてという位だから、尋常な手紙ではない。初めて書いた恋文、つまり現在の妻、純子にあてたラブレターだった。 中学の二年生になったばかりとはいえ、女性に恋心を伝えるにはどうしなければならぬかは本能的に察知していた。私は角の文房具屋で上質の便箋と封筒を購い、右下がりの下手な文字であったが、一語一語丹念に書いた。 マンボウさんの青春記にはないのが恋話ですが、ムツゴロウさんは、中学生だったころに経験なさっていたようで、のちに配偶者となる純子夫人との初恋話から青春記は始まっていて、この本を手に取った当時のシマクマ君は高校2年生だったわけですが、読んだ本のことをいちいち手紙にしたためて送り付けないではいられない憧れの対象がいたわけで、まあ、どんぴしゃりだったんでしょうね。 で、お二人の青春記の記述が高校生のシマクマ君にとっては羨望の対象、雲の上の話だったことは、まず、間違いないのですが、あこがれというの、それなりのパワー効果があるもので、それぞれの著者の読書体験の記述を鵜呑みにして、かなりむちゃくちゃな「読書案内」にしたことが、考えてみれば、その後の50年の本好きの暮らしの基礎というか、土台というかになったなあと、今になれば、しみじみと懐かしいわけです。 せっかくですから、それぞれ、お一人ずつ例を挙げれば、北杜夫の場合は、やはりトーマス・マンでした。それも、「魔の山」(岩波文庫)とか「ヴェニスに死す」という有名どころではなくて、望月市恵訳の「ブッデンブローグ家の人々」(岩波文庫全3冊)、実吉 捷郎訳の「トニオクレーゲル」(岩波文庫)でしたね。だって、マンボウさんがそれを読んだっておっしゃっているわけですからね(笑)。 で、この「~家の人々」は高校時代のシマクマ君にはシリーズ化していったわけで、ロジェ・マルタン・デュ・ガールの黄色い本、「チボー家の人々」(白水社・全5巻)を経てドストエーフスキイの「カラマーゾフの兄弟」(岩波文庫・全4巻)へと進んでいって、終着駅は「楡家の人々(上・下)」(新潮文庫)だったりしたわけで、、所謂、一族ものへの執着は今でも続いています(笑)。 もう一度、今、この年になって考えてみればですが、どの作品も、もちろん、北杜夫のそれも、それぞれの作家の最高傑作といっていいわけで、高校生としては、なかなかな読書体験で、拍手してあげたくなりますね。 で、ムツゴロウさんですが、こちらの方も、博覧強記、乱読、多読の高校生活ぶりで、あれこれ大量の作品紹介が出てくるのですが、読書案内として忘れられないのが高木貞治という数学者の「解析概論」(岩波書店)という本でした。数学の世界では、かなりな名著らしいですが、500ページを超える大判の大著でしたが、但馬の田舎者だったシマクマ君は、この本を京都の河原町の駸々堂(たしか三条の手前あたりにあった)だかまで買いだしに行って手に入れたのでした。 繰り返し格闘したイメージはありますが、わかったという記憶はありません。自分が馬鹿だということをしみじみと実感させてくれた本でしたが、大学生1年生の時に、のちに都立大学のシステム工学だかの先生になった、高校時代からの友人が持って帰っていったことはよく覚えています。 ちなみに、1970年代の初めころ、この、売れるはずのない「解析概論」が妙に売り上げを伸ばしたことがあったそうで、不思議に思った編集者が調べてみると、「ムツゴロウの青春記」の影響であることが分かったとかいうことをどこかで読んだ気がしますが、まあ、世の中には同じようなおバカがいるものだとちょっと哀れな気分になった記憶がありますね(笑)。 考えてみれば、50年前の読書体験です。「ムツゴロウの青春記」は文藝春秋の単行本が本棚の隅にまだありました。ビニールのカヴァーがついた装丁で、案外、美しい状態ですが、中は黄ばんでいます。まあ、捨てられない本ですね。 まあ、ついでに言えば、「チボー家の人々」の単行本の全5巻は、マンガ家の高野文子さんが「黄色い本」(講談社・KCブックス)という漫画で描かれたあの本ですが、大学生になって教室で知り合った可憐な乙女が、下宿の部屋から持ち帰って以来消えてしまいましたが、20年ほど前に白水ブックの全13巻本で買い直し、今も並んでいます。ああ、それから、「解析概論」ですが、新版が出ていて、そっちは3000円を超えるようですが、ボクの買い込んだ版は古本で10円でした。うーん、・・・・。 それにしても、その後もムツゴロウさん、マンボウさんにはお世話になりました。今回、この本をパラパラと読み返したのですが、今でも悪くないと思いました。お若い方たちには、もう古いのでしょうかね。まあ、読むべき本を探して目の前の本を読むなんていう読み方自体がもう古いのかもしれませんね。 大江健三郎といい、畑正憲といい、「時代を画した」というべき存在でした。一つの時代が終わりつつあることを実感する2023年の春が過ぎていきましたが、新しい時代の明るい光が差しているきざしは感じません。 「よくわかる」出来合いのスローガンを疑う反骨を育てるのが「よくわからない」読書体験だと思うのですが、皆さん、「よくわかる」がお好きなようですね。
2023.05.08
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長谷川櫂「俳句と人間」(岩波新書) とりわけ、俳句に興味があるというわけではありません。いつも行く図書館の新刊の棚にありました。今回の案内は長谷川櫂「俳句と人間」(岩波新書)です。 長谷川櫂という名は知っていました。エッセイとか、ひょっとしたら句集とかも読んだ気がします。大岡信とか丸谷才一と歌仙とかやっていらっしゃった本もあって、才気あふれる若手の俳人だと思っていたら、同い年でした。 岩波書店の「図書」というPR誌に連載されていたエッセイの様なのですが、開巻早々、「はじめに」の書き始めが、こんな感じです。 いったん人間に生まれてしまったからには必ず死ななければならない。これがいつの時代も変わらない人間の定めである。しかし若いうちは命の歓びに目がくらんで目の前の鉄則が見えない。うららかな春の日が永遠に続くと思い込んでいる。 しかしあるとき人間は自分の命もやがて終わることに気づくのだ。これまで生きてきた人々と同じように自分もいつかは死ぬということに。2018年、皮膚がんが見つかったのは私にとって、その「あるとき」だった。 笑い事ではないのですが、笑ってしまいました。どこか、喧嘩ごしですね。 で、第1章が「癌になって考えたこと」で、中には、こんな文章が綴られています。 この年の夏は記録的な猛暑だった。梅雨明けとともに炎天が続き、街に出るとたちまち炎のような熱風に包まれる。 切除手術からひと月たった七月下旬、精密検査の結果を聞きに家内と病院に行った。まだ午前中というのに信濃町駅から慶応病院へ渡る横断歩道の、そして神宮外苑の森を超えて建設中のオリンピック・スタジアムへ続く青空のなんとまぶしく輝いていたことか。 私は診察室に入るまで、不覚にも「異常なし」といわれるものと思いこんでいた。ところが大内先生の口から出たのは想像もしない言葉だった。「皮膚癌でした。・・・・・もう一度、患部のまわりをきれいに切除しましょう。その前にPET検査を受けてください。転移が見つかれば、化学治療や放射線治療をすることになります。」 ガーン・・・、だったのでしょうね。先に引用した「はじめに」の冒頭の雰囲気が、まあ、ボクがそう思うだけなのかもしれませんが「喧嘩ごし」だった理由がわかります。 で、目次を引用するとこうなっています。 目次第1章 癌になって考えたこと第2章 挫折した高等遊民第3章 誰も自分の死を知らない第4章 地獄は何のためにあるか第5章 魂の消滅について第6章 自滅する民主主義第7章 理想なき現代第8章 安らかな死 突然、向こうからやってきた「死」をめぐる考察というわけですね。というわけで、第1章は、まあ、ご本人の発病というか、病気発見のいきさつがあれこれ書き綴られているのですが、そこで思い浮かべられたのが正岡子規でした。 さもありなんです。ちなみに、第2章で話題になるのは「挫折した高等遊民」という題で予想がつくと思いますが漱石です。というわけで、近代以降の俳句の歴史をたどるのかと思いきや、違いました。 もっと向うにいると思っていた「死」とリアルに出会ってしまった俳人長谷川櫂の頭や心に思い浮かんでくるあれやこれやが、「待ったなし」のテンポで書き綴られているというのがボクの印象でした。 日々の生活エッセイと考えれば、ある意味、本道ですね。その、話題の飛び方というか、選び方というかが、さすが俳人長谷川櫂!というところです。たとえば、2010年代後半の現実社会に対する、歯に衣着せぬ、まっすぐなご発言には、「なるほど、そういうふうにお腹立ちなのですね。」というか、「俳句の本なのか辛口時評なのかわかりませんね。」というか、「言え、言え、もっと言え!」というか、なかなか胸のすくところもありますが、興味深く読んだのは、矢張り「俳句」をめぐる「ことば」であり「文章」なのでした。 で、「案内」としてまとめていえばと考えると、結局、俳句そのものが残ります。巻頭から最終章まで、記憶に残った俳句、まあ、中には短歌もありますが、それらを一人につき一つづつ抜き出して振り返って案内してみようと思います。しんかんとわが身に一つ蟻地獄 櫂 自らの病を知った長谷川櫂です。で、彼の心に浮かぶのはのは正岡子規でした。病床の我に露ちる思いあり 子規 子規とくれば漱石です。冷やかな脉(みゃく)を護りぬ夜明け方 漱石 で、二人を見つめながら、思い浮かんでくるのは明治という社会の行く末で、そこに見えてくるのは沖縄です。死と向き合っている長谷川櫂が沖縄に目をやること自体に、ハッとさせられました。捕虜になるよりも死ねとぞ教えたるわれは生きゐて児らは死にたり 桃原邑子「沖縄」 戦後の社会を切なさとともに生き延びてきた人がいることから目を背けていないか。そんな自問が病との出会いと重なります。爽やかに主治医一言切りませう 山田洋 目を背けない医師は冷静ですが、診察室に響く声の音に、耳を澄ませ、息を詰まらせて座ってる人の孤独は他人ごとではありません。手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が 河野裕子 何とか息を吐こうをするのはあがきでしょうか。で、俳人が思い浮かべたのは死を覚悟した芭蕉の境地でした。秋深き隣りは何をする人ぞ 芭蕉 ベッドに横になり、目をつむって周囲を伺えば、蛍に化身してさまよい出て行った魂が帰ってきます。蛍来よ吾のこころのまんなかに 長井亜紀「夏へ」 蛍の淡い光の中にうかんでくるのは誰もいなくなった福島の雪の中で死んでいった生き物たちの姿です。牛の骨雪より白し雪の中 永瀬十悟「三日月湖」 海に消えた魂たちに声を届けたい。ひとりまたひとり加はる卒業歌 照井翠「龍宮」 思い浮かぶのは、遠き日の友人の笑顔と諧謔です。生きたしと一瞬おもふ春燈下 玩亭・丸谷才一 遠き日々、そして今日の日没、あの蕪村が立っていた場所。遅き日のつもりて遠きむかし哉 蕪村しかし、今日、長谷川櫂が立ち尽くして仰ぐ空は青いのでした。大空はきのふの虹を記憶せず 櫂 何とか書き続けようと自らを鼓舞するかのような文章に、こんな世の中で生きていることのいら立ちや鬱陶しさが伝染してくるようなイやな感じにとらわれながらも、「それでどうするの?」と問いかけたくなるような近しさをも感じながら読み終えました。同じ年に生まれた人だという、本来の意味の同情を呼び起こされたのでしょうか。 本書に引用されていた桃原邑子歌集「沖縄」、照井翠句集「龍宮」という歌集と句集は新しい発見でした。お二人のお名前と、それぞれの書名は記憶にあったのですが、今回、きちんと読み直すことを古い友人に促されたような気分で本書を読み終えました。
2023.05.07
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100days100bookcovers no90(90日目)檀ふみ『父の縁側、私の書斎』(新潮社) この本にしようかな…と最終的に決めたものの、まだふらふらと気持ちは定まりません。定まらないまま書いていこうと思います。 いや~、シマクマさんが紹介して下さった嵐山光三郎『漂流怪人・きだみのる』は、びっくり仰天の内容でした。まず、きだ怪人のハテンコウな行状はすごかった!そして、きだみのるもすごいけれども、嵐山光三郎にも脱帽した。きだみのるの人間としてのすごさ、文学者としての深さ、食への執着…。それらを描写する嵐山光三郎もすごい! 編集者と作家の関係が実に面白いわけです。今まで作家や作品しか目を向けていなかったかも?すぐれた作品が生まれるには、よき編集者の存在があるからなのだろうと思い至りました。仕事上の関係を遥かに超えた(と勝手に感じるほどの)きだみのると嵐山光三郎の人間同士のつながりは、とりわけ『子育てごっこ』というインチキ作品で批判されたきだみのる、スキャンダルにさらされた娘について、作品をもって見事に反論しました。ようやった!人間とはかくありたし! と嵐山光三郎にもぞっこんとなりました。(笑) 編集者と作家との関係、嵐山光三郎…と、次に選んだのは『温泉旅行記』(ちくま文庫)と『ローカル線温泉旅』(講談社現代文庫)。 テンポよく日本中の行ってみたい温泉や美味しい料理や地酒が紹介され、私のツボにはまりました。ああ、私も味わいのある秘湯に行きたい~。 ただ、本の内容はそれだけではないのです。あちこちに旅をすると嵐山光三郎と縁のある作家が登場するわけです。文士オンパレード!作家たちのプライベートが紹介され“ちむどんどん”しました。私の好きなローカル線の旅もよかったです。たくさんある嵐山光三郎の本の中から、いかにも私が選びそうな本ですね。お恥ずかしい。 「編集者」をキーワードに、嵐山光三郎のような編集者は他にいないかな…と少し探したのですが、彼が編集者としてかかわった多くの魅力的な作家の中から檀一雄が気になってきたのです。怪人きだみのるではありませんが、小説家で料理もする、世界を放浪し、女性関係もいろいろあり…、特に日中戦争のあと、軍務終了なるも帰国せず、そのまま満州を旅するなんて、きだみのるのモロッコ行きと重なります。私の大好きなポルトガルのサンタクルスや晩年を過ごした福岡の能古島(のこのじま)など、行ってみたい所も気になります。そこでどんな暮らしをしたのでしょうか。「最後の無頼派」といわれた彼自身、さらに交流が深かった太宰や安居にも関心が広がります。 そこで檀一雄と檀ふみの本を2冊ずつ借り、まだ読み終わっていないものもありますが、父、檀一雄の能古島の家である月壺洞(げっどう)、練馬区石神井(しゃくじい)の家など、住まいを通して父の思い出や家族の日常などを綴ったエッセイ『父の縁側、私の書斎』を選びました。 冒頭にはこうあります。「引越しらしい引越しをしたことがない」と、父は遺作となった『火宅の人』に書いている。「生涯何十回となく引越したろうが、いつも手ぶらで、ノソノソと新しい家にもぐりこんでいっただけである」「まるで、その部屋をガラクタで埋めて、埋め終わるとハイそれまでよ、とまた新しい無染の環境に向かって走り出して行くかのようだ」 ここのくだりに行き当たったとき、ハラリと一枚、目からウロコが落ちるような思いがした。病床で父がこの本を書き上げてから、私がきちんと読み通すまで、じつに二十五年の月日が流れていた。その四半世紀のあいだに、どうやら私は、父を石神井の家にがんじがらめにしばりつけてしまっていたらしい。父は私にとって、生きているときはもちろん、死んでからも石神井の主だった。思い出のなかにはいつも、食堂の大テーブルの指定席にどっかりと腰をおろし、ビールを飲み、煙草を吸い、料理をし、『刑事コロンボ』を見、ときに子供たちに訓戒を垂れている父がいる。「新しい環境を、その都度自分の流儀で埋め尽くし、埋め終わると同時に別の天地に遁走したくなる(『火宅の人』)」 と檀ふみが紹介しているように、娘が父と一緒に過ごしたのは二十年ほどで、その間の半分ほどは家に帰らず、残りの半分もどれほど家におちついていたか、とある。これを読むまで私はもっと家族をないがしろにしていたのではないかと勝手に想像していたので、逆に私はある程度父と娘が一緒に住んでいたことにびっくりした。妻は、娘たち子どもは、どれほど身勝手な父を恨んでいたのだろうと。 晩年暮らした福岡の能古島は、体の具合が悪く、空気のいいところで静養した方がいいと知り合いの別荘を借りることになった。「月壺洞(げっこどう)」と名付けた、見晴らしのいいその家に檀ふみが父を尋ねて行ったのはただの一度。ほどなく入院し、口述筆記で『火宅の人』を完成させた。父と母は病床で力を合わせたわけだ。自分好みに仕上げた能古島の家で、夜景を眺めながら、あるいは月の光を浴びながら、招いた友人を手作りの料理でもてなし、秘蔵のウィスキーやブランデーを飲みたかったであろうと、父を偲ぶ箇所があるが、住まいが親子をつなぐ場所になっていると、ほっこりした。この島は福岡市の中心からフェリーに乗って10分ほどで着くらしい。一度ゆっくり尋ねてみたいものだ。 東京都練馬区の石神井の家は「瓦全亭(がぜんてい)」(瓦全とは大したこともせずに生き長らえることとか。)と命名され、緑深い、森と水の美しい景勝地として知られたところだったらしい。この家には坂口安吾一家が間借りしていた時期もあった。広い敷地に離れもあり、父の書斎や食堂、子ども部屋や両親の寝室、こどもたちの寝室など、間取りのスケッチを見ると日常の風景(妄想だけれど)が目に浮かぶようだ。年の離れた兄太郎(嵐山光三郎の本によく登場する)や病室の次郎兄についても書かれている。ほんのひとコマだけれども檀一雄の一面に触れることができたように思う。 この本は「モダンリビング」という雑誌に連載されたもので、家の普請や住まい方、住人の思い出など、住まいを主人公にした一冊だった。家に少なからぬ関心を持つ私にとって、檀一雄と家族と一緒に「月壺洞」や「瓦全亭」に訪問させてもらったような至福の本だった。 その後、檀一雄自身の作品もと、『花筐』『白雲悠々』などが収められた檀一雄作品選(講談社文芸文庫)も読んだ。 リツ子の臨終の場面を描いた『終わりの火』も収録されている。また、『太宰と安居』(沖積舎)は、檀一雄が盟友太宰治と坂口安吾について求められるままに書き散らした文章をまとめたもので、これもつまみ読みをした。文豪はさすが、みな偉大です。 まとまりのない紹介になってしまいましたが、以上90回目を終わります。お待たせしました。SODEOKAさん、バトンをお渡ししますので、よろしくお願いいたします。2022・10・28・N・YAMAMOTO追記2024・04・05 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目) (51日目~60日目)) (61日目~70日目) (71日目~80日目)という形でまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2023.05.06
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「なぜか、西脇で鯉のぼり!」徘徊日記 2023年5月4日(土)西脇市あたり 今日は2023年のゴールデンウィークの後半が始まった5月4日です。5月5日の子供の日の一日前ですが鯉のぼりが泳いでいました。青空に真鯉・緋鯉がゆうゆうと泳いでいる光景に見とれましたが、写真を見ると、結構、雲が写っていて驚きました。 ここはどこかというと、なぜか、北播の西脇市です。市内にある天神池の公園で、池の上に張られているロープにぶら下がって20匹ほどの赤青黒黄色の大きな鯉たちが泳いでいました。 西脇市天神池スポーツセンターとかがあって、体育館だか温水プールだかの建物の広場にも、少し小ぶりの鯉たちが泳いでいました。 ヤサイクンが乗せてくれた自動車で朝早く神戸を出発してやってきたのは、スポーツセンターで泳ぐためではありません。この冬亡くなったおばーちゃんのために菩提寺で花まつりの行事があるというのでやってきたのですが、お寺の玄関で「お祭りは明日ですよ。」 と軽く指摘されて、急遽、お墓参りということに行事を変更して、で、まあ、ついでというか、折角だからというか、ここにある道の駅・北はりまというお店で筍を買おうとやってきたのでした。 まあ、間違えたことは仕方がありませんね(笑)。神戸の垂水から西脇、谷川、篠山、三田、六甲山トンネルを通って六甲道、運よくゴールデンウィーク渋滞には巻き込まれずにすみましたが、ヤサイクンは本当にご苦労様でしたという鯉のぼり見学の顛末でした(笑)。じゃあ、またね。ボタン押してね!前回ご案内した豊助饅頭
2023.05.05
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ショーン・ベイカー「レッド・ロケット」シネ・リーブル神戸 久々に、18禁映画を見ました。まあ、見る前には気づいていなかったんですが(笑)。ショーン・ベイカーという監督の「レッド・ロケット」という作品でした。まごうかたなきアメリカ映画でしたが、ハリウッド映画のニュアンスはありません。監督が独特というか、個人的というか、なんだろうな、こう作ったら見る人がイイネ!するだろうという気遣い絶無という印象でした。「レッド・ロケット」という題名の意味が、ボクには最後まで解らない映画でもありました。 長距離バスの座席で寝ている男のシーンで始まりました。到着したのはテキサスの田舎町らしいのですが、ジーパンとTシャツだけのなりで、手ぶらです。バスを降りてなんだか殺風景な街を、今、ちょっと家から出て来たという風情で歩き始めます。遠くにコンビナートという感じの工場群が見えて、やがて、いかにもアメリカの田舎町という感じの住居にたどり着き、そこから、まあ、わけのわからないインチキ炸裂!でした。 男はマイキー・セイバー(サイモン・レックス)といいます。元だか、現役だかわかりませんが、ポルノ映画の男優で、ロサンゼルスで尾羽うち枯らした結果、昔の(実は今も)結婚相手であるレクシー(ブリー・エルロッド)という女性の所に舞い戻ってきた宿無しで、バス代の残りの22ドルあるきりの一文無しで、着た切りスズメでした。 久しぶりのマイキーの登場をあからさまに嫌がっていたレクシーは実の母親リルと暮らしています。昔はポルノ女優だったようですが、現在の収入はネット売春のようで、貧困と怠惰そのものの母娘家庭ですが、実は前夫(?)の子供がいて施設に預けています。ああ、それから犬を飼っています。 義母、妻ともに嫌がっているのをものともせず、とにかく、あれこれ、ペラペラまくし立て、無理やり上がり込んで居座り続けるマイキーですが、レクシーはレクシーで大麻の密売でマイキーが持ち帰る金に釣られながら、マイキーとの情事の再開に、「まあ、どうでもいいわ・・・」 ということになっていきます。 マイキーは昔馴染みから大麻を手に入れ、その密売で小遣い稼ぎを始めますが、「夢」はポルノ・スターとしての復活というか、とにかく、アブク銭をつかむことのようで、その「野望(?)」の餌食になるのがドーナツ屋のアルバイトの高校生ストロベリー(スザンナ・サン)でした。 17歳の女の子にポルノ・スターの夢を見させるためにマイキーが頼るのは、いつでも出まかせが云える口先と、あたかも「愛」の行為であるかに思わせる、場所と時間を問わない肉体関係だけですが ― まあ、そこのところの描写が18禁の理由でしたが、こういうばかばかしい夢は見ないように18歳に見せたほうがいいとボクは思いました(笑) ― ちょっとスレているつもりの17歳は信じちゃうんですよねという、文無し口先男マイキーの一か月のお話でした。アホか!といいたいところなのですが、ちょっと待てよ?と思い直しました。 この映画で、マイキーというニーチャン、いや、オッちゃんか?、が自転車でうろつく夜の街を照らしているのは巨大なコンビナートの灯りです。義理の母のリルが、朝早くから夜遅くまでずっと見ているテレビ画面では、なんと、あのトランプが演説し続けています。マイキーが自慢するのは、ネット上に拡散している彼の主演したポルノ映像の評判で、レクシーは母と二人の窮窮とした生活を、寄る年波を厚化粧で隠したネット売春で支えています。 マイキーの出鱈目な行動はともかくも、そういう背景が繰り返し挿入されているところがこの映画の特徴です。割合、いいタイミングで、そういう現実的な要素が挿入されています。監督は、かなり意図的だと思いました。 で、その意図って、ひょっとすると、現代アメリカをある角度で輪切りにすればこうなんだよ。 というメッセージだったんじゃないでしょうか。個人の自由こそを、尊重し、讃えていたはずの社会が、自己責任という御都合主義を持ち出さざるを得ないほどに貧困にあえいでいるにもかかわらず、疑似現実のネット社会こそが現実であるかのような錯覚の中ではモラルも常識も隠蔽され、忘れられ、失われていって、インチキがまかり通っているこの社会をどう思いますか? まあ、こういう問いかけですね。これって、かなりスルドイ問いですよね。この監督って、そういう人なんじゃないでしょうか。 で、そう考え始めると、この映画の、映画として最も俊逸なのは、それらすべてを、残念ながら名前がわからないのですが、レクシーの家の、実に愛嬌のある飼い犬につぶさに見させているところだと思うんですね。犬の種類はボクにはわかりませんが、かなりでかい犬です。 観客は「犬」なのです。これって、どういう意味でしょうね。 まあ、そういうふうに考え直してみると、とても「あほか!」 とか言ってマイキーにあきれて馬鹿にするでは済まないどころか、他人ごとではないリアルがこの作品にはあるのではないかと、思わないでもないわけです。 まあ、「ひょっとして、そうかな?!」 程度ですけどね。 でも、この監督の次の作品が出れば、きっと見るでしょうね。そういう意味でショーン・ベイカー監督に拍手!でした。それから、文字通り素っ裸でエレクトーンを弾いて歌った、これがうまい!、ストロベリーを演じたスザンナ・サンという女優さんに拍手!です。この女優さん、ものすごく素人ぽい、いや、ホントに素人(?)、のですが、ひょっとしたら化けそうですよ。 まあ、それにしても、いろんな映画がありますねえ、でも、この映画「レッド・ロケット」ってどいう意味なんでしょうね。 というのが最後まで引っ掛かりました(笑)。監督 ショーン・ベイカー脚本 ショーン・ベイカー クリス・バーゴッチ撮影 ドリュー・ダニエルズ美術 ステフォニック編集 ショーン・ベイカキャストサイモン・レックス(マイキー・セイバー)ブリー・エルロッド(レクシー)スザンナ・サン(ストロベリー)2021年・130分・R18+・アメリカ原題「Red Rocket」2023・05・02-no058 ・シネ・リーブル神戸no182
2023.05.04
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「街角で、薔薇、満開です!」 徘徊日記 2023年5月2日(火) 大倉山体育館あたり 三宮で映画を見終えて、元町商店街あたりをフラフラ歩いていて思い出しました。「そうや、あっこのバラ、今ごろ、満開ちゃうかな?」 ( ̄∇ ̄;)ハッハッハ、駆けつけて(駆けてはいませんが)みると、満開を過ぎて散り始めてました。でも、今咲き始めたつぼみもあります。 ここの庭のバラは、それぞれなかなかないい感じの花を、去年もつけていました。そんなに種類がたくさんある薔薇園というわけではありませんが、色も、花の形もいろいろです。 白い花から赤い花まで、それぞれがのんびり咲いています。 あれこれ咲いている花壇の中には女神(?)さんもいらっしゃって、女神さん自身は少々汚れていらっしゃるのですが、お花畑の中で悶えていらっしゃって、そのお花畑がなかなか素敵です。 女神さんのまわりで咲き誇るバラの花です。 今が、ちょうどいいころ合いかもしれません。ピンクの花がうっすらと色づいているようすがなんともいえませんね。 ああ、いい忘れていましたが、ここはどこかといいますと、上の写真で女神さんの後ろに見えていたのが神戸文化ホールの壁画ですが、大倉山の体育館の前庭です。 後ろに写っているのが、大倉山体育館の建物です。その前にはバラの花がアーチにしつらえてあります。ちょっと盛りをすぎているようですがなかなかで、あたりにいい香りがしています。 で、まあ、この写真がおまけです。女神さんの足元で、今にも開こうとしていた白バラです。美しいものですね(笑)。ボタン押してね!前回ご案内した豊助饅頭
2023.05.03
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ベランダだより 2023年5月2日(火)「チビラくん、初登場!」ベランダあたり はははは、2023年も5月になりました。いいお天気です。今日はゴールデン・ウィークの谷間の火曜日です。 お布団を干そうと出て来たベランダで見つけました。チビラくん初登場です。 先日、チッチキ夫人がいってました。「あのね、ベランダのサナギ、孵って、飛んでいったんだよ。」「えーっ?ほんと?」「ホント、ホント!アゲハだったよ!」 本日登場したのは一匹だけではありません。そのアゲハ蝶のお仕事の成果でしょうか?シマクマ君はアゲハどころかモンシロチョウさえ見かけないのですが、ともかくも、チビラくん初登場!です。 ベランダからの眺めです。梅も桜も咲き終わって、新緑があふれています。布団を干すのがうれしい季節です。芝生の庭には西洋タンポポとシロツメ草です。 ちょっとカメラを振ってみますね。ベランダから見える西側の棟と芝生の新緑です。 こちらが正面です。砂場がありますが、子供はいません。もっとも、砂場は、時々登場するノラ猫くんとかがお便所にするから不潔だという理由で網がかけてあります。見たことはありませんが、そういうめんどくさいことを騒ぐ時代ですね。 ベランダでは空木の花が満開です。 テッセンも咲いています。鉢植えで、毎年咲いてくれるのですが、年々、花が小さくなるような気がします。肥料が足りないのでしょうかね。 サンデー毎日の老人はどちらにしろ自宅でのんびりしているのですが、パート仕事のチッチキ夫人は、連休の谷間のご出勤です。まあ、お布団ぐらいは干しておこう! 5月のいいお天気というのは、怠け者の老人でも、そういう殊勝な気分に、自然とならせてくれますね(笑)。じゃあ、またね。ボタン押してね!
2023.05.02
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100days100bookcovers no89(89日目)嵐山光三郎「漂流怪人・きだみのる」(小学館文庫) シマクマ君に回ってきた、ブックカバー・チャレンジ89日目は嵐山光三郎「漂流怪人・きだみのる」(小学館文庫)です。 イラストレータの南伸坊が、腰巻の文章を引用しながらこんな解説を書いている本です。「きだみのるはファーブル「昆虫記」の訳者で、戦中「モロッコ紀行」を書いたブライ派の学者である。雑誌「世界」に連載した「気違い部落周遊紀行」はベストセラーになり、映画化され、大ヒット。嵐山は雑誌「太陽」の編集部員であった28歳のとき、きだみのる(75歳)と、謎の美少女ミミくん(7歳)と一緒に取材で各地をまわった。フランス趣味と知識人への嫌悪。反国家、反警察、反左翼、反文壇で女好き。果てることのない食い意地。人間のさまざまな欲望がからみあった冒険者。きだ怪人のハテンコウな行状に隠された謎とはなにか。」(本書腰巻) 28歳の青年が、75歳の怪人と運命的に出会う。そしてそこに少年のような7歳の少女。これは「きだみのる」の評伝であり、しかも嵐山光三郎の青春記でもある。「嵐山は73歳になった」と、嵐山さんは書いている。 きだみのるは、名著をものした学者にして、すこぶる魅力的な怪人だが、私はその名著を未読である。 いま猛烈に、きだみのるの本を読んでみたいと思っている。 まちがいなくこの本は嵐山光三郎の最高傑作である。(P281) どうです?面白そうでしょ。まず著者の嵐山光三郎ですが、怪しい探検隊の椎名誠が流行っていたころ、ともに「昭和軽薄体」と呼ばれて登場した人だったと思いますが、ぼく自身は「素人包丁記」(講談社文庫)とか「文人悪食」(新潮文庫)とかの、「くいしんぼ」エッセとか、「温泉」エッセイでお世話になってきた人です。伝記(?)では「桃仙人小説 深沢七郎」 (中公文庫)、「 悪党芭蕉」(新潮文庫)とかが評判になりました。 もともとは平凡社の「太陽」という名雑誌の編集長だった方です。平凡社といえば百科事典です。で、「百科事典の巨人」林達夫というとんでもないインテリが思い浮かんでくるのですが、先日、一緒に本読み会をやっている、ほぼ同世代の本好きの方に名前を言ったところ「誰、それ?」という返答だったわけで、この記事をお読みになっている方にも、今や、あんまりピンと来ない名前なのかもしれませんね。 今回、紹介している本の中で主人公であるきだみのるが山田吉彦という本名で「ファーブル昆虫記(全10巻)」(岩波文庫)を訳していますが、その昆虫記で、共訳者といて名前が出てくるのが林達夫です。中公文庫に「共産主義的人間」という小冊子ですが、名著が、たぶん、今でもあります。 まあ、話は戻って、その嵐山光三郎の最新作が「漂流怪人・きだみのる」(小学館文庫)です。 紹介ついでに「きだみのる」についてですが、ぼくはファーブル昆虫記の訳者で本名山田吉彦の方は 中学生のころから知っていましたが、「気違い部落周游紀行」 (冨山房百科文庫)の人だということを知ったのは、ずっと後のことです。 実は、先だって、YAMAMOTOさんが「土佐源氏」の宮本常一を話題になさったときに読み直そうと思いついた人でした。で、元あった棚から取り出したのはいいのですが、それをどこに置いたのかわからなくなって、さがしていて見つけたのが嵐山光三郎のこっちの本というわけでした。 きだみのるの「気違い部落周游紀行」 (冨山房百科文庫)は敗戦直後の八王子の山村のルポルタージュで、1948年の第2回毎日出版文化賞受賞作です。戦後すぐの、ニッポンの村社会を描いた名著です。 1957年、渋谷実が監督で、松竹で映画化していて伊藤雄之助とか淡島千景が出ていて、大ヒットしたそうです。 著者のきだみのるは、戦前、ソルボンヌでマルセル・モースに学んだフランス帰りですが、帰りに立ち寄ったモロッコについて、後に、岩波新書で「モロッコ」として再刊されている「モロッコ紀行」(日光書院)という本を出したのが社会学者としてデビュー作で、日中戦争の最中のことです。 宮本常一が柳田民俗学の異端だったとしたら、きだみのるは戦後の社会学、文化人類学の異端といっていいかもしれません。戦後社会を「漂流した」怪人物です。 本書は、上に引用した南伸坊の解説にある通り、1970年代、「太陽」の若き編集者として「きだみのる」と仕事をした嵐山光三郎の「思い出の記」です。 きだみのると彼の幼い娘を巡るスキャンダルについても、彼ら親子を利用して「子育てごっこ」というインチキ作品で一世を風靡した直木賞作家、三好某のスキャンダルとともに暴露されています。 いろんな、意味で、読みごたえというか、暇つぶしに最適というか、面白さ満載です。 DEGUTIさんの88日目はチママンダ・ンゴズィ・アディーチェ「半分のぼった黄色い太陽」(くぼたのぞみ訳 河出書房新社)、アフリカの女流文学でした。いや、アメリカ文学でもあるかもです。何しろ、アメリカ、カナダの英語の短編小説に与えられる「オー・ヘンリー賞」受賞作家ですしね。バトンをいただいたのは2022年の7月の末でした。 作家の西加奈子が、KOBAYASI君が紹介したルシア・ベルリンの翻訳者岸本さちことのラジオ番組の中で紹介していたというのが、まあ、いわゆる付け筋のようですが、「なるほどなあ、そういう繋がりでお読みになっていらっしゃるのか。」 と、まあ、皆さんの紹介を読みながら、いつものことではあるのですが、今回も感心することしきりで、「じゃあ、ぼくも読んでみようかな…」 というわけで、早速、借り込んできた「半分のぼった黄色い太陽」(くぼたのぞみ訳 河出書房新社)とか「アメリカーナ」(くぼたのぞみ訳 河出書房新社)とかをパラパラしながらそのあまりの分厚さにちょっとたじろぎました。両方とも2段組みで500ページを超えるのです。「こりゃ、すぐに読むのは無理やな(笑)。じゃあ、89日目は何にしようかな?」 で、89日目の付け筋ですが「半分のぼった黄色い太陽」をラジオ番組で紹介していたという西加奈子という作家は1977年、父の任地イランで生まれた人で、いったん帰国しながら、小学生時代にはエジプトに渡り、帰国後、通天閣の街を描いた「通天閣」(ちくま文庫)で織田作之助賞をとって登場したのが2007年です。 その後、イランやアフリカの暮らし(?)をネタにして書いた「サラバ」(小学館文庫)で直木賞作家になった人ですね。まあ、云ってしまえば「アフリカから帰ってきた女」 というわけで、ぼくのこじつけですが、本書の主人公きだみのるは「アフリカから帰ってきた男」 というわけです。ハハハ、こじつけです。嵐山さんが帰ってきたわけではありません。で、いいわけですが、コロナから帰ってきたシマクマ君は、少々不調でして、文章の脈絡が整理できていません。なにを書いているのか、実は、よく分からないのです(笑) まあ、そういうわけで、とりあえず、バトンをお渡ししたい一心の紹介でした。YAMAMOTOさん、よろしくね。(笑)(2023・08・31・SIMAKUMAくん)追記2024・04・05 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目) (51日目~60日目)) (61日目~70日目) (71日目~80日目)という形でまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2023.05.01
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