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邇邇芸命の子は山幸彦と海幸彦である。山幸彦は海幸彦の釣り針をなくしたため、海幸彦に責められる日々を送るが、海神の宮殿に赴き釣り針を返してもらい、海幸彦に釣り針を返し復讐して従えた。山幸彦は海神の娘と結婚し鵜草葺不合命という子をなした。そして、鵜草葺不合命の子が神倭伊波礼毘古命、のちの神武天皇である。火折尊(ほおりのみこと、火遠理命)、あるいは彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)は日本神話に登場する神。「山幸彦」として知られる。天津彦彦火瓊瓊杵尊の第2子。母は鹿葦津姫(かしつひめ)。神武天皇(初代天皇)の祖父である。山幸彦として知られ、兄に海幸彦がいる。名は彦火火出見尊(ひこほほでみ)、あるいは火折尊(ほおり)。『日本書紀』では前者、『古事記』では後者でほぼ一貫している。"彦火火出見尊"は神武天皇の諱でもあり、祖父と孫が同一名ということになる。海神の助けを得て兄の海幸彦を征し、海神の娘である豊玉姫との間に彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊を得た。久しくして崩じ日向の高屋山上陵に葬られた。『古事記』は高千穂宮に580年居住し、高千穂山の西に葬られたとする。ホデリ(『古事記』では火照)は、日本神話の『古事記』に登場する神。山幸彦と海幸彦の説話に登場し、一般には海幸彦(海佐知毘古、うみさちひこ)の名で知られる。隼人の阿多君の祖神とされる。日子番能邇邇藝命(ひこほのににぎのみこと)に国津神の子ではないかと疑われた木花之佐久夜毘売(このはなさくやひめ)がその疑いを晴らすために火中で生んだ三神の長子で、火がさかんに燃えて照り輝いている時に生まれたので火照命(ほでりのみこと)と名附けたとする。弟に火須勢理命(ほすせりのみこと)、火遠理命(ほおりのみこと、山幸彦)がいる。海で魚などを猟って暮していた。ある日、狩りをして暮らしていた弟の火遠理命と道具を交換するが、火遠理命が釣針を無くしたことを許さなかった。その後、海神から復讐の方法と呪具を与えられて帰ってきた火遠理命によって苦しめられ、火遠理命に服従した。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』愛と涙と勇気の神様ものがたり まんが古事記 [ ふわ こういちろう ]
2021.01.07
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天孫降臨(てんそんこうりん)とは、天孫の邇邇藝命(ににぎのみこと)が、天照大御神の神勅を受けて葦原の中津国を治めるために、高天原から筑紫の日向の襲の高千穂峰へ天降(あまくだ)ったこと。 邇邇藝命は天照大御神から授かった三種の神器をたずさえ、天児屋命(あまのこやねのみこと)などの神々を連れて、高天原から地上へと向かう。途中、猿田毘古神(さるたひこのかみ)が案内をした。『記紀(古事記と日本書紀)』に記された日本神話である。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』天孫降臨 25度 1800ml 芋焼酎
2021.01.06
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高天原にいた神々は、葦原中国を統治するべきなのは天照大御神の子孫だとした。そのため、何人かの神を出雲に遣わしたが、いずれも大国主神に寝返ったり、寝返った神に殺されたりと交渉は遅々として進まなかった。最終的に建御雷神ら武神二柱を派遣し、大国主神の子の兄・事代主神に国を譲らせ、果敢に抵抗した弟・建御名方神をも降服させる。御子神二柱が要求に応じたため、大国主神は自らの宮殿(出雲大社)建設と引き換えに、天の神に国を譲ることを約束する。日本神話と和風の創作事典/榎本秋/榎本海月/榎本事務所【1000円以上送料無料】
2021.01.05
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大国主の国づくり(おおくにぬしのくにづくり)とは、日本神話での大国主(大己貴命)の葦原中国の国造りのこと。古事記大国主が出雲の美保岬にいたとき、鵝(蛾の誤りとされる)の皮を丸剥ぎにして衣服とする小さな神が、海の彼方から天の羅摩船(あめのかがみのふね)に乗って現れた。大国主はその小さな神に名を尋ねたが、答えがなく、従者もその名を知らなかった。そこにヒキガエルの多邇具久が現れて、「これは久延毘古(クエビコ)なら知っているでしょう」と言った。久延毘古に尋ねると、「その神は神産巣日神の御子の少名毘古那神である」と答えた。久延毘古は山田のかかしで、歩行できないが、天下のことは何でも知っている神である。神産巣日神は少名毘古那を自分の子と認め、少名毘古那に大国主と一緒に国造りをするように言った。大国主と少名毘古那は協力して葦原中国の国造りを行った。その後、少名毘古那は常世に去った。大国主は、「これから一人でどうやって国を造れば良いのか」と言った。その時、海を照らしてやって来る神がいた。その神は、「我は汝の幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)である。丁重に私を祀れば、国造りに協力しよう」と言った。どう祀るのかと問うと、大和国の東の山の上に祀るよう答えた。この神は現在御諸山(三輪山)に鎮座する神(大物主)である。日本書紀『日本書紀』第八段 一書第六に、「大己貴命(おおあなむち)と少彦名命(すくなひこな)は協力して天下(あめのした)を営んだ。この世の人々や家畜のために、病の治療法を定め、鳥獣や昆虫の害を攘(はら)う為に、禁(とど)め厭(はら)う法(禁厭=呪(まじな)い)を定めた。以来人々はみなその恩恵を蒙(こうむ)っている」とあり、まず2神を医薬神・農耕神として解説する。続いて大己貴命は少彦名命に、「我らの造りし国は善く成せりと言えるか」と語った。少彦名命は、「成せる有れば、成らざるも有り」と答え、この会話の後、少彦名命は熊野の御碕(みさき)にて、「遂に常世郷(とこよのくに)に適(いでま)しき。」または、「淡嶋(あわのしま)に行き、粟莖(あわがら)に上ったところ、彈(はじ)かれ常世郷に渡り着いたとも言う」とあり、『古事記』より細かい描写がなされる。なお、これ以降「大己貴命」が「大己貴神」と敬称が変わる。その後、国の中の未完成な所を、大己貴神は一人で能(よ)く巡り造り、そして出雲国に到る。言葉に出して、「そもそも葦原中国は最初より、荒芒(あら)びたり。岩や草木に至るまでことごとく能(よ)く強く暴(あら)し。しかし私が摧(くだ)き伏せ、和順(まつろ)わざる(従わない者)莫(な)し」と言った。そして続けて、「今この国を理(おさ)むるは私一身(ひとり)だけだ。私とともに天下を理むべき者は、果たしているか」と言ったとある。『古事記』とは違い、少彦名命が常世郷に渡った後に、大己貴命は単身で葦原中国の国造りを行っている。その後は『古事記』と同様に、輝く幸魂奇魂と遭遇する。その神が大三輪(おおみわ)の神なりとある。最後に少彦名命と遭遇するシーンとなり、初め大己貴神が国を平げ出雲国の五十狹狹(いささ)の小汀(おはま)で飲食しようとした時、海上から人の声がした。驚いて探したが、どこにも姿が見えない。しばらくして、「一人の小男(おぐな)が白斂(かがみ)の皮を舟とし、鷦鷯(さざき)の羽を衣として、潮水(うしお)の隨(まにま)に浮かんでやって来た」とあり、『古事記』とは描写が異なる。そして、大己貴神が掌に取り置きて玩(もてあそ)ぶと、飛び跳ねてその頬を突いた(もしくはかじった)。そこでその物色(かたち)を奇妙に思い、使を遣わし天神(あまつかみ)に報告した。すると、高皇産霊尊(たかみむすひ)が、「私が産んだ子は一千五百柱もいるが、その中の一人はとても悪く(わがまま・やんちゃ)て教えに従わなかった。指の間から漏れ落ちたのが、きっと彼だろう。宜しく愛でてこれを養(ひた)せ」と答えたとあり、これが少彦名命であるとある。『古事記』と大きく違うのが、神皇産霊尊の子でなく高皇産霊尊の子となる事と、久延毘古は存在しない事である。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』神像 大国主神 オオクニヌシ 総高20cm 桧木彩色
2021.01.04
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スサノオ(須佐之男)は根国へ行く前に高天原へと向かう。アマテラス(天照)はスサノオが高天原を奪いにきたのかと勘違いし、弓矢を携えてスサノオを迎えた。スサノオはアマテラスの疑いを解くためにうけい(誓約)で身の潔白を証明した(アマテラスとスサノオの誓約)。この時、のちに皇室や出雲国造の始祖となる五柱の男神と宗像三女神が生まれた。しかしスサノオが高天原で数々の乱暴を働いたため、これを怖れ憂えたアマテラスは天岩戸に隠れてしまい、地上は闇に覆われてしまった。神々は計略も用いてアマテラスを天石戸から誘い出し、光が地上に取り戻された。スサノオは悪行の責めを負って下界に追放された。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』絵物語古事記/富安陽子/山村浩二/三浦佑之【合計3000円以上で送料無料】
2021.01.03
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イザナギ・イザナミの二神は自らが造ったオノゴロ島に降り、結婚して最初の子・ヒルコが生まれた。ところが、方法に間違いがあったことから失敗し、不具の子であった。この子を海に流した後、次の子・アワシマが生まれたが、またも正しく生まれてこなかったため、二神は別天津神に教えを乞い、そうして改めて正しく交わり、生み出したのが淡道之穂之狭別島であった。次に淡道を含む「大八島」と呼ばれる島々(日本列島)を次々と生み出していった。これらを「国生み/国産み」という。その後もさまざまな神々を生み出してゆくことになるが、これらを「神生み/神産み」という。しかしイザナミは火神・カグツチを産み出す際に大火傷を負ってしまい、この世を去ってしまう。残されたイザナギは亡きイザナミに会いたい気持ちを募らせて黄泉国へ赴くも、彼女が黄泉の住者になってしまったことを思い知って逃げ帰る羽目になり、永遠に離別することとなった。その後、イザナギは黄泉国で被った穢れを祓うために禊をした。この時にもさまざまな神々が生み出されたが、その最後に「三貴子(みはしらのうずのみこ)」と呼ばれる3柱、すなわち、アマテラス(天照)・ツクヨミ(月読)・スサノオ(須佐之男)を生んだ。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』眠れなくなるほど面白い図解古事記/吉田敦彦【合計3000円以上で送料無料】
2021.01.02
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世界の最初に、高天原に相次いで三柱の神(造化の三神)が生まれた。天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)高御産巣日神(たかみむすひのかみ)神産巣日神(かみむすひのかみ)続いて、二柱の神が生まれた。宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)天之常立神(あめのとこたちのかみ)この五柱の神は性別はなく、独身のまま子どもを生まず身を隠してしまい、これ以降表だって神話には登場しないが、根元的な影響力を持つ特別な神である。そのため別天津神(ことあまつかみ)と呼ぶ。次に、二柱の神が生まれた。国之常立神(くにのとこたちのかみ)豊雲野神(とよくもののかみ)国之常立神と豊雲野神も性別はなく、これ以降、神話には登場しない。引き続いて五組十柱の神々が生まれた。五組の神々はそれぞれ男女の対の神々であり、下のリストでは、左側が男性神、右側が女性神である。男性神 女性神宇比地邇神(うひぢにのかみ) 須比智邇神(すひぢにのかみ)角杙神(つのぐひのかみ) 活杙神(いくぐひのかみ)意富斗能地神(おほとのじのかみ) 大斗乃弁神(おほとのべのかみ)於母陀流神(おもだるのかみ) 阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)伊邪那岐神(いざなぎのかみ) 伊邪那美神(いざなみのかみ)以上の七組十二柱を総称して神世七代(かみのよななよ)という。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』古事記 日本の神さまの物語 天と地上と地下の国で、神さまたちが大活やく!/那須田淳/よん【1000円以上送料無料】
2021.01.01
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