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天気予報を連日見ていたが、願いもむなしく晴れ間は期待できそうにない。寒いし風はあるし冷たい雨も吹きつけるようなころころ変わる天気だ。ちょっとは走りたかったが、前日前々日と全く体を動かしていない。それも不安材料。僕は確か5時間ゴール、を自己申告しているFグループ。10時半スタート。3~4分経ってスタートラインを越えた。最初は下り坂。飛ばし過ぎないように自重、体をあっためるようゆっくり走り出す。太鼓や吹奏楽の演奏、そして「行ってらっしゃーい」「がんばって」の沿道の声援に送られて走る。前回は30km手前くらい、今回は20kmを過ぎた辺りからしんどくなってきた。でも半分辺りで5時間を十分に切れるタイム。30km付近ですぐ後ろに風船をつけた5時間のペースランナーとそこについて行く集団が走っていた。それだけ僕のペースが落ちてきていることの表れでもあるが、しばらくは何とかついて行った。しかし、万事休す、ふくらはぎがぷるぷる震えだして来た。走り続けると肉離れ?を起こすこともある。歩いて回復を図り、また走り出す、歩く、走るを繰り返して何とか事なきを得た。最後は長い坂道を走る。途中キッズランナーがいて、一緒に走ってくれる。僕には少年野球の5年生の男の子がついてくれた。少し話しながらゴールイン。次男のお嫁さんや孫が声をかけてくれた。この寒空の中、ゴールで待っていてくれたのだ。ありがとうありがとう、おかげで完走できたよ。
2024.11.26
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著名人というか馴染みのある方の訃報が相次ぐ。最たるは谷川俊太郎さん。講演を聞いたこともある。「生きる」は何度か学級通信に書いたし、子ども達と読みあったり群読したりした。 かっぱかっぱらった かっぱらっぱかっぱらった とってちってた かっぱなっぱかった かっぱなっぱいっぱかった かってきてくったこれは『ことばあそびうた』に収められている「かっぱ」の詩。僕には珍しくすぐに口をついて出てくる。ラジオ番組「高橋源一郎の飛ぶ教室」でもよく取り上げていたし、高橋源一郎さんの谷川さんへのインタビューもあった。いろんな場所で自作朗読もやっておられた。講演もそうだが、その語り口の柔らかさ、明確な発音や話し声が心地よかった。ちょびっと読み返してみよう。
2024.11.22
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寒くなった。洗濯物を干してから退職した教員の集まりに行った。既に始まっていて戦後の食糧事情について、大先輩が話していた。80歳を超えてますます元気で声にもハリがある。少しして食事。役員の方々が早めに集まって野菜たっぷりの豚汁を用意してくれていた。コロナ前はアルコールも出て、それぞれ思い思いに熱く語っていたものだが、いつも前の席にどんと座って含蓄のある話やユニークな実践を話してくれた重鎮の姿が、今はない。亡くなったり、施設にはいったり、遠くの子どもさんの所に移り住んだり…とバラバラになってしまった。それぞれの近況を順に話してもらう。畑づくりの話が多い。隣りに座ったサークル仲間の方はタマネギを1000本植えたというからビックリ。若い人たちと地域を盛り上げようと活動している話や、再任用で学校に行ってるという方等々、ふだんの生活では聞けない話もいっぱい聞けた。僕も「元気な独居老人をやってます」とあれこれしゃべった。ふだんしゃべらないから、1週間分くらいしゃべったかな?
2024.11.21
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東北の旅のことを書いてからずっとブログを開かなかった。旅の細部について書きたいことが山ほどあったのに、結構忙しくてずるずると今日になってしまった。気がつくと三日後は福知山マラソン.天気を見ると、曇り空で11℃/6℃の予報、仙台のマラソンとは大違いだ。やっぱり寒さ対策は必要だろうが、長袖やタイツを着ると走っているうちに邪魔になりそうな気もするので迷うところだ。息子も走るので家族で応援に来るようだが、それこそ寒いから長時間の応援は体調を崩さないかと心配になる。10時半スタート、制限時間が6時間だからぎりぎりゴールすれば午後4時半。午後5時には食事を予約してあるというから着替えてシャワーを浴びてからとなると間に合わない。せめて「みやぎ復興マラソン」(5時間半かかった)くらいにはゴールしたい。これまであまりやったことないけど、幾つかある関門の時間をメモしておくのもこの歳になると役に立ちそうだ。「みやぎ復興マラソン」の僕らの年代の1位は3時間30分と聞いている。そんな人と比べても仕方ないのだが、それでも少しでも早くゴールしたい、とは思う。無理はしないけど少しは踏ん張ろう。
2024.11.20
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11月1日(金) 出発。若くない僕らは、一気に仙台まで行くのは疲れるだろう、そして翌日のマラソンによくないだろうと、1日早く丹後を出た。この日は新潟の手前の長岡市のホテルに泊まる。穏やかな天気。11月2日(土) この日は雨。丹後も昼頃大雨だったらしい。北陸道から磐越道、郡山から東北道に入り、ゴール近くの名取市のホテルに入る。その前に閖上に行った。5月に僕は訪れたが彼は10年ぶりくらいになるんだとか。雨の中、日和山にのぼる。食事の後、「閖上の記憶」にも立ち寄る。3.11直後に閖上に入ったNHK記者が撮り放映もされたビデオを見せてもらった。 今日明日とこのホテルに連泊。11月3日(日) 素晴らしい天気。ホテルの朝食を食べていては会場入りが遅くなるので、昨晩のうちによういしておいた朝食をとり、10分ほど歩いた所にある駅から仙台に向かう。たくさんのランナーがここで乗り換える。 9時10分スタート。いい天気だったが数が冷たいので走るには都合がいい。 30km手前辺りから、一気に脚が重くなる。ゴールまでの距離がきつかったが、5時間半近くかかってやっとこさゴール。一緒に走った彼も6時間を切ってゴール。 ゴール前で迎えてくれた東京から来た人と、居酒屋で祝杯をあげた。いろんな話をした。楽しかった。11月4日(月) この日もいい天気だ。今日は南相馬市小高伯。 時間があったので、小高区の海岸沿いの堤防で海を眺めながらコンビニで買った昼ごはんを食べた。 彼はこの小高区を何度も訪れてボランティアをやった。 小高駅近くの「おれたちの伝承館」を見に行く。夜は駅前の旅館に泊まる。女将さんが帰還困難区域が解除されたころの話をしてくれた。切実な現実に震えた。僕は何も知っていない。11月5日(火) 12時間以上かけて帰って来た。 さすがに疲れたが、交代できるので、一人で行った5月の時よりはるかに楽だ。 荷物を片づけていたら12時を超えてしまった。 無事帰れてよかった。やっぱり家はゆっくりする。
2024.11.08
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