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☆今日も、風は強いがいい天気! 2月になろうというのに、道路に雪はない。 こんな冬も珍しい。☆朝、外に出た。 今日9km走れば1月の走行距離が200kmに達する。 海がとてもきれいだ。 そんな海を見ながら走る。 機嫌を直したかにみえたデジカメが1枚写したところでまたも画面が赤っぽくなりそれっきり。 それはともかく12km走って200km突破。☆3月に出すボランティア便。たくさんの若者が意欲を示していてこれまでにない構成の便になりそうだ。宿泊の件や現地での仕事の確認やらで詰めていくことがたくさんある。 明日は急に何人かのメンバーが集まって相談することになった。☆先日『一筆啓上』大賞が発表された。その一つ。 忘れないよ。 3.11の夜、ぎゅっと握ってくれた君の 小さな手がママにくれた勇気。 大浦みどり(宮古市)☆原発事故をきっかけに石垣島に引っ越した俵万智さんの歌。 ・まだ恋も知らぬ我が子思うとき「直ちには」とは意味なき言葉 ・子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え ・「オレが今マリオなんだよ」島に来て子はゲーム機に触れなくなりぬ ・縁側に並んでスイカを食べているぷぷぷぷぷっと我が子島の子 俵万智『オレがマリオ』 2014.1.23 4月からは「弥栄小学校」となる鳥取小学校 (左側の建物) 正面の山は金剛童子山
2014.01.31
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隣の家のNさんが突然亡くなった。 この間の夜、救急車がすぐ近くに停まってビックリしたが、Nさんだった。 享年78歳だったという。 昨日お通夜、強告別式があった。 母が機織りをさせてもらった工場があり、丹後ちりめんが不振になってからその工場も無くなった。その工場跡で息子たちとキャッチボールをしたり屋根を越えたらホームランだとかルールを決めて遊ばせてもらったものだった。 麦わら帽子をかぶって草取りをよくやっていたNさん。満足に歩けなくなった母が外に出ていると、「ねえさん、元気そうだあなあ」とよく話しかけてくれたNさんでもあった。 喪主のHくんが最後のあいさつで「いろいろいいたいことがあるけど、おかあちゃんありがとう・・・」と言ったときにはたまらなかった。 僕らにも気楽に声をかけてくれたりとても優しかったNさん。 喪主のHくんが2歳の時ご主人を亡くして、4人の子どもを育てたNさん。 この年齢になってその大変さがよく分かる。 合掌。 2014.1.27 浜詰海岸 サーファーの姿も
2014.01.30
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祭りに担ぎ手として帰っていたKくん。 その翌日2011年10月11日出発のボランティアバス第1便に乗ってくれた。 翌年2012年8月の第6便にも再度参加。 3月便はどうかなと声を掛けていた。 4月からは4回生。5月には出身小学校での教育実習も始まる。 そのKくんが訪ねてくれた。 地元に還元できる活動をしたい、いろんな人と関わりを持ちたい等、丹後の将来を考えたい等々前向きな姿がひしひしと伝わってくる。僕が知っている小学校の頃のK君とは、ずいぶん違う、みんなそれぞれの人生を送ってきているのだ。まだ1年の学生生活があるが、部屋を引き払ってきたという。「少子化」をテーマにした卒論にしようかなとも言っていた。 そのKくんも3月便に参加したいと申し出てくれた。 高校生やKくんのような大学生が10人以上参加してくれる第12便。 若者たちの感覚で現地でのあれこれを感じ、またお互いの交流を深め飛躍のきっかけとなってくれると嬉しい。 2014.1.27 浜詰の海
2014.01.28
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休むのも練習だ、とはジムでよく会うsさんの言葉。 走ることにかけては僕らの大先輩に当たるSさん、ジムではじっくり念入りにストレッチを行っている。 僕がスピードを上げて走っていると、そんなにきばらんで(がんばらなくて)いい、ゆっくり長く走ればいい等々アドバイスしてくれる。 そんなSさんからすると、スピードや距離を意識しすぎる僕の練習ぶりを見てるとはらはらするのかもしれない。ケガの経験もあるSさんの指摘に応えて走ればいいのだが、とりあえずは元気なので「月間200km」に迫ろうと今までにない走り方をしている。 今日は山越えのコースに加えて、今まで走らなかった脇道に入って走ってみた。 風は冷たかったがだんだんと海の色や波の白さが際だつようになり、初めての道も新鮮で気持ちよかった。 200kmまで残り48km。 ※ゆっくり走ってきれいな景色があったら撮ろうとデジカメも ウェストポーチに入れて走ったのだが、ここんとこデジカメ の調子が悪くて3枚撮った辺りで画面が赤っぽくなりキレイ に撮れなくなった。 2014.1.27 かろうじて撮れた1枚 山を越えた所にある浜詰の海
2014.01.27
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区の定期総会があった。 僕は昨年に続いて役員に選出された。 他の仕事と重なって、役を固辞する人もいて役員体制がきちんと決まるまでにはもう少し時間がかかりそうだ。区長さんをはじめ選ばれた役員で明日集まることになった。 節分にはお宮さんにこもって「般若心経」を唱える行事も迫っている。 昨年は母が亡くなってまだ1年にならなかったので「忌中」ということで僕は参加していない。これまで知らなかったいろんなことが今年もまた経験させてもらえる、と思うことにして前向きに考えることにしている。 ※また寒くなった。 それでも雪が積もる程の降り方でないので助かる。 午後ジムで走った。 今日は17km。 水曜日は予定が入っていて走れないので、実質4日間。 月間200kmには厳しいがやれるところまでやる。 2013.1 サーファーたち 寒くても休みの日はサーファーがいっぱい集まって来る。
2014.01.26
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1か月に200kmは走りたいと今年の目標に掲げた。 「ランナーズダイアリィ」という小さな冊子があってそこに記録しているのだが、雪や雨、いろんな用が重なって、昨日(24日)までで8回、95kmしか走れていない。 せっかく年の初めに目標を立てたのに、これではあまりに不甲斐ない。 あったかかったし外に出た。 海沿いをゆっくり走る。 じわっと汗が出てくる。 15kmくらい走ったか、これで110km。 残り90kmを6日間で走り切ろうと思うと毎日15km。 走れない日も出てくると思うから20kmくらい走れるときは走らないと目標達成は難しい。 かなりハードルは高いがやれるだけやってみよう。 ※今日もさらに一人ボランティアバスへの申し込みがあった。 これも高校生。 卒業するとは言え、メンバーが確定したら学校に連絡だけ はしておいた方がいいとアドバイスももらった。 2013.1 これも昨年の写真 八丁浜と金剛童子山
2014.01.25
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昨日も書いたが、3月の第12便のボランティアバスが一気に希望者が増えて来た。 20人程度のメンバーで、南相馬市と仙台市の2つの行き先を想定していたのだが、高校生の参加希望者(この春卒業する人たち)が多くて仙台だけで20人に迫る勢いだ。かつてこんなことはなく、嬉しい悲鳴を上げている。 改めて現地での仕事や、宿泊、仮設住宅への訪問等、これから詰めていくことが多い。 卒業していく高校生の試験が1月31日で、後は2月28日の卒業式まで、週1回の登校でいいのだという。高校生たちへの説明や各種手続きは2月に入ってから本格的になる。 震災後を、僕たちよりはるかに長く生きていく若い彼らが、東北の現場に立つという経験はとても大切になって来ると思う。 行ってよかったと振り返られる、そんな3月の第12便にしたい。 2114.1 穏やかな海 去年の写真だが、今日はまさにこの写真のような あったかい春めいた日。
2014.01.24
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3月21日(金)~24日(月)に予定している東北行きボランティアバス第12便。 今日も参加を募る活動。 昨日、少し関わりのある高校生に電話、前向きの感触を得たのでチラシを渡して他の人にもアピールしてもらうことにした。 学校が終わってから出会った。 小学生の頃以来のMちゃんに「変わらんなあ」と言うと「身長は伸びたんですよ」とにこにこして話してくれた。 話しているとその頃のMちゃんが浮かんでくる。「いろんな人に話したら、行きたいと言ってる」とMちゃん。保護者の同意もいるし、まだ流動的だがいつになく早い出足。 今回は若い世代が多くなりそうだ。 嬉しい。 期待に応える準備をしなくちゃ。 2013.1 本の冒頭だけを紹介して、興味・好奇心をかきたてるコーナー これは昨年の様子だが、今年も開催されている。 今年僕が選んだ本の冒頭はこうだ。 それにしても、あのひとが僕を置きざりにしようとは 夢にも思わなかった。僕はまだ十歳の男の子で、ごく 当たり前の夜に、眠っただけだったんだから。 五つの国境を越えた少年の話。
2014.01.23
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昨年7月の福島の子どもたちを招いてのキャンプを今年もやろうと動き出した。 今日はつながりのできた福島の養護施設の先生方3人が来られた。昨年のメンバーや地元で活躍されるこの施設の責任メンバーにも参加してもらって宿泊の拠点となる施設で交流した。 海がすぐそこにあり、温泉にも歩いていける元保育所だった施設。 部屋はきれいだし、広い調理室もあるし、夏は涼しそうだ。 きちんとした手続きが必要なので、正式な受け入れはまだ先になるが、施設長の先生に寄れば昨年来たメンバーも何人かは参加するようで、またあの子たちに会えると思うと、今から楽しみだ。 具体的な計画はこれからだが、昨年の経験もあり上手くいきそうな予感。 2012.2 2年前の雪景色 今年は降ってもほとんど積もらない。 今日も大雪注意報が出ていたが積もるほどではない。 雪が少ないのは生活するには大助かり!
2014.01.22
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今春卒業する高校生が東北ボランティアに行きたいと言っている、とNさんから連絡があった。何度も繰り返すが、震災後を生きるのは若者の方がはるかに長い。その若者に被災地に行き、津波跡に立ち、津波被害の大きさやそこで失われたたくさんのものを想像し感じてほしいと強く強く思う。またそこで生きる人たちの思いや願いに是非触れてほしいと思う。 高校の生指担当の先生から電話があった。 今日の夕方そこの高校に出向いて少し話をさせてもらった。 僕の話を受けて、生徒に伝えるという。参加を検討している生徒さんと直接話した方がいいのだが、現段階では「学校」という組織を通さないと難しい。 上手く話せたかどうか心許ないが、後は先生や生徒さんからの連絡を待つしかない。 キャンプに関わってくれた高校生や、かつて勤務した時付き合いがあった方の子どもさんとかにこれから声をかけてみようと思っている。 2014.1 ブロック遊びに夢中の孫
2014.01.21
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京丹後市にカニを食べに来ていると昨晩電話があった。 相手の番号は僕が登録していない。誰だろうと思って話すと何と大学時代親しく行き来していた友人。明日の朝、会いに行くと約束して電話を切った。 ホテルのロビーの喫茶室でコーヒーを飲みながら話した。 もう何年ぶりになるだろうか、こうやって顔を合わせるのは。 お互い年とったなあ・・・と口にこそ出さないがそんなことを思いつつ、思いつくあれこれを話す。 もっぱら話すのは僕の方が多かったような。 青春18切符を使ってのんびり僕らが学生時代過ごした広島やその周辺を回ってきたいと彼。 1時間もしないうちに彼らの出発時間が迫ってきた。 懐かしかった。 ぼーっとゆるりとした旅をしてみたくなった。 2013.1 昨年の冬 今年は全国的には寒さも積雪も多いようだが 丹後では年末にかなり積もったが、そんなに 雪の量は多くなく暮らしには助かっている。
2014.01.20
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2011年3月11日の東日本大震災からまもなく3年になる。 その年10月、丹後発東北行きボランティアバス第1便を出してから、この3月で12回目となる。 ボランティア活動の内容もずいぶん変わってきた。 今回も仙台を中心の活動を計画している。 石巻の「復興新聞を仮設住宅の1軒1軒配布していく」「その中で復興の現実に触れたり、話を聞かせてもらったりする」仕事を紹介してもらったのだが、中心メンバーの誰も経験してないこともあって今回は見送ることにした。 別の機会に何人かがそんな仕事も経験させてもらって、また企画できたらと思う。 毎回利用させてもらっている仙台別院の施設を今回もお願いしようかなと担当の方に連絡した。 仙台市だけでなく近隣の名取市や七ヶ浜町での仕事も考えている。 今回は「食と健康」が主催するボランティアバスに合流させてもらう形をとる。 今春卒業する高校生の参加の問い合わせもあった。 若い人にはほんとに行ってほしいと思う。 3月21日(金)~24日(月)という日程で考えている。 詳しい中身が決まれば、ブログでも紹介していく。 2014.1.15 孫と海でシャボン玉
2014.01.19
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阪神大震災 19年。 1月17日午前5時46分の追悼集会には行けなかったが、昼前、会場の東遊園地を訪れることができた。 三宮駅から会場に向かう人がたくさんいた。 会場は明け方の「その時間」のようなぎっしりの人はいないが、それでも次々にやってきて手を合わせる人が絶えなかった。孫より少し大きいかなと思えるような小さな人たちが先生と一緒に来てちっちゃな手を合わせていた。テレビ局のカメラもたくさんあった。 「1.17」の形に並べられた竹灯籠に僕らもろうそくを供えた。 会場の一角に東日本大震災の時の津波の高さが示されていた。 雪のお地蔵様が何体か並んでいた。 竹を提供した方々の名前が掲載された看板に僕の村の人の名があった。 来年はできればこの朝の追悼会やその前後のイベントに参加できたらなと思う。
2014.01.18
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「海でシャボン玉!」 孫には魅力的なフレーズ。 チャイルドシートに慣れてもらうことがどうしても必要だったので孫を誘った。 ブロックも好きなのだが、そのブロックを放り出してついてきた。 最初、やり方がもう一つはっきりせずに窮屈で痛い思いをさせたので、孫にとって僕の車のチャイルドシートはイヤな印象しかない。案の定、乗せようとすると「いやなの!」と泣き出し、体をのけぞらせて抵抗、諦めて家に連れ帰った。 ところが玄関に入ると外を指さして「行くの!」ダメもとでもう一度車の所まで行くと今度は意外や意外、多少緊張した様子は見られるものの、すんなり座って「痛くない」と表情がゆるむ。 僕も嬉しくなってやったーと心の中でバンザイしながら出発した。 冬の海。 雪がほとんどないとは言え、サーファー以外はほとんど人がいない。 そんな海で孫は大好きなシャボン玉を楽しんだ。
2014.01.15
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今、孫が来ている。 孫は2歳半。シャボン玉が大好きだ。 寒さなんかへっちゃら、雪が少しだけ積もっている庭に出ようとする。 シャボン玉の液が無くなるまでやろうとするので、「あとちょっとだけ」と言って時間を切ろうとする。だが孫には「したい」気持ちが強く、目の前の楽しみを奪うことになるので「まだやるの」と手強い。 ストローの先をじっと見て吹いている。 勢いよく吹いたり、そうっと少しずつ息を吹きかけたりいろいろ試している。「おっきいね」と声をかけると「おっきいね」とにこにこしながら応えてくれる。 明日は天気がよければ海に行って海でシャボン玉をしようと言っている。 覚えてないかもしれないけど、僕の車の慣れないチャイルドシートにすんなり乗ってくれるといいのだが・・・ 2014.1 また別の角度から見た金剛童子山
2014.01.14
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1月11日、地元のお寺で「大般若会」があった。 お寺に関する役をしている関係で、昨年に続いてお参りした。 辞書には「大般若経会(だいはんにゃきょうえ)」とあり、こう書いてある。 大般若経会 大般若経を真読または転読して除災招福や護国を祈る法会。 般若会。大般若供養。 説明は難しいが、まあそういう行事があって、その後別の寺院のお坊さんの「法話」があった。 「千の風になって」を例に挙げ、山崎豊子の小説『沈まぬ太陽』に描かれたジャンボジェット機墜落の現場の描写を例に挙げながら「何が一番の供養かというと思い出すこと、思い出してあげることだ」と締めくくられた。 初めての話ではないが、新年のこの時期にふさわしく、そうだなあと思った。 そうだなあと思いながら母のことが浮かんだ。 ちゃんと供養しているか、思い出しているか。 少し自分に引き寄せて考えた。 2014.1 いろんな姿を見せてくれる金剛童子山
2014.01.13
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チャイルドシートを買った。 孫が帰ってきたときや、僕らが連れ出したいときあるといいなと思って買うことにした。 昨年に続いて今年も福島の子ども達を招いてのキャンプを計画している。それににも使えるかもしれない。 あるいは次の孫にも・・・ と思い注文、さっそく車に取り付けた。 孫がよく歌う童謡のCDも買ってこれならいつでもOK。 寒波襲来の予報にびびっていたが、まだ暗い朝、外を走る車が普通に走る音がしたのでホッとした。少し雪はあるが、たいしたことはない。べちゃべちゃの雪で車で走るには全く影響ない。 よかった。 2014.1.10 今日の金剛童子山
2014.01.10
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雨と一緒に雪が降ってきたのは午後、あっという間に屋根が白くなった。 今はまだ水分の多いべちゃっとした雪なのだが、これから本格的な雪となりそうだ。 亡き母が書いたものだろうか、メモに書いた俳句が残っている。 喜寿去りて 八十路迎えし 雪景色 いつ書いたものだろうか、「八十路迎えし」とあるから10年前くらいだろうか。 まだまだ元気だった母、どんなときに何を思って作ったんだろうか。 寒い寒いと言ってももっともっと寒かったし雪も多かったように思うが定かではない。 さてさて明日は雪かきが必要になるかな・・・
2014.01.09
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ずいぶん遅くなったが、いつも行く府中の神社にお参りした。 昨年はまだ喪が明けないので、2年ぶりの参拝になる。 新年になって1週間以上経ち、今日は平日。いつものごったがえした賑わいはなくゆっくりお参りできた。 妻はまだ掌を合わせをり初詣 これは先日の毎日俳壇に載った俳句だが、僕の奥さんも長いこと手を合わせていた。 昨年はあまりにいろんな事がありすぎた。 今年はいろんなことが上向きになるよう、僕も「作法」通りにして手を合わせた。
2014.01.08
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3月の丹後発ボランティアバス「第12便」の運行に向けて、そろそろ準備を始めなきゃという時期になってきた。 京丹後市に関わりのある若者が石巻市で復興支援の活動をしていて、昨年彼にボランティアの受け入れが可能かどうか問い合わせをしていた。その彼から昨晩返事のメールが届いた。 彼の属するグループが年末に論議した結果、自立支援の観点から一般のボランティア募集は昨年いっぱいで終了となったとのことだ。残念ながら仕方ない。 まだメンバーと相談してないが、これまでの経過からいうと仙台と南相馬に分かれての活動になるかなと思う。具体的にどんな活動ができるのか、現地のニーズを聞きながら詰めていくことになる。参加を募るチラシの準備も進めなきゃ。 この3月で3年になる東日本大震災、多くの人に参加してほしいと思う。 2014.1.7 金剛童子山 ぐっと冷え込んだ朝、風は冷たかったがきりっと晴れた。 年末の雪もほとんど消えた。
2014.01.07
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半年くらい前から風呂のボイラーの調子が悪く、いやな匂いがするようになった。 ま、いいか・・・と軽く考えていたのだが、孫によくないのではと妻が言い出して、年明けを待ってお店に連絡、来てもらった。 焚き口や屋根に上がって煙突の様子等を見て会社に連絡。その連絡だけで原因が分かったらしく、どこかの箇所の部品の交換が必要らしい。その部品を発注してもらい直しに来てもらうのは金曜日になるということだった。 幾つかのチェック項目があってそれで判断したんだろうが、凄い。さすがプロ。 今日は風呂は休み。 寒い日だったが、今日は珍しく一日中、家の中。 本ばかり読んでいた。 『おおきなねこのクロとちいさなねこのシロ』(にしまきかやこ) 『ゆきねこちゃん』(今江祥智・作 宇野亞喜良・絵) 『最後の命』(中村文則) 絵本に児童読み物に一般の文学作品。 どれもおもしろい。
2014.01.06
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昨日は京都行き、帰ったのは夜の10時頃。 今日も昨日の孫話(まごばなし)を。 途中年賀状を出しにコンビニに行った。 孫も車から降りて、トイレに行った娘の名前を大きな声で呼んだりコーヒーを待ってる僕に「じいちゃん行こ」とこれまたよく通るはっきりした声で言う。嬉しいやら恥ずかしいやら。 こんな孫だから京都に住む妹の所にもすんなりなじんでくれると思いきや、泣いて泣いて外に出ようと体をよじる。仕方なく姪っ子親子と一緒に近くの公園にドングリ拾いに行った。 機嫌を直して歌やおしゃべりも出てきた。 その流れで家に入った。大好きなアンパンマンのビデオも流してもらったが、それよりもブロックに夢中になった。カレーも一緒には食べずに、後でもりもり食べた。 姪っ子の子と人形の取り合いになり、人形をその子に渡すとその場に突っ伏して大泣き。 いろんなことがあるよなあ。 僕らが育った時代、環境とは大きく変化している世の中で孫は生きていく。 まだまだこれからいろんなことがある。 いっぱい体験し いっぱい笑っていっぱい泣いて いい人生を歩んでほしいと思う。
2014.01.05
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年末エイッと自分を奮い立たせて年賀状に取りかかり、文面を2種類考え始めたのだが、恥ずかしながら頓挫。新年になって配達された年賀状を手にしてようやくエンジンが掛かり印刷を始めた。いただいた年賀状を読みながら印刷したものに一言二言三言・・・・を手書きで書いていく。 昼間はなかなか作業できる時間がとれずに、孫とひとしきり遊んで、孫が寝た後で書いた。 やっと50枚程完成させた後で休憩、葉書も準備できてなかったので今日はひとまず終了。 何とか土日で書き上げたいものだ。 明日は京都まで孫たちと一緒に行き、京都で孫と別れる。 ずいぶんと慣れて大きな声で次々に歌を歌ってくれたり「○○しよう」と誘ってくれるようになった。昼寝している側で仕事をしたが、寝顔のかわいいこと。 この子の未来がシアワセでありますようにと切に思う。 そんな未来につながる1年でありますように。 2013.12 正面に冬の海を見るお地蔵さんたち
2014.01.03
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孫といると笑いが絶えない。 笑いのツボのようなものがあって、そこに入るとケラケラ笑う。 そのケラケラが見たくて同じことを繰り返す。 遠慮とか計算のない混じりけなしの笑顔や笑い声に僕らも元気をもらう。 ぜんざいを食べ漬け物をばりばり食べ、シチューを食べた。 何故か大好きなダイコンをもりもり食べる。 気のせいでなく、ほんとに頬がふっくらとして太った感じ? 書庫から絵本を選んで一緒に読んだ。同じ本を何度も何度も見返す。 妻が持っていたアンパンマンのカルタでも遊んだ。 着替えや食事時はしたいことがあると「まだ遊ぶの」とか「いらん」と言って、いやがり泣くこともあるが、でも我慢したり気持ちを切り替えて、要求に応えようとする。 明後日は帰るが、また近いうちに会えそうだ。 2013.12 丹後半島・冬
2014.01.02
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朝6時半過ぎに家を出て、お宮さんにお参りした。 まだこれから明るくなるような時間帯で石段には電球がともっていた。 本殿で僕には珍しく長く手を合わせた。 昨晩遅くお寺で除夜の鐘つきを済ませた後、ここに回る人が多いので今朝は一人も出会わなかった。 静かな境内をゆっくり回った。 石段を下りるとどんよりとした空の下、正面にうっすらと雪をかむった金剛童子山が見えた。 この山に見守られながら新しい日々が始まる。 ※不意に思いついてブログのデザインを変えた。 当面これでいくつもり。 2013.12 冬の海
2014.01.01
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謹賀新年。 珍しく紅白を少しだけ見た。 泉谷しげるが不機嫌そうな顔で歌った。 「春夏秋冬」 僕らの世代には懐かしい歌。 語りが凄かった。 今年はいろいろあったろう。 忘れたいことも忘れたくないことも。 今日もすべてが終わる。 自分だけの今日に向かえ! 新しい年が始まった。 今年もいろんなことがあるだろう。 いい1年にしたい、と思う。 2013.12 冬の海
2014.01.01
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