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すみだトリフォニーホール 15:00~ 3階正面 ワーグナー:歌劇「さまよえるオランダ人」序曲 ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番ハ長調 <ピアノ独奏アンコール> バルトーク:チーク地方の3つのハンガリー民謡 ワーグナー:楽劇「ラインの黄金」~ワルハラへの神々の入城 楽劇「ワルキューレ」~ワルキューレの騎行 楽劇「ジークフリート」~森の囁き 楽劇「神々の黄昏」~自己犠牲と救済の場 ピアノ:ピョートル・アンデルシェフスキ 指揮:クリスティアン・アルミンク 新日フィルの定期演奏会。定期なので足を運ぶ事になります。アルミンクだし。 もっとも、そもそもこのプログラミングってどうなんだ、と言いたくなるような組み立てではあるんですけどね。それでも演奏さえ面白ければいいのですが、うーん… 問題は勿論後半。確かにこういう曲目自体人気があるのは分かります。実際、自分だってそれなりに期待して来ましたし。大体が、こういう曲目で難しいこと考えても仕方ないんだと思うし。 とはいうものの、聞けば聞いたで思う所はある訳で。いや、言っても仕方ないのですが、つまり、物足りないのです。声が無いのが。んなこた最初っから分かってっだろ!と言われれば一言も無いのですが、でも、実際、そう思ってしまったものは、ねぇ? 演奏がとりわけ不満だというわけでも無いのですが、改めてこういう形で聞くと、足りない感があるのです。一つには、こちらが元の声付きを知っている、というのはあると思います。が、やはり、こういう曲目というのは、アンコールピースになってしまうのだと思うのです。 アンコールピースだからいけないとか、手を抜いているとかいうわけではないんです。例えば、「ジークフリート」の「森の囁き」など、オーボエが非常に頑張っていて、いい演奏だったと思うのです。でも、ここは、管弦楽曲「森の囁き」ではなくて、「ジークフリートが鳥の声から色々知る」場面なんですよね。威張って言うわけじゃないけど、それと、管弦楽だけを聞くのとは別の話だろう、と思うわけです。勿論,それを言っちゃあおしまいよ、って話ではあるんですけど。でも、「ブリュンヒルデの自己犠牲」とか、実際に舞台でその場面を見てしまうと、どうしても脳内でブリュンヒルデを補完して聞いてしまうわけです。 所詮、何を言ってみても、ワーグナーだって「オペラ」なんです。そう言うとワーグナーは怒るかも知れないけど、でも、「全夜連続しての完全興行」を熱望していたワーグナーが、声無しの管弦楽曲としての聞かれ方を敢えて望んでいたわけでもないだろうし..... プログラミングが悪いよ、アルミン君。 前半は、「オランダ人」序曲。まぁ、これはまだしも。元々「序曲」という独立性のある音楽だしね。 協奏曲の独奏は、アンデルシェフスキ。元々はルプーの予定だったんだよなぁ...とか思うと、ちょっとほろ苦い。でも、アンデルシェフスキも悪くないだろう(いや実はリサイタルも買ってあるし)と期待したのですが、ちょっと音が硬かったかな。というより、曲がねぇ。ベートーヴェンの1番。悪いとは言わないけれど、あまりピアノとして楽しい曲ではないように思うのですが。特に、こういう大きなホールで、音の固い日本のオーケストラとでは、ちょっと優雅さに欠けますやね。 演奏は悪くないんだろうけど、音楽として、個人的にはアンコールのバルトークの方が好きだな。 というわけで、全体には若干不完全燃焼、特に後に行くほど、という演奏会でした。公平に言えば、全般に出来は悪くない、って言うべきなんでしょうけど。確かに,「こんな感じ?」感で言えば、「オランダ人」が終わった後が一番幸福だったかも。 新日フィルの演奏は、いつもの方向性でしょうか。出来のいい標準的な日本のオケ、ですかね、今日は。
2009年05月31日
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新国立劇場 14:00~ 4階正面 オデット/オディール:真忠久美子 ジークフリート王子:冨川祐樹 ロートバルト:芳賀望 道化:吉本泰久 新国立劇場バレエ団 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:アレクセイ・バクラン 演出:牧阿佐美 本当は忙しくてバレエ見てる場合じゃねえだろ!という状況の筈なんだけど、何故かこのチケットを買っていた。どういう経緯だっけ........気の迷い?行くのやめようかな、と思っていたのだけれど、朝から仕事してたらいい加減やになって出掛けてしまったのでした......だめじゃん........まぁ、帰ったら帰ったでまたやってるし.... 白鳥の湖。そういえば、新国立劇場のは暫く見てなかったようで、このプロダクションも今回初めて見る筈。 正直,キャストは多分いまいちなのでしょう。いや、他の日を見ても明らかに客演陣とか、知った名前とか、いないし。そのくらいは見当はつくのですが、別にそこに拘って見に来たわけじゃないから、まぁいいんですが。 とはいうものの、4階でも正面に座ってると結構面白いもので、特にこの白鳥の湖は、白鳥の群舞とか見てるとなかなか幻想的、というよりちょっと怖くなってくるくらい。というわけで、それなりに面白く観ていたのですが.......... あれ? あれれ? こういう終わりなの? いえね。確か、白鳥の湖ってのは、最後はオデットとジークフリートは命を賭すことで呪いを解いてロートバルトに打ち勝って.....って話じゃなかったっけ? それが、愛の力でロートバルトを打ち破りました~めでたし~って、そういうこと? いや、バレエはよく知らないし、そりゃまぁ色々あるだろうから、こういうのもありかも知れないけれど,オデットに愛を誓ったのに、ロートバルトの奸計にはまってオディールに間違って愛を誓ってしまい,という「裏切り」があるから、オデットとジークフリートは死んで救済を成し遂げる、ってな話ではないの?裏切りは愛の力で御破算にされちゃうわけでしょうか?まぁ、そりゃ、一つのスタイルかも知れないけど、救済を伴う悲劇がハッピーエンドってのもまた大胆な。 音楽は、今日はちょっと安全運転気味だったのか。元々バレエの伴奏はどうしても音楽としてはやや精彩を欠く傾向がありますけど、今日はそれにしても慎重だったかな。まぁ、これまたそういうものだと思って聞いてるから、気にしませんが。それに、流石にチャイコフスキー、白鳥の湖とか、曲自体面白いので退屈しないし。いや、実際,チャイコフスキーの音楽としては、交響曲よりバレエ音楽の方が好きだし。
2009年05月24日
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15:00~ 浜離宮朝日ホール 2階右側 J.S.バッハ:ゴールドベルク変奏曲 チェンバロ:曽根麻矢子 いやぁ、大後悔。畜生!という気分であります。いや、不勉強な自分が悪いんだけど。やはり実際に聞いてみなきゃ分からない、と久々に痛感しました。 曽根麻矢子が浜離宮でバッハの演奏会をやってるらしい、というのは前々から知っていましたが、如何せん平日だったりで日程合わない、チケット取れない、で行った事ありませんでした。自分としても優先度はそれほど高くなかったし。で、今回の最終回になって、たまたま気が付いて、辛うじてチケットが取れたので、初めて行ったのでした。曲目も粗方聞けば覚えがあるゴールドベルク変奏曲だし。実は,これが取れてたので,ラ・フォル・ジュルネも心置きなく声楽曲中心で組んだ次第。それでも二公演ほどチェンバロ物は聞いたけど。 ゴールドベルクなのに、途中、第15変奏の後で休憩を入れるというシステム。終演後は乾杯がある、という、ふーん、こういうノリなの?てな感じで席に着いたのですが...... いや、面白かった。とても面白かった。 言えば当たり前の事をやっているのでして、つまり、 ・装飾音を付ける ・それにより、繰り返される部分の表情を変えて行く ・アゴーギクを微妙に揺らして、リズムにアクセントを与えると、まぁ、大体こういうことをやっていたと思うのです。 こう書くとごく普通なんですが、聞くと聞くとでは大違い。(?)いや、この辺が自分の不勉強の所以なのですが..... まず、装飾音の付け方が、凄い。自分も知識として装飾音の付け方にも色々あったらしい、というのは知っているけれど、実際に多く耳にしたのは、気付かないせいもあるだろうけど、基の音に前打音を付けるとか,トリルにするとか、その程度。それを、この演奏では、それはもう当たり前の世界で、長3度の和音の構成音で弾いてみたり、甚だしきはもう基音が出て来なかったり。それでいて、決してトンデモではなく、一度聞いた部分の繰り返しなので、それが鮮烈に意表を突いて来る、その裏切られ感が楽しい。 アゴーギクもとても豊かで、各変奏毎に大胆にリズムを揺らす事で舞曲感を大幅アップ。多分、これだけ揺らしてしまうと、本来の舞曲のリズムからはかなりブレていると思うのですが、その分音楽としてはとても活き活きとして聞こえて来る。「バッハのクラヴィーア曲」というイメージからすると、例えばグールドやレオンハルトの録音などと較べても、遥かに自由で印象深い。まるでロマン派のピアノ曲でも聞いているかのように表情豊かに感じられるけれど、決してロマン派のような音楽ではない。 むしろ、これに近いのは、ジャズの即興演奏、ピアノトリオあたりで感じるような緊張感とグルーヴ感、でしょうか。そういえば、メロディラインを弾かずにそれを示唆する音を奏する事でアクロバティックな感じを出すというのは、モダン・ジャズの常套句であります。あれとは違うけれど、この装飾音の付け方は、それに相通ずる所があると言えなくもない。音楽が似ているのではなく、発想が似ているのであって、勿論音楽の中身、語法は全く違うんですけどね。 いい演奏だろうな、と期待していたものの、こんなに面白い演奏が繰り広げられるとは思ってもいませんでした。最終回になってようやっと行けたとは!悔やむべきか喜ぶべきか。 今回だけはじけていたのか、それともこのシリーズではずっとこうなのか、それは分かりませんが、もし前からこんな演奏だったなら、どうしてみんな教えてくれないの!って誰に文句言ったってはじまりませんが。それとも今のバッハのチェンバロ演奏はこれくらいが普通で,今更どうこう言うようなことではなかったの?そんな気もしないのですが、まぁ確かに我ながら最新のバッハのチェンバロ演奏事情に明るいわけでもないし..... ともあれ、こんなことなら、前から万難排してでも聞いておくべきだった。 ちなみに、曽根麻矢子、最近ゴールドベルクの新録音を出していて、まだ聞いていないのですが、これはその内聞かなきゃだなぁ.....
2009年05月23日
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無事取れたから引き落とすぞ~、と連絡が来ました。 希望した日の内ではあるけど、第一希望だったかどうかは不明。まぁ、この日程に合わせて調整することになりますな。 しかし、来年の夏の話だというのに、気の早いことではあるか.......まだ、この夏の予定だって決まっていないというのに(^^;
2009年05月21日
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新国立劇場中劇場 14:00~ 1階後方右寄り クラウディオ・モンテヴェルディ「ポッペアの戴冠」 ポッペア:森麻季 ネローネ:レイチェル・ニコルズ オットーネ:ダミアン・ギヨン オッターヴィア:波多野睦美 ヴィルトゥ/アモーレの合唱:野々下由香里 フォルトゥナ/パッラーデ/ヴェネレ:藤崎美苗 アモーレ/ドゥルジッラ:松井亜希 セネカ:佐藤泰弘 アルナルタ:上杉清仁 ルカーノ:藤井雄介 バッハ・コレギウム・ジャパン 指揮:鈴木雅明 演出:鈴木優人 聞いてきました。 字幕、というかFLASH。 予め話は聞いていたので、心のシートベルトをして行きました。ので、正直あまり違和感は感じませんでした。むしろ、アイディアとして決して悪くないかな、と思いました。 新国立劇場のコンサート・オペラは、演奏会形式なのにオーケストラはピットに入り、簡素な演出を入れるというスタイルです。この場合、舞台はかなりがらんとしてしまうので、それなりに工夫がいります。 今回は、舞台全体は常に暗く、舞台装置も背景も黒一色。登場人物をライティングだけで見せ、多少の心理表現までしてしまおうという戦略。その中で、字幕を、通常のタイプ(舞台上方の横書きスクリーンや舞台横据え置き型)でなく、歌っている人物の背景上方にそれぞれ映し出すというもの。これをFLASHで作っているそうで、字幕が斜めに出たり、滲み出たり滲んで消えたりと、言ってみれば字幕が演技もするというもの。 これ自体は、どうせ字幕は出すのだから、それをうまく使えないか,という着眼点としては、なかなか悪くないかな、と思います。ただ、これ、今回は、自分としては今一つでした。 人によるとは思うんですが、文字情報って、やっぱり吸引力と伝達力が強いんですよね。見なきゃいいじゃん、と言われても,ついつい見てしまう、読んでしまう,というのは避け難くあると思うのです、人によっては。で、自分はそのタイプ。普段でも,気が付くと、一生懸命字幕を追ってしまうタイプ。 で、簡単に言うと,今回の公演,文字情報が通常の字幕に較べて多く,かつアクティヴなんですね。実のところそれほどバリーション多く歌っている訳ではないんだけど、二重唱だと,それぞれの歌手の上方にそのフレーズが出る。出ては消える。しかも繰り返しの場合繰り返しの通りに消えては出る。結果,文字情報を追っ掛けてしまうのです。くどいようですが,「見なきゃいいじゃん」って言われても見ちゃうんだもの...... しかも、この文字情報が、通常の字幕より速いスピードで消えていく。それほど速くはないんですが、ちょっと速い。しかも、フレーズ毎に出ては消えていくので、普通に字幕情報をただ取り込もうとしても、結構一生懸命見ないと落ちてしまう。実際,私は、オペラグラス持って行ったのだけれど,あまり思うように使えませんでした。だって、オペラグラスで見てると、字幕落っことしちゃうんだもの。いや、本末転倒なんだけどね。 字幕の使い方としてはいいアイディアだったと思います。が、私のように、人によっては問題が起きる。この辺は改善すればもっといい使い方があり得るんじゃないかと思います。正直,今回の舞台のように、限られた環境でしか使えない技かも知れないけれど,アイディアは買います。 あ。 一言「気が散る」って言ってもいいのか。いや、悪くないとは思うんだけど..... なので、音楽の方は、よくわかんない(爆)<本末転倒 いや、悪くなかったと思いますよ。いつもながら、何故か宗教曲より世俗曲,バッハよりバッハ以外をやるとより以上に面白く感じられてしまう、BCJマジックの本領発揮。 それにしても、このオペラ、こんなに渋く響くとは思いませんでした。やっぱり、録音だけで聞いていては分からない事は多いものです。 総勢12名のアンサンブル、内半分はチェンバロとリコーダーとテオルボ2名づつという陣容なので,いわゆる「オペラ」の感覚とは全然違います。存在感が大きかったのは、実はテオルボ。比較的狭い中劇場で、テオルボ独奏に載せて歌われる嘆きの歌など聞いていると、これは琵琶法師?という気分になってくるくらい。そのくらい渋い音。 正直,私は古楽系のオペラはあまり数多く聞いていないのだけれど、この、オペラ前史とでも呼びたくなるような作品(いや勿論オペラなんですが)、とても面白かったです。まぁ、今回のようなコンサート・オペラ形式だからこういう公演でももったのかも知れませんが。 歌唱陣も、BCJお馴染みの顔触れもあって、各々いい歌唱だったと思います。ただ、やはり「オペラ」というより「古楽」という香りが強くなってしまうのは、悪い事ではないけれど、ちょっと微妙でしょうか。 それと、特に,ポッペア役の森麻季、彼女自体の歌がいけないわけではないんだけれど、歌い方とか声質が、他の古楽系の歌手とちょっと合っておらず、それはそれで気になりました。まぁ、問題ありというならキャスティングの問題なのですが。ただ、オットーネ役のダミアン・ギヨンやオッターヴィア役の波多野睦美らの声とは、ちょっと毛色が違うんですよね......... セネカ役とかも、もう一つ合わなかったかな。カウンターテナー以外の男声陣はいまいちでした。 ところで、このコンサート・オペラ,去年の「ペレアスとメリザンド」はS席でも7千円くらいだったのだけど、今回は1万2千円くらい。設定自体はやむを得ないとは思うけど、しかし、ちょっと高いような気がするんですが。歌唱陣も奢ってるし、BCJを呼んだので高いのかも知れないけれど、どうかな。 ちなみに、それで、席はと言えば、1階後ろから数列目で端の方なんだから、ちょっと不満は残ります。 内容からすると決して悪くないんだけれど、ちょっと、このシリーズの趣旨ってこういうことなの?と思わなくもないような....まぁ、いいんですけどね。
2009年05月18日
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既に先週の内に、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2009の開催結果正式報告が出ておりました。 http://www.lfj.jp/lfj_2009/news/2009/05/7112009.php 結果、周辺地区合わせて71万1千人を動員したそうです。 先年は5日間で100万人ちょっとだから、割合的にはこんなものですかね。まぁ、例によって延べ人数ですから、一概にどうこうとは言えないとは思いますが、取り敢えずこれくらい集まってくれるなら、なんとか続けられるんでしょうかね? 今年はチケット代も上がったりしていて、なかなか難しい状況ではあるようですが、協賛企業共々頑張って欲しいと思います。
2009年05月12日
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サントリーホール 19:00~ 右横 (芥川也寸志:交響管弦楽の為の音楽) (グリーグ:ピアノ協奏曲) チャイコフスキー:交響曲第5番 指揮:飯守泰次郎 東フィル定期は、日曜のオーチャードホールを持っているのですが、新国と被ってしまったので、先日の新日同様振替サービスを利用してみました。まぁ、平日なので、時間通りに行ける訳もないのだけど。 案の定、というより予定通り、休憩中に到着。後半のみ聞きました。 ちなみに、振り返られた席は、同ランクの席だけど、ステージに対して横位置。やっぱり、サントリーホールはコストパフォーマンス悪いなぁ..... で、わざわざやってきたチャイコフスキーの交響曲ですが、疲れてたのか、眠かったです。演奏のせいではないでしょう。無理はしちゃいけませんね。 そんな状況ですから、演奏が云々というのは、まぁ、無いかな。ただまぁ、サントリーホールのステージ横やピット席は、オケものを聞く際は臨場感はあるので、それなりに面白かったし、やっぱりあの曲は寝る暇はないですね。というより、チャイコフスキーの5番は、やっぱり終楽章に入ると、どうしても力行する蒸汽機関車みたい演奏になってしまいますし。場内は勢いで聞いて盛り上がって「ブラヴォー!」みたいになってしまうという、ずるい曲だと思うのです。ま、ずっこけるとそんなことにもならないのですから、勿論それなりに出来なきゃいけないんですけどね。 ええ、勿論ずっこけはしませんでしたし。 決して好きな曲ではないけれど、やっぱり聞けば盛り上がるなぁ....と思いつつ帰ったのでした。たまにはいいですね。うん。
2009年05月11日
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新国立劇場 14:00~ 4階左手 結局、プレミエと千秋楽を観るという珍しいパターンになりました。 今日は昼間だったし、暑かったし、「そうだ!休憩時間に久々にアイス食べよう!」と決心(んな大袈裟な)したのだけれど、バーカウンターが長蛇の列で諦めました.....(/_;) こういうオペラなのによく入ってますねぇ。というか、こういうオペラ観ながらアイス食べようと思う自分はどうなんだ..... ところで。今回、観てもいまいち分からなかったというのもあって、ネットでどんなことを書かれてるかちょっと見て回ったのですが、「この話を観てどう思うか?」という視点でのコメントが殆ど見当たりませんでした。音楽の良し悪しとか、演出がどうの(演出を云々する以上話は理解されているということだろうとは思うのですが)といった話は沢山あるのに.......ううむ、そんなに分かり易くかつ皆知ってる話なの? で、少し考えてみました。いや、よくわからないもんで..... 「何故カテリーナは死んだのか?」「それも、ソニェートカを道連れにしたか?」。 「いや、セルゲイを奪われ、コケにされた腹いせだろう?」と言ってしまえばそれまでなんですよね。実際、私も、粗筋からなんとなくそのようにイメージしていたのですが、改めて今回の演出で観ていると、そう単純な話ではないように思うのです。 このオペラでのカテリーナの動機は、恐らくは、手垢の付いた言葉で言うと「自己実現」という奴にあります。「不倫が自己実現?」でも、恐らくそうなのです。冒頭で無聊を嘆くカテリーナは、家庭に於いて役立たずとされていた自分を解放する為に舅を殺め、夫を殺めていきます。否、セルゲイとことに及んだ時点で、家庭という軛を打ち捨てたということでしょう。この時点で、セルゲイはカテリーナを「必要としてくれるもの」となったわけです。言い換えれば、カテリーナは「誰かに必要とされる」何者かになれた。けれど、セルゲイは「商家の嫁」という立場の女を首尾よく手に入れただけで、カテリーナという人に興味は無かった。 言ってしまえば、カテリーナ以外の全ての人物には、居場所があり、自分自身で既に幸不幸を背負って生きている。だから、カテリーナに較べれば誰もが生き生きとしているのです。無名の、何者でもないその他大勢の一人でさえも。 最終幕で、カテリーナはセルゲイに固執しますが、もはやセルゲイは相手にしません。俺の人生を台無しにしやがって!とカテリーナを非難します。それ自体理不尽なのですが、にも拘らず、この境遇でもセルゲイは己の欲望に忠実に、能動的に行動します。流刑の途上という状況下でも生き生きとしているセルゲイ。それはソニェートカも同じ事です。この二人とカテリーナとは極めて対照的です。そして、その他大勢も、むしろセルゲイやソニェートカの側に居ます。だから、セルゲイに騙されて靴下を奪われるカテリーナに対し、その他大勢は冷たく、むしろ牙を剥くのです。 戻って来たソニェートカは、カテリーナを挑発しますが、何の反応も示さず、最後の最後に決然とソニェートカを連れて入水します。 もし、カテリーナにとって、自ら言うようにセルゲイが本当に全てで、死に際してセルゲイを我がものにしようと思うなら、やはりセルゲイを道連れにするでしょう。もしセルゲイを憎むなら、セルゲイを殺すのがまずは自然でしょう。 では、やはり、ソニェートカを憎んだのか?そうかも知れませんが、もう一つの解釈があると思います。ソニェートカに代表される、自分とは違う生き方を強要しようとする社会に抗う為ではないかと。 この演出で、ソニェートカは執拗にカテリーナを挑発します。最初観た時、私はそれをやり過ぎではないかと思ったのですが、そう考えると、動こうとしないカテリーナに対し某か反応させようとするソニェートカの挑発も分からないでもないし、ソニェートカをこそ道連れにする理由も分かるような気がするのです。 もはやセルゲイはどうでもいい。ただ、あるがままを受け入れてその中で生きようとする社会、そこから疎外されるカテリーナにとって、最後に抗うべき相手は、多分、その社会を代表して挑発してくるソニェートカだった、ということなのかな、と。 いや、違うかも知れないですけどね。単に老囚人に「おばさん、早くしろよ」と言われて堪忍袋の緒が切れただけかも知れないですけど。 今回も、音楽面ではほぼ同様。オーケストラは若干緊張が解けた分だけ、力技が目立たなかったかな、という気はします。歌唱陣はほぼ同様。 演出に関して言えば、他で指摘されていたけれど、確かに服装等から、時代が冒頭の1950年代から進んでいるようでした。ただ、それ自体はそれほど意味は無いかな。 最後の入水については、確かになんだか分かりにくくて、劇的緊張がない、という意見は分からないでもないけれど、個人的には、よりビジュアルに、動的に入水させるより、ばたばたしない分だけ悲劇性が増したのではないかな、という気がします。様式美みたいなもんで。
2009年05月10日
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サントリーホール 18:00~ P席 ブラームス:悲劇的序曲 ヴァイオリンとチェロの為の二重協奏曲 シューマン(マーラー編):交響曲第1番「春」 指揮:ユベール・スダーン さて、そろそろ日常に戻りつつあります。 いや、このblogは本来「ラ・フォル・ジュルネのblog」なんだから、ラ・フォル・ジュルネが終わってもその話題を進めるのが筋なんだけど、まぁそれはそれということで、一先ずはいつものコンサート通いの方に話を落ち着かせていくのであります。 それはそれとして、この組み合わせであります。あれほど拒絶反応していたスダーンを何故? 実は、もういいやと思った3月の公演を聞く前に、もうこのチケットを買っていたので仕方ないのです。いや、勿論行かないという手もありますが、折角だし、ねぇ? で、結局また首捻って帰って来るんだから世話ないんですが... まず、前半のブラームス、後半のシューマン/マーラー編を通して感じるのは、音の大きい、プレゼンスの強い演奏だということ。これ、シューベルトの時にも何度か感じられたことではありますが、恐らくはスダーンが東響を振るに際してのスタンスがここに落ち着いているのだろうと思うのです。 結局、東響というのは、プレゼンスの強さが身上のオーケストラだと思うのです。それを活かし、或いはそこからの一点突破を目指す、というのが今のこのオーケストラのスタンスなのかな、と思うのです。 私は嫌いなんですけどね、そういうの....... ただ、そうした「強さ」を前面に押し出して行くと、「いい演奏」にはなりやすいと思います。やはり音量が大きい方が迫力は増すし。 とはいうものの、前後半通じて、16-14-12-10-8の60人体制での弦というのはどうなんだろうなぁ..........正直、ここまで厚くする必然性は無いと思うのです。確かに、時代的にはそうした編成でもおかしくないし、厚くする事で精度が下がってるともいえない。この点については、確かに東響は技術レベルは上がっていると思います。だから、これがマイナスに響いている訳でもない。でも、この大人数で、サントリーホールで演奏されると、はっきり言って音でか過ぎだと思います。音楽にあってない、とまでは言えないから、いいって言えばいいんだけど..... 後半のマーラー版シューマン、確かに人を捉えて離さない演奏ではあると思います。でも、それがこの音楽の主目的なの?デュナミークを大きく取って、テンポも速めで攻めて来る演奏は、確かにエキサイティングなのだけど。でも、ここにあるのは、どちらかというとスポーツ的な楽しみ、なんですよね。それもありなんだけど...... ただ、これ、先日の(そして明日もう一度観に行く)新国立劇場の「ムツェンスク郡のマクベス夫人」にも一脈相通ずる所なのですが、音にやっぱり深みというか腰が足らないように感ずるのです。一本調子とも言えるでしょうか。音は大きいんだけど、のっぺりしているというか。そこが、どうしても「あれ?」と思ってしまう所以なのです。 やっぱり、スダーンは本当の所どうなんだろう、と思うのであります。 ブラームスの二重協奏曲は、生に限らず録音を含めても、久々に聞いたような気がします。ウェン=シン・ヤンのチェロがなかなかよかったかな。 シューマンの交響曲は、マーラー編となっていますが、それ故に音が分厚くなった、という感じではないですね。一般的には、シューマンのやや音に埋没気味の、あまり上手とは言えないオーケストレーションを整理した、ということらしいのですが、言われてみれば確かにそんな気もします。ただ、あれだけ元のオーケストラがプレゼンスを強くしてしまっては、なぁ......
2009年05月09日
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ところで、連休前から閉鎖がアナウンスされてしまったDoblogに置いている本館「Verdiのレコード置き場」ですが、この度止む無く引っ越しました。 引越先はFC2ブログです。 http://verdi.blog35.fc2.com/ なんとかデータが復旧されたので、それを持って丸ごと引っ越しました。まぁ、コメントとか、一部おかしいんだけど、この際しゃぁないということで。 結局3ヶ月空いてしまったので、書くペースが掴めないんですよね......まぁ、ぼつぼつでやってこうと思います。
2009年05月07日
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ラ・フォル・ジュルネの公式レポートに、5日にあった記者会見の報告が出ています。 http://www.lfj.jp/lfj_report/2009/05/post-506.php 「来年はショパン」との説明があったそうで、ショパンだけでなく、リストやメンデルスゾーン、或いはジョン・フィールド、更にはロッシーニ、ドニゼッティ、ベッリーニといった面々も登場するようです。 正直、個人的にはショパンとなるとテンション下がるな~、と思っていたのですが、ここまで手を広げるとなると、色々出来ますね。ロッシーニのミサ曲やスタバト・マーテルあたりが「アリ」ですね。コルボはこの辺を持って来るかな? リストも色々声楽曲はありますし、メンデルスゾーンも実は多作家。管弦楽曲も選択に困ることは無くなりますね。 勿論、その気になれば沢山いるピアニストでショパンの協奏曲競演なんていうことも出来ますし。(個人的にはあまり興味は無いけど....) とにかく来年もやることは決まったようだし、となれば6年目、となります。何よりも、この厳しい環境下でも「来年もやるんだ」という方向性が打ち出されたことが嬉しいです。頑張って欲しいですね!
2009年05月06日
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昨年同様参加したので、やっぱり報告はしておかないと、ですね.... 今だから言える、的な面もあるのですが。 前から思っているのだけど、こういうイベントというのは、運営する側とされる側の意識の落差って結構大きいと思うのですね。仕方ないことなんだけど。 今回、国際フォーラムのD棟にあるホールD1とホールD7がボランティア担当になっていました。私は今回シフトに入っていなかったのだけど、ホールD1の方はかなり大変なことになっていたようです。 ホールD7は専ら有料のコンサートが行われるので、チケットを持った人しか来ないし、当然人数も限られるのですが、「当日のチケットを持った人なら入れる」ホールD1の映画や講演会は、整理券配布や入場の方法で色々と問題があったようです。 運営する側からすると非常に明確で、 「当日のチケットを持っている人先着順」 「整理券は一人一枚」 「映画は整理券無し、講演は整理券あり」ということになっていて、それは都度お客さんにも御案内している訳ですが、実際にはお客さんからはいろんな声があったそうで、 「去年と違う!(去年はいつのチケットでもOKだった)」<それが今年のルール... 「整理券を家族の分も欲しいのに貰えない!」<並んだ順にFirst come, First serve... 「映画も整理券を出すと聞いたのに!」<地下一階インフォメーションが間違えてアナウンスしたらしい... 「三田線乗り場はどう行けばいいですか?」<.............(ちなみに、地下の有楽町線に出て、通路をJRと反対方向にずっと行った先なんですが)と、こんなことになっていたそうで...... 中には無理矢理強行突破しようとした人もいたとか。 一階担当された方、お疲れ様でした。 ホールD7は、今年は全席指定となった関係もあって、非常に和やかな雰囲気で進んだようです。スケジュール的にも、ギリギリでハシゴする日程が組みにくくなっていて、それもあって、お客さんの出し入れはあまり問題無く進んだようです。まぁ、裏では予定通りになかなか進まなくてハラハラしていたりもするのですが、そういう時は大抵お客さんは大喜びだったりして。(「予定時刻過ぎても、まだアンコールまでしてくれた!なんていい演奏家なんだ!」とか(笑)) 皆さん御満足して頂けていれば良いのですが。 ええ、それと、今年も勿論ハンドベルやりました。今年は「メヌエット」、アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳に入っている、割と有名な奴でした。あれはバッハの作じゃない、という話もあるのですが、まぁそれはそれとして....
2009年05月06日
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今日は、ボランティアのシフトが入っていたので、聞いた公演数はそう多くはありませんでした。 とはいえ、やはり今日のヤマは、コルボ指揮ローザンヌ声楽アンサンブル他による、マタイ受難曲でした。 そもそも「マタイ受難曲」というだけで、じゃぁ聞くか、となるのですが、しかもコルボ指揮となれば、やはり外せません。正直ホールAでの公演というのはかなりのハンデではあるのですが、実を言えば中央ではないにせよかなり前の方だったので、非常にアコースティックのよい聞こえ方でして、ホール関係無し状態。 改めて対訳と首っ引きで聞いていたのですが、徹底的に筋を追って行くと、改めて言うのもなんですが、「受難曲」即ち「受難劇」なんだな、というのが実感されます。対訳の注記のどっかに軽く触れられていたのだけど、「コラール」というのは、あれは本来は「合唱団」が歌うパートではなくて、民衆たる信徒が歌うパート。たとえばそんなことを念頭に置きながら聞いていくと、段々とドラマに引き込まれていく自分に気が付く、という..... いい演奏、というか、いい体験、というか。 全体を通してみても、やはり声楽系の充実度が高かったように思います。昨日のラ・ヴェネクシアーナのような公演もあったし。 全3日間と、最初のベートーヴェンの時と同数に絞られてはいますが、密度の濃い3日間だったと思います。 流石に疲れたので今夜はこのへんで..... あ、来年はショパンがテーマだそうです。それと、今年の延べ来場者数が40万5千人(概算)と発表されています。流石にちょっと少ないのは、色々影響があったからかなぁ?
2009年05月05日
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コルボ指揮のマタイ受難曲、終了しました。確かまだやっている公演もあったと思いますが、個人的にはこれで終了です。 やはり、マタイは良かった。ペテロの否認のアルトのアリア(ソプラノじゃないってーの〉自分 相変わらずの粗忽っぷりで...)はなんとも言えません。
2009年05月05日
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只今休憩中です。 第一部終わりではなく、第二部、ペテロの否認の後、ソプラノのアリア(何度聞いても心動かされます)とコラールで切りました。 いい判断だと思います。ここで帰る、という人もいますからね。
2009年05月05日
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只今演奏中の、尾原記念オーケストラです。 今日はこの後は、ルネ・マルタンの公演でおしまいだとか。
2009年05月05日
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早いもので、もう最終日です。 今日はボランティアもあるので、あまり聞けませんが...... やっぱり、3日間はちょっと短いですね。 今日のヤマは、やっぱりコルボのマタイかな? 天候は少々宜しからず。曇りのち雨、ですね。
2009年05月05日
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つ、疲れた........orz って、好きで疲れてるんだから同情の余地無しですが(苦笑) 昨日はとっとと寝てしまったので、改めて昨日・今日の公演から。 昨日の1日目に聞いた中では、既に書いた公演番号141、小曽根真&中川英二郎デュオの他に、141 ファビオ・ビオンディ指揮エウローパ・ガランテの公演が良かったです。 ヴィヴァルディの協奏曲やオペラ等のシンフォニアを集めた公演ですが、正直、「エウローパ・ガランテが聞ける」というだけでも「ラ・フォル・ジュルネ様々」といった感じなのですが、勿論演奏も良かったです。初日の朝ということで、まだテンションも上がり切ってない感じだったのですが、これでお客さんもヒートアップ、といった感じでした。 今日の2日目では、これまた既にアップした、公演番号246、ラ・ヴェネクシアーナによるブクステフーデの受難曲「我らがイエスの御身体」が秀逸でした。とにかく声楽アンサンブルが素晴らしい。そして、ソプラノパートの綺麗なことといったら!(念の為に申し添えますが、容姿の話ではなくて声ですよ、勿論。いや、ルックスも悪くないですが...) と思ったら、後でこんなチラシが置かれていました。 曰く、件のソプラノ、ロベルタ・マメリが、LFJ後の5月8日(金)、ソロ公演をやるそうです。場所は新大久保のルーテル東京教会で19時から、自由席4500円で残席僅少、だそうです。共演は波多野睦美とつのだたかし、金曜......ちょっとあれだな......他もあるし....残念... ダウランド アンド カンパニイ というところの主催だそうです。 http://www.linkclub.or.jp/~dowland 話を戻すと、このラ・ヴェネクシアーナの公演、本当に久々に驚かされた演奏です。LFJでは一昨年に聞いたアクセントゥスの公演以来の衝撃、という感じです。終わってしまってから言うのも申し訳無いですが、NHK FMでも生中継したそうなので、聞かれた方も多いのではないでしょうか。ひょっとすると録音再放送もありなのか? 後は、公演番号222、リチェルカール・コンソートによるバッハのマニフィカトとト短調ミサ曲が良かったかな。こちらのソプラノもなかなかいい声で、今回はソプラノの当たり年?という感じです。 さぁ、明日に備えて寝なくては....
2009年05月04日
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の演奏で、ブクステフーデの「我らがイエスの御身体」を聞いて来ました。 いや、素晴らしかったです。見事な声楽アンサンブルで、特にソプラノパートの綺麗なことと言ったら!一昨年のアクセントゥスにも匹敵するくらいの驚きです。 この公演、前にも書いた通り、今日の公演で最後まで売れ残っていた公演なのですが、本当にもったいないくらい。 まぁ、仕方なくこのチケットを買った方も満足されたのではないかと。 もう一つ聞いていきます。
2009年05月04日
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無料コンサートの中でも、本当に誰でも聞けるのが、地上広場に仮設されている小舞台、ミュージック・キオスクでの演奏です。 アマチュアの演奏がメインですが、中には有料公演の演奏家の演奏もあったりするのです。 ちなみに添付の写真は、国立音大の金管アンサンブル。たまに聞くと、金管アンサンブルもしっとりした音感でいいものです。 そろそろ夕方、ラ・フォル・ジュルネも後半に差し掛かっております。
2009年05月04日
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@ラ・フォル・ジュルネ NHK 特設スタジオ。 なんですが、ちゃんと見える?
2009年05月04日
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今日の246公演、ブクステフーデの受難曲、まだチケットあるそうです。 昨日の公演はかなり良かったらしいのですが、さすがに馴染みが無いですかねぇ。
2009年05月04日
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NHK FM での特番「今日は一日ラ・フォル・ジュルネ三昧」が只今放送中ですが、その特設スタジオがオープンしていました。 確か生中継もあるはずなので、来られない方もラジオでチェックしてみては如何でしょう?
2009年05月04日
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のようです。 国際フォーラム地下のチケット売り場では、残券情報を掲示しているのですが、残っているのは今日のホールAの公演の一部と、明日の1公演のみのようです。 そのわりに、空席もぼつぼつあったりするのですが... 行くなら今日の内、ということ?
2009年05月04日
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2日目です。 結局昨日は深夜の帰宅に及び、疲れて追加報告は省いてしまいました。 ほんでもってこれからまた出撃です。ま、好きでやってるんだから仕方ないですね~ 昨日はエウローパ・ガランテが聞けたのが収穫でした。普段だってなかなか聞けないですからね。来日も頻々とあるでなし、来ても高いし。 改めて聞くと、かつて颯爽と登場した頃の「破壊力」は感じないのに、時の流れを感じます。勿論、エウローパ・ガランテが変わったというより、聞く方が慣れたと言うべきなんでしょうけれど。 お天気は下り坂。今日は曇り、明日は曇りのち雨ということのようで。ちょっと残念な雲行き..... 今日は声楽系が中心です。それぞれに色々と楽しみですが、ペルゴレージのスタバト・マーテルを歌うバーバラ・ヘンドリックスが楽しみかな。それと、ブクステフーデの受難曲、これ、昨日の公演でかなり良かったと聞いているので、これも楽しみ。
2009年05月04日
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結局お天気はやや曇り気味といったところです。 地上広場は例によってベンチまで埋まってますが、歩けないというほどでもなし。ちょっと控え目な集客状況なんでしょうかね。まぁ、充分賑やかだし、このくらいがいいかなと。 今日はもう一つ聞きます。
2009年05月03日
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というわけで、早速聞いて参りました。小曽根真&中川英二郎! 初日朝イチというなかなかハードな駒でしたが、いい演奏でした。 曲目は以下の通りです。 1.ウ゛ィオラ・ダ・ガンバ ソナタ 第2(3?)番 2.インウ゛ェンション 第4番 3.メヌエット(アンナマグダレーナ・バッハの音楽帳) 4.前奏曲(平均律クラウ゛ィーア曲集第1巻第2番) 5.G線上のアリア 〈アンコール〉 モンティー:チャールダッシュ 最初のウ゛ィオラ・ダ・ガンバのソナタでは、第一楽章で即興無しの演奏だったので、「今日はそういう演奏?」と思ったのですが、第二楽章から段々と… 白眉は四曲目のプレリュード。バリバリのラテン・ミュージック全開でした。やはり小曽根さんです。
2009年05月03日
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さて、これから出掛けます。 今日の目玉は、まずは小曽根真と中川英二郎のデュオ即興。それと、エウローパ・ガランテの演奏会。今日はボランティアもあるので前半だけですが、数は少ないけれど濃い内容になりそうです。 ボランティアですが、今年は去年のホールD7に加えて、D棟一階のイベントホールも担当だそうです。勿論、D7では、去年同様の「アレ」もやるそうです。 お天気は上々。このところ、真夏日になったりもしていますが、今日も汗ばむ陽気となりそうです。でも、ビールは飲めないなぁ、今年は......
2009年05月03日
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というわけで、なんだかんだと慌ただしく過ぎる内に、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2009、明日開幕です。まぁ、1日には前夜祭コンサートもあったし、丸の内地区では既にイベントやコンサートが始まっていますから、明日からというのはあくまで有料公演などの話ですが。 今年は、初年度に立ち戻って、3日間の開催となります。短期集中なので、毎日朝から晩まで出撃、しかもその間にボランティアも半日ずつやるので、正直あまり聞けません。まぁ、それもいいかな、と。折角の大物ネタであるバッハで3日間というのは勿体無い気もしますが、まぁ、仕方ないですかね。この御時世に、それでも出来るだけでも立派かも知れません。 いつも思うことだけれど、ラ・フォル・ジュルネのようなある種参加型の音楽祭というのは他に類を見ないと思います。勿論個人的な見聞に過ぎないけれど、日本でも海外でも、大抵の音楽祭というのは、「音楽」と「祭」の「音楽」の方に重点があるんですよね。そりゃ音楽の祭りだから当然でしょ、と思うかも知れないけれど、実態は決して「お祭り」ではないんですよね。 確かにザルツブルク音楽祭なんか、その季節、ザルツブルクはお祭り騒ぎのように賑わっているけれど、それはあくまで観光客で賑わっているだけで、その人達がコンサートに来てくれるかというと、実はそうではない。街は大賑わいなのに、その殆どの人はコンサートには来ない。チケットが買えない、買えても高過ぎる、ということもあるけれど、例えば若手演奏家の室内楽なんかだと、思いっきり空席が目立っている。「音楽祭」かも知れないけれど、お祭りじゃないんですよね。日本でも、草津国際音楽祭があって、あれは町を挙げてという感じはあるけれど、マスタークラスやコンサートが中心で、となってしまうのは仕方ないし、草津に来る全ての人が音楽を目当てに来る訳じゃないし。何より、地元の人以外はやっぱり「わざわざ聞きに来る」人なんですよね。 ずっと前にも書いたと思うけど、最初のベートーヴェンの時、当日券売り場で並んでるおばさんが、TVで紹介されたのを見てやってきて、「室内楽っていうの?小さい場所で聞けるっていうのが欲しいんだけど、買えるかしら?」と言ってたのが今でも忘れられません。 いわゆる「クラシックファン」(それともクラオタとか言うの?それも品の無い言い方だと思うけど)からすれば、ちょっと想定出来ない反応だったのだけれど、それこそが「ラ・フォル・ジュルネ」というものなんだと思うのです。難しく考えないで、ふらっと聞きに来て、取り敢えず楽しんでしまう。そういう音楽祭。実際にそういう状況があり得たのは、結局第1回だけだったのではありますが、でも、そうでなくても、実際に来てみて、屋台で買ったビール飲みながら無料の演奏を聞く、みたいなことが出来るのが魅力なんだと思います。言ってみれば、「音楽」と「祭」が対等くらいにまでなっている。そこが他に無い魅力なんだと思うのです。 この音楽祭の構想が発表された時、いわゆる旧来のファンからは結構否定的な意見も出ていました。所詮お祭り騒ぎ、1時間足らずのコンサートなんて落ち着かない、会議室みたいな所とかで聞いても仕方ない、一発屋的なイベント、云々。事実、そういう部分もあると思います。でも、それでもお客さんは魅力を見出して来てくれる。そういう魅力を前向きに捉えて支持してくれるお客さんが沢山いる。そういう「イベント」なんですよね、きっと。 では、明日、有楽町で逢いましょう!(古)
2009年05月02日
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新国立劇場 18:30~ 4階中央 カテリーナ・イズマイローヴァ:ステファニー・フリーデ ボリス/老囚人:ワレリー・アレクセイエフ ジノーヴィ:内山信吾 セルゲイ:ヴィクトール・ルトシュク 司祭:妻屋秀和 襤褸服の男:高橋淳 警察署長:初鹿野剛 ソニェートカ:森山京子 東京交響楽団 新国立劇場合唱団 指揮:ミハイル・シンケヴィッチ 演出:リチャード・ジョーンズ (再演演出:エレイン・キッド) 珍しくプレミエなんぞを見てきました。初日は久々です。 とは言いながら、いや、正直、よくわかんなかったっす、今回は。 このオペラ自体は録音では聞いているし、ゲルギエフで実演でも聞いたことはあります。(プロムスだから、本当に聞くだけ)でも、舞台付きで観るのは初めて。 とはいえ、それなりに色々見聞きしてきた身としては、粗筋程度は知っていれば、大体は某か捉え方が掴める - 間違った捉え方かも知れないにせよ - ものなのだけど、今回はどう捉えていいのか、自分なりの話の掴み方というのが見当が付かなかった。端的に言えば、作品の主題をどのように了解すればよかったのか、戸惑ってしまった。 なので、正直わからなかった、というのが本音なのです。 ああ、それと、珍しく早めに着いて、プログラムを事前にじっくり読んじゃったのも問題かも。いや、プログラムに罪は無いんですが、「マクベス夫人」という題の捉え方について云々されていて、それでまたあれこれ考えてしまったもので..... もう一回観る予定があるし、まだ初日なので、その辺の話は改めて書こうかと。一つだけ違和感を感じたとすれば、幕切れ直前の演出は、ちょっとやり過ぎで、却って効果を削ぐものではないかな、と思います。まぁ、解釈のしようはあるのだろうけど。 演出自体は、1950年代のソヴィエト連邦という時代設定。これは確かに原作を逸脱してるんですが、こういう「現代演出」ってやっぱり拒否反応あるんでしょうかね? 元々それほど馴染みの深いオペラではないので、なんともですが、演奏自体は悪くなかったと思います。 カテリーナ役のステファニー・フリーデが非常に評判が良かったようで、後半に向かうにつれ流石に多少疲れてきてはいたようだけれど、確かに声もよく出ていたし、終幕のアリアも背筋の寒くなるような迫力に満ちていて、説得力がありました。個人的には、ただ、一本調子に聞こえるきらいもないではないかな、という気もしましたが。 もう一人、舅であるボリス役/老囚人役のワレリー・アレクセイエフも良かった。ただ、こちらの理解不足もあるでしょうが、ボリスとしての歌唱に関しては、時々「ん?」と思うような所もありました。テンションの掛け具合というかメリハリの案配、みたいな所だとは思うんですが。こちらも最終幕の老囚人としての歌唱は良かったですね。 他の歌唱陣も、まぁそれぞれによかったのではないかと。一人だけ挙げると、これまた最終幕でソニェートカ(セルゲイと絡む女囚人)を演じた森山京子。あのぉ、演技・歌唱に問題があるとかいうことではないし、元々メゾソプラノってそういう役が多いんですが、それにしても、この人、どんどん悪役振りが板に付いていってるような気がするのですが.........いや、いいことなんですよ、きっと。 当初予定の若杉弘の代役に入った、ミハイル・シンケヴィッチ指揮の東京交響楽団。まずまず良かったと思います。音楽の勢いに乗ってぐいぐいと聞かせる、といったところでしょうか。管楽器群が多用されるのはショスタコーヴィチならではですが、バンダも含めて(というか金管だけならバンダの方が多いのか?)よく頑張っていたと思います。結果、ショスタコーヴィチの起伏の激しい、諧謔に溢れた音楽をよく表現出来ていたのではないでしょうか。 ただ、個人的には、ここまでやるなら、もう一枚腰のある演奏だったら良かったのに、と思わなくもないのですけども。いい演奏だけれど、もう一つ音に深みが感じられると(哲学的な"深み" というより、音としての、大きさとかとは違った、むしろ"厚み" に近い)良かったのですけれども。 それと、新国立劇場合唱団。良かったです。こういう作品で強いというのも独特ですな。 プレミエなのに、演出家が登壇しなかったのは、そもそもこの演出自体がROH等で上演されてきたものであるから、ということでしょうか。"再演"演出がクレジットされているので、本演出家は来日していないのかな? 音楽自体については、また改めて。それにしても、ショスタコーヴィチの音楽というのは次から次へと容貌を変えて来るので油断(?)出来ません。 このオペラ、1934年の初演ですが、時期的にはR・シュトラウスやベルクが居るのですよね。少し遡ってプッチーニ。こうした人達のオペラと同年代、という所に、20世紀前半という時代の複雑さを改めて思います。
2009年05月01日
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