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オーヘンリーの短編が大好きだ。 シニカルだったり、ユーモラスだったり 心温まったりする。 節目節目でそんなことがあったなぁとか そうなってたまるか、と思ったりする。 「最後の一葉」があまりにも美しいドラマであるのに対し 「賢者の贈り物」は愛の行き違いを示しているようで、 ちょっと哀しい。 それでも自分の恋愛はこんなもんだったなあと思わなくもない。 最低な気分になるときに思い出す話がある。 O.ヘンリーにしてはダラダラとした長編で名作とは言いがたい。 タイトルははっきりおぼえていないが「3つの道」というような話だった。 ある男がいた。 田舎で農家を幸せに営んでいたが、ある夜突然「オレはこんな田舎で埋もれる男じゃない」 と思い立ち、1丁の銃を携えて村を出る。 村の出口で道は3本に別れていた。 男は右側の道を選んだ。 その夜男は最初に立ち寄った酒場で酔っ払いから自分の銃で撃ち殺された。 男は左側の道を選んだ。 理由は忘れたけれど、一週間後ぐらいに男は軍人の怒りに触れ、同じ銃で撃ち殺された。 男は真ん中の道を選んだ。 完全に忘れたけれど、男は数年間、生きながらえた後同じ銃で撃ち殺された。 男は思いなおし、もと来た道を戻った。 銃はタンスの中にしまわれた。男は結婚し、平和な人生を送った。 年老いてから、男は詩にめざめる。 何年も詩を書きとめた後、どうしても出版したくなって さる有名な詩人のもとを訪れる。 彼の詩を見た詩人はいう。 「空を見てご覧。春の歌を歌う資格のあるのはひばりだけだ。カラスはひばりはになれないんだよ。」 「わかりました。」 帰った男はつぶやく。 「カラスの唄か」 男はタンスでずっと眠っていた銃をとりだし、自らのこめかみに同じ銃をあて、引き金をひいたのだった・・・。 「さまざまな選択をし、表面的な人生を変えてみても最後は同じだ。」という印象が悪い意味で強烈に残った。気持ちが弱くなった時、なぜかこの話を思い出す。 いろいろ手を打っていたのに、どんどん環境が悪くなった時。 仲がいいと思っていた友達が、一人ずついなくなる時。 騒いでもダメだ、静観しようとじっとしていたら、さらに事態が悪くなった時など、 僕はこの3本の道の話を思い出す。 思い出したからといって、解決にもなぐさめにもならない。 でもいつも、自分が3本の道の分岐点で選択しあぐねている気分になっている。
2007.05.30
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4年ぶりくらいで生田緑地バラ園に行って来た。バラはもうピークは過ぎていたし、昨日の雨でだいぶ傷んだようだったが、それでもまだ明るい雰囲気が残っていた。このバラ園は向ヶ丘遊園のバラ園が閉園後もボランティアによって運営されているところだ。一年でこの季節だけ開園していて、入場は無料。とりたてて珍しい品種や、構造物はないし、やはり有料のところに比べると見劣りはする。それでもボランティアだけでここまで出来るというシンボルなのかなと思うとなかなか貴重なバラ園だなあと思う。もちろん自分は何もしていないのだけれど、以前より少し大きくなったバラの木を見て、ちょっと嬉しくなった。
2007.05.26
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なんだかんだ言って赤いバラが一番好き。アンクルウオーター最初に買ったバラ。白はMdm.アルフレッドカリエール
2007.05.24
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入れ替えた。 ブルーバユー (紫) アイスバーク (白) パットオースチン (オレンジ) バレリーナ (ピンク小)
2007.05.24
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切り花はあまりしないけれど、こうして一輪ずつ浮かべると、食べ物みたいだ。一日しかもたなそうだけどね。
2007.05.19
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京都には中学生時代の頃から、いろんな想い出があるのだけれど。 今回思い出したのは駅にまつわる2つのことだった。 1つは10年以上前の酒池肉林。 学会だというのに毎日別の女性遊んでいた。 とくに遊んでいたわけでもないのに、そのときだけ なんでそんなことになったのか自分でもよくわからない。 山科にあったそのホテルは今はもうない。 そして山科駅を訪れたのもそのとき以来だった。 そしてもうひとつはちょうど一年前。 北陸線のホームでのメール。 会う約束をしていた女性がいた。 日本文化に詳しい人で、古文も書も華もこなし、ちょっと尊敬していた。 かなり年上の人だったけど それまでにもいろんなやりとりをしていて、 その人と一緒に京都の一部を見たかった。 2週間前からメールし、約束をとりつけていた。 「楽しみです。どこにでも駆けつけます。」 なのに到着2,3日前から何度メールしても連絡なし。 具合でも悪いのか、何かあったのかな?と心配していた。 そしていつのまにか帰り。 金沢に向かう北陸線で帰りますメールを送ったら、なんと返信があった。 「ごめんなさい。」 なんだこりや。 オレはスケベ目的だと思われていたのか? そしてあの人が語っていた純な古典や、まっすぐな書や、華はどこにいったんだ???? この女最低。。。。 会いたくなければ最初から無理といえばいいんだ。 口先ばかり立派でも、相手にかける迷惑すら理解できないレベルの人間だったんだ。 それ以来いっさい連絡をとっていない。 薄暗くてだだっぴろい北陸線のホームには、一年前と同じように 多くの修学旅行生が腰を下ろしていて、 そのときの風景をいやおうなく思い出させられたのだった。
2007.05.18
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一年ぶりの京都。 仕事だったのでどこにも行かなかったけれど、駅ビル(伊勢丹)だけは昼飯を食べに立ち寄った。 11階のレストランはまあいい味だった。 食後外に出たら、新国立美術館を思い出させるようなガラス張りの外観にびっくりした。 天井は鳥の羽のようなデザイン。 その向こうに京都タワーも見える。 レゲエのコンサートもやっていた。 11階からエスカレーターをまっすぐ降りてくると、 あのうす暗い北陸線のホームに立つ事が出来る。 なかなか便利だ。 うーーん、、、でも。 しかし。But.。 これはこれでいいと思うのだけれど。 やはり京都という街を考えるとなにかしっくりこないね。 ステキな建物でも、京都が京都でなくなるようなものはあまり良いと思わない。 せめてミッドタウンのような和の美を生かしたつくりになっていれば もっとずっとステキだったのになぁ。 先日読んだ本田宗一郎の本の中に 「デザインとアートは違う。アートはどんなに先を行ってもよいが、デザインは一般の人の想像をあまり越えてはヒットしない。」 と言う言葉があった。 このデザインはまさに一般の人の京都に対するイメージを少し越えちゃった感がした。
2007.05.17
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毎年、毎年,優秀ですw 病気もせず、5月から冬まで絶え間なく繰り返し咲く。オランダから帰ったとき、多くのバラが枯れたり、病気でへろへろになっていたり、逆に伸びすぎたりしている中で、コイツだけが変わりなく咲いていた。 バラといわず、植物全体の中でもかなりすぐれものなのではないかと思う。
2007.05.14
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人物画が始まった。 約1ヶ月お休みしていたら、すっかり下手になっていた? なぁんて、それはもとが上手い人のセリフだよね。 自分の場合は進歩がないだけだ。 今回のクラスは画材がコンテに変った。同じコンテでもセピア(こげ茶)よりサンギーヌ(赤)のほうが消しゴムが効かないは油分の多さによるものらしい。 ペンシルではなく、チョークを使っているせいもあって細かいところは描けないけれど、短い時間でベッタベタ塗れる楽しさは鉛筆にはない。 今回おなかに力を入れて描くつもりが、余計な力が入ったので、ちょっと極端な絵だと思う。
2007.05.13
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Madam Alfred Carriere というランブラー系ローズがある。始めてTVで見たとき、「北側でもよく咲きます」という話だった。こいつはらくちんだ・・・というので買ったけど、伸びるばっかり、葉っぱばかりでなかなか花がつかない。伸びる枝は光を求めて隣家に侵入してばかりで困ったやつだった。昨年末、あまりの近所迷惑に意を決して、長い枝を一生懸命横に誘引した。そしたら今年突然・・・・・・咲いた、咲いた。ゆうに100個はつぼみをつけた。次々に咲いて、あたり一面に白いはなびらをまき散らかした。まあ、それはそれで面倒だったんだけれど(笑)「なあんだ。そういうことだったんだ。」ちょっとした工夫がこんなにちがうんだな、と驚いたのだった。
2007.05.12
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2007.05.11
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午後、窓から虹が見えた。 海から空へのうすぼんやりした形が 徐々にはっきりとした橋になった。 空は晴れているのに、遠雷が響いていた。 最近ついてないからなぁ 癒しにしようと無理している自分がいた。 夕方から大雨だった。 車まで走りながら なぜか喜んでいる自分がいた。
2007.05.10
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電話をしてたら「聞いてばかりいないで、自分のことをもっとしゃべれ。」と言われた。わかってないなぁ。別に隠したいわけじゃない。もっと声をきいていたいだけなんだ。・・・・・・・・・・・・・だっておもしろいんだもん(笑)
2007.05.07
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上野の国立博物館に受胎告知を見に行った。「GWに行くなんてばかじゃない?」と思われる方、甘いです(笑)実はGWは8時までやっているので、5時を過ぎるとすいていると読んだのだった。入館したのは5時半ごろ。読みはズバリ的中。すごく空いていて、のんびり眺めた。最前列は歩きながら眺めるという決まりには変わりなかったが、何度も戻ってきて見ていたり、一列だけ下がって立ち止まりじっと見つめる事も可能だった。受胎告知は独特の遠近感が話題だ。あちこちで書かれているように、右斜めから見るといちばん奥行きが感じられる。建物のレンガは手前と奥とで傾きが結構違う。それは遠近法のようだが、少し不自然だ。離れてみているとガブリエルやマリアが浮かび上がってくる感じがする。遠近法というよりも3Dのような感じがする。いっぽう絵に近づいてみると、今度は2人の登場人物は目立たなくなる。2人の距離がありすぎて、関係が感じられなくなるのだ。そのかわり、離れていたときは意識しなかった画面左側に深い森が伸びていたり、右側の水面が大きく広がっていて船が何隻も浮かんでいる事にも目を奪われる。1つの絵というよりは、いくつかの絵が複合されているような感覚を受けた。別館ではレオナルドのメモや草稿をもとに、彼が何を極めようとしていたのかを詳しく解説していた。そこからわかったのは、レオナルドの絵はすごく計算されて描かれたものだということだ。そして絵をうまく描くために自然や人体を研究し、数学的な規則を数多く見出す。そして逆に研究するために絵を描いたともいえる。自然科学と芸術というのは、彼の中では一体なのだ。よく考えるとそれはあたりまえかもしれない。科学も芸術も自然や人間の中に潜んでいる美を追求すると言う点において変りはないからだ。美というのは一見感覚的で、科学と無縁のようだけど、人間の自体が自然に支配されている生き物なのだ。たとえば人間の感覚には特定のもの、たとえば黄金比率(1:0.63)を美しいと感じる法則が潜んでいる。だから美しいと思われるものを科学的に追求し、その法則を見つけることによって、美しいものを描き出す事ができるのだ。あたりまえのことだけれど、それを改めて考えさせられた。ちょうど来週から、一ヶ月さぼっていた絵の教室に再開する。この展覧会に行ったのはちょうど良いタイミングだった。そしてなぜか仕事のことにまで頭がいった。自分は少しひとりよがりだったかもしれない。もっと周りを観察することでより美しい仕事かも知れないと思った。予想より長居をしてしまい、出てきたとき外は真っ暗だった。帰り道、久しぶりに上野公園の夜の噴水を見た。しょっちゅう来る上野なのになぜか懐かしく感じた。この噴水に立ち寄ることは少なかったのだろうか?ずーーーーーっと昔の、学生時代のデートなんか思い出したりした(笑)。
2007.05.05
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藤原正彦の「この国のけじめ」を読んだ。 べストセラー「国家の品格」の著者である。 この本は2003年~2006年にかけて藤原氏が新聞や雑誌に書いた評論をまとめたものだ。 したがってまとまりにはややかけるものの、氏の考えや生い立ち等を多面的に知る事が出来る。 国家の品格の感想を書いたときも思ったけれど、氏の説の魅力のひとつは現代的資本主義に対する批判である。 現代の誰もが正しいと信じている、実力主義、勝者はすべてを得る権利がある、という論理を彼はけなす。 過当競争が自由をもたらすような考えは欧米が生んだ幻想にすぎないと彼は言う。 完全な実力主義はたった数パーセントの富裕層と90数パーセントの貧困層を生み出すからだ。 現在の勝ち組と称する連中の傍若無人ぶりを見ていると、彼の説は実に頷けるものがある。 資本主義や実力主義というのは、もともと身分制度によって制限されていた人間の行動を解放するためのものであったはずだ。 しかし、この制度も圧倒的な金持ちが出現すると途端に破綻する。つまり競馬でJRAがいつももうけ続けるように、金持ちはどんどん金持ちになりつづけるのだ。その結果として多くの人間はいくら働いてもけっして幸せとはいえない社会になる。 派遣とか短期採用とかの不平等な雇用形態が横行する。 また資本力のみからなるような業種が増え、本来の生産的企業文化も単調化していく。 これは決していい社会とはいえないだろう。 いろんな人がいろんなスタイルで、自分の生活レベルを高めてゆける社会が失われつつあるのだ。 本書はまた藤原氏の両親、すなわち新田次郎と藤原てい氏の話がでてきて興味深い。 とくに満州からのひきあげの際の苦労話については、氏のタカ派的発想にはこのあたりからも来ているのだろうなぁと思う。 戦争被害者はけっして中国や韓国だけではない。多くの日本人も被害者であった。 戦争が正しいのではない。 しかし欧米こそが正しいというような卑屈な発想を捨て、日本人的発想を大切にしてこそ、世界と対等にわたりあえる日本社会ができる ということを言いたいのだと思う。
2007.05.02
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