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ベトナムの僧侶・詩人 ティク・ナット・ハンのことば 「お茶を楽しむためには、人は完全に、今というときに目覚めていなければならない。 今という瞬間を意識している時にのみ、手は茶碗快い温かみを感じる事ができる。 今という瞬間のみに、香りを楽しみ、甘さを味わい、繊細さを感じる事ができる。 過去の事を思い煩っていたり、将来のことを心配していたりすると、一杯のお茶を楽しむという体験を失ってしまうだろう。 茶碗を見下ろすと、もうお茶はなくなっているのだ。 人生も全くコレと同じである。 今という時に完全に心を向けていないならば、まわりを見回してみると、もうそれはどこかへ行ってしまっているのだ。 人生の感触、香り、繊細さ、美しさなどをすべて見過ごしてしまう。 人生はただ、あなたの目の前をあっという間に通り過ぎてしまうだろう。 過去はすでに終わっている。 そこから学ぶ事を学び、手放せばいいのだ。 未来はまだここにない。 未来に対する計画をたてるのはよい。 でもそのことを心配して時間を無駄にしてはいけない。 心配は必要ないことなのだ。 すでに起こってしまったことを気に病むのをやめ、起こらないかもしれないことを心配するのをやめたとき、あなたは今という瞬間にいることができるのだ。 そのときあなたは人生の喜びを十分に体験しはじめるだろう。 (「魂の伴侶」/ ブライアン・L/ワイス より)
2007.01.29
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着衣モデルの第2回目この前より少しはバランスがいいかな?それにしてもモデルはえらく美人だ。顔まで描く時間がないのが残念。ダビンチの言葉から。画家は自然を師としなければならない。画家が手本として個人の絵を選ぶならばかれは取り柄の少ない絵をつくるようになるだろう。しかるに自然の対象を学ぶならば立派な成果をあげるだろう。
2007.01.28
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大評判の本をようやっと読んだ。骨子は以下のようだ。*******************************************************現在は論理、論理の時代である。しかし論理優先で考えた社会はけっして良い社会にならない。共産主義の崩壊はその典型例であるし、また実力主義という論理によって作られた社会は非常にギスギスした社会を作り上げている。論理をもとに欧米がつくりあげられた楽園のフイクションにごまかされてはいけない。実は論理というものはかならず出発点、すなわち公理が必要である。ところが公理とは証明できないものである。公理に理屈はいらない。押し付けられるべきものなのだ。したがって本当に大事なのはその公理をどう決めるかであるが、社会における公理を決める大事な要素は道徳や愛国心である。日本には武士道精神というすぐれた道徳があり、これをきちっと身につけた人間を育てなければ、よい社会はできない。また教養や情緒(をめでる心)というものも、公理を判断するためには非常に重要なので、これも身につけなければならない。*******************************************************「論理だけでは成り立たない」ということを非常に「論理」的に説明する。なんかゲーデルの不完全性定理みたいな本だなと思っていたら、ちゃんと引用されていた。著者は数学者なので、実に明快な展開だ。あまりに明快なので「すべてが正しい」気にさせるところがこの本が非常にヒットした理由なのだろう。でも忘れちゃいけない。著者自身の説もひとつの論理なのだ。たとえば著者がたっとぶ武士道の精神とか、封建制度という差別や男尊女卑を生んだことを、この本は説明してくれない。イギリス人の「伝統をたっとぶ気持ち」というのもやはり、「新参者を意味なく差別、排除」するものと同一だということも忘れてはいけない。この本はアメリカの差別主義を厳しく批判しているけれど、ヨーロッパにも深刻な差別があることを忘れている本でもある。そして差別をなくすために、実力主義というものが生まれてきていることを無視しているとも思う。それから「文学」とか「数学」とかの教養ばかりを重んじて、実学を軽くみすぎている。人間は地球の一生物種なので、すべての生きる糧を回りの環境に依存している。また人間同士のコミュニケーションにおいても、概念だけなく言語や礼儀というスキルが必要とされているのだ。著者が「女性にもてない」と繰り返すところがおかしい。これって実学を軽くみている反動なんじゃないかな?女性というのは、美しい概念や理論ではぜーーーーーったい口説けないからねぇ。。。。。。。まあでも、とても面白い本です。まだ読んでいない方がいたら、一度ごらんあれ。
2007.01.26
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「あるある」が打ち切りになった。だからマスコミはダメなんだよなと思う。ひとつの番組の放送が終了し、新しい番組を開始する。花王のかわりに新しいスポンサーがつく。そこに何の反省があるのだろうか?これが不二家のようなメーカーなら、全店営業停止、下手すると倒産してしまう。なぜフジテレビは放送禁止にならないのか。本当にフジがやらなくてはいけないことは、不二家と同じように、これまでの放送でインチキがなかったかどうかを徹底的に検証することだろう。そして、その結果をこれまでの放送時間で、ノースポンサーで放送することだ。実は僕はこの手の番組にはけっこう寛大だ。ある程度の誇張はしかたないと思っている。食品の健康効果がそんな短期間に劇的にあらわれるわけはないからだ。短期に効果が出るのは薬であって、かならず副作用がある。しかし長期摂取で一般にしられていない効果やリスクがあるのであればそれをわかりやすい形で伝えることは良い事だと思っている。厳密な検証ばかりを求めているのは、ただの臆病者だと思っている。ましてや「あるある」は10年あまりも続いてきた番組だ。全部の放送が嘘だとは思わないし、この番組が日本人の健康意識を改善してきた功績も大きいと思う。しかし今回の捏造は最低中の最低だ。視聴者の信頼を大きく裏切っており、それに対するaccountabilityを果たすべきだと思う。これまでのどの放送が、どの程度信頼できるのか自分たちの良心的基準はどの程度であるのか、プロのジャーナリストなら、それを示せて当たり前だと思う。もちろんこれはフジテレビだけではない。偉そうにフジを批判している各TV局や新聞、便乗で「信じるな」本を売ろうとしている出版社は自己反省がない点では、フジと全く変らない。そんなことをしている間があったら、ジャーナストとしての自社のモラル基準を確認することこそ、重要なのではないかと思う。
2007.01.24
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昨日、裸の女の子といい事をしてたら、足が筋肉痛になってしまいました・・・・ ってクロッキーに参加しただけなんですけど。 立って描いていたんだけれど、画用紙の下の部分を書くときの中腰姿勢がきつかったみたい。 きっと絵に近寄りすぎなんだよね。 でもすごく楽しかった。 少しだけうまくなった気もする。
2007.01.22
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あやしげな番組は多いけれど、「あるある」だけはわりと科学的と思っていた。それはなんといっても、健康食品「エコナ」を出している花王がスポンサーだったから。スポンサーを裏切る番組作ったら、やばいでしょ、と思ったんだ。でも今回のは内容も相当悪質。捏造、捏造のオンパレード。 納豆食べても痩せないよ???放送を見てないわからないけれど、納豆がうりきれるほどだったから、よほどひどい捏造だったのだろう。 「納豆食べたらご飯食べるから太るんじゃない?」とか、 「体重が変るなら、関西人と関東人で体型が違うんじゃないか???」なぁんて思っていたのだけれど。 この番組が終わると健康食品ブームもある程度過ぎ去るかも。 「あるある」も含めてマスコミがいかにインチキかは、ここを見ましょう。 ポチは見た。「恋から」、「キスいや」も結構好きだったんだけどなぁ。もうマスコミは信じない(怒) なーーーんて、騙されているほうが幸せだから、 あまり気にしてないんだけど。 それにしても細木数子についても誰か「オカシイ!!!」といってくれる人はいないのだろうか(笑)
2007.01.21
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自分が日本のどこに行ったことがあるかということを調べるサイトを見つけました。生涯経県値ちなみにArgus君の経県値は こちら。・・・・・・おもしろくないじゃん。まあ、いい年しているのでたいていのところは行ったことがあるのだけれど。沖縄には行ったことがない。それから考えてみると琵琶湖を見たことがない。富山と滋賀はまったく行ったことがないはずなのだけれど、去年の春に京都から金沢に電車で移動したので、きっと通っているはず。行った回数を盛り込むともう少しおもしろい図になるのかな。それとも世界版もいいな、と思った。
2007.01.20
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最近世間を賑わせている、例のバラバラ殺人事件を見ていたら 当該夫婦がまさにロストジェネレーションなんだなと気がついた。 事件に至った原因のひとつは夫のDV(domestic violence)だという。 僕らの世代はガキのころケンカばかりしていた。 でもDVとはあまり縁がない世代ではないかと思う。 ケンカっぱやい自分ですら、家族や女性に手を上げたことはない。 女を殴っても自慢にはならないし、むしろ恥ずかしいという意識がある。 でもこの世代は違うようだ。 まわりの30ぐらいの女の子に聞くと、彼氏を殴ったり、暴力を振るったことがあるという人はたくさんいる。 そういう人はもちろん殴られたこともある。 仲良しの女性から「以前、彼氏の歯をおっちゃいました。」という話を聞いたときは、真剣に驚いた。 それは決して特殊な女性ではなく、ごくマジメな普通の人たちだ。 どうも女性にとって暴力というのはだいぶ身近なものになっているみたいだ。 いつものケンカの延長が、殺人にまで発展してしまうのだろうか。 動物のケンカでも、獰猛なケモノのほうが、手を引くのは早いそうだ。 一見おとなしそうなハトなどは相手がボロボロになるまで痛めつけるらしい。 もしかするとこの事件は、子供のころ暴力を学習しなかった世代が引き起こす過ちなのかなと思った。
2007.01.17
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バランスは3枚目がまともだけど、顔がひどい。
2007.01.14
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以前「バカの壁」についてだいぶ悪く書いたのだけれど、養老先生の話の中にはいくつか興味深いものがあったので、続編の「死の壁」「超バカの壁」を読んだ。(どっちも古本屋にあったからなんだけど・・・)その中で結構共感したのは「あいまいなものを無理に明確しない」という考えだ。たとえば「脳死」の話。人間の死はどこから始まると定義できるのか?もともと人間というのは生まれた時から必ず死ぬのだから、生まれた瞬間から死に向かっており、それは不可逆なのだ。それを定義するのは何のためか?移植のためでしかない。脳死はまだよい。安楽死になると、どこから認めてよいのか、ということを定義することに何の意味があるのか?下手に明文化した定義をつくってしまい、個々の事情を判断せずに犯罪か否かを律儀に守ることは正しくないのではないだろうか。同じように日本国憲法は9条をはじめとして自衛権があるかないかが極めてあいまいだ。しかし、明文化させることは、ある程度の軍事力を容認する事である。つまり世界の事情が今後どんな風に変ったとしても明文化された軍事力は、何のうしろめたさもなく、維持される事になる。それは本当にいいことだろうか?そのあいまいさ、あいまいなうしろめたさが平和維持に役立っているとはいえないだろうか?養老氏はまた「たてまえと本音」という言葉でも説明する。「人命尊重」という医療の基本ですら、時にはたてまえであり、それによって本質が阻害されることがある。たてまえが不必要だとは言わないけれど、それが本質ではないということをわかっていないといけない。それがわかっていない典型がお役所仕事。たてまえである書類の数が増えていき、本質はなかなか改善されない。なるほど。たしかに、日本人はやたらルールを作りたがって、しかも一度ルール化してしまうと、その運用法方にも柔軟性がない気がする。守らないルールをどんどん作っても、本質はちっとも改善されないのに。実は僕は「たてまえ」というのが大嫌いだ。上司でも同僚でも「それがルールだから」とかいう、たてまえ重視の話にはまったくついていくことができない。だからといって、世の中に背を向けて反発しているわけでもないし、ルールを破りたいわけではない。養老氏の「たてまえ」を「たてまえ」として認識するという意見には大いにうなづいたのであった。
2007.01.14
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蝋梅といえば正月の花ですが、何時の頃かこの花がすごく好きです。たぶん最初に鎌倉で見たときに、梅の香りがする黄色い花とひどく驚いたためだと思う。梅はバラ科サクラ属だけど蝋梅はロウバイ科ロウバイ属という変わり者なんだって。そこもお気に入り。
2007.01.08
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今日は仕事始めだった。朝会をさぼっていたら、例のウツの子がやってきてやっぱり明日から休むかもしれないという話になった。いろいろ聞いてあげて、少しは落ち着いたといっていたけど心配だなぁ。会社が原因ということなので休むことはいい事だと思うけど、一人暮らしの彼女は本当に孤独になってしまうのではないだろうか。朝日新聞によると現在25~35歳の世代はロスト・ジェネレーションなんだそうだ。日本の景気が最高調のときに生まれ、成長にしたがって、景気が悪くなり、最低の就職時期を迎えた世代なんだそうだ。僕から見るとこの世代の特徴は「実力よりも運」が大きいということだ。一生懸命勉強したり働いたりしても報われない人がいる一方、たいして働かないのに、なぜか安穏と暮らしている人もいる。とくに30前後の人たちでその差が大きい気がする。実は彼女も立派な学歴を持ち、仕事もマジメな人だ。でも運悪く定職につくことができず、派遣業務を渡り歩いている。正規採用の子より余程優秀なのに、給料は低く、しかもけっしてあがらない。日本は何かおかしいよなぁ。自分には何もできないけれど、せめてこんな矛盾をそのまま利用する連中に尻尾をふるのだけはやめたいと思った。
2007.01.05
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鎌倉に初詣に行ってきた。鎌倉といえば、なんといっても鶴岡八幡宮が有名だ。駅から八幡宮への小町通りは、みやげ物屋も多く、ふだんから多くの人でごったがえしている。そして次に混むのが銭洗い弁天。お金持ちになりたい!!という善男善女が先を争ってお金を洗っている様は結構おもしろい。今年僕はまず八幡宮に行った。ここはいつもすごく時間がかかるのだけれど、今年はなぜか流れがよくて、20分もかからなかった。ついでにふらっと近くの寺に寄ってみた。・・・・・ほとんど人がいない。八幡宮から5分しか歩かないのに、とても静かだ。お堂の中を覗いてみたら、なぜか仁王像が二体あった。最後に山道を登って、いつもの神社に向かった。僕は毎年ここでおみくじをひくことにしているんだ。本殿がぼろいのだけれど、ここの鈴をならすのが好きだ。鳥居をくぐって・・・・・あれ????本殿がない????いや、立て替えたんだ????でも妙に小さいぞ?????以前の半分ぐらいの大きさだ。それに鈴がないじゃないか!!!!!!まあ、だいぶ傷んではいたのだけれど、もう少し雰囲気を残せなかったのかなぁ。うーーーーん、ちょっと残念。でも予定通りおみくじひいたらなんと大吉だった。まあ、いっか。神様、今年も良い事があるようよろしくお願いします^^
2007.01.03
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今年もへたっぴな絵におつきあいくださいませカレンダーからの写しです。雪景色なんですが、よくわかならいですね。難しい・・・・・・
2007.01.03
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皆様あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
2007.01.01
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