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銀輪散歩も南北の移動が中心の最近であるが、本日は東へ。 我が家は生駒山系の山の西側斜面の山裾にあるので、東へ行くというのは、即ち山に登るということを意味する。急峻な坂道故、殆どの行程、自転車を押して歩くしかないのであるが、それでも傾斜が少し緩やかな処は頑張ってペダルを踏む。汗が目にしみる~。 大阪府と奈良県との境の峠が暗(くらがり)峠である。この峠を越えて、奈良県側に下った処に犬養孝先生揮毫の万葉歌碑があるのだが、今日はそれを写真に収めようと、ただそのためだけの銀輪散歩である。前回(2009.1.29.)の暗峠行きの際は犬養万葉歌碑のある処までは行かず、画竜点睛を欠く気分でもあったので、今回は、という次第。(枚岡公園内の道ー1) 山越えの道は枚岡公園から始まる。この公園自体が既にかなりの高みにあり、ここまで登ってくるだけでも自転車では相当にハードである。上の写真の辺りはまだ何とかペダルを踏めるが、下の写真の辺りになると、もうお手上げ。(枚岡公園の道ー2)(暗峠への道) 暗峠はまだまだ先であるが、坂道はいよいよ急峻に。振り返ると先ほどひと休みしたお堂が下の方に。このお堂の脇にキツネノカミソリがひっそりと咲いていました(写真下)。(キツネノカミソリ)(万葉の路入口) 府民の森「なるかわ園地」への道である「万葉の路」入口でしばし休憩。府民の森は自転車乗り入れ禁止であるし、この路は階段の道なので、自転車では入れない。ここまで来れば暗峠はもう直ぐである。(万葉の路) ミンミンゼミとツクツクボウシの合唱に混じって、ヒグラシの澄んだ声が響き渡る。ヒグラシは秋の使いかも知れませんな。涼やかで、もの寂しさを感じさせるその声は秋を思わせる。汗だくになっていてもである。さやかに風の吹きも来る。(暗峠の棚田・大阪府側) やっと峠の手前までやって来ました。棚田が美しい。写真右奥の森に府民の森への入口がある。 黄花コスモスやタデが咲き、ヒョウモンチョウ、アゲハチョウ、アオスジアゲハなどの蝶が舞う。(黄花コスモス)(タデ) 峠には何軒かの民家がある。石畳の道の処でおばあちゃんと出会う。「こんにちわ」と声をかけると、人なつっこい笑顔で「歩いても大変なのに、自転車ではさぞ・・。冷たい水あげよか。」と言って下さる。(暗峠の棚田・奈良県側)(暗峠・奈良県側) 眼下に見えるのは生駒市の市街。その向こうの丘陵は矢田丘陵。矢田丘陵を越えると奈良市です。(峠のお地蔵さん・奈良県側) お待たせしました。やっと、犬養万葉歌碑です。 歌碑までは随分とかかるでしょう(笑)。(犬養万葉歌碑) 防人 下野國梁田郡 上丁 大田部三成 奈尓波刀乎 己岐泥弖美例婆 可美佐夫流 伊古麻多可祢尓 久毛曽多奈妣久 孝書 (注)「泥」は、原文は「泥」の下に「土」を書くのだが 文字が使えないので「泥」として置きました。難波津を 漕ぎ出て見れば 神さぶる 生駒高嶺に 雲そたなびく (巻20-4380 大田部三成)(棚田に野焼きの煙、秋の風情が・・) 犬養万葉歌碑にお別れして、再び暗峠まで喘ぎつつ坂道を登る。峠からは大阪側へは一気に落ちて行くような下りである。登りの苦労が嘘のように瞬く間に下界へ。花園公園までひたすら下る。(花園公園から生駒山を望む。) 左奥のテレビ塔のある山が生駒山である。右手前の山から生駒山の右肩へととりかかる道が暗峠越えの道である。 生駒山の裏側少し下った処に犬養万葉歌碑があったのだから、そこまでを往復したことになる。振り返って見ると結構な距離だ。
2009.08.21
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今朝の銀輪散歩は、出鱈目に 走っているうちに深北緑地へと続く寝屋川沿いの道に出たので、久しぶりに深北緑地まで足をのばしてみた。(深北緑地への道)朝風に 秋の色あれ 日に焼くる 夏の道なり 深北の道 (偐家持) 公園内をグルリひと巡りするが、夏休みとは言え、ウィーク・デイと暑さの故か、人影はまばら。花にでも挨拶してまいりましょう。(深北緑地公園東入口付近) 写真右が舗装されていない公園外周道路、左が公園内に進入する舗装された道路。(深北緑地公園・砦広場) 木陰で休みながら水分補給をしていると、3才位の女の子を連れた若いお母さんがやって来て、近くにある遊具で子供を遊ばせ始めました。(左:不明<ヤナギバヒマワリか?>、右:百日紅)(アガパンサスの実)(蓮池)(サルビア・グアラニティカ) 舌を噛みそうな名であるが、要するに青いサルビアですな。深い青色が涼しそうである。実物はもっと濃い青色でありました。(メランポジウム) 出口の花壇のメランポジウムの黄色い花に見送られながら、公園を後にして、野崎観音の方向へとMTB(マウンテン・バイク)を走らせる。 途中、反対方向から自転車でやって来た中学生位の少年に四条畷神社への道を尋ねられる。「この道を真っ直ぐに行き右に入る。何処で入るかは走っているうちに分かる。」と、何ともいい加減な説明。まあ、神社なんぞというものは、行けば何となく分かるものなのだ。だから、これでいいのだ(笑)。 野崎観音の下の「野崎まいり公園」の休憩所でひと休み。下の写真の休憩所の前に停めてある自転車が我が愛車のMTBです。(野崎まいり公園の休憩所)(野崎まいりの絵をプリントした暖簾) 休憩所は朝9時から夕方5時まで開いていて、地元の方が何かでお使いになっている場合を除き、誰でも出入り自由である。 休憩所建物の傍らにガマが穂を付けていました。(ガマの穂)<本ブログ内関連記事> 深北緑地 野崎観音
2009.08.19
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朝の銀輪散歩。愛車のMTBで大東市まで走った後、水走交差点から石切神社に立ち寄り、神社の参道の坂道に挑戦。思ったより坂道は長かった。自転車で坂道を一気に登り切ろうとするが、最後の登りがもう一杯一杯。何とか登り切ったら、もう息が切れて、ハアハア。ちょっと頑張り過ぎました。汗はどっと噴き出し、滴り落ちる。さすがに疲れて、石切公園の木陰で水分補給も兼ねて、しばし休憩。(朝。石切公園から生駒山を望む。) 今日は、囲碁の会の日でもあったので、銀輪散歩から帰宅後直ちにシャワーを浴びて身づくろい、12時01分発の電車で梅田へ。(昼。近鉄・枚岡駅・・けん家持の最寄り駅です。) 囲碁の方は相変わらずのヘボ碁にて、5局して2勝3敗。5局もするとへぼ碁でも頭が疲れる(笑)。 囲碁から帰宅すると午後6時少し前。未だ明るいので、再びMTBで軽く1時間半の夕照銀輪散歩。帰途につく頃は暗くなりかかっていました。吹く風に何となし秋の気配も感じなくもない。そう言えば、朝の石切公園で赤トンボが飛んでいましたな。立秋も間もなくではある。とは言え暑い毎日ではある。どうぞ、皆さまご自愛下さいませ。遅ればせながら、暑中お見舞い申し上げます。(夕。水走交差点付近にて夕照を眺める。) 本日もこれといってネタもないので、朝、昼、夕の三景をアップしてお茶を濁して置くことといたします(笑)。
2009.08.05
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本日の銀輪散歩は南方向へ。 花園中央公園から恩智川沿いのいつもの道を辿って、八尾市、柏原市を過ぎ、大和川を渡り、藤井寺市・羽曳野市へ。応神天皇陵など古市古墳群のある辺りを巡ることにしました。と言うか、走っているうちに何となくそんな成り行きになったのでした。 大和川の支流、石川に別れを告げ、西に向かって最初に出くわしたのが、国府八幡神社。その奥に臨済宗永源寺派の寺、潮音寺がある。(国府八幡神社)(潮音寺) 潮音寺の門前に「孝女衣縫氏碑」と刻まれた石碑があった。この地に次のような孝女伝説があるらしい。 「平安時代、仁明天皇の頃、この地区に衣縫造金継という者がいたが、彼の娘は大変親孝行であった。娘12才の時、金継が亡くなるが、娘は墓参りを絶やすことなく、母親にも孝行を尽くした。適齢期になり、母親は良いところへ嫁がせようとするが、娘は『母様を残して嫁に行く位なら死んだ方がまし。』と言って断り続ける。母親が死んだ後も、独り身で両親の墓を守り通した。」 親の立場からすると、「それ、ちょっと違うだろう」と小生なんかは思うが、その孝女の墓がこの寺の境内にあるらしい。(允恭天皇陵・市野山古墳) 潮音寺の裏手(藤井寺市国府1丁目)に、5世紀後半築造と推定される前方後円墳、市野山古墳がある。第19代允恭天皇陵とされている。(志貴県主神社) 允恭天皇陵を左に見て、潮音寺から北に行くと志貴県主神社がある。この付近に河内の国府があったらしい。神社の境内に河内国府址の碑がある。 柏原から道明寺にかけての地は、大和朝廷の直轄地で、「河内の志貴の県」と呼ばれた。これを管理する豪族が、神武天皇の長子、神八井耳命を始祖とする志貴氏(志貴首)であった。 そんな訳でこの神社は、神八井耳命を主神として祀っている。「明日香風」、「垂水の上のさ蕨」の志貴皇子の名も思い出されて・・。(応神天皇皇后仲津姫陵・仲津山古墳) 允恭天皇陵の南西にある前方後円墳。この古墳と背中合わせのようにしてあるのが、古室山古墳。(古室山古墳)(大鳥塚古墳) 古室山古墳から西名阪自動車道高架下を潜って南に行くと、赤面山古墳(方墳)、大鳥塚古墳(前方後円墳)、丸山古墳(円墳)を経て、巨大前方後円墳の誉田御廟山古墳(応神天皇陵)へと続く。大鳥塚古墳までが藤井寺市、丸山古墳から羽曳野市となる。(応神天皇陵入口)(誉田御廟山古墳・応神天皇陵) 応神陵は余りにも巨大に過ぎて、息子の第16代仁徳天皇陵とされる大仙古墳と同様に、空から見るのでなければ、その大きさがよく掴めませんな。(道明寺山門)(道明寺本堂) 道明寺経由して、再び、石川に戻り、石川自転車道を走って、大和川で、二上山を遠望し、帰途に。 朝9時過ぎから午後2時過ぎまでの炎暑の中の銀輪散歩始末記、これにて終了。(石川・大和川の支流)(大和川から二上山遠望) 以上、前回は、自宅から見て、北方面の近隣紹介でありましたので、今回は南方面の近隣を紹介申し上げました(笑)。 ○応神天皇・ 允恭天皇 ○古市古墳群の古墳(藤井寺市分)の写真はコチラをご覧下さい。
2009.07.31
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この処、天気が不安定なので銀輪散歩も近隣巡りです。 先日(7月18日)、カマトポチさんが川崎市の川崎大師で開催されている「風鈴市」の様子をブログで紹介されていましたが、そこに「河内風鈴」も出展されていました。「河内風鈴」は初めて耳にしたので、調べると菅さんという方が廃瓶などをリサイクルして風鈴を作って居られて、その工房が東大阪市の今米地区にあるとのこと。 そんなことで、本日はその工房が何処にあるのか銀輪散歩のついでに探してみようと、出掛けました。中小企業の工場や事務所が軒を連ねる中に、自宅の倉庫を改造したという工房が確かにありました。特に風鈴に興味がある訳でもないので、通りすがりにちょっと覗いただけ。沢山の風鈴がひゃらひゃらと涼しげな音を立てていました。(河内風鈴工房) 工房を後にし、南に戻ると、小さな神社がありました。春日神社とありますから、我が地元の枚岡神社とは親戚のようなものですな。(春日神社) 春日神社から西に、広い通りに出て、交差点を渡ると喫茶店があり、黒猫君と目が合いました(笑)。(黒猫の喫茶店) 適当に、というか、出鱈目に走っていると、栗原神社というのに出くわした。境内で少し休憩。そこから少し行くと、遊歩道の入口があったので、入ってみることにした。(栗原神社)(遊歩道) 遊歩道の出口に西光寺という浄土真宗の寺があり、その門前に大阪府の文化財に指定されているという「吉原石造菩薩立像」がありました。室町時代初期のものらしい。(吉原石造菩薩立像) この地蔵さんから、家並の建て込んだ迷路のような路地を行くと、下のような昔の佇まいをのこした建物が突如あって、タイムスリップした気分になる。 以上、ご近所(と言っても自転車で1時間程度圏内を「近隣」と定義していますので、自宅から半径15km程度圏内ということで、かなりの広範囲ではあります。)の紹介でした。
2009.07.29
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本日の朝の銀輪散歩は北隣の大東市にある野崎観音へ。お染め久松のあの野崎観音である。夕刻は南隣の八尾市へ。いずれも恩智川沿いの自転車道を中心に走る、お馴染コースである。見かけた花などもご紹介します。銀輪花散歩でもあります。(野崎観音・本堂)(安産の祈りの犬が本堂の軒裏に一杯吊り下げられています。)(鐘楼)(江口之君堂)(野崎観音の見晴らし台からの眺め) 下方に見えている緑地が本ブログでも何度か紹介している「深北緑地」である。(お染め久松の塚)(アジサイ)(カキツバタかと思ったが、ハナショウブでした。)(シャクナゲ)(カシワバアジサイ)(アオキ)(ユキノシタ) 以上は野崎観音の境内にて見かけた花です。 なお、本ブログの関連記事は次の通りです。 野崎観音 2007.8.14. 2009.1.6. 深北緑地 2008.6.7. 2008.6.5. <参考>野崎観音 お染め久松 野崎小唄 夕刻の銀輪散歩は朝と反対方向に、南へ向かう。真澄さんも大和はまほろばさんもブログに立葵を取り上げておられたので小生もパチリ1枚。(タチアオイ) 立葵の本ブログ内の関連記事は2008.6.27.です。(コマツヨイグサ)(恩智川辺の夕照)
2009.05.30
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本日は友人のオガクニマン氏のお誘いを受け、自宅を自転車(MTB)で出発、京阪電車枚方公園駅前の喫茶店でオ氏と落合い、枚方駅近くの、オ氏が見つけたという洒落た料理屋で昼食を共に。オ氏としては、車でそこへ案内するつもりでいたようだが、小生が無粋な自転車でまかり来したものだから、已む無く彼も自転車でということになる。彼の地元と言う訳か成り行きにて、今日の昼食は彼のご馳走ということに相成りました。いやはや、ご馳走様でした。 昼食後、旧京街道を自転車で走る。昔の面影を偲ばせる古い建物もそこかしこに残る、なかなか風情のある道でもある。 京都(伏見)と大阪を結ぶ「京街道」は、上りは陸路、下りは淀川の水路を利用というのが一般的であったらしい。それというのも、船では、下りが京都から大阪まで半日半夜要しただけなのに、大阪から京都への上りは一日一夜と倍の時間を要した上に、船賃も2~3倍もしたからである。そんな訳で街道筋の枚方宿は「片宿」といって、上りの旅人だけが利用する宿場であったということだそうな。 枚方公園駅から500m位の処に、往時の船宿「鍵屋」の建物が今にそのままのこされていて、それが「鍵屋資料館」として一般に公開されているというので、オ氏と連れ立って見学に立ち寄った。建物の裏は堤防とその上を走る国道を挟んで、すぐ淀川である。往時は船でそのまま、鍵屋の一階に乗り入れることが出来るようになっていたのである。まあ、船版のモーテルのようなものですな。(鍵屋資料館)(直江兼続とお船) 何故ここに兼続殿がおはしましけるか?どうやら、枚方パークの菊人形のお流れのようである。 往路2時間、復路2時間弱の丁度良い銀輪散歩と相成りました。 <参考> 枚方宿 くらわんか舟 枚方市立鍵屋資料館
2009.05.18
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いよいよ5月。青葉の美しい5月。風のすがしき5月。何事かよきことの始まる5月。 今日からその5月である。とは言え、世間はゴールデンウィークとあれば、サンデー毎日の偐家持はこの時期に遠出をする必要もなく、近隣散歩の銀輪散歩である。 朝風にやさしく吹かれながら、花園公園から市内北部方面をぐるり一回りしてまいりました。花も色とりどりに咲いて目を楽しませてくれるが、この時期はやはり何と言っても青葉の美しさが一番である。(緩衝緑地公園・加納地区) 公園の木々はどれも若々しい青葉の色に輝いて・・、高木たちの陰につましくあるニシキギの群れも瑞々しい葉を繁らせて美しい。(ニシキギ) 自転車を停め、近づいてよく見ると葉の陰に小さな花を付けている。ツツジのように葉を押しのけて咲く花もいいが、このような、誰に見られるということもないのに、しっかりと咲いている花もいい。(ニシキギの花)ニシキギの 花は葉陰に 咲きや散る 見る人なけれ 神がまにまに (偐家持)(これはウツギかな?) だんだん目線が下へ下へ、自らの足元に。足元にはタンポポの綿帽子。草が風にかすかに揺れる。(タンポポ)次の風 待ちてやあらむ たんぽぽの 白き穂の立つ 五月の朝は (偐家持) 恩智川に注ぎ込んでいる小川、日下川に沿って生駒山方向に登って行く。やがて、坂道が険しくなり、息が荒くなる。少しひと休み、立ち寄った公園には鯨が泳いでいました。奥の方では、ご老人たちがゲートボールを楽しんで居られました。道は更に登っている。さて、もうひと頑張りするか。体は軽く汗ばんでいる。(日下公園)メーデーと まかり越したる 鯨の子 水は差すめえ 日の下行かむ (偐労働者)
2009.05.01
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昨日15日はNHKの近くに所用があって、午後から銀輪散歩がてら自宅を自転車で出発。3時半にはフリーとなったので、大阪城公園を通り抜け、鶴見緑地に向かうことにした。約30分で到着。 松風さんの絵でお馴染の大池を見てみることに。傾きかけた柔らかい春の日差しの中に、散策する人、ベンチに語らう人、ボール投げに興ずる子供、水面をすべるように進む鴨、何やら既に見た風景を録画で見ているみたいな気もしつつ、ゆっくりと池の畔を自転車で周遊。木々は美しい芽吹きの時、明るい緑が瑞々しく、爽やかである。(大阪城公園のさみどり)(鶴見緑地国際庭園の外周道路)(大池、上の写真の自転車は我が愛車のMTB)(散歩の二人を撮ろうとモタモタしているうちに遠くへ行ってしまいました。)(メタセコイア並木) しばし、遊んだ後、鶴見緑地を後にし、我がホームグラウンドの花園中央公園へ。花園公園に、今を盛りと咲いている花など、見かけた花を紹介して置きます。最後のハナニラは9日の写真です。(アイリス)(サツキ)(満天星・ドウダンツツジ)(芝桜) (クヌギ)(シャガ)(カラスノエンドウ)(チューリップ)(ハナニラ)
2009.04.16
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この処は何やかやとあって銀輪散歩も遠出はなく、花園中央公園を起点としての恩智川沿いなど近場を走るのみにて、これといってブログに書くほどのことも余りないのですが、写真と和歌でそれなりに記事にしてみむとて・・。(花園中央公園・桜広場のサクラ) 4月3日はサクラの日。と言っても小生が勝手にそう決めているだけである。花園公園も桜が見頃になって、お花見を楽しむ人で賑っている。恩智川沿いの桜はあと2、3日先が見頃だろう。桜花 咲けどいぶせき 心には 咲きて悲しき 花と見ゆらし (偐家持)(恩智川のナノハナ)菜の花も 咲きてありけり 恩智川 桜に咲けと 笑み贈るらし (偐家持) 恩智川の河原に菜の花が、この処咲き出して、黄色い帯になっている。川はお世辞にも綺麗とは言えないが、菜の花がそれをカバーしてくれています。ということで、今日は黄色い春を見てみましょう。(フサアカシア<ミモザ>) ギンヨウアカシア(ミモザ)はもう盛りを過ぎてしまったが、花園中央公園のフサアカシア(ミモザ)の方は、未だ花の盛りにて、樹木全体が黄色く日に輝いています。金色に フサアカシアの 花咲きて 夕日の道は ひとぞ恋しき (偐家持) (サンシュユ) もう一つ黄色い花を咲かせているものにサンシュユがある。春の花に注目した別名が「ハルコガネバナ(春黄金花)」、秋の実に注目した別名が「アキサンゴ(秋珊瑚)」、「ヤマグミ(山茱萸)」である。山茱萸を音読みしたのがサンシュユである。(水仙) 黄色の春の花と言えば、黄色の水仙もある。レンギョウも咲いていましたが、写真には撮らなかったですな。野の花ではタンポポであるが今日は目に止まりませんでした。 春と言えば、梅、桃、桜となんとなくピンクの花のイメージであるが、黄色の花も結構多いですな。よって、今日は敢えて「黄色の春」としてみました。 しかし、最後にピンクも一つ掲載して置きましょう。(海棠)
2009.04.02
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今月は少し遅くなって、今日が墓参。うらうらに晴れたる春の道をゆく。墓は生駒山系の山裾の高みにあるので、結構、坂を登らなくてはならないが、墓まで来ると大阪平野が一望である。 線香の煙が風に流れてゆく。瞑目して祖父母、父、妹、娘と生前の彼らの面影を順に思い浮かべてゆく。亡き人のことを思い出すことが墓参りだと思っている。 「お墓の前で泣かないで下さい。そこに私は居ません。♪」 この歌に言われるまでもなく、亡き人達は墓に居るのではないのだ。僕らの思い出の中にこそ居るのだ。その面影を思い出の中から引き出してやるために、僕らは墓にやって来るのだ、と偐家持は考えている。思(しの)ふれば いざよふ雲か 山の端に 直には逢はね 面影立ちぬ (偐家持)(お墓から枚岡梅林への山裾の野道) 墓参のあと、枚岡梅林、枚岡神社へと野道を散歩。土筆はないかと道の辺の草むらに目をやるが、それらしきものはなかった。(この古墳は、最近までは墳丘にクヌギなどの雑木が生い茂ってい たのだが、今は丸坊主同然。)(枚岡梅林の梅)(手前が枚岡梅林で、この奥に枚岡神社本殿がある。)(枚岡神社本殿)(枚岡神社拝殿脇の梅)(沈丁花)甘過ぎる 春風となり 沈丁花 (筆蕪蕉)(馬酔木)わが背子に わが恋ふらくは 奥山の 馬酔木の花の 今盛りなり (万葉集巻10-1903)
2009.03.07
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今日は2.23.で富士山の日とか。大阪からは富士山は望めないので、写真はなしですが、「富士山の日」に協賛して、万葉集の歌を掲載して置きます。 山部宿禰赤人、不盡山を望める歌一首並びに短歌天地の 分れし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河なる 布士の高嶺を 天の原 ふり放け見れば 渡る日の 影も隠らひ 照る月の 光も見えず 白雲も い行きはばかり 時じくぞ 雪は降りける 語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ 不盡の高嶺は (巻3-317) 反歌田兒の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ 不盡の高嶺に 雪はふりける (巻3-318) 富士山には桜が似合うが、未だ手近には咲いていないので、桜のお兄さんに当たる梅の花で代用です。(緩衝緑地公園の梅) 本日も近隣散歩。午後からMTBで外出、先ず、恩智川沿いに北に向かい、大東市の手前、加納地区の公園で西に折れ、もう一つの緩衝緑地公園へ。公園を南に縦断し、再び恩智川沿いに戻って、花園ラグビー場へ。(花園ラグビー場) 近鉄線の東花園駅の踏切を渡って、また恩智川沿いの道に入って、一路、南へ。八尾市を通り抜け、柏原市に入り、柏原市役所前で一休み。大和川の川辺を少し走ってから、帰途に。花園中央公園に帰り着いたのが午後5時。4時間走り続けたことになる。 まあ、富士山とは何の関係もない一日でした(笑)。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー追記(7月24日)今朝の松風6923画伯のブログには「生駒山遠望」の絵がアップされていました。小生がお願いしたからでしょうか。嬉しくて歌と俳句を作り、同氏に贈りました。 青山に 春は来にけり 雨止みて (筆蕪蕉) 青々と なびける春の 生駒山 背子に恋ひつつ 笑みや贈れる (偐家持)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 恩智川沿いに行く散歩では、決まって目にする小さなキリスト教会、本日はこれを写真に撮ってみました。(八尾グレース教会)
2009.02.23
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昨日、カマトポチさんのブログで早々とミモザの咲いているお写真を拝見し、また、本日智麻呂邸をお訪ねした際に、道すがらのお宅のお庭のミモザの木が少し咲きかかっているのを目にしたので、我が苑(と言っても近くの花園中央公園であるが)のミモザはいかにやと、帰宅途中に見て来ました。 昨日は遠目には花の気配はなかったのであるが、ひょっとすると・・と今回は近くでよく見てみようと思った次第。 やはり、近くで見ても花は未だですな。蕾の段階です。一本の木だけ、一部に少し黄色味がかった色になっているので、蕾が膨らみ始めているようだ。まあ、大阪のこの地のミモザは、例年通りに、来月上旬から中旬に花咲くようです。 左側の木は中央が黄味がかっていますから、間もなく咲きそう。右側はもう少し先かも。我が苑の ミモザはいまだ 咲かなくも 含(ふふ)みてあれば 春となるらし (偐家持)吾妻なる 背子が片辺に 咲くミモザ いまだ咲かなく 我が苑暮れぬ (偐家持) 我々がミモザと呼んでいるのは、フサアカシア、ギンヨウアカシアなどのマメ科アカシア属の花卉の俗称らしい。本来はマメ科オジギソウ属の植物の総称であるらしい。(ミモザ<英: mimosa、独: Mimose>フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
2009.02.22
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本日も銀輪近隣散歩の道すがらの風景を。 自宅近くの枚岡梅林は、白梅・紅梅、色とりどりの梅の花が今を盛りと咲き匂っています。 梅見の人なるか。仲好く4人並んで座り、何を語らうのであるか。何やら微笑ましい眺めである。萬世に 年は来経(きふ)とも 梅の花 絶ゆることなく 咲き渡るべし (佐氏子首 巻5-830) 枚岡梅林は、生駒山地の山の裾野の斜面に広がる大阪府営枚岡公園の一部をなす。様々な品種の数百本の梅が植えられ、この時期は梅を愛でる人で賑う。北隣が枚岡神社で、梅林を通って神社へと続く道がある。 昔、高師直の軍と楠正行・正時らの軍との戦がこの辺りであったとの伝承もあり、梅林の一角には「正行首洗いの井戸」なるものもある。枚岡神社を抜けてもう少し北に行くと、住宅地の一角に「正行の首塚」なるものもある。梅の花 折りてかざせる 諸人(もろひと)は 今日の間は 楽しくあるべし (荒氏稲布 巻5-832) 足元の草地にはオオイヌノフグリが青い小さな花を咲かせていました。 花園中央公園も土曜日とあって遊ぶ子供たちの声がそこここに。ドッグランで犬を遊ばせる人、あづま屋で語らう人、小鳥にエサをあげている人、キャッチボールをする親子。野良猫にエサをあげているオバさんもいた。それぞれの休日である。 見上げると、すっかり葉を落したメタセコイアが春の日差しに照らされて青空にすっくと伸びている。遠くでは、生駒山が優しい稜線を見せている。春の季語では、「山覚める」、「山笑ふ」とのことだが、今日の生駒山は確かに微笑んでいるようでもある。生駒山 春日の照れば 微笑みて も少し我に 走れといふらし(偐家持) さて、もうひと走りして来るか(笑)。
2009.02.21
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今日は偐家持の誕生日。 もう何歳になったのやら。 ブログ上では満1291才になったことになる。 誕生日だからという訳でもありませぬが、自転車(マウンテンバイク)で生駒山の暗峠に挑戦。と言っても急傾斜の坂道続きにて、登りは殆ど押して歩くしかないのではありましたが・・。はあ、はあ、息も上がるかと喘ぎ喘ぎしてゆけば、汗が滴り落ちるまでに。 それでも1時間弱で峠に到着。奈良県側に少し下った処にある喫茶店(峠の茶屋と言うべきか)で熱い珈琲を戴く。 脇道に入って「ほととぎすの名所」とされる慈光寺に立ち寄る。ところが、ここで失態。道脇の高みで休憩した時にザックを下ろしたのであるが、それをそこに置き忘れたまま自転車で坂道を走り下ってしまったのであった。 そのことに気が付いたのは、麓の枚岡公園まで下山してからのこと。ああ、何たることか。 再度、急登を自転車を押しながら登るという難行。幸いザックは置き忘れた場所にチョコンとそのままにありました。暗峠の標高は455mですから、そこそこの低山を二回登ったようなもの。疲れました(笑)。(万葉歌碑) わが家から最も近い万葉歌碑である。暗峠への道の枚岡公園の一角にある。芭蕉の句も併記されているので、芭蕉句碑と見るか万葉歌碑と見るかは、見る人次第である。 歌碑の歌は遣新羅使人の秦間満(はたのはしまろ)の歌である。夕されば ひぐらし来鳴く 伊故麻山 越えてぞ吾が来る 妹が目を欲り(巻15-3589) この碑の近くに、芭蕉の句碑(下記の写真)があります。よって、上の碑は、やはり万葉歌碑ということにして置きましょう。(芭蕉句碑) 菊の香に くらがり登る 節句かな 元禄7年(1694年)9月9日重陽の節句(旧暦)の日に奈良から大阪へ、芭蕉は暗峠を越えました。大阪に入って病に倒れ10月12日に亡くなっているから、この暗峠越えが芭蕉最後の旅となったのでした。 では、小生も一句。 春風に 忘れくらがり 二度登る(豊浦橋) この橋の下は豊浦渓という渓谷になっていて、楓が沢山生えている。紅葉の季節も美しいが、種が散る青葉の季節には、風車のようにキラキラ日の光を反射させながら、楓の種子が次々と舞い散る様を、この橋の上から眺めることができるのである。(暗峠への道から眺める大阪平野) 暗峠への道は狭い道ながらも国道308号線なのである。殆ど一直線に登る感じでかなりの急坂である。古くは直(ただ)越えの道と呼ばれ万葉にも出て来る。もっとも、万葉の直越えの道は、この暗越ではなく、もう少し北側の辻子(ずし)越または善根寺越だとする説もあるが、小生は暗越え説である。頭をめぐらすと、山の稜線の木々が美しい。 (天平)五年癸酉、草香山を越ゆる時に、神社忌寸老麻呂(かむこそのいみきおゆまろ)の作る歌直越えの この道にして おし照るや 難波の海と 名づけけらしも (巻6-977)(道標) (暗峠)(奈良県側から見た暗峠の石だたみ)(暗峠・大阪府側から) この峠を越えれば奈良県、左の小径を行くと生駒山上である。山上への道は、下の写真のように、自転車では無理な山道なので、本日はここまで。慈光寺にでも寄って行くか。(暗峠地蔵のお堂・・この細道が山上へと続く道である。)(暗峠付近の棚田)(慈光寺への杉木立の道)(慈光寺) 慈光寺の由来は下記写真を拡大して読んで下さい。もう書くのが面倒になりました(笑)。
2009.01.29
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昨日は大学同期の旧友との新年会。心斎橋の中華レストランに15名が集い、愉快で楽しいひと時を過ごしました。法務省を卒業して徳島の大学の先生をやっているF君と警察庁を卒業して名古屋の企業に勤めているN君とは卒業以来の再会、銀行マンのY君ともそれに近い再会、懐かしさもひとしおでした。 今日は久々の銀輪散歩。 花園中央公園・花園ラグビー場→恩智川沿い→JR住道駅前→深北緑地公園→JR四条畷駅前→四条畷神社→飯盛山登山(この部分だけは勿論徒歩です。)→JR野崎駅前→野崎観音→花園中央公園。(深北緑地公園) MTBにて花園ラグビー場前を出発。 全国高校ラグビーも昨日が準決勝、明日が決勝戦ということで、本日はそのハザマにて人影もなし。 うらうらに照る冬の日差しの中、花園中央公園を横切り、恩智川沿いの道を一路北へ。恩智川が寝屋川に合流する辺りで寝屋川沿いの道に移り、深北緑地公園を目指す。 深北緑地公園の池にはユリカモメが群れていて、いつもの白鳥君は遠くに身を避けていました。(四条畷神社)(楠正成<右>・正行<左>像ーー桜井の別れ) 深北緑地を一巡して、久々に楠正行を祀る四条畷神社へ。参道の延々たる登り坂を一気に登り切ると、さすがに息が切れる。 境内には楠正成・正行親子の像「桜井の別れ」がありました。 ♪青葉繁れる桜井の~♪ の歌の桜井の別れであるが、この桜井の地は、この四条畷からさらに北へ、淀川畔の三島郡島本町の地である。 武士(もののふ)の 堅き心は 桜はな ちりての後ぞ 人や知るらん (楠正成)(飯盛山からの眺望) 神社の裏手から飯盛山への登山道・ハイキングコースがある。自転車を神社の前に停めて、ちょっと登ってみたが、予想に反してかなりハードな道でした。高みからの眺めはその分素晴らしい。大坂平野が眼下に一望である。 四条畷神社にお別れして、お染・久松の野崎観音へ。これも山門への登り坂が自転車にはかなりきつい。山門の下には可憐な水仙が今を盛りと美しく咲き群れていました。(野崎観音・山門) 野崎観音を後にして帰途に。花園中央公園に帰り着いた頃は美しい夕焼けになっていましたが、日が沈むと途端に風も冷たくなり、冬であることをあらためて感じました。そう言えば、昨日が小寒。「寒の入り」であったのですな。旧暦・新暦入り乱れて季節感もいささか混乱です。
2009.01.06
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全国高等学校ラグビーフットボール大会が始っている。今日で一回戦の試合がすべて終了し、明後日から二回戦に入る。花園ラグビー場が一年のうち最も輝く時期である。全国から代表校の選手、応援の生徒らが集まり、熱戦が繰り広げられ、歓声、どよめきがスタンドにこだまする。さて、今年はどこに栄冠は輝くのであるか。小生としては、やはり大阪桐蔭を応援しますな。 このところ、来春の読書会に備えて、大伴家持の生涯をまとめてみようということで、数日書斎にこもりっきりであったので、久しぶりの銀輪散歩でありましたが、沸き上がる歓声に誘われて花園ラグビー場へ。花園ラグビー場はいつもと違って若者達でいっぱいで、賑やかなことでした。(花園ラグビー場)(第3会場の試合風景)(第1会場のメインスタンドにどよめきと歓声が・・)(球場の前には大きなラグビーボールも・・) 菜の花も咲き始めていましたが、ちょっと早過ぎますな。若者達の熱気に刺戟されて、菜の花も気を吐いているのでしょうか。
2008.12.28
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午後3時位から自転車で散歩に出た。途中でいったん帰宅したが、すぐにまた銀輪散歩に。今日は自宅の裏山への坂道を登り、生駒山麓の「辛き道」の銀輪散歩。その分、大阪平野が一望でき、眺めが良い。夕日も美しく・・。登りの途中にある地蔵堂でひと休み。この辺りまで登って来ると、道も狭く、急登となり自転車は押してゆくしかない。折しも傾き始めた日の柔らかな光に照らされて、木々に散り残れる葉が美しく輝く。 坂道を登りきった処に、小生お気に入りの「紅葉の名所」がある。と言っても小生だけが「名所」と言っているだけで、訪ねて来る人はまず居ない。 もう紅葉は散ってしまって、枝は寒々と夕風に吹かれている。落葉の降り積む道をゆくと、カサカサと乾いた音がするばかり。 その「名所」の一角に楠正行と楠正時の碑がある。何故ここにそれがあるのか、言われは知らない。楠正成は河内の国を根拠地にしていたし、近くの「往生院」には正行の墓もあるから、まあ、このような碑があってもおかしくはないのではあるが・・。さて、その地からの夕照の美しさをご紹介します。(楠正行公碑) (楠正時公碑) この傍には、お地蔵さんのいます小さな祠もありました。 山麓を南へ、往生院を目指す。正行、正時兄弟の碑を見たのだから、正行の墓にも立ち寄ってみようという次第。 往生院への道は、大阪平野が一望できる道である。夕日が沈もうとする大阪平野の眺めは茫洋として、何やら人を感傷へと誘う。 往生院は、平安時代中期に、安助上人が創建した寺で、この地から眺めると、お彼岸の中日、春分・秋分の日には太陽は四天王寺の上に沈むとのこと。四天王寺の真東に位置するのである。古来、極楽往生を願う人々は、多くこの地で往生することを望んだということである。 しかし、防犯上の理由とかで、午後5時閉門にて、小生は固く閉ざされた鉄の門扉に拒まれ入場は叶わなかった。現代は極楽往生も朝6時から午後5時までの間にしなければならないということになる(笑)。(往生院六萬寺の山門への石段)(参考)「往生院」
2008.12.15
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本日は大学法学部同窓会の幹事会の忘年会があった。来年3月一杯で小生の会長任期が満了するので、本日の幹事会にて、新会長に弁護士のM氏を推薦、了承された。これで、小生も来年4月でお役ご免となり、やれやれである。あと少し任期を残しているが、小生の如き者が曲りなりにも、会長の任を務め得たのは、副会長の皆さん、事務局長のA氏、幹事諸兄など、周囲の方々のお陰であります。茲に心からの謝意を表します。 さて、先日、信州上田市のビターcさんが「真田丸は何処にあったのですか?」と小生のブログに書きこんでおられたことを思い出し、上記の忘年会で梅田に出るついでに、少し早めに家を出て、その場所を探索することとしました。 大阪環状線の玉造駅と鶴橋駅との中間に「真田山公園」というのがあることを知っていましたので、多分其処だろうといのが、小生の推測でした。しかし、真田山公園を隈なく歩けど、それらしきものが見つかりません。諦めかけていたところ、少し北側に「宰相山公園」というのがあることを、道の辺の街区案内板に見つけ、立ち寄ってみると、そこにありました。 その小さな公園の一角が三光神社になっていて、そこの境内に、何と真田幸村公の銅像(いや、石像かな)がありました。そして、その傍らには大阪城から出城たる真田丸への地下の抜け穴跡という史跡まであったのです。 ビターcさんからの宿題をやっと果たせた気がして、嬉しい気分でした。(真田幸村公像) 徳川軍を迎え討とうとしている姿であるか、東方向を睨んでいるのも面白い。 三光神社の境内の石碑には「・・此地はもと大阪城の出城の在りし処にして慶長・元和の大坂合戦の頃、真田幸村茲に陣し本城より此処に至るまで地下に暗道を設け、今尚其のこん跡を本殿階下に止むるより世俗に真田山の三光と称するに至れり・・」とあります。(史蹟 真田の抜け穴跡)(三光神社)(宰相山公園)(真田山公園)(もみぢ葉も落葉も美しい真田山公園) 宰相山公園の裏手には旧真田山陸軍墓地があった。 整然と並んでいる兵士たちの夥しい墓石。これらの墓たちは、僕らに何を語りかけているのだろうか。(旧真田山陸軍墓地) 旧真田山陸軍墓地は、明治4年(1871)に当時の兵部省が設置し、昭和20年(1945)の終戦まで陸軍の管理下にあった。陸軍墓地は全国各地に80以上もあるらしいが、この真田山墓地は最古の歴史を持つ墓地である。将校、下士官、兵卒、軍役夫など5299基以上の墓石があるほか、4万3千余といわれる遺骨を納めた納骨堂(昭和18年<1943>建立)がある。敵として戦い、捕虜となってこの地で亡くなった中国人やドイツ人の墓碑も少数ながらあるとか。その意味では「英霊」を祀る靖国神社とは性格を異にするものと言えるだろう。 このように戦前の姿をよく残している旧陸軍墓地は今は殆どないらしく、現存する旧陸軍墓地としては、この真田山墓地は最大の規模を有しているそうである。軍国日本の歴史的証拠として、宗教色や「英霊」なんぞというイデオロギー的なものが一切付着しない、ニュートラルな、ひとつの歴史的遺跡・遺物として、やはりこれは将来へと遺されなくてはならないものと思う。整然と並んだ、もの言わぬ累々たる墓碑たちが「語りかけて来る」言葉にならない「悲しみ」というものに、耳を傾け、聞き取り、感じ取り、それを受け止めるためにも。
2008.12.05
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昨日は「囲碁の会」で梅田に出た。囲碁はAO氏と一局して1勝、T氏と一局して1敗。この日の戦績は1勝1敗でありました。前回はAR氏と小生の二人、今回はAO氏、T氏、小生の三人と、参加者がこの処少なくなっているのが気がかり。もう少し会員を増やさなくてはなりませんかな。現在の会員はT氏、FI氏、AO氏、AR氏、H氏、FN氏と小生の7名である。 近江の鯨麻呂殿、草麻呂殿。 貴公らも、いかがでござるかな。 夕刻は謡曲の稽古。「阿漕」である。今年は「阿漕」にて暮れゆくか。 本日も日の傾き始めた頃からMTBで銀輪散歩に。 帰途についた頃にはすっかり暗くなっていましたが、道すがらに派手にXmasのイルミネーションをしているお宅の前を通りましたので、写真を1枚、パチリ。ついでに、大阪の夜景も撮ってみようと、自宅近くで遠回り、坂道を更に登って、高みからパチリ。空には金星と木星が仲好く並んでいましたが、月は少し距離を置いて、そっぽを向いておりました。 我が家も高みにあるので、昔は二階から大阪平野が一望でき、美しい夜景を眺めることもできていましたが、西側空地に三階建てが建って以来は、それも見えなくなりましたですな。
2008.12.04
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この処、ちょっと頑張り過ぎたか、昨日は終日家でゴロゴロしていました。それでも夕刻近くになってから、MTBを持ち出して散歩に。懲りないのだ。一時間も走ると早や夕色に。花園中央公園で夕焼けを眺めて、帰途に。(花園中央公園の黄昏)(夢の橋) (星ふたつ。金星、木星?) 星ふたつ 寄りて添ふらし 花園の 暮れゆく空の 青深みゆき (偐家持) この処、もみぢシリーズで来たので、御堂筋の銀杏も外せないかと・・されど手元に適当な写真も無ければ、夜の1枚を掲載して置きましょう。(御堂筋の銀杏) あの人も この人も そぞろ歩く宵の街・・・ それともこのまま 道頓堀まで 歩きましょうか・・・ 歌に誘われてのドサクサ紛れ、この際、道頓堀界隈の写真も掲載してしまいましょう。(お馴染の景色です。)(道頓堀川)(宗右衛門町) 本日は午後3時頃に智麻呂邸訪問し、暫し談笑の後おいとま。花園中央公園銀輪散歩の傍ら、桜の紅葉を撮影して来ました。もみぢシリーズの掉尾を飾るのは、やはりいつもお世話になっている花園中央公園でなくてはならないだろう。(花園中央公園の桜の紅葉)
2008.11.27
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今日、明日と河内之国一之宮、枚岡神社の秋祭である。周辺の各地区から写真のような太鼓台が沢山集まって来る。また、境内、参道には多くの夜店が出て、見物客で賑う。盛大なお祭である。 太鼓台は、人が乗って太鼓を叩き、それを多勢の人で担ぐのである。 太鼓の叩き方は単純である。ドン、ドン、ドンデンドン、ドンデンドン、ドンデンドンが1セットで、これを繰り返すだけ。 担ぎ手はこの太鼓の音のリズムに合わせて全員が息を合わせて歩むのである。掛声は「ア、ヨッサ、チョーサージャ」である。地区によっては、「テーン、チョーサージャ」とか「アー、カワチ、チョーサー」というのもある。 太鼓の叩き手と担ぎ手がこの掛声を交わすことによって、リズムを取ってゆくのである。 リンク・・興味のある方は下記をクリックして下さい。<枚岡神社秋郷祭><枚岡神社><太鼓台>
2008.10.14
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近所の枚岡神社で「越中八尾のおわら風の盆」の踊りが奉納されると聞いて、夕食後散歩がてらに見物に出かけて来た。 どういう趣旨で行われるものであるのかは知らないが、三味線と胡弓の哀調を帯びた音色とおわら節のゆるやかな歌声の中、あの踊りが静々と境内を進んで来る様は、何とも不思議な感覚でした。 幟を見ると、「越中八尾おわら風の盆関西支部」という文字があったから、全国にこのような組織があって、言わば「風の盆の出前」をやっているのだろうか。 「風の盆」は毎年9月1~3日の旧暦のお盆に行われるらしいが、小生は未だ見物したことはない。現地でその雰囲気を感じてみたい気もするのだが、行って来た知合いや友人の話では、観光の人、人、人でいっぱいとのことなのでちょっと二の足を踏んでいる次第。ちょっと有名になり過ぎてしまったみたいですね。あの狭い小さな町の許容力を超える観光客の人数のようです。 このように「出前」まですると、いよいよそれに拍車をかけることとなりますな。昔、北アルプスの山に登る際、富山から高山本線へと入る時には八尾を通るのではあったが、八尾に降り立ったこともないから、どんな町なのかも知らないのである。 それにしても、河内一ノ宮の枚岡神社と越中おわら風の盆とは妙な取り合わせであることだ。 帰り道ではコオロギが道の辺に鳴いていました。日中は、まだまだ夏の暑さではあるけれど、早くも、そして確実に秋が忍び寄っているのですな。 「風の盆」(なかにし礼作詞・作曲)
2008.08.24
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偐家持が幼い頃から慣れ親しんだ神社、それが枚岡神社である。 自宅から徒歩数分の距離にある。 神社の裏手の道は生駒山上への登山口でもあり、休日にはハイカーの姿がよく目につく。 毎年10月14・15日の秋祭(正式には「秋郷祭」というらしい。)には、近郷の村々から布団太鼓台が出て賑うが、小学生の頃には、この太鼓台に乗って太鼓を叩くというのが楽しみで、太鼓の音が聞こえてくると、教室にいても先生の話など耳に入らず、我が村の太鼓台は今頃どの辺りを練り歩いているものやらと、そればかりが気になって、真赤な、勇壮華麗な太鼓台の姿を思い描いて、気もそぞろという状態であったことが思い出される。(秋の祭の、太鼓台の写真は2007年10月15日の記事をご参照下さい。) この神社の縁起によると、神武東征の折に、国土平定祈願のため、天種子命が勅命を奉じて、現社殿の裏東方の山、神津嶽の頂上に、天児屋根大神(アメノコヤネノミコト)と比売大神(ヒメオオカミ)を祀ったのが、その起源である。 現在も、神社の裏手から「府民の森」へのハイキングコースを辿って、神津嶽に登ると、山頂に「枚岡神社創祀の地」の碑があり、小さな祠がある。 その後孝徳天皇の時代、白雉元年(650年)に、平岡連などが現在地に社殿を造営、山上の二神を奉遷したとのこと。春日大社はこの地から天児屋根命を招致して祀っていることから、この神社は元春日とも呼ばれる。 桓武天皇の父で志貴皇子の子になる光仁天皇の時代、宝亀9年(778年)香取の経津主大神(フツヌシノミコト)、鹿島の武甕槌大神(タケミカヅチノミコト)勧請奉斎し、以来、春日大社と同じ四神を祀っている。 中世よりは、河内国の一の宮として河内一円の諸衆の信仰を集めているという、由緒ある神社である。
2008.07.12
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自転車による散歩、即ち銀輪散歩にて、石切神社に立ち寄る。 この神社の正式の名は「石切剱箭(いしきりつるぎや)神社」である。祭神は、二ギハヤヒノミコト(饒速日尊)とその子のウマシマデノミコト(可美真手命)である。 二ギハヤヒは、天照大神から十種の神宝を授かり、大和建国の任を帯びて、天磐船に乗って哮ヶ峰(現在の生駒山)に天降ったとされる。 この地の先住民の長、長髄彦(ナガスネヒコ)の妹と結婚し、子(ウマシマデノミコト)をもうける。 その後、神武東征に当たって、神武に激しく抵抗するナガスネヒコを諭して、帰順させるという働きをする。 息子のウマシマデは物部一族を率いて、神武天皇の親衛の役割を果たすことになる。 という次第で石切神社は物部氏の祖とされる二ギハヤヒを祀る神社なのである。 近鉄石切駅から神社への参道は昔ながらの商店が立ち並び何やら懐かしい雰囲気であるが、最近はやたらと占いの店が増えている。(石切神社本殿)(お百度参りをする人の姿が絶えない。中央にあるのは、今日が6月30日ということで「夏越しの祓」の茅の輪が設置されていた。)(亀の池) 今日は風の涼しい一日であった。桐の大木の木陰に入って休んでいると、火照った体に風が心地よく吹いて来る。見上げると桐の実が沢山ついていた。そこで、桐の実とエゴノキ(ちさ)の実、シラン(紫蘭)の実を加えて、実三態とする。(桐の実)(エゴノキの実)(シランの実)
2008.06.30
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ヤカモチの自転車散歩の定番は花園中央公園が起点、終点となるのが常である。今朝の朝の自転車散歩でも立ち寄って来た。そこでこの公園を少し写真で紹介しておく。ヤカモチお気に入りの一角からの眺め近鉄花園ラグビー場(高校ラガーマンの憧れの場所。毎年、年末からお正月にかけて全国高校ラグビーフットボール大会が開催されるのはご承知の通り。)多目的競技場その一角に歴代の優勝校のネームプレートが埋め込まれた小さな広場がある。ラグビーの森である。東大阪市民美術センタードリーム21(プラネタリウムがあるが、ヤカモチは入ったことがない。)遊水池公園(1)(奥の山が生駒山である。この広場の奥に恩智川が流れていて、大雨などで川が増水した時は水門を開き、増水した川水をこの広場に一時的に貯水し、下流への影響を調節するのである。)遊水池公園(2)(奥の建物が花園ラグビー場。手前の囲みはドッグラン。愛犬を鎖から放して遊ばせることができる。しかし、心ない人がこの場所以外でも、大型犬を放して遊ばせていることがままあるのは、いただけない。)
2008.05.01
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楠 正行を祀る四条畷神社まで自転車散歩。この神社の裏の飯盛山から大東市の野崎観音の裏まで格好の山道ハイキングコースがあるが、今日は自転車散歩ゆゑ、パス。帰途は参道をひたすら下るとJR四条畷駅に出た。駅の見える線路脇で休憩していると、黄色い蝶が一匹ひらひらと飛んで来た。春日照る 鉄路の駅の 静けさに 黄色き蝶の ひとつ飛び来ぬ 見やると生駒の山なみが間近。明るい春の日差しに照り映えて、緑なす帯がはるか南へと続いている。この辺りは生駒山地の北の端、山も低くなっているせいか、何やら優しい表情を見せているように思われる。風もさやかに吹いている。
2008.04.20
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朝の自転車散歩。野崎観音に立ち寄りぬ。観音堂の裏に一輪笹百合の咲きてあれば。お染めかも 野崎の杜の さ百合花 恋の形見と 一輪咲きぬ♪野崎詣りは自転車こいで参ろ…♪☆☆ ヤカモチ ☆☆
2007.08.14
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