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偐万葉・どち篇(その12) 今日は偐万葉シリーズ記事第340弾、偐万葉・どち篇(その12)であります。1.健人会関係 健人会の集ひに寄せて詠める歌2首また花の ときにぞ逢はむ 思ふどち みなすこやかに あれと願ひつ (偐家持)桜花 咲ける盛りに 逢はむとて 雨は降るとも われ参り来し (偐家持) (20240404健人会・瀬田川畔の桜)2.岬麻呂氏関係 岬麻呂に贈りて詠める歌20首 岬麻呂の旅に寄せて詠める歌18首寄する波 吹き来る風の 音清(おときよ)み 遊べ海にと 我誘ふらし (浜家持)恋ひ来れば イダの浜木綿(はまゆふ) 花咲きて われに語らく またも来(こ)しかと (浜家持)(本歌)み熊野の 浦の浜木綿(はまゆふ) 百重(ももへ)なす 心は思(も)へど 直(ただ)に逢はぬかも (柿本人麻呂 万葉集巻4-496) (20230919イダの浜とハマユウ)降(お)り立ちて 雨降(ふ)り止むは 晴れをとめ 半端(はんぱ)に非ず 岬のをとめ (岬家持)もみぢ旅に あれど始めに 求めしは いのちの水の 余市なりけり (偐酒持) (20231009余市ニッカウヰスキーの貯蔵庫)小樽運河 酒樽運河と 見つつ行く 堺も酒井 酒人われは (偐酒持) (20231009小樽運河)さ夜更けて 響き懐かし きたぐにに あれば地酒を 飲むべくあるらし (偐酒持) (20231009ニングルテラス)あどけなき 姿刹那に のこしつつ エゾシマリスの 駆け去り行きぬ (偐栗鼠持) (20231009エゾシマリス)しかたなく しかもするらし 雨宿り 紅葉の谷に 小雨の降れば (偐鹿持) (20231009雨宿りのエゾシカ)青空に 照る山もみぢと まいらねば いまいちなれど それなりの秋 (偐紅葉持) (20231009旭岳1400m付近)この月の 月は満月 次なるは 七年(ななとせ)のちの 月の月なり (偐月持)(本歌)月々に 月見る月は 多けれど 月見る月は この月の月 (作者不詳) (20231009中秋の名月in富良野)寄す波も 海の青さも かなしとぞ マムヤの恋の 東平安名崎(あがりへんなさき) (偐家持) (20231130東平安名崎)なまよみの 甲斐の国にし 参り来て い群れてどちと あるは嬉しも (偐岬麻呂)(注)なまよみの=「甲斐」にかかる枕詞 (20231202甲府の夜景)火の色に 咲く花見むと わが来れば 火の鳥はばたく マンホールのふた (蓋家持) (20231009アカショウビン図柄のマンホール)石垣の 島に春咲く カエンボク つぎて見まくの 欲しき花かも (岬郎女)流氷の 旅にしあれど 岬麻呂 先に訪ねな 能取の岬 (岬家持) (20240227能取岬)我はもや 流氷に乗りぬ 知床の 宇登呂の海の 流氷に乗りぬ (流氷家持)さ夜更けて 軋む音すなり 流氷の 宇登呂の海に 軋む音すなり (流氷家持) (20240227宇登呂の流氷)流氷の 寄せ来る夜は 海が鳴く 泣けとや鳴くか 網走宇登呂 (流氷家持) 岬麻呂氏の旅報告終了の報ありたるを受けて詠める歌1首幾(いく)十年(ととせ) 旅ゆきゆきて 今をかも 立ち別れまく 惜しき夕(よひ)かも (偐家持)(本歌)しなざかる 越に五年(いつとせ) 住み住みて 立ち別れまく 惜しき夕(よひ)かも (大伴家持 万葉集巻19-4250) 岬麻呂氏宛て返信メールに添えたる歌1首松が枝の 色は変らじ 八千代にも いませ我が背子 思ひつつぞ居り (偐家持)(本歌)紫陽花(あぢさゐ)の 八重咲く如く やつ代(よ)にを いませわが背子 見つつ思(しの)はむ (橘諸兄 万葉集巻20-4448)3.オガクニマン氏関係 クニ麻呂に贈りて詠める歌1首君がため 一局のみと なりぬれど 勝ちてうれしき 囲碁事始め (碁家持)4.野〇氏関係 野麻呂に贈りて詠める歌1首思ふどち まさきくもあれ 常磐なる 松のさ枝を 結び願はな (松家持)<参考>偐万葉・どち篇の過去記事はコチラ。
2024.04.07
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偐万葉・MoMo太郎篇(その1) 今日は偐万葉シリーズ記事第339弾、MoMo太郎篇(その1)であります。 MoMo太郎氏は2022年12月1日に、ブロ友のひろみちゃん8021氏のブログから当ブログに初訪問、初コメントをくださり、翌2日に同氏ブログに返礼訪問、返礼コメントをさせていただきました。 従って、同氏とのブログ上のお付き合いは約1年ということになります。 その約1年間の交流に於いて、同氏へのコメントに付した歌が22首となっていますので、偐万葉としてこれをまとめることとしました。 なお、偐万葉シリーズでは万葉風の勝手名で呼ばせていただくのが慣例となっていますので、MoMo太郎氏は以後MoMo麻呂とさせていただきます。 偐家持がMoMo麻呂に贈りて詠める歌22首初めての 友(どち)の来たるを うれしみと 師走(しはす)ついたち 小春日の空 (偐家持)沖縄の 那覇の駅跡 ゆく君の 記事を見つつや 御目文字(おめもじ)の歌 (偐家持) (20221202那覇駅跡)石走(いはばし)る 思ひはあれど 横浜の 師(し)の歌碑いまだ 見ずにありける (偐家持)(本歌)石(いは)ばしる 垂水(たるみ)の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも (志貴皇子 万葉集巻8-1418) (20221205伊勢山皇大神宮)夏は北 冬は南へ 旅はよし そのまた逆の 旅もよかりき (偐旅人)秋川の 道はた遠み 君が行く ままにぞ我は ブログにて見む (偐家持)(注)た遠み=「た」は接頭語。「遠み」は「遠いので」。(本歌)わが君の み車にそふ 秋川の 瀬音を清み ともなはれゆく (美智子上皇后御歌) (20230105上皇后御歌碑)野つ鳥も 棲めば都と 群れなせば 時に糞害 人も憤慨 (群椋鳥)春されば まづ咲く花や 白梅の 朝風寒き 銀輪の道 (梅家持)大和川 花ももみぢも なかりけり 冬の青空 雲のみ流る (偐家持) (20230202大和川byヤカモチ)桜花 木蓮花桃 みな咲きて 春の盛りを 君行くなるか (春花家持)鬼平の 跡とひ行ける 我が背子に 咲きて笑むらむ 隅田の桜 (鬼家持)周平の 跡をちこちに 見つつ我も 行きしことあり 鶴岡の町 (周家持)(注)周平=藤沢周平 (20230407鬼平情景)われ見しは 近江百穴(あふみひゃっけつ) 見が欲しは 吉見百穴(よしみひゃっけつ) ひかりごけかも (偐家持) (20230529吉見百穴)あをによし 奈良の都の 大殿(おほとの)も これしありての 瓦窯跡(かはらがまあと) (瓦家持) (20230908音如ヶ谷瓦窯跡byヤカモチ)銀輪で 走るはよけれ 帰り来て ブログに書くは さらなる苦労 (苦労判官)耳成も 畝傍も香具も 疾(と)く来(こ)よと そらみつ大和に 君待つらむか (三山家持)常(つね)知らぬ 道の長手や さきたまを いかにか行かむ ママチャリにして (偐チャリ麻呂)利根川の 水の恵みを まさやかに 学びて育て さきたまの子ら (偐埼持) (20231014前玉神社byヤカモチ)なにといふ こともなけども なんとなく しあはせなるか どちとつどへば (やかもち)唐楓(とうかへで) その種遠く 飛ばさむか 翼(つばさ)つけたり 風待つらしも (楓家持)(20231124トウカエデの翼果byヤカモチ)生きている のではなく生か されてある まことにそれを 知るはかたくも (偐家持)おほきみ手に 生かされてあり ちりひぢの 身も草も木も みなありがたし (偐家持)けらおけら けらけらけらの おけらわれ もとよりおけら けらけらおけら (偐虫麻呂) (20231208ケラbyヤカモチ)(注)掲載の写真は「byヤカモチ」とあるものを除きmomo太郎氏のブログからの転載であります。<参考>momo太郎氏のブログはコチラ。 アメブロ版偐万葉・MoMo太郎篇はコチラ。
2023.12.11
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偐万葉・ひろみ篇(その17) 偐万葉シリーズ記事第338弾は、ひろみ篇(その17)であります。 ブロ友のひろみちゃん8021氏(偐万葉では「ひろみの郎女」とお呼びしています。)からのコメントに対する返事コメントに付した歌などをまとめて掲載します。 偐家持がひろみの郎女に贈りて詠める歌23首春花の 咲ける盛りに 秋の葉の 匂へる時に またも来まさね (里山家持)(注)初句から第4句までは、万葉集巻17-3985の大伴家持の歌「二上山の賦」に出て来る句そのままを使用。今はもや 壱師の花の 秋は過ぎ 冬立つ里山 つはぶきの咲く (偐家持) 追ひて和せる歌1首石蕗(つはぶき)の 花は見れども 香は嗅がじ まるはなばちに われあらざれば (偐家蜂)(20221109梅田の里山のツワブキ)たづぬれば みなまた同じ アクセスの 減り方なれる 楽天ブログ (元減親王)(本歌)わびぬれば いまはたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞおもふ (元良親王)(20221119アクセスレポート)はな園の 落ち葉ふみつつ ゆくわれに 鹿なかなくも 秋はかなしき (犬丸大夫)(本歌)おく山に もみぢふみわけ なく鹿の こゑきくときぞ 秋はかなしき (猿丸大夫 古今集215、小倉百人一首5)書くと言ふも 書かぬ時あり 書かぬと言ふ 書くとは待たじ 書かぬと言ふを (坂下家持)(本歌)来むと言ふも 来ぬ時あるを 来じと言ふを 来むとは待たじ 来じと言ふものを (坂上郎女 万葉集巻4-527)菜の花も 梅も咲きたり いざ春の 遊びのそなへ 今よりせむか (花見家持)転びても学ぶものあり春の風 (転家持)何となく 首のあたりが 不本意の 偐偐(げんげん)コンビ どうする二人 (偐家康)わが園に 消(け)残るはだれか 雪柳 今ぞ盛りと 咲きにけるかも (雪柳家持)(本歌)わが園の 李(すもも)の花か 庭に降る はだれのいまだ 残りたるかも (大伴家持 万葉集巻19-4140)(注)はだれ=まだらに降り積もっている雪。(20230308ユキヤナギ)読書会 六日(むゆか)は過ぎじ 長門川 ゆめこの花を 風にな散らし (高橋偐麻呂)(本歌)わが行きは 七日は過ぎじ 龍田彦 ゆめこの花を 風にな散らし (高橋虫麻呂 万葉集巻9-1748)ハイノキの 実やいかなると とはるれば ハイ見てみると 言ふのほかなき (ハイ家持)(20230412梅田の里山・ハイノキ)花はあれ 根も葉もなしの ネモフィラの 記事の記憶を 根ほり葉ほりと (羽織家持)かにかくに 庭のかにくさ しぶとかり 引けどちぎれず ちぎれど生え来(く) (石川蟹草)(本歌)かにかくに 渋民村は 恋しかり おもひでの山 おもひでの川 (石川啄木)(20230814カニクサ) 追ひて詠める歌1首西麓の 自宅の庭の 蟹草を われ汗だくに これを引き抜く (石川蟹草)(本歌)東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる (石川啄木)ラベンダーの 花の香の風 吹き渡れ 富良野十勝の はるか山へと (偐家持)(20230816ファーム富田)黒髪の この道にして 狭穂姫(さほひめ)の 涙なるらし 小雨(こさめ)の降れば (佐保家持)(注)狭穂姫=垂仁天皇の皇后。※狭穂姫亡き後に皇后となった日葉酢媛は、狭穂姫が兄の謀反により天皇と兄との間の板挟みとなり、兄と共に自刃するに際しての彼女の遺言による推薦で皇后となった女性である。※奈良自転車道は黒髪山への道であり、黒髪山は狭穂姫がその黒髪を埋めたことからの命名だという伝説がある。(20230908奈良自転車道)風情ある 名とはいへども 耳成は 耳無しなれば 有耶無耶(うやむや)いかに (口有家持)神さぶる 山は見上ぐる ものなれど 三山見下ろす それも一興 (三興家持)猛暑との 戦(たたか)ひと行く 銀輪の 三山めぐり 汗もさんざん (散々家持)(20230911飛鳥川自転車道)ものぐさも わが名にしあり なにごとも 無用のこだはり なきをよしとす (雑把家持)われはもや はしどひ見せつ 我妹子(わぎもこ)に はじけたる実も その種までも (偐端持)(20231004ハシドイの実)さきたまの 行田にありて やかもちも 岬の麻呂の 真似などせむか (柿本人真似)(20231012行田市のマンホールカード)われもまた ヤカモチモドキ 青空に 赤く照る見む ウメモドキの実 (擬家持)(20231016ウメモドキ)<参考>過去の偐万葉・ひろみ篇はコチラ。 ひろみちゃん8021氏のブログはコチラ。
2023.11.06
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偐万葉・龍の森篇(その5) 偐万葉シリーズ第336弾記事、龍の森篇(その5)であります。 ブロ友・龍の森氏(当シリーズ記事では「龍森麻呂(りゅうのもりまろ)」)とのお付き合いも、早いもので今日で丁度3年5ヶ月になります。<参考>過去の偐万葉・龍の森篇はコチラ。 龍の森氏のブログはコチラ。 偐家持が詠める歌23首ほか並びに龍森麻呂が詠める歌18首ほかこのたびの 三社めぐりも 裏入りの 通り抜けなり わが初歩き (偐裏持) 龍森麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が追和せる歌1首白の花 世にぞ問はれん 数の中 すぐには食へぬ 白き梅ぞら (龍森麻呂)白き菜に あらね白梅 食ひたくは しばしあり待て 実のなるも見む (偐梅干)ヒマワリの 黄にはあらねど 菜の花の 咲きてこの春 ビバ・ウクライナ (偐家持) 龍森麻呂が贈り来れる歌3首並びに偐家持が和せる歌3首銀輪の 行くてさまざま 河べりの 楝(あふち)鈴なり 遥(はる)か遊水池 (龍森麻呂)あふちの実 花と咲く見て われもまた 弥生の橋を 渡り行くなり (偐家持)喫茶店 当てにする程 シャッターで 気まぐれ曲がって うどん屋見つけ (龍森麻呂)喫茶店 ふたつばかりに ふられては 是非もなくあり うどん屋に入(い)る (偐家持)銀輪記 読むほど我も 空気入れ 求めてはるか 備へむとぞ思(も)ふ (龍森麻呂)銀輪記 書くほどもなき ことなれど 撮りし写真を 捨て遣るも得ず (偐家持) 龍森麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が追和せる歌1首沖縄の 最果ての海 色も濃く はてなむ岬 けふも旅行く (龍森麻呂)この海の 先にあるとふ ニライカナイ 求むにあらね けふも岬に (偐岬持)(20230203与論島byヤカモチ) 龍森麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が追和せる歌2首白よりも 古(いにしへ)求め ペダル漕ぎ いつか桃色 恋色つぼみ (龍森麻呂)桃の花 下照る道の 少女(をとめ)らの 姿も見えず 銀輪の道 (銀輪家持)(本歌)春の園 紅(くれなゐ)にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つをとめ (大伴家持 万葉集巻19-4139)わが恋の 日々はいつしか 桃の花 手折(たを)りて贈る 愛(は)しき児(こ)もがも (偐家持)(本歌)雪の上に 照れる月夜(つくよ)に 梅の花 折(を)りて送らむ 愛(は)しき児(こ)もがも (大伴家持 万葉集巻18-4134) (20230308大阪城公園のハナモモbyヤカモチ)立山(たちやま)の 雪を背にかも チンドンの 列(れつ)ゆく大路(おほぢ) 見らくしよしも (珍鈍家持)(本歌)立山(たちやま)に 降り置ける雪を 常夏(とこなつ)に 見れども飽かず 神(かむ)からならし (大伴家持 万葉集巻17-4001) 龍森麻呂が追和せる歌1首チンドンを 追ひてなほ青(あを) 無垢な吾(われ) 白き立山(たてやま) 未(いま)だ青春 (龍森麻呂) (20230410チンドンパレード)我が背子の 庭のアケビの 見が欲しき 五つ葉三つ葉 競(きほ)ひし咲くを (木通家持) 龍森麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が追和せる歌1首木通花(あけびはな) 甘く香(かほ)りて 虫を呼び 実につめものは 食(しょく)ぞ進まん (龍森麻呂)さのかたの 実は用なしと 花のみに 恋ふれば吾(われ)は 虫にしあるか (蜂家持)(注)さのかた=アケビ 龍森麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が追和せる歌1首淀川を 下ったさきの ネモフィラは 空になるのか 空にとどくか (龍森麻呂)ネモフィラの 風もさやけき 舞洲(まひしま)の 青き空へと さざ波立ちて (偐家持)(20230426舞洲シーサイドパークbyヤカモチ)溺れても ほどほどにせよ 知佐の花 可憐の裏に 毒の潜めば (知佐家持)(20230502エゴノキbyヤカモチ) 龍森麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が追和せる歌1首佐知求め 後輪障害 幸はなく 佐知の毒気か 直し三軒 (龍森麻呂)佐知ならぬ 知佐にしあれば 佐知はなし 後輪パンク 囲碁も三敗 (輪歩家持)(注)知佐=エゴノキのこと。(20230510梅田スカイビルとエゴノキbyヤカモチ)銀輪は やや遠そけど 懲りずまに 次は駆けなむ もみつ葉の道 (秋家持) 龍森麻呂が贈り来れる句、歌と偐家持が追和せる句、歌知りながらつい忘れがち人のため (龍森麻呂)知らずもの人のためかや囲碁の負け (筆蕪蕉)(20230607門前の言葉byヤカモチ)けふもまた 一勝三敗 利他あらん いつものお休み 至福のカフェイン (龍森麻呂)囲碁のあと 木陰に憩ひ 碁敵(ごがたき)と あれやこれやの 至福のニコチン (偐家持)どくだみの 八重に咲く花 知らざるも 記事にし思ふ 君がまなざし (南原青春)(本歌)どくだみの 花のにほひを 思ふとき 青みに迫る 君がまなざし (北原白秋)(20230607ヤエドクダミ) 龍森麻呂が追和せる歌2首ドクダミの 八重は初めて 一重より 匂ひ根張りの 強さ分からず (龍森麻呂)よく通る 小道の端に よくぞあり 祈る気持ちが 八重に重なり (龍森麻呂) 龍森麻呂の歌3首並びにこれに追和せる偐家持の歌3首家ゴロで 登っていない 天守閣 いつか見渡さん 大阪眼下 (龍森麻呂)天守閣 ビルの谷間と なり果てて 見渡すことも 難(かた)くなりにき (偐家持)提灯下反復練習余念なく いつかはサッカー場でリフティング (龍森麻呂)自主トレの サッカー少年 その夢の 始めの一歩 このリフティング (偐家持)風涼み 里山ベンチの 充電は 三勝一敗 次回の覇気と (龍森麻呂)碁がたきと 木陰に涼み あれやこれ 語れどくやし 打ち損じの図 (偐家持)(20230810大阪城byヤカモチ) 龍森麻呂の歌2首並びに偐家持の返せる歌2首 但し、龍森麻呂の歌は万葉風に些か手を加へて改変せり。歌碑と香具 遮(さいぎ)る木々の 無くあらば 詠(うた)ひし旨も 冴え渡らむに (龍森麻呂)香具山を かく遮(さいぎ)るか 木々だにも 心あらなも 遮(さいぎ)らふべしや (糠田王)(本歌)三輪山を 然(しか)も隠すか 雲だにも 心あらなも 隠さふべしや (額田王 万葉集巻1-18)鋸(のこ)を引く 体(てい)もあらんと 願ひしも 時の管理の 至難をぞ思(も)ふ (龍森麻呂)鋸(のこ)引くは ビッグモーターの 二之舞の ごとにしあれば 木の前で見よ (リトルモーター社)(20230914持統天皇万葉歌碑byヤカモチ)(注)掲載の写真は「byヤカモチ」とあるものを除き、龍の森氏のブログからの転載であります。
2023.09.22
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偐万葉・どち篇(その11) 今日は偐万葉シリーズ第335弾の記事、偐万葉・どち篇(その11)であります。今回は、ヤカモチの会社時代の先輩2氏が相次いでご逝去され、その報を受けて詠んだ歌なども含まれます。 あらためて両氏のご冥福をお祈り申し上げます。<参考>偐万葉・どち篇の過去記事はコチラ。1.近〇氏関係 近〇氏は何年間かヤカモチの直属の上司であった御仁。 6月初旬にそのお嬢様からお手紙を頂戴し、同氏が4月14日にご逝去されたことを知る。 近〇氏逝去の報に接して偐家持が詠める歌4首君逝くと 卯の花くたし 降る雨に 聞けばしくしく 心そ痛き八女(やめ)の野に 茶摘みの歌も 聞こゆるか 空わたる風と なりし君にも浦安の 日の出と届く 珈琲の 香にし偲ばむ 君が笑まひを六甲(むこ)の島に いつ聞きしかと 君が声 恋ふれば悲し 今日も雨降る (六甲アイランド公園)※六甲アイランド・Wikipedia記事の写真(投稿者:663highland氏)を転載。2.木〇氏関係 木〇氏はヤカモチが入社した頃、本社の広報課長であった御仁。 その後、営業部門に転出されて、支店長や関連会社の社長を歴任されたが、営業部門に転出された頃から、仕事面での接点が生じ、親しくさせていただいた先輩のお一人である。7月中旬に、奥様からの暑中見舞いのお葉書が届き、6月25日にご逝去されたということを知る。 同氏は、健人会のメンバーでもあり、その会でお会いするというのが、直近の交際状況であったが、コロナ禍もあってか、このところはご欠席が続いていたので、2020年1月22日の健人会新年会の席がお会いした最後ということになってしまった。 木〇氏逝去の報に接して偐家持が詠める歌3首この三年(みとせ) 相見ることも なくありて 次には見むと 思ひしものを六月の 二十五日に 君逝くと ありし葉書に つき草の花金沢の 頃なつかしく 今更に 思ひつつぞ居り 君をしのびて (ツユクサ)※ツユクサは、万葉では、月草、都岐久佐、鴨頭草。3.岬麻呂氏関係 岬麻呂旅便り記事にてお馴染みの御仁であり、掲載の歌も同記事に掲載のものの再掲載ということになりますが、また違った切り口、偐万葉という切り口でお楽しみいただければ幸甚に存じます。 岬麻呂氏の旅に寄せて偐家持が詠める歌15首朝風は 静かに吹きて あかあかと 日向の海に 朝日が昇る (日向家持) (20230608日向灘の日の出)青島に 朝開きして 波乗りを 楽しむ人見ゆ 今日はよき日に (偐家持) (20230608青島海岸のサーファー)函館の 夜景は見せつ 天狗山に 見せむと待つや 小樽の夜景 (偐宵待) (20230623小樽天狗山)我妹子(わぎもこ)と 小樽運河の 小夜小径(さよこみち) 二人し行けば うれしからまし (偐岬持)小夜小径(さよこみち)灯(あか)りうれしみ 我が君に ともなはれ行く 小樽の運河 (岬夫人) (20230623小樽運河夜景)浜茄子と 浜昼顔の 咲く丘の 空にし凛と 石狩灯台 (偐家持)浜茄子の 丘の灯台 風の音(と)を 聞く人なしに いたづらに吹く (偐岬持) (20230623石狩灯台)ラベンダーの 風吹き渡る 上富良野 妹とたぐひて 今年も来しか (偐岬麻呂) (20230723日の出公園)ラベンダーの 野をなつかしみ 恋ひ来れば 風むらさきに 吹き渡りゆく (偐紫麻呂) (20230723ハイランド富良野・ラベンダーの森)あゝ富良野 風は清みか 七月の 野は紫に 波ぞ立ちける (偐紫麻呂)七月の 風は紫 あゝ富良野 君もラベンダー われもラベンダー (紫野晶子)(本歌)ああ皐月(さつき) 仏蘭西(フランス)の野は 火の色す 君も雛罌粟(コクリコ) われも雛罌粟 (与謝野晶子) (20230723ファーム富田) (同ファーム富田ラベンダーイースト)馬鈴薯の 花がもてなす 十勝野を 雲と駆けゆく 妹と駆けゆく (偐岬麻呂) (20230723十勝平野)ヒマラヤの 青きケシをも 高温は 白くすなるか つや消しの花 (水差し家持) (20230723ヒマラヤの青いケシ)八十(やそ)も過ぎ 八月三日(はちがつみっか) 展海峰(てんかいはう) 九十九島(くじうくしま)を 望みつるかな (偐岬麻呂)(本歌)七十に 近き春にぞ あひの浦 九十九島を いきの松原 (伊能忠敬)西海の 九十九島の 青葉風 波を雲とし 流すや空に (偐岬麻呂)(本歌)きさがたの 桜は波に うづもれて はなの上こぐ あまのつり舟 (伝・西行) <注>奥細道菅菰抄には西行作の歌と記されているが、西行全歌集(岩波文庫)には収録されていない。 (20230810展海峰・九十九島)<参考>過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。
2023.08.16
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偐万葉・どち篇(その10) 久々の偐万葉シリーズ記事です。 シリーズ第334弾になります。 どち篇の「どち」というのは、友人とか仲間という意味ですが、若草読書会関係の友人を除く、その他の友人・知人に関連したヤカモチ歌のアンソロジーであります。 と言うものの、今回はその殆どが友人・岬麻呂氏関連の歌となります。 最近は、友人関係で歌を詠むということも少なくなっている一方で、岬麻呂氏に関しては、氏の旅便りがある都度、いくつかの歌を記事に掲載しているというようなことから、同氏関連の歌だけが突出するという事情にあります。<参考>偐万葉・どち篇の過去記事はコチラ。1.岬麻呂関係 偐家持が岬麻呂に贈りて詠める歌26首ほか並びに岬麻呂が詠める歌1首ひまわりの 畑(はたけ)の上(うへ)の 名残雲(なごりぐも) いづへの方に 我(わ)が旅(たび)行(ゆ)かむ (偐岬麻呂)(本歌)秋の田の 穂の上(へ)に霧(き)らふ 朝霞 いつへの方に 我(あ)が恋やまむ (磐媛皇后 万葉集巻2-88)(20221003ヒマワリ畑・雲海の名残) 岬麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が追和せる歌1首富良野路に 畑焼く煙 たなびいて 影長く落ち 夫婦が支度 (岬麻呂)畑野焼く 野火の煙に 見送られ さらばと終えむ 富良野の旅よ (偐焼持)(20221003鳥沼公園)もみぢ葉は さほどにあらね 西都原(さいとばる) 見よ一面に コスモスの花 (咲都原家持)(20221121西都原古墳のコスモス)日向なる 都井の岬の 灯台と 共にし青き 海見る君や (偐家持)(本歌)日向の国 都井の岬の 青潮に 入りゆく端に ひとり海見る (若山牧水)(20221121都井岬灯台)白浜の さがりばなかも 君待ちて 色くれなゐに ときじくに咲く (偐家持)(20221224サガリバナ)月が浜 星砂の浜 雨降れば とふひと我の ほかはなかりき (偐家持)(20221224月ヶ浜)(20221224星砂の浜)平久保の 神もよしとし するならし 君し向かへば しばしの晴れ間 (偐家持)(20221224平久保埼灯台)冬過ぎて 春は来たりと 朝日さす 桜島見ゆ 鹿児島の旅 (偐旅人)(本歌)冬過ぎて 春来たるらし 朝日さす 春日の山に 霞たなびく (万葉集巻10-1844)(20230119桜島の日の出)最南端 見むと那覇ゆし わが来れば 喜屋武(きゃん)の岬は 小雨そぼ降り (偐家持)(20230203喜屋武岬)名護城に わが立ち来れば 緋桜の 花越しに見ゆ 名護の街はも (偐家持)(20230203名護城址から名護市全景)沖縄の 北の果てより 鹿児島の 南の果て見む 辺戸(へど)の岬ゆ (偐家持)(20230203与論島<辺戸岬から>)イダの浜 もとほり来れば 寄す波と 風の音(と)ばかり 人影もなし (西田(いだ)家持)(注)イダは「イリ(西)の田(たんぼ)」という意味の先島諸島の方言に由来する。(20230214西表島・イダの浜)さてどこまで行こうか ニシ浜ビーチ (偐山浜火)(20230214ニシ浜ビーチ)波照間(はてるま)の 海の色にも いやまして 我に良きもの 泡波(あわなみ)ぞこれ (御酒麻呂(みさけまろ))皆人(みなひと)の えがてにすとふ 泡波(あわなみ)も 泡(あわ)は食はぬと 家持われは (泡家持)(20230214泡波酒店)わが来れば 南の果ての 波照間の 何やら悲し 真白き灯台 (岬家持)(波照間灯台)波照間(はてるま)に とどろ寄す波 間なくしも 散って砕けて 砕けて散って (最果家持(さいはてやかもち))(20230214有人島最南端の崖)網走の流氷見て来よ五人旅 (芭氷)<参考句>獺(かはうそ)の祭見て来(こ)よ瀬田のおく (芭蕉)(20230302網走の流氷)オオワシよお前も流氷見物か<参考句>青蛙おのれもペンキ塗りたてか (芥川龍之介)(20230302オオワシ)赤白は 紋別灯台 黒白が 能取岬の 灯台なるぞ (岬灯台守)(20230302能取岬灯台)(20230302紋別流氷公園展望台から・紋別灯台)昔見し 実久(さねく)の海を 今見れば いよよさやけく なりにけるかも (偐家持)(本歌)昔(むかし)見し 象(きさ)の小川を 今見れば いよよさやけく なりにけるかも (大伴旅人 万葉集巻4-316)加計呂麻(かけろま)の 実久(さねく)の海の 底清み 沈(しづ)く石をも 玉とそ我(あ)が見る (偐家持)(本歌)藤波(ふぢなみ)の 影なす海の 底清(きよ)み 沈(しづ)く石をも 玉とそ我(あ)が見る (大伴家持 万葉集巻19-4199)(20230317実久海岸)花咲けば 松のさ枝は 結ぶとも 心は身にも 添はずなりける (岬北行)(本歌)八千種(やちぐさ)の 花は移ろふ 常盤(ときは)なる 松のさ枝を われは結ばな (大伴家持 万葉集巻20-4501)吉野山 梢(こずゑ)の花を 見し日より 心は身にも 添はず成(なり)にき (西行 山家集上巻66)(20230424烏帽子山公園)見上ぐれば 倉津の川の 夜桜の 先に朧(おぼろ)の 月はありける (朧家持)(20230424倉津川の夜桜)(20230424能舞台・花心殿)桜花 散りぬる風の なごりとて 十和田の街に 葉桜を見つ (偐貫之)(本歌)さくら花 ちりぬるかぜの なごりには 水なき空に 浪ぞたちける (紀貫之 古今集89)(20230507十和田市官庁街)田沢湖を 望む高原(たかはら) 恋ひ来れば 今ぞ盛りと 山桜花(やまざくらばな) (田沢家持)(20230507田沢湖高原・山桜)散りたらば 桜の旅の 顔立たず 八幡大神(はちまんおほかみ) 散らさずにあれ (岬花朝)(本歌)時により 過ぐれば民の 嘆きなり 八大竜王 雨やめたまへ (源実朝 金槐和歌集)(20230520布礼別男山八幡宮)東(ひむがし)の 野にかぎろひの 立つ見えて 富良野の朝は 明け行くならし (岬人麻呂)(本歌)東(ひむがし)の 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ (柿本人麻呂 万葉集巻1-48)(20230520富良野岳の日の出)春されば ゆきもならじと 除雪車に 言(こと)持ち余す 花活(い)けよとか (除雪娘子)(本歌)この花の 一枝(ひとよ)のうちに 百種(ももくさ)の 言(こと)そ隠(こも)れる おほろかにすな (藤原広嗣 万葉集巻8-1456)この花の 一枝のうちは 百種の 言持ちかねて 折らえけらずや (娘子 万葉集巻8-1457)(20230520湯の沢温泉)<参考>岬麻呂旅便り記事一覧はコチラ。2.もりた麻呂関係 偐家持がもりた麻呂に贈りて詠める歌1首さ百合花 後(ゆり)にも見むと 思へども 今のまさかは ネモフィラの花 (後家持(ゆりやかもち))(本歌)さ百合花 後(ゆり)も逢はむと 思へこそ 今のまさかも うるはしみすれ (大伴家持 万葉集巻18-4088)(20230426舞洲シーサイドパークbyヤカモチ)(注)もりた麻呂氏は友人のひろみちゃん8021氏のブロ友で、彼女からのご紹介で面識を得た御仁。友人・偐山頭火氏のブロ友でもある。 同氏のブログはコチラ。3.健人会関係 偐家持が健人会に寄せて詠める歌1首瀬田川の 青葉の風や 思ふどち い群れて居れば うれしくもあるか (偐家持)(本歌)新(あらた)しき 年の初めに 思ふどち い群(む)れて居(を)れば 嬉しくもあるか (道祖王(ふなどのおほきみ) 万葉集巻19-4284)(20230531料亭新月から望む瀬田川byヤカモチ)<参考>健人会関係過去記事はコチラ。
2023.06.02
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偐万葉・若草篇(その29) 今日は、ロシアによるウクライナ侵攻から1年になる日。プーチンの始めた非道な戦争はプーチン自身の責任でこれを終わらせるべきであるが、その道筋は見えない。何万人の、何十万人の血が流されればいいと言うのか。幾千万、幾十億の心ある人の思いに合わせて祈ります、一日も早く、正しき形で、停戦・終戦の到来するようにと。 さて、今日は今年初めての偐万葉であります。 最近はブロ友諸氏のブログを訪問して記事コメントで歌を詠むということもめっきり減りましたので、偐万葉にまとめる歌数になかなか到達しなくて、記事アップが間遠になっています。 そんな中で、若草読書会関係の若草篇については、かなり以前のもので未掲載となっている歌のあることに気付きましたので、若草篇の記事アップとなった次第。<参考>偐万葉・若草篇の過去記事はコチラ。1.小万知に贈りて詠める歌5首梅田なる 里山案山子(かかし) 今日も立ち 埋田うめだの昔 かくにしあると (偐家持)(20221109梅田の里山と案山子)もみぢ葉を うつせる淵の 水清み 魚(さかな)も空に 泳ぐと見ゆる (幻家持)(20221114長門峡・竜宮淵)コロナやみ 春し来たらば 花園に つどひてまたも うたげなどせむ (春原待真)(本歌)東風吹かば にほひをこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな (菅原道真 拾遺集巻16)(20221128花園中央公園)秋の葉の 散り落つ音の かそけきは 秘めし心の つぶやきなるか (偐家持)降り敷ける 葉を踏む音は 遠き日の 思ひ出たちの 帰り来る音 (偐家持)2.偐山頭火に贈りて詠める歌5首ほか 偐山頭火が贈り来れる歌1首並びに偐家持が追和せる歌1首関節が 今やチタンと なる人間 バイクのチタン 何に置き換え (チタン山頭火)さいはひに 部品がありて 置き換へる こともなくあり チタンの継ぎ目 (ズサン家持)(20220911トレンクル破損byヤカモチ)松の木を 中也ゆかりの 西村屋 温泉舎(ゆのや)にのこし 名のみしあれる (北村屋家持)(20221118西村屋の松byヤカモチ)このたびは 中也の旅と 湯田温泉 種田山頭火 君がまにまに (湯原湯也)(本歌)このたびは ぬさもとりあへず 手向山 もみぢの錦 神のまにまに (菅原道真 古今集420 小倉百人一首24)(20221116種田山頭火句碑byヤカモチ) 偐山頭火からのメールに返して偐家持が詠める歌1首メール開き ふりさけみれば 末広に 柿干したるか 君が軒端に (偐柿持)(本歌)春過ぎて 夏来たるらし 白たへの 衣干したり 天の香具山 (持統天皇 万葉集巻1-28)(20221208干し柿)夕かげの 矢田の丘べの コスモスの つなぐえにしの めでたくもあれ (偐家持)(20230109斑鳩の夕景) 偐山頭火が贈り来れる句に偐家持が付けたる脇句踏まれても 踏まれても マンホール (偐山頭火) たかが二枚の いのちか我も (偐家持)(注)自由律俳句なので、7・7の脇句を付けるのも変であるが、敢えて試みました。 偐山頭火氏が贈り来れる句に偐家持が付けたる脇句何となく 神経の写真に 似て非なる (偐山頭火) ミントよお前も 頚椎症か (偐湿布)(注1)本項に掲載の写真はbyヤカモチとあるものを除き、偐山頭火氏のブログからの転載です。(注2)偐山頭火氏のブログはコチラ。3.智麻呂に贈りて詠める歌 智麻呂氏からの絵手紙に寄せて詠める歌1首若草に 咲きしあぢさゐ 絵てがみに なりて舞ひ来(こ)し 梅雨の入りかな(注)この歌は2007年6月14日に詠んだ歌であるが、偐万葉未掲載につき掲載する。 なお、智麻呂氏は2022年2月15日にご逝去されている。4.和麻呂に贈りて詠める歌 和麻呂の逝去を悲傷みて詠める歌4首わが背子は いづち行かめや 生駒嶺に 問ふもむなしき 横雲の空さ夜更けて すだく虫の音 ころころと ひとりし泣かゆ 背子は逝きにし君逝けば いたもすべ無み 秋の夜の 虫にもあれや 哭のみし泣かゆ箏の音は 途絶えたりける 面影の ここだも立ちて 心ぞ痛き(注)偐万葉に未掲載であったので、遅ればせながら掲載する。5.和郎女に贈りて詠める歌 和郎女作品展に寄せて詠める歌1首梅の花 今盛りなり 我妹子(わぎもこ)と添ひてたぐひて 二人し居らむ (兎家持)(20230205紅梅と兎)6.寿郎女に贈りて詠める歌 寿郎女の逝去を悲傷みて詠める歌4首さ夜更けて 出で来ぬ月の いづちやも 雲隠れにし 妹ぞ悲しきもみつ葉の 匂へる秋を 待たずかも などて急ぎて 妹やゆくらむ今はもや 散りぬる秋萩 恋しけど 時をや返す すべの知らなく二上の 山も悲しき 秋の色 映ゆれど妹は 見ることもなき(注)偐万葉未掲載であったので、遅ればせながら掲載する。7.平成19年の熊野旅行 2007年の熊野旅行の折に詠める歌(注)以下5首は古き歌であるが、偐万葉に未掲載であることに気付いたので掲載する。 リチ女に贈りて詠める歌本宮(ほんぐう)の 社(やしろ)の木々の しづもりて 心和むと りち女の笑みし 寿郎女に贈りて詠める歌萩咲くを 寿(ひさ)の郎女 見て告げし 散らず在り待て 秋づくまでは(注)寿郎女氏は2008年10月29日にご逝去されている。 和郎女に贈りて詠める歌思はぬに ながらひにける 大楠(おほぐす)の 身をや気遣ふ 和(かづ)の郎女 槇麻呂に贈りて詠める歌槙麻呂の 後(あと)つきゆくは 苦しきか 和(かづ)麻呂あせる ことの多かり 和麻呂に贈りて詠める歌和麻呂の 高き鼾に 波の音(と)も 消(け)ゆれば家持 歌作りかね(注)和麻呂氏は2018年8月21日にご逝去されている。 今回は、掲載洩れの歌なども集めてのシリーズ第333弾となる偐万葉記事でありました。We stand with Ukrainians.(追記:2023.2.25.)一部文字の加除を行いました。
2023.02.24
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偐万葉・龍の森篇(その4) 本日は偐万葉シリーズ第332弾、龍の森篇(その4)であります。 偐万葉シリーズ記事は、ヤカモチがブロ友ほかの皆さんのブログにコメントとして書き込んだ自作歌や当ブログにいただいたコメントへのお返事コメントとして詠んだ歌のほか、ブロ友さん作の歌も併せ紹介するという企画の記事であります。 偐万葉ということで、記事に際しては、万葉風の勝手呼び名を付けさせていただくのが原則となっていて、龍の森氏は「龍森麻呂」と呼ばせていただいています。 龍の森氏とのお付き合いは2020年4月22日からでありますから、まだ2年半余のお付き合いという、比較的新しいブロ友さんでいらっしゃいます。<参考>過去の偐万葉・龍の森篇はコチラ。 龍の森氏のブログはコチラ。 偐家持が詠める歌19首ほか並びに龍森麻呂が詠める歌12首ほか 龍森麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が追和せる歌1首三作目 我が言(こと)の葉か ただかすみ 感謝感激 懐かしくもあり (龍森麻呂)偐万葉 仏の顔に あらざれば 四篇五篇と 後(のち)も続けむ (偐家持) (20220313偐万葉・龍の森篇<その3>byヤカモチ)咲きそむる 花を見つつや さきつ年 逝きにし友の ことを偲ばな (偐家持)(本歌)咲きそむる 花を一枝 まづ折りて 昔の人の 為と思はむ (西行 西行法師家集12)(注)この歌は龍森麻呂氏のコメントに答へて詠んだものであるが、友人の故山〇君について詠んだものでもあるので、偐万葉・どち篇にも重ねて掲載している。 龍森麻呂が贈り来れる歌2首並びに偐家持が追和せる歌2首銀輪の 東に漕げば 山多く 余りに多く 海ぞ諦む (龍森麻呂)目に青葉 杖つく婦人 そぞろゆき ふと思ひたる 永遠(とは)の銀輪 (龍森麻呂)大阪に あらね神戸は 北に山 東に行くは 安けき道ぞ (北向家持)やかもちの とはの道なら 地獄坂 下(くだ)りなるらむ 銀輪もよし (地獄家持) 龍森麻呂が贈り来れる歌2首並びに偐家持が追和せる歌2首外来種 かき分け細道 われ行けば 古来万葉 七草(ななくさ)かほる (龍森麻呂)車輪梅(シャリンバイ) 紅さし無垢も 過ぎたれば 昔乙女も 今は熟女か (龍森麻呂)外来の 花のうつつを 避(よ)けてわれ 山辺(やまべ)の道の 茨(うまら)と咲きぬ (茨家持)車輪梅(シャリンバイ) うすくれなゐに 咲くもあり 相見し時の 妹にしあるか (輪家持)夏さらば 渡島(おしま)めぐらむ ワゴン車を 日々これ改装 人なとひそね (偐津一八) さ庭(には)べに カーテンレールと われ格闘 ねぢれ隙間に 身もよぢれつつ (偐津一八)(本歌)きくううと おりたつにはの このまゆも たまたまとほき うぐひすのこゑ (会津八一) <菊植うと降り立つ庭の木の間ゆもたまたま遠き鴬の声> きくううと つちにまみれて さにはべに われたちくらす ひとなとひそね (会津八一) <菊植うと土にまみれてさ庭べに我立ち暮らす人な訪ひそね> (20220504軽ワゴン改装) 龍森麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が追和せる歌1首曇りとて 電車に乗れど 午後は晴れ そぞろ寄りみち 花ぞろぞろり (龍森麻呂)八千種(やちくさ)に 咲きたる花の 回り道 移ろふ色こそ 愛(いと)しと我が行く (偐家持)(本歌)八千種の 花は移ろふ 常磐なる 松のさ枝を 我は結ばな (大伴家持 万葉集巻20-4501) (20220531ヤマアジサイbyヤカモチ)秋待てば 椎の実なれる マテバシイ ならぬタブノキ 黒き実なれる (偐椨持) 龍森麻呂が贈り来れる歌1首に偐家持が追和せる反歌1首これやこの 昼の陣取り かなはねど ポケ電不通 気づかねど 気力充実 五戦勝ち哉 (龍森麻呂)(反歌)水無月(みなづき)の 囲碁にしあれば みな勝ちて よき文月(ふみづき)の 青空待たむ (偐家持) 龍森麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が追和せる歌1首神降臨 望みて夏山 我(わ)が行けば 待てよいつかと マテバシイの木 (龍森麻呂)君が山の その向(むか)つ峰(を)の 椎(しひ)の木も 神(かむ)さぶる木ぞ おほろかにすな (椎家持) 龍森麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が追和せる歌1首急降下 雀飛び込む 梅雨の砂 迎撃不要 ミサイル無用 (龍森麻呂)これやこの 雀もすなる 砂風呂に あらぬ塹壕 ビバ・ウクライナ (偐家持) (20220618雀の砂風呂byヤカモチ) 龍森麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が追和せる歌1首ニイ蝉も 自分の番と 務め鳴き 走り感ある われヨレバトン (龍森麻呂)われはもや 番外の地に あるなれば バトンのことも 忘れたりける (番外家持) 龍森麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が追和せる歌1首豊かさに 喜び目覚めの ハナズオウ 裏切り不信に 清めし雑巾 (龍森麻呂)首吊りの ユダの木なれど 花蘇芳 春の目覚めの 喜びなるか (偐家持) (20220711善光寺のハナズオウbyヤカモチ)志(こころざし) 高くあり持て 恋し野の 鯉も隅田(すだ)にて 龍となる秋 (偐家持) (20220808隅田八幡神社神門の天井画byヤカモチ)台風が 落とせる柿の 渋みをも 剥きたるからは あぢはふべしや (落柿舎)辛(から)き世に 酸(す)きも甘きも 噛み分ける 渋き男(をのこ)の 生きざまぞこれ (渋柿麻呂) 龍森麻呂が返せる歌1首甘渋を 舐めわけ過ぎし 渋爺(しぶぢぢい) 鳥も相手に せぬは寂しき (龍森麻呂) (20220919柿の渋み) 龍森麻呂が贈り来れる句に偐家持が付けたる脇句囲碁銀輪 大阪枯れ野 ランチつき (龍森麻呂) 惣会所跡の 碑など眺めつ (偐家持)龍宮の 淵のみなもに 森の影 映して龍の 森ともなれる (偐家持) (20221114長門峡・竜宮淵と竜宮茶屋byヤカモチ) 龍森麻呂が贈り来れる句に偐家持が付けたる脇句墓参り 手をふるサンタ 冬の空 (龍森麻呂) わが行く師走 山麓の道 (偐家持)冬晴れの 登って降りて 菩薩像 (龍森麻呂) 墓参の道も 遠回りして (偐家持)木蓮の 花芽みて 墓 参りすむ (龍森麻呂) なべてひとみな よき春あれと (偐家持) (20221203手をふるサンタさんbyヤカモチ) ワールドカップ、日本は惜しくもクロアチアに敗れましたが、よくやってくれました。 ということで、オマケの1首八の壁 破れぬまでも 新しき 景色は見せつ サムライブルー (蹴家持)<注>掲載写真は、「byヤカモチ」とあるものを除き、龍の森氏のブログからの転載です。
2022.12.06
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偐万葉・どち篇(その9) 本日は昨年10月以来の偐万葉・どち篇であります。 どち篇というのは、友人篇という意味で、〇〇篇という形で個人篇に編集していないその他友人関連の歌を集めたものであります。 最近は、岬麻呂氏関連の歌が多数を占めて「岬麻呂篇」のような様相になってしまっています。 なお、偐万葉・〇〇篇というシリーズ記事としては、当記事が第331弾目の記事になります。これら偐万葉シリーズに掲載の歌は、当記事で、ヤカモチ作の歌が6358首、ブロ友など友人作の歌が655首で、合計7013首となり、7000首の大台を突破しました。 万葉集の歌は4516首あります。 その2倍の9032首まで、アト2018首ですが、当面は、これを目標に、そして、キリのいいところで、1万首突破を目指して、この偐万葉記事を継続したいと思って居ります(笑)。<参考>偐万葉・どち篇の過去記事はコチラ。1.岬麻呂氏の旅に寄せて詠める歌22首今は亡き 友への供養 つばらに見む 耶馬のもみぢの 濃きも薄きも (偐家持) (20211107深耶馬渓) (20211107菊地渓谷)車とめ 立ち眺むれば もみぢなす 菊池の渓に 雲立ちのぼる (谷家持)われはもや 泡波(あはなみ)得たり 皆人の 得がてにすとふ 泡波得たり (岬呑足(みさきののみたり))(本歌)われはもや 安見児(やすみこ)得たり 皆人の 得がてにすとふ 安見児得たり (藤原鎌足 万葉集巻2-95)何もせぬ 旅としあらば その旅の ことを述ぶるは 苦しきものぞ (無為家持)宇江ぐすくの 城址仰ぎ 見つつ君 おばけ坂への 道行くらむか (坂家持) (20211215宇江城址) (20211215おばけ坂)わぎもこと こしくめじまは いくたびか くめどつきせじ くめじまのたび (くめ家持)(20211215久米島灯台)南洲を しのびめぐれる 三つの島 何ぞコロナの 風吹かばとて (岬隆麻呂)(本歌)二つなき 道にこの身を 捨小舟(すてをぶね) 波立たばとて 風吹かばとて (西郷隆盛)万葉の 北の果てなる 新潟を 桜の旅と 背子ゆくらむか (偐家持)友と来し 名ごりの春や 桜旅 津軽富士見湖 鶴の舞橋 (偐家持)(20220507津軽富士見湖・鶴の舞橋)新潟の 桜のかたき お岩木の 山の麓に 果たしつるかな (偐桜餅)(20220507岩木山ヤマザクラネックレスロード)みちのくの つぎは渡島(おしま)と 今西行 桜遍路の 旅はつづくや (岬西行)根室なる 千島桜は 花のみを 見るにしあらず 葉桜もよし (偐北行)(20220528野付・尾岱沼の千島桜)霧のなき 霧の摩周湖 霧待つも 霧は出で来ず キリもなきこと (キリキリ舞)(20220528摩周湖)ジャカランダ 空高々に 咲くをして 紫雲木(しうんぼく)とそ 名づけけらしも (偐家持)キリモドキ ヤカモチモドキの わが名にも 似合ひの花そ ジャカランダ咲く (偐家持)(20220609ジャカランダ)花めぐる 旅の土産と 鹿屋なる 赤きさうびの 花咲くも見む (偐家持)(注)さうび=そうび、しょうび。薔薇のこと。(20220609プリンセスかのや・かのやばら園)雨上がり 富良野の庭の 妖精と 我は遊びつ さ夜更けにける (偐家持)(20220714ニングルテラス)大雪(だいせつ)の 森に咲きたる 青き花 おゝヒマラヤの 青きケシこれ (偐家持)(20210714ヒマラヤの青いケシ・大雪森のガーデン)ラベンダーの 風渡り来る 七月の ファーム富田に またも来にける (偐家持)(20220714富田ファーム)ラベンダーの 穂波さやぎて 遠山に 雲立ち流る 麓郷の丘 (偐家持)(20220714麓郷展望台)いくたびも まゐり来しかも 宮古島 空また海も 青き島山 (偐家持)(本歌)いくたびも まゐる心は はつせ寺 山も誓ひも 深き谷川 (長谷寺御詠歌)(20220731伊良部大橋全景)また来むと いへばとぐちの 浜木綿は 咲きて百重に われに笑むらし (偐家持)(注)とぐち=渡口の浜(宮古島市)のこと。(20220731渡口の浜)2.もりた麻呂氏に贈りて詠める歌1首うちひさす 宮道(みやぢ)はくるま 満ちてあり 日を選び行け 石切詣(まう)で (偐家持)3.田〇氏の訃報に寄せて詠める歌2首 パンドラの 丘を知るやと 言ひしきみの 訃報届きぬ クリスマスの日 (偐家持)(注)パンドラの丘=東大阪市にある、太宰治の小説「パンドラの匣」に所縁の地わが背子の 旅立ちの日ぞ こころあらば いたくな吹きそ 武庫の山風 (偐家持)4.鯨麻呂氏の心に寄り添ひて詠める歌1首わが背子が 乗れる船かも 西空に 弓張月の 渡り行く見ゆ (偐家持)(20220905弓張月)<参考> 故・山麻呂を偲びて詠める歌1首咲きそむる 花を見つつや さきつ年 逝きにし友の ことを偲ばな (偐家持)(本歌)咲きそむる 花を一枝 まづ折りて 昔の人の 為と思はむ (西行 西行法師家集12) (注)この歌は龍森麻呂氏のコメントに答へて詠んだものにて偐万葉・龍の森篇に掲載しているので、どち篇の歌としてはカウントしないが、参考までにどち篇にも掲載したものである。We stand with Ukrainians.(STOP PUTIN STOP WAR)
2022.09.18
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偐万葉・英坊篇(その38) 前ページに続き偐万葉シリーズ記事であります。第330弾。一昨年の1月3日以来となる、久々の英坊篇であります。 英坊3氏は高岡市ご在住のブロ友にて、2011年6月からのブログ上のお付き合いが始まりましたから、もう11年余のお付き合いということになります。最近は、PCが不調とのことで、ブログ記事の更新も途絶えて、お付き合いも間遠になっていますが、古いブロ友さんであります。 偐万葉では、英麻呂と呼ばせていただいています。 偐家持が英麻呂に贈りて詠める歌19首及び俳句3句 並びに英麻呂が詠める歌13首及び俳句3句 英麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が返せる歌1首造詣を 確たるものと いたし時の 今家持は 面(おも)に笑み満つ (英麻呂)確たるの 何とてもなき わがブログ かへり見はせじ 面(おも)の冷や汗 (偐家持) 英麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が返せる歌1首齢(よはひ)こと 我に詮索 かなはずも 現(うつつ)の齢(よはひ)の 永きを望む (白梅爺麻呂) うつそみの 人なるわれや ヤカモチも 今しばらくは 生きむとぞ思(も)ふ (厚顔家持) 英麻呂が贈り来れる歌2首並びに偐家持が返せる歌2首雪は降る その雪色は 景色変え 雪の精には その意はなしで (英麻呂)銀輪は 銀といへども 銀世界 なりては無用 無意味の輪なり (銀家持)たんちょうは そらにとびまい ちにもえに さすがてんねん きねんとりだよ (英麻呂)ゆきふれば ゆきふるほどに 丹(に)の色の かしらはゆなり そのたづよけれ (鶴(たづ)家持) (20200131阿寒国際ツルセンター、岬麻呂氏撮影)道の辺に なにとなくある 細石(さざれし)も 歌に詠みてば 記事とやならむ (偐石持)(本歌)信濃なる 筑摩の川の 細石も 君しふみてば 玉と拾はむ (万葉集巻14-3400) 英麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が返せる歌1首われ行かぬ 出雲井於神社(いづもゐのへの) 反り橋を 見て思ひ出す 多賀の大社よ (英麻呂)大阪の 人なるわれや 反り橋と いひて思ふは 住吉のそれ (反家持) (20200216下鴨神社・反り橋) 英麻呂が贈り来れる歌1首何処かへの GoToプラン よそ事で 行く意も金も 絵そら事なり (英麻呂) 偐家持が返せる歌1首GoToの ことはさて置き 秋たけば そぞろ歩きも ネタとやならむ (偐家持) 英麻呂が贈り来れる歌1首コロナ禍に いつまで悩む やるせなや 身のおきどころ なきぞかなしき (英麻呂) 偐家持が返せる歌2首よきにつけ あしきにつけて それなりに なれてしまへば なにごともなし (偐家持)春さりて 夏さるほどに コロナ禍も 今は昔と ともにぞ語らむ (偐家持)偐万葉 歌集のアクセス いたづらに つづき増えるか 見る人なしに (偐金村)(本歌)高円の 野辺の秋萩 いたづらに 咲きか散るらむ 見る人無しに (笠金村 万葉集巻2-231) 英麻呂が贈り来れる歌1首併せ偐家持が追和せる歌1首この雪で 功徳を分けた 損と得 損は渋滞 得はスキー場 (英麻呂)いかにかも 雪ならずとも 世の中は 損得表裏(そんとくひやうり) 背中合はせに (雪家持)おゝ新年 時こそ今は やすき日々 コロナ禍祓ひ 取り返さなむ (対策本部)いらいらに 降れる大雪 ずんずんに 積(つも)り恨めし 道塞(せ)きたれば (越家持)(本歌)うらうらに 照れる春日(はるひ)に 雲雀あがり 情(こころ)悲しも 独(ひとり)しおもへば (大伴家持 万葉集巻19-4292) 英麻呂が贈り来れる歌並びに偐家持が追和せる歌各1首奈良大和 幾度道行 その度に 古きを偲び 新(あらた)しを知り (英麻呂)いにしへに 恋ふらむ鳥の ごとなりて 今日(けふ)は走りぬ 飛鳥川(かは)の辺(へ) (鳥家持) 英麻呂が贈り来れる句に偐家持がつけたる脇句かねとひま あれどじゃまする ころなかな (英麻呂) ワクチンまたるる はつなつのころ (偐家持) 英麻呂が贈り来れる句に偐家持がつけたる脇句これからも 行くことも無し 天理詣 (英麻呂) 布留の高橋 いたづらに待つ (偐家持)(本歌)石上(いそのかみ) 布留(ふる)の高橋 高々に 妹が待つらむ 夜ぞ更けにける (万葉集巻12-2997) (20210618天理教教祖・中山みきの生家) 英麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が返せる歌1首栗拾い 木を仰ぎ見て 木をゆする 落ちまいとする 実の対峙かな (英麻呂)実は落ちて こそとは言へど 木をゆすり 無理強ひなさば 実とてあらがふ (実尊心) 英麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が追和せる歌1首宇克蘭ウクライナ 天地荒廃 桜木も 人影もなし いと哀れかな (英麻呂)いささかの 金の支援の ほか何を 我ウクライナに なすべきなるや (宇家持) 英麻呂が贈り来れる歌2首並びに偐家持が返せる歌2首行かずとも 載りの知識で 志氣得るも 故事探求の 仕儀なき悲し (英麻呂)偐万葉 それことごとく 戯れ事や 言はずもがなの 私議にありける (偐家持)この齢い 真偽の髄は 根拠何処 知りたくありで 教えてたもれ (英麻呂)今もなほ 生きてぞあらば この歳と 言へる歳なり 深き意味なし (偐家持) 英麻呂が贈り来れる句に偐家持がつけたる脇句 並びに偐家持が追和せる歌1首煩悩を 砂で蹴散らし 鮮飛行 (英麻呂)群れて遊びつ 遊びつ飛んで (偐家持)さてもさて 雀もすなる 砂遊び われもせむとや しばしぞ眺め (花園日記)<参考>男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり (紀貫之「土佐日記」) (20220618雀の砂風呂)<参考>過去の英坊篇はコチラからどうぞ。 英坊3氏のブログはコチラからどうぞWe stand with Ukrainians.(STOP PUTIN STOP WAR)
2022.07.26
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偐万葉・若草篇(その28) 偐万葉シリーズ第329弾。 本日は久々の偐万葉・若草篇であります。 若草読書会はコロナ禍で休止して居りますが、今年2月、その中心に居られた智麻呂氏がご逝去。現在は、読書会有志が同氏の追悼記念文集を発行しようと、編集会議のため月1回ペースで若草ホールに集まってその準備を進めています。 偐家持が小万知に贈りて詠める歌1首われらみな つどへば千の 風となりし 人よろづはを よしとそよがせ よろこぶならし (千家持)<我ら皆 集へば 千の 風と なりし 人 万葉を よしとそよがせ 喜ぶならし> (注)575777の仏足石歌体の歌 偐家持が偐山頭火に贈りて詠める歌5首及び俳句6句 並びに偐山頭火が詠める歌1首及び俳句3句土用の日 うなぎとくれば それ君も やなぎに風と 行かずもあるか (風柳人)瘋癲の 寅の子お茶の子 さいさいの 堺の穴子も 君がまにまに (穴子猫) 偐山頭火が贈り来れる歌1首並びに偐家持が追和せる歌1首ふるふると 梅震える音が 歳末の ジングルbellと 時をや告げる (偐讃多苦守)わがふるは 打ち出の小槌 しゃんしゃんと 負けずにわれも 今こそふらめ (大黒屋梅吉) 偐山頭火氏が贈り来れる句に偐家持が付けたる脇句 家持の 館を行くか 業平が (こじつけ山頭火) 高安かよひか 千手寺まうで (あとづけ家持) きさらぎの 梅は手抜きの ブログ記事 (梅蕪蕉) (元句)笠島はいづこさ月のぬかり道 (芭蕉 おくのほそ道)ながからぬ 幹にてあれば 梅の木の しだれてけふも ものをこそおもへ (梅賢門院森川)(本歌)ながからむ 心もしらず 黒髪の みだれてけさは ものをこそおもへ (待賢門院堀川 千載集801 小倉百人一首80)板壁の ペンキの青も 色褪せて 寡黙なりけり 白梅散るか (安威川馬之介)(参考句)青蛙おのれもペンキぬりたてか (芥川龍之介) (20220305近所の白梅) 貼り付いても貼り付いても青い壁 (偐田三等火) (元句)分け入っても分け入っても青い山 (種田山頭火) いたかべのあをにまぎれてゆくか (偐田三等火) (元句)うしろすがたのしぐれてゆくか (種田山頭火) 偐山頭火氏が贈り来れる句に偐家持が付けたる脇句 砂風呂で 羽根を休めて ゆく雀 (偐山頭火) はねてはとんで あそぶににたり (偐家持) (20220618雀の砂風呂) 偐山頭火氏が贈り来れる句並びに偐家持が追和せる句 暑呆でも 迷える母子を あないする (偐山頭火) 信濃路や 道に迷ひて ねぶの花 (迷家持) (元句)象潟や雨に西施がねぶの花(芭蕉 おくのほそ道)<参考>偐山頭火氏のブログはコチラ。 偐家持が智麻呂に贈りて詠める歌10首 智麻呂の逝去を悲傷みて詠める歌6首きさらぎの 十五日(もち)の朝(あした)に わが背子は ここだも悲し みまかりましぬ梅の花 咲き散るなへに 今はとて 召されて背子は 旅立つらむか逝きし背子 見つつありしか 生駒嶺(いこまね)に 霧(き)れる春日(はるひ)も 泣けとごとくや霊安室 ふたりしあれば あれやこれ なみだぐましも こころぞ痛き白百合の 花枕辺に 咲きてあり 後(ゆり)にも逢はむか 泣かずもあれと (20220215智麻呂氏ご逝去)いでましの 手火(たび)の光と 白百合の 花枕辺に 咲きてもあれる (20220218智麻呂氏ご葬儀) 故智麻呂の納骨式に寄せて詠める歌4首一輪の 花を手向けて 黙祷の 背後に立ちし やさしその影鉢伏の 峰にたゆたふ 白雲は 笑まひの君の 影と見えける千の風を 歌ひつ君は 今はもや 青葉の風と 吹き渡りゆく納骨の 式は終りぬ 今よりは 鉢伏山を 君としのはな (20220418小阪教会墓地と鉢伏山) 偐家持がめぐの郎女、かほりの郎女に贈りて詠める歌4首 めぐの郎女に答へて詠める歌3首在りし日を しのべと咲くや 花の絵を つばらつばらに 見つつもをらむ吹く風も 萌える緑も 青空も みな懐かしき 笑み思はする君ませる 泉の道を 知らなくは 直(ただ)には逢はず 思ひつつぞ居り かほりの郎女に答へて詠める歌1首日だまりの ごとや笑みもて 迎へくれし 日々忘れまじ はびきのの丘<参考>偐万葉・若草篇の過去記事はコチラ。
2022.07.23
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偐万葉・ビッグジョン篇(その40) 前ページに続いて、偐万葉シリーズ第328弾の記事です。 偐万葉シリーズ記事の掲載基準は歌の数が20首以上になることと書きましたが、ブロ友のビッグジョン7777氏(偐万葉では、交野歩麻呂<かたののほまろ>とお呼びしています。)関連の歌もその基準に達していました。 ということで、今日はビッグジョン篇(その40)を記事アップします。 偐家持が歩麻呂に贈りて詠める歌21首 並びに歩麻呂が詠める歌1首君が標(しめ) 結(ゆ)ひし三百万(みほよろづ) までは来(こ)し 四百万(よほよろづ)へも 君につきてぞ (偐家持)わが辞書に 有耶無耶はあれ 何事も 有無言はせぬは 好むに非ず (有耶無耶麻呂)思ほえば ああそのやうな 日もありき 君とし奈良を 歩きたるかも (偐家持)雨乞ひの この道にして 甘南備の 山への道は これとぞわがせし (氷室老麻呂) (20210123雨乞いの小径)甘南備の 真木立つ渓(たに)の この道を 名づけらくよし 氷室渓谷 (氷室谷仙人)(本歌)直越(ただご)えの この道にして おし照るや 難波(なには)の海と 名づけけらしも (神社忌寸老麻呂(かむこそのいみきおゆまろ) 万葉集巻6-977)とりどりに とりとふとりを 撮り見れど あれやこれのみ 名を知るとりは (鳥家持)恋ならば さそふがごとに 鳴けよかし ちょっと来いとは おその小綬鶏 (鶏家持)(注)おそ=「遅い」からの転化。鈍な、愚かな。コジュケイ=キジ目キジ科コジュケイ属の鳥。「チョットコイ」と鳴く。 歩麻呂に答へて詠める数字変換可能短歌1首な(7)に(2)ご(5)と(10)と(10) よ(4)し(4)と(10)よ(4)く(9)み(3)よ(4) よ(4)く(9)み(3)れ(0)ば(8) な(7)に(2)と(10)な(7)く(9)よ(4)し(4) ブ(2)ロ(6)グ(9)に(2)な(7)さ(3)む(6)もののふの いかな思ひの 釣灯籠 かすかに春日(はるひ) しづもり照れる (春日家持)(注)かすかに=「春日(かすが)に」と「かすかに」とを掛けている。深き意味 なけど春日(かすが)の 柏槙(びやくしん)に 何思(も)ふ君や 神苦笑ひ (春日家持)(注)柏槙=ビャクシン。別名イブキ(伊吹)。ヒノキ科ビャクシン属の常緑高木。いつよりか 草深百合(くさふかゆり)も 鬼百合の 花と咲くこと 多くなりける (恐妻家持)(本歌)道の辺の 草深百合の 花笑みに 笑まししからに 妻といふべしや (万葉集巻7-1257)(注)万葉集の「百合」はヤマユリまたはササユリのこととされるがオニユリ説もある。 (20210709オニユリ) 歩麻呂が贈り来れる歌1首雲見れば ちぢに物こそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど(本歌)月みれば ちぢにものこそ かなしけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど (大江千里 古今集193 小倉百人一首23) 偐家持が返せる歌2首雲みれば ちぢにものこそ 思はれて この身いづこへ 銀輪の秋 (銀輪千里)雲の下に 在りし銀輪 変はりなく 今日もあてなき 道をゆかまし (銀輪家持)(本歌)雲の上は 在りし昔に 変はらねど 見し玉簾(たまだれ)の 内やゆかしき (新大納言行家 「鸚鵡小町」) 雲の上は 在りし昔に 変はらねど 見し玉簾(たまだれ)の 内ぞゆかしき (小野小町 「同上」)君が家(や)は 継ぎて花や咲く 藤袴 それ見が欲しき 秋の野の花 (アサギマダラ)(本歌)この里は 継ぎて霜や置く 夏の野に 我が見し草は もみちたりけり (孝謙天皇 万葉集巻19-4268) (20210919フジバカマ)朝風の 静かに吹きて 畑道(はたみち)に アキノノゲシは われ呼ぶらむか (秋風持) (20211011アキノノゲシ)一つ松 十年(ととせ)あまりて わが庭の 松としなりぬ 背の高みかも(本歌)一つ松 幾代か経ぬる 吹く風の 音の清きは 年深みかも (市原王 万葉集巻6-104)いづくより 来たりしものか 一つ松 世話する心も 祖父への供養(本歌)たまきはる 命は知らず 松が枝を 結ぶ心は 長くとそ思ふ (大伴家持 万葉集巻6-1043)庭に出で 和束茶たてむ わが祖父を しのぶよすがの 松を見つつや (偐歩麻呂) (20211022庭の松)黒文字に 青文字もあり 白文字も あはせて我は 三十一(みそひと)文字に (楊枝家持) (20220329アオモジ)願はくば 岬も蓋も ある旅に ならましものをと 思ひつつぞ居り (蓋家持)身も蓋も 無きはわが歌 背子が旅 岬も蓋も めでたくあれと (蓋家持)(注)掲載の写真はビッグジョン7777氏のブログからの転載です。 <参考>過去の偐万葉・ビッグジョン篇はコチラ。 ビッグジョン7777氏のブログはコチラ。
2022.05.24
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偐万葉・ひろみ篇(その16) ブロ友のひろみちゃん8021さん(偐万葉では「ひろみの郎女」さん)のブログへのコメントに添えた歌や当ブログへの同姉のコメントへの返事に添えた歌などがいつの間にか24首になっていますので、今日は偐万葉・ひろみ篇とします。 偐万葉シリーズ記事は、関連の歌が20首以上となった場合に記事アップするというのを最近の基準にしていますので、その基準に達したという次第。 直近の「ひろみ篇(その15)」は2019年7月29日の記事掲載ですから、3年ぶりということになります。 また、偐万葉シリーズとしては第327弾の記事となります。 偐家持がひろみの郎女に贈りて詠める歌24首ほかかにかくに 蟹とやなしつ 黒弁慶 蟹と思へど たしカニ非ず (苦労判官義経) 耳よりな 話聞けとか 大蒜(にんにく)の 聯隊来たる いざ生きめやも (家持隊)もののふの 八十(やそ)マンホール カード集(つ)め 岬の麻呂の 手もや借りつつ 下仁田の 葱の甘さよ やあやあの 声も笑まひの 影もかなしも(本歌)我が恋は まさかもかなし 草枕 多胡の入野の 奥もかなしも (万葉集巻14-3403)わぎもこも 見しさがりばな しろたへに 咲きて吉事(よごと)の けふもあれとそ このカードの ひとよのうちに ももくさの くろうこもれる おほろかにすな (偐広嗣)(本歌)この花の 一枝(ひとよ)のうちに 百種(ももくさ)の 言(こと)そ隠(こも)れる おほろかにすな (藤原広嗣 万葉集巻8-1456) (20200316奄美市のマンホールカードbyヤカモチ)ペンキ屋の 選び損ねか 青蛙 出でては恥ぞ 塗りむらのまま (家持塗装店)(注)下二句初案「塗りむらのまま 出でては恥ぞ」のところ、偐万葉掲載に当たり、順序を逆にした。(参考句)青蛙おのれもペンキぬりたてか (芥川龍之介) (20200429アマガエル)わが庭に 新蝶(しんてふ)翔び立つ おゝ五月(ごがつ) 空どこまでも 青く澄みたる (蝶丸) (20200502アゲハ蝶の羽化)常ならば 妹がもとにと 飛び立つを 羽化しくじるや この蝉あはれ (蝉徳太子)(本歌)家にあらば 妹が手まかむ 草まくら 旅に臥(こや)せる この旅人あはれ (聖徳太子 万葉集巻3-415) (20200728羽化しくじりたる蝉)花の香(か)の 移りたるかも 手のひらに ウラギンシジミ 来(きた)りてとまる (裏庭葉牡丹)(本歌)住吉(すみのえ)の 粉浜(こはま)の四時美(しじみ) 開(あ)けも見ず 隠(こも)りてのみや 恋ひわたりなむ (万葉集巻6-997) (20200907ウラギンシジミ)コロナ禍の 世もごくらくと 思ひなし おなじはちすの 上にし生きむ (偐家持)(本歌)ごくらくは よそにはあらじ わがこころ おなじはちすの へだてやはある (徳道上人) (20201030法起院)輝くは 吾が事に非じ 木(こ)の晩(くれ)に 吹かれむ風に 草のごとにも (偐家持) ひろみの郎女のブログに記されし句に偐家持が付けたる脇句あの月が 落ちたら誰に やろふかひ (仙厓義梵「指月布袋図」讃)月の土地売る 奴も居る世に (偐月人壮士) (20210101指月布袋図)幸(しあは)せは 気づくべきもの みな人の 心のうちに すでにしあれば (偐家持)砂ずりは 名のみしあれり まだ見えぬ いづこ花房 いたづらの藤 (早過家持)銀輪は 辛(から)き坂をも いとはねど 目にしむ汗の 憎き暑さよ (夏家持)雲のごと 風にまかせて ゆく身にも めざせる先の あらまくの欲し (雲家持)円成寺(えんじやうじ) 妹がよしとふ この昼餉 柳生の里の 秋の香のよさ (偐家持)(本歌)高松の この峰も狭(せ)に 笠立てて 満ち盛りたる 秋の香のよさ (万葉集巻10-2233) (20211205ランチ)小手先の よごれてあれば てにをはの 合はぬことなり 手抜かりなせそ君が行く 道の長手に 水仙の 花を手向けむ 春日(はるひ)のかなし (偐ひろみの郎女)銀輪の 越の旅せむ われもまた 伊久礼の森の 藤の花見に (偐家持)(本歌)妹(いも)が家に 伊久里(いくり)の杜の 藤の花 今来(こ)む春も 常かくし見む (巻17-3952 高安王) (20220515伊久礼神社の藤の花byヤカモチ)(注)伊久礼神社=新潟県三条市井栗にある神社用向きは 先ず済ませよと マンホール カードが教えて くれた羽曳野 (忘家持)忘れな草 名のみにしあり 忘れ物 忘れしままに 相別れつる (忘家持)春も過ぐ 八十八夜 八千種(やちぐさ)の 花咲き乱る 河内野の里 (河内家持) 井栗谷 道はた遠み 今更に 行くもよかれど 行かざるもよし (栗家持)(注)た遠み=「た」は接頭語。「遠み」は「遠いので」の意。 井栗谷=富山県砺波市井栗谷(注)掲載の写真は、byヤカモチとあるものを除き、ひろみちゃん8021氏のブログからの転載です。<参考>過去の偐万葉・ひろみ篇はコチラ。 ひろみちゃん8021氏のブログはコチラ。<追記・注>井栗谷について、富山県南砺市井栗谷は間違いで、正しくは富山県砺波市井栗谷なので訂正しました。(2022.5.24.0:01)
2022.05.21
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偐万葉・龍の森篇(その3) 本日は、久々の偐万葉シリーズ記事であります。 今年最初の偐万葉は、龍の森篇(その3)です。 偐万葉シリーズ記事第326弾となります。 龍の森氏は、この偐万葉では龍森麻呂と呼ばせて戴いていますが、同氏とのブログでのお付き合いも来月で丸2年になります。<参考>過去の偐万葉・龍の森篇はコチラ。 龍の森氏のブログはコチラ。 偐家持が龍森麻呂に贈りて詠める歌20首ほか 並びに龍森麻呂が詠める歌7首ほか人目あれど 何するものか 我妹子と たづさひありて たぐひて居らむ (蝉家持)(本歌)人もなき 国もあらぬか 我妹子(わぎもこ)と たづさひ行きて たぐひて居らむ (大伴家持 万葉集巻4-728) 龍森麻呂が返せる歌1首いつまでも 永遠(とは)を誓ひし 森の中 身の程知らず 龍神の前 (龍森麻呂)(20210721ニアミス?) 龍森麻呂が贈り来れる歌2首並びに偐家持が追和せる歌2首みごたえの 色のきれいな 鉄の色 味ある鉄に 離れがたしや (龍森麻呂)鉄の色も 数々あれば 今日もまた 我は撮りける マンホールの蓋 (銀輪家持)(本歌)花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに (小野小町 古今集113、小倉百人一首9)炎天下 じっと下見る マンホール 集めたくとも 持ち出しならず (龍森麻呂) 持ち出す気 もとよりなけれ マンホール 撮りて集めて ブログのネタに (銀輪家持)(20210820稚内市のマンホール byヤカモチ)赤と白 壱師の花の いちしろく 人皆知りぬ 恋妻ぞこれ (花家持)(本歌)路の辺の 壱師の花の いちしろく 人皆知りぬ 我が恋妻を (柿本人麻呂 万葉集巻11-2480)(20210915ヒガンバナ)草刈るは 日焼け狸に あるなれば 壱師の花も 笑みてしあれる (信楽家持)(20210915日焼け狸) 龍森麻呂が贈り来れる上3句に偐家持がつけたる下2句トゲトゲが 擬態と知らず チョウ知らず (龍森麻呂) それルリタテハ イラガに非ず (偐家持)(20210930ルリタテハの幼虫 byヤカモチ) 秋日和 寄らず離れず マゴ陸送 (龍森麻呂) 難波なにはゆ加賀へ 能登もめぐりて (偐家持)変身の ゴーヤの種の 赤き色は 食べてと君を 誘(さそ)へるしるし (道端のカフカ)(20211014ゴーヤ)我が庵(いほ)は 龍の森なり 我流茶も それ臥龍茶と 呼びてもみるか (我田引龍)龍(たつ)麻呂に 我物申す 散策の すがらにもよし マンホール撮れと (偐家持)撮る撮ると するはよかれど はたやはた 夢中になりて 轢かるな車に (偐家持)(本歌)石麻呂(いはまろ)に 我物申す 夏痩せに 良しといふものそ 鰻(むなぎ)捕(と)り食(め)せ (大伴家持 万葉集巻16-3853) 痩(や)す痩(や)すも 生けらばあらむを はたやはた 鰻(むなぎ)を捕(と)ると 川に流るな (同 巻16-3854)(20211015横浜市のマンホール) 龍森麻呂が贈り来れる句に偐家持が付けたる脇句 晩秋や 足るを知らぬで スピード違反 (龍森麻呂) 締めて一日 六円弱か (神奈川県警) 過ぎたることの 及ばざる知る (龍馬呂) 句碑前に 尻冷え切りの ベンチかな (龍森麻呂) 椅子温めて 子規則是空 (般若波羅蜜多) こぼるる萩の 花も見えぬに (散頭花) 萩よりも オハギ夢見て 徘徊は (龍森麻呂) 一万余歩に 及びたるかも (偐逍遥) ストロガノフの 何やらで締め (露麻野麩)ブログとは 閑(ひま)なる人の すさびごと 不要不急の 用にしあれば (閑家持) 龍森麻呂の贈り来れる歌1首並びに偐家持の追和せる歌1首尉鶲(じやうびたき) 尾(を)っぽポンポン 地固めか 冬遠からず 春近からず (龍森麻呂)吾(わ)が事に 非(あら)ず地固め 尉鶲 ほつ枝鳴き行く デラシネわれは (尉家持)<参考>紅旗西戎吾事ニ非ズ(藤原定家「明月記」)秋の野に なりたる果実(このみ) 指折りて かき数ふれば 七種(ななくさ)の実か (銀輪憶良)(本歌)秋の野に 咲きたる花を 指(および)折り かき数ふれば 七種(ななくさ)の花 (山上憶良 万葉集巻8-1537)姫事は 秘め事ならむ 日の目見ず 千曲(ちぐま)の川に 流す花びら (千曲家持)(本歌)夏の野の 繁みに咲ける 姫百合の 知らえぬ恋は 苦しきものそ (大伴坂上郎女 万葉集巻8-1500)あづま屋の 屋根にあられと おどろけば どんぐり落つる 音にしあれり (団栗家持)(本歌)秋の夜に 雨ときこえて ふる物は 風にしたがふ 紅葉なりけり (紀貫之 拾遺集208)心もて ちらんだにこそ をしからめ などか紅葉に 風の吹くらん (紀貫之 拾遺集209)(2021121紀貫之さんに会いに行く) 龍森麻呂の贈り来れる歌1首並びに偐家持の追和せる歌1首見えすぎる 亀追ひ行けば 竜宮城 人魚何処(いづこ)に 三日の探索 (龍森宮)何もせぬ 旅にしあるを 懲りずまに 人魚探索 君度(ど)し難(がた)し (久米仙人) 龍森麻呂が贈り来れる句2句に偐家持が付けたる脇句2句 来年も 大入り祈念 和歌三昧 (龍森麻呂) 愚にもつかねど 鼻にもつかず (偐家持) 適当に いい加減にも 続かせし (龍森麻呂) それ徒然の すさびにあれど (偐家持)二十年(ふたととせ) 継ぎてためたる 四字熟語 余事(よごと)にあれど 吉事(よごと)願ひて (偐龍持)あらたしき 年の初めの 吾が余事(よごと) 吉事(よごと)願ひの それ四字熟語 (偐龍持)(20220102四字熟語)思ほえば 和歌も俄(にはか)も だしぬけの 言葉遊びの 変若水(をちみづ)効果 (落ちぶれ家持)うちならべ 伐りたる枝の 皮剝ぎて 何つくらむと 君はすなるや (生木家持) 龍森麻呂が返せる歌1首かねてより アイデア詰まる 生木材 ここぞとばかり むき続けたり (龍森麻呂)(20220205生木の製材)ブログネタ つきむともよし 居つつわれ 梅の盛りを 見らくしよしも (梅家持)(本歌)春されば まづ咲く宿の 梅の花 ひとり見つつや 春日くらさむ (山上憶良 万葉集巻5-818) 龍森麻呂が返せる歌1首梅の花 ひとり見つつや 携帯を 向ける角度に 時を重ねん (龍森麻呂)(20220223白梅)(注)1.掲載の写真は「byヤカモチ」とあるものを除き、龍の森氏のブログからの転載です。2.今回で、偐万葉シリーズ掲載歌は6888首(ヤカモチ作6248首、ブロ友作640首)となりました。#Ukrainians(STOP PUTIN STOP WAR)
2022.03.13
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偐万葉・若草篇(その27) 本日は、偐万葉シリーズ第325弾、若草篇(その27)であります。 若草篇は昨年の12月22日以来ですから、ほぼ1年ぶりということになります。 偐家持が小万知に贈りて詠める歌7首この頃の 吾が寝正月 今日までと 食ふと申すは 七草の粥 (偐家持)(本歌)この頃の 吾が恋力(こひぢから) 記(しる)し集(つ)め 功(くう)に申さば 五位の冠(かがふり) (万葉集巻16-3858)冬木立 居並ぶ大地 すでにして 緑なしたり 春の近しも (草家持) (20210129冬木立)わが里の 鵯花(ひよどりばな)に 来る蝶(てふ)は とりてな食ひそ おその鵯(ひよどり) (鵯家持) (注)おその=鈍な、馬鹿な、愚かな。昔見し 夢の雫も 雨霰 まつばうんらん はびこり群れぬ (夢家持)われはもや ニシキギ見たり みな人の よしとふもみつ ニシキギ見たり (藤原枯足)(本歌)我はもや 安見児得たり 皆人の 得かてにすとふ 安見児得たり (藤原鎌足 万葉集巻2-95)此処読めと 花咲(はなさか)ワンコ 鳴くごとに なりたしわれも 花咲(はなさか)ブログ (花咲爺)もみつ葉は 照る日に映えて 吹く風の 音もさやけく 秋深みかも (偐原王)(本歌)一つ松 幾代か経ぬる 吹く風の 音の清きは 年深みかも (市原王 万葉集巻6-104) 偐家持が偐山頭火に贈りて詠める歌16首ほか 並びに偐山頭火が詠める歌3首ほか含(ふふ)みたる 梅ほころびて 君が家(や)に よきおとづれを 告げむとならし (偐家持)(参考句)良きことを 梅の香りに きく春か (偐山頭火) (20210103梅の香)やや大(おほ)に 草鞋(わらぢ)を編むは よろしけれ 大(おほ)にな過ぎそ 猫の額(ひたひ)に (黒猫家持) 偐山頭火の句に追和して偐家持が詠める歌2首常に照る 早く来いこい 皇(みかど)寺 (偐山頭火)けいほくに きたのみかどの はかとはむ うせかしころな はるやきたれと (偐家待)(京北に 北の帝の 墓訪はむ 失せかしコロナ 春や来たれと)とこのはに てるひのみちを わがゆかむ きたのすめろぎ ねむりますてら (北朝持)(常の葉に 照る日の道を 我が行かむ 北の皇 眠ります寺) 偐山頭火が贈り来れる句に偐家持が付けたる脇句乱を越え 流行病(はやりやまひ)も 越えて今 (偐山頭火) 阿弥陀籤ひき 南無観世音 (偐家持)枚岡の 梅蘇る 春よこい (偐山頭火) 今日節分に 豆喰らひつつ (鬼家持) 偐山頭火が贈り来れる句に偐家持が返せる歌1首飛んで地に 落ちてバタバタ カッコ悪 (偐山頭火)飛ぶ鳥の うちはよけれど 地に落ちて とんでもないこと 人に言はるな (落山鳥火)(本歌)青山を 横切る雲の いちしろく 我と笑(ゑ)まして 人に知らゆな (大伴坂上郎女 万葉集巻4-688)吊灯籠 神に納むを 知らざれば 春日(かすが)の神も 求めざりにき (春日家持)遊士(みやびを)と 吾(われ)は聞けるを 肌噛ませず 吾を払ひぬ おその風流士(みやびを) (天道女郎)遊士に 吾はありけり 肌噛ませず 払ひし吾ぞ 風流士にあり (偐家持)(本歌)遊士と 吾は聞けるを 屋戸かさず 吾を帰せり おその風流士 (石川女郎 万葉集巻2-126) 遊士に 吾はありけり 屋戸かさず 帰しし吾ぞ 風流士にはある (大伴田主 同巻2-127) 偐山頭火が贈り来れる歌1首に偐家持が返せる歌1首元気だと 君の姿を 写す鏡 西の岩田の 杜の由来に (偐山頭火)鏡石と まさしに知りて 撮りたれば 写れるわが身 いとはずさらし (偐家持)ヤカモチに われもの申す 記事ネタに よしといふものぞ 鰻撮りませ(本歌)石麻呂(いはまろ)に 我物申(まを)す 夏痩せに よしといふものそ 鰻(むなぎ)捕り食(め)せ (大伴家持 万葉集巻16-3853) (20210618うな重)撮る撮るも 時たがひては のちのちの まがひとなりぬ 時合はせ撮れ(本歌)痩す痩すも 生けらばあらむを はたやはた 鰻を捕ると 川に流るな (大伴家持 万葉集巻16-3854)我が背子と 引手(ひきて)の山を 右に見つ 川辺(かはべ)を行(ゆ)けば 生(い)けりとそ思(も)ふ (偐家持)(本歌)衾道(ふすまぢ)を 引手の山に 妹を置きて 山路(やまぢ)を行けば 生けりともなし (柿本人麻呂 万葉集巻2-212) (20210619大和川畔・水の辺の道) 偐山頭火が追ひて和せる歌1首家持と 引手の山も 見せずして 我追いつけば 君姿無し (迷走山頭火)コロナ禍の いまだ去らざり 今日(けふ)もかも マスクをしつつ 銀輪散歩 (銀輪家持)(本歌)もみぢ葉の 過ぎまく惜しみ 思ふどち 遊ぶ今夜(こよひ)は 明けずもあらぬか (大伴家持 万葉集巻8-1591) 偐山頭火が贈り来れる句に偐家持が付けたる脇句おやしろの 後輪の悔い 灘に自首 (メンテナンス偐山頭火)風吹きあひの 見ぬ目でチャリ屋 (気抜け家持) 偐山頭火が贈り来れる歌1首並びに偐家持が追和せる歌1首水色の 浴衣(ゆかた)が似合ふ かぐや姫 色香(いろか)と共に 月への旅立ち (偐銭湯番台夫)せめてもや 水色にせむ 衣(ころも)かな 月の砂漠を 旅するからは (月家持) 偐山頭火が贈り来れる句に追和して偐家持が詠める歌1首虹の落ち 右か左か 両方か (偐山頭火)右と言ひ 左と言ふも 前うしろ 決まりて後(のち)の ことにしあれり (右左衛門)虎の威は 権威そこなふ ものにして とらぬ狸の 狐の手口 (鹿野馬子) (注)この項に掲載の写真は偐山頭火氏のブログからの転載です。 偐山頭火氏のブログはコチラ。 偐家持が和郎女に贈りて詠める歌3首う(倦)まずもや したたかにあれ われらみな なんぞころなに まけはすまじき (やかもち)うらうらに てれるはる日に しらうめの こぼれさくごと その日またなむ (やかもち) (注)上記2首は2021年1月6日和郎女作品展ミニ版に寄せて詠める歌である。 (20210106和郎女作品展ミニ版)梅の花 咲ける月夜(つくよ)も コロナゆゑ 密はならじと われこもり居り(本歌)闇ならば うべも来まさじ 梅の花 咲ける月夜(つくよ)に 出(い)でまさじとや (紀女郎 万葉集巻8-1452) (20211210紅梅匂ふ<第26回作品展>)<参考>偐万葉・若草篇の過去記事はコチラ。
2021.12.20
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偐万葉・どち篇(その8) 本日は、偐万葉シリーズ第324弾記事、どち篇(その8)です。 友人・岬麻呂氏の旅便りに寄せて詠んだ歌も、このどち篇に収録することにしています。従って、これら岬麻呂関連の歌は「岬麻呂旅便り」シリーズ記事にて掲載済みの歌の再掲載となります。1.岬麻呂に贈りて詠める歌21首ふらの麻呂 まさきくありと 旅便り 届きて五月ごがつ 今日は青空 (偐家持)佐保姫は いづち行かめや 葉桜に なりたる道の 今し悔しも (偐家持)(本歌)愛(かな)し妹を 何処(いづち)行かめと 山菅(やますげ)の 背向(そがひ)に寝しく 今し悔しも (万葉集巻14-3577)ジャカランダ 紫匂ふ はつ夏の 見が欲しき花 恋ひてぞまた来し (偐家持) (20210610ジャカランダ)わが来れば 雨に濡れたる 二番花の 今盛りなり かのやばら園 (偐家持) (20210610かのやばら園)沖縄の 景色は何と 変らねど 行けば休業 至れば休館 (古呂奈麻呂) (20210630古宇利大橋)ジャカランダ ケラマブルーの 花と咲け 背子が思ひの 座間味の島に (青家持) (20210630ジャカランダの苗木)安護の浦 潮満ち来らし 夕暮れて 島山はるか 横雲の空 (夕家持) (20210630安護の浦の夕暮れ)鳥沼の みなもに映す さみどりの 影もさやけき 富良野旅行く (富良持) (20210714鳥沼公園)夕されば 遠くやなりぬ 利尻富士 われは礼文の カフカにあれり (海辺のカフカ) (利尻島夕景・香深港)バフンウニ つまみ酒くむ さ夜更けて 利尻の富士に 月かかりける (滝沢馬糞) (20210805バフンウニ丼) (20210805利尻島夜景)青く澄む 海もよけれど 我はもや バフンウニには しかずと覚ゆ (雲丹麻呂) (20210805澄海岬)それ島の 南にあるを なにゆゑに 北のカナリア パークと言へる (鳩屋南北) (20210805北のカナリア公園)君もまた 旅にしありて 思ふかや いづこも同じ 妻が買ひ物 (偐家持)(本歌)さびしさに 宿をたちいでて ながむれば いづこもおなじ 秋の夕ぐれ (良暹法師 後拾遺集333 小倉百人一首70)草もみぢ 岬のひぐま いかにかと ゆくらむ君が 知床の旅 (偐家持) (20210915ヒグマ)オホーツクの 秋はサンゴの 草もみぢ 萩も尾花も さらに用なし (北家持)(本歌)人皆は 萩を秋と云ふ 縦(よ)しわれは 尾花が末(うれ)を 秋とは云はむ (万葉集巻10-2110) (20210915能取岬・サンゴ草)春さらば 花めで酒酌(く)み また語らむ 言ひし悲しき 遺影の友よ (偐岬麻呂)との曇る 旭平あさひだひらの 秋の葉に 心ぞ痛き 面影立てば (偐岬麻呂) (20210928旭岳と鏡池)日(ひ)の本(もと)の 秋はここより 旭岳(あさひだけ) 今年ももみぢ 妹と恋ひ来(こ)し (偐岬麻呂) (20210928旭岳・旭平)禄剛(ろっかう)の 崎にて返し 金沢に 帰りきたれば 月照(て)りにける (偐家持)(本歌)珠洲(すず)の海に 朝開(あさびら)きして 漕ぎ来(く)れば 長浜の浦に 月照(て)りにけり (大伴家持 万葉集巻17-4029) (20211008禄剛埼灯台)それ木々の 水面(みなも)に映す 影清み 神の子池と 名づけけらしも (偐老麻呂)水底(みなそこ)に 沈(しづ)く倒(たふ)れ木(ぎ) ゆるがざる 石(いは)のごとにも 神(かむ)さびにけり (偐家持) (20211022神の子池)※岬麻呂関連の歌掲載の偐万葉・どち篇は(その1、3、4、5、6、7)。歌数は、今回の21首を加えて、全122首になります。2.久麻呂に贈りて詠める歌1首さを鹿の 鳴くなる今夕(こよひ) 逢はぬとも 明けての五月(さつき) 逢はざらめやも (ヤカモチ)(本歌)さを鹿の 鳴くなる山を 越え行かむ 日だにや君が はた逢はざらむ (笠金村歌集 万葉集巻6-953) (牡鹿 撮影者:久麻呂氏)※久麻呂関連の歌掲載の偐万葉どち篇過去記事は(その3,4)、歌数は4首で、今回の1首を加えて合計5首。(注)久麻呂氏はヤカモチの大学同期の友人。夕々の会のメンバー。3.倉麻呂の逝去を傷みて詠める歌2首君逝きて いづちにありや 秋の日の 雨間の空に なびく横雲 (偐家持)今は君 いづちにありや 秋雨に 山は煙りて 泣けと言ふらし (偐家持)(本歌)この水は いづれに行くや 夏の日の 山は繁れり しづもりかへる (中原中也)(なびく横雲)(注)倉麻呂氏はヤカモチの会社時代の後輩。4.国麻呂の兄上の逝去を傷み、国麻呂に代りて詠める歌3首くやしかも 秋明菊(しうめいぎく)の 咲く朝(あさ)に 我が兄(あに)さまは みまかりましぬいつの日か 来(く)べき別れと 知りぬれど 今日(けふ)のこととは 思はざりけるあれやこれ 思ひ尽きせじ 今更に 君が最後の 笑(ゑ)まひに泣かゆ (20211006シュウメイギク オガクニマン氏のブログから転載)※国麻呂関連の歌掲載の偐万葉過去記事は下記の通りで、歌数は66首、今回の3首を加えて合計69首。 オガクニ篇(その1、2) 30首 どち篇(その1,2,4,5,6,7) 36首(注)国麻呂は友人・オガクニマン氏の偐万葉上の呼称。 同氏のブログはコチラ。 偐万葉・オガクニ篇はコチラ。<参考>偐万葉・どち篇の過去記事はコチラ。<追記注:2021.10.26.>久麻呂氏の項の※に記載の歌数に誤記がありましたのでこれを訂正しました。倉麻呂氏の項に写真追加掲載。
2021.10.25
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偐万葉・龍の森篇(その2) 久々の偐万葉シリーズ記事(シリーズ第323弾)です。 龍の森篇は昨年12月1日以来の第2集となります。 龍の森氏は、昨年(2020年)4月22日に当ブログ記事に初訪問、初コメントを頂戴したことからブログ上のお付き合いが始まった、最も新しいブロ友さんで、横浜市にご在住であります。 偐万葉では龍森麻呂(たつのもりまろ)と呼ばせていただいて居ります。 偐家持が龍森麻呂に贈りて詠める歌22首ほか 並びに龍森麻呂が詠める歌9首ほか偐万葉にせまにえふ 師走朔日しはすついたち 小春日に 面見世つらみせなせり 龍の森麻呂 (偐家持) (20201201偐万葉・龍の森篇<その1>byヤカモチ) 龍森麻呂が贈り来れる句に偐家持が付けたる脇句偶々よ 祈る冬空 雪柳 (龍森麻呂) いましばらくは 咲いていよとか (花家持) (20201209ユキヤナギ byヤカモチ)見つつあれば 魚(いを)となる我 青に染(そ)み 慶良間(けらま)の海を 泳ぎてみたし (龍海人皇子(たつあまのみこ))蝋燭と ツリー並べ どれ マリヤ様に お祈りを上げる こととしようか (偐ランボー)<参考> 聖母マリヤさまのこと以外、 当分、僕はなにも考えまい。 では一つ、マリヤさまに、 お祈りをあげることとしようか。 (ランボー「いちばん高い塔の歌」<金子光晴訳>より)ふたととせ しるし集(つ)めたる 四字熟語 くばりて皆の 力ともなれ (四字熟考)(注)初案「力となれよ」を「力ともなれ」に修正。 龍森麻呂が返せる歌1首紙一枚 いきさつ自慢 抑へつつ 合はせ捻(ひね)りて 逆さ読みまで (龍森麻呂) (20210102 四字熟語) 龍森麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が追和せる歌1首万葉の シリーズ開運(くわいうん) 招福(せうふく)の 永久(とは)に抱擁(はうやう) 数多(あまた)なる哉(かな) (龍森麻呂)吾が事に もとより非ず 偐万葉 開運招福 あなた任せに (偐家持)(注)初案「あなたに任せ」を「あなた任せに」に修正。 龍森麻呂が贈り来れる句・歌並びに偐家持が追和せる句・歌牛の背に ぎゅ~と詰めたる 米俵 (龍森麻呂) くろうしやまとは 宅配もどき (偐家持)連ねたる 門松羽子板 松竹梅 あれよありゃさの 七草粥よ (龍森麻呂)めでたきも 今日が内なり 松の内 七草粥の 吾が事始 (七日家持)正月も もう過ぎたれり 思ひ出か (龍森麻呂) 門松かたづけ 粥くらふ朝 (偐家持)長口舌(ながくぜつ) 口調よければ すべてよし 何ぞや気にせむ 君よ語れと (偐家族(にせいへのやから))わらはめの くれたるてがみ いとうれし いといとわれを いとしといへる (もりまろ) (20210112初ラブレター)わが庭に かよふ目白の 姿見つ 昨日(きのふ)今日明日(けふあす) まさきくもあれ (目白家持)枯れ枝に キーウイさせば わが庭も 今日(けふ)より目白 御殿となりぬ (雀亭主) (20210209メジロとキーウイ)わが庭の つらつら椿 つらつらに 見つつやわれも 春祭りせな (花下猫足(はなしたのねこたり))(本歌)巨勢山(こせやま)の つらつら椿 つらつらに 見つつ思(しの)はな 巨勢の春野を (坂門人足(さかとのひとたり) 万葉集巻1-54) (20210225スプリング・フェスティバル) わが庭に 咲きたるすみれ 風さやに 空晴れわたり 春たけゆける (森部龍人)(本歌)春の野に すみれ摘みにと 来しわれそ 野をなつかしみ 一夜(ひとよ)寝にける (山部赤人 万葉集巻8-1424)わが庭に 見むと植ゑたる つぼすみれ この春雨に 咲き始(そ)めにけり (森田女王)(本歌)山吹の 咲きたる野辺の つぼすみれ この春雨に 盛りなりけり (高田女王 万葉集巻8-1444) (20210322雨上がりのスミレ) 龍森麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が追和せる歌2首大和三山 竹と桜に 萌葱色 かしこみかしこみ みな夢模様 (龍森麻呂)御井の歌 つまみて詠めば 耳成と 香具と畝傍の 歌にしなれる (御井家持)耳成は 神さび立ちて 香具畝傍 しみさび立てり 山さびいます (御井家持) 龍森麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が追和せる歌1首はなを愛で 続くはなはな 華々し シャッター音に 我そら彼方 (龍森麻呂)藤浪の 花の盛りに 奈良こそは 来ませわが背子 コロナの後に (春日郎女)(本歌)藤浪の 花は盛りに なりにけり 奈良の都を 思ほすや君 (大伴四綱 万葉集巻3-330) 龍森麻呂が贈り来れる歌2首並びに偐家持が追和せる歌3首瓢箪の 苗二本植ゑし 翌朝に 双葉なくあり 夜盗虫なり (龍森麻呂)双葉切る 夜盗虫らの ごとわれら 言の葉切らじ 歌などなさむ (虫家持)ぶらりぶらり 暮らすようでも 瓢箪は 腹のあたりに 締めくくりあり (龍森麻呂)へうたんは くびれなきをば みくびれど なんのへちまと ぶらりは同じ (糸瓜家持)コロナ禍を 何のへちまと 思へども マスクをせねば 歩かれもせず (コロナ亭わくちん)(本歌)世の中は 何のへちまと 思へども ぶらりとしては 暮らされもせず (栗柯亭木端) 龍森麻呂が贈り来れる歌2首河うねり 桜の園に 人集ひ 語りし姫を いつか訪ねむ山ガレの 白きやは肌 触れもみで 君死にたまふ ことのなかれと 偐家持が追ひて和せる歌2首君来むと 待ちし佐保姫 今はもや 渡島あたりに ありと聞くらむ道を説く われにしなくば やは肌に 触れずは遂に ありかつましじ(本歌)やは肌の あつき血汐に ふれもみで さびしからずや 道を説く君 (与謝野晶子) 龍森麻呂が贈り来れる575に偐家持が追和せる77母悲鳴 僕の引き出し 蜥蜴の巣 (龍森麻呂) 懲りずに虫を 愛でしその頃 (偐家持) 龍森麻呂が贈り来れる77に偐家持が追和せる575枝打ちを 終へて何やら 痛痒き (偐家持) 毛虫かダニか 首に赤あざ (龍森麻呂)地平はるか 空高々に 北海道 めぐりし夏の 若き日思ほゆ (偐家持)(注)掲載の写真は「byヤカモチ」とあるものを除き、龍の森氏のブログからの転載です。<参考>過去の偐万葉・龍の森篇はコチラ。 龍の森氏のブログはコチラ。
2021.07.16
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偐万葉・雑詠篇(その7) ブロ友との交流の中で生まれた短歌をまとめたものが偐万葉です。 交流の頻繁なお方については、個人別に〇〇篇として編集していますが、単発的なブログ訪問であったり、ブログ更新を中断または休止されたなどその他諸々の理由で交流が長期にわたって途絶えているお方などについては、これをひとまとめにして「雑詠篇」という形で編集することとしています。 こういうお方に関連する歌の数はその気になって数えてみなければわからないのでありますが、今回、その気になって数えてみたところ、掲載基準としている20首という歌数を超えていることがわかりました。<参考>過去の偐万葉・雑詠篇はコチラ。 ということで、偐万葉・雑詠篇としてこれをまとめることといたしました。1.あすかのそら氏関係(9首1句)※あすかのそら氏は2020年3月23日以降の記事更新がなく、ブログコメント欄も閉鎖されて居られます。ペリカンの 家(いへ)の木(き)巣(す)なす 山鳩は われペリカンと 言ふにしあるか (鳩山鳩夫)とねりこの 木も巣となすや 鳩の家 (鳩蕉「店の前の道」)(元句)草の戸も 住替る代ぞ ひなの家 (芭蕉「おくのほそ道」)甲斐駒の 道の長手に たぢろぎて 甲斐なく返す ソロのをしけれ (時間も内侍)(本歌)春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなくたたむ 名こそをしけれ (周防内侍 千載集961 小倉百人一首67)(20181025甲斐駒ヶ岳)近江なる 不知哉(いさや)の川の 彼岸花 咲ける盛りに 来ませ我妹子(わぎもこ) (壱師家持)(注)不知哉川=犬上川のこと。芹川などとする説もあり。「いさや」は、「さあ、どうでしょう。よくは存じません。」というような意味。花茄子の 実のなる頃は プチトマト 既に路地もの 消えてやあらむ (プチ家持)小万知から ひろみを経てや 若草に 来(きた)り絵となる 愛の駅伝 (比古家持)里にあれど 我は山鳩 あばら家も 住めば都の 宮にもしかず (種田山鳩家)石上(いそのかみ) 布留(ふる)の川音(かはと)の さやけきは 妹に年明け 言祝(ことほ)ぐならし (石上家持)(本歌)石上(いそのかみ) 布留(ふる)の高橋 高々に 妹が待つらむ 夜そふけにける (万葉集巻12-2997) 石上 布留の神杉 神さびし 恋をもわれは 更にするかも (万葉集巻11-2417)(20190112石上神宮)ヤブツバキ 落つるを見てや ヤメツバキ 勝手名思ふ 妹しぞ楽し (卜伴家持)それ我は 欧州椿と 薔薇呼ばむ 日本の薔薇と 西で呼ぶなら (椿姫)<参考>偐万葉・あすかのそら篇はコチラ。 あすかのそら氏のブログはコチラ。2.とろさば氏関係(1首)※とろさば氏は2018年12月1日に楽天ブログを開設し初投稿されましたが、どういう経緯で小生がそれを知ったのかは今となっては不明でありますが、たまたまそれが目にとまり、同日、同氏へのエールのつもりでコメントをさせていただきましたが、その後の更新がないまま今日に至っています。楽天に ブログせむとや わが背子は しはすついたち 船出せすかも (偐家持)(本歌)熟田津(にきたづ)に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今はこぎ出でな (額田王 万葉集巻1-8)3.享仙氏関係(1句)※享仙氏はアメーバブログで写真にご自作の俳句をつけるという記事を書いて居られて、ヤカモチの写真に句をつけてをご自身の記事に転載したいとして、2020年9月28日にその許諾を求めて来られました。勿論、ヤカモチは快諾したのでありますが、その俳句に脇句をつけるということをしましたので、この偐万葉にもこれを収録することにしました。 享仙氏が作れる句に偐家持が付けたる脇句吹く風に 葦の穂絮の 靡きかな (享仙)いづちや我も 雲の行くまま (偐家持)(注)初案「いづちや雲の流れ行くまま」偐万葉掲載に当り修正した。(享仙氏の句)<参考>享仙氏のブログはコチラ。 吹く風に 2020.10.20.4.背番号のないエース氏関係(1首)※2020年3月4日に「岬麻呂旅便り213(2017.12.26.)」の記事に初コメントを頂戴し、その返礼コメントを同氏ブログに投稿させていただきました。よき人の よしとよく見て よき絆 よしとよく守(も)る よき人よく守(も)る (偐家持)(本歌)よき人の よしとよく見て よしと言ひし 芳野よく見よ よき人よく見つ (天武天皇 万葉集巻1-27)<参考>背番号のないエース氏のブログはコチラ。5.ローリングウェスト氏関係(1首・返歌1首)※2015年7月19日に初コメントを頂戴し、交流が始まりましたが、最近は途絶えています。 呂麻呂が贈り来れる歌1首懐かしや ミナミ徘徊 法善寺 水掛不動に 願掛けし日々 (呂麻呂) 偐家持が返せる歌1首これやこれ をなごならずも 願掛けは 呂麻呂もすなる 水掛不動 (願家持)<参考>ローリングウェスト氏のブログはコチラ。 偐万葉・ローリングウェスト篇はコチラ。6.幸達氏関係(9首)※2013年5月4日に当方より同氏ブログを初訪問、交流が始まりましたが、最近は途絶えています。たまさかに 棚からぼた餅 ありはすれ 七夕ぼた餅 似て非なるかな (筍ご破算)(20140528筍の挫折)よき人が よしとよくみて よしと言へば よしと小僧も よき目となりぬ (幸達天皇)(本歌)よき人の よしのよく見て よしと言ひし 芳野よく見よ よき人よく見つ (天武天皇 万葉集巻1-27)(20140709怪獣小僧展)恋の花 咲くを待たぬが 渡世の身 秘めて捨てたる 恋の数々 (女紋次郎)三度笠 合羽長どす 伊達ならぬ 女渡世の 竹にござんす (女竹次郎)(20140716花恋渡世女)我妹子が つくつくつくし つみつみて くつくつ煮たる つくだ煮ぞこれ (つくつく法師)(20170320つくしの佃煮)わがつくる つくつくつくし 竹つくし 添へて咲かさな たんぽぽの花 (つくつく家持)(20170320土筆と蒲公英)自転車も 我は銀輪 君なせば 竹輪(ちくりん)なるか げにもこそあれ (銀輪家持)(20181130三輪車)節々に 節あるものは 多けれど わが見る節は この竹の節 (竹爺)(本歌)月々に 月見る月は 多けれど 月見る月は この月の月 (作者不詳)(20190103亥)かにかくも コロナコロナの 世の中は 牛歩牛車で 行くのほかなき (竹取翁)(20210101謹賀新年)<参考>幸達氏のブログはコチラ。 過去の偐万葉・幸達編はコチラ。 最後に参考までに「偐万葉・〇〇篇」を掲載開始時期の早い順に列記すると、次の通りです。 1.〇松風篇(2009.3.27.) 2.〇ビターC篇(2009.3.30.) 3.〇カマトポチ篇(2009.3.31.) 4.〇大和はまほろば篇(2009.4.7.) 5.●真澄篇(2009.4.8.) 6.〇nanasugu篇(2009.4.19.) 7.〇るるら篇(2009.4.24.) 8.△若草篇(2009.4.26.) 9.〇カコちゃん08篇(2009.4.28.)10.△どち篇(2009.5.7.)11. ひろろ篇(2009.7.30.)12.〇木の花桜篇(2009.12.10.)13.△雑詠篇(2010.3.4.)14.〇くまんパパ篇(2010.6.19.)15.〇童子森の母篇(2010.7.16.)16. ビッグジョン篇(2010.8.12.)17.●半兵衛篇(2010.9.15.)18.〇マダムゴージャス篇(2011.2.7.)19. 英坊篇(2011.8.9.)20. アメキヨ篇(2011.10.1.)21. オガクニ篇(2012.1.8.)22.〇ふぁみキャンパー篇(2012.6.21.)23.■ウーテイス篇(2013.11.9.)24. ふらの篇(2014.1.6.)25. ふろう閑人篇(2014.2.23.)26. LAVIEN篇(2014.3.23.)27. 幸達篇(2014.5.24.)28. ひろみ篇(2014.8.8.)29.〇あすかのそら篇(2014.8.26.)30. ローリングストーン篇(2015.9.8.)31. もも篇(2017.4.7.)32. 龍の森篇(2020.12.1.)※〇ブログ休止中 ●ブログ削除 ■本人希望により休止 △グループ
2021.05.19
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偐万葉・どち篇(その7) 今年3回目の偐万葉記事です。 最近は、歌を作ることも少なくなっているので、偐万葉シリーズに記事アップすることも間遠になっていますが、気が付けば、友人関連のものが、いつの間にか24首を数えるに至っていますので、記事にまとめることといたしました。 シリーズ第321弾であります。 その半数近くが岬麻呂の旅に寄せて詠んだ歌ということになり、岬麻呂旅便りと重複することになります。1.岬麻呂に贈りて詠める歌14首ときどきに わが詠むうたを よしとなす ひとの一人も あるはうれしき (偐家持) (注)第5句は初案「あるぞうれしき」を「あるはうれしき」に修正した。世はなべて コロナ障(つつ)みに こもるれば 旅を常とす 君もしかにか (雨障家持) (本歌)雨障(あまつつみ) 常する君は ひさかたの 昨夜(きそのよ)の雨に 懲りにけむかも (大伴女郎 万葉集巻4-519)岬麻呂は 旅をなすべし わがブログ とひ来る人も 今かと待つがね (偐家待) (本歌)ますらをは 名をし立つべし 後の世に 聞き継ぐ人も 語り継ぐがね (大伴家持 万葉集巻19-4165)佐保姫は 気ままなるかな 足はやみ 岬の麻呂も あと追ひかねつ (佐保彦) 以下10首は岬麻呂の旅に寄せて詠める歌なり。来ぬ客を 来むとし待つは 烏滸(をこ)なりと 川平(かびら)の船の 白きため息 (在原川平(ありはらのかはひら)) (20210224川平湾)イダの浜 おのれ寄す波 吹く風の 音ばかりなり 小雨そほ降り (イダ麻呂) (本歌)弥彦(いやひこ) おのれ神(かむ)さび 青雲(あをくも)の たなびく日すら 小雨(こさめ)そほ降る (万葉集巻16-3883) (20210224イダの浜)紋別の 沖につれなき 流氷を 迎へ来にけり 能取の崎に (能取麻呂) (20210307能取岬の台地上から見た流氷)網走の 空染めゆける 夕照を 映し宇登呂の 流氷きしむ (宇登呂麻呂) (20210307夕日と流氷)倉津川 妹とし行けば 夜桜は みなもにうつし 今盛りなり (夜桜家持) (20210421天童温泉・倉津川の枝垂れ桜) 立山に 降り置く雪を 下に見つ 桜の旅を 君行くらむか (偐家持) (本歌)立山(たちやま)に 降り置ける雪を 常夏(とこなつ)に 見れども飽かず 神(かむ)からならし (大伴家持 万葉集巻17-4001)立山に 置き忘れたる 登山杖 いかにかその後 なりたるならし (偐家持) (20210506黒部立山アルペンルート・立山道路)角館(かくのだて) 葉桜なれば 七兵衛の 地酒楽しむ ほかなくあらむ (大伴岬人) (本歌)験(しるし)なき ものを思(おも)はずは 一坏(ひとつき)の 濁れる酒を 飲むべくあるらし (大伴旅人 万葉集巻3-338) (10210506角館・枝垂れ桜夜景)今日(けふ)もかも 花散る里や 富士見湖の 妹とまた来(こ)し 鶴(つる)の舞(まひ)橋(はし) (偐岬人) (20210506津軽富士見湖・鶴の舞橋)桜花 散り敷くホーム 我妹子(わぎもこ)と たぐひてあらな 芦野の春は (偐岬人) (20210506芦野公園駅)※岬麻呂関連の歌掲載の偐万葉・どち篇は(その1、3、4、5、6)とほぼ毎回登場にて、今回の14首を加えて、全101首になります。2.夕々の会に寄せて詠める歌3首はつ夏の さやけき夕よひに 思ふどち い群れて居れば うれしくもあるか (本歌)新あらたしき 年の始はじめに 思ふどち い群れてをれば 嬉しくもあるか (道祖王(ふなどのおほきみ) 万葉集巻19-4284)百合の花 咲ける夕(よひ)にも もみぢ葉の 匂へる夕(よひ)も 継ぎてぞ逢はなもみつ葉は まちかね山か あぢさゐの 咲ける盛りに われらは逢はむ(注)上の歌3首は2013年5月31日の「夕々の会」(大学の同期有志の会)に関連するブログ記事に添えた歌であるが、偐万葉・どち篇に未収録であることに気がついたので、遅ればせながら収録することとしたもの。因みに、この日に同期会の名を「夕々の会」と命名することが決まったのでありました。 (20130531夕々の会)3.オガクニマンに贈りて詠める歌2首併せ俳句あらたしき 年の初めに どちよりの コメントありて うれしかりける (偐家持) (本歌)新しき 年の始に 思ふどち い群れてをれば 嬉しくもあるか (道祖王 万葉集巻19-4284)うたた寝も コロナ対策 おらが春 (専門家会議) (元句)目出度さも ちゅう位なり おらが春 (小林一茶) (注)ちゅう位=信濃方言で、中途半端、どっちつかず、曖昧な、などの意。コロナ禍の 疾(と)くや絶えそね ながらへば しのぶる民の よわりもぞする (打手内親王(うつてないしんのう)) (本歌)玉の緒よ たえなばたえね ながらへば しのぶることの よわりもぞする (式子内親王(しょくしないしんのう) 新古今集1034、小倉百人一首89)(注)オガクニマン氏はヤカモチの若い頃からの友人。 同氏のブログはコチラ。 偐万葉・オガクニ篇はコチラ。※オガクニマン関連の歌掲載の偐万葉過去記事は下記の通りで、歌数は64首、今回の2首で合計66首となります。 オガクニ篇(その1、2) 30首 どち篇(その1、2,4,5,6) 34首4.もりた麻呂に贈りて詠める歌2首影清み 花うるはしみ カメラ向け 継ぎてぞなさむ ブログの記事にコロナ禍の あらぬさまなる 年明けは 露店ひとつも なき初詣 (20210104あびこ観音)(注)もりた麻呂氏は友人のひろみちゃん8021氏のブロ友で、彼女からのご紹介で面識を得た御仁。友人・偐山頭火氏のブロ友でもある。 同氏のブログはコチラ。※もりた麻呂関連の歌掲載の偐万葉・どち篇過去記事は(その4,5,6)で、今回の2首を加えて全6首となります。5.山麻呂の告別式に寄せて詠める歌3首かからむと かねてそ知らば いまいちど 君としあひて かたりしものを梅の花 今を盛りと 咲きぬれど 悲しけさびし 君しあらねば讃美歌の また会ふ日まで 歌ひつつ 哭ねのみし泣かゆ 遺影の君に(注)山麻呂君はヤカモチの会社時代の後輩。 あらためて同君のご冥福を祈る。<参考>偐万葉・どち篇の過去記事はコチラ。<追記:2021.5.14.>行間に不揃いがあったので、その修正を行いました。
2021.05.13
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今年2回目の偐万葉シリーズ記事です。 偐万葉シリーズ記事としては第320弾となりますが、LAVIEN篇は2017年5月12日以来と久々のアップであります。 lavien10氏とは2013年12月以来、7年2ヶ月のお付き合い。 2013年11月頃に同氏が当ブログをお気に入りにご登録下さり、同年12月6日に同氏ブログにヤカモチ初訪問・コメントという形でブログ上の交流が始まりました。 偐万葉での同氏呼称は当初「ラビ麻呂」としていましたが、ご当人が「羅美麻呂」とこれを表記されましたので、いつの頃よりか「羅美麻呂」とお呼びさせていただいています。 偐家持が羅美麻呂に贈りて詠める歌20首ほか野に咲くも 庭にし咲くも 撫子は なべてぞはしき 花にしあれり美しく 咲くも花なり 散るも花 いかでか花に 罪あるべきや世の色も 移りにけりな ホットチョコ 飲みつつわれや 窓の雪見む (チョコ家持)(本歌)花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに (小野小町 古今集113 小倉百人一首9)(20171118ホットチョコ)あらたまの 年の緒ながく いや栄(さか)に 千代に八千代に いませわが背子(20180101富士山)みやびたる 花とや梅の 夢語(いめがた)り 酔(ゑ)ひ泣き旅人(たびと)に 一献参らむ(本歌)梅の花 夢(いめ)に語らく 風流(みやび)たる 花と吾(あれ)思(も)ふ 酒に浮かべこそ (大伴旅人 万葉集巻5-852)わがもとに 来たり憩へと 言の葉に 出さねど花は 我に笑むらし (花家持)(20180210梅の花)塵(ちり)泥(ひぢ)の 身ゆゑ銀輪 駆けたるも 願掛けはせじ 神仏めぐり (塵家持)金烏(きんう)飛び 玉兎(ぎょくと)は跳ねて 今更に 牛歩のわれは いかにとやせむ (牛家持)(注)金烏=太陽、日 玉兎=月(20181116金烏玉兎)失はれし ものの何とも 覚えねど 何か足りぬと 豊かとふ世の (健忘家持)得るものに 依りて失ふ ものあるを 忘れて今日も 進歩が通る (神話家持)(20190110何かがあった時代から何かが足りない時代へ)気のほどは ありし昔に 変らねど 盛りなる身の ほどぞ恋ひしき (小野家持)(本歌)雲の上は ありし昔に 変らねど 見し玉簾(たまだれ)の うちぞゆかしき (小野小町)(20190928吾妻橋)さいはひは 手に取り持てば 薄雪の ごとにとけゆき はかなくぞなる(注)偐万葉掲載にあたり、第5句、初案「はかなくなれり」を「はかなくぞなる」に修正。すでにあるを それと知らぬが さいはひか うしなひてのち それとひと知る(注)偐万葉掲載にあたり、初句、初案「すでにあり」を「すでにあるを」に修正。庭の梅 咲きてあれるを 遠山に 咲くとふ梅を 思ひつつぞ居り梅の花 咲ける盛りを めでもせず 散るをし惜しと 言ふはをこなり(注)をこ=烏滸(20200114 easy come easy go)リンク不備 千住の橋の わが記事に ありとや見せつ 君が橋めぐり (千住家持)(20200123隅田川橋めぐり)銀輪は 道たづたづし MB(エムビー)は 置きてわが背子 歩(かち)にて行(ゆ)かせ (ラビ妻)(注)MB=マウンテンバイク(本歌)夕やみは 路みちたづたづし 月待ちて 行(ゆ)かせ吾背子 その間にも見む (大宅女(おほやかめ) 万葉集巻4-709)隙を見て 家内(かない)に入(い)るを はかるとも よに横着の 蝉は許さじ (ラビ丸)(本歌)夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ (清少納言 後拾遺集940 小倉百人一首62)これやこの あらぬさまなる 年明けは 遠きに富士を 見つつ過ぐさな (偐ラヴィ麻呂)(注)初案「見つつ過ごさな」を「見つつ過ぐさな」に修正。(20210101富士山遠望) 羅美麻呂が追和せる句春の昊(そら) 白くも友に とはの富士 (羅美麻呂)言の葉は 散りぬるものを 人たるは これによるほか すべなかりける (偐言持)(20210226言霊) なお、参考までに付言しますと、今回の記事で、偐万葉LAVIEN篇に掲載のヤカモチ歌も107首となり、遅ればせながら、100首の大台を超えることと相成りました。<脚注>掲載の写真は全てlavien10氏のブログからの転載です。<参考1>過去の偐万葉・LAVIEN篇はコチラからどうぞ。 lavien10氏のブログはコチラからどうぞ。<参考2>各人別ヤカモチ歌ランキング(2021年2月28日現在)1.735首 ビッグジョン7777氏(ビグジョン篇)2.584首 英坊3氏(英坊篇)3.435首 松風氏(松風篇)4.380首 大和はまほろば氏(大和はまほろば篇)5.341首 ひろろdec氏(ひろろ篇)6.340首 木の花桜氏(木の花桜篇)7.286首 ひろみちゃん8021氏(ひろみ篇)8.272首 真澄氏(真澄篇)9.262首 ふぁみり~キャンパー氏(ふぁみキャンパー篇)10. 247首 小万知氏(若草篇)11. 237首 ふろう閑人氏(閑人篇)12. 180首 偐山頭火氏(若草篇)13. 153首 furano-craft氏(ふらの篇)14. 149首 もも☆どんぶらこ氏(もも篇)15. 145首 るるら氏(るるら篇)16. 135首 童子森の母氏(童子森の母篇)17. 130首 カコちゃん08氏(カコちゃん08篇)18. 115首 カマトポチ氏(カマトポチ篇)19. 107首 lavien10氏(LAVIEN篇)
2021.02.28
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偐万葉・もも篇(その7) 今年最初の偐万葉シリーズ記事は、もも篇(その7)であります。 ももの郎女さんはヤカモチが馴染みにしている「ペリカンの家」という喫茶店の店主(彼女のブログ上の名前は☆もも☆どんぶらこ☆さん)であります。 偐万葉シリーズ記事としては第319弾となります。<参考>過去の偐万葉・もも篇はコチラ。 ☆もも☆どんぶらこ☆さんのブログはコチラ。 ペリカンの家関係記事はコチラ。 偐家持がももの郎女に贈りて詠める歌21首十万(とよろづ)を 越えてアクセス 嬉しみと 妹が示しし スマホの画面ライターを 返し忘れて 今日もかも ペリカン通ひの ヤカモチわれは (持ち逃げ家持)あらたしき 年の始に 母がもと そろひ集へば うれしくもあるか(本歌)新しき 年の始に 思ふどち い群れてをれば 嬉しくもあるか (道祖王 万葉集巻19-4284) (20200102お雑煮)コンドイの 浜は寄す波 吹く風も さやにさやさや 見れど飽かなくエメラルドの 海に向かひて 立つ君の かたへに光る 星の砂かも (20200106コンドイの浜)山茶花と 競(きほ)ひ咲くなる 白梅の 今か待つらむ 春立つその日 (梅家持) (20200129白梅)栂(つが)の木の いやつぎつぎに ブログ書き 三年(みとせ)重ねし 今日のめでたき秋篠の み寺の庭の 苔にふる 木漏れ日けふは 春うたふらし (秋篠寺境内の苔 2020.3.15.偐家持撮影)ルピナスと 羽衣ジャスミン 迎へてか われ見よと咲く ツルニチニチソウ (花家持) (20200317ハゴロモジャスミンとルピナス) (20200318ツルニチニチソウ)野に出でよ みみなぐさなど 名の知れる 花はこれぞと 背子にし示し (自粛家持)(注)第5句は初案「背子に示しつ」を「背子にし示し」に修正。いらつめに われ物申す むすびにも よしといふものぞ おこげとり握れ (大伴焦餅)(本歌)石麻呂(いはまろ)に 吾(われ)物申す 夏痩(なつやせ)に 良しといふ物ぞ 鰻(むなぎ)漁(と)り食(め)せ (大伴家持 万葉集巻16-3853) (20200711おこげ)道の辺に 身じろぎもせず ひたすらに 見つつもあるは 恋といふべしや (偐家持)(本歌)道の辺の 草深百合(くさふかゆり)の 花咲(ゑみ)に 咲(ゑ)まししからに 妻といふべしや (万葉集巻7-1257) 追ひて和せる歌1首花園の 道行くわれに いちしろく にゃんなど鳴きて 人に知らゆな (坂猫郎女)(本歌)青山を 横切る雲の いちしろく 吾(われ)と咲(ゑ)まして 人に知らゆな (大伴坂上郎女 万葉集巻4-688)よき人の よく見つ吉野 よしと見て よしと言ふなる ももの郎女 (偐家持)(本歌)よき人の よしとよく見て よしと言ひし 吉野よく見よ よき人よく見つ(天武天皇 万葉集巻1-27) (20201014吉野・蔵王堂)あり通(がよ)ひ 見(め)しし活道(いくぢ)の 岡に立ち なげきし君の 古(いにしへ)思ほゆ (偐家持)(本歌)愛(は)しきかも 皇子(みこ)の命(みこと)の あり通(がよ)ひ 見(め)しし活道(いくぢ)の 路(みち)は荒れにけり (大伴家持 万葉集巻3-479)アクセスは 金烏玉兎(きんうぎょくと)の 行くままに おのづからなり 増え行くものそ (偐家持)(注)金烏玉兎=太陽には金の烏が住むということで金烏は太陽即ち「日」のこと。月には玉壁の兎が住むということで玉兎は月のこと。よって金烏玉兎は月日のこと。あらぬさまに あけぬる年も 青空に 日の射す見れば よしとぞ生きむ (新生家持)黒牛の 金(きん)の俵の 米積みて 玉敷く道を 行くは誰(た)が家(いへ) (丑家持)(本歌)黒牛潟(くろうしがた) 潮干(しほひ)の浦を 紅(くれなゐ)の 玉裳裾引き 行くは誰(た)が妻 (万葉集巻9-1672)ここだくも 雪は流れ来(く) わが園に 真白き梅の 花の散るかも (大伴雪人)(本歌)わが園に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の 流れ来るかも (大伴旅人 万葉集巻5-822) 蒲公英(たんぽぽ)の 咲きたる庭の木 宿とすは よけれ雉鳩(きじばと) 屎(くそ)遠くまれ (ペリカンの刀自)(本歌)枳(からたち)の 棘原(うばら)刈り除(そ)け 倉立てむ 屎(くそ)遠くまれ 櫛造る刀自(とじ) (忌部首 万葉集巻16-3832) (20210121タンポポ)嵯峨野花譜 小万知家持 ペリカンへ つなぎて明日は 誰かよむらむ (偐室麟) (20210123嵯峨野花譜)つぎつぎと 本が咲く家 ペリカンへ いざ見に行かな 花譜の花見に (ペリカン)(追記注:2021.1.25.)ももの郎女さんのブログに上記の追和の歌が記載されていることに気がつきましたので、これを追記しました。(注)掲載の写真は、「偐家持撮影」とあるものを除き、ももの郎女さんのブログからの転載です。
2021.01.23
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偐万葉・どち篇(その6) 今日は、偐万葉シリーズ第318弾、どち篇(その6)の記事とします。 「どち」とは友人という意味の古語ですが、ここでは友人・知人などという場合の「知人」も含めた広い意味での友人という意味で「どち」を使用しています。但し、若草読書会メンバーの友人たちについては「若草篇」にまとめていますので、同メンバーを除く友人たちということになります。 そのような「どち」に贈った歌などを集めたものが「どち篇」ということになりますが、気がつけばそれらの歌でブログ未掲載のものが23首になっていましたので、記事アップすることとしました。1.只麻呂氏関係(注)只麻呂氏は、ヤカモチの会社時代の先輩で、健人会でも交流のある御仁であります。 偐家持が只麻呂氏に贈りて詠める歌1首コロナ禍の また寄す波を 憂ひつつ 心は思もへど 直ただに逢はぬかも (偐家持)(本歌)み熊野の 浦の浜木綿(はまゆふ) 百重(ももへ)なす 心は思(も)へど 直(ただ)に逢はぬかも (柿本人麻呂 万葉集巻4-496)(ハマユウ 2018.7.11.記事掲載写真)2.岬麻呂氏関係(注)岬麻呂氏もヤカモチの会社時代の先輩であるが、当ブログでは岬麻呂旅便りでお馴染みの御仁。此処に掲載の歌は岬麻呂旅便りの記事に掲載済みの歌が再登場ということになります。岬麻呂旅便り記事はコチラ。 偐家持が岬麻呂氏に贈りて詠める歌16首日向灘の 磯もとどろに 寄す波の かしこき名なる 花を見しかも (岬郎子)(本歌)伊勢の海の 磯もとどろに 寄す波の かしこき人に 恋ひわたるかも (笠女郎 万葉集巻4-600)(注)かしこき=畏き。畏れ多い。 (20200609デンドロビュームミチコとレナンタンダアキヒト)いくたびも まいる心は ジャカランダ 晴れたる空に 花咲くも見む (偐岬麻呂)(本歌)いくたびも 参る心は 初瀬寺 山もちかひも 深き谷川 (花山天皇) (20200609日南・南郷のジャカランダ)岬麻呂 狸寝入りに 騙さるは いかな次第と 見にキタキツネ (北狸)昔見し 神威の海を 今見れば いよよ清さやけく 澄みわたりける (岬旅人)(本歌)昔見し 象(きさ)の小河(をがは)を 今見れば いよよ清(さや)けく なりにけるかも (大伴旅人 万葉集巻3-316)(20200805神威岬)木綿花ゆふはなに 寄せて返せる 波の音とを まとひて行かむ 渡口とぐちの浜は (偐家持)(20200903渡口の浜)夕されば 伊良部の空は 火と燃えて わが行く旅を 祝(ほ)ぎてもあるか (偐家持)(20200903伊良部島の夕焼け)我妹子(わぎもこ)と たぐひて居(を)れば 大橋の 上にし月の 渡り行く見ゆ (偐家持)(20200903月明りの伊良部大橋)風さやに 青き海原(うなはら) ひとすじの 長橋(ながはし)わたり 鳥となるわれ (偐家持)(20200903池間大橋)帰るさに 空より眺む この旅の 島幸(さ)きくあれ 海もしかあれ (偐家持)(注)偐万葉掲載にあたり、第4句、5句「島も海もみな 幸(さ)きくぞあれと」を修正した。(20200903東平安名崎)五百万いほよろづ までは見が欲ほし 生きて見む 八百万やほよろづなど 先は知らずも (偐家持)昨日今日(きのふけふ) 明日(あす)もまたかく ありなむと 思へど花も 葉も散る定め (桜家持)妹とわれ 恋ひてまた来し 加計呂麻(かけろま)の 実久(さねく)の海の かぎりなき青 (加計麻呂(かけまろ))(20201205実久海岸遠景)吾背子と たぐひて見れば 加計呂麻(かけろま)の 実久(さねく)の青は いよよさやけし (加計麻呂夫人(かけまろぶにん))(20201205ケラマブルー)かたらへば 阿佐の人らの 楽しかり あれやこれやに さ夜更けにける (座間味麻呂)小雨降る 座間味の阿真の 白砂を ふみて見に来し 慶良間の青を (座間味麻呂)(20201205座間味・阿真ビーチ)また来むと 言へば日は射し また来よと 慶良間の青は われに笑みてし (偐岬麻呂)3.利麻呂氏関係(注)利麻呂氏はヤカモチの会社時代にひょんなことで知り合いとなり、今日まで交流が続いている友人。囲碁の会の準メンバーでもある。 偐家持が利麻呂に贈りて詠める歌1首 利麻呂より吉野米送り来れるにお礼として詠める歌1首吉野米 よしと食して よしと言ひし 吉野よき米 よき人よく召す (偐家持)(本歌)よき人の よしとよく見て よしと言ひし 芳野よく見よ よき人よく見つ (天武天皇 万葉集巻1-27)4.冨麻呂氏関係(注)冨麻呂氏は喫茶・ペリカンの家の常連客で、同店で面識を得た知人。 偐家持が冨麻呂に贈りて詠める歌1首とほやまの みねのもみぢば たつきみに かけてぞさきく あれといのらむ (偐家持)(遠山の 峰のもみぢ葉 立つ君に 掛けてぞ幸きく あれと祈らむ)(注)冨麻呂氏が勤務せる会社が遠方に移転するに伴い、同氏の来店も今後なくなるであろうと、喫茶「ペリカンの家」の店主・ももの郎女氏がお別れの寄せ書きをしたためた色紙を冨麻呂氏に贈ることを計画。 偶々その場に居合わせた偐家持も一筆求められたので、この歌をしたためる。 急遽、歌を作り、スマホに下書きしたのであるが、それを色紙に転記する際に、第4句を「かけてぞわれは」と書いてしまったので、仕方なく第5句を「さきくといのらむ」とせざるを得なかったのは残念。本来は上記のように書くつもりであったので、偐万葉には当初に思いついた元歌の方を掲載する。 なお、冨麻呂氏については下記記事参照。 〇自転車を届けて墓参のお付き合い 2020.3.23.5.オガクニマン氏関係(注)国麻呂氏はヤカモチの若い頃からの友人にて、同氏はそのブログではオガクニマンと名乗って居られる。 同氏のブログはコチラ。 偐家持が国麻呂に贈りて詠める歌2首コロナ後ハ イツノコロナレ イヤ待チテ アキズ励メヤ アキハ来ルトモ (ヤカモチ)世にふれば 傷みもぞする あれやこれ 何とは医師も 決めかぬるらむ (加齢家持)6.もりた氏関係(注)もりた麻呂氏は友人のひろみちゃん8021氏のブロ友で、彼女からのご紹介で面識を得た御仁。友人・偐山頭火氏のブロ友でもある。 同氏のブログはコチラ。 偐家持がもりた麻呂に贈りて詠める歌1首木犀の 香りはすれど 太鼓打つ 音はなかりき コロナの秋よ (自粛麻呂)7.日野郎女氏関係(注)日野郎女氏はヤカモチの会社時代の仕事仲間の一人。 偐家持が日野郎女に贈りて詠める歌1首吹く風も くだける波も かなしかり 遠き面影 神威の岬 (偐家持)<参考>過去の偐万葉・どち篇はコチラから。 今年最後の偐万葉シリーズ記事となりましたので、この年末現在の同記事掲載済み歌数を集計すると、ヤカモチ作歌6067首、ブロ友作歌620首、合計6687首となっています。
2020.12.27
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偐万葉・若草篇(その26) 前回に続いて偐万葉記事となります。 若草篇は若草読書会のメンバー関連の偐万葉となります。<参考>過去の偐万葉・若草篇はコチラ。 偐家持が小万知に贈りて詠める歌9首 並びに小万知が返せる歌1首さくら花 コロナの春も をちこちに 見よと変らず 咲きてそあれる (花家持)はしどひは はしに追ひやれ 今はもや ふじの波立つ 青き空見よ (藤家持)かく恋ふと 鳴ける鳥だに 閑古鳥 苦っ苦うなどと 鳩真似なるか (閑古親爺)若草の 園にまた咲く さゆり花 後(ゆり)にも逢はむ 今ならずとも (偐家持) 偐家持が小万知に贈りて詠める歌1首あらたしき 膝関節に とくなじめ それリハビリに やよはげめやも 小万知が返せる歌1首あらたしき 膝関節に 水引きを 結び歩まむ 明日への道を銀輪は やさしきものそ 環境への 負荷はわが吐く 息のみなれば (銀輪家持)風花の 流れきたるか 雪柳 ときじくに咲く 銀輪の道 (雪家持)生駒山 見つつたどれる この道に 人知れずこそ 初雪柳 (柳家持)(ユキヤナギ)凍て蝶に あらぬ我はも 煤籠り 無理と算段 煤逃げの道 (煤逃家持) 偐家持が偐山頭火に贈りて詠める歌6首ほか 並びに偐山頭火が詠める歌2首ほか 偐山頭火氏が贈り来れる句に偐家持が付けたる脇句旅人(たびと)の 宴会要領 新年号 (偐山頭火)みなひとよみて うたをよめとか (偐家持) 偐山頭火が贈り来れる句に偐家持が返せる句智麻呂が 描(ゑが)く野の花 不老不死 (偐山頭火)安倍描(ゑが)く 桜のそのは 不埒不審 (偐家持) 偐山頭火が贈り来れる歌1首並びに偐家持が追和せる歌1首桜散る 頃なコロナと 花筏 流れる先に 下水処理場 (偐山頭火)桜散る 頃にもコロナ 収まらず 桜のことの 疑念も晴れなく (偐家持) 偐山頭火が贈り来れる上3句に偐家持が付けたる下2句トレンクル ダウンヒルとは お気の毒 (偐山頭火) 苦労足リンクルと 人言ふなるか (大伴苦労主)(20200807トレンクル爆発) 偐山頭火が贈り来れる句に偐家持が追和せる歌1首パソコンに 翫ばれて コロナ消時 (偐山頭火)倒れたる ブログの写真 起こしつつ うたてき日々を 過ごしつるかな (偐家持) 偐山頭火が贈り来れる上3句に偐家持が付けたる下2句2例家持が もだえる先の 厠遠し (偐山頭火)もらせどそとに もらさぬもののふ (偐家持)もらせどわれは そとにもらさじ (偐家持)(注)2番目の脇句は偐万葉掲載用に付加したるもの。二千歳(ふたちとせ)も 一日(ひとひ)も何や 違ひある 五十歩百歩の ヤカモチわれは (千歳飴家持)風待ちて モミジバフウも ふんばりつ 枝とふ枝に 実をつけて居り (実家持)(20201210モミジバフウ) 上の歌に追和して偐山頭火が詠める歌1首風待てど コロナコロナが 居座りし お上は行けと gotoの旅 (偐山頭火) 偐家持が追々和して詠める歌2首 風待ちの ちぐはぐお上 みぎひだり 泥縄コロナの 秋から冬へ (偐新感染)Gotoの 旅の所為との 証拠なし 強弁お上の 勉強不足 (強辞苑編集部)(注)偐山頭火氏のブログはコチラ。 偐家持が智麻呂に贈りて詠める歌2首 退院日の決まりたるを喜びて詠める歌1首若草の わが待つ君の 帰り来(く)の 知らせ嬉しみ 朝顔の咲く 退院したるを喜びて詠める歌1首今日今日と 待ちし君はも 涼やかに 青き服着て 笑みてしあれる 偐家持が恒郎女に贈りて詠める歌2首はろばろと たぐひてぞ来こし 年月としつきを 重ねて二千にせん 今日けふ果しつる (偐恒郎女)(2000点目作品)君があたり 見つつや待たむ 生駒山 雲な隠しそ 雨もな降りそ (偐恒郎女)(本歌)君があたり 見つつも居らむ 生駒山 雲なたなびき 雨は降るとも (万葉集巻12-3032) 偐家持がリチ女に贈りて詠める歌1首われもまた ひそかに返さむ ひそかなる 足跡のこし 去りゆくリチ女へ (密家持)(2017.12.7.リチ女氏撮影・名主の滝公園)<追記:2020.12.23.>冒頭の「偐家持が小万知に贈りて詠める歌9首」の「首」が脱落していましたので、これを追補訂正いたしました。
2020.12.22
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偐万葉・ふぁみキャンパー篇(その15) 偐万葉シリーズ第316弾記事です。 ふぁみり~キャンパーさん(偐万葉では「湯麻呂」とお呼びしています。)は今年の1月12日の記事を最後にブログの記事更新をされていません。 隠居ヤカモチとは違って、現役の働き盛りのお忙しい身。ブログどころではないということもあるでしょう。 尤も、同じくブロ友の英坊3氏からの情報によると、お元気にはされているようですが、気が向かないなどのことで暫しブログを休止されているだけとのこと。 そんな次第にてあれば、当分は新しいヤカモチ歌も増えないと見込まれますので、この辺で記事アップするのが適当かと判断した次第。 この偐万葉記事がブログ復活の誘い水になれば幸いであります。 偐万葉シリーズの記事は、ブロ友さんのブログに書き込んだコメントや当ブログへのコメントに対するお返事に付したヤカモチ歌をまとめたものでありますから、ブログを廃されたり、記事更新が休止になると、その反射的効果として当該偐万葉〇〇篇も中断、休止となります。 これまでにも、そんな風にして中断・休止となった〇〇篇は多くあります。そのようなブロ友さんは、松風さん、ビターcさん、カマトポチさん、大和はまほろばさん、真澄さん、nanasuguさん、るるらさん、カコちゃん08さん、木の花桜さん、くまんパパさん、童子森の母さんなどなどであるが、皆さんお元気にされているのかなあ。 皆さんのご健勝を心よりお祈り申し上げる次第。これやこの ゆくもかへるも 記事絶えば しるもしらぬも 楽天ブログ (虫丸 誤撰集 お蔵千人一首)(本歌)これやこの ゆくもかへるも わかれては しるもしらぬも 逢坂の関 (蝉丸 後撰集1090 小倉百人一首10) さて、ふぁみキャンパー篇であります。同氏のご健勝をお祈りしつつ、記事アップであります。<参考>過去の偐万葉・ふぁみキャンパー篇はコチラからどうぞ。 ふぁみり~キャンパー氏のブログはコチラからどうぞ。 偐家持が湯麻呂に贈りて詠める歌18首松に月 釜めしもよし しかはあれ 牡蠣釜めしは 食へぬ身われは (偐釜足) (20190125牡蠣釜めし)雪踏みつ 龍神代参 御朱印の 返しと銘菓 来(く)らくしよしも菓子御朱印 加へてこれに 酒などの あらばさらにも よしとぞ思ふ (20190217龍の恩返し)鹿寄せの ホルンの音(おと)に 動ぜざる 鹿も多かり 健全社会 (非同調家持) いかならむ 御代にしなるや あらたしき 令和の五月(ごがつ) 真夏のごとに姫小百合 吾が恋ひ来れば 五十嵐(いからし)の いたちの萩に 迎へられけり (鼬家持) (20190528姫小百合)それももも すもももももの うちなるに やまももももの うちならざるか (桃太郎) ひまわりの 花うなだれる 畑道の 雨に濡れてる 麦藁帽子 (蝉家持)弥彦(いやひこ) おのれ雨降り ぬかるみの 道はいとへど あぢさゐ見たし (偐嫌彦(にせいやひこ))(本歌)弥彦いやひこ おのれ神さび 青雲の たなびく日すら 小雨そぼ降る (万葉集巻16-3883) (20190721弥彦山の紫陽花)もののふの 八十(やそ)カメムシが 入りまがふ 真弓の葉の上(へ) 人はな触れそ(注)第5句は、初案「人な触れそね」を「人はな触れそ」に修正した。(本歌)もののふの 八十(やそ)をとめらが 汲みまがふ 寺井の上の 堅(かた)香子(かご)の花 (大伴家持 万葉集巻19-4143)それ花火 夜空に咲くを いつ見きや 背子がブログを 見れば恋しも (20190813長岡まつり花火大会)にんにくを いかにかせむか 吾が事に 非ずありけり 妻がまにまに (偐定家)(参考)紅旗西戎吾事ニ非ズ (藤原定家 明月記)暮坂に オートキャンプに 行かむ日は 糧(かて)積みて行け 二食ばかりは (大食家持)(本歌)可敝流廻(かへるみ)の 道行かむ日は 五幡(いつはた)の 坂に袖振れ 我をし思はば (大伴家持 万葉集巻18-4055) (20190823暮坂オートキャンプ場)一服も ままならぬ世や 紅生姜 碁泥のことも 夢のまた夢 (碁偐) あかりばの あかりによりて いやませる やみのふかきに いやされゆくか (陰翳家持) (20190924あかりば) ほどほども なれては足らぬ 心地して 求むはさらに からきものとぞ (激辛式部)(注)第5句は初案「からきものぞと」を「からきものとぞ」に修正。(本歌)知りぬらむ ゆききにならす 塩津山 世にふる道は からきものぞと (紫式部) (20191019激辛カレー)いやひこの 谷のもみち葉 撮り撮りて 今日もわが来し みな人見よと(本歌)ふるさとの 初もみち葉を 手折り持ち 今日ぞわが来し 見ぬ人のため (万葉集巻10-2216) (20191124弥彦もみじ谷の紅葉)飲むからは 酒は飲め飲め 五十嵐(いからし)の 川も飲み干せ 越後武士はも (河内百姓)(本歌)黒田節「酒は飲め飲め 飲むからは・・」(注)掲載の写真はふぁみり~キャンパー氏のブログからの転載です。
2020.12.19
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偐万葉・龍の森篇(その1) 今日から師走。 師走の声を聞くと、何となく気ぜわしくなるというものですが、のんびりと偐万葉和歌でもいかがでしょうか。 ということで、今日は偐万葉シリーズ第315弾の記事です。 今回は、初登場、龍の森氏に関連の歌のアンソロジー。 龍の森氏は今年4月22日に当ブログをご訪問下さり、初コメントを頂戴したことから、ブログ上の交流が始まりました。 従って、未だ7か月余の短いお付き合いに過ぎません。 それでも気が付けば同氏のブログへのコメントに付したヤカモチ歌や同氏からの当ブログへのコメントに対する返事コメントに付したヤカモチ歌が20首を超えていました。 20首を超えると遅滞なく偐万葉〇〇篇として記事にまとめるというのが偐万葉の内規となって居ります(笑)ので、これに従い、偐万葉・龍の森篇(その1)を記事アップします。 偐万葉に於いては、万葉風の名を名乗っていただくことを原則として居りますので、勝手ながら「龍森麻呂(りゅうのもりまろ)」と呼ばせていただくことといたしました。<参考>龍の森氏のブログはコチラ。 偐家持が龍森麻呂に贈りて詠める歌23首ほか天板の 猫のかよひ路 せきとめよ 端材よせ集つめ 切りて削りて (僧正変昭)(本歌)天つ風 雲のかよひ路 ふきとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ (僧正遍昭 小倉百人一首12 古今集872) (20200421猫よけ)いちしろく 花ぎしぎしに 咲けど帰化 長葉のギシギシ 人麻呂は見ず (牧野家持)(注)ナガバギシギシはヨーロッパなどからの後世の帰化植物で万葉の頃の在来種のギシギシではない。 龍森麻呂が作れる句に偐家持がつけたる脇句散歩すら 不要不急の 夏隣 いづちや出口 弱りもぞする (出口内親王)(本歌)玉の緒よ たえなばたえね ながらへば しのぶることの よわりもぞする (式子内親王 新古今集1034 小倉百人一首89)東海の コロナの島の あばら屋に われ持て余し カメラいじくる (出前啄木)(本歌)東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる (石川啄木 「一握の砂」)花落つる こと知る多少 外出を 控へること知れ ひとみな言へる (コロナ政府)<参考>春眠不覚暁処処聞啼鳥夜来風雨声花落知多少 (孟浩然) (20200426新芽出そろうGW前) 龍森麻呂が返しの句3句吾と来て遊び切れない禁宣言 (集近閉) 働けど働けどじっと手を待つ国民は (後言葉上皇) コロナ地理塗るヒネモスまったり (遥か彼方)急(せ)く塞(せ)くと 猫道塞(せ)くは 山鳩の ためにしあれど 急(せ)いてはならじ (鳩山猫助)アトもどり ならぬこの世の ならはしを ものともせぬと ハトもどり来る (鳩山麻呂) (20200502猫よけ再調整)写真だけ とはつれなかり あらためて またもとひ来(こ)よ こころしあらば (偐客寄せ)御影石 切りて並べて さ庭べに たたかひてあり 人なとひそね (偐森八一)あれやこれ 水場つくりの さ庭べの たたかひしばし 置きて芋焼く (偐森八一)ピンコロの 水場つくりて さ庭べに われ自画自賛 人もとひ来よ (偐森八一)(本歌)きくううと つちにまみれて さにはべに われたちくらす ひとなとひそね (会津八一) 龍森麻呂が返せる歌1首褒め殺し おだてに乗るも 後(あと)はなし コンク固まり 吾(われ)もかたまり (20200523ピンコロ水場)わが背子の ゆける鶴見の 川の道を ゆかましわれも 風のまにまに (銀輪家持) (20200526鶴見川の道) 龍森麻呂が作れる句に偐家持が付けたる脇句3句けふはほら どうまっしぐら 捩花の (龍森麻呂)拗ねもせずあり うすべにの色 (偐家持) (20200613ネジバナ)こっちもよ 雨にたたかれ 擬宝珠(ギボウシ)の (龍森麻呂)花は今しも 咲かむとすなり (偐家持) (20200613ギボウシ)もう二輪 しぐれまとふて 山椿やまつばき (龍森麻呂)庭の片隅 照らしてありぬ (偐家持)(注)山椿=ヤブツバキの別名 (20200613夏椿)枇杷の実を 食ひ尽くしたる あだ鴉 ジャンボタニシの 卵食へかし (螺家持)花園の 山桃の実は 熟れたれど 摘む人なかり みな残りたる (種田山桃果)(本歌)わが園の 李(すもも)の花か 庭に降る はだれのいまだ 残りたるかも (大伴家持 万葉集巻19-4140)キーウイの 葉のあるうちに いざ行かな ヒメヨコバイの 赤き翅(はね)見に (偐横持)(本歌)この雪の 消(け)のこる時に いざ行かな 山たちばなの 実のてるも見む (大伴家持 万葉集巻19-4226)夜をこめて 庭木(にはき)に羽化(うか)を はかれるに よもやとあるじ 霧雨をまく (蝉少納言)(本歌)夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ (清少納言 後拾遺集940 小倉百人一首62) (20200819蝉の羽化)渋皮を せっせと剥きて 秋よしと 君は月下に 栗ご飯食(は)む (栗麻呂)<参考句>夜(よ)ル竊(ひそか)ニ虫は月下の栗を穿(うが)ツ (芭蕉「東日記」)夜ノ雨ハ偸(ひそか)ニ石上ノ苔ヲ穿ツ (傅温(ふおん) 和漢朗詠集) 龍森麻呂が返せる歌1首きみとはむ なら渋皮も なんのその 栗や月より 愛でむやは肌 (20200927栗ご飯)真葛原 三年(みとせ)かけてぞ 刈り除(そ)けし 伊豆のことども なつかしかりき (偐龍森麻呂)梟に ほれたからには ほれるなら 梟ほれと 君いふらむか (惚々家持)樫の木に 隙間とられて ひたすらに 板を削りつ さらに削りつ (削麻呂)(参考句)朝顔に 釣瓶とられて もらひ水 (加賀千代女) (20201015樫の木と天板)言足れば 事足るとせよ 足らざるも 足れりとなすは わが身なりけり (偐鎌足)ほろほろと こぼるゝむかご ざるに受け いかにか君は 秋を召すらむ (零余子家持)<参考句>ほろほろとぬかごこぼるゝ垣根哉 (正岡子規) 龍森麻呂が返せる句パタパタと零余子と走る屋根の上 (20201031零余子)腕のほどは ありし昔に かはらねば 見よ玉簾(たまだれ)の これぞゆかしき (御簾家持)(本歌)雲の上は ありし昔に かはらねど 見し玉簾(たまだれ)の うちぞゆかしき (藤原成範 「十訓抄」)(注)謡曲「鸚鵡小町」では小野小町の歌になっている。 龍森麻呂が返せる歌1首玉簾(たますだれ) 深く重ねて 闇黒の あの手この手に 迷える兎 (20201126見し玉簾の)八百万(やほよろづ)の 神も言祝(ことほ)げ 三百万(みほよろづ)の アクセス得たり ヤカモチブログ (偐家持) 龍森麻呂が作れる句に偐家持がつけたる脇句千両の 赤のうるおす 小庭にて (龍森麻呂) ハマチおろして 夕餉を炊ぐ (偐家持) (20201130センリョウ) (20201130ハマチ<イナダ>)<注>掲載の写真は龍の森氏のブログからの転載です。 偐万葉シリーズ各篇の目次は下記です。 その1 その2
2020.12.01
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偐万葉・ビッグジョン篇(その39) 今日は、久々の偐万葉記事です。 最近は、ブロ友さんのブログを訪問することも少なくなり、コメントを残すことも少なくなり、下手な「歌もどき」を作ることも減っている関係で、偐万葉記事のネタとしての歌の数もなかなか増えない、ということで、偐万葉の記事アップが間遠になってしまっています。 直近のものとしては、今年5月30日の「偐万葉・ふらの篇(その9)」になりますので、約半年ぶりの偐万葉記事となります。 偐万葉シリーズ第314弾、ビッグジョン篇(その39)であります。 ビッグジョン篇は昨年の3月以来ですから、1年8か月ぶりということになります。<参考>過去の偐万葉・ビッグジョン篇はコチラ。 ビッグジョン7777氏のブログはコチラ。 偐家持が歩麻呂に贈りて詠める歌22首ほか桜花 塵敷く道を なつかしみ 誘ふか来よと 風の吹くらむ (幻視家持) (本歌)橘の 香をなつかしみ ほととぎす 花散る里を たづねてぞとふ (源氏物語)(20190429花散る道)あゝ五月ごがつ 遠き窓辺に 今日もなほ 薔薇の色にし 風は吹くらむ (本歌)あゝ皐月 仏蘭西の野は 火の色す 君も雛罌粟(コクリコ) われも雛罌粟(コクリコ) (与謝野晶子)わが畑の 隣に咲ける 笹百合の いや年年(としどし)に 見らくしよしも (百合笹麻呂)笹百合の 咲きたる土地の いづくとも 知りえぬ我は かなしきものそ (父子草家持) (本歌)夏の野の 繁みに咲ける 姫百合の 知らえぬ恋は 苦しきものそ (坂上郎女 万葉集巻8-1500)(20190531ササユリ)雨降れば 雨が降るまま 風吹けば 風が吹くまま 自ずからなり (自然居士)阿武山に 眠れる君の ブログ記事 さ無くはいつの ことかと調べ (藤原無駄足) (本歌)玉くしげ みもろの山の さな葛(かづら) さ寝ずは遂に ありかつましじ (藤原鎌足 万葉集巻2-94)(20190627阿武山古墳) 歩麻呂に贈りたる句 木曽殿と 向かひ合せの 小春かな (筆蕪蕉) (元句)木曽殿と 背中合せの 寒さかな (島崎又玄) 歩麻呂が返しの句 木曽殿を 知らぬ肩身の 狭さかな (歩孫)(20191114木曽義仲墓<興禅寺>)わが辞書に 文字のあらなく めし食ふと 店に列なす 人の不可思議 (夜道列樹(よるみちのつらき))夕食と いひて群れなす 人の列 黙し待つ花 くじらなりけり (夜道列樹) (注)花くじら=おでん屋の店名 (本歌)昨日(きそ)といひ 今日(けふ)とくらして あすか河 流れてはやき 月日なりけり (春道列樹(はるみちのつらき) 古今集巻6-341)雪柳 植ゑしは父か 見よとかも ひともと畦(あぜ)に もみぢたりける(20191225ユキヤナギ)そぞろゆけば 春来たるらし フィリピンの 女が一人 魚(さかな)干す橋 (魚麻呂)獺(かはうそ)の 祭にあらね フィリピンの 女が魚(さかな) 干す橋の上(うへ) (松尾魚蕉) (元句)獺(かはうそ)の祭見て来よ瀬田のおく (松尾芭蕉)(20200109橋の欄干に魚を干す女)あをによし 奈良の大路の 山茶花は 見らくしよしも 今盛りなり (銀輪老) (本歌)あをによし 奈良の都は 咲く花の にほふががごとく 今盛りなり (小野老 万葉集巻3-328)大和なれば 笥(け)に盛る飯(いひ)を フィリピンの マニラにあれば バナナの葉に盛る (比律皇子) (注)第4句初案「店にしあれば」を「マニラにあれば」に修正した。 (本歌)家にあれば 笥(け)に盛る飯(いひ)を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る (有間皇子 万葉集巻2-142)(20200121バナナの葉に盛る)佐紀に行く さきに求めよ 大福は 秋篠路には それしなくあり (大家餅)飲み食ひの ならぬ花見も よしとわれ 知らずや年の 波よすらむか (偐歩麻呂) (注)偐万葉掲載にあたり、第5句は、初案「波たつらむか」を「波よすらむか」に修正。 (本歌)さくら花 ちりぬるかぜの なごりには 水なき空に 浪ぞたちける (紀貫之 古今和歌集巻2-89)舞ひ舞ひで きりきり舞ひと わが背子が 褒めし戯(ざ)れ歌 戯(ざ)れてそ褒むや (戯麻呂)ありふれて ある木と君の 言ふなるか 聖なる久木と 呼ばれしわれを (久木赤人) (本歌)ぬばたまの 夜の更けぬれば 久木生ふる 清き川原に 千鳥しば鳴く (山部赤人 万葉集巻6-925)(20200505アカメガシワ)町並みも 移ろふなるか 隣なる 空地の工事 つばらにぞ撮る(20200516隣地工事) ジャカランダいづこ日向のぬかり道 (岬蕉) (元句)笠島はいづこさ月のぬかり道 (芭蕉「おくの細道」)渡島(おしま)それ 道とほければ 岬麻呂の ふみでのみ見る 大雪(たいせつ)の山 (偐家持) (本歌)大江山 いく野の道の とほければ まだふみもみず 天橋立 (小式部内侍 金葉集586 小倉百人一首60)タテ長は 歪むことあり ブログには ヨコ長写真を よしとするなり (横着家持)門前に 散りたるも見む 徒然に あれやこれやの よろず言の葉 (迷言家持)西行の 草の庵の 跡とへば もみぢ葉照りて われのみありぬ (独歩麻呂) (参考句)露とくとく 心みに浮世 すゝがばや (芭蕉) 西行の 庵もあらん 花の庭 (芭蕉) (本歌)とくとくと 落つる岩間の 苔清水 くみほすほども なき住居哉 (西行) (20201109照れるもみぢや・・) (20201109西行庵)(注)掲載の写真はビッグジョン氏のブログからの転載です。<参考>偐万葉シリーズ記事一覧(1)偐万葉シリーズ記事一覧(2)
2020.11.17
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偐万葉・ふらの篇(その9) 本日は、シリーズ第313弾、偐万葉・ふらの篇(その9)であります。 ブロ友、furano-craft氏とのお付き合いは、2013年3月6日に始まります。当時は、楽天プロフィール(以下、「楽プロ」という。2018年2月1日サービス終了)という楽天版ツイッターのようなサービスがあり、楽天ブログ記事を楽プロに自動投稿できるようになっていました。その楽プロにこの日ナイスをしていただいたのが契機となってブログ交流が始まったという次第。 従って、7年2か月のお付き合いということになります。 偐万葉では、例によって、同氏を「ふら麻呂」という勝手名でお呼びさせていただいています。 前回の「ふらの篇」は2017年2月16日でしたから、3年余ぶりの久々の「ふらの篇」であります。<参考>過去の偐万葉ふらの篇はコチラから。 furano-craft氏のブログはコチラから。 同氏経営の木力工房のホームページはコチラから。 当ブログの木力工房関連記事はコチラから。 偐家持がふら麻呂に贈りて詠める歌20首春まけて 碁盤の烏鷺か 麓郷の 道にはだれの 消え残りたる (烏鷺覚え)(本歌)わが園の 李(すもも)の花か 庭に降る はだれのいまだ 残りたるかも (大伴家持 万葉集巻19-4140)(注)春まけて=春が来て 烏鷺=囲碁のことを「烏鷺の戦い」などと言う。 はだれ=薄雪、まばらに積もった雪。麓郷の 槐水楢(ゑんじゅみづなら) クラフトに 森にも我(わ)にも 春は来(きた)れる (森人麻呂)麓郷の 光れる春の 朝食は バターナイフも 水楢がよし (森人麻呂) (20170325水楢のバターナイフなど)これ見よと えぞのオコジョが さししめす 木の葉にいかな 言の葉ぞある (20170328メッセージスタンド)削りたる ちさき鉋(かんな)と い並びつ 春待つらしも 槐(えんじゅ)の靴べら (箆(へら)家持) (20170407槐の靴ベラ)平昌(ピョンチャン)の 花火と共に 我が背子の 帰りぞ来たる 二月九日(にがつここのか)まだ森は 雪に閉ざしつ しかすがに 春は背子にし 今日立つらむかわが辞書に 無き気温なり 氷点下 21度の 富良野の朝よ (20180209麓郷の森)スプーンひとつ 仕上げるごとに われはまた 元気を木より 貰ひてぞ来(こ)し (匙麻呂) (20181209スプーン)ああ富良野 白銀(しろがね)の野よ いや遠に 神さび白き 十勝の山よ (山部白人(やまべのしろひと)) (20181213富良野)富良野原に 雪踏みしめて 立つ鹿の 姿見る日々 冬もかなしき (犬丸大夫)(本歌)奥山に もみぢふみわけ 鳴く鹿の こゑきくときぞ 秋はかなしき (猿丸大夫 古今集215 小倉百人一首5) (20181219蝦夷鹿)北の地の 木地師にあれや 我背子の つくる富良野の 木の皿よしも (惟喬偐王)(注)惟喬親王=文徳天皇第一皇子。木地師の祖とされる。 (20190125木力工房)吹かば吹け 夜半の嵐の 何かせむ 今日一日(けふいちにち)を 生きむ我なり麓郷の 森はまだ雪 残しつつ 春の光は 背子が肩辺(かたへ)に (20190322靴ベラ)マンホール 臍の祭と ある富良野 背子より写真 はるばる届く(関連句)旧里(ふるさと)やへその緒に泣(なく)としの暮(芭蕉 「笈の小文」) (20190329富良野市のマンホール)焼き入れの 槐(かい)の香すがし welcome(ウェルカム)の 文字に吹き来(こ)よ はつ夏の風 (ウェル亀家持) (20190508槐の木でWelcomeボード)われらまた 此処に集ひて ワン・チーム ともにし生きて ともにしなさむ (麓郷麻呂) (20191202森の妖精たち)皐月闇 照らせ真白き その花の 色も祈りの エゾエンゴサク (白家持) (20200510白花エンゴサク)富良野より コロナの禍(まが)を 祓へとか ここだうれしき 勾玉届く勾玉を 魔除け槐( えんじゅ)の 木でなすは 君が祈りか ありがたかりき (槐の勾玉 製作:furano-craft氏、撮影:ヤカモチ) (20190129furano-craft氏アトリエ)(注)掲載の写真はfurano-craft氏撮影または同氏ブログからの転載です。
2020.05.30
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偐万葉・どち篇(その5) このところ、「花」カテゴリの記事ばかり続いていますので、ちょっと気分転換です。 偐万葉シリーズ、第312弾、偐万葉・どち篇(その5)とします。<参考>過去の偐万葉・どち篇はコチラから。1.岬麻呂関係 偐家持が岬麻呂に贈りて詠める歌20首 わが背子の さきくあれとそ さきしまに さがりばなはも 咲きのこりたる (20191225<247>サガリバナ)緋桜の 妹との旅の 名残りとて 虹も立ちける 残波(ざんぱ)の岬 (偐岬持) (20200208<249>残波岬) はろばろと 来(こし方思ほゆ 妹と我 虹も二輪に 立ちてぞあれる (偐虹持)ゆるやかに 時は流るる 与那国に 恋ひてそわが来(こ)し 風さやに吹け (偐岬持)樫の実の 一人行くらむ わが背子の 西の果てなる 与那国の旅日の本の 西の果てなる 今日の日の 最後の夕日 見らくしよしも (夕日家持)砂踏みつ 蘇鉄トンネル 越え行けば 金見が崎に 灯台見ゆる (偐岬持)徳之島の 北の果てには 花崗岩の 筵あるとふ いざ行きて見む (偐岬持)ほのほしの 浜に寄す波 いちしるく 白木綿花(しらゆふはな)に 咲きてそあれる (偐岬持)綾糸の 手毬の岬(さき)の へに立ちて 君しなに問ふ 青海原(あをうなはら)に (偐岬持)あかあかと はるか室戸の 岬(みさき)より 夜は明けゆきぬ 土佐の旅かな (偐岬持) (20200325<253>室戸岬を望む夜明け)20200325<253>白石の 千本桜 帯にして 花越しはるか 雪山蔵王 (雪花家持)若松の 城はひがんの 盛りにて 染井吉野は まだかと待ちぬ (鶴家持)大峠 のこれる雪を 踏み来れど いまだふふめり 上杉ざくら (米沢家持)石鳥居 烏帽子の杜に 高々と 花まとひつつ 青空を突く (烏帽子家持) (20200416<247>烏帽子神社)鶴岡は 花の盛りぞ 酒汲みて 清兵衛殿と 見むよしもがも (たそがれ家持)花日和 日和の山を わが二人 行けば酒田は 春盛りなり (花岬持)最上川 そひつつ行けば 新庄の 園に人なく 花のみぞ咲く (新型家持)将棋盤も 手持無沙汰か 人ひとり 花が見てゐる 天童公園 (コロナ家持)岬めぐり とて始めたる 麻呂の旅 いつよりなりし マンホール旅 (人孔家持)(注)1.掲載の歌、写真は岬麻呂旅便りシリーズ記事に掲載の歌の再掲載です。 2.掲載写真は全て岬麻呂氏撮影によるものです。 3.岬麻呂旅便り記事はコチラから。 4.岬麻呂関係歌はどち篇(その1)(その3)(その4)にも掲載。2.愛媛関係 愛媛は「めごひめ」と読みます。ヤカモチがつけた勝手名です。 愛媛さんは、ヤカモチ馴染みの喫茶店・ペリカンの家に時々お手伝いに来て居られる薫郎女さん(店主のももの郎女さんのご友人でもある)のお嬢さんです。今年から小学1年生の可愛い女の子であります。 偐家持が愛媛に贈りて詠める歌1首貝貝と わがめご比売(ひめ)は 宮古島の 旅づとなりと くれにしわれに (貝家持)(本歌)今日今日と わが待つ君は 石川の 貝に交(まじ)りて ありといはずやも (依羅娘子(よさみのをとめ) 万葉集巻2-224) (20200405宮古島の貝)3.オガクニマン関係 オ氏はヤカモチと入社同期にて若い頃からの長い付き合いの友人。 偐家持がクニ麻呂に贈りて詠める歌3首これやこの 知るも知らぬも 居並びて 待つ苦もなきや 花くじらの前 (鯨家持)(本歌)これやこの ゆくもかへるも わかれては しるもしらぬも 逢坂の関 (蝉丸 後撰集1090 小倉百人一首10)めぐりあひて 語ればそれとも 思はぬに 写真に撮れば 老いの集まり (老式部)(本歌)めぐりあひて みしやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな (紫式部 新古今集1497 小倉百人一首57)コロナ冷え かこつオ氏より 架電あり よしなしごとの あれやこれやを (冷和家持)(注)オガクニマン氏のブログはコチラから。<参考>偐万葉・オガクニ篇はコチラから。4.もりた麻呂関係 もりた麻呂こともりた氏はひろみの郎女さんのご紹介で面識を得たお方です。友人の偐山頭火氏のブロ友でもいらっしゃいます。 偐家持がもりた麻呂に贈りて詠める歌2首さくら花 ちりぬる風の なごりとて 菜の花畑に 黄なる波立つ (黄貫之)(本歌)さくら花 ちりぬる風の なごりには 水なき空に 浪ぞたちける (紀貫之 古今和歌集巻2-89)いとまあらば たずねきてみよ らくらくの 登山道なり 枚岡の山 (枚岡家持)(注)もりた氏のブログはコチラから。 もりた麻呂関係歌はどち篇(その4)にも掲載。 今回の偐万葉・どち篇(その5)掲載のヤカモチ歌26首を加えて、偐万葉掲載のヤカモチ歌累計総数は5940首になりました。 これを関係個人別に集計すると、100首以上になるお方が18名居られますので、ランキング表風にまとめると次の通りです。1位 713首:ビッグジョン7777氏、2位 583首:英坊3氏、3位 435首:松風氏、4位 380首:大和はまほろば氏、5位 341首:ひろろdec氏、6位 340首:木の花桜氏、7位 286首:ひろみちゃん8021氏、8位 272首:真澄氏、9位 243首:ふぁみり~キャンパー氏、10位 238首:小万知氏、11位 237首:ふろう閑人氏、12位 174首:偐山頭火氏、13位145首:るるら氏、14位 135首:童子森の母氏、15位 133首:furano-crft氏、16位 130首:カコちゃん氏、17位 128首:もも☆どんぶらこ氏、18位 115首:カマトポチ氏 以上です。緊急事態宣言は今月末日まで延長ということが正式に決まったようですが、皆さまに於かれましても、ご自愛専一、どうぞお元気にお過ごしになられますように。感染は なほ警戒を 要すれば 今しばらくの 自粛願はむ (偐政府)Stay Home 見えぬコロナの 対策は 人皆貝に なれよと言ふや (蜆麻呂)厳しきを 耐へたる人に みなあれな アフターコロナの 日の本行かむ (難行)(本歌)さびしさに 堪へたる人の 又もあれな いほりならべん 冬の山里(西行 山家集503)
2020.05.04
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偐万葉・閑人篇(その13) 花と戯れているうちに、ふと気づけば、ふろう閑人氏関連の偐万葉歌がいつの間にやら20首を超えていることに気づきました。 ということで、今日は久々の偐万葉シリーズ記事となります。 シリーズとしては第311弾、閑人篇としては一昨年、2018年5月30日以来の、その13となります。 ふろう閑人氏は偐万葉では京閑麻呂(みやこのひままろ)と呼ばせていただいて居りますが、ビッグジョン氏のご紹介で同氏のブログを初訪問させていただいたのが2013年12月18日ですから、6年4か月のお付き合いになります。<参考>過去の偐万葉・閑人篇はコチラから。 ふろう閑人氏のブログはコチラから。 偐家持が閑麻呂に贈りて詠める歌23首からたちに なれる黄金(くがね)の まろき玉 とらむと咲くは ぬすびとの萩 (揚羽蝶) (20100930カラタチとアレチヌスビトハギ)よきどちと ふろう閑人 いましけむ 生石(おひし)の原は 見るにさやけし (生石原主閑人(おひしのはらのあるじひまじん))(本歌)大汝(おほなむち) 少彦名(すくなひこな)の いましけむ 志都(しつ)の岩屋は 幾代経ぬらむ (生石村主真人(おひしのすぐりまひと) 万葉集巻3-355) (20181004生石高原)もみつ葉の ときにあらずも 今熊野 道をたづねな 南無観世音 (観音家持) (20181116今熊野観音寺)わが背子が 見せつ丸山 千枚田 ともに見し友 この夏逝けり我が見しは さみだれの頃 霜月の 枯れたる色の 棚田もゆかし(本歌)薄衣(うすぎぬ)の 立ち流れゆく 霧の間に さみどり深く 棚田の在りき (偐家持) (20181129丸山千枚田)何願ふ ことしなけども 清閑寺 要(かなめ)に立ちて 京(みやこ)眺めむ (静観家持)(本歌)願いあらば あゆみをはこべ 清閑寺 庭に誓いの 要石あり (作者不詳)世を捨てし 身の幸(さいは)ひと 清閑寺 人なき山の 花をまた見む (静観家持)(本歌)年を経て 世にすてられし 身の幸は 人なき山の 花を見るかな (与謝野礼厳)(注)与謝野礼厳=与謝野鉄幹の父。妻を亡くして清閑寺に隠棲した。 (20190113清閑寺の要石)言の葉も 移ろふものぞ 常磐なる 松のさ枝も 結ばれなかり (言家持)(本歌)八千種の 花は移ろふ 常磐なる 松のさ枝を 我は結ばな (大伴家持 万葉集巻20-4501) (20190823手押し式ポンプ)なしのきの はぎのまつりの ちかづけば いにしへおもほゆ はなのしたかげ (偐条夢見)(本歌)ゆのはらに あそぶあしたづ こととはむ なれこそしらめ ちよのいにしへ (三条実美)(注)梨木神社=三条実美を祀る神社 (20190918梨木神社境内・湯川博士歌碑)用無しと 過ぎて高きは 切りて捨つ 棕櫚も酒楼も 同じなりける (伐家持) (20200105棕櫚の木)菜畑や 琵琶のさざ波 花越しに 雪いただける 比良の山々 (菜花家持)破れ鐘 見むとて背子は ブロ友の 記事に引かれて 薬師寺参り (偐家持)ゆく春の 大和の国の 薬師寺の 塔もついでと 破れ鐘見に (偐木閑綱)(本歌)ゆく秋の 大和の国の 薬師寺の 塔の上なる 一(ひと)ひらの雲 (佐々木信綱 「新月」所収) (20200325薬師寺の鐘)薬師寺に 破れ鐘なし 吊り替へを すでにしなすと てらびとの言ふ (閑田部皇子)(本歌)勝間田の 池は吾(われ)知る 蓮(はちす)なし しか言ふ君が 鬚なきごとし (万葉集巻16-3835) (20200325202003薬師寺と大池)敷島の 大和の桜 いたづらに 咲きか散るらむ コロナの春に (新型家持)菜にあらば 咲かざるうちが 花なれど 花にしあらば 咲きてこそなれ (菜花家持)いがみあひは むなしきものぞ ちからあはせ ころなにむかへと みかみのたまふ (さくらまろ)世の人は 我をぼろとも 言はば言へ わが咲く時は 我なりに咲く (偐野襤褸菊)わが咲くを ぼろと見るなら ぼろと見よ うらの錦は われのみぞしる (道端襤褸馬)(本歌)世の人は われをなにとも ゆはばいへ わがなすことは われのみぞしる(坂本龍馬)わが背子が スズメノテッポウ 見つけしと 聞くもうれしみ 見まくの欲しき (偐無鉄砲)やへむぐら 繁れる見むと わが背子は 徒歩(かち)にてあるか コロナの春は (葎家持)八重葎 汝(な)れも友なれ コロナ禍の 徒歩(かち)のほかなき 道をし行けば (むぐら閑人) (20200420ヤエムグラ)人影の 絶えたる街に またもあれな 道行く人と ならび行く日の (苦行 町家集)(本歌)さびしさに 堪へたる人の またもあれな 庵並べん 冬の山里 (西行 山家集513) (20200425コロナ下の京都)(注)1.掲載の写真は全てふろう閑人氏のブログ記事からの転載です。2.今回の記事を以って、偐万葉シリーズに掲載の歌数は全6528首(ヤカモチ歌5914首、ブロ友歌614首)となりました。3.偐万葉シリーズ記事一覧目次 その1. その2.
2020.04.26
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偐万葉・若草篇(その25) 本日は、偐万葉・若草篇です。 偐万葉シリーズ第310弾になります。 先の記事、第25回和郎女作品展を見ていて気付いたのは、同作品展の記事本文に記載したヤカモチ作の歌や句も偐万葉・若草篇の対象にしていいのではないかということでした。 それで、過去に遡って調べてみると、和歌モドキが22首、俳句モドキが11句もありました。 かくて、若草篇(その25)を記事アップいたす次第に御座候。<参考>過去の偐万葉・若草篇はコチラ。 偐家持が小万知に贈りて詠める歌1首黒べこの さき越し行きし 白鼠 来たりて今年 干支(えと)みな揃ひ (干支家持) 偐家持が偐山頭火に贈りて詠める歌4首ほか 並びに偐山頭火が詠める句4句花とふは あまたにあれど わが花は 野に咲く花を 花とや言はむ (野原家持) 偐山頭火が贈り来れる句に偐家持が返せる句 野分行き 門も払わる 彼岸の宇 (偐山頭火) まったく 門が無い 石榴も無口 (偐田家持) (元句)まったく 雲がない 笠をぬぎ (種田山頭火)大和古寺 めぐれる旅も 大和柿 今しくやしも くひそこねたる (柿本人並) (20191202百寺巡礼 撮影:偐山頭火氏) (20191202大和柿 撮影:偐山頭火氏) 偐山頭火返しの句 大和寺は 百柿繚乱 食い放題 (柿喰麿) 偐山頭火が贈り来れる句並びに偐家持が追和せる歌1首 よい湯から良い兎が出た (偐山頭火) (元句)よい湯からよい月へ出た (種田山頭火 「草木塔」)フェニキアの 中将姫かな タオル見て これエスパーニャと 思ひたるらむ (ヒスパニック家持)(注)イスパニアという名前は、フェニキア人がこの地(スペイン)に生息するウサギを見て、ハイラックスと誤解して、ハイラックスの地(エスパーニャ)と名付けた、というのがその名の起源と言われている。 (河内温泉大学のタオルで作られた兎) 偐山頭火が贈り来れる句に偐家持が追和せる歌1首 読書会 八(末)広がりで 作品展 (偐山頭火)郎女の 歳やいくつと なとひそ 娘十八 番茶も出ばな (偐家持)<参考>偐山頭火氏のブログはコチラ。 偐家持が和郎女作品展に寄せて詠みたる歌21首ほか <第2回展> 飛び梅も 明けて咲くらむ 牛の歳 (筆蕪蕉) 春立つを 鬼も待つらむ 豆炒る香 (筆蕪蕉) (20090216春立つを) 香具山の うらに雛壇 桃の苑 (筆蕪蕉) (20090216香具山の) 長谷寺の 牡丹見て来よ 雨ぽつり (筆蕪蕉) (20090126長谷寺の) 蝶の来て あやめの風に 鯉のぼり (筆蕪蕉) (20090126蝶の来て) 紫陽花の 色それぞれの 雨は降り (筆蕪蕉) (20090126紫陽花の) 朝顔に 消(け)のこる露も 空の色 (筆蕪蕉) (20090126朝顔に) <第3回展>朝顔の 浴衣のをとめ 手に持てる 袋に赤き 金魚のひとつ (偐家持) (20090601朝顔の) 中秋の 玉兎の餅の つくを見む (筆蕪蕉) (注)玉兎=ぎょくと。月に棲むとされ、転じて月そのものも意味する。 (20090601中秋の) 雀らも 稲刈り待ちて かしましき (筆蕪蕉) (20090601雀らも) クリスマス キャロルの道に 雪の舞ふ (筆蕪蕉) (20090601クリスマスキャロル) おひばねの 音の途切れて 笑ひ声 (筆蕪蕉) (20090601おひばねの) <第5回展>コスモスの 花咲きぬれど 愛(は)しき子の 笑みはも遠き 白雲の影 (偐家持) (20091002コスモスの)白雪の 消(け)のこる朝に うすべにの をとめ椿は 一輪咲きぬ (偐家持) (20091002白雪の) <第6回展>ちんちろりん 知る人ぞ知る 高砂の 松もサンタの 友にしあらむ (ちろりん村のサンタ) (20100211ちんちろりん) <第8回展>うすべにの 梅の花咲き 白雪の 卯の初春の めでたかりけれ (偐家持) (20110126うすべにの)南天の ひとつこぼれぬ 雪明かり 雲間漕ぎ行く 月讀壮士(つくよみをとこ) (偐家持) (20110126南天の)桜花 咲き散るなへに 夕月の 霞みかかれり 生駒高嶺は (偐家持) (20110126桜花咲き散るなへに) <第9回展>うめの花 さくやふふむや 暁(ぎやう)闇(あん)を ひらき卯の年 初春の朝 (偐家持) (20110211うめの花さくや) <第11回展>六地蔵 ならぬ五龍の ゴリュージャー ゴレンジャーには 似て非なる龍(りゅう) (偐龍麻呂) (20120129六地蔵ならぬ) <第13回展>牡丹咲き 蝶舞ひ来れば 石橋(いははし) の 下に仔獅子は 遊ぶとあらし (偐家持) (20130504牡丹咲きて)ももさくら すみれたんぽぽ なのはなに わらびつくしの はるさかりなり (にせやかもち) (20130504ももさくら)風光る 卯月は過ぎて 風薫る 五月なりけり 青葉ぞさやぐ (偐家持) (20130504風光る)こひのぼり よりまさどのか たちかぶと おきてまよひぬ あやめかもちか (にせやかもち) (鯉<恋<>のぼり 頼政殿か 太刀兜 置きて迷ひぬ 菖蒲か餅か) (20130504こひのぼり) <第14回展>うちはなれば 冬には出さじ 朝顔の 花とし思へど 今日のみ出でよ (偐家持) (20140202うちはなれば) <第15回展>めぇ~うめぇ~ 梅咲きたりと 鳴くなるは パネルが下の 草食(は)まむとや (春羊) (20150202めぇ~うめぇ~)春野焼く 野火も見えずは 金村(かなむら)も 困りもぞする 羊らの群れ (羊金村) (注)金村=笠金村 (本歌)・・春野焼く 野火と見るまで 燃ゆる火の・・ (笠金村 万葉集巻2-230)若草は 牛が食(は)むよし ひつじらは 呼ぶに及ばず わが読書会 (若草老) (20150202若草は) <第18回展>壁掛けの 押し絵の鶏(とり)の しだり尾の ながくは持たず はや届けなむ (鶏家持)(本歌)あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかもねむ (柿本人麻呂 拾遺集778 小倉百人一首3) (20170130壁掛けの)押し絵嵌め 苺と椿 並べるは 掛け軸やそれ 垂れもこそすれ (苺内親王家椿) (本歌)おとにきく たかしの浜の あだ波は かけじや袖の ぬれもこそすれ (祐子内親王家紀伊 金葉集501 小倉百人一首72) (20170130押し絵嵌め) <第20回展>寄り添ひて たぐひてあらな 高々に 二人の月は 欠けたるもなし (偐家持) (20170628寄り添ひて 追記:小万知氏撮影) <第25回展>梅一輪 咲きて二人し たぐひつつ 添ひてしあれば 何か求めむ (偐鼠持) (20200202梅一輪)(注)過去の和郎女作品展掲載写真の再掲載です。 偐万葉・若草篇なのか和郎女作品展なのか訳の分からぬこととなりましたが、こういう構成になるのは今回限り、今後は歌数もバランスのとれた構成になろうかと思います。
2020.02.14
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偐万葉・英坊篇(その37) 今年最初の偐万葉は、英坊篇であります。 英坊篇(その37)は偐万葉シリーズ第309弾となります。 また、英坊篇は一昨年の4月14日以来ということになります。 <参考>過去の英坊篇はコチラからどうぞ。 英坊3氏のブログはコチラからどうぞ。 偐家持が英麻呂に贈りて詠める歌21首 並びに英麻呂が詠める歌10首ネタやネタ 夢にミタネタ 見ネタネタ 醒めてそのネタ ガセネタのネタ寝てもネタ 起きてもネタの ネタ探し 寝たら特ダネ 起きてガセネタタネ無しの 葡萄西瓜は よかれども ブログのネタ無し 如何にとやせむあらたしき 道の駅なる 雨晴(あまはらし) 行きてぞわが見む 立山(たちやま)の峰 (曇家持)(20180514道の駅・雨晴)今日(けふ)見れば 田(た)居(ゐ)に求食(あさり)す 合鴨の 鳴きつつ行くか 明日(あす)の身知らずも (鴨救命) (注)初案「明日の身知らず」を「明日の身知らずも」に修正した。(20180708田居の合鴨)百種(ももくさ)の 言(こと)持ち過ぎて あぢさゐの 花は遅れて 今しも咲くや (偐娘子) (本歌)この花の 一枝(ひとよ)のうちは 百種(ももくさ)の 言(こと)持ちかねて 折らえけらずや (娘子 万葉集巻8-1457)(20180819紫陽花)高岡の 君が貼り絵も 笠立てて 三つ並びたる 秋の香ぞよし (本歌)高松の この峰も狭(せ)に 笠立てて 盈(み)ち盛りたる 秋の香のよさ (万葉集巻10-2233)(20181015松茸の貼り絵)君が代の うたへるごとや 細石(さざれし)も 踏みて君あれ 岩となるまで (踏家持) (本歌)信濃なる 千曲の川の 細石(さざれし)も 君し踏みてば 玉と拾はむ (万葉集巻10-3400)まだ秋やと 言ふ人あれど 空き家とは 空しく柿の 鈴なりの空 (柿右衛門)あるじ無き 家にしあれば いたづらに なりて空しく 熟柿となるか (柿右衛門)いかがせむ 柿のはなしも 葉が少し 残りてあれば はなしにならぬ (柿坊3)(20181127熟柿)意のあらば 汲まぬ身はなし 春は花 秋は実となり 君や待つらむ (種家持) 英麻呂の句に偐家持が付けたる脇句 鹿煎餅 試食自分で 鹿怒り (英麻呂) しかにしかられ いたしかたなし (偐家持) (注)いたしかたなし=「致し方なし」と「痛し、形無し」とを掛けている。三十万(みそよろづ) 数へて鰤と 来たる背子 見るは嬉しも つつがなくあれ (鰤家持) 英麻呂が贈り来れる歌1首に偐家持が返せる歌1首なにげなく 見過ごしさうな 鳥どりの 様をつばらに 観るは楽しも (偽僧正)わが背子に 鳩と雀は 今日見せつ 鷹と燕も いつか示さむ (河内黒人) (本歌)吾妹子(わぎもこ)に 猪名野(ゐなの)は見せつ 名次山(なすきやま) 角(つの)の松原 いつか示さむ (高市黒人 万葉集巻3-279) 英麻呂が贈り来れる歌3首道中の 訪ね処の 楽しさと 懐かし時に こころ癒さる健友と 語り和みて 勇を得し 偽の家持 脚と輪軽し学び舎の 名は晴嵐の 名の付けの 由縁知りたし 凡人ゆえに 偐家持が返せる歌1首名の由来 思ふにきっと これなるか 近江八景 粟津の晴嵐 英麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が和せる歌1首体調の 落ちのカバーを 酒に依り 復を願うが そのカネも無し (英麻呂)シロガネも クガネも玉も 何せむに まされる宝 カラダに及(し)かず (酒上憶良)(本歌)銀(しろかね)も 金(くがね)も玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも (山上憶良 万葉集巻5-803) 英麻呂が贈り来れる句に偐家持がつけたる脇句 あわてもの 書いて失敗 頭かく (英麻呂) こともなきなり われにもありき (偐家持) 英麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が和せる歌1首出不精を 楯に居座る ひま爺 足腰痛に 責を負せる (英麻呂)出不精に 筆蕪蕉なる ヤカモチも 今日ばかりはと 出掛けつるかな (偐家持) 英麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が追和せる歌1首煤はらう ハタキ雑巾 すがた消し あるはモップに 空気清浄機 (英麻呂)煤払ひ 言(こと)にのみあり 払ふべき 煤もなけれど 煤逃げわれは (煤逃家持) 英麻呂が贈り来れる句に偐家持が付けたる脇句 囲炉裏なし 炎煙も絶えて 風情消え 炉端にあらぬ 炉端焼きあり 英麻呂が贈り来れる歌2首並びに偐家持が追和せる歌2首あこがれて こころに震るう 絵ごころも 基は未熟で もろに筆折り (英麻呂)老兵は 事の無き内 身を保身 半世紀余で 免許返上 (英麻呂)筆折るも 心のうちに 絵は描(か)かな 筆とる時の またもあるらん (偐家持)銀輪の 老兵なるわれ 返すべき 免許もなかり 懲りずまに乗る (銀輪家持) (注)初案「懲りずや乗れる」を「懲りずまに乗る」に修正した。 英麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が追和せる歌1首源にある 元気やる気が 身に力を 苦も楽に換え 笑みの我が顔 (英麻呂)身のほどは かねて知るなり わが輪行 国内(くぬち)にとどむ カナダは難(かた)し (老輪家持)(注)掲載の写真は英坊3氏のブログからの転載です。 偐万葉シリーズ記事一覧はコチラとコチラから。
2020.01.03
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偐万葉・どち篇(その4) 本日は、偐万葉シリーズ第308弾、どち篇(その4)です。<参考>過去の偐万葉・どち篇はコチラから。1.岬麻呂関連 岬麻呂氏は「岬麻呂旅便り」の記事でお馴染みの友人ですから、当ブログのご常連読者の皆さまにはご説明するまでもないでしょう。 偐家持が岬麻呂に贈りて詠める歌10首馬ヶ背に 白木綿花(しらゆふばな)に 咲く波の 音もとどろに 日向の岬 (日向岬・馬ヶ背)岬麻呂 昼餉に川のり 召すらしも 椎葉の蕎麦に 合ふとし聞けば(注)第5句初案「合ふと聞くらし」を「合ふとし聞けば」に修正。(本歌)雄神川(をかみがは) くれなゐにほふ 娘子(をとめ)らし 葦附(あしつき)採ると 瀬に立たすらし (大伴家持 万葉集巻17-4021)(注)雄神川=富山県の庄川のこと。 葦附=藍藻類ネンジュモ科の淡水藻。 赤い裳の少女たちが川に入ってアシツキを採っている景色。多くの少女たちの赤裳で庄川が紅色に染まって光り輝いているようであるという春の景色。 (椎葉の天然川のり)岬麻呂 なれば行くほか なかるべし 雨でも都井(とゐ)の 岬馬(みさきむま)見に (都井岬・岬馬)凪ぐ海や 佐渡をかすめて 日の沈む (筆蕪蕉)(関連句)荒海や 佐渡によこたふ 天河(あまのがは) (芭蕉 おくのほそ道)鳩間島 かよへる舟の なくあれば 渡るはかたし 見つつもあらむ (岬鳩麻呂)八重山に 咲ける緋桜 つばらに見む 家なる妹が 待ち問はむため (偐岬麻呂)(本歌)難波潟 潮干(しほひ)のなごり 委曲(つばら)に見む 家なる妹が 待ち問はむため (神社忌寸老麻呂(かむこそのいみきおゆまろ) 万葉集巻6-976)そぞろ行く 旅なる人や 石垣の 里にうらうら 春日は照れる石積める 人はな絶えそ 石垣の 里の眺めの さきくあれかし夏の海に 我が恋ひ来れば 神の島 うまし海ぞ かまめ飛び立つ初秋と 友にし恋ひて 夫婦旅 またも来にけり 富良野やよしと (偐岬麻呂)敷島の 大和の秋の 始まりを 見むと来にけり 大雪十勝 (偐岬麻呂)(注)この項に掲載の写真は岬麻呂氏の撮影によるものです。2.楽老関連 楽老氏は大学同期の友人です。 偐家持が楽老に贈りて詠める歌1首我が園に 楽老来たる 久しぶり 浜よりこよひ 流れ来たるか(本歌)わが園に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の 流れ来るかも (大伴旅人 万葉集巻5-822)3.久麻呂関連 久麻呂氏も大学同期の友人です。 偐家持が久麻呂に贈りて詠める歌1首ふたつみつ 実のはじけたる つりばなの 見らくしよしも 秋深みかも (ツリバナ<久麻呂氏撮影>)4.越の郎女関連 越の郎女さんは、富山県のご出身で、ヤカモチが馴染みにしている喫茶店「ペリカンの家」の店員をされていた方。現在は退職されて新しい目標に向かって勉強をされています。 偐家持が越の郎女に贈りて詠める歌1首妹が行き日(け) 幸(さ)きくあれかし 桃の花 咲きて匂へり 言祝(ことほ)ぐならし5.寺麻呂関連 寺麻呂氏はヤカモチと入社同期の友人。ヤカモチ同様、今は退職し悠々自適の身。尤も、ヤカモチの場合のそれは遊々時咳(遊び呆けて時に咳)でありますが。 偐家持が寺麻呂に贈りて詠める歌1首家持の 古跡(こせき)とはむと わが行けば 懐かし君の 声も来(きた)れる6.オガクニマン関連 オガクニマン氏も入社同期の友人。偐万葉・オガクニ篇にまとめた時期もありましたが、最近はこの「どち篇」に収録することとしています。 偐家持がクニ麻呂に贈りて詠める歌5首 意にそふも そはんもひとの それぞれに あれば知らざり あだるとわれは (大人家持)(注)「喫茶Adult(アダルト)」「喫茶Soin(ソワン)」という喫茶店が隣り合っていたことに因んでの歌。妻退院 日の決まりたるを うれしみと 君言ひ来たる 五月(ごがつ)は晴れて(注)うれしみと=「うれしいので、と」。「形容詞+み」で「~なので」という意味になる。行くのみの 戻る海図の 無き艦隊 片道切符の 移行措置なり (ヤフー連合艦隊)(注)初案「移行措置 片道切符 行くのみの 戻る海図の なき艦隊」の第5句が字足らずなので修正。君行くは アメブロなるか われはまだ いづこと決めず 風を見て居り (風狂家持)(注)ヤフーブログがサービス停止となるに関連して詠める歌。ビルの上は ありし昔に 変らねば 見しあれこれも 今は覚えず(本歌)雲の上は ありし昔に 変らねど 見し玉簾の 内ぞゆかしき (小野小町)<参考>オガクニマン氏のブログはコチラ。7.もりた麻呂関連 もりた麻呂氏はブロ友と言うべきか。今年8月10日にひろみの郎女さんからのご紹介で面識を得ました。その後当ブログ記事にもコメントを頂戴するなどがありましたが、同氏のブログの所在が分からず当方からの訪問を果たさぬままに時日を徒過していました。しかし、本日11月9日そのブログの所在を調べ、初訪問、初コメントを果たしたという次第。 偐家持がもりた麻呂に贈りて詠める歌1首コスモスの 花を見つつや 過ぎし日の こと思ほゆる 小春日の朝 (20191103武庫川コスモス園<もりた氏撮影>)<参考>もりた氏のブログはコチラ。
2019.11.09
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偐万葉・若草篇(その24) 本日は、偐万葉シリーズ第307弾、若草篇(その24)とします。<参考>過去の偐万葉・若草篇はコチラから。 偐家持が小万知に贈りて詠める歌14首ほかヤカモチの 心のほどは 秘したるも しらず色にぞ 出でてもあるか (丸秘家持)親鳥も ももの思ひも みな人の 思ひも同じ 無事に巣立てと (鳩居堂仙人)旅立ちの 日には贈らむ ひと枝の 言の葉添へて 山鳩の歌 (鳩居堂仙人)(20181129キジバトのヒナ)ああ師走 山橘の 実をめでる ゆとりの欲しと 小万知や走る煤逃げの ヤカモチわれは なんのかの 言ひて銀輪 徘徊の日々白い蘭を 智麻呂さんが 絵にかいて くれたので今日は 蘭記念日です (俵小万知)(本歌)「この味がいいね」と君が言ったから 七月六日はサラダ記念日 (俵万智)(20181213智麻呂絵画展)若草の 春待つ山の辺 行く道に 石蕗(つはぶき)咲くなる 岩陰にして(水原王)(本歌)吉野なる夏実の川の川淀に鴨そ鳴くなる山陰にして(湯原王 万葉集巻3-375)腰痛の おそれある身は そのポーズ まだとりもせず 天の橋立 (小式部外侍)(本歌)大江山 いく野の道の とほければ まだふみもみず 天の橋立 (小式部内侍 金葉集586 小倉百人一首60)ひさかたの 雨も降らねば 蓮葉(はちすは)に 溜れる水の 玉見ずわれは (空梅雨小町) ひさかたの 雨も降らねば 蓮葉に 一滴水を 垂らしても見む (空梅雨家持)(本歌)ひさかたの 雨も降らぬか 蓮葉に 溜れる水の 玉に似る見む (万葉集巻16-3837)蕪村殿 句碑十三基 梅雨に濡れ(元句)鳥羽殿へ 五六騎いそぐ 野分哉 (蕪村)京の夏 ひねもす蕪村 蕪村かな(元句)春の海 終日のたり のたりかな (蕪村)耳よりの 話は耳の 日にあれな 鼻の日などは 口惜しきこと (目家持)逝く夏を 惜しみて鳴くか 法師蝉 わが待つ秋に 恋ひてこそ鳴け (蝉家持)葦の丈 長くそなりぬ 堀に入り 刈りにか刈らむ 見つつか居らむ (言はぬ媛皇后)(本歌)君が行き 日(け)長くなりぬ 山尋ね 迎へか行かむ 待ちにか待たむ (磐之媛皇后 万葉集巻2-85)小万知さんが いいことあるよと くれたから 今日はぼくらの 四つ葉記念日 (五葉松) 偐家持が偐山頭火に贈りて詠める歌8首ほか 並びに偐山頭火が詠める歌2首ほか柿積めば 医者が詰むなり 西吉野 (まさか子規)薮医者は 柿で八年 永らへて 薬師(くすし)は柿を 煎じたりして (桃栗病院)わが山の 柿の実なるか 庭に積みし 今年の柿の 残りたるかも (吉野柿持)(本歌)わが園の 李(すもも)の花か 庭に落(ふ)りし はだれのいまだ 残りたるかも (大伴家持 万葉集巻19-4140)上首尾と ならぬが上用 饅頭と 栗のごとには ならぬも道理 (栗饅頭火) 偐山頭火が贈り来れる句に偐家持が付けたる脇句花弁(はなし)の 落ちをさがしつ 落ちが無く (お粗末山頭火) 発見率に 落ちをぞ見しか (落ち武者火)欲は捨て 蓮のうてなに われはもや 極楽とんぼと なりて憩はな (銀やんま) <替え歌>奥田池(偐木ひろし) 時の流れに 流されて ずっと忘れて いたけれど 蓮の葉っぱに 奥田の池を 思い出してる 二人の爺よ <元歌>千曲川(五木ひろし) 水の流れに 花びらを そっと浮かべて 泣いたひと 忘れな草に かえらぬ恋を 思い出させる 信濃の旅よ 偐山頭火が贈り来れる句に偐家持が付けたる脇句うろ覚え 覚醒すると 恥ずかしき (偐山頭火)玉と拾はむ 細石(さざれし)もなし (偐家持)(本歌)信濃なる ちくまの川の さゝれしも きみしふみては 玉とひろはむ (万葉集巻14-3400) 偐山頭火の贈り来れる歌1首に偐家持が追和せる歌1首閉鎖とは さを差すものぞ ヤフー殿 八十のネットで 怪しき我とは (闇山頭火)(本歌)紫は 灰指すものぞ 海石榴市(つばいち)の 八十の衢(ちまた)に 逢へる児や誰 (万葉集巻12-3101)ソフトとは やさしきものを 閉鎖とは ヤボのヤフーの 仕草にしあり (愚痴家持)(本歌)忘れ草 わが下紐に 着けたれど 醜(しこ)の醜草(しこぐさ) 言(こと)にしありけり (大伴家持 万葉集巻4-727)きみが行き われは後追ふ あべの筋 呼びやとめむか 待ちにか待たむ (言はん之媛皇后)(本歌)君が行(ゆ)き 日(け)長くなりぬ 山尋ね 迎へか行かむ 待ちにか待たむ (磐媛皇后 万葉集巻2-85)(20190728磐之媛万葉歌碑・偐山頭火氏ブログより転載) 偐山頭火が返せる歌1首我が行き 君が呼び止め 後ずさり 難解本線 半解途中 (小言聴かん徳)(注)難解本線=南海本線 半解途中=阪堺(線)途中あびるほど 食ふことなかれ にんにくは あひるの肉に 合ふも合はずも (家鴨家持)モネの真似 してもみよとか 睡蓮の 写真を置きて 偐頭火去り (山頭水) 偐山頭火氏が贈り来れる句に偐家持が付けたる脇句西洋の 坊主に描かる 高野くん (偐坊主)それ南無三や 大日如来 (偐こうや)<参考>偐山頭火氏のブログはコチラ。
2019.09.17
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偐万葉・もも篇(その6) 久しぶりの偐万葉シリーズ記事(第306弾)です。 最近は下手な戯れ歌作りにも些か飽きて来たのか、それとも単なるズボラ癖か、歌を作ることも少なくなっているようで、偐万葉記事も間遠になっていますが、気が付けばももの郎女さん(ブログのハンドル名は「☆もも☆どんぶらこ☆」さん)関連の歌が20首を超えていました。 このところは雨続きにて、銀輪散歩もままならずとあっては、偐万葉シリーズ記事は、ネタ不足を補うというその本来の意義・効用を「大いに発揮」であります。<参考>過去の偐万葉・もも篇はコチラ。 ☆もも☆どんぶらこ☆さんのブログはコチラ。 偐家持がももの郎女に贈りて詠める歌22首ほか 並びにももの郎女が詠める歌4首我が行きは 三日は過ぎじ 鳩のひな ゆめペリカンを 巣立ちなせそ (石切鳩麻呂)(本歌)わが行きは 七日はすぎじ 竜田彦 ゆめこの花を 風にな散らし(高橋虫麻呂 万葉集巻9-1748)(20181202キジバトのヒナ)山鳩は いづち行かめや わが来るを 待たず巣立てる 今し悔しも (遅刻家持)(本歌)愛(かな)し妹を 何処(いづち)行かめと 山菅(やますげ)の 背向(そがひ)に寝しく 今し悔しも(万葉集巻14-3577)ペリカンの 家に昼過ぎ わが来れば 巣立ちて鳩の 姿見えなく (遅刻家持)(本歌)珠洲(すず)の海に 朝開きして 漕ぎ来れば 長浜の浦に 月照りにけり (大伴家持 万葉集巻17-4029)(20181204キジバトの巣立ち)美しく 見よ美しき 言(こと)つくせ それ美しき 人にやあらむこれやこの 知るも知らぬも 皆来たり 寄りて憩へと ペりカンの家 (桃の郎女)銀輪も 二輪ほどには あたたかく 梅の花咲く 道をし行けば (銀輪家持)(関連句)梅一輪 一輪ほどの あたたかさ (服部嵐雪 玄峰集)(20190111梅) ももの郎女が返せる歌1首二輪咲き 枝先かほる 梅の花 心華やぐ 春のおとずれ (ももの郎女)竹富の みちは花咲く 白きみち 人の影なく 時はとまりぬ春浅み ほつ枝咲くとも 梅の花 いまだふふめり 中つ枝しづえ(注)ふふむ=含む。蕾である。ゆく雲の 白きも悲し 青空の やさしき伯父は みまかりましぬ西空を 流れて雲の 真白きを かなしと君を われ見送らむ梅の花 今を盛りと 咲きぬれど われはさぶしも 君しあらねば楽天に ブログ開きて 二年(ふたとせ)の 迎へぞ梅も 今盛りなり (ペリ家持)日帰りを 三日かけての 春ブログ のたりのたりと 天の橋立(20190324天橋立)復活の つるにちにちさう まづ一輪 枯れてののちも 咲かむと咲きぬ (日々家持)わが庭の 隅に枯れぬと 諦めし 花の奴の いま咲きかかり (庭隅皇女)(本歌)家にありし 櫃(ひつ)に鍵刺し 蔵(をさ)めてし 恋の奴(やっこ)の つかみかかりて (穂積皇子 万葉集巻16-3816)(20190411ツルニチニチソウ)使へぬと ありし文字をば 鍵とすに 刺しといふ字の 紛れ込み来て (紛家持)花の力 侮るなかれ 実のならば 疾くや摘みませ ナガミヒナゲシ (虞美人)(20190412ナガミヒナゲシ)あぢさゐの 自由奔放に 咲くごとく 人もしかあれ 野にあるごとく(本歌)あぢさゐの 八重咲くごとく やつ代にを いませわが背子 見つつ思(しの)はむ (橘諸兄 万葉集巻20-4448)(20190529紫陽花) ももの郎女が返せる歌1首紫陽花の 葉の裏に付く 蝸牛 刹那の時を のたりと歩く (自由な蝸牛)梅雨時は ひねもす読書 読書かな (偐蕪村)(元句)春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな (蕪村) <「千曲川」の替え歌> ひとりたどれば 流れ藻の ごとや悲しき 鴨の川 なびく草波 くだれる岸の 道なお遙か 銀輪の旅 (元歌詞) ひとりたどれば 草笛の 音色悲しき 千曲川 寄せるさざ波 暮れゆく岸に 里の灯ともる 信濃の旅よ幸せの 四つ葉六とふ 完全数 揃へて額に めでたかりけり (イエス・ヤカモチ) ももの郎女が返せる歌1首四つ葉見て 数えて嬉し 夏の夜 山見てみると 銀河鉄道(20190816四つ葉のカタバミ)一人行く 筈の下見も 二人して 行けばいかにも 楽しかりける (銀輪家持)(本歌)二人行けど 行き過ぎがたき 秋山を いかにか君が ひとり越ゆらむ (大伯皇女 万葉集巻2-106) ももの郎女が追和せる歌1首無理言って 同行させて 頂いて 走る大和路 楽しかりける (☆もも☆どんぶらこ☆)子を乗せる チャリは無かりき 何せむか 苦肉の策の いかにかあらむ (ペリカン・ヤカモチ)(注)9月29日の策で苦肉の策という駄洒落その道を 行くべき日もや 初秋の 澄みあきらけく 晴れてもあれや (ペリ家持)(本歌)この里は 継ぎて霜や置く 夏の野に 吾が見し草は もみちたりけり (孝謙天皇 万葉集巻19-4268)(20190825西大寺)(注)掲載の写真は☆もも☆どんぶらこ☆さんのブログからの転載です。
2019.08.28
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偐万葉・ひろみ篇(その15) 久々の偐万葉シリーズ記事です。 最近は、ブロ友氏のブログ記事に書き込む歌も減少気味にて、偐万葉シリーズの記事アップが間遠になっていますが、そんな中で、気が付けばひろみちゃん8021氏関連の歌が20首を超えていましたので、同シリーズ第305弾、ひろみ篇(その15)をアップします。 <参考>過去の偐万葉・ひろみ篇はコチラ ひろみちゃん8021氏のブログはコチラ 偐家持がひろみの郎女に贈りて詠める歌22首 並びにひろみの郎女が返せる歌3首散椿(ちりつばき) 咲くをし待ちて つらつらに 百代(ももよ)に見ませ 千歳(ちとせ)をかけて (万才家持)春花も 散りてののちは もみち葉も 塵にしあると 箒の妹は (塵家持)金剛寺 先越されては もみつ葉の 二番煎じの 種とやならむ (後祭家持)(本歌)わが頼む 西のはやしの 梅の花 みのりの花の 種かとそ見る (後村上院 新葉和歌集) (2018.11.27.金剛寺) ひろみの郎女が返せる歌1首金剛寺 ヤカモチさんの ブログ待つ 高い視線が ひろみと違う (先越しひろみ)凡人に あらぬ凡鬼の 名がすでに 非凡と言ふの ほかなかるべし (凡瓜)うしろ髪 持たぬ女神に 逢ふことも なけど日々無事 今年も暮れぬ (暮家持)疲れたる からだに風呂の よきごとに よしやこころに 智麻呂絵画 (偐家持美術館)まぐはしと 岬の麻呂の バラの花 妹載せたるか 今日のブログにはつはつに 見たる岬の 麻呂が薔薇 つばらに今日見つ 妹がブログに (2018.12.27.岬麻呂のバラの花)帰るさに 佐保の御陵(みささぎ) 吾(あ)が来れば 音もさやけし 松風渡る(本歌)妹に恋ひ 吾(あが)の松原 見渡せば 潮干(しほひ)の潟に 鶴(たづ)鳴き渡る (聖武天皇 万葉集巻6-1030)(注)吾の松原=四日市市の海辺、朝明の行宮に近い場所。わが背子と 二人眠れば いくばくも 佐保吹く風の 寒からなくに (偐皇后)(本歌)吾背子と 二人見ませば いくばくか このふる雪の うれしからまし (光明皇后 万葉集巻8-1658) (2019.1.3.聖武天皇陵)天平の 御代(みよ)遠そけど 百鳥(ももどり)の 声はここだも 佐保のみささぎ(注)第4句は、初案「声はここだに」を「声はここだも」に修正した。 ここだ=幾許。こんなにも多く、こんなに甚だしく。 数量が多い、程度が甚だしいことを示す副詞。わがひとり くればふくかぜ おときよみ みたましづもる みささぎのみち年明けの アケビコノハの めでたかり 春咲く花や 秋の実待たむ (蛾家持) ひろみの郎女が返せる歌1首安眠を 妨げごめん この春に お目見え願う アケビコノハよ (2019.1.11.アケビコノハ)道東の 春は光に のみありて まだとけやらぬ 冬の雪原(ゆきはら) (北家持)春草の 芽吹くとならし 蝦夷鹿の い群れて食(は)める 野付(のつけ)のみさき (北家持)老草の 身も若草と なる花見 令和の春も ともにし見むや (大袈裟旅人) ひろみの郎女が返せる歌1首お花見で 心はいつも 中学生 昭和平成 令和を共に (若見せひろみ) (2019.4.7.若草読書会お花見)難波津に あらぬ大路の 青柳に かこち顔なり 遣唐使船 (大和部西成)(本歌)難波津(なにはと)を こぎ出て見れば 神さぶる 生駒高嶺に 雲ぞたなびく(大田部三成 万葉集巻20-4380) (2019.4.15.復原遣唐使船)さやさやと 吹く風の道 当麻道(たぎまぢ)ゆ 御所(ごせ)にしいたる 宇智(うち)にしいたる(本歌)ほろほろと なく山鳥の 声きけば 父かとぞ思ふ 母かとぞ思ふ (行基) (2019.5.9.九品寺)先達の なきもよきかな うら返す よき口実と 屁理屈法師 (閑法師)月讀(つくよみ)の 持てる変若水(をちみづ) い取り持ち 変若(をち)得ることを われは願はず (老家持)今更に 空し悲しと 言ふべきや もとより塵の 身にてある我 (塵家持)(本歌)をのこやも 空しくあるべき 万代に 語り継ぐべき 名は立てずして (山上憶良 万葉集巻6-978)蝉しぐれ 降るわが庭に 翅休め 撮れと言ふらし ツマグロヒョウモン (2019.7.28.ツマグロヒョウモン)(注)掲載の写真はひろみちゃん8021氏のブログからの転載です。
2019.07.29
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偐万葉・ひろろ篇(その19) 久々の偐万葉シリーズ記事です。 偐万葉シリーズとしては第304弾の記事となる、ひろろ篇(その19)であります。 気が付けば、ひろろdecさん関連の歌が既に20首を超えていましたので、記事にまとめることとしました。 ひろろ篇は2017年1月13日以来ですから、2年4ヶ月ぶりになります。 <参考>過去の偐万葉・ひろろ篇はコチラからどうぞ。 ひろろdecさんのブログはコチラからどうぞ。 偐家持がひろろの郎女に贈りて詠める歌24首ほかわが里は まだ雪降らず 会津嶺(あひづね)の 妹が里には 二尺も積むに (難波天候)(本歌)わが里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 降らまくはのち (天武天皇 万葉集巻2-103)老いてゆく 己が身のほど 面白う 見るは気のほど いまだ若かり (大伴若持)かささぎの わたせる橋は なくあれど 柳津(やないづ)の町に 降れる白雪 (虚空蔵家持)(本歌)かささぎの わたせる橋に おく霜の しろきをみれば 夜ぞふけにける (大伴家持 新古今集620 小倉百人一首6) (↑20170210福満虚空蔵菩薩円蔵寺の撫牛) (↑20170210會津柳津町)盛り上がる 話に水を さすは烏滸(をこ) 写真に電線 写るは迂闊 (電線あっても飯豊) (↑20170320飯豊連峰)少女たち そのけがれなき まなざしを 花とやなしつ 明日は咲けかし(本歌)少女たち 開口(あぐち)の神の 樟(くす)の木の 若枝さすごと のびて行けかし (与謝野晶子) (↑20170514「まなざし'17」)踏切を 絵に描く君を 絵にせむと 囲める絵かきを 知らざりし君 (↑20170702踏切博士のY君)デジカメは わが宝物 愛犬の 散歩の時も 手放すべきや (額田少女)(本歌)三輪山を しかも隠すか 雲だにも 心あらなむ 隠さふべしや (額田王 万葉集巻1-18) (↑20170702デジカメと少女)作品は しばし試作に とどむべし めぐし孫らの 帰り来ぬれば (ひろろの刀自) (↑20170808「奏でる女性のエスキース」)髪飾り やや桃色に 頑是なき 女童(めわらは)今日は 自恃のあるごと (もも白書) (↑20171114ピンクの髪飾り) うしろの席で しぐれ煮食ふか (牛山頭火) (元句)うしろすがたの しぐれてゆくか (種田山頭火)わが君は いづくありしや 留守居とは ふて寝のエルに なるのほかなき (エル麻呂)蜜柑置き 待てお手伏せと リュウならぬ ひろろの刀自に われ遊ばれつ (エル麻呂)われはもや ふて寝などせじ 絵を描くとふ 刀自(とじ)の臥せにし 応へたるまで (エル麻呂)留守居なる エルとひろろを わが見れば かくにやあると 言ふのほかなき (↑20180209「える(部分)」)猪苗代湖 めぐれる道の いかにかも 行きて見が欲し もみぢ葉照るを (銀輪家持)猪苗代 いくのの道の 遠ければ いかがすべきと 決めかねつつも(本歌)大江山 いく野の道の とほければ まだふみもみず 天の橋立 (小式部内侍 金葉集586 小倉百人一首60) (↑20181101「磐梯」)ふるさとは 空も水面(みなも)も 金色(こんじき)の 慈愛の色に 染みて暮れゆく (偐中也)この年の よきもあしきも 押し包み 蜜柑の色に 暮れても行くか (偐中也)<参考>中原中也の詩「夕照」、「冬の長門峡」 (↑20181228暮色))なにあれど なんくるないさ なるやうに なるしかなけれ なるやうになる (やかもち)臈たけき 若きをみなの 眼差しは 光の春を 告げるとならし (↑20190217春の予感)もの思(も)へば 悲しと春は 娘子(をとめ)らに 微塵(みじん)の光 降り注ぎつつ (↑20190316春愁)プリマベーラ 目覚めの季節 会津嶺へ 届けむ笑みの ヴィオロンの声 (↑20190316会津ジャーナル表紙)しあはせは スープのむとき あたたかき 香をおしつつみ これをのむとき (偐曙覧)寒き日に 疲れ帰れば われを待つ 母のスープの 香のあたたかき (↑20190505「スープ」)猫だにも 恋ふるときあり 風をだに 君とし待てば かなしきろかも (猫家持)(本歌)君待つと 我(あ)が恋ひをれば 我(わ)がやどの 簾(すだれ)動かし 秋の風吹く (額田王 万葉集巻4-488)風をだに 恋ふるはともし 風をだに 来むとし待たば 何か嘆かむ (鏡王女 万葉集巻4-489) (↑20190515「気配」)(注)掲載の写真、絵画はひろろdecさんのブログからの転載です。
2019.05.16
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偐万葉・ビッグジョン篇(その38) 偐万葉シリーズ第303弾、ビッグジョン篇(その38)をお届けします。 ブロ友・ビッグジョン氏(当偐万葉シリーズでは交野歩麻呂<かたののほまろ>とお呼びしている。)とは、間もなく丸8年と10ヶ月になるという、長いお付き合いであります。<参考>過去の偐万葉・ビッグジョン篇はコチラ。 ビッグジョン7777氏のブログはコチラ。 偐家持が歩麻呂に贈りて詠める歌20首 並びに歩麻呂が詠める歌1首花よりも 葉よりも実なり こむらさき 枝垂れて秋の わが庭飾れ (偐紫田舎源氏)おほなみは 北斎極めり ささなみの 舟遊びなどせむ 家持われは (波家持)良心の うらにのっぴき ならぬわけの 清麻呂も居る 岡山なれば (和気不知麻呂)岡山に 旭川流る 旭川に 難波田(なんばだ)川の 流るるごとに (夕日家持)(注)偐万葉掲載に当たり、第5句初案「流るごとくに」を「流るるごとに」に修正。下仁田の 葱こそよしと わが背子は 十年(ととせ)交野(かたの)に それや作れる (葱原俊成)御崎馬も 都井の岬も いつ見きか 師走日向の 旅行く背子の山茱萸(さんしゅゆの 実は鈴生りに いとこみな 継ぎて歩かむ 長寿の道を (氷室歩人)(20190104いとこ会)(20190104山茱萸の実)幾山河 越えさり行けど 締切の なき国なかり 今日もあくせく (若山渇水)(本歌)幾山河 越えさり行かば 寂しさの はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく (若山牧水)卯の花の 匂ふ垣根に 忍び鳴き 五月雨降れば はばからず鳴く (偐不如帰)(本歌)郭公(ほととぎす) 忍ぶ卯月も 過ぎにしを なほ声惜しむ さみだれの空 (西行 山家集197)向島(むかひしま)の 海に生きたる 男逝く 日焼けたる笑み のこしてわれに (偐歩麻呂)悲しみの 海とやなりぬ しまなみの 泣けとごとくに とどろ寄す波 (偐歩麻呂)吹く風も 寄せ来る波も さやさやと 君待つらむぞ 波照間(はてるま)の海あらたしき 年の初めに ブロ友が どちの替え歌 詠むはうれしも (船酔王(ふなよひのおほきみ))(本歌)あらたしき 年の初めに 思ふどち い群れて居れば うれしくもあるか (道祖王(ふなどのおほきみ) 万葉集巻19-4284) 歩麻呂が詠める替え歌1首あたらしき 年の初めに いとこみな 集いていれば うれしくもあるか (歩麻呂)(20190201枚方駅前アワーズキッチン)コンドイの 浜にはならぬ ホテルなど 建ててはならぬ 許してはならぬ (竹富家持)(20190211コンドイリゾートホテル建設反対運動)それ栗と 鼠と栗鼠と 栗鼠猿を 並べてみたし やいまの村に (鼠小僧)(20190214リスザル)団栗を 持てど鼠は 栗鼠ならず 栗鼠に似たれど 栗鼠猿は猿 (栗鼠小僧)それ栗鼠は 鼠に非ず 栗鼠猿も 栗鼠には非ず 猿にあるべし (猿小僧)リストラも 近頃見ザル 聞かザルか されば言はザル リスザル我は (偐三猿)(20190214リスザル・三猿)ブログにて 鹿寄せしかと 見し背子に 行くまでもなしと 言はす薮蛇 (薮鹿家持)近々に 裏の敷地に 家が建つ 撮ればブログの ネタもザクザク (正直家持) (20190306裏の敷地に家が建つ)(注)掲載の写真はビッグジョン氏のブログからの転載です。
2019.03.16
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偐万葉・童子森の母篇(その9) 本日は、偐万葉シリーズ第302弾、偐万葉・童子森の母篇(その9)とします。偐万葉への記事アップはヤカモチ歌の数が20首以上になった時、というのが自主ルールとしていますが、童子森の母さんは、昨年の3月23日の記事を最後にブログ更新が途絶えていて、ヤカモチ歌も増える気配なしであります。よって、16首と20首に満たないのでありますが、わが偐万葉用メモ帖の整理をする意味もあって、記事アップといたします。 童子森の母さんは津軽ご在住のブロ友さん。 2010年6月22日に当ブログに初訪問・コメントを下さったことからの交流ですから、8年7ヶ月余のお付き合いになります。 当初は、童子桜郎女と偐万葉風にお呼びしていましたが、ご自身で森華郎女と名乗られましたので、2011年12月からは偐万葉でのお名前も森華郎女と改名させていただきました。 前回の童子森の母篇は2014年8月16日記事ですから、久々の童子森の母篇になります。<参考>過去の童子森の母篇はコチラからどうぞ。 童子森の母氏のブログはコチラからどうぞ。 偐家持が森華郎女に贈りて詠める歌16首 並びに森華郎女が詠める歌2首狭手彦(さでひこ)も 領巾(ひれ)振りけらし 今見れば 桜佐用姫 帰りてありぬ (あべのこべまろ)(本歌)萬代に語り継げとしこの嶽(たけ)に 領巾(ひれ)振りけらし松浦佐用比売(まつらさよひめ)(万葉集巻5-873) 海原の沖行く舟を帰れとか 領巾振らしけむ松浦佐用比売 (万葉集巻5-874)(20140817クーとポポ)人の目も 何はばかるや クーとポポ たづさひありて たぐひてい寝し (津軽猫持)(本歌)人も無き 国もあらぬか 吾妹子と たづさひ行きて たぐひてをらむ (大伴家持 万葉集巻4-728) 森華郎女が追和せる歌1首いそがしき 生活(くらし)のなかに 猫おりて その愛おしき 姿やすらぐ (石川の森)(20140826クーとポポ)割れぬべき 時知りてこそ 世の中の めがねもグラス 眼鏡屋もたすく (細川グラス屋)(本歌)散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ (細川ガラシャ)木蓮の 実のものものし 庭に出で 名月今かと われは待ちつつ(20140908モクレンの実)春立ちて 北の国なる 桜CAFE 忙中閑あり けふはあくらし (クーのポポ麻呂)(20160210クーとポポ)クーとポポ そひてたぐひて 今日もかも コシコシガシガシ 春待つらしも (猫丸大夫)(20160312クーとポポ爪のお手入れ)ふたとせも 眠れる森の 母なれば ブログも勝手 違ひとなりぬ (寝過ぎた母)津軽野に あさる雉(きぎし)の ごと響(とよ)め 妹があたりを それとや知らむ (雉家持)(本歌)春の野に あさる雉(きぎし)の 妻恋(つまごひ)に おのがあたりを 人に知れつつ (大伴家持 万葉集巻8-1446)(20180303クー君の手)あれやこれ 事件起こして 猫のふく 何処ふく風と 二部にし続く (連ドラ猫)幸運の 女神に後ろの 髪無けど われは幸福(ふく)猫 前ひげのあり (幸福猫)幸運の 女神は前髪 のみなりて 幸福(ふく)猫われは 前ひげのみぞ (幸福猫)幸福の 猫にしあれど 後ろひげ なしとて尻尾 つかむはならじ (幸福猫) 森華郎女が追和せる歌1首幸運の 女神きたるが くじ外れ 福に願掛け 再度挑戦 (宝童子) 偐家持が追追和せる歌1首幸福の 猫にしあれば 前ひげを つかみてしかと くじけずに行け (ニャン家持)(20180313幸福という名のネコ)ダニ予防 手落ちなるかや 猫だにも 心つくして 処置なすべきを (ニャン家持)(本歌)三輪山を しかも隠すか 雲だにも 情(こころ)あらなむ 隠さふべしや (額田王 万葉集巻1-18)(20180315猫だにも)ドラ猫に われはあらねど なほ続く 事件の数々 連ドラの猫 (ドラえもん)(注)初案「連ドラ猫か」を偐万葉掲載に当たり「連ドラの猫」に修正しました。われはもや 元気を得たり みな野良の 得がてにすとふ ねぐらも得たり (津軽猫足)(本歌)われはもや 安見児得たり 皆人の 得かてにすとふ 安見児得たり (藤原鎌足 万葉集巻2-95)(20180316元気という名のネコ)(注)掲載の写真は童子森の母氏のブログからの転載です。
2019.01.31
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偐万葉・ふぁみキャンパー篇(その14) 今年最初の偐万葉シリーズ記事(第301弾)は、ふぁみキャンパー篇(その14)です。 ブロ友・ふぁみり~キャンパー氏のブログへのコメントに付した歌や当ブログへの同氏からのコメントへの返事コメントに付した歌を集めたものが、ふぁみキャンパー篇であります。 この偐万葉記事では、同氏のことを万葉風に「湯麻呂」とお呼びして居りますが、その湯麻呂殿とのブログ交流のきっかけは、下記の4番目の歌の本歌として掲載している高安王の万葉歌に詠われている「伊久里の杜」が関係しています。(注)伊久里の杜については当ブログ下記記事参照 天理から奈良へ銀輪散歩(その3) 2011.1.16. 富山県高岡市ご在住のブロ友、英坊3氏が、ご自身のブロ友が、この伊久里の杜のことを記事にして居られるとして、同記事をご紹介下さり、これを訪問、コメントを残したのが、ブログ交流の最初でありました。 2012年5月22日のことであります。(注)ふぁみり~キャンパー氏の「伊久里の杜」に関する記事は下記です。 大平森林公園キャンプ場・・・ 2012.5.17. 上の説明では、この記事にコメントを残したような記述になっていますが、実際に初コメントを残したのは、2012.5.20.の下記記事でありました。 新しい温泉(越後とちお温泉 おいらこの湯) 従って、同氏とのブログ交流も間もなく丸7年になるという次第。 前回(その13)のふぁみキャンパー篇は昨年の3月1日ですから、それ以降のものがこの篇の対象です。 折しも今日は宮中歌会始めでありました。それにかこつければ、今日は当ブログの「偐万葉始め」という次第。<参考>過去の偐万葉・ふぁみキャンパー篇はコチラからどうぞ。 ふぁみり~キャンパー氏のブログはコチラからどうぞ。 偐家持が湯麻呂に贈りて詠める歌21首桜花 散りぬる風の なごりとて 四月といふに 雪ぞ降りける (越貫之)(本歌)桜花 散りぬる風の なごりには 水なき空に 波ぞ立ちける (紀貫之 古今集89)七夕は ありし昔に 変らねど 過ぎたる雨の 西ぞかなしき (災害小町)(本歌)雲の上は ありし昔に 変らねど 見し玉簾(たまだれ)の 内ぞゆかしき (能「鸚鵡小町」)茄子獅子唐 人参玉葱 ズッキーニ エリンギアスパラ 夏野菜カレー(本歌)萩の花 尾花葛花 瞿麦(なでしこ)の花 女郎花また藤袴 朝貌の花 (山上憶良 万葉集巻8-1538)(20180811夏野菜カレー)君が家の 燕の杜か 藤の花 来て見むいつか 今ならずとも (偐安王)(本歌)妹が家に 伊久里の杜の 藤の花 今来(こ)む春も 常かくし見む (万葉集巻17-3952 高安王)三国山 をちこちあれば いづれとも ひとが言ふまま われ決めかねつ (三国家持)(本歌)三国山 木末(こぬれ)に住まふ むささびの 鳥待つごとく 我待ち痩せむ (万葉集巻7-1367)犬上の 不知哉(いさや)の川の 彼岸花 不知哉と告(の)らず 君の撰べる (不知家持)(注)不知哉=「さあ、どうなんでしょうね、存じません」の意。 湯三昧酒を愛でつつかにかくに 旅をつづけな湯麻呂しわれは (代作家持)荻もよし 薄(すすき)もよしや 夕月の 花穂が末(うれ)に かかれる秋は (荻萩家持)山鳩も 里に巣作り すなるかや 人の気配で 烏避(よ)くらし (鳩家持)火(ほ)明かりの闇に溶けゆくもみつ葉の 見らくしよしももみち谷弥彦 (夜家持)伊夜彦(いやひこ)の火(ほ)明かり照らすもみち葉の いかにと今日(けふ)も恋ひて吾(あ)が来(こ)し (偐ふぁみ麻呂)(20181125弥彦もみじ谷公園)千里眼 さほどになきか 激辛に 君なれゆきて からきもなしと (辛式部)知りぬらむ 日ごとに馴るる 辛味にて 過ぎて馴るるは 身にはあしきと (辛家持)(本歌)知りぬらむ ゆききにならす 塩津山 世にふる道は からきものぞと (紫式部 紫式部集23)(20181201東京駒場千里眼監修辛辛辛まぜそば)かもなりと かもかもせむは 怠惰かも いかなるかもか つばらにぞ見よ (鴨照明)(本歌)凡(おほ)ならば かもかもせむを かしこみと 振りたき袖を 忍びてあるかも (遊行女婦児島 万葉集巻6-965)瓢湖には すだく鴨あり 指折りて かき数ふれば 十種(とくさ)なる鴨(鴨上憶良) カルトモエ ハシビロヒドリ マにコにオナガ ミコアイサ キンクロハジロ ホシハジロこれ (鴨上憶良)(注)鴨の種類=カルガモ、トモエガモ、ハシビロガモ、ヒドリガモ、マガモ、コガモ、オナガガモ、ミコアイサ、キンクロハジロ、ホシハジロ(本歌)秋の野に 咲きたる花を 指折りて かき数ふれば 七種(ななくさ)の花 (山上憶良 万葉集巻8-1537)萩の花 尾花葛花 なでしこの花 女郎花 また藤袴 朝がほの花 (同上 万葉集巻8-1538)(20181208瓢湖)越後なる ブロ友湯麻呂 伊予の湯の 記事書かしけむ 年は知らずも(本歌)ももしきの 大宮人の 熟田津(にきたづ)に 船乗(ふなのり)しけむ 年の知らなく (山部赤人 万葉集巻3-323)わがフォトは いづち行かめや フォト蔵の 操作のミスの 今なほ悔し(本歌)愛(かな)し妹を 何処(いづち)行かめと 山菅(やますげ)の 背向(そがひ)に寝しく 今し悔しも(万葉集巻14-3577) 吾背子を いづく行かめと さき竹の 背向に寝しく 今し悔しも(同巻7-1412)(20181223愛犬、光くん)幸せの 黄なるポストは 山幸と 妻とのふみに 寄せしと言へり (偐幸彦)(関連歌)赤玉は緒さへ光れど白玉の 君が装(よそ)ひし貴くありけり (豊玉姫 古事記歌謡) 沖つ鳥 鴨著(ど)く島に 我が率寝(ゐね)し 妹は忘れじ 世の悉(ことごと)に (山幸彦 同上)伊夜彦へ 痛いの痛いの 飛んでけや のち行くときも われにな返しそ (偐大兄皇子)(本歌)伊夜彦(いやひこ) おのれ神(かむ)さび 青雲(あをくも)の たなびく日すら 小雨そぼふる (万葉集巻16-3883)伊夜彦の痛み返しの多(まね)くあり 懲りて白山(はくさん比売(ひめ)にぞまゐる (偐大兄皇子)(20190113弥彦神社)(注)掲載の写真はふぁみり~キャンパー氏のブログからの転載です。
2019.01.16
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偐万葉・雑詠篇(その7) 当ブログの偐万葉シリーズ記事は、ブロ友その他の方々のブログ記事へのコメントとして記した歌や逆にその方が下さった当ブログ記事へのコメントに対する返事コメントに添えた歌などを各人別にメモ帖に残して置き、その歌が一定数程度(最近は20首以上)になったら、偐万葉・〇〇篇として記事アップするという方式になっている。 従って、ブログ上の交流・往来が頻繁なお方については、歌数がどんどん増えるのに対して、そうでもないお方のそれはなかなか増えない。特に通りすがりのような関係の場合は、一期一会ではないが、最初で最後というようなこともある。 また、ブログ更新をされなくなったり、ブログそのものを削除されてしまわれたりして、往来が途絶えるということも生じる。 このようなケースでは、上記の「一定数」に達しない歌が散在するということになる。そこで、それらの散在する歌を集めて記事にしてみようと試みたのが雑詠篇である。 今年も残り少なくなりましたが、メモ帳に散在する歌も気が付けば相当数に達していました。メモ帳の整理も兼ねて、これらを記事にまとめることとします。即ち、偐万葉・雑詠篇(その7)であります。(注)過去の偐万葉・雑詠篇はコチラ。1.セメントマン氏のブログに書き込みたる歌11首きみ知らね 弥生九日(ここのか) 今日こそは きみ生(あ)れまして 三年(みとせ)なる日ぞ (偐セメ麻呂)(20140310三才の誕生日)さはさはと 寄す波の音(とも かなしかり 三原の海の 赤く染(そ)み行く(20150805瀬戸内の夕暮)秋づけばわれ誘ふらしさざなみや とびしま海道瀬戸の海かも (銀輪家持)(20150811玉野市田井マリーナ付近)朝床に 聞けばはるけし 瀬戸の海 出で行くらむか 船音(ふなと)高しも(注)第4句、第5句は初案「出でて行くらし高き船音」であったが、偐万葉掲載に当たり「出で行くらむか船音高しも」に修正した。(本歌)朝床(どこ)に聞けば遙(はる)けし射水川 朝こぎしつつ唱(うた)ふ船人 (大伴家持 万葉集巻19-4150)(20150911漁港を出て行く船)車とめ 出でて眺むる までもなし 桜まみれの 島の夕暮 (偐セメ麻呂)(20160405因島大橋と桜)遠目にもそれ見過ごせる筈もなし 立ちておほにし過ぎる大根 (偐セメ麻呂)(本歌)駒とめて袖うち払ふかげもなし 佐野のわたりの雪のゆふぐれ (藤原定家 新古今集671)(20160405大根のオブジェ)床下にわが背子もぐる宮島は 潮干にけらしわが背子もぐる (海辺黒人)(本歌)桜田(さくらだ)へ鶴(たづ)鳴き渡る年魚市潟(あゆちがた) 潮干(しほひ)にけらし鶴鳴き渡る (高市黒人 万葉集巻3-271)(20160408宮島・厳島神社)宮島に 潮満ち来れば 仕事無み 潮干の今ぞ 床の下見む (海辺赤人)(本歌)若の浦に潮満ち来れば潟を無み 葦辺をさして 鶴(たづ)鳴き渡る (山部赤人 万葉集巻6-919)歴史的なる日となるやならぬやは こののち次第鹿と見届けむ (鹿丸大夫)(20160411G7外相広島宣言)廃絶の道なほ遠しと人は言へ しかとぞわれも見届けたきもの (セメ丸大夫)(20160411宮島の鹿)社員旅行なには二泊(にはく)は疲れけめ 今日は奈良へのバスで居眠り (藤原セメ合)(本歌)昔こそ難波(なには)田舎と言はれけめ 今は京(みやこ)引き都びにけり (藤原宇合 万葉集巻3-312)(20170527奈良大仏殿)(注)掲載の写真はセメントマン氏のブログからの転載です。 セメントマン氏のブログはコチラ。2.くまんパパ氏のブログに書き込みたる歌10首ともしきろ 御井(みゐ)の処女(をとめ)の 影とかも 大和は梅の 今盛りなり(本歌)藤原の大宮仕(おほみやづか)へ生(あ)れつぐや 処女(をとめ)がともは羨(とも)しきろかも (万葉集巻1-53)(20140320梅)見て置くと上司の言ふは見ぬままに 企画を没とする腹ならむ (源不通(みなもとのとほらず))(本歌)みちのくのしのぶもぢずりたれゆゑに みだれそめにし われならなくに (源融(みなもとのとほる) 古今集724 小倉百人一首14)春の夜の 夢の浮橋 かこつけて コメントリンク 横槍のわれ (偐定家)(本歌)春の夜の夢の浮橋とだえして 峰にわかるる横雲の空 (藤原定家 新古今集38)塵泥(ちりひぢの 数なき身にも 眺むれば ここだも照れる 月のかげかも(本歌)月かげのいたらぬ里はなけれども 眺むる人の心にぞすむ (法然) 熊麻呂が作れる歌1首並びに偐家持が追和せる歌1首プロポーズ記念日としてクリスマス・イヴは光とともにめぐりく (くま麻呂)プロポーズ したる日いつと 覚えねど そひてたぐひて 幾十年(いくととせ)来しよき人に よしとよき年 来るぞよき みな人よしと よき年迎へな (偐武天皇)(本歌)淑(よ)き人のよしとよく見てよしと言ひし 芳野よく見よよき人よく見つ (天武天皇 万葉集巻1-27)山の民の 国のあれこれ あらためて 年の始めに きみにか学ぶ(注)山の民の国=アフガニスタンのこと。梅の花 咲ける月夜(つくよ)に 雪持ちて 行かむと待てど いまだ降り来(こ)ず(注)この歌は論理的に矛盾している。雪が降って来たら月夜ではなくなるから、雪を月夜に持って行くことはできない。従って、これは「行かない」ということを言っていることになる。(自歌迷解説)(本歌)闇夜(やみ)ならばうべも来(き)まさじ梅の花 咲ける月夜(つくよ)に出でまさじとや (紀女郎 万葉集巻8-1452)ヤカモチは 神にしなけど 雷の 上にし暫し 立ちてもありき (柿本人真似)(本歌)大君は神にしませば天雲の 雷の上にいほらせるかも (柿本人麻呂 万葉集巻3-235)(20140815大君は神にしませば)百万(ももよろづ) 迎へし背子の あと追へど 三十万(みそよろづ)さへ 遠き夕暮れ(注)掲載の写真はくまんパパ氏のブログからの転載です。 くまんパパ氏のブログはコチラ。 偐万葉・くまんパパ篇はコチラ。3.修楽7036氏のブログに書き込みたる歌1首君逝くや 折りたく柴の 夕けぶり むせぶなみだも とどめやかねつ(本歌)思ひ出づる折りたく柴の夕煙 むせぶもうれし 忘れがたみに (後鳥羽院 新古今集801)(般若心経)(注)掲載の写真は修楽7036氏のブログからの転載です。 修楽7036氏のブログはコチラ。4.アメキヨ氏のブログに書き込みたる歌1首朝なさな見つつにあるや富士の山 甲斐びと羨(とも)し旅人われは (河内黒人) (注)アメキヨ氏のブログはコチラ。 偐万葉・アメキヨ篇はコチラ。5.らふたまん氏のブログに書き込みたる歌1首われ先の 思ひが招く 渋滞ぞ 急がば譲れ 合流車線 (譲長)(本歌)もののふの八橋(やばせ)の舟ははやけれど 急がば廻れ 瀬田の長橋 (宗長)(注)らふたまん氏のブログはコチラ。6.IT-PLUS氏のブログに書き込みたる歌1首634(むさし)なる スカイツリーを 朝夕に 見つつや背子の 決意もあらた(20151104スカイツリー)(注)掲載の写真はIT-PLUS氏のブログからの転載です。 IT-PLUS氏のブログはコチラ。7.真澄氏のブログに書き込みたる歌2首夕暮れの しじまに咲ける 牡丹花 出で来ぬ月を 待つとやあらしおほなれる 牡丹の花は 夕暮れの かそけき風の 下(もと)にし見むや(注)上2首は真澄郎女のブログ日記に下記歌取り上げられたるに追和せしものなり。やはらかき 風吹きゆける 夕暮れに 牡丹の花の 咲きてありけり (偐家持)(20130430「牡丹」真澄画)(注)真澄氏はご自身のブログを削除されたようで、現在は存在しません。 偐万葉・真澄篇はコチラ。8.ボトックスマン氏のコメントに答へて詠める歌1首えぞしかも すぎて増えれば かのししと なりてきみにし 食はれけるかも (しかたなし麻呂)9.まりんばあくん氏のコメントに答へて詠める歌1首寒風(さむかぜ)に 負けず咲きたる 蝋梅の 花とり持ちて 来たる君かな10.龍水氏のブログに書き込みたる歌1首まとかたは たなばたつめの さとなるや かみのころもを つむぎをるとふ (ハットリくん)(注)まとかた=的形。松阪市西黒部町一帯の地の古名。<参考歌>ますらをがさつ矢手(た)ばさみ立ち向ひ 射る的形(まとかた)は 見るにさやけし (舎人娘子 万葉集巻1-61)(20140309神服織機殿神社)(注)掲載の写真は龍水氏のブログからの転載です 龍水氏のブログはコチラ。11.R・スズキ氏のブログに書き込みたる歌1首浅草の 市(いち)のカフェにし 行きてまた しかとぞ見たる あきじこりかも(本歌)西の市にただひとり出でて眼並べず 買ひにし絹の商(あき)じこりかも (万葉集巻7-1264)(注)商じこり=買い損ない12.赤い白狼氏のブログに書き込みたる歌1首赤きとや白狼の色いかに 思ひてひと夜寝ずにありける (白い山部赤人)(本歌)春の野にすみれ摘みにと来しわれぞ 野をなつかしみ 一夜寝にける (山部赤人 万葉集巻8-1424)13.夢猫犬氏のコメントに答へて詠める歌1首ナイスしたる ことはないすも これもまた えにしにしあれ ひととひ来たる
2018.12.08
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偐万葉・もも篇(その5) 今日から師走。師走にありても銀走家持、何と言って変りもなき日々の世捨て人の身にてあれば、常のごとに是有り候とて、本日は、シリーズ第299弾、偐万葉・もも篇(その5)の記事アップであります。<参考>過去の偐万葉・もも篇はコチラ。 ももの郎女さんのブログはコチラ。 偐家持がももの郎女に贈りて詠める歌20首 並びにももの郎女が詠める歌2首トネリコの 木(こ)の下隠(したがく)り 咲く花は 爆(は)ぜたりはせぬ 君子蘭なり (君子家持)(20180413クンシラン)爆ぜたりで 悪うござんす 爆ぜ蘭の 何処吹く風と 今しも芽吹く (爆家持)変若水(をちみづ)を 得てやハゼラン 芽を吹きて 年若からし 甦りける (爆家持)(本歌)磯の上に生ふるつままは根を延(は)へて年深からし神さびにけり (大伴家持 万葉集巻19-4159)(注)つまま=都万麻。タブノキ(タモ、イヌグス)のこと。クスノキ科の常緑高木(20180413ハゼラン)朝(あした)見て 夕(ゆふべ)消(け)ぬるや 蒲公英(たんぽぽ)の 絮(わた)はいづちへ 旅立つならむ (絮家持)(注)上記の歌は2018年4月16日のももの郎女氏のブログ記事に寄せて詠むもコメントせず、メモに残したまま放置されていたものである。(20180416タンポポの絮)焼きそばと呼ばれくやしと春たけて マンネングサも若返るらし (万年家持)(20180412マンネングサ)田平子(たびらこ)の 絮(わた)も旅立ち 待つならむ われも明日より みちのくの旅(20180429タビラコ)ああはつ夏 杜の都は 青葉風 君も仙台 われも仙台 (与太野家持)(本歌)ああ皐月 仏蘭西の野は 火の色す 君も雛罌粟(コクリコ) われも雛罌粟 (与謝野晶子)(20180506仙台港)飯盛の 山にしあれば 昼めしは にぎりめしよし ハムも添へつつ (飯家持)(20180604飯盛山で握り飯)ペリカンの家にし咲けばもぢずりも 乱るることはなかりとぞ見ゆ(石切左大臣)(本歌)みちのくのしのぶもぢずりたれゆゑに みだれそめにしわれならなくに (河原左大臣 古今集724、小倉百人一首14)(20180611ネジバナ)あぢさゐの花摘むべきや摘むまじや 迷ひつ妹は見つつやあらむ (外野家持)(本歌)紫陽花の八重咲く如くやつ代にをいませわが背子見つつしのはむ (橘諸兄 万葉集巻20-4448)けふ咲きてあした切らるる紫陽花の 花にしあるかペリカンの庭 (橘諸切)けふ咲きてあしたも咲かむこの庭に 言ひて紫陽花店に出で来ず (橘拒否)(20180626今年最後の紫陽花) ももの郎女が返せる歌1首暑すぎて 紫陽花はちと 季節感 ずれてはいるけど 眺めつつ待つ朝露を 負ひて咲きぬる 朝顔を 描きて夕べに 影やとどめむ (偐智麻呂)(本歌)朝顔は朝露負ひて咲くといへど 夕影にこそ咲きまさりけれ(万葉集巻10-2104)秋楡に まとひつきたる 夏藤の ごとにうたてき 今日の暑さよ雉鳩の巣をば守(も)るべし来る客も それめづらしと語りつぐがね (山鳩家持)(本歌)丈夫(ますらを)は名をし立つべし後(のち)の代に聞き継ぐ人も語り続(つ)ぐがね (大伴家持 万葉集巻19-4165)花園の 丘になりたる 小楢の実 摘みて吾が来し まぐはしその実(本歌)下野(しもつけの三毳(みかも)の山の小楢のす目(ま)ぐはし児ろは誰(た)が笥(け)か持たむ (万葉集巻14-3424)(20180915コナラの実)ペリカンの日替りランチいかなると 黒猫タマはとひきたるかも (高市黒猫)黒猫に遅れてわれもペリカンの 日替りランチ食ひにけるかも (河内白猫) ももの郎女が追和して詠める歌1首ひだまりを 浴びて黒猫 寝転んで 毛繕いして 気まぐれにゆく(20181029黒猫タマ)山鳩は山にありては可愛くも 庭木に巣なすは別のことなり (ペリカン堂もも)猫の尾ともみつかへるで見つつもや 妹もせすとかくらし手づくり (大原郎女)(注)「猫のしっぽ かえるの手 京都大原 ベニシアの手づくり暮らし」=NHKの番組名 猫の尾=キャッツテールという花 かへるで=蛙手。カエデの古語。 ~せす=~為す。(20181130手づくり暮らし)(注)掲載の写真は、☆もも☆どんぶらこ☆氏のブログからの転載です。
2018.12.01
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偐万葉・若草篇(その23) 本日は、シリーズ第298弾、偐万葉・若草篇(その23)であります。<参考>過去の偐万葉・若草篇はコチラから。 偐家持が小万知に贈りて詠める歌16首こまちまで おからからから みたからか けふからおから あすからおから (おからの郎女)声かけて カメムシ払ふ ことなくは 胡散臭しの 人とやわれも (虫払家持)法師蝉 狭岡の杜に 鳴く聞けば わが待つ秋の 近づくらしも(本歌)野辺見れば 撫子の花 咲きにけり わが待つ秋は 近づくらしも(万葉集巻10-1972)(狭岡神社20180816)大阪の 森の宮なる 公園に われ倒れ伏し 風とたはむる(石川倒木)(本歌)東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる(石川啄木「一握の砂」)疲れたる 人は来たりて 憩へとや さりげなくあり 智麻呂絵画 (館長家持)犬上の 川辺に咲ける 彼岸花 欅が下に 燃えてぞありぬ (壱師家持)(智麻呂絵画・犬上川畔の彼岸花20181026)人生の 秋を生くるも われはまだ 春の心の ままにしあれり (青春智麻呂)凡鬼なるも 力非凡の 鬼なれば 冬瓜四(よっ)つ 何するものぞ (非凡鬼丸)(智麻呂絵画・冬瓜20181026)ツリバナの お化けのごとや 実をつけて われは花茄子 食へぬと言へり (鑑賞用家持)(智麻呂絵画・花茄子20181026)彦星も 見頃イケメン 鉢ごとに 絵にしもなるぞ 織姫いづこ (ホヤ家持)彦星の 妻迎へ船 われ乗りて 秋明きらけき 菊の朝行く (偐織女)ペリカンの留守なる家の庭の木を よしと巣をかけ山鳩われは (カラスの家)白妙の 菊にならじと 磯菊は 葉裏の白波 寄すを返せる (磯家持)廃線敷人目を多みヤカモチは やまかうばしの葉はかがずあり (香家持)(ヤマコウバシ20181118)小万知花咲けるひろみが庭からも 小万知がもとに椿や行きし (五色家持)旭川行かば総社の宮よりも 夢二なりとぞ人は言ふらむ (松帆家持)(竹久夢二「宵待草歌碑」20181126)(注)掲載の写真は偐家持撮影にて当ブログ掲載写真の再掲載です。 偐家持が偐山頭火に贈りて詠める歌6首ほか 並びに偐山頭火が詠める歌1首ほか乗っ取られても 乗っ取られても 旧名のまま (旧山乗火)(元句)分け入っても 分け入っても 青い山 (山頭火)(環水平アーク) 偐山頭火氏が贈り来れる歌1首くらわんかと云う割には売りもせず 川を渡れば水飲まんかえ (みすニコニコ) 偐家持が追和せる歌1首休まんか言ひて我が寄るニコニコの 喫茶は水くれいざ走らんか (水走家持)(東福寺)山頭火亀と家持亀時に 鉢合はせすなる若草の里 (亀家持)み熊野の恋はよかれど花園の 鯉の腐臭の如何にとやせむ (嗅本人麻呂)たまひたるタオル手折(たを)りてかざしつつ 走らば田居(たを)る人も笑むらむ (偐田主)(注)第4句の初案「走れば田居る」を「走らば田居る」に修正した。(彼岸花)茄子と言へど プチトマトにも 似たれども 食ふは叶はじ 花茄子なれば (茄子家持)絵になるも ならぬもそれは 智麻呂の 絵筆がまにまに 待つのほかなし (松の木家持) 偐山頭火氏が贈り来れる句に偐家持が付けたる脇句食い逃げで 胃を痛めては 飲むカメラ (無銭飲食山頭火)膝痛めても 疾くや逃げ足 (住所不定家持) (ミョウガ)(注)掲載の写真は偐山頭火氏からのメールに添付されていた写真を適当にあしらったまでで、記載の歌などとは無関係です。<参考>偐山頭火氏のブログはコチラから。
2018.11.27
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偐万葉・ひろみ篇(その14) 本日は、偐万葉シリーズ第297弾、ひろみ篇(その14)とします。 <参考>過去の偐万葉・ひろみ篇はコチラ ひろみちゃん8021氏のブログはコチラ 偐家持がひろみの郎女に贈りて詠める歌25首ほか 並びにひろみの郎女が詠める歌4首濁り酒 濁り茶もよし 言の葉は 濁すも心 きよらけくあれ (清濁家持)飛鳥川 畝傍ををしと 花越しに 見つつや今し 石橋(いははし)渡るいたどりを 隣の人が 蕨とを 持ち来(きた)りける 春になるかも (ひろみの皇子)(本歌)石ばしる 垂水の上の さ蕨の 萌え出づる春に なりにけるかも (志貴皇子 万葉集巻8-1418)(20180330イタドリとワラビ)この世をば わが世と思(も)へど 御堂殿 泉路(せんろ)の道の 長手は一人 (不知原未知長)(注)御堂殿=御堂関白、藤原道長のこと 泉路=黄泉路。「泉路の道の長手」に「道長」を潜ませている。(20180403平等院鳳凰堂) ひろみの郎女の追和せる歌1首この世をば わが世とぞ思ふ 桜咲く 心躍らせ 阿字池廻る (舞い上がるひろみ)わが庭の 白きをだまき 咲きそめて 鳴く鳥の声 今かと待ちぬ (上り坂郎女)ふたととせ あまりいつとせ へていまも むかしもかくと うめださとやま (新梅田八一)(二十年 余り五年 経て今も 昔も斯くと 梅田里山)(本歌)ちとせあまり みたびめぐれる ももとせを ひとひのごとく たてるこのたふ (会津八一)いかな花 咲くとや待たむ 我妹子の 植ゑにしホヤの いや珍しき (ナマコ家持)桜花 散りたるのちは 桜蘭 咲くらん夏を 妹待つらんか (蘭家持)(20180412ホヤ<サクララン>)蓮根の敵とふ我を言ふ前に 売り買ひ止めよ捨つるを止めよ (緑亀家持) ひろみの郎女の追和せる歌1首ミドリガメ有害に指定されてつゆ知らずゆるゆるゆらり歩いてる (知らぬが仏ミドリガメ)(20180429ミドリガメ)父母の 面影立ちぬ 細道は 藤の花咲く 奥津城の道藤波の 風は清みか 父母の 居ませるそらゆ 吹き来(く)とそ見ゆ(本歌)藤波の 影なす海の 底清み 沈(しづ)く石をも 珠とそわが見る (大伴家持 万葉集巻19-4199)(20180429藤の花)鶴見かや晴れてひろみがジャカランダ (不精「あさのより道」)(元句)象潟や雨に西施がねぶの花 (芭蕉「おくのほそ道」)(20180613鶴見緑地のジャカランダ)庭見れば 花とりどりに 咲きにけり それなめくじは 消えてあらしも (ひろ刀自)(本歌)野辺見れば 撫子の花 咲きにけり わが待つ秋は 近づくらしも (万葉集巻10-1972)なめくじは今は叶はん逃げ出さむ それひろ刀自は薬撒くらむ (蛞蝓麻呂)(本歌)憶良らは 今は罷らむ 子泣くらむ それその母も 我を待つらむそ (山上憶良 万葉集巻3-337)(20180626ナデシコ) ひろみの郎女が返せる歌1首なめくじは 吸い付けられて 甘い餌 じつは悶絶 騙してごめん音に聞く 高師の浜の あだ波と 知らぬ子ゆゑに 波と遊びぬ (臨海学校家持)(本歌)音に聞く高師の浜のあだ波は かけじや袖の濡れもこそすれ (紀伊 金葉集巻8-501)かしましき をみな三人(みたり)の 五風荘 食べてたらふく 十雨となるや(20180811五風荘) ひろみの郎女が返せる歌1首岸和田の 街中響く 笑い声 五風十雨と なれと祈りつ龍田姫いづくおはすやもみぢ葉を 迎へか行かむ待ちにか待たむ (偐之媛)(本歌)君が行き日(け)長くなりぬ山尋ね 迎へか行かむ待ちにか待たむ (磐之媛 万葉集巻2-85)映画まで 有りとは知らず 散り椿 (偐阿)(元句)こしらへて 有りとは知らず 西の奥 (宋阿・辞世の句)(20181007五色八重散椿)これやこの生くも死ぬるも生まれては 食ふも食はるも蟷螂の道 (虫丸)(本歌)これやこのゆくもかへるもわかれては しるもしらぬも逢坂の関 (蝉丸 後撰集1090 小倉百人一首10)いさや川 群れ咲く壱師 あかあかと わが師の筆の いや若々し(注)いさや川=不知哉川。犬上川のこと。不知哉は、「さあ、どうなんでしょうね、存じません」の意。冬瓜を 四(よ)つも担(にな)ひて 若草に 来(きた)れる背子の 大きなザック彦星のホヤをモデルに絵をかかむ 鉢をひろみの持ちて来(きた)れば (偐智麻呂)(本歌)狩り暮したなばたつめに宿からむ天の河原に我は来にけり (在原業平 古今集418)あきらけき 秋にぞ咲ける 菊の花 妹が庭にも 楚々とし咲ける (偐菊持)淡路島の旅よくあらしブログ記事 明石大門(あかしおほど)の橋の出づ見ゆ (洲本人真似)(本歌)飼飯(けひ)の海の庭好くあらし刈薦(かりこも)の 乱れ出づ見ゆ海人の釣船 (柿本人麻呂 万葉集巻3-256)(20181030明石海峡大橋)葦の辺の 荻(をぎ)が下(もと)には 思ひ草 さらにもあらず 物思(ものも)ひもなし (荻家持)(本歌)道の辺の 尾花が下(もと)の 思ひ草 今さらになぞ 物か思はむ (万葉集巻10-2270)キジバトもしかにしあるか何にもや まされる宝子にしぞあれる (山上鳩良)(本歌)銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに まされる宝子に如(し)かめやも (山上憶良 万葉集巻5-803)あれやまあ邪魔と切らるもこむらさき いでそよ人をうらみやはする (大工の源さん)(本歌)ありま山猪名の笹原風吹けば いでそよ人をわすれやはする (大弐三位 後拾遺集709 小倉百人一首58)(注)掲載の写真はひろみちゃん8021氏のブログからの転載です。
2018.11.22
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偐万葉・ビッグジョン篇(その37) 久々の偐万葉です。シリーズ第296弾。 今回のビッグジョン篇(その37)で、偐万葉シリーズ掲載のヤカモチの戯れ歌は全5598首、ブロ友氏の追和などの歌が593首。 よって全6191首になっています。 うちビッグジョン篇のそれは、ヤカモチ歌693首、ビッグジョン歌39首であります。 それはさて置き、ビッグジョン氏とのブログでのお付き合いは、2010年5月30日に当方が同氏ブログを訪問、コメントを記入したのがその始まりでありますから、もう8年5ヶ月の長きにわたります。因みに、偐万葉では同氏は交野歩麻呂(かたののほまろ)とお呼びして居ります。<参考>過去の偐万葉・ビッグジョン篇はコチラ。 ビッグジョン7777氏のブログはコチラ。 偐家持が歩麻呂に贈りて詠める歌24首宮古島 今日か渡りぬ 池田なる 古き石橋 見らくしよしも (偐歩麻呂)(本歌)明日香川 明日も渡らむ 石橋(いははし)の 遠き心は 思ほえむかも(万葉集巻11-2701)(2018年2月26日池田橋)雪月花 すがしき額の 文字見てや 心開けて われもと思(もふ君(額郎女)(本歌)ひさかたの 月夜(つくよ)を清み 梅の花 心開けて わが思(も)へる君 (笠郎女 万葉集巻8-1661)(2018年3月7日雪月花)三輪山にしかも登るか裸足にて 若きをみなの一人し行ける (下山家持)(本歌)三輪山を しかも隠すか 雲だにも 情(こころ)あらなむ 隠さふべしや (額田王 万葉集巻1-18)わが里も 稲荷の社(もり)の 道の辺に この激安の 自販機はあり (安売り家持)(2018年4月3日激安自販機)反射板 図根のことは 酒解(さかとけ)の 神も解けずや 検索の君 (検家持) (2018年4月9日図根三角) (同 反射板)なになにと 大山蓮華(おほやまれんげ)の 記事見るや 君見に行くか 庭の朴の木 (朴家持)ほほがしは いまだ含(ふふ)むか 君が家(や)に 花咲く五月(ごがつ) 共にし待たむ (朴家持)(2018年4月22日朴の木の花の蕾)わが背子が 咲くを待つとふ ほほがしは 今年は三輪(みわ)の 山とも咲くもか(本歌)わが背子が ささげて持てる ほほがしは あたかも似るか 青き蓋(きぬがさ)(僧恵行 万葉集巻19-4204)(注)ほほがしは=ホオノキ(朴の木)風さやに 青葉に遊び 白雲の 空行くごとに 越後路われも汗たらり 眼にもしむなり 日焼けたる 塩吹昆布 越後路われは (汗家持)下書きの行方不明と二度書きを すればブログに既に記事あり (若山歩水)牧水の詩碑にし逢へばみなかみの 紀行など読む旅のつづきに (若山歩水)(本歌)秩父町 出はづれ来れば 機をりの うたごゑつづく 古りし家竝に (若山牧水)(2018年6月6日若山牧水詩碑)牧水に 心酔するの よかれども 酒はほどほどに 飲むべかりける(本歌)白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の 酒はしづかに 飲むべかりけり (若山牧水)君がごと 交野(かたの)が原の すべりひゆ 引きて食はむと 思はずわれも(本歌)上野(かみつけの) 可保夜(かほや)が沼の いはゐつら 引かばぬるぬる 吾をば絶えそね (万葉集巻14-3416)(注)いはゐつら=伊波為都良。スベリヒユ、ジュンサイ、ミズハコベなどの説がある。(2018年8月12日スベリヒユ)野辺見れば 釣鐘人参 田村草 わが待つ秋に なりにけるかも(本歌)野辺見れば 撫子の花 咲きにけり わが待つ秋は 近づくらしも(万葉集巻10-1972) (2018年9月12日アキノタムラソウ、ツリガネニンジン)わが岡の おかみになけど いささかの えにしのあれば 行きても見むか枚方の おかみの坐(いま)す その岡に 見らくしよしと きみや行きけむ (河内夫人)(本歌)わが岡の おかみに言ひて 降らしめし 雪の砕けし そこに散りけむ (藤原夫人 万葉集巻2-104)(2018年10月2日万年寺山からの眺望)つぎねふや山背(やましろ)の道(みち銀輪に 乗らぬ背子らは徒歩(かち)より行くか (銀輪家持)(本歌)つぎねふ 山背道(やましろぢ)を 他夫(ひとづま)の 馬より行くに 己夫(おのづま)し 徒歩(かち)より行けば 見るごとに 音(ね)のみし泣かゆ そこ思ふに 心し痛し たらちねの 母が形見と 我が持てる まそみ鏡に 蜻蛉領巾(あきづひれ) 負ひ並(な)め持ちて 馬買へわが背 (万葉集巻13-3314)(2018年10月4日JR山城多賀駅)われはもや かまきり見たり 思ひ入れ 君が深きの かまきり見たり (藤原鎌切)(本歌)われはもや 安見児得たり 皆人の 得かてにすとふ 安見児得たり (藤原鎌足 万葉集巻2-95)藤袴 詠みし憶良も 見たるかな あさぎまだらの 広げたる翅 (斑(まだら)家持)倒木の あまた塞げる 山道を 返すと言はで なほ登りけれ (大納得健闘)(本歌)滝のおとは たえてひさしく なりぬれど 名こそながれて なほきこえけれ (大納言公任 拾遺集1032 小倉百人一首55)(2018年10月25日登山道を塞ぐ倒木)蓮と言ふも 蓮にあらざり 芋と言ふも 芋に非ざる 蓮芋の怪 (斑入り家持)(2018年10月26日蓮芋の葉)花の名は 天の河原の 彦星も 舌噛むらむか ホヤ・ムルティフロラ (多面体家持)さほどには 遠くもなけど 我が銀輪 まだふみも見ず 山田池の園 (小偐部内侍)(本歌)大江山 いく野の道の とほければ まだふみもみず 天の橋立 (小式部内侍 金葉集586 小倉百人一首60)(2018年10月28日山田池公園BBQサイト)<追記> ビッグジョン氏のブログの当該ページを覗くと追和の歌が詠まれていましたのでここに追記して置きます。 これにより、上記の「ブロ友氏の追和などの歌」は594首、「全6191首」は「全6192首」となり、「ビッグジョン歌」は40首となります。 歩麻呂が追和せる歌1首山田池 向かいの主の 言うことにゃ まだふみもみず 古希を過ぎても (氷室百人一首)<注>掲載の写真はビッグジョン7777氏のブログからの転載です。
2018.10.29
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偐万葉・あすかのそら篇(その5) 本日は久々に偐万葉シリーズ記事とします。 このところ、コメントに付す歌も少なくなているのか、そもそもコメント書き込みそのものが少なくなっているのか、偐万葉シリーズに掲載すべき歌の数がなかなか増えない。 そんな中で、あすかのそらさん関連の歌が本日で20首となりましたので、偐万葉・あすかのそら篇(その5)を記事アップです。 偐万葉シリーズとしては第295弾。本年5月30日の閑人篇(その12)以来ですから3ヶ月ぶりとなり、あすかのそら篇としては、昨年の3月27日以来ですから、1年5ヶ月ぶりの記事となります。<参考>過去の偐万葉・あすかのそら篇はコチラから。 あすかのそら氏のブログはコチラから。 偐家持が明日香郎女に贈りて詠める歌20首沖の島にあの手この手や亀の手を 採らむと妹は船出すらむか (海辺の可不可)(20170518カメノテ採り)モクレンのつぼみたるらしカメノテは 人こそ知らね月の夜に咲く (亀家持)(20170518カメノテ)花の名は 紫式部に 及ばねど 墓でまさるか 和泉の式部 (清少納豆)(注)第5句は初案「和泉式部は」を「和泉の式部」に修正した。もみぢ葉の 下照る道を いざ行かな 熊野の奥の 犬落(いぬおち)の滝(20171122紅葉の下照る道)犬落の 滝にし添へる もみつ葉を われ見が欲(ほ)しと ひとりぞ来しか(20171122百間山渓谷の紅葉)犬落の 滝のかへるで つれなきや 来(こ)よとはあすか まだもみたはず(注)かへるで=蛙手。楓のこと。もみたはず=「もみたふ」は紅葉すること。(20171122犬落の滝)百間(ひゃっけん)の 渓(たに)のもみぢ葉 わが行けば 見る人なけれ ここだ匂へり(注)ここだ匂へり=ここぞとばかり照り映えている。初日の出 空かぎろひて 待つほどに 今ぞ昇り来(く) 雲の嶺より(20180103初日の出)あらたまの 年の始めの 初日の出 おろがむ人の きらきらし顔(注)第5句の初案「顔きらきらし」を偐万葉掲載にあたり「きらきらし顔」に修正。山川(やまかはを 隔(へ)なりてわれも 我妹子と 同じき時に 月をぞ見しか (月見家持)(20180201月食)この月はあすかのそらの月なれど きのふのそらの月にもあれり (あさってのそらまめ)真熊野の 浦の浜辺に 寄す波に 八十伴(やそとも)の男(を)は 禊(みそぎ)立ちける(本歌)婦負川(めひがは)の 早き瀬ごとに 篝(かがり)さし 八十伴(やそとも)の男(を)は 鵜川(うかは)立ちけり (大伴家持 万葉集巻17-4023)(注)婦負川=富山市婦中町辺りの神通川の古名。鵜坂川とも呼ばれた。 八十伴の男=多くの官人たち。 鵜川立ち=鵜飼いをすること。(20180207禊)入り組める 線路に見ゆる 転轍の わざの妙あり 見れど飽かなく (あすかの西大寺)(20180330近鉄西大寺駅)ニャンにゃるも ニャーといふのみ ニャといふを ニャとて返すは ニャンたることニャ (ニャの郎女)(本歌)来むといふも 来ぬ時あるを 来じといふを 来むとは待たじ 来じといふものを (大伴坂上郎女 万葉集巻4-527)(20180402ニャン?)くのいちの あすかのそらや 伊賀の春 (忍々)(元句)旧里(ふるさと)や臍の緒に泣(なく)としの暮 (芭蕉)石垣に 見惚(みと)れあすかは 伊賀のそら ひとり行く子に 声かけましを (伊賀虫麻呂)(20180424伊賀上野城石垣)外(と)つ国の 人も忍者に 伊賀の春 一人(ひとり)が二人(ににん) 二人(ににん)が八人(はちにん) (忍々家持)(20180424忍者一人)(20180424忍者二人)(20180424忍者八人)何となし陰ある如がよかりけり をのこをみなの一人し飲める (一人家持)山中湖 めぐり行けども 寄らざりき 花の都は 知らず悔しも (田舎家持)(20180627山中湖花の都公園)いのししは 夕餉(ゆふげ)求むと 飛ぶ鳥の あすかのそらに あひにけるかも (徒歩皇女(とほのひめみこ))(本歌)むささびは 木末(こぬれ)求むと あしひきの 山の猟夫(さつを)に あひにけるかも (志貴皇子 万葉集巻3-267)愛(かな)しウリ坊 いづち行かめと わがカメラ 手許にあらなく 今し悔しも (逸機皇女(いっきのひめみこ))(本歌)愛(かな)し妹を いづち行かめと 山(やま)菅(すげ)の 背向(そがひ)に宿(ね)しく 今し悔しも (万葉集巻15-3577)(20180820イノシシ)<注>掲載の写真は全てあすかのそら氏のブログからの転載です。
2018.08.21
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偐万葉・閑人篇(その12) 本日は朝から雨。 このような日は偐万葉に限るとて、わがPCの「偐万葉メモ」を開いてみるに、ブロ友のふろう閑人氏関連の項目にメモしたる歌が20首になっていることに気付きました。 「偐万葉のブログ記事アップに関する内規」によると、歌の数が20首以上になれば、これをブログ記事にアップしてもよいということになって居ります(笑)。 ということで、久々に偐万葉の記事といたします。シリーズ第294弾になります。 ふろう閑人氏とのブログ上のお付き合いは、2013年12月18日から始まっていますので、4年5ヶ月余になります。ブロ友のビッグジョン氏からのご紹介で同氏ブログを訪問、コメント記入したのがその始まりであります。 同氏は偐万葉では「京閑麻呂(みやこのひままろ)」と呼ばせていただいていますが、山部赤人、高市黒人、大伴旅人などのように「京辺閑人(みやこべのひまひと)」とお呼びしても良かったかなあ、などと思ったりもしています。しかし、名前は継続性の原則に従うのが相当と考えられますので、京閑麻呂のままで行きます。<参考>過去の偐万葉・閑人篇はコチラから。 ふろう閑人氏のブログはコチラから。 偐家持が京閑麻呂に贈りて詠める歌20首ほかわが摘みし 芥子菜の田に 来(こ)しをみな 何や摘むらむ 知らずくやしも (淀川閑人)摘む草は まだあるらむか 樫の実の ひとり摘む子に 菜を聞かましを (淀川閑人)(注)樫の実の=「ひとり」にかかる枕詞。 菜を聞かましを=「名を聞かましを」を掛けている。 女性に名を聞くことは求婚を意味する。(本歌)大橋の 頭(つめ)に家あらば うらがなしく ひとりゆく兒に 宿貸さましを (高橋虫麻呂 万葉集巻9-1743) (20170318淀川堤)わが孫と 赤羽静岡 旅したる 青春きっぷ ここにし帰るのこりたる 青春きっぷ 一回分 のちはたれとや 思ひ出つむぐ(注)初案「こののちたれと」を「のちはたれとや」に修正。 (20170324青春18きっぷ)桜花 咲ける大池 われ知らず しかは言へども 平池は知る (大平家持)(本歌)勝間田の 池はわれ知る 蓮(はちす)なし しか言ふ君が 鬚なきごとし (万葉集巻16-3835) (20170414大池公園)川床の ことは知らざり なす時期は 苦情(九条)次第に 私情(四条)は容れず (地上機家持) (20170416四条通りの地上機) (20170416川床)百年(ももとせ)を 生きたる人の めでたかり なほもあれなと 胡蝶蘭咲く (祝閑人) (20170529胡蝶蘭) (20170529百歳の誕生日)やぶれあみど あせにまみれて ふたひらを われはりかへぬ 人もとひ来よ (閑戸八一)(本歌)きくううと つちにまみれて さにはべに われたちくらす 人なとひそね (会津八一) (20170715網戸張替え)隠れ家は 蚊を入れぬのが 馳走なり (閑尾芭蕉)(元句)わが宿は 蚊のちいさきを 馳走也 (松尾芭蕉)龍舌蘭 いや高々に 咲くを見て 帰ればわれ待つ 龍の髭かな時流れ 時に流るる ことあれど 流れ橋あれ のちも変らず蓮(はちす)の実 いかにか食ふを われ知らず 然(しか)言ふ君に 言ふことも無し (蓮家持)(本歌)勝間田の 池はわれ知る 蓮(はちす)無し 然(しか)言ふ君が 髭無き如し (万葉集巻16―3835) (20170815蓮の実)茹でむかご ビールのアテに よしといへど 下戸なるアテに かかはりもなし (下戸家持)(注)アテ=酒のつまみ アテ=ワテ(「ワタシ、アタシ」の大阪弁) (20170930茹でたムカゴ)四口の 一つ口なる 薩摩口 薩摩の芋の ありがたきかな (芋家持)(注)四口から薩摩口までの上3句は「薩摩の芋」を導くための序詞。 (20171114サツマイモ)四口=よんくち。江戸時代の鎖国の例外として設けられ ていた海外貿易の窓口、長崎口(対オランダ・中国)、薩摩口(対琉球)、対馬口(対朝鮮)、蝦夷口(対アイヌ)一つ口=「一口」と書いて「いもあらい」と読ませる地名が京都府の久御山町にあることから「芋洗い」を連想させようとしたもの。尤も、「いもあらい」は一説では「芋洗い」ではなく「忌み祓い」が訛ったものだという。一口の地は巨椋池のあった低湿地、疫病や災害に見舞われ易い地であったことから「一口の忌み祓い」という言葉が生まれ、やがて「一口」で「いみはらい」と読むようになり、「芋洗い」に転訛したとする。なお、一口の集落は巨椋池に三方(北、東、南)が囲まれ、出入り口が西側だけという立地にあったことから「一口」という地名になったとのこと。今日ぞわれ 門灯カバー 仕上げたり 人よ訪(と)ひ来(こ)よ 夕さり来れば (種田門灯火) (20171116門灯カバー)むくどりの 運ぶか楝(あふち)の 実を見れば 過ぎにしことの 思はれもする (20180122センダンの実) (20180122ムクドリの群れ)一人でも 二人でもよし 間なくしぞ 月の比叡で 八瀬にし行かむ (おけいはん)(本歌)花も嵐も 踏み越えて・・月の比叡を 独り行く (西条八十「旅の夜風」) (20180307叡山電車「ひえい」)やはらかに 光れる春の 鴨川に 柳あをめり 銀輪走れと (鴨長走)(本歌)やはらかに 柳あをめる 北上の 岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに (石川啄木) (20180307鴨川の柳) 閑麻呂のブログに書き込みたる戯れ文行く道は徒歩15分にして、竹藪への道も又細道也。鶴嘴(とんが)の先つき立て掘れる筍、大釜にゆがきたるをとらへて、皮剥くことも、さほどに役たたずして、折々休憩にして、休憩を専らとす。(中略)筍を 持ち帰る日ぞ 閑な我 (松尾筍蕉「ぼくのほそ道」)(原文)月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして、旅を栖とす。(中略) 草の戸も 住替る代ぞ ひなの家 (松尾芭蕉「おくのほそ道」) (20180423タケノコ堀り)月ごとに 上中下旬 是有れば 京に限らず いつも旬なり (旬家持) (20180424旬の京都)馬町の み坂越ゆとき 空襲の こと思はずに われは過ぎしか (20180529馬町空襲被害の地図)(注)掲載の写真はふろう閑人氏のブログからの転載です。
2018.05.30
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偐万葉・若草篇(その22) 本日は偐万葉シリーズ第293弾、偐万葉・若草篇(その22)であります。若草篇は若草読書会の仲間関連の歌を集めたものですが、途中から読書会に顔を出すようになったひろみの郎女さんを別にすれば、当ブログにコメントを寄せて下さるのは、小万知さんと偐山頭火さんという状況が続いて居りますので、小万知・偐山頭火篇と改称してもいいような感じになっています。しかし、変更するのも面倒なので、名称はそのままで行くこととします。<参考>過去の偐万葉・若草篇はコチラから 偐家持が小万知に贈りて詠める歌12首思ひ出す 人あるかぎり 死すれども 人は生くなり 偲びぞ居らむ三日月の 夜渡る船は 母父おもちちの 添ひてたぐひて 乗りてやあらしわが庭の 山橘の 実の照るは 朝のしぐれの 名残りたるかも (ヤブコウジ)チャリとめて 袖うちはらふ までもなし 河内の里の 小雪舞ふ朝 (偐定家)(本歌)駒とめて 袖うちはらふ かげもなし 佐野のわたりの 雪の夕暮 (藤原定家 新古今集671)吐く息も 白くなる朝 蝋梅は 姿けなげに その香すがしき菜の花を しかも切るかや 心なき 人にも心 あるべきものを (司馬王)(本歌)三輪山を しかも隠すか 雲だにも 情こころあらなむ 隠さふべしや (額田王 万葉集巻1-18) (菜の花忌)このたびは 医者と折り合へず タミフルの 処方は検査の 結果のまにまに (陰家)(本歌)このたびは 幣も取りあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに (菅家 古今集420 小倉百人一首24)戯れ歌も 花し良ければ 寄り添ひて 正装したる 馬子とやならむ小万知言ふ 山びっくりも 新しき 季語とせむかや 春雷走る (偐山笑火)名言は 言の葉切りつめ 切りつめて 遂に極むや 無言となりぬ (無言家持)道の辺に 撮れる鳥の名 申さめど 無知にしあれば 何とも知れず (偐鳥持)ランチとて 佐保姫殿に 席からむ 梅田里山 我は来にけり (碁家持)(本歌)狩りくらし たなばたつ女めに 宿からむ 天のかはらに 我は来にけり (在原業平 古今集418)(注)この項の写真は、当ブログ掲載のヤカモチ写真の再掲です。 偐家持が偐山頭火に贈りて詠める歌9首ほか 並びに偐山頭火が詠める歌1首ほか 偐山頭火氏の句に偐家持が付けたる脇句1句 電線に 偐鳥二羽が 立ち往生 (偐鳥山頭火) さてこの国は どこへ行くのか (偐家鳥) 偐山頭火の贈り来れる句に偐家持が付けたる脇句1句 廃線も 大仏といわす 聖武さん(偐山頭火) いつみに来るや きみを待つらむ(偐家持) 偐山頭火氏の句に偐家持が付けたる脇句3句 トランプの 一言走る 家持にも (偐相場師) 銀輪停めて 払ふ袖なし (ニセサレム) 滑っても れんげ郎女 立ち上がる (偐めれんげ) 祝ふて三度 ちょちょんがちょんと (祝全快) 白黒の 借石まみれ 偽家持 (碁愛想) 債務超過の ほどにはなけれ (大碁算) 偐山頭火氏の句に偐家持が付けたる脇句 白黒と 越せぬ暮れでも あるでなし (偐山頭火) 勝つはよかれど 負くるも愉快 (碁隠居)千歳余り 三百年(みももとせ)過ぎ なほなどて ひとの恋道(こひぢ)を あれこれ言ふや (総本家家持)わが恋を 酒の肴に あれやこれ 醜(しこ)の若草 言痛(こちた)かりけり (総本家家持) (家持賞) 負け込んでも負け込んでも烏鷺の山 (碁山頭火) (元句)分け入っても分け入っても青い山 (種田山頭火) まったく勝ちがないシャッポを脱ぎ (碁山頭火) (元句)まったく雲がない笠を脱ぎ (種田山頭火) 負けたら負けたでネタになる (ネタ田山頭火) 切り取られても切り取られても気付かぬ人 (偐山菜花) (切り取られた菜の花)万葉に 宮はあれども 陣は無し 難波河内の ことのあれこれ (弓削家持)銀輪を 駆けてブログの 記事となし 行方いづくと 定めずわれは (徘徊家持)何事も よしとし見れば めでたきか よき日よきこと よしとや言はむ (言霊家持) 菜の花忌に 供へむとルパン 言ひ訳し いい訳が 布施の銭形 ないと言ひ (布施警察署前) ラグビー場と 背中合わせも 寒からず (松尾場所) (元句)木曽殿と 背中合せの 寒さかな (嶋崎又玄) (芭蕉塚)富田酒 肴は人に かぎるとは まさしに知りて とんだ酒なり (宝井企画) (元句)けさたんとのめや菖(あやめ)の富田酒 (宝井其角) (注)上の句は前から読んでも後ろから読んでも同一文となる回文である。人食った 話にまさる 肴なし 人食ふ人も 食はるる人も (大田食山人) 偐山頭火氏の贈り来れる句 タミフルは インフルのタミ フルならず (偐薮医者) 追和して偐家持が詠める歌1首タミフルは 今は出されぬ 困るとも それその検査 陰性なるらむぞ (山上お医者) (本歌)憶良らは 今は罷らむ 子泣くらむ それその母も 吾を待つらむぞ (山上憶良 万葉集巻3-337)( 偐山頭火氏が贈り来れる歌1首八重の元 シルバーシート 高御座(たかみくら) ソメイヨシノを 偲びつ集ふ (偐阿弥) 偐家持が追和せる歌1首似非(えせ)をのこ 似非少女(えせをとめ)らが 汲みまがふ 酒にも浮かめ 八重桜花 (似非(えせ)家持) (本歌)もののふの 八十少女(やそをとめ)らが 汲みまがふ 寺井の上の 堅香子(かたかご)の花 (大伴家持 万葉集巻19-4143)<参考>偐山頭火氏のブログはコチラから。(注)この項の写真は偐山頭火氏のブログからの転載です。
2018.04.24
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偐万葉・英坊篇(その36) 本日はシリーズ第292弾、偐万葉・英坊篇(その36)とします。 英坊3氏は高岡ご在住のブロ友さんで、この偐万葉では英麻呂と呼ばせていただいて居ります。同氏とは2011年6月6日からなので、ほぼ7年のブログ上のお付き合いになります。 <参考>過去の英坊篇はコチラからどうぞ。 英坊3氏のブログはコチラからどうぞ。 偐家持が英麻呂に贈りて詠める歌24首及び5句 並びに英麻呂が作れる句5句老いなるは 老いとみるとき 老いなりて 老いずとみれば 老いもなかりき (老家持)追々に 老いて枯れゆく 身にはあれ 自ら枯れて 老いな招きそ (老家持) 英麻呂が作りたる上3句に偐家持が下2句を付けたる歌1首 襟をたて 口をとがらせ 大根を (英麻呂) つまみつ一献 熱燗の酒 (偐家持) (20170224おでんの大根) 英麻呂が贈り来れる句に偐家持が付けたる脇句春風邪は 芽ぶきと共の 花粉症 (英麻呂)にはあらずわれ 咳のしげけく (偐家持) 英麻呂が贈り来れる句に偐家持が付けたる脇句健脚と 根性の性(さが) うらやまし (英麻呂)彼はネパール われはうらやま (偐家持)ありのままを 見せざるをえず 釈迦三尊 3Dプリンター ここまでやるか (釈迦散々) (20170315釈迦三尊像) 英麻呂が作れる上3句に偐家持が下2句を付けたる歌1首その頃に やがて花つく 紫陽花の (英麻呂)芽吹くや越の 春うららけし (偐家持) (20170320紫陽花の芽吹き)赤白の 庭の椿の 今日咲きて わが退院を 言祝ぐならし (偐英麻呂) (20170413赤白椿)道の辺の 百合にかこつや 我が背子は ブログのネタも 苦しきものと(本歌)夏の野の 繁みに咲ける 姫百合の 知らえぬ恋は 苦しきものぞ (坂上郎女 万葉集巻8-1500) (20170628百合)いつととせ 待つはかたかり 龍舌蘭 けふ見てのちは 死ぬるともよし (冗談家持) 20万アクセスを超えたるを祝ひてとよろづを ふたつかさねて あらたしき 一歩踏み出す 葉月の七日 (20170808アクセス数20万突破)うれしきは 葡萄ひと房 部屋にあり 千切り絵などに これを描くとき (葡萄曙覧) (20171010葡萄の千切り絵)柿豊年 枝もとををに 不成柿 なりて今年は 形無しと見ゆ (放念上人) (20171106柿)雪降れば 道たづたづし 車置き 万葉線で 行かせ吾が背子 (英坊郎女)(本歌)夕やみは 路たづたづし 月待ちて 行かせ吾背子 その間にも見む (豊前国娘子・大宅女 万葉集巻4-709) (20171217万葉線)忘年会 降り積む雪の 寒き日は 鍋を囲みて どちとしあらむ (偐英麻呂) (20171217鍋料理)かくしかも 降り積む雪を 踏みなづみ 詣りぞ来しか 射水み神に (偐英麻呂) (20180111射水神社)積む雪や 石の達磨の 目も泪 すべなき背子の これ置くらむか (越家持)(元句)行春(ゆくはる)や鳥啼(とりなき)魚(うを)の目は泪(なみだ) (芭蕉「おくのほそ道」) (20180204石の達磨) 英麻呂が贈り来れる句に偐家持が付けたる脇句思えども 頭動かず 筆とまる (英麻呂)されば筆捨て 街にし出でよ (偐家持)道の辺の 日陰に雪を 残しつつ たんぽぽ咲きぬ 春さり来らし遠山に 雪は降りつつ しかすがに つくしたんぽぽ わぎへの辺り(本歌)うち霧らし 雪は降りつつ しかすがに 吾家(わぎへ)の苑に うぐひす鳴くも (大伴家持 万葉集巻8-1441)山の際(ま)に 雪は降りつつ しかすがに この河楊(かはやぎ)は もえにけるかも (万葉集巻10-1848) 20170320 (20180310タンポポ)齢(よはひ)経て 病(やまひ)は来(く)とも かくしこそ 折り合ひつけつつ 楽しき竟(を)へめ (紀病人)(本歌)正月(むつき)立ち 春の来たらば かくしこそ 梅を招(を)きつつ 楽しき竟(を)へめ (紀男人 万葉集巻5-815)(注)楽しき竟へめ=歓楽を尽くそう。大いに楽しもう。古木(ふるき)にも 春の芽吹きは あるならむ ひと花われも 咲かさざらめや (春野家持) (20180317春の芽吹き)咲く花は 何ともとはじ 咲くが先 咲かむとするが 春にこそあれ (春野家持)やぶなみの 駅のできつと ブログにて 人に告げつや 訪ね来よとか (薮蛇家持)やぶなみの 駅は薮蛇 春雨に こもりつつむと 言ひ訳ならねば (薮蛇家持)(本歌)荊波(やぶなみ)の 里に宿借り 春雨に 隠(こも)り障(つつ)むと 妹に告げつや (大伴家持 万葉集巻18-4138)(注)「雨障(あまつつ)み」というのは、男が女の許へ通えないことの言い訳として使う常套句。 (20180403荊波神社) (20180404高岡やぶなみ駅)雨晴(あまはらし) 岩の辺(へ)の駅 波越(なご)しにぞ 見れば立山(たちやま) 神さびにけり(本歌)磯の上の つままを見れば 根を延(は)へて 年深からし 神さびにけり (大伴家持 万葉集巻19-4159)(注)つまま=都万麻。タブノキ(タモ、イヌグス)のこと。クスノキ科の常緑高木紅白に 咲くとふ椿 つばらかに 今日も暮らさね 越の英麻呂(本歌)奥山の 八峰(やつを)の椿 つばらかに 今日は暮らさね 大夫(ますらを)のとも (大伴家持 万葉集巻19-4152) (20180411椿)この庭の 春花咲ける 下蔭に 山橘の 実の照るも見む(本歌)この雪の 消(け残る時に いざ行かな 山橘の 実の照るも見む (大伴家持 万葉集巻19-4226)(注)山橘=ヤブコウジのこと。 (20180411ヤブコウジ)わが背子が ブログに載せて 見よとかも しるくも咲ける 山吹の花(本歌)蝦(かはづ)鳴く 甘南備川に 影見えて 今か咲くらむ 山吹の花 (厚見王 万葉集巻8-1435) (20180411山吹)(注)掲載の写真は英坊3氏のブログからの転載です。
2018.04.14
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偐万葉・もも篇(その4) 本日は、シリーズ第291弾、偐万葉・もも篇(その4)をアップすることとします。 ももの郎女さんこと☆もも☆どんぶらこ☆さんは、ヤカモチが馴染みの喫茶店「ペリカンの家」の女主人にて、ブロ友でもありますが、彼女のブログへのコメントに添えた歌や当ブログへの彼女からのコメントに対する返コメに付した歌がいつの間にやら22首になっていました。 ヤカモチ作の歌が20首を超えると可及的すみやかに「偐万葉」シリーズ記事にアップするというのが、ヤカモチ的編集方針になって居ります。<参考>過去の偐万葉・もも篇はコチラ。 ももの郎女さんのブログはコチラ。 偐家持がももの郎女に贈りて詠める歌22首 並びにももの郎女が詠める歌1首 焼岳に 雨の降り来や 雷(いかづち)に 追はれ抜かれつ 山駆け下る (雷家持) (大正池)こほろぎの 鳴きつる野辺の 花すすき 押してや照らす 山の上(へ)の月 (月形家持)次々に 月のことども 書きつれど 尽きぬことなり 月見て居らむ (月家持) (本歌)月々に 月見る月は 多けれど 月見る月は この月の月 (作者不詳) (中秋の名月) (月見団子と抹茶)似ずと言ふも 似るときあれば 似るといふを 似ずとは言はじ 似ると言ふものを (大伴坂様郎女)(本歌)来むといふも 来ぬ時あるを 来じといふを 来むとは待たじ 来じといふものを (大伴坂上郎女 万葉集巻4-527) (スズメノカタビラ)妹が家(や)の 楡は秋楡 盆栽に なれどもならず 蟹の塩辛 (関連歌)・・この片山の もむ楡(にれ)を 五百枝(いほえ)剥(は)ぎ垂(た)れ 天(あま)光(て)るや 日の気(け)に干し さひづるや 柄臼(からうす)につき 庭に立つ すり臼につき 押(おし)照(て)るや 難波の小(を)江の 初垂鹽(はつたり)を 辛(から)く垂れ来て 陶人(すゑびと)の 作れる瓶(かめ)を・・(万葉集巻16-3886)(注)この歌の楡は春楡と考えられている。 (アキニレ)百代(ももよ)草(ぐさ) 百代にゐませ わが背子の 花の咲(ゑ)まひの 継ぎて見が欲(ほ)し(本歌)父母(ちちはは)が 殿の後方(しりへ)の 百代草 百代いでませ わが来(きた)るまで (生玉部足国 万葉集巻20-4326)(注)百代草=未詳植物。ツユクサ、ヨモギ、リュウノウギクなど 諸説あるが、ノジギクが有力説。この花の そばに憩へと わが背子が 描(か)きたる花の 見らくしよしも焼きそばか野菜炒めか万(まん)年(ねん)草(ぐさ) 過ぎて育ちて群れて巻きたる (ペリカン焼) (マンネングサ)星の夜は 冴え冴え冷えて 三日月の ブランコぽつんと 乗る人待ちぬ (銀河家持) ももの郎女の返せる歌1首流れ月 澄みわたる蒼 黒々と あなたも見つめる さき美しく水仙の 香りほのかに ただよひ来(く) 追ひて似合はぬ 燻製の香も来(く)ひのきの香 さやかに立ちぬ 切株は 御杖の村の 朝霧の色 (御杖麻呂) (ヒノキの椅子)妹が行く 絵島の浦に 寄す波の 音にかけても 在りし日思(も)はる(本歌)千鳥鳴く 絵島の浦に 澄む月を 波に映して 見る今宵かな (西行 山家集今宵553) (絵島)花よりも 苺大福 今日はまた 桜餅なる ペリカンの家(家餅)高岡に 家餅(やかもち)はあれ 河内なる にせヤカモチは 食へぬ餠なり(家餅) (苺大福と桜餅)タミフルを すぐにも処方 せぬ医者で 一夜(ひとよ)余分に われは咳する (須磨咳守)(本歌)淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に 幾夜寝覚めぬ 須磨の関守 (源兼昌 金葉集270 小倉百人一首78)春されば つくつくつくし おおつくし それ見つくして こその春なり (つくつく法師) (土筆)おお大砲 思ひ出したる タイトルに 太平楽の 椿も似合ふ (おお家持) (椿・太平楽) 心なき どちと言ふべし 招かぬに 来たりてわれに 狼藉をなす (発作マグナ)卯の花の 匂ふ垣根や ペリカンの 家はこのごろ 卯の花もどき卯の花の 匂ふ頃には ペリカンの 家もおからの 家とやならめさてもさて おからからから みからから あはせてからから むからからから(注)第5句は初案「むからからとや」を「むからからから」に修正した。 (おから入りミートボール)つらつらに 見とも飽かめや うすべにの 八重なる椿 けふか咲きぬる (水走郎女)(本歌)巨勢山(こせやま)の つらつら椿 つらつらに 見つつ思(しの)はな 巨勢(こせ)の春野を (坂門人足 万葉集巻1-54) (椿)(脚注)掲載写真は全て☆もも☆どんぶらこ☆氏のブログからの転載です。
2018.04.02
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偐万葉・ひろみ篇(その13) 本日は、シリーズ第290弾、偐万葉・ひろみ篇(その13)とします。 <参考>過去の偐万葉・ひろみ篇はコチラ ひろみちゃん8021氏のブログはコチラ 偐家持がひろみの郎女に贈りて詠める歌20首 並びにひろみの郎女が詠める歌4首ひろみ篇 ひろみ読みなど せよとかも リンクを貼りて 手抜きなるかも (注)ひろみ読み=ひろい読みのこと。み熊野の 浦の浜木綿(はまゆふ) 近畿でも 中部でもなし 奥まって候(そろ) (熊野水軍) ひろみの郎女が返せる歌1首み熊野の 花火華やか 三重県人 御存知ないの 近畿の人よ (伊勢志摩の友人からの贈り物)龍舌蘭 寡黙に咲くを はろばろと 見に来る人は みな饒舌蘭 (冗舌家持) (注)この歌は偐万葉掲載に当たって新たに作った歌です。 (リュウゼツラン)わが庭の レモンバームに 糸トンボ 来たりて言ふや この葉茶にせよ (糸家持)メヒシバの ごとやか弱く 宝石の ごと美しき これ糸トンボ (糸家持) ひろみの郎女が返せる歌1首糸トンボ レモンバームは お好きかしら 羽休ませる 夏の終わりに (レモンバームと糸トンボ)しらら浜 よくはしらねば 目に耳に 馴染みてあるも しらぬ浜なり (黒家持)ま熊野の 船はいづくや 千重に敷く 岩場にとどろ 光る波寄す (白浜) (千畳敷)蓮の実と 猫に押さるる 古徳利 割れてもこれは 叱らじとぞおもふ (徳利院) (注)初案「押さるか」を「押さるる」に、「割れしも」を「割れても」に修正。 (本歌)瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われてもすゑに あはむとぞおもふ (崇徳院 詞花集228 小倉百人一首77) ひろみの郎女が返せる歌1首愛情も 猫に押さるか 古徳利 泣くに泣けない 割れて消えゆく (老兵は消え去る古徳利) (割れた徳利)妹が撮りし 楝(あふち)はいまだ 実の青く 葉裏にあるも それとも見えず (坂上憶良) (本歌)妹が見し 楝の花は 散りぬべし わが泣く涙 いまだ干(ひ)なくに (山上憶良 万葉集巻5-798) ひろみの郎女が追和せる歌1首おとがひを 伸ばし伸ばして 黄金(こがね)鈴 探しあぐねて いまだ青々 (低くなぁれ楝さん) (センダン<楝>)この雨の 止むらく待ちて いざ行かな 掘のもみぢに 煙るビル見に (大坂家持) (本歌)この雪の 消(け)残る時に いざ行かな 山橘の 実の照るも見む (大伴家持 万葉集巻19-4226)万葉に 鳥はあれども ほととぎす 花無くあるを 惜しとや言はむ母父(おもちち)の 寄り添ひ乗れる 三日月の 船の行く見ゆ 雲の波間に冬の庭に いやときじくに ほととぎす 花は咲けども 実にならじかも (トホホギス)(注)トホホギスは友人小万知氏の造語。 (本歌)我妹子が 形見の合歓木(ねぶ)は 花のみに 咲きてけだしく 実にならじかも (大伴家持 万葉集巻8-1463) (ホトトギス)蟷螂の 産屋抱へて 実もさはに 棘は立ち入り キンズと言へり (金豆家持) (キンズの実とカマキリの卵)このごろは 窮鼠の恐さ 知る猫も 少なくなりて 胡瓜かと言ふ (黒猫家持)つるばみの 妻より落つる A型の 菌にうつりて 病となりぬる (陽性院) (注)つるばみ=橡。クヌギ、コナラ、トチなどの木のこと。 (本歌)筑波嶺の 峰より落つる 男女の川 恋ぞつもりて 淵となりぬる (陽成院 後撰集777 小倉百人一首13)ははそ葉の 母がめでにし 桃の花 活けて面影 偲ぶ命日 (偐ひろみの郎女) (注)ははそ=柞。コナラのこと。万葉ではクヌギ やミズナラなどをも総称してハハソ と呼んだよう。 「ははそ葉(柞葉)の」は母に掛かる枕詞。 <参考歌>ちちの実の 父の命 ははそ葉の 母の命 おほろかに こころ尽して・・ (大伴家持 万葉集巻19-4164) (注)ちち=イヌビワのこと。 (桃の花と百合の花)トリネコの 違ひは知れど トネリコと シマトネリコの 違ひやいかに (トラネコ) (注)トリネコ=鳥・猫 (シマトネリコ)身はなけど 蓋はあるなり マンホール とりては記事と 今日もなすらむ (偐山人孔) (柏原市のマンホール)これやこの 上(かみ)にまゐれば 中下(なかしも)も まゐるが道と 太子は言へる (横の太子) (上ノ太子駅) (叡福寺)<追記> 下記コメント欄に追ひて和せる歌ありしにより是を追記するものなり。 よりて、ひろみの郎女の詠める歌は5首なり。横からは 遠き道なり 上の太子 中下近く 意志強く持て<注>掲載の写真はひろみちゃん8021氏のブログからの転載です。
2018.03.13
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