星の国から星の街へ(旧 ヴァン・ノアール)

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2021.12.04
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 2006 年に「印象派」という名称の由来となったモネの「印象・日の出」を見るために「マルモッタン・モネ美術館(当時はマルモッタン美術館)」に行きました。

 美術愛好家の「ポール・マルモッタン」氏の パリ西部「ブローニュの森」に近い 邸宅が1934年に美術 館にと寄贈され現在に至っています。閑静な住宅街のためか案内板も少なくメトロを降りてから随分迷った記憶があります。


​​​​​ やっと到着し「印象派」の名付け親になる1枚の絵を早く見たいという逸る気持ちのまま館内に入ると、こんなに「すぐ」と言うくらいに左側の壁に「印象・日の出」がありました。


​​​​​​​​​​1872年制作 1874年、最初の「印象主義の展覧会」に出品。

 「ル・アーブル」の景色を描いた「印象・日の出」のサイズは48㎝x63㎝ですが、もっと小さく感じました。 そして日の出(日の入りという解釈もあったようです)の太陽はまるで一筆書きのようで正直「この絵が・・?」と思いました。

 展覧会に出品する際にモネも「ルー・アーブル」というタイトルでとは言い難かったようで「印象」という言葉を使って欲しいと依頼した気持ちが分かる気がします。何かルー・アーブルのような印象を与える景色という意味でしょうか?この絵は実は未完成だったという説もあるようです。

 当然、展覧会では作品は酷評され揶揄する意味で「印象」という言葉が風刺新聞に載ったそうです。

 酷評から
​72年後の1946年、ユダヤ系ドイツ人の美術史家「John Rewald(ジョン・リヴォルド)1912-1994」が執筆した「印象派の歴史」が歴史的に「印象派」を意味付ける「金字塔」となり現在の印象派絵画の人気へと繋がっているようです。所謂本当の「印象派」の名付け親です。


上・下で文庫本も出版されていました。

 ジョン・リヴォルドはナチスの台頭によって1941年にアメリカに亡命し、翌々年には「MOMA」の顧問に就任し展覧会の企画を手掛けています。

 今年、フランス人画商「ポール・デユラン」のドキュメンタリー映画を見て、アメリカからの一通の手紙がきっかけとなり印象派画家の絵画を売り込むために1886年アメリカで展覧会を企画し(カタログも自作しそのカタログに彼の名前を一切入れること無しに)アメリカでの印象派画家の絵画ブームに火を付けたという事を知りました。共通の地「アメリカ」というのに繋がりを感じます。


 「印象・日の出」の最初の印象は「あれ?この絵が・・」でしたが、年を重ねて思うのは
ルーブル美術館で「モナリザ」の絵を見ただけで満足というのに匹敵する以上の 「贅沢な美術館訪問」だったかなという思いです。



​館内撮影禁止のため残っている写真は入り口の2枚だけです。​






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最終更新日  2023.02.11 12:58:04
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