星の国から星の街へ(旧 ヴァン・ノアール)

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2024.08.28
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カテゴリ: 本帰国で再発見!
​ 本帰国してすぐ札幌の「チ・カ・ホ(JR札幌駅と地下鉄大通り駅を結ぶ地下歩道)」で2月7日の「北方領土の日」のための展示が行われていてパネルで北方四島の歴史や様子、北方領土問題について説明があり、北海道で生まれ育った私でも知らない事の多さに驚きました。


最後の「歯舞(はぼまい)群島」の占領は9月3日

 そして今月になって再度「チ・カ・ホ」で北方領土問題のコーナーが設置されていたので、中に入ってパネルを読み進めていくと79年前の今日8月28日はソ連(現・ロシア)が択捉(えとろふ)島を占領、そして6日後に歯舞群島を占領し、四島を全て占領した事を知りました。第二次世界大戦中に結んだ「日ソ不可侵条約」を破ってのソ連軍の日本への侵攻は8月9日、長崎に原子爆弾が投下された日、そして日本軍降伏のポツダム宣言受託の5日前の事です(ただ世界が日本の敗戦を正式に認めたのは9月2日です)
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 1855年(江戸時代)2月7日に幕府がロシアと正式に結んだ「日露通好条約」によって北方四島が日本の領土である事を確認し合ってから90年後の占領という事になります。


​「サンフランシスコ平和条約」ではウルップ島より西が日本の領土。​

 戦後1951年に戦後処理のためアメリカで開催された会議(52ヶ国が参加)で日本は千島列島に対するすべての権利を放棄しましたが、そもそも北方四島は千島列島には入っていません。この会議で調印された「サンフランシスコ平和条約」では四島は戦前通り日本の領土となっていますが、問題はソ連がこの条約に署名していない事です。署名しなかった理由としては中国が内戦のため会議に参加していない事と日本が独立後もアメリカが駐留する事に反対してとあります。

 今から73前に調印されたこの条約について、ロシアに再考を促し「署名して北方領土を返して下さい」とお願いし「はい、分かりました」などと言うのは夢物語以上ですが、それではどんな秘策を講じれば返還が実癌するのかと思います。戦後アメリカの進駐軍が去った後も日本には基地が残り、ロシアにとってはアメリカを睨むための貴重な「要衝地」を易々とロシアが手放すはずがないのは分かり切っています。

 ただ悲願の返還が実現したとして、夢物語ですがロシアの占領後に島を追われた人達のような人生を現在四島に住んでいるロシアの人達には経験して欲しくないという思いです。「共存の心」で何とか日露関係の改善に繋がればとも思うのですが・・・・。


1855年2月7日に結ばれた条約の境界線(四島は日本の領土です)
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最終更新日  2024.08.28 12:32:36
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