全63件 (63件中 1-50件目)
ゲーテハウス見学後、母のデパート散策につきあい、ホテルへ戻った。レイトチェックアウト利用で午後3時まで部屋でくつろいでからチェックアウト。その後はお茶でもして時間調整をしたかったが、母はもう空港へ行きたいとのたまう。う〜ん 早く空港に行き過ぎてもやることないんだけどな。もう免税店で買うものもないでしょう。どうせ2タミはしょぼいだろうし。案の定「ここつまんな〜い」と言ってた。(だから早くに来てもしょうがないのさ)やることないからボーっとしてたら、周りがアジュマだらけに。ゲートが隣なんだね。赤い尾翼はエアベルリン、ドイツのLCCだ。帰りのJALは真ん中3席の通路側で、ラッキーなことに隣は空席だったが、、、機内食を食べてからウトウトしていると、なんか膝にあたるものが・・・何かと見ると、反対側に座っていた女性の素足が私の膝に当たっていた彼女は2席独占して、足の先を私のほうに向けて寝ていたのだった。足が私の領域を侵犯してるんですけど それも素足!年齢は30前後。ラブリーな服装の日本人女性。侵犯してきた素足は押し出してやったが、気がついたのかついてないのか、そのまま寝倒していた。予期せぬ行動にでられて、唖然としてしまったわ。 ふぅ(溜息)成田で伊丹便に乗り継いで、ただいま〜 と富士山に挨拶。娘に心配されたドイツ移動旅。鉄道がまともに走ってくれて、計画に狂いがでることもなく、無事に帰国できた。('14ドイツ旅行記 終わり)
2014.09.19
コメント(2)
ヴァイマールのゲーテハウスで『ゲーテ最期の寝室』を見学し、ここフランクフルトで、『ゲーテの生まれた部屋』を見学した。ゲーテファンではないが、感慨深いものがある。たくさんの本たくさんの絵画まだアイロンは出てこない。この部屋には誰かを居候させたとか言ってたな。もうここより上には部屋はないよ。アイロンは?最上階の階段ホールで母が「これだっ!」と指差したのは、これ? オーディオガイドを聞くと、シーツのプレッサーだって。シワを取るということでは、アイロンのようなものか。アイロン(のようなもの)があったので、満足そうな母。誉めてしんぜよう。生家に付属して小さな博物館があったので見学した。流し見してて目にとまったのは、こちらの肖像画。なんかこの絵下手じゃね?のぺっとしたタッチで、アマチュア以上プロ未満みたいな絵。私に見る目がないのかもしれないけど。母はアイロンだったが、私はこの絵が印象に残ってしまいそう(笑)
2014.09.18
コメント(4)
夜の便で日本に戻る最終日。ラウンジでゆったりめの朝食をいただいたら、最後の観光にゲーテの生家へ行った。「アイロンがあったような気がするのね。ガイドさんが説明してくれた記憶があるのよ。」30年前にゲーテの生家に行った時、ガイドさんがアイロンの説明をしてくれたことだけ覚えていると母は言う。もし、本当にアイロンがあったら誉めてほしいと。そりゃあったら誉めますよ! 私はアイロンなんか全然覚えていない。大きな家で、階段を上がったことと、窓辺から外の景色を見たことぐらいしか覚えていないもの。朝イチ、開館時刻きっかりに着いた。ご立派な家です。全部ゲーテの家。入館料は7ユーロ、日本語オーディオガイドは3ユーロ。日本語があると助かる。建物は戦後に再建されたものだが、調度品類は別の場所に保管していて無事だったそうだ。素敵な食器だわ。ゲーテは1749年にここで生まれた。父方の祖父は財を成した資産家、母方の祖父はフランクフルト市長を務めたお家柄。ゲーテは名誉も財産もある裕福な家出身の坊ちゃんだ。熱心に働かなくても財産のあるゲーテの父は、子供の教育に心血を注いだ。お坊ちゃまが注がれた分を吸収する才能の持ち主だったから美談になるわね。財産があるお金持ちほどお金にはうるさい。しっかり家計簿をつけさていたので、ゲーテ家が何を食べたのか今でもわかるそうだ。ケーキを焼いた日は、小麦粉いくら、卵いくらと記されているのかも。この部屋はひときわ豪華。壁紙はシノワズリ、中国風だ。ゲーテの妹の部屋教育熱心な父は、ゲーテの妹の教育にも手抜きがなかったようだ。かなり優秀な女性だったが、若くしてこの世を去る。常に比べられる対象が天才肌のお兄ちゃん、高い教育を受けたが故の婚家先での葛藤。数々の苦悩があったのだろう。表情がどこか淋しげだ。部屋はまだ続く。
2014.09.17
コメント(6)
リューデスハイム駅まで戻ると、フランクフルトへの列車の発車時刻10分前。時間にしばられずに行動したわりには、無駄な時間を過ごさない動きになっていた。素直に来る列車に乗ることにした。この列車もかなり混んでいた。大きなスーツケースを持った人が多く、座席前に置いて座れなくなっていることが多かった。ローカル列車なので、特急列車のように荷物置き場はなく、網棚にも上げられないので致し方ないが、観光路線で鉄道利用の旅人が多いドイツなので、改善する必要はあるんじゃないかな。往きと同じく1等に空き席があったので、フランクフルトまで座っていけた。定刻にフランクフルト中央駅着。18番線はTGVのパリ東駅行き、19番線はICEのアムステルダム中央駅行き。こういうのを見るとワクワクしちゃう。当たり前のことだけど、乗ったらフランスやオランダに行けると思うだけで楽しくなっちゃう。
2014.09.14
コメント(6)
つぐみ横丁突き当りのこちらのお店で、ランチにした。店内は、こんなかんじ。ワインのグラスはすでに飲み干した後。デザートもオーダーした。アップル・シュトゥーデル温かいリンゴとひんやりアイスのハーモニーがようございました。ごちそうさま。はい、お待ちかねショッピングのお時間です。お互いの携帯が通じることを確認したら一旦解散!私はこちらのお店へ。一年中クリスマスのお店。本店はローテンブルク。アルザスのリクヴィルでもこのショップを見つけたが、ちょうど冬期休業時でクローズしてて撃沈。次に巡り会った時は、絶対買う!と決めていた。(日本にもクリスマス時分に出店しているようだけど)ツリーを出す頃になると娘に言われるのが、「オーナメントには統一性を持たせること!!」そうなのよ〜 私はセンスがなくって移り気で派手好きなので、ガチャガチャしたツリーになってしまう。ツリーに綿までのせたくなってしまうお子ちゃまなのだ。娘に怒られないように、センス良く選ばないと。本場のドイツっぽいものでと、こんなオーナメントを選んでみた。このオーナメントでちょうどいい小さめのツリーを買って、今年は飾ることにした。今からクリスマスが楽しみだ
2014.09.13
コメント(4)
ゴンドラを降りて、最初のビューポイントからドイツで『父なる川』と呼ばれるライン川は、スイスアルプスを源とする全長1200km余りの大河。古きより交通として重要な川で、様々な歴史を見つめてきた川だろう。ちなみに日本で一番長い川は信濃川で全長367km(千曲川214kmを含む)。ニーダーヴァルトにはこんな像が立っている。ドイツ帝国再建(1871年)を祝したゲルマニアの女神像。1871年は普仏戦争でプロイセン側が勝利した年で、初代ドイツ皇帝に即位したのはヴィルヘルム1世、首相は鉄血宰相ビスマルク。世界史の授業でシフトがギアチェンジされる頃の人物たちで、ページをめくるスピードが最速モードになって、いたことぐらいしか覚えてないわ像の前は展望スポット様々な国からの旅行者が、ライン川の美しき風景を見てまったりしている。ライン川北側斜面の葡萄畑は、一日中陽当たりが良く、最高の葡萄が出来る場所だそうだ。ドイツワインの中でもラインガウ地域のワインはいいっていうものね。品種はリースリングが多い。対岸のビンゲンの街あちらへフェリーで渡って、ライン川超ミニクルーズもいいなと思っていた。下りのゴンドラからフェリー(渡し船)が見えた。帰りの列車の時間があわなかったら、フェリーもいいかも。フェリーはリューデスハイム駅近くから出航のようだ。ゴンドラでリューデスハイムの街に戻ってきた。
2014.09.12
コメント(4)
つぐみ横丁を突き当たって右に曲がると、ほどなくゴンドラリフト乗場。ドイツ語でSEILBAHN、SEILはロープでBAHNは軌道・鉄道。小さなゴンドラは、葡萄畑上空を上がっていく。ライン川とリューデスハイムの街と葡萄畑こんな景色を見ながら10分ほどの空中散歩。絶景だった。ぶどう畑の真ん中をプチ・トランがゆったりと走っていた。あれに乗るのも楽しそうだ。向こうに見えるのは?古城かな?キャッキャとはしゃいでいる間にニーダーヴァルトに到着。
2014.09.11
コメント(2)
リューデスハイムのつぐみ横丁。わっ! かわゆいシシィがいるのが面白いな。彼女はバイエルン出身ね。私が誘惑されるくらいだから、母は前に進まない。「せっかく天気もいいのだから、ロープウェーで上がってライン川の景色を楽しんで、下りてきてランチしたらゆったりお土産物屋さんに寄ったらいいよ。時間とります。」と説得して、前進させた。楽しい気分になる通り。京都なら二寧坂、飛騨高山なら三之町かというくらいのベッタベタな観光ストリートだけど、観光ストリートになるには魅力がないといけないということがよくわかる。思い出したっ! 30年前に入ったレストランはここだわ。添乗員さんに連れられて、ここのテラス席で食事をした。添乗員さんは、アルコールの入ったリューデスハイマ−コーヒーを飲んで真っ赤になってたっけ。短い通りなので、あっという間に突き当り。突き当りを右折して、ロープウェー乗場へ行く。
2014.09.05
コメント(6)
リューデスハイム駅から徒歩でつぐみ横丁を目指す。おぉ〜 美しか〜ここ10年、ヨーロッパといえばフランスばかり、それも12月や3月の寒い季節ばかりだったので、花の季節のヨーロッパは憧れだった。旅の前半の雨は残念だったが、ヴァイマールとここが晴れてくれたからいいっかな。ライプツィヒとドレスデンは雨が似合うけれど、リューデスハイムには似合わないもの。きゃぴきゃぴ歩いていると、あっという間につぐみ横丁に着いた!リューデスハイムの小さなメインストリート、DROSSELGASSE(つぐみ横丁)。長さ144mの狭い路地は、観光客でいっぱいだ。
2014.09.04
コメント(4)
丸一日使える最後の日、母の希望でリューデスハイムへ行くことにした。ホテルからタクシーでフランクフルト中央駅へ。午前中だが、うつろな目つきをした御仁もいる駅入口。フランクフルトで一番気をつけないといけない場所は駅前周辺の路地のようだ。深夜はぐっとヤバくなりそうだが、明るいうちはささっと行動していれば問題なさそうな程度で、変な署名詐欺とかいないぶんパリよりましかも。入口には酒瓶並べたおっちゃんとかがいるから、さっさと駅構内に入ってから物事を考えたほうが良さそうだ。大きな駅だが、ライプツィヒ中央駅を見た後なので大きさには驚かなかった、しかし、人の数が段違い。とにかく人でわっさわっさしている。リューデスハイムへは、ライン川右岸を走っているVIASという鉄道で行く予定。フランクフルトからは1時間に1本で、ジャーマンレイルパス利用可だ。左岸を通るドイツ鉄道でもアクセス可能だが、それだとライン川を渡し船〈フェリー〉を使わなければならなかったので、右岸線にした。あらかじめDBのホームページで乗る列車を調べていて、それによると発車ホームは23番線だった。案内板を見ると、24番線になってる。ホームチェンジなのね。そして端っこの24番線に向かうと、23番線に乗る列車の案内がある。えっ! どっちよ??23番線の案内板の下でキョロキョロしていると、女性の駅員さんが「ヴィースバーデン方面へ行くの?」と英語で声をかけてくれた。「そうなんです」と答えると、「24番線のあの列車よ、もう5分しかないから急いでね」と教えてくれた。ダンケ・シェーン!! 24番線は奥に引っ込んでて列車がいるのがよくわからなかったから、声をかけてくれて助かった。慌てて列車に乗り込むとほぼいっぱい。レイルパスが1等だったので、1等まで行くと、ラッキーなことに2席空いていた。マダムが悠々と座っていたので、「ここ空いてますか?」と声をかけると、「いいわよ〜」 とつめてくれた。こういうローカル列車は1等の座席はほんの少し。でも1等でなかったらマインツ・カステルまでは座れなかっただろう。座るなら川沿いの進行方向左側よね、なんて考えていたが、座るのが精一杯。右も左もどうでもいい。ライン川の景色を本格的に楽しめるのはヴィースバーデンを過ぎてから。ヴィースバーデン駅は頭端式ホームの駅。ヨーロッパの大きな駅によくある行き止まり式の駅。行き止まりということは、そこから先は進行方向が逆になるので、景色がいいはずとフランクフルトで左側に座っていると、期待を裏切られることになる。リューデスハイムまでなら、フランクフルト駅で進行方向右側に座るほうがいい。リューデスハイムより先は、、、乗っていないのでわかりません。フランクフルト中央駅から1時間10分でリューデスハイム(ライン)駅に到着。乗ってきた列車はこんな車輛。左側に見えているのがライン川。リューデスハイム駅舎にはしっかり「DB」の文字。たくさんの人が下車し、ほとんど観光客と思しき人々だった。ドイツワイン産地の中で、一番偉大なワインができると言われいてるラインガウ、そのラインガウの街リューデスハイムでのんびり観光しよう。
2014.09.02
コメント(6)
30 年前に旅行で来たフランクフルト、覚えているのはゲーテハウスとレーマー広場に行ったこと。そのツアーは元々フランクフルト宿泊予定だったが、どうもメッセ(見本市)か何かでホテルが満室でとれず、ヴィースバーデンのホテルに変更になっていた。ミュンヘンからの列車で中央駅に着き、ささっと市内観光をしてヴィースバーデンへ移動だったので、ものすごく駆け足観光だったことを覚えている。レーマー広場に10分もいただろうか。この景色は記憶があった。近代的な建物が多いフランクフルトで、昔ながらのドイツっぽい建物が並んでいる。爆撃にあっているので再建ものらしいが、年月が経っていい具合にレトロ感が出ている。上の写真の木組みの建物の正面にも、趣のある建物があり、これはかっての市庁舎。こちらをレーマーと呼ぶそうだ。レーマー広場を通り過ぎて川沿いまで出た。フランクフルトの正式名称はFrankfurt am Main、『マイン川のほとりのフランクフルト』という名だ。だったら、マイン川も見ておかないとね。アイゼルナー・シュテッグという橋よりマイン川を望む。マイン川はライン川の支流で、フランクフルトの先マインツでライン川と合流する。翌日はライン川沿いの小さな、でも観光客がどっさりいる街へ行った。
2014.09.01
コメント(6)
まだまだ明るいので(日没は21時頃)、ホテルから散歩に出かけた。ホテル玄関前から見えているのが、エッシェンハイマー塔街を守る城壁の遺構だそうだ。この交差点の下に、地下鉄駅がある。ここからシラー通りを南に行くと、左側に日本人にお馴染みのショップがあった。フェイラーです。ドイツではそれほどメジャーではなく、日本人マダムにのみ絶大な人気があるそうだ。私は愛用しているので迷わず店内へ。とても上品な英語を話すマダムが接客してくれ、母も楽しくお買い物できた。ここで母はホテルに戻ったので、ここからはおひとり様でブラブラ。シラー通りをハウプトヴァッへまで来ると、土曜日だったこともあるのか大勢の人々で賑わっていた。デパートのガレリア・カウフホーフ。買物がしやすいデパートで、地下1階に下りてもう半階下がると食料品コーナーがあり、チョコレートがブランド別に整然と並んでいる。バラまきお土産に便利なリーズナブルなチョコもたくさんあった。駅名の由来となっているハウプトヴァッへ1729年に建てられた警備本部兼監獄。今はカフェになっていた。レーマー広場を目指して、トコトコ歩く。屋台が出ていてひときわ賑やかだったのは、期間限定のワインフェスト。屋台でおつまみを調達してワインを楽しんでいる人がたくさんいた。レーマー広場手前の路面電車通りに、楽しいペインティングの電車がやってきた。名物リンゴ酒電車。リンゴ酒を楽しみながら市内観光するイベント路面電車。ちらっと車内の様子がうかがえたが、ものすごく陽気そうな雰囲気だった。宴会状態の楽しい路面電車を見送ったら、レーマー広場に着いた。
2014.08.31
コメント(2)
部屋の窓が大きくとられていたので、景色がいい。フランクフルトの象徴、金融街のビル群。金融街以外は、そんなに高層ビルが多い街ではない。ホテルは吹き抜け構造。レセプションから上を見上げた写真。右側がエレベーター。ラウンジアクセス権がついていたので、お茶したり何度か利用した。11階のエレベーターを降りると目の前がラウンジで、ちょっと面食らう造り。11階の客室へは、ラウンジをぬけてアクセスすることになる。ラウンジからの眺めラウンジのスタッフは笑顔でよく気のつく人だったが、チェックイン時に当たったレセプショニストはニコリともしない愛想のないおねえちゃん。フランクフルト空港のヒルトンからヴァイマールのエレファントまで、にこやかな人のいいホテルマンにばかり接してきたので、このおねえちゃんのつっけんどんな態度には少々驚いた。最初の出会いでホテルの印象の50%は決まってしまうから、このおねえちゃんでヒルトン・フランクフルトの印象はガタ落ち。接客業は怖いね〜 たった一人のことで、もうリピする気はなくなってしまう。アメリカのヒルトンやシェラトンでも、あんなおねえちゃんに当たったことはないわ。
2014.08.30
コメント(4)
フランクフルト南駅からタクシーで10分弱、地下鉄エッシェン・ハイマートール駅近くのヒルトン・フランクフルトに宿泊した。ドイツ最後のお宿なので、初めに予約していた部屋からアップグレードして広めのお部屋にした。ジュニアスイート。ゆったりとした広さがある。質感がいいとは言えないが、趣味は悪くない雰囲気。狙っているラインは、アーバン・スタイリッシュというところかな。フランクフルトの金融街が近いので、ターゲットは『お仕事の人』のはず。いかにもお仕事しやすそうなデスク周りだった。好きになれなかったのは、この木目調。何だか安っぽい。もしかして、かなり古い素材かもしれない。冷蔵庫は自動加算タイプで、自分の物を入れられるのは上段右端のみ。ベッドはキング1台。リビングエリアとベッドエリアは、テレビで仕切られている。バスルームはシャワーブースあり。バスローブと使い捨てスリッパあり。ライプツィヒで買った薔薇もフランクフルトまで旅してきた。
2014.08.29
コメント(2)
昼過ぎのICEでフランクフルトへ向かうので、ホテルをチェックアウトし、タクシーを呼んでもらって駅へ移動した。ヴァイマール駅はライプツィヒやドレスデンのように大きな駅ではないので、迷うこともないでしょう。とりあえず案内板、案内板と。良かった良かった、列車は来るみたい。これでフランクフルトに行けるわん。ん!ドレスデン行きとフランクフルト空港行きの列車が、同じ12:59発で同じ3番線なんですけど??これって、静岡駅の同じホームで、東京行きと新大阪行きのひかりが同じ時刻に出発するみたいなもん。そんなのアリか?わけわかんな〜い。頭の中は?マークだらけ。3番ホームの案内板は、『ドレスデン行き』と『フランクフルト空港行き』が交互に表示されていた。どっちか先に来たもん勝ちってことですかね。入線が近づくと、アナウンスがかかったが、当然のことながらドイツ語なのでよくわからない。先に近づいてきた列車はドレスデンの方からやって来たので、これだっ!と行先表示板に目をこらすと『Frankfurt』の文字があった。無事乗車し、定刻出発。バイバイ、ヴァイマール。ということは、ドレスデン行きのICE1547は、絶対定刻より遅れるということね。5分やそこらの遅れ、遅れるという範疇に入らないのだろう。私たちの乗ったICE1548は、バッハの生まれ故郷アイゼナハフルダを通って、フランクフルト南駅に定刻到着。この列車はフランクフルト中央駅に寄らずに空港駅に行くICEだったので、南駅で下車した。フランクフルトに着いたら、これで帰りの飛行機に乗ることができるとホッとした。移動旅はやっぱり気を遣っちゃう。
2014.08.28
コメント(4)
「聖ペーターとパウル市教会」、別名ヘルダー教会。教会入口横にある銅像は、ヨハン・ゴットフリート・ヘルダー(1744−1803)で、哲学者であり文学者、神学者。ストラスブールで若きゲーテと出会い、ゲーテに多大なる影響を与えた人物だ。1776年にゲーテの尽力によって、ヴァイマール公国に職を得て、この教会の牧師になり、この地で没している。この教会は祭壇画が有名。マルクト広場の人魚の家に住んでいた、ルーカス・クラナッハ作の祭壇画(1552年)だ。ルーカス・クラナッハといえばマルティン・ルターだが、ここにもルターが描かれている。キリストの血がぴゅーっと向かっている方にいる、聖書をひろげている人物がルターだ。私がヘルダー教会に行っている間、母はマルクト広場の市場で遊んでいた。蜂蜜屋さんで若いドイツ人青年にお買い物を手伝ってもらったそうで、いい出会いだったと喜んでいた。「大学生くらいの男の子でね、すっごいイケメンだったのよ」とな。母はどういうわけか、海外でイケメンに話しかけられることが多い。それも20代前半くらいの若いイケメン。ラスベガスでも超イケメン3人組と並んで、言葉が通じてないのに楽しそうにやりとりしながらスロットをしていたことがある。他にも、おじちゃんにチャチャ入れられたり、色々出会いがあるようだ。母は警戒心が強いほうなのに何でだろう??私は真逆でね〜 誰も寄ってこないし、話しかけてもこない。スロットしてても、隣は空いたままということがほとんど。たまに話しかけられても、チャイニーズのおばちゃんに中国語でこられるぐらい。“寄ってくんなオーラ”がきつすぎなのかな〜ダンナは「怖そうだからだろ」と言ってた
2014.08.27
コメント(4)
なんか立ってますよ。551の豚まん?そんなツッコミを入れるのは関西のおばちゃんくらいね。あら、こちらの男性は顔色悪いわね〜真打ち登場!諸君!ここに入りたまえっ!!
2014.08.24
コメント(6)
フランクフルト生まれのゲーテが、カール・アウグスト公に招聘されてヴァイマールにやってきたのは26歳の時。貧しい小国の若き領主の右腕となって、ヴァイマール公国の宮廷顧問として政務に携わることになり、ここが永住の地になる。マルクト広場のすぐ南にある、こちらのお宅がゲーテの家。世界遺産に登録されていて、内部を見学することができる。(内部撮影禁止)有名な最後の言葉、「Mehr Licht!」〜もっと光を!〜そのセリフを言ったかもしれない寝室も見学できる。寝室の窓からは庭園を望むことができる。朝一番に見学したので、庭園独り占めだった。太陽の光をいっぱい浴びることができる明るい庭園。ゲーテが最後に見たのは、窓から見えるこの庭園の景色だったのだろう。
2014.08.21
コメント(2)
マルクト広場の東、バッハ像の斜め前にはフランツ・リスト音楽大学がある。音楽大学の前にある銅像は、ゲーテをヴァイマールに招聘したザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公のカール・アウグスト。その左側にあるのは、世界遺産に登録されているアンナ・アマーリア大公妃図書館。そこから坂をだらだら〜と下がると、こちらも世界遺産の市の城。現在、中は絵画館になっているが、外観だけを見た。カッツカッツという馬車の音が聞こえると、タイムスリップしたように思える。地図なしで迷いながら歩くのも楽しい。小さい街なので、何度も同じ道を通った。黄色い建物はシラーの家(世界遺産)そこからしばらく歩くと、シラーが住んでいたというプレートがはまった別の住居もあった。
2014.08.20
コメント(6)
ヴァイマールを歩いていると、ふわふわと綿毛が降ってくる。写真には少ししか写らなかったが、風によってはかなり多く降ってくる。北海道でも経験があるふわふわは、ポプラの綿毛で、この季節の風物詩。見ためはロマンチックだけど、どう見てもアレルギーの元になりそうなクシュクシュ感。ホテルのテラスの窓を開けていると、部屋の中までふわふわが入り込んで来て、副鼻腔の手術経験がある母は、「ぎょえーーー!」と悲鳴を上げつつ窓を閉めていた。アレルゲンにはなりそうね。
2014.08.12
コメント(4)
アイゼナハで生まれライプツィヒで亡くなったバッハは、ヴァイマールの宮廷楽団に就職していた時期がある。マルクト広場のすぐ東側にバッハの胸像があった。1703年と1708年〜1717年の間にヴァイマールに住んでいたようだ。日本でいうと、五代将軍綱吉、六代将軍家宣の頃。ヴァイマールで宮廷オルガニストの職を得ていた。長男のフリーデマンと次男のフィリップ・エマニュエルはヴァイマールが出生地。二人とも後に音楽家として活躍している。バッハさん家は代々音楽家のようで、才能があることはもちろんだが、音楽が家業だったのだろう。ヴァイマールは魅力ある街だったようで、他にも著名人が訪れている。哲学者のニーチェ、作家のトーマス・マン、アンデルセンも来たようだ。
2014.08.10
コメント(6)
お部屋の居心地がいいので、夕食はルームサービスにすることにした。母はルームサービスを一番喜ぶ。好きにシェアできるし、身体も楽なんでしょうね。メインのシュニッツェルがビールの影になっちゃってる『エレファント・キス』というネーミングに惹かれてオーダーしたデザート。白いケーキが美味しくて満足した。お料理も美味しくて、このホテルはレストランもいけると予想できた。野菜が美味しくて〜 太陽の恵みを受けすくすくと育った優良児の野菜くんたちという感じで、普段日本で食べている野菜より美味しかった。量はドイツサイズで、かなりというか相当多め。サンドイッチは、持参のジップロックに入れて冷蔵庫に保管し、翌日の朝食になった。
2014.08.08
コメント(6)
歩いているだけで楽しいヴァイマールの街。小さな街なので、徒歩でぐるっと巡ることができる。お茶できるところはたくさんあるので、いつでも休憩OK。石畳は風情はあるけれど、歩き慣れてないと疲れますものね。 木組みの建物は16世紀のものだそうだ。現在はレストラン兼ペンション。マルクト広場や国民劇場周辺は、路地にも観光客がいるので、のんびりそぞろ歩きができる。緊張しないで歩けるっていいい所。おっ! 綺麗なおねえさん系御者の観光馬車。男性なら絶対こっちの馬車よね〜
2014.08.05
コメント(4)
街の中心、マルクト広場。西側は市庁舎(Rathaus)北側の建物の並び広場東側一番左はツーリストインフォーメーション。真ん中の建物前には、ガイドさんの説明を受けている人がいつもいる。画家のルーカス・クラナッハ(1472-1553)の家。クラナッハというと、思い浮かぶのはこのヴィーナスだけど、この絵のほうが有名。教科書でおなじみの、宗教改革のマルティン・ルター。クラナッハはルターと友人だったそうだ。クラナッハの家はとても個性的。真ん中はイカリのマーク? そして人魚かな。広場南側には、宿泊したホテル・エレファントのあるエリア。ホテル・エレファントのバルコニーからこちらを見ている金ピカのおじ様は、ベルギー人建築家のアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデ。朝から晩まで賑わっているマルクト広場。観光馬車がひっきりなしに通る。これも観光用かな。こちらはビールを納品に来た車。クレープの屋台は、やっぱり店名がフランス語なのね。クレープ・ダッコール!青空市の真ん中には、こんな子も!何を買いに来たのかな〜?
2014.08.04
コメント(4)
ホテル・エレファントは、ヴァイマールで一番賑やかなマルクト広場に面していた。広場には蜂蜜やフルーツを売っている市が立っていて、その中で一番目立っていたのが、チューリンゲン・ソーセージを売っている屋台。インパクト大のオブジェが屋台の上にのっている。ランチに食べてみた。かなり大きくて長いソーセージ。味はスパイシーで美味だった。1本でお腹いっぱい
2014.07.30
コメント(6)
『大公の墓所』で仲良く並んで眠っているゲーテとシラー。ヴァイマールを象徴するこちらの場所でも、仲良く並んでいる。左がゲーテで右がシラー。シラーがちょっとイケてる風だから、どうもイケナイ妄想モードな見方をしてしまうのは、いわゆる腐女子的ってやつかな。偉大な人物を前にして妄想モードはいけないわ、反省!シラーというと第九の、 ♪ アーレメンシェン アーレメンシェン アーレメンシェン アーレメンシェンこれが思い浮かぶ。ベートーヴェンの第九の第4楽章は、シラーの「歓喜に寄す」の詩が歌詞に用いられている。仲良し二人の後ろにある建物は、国民劇場。ヴァイマールを紹介する時には必ずと言っていいほど、ゲーテ&シラー&国民劇場の写真が掲載されている。ゲーテ『ファウスト』、シラー『ウイリアム・テル』などの演劇が上演された劇場で、リスト、リヒャルト・シュトラウスが音楽監督をしたことでも有名な劇場だ。でもここを一番有名にしているのは、憲法よ。1919年に憲法制定の国民会議が開催され、ヴァイマール憲法が採択されたのは、ここ国民劇場だった。
2014.07.29
コメント(4)
リストの家から離れていないゲーテのお墓に行くことにした。バウハウス大学の横を通って、墓地入口へ。 並木道の奥に「大公の墓所」がある。 「大公の墓所」は、『古典主義の都ヴァイマール』 として世界遺産に登録されているもののひとつ。1階受付でチケットを買って入り、階段を下がったすぐのところにゲーテの棺とシラーの棺が並んでいた。シラーの棺は空だという噂もあるそうだ。地下空間は、お棺がずら~っと20以上並んでいる。一種独特の空気が流れていている空間。静かに手をあわせてきた。さすがに長居をしようと思う場所ではないな。外に出ると、何かホッとした。
2014.07.27
コメント(4)
旅の計画を始めた頃は、ヴァイマールに来る気は全然なかった。ライプツィヒからフランクフルトに戻り、ハイデルベルグやケルン・ボンあたりに行きたいと思っていたので、ヴァイマールは頭になかったが、母が是非ともヴァイマールに行きたいというので計画に組み入れた場所だった。ヴァイマールと聞き、ダンナも娘も私も言ったセリフは同じだった。「えっ! あの憲法のところ、、、」条件反射のように、ヴァイマール(ワイマール)といえば憲法しか思い浮かばない家族。バラバラに離れていても、結束は固いぞっ! ってそういうことじゃないな(笑)調べてみると、世界遺産で見どころ満載の街。〈ゲーテ街道の旅〉でははずせない街のようだ。「文学よりは音楽」の母が行きたいと熱望した場所は、リストの家。ヴァイマールの宮廷楽士長となったリストが1869年〜1886年の夏の間に暮らしていた家だ。リストの曲というとどんなイメージがありますか?浅田真央ちゃんがプログラムに使っていた『愛の夢』が一番有名かな。あれはそんなに難曲ではないが、リストは技巧を要するものが多く、お子ちゃまが弾ける曲はほとんどない。だから、ピアノをある一定期間した生徒さんは、「リスト」という名前に反応すること多し。憧れの作曲家のようだ。私はあまりそそられない作曲家で、好きか?と聞かれたら、ビミョウなところ。ロ短調ソナタは好きだけど、あとはねぇ、、、車のHDに入れた超絶技巧練習曲を消してしまったくらいで。スワロススキーでデコったようなキラッキラなところが苦手なのだ。キラキラ部分の楽譜を読みにくいので、嫌いになっているだけという意見もあるけどさあれは老眼リーディンググラスがいる年齢になるとつらいのよ。そんな私でも、リストの家には興味がある。超絶技巧とイケメン度で、サロンのマダムを卒倒させたというピアニスト兼作曲家が住んでいた家ってどんなところかしら?ホテル・エレファントのあるマルクト広場から徒歩10分弱、緑豊かなイルム公園の一角にリストの家はある。入館料(4ユーロ)を払うと、英語のオーディオガイドを渡され、まず2階の住居から見学。残念ながら館内撮影禁止なので、雑誌に載っていた写真で雰囲気だけ。部屋の趣味はリストと気が合うかも。2階を見終わったら、オーディオガイドとは別のヘッドホンを貸してくれるので、1階でリストの曲をいろいろ聴ける仕組みになっている。このリストの家に1時間30分近くいた。母も満足しただろう。可愛い居心地の良さそうな家。目の前はイルム公園で、緑豊かな環境だ。
2014.07.26
コメント(4)
とても陽気な田舎のおっちゃんドライバーは、目的地のホテルに着くと、「ホテル・エレファ〜ント!!」と駅員さんのように叫び、トランクからスーツケースを取り出したら、ホテル内のレセプション前まで運んでくれて、「ここでチェックインしてね」と言って、握手して去って行った。あなたのお陰で、ヴァイマールの印象が跳ね上がりましたよ。ヴァイマールで1泊するのは、マルクト広場前にあるホテル・エレファント。チェックインを担当してくれた若い男性のレセプショニストはホスピタリティあふれた感じのいい人で、またヴァイマールの印象度が上がった。彼が案内してくれたお部屋はテラスのひろ〜いお部屋で、母と二人でキャッキャと喜んだら、「第一印象が良くて、私も嬉しいです。」と微笑みながらゆったりとおっしゃった。ええわ、ヴァイマール。部屋のデザインはあっさりとしてて、少し物足らないくらいだったが、このお部屋は不思議なことに、過ごしているうちに居心地がよくなってきた。斜めにしているベッドの置き方は、部屋の角の部分にデッドスペースを作ってしまっていて合理的とはいえないが、何なんでしょう、こういう無駄遣いが心にゆとりを与えるのかもしれない。バスルームはビシッと清潔。この配置だと、お風呂の時にトイレが気にならなくていい。シャワーはハンドシャワー式。バスローブ、使い捨てスリッパあり。クローゼット内に、室内金庫がある。キャッキャと喜んだテラステラスからの眺めテラスでワインを楽しんだり、お茶してゆったりとくつろいだ。予約はスターウッドプリファードゲストのページから。
2014.07.25
コメント(4)
3泊したライプツィヒから列車でヴァイマールへ行く。早めに駅に来たので、ホームのベンチに座って列車を眺めていた。 ミュンヘン行きのICE。初老の日本人ご夫婦が楽しそうに乗りこんでいかれた。いいな〜 男手があって。駅までスーツケース2つ引きずってきたら、もう疲れちゃった。母の手には、日本から持ってきたプチプチにしっかり梱包しなおしたマイセンが入った手提げカバン。それも気を遣いそうだけど。私たちが乗ったのは、フランクフルト空港駅行きのICE。ヴァイマールまでの列車はDB(ドイツ鉄道)のホームページで座席指定しておいた。ドイツは車両ごとに自由席/指定席となっているのではなく、席ごとに予約が入っている区間だけ指定席になる。座席上に電光掲示板があり、この81番の座席は、ライプツィヒ・ワイマール間は指定席ということだ。ここに区間名が入っていなければ、自由席扱いになる。この列車は比較的空いていたが、高齢者を連れている場合は座席指定しておくほうが安心だろう。世界の車窓からやっと晴れてくれた。天気が回復して、緑が目に眩しい。ライプツィヒから1時間20分ほどでヴァイマールに到着した。駅出口を出て左側にタクシー乗場があった。タクシーに近づいて行くと、ドライバーはトランクを開けて準備している。おやじさんという雰囲気のドライバーが、両手を広げて「○▼△×◎ ヴァイマ〜!!」と言った。ドイツ語はわかんないけど、きっと「ようこそヴァイマールへ!」とおっしゃったのだろう。ものすごくテンション高いなんか楽しい滞在になりそうな予感。
2014.07.23
コメント(6)
マリオットホテルの南側の通りを、西へ100mほど行くと、シルバーメタリックなショッピングモールがある。そのモールの通りに面した片隅に、『ワーグナー生家跡』のプレートがはまっている。リヒャルト・ワーグナーは1813年にライプツィヒで生まれ、1883年にヴェネツィアで亡くなっている。ヴェネツィアの亡くなった大運河沿いの屋敷は、現在はカジノになっているヴェンドラミン・カレルジ館。そこで心臓疾患によって愛妻コジマの腕の中で亡くなったとある。コジマは作曲家リストの娘で、リストは自分の2歳年下なだけのワーグナーと娘のコジマが再婚することを大反対したそうだ。イケメンの色男で鳴らしたリストも、自分の娘のことになると、普通のパパだったのだろう。コジマさんの前夫は、指揮者のハンス・フォン・ビューロー。コジマさん、お付き合いするのは一流の男限定なのね。バイロイトへ行くとワーグナー祭りかもしれないが、ライプツィヒではバッハの影に隠れ気味。かぶった相手がバッハじゃ無理もないな。
2014.07.22
コメント(4)
母に口酸っぱく言ってた事は、フランクフルトに戻るまでは、極力荷物を増やさないようにすること。マイセンひとつはいいけれど、いつもみたいに瓶詰めものをポンポン買うのは厳禁!列車移動があるのでスーツケースを重くされると困るからだ。母は肩を痛めていて、4輪スーツケースを転がすことはできても、持ち上げる事は不可能。列車の乗り降りの階段は、私が2つ担当しなければならないので、いつものように重いジャムや缶入りお菓子、いびつな形の物を買われると、こちらが身体を痛めるからだった。でもね、母はもう来ることはないであろうライプツィヒ、ひとつくらいはライプツィヒらしいものを買いたいだろうと、トーマス教会前のカフェへ行った。トーマス教会のまん前にあるカフェ・カンドラー そこに売っているバッハターラー(バッハ銀貨)というチョコレート菓子。 バッハ先生が団体でいらしゃいます~ しっとりとした薄いクッキー生地の間にチョコレートクリームがサンドされていて、中にコーヒー豆がひと粒入っている。このコーヒー豆が硬くて食べにくいのが難点。でもチョコ部分は美味しいので、コーヒー豆さえ除けばいいお菓子だ。
2014.07.21
コメント(6)
ドレスデンから戻ってきてから、ライプツィヒを少し歩くことにした。ライプツィヒ最後の街歩きになる。駅前の公園をぬけて、ニコライ通りを南へ歩く。しばらくすると、左側にニコライ教会が見える。ライプツィヒはベルリンの壁が倒されるキッカケになる運動が始まった場所で、この教会での集会が東ドイツへの反体制運動になり、その後の民主化運動のうねりへとつながった。日頃ならそういう時事ネタには敏感なほうだが、ドイツ統一時期の細かいことは全然記憶がない。「記憶がない」というより、「知らない」というほうが正しくて、1989年は自分の結婚に手一杯で世間の事には関心がなかったのだろう。旧市庁舎横を通り、トーマス教会から北へ向かう通りに入る。良さげな雰囲気だ。ヨーロッパやね〜 と母と話しながら歩いていたら、えっ! だんじり??ちゃうちゃう、おにぎりやん。「おにぎり」を「だんじり」に見間違えるって、「り」しかあってへんやん店名は「UMAII」。うまいぃーね。看板のロゴはオシャレ系だけど、このネーミングはどうでしょ。うーーーん、当たりかハズレか微妙なとこね。チャレンジャーではないのでパス。両サイドびっしりとテラス席が出ている通り。マダムたちはおしゃべりに夢中だったが、ドイツマダムはどんなことをしゃべってるんだろう。子供の教育問題、ダンナの愚痴、はたまた環境問題かしら。入ってみたいカフェだったカフェバウム。入りたいお店の前を通る時は、お腹いっぱいのことが多いのが残念。少食気味なので。このカフェバウムはドイツ最古で、ヨーロッパで2番目に古いカフェで1720年開店。(ライプツィヒ観光局ホームページより)じゃあ1番古いのは?ライプツィヒ観光局のページによると、パリのプロコップとあった。サンジェルマン・デ・プレのあそこね!(2010年12月撮影)帰ってきてから、無理してでもカフェバウムでお茶すれば良かったと後悔した。
2014.07.19
コメント(4)
ドレスデンからライプツィヒへのICE /ICは1時間に1本。(例外もあり)時間の余裕があったので、構内のSUBWAYでテイクアウトして遅めのランチにした。SUBWAYのおにいさんには、アジアンソースを薦められた(笑)15時19分発のIC(特急)はハノーファー行き。「ハノーファーといえば音楽大学ね」と笑っている母。発車時刻ギリギリに、電気機関車に引っぱられた車両が、ごぉ〜っと力強くホームにすべりこんで来た。車内に入ると、おっ コンパートメントだ!こういうの久しぶり。列車の旅という感じがするわ。空いていたので、二人でゆったりと独占して、ライプツィヒまでの時間を過ごした。ライプツィヒに着いてから先頭の電気機関車を撮影した。101型電気機関車。鉄っちゃんだった亡父なら、あらゆる角度から写真を撮っただろうなぁ。
2014.07.18
コメント(6)
ゼンパーオーパーの南側にあるツヴィンガー宮殿に、アルテ・マイスター絵画館がある。私がドレスデンで一番来たかったのは、アルテ・マイスター絵画館ラファエロの『システィーナのマドンナ』これが見たくてたまらなかったのだ。上目遣いの天使は、それだけ単品で有名になっている。ゼンパーオーパー側から宮殿敷地内に入ってすぐ右側に、アルテマイスター絵画館入口がある。前に人がいなかったら行き過ぎてしまいそうな、大きいけれど目立たない入口だった。チケット売場は階段を下がった地下にある。チケット売場奥にある化粧室に入るには、絵画館のチケットの半券に記されているバーコードを機械にかざす必要があるので、半券はなくさないように。連れがいるなら借りればいいけどね。チケットをもいでもらって中に入ると、第一室目の正面に『システィーナのマドンナ』があった。えっ もういた。早っ! 人は多いが、ゆっくりじっくり真正面で見ることができた。感激これで3つめクリア。あっさり目的を達成してしまい、あとは流し見。「あの顔の感じ、どこかで観たことがあるわ」と母が言ったのは、ドイツを代表する画家、ルーカス・クラナッハの作品。確かにどこかで観たような~?と考えていたら、思い出した。 ルーヴル美術館で観たんだわ。ルーカス・クラナッハに興味はなかったのに覚えていたということは、ちょっとエロティックなビーナスが印象に残りやすかったということだ。クラナッハについては、ライプツィヒの次の訪問地でも接する機会があった。あとフェルメールの『窓辺で手紙を読む女』があった。 絵画をたっぷりと観たら、最後にツヴィンガー宮殿の中庭に行ってみた。アルテ・マイスター絵画館の入場料には、陶磁器コレクションと数学物理サロンの入場も込みになっているので、じっくり観てまわると一日はゆうにかかりそうだ。クローネン門はポーランドの王冠をかぶっている。ツヴィンガー宮殿を建てたのは、毎度おなじみアウグスト強王。アウグスト強王は、ザクセンの王でありポーランドの王でもあった。ドレスデンは、ポーランド国境まで100kmほど、チェコまでなら40kmほどしかない。超駆け足のドレスデン観光で、3時間ほどの早回りだったが、街のアウトラインはつかめた。もし次来ることがあったら、(あるかな〜??)、今度はもう少しゆっくり巡ってみたい。8番のトラムに乗って、ドレスデン中央駅に戻った。
2014.07.17
コメント(4)
君主の行列を過ぎると、右側に鉱物博物館がある。その前には、1738〜54年にバロック様式で建てられた大聖堂。アウグスト強王の心臓はここにあるそうだ。左 ドレスデン城右 大聖堂ドレスデン爆撃で被害を受けたドレスデン城は、1989年から再建が始まった。ザクセン選帝候の住まいだったドレスデン城。頭に思い浮かべる『城』とは少しイメージが異なる。ここには、お宝どっさりの宝物館『歴史的緑の丸天井』という目玉スポットがあり、そちらは時間指定予約券が必要。当日券も売り出されるが、発売時に並んでいないと無理なことが多いそうだ。今回はもちろん見ることはできない。ワーグナー『タンホイザー』が初演された、ゼンパーオーパー。建築家ゼンパーによって建てられたので、ゼンパーオーパーだ。ゼンパーオーパーは東独時代に再建されている。『百塔の都』と呼ばれた頃は、このような塔が街中に見られたのだろう。フラウエン教会からゼンパーオーパーまで直線距離で400mぐらいしかない。その間に見どころがぎゅっと固まっている。今回は内部見学を全然していないが、ひとつひとつ入館して見学したら、この400mだけでも半日では無理だろう。
2014.07.15
コメント(4)
フラウエン教会のすぐ近くにあるヒルトンホテルのお土産物屋さんに寄った。ヒルトンはドレスデン観光にこれほどいい場所はないというところにある。旅の計画をした最初は、ここは宿泊候補だった。ドレスデン2泊、ライプツィヒ2泊、フランクフルト2泊にしようと考えていたが、母がどうしても行きたい場所があると言うので、ドレスデンに泊まることはやめてしまったのだ。ヒルトンの前にはESCADAのショップ。母が「ESCADAはドイツのブランドなんだよ」と教えてくれた。 へーー知らなかったわ、ブランドに疎いから。帰ってきてから知ったが、ESCADAの入っているこのモールに、マイセンのアウトレットショップがあるそうだ。こちらの剣のマークは、ヒルトンに入っているマイセン正規店。そして、その向こうに見えているのもマイセン製。マイセンのタイルで作られた『君主の行列』。長さは101m。ドレスデン爆撃を免れた場所。周辺はぐちゃぐちゃになったのに、これは残ったとはまさに奇跡。日本ならその奇跡にあやかって、『パワースポット』になりそうだ。この写真だと、タイルを組み合わせて絵になっているということがよくわかる。タイルの数は25000枚。以前よくお邪魔していたブログにここが紹介されていて、すごく行きたいと思っていたので、見ることができてうれしい。見たいもの3つのうち、2つめクリア。
2014.07.14
コメント(6)
見るもの3つに絞っていたうちのひとつ、フラウエン教会 第二次世界大戦のドレスデン爆撃で破壊され、戦後の東ドイツ統治下では、崩壊した教会の瓦礫が積まれたまま放置されていた。東西ドイツ統一後から再建計画が本格化し、着工から10年以上の歳月を経て2005年に現在の姿になった。白い部分と黒い部分があるのは、黒い部分は瓦礫の中にあった元々の資材を使っているからで、コンピューターを駆使して組み合わせていった、大変な作業だったそうだ。 全く新しく美しい姿に再建したのとは違う、もっと深い「平和への思い」を感じる、斑な姿をした教会だ。 フラウエン教会は、18世紀前半に建築されたバロック様式のプロテスタント、ルター派の教会。ドレスデンはバロック様式の建物が数多くある美しい街並みの歴史都市で、まさかドレスデンを空爆することはないだろうと思っていたら、市中心部が壊滅状態になるほどの攻撃を受けてしまった。安易に比べることはできないが、京都が東京大空襲なみの攻撃を受けたようなものかな。犠牲者の数は、実際のところ何万人かわからないそうだ。 どこが攻撃されても死者は出て、物は破壊される。どこなら良くて、どこなら悪いなんて言えない。でも、もし京都や奈良が灰燼と化したら、文化を根こそぎ絶やされたと感じ、精神的支柱を失うかもしれない。ドレスデンが破壊された時の、ドイツの人々の落胆は計り知れないものがあっただろう。そこに至るまでには色々あったと言ってもね。2005年って、ついこの間のこと。60年もかかったんだ。 教会前の広場はとても賑やかだ。
2014.07.12
コメント(2)
下車した停留所からすぐのところにある建物。屋根にある像が「こっち」と手を差し伸べている方へ歩いて行く。歩いている人が多く、ほとんどが観光客のようだ。観光する場所がぎゅっと固まっているので、人が集中しているようだが、それにしても多い。予備知識のなかった母は「へ〜 観光地なんだ」とびっくり顔だった。ライプツィヒからの列車内でカリフォルニアにいるダンナとメールしてて、「今からドレスデンに行きま〜す」と送信したら、「ドレスデンに何があるの?」と返ってきた。何があるのと聞かれてもねぇ、見たい街があるのさ!としか答えられない。「元世界遺産」と言っても、混乱するだけだろうしね。我が家では、認知度が低かったドレスデン。あんたら、ドレスデンをなめたらあかんぜよ! (家族への叫び)唯一娘は、「イリさんのとこね」と返信が来た。イリさん=イリ・ブベニチェクさんはドレスデンバレエのダンサー。母には「地球の歩き方 ドイツ」を旅行前に渡してあったが、可愛い木組みのお家や綺麗なライン川沿いのページばかりを見ていたようだ。グレーで暗い雰囲気の建物が多いドレスデンのページは、すっとばしていたみたい。歩いているうちに、「ここいいね〜」と言い始めた母。よろしいやろ、お母さん。あれが、フラウエン教会ですよ。右てにある黄色い建物は、コーゼルパレスというレストランカフェ。アウグスト強王に幽閉されてしまったコーゼル伯爵夫人の息子の豪邸ですって。ここでランチにしたかったね。でも、まだお腹いっぱい。(ラウンジで食べなきゃよかった)フラウエン教会前まで来ると、馬車もいる。
2014.07.10
コメント(6)
ライプツィヒ3日めも雨少しゆっくりめに起きて、ラウンジで朝ご飯しながら、さてどうします〜 と話し合い。疲れているならライプツィヒにいて、シューマンハウスへ行くぐらいにして休養日にする。ヘンデルの生まれた、近場のハレへ行く。特急に乗って、片道1時間のドレスデンへ行く。この3つから母に選ばせたら、ドレスデンになった。ドレスデンと言うと思っていなかったので、の〜んきに構えていたんだけど、こりゃ大変! ダッシュで支度をしてライプツィヒ中央駅へ。ドレスデン中央駅行きのICEに乗りこんだ。1時間10分でドレスデン中央駅に到着。ここも大きな駅。乗ってきたICEは、折り返しフランクフルト中央駅行きになるようだ。朝がゆっくりだったので、もう正午前、行きたい場所を3つに絞ることにした。ホームから階段を下りたところにあるツーリストインフォーメーションでドレスデンカードを購入し、ゼンパーオーパー前に行くトラムのナンバーを聞き、行動開始。ドレスデン中央駅を出てすぐ前にある、トラムの乗場に行った。インフォメのおにいさんに、トラムの8番に乗るように言われたので、8番のトラムが来る停留所で待つ。停留所で、「3番が5分」と標示されたので、3番が行ったら次は8番ねと待っていたら、その次も「3番が10分」と標示された。え〜 また3番かい。ちょっとイラっとして、インフォメでもらった路線図とにらめっこしていると、予定していたコースを逆にするなら3番でいいと気づき、次に来た3番に乗った。トラムはこんな車両 (これは帰りに駅まで乗ってきた8番のトラム)低床式の静かな車両だ。シナゴーグという停留所で下車。あれがシナゴーグ、変わった建物だわ。ここから西へ歩く。
2014.07.07
コメント(4)
宝塚ファンにしかわからないタイトル、それも往年のファンしかわかんないだろうなマルクト広場を後にして、マイセン駅に向かう。ゆっくり巡ったら、きっと素敵な発見ができる街だと思える路地雨が強くてゆっくりと散策できなかったのが残念だった。旧市街をぬけて、エルベ川にかかる橋まで来た。橋から見えるこの景色は、ガイドブックに必ず載っているマイセンの代表的風景。黒っぽい尖塔が2つあるのが大聖堂で、その手前がアルブレヒト城。アルブレヒト城には、アウグスト強王が造らせた王立磁器製作所が1710年から155年間存在し、マイセン磁器製作を発明したベドガーは、あの城に死ぬまで幽閉されていた。旧市街の対岸の景色エルベ川は、ポーランド/チェコ国境から、チェコ北部、ドイツ東部を流れて北海に注ぐ川で、マイセンのすぐ上流には、ザクセン地方の中心都市、ザクセン選帝国の首都であったドレスデンがある。エルベ川は輸送手段として大きな力を発揮していたのだろう。でも、川は氾濫することもある。昨年には大きな氾濫があって、マイセン中心部が水に埋まり、2002年にも大きな氾濫があったという。この時も雨が降っていたとはいうものの、もうちょいゲリラ豪雨が来ると、危なっかしい川ではあるわね。エルベ川を渡ったら、マイセン駅までは300mくらいですぐだった。帰りの電車の時刻を気にせず歩いていたけれど、偶然発車10分以内に駅に着いてラッキー。行きと同じく、コズヴィッヒ乗り換えでライプツィヒに戻ってきた。マイセンはドレスデンからアクセス(電車乗り換えなし、所要40分)するのが便利だが、ライプツィヒからでも日帰りでゆっくり楽しめる街だ。
2014.07.05
コメント(2)
マルクト広場に着いた。マイセン磁器博物館前から約1km、母とゆっくりゆっくり歩いたので20分以上かかったかも。左の建物が市庁舎。これらの建物が全部古いものかはわからないけれど、マイセンは第二次世界大戦で爆撃をあまり受けず、古い街並みがよく残っている街だそうだ。マルクト広場のすぐ横にあるレストランも、古そうな建物だ。木組みの建物はメルヘンチックでいいな。広場に面している、フラウエン教会(聖母教会)の塔。塔のカリヨンはマイセン磁器製だそうだ。あの白いカリヨンかな?ここから坂を上って、大聖堂とアルブレヒト城へ行きたかったが、母の顔にお疲れサインが出てきたので、残念ながらマイセン駅に戻ることにした。大聖堂とお城の外観だけを遠目に見る場所を通って、マイセン駅に戻る。
2014.07.04
コメント(4)
お腹もいっぱいになったので、腹ごなしにマイセンの街を歩く。磁器博物館前から、旧市街のマルクト広場方面を目指す。剣のマークが、「マイセンっ!!」 という雰囲気。磁器博物館から5分ほど歩くと、博物館前の賑やかさとは異なる静かな通りに。でも、人の往来が全くないのではなく、車は走っていて、住民も見かける。アルザスの田舎のような、住民が雲隠れしたような街ではなく、観光客以外の人の動きを感じられる街だ。観光客ルートの、大聖堂に向かう通りへ曲がった。いい雰囲気ですよ。マイセンのマンホール。ドイツ語表記の「Meißen」ではなく、「MEISSEN」なのね。このあたりからお土産物さんを見かけるようになった。聖母教会の塔が向こうに見える。
2014.07.03
コメント(4)
アウトレットともうひとつ、母が楽しみにしていたのは、磁器博物館内にある『レストラン・マイセン』でランチをすること。お買い物の後にレストランへ行った。『予約はありますか?』と聞かれたので、『してないんだけど』と言うと、「こちらへどうぞ」と窓側のテーブルに案内された。窓側付近だけが予約なしで、あとは『Reserved』の札があり、8割ぐらいのテーブルは予約済みだった。窓の外には磁器工場が見える。テーブルの上には、可愛いお花32ユーロのコースをオーダーした。前菜は鴨が入ったサラダ(白いプレートで、ふちは金だったと思う)メインは、旬のホワイトアスパラとお肉デザート量はちょうど良く、お味も良かった。食器は、もう言うことなし。コーヒー/紅茶は別オーダー。頼んでも良かったが、さすがにお腹いっぱいでパスした。私の真後ろの予約席には、日本からの団体ツアーの皆さんが座られた。母によると、ツアーの方々が食べていたのは、スープ・メイン(サーモン)・デザートで、お皿は全部白っぽいものだったそうだ。この日はマイセンだけしか観光しないので、ゆったりとランチタイムにした。食べながら話題になったのは、いかにパリの食事が高いかということ。この旅の間中、その話題で盛り上がることになった。
2014.07.02
コメント(6)
正規ショップとは別に、アウトレットコーナーがある。その名も『MEISSEN Outlet』。アウトレット品は、ドイツでの正規価格の20%引きと50%引きの2種類に分かれていて、当然のことながら、20%引きのほうが、正規品との違いが小さいということだ。そりゃあ、正規品がいいに決まっているが、アウトレットなら何とか買えるものもありそうだし、工房内でのアウトレットですもの、信用度も抜群。それと、「現地マイセンで買った!」という想い出もプラスされるもんね。目移りするくらいの数があったので、ふたりで迷う迷う。20%引きに狙いを定めて、決めるまで30分以上かかった。母が買ったのは、カップ&ソーサーとプレート。マイセンといえば薔薇。私はスミレにした。この旅行では、自分のお土産はこれひとつに決めていたので奮発した。スミレの価格は300ユーロ台だった。キャッシャーで、ささっとタックスリファンドの書類を作ってくれるので、それで空港で手続きすれば価格の12%くらい戻ってくる。付加価値税は19%だが、手数料等で12%くらいになるようだ。アウトレットコーナーで迷いまくっている間、日本人ツアーご一行様が2組来た。他のグループも見かけたので、ドレスデンやライプツィヒを巡るツアーはマイセンを訪問することが多いようだ。マイセンはヤーパンにしっかり営業にまわっているのね。見かけた東洋系はほぼ日本人だった。ジノリが経営破綻したくらいだから、「高級」というだけでは安泰ではないのだろう。いろいろ戦略を練っていかないと、生き残ってはいけないのかも。欧米人のツアー客も大勢いた。
2014.07.01
コメント(4)
高級磁器の代名詞、マイセン。東洋磁器蒐集家のザクセン選帝侯アウグスト強王が、錬金術師ヨハン・フリードリッヒ・ベトガーを監禁して磁器製造を研究させ、1710年にヨーロッパ初の硬質磁器窯「マイセン」が誕生した。ベドガーは磁器製造に成功したのに、製造の秘密が漏れることを警戒されて監禁され続けるという憐れな一生を送っている。王様ってひどいわね。アウグスト強王は、コーゼル伯爵夫人という寵姫も50年近く監禁している。強王というより監禁王だわね。子供は300人以上だそうですわよマイセン磁器博物館に入ると、まず初めに製造工程見学。チケット(9ユーロ)を買うと、見学開始時刻が書かれてて、その時刻に見学コース入口に行く。15分間隔くらいでスタートするようなので、時間のロスはなし。日本語のオーディオガイドを貸してくれ、マイセンのビデオ紹介から始まり、絵付けなど4工程を見学できる。全部で20分〜30分くらいだった。一緒に見学したドイツ語のおじさんが、すごくマメに質問する人で、時間は多くかかったほうかも。その質問に、職人さんたちはとても丁寧に答えていた。何を言ってたかは全然わかんないけど。館内いたるところマイセンだらけ。(当たり前だよ)美輪様のお宅とかにありそう。デヴィ夫人宅にもありそう。あと假屋崎さん家とか。楽しそうに鳥にさえずられても、、、あなた、いったいいくらよ?こちらの飾り皿には値札がついてますことよ。3032ユーロですって。なるほど〜 しかし、私でも買えるマイセンがあるコーナーがあった。母は、そこ1本狙い!
2014.06.30
コメント(6)
マイセン行きは、趣味が高級陶磁器のカップ&ソーサー集めの母の希望。趣味がそうだと、行ってみたいだろう。ライプツィヒからの車内は明るく清潔だった。次の駅はどこそこと案内掲示されるし、アナウンスもはっきりある。ライプツィヒ駅を出ると、列車は東へ向かう。車窓からは、廃墟となったレンガ積みの建物が多く見える。そこにはヤンキーが書いたであろう落書きがもれなくあるので、かなり殺伐とした雰囲気になっている。書ける場所には意地でも書くあの根性を、もっと他に生かせないものかしらね(溜息)これは廃墟ではなく稼働している工場のようだが、こんな煙突がある古めの工場が多い。ライプツィヒは、もとは工業が盛んだったのかな。ライプツィヒ近郊を過ぎると、北海道のような景色になって、緑の田園風景(小麦畑かな?)が続く。 晴れていれば綺麗だろうけど、雨だとねぇ、、、かなり強く降っていた。ライプツィヒから1時間10分でドレスデン郊外のコスヴィッヒ駅着。ここでドレスデンから来る近郊電車のSバーンに乗り換える。乗り換えには、ホーム移動のために、階段の上り下りがある。エスカレーターとエレベーターはなかった。終点はマイセン・トリービッシュタール駅で、トリービッシュタール駅がマイセン磁器博物館に一番近い駅だが、雨がかなり強くタクシーで行きたかったので、手前のマイセン駅で下車した。トリービッシュタール駅からだと、500mほど歩かなければならない。コスヴィッヒ駅からマイセン駅までは10分ほど。マイセン駅良かった! タクシーがいる駅だった。(左のクリーム色の車がタクシー)タクシーに乗って、マイセン磁器博物館に到着。ツアー客がどんどん入口に吸い込まれていく、一大観光スポットだった。
2014.06.29
コメント(4)
ライプツィヒ2日めは、ジャーマンレイルパスを使って列車で出かける。欧州屈指の広さを誇るライプツィヒ中央駅構内に入ると、横に長くて確かに大きい。外観とはうらはらに、構内は近代的雰囲気で、エレベーターもスタイリッシュ。ホーム階の下は、ショッピングモールになっていて、ショップがいっぱい。食べるものに困らず、時間つぶしにも困らない。夕方はとても賑わっていた。日曜日も営業しているらしいので、ここで事は足りそうだ。乗る列車のホームを確認すると、19番線。ドレスデン中央駅行きのRE(快速)に乗る。この列車でドレスデン近郊のCoswig(コスヴィッヒ)まで行き、そこでドレスデンから来るSバーンに乗り換えて、母念願のマイセンへ行く。
2014.06.28
コメント(4)
東ドイツと聞いて思い出すのは、やたらオリンピックに強い国で、選手のジャージの背中に書かれた『DDR』の文字フィギュアスケートのカタリーナ・ビット選手ホーネッカーという名前ベルリンの壁それぐらい。街歩きで一番元東ドイツっぽいなと感じた場所が、アウグストゥス広場。ライプツィヒ・オペラハウス写真を白黒に加工すると、雰囲気が出るかな。周りには見どころのある建物が多くあるが、だだっ広すぎて歩いていると疲れる。広すぎなのも考えもの。ゲヴァントハウスライプツィヒ大学ハイデルベルク大学に次いで、ドイツで2番目に古い大学。出身者は、ゲーテ、ニーチェ、シューマン、ワーグナー、日本からの留学生では、森鴎外、朝永振一郎。現在のドイツ首相のメルケルさんもここの出身で、物理学専攻だったそうだ。出身者のメンツを見ただけでも、優秀そうな大学ね。これらの建物が広場を囲んでいる。交差点には、可愛いアンペルマンくん。
2014.06.27
コメント(6)
バッハ博物館を見学してからトーマス教会の様子をうかがうも、まだ教会の扉は固くどざされたままで、人の出入りがない。まだ無理そうなので、少し場所は離れているが、メンデルスゾーン旧宅へ先に行くことにした。トーマス教会から徒歩15分くらい。20代でライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者になり、30代でライプツィヒ音楽院を開校と、ライプツィヒに縁が深い作曲家で、この旧宅で息を引きとっている。彼は裕福なユダヤ系銀行家の生まれで、相当迫害を受けたようだ。亡くなってからも、ナチス時代は演奏が禁止され、あった銅像は引き倒されたりした。東ドイツ時代は、「裕福な生まれ」ということが疎んじられ、この旧宅は荒れ放題になっていたが、東西ドイツ統一後に大々的に修理して公開された。入館料は7.5ユーロ。復元された家具調度品で、彼が住んでいた当時のように再現されていて、自筆譜などが展示されている。スイスの風景の水彩画があって、趣味の域を越えている腕前に驚いた。何でも出来るのね。チケット売場のおねえさんが、「この部屋では指揮が出来るわよ」と説明してくれた1階の部屋で、マルチメディア楽団前に置かれたデジタル譜面台を使って『序曲「夏の夜の夢」』を実際に指揮してきた。“指揮ごっこ”が出来て楽しいひと時。大きな音になっているパートが光るので、横で母が、「ほらほら、今は管のほうを向かなきゃ!」とか指示するけど、そんなこと出来ない。譜面は次々めくられていくし、、、 あ〜 千秋様は偉大なのねと思った。(そこかい?)バッハ博物館に比べると、ぐっと見学者の数が減るので、ゆっくり籠って“指揮ごっこ”が出来る。指揮のお部屋はこんな部屋。(画像は観光局のページより拝借)部屋全体に音が響くので、かなりの迫力だ。いい思い出になった
2014.06.26
コメント(2)
全63件 (63件中 1-50件目)