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玉泉洞を見学したら、琉球王国城下町のエリアへ。国の登録有形文化財に登録された古民家が移築され、そこで沖縄らしい体験プログラムもあるという場所。あまり時間がなくてゆっくり見学できなかったのが残念。次回は紅型体験してみたいな。ぶくぶく茶をこちらの古民家で飲んだ。ゆったりとした時間が流れている。縁起物だというぶくぶく茶は是非とも味わってみたかった。飲み方が下手で、中盤以降苦戦したよ。 笑おきなわワールドから車で約30分で那覇空港。空港に近いので、最終日に立ち寄るにはいい場所だ。ポケモンジェットがいる。乗るのはあれじゃないけど。もう1泊したかったね。来春また来よう!と話しながら帰路についた。おきなわワールド沖縄県南城市玉城字前川1336番地('24冬 沖縄旅行 終わり)
2024.06.14
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南城市にある「おきなわワールド」に行った。25年ぶり2度目の訪問。とは言っても、前回は体調が優れず、私だけレンタカーで待機していたので、今回が初めてみたいなもの。母が「すごく綺麗な鍾乳洞で良かったよ、行けなくて残念ね。」と言ってた玉泉洞はどんなところだろう。お~ 確かに綺麗だ。約30万年の月日をかけて形成された鍾乳洞で、鍾乳石の数は100万本以上になるという。両親との最後の遠出の旅になったのに、体調をくずして十分に楽しめなかったのが悔やまれる。あれ以来、父は関西圏から出られなくなってしまったから。旅でも何でも、次があると思っちゃいけないのね。ライティングの妙もあって見飽きることなく見学道を進む。伸びてる鍾乳石にあわせて手すりが切れてる。鍾乳洞の長さは5000mで、その内890mが見学できる。890m、、、思っていたよりも長いので、時間が限られている時は要注意だ。見学道は歩きやすく整備されている。あそこはどうだったんだろう? と思っていた場所に、四半世紀の時を経て訪ねることができて感慨深いものがあった。おきなわワールド沖縄県南城市玉城字前川1336番地
2024.06.12
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近くで朝ごはんを食べたので、また道の駅「かでな」に寄った。2023年の訪問記に、F35なんかが離陸したらどれほどの㏈になるのだろうと書いた。今回はそれを体感することになった。F-35Aが訓練中だった。この日に繰り広げられていた訓練はローアプローチというもの。滑走路に向かって着陸態勢にはいり、着陸することなく滑走路上を低空飛行した後に急上昇して急旋回する。それを何度か繰り返していた。急上昇時には、道の駅に設置されている計測器が「100㏈」を一瞬表示していた。騒音もさることながら、あの急旋回を頭上で何度もやられたら怖いな。まだ帰りの飛行機まで時間があるので、おきなわワールドに行くことにした。道の駅 かでな沖縄県中頭郡嘉手納町屋良1026−3
2024.06.10
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アメリカンな朝食を、と嘉手納へ。MORNING WORKS店内の9割は基地関係者と思しき人々で賑わっていた。見た目も量もアメリカン 笑朝からお腹いっぱいになってしまった。駐車場は店前の他に、店横の路地を入った奥にも2カ所ある。to go している人も多そうだ。MORNING WORKS 沖縄県中頭郡嘉手納町水釜155−1
2024.06.09
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古宇利島の北端にあるハートロック北風バーバーの日に北端に行ったら想像通りのバーバー状態。よりにもよってこんな強風の日にウエディングフォトを撮ってるカップルがいて気の毒になってしまった。そうそう予約変更できないから仕方がないよね。とてもにこやかで好感を持てるお二人さんで、お幸せに!と心から思った。ハートロックの後は今帰仁城跡を見学し、この日の予定を終えた。ハートロック沖縄県国頭郡今帰仁村古宇利2
2024.06.08
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古宇利島大橋の真下。シーズンオフなので静かなビーチだ。もうちょっと晴れたらもっと素晴らしいブルーになるのにね、なんて話していたら、龍のような暗雲が空に。あっという間にブルーは吹っ飛び、ハリー・ポッターみたいに。ワタシタチ ナニカワルイコトヲシマシタカ笑笑北風バーバーの日は天候不順。しばらくすると、またブルーが戻ってきた。
2024.06.07
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2日目は、「良かったよ」と娘が言ってた古宇利島へ行くことにした。お宿のある谷茶から車で約1時間、屋我地島から古宇利大橋を渡って古宇利島へ。天気はあまり良くないが、それでも美しいブルーに魅せられた。晴れていたらどんなブルーなんだろ。島に入ってすぐのところにある「古宇利島の駅 ソラハシ」に立ち寄った。ちょっと早めのランチにした。何にしようかなぁカレーにした。古宇利ブルーのカレー。ブルーのルーが意外に美味しくて、今まで青いカレーを避けていたのを後悔したくらい。笑お腹もいっぱいになったのでビーチのほうへ行ってみよう。古宇利島の駅 ソラハシ沖縄県国頭郡今帰仁村古宇利323−1
2024.06.05
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初日夜に、テレビの天気予報の画面に「北風バーバー」と文字があったのを見た。食事の用意をしていた時だったので説明は聞こえず、北風バーバーって何ですのん?と呑気に思っていた。夜中に音で目が覚めるくらいの風が吹いてきた。海が目の前で遮るものがないので相当な音。翌朝の海「北風バーバー」って、強い北風がビュービュー吹くってことだったのね。あの船、揺れているだろうな。
2024.06.02
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沖縄でのお宿は、恩納村の谷茶にある『ビーチルーム』。全5室のお宿。チェックイン当日にメールで部屋のキーの暗証番号が送られてくるので、それでお部屋に入るシステム。建物内にレセプションはない。1階入り口を入ると外観からはうかがえないエスニックな雰囲気。雰囲気はいいのだけれど、足元の石に隙間があってスーツケースをコロコロできなくて、短い距離ながら「うっ!」となった。そして階段。 自炊モードで荷物多めだったので、3階に着いたらゼーゼーしてた。 笑でもそんな不満は部屋からの眺めで吹き飛んだ。オーシャンビューだっ!天気イマイチでも美しい。今回は眺めにこだわってお宿を選んだ。部屋に入ってまず目につくのは、大きなダイニングテーブル。6人がけ。ダイニングテーブルの向こうにソファがあって、その前にテレビがある。ピンクが差し色になっている。海と逆側にベッドルームがある。ベッドルームのソファキッチン・リビングとベッドルームは、開閉可能な引き戸がある。キッチン必要なものはほぼそろっている。カトラリーがないな?と探したら、この木箱↓の中に入っていた。オーシャンビューなバスルーム。シャンプー類のメーカーはわからず。リゾートっぽく開放的でいいのだけれど、いざお風呂に入るとなるとスクリーンを下げた。水着で入るなら問題ないけれど、ホテル前のビーチからはよぉ~く見えてしまう。(3階向かって右側のスクリーンを下げているのが私達の部屋)ベランダには白いブランコが吊り下がっている。至福の時だ。予約は一休.comから。予約完了後に宿から、宿泊代表者の運転免許証などの身分証明書を提出するようメールで連絡が来た。色々なやりとりはメールでというシステムだ。キッチン設備は整っているので自炊には困らない。ちょっと貸別荘気分が味わえてとても楽しい滞在になった。那覇空港から車で約1時間だ。ビーチルーム沖縄県国頭郡恩納村谷茶152
2024.06.01
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関空からNU1便で那覇へ飛ぶ。離陸してすぐ、眼下には明石海峡大橋が見えた。四国上空までは視界良好だったが、九州からは雲が多い。那覇空港への最終着陸態勢ではガックンガックンと揺れ、予報通りの小雨の中の着陸になった。1月の沖縄はあまり天気が良くないことが多いので致し方ない。予約していたスカイレンタカーで車をピックアップしたら首里へ向かう。首里城近く池端交差点横のコインパーキングに車を停めたら、狙っていた沖縄そば屋さんへ。えっ!ここ? というような横丁へ入る。案内板がなかったら歩かないような小径を進むと、お目当てのお店があった。「首里ほりかわ」運良く待ちなし。店内へは靴を脱いで入り、食券を買うシステムだ。豆腐とソーキがセットになったおそばを選んだ。ソーキも豆腐もボリュームたっぷり。オプションで天ぷらまで頼んだのでお腹いっぱいに。かつお出汁がきいているやさしいお味のおそばで美味しくいただいた。首里ほりかわ沖縄県那覇市首里真和志町1丁目27
2024.05.31
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沖縄最後の食事は、那覇にあるJACK'S STEAK HOUSE で。早めにレンタカーを返却し、空港からゆいレールで旭橋駅まで移動し、そこから300m歩いてお店に着いた。お店前には人垣ができていたが、店先にある信号機は「黄色」。それならそれほどでもないと待つことにしたら、15分程で中に入ることができた。テンダーロインの一番小さいサイズを注文。セットで付いてくるスープとサラダ謎の味に感じるスープには、塩コショウを使ってセルフで味付けする。ミディアムレアでオーダーしたお肉が来た。がっつりお肉をいただいて沖縄2泊3日の旅を終えた。また来年の2月くらいに沖縄に来たいね~とダンナと意見が一致した。JACK'S STEAK HOUSE 沖縄県那覇市西1丁目7−3 ('23春 沖縄旅行記 終わり)
2023.05.25
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瑞泉門を過ぎ、漏刻門をくぐる。首里森御嶽(すいむいうたき)城壁手前にある礼拝所。城内にはこのような礼拝所が10カ所ある。御庭(うなー)に入る最後の門である奉神門前回(2020年冬)来た時には火災の惨状が見られた奉神門だが、3年経って修復が完了したようで、美しい姿になっていた。ここから先は有料エリアで入場料は大人400円。ただ今修復工事中の正殿には大きな囲いがあって、そこには修復後の姿であろう正殿の絵がある。修復工事中の内部を見ることができた。大きな体育館のような内部。ここが色鮮やかに復元完成するのは2026年だそうだ。東のアザナの方へ上る。展望台から見た正殿修復工事の囲い。あと3年。完成したら是非訪れたい。首里城沖縄県那覇市首里金城町1-2
2023.05.23
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最終日は首里城へ。ダンナは初沖縄なので、ここは外せない。守礼門は工事中だったので、工事部分を外して撮ってみた。私は3年ぶりの首里城。前回は2019年10月の火災の惨状を見てとれる状況だったが、あれから3年、どう変化しているだろうか。守礼門をくぐるとすぐ左側に世界遺産の「園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)」1519年に築かれた門で、王家の拝所として使用されていた。木の扉以外は琉球石灰岩で造られている。首里城の城郭内に入る第一の正門である歓会門門にはシーサーがいる。歓会門をくぐると、花で美しく彩られている。その先は瑞泉門。瑞泉門への石段からは琉球王朝らしい風景を眺めることができる。街の景観にはこだわっているようだ。首里城沖縄県那覇市首里金城町1-2
2023.05.22
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マリンスポーツに興味はないとはいえ、沖縄ですもの、美しい海を見たいということで万座毛へ行くことにした。前に来た時はこんな立派な建物はなかったよな。私の「前」は15年前。前は駐車場の横にお土産物屋さんが屋台のように並んでいた記憶がある。昭和な観光地だった。今はこの立派な建物の中に、お土産物コーナーと飲食できるショップが入っていた。観覧料100円払って中へ。「万座毛」とは「万人が座するに足る平原」と琉球王の尚敬が言ったことに由来する。底が見えている。海をじっと見ていると吸い込まれそう。遊歩道をのんびり歩いて碧い海を眺める。見学には30分みとけば充分だ。白いANAインターコンチネンタルの建物が見える。こう見ると、オン・ザ・ビーチのホテルにも泊まってみたくなる。でも、インタコのステイタスを母の介護中に更新するのを忘れてしまって、今や平会員。20年ほどいい思いをさせてもらったので有難かったが、平になってしまったらもう違うホテルでいいかなというのが本音だ。もうヒルトンやマリオットなどのポイントに縛られるのは卒業かも。それほど利用もできないし、これからは国内メインになるので、その時々に泊まれる、泊りたいお宿をチョイスしようと思っている。夫婦岩(トベラ岩)がある。よく見ると、二つの岩の間にしめ縄がかけられている。遊歩道を巡って見学を終えたら、読谷村のホテルに戻ることにした。途中、谷茶(たんちゃ)のあたりで見晴らしのいい駐車場のある場所があったので寄ってみた。あの島影は伊江島かな。いいドライブになった。万座毛沖縄県国頭郡恩納村字恩納2767
2023.05.21
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東南植物楽園の次は、中頭郡嘉手納町にある「道の駅かでな」へ。道の駅の前には銅像がありますよ。野國總管さん。中国に渡り1605年に甘藷を持ちかえった人。銅像になるほど、甘藷の持ち帰りは重要だったということね。この道の駅からは米軍嘉手納基地の滑走路を一望できる。米軍基地の滑走路をこんなふうに見られていいのかとも思うが、見られるというのはいいということだろう。ズームして撮ってみたら、Unitedの普通の機体だった。成田で撮っているのと違いないじゃん。こんなふうにUnitedが普通に飛んでくるのね。めっちゃ大きなレンズを装備したカメラヲタさんが複数いた。この人たちが寛いでいる間は戦闘機は動かないと学習できた。カメラヲタさんが寛いでいるので、ソフトクリームでも食べてのんびりしますか。車でここに来る途中、嘉手納基地から飛び立つ戦闘機を見た。那覇空港で離陸する戦闘機を何度か見たので驚かなかったが、爆音は相当なものだ。道の駅には騒音㏈を表示する電光掲示板もある。F35なんかが離陸したらどれほどの㏈になるのだろう。道の駅かでな 沖縄県中頭郡嘉手納町屋良1026−3
2023.05.20
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東南植物楽園の植物園エリアに行く。このブーゲンビレアをアップで見ると、ちょっとファンキーだ。白い部分が目のように見える。この辺りは厳かさも感じられる。この黄色い花は何かしら?「イッペー」と沖縄で呼ばれている花。原産地は南米ブラジルで、和名はコガネノウゼンで英名はGolden Trumpet Tree。イエローは元気がでるね。様々な花があって楽しめる。この植物園の目玉はユスラヤシの並木ユスラヤシは本土だと温室でしか育たないので、オープンエアでの並木はここでのみの景色。いいものが見れました。睡蓮も咲いていた。東南植物楽園沖縄県沖縄市知花2146
2023.05.18
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読谷村のホテルから車で30分、東南植物楽園を楽しむ。(入園料大人1540円)ちょうどブーゲンビレアフェアが開催されていた。まずは園内一周するヤッシー号に乗って園内を把握する。(乗車代金500円)全体像がつかめたので、見たい場所へ徒歩で移動した。ブーゲンビレアが美しい。色鮮やかなピンクを見ると心が浮き立つ。他の色も楽しめる。動物もいる。ヤギのチハヤちゃんとは思いっきり目があった。カピバラは我関せず。カピバラさんの近くにはリュウケツジュという木がある。真っ赤な樹液を持つリュウケツジュはご長寿の木で、寿命は数千年とか。私が見ることはない未来をずっと見てもらいたいなと思う。還暦近くなってくると、自分がいなくなってからの世界はどうなんだろう?と考えることがある。誰かが、それが植物であっても、自分が見られない世界を見てくれると思うと心の安寧を感じられる。どこかで後の世に繋がっていたいんだろうな。自己満足だけど。新たな発見だったのは、ダンナが鳥好きだったこと。バードパフォーマンスを熱心に見てカメラを構えていた。結婚して34年になるけれど、羽ばたく鳥が好きだとは全然知らなかった。34年といっても、20年別居だったので実質14年だけど。こっちのほうに興味を持ってしまう私はナチュラルではないってことね。嘉手納基地を離陸した米軍機。戦闘機ではないので騒音はそれほどではなかった。東南植物楽園沖縄県沖縄市知花2146
2023.05.16
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初日の夕食は、泊っていたグランディスタイル 沖縄 読谷 ホテル&リゾートから130mのところにある「膳」を予約していた。「膳」の建物はホテルのバルコニーから見えていた。のところ。予約していたのは「おきなわ満喫コースA (税込¥3850 )」前菜3種盛り合わせ ジーマーミ―豆腐 近海魚のお造り日頃買うほどジーマーミ―豆腐は好き。天ぷら盛り合わせもずくの天ぷらは初めて食べた。県産豚のラフテー美味しいに決まってるよね。海ぶどうサラダパフェっぽい仕立てになっていた。今まで海ぶどうには興味がなかったが、食感を楽しむものとわかった。これ何だっかな?お出汁は優しいお味だった。ゴーヤーチャンプルーしっかり量があった。ゴーヤーのほのかな苦みがいいね。もずくとアーサー雑炊この雑炊が美味だった。贅沢な悩みだけど、もっとお腹が空いた状態で食べたかった。年齢のこともあって代謝が落ちているので、日々の食生活ではcarb を抑える食生活を心掛けている。でもねぇ、carbはめっちゃ美味しいので、旅行に来た時くらいは気にせずいただくことにしている。後からめっちゃ後悔するけどね。芋アイスクリームでコースを〆る。2組ウォークインしていたが、「予約でいっぱいで」と断わられていたので、予約必須だろう。気軽なお値段で沖縄料理を楽しめるお店で満足できた。膳沖縄県中頭郡読谷村瀬名波628
2023.05.13
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グランディスタイル 沖縄 読谷 ホテル&リゾートには、宿泊者なら誰でも利用できるラウンジがある。ワインやビールなどお酒の種類も多く、ちょっとしたおつまみもあった。(客室のカテゴリーによって、利用できる時間には差がある)ラウンジの奥にはインフィニティプールがあって家族連れが楽しそうに遊んでいた。ラウンジの飲み物をプールサイドで楽しむこともできる。それほど大きなプールではないが、全54室という規模のホテルなので、そんなに混むことはないのかもしれない。夜はナイトプールになるので、そこは大人の時間になるだろう。ラウンジ階にある中庭南国気分になる。ラウンジは2日間で1度行っただけ。予約サイト特典でLansonのハーフボトルがプレゼントされたので、バルコニーのデイベッドに腰掛けてダラダラ。部屋の居心地が良かったので、わざわざ何度もラウンジに行こうとは思わなかった。朝食は2日間とも1階の「TASTE」で。(朝食は同じメニューをラウンジでいただくこともできる)朝食は“BRUNCH”で、7:00から12:00までと提供時間が長い。私たちの時のメニューは、「BENTO 沖縄の恵み」「県産鶏ささみと黒米の琉球薬膳粥」「自家製麺の出汁香る沖縄そば」「サーモンシュリンプ&生ハムチキンのコンフィのタルティーヌ」の4種類。サラダ・スープ・ジュース・コーヒー類はビュッフェコーナーで。明るい時間帯のレストラン「TASTE」。朝食は2日とも同じテーブルに案内された。ビュッフェ台からチョイスしてきたサラダなど。1日目は「県産鶏ささみと黒米の琉球薬膳粥」を選んだ。向こう側はダンナが選んだ「BENTO」。沖縄料理の小皿がたくさんあって満足感が高い。薬膳粥の優しいお味もいい。写真では遠近法で「BENTO」が小さく見えてるが、お粥よりも量が多かった。2日目は洋の「サーモンシュリンプ&生ハムチキンのコンフィのタルティーヌ」にした。ビュッフェ台からのサラダ。ジュースはまたシークワーサー。ジュースの種類がもう少しあると完璧だったんだけどな。洋は量が多いんじゃないかとおっかなびっくりオーダーしたら、これが一番軽めで、ちょうどいい量だった。逆に軽めとふんでダンナがオーダーした「沖縄そば」は4つの中で一番ヘビーで、おそばたっぷり、おかずたっぷりだった。 笑初日の夕食は外で食べ、帰って来てから部屋飲み用のお供にダンナがルームサービスをオーダーした。こんな籠BOXに入って届けられた。中には木のお重。この2品がとても美味しかったので、翌日の夕食への期待が高まった。2日目の夕食は朝食と同じ「TASTE」を予約していた。夜は照明が控えめで、海外のオシャレなレストランの雰囲気になっている。皆さん食事スタートが遅めで、19時30分頃からテーブルが埋まり始めた。創作沖縄料理をいただく。沖縄前菜盛り合わせ ¥1800鮮魚ともずくのオリオンビール天ぷら ¥900キノコの炒め物だったかなサーバーさんお薦めの石垣牛の炭火焼 にんにくクレソンバター ¥2900私たちの年代でも美味しくいただけるお肉で、お酒がすすんじゃう。スパイスタコライス ¥950東京に比べるとかなりリーズナブルで、器もお味もサービスも良くてまたリピしたいレストランになった。ダンナのお誕生日旅行だったので、楽しいディナーになって良かった。「TASTE」の前からホテル玄関のほうを見て天井のシーリングファンがコロニアル感を出している。ホテル内のインテリアにはこだわりを感じられ、アースカラーや「木」で自然を意識しているのがわかる。ひと昔前は、沖縄というとトロピカルなイメージを前面に押し出すところが多かったが、色を極力抑えて、その中にハイビスカスのイエローなどが差し色として印象に残るようになっているのは、今時の大人なリゾートホテルの造りなんだろう。このホテルは2019年に開業し、開業当初は中学生以下お断りのホテルだった。しかし2020年に年齢制限は撤廃されている。予想もしなかったCOVID-19騒動もあったので、当初の狙い通りとはいかなかったのだろう。大人向けの施設は充実しているのに、宿泊代が少し抑え目なのは、ビーチ沿いではないことというのが大きいのだろう。部屋が広くて、料理が美味しく、インテリアデザインも好み。部屋から琉球墓は見えるけれど、それも文化に触れると感じることができたので、私はとても好きなホテルになった。ホテルの真ん前にはLAWSONがある。これも便利だ。那覇空港から国道58号を経由して1時間10分。読谷バスターミナルから100m。バスターミナルから近いので、レンタカーなしでもアクセスしやすい。(客室についてはこちら)グランディスタイル 沖縄 読谷 ホテル&リゾート沖縄県中頭郡読谷村字瀬名波571番1
2023.05.11
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沖縄そばを食べたら、読谷村のガラス工房へ立ち寄った。気に入った器を買ったらホテルへ。読谷バスターミナルすぐ近くにある「グランディスタイル 沖縄 読谷 ホテル&リゾート」ここに2連泊する。正面玄関入ったところこのソファに座って、ウエルカムティーをいただきながらチェックイン手続きをした。客室に入るとシューズボックスがあって、室内へは靴を脱いで入る。50平米以上あるので広く感じる。ベッドサイドのライトが凝ったデザインだ。ゆったりくつろげるソファ。落ち着いたグレーを基調にして「木」がポイントに使われていて、スタイリッシュながら尖りすぎていない雰囲気がいい。クローゼットグラス類の数が多いのはとてもいい。このカップ類が置かれている棚には、シンクが内蔵されている。バスルームトイレは独立していて、浴槽は洗い場付き。バスタブは大きく湯量たっぷりで入ることができる。アメニティはリゾートっぽく籠に入っている。いい香りのバスソルトがあった。バルコニーにはデイベッドがある。立地が読谷村の内陸部なので、眺めは遠景に海。バルコニーの目隠しがいい仕事をしてて部屋の中からは見えないが、ホテルに近い所には沖縄独特の家のような墓が散在している。海のほうを見ていると気にならず。食事については次回に。グランディスタイル 沖縄 読谷 ホテル&リゾート沖縄県中頭郡読谷村字瀬名波571番1
2023.05.09
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那覇空港近くでレンタカーをピックアップしたら、目星を付けていた沖縄そばのお店に向かう。国道58号線を宜野湾方面へ約40分で、宜野湾市伊佐にある『そば処根夢 伊佐店』に着いた。「根夢」で「ごん」と読む。沖縄そばをいただく。優しいお出汁の味にほっこり。今回初めてコーレーグースで味変してみた。近くのテーブルにいたうちなーんちゅと思しきマダムのコーレーグースのかけっぷりが大胆お見事でビックリ。あんなにかけたら元の味がわからなくなりそうなので、控えめに3滴ほどで味変した。ダンナも満足できたようで、幸先のいい沖縄旅になった。そば処根夢 伊佐店沖縄県宜野湾市伊佐4丁目2−14店前に駐車場有。10台以上停められるが、平日12時過ぎには既に満車で駐車場待ちになっていた。
2023.05.07
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関空から沖縄那覇空港へ日本トランスオーシャン航空NU001便で那覇に向かう。私は3年ぶり、ダンナは初沖縄。on timeでちゃっちゃとプッシュバックして、さっさと離陸。関空は手間がかからなくていいわ。離陸後すぐに、神戸空港、ポートアイランド、神戸市街、六甲山系が見えた明石海峡大橋瀬戸大橋中ほど下には高松空港が見える。宮崎県の都井岬あたりかな。噴煙を上げている桜島が微かに見えた。いかにも火山島トカラ列島の中之島かな。南の離島を見ているうちに沖縄本島が近づいてきた。那覇空港へ向けて最終着陸態勢。マリンスポーツに全く興味のない私でも、この海の色を見るとワクワクする。那覇空港の到着出口を出ると、プロ野球の球団旗があった。沖縄でキャンプしている球団だ。いつも通っている美容室で、「明後日から沖縄に行くの」と話したら、「キャンプ見にいくん?」と聞かれた。いやいや、キャンプ見に行くほどの濃いファンではないし。 笑
2023.05.04
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沖縄県沖縄市にある「東南植物楽園」でブーゲンビレアを楽しんだ。色鮮やかなブーゲンブレアが100万輪だとか。今回の沖縄旅はガイドブックを持たず、初沖縄のダンナの為に食事処を予習していただけなので全然知らなかったが、東南植物楽園はイルミネーションで有名だそう。きっとこの通路も光ると美しいだろう。でも、ブーゲンブレアを楽しむなら昼がいい。高さ8mのブーゲンタワー青空が似合う。夜はタワー全体が光って、蝶々がアクセントになるんだろう。イルミネーションも見たかったが、晩ごはんは予約済みで、最近はディナー後に出歩くのが億劫になってしまったので、残念ながら断念した。園内にある電飾装置を見ていると、さぞかし素晴らしいイルミネーションだとは想像できた。何でもイルミネーションアワードのイルミネーション部門で2年連続全国3位だとか。(1位 あしかがフラワーパーク 2位 なばなの里)知らなくてごめんなさい「おきなわブーゲンフェア2023」は4月16日まで美らヤシパークおきなわ 東南植物楽園沖縄県沖縄市知花2146
2023.03.03
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(泊ってからしばらく経っているので細かい感想はないが、泊った記録として)夕食は1階のダイニングルームで雲仙フレンチ〜Terroir〜テロワールズワイ蟹のラビオリ仕立て 真蛸のマリネとポレンタのピンチョスシェーブルチーズと赤肉メロンのスープ鮑と野菜のサラダ トマトのエキューム長崎県産ジャガイモとポロ葱のスープ 雲丹を浮かべて鱸のポワレ フヌイユとオレンジ香るスープ・ド・ポワソン長崎和牛フィレのグリエ生姜風味の人参ピュレと黒にんにくを効かせたジュ桃のヴェリーヌ 紅茶のジュレとバジルのアイスキャラメリゼしたアナナスのミルフィーユ珈琲 又は 紅茶シャンパーニュ・白ワイン・赤ワインのグラスワインセットとで食事を楽しんだ。予想よりも上をいってるお料理で満足した。お腹いっぱいになったら温泉へ脱衣場のロッカーは自分に与えられた番号があり、滞在中は同じロッカーを使うシステム。夕食スタートが一番だったので、大浴場独り占めでゆったりできた。混んでいる日は大浴場使用は時間制になり、「密」を避けるようにオペレーションするようだ。温泉の源泉は「小糸地獄」。お風呂あがりは、リラックスチェアに座って、こんな景色を見ながら、ぼーっとした。朝ごはんも夕食と同じダイニングルームで。人がいない瞬間があったので、ダイニングルームを撮った。200畳の広さがあるダイニングルームだ。サラダとヨーグルトこのサラダがボリューミー。サラダとパンでランチセットになりそうな食べ応えがある。長崎ミカンのジュースが美味。また食べ応え十分のポタージュスープが来た。メインの卵料理はオムレツをオーダーした。パンも美味しくお味は申し分ないけれど、私にとっては量が多めで、ヨーグルトは少し残してしまった。前日しっかり食べてるからなぁ。いいお湯の温泉があり、歴史と伝統を感じつつリゾート気分になれて、食事も良く、とても楽しいホテルだった。雲仙観光ホテル長崎県雲仙市小浜町雲仙320番地
2022.06.26
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(泊ってからしばらく経っているので細かい感想はないが、泊った記録として)アサインされたのは山側の219号室。大階段を上がってきたこの廊下を背中側に進んですぐのところにある部屋だった。デラックスダブル 30平米のお部屋扉を開けて部屋に入ると、リゾート感溢れる木の温かさがある。右側には、このホテル推しの、ウィリアム・モリスデザインの生地が囲ったミラーがある。入ってきた扉は、クラシックホテルあるあるの、ドアノブ高めの外国人仕様。これだけでミーハーな私は嬉しくなってしまう。一番リーズナブルなプランで予約していたのでそれほど期待していなかったが、なかなかよろしいやん。クローゼットを見ると、それなりに長期滞在をするお客さんを相手にしていると思える仕様。(使い捨てスリッパ、パジャマあり)私は1泊ですけどね。ベッドヘッド側の壁紙はウィリアム・モリスデザイン、ゴールデンリリ―。ウィリアム・モリス(1834-1896)は、「モダンデザインの父」と称されるイギリスのデザイナー。今も熱心なファンが多くいるデザイナーさんだ。デスク紅茶とお茶を飲むことができる。冷蔵庫の中(有料)バスルームバスタブは猫脚。温泉大浴場があるので、部屋のバスは使わなかった。シャンプー類はTHENAE。THEMAEはキャピトル東急で見たことがあるな。歯ブラシセットなどはポーチに入っていた。予約サイト特典のケーキセットを、チェックイン後すぐに持ってきてもらった。ホテル名物のゴルゴンゾーラベイクドチーズケーキと赤ワイン。このチーズケーキはとても美味しかった。高原リゾートホテルなので、のんびりしよう。
2022.06.25
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(泊ってからしばらく経っているので細かい感想はないが、泊った記録として)雲仙温泉にある雲仙観光ホテルに泊まった。「日本クラシックホテルの会」に加盟しているホテルで、創業は1935年(昭和10年)。国道57号線沿いの入口から入ると、石畳の素敵なアプローチの先にホテルが見える。1935年、昭和10年10月10日午前10時に開業した老舗で、外国人観光客誘致の国策で建てられたホテルだ。スイスシャレ―様式のこの建物は、竹中工務店の設計・施工。スーパーゼネコン5社の中で唯一の非上場企業の竹中工務店は、江戸時代前期の1610年に尾張国名古屋で創業した。創業者は織田信長の元普請奉行だ。その竹中さんの設計・施工ホテル第一号がここ雲仙観光ホテル。この建物は国の登録有形文化財に登録されている。ホテル正面玄関横にレンタカーを停め、チェックインしよう。正面玄関入って左手にレセプションがある。1階レセプション前エリアウッデイで落ち着いた雰囲気だ。1番奥の高くなっているところがダイニングルーム入口。お花があると心も華やぐ。正面玄関から外を見る。正面玄関入って右側はロビーの座席エリアそこには創業者の橋本喜造(1872-1947)あての孫文(1866-1925)の書がある。チェックイン手続きを終え、2階の客室をアサインされたので、正面玄関前の大階段を上って客室に向かう。(このホテルにはエレベーターがない)クラシカルな大階段を上るのもいい。あの踊り場の角に、タキシード姿の福山雅治氏が立っていたら、ここに似合っているだろうなぁ~と勝手に妄想する。長崎出身でタキシードが似合いそうと1番に思いついたのが福山雅治氏。木の表面に細工が施されていて、こういうものが上質な空間を演出している。手斧(ちょうな)削りという手法だ。階段を上がった正面にある205号室は特別室。←のところが205号室。昭和天皇皇后両陛下がお泊りになられたお部屋だ。アサインされた山側デラックスダブルのお部屋、219号室に向かった。お部屋については次回雲仙観光ホテル長崎県雲仙市小浜町雲仙320番地
2022.06.23
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1月、まだ海外からの観光客を多く見かける頃に那覇日帰りという旅をした。関空を朝イチ便で出発し、最終便で関空に戻ってくる。【玉陵(世界遺産・国宝)】1501年に築かれた第二尚氏王統の陵墓で、2018年末に重文から国宝へ格上げになった。20年以上前、父が「玉陵(たまうどぅん)に行かなければならない」というのを、「うどんがどうしたんだ?」 と疑問に思いながら問い返せなかったのを思い出す。体調不良の私は首里城の駐車場で待機してて、父だけが玉陵に見学に行ったっけ。懐かしいな。「うどんじゃねーし!」と上からシーサーくんに言われた気がする。ガジュマルが生い茂っている道を歩くと、不思議と気持ちが落ち着きゆったりとした心持ちに。お墓だけど、私にとって「いい気」が流れている場所なのかもしれない。玉陵の観覧料は300円。【首里城】昨年10月末の火災には本当に驚いてしまった。枕元のスマホにニュース速報が入ったのを見て、あまりの驚きに目が覚めてしまったほど。首里城公園のホームページを見ると、“今はこのルートで巡ってね〜” という「首里城復興モデルコース」が紹介されていたので行くことにした。2020年1月現在、有料エリアは立入り禁止で、見学できるのは元から無料エリアだった所だけ。総合案内所横にあった募金箱に気持ちを納めてから見学開始。国内外からのツアー客が大勢来てて、皆さん守礼門の前で記念撮影をしていた。守礼門をくぐってすぐ左側にあるのが「園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)」国指定重要文化財で世界遺産。何度読んでも難しくて覚えられない名前琉球国王が外出する際に安全祈願した礼拝所で、最高神女の聞得大君(きこえおおきみ)が即位の際に最初に礼拝する第一級の聖地だ。聞得大君というと高岡早紀さんを連想しちゃうのはドラマの影響だわ。(NHKの『テンペスト』)石門の後ろ側の森が「御嶽(うたき)」という聖域。 この石垣を見ると、前回来た時(2009年)を思い出す。石段の上にあるのは『瑞泉門』。1992年に復元された門。『漏刻門』まで来ると、門の向こうに火災による惨状が見えた。言葉が出ないわ(涙)『京の内』という信仰儀式の場である聖域へ。ガジュマル、アカギなどの樹が多く茂っている亜熱帯植物園のようなエリアで、3月には多くの花々が咲くようだ。月桃の花が咲いている時に来てみたいが、それだと4月下旬から6月いっぱいみたい。京の内物見台からの眺め西のアザナからの眺め視界がいいと慶良間諸島も見えるそうだ。見学し終え、首里杜館の前でソフトクリームタイム!ブルーシールのトロピカル味を選んだら、これが爽やかスイートで美味しい〜また来たら食べよっと。【金城町石畳道】下ってみましょ。途中にかなり急勾配な箇所があり、古傷で膝に不安がある私はおっかなびっくりに。膝に不安があると上りより下りのほうがイヤなのよ。下校途中の地元小学生は小走りで駆け下っていった。羨ましいわ。1522年に建造が始まった真珠道と呼ばれる500年の歴史がある石畳の道は、風情のある素敵なところだけど、膝痛持ちには慎重を要する道だった。ヒールで歩くなんて論外。雨で濡れた時は滑りやすそうだ。途中にいい雰囲気の場所があった。金城村屋という休憩所。そろりそろりと約300mの石畳道を下りきった。こけなくて良かったわ。【アメリカンビレッジ】北谷まで足を伸ばした。ドラッグストアの店内はチャイニーズのお客さんでいっぱいだった。マスクなどをお土産にする人が多かったのかもしれない。海を見ると沖縄気分になる名護あたりのリゾートに比べるとあれだけど、とりあえずは沖縄気分。キター!!地域限定ポケモンのサニーゴちゃん。北緯31度以南に出現する子なのでチャンスだと思っていた。本州では会えないのよ。ガラスのアクセサリーや沖縄らしいショップが多くあるアメリカンビレッジ。海を眺めることができる『R Cafe』でしばし休憩おひとり様でまったりとティータイムを楽しんだ。ベリーとアイスクリームでこってりなフレンチトースト。甘くて美味しかった。この際、カロリーは考えない。【壺屋 やむちん通り】那覇に戻り、やむちん通り。陶器店がたくさん並んでいる通り。ショッピングしてる余裕がなかったので、今度(いつになるかわからないが)はもっと時間をとって歩いてみたい。那覇空港に戻った。
2020.04.17
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空港には午後3時までに行けばいいので、まだ時間があった。ランチしてから空港に向かおう。伊万里で〈伊万里牛のハンバーグ〉を食べたい気もしたが、長崎空港に少しでも近い場所で食べたほうが気分がゆったりするので、2日前に観光した有田で食べることにした。国道35号線の九州陶磁文化館交差点すぐのところにある、『ギャラリー有田』でランチ有田焼塗装の車が目印。痛車っぽい(笑)平日のお昼時、次から次へとお客さんが来て、私たちの後には待っている人がいるほどに。オーダーしたのは、『有田名物ごどうふ定食』器はオール有田焼で、弥生3月だったのでお雛様の器があり、母と2人で喜んだ。食後のコーヒー・紅茶は、店内に飾られているカップから好みのものを選ぶことができる。母は紅茶で、私はコーヒー。素敵な食器で、楽しいランチになった。ギャラリー有田 佐賀県西松浦郡有田町本町乙3057 ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪有田から長崎空港までは1時間かからず。レンタカー返却後、JAL2376便で伊丹空港に戻った。(長崎・佐賀旅行記 終わり)
2018.04.19
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旅行最終日は、伊万里焼の秘窯「大川内山」へ行くことにした。ハウステンボスから30kmほど、1時間弱で着いた。途中、伊万里の市街地近くになったなと思ったら、針路はぐぃーんと南東方向にふらされて、山あいを目指すことになった。だんだんと山が近づいていきて、「秘窯」ということを実感する。大川内山は鍋島藩御用窯で、技術の漏洩を防ぐ為に関所を置いて人の出入りを制限し、朝廷、将軍家、大名など、いわゆるVIPへの献上品を専門に焼いていた。伊万里・有田焼伝統産業会館横の駐車場に車を停めて散策開始。有田内山同様、ここも案内板は磁器製だ。駐車場から見える橋にまず目を奪われる。欄干に美しい壺がのっている。入口の橋でこうなので、まさに「つかみはOK!」だ。駐車場から歩いてほどなく、ガイドブックに必ず載っている写真の場所に着いた。有田内山に比べると町のサイズがコンパクトで、お店を見ながら歩きやすい。いたるところに磁器を目にする。公園の川の法面にも、磁器のお皿がたくさんはめ込まれている。1675年に有田南川良から大川内山に鍋島藩御用窯が移されてきて、ここで焼かれる磁器は『鍋島』と呼ばれ最高級品だった。製法が外に漏れてはいけないから、陶工たちの行動は制限されたが、待遇は良かったと聞く。いくら待遇が良くても、ここから動いてはならぬ、と命じられたら辛かっただろう。一生だもの。母はここでもじっくりショッピングを楽しみ、南天の絵柄のカップ&ソーサーを購入してた。磁器大好きの母にとって、佐賀は楽しい場所だったようだ。
2018.04.18
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ハウステンボスでの夜のお楽しみは、イルミネーションお昼に不思議に感じたチューリップは、こんなふうに光っていた。ライティングが変化する小技をきかせている。食事を終えたであろう修学旅行生や若いカップルが続々とイルミネーション目当てに入場してて、昼よりも活気があるほど。バレンタインとホワイトデーの間で、時期的にハートが似合う。ハートの中は、自撮りポイントってやつね。ここは色とりどりの傘が開いて美しい場所だけど、この日は強風で閉じていて残念。運河も美しくライティングされていた。ちょっと“盛りすぎ”気味で、色の洪水になっちゃってるが、頑張ってるイルミネーション。ブルーの光の滝には龍が泳いでいた。ドムトールンの展望台からイルミネーションを見下ろしてみた。凄いことになってるねこのイルミネーションのイベントは5月6日まで。
2018.04.17
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春のハウステンボスといえばチューリップ!『100万本のチューリップ祭』の期間中だった。(今年は今日15日まで)ハウステンボスの日が晴れてくれて超ラッキー。テーマパークの雨ほど悲しいものはない。このチューリップのグッズが欲しかったけれど、ぐーっと我慢した。モノを増やさず、本物を目に焼き付けておこう。入口ゲートすぐのところに、不思議なチューリップがあった。あれぇ、生花じゃないよ、変だね。イルミネーション用のチューリップライトだったと、夜に判明した。前回来たのは10年前で、あまりの人の少なさに憐れに感じた覚えがある。テーマパークって、混雑しすぎたら疲れるだけだが、閑散としすぎると悲しくなる所で、ある程度賑わってないと楽しくない。10年前はどん底の頃だったのかな。今は、写真を撮る時に人が写り込むのを気にするようになった。
2018.04.15
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チェックイン開始時刻の15時少し前に、ハウステンボスのホテル ヨーロッパに着いた。平戸からは50km、約1時間かかった。車はホテル裏側の駐車場に停めた。ハウステンボス3回めで、初めてここに泊る。(1度目アムステルダム、2度目フォレストヴィラ)正面玄関を入ったところのチューリップが美しかった。チェックイン列に並んでいると、ラウンジで演奏されている音楽が聞こえてくる。その曲が「シンドラーのリスト」だった。哀愁漂う美しい旋律の曲ですよ。ソチ五輪のときのリプニツカヤちゃんのプログラムは素敵だったしね。でも、私にとってはタイミングが悪すぎた。旅行直前にwowowでこってり3時間、この映画を観てたのだ。ホロコースト題材で、凄惨なシーンが次から次へと続く重い作品で、作品の素晴らしさと観るべき価値のあるものとわかりつつ、ちょっと引きずり気味だったところに、音楽が流れてきちゃった。ちょっとブルーに。映画音楽はその物語をしょっている。「ひまわり」のテーマを聴けば、マルチェロ・マストロヤンニの乗ってる列車を見送るソフィア・ローレンの切ない姿を思い浮かべてウルウルくる。映画音楽とはそういうもので、「シンドラーのリスト」の本編を観ていると、なかなかにキツいものがある曲だ。ラストシーンだけが浮かべがいいが、レイフ・ファインズ演じるアーモン・ゲート少尉が脳裏にチラチラしちゃうのよ〜(悲) あくまで個人的事情で、選曲について文句をつけてるわけではない。映画音楽にはそんな力があるということをわかってもらいたい、という事を言いたいだけなんだけど。あまりに直近に観ていたので、影響を受けて過敏になってたということだ。さてさて、楽しみにしていたお部屋は、フロントと同じ1階のツインルーム。家具にもラグジュアリー感がある。このソファは座り心地がとても良かった。ネスプレッソのマシーンがある。カステラでティータイムにした。長崎だからやっぱりカステラ。トイレは別室型で、洗面台はシングルバスルームは洗い場付きタイプで、使い勝手が良かった。この部屋は、内海に面したウッドデッキのプライベートテラスがある。こだわってこの部屋を予約したが、まだ寒くて、母はテラスに出てこない。私ひとりで無理してお茶してみた。(笑)今ごろはテラスでゆったりできるような気候になったのではないかしら。ここでルームサービスの朝食をいただくのもいいだろう。 ホテル ヨーロッパ 長崎県佐世保市ハウステンボス町7−7
2018.04.13
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次はあのグリーンの教会を目指す。教会には駐車場があるので、車で坂を上る。平戸ザビエル記念教会1931年(昭和6年)に建てられた教会堂だ。モスグリーンの色が清々しく美しい。正面から見ると左右非対称だ。平戸で布教した、この地に縁のあるフランシスコ・ザビエルの像が敷地内にある。聖堂内は見学できるが、写真撮影は不可。平戸での観光はここまで。この日の宿泊地のハウステンボスへ移動する。平戸ザビエル記念教会 長崎県平戸市鏡川町259−1
2018.04.11
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港に面した平戸港交流広場駐車場に車を停め、徒歩でオランダ商館へ向かう。駐車場から平戸城が見える。駐車場から海沿いを400m歩くと、オランダ商館があった。国の史跡としては「平戸和蘭商館跡」と指定されており、建物は1639年築造の倉庫を復元したものだ。オランダ商館は1609年に設置され、幕府の命で長崎出島に移転する1641年までの30年余り、東インド会社の貿易拠点だった。オランダとの交易を一手に引き受けていた平戸藩にとっては、この移転は痛かっただろう。幕府に睨まれたっていうこともあるのかな、移転先の長崎は天領だから。平戸では比較的自由だったのに、長崎に移ったら制約が多く、カピタン(商館長)たちは大変だったそうだ。平戸時代は奥さんを同伴することや日本人と結婚することができたが、長崎では御法度。オランダさんはきっと平戸のほうが好きだっただろう。オランダ商館の中は、海図や肖像画などが展示されていた。オランダ関連の遺構として、商館のすぐ近くに、オランダ井戸がある。井戸の横には、オランダ塀。1618年に築造された塀で、オランダ商館が外部から見えないようにする役目の塀だった。駐車場に戻るのに、1本山側の道を歩いてみた。電柱を地中化して、かなり意識して街並みを整えている。街灯のてっぺんは船で凝っている。いい雰囲気だ。磁器のお雛様が飾られていた。駐車場まで戻ると、郵便ポストが気になった。上にのっかってるのはオランダの家かな。オランダの家というと、こんなのを思い浮かべるけど、ポストのは、上の段々切妻部分ががないので、オランダとわかりにくい。屋根は何処へ?? 平戸オランダ商館 長崎県平戸市大久保町2477
2018.04.10
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学生の頃から一度行ってみたいと思っていた場所「平戸」にようやく行けた。嬉野温泉からは、長崎自動車道嬉野ICで入り、西九州自動車道で佐々まで。佐々からは一般道を25km走り、平戸大橋を渡ってアクセスする。約70km、1時間25分で着いた。(平戸側から見た平戸大橋)この日は強風で海は白波が立っていた。平戸は平戸藩松浦家のお膝元。秀吉にこの地を安堵され、幕末まで松浦家が治めていた。1893年(明治26年)に建てられた松浦家当主のお屋敷が資料館になっているので、そこから見学することにした。松浦資料博物館 (入場料大人510円 オランダ商館との共通券は大人650円)駐車場はこの建物のすぐ横にある。何の気なしに入ったら、見ごたえのある資料館で予定よりも長居してしまった。武家関連、キリスト教、南蛮貿易、季節物のお雛様とバラエティに富んだ展示物は、平戸の歴史の濃さを感じさせてくれた。フラッシュなしなら撮影OKだ。豪華絢爛なお駕籠丹波の国、篠山藩のお姫さんが、天保年間に松浦家に輿入れした時の婚礼道具。大名家の女性が使ったお駕籠は「女乗物」と呼ばれ、外観の蒔絵には様々な文様と家紋、内装には花鳥画が描かれ、婚礼道具のひとつとして、その家の威信をかけた造りになっている。丹波篠山の青山さんが張り切ってこしらえた花嫁道具なんだろう。江戸東京博物館で駕籠の中に座ったことがあるが、ものすごく狭かった。当時の人々は身体が小さいとはいえ、駕籠の中で長時間座っているのは苦痛だっただろう。当人にとっては花鳥画なんてどうでもよかっただろうな。ひとつめの展示からそんな事を考えていたら、時間がかかるかかるお雛さんの道具のおっきいやつやあっ こっちが本物ね。お雛さんのがミニチュアだわ。平戸には1550年6月にポルトガル船が初来航し、フランシスコ・ザビエルが同じ年の8月にやって来て宣教活動している。1550年というのは平戸にとってターニングポイントな年だったのね。この時代の展示も興味深かった。豊臣秀吉キリシタン禁制定書1587年(天正15年)のバテレン追放令だ。「キリスト教を広めるのはけしからんけれど、黒船は商売しにきてるんだからそこはOKだよ〜ん」という、まだソフトタッチの追放令だ。WOWOWで『沈黙−サイレンス−』を観たばかりだったので、この後のキリシタン弾圧につながる最初の追放令を興味深く見た。犬箱(犬筥)子供と安産の守り神で、お雛様と一緒に飾る縁起物アイテム。顔が人間化しているのがシュールよねぇ。お雛様が飾られていた。1808年(文化5年)に松浦家に嫁いできた松平定信の娘、蓁姫(しんひめ)のお道具の雛人形。松平定信といえば、寛政の改革で有名な教科書太字の人物。そんな大物のお嬢様が持ってきたお雛様だ。お道具がまたかわいい。碁に将棋に双六。ちっちゃい百人一首、本になってるんだ。このお道具でおままごとしたら楽しいだろうな。(やったらあかんけど)お雛様といっしょに飾られているのは、松浦屏風(複製)とその屏風の登場人物の人形。人物の大きさが印象的な松浦屏風の本物は国宝で、奈良の大和文華館に収蔵されている。孝明天皇より下賜された御所人形。ぷくぷくで見てると笑みがこぼれる。打ち掛けを着て写真を撮れるコーナーもあった。触ると生地が分厚い。重かっただろうなぁ。さらっと見るつもりが45分ほど見学していた。共通券を買ったので、オランダ商館へ移動するが、オランダ商館には駐車場がないので、港に面した平戸交流広場駐車場に車を停め、そこから歩いた。 松浦資料博物館 長崎県平戸市鏡川町12
2018.04.09
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2日めのお宿は、嬉野温泉の『萬象閣敷島』。個室お食事処でプリンと抹茶をいただいて、チェックイン手続きをする。お着き菓子がプリンというのは珍しい。この旅館で手作りしているプリンで、美味しくいただいた。お部屋はツインベッドルーム。琉球畳にベッドが2台。ソファは母の基地になる。テレビ台横のグレーの引き戸を開けると、左はクローゼット。右はタオル、バスローブ、浴衣類が収納されている。モダン寄りのインテリアで、すっきりしている。部屋付き露天風呂があり、かなり大きめの浴槽で、2人で入浴できるほど。蛇口をひねり、温泉と水とで調節して浴槽に溜める。温泉のみにしたい場合は、早めに溜めておいて、適温になるまでさますといい。湯温は高いので、しばらく時間が必要だ。洗い場もオープンエアエリアにあるので、冬場のシャンプーは寒い。大浴場でシャンプーを済ませ、部屋のお風呂でゆっくりするといいけれど、部屋に屋内シャワーブースがあれば完璧だったのに。そこは残念だった。トイレは別室型だ。バスアメニティの種類は十分。部屋からの眺めは、嬉野の町ビュー。大きめの建物は温泉旅館かも。大浴場の他に、趣の異なる8つの貸切露天風呂があり、1回無料のプランだったので、『日常を忘れるランプの湯』というお風呂に入った。嬉野温泉のお湯はなめらかな肌触りで、つるつるすべすべとして気持ちがいい。夕食は個室お食事処でいただく氷の器に入った海の幸と、先附は生雲丹、車海老、有田名産の呉豆腐もちもちっとした呉豆腐の食感がいい。小海老、鶏などが入った土瓶蒸しと、柚味噌でいただく筍、鰆柚庵焼、新蓮根佐賀牛のステーキとサラダこれがメイン料理。バルサミコソースでいただくのが好みだった。煮物は伊佐木梅煮など。酢物はオニオンドレッシングでいただくレンコン、百合根、アスパラ器も楽しめるのが、さすが佐賀。スープ鍋マテ貝をスープでいただく。やさしいお味でほっこりできた。じゃこ御飯嬉野と言えばお茶デザートはパンナコッタありきたりじゃなく、ひと手間考えてメニューを組み立てているのがわかり、大変満足できた。朝ごはんも夕食と同じ場所で。野菜サラダ、おからひじき大きな鯵の開き一夜干し大きすぎてビックリしたとろける嬉野温泉湯どうふこの湯どうふは嬉野の名物料理。鍋に入っているのは嬉野の温泉水で、炊いていると豆腐の表面が溶けてきて温泉水は白くなる。その温泉水ごといただくのが、ここの食べ方だった。写真はないが、蓮根飛龍頭、蜆のお味噌汁、ご飯、ヨーグルトが出された。ゆったりほっこりでき、いいお湯も楽しめて、楽しい嬉野温泉1泊になった。 萬象閣敷島 佐賀県嬉野市嬉野町大字岩屋川内甲114-1
2018.04.07
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この日の泊まりは嬉野温泉だが、有田から武雄温泉に寄り道してから向かうことにした。武雄温泉で見たい建築物があったのだ。それは、武雄温泉 楼門(国の重要文化財)辰野金吾設計で、1915年(大正4年)完成。東京駅の開業は1914年なので、同時期の作品になる。楼門の天井には、子、卯、午、酉の4つの干支の彫り絵があり、東京駅の南北ドームに残り8つの干支があるので、合わせて12支が揃うことになる。辰野金吾の遊び心だったのかな。楼門の中を見学して4干支を見ることができるが、午前9時から10時までの1時間のみ。公開は2019年(平成31年)3月31日までの期間限定で、火曜日は休み。見学料は400円(大人)で、横の公衆浴場入浴料が込みになっている。見たかったけれど、午後3時ではアウト。竜宮城入口のような楼門の奥には、武雄温泉 新館(国の重要文化財)こちらも辰野作品。東京駅、日銀本店など日本を代表する物件を設計し、東京以外では、京都、大阪などその地方を代表するようなところに作品が多いのに、何で武雄温泉かと思ったら、辰野金吾は佐賀の唐津藩出身だった。(生まれは嘉永年間)地元だったのね。 武雄温泉 楼門・新館 佐賀県武雄市武雄町武雄7425番地
2018.04.06
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香蘭社前の駐車場から車で10分、竜門ダムの近くにある『木もれ陽』でランチした。川魚料理の料亭『龍泉荘』と同じ敷地にあるカフェで、川をはさんで向かい合って建っているのだが、料亭の前に着いてしまったので、場所がそこであっているのか不安になり帰ろうかと思ってしまった。有田内山から来ると、川を渡らず右折すると、カフェ前の駐車場に来られたようだ。川を渡ってしまったので、料亭前に来てしまった。料亭の門を入り、料亭内の橋を渡るとカフェにアクセスできた。橋の上から見た料亭『龍泉荘』こちらのカフェでランチする。座った席から、自然いっぱいの景色が楽しめる。オーダーしたのは、オニオングラタンスープのセット。この日の泊まりは温泉旅館なので、軽めにとオーダーしたが、かなりボリューム満点のオニオングラタンスープ。ほっこり温まるお味で、パンはふわっふわ。食器も凝ってて、母も喜んでいた。梅の器にはバターが入っていた。食後のコーヒーも香り豊かで美味しかった。 木もれ陽(こもれび) 佐賀県西松浦郡有田町広瀬山甲2373-4
2018.04.05
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重要伝統的建造物群保存地区に指定されている有田内山の街を歩く。陶器店の店先には立派な壺が飾られている。保存地区に指定されているだけのことはあって、風情のある建物が多い。「有田千軒」と呼ばれた街は、1828年(文政11年)の大火でほぼ灰燼と化す。シーボルト台風が九州を直撃した時に、窯元の火が原因で大火になったそうだ。本通りから細い路地をぬけて裏通りに入ってみよう。トンバイ塀のある通りにでた。トンバイ塀は、登り窯の耐火煉瓦、いらなくなった窯の道具、陶片を赤土で塗り固めて作った塀だ。本通りに戻って。母はこの通りのどこかの陶器店でお買物しているが、私はもう少し散策しよう。徳利のお雛様だ。おもしろいなぁ。あら! 洋館だ。地元有力貿易商が、有田焼の買い付けに訪れた外国人の接待及び宿泊用に、1876年(明治9年)に建てたもの。この洋館(有田異人館)の前に、1894年(明治27年)創業の深川製磁本店がある。富士山のステンドグラスが美しい。奥のピンクの建物もかなり年季が入ってそう。こちらは香蘭社本社。香蘭社の中はいい雰囲気の空間で、一見の価値がある。深川製磁が深川さんなら、香蘭社も深川さん。香蘭社設立者の次男が深川製磁を設立した。香蘭社の設立は、深川製磁より15年早い1879年(明治12年)だ。【送料無料】香蘭社 釉下黄彩牡丹文 花瓶木箱入り生ける喜び。愛でる楽しさ。日本伝統の美(899-NC12)深川製磁 牡丹 10号花器この2社が同族だったとは知らなかったわ。雨の平日、とても静かな街。GWの陶器市のときは、ものすごい人出になるそうだけど。プチプラ物が世を席巻し、100均で囲まれた生活をエンジョイしている人々が多い昨今、お値段の張る有田焼などの売り上げは落ちてそう。母はいいお買物が出来たようで満足顔だった。私も1枚購入した。亮秀窯のもので、絵柄が気に入り即決。(お寿司は、帰りの長崎空港で買った大村寿司)母は横で、「早っ!」とあきれていた。母はお買物を楽しみに来てるけど、私は街歩きを楽しみに来てるから。それに元々即決タイプだしお気に入りの物との出会いは一瞬でしょう。
2018.03.29
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旅の2日目は小雨模様。長崎市街から佐賀県の有田へ移動する。ながさき出島道路、長崎自動車道、西九州自動車道を経由して、波佐見有田ICで下りる。長崎新地中華街から76km、約1時間のドライブだった。JR佐世保線の上有田駅のほうから、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている有田内山地区のメインストリートを走って駐車場を探し、香蘭社の前に6台停められる「無料一般駐車場」を見つけ、そこに車を停めた。目の前に香蘭社の煙突が見える。案内板も磁器製。さて街歩き開始まず「有田焼陶祖神」の神社へ行こう。香蘭社から徒歩3分で陶山神社。ガイドブックでここに磁器製の鳥居があることを知っていた母は、見ようとここまで来たが、無情の石段。これがちょっと急め雨降ってて滑ったら大変なので、母は下から見るだけにした。石段を上ると磁器の鳥居がある。少々傷みが目立ってる。1888年(明治21)に建てられた有田焼の鳥居で、国の登録有形文化財に指定されている。これを修復するのはどうやるんだろう。かなり大変そうな気もする。狛犬も磁器。境内磁器ワールドのこのお宮さんには、「陶祖」李参平が祀られている。秀吉朝鮮出兵の際、肥前佐賀藩祖の鍋島直茂が連れ帰ってきた李参平が、泉山で陶石を見つけ、日本初の白磁器を焼いた。それが有田焼の始まりで、1616年になる。アウグスト強王がマイセンの城にベドガーを閉じ込め、白磁製造にやっきになり、成功したのは1709年。有田焼とマイセンには93年の時の隔たりがある。1650年ごろからオランダの東インド会社が有田焼(Imari)をヨーロッパに輸出し、現地の王侯貴族に愛され、熱狂的なコレクターも多く、アウグスト強王もそのひとりだった。有田焼と伊万里焼と名が区別されるのは明治になってから。有田焼の積み出し港が伊万里港だったので、江戸時代は肥前焼、伊万里焼と呼ばれ、海外では“Imari”の名で通っていた。陶山神社の境内からは、有田内山の街を見下ろすことができる。 陶山神社 佐賀県西松浦郡有田町大樽2-5-1
2018.03.27
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卓袱料理でお腹いっぱいになったら、少々急ぎ足で新地中華街へ。ランタンフェスティバル最終日は午後8時に灯りが消えてしまうので、急がなければならなかった。思案橋界隈のやわらかい灯りの下を歩く。泊っているドーミーイン前の銅座川にはピンクのランタン。川面に映るランタンが艶かしく幻想的だ。中華街入口北門横には大型オブジェがあり、とても華やかだ。雑踏のようだが、意を決して中華街の門をくぐろう。「飽きて疲れたらホテルに帰っていいからね」と母に言いながら歩く。そうできるように中華街真横に宿を取っていたが、母は頑張ってついてきた。非日常のキラキラがエネルギー源になったようだ。メイン会場のひとつ、新地中華街の湊公園に着いた。元は華僑の人々の春節を祝うお祭りだったのが、1994年から規模を拡大して開催されるようになり、今では2週間にわたって市内7ヶ所のメイン会場で繰り広げられる盛大なフェスティバルに成長した。観光としては冬枯れの時期に当たるイベントなので、集客効果は大きく、夜がメインなので、長崎市内に宿泊する人が増えるだろう。母は長崎ではなく雲仙に泊まりたかったようだが、ランタンフェスティバルで説得した。人の多い祭りはもう苦手になっている母がおとなしく歩いていたので、ランタンの華やかな光の力は相当なものだったようだ。最終日でも、傷んだところなどなく美しい状態を保っているので、地元の方々の努力の跡がうかがえる。歩きながら食べられる角煮まんじゅうや中華菓子の売店があり賑わっていた。卓袱料理で満腹だったので、ホテルで食べようとこれを買った。長崎の縁起物スイーツ、桃カステラ。かなり激甘だった(笑)消灯時刻の午後8時にランタンの灯りが一斉に消されたが、「大勢の方がいらっしゃるので、少し延長します」というアナウンスと共に灯りが再びともされた。点灯されて、暗闇から一瞬で極彩色の光の渦の中に立っているのは、夢の中にいるような印象的な瞬間だった。
2018.03.26
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この旅行での母の希望のひとつは、卓袱料理を食べること。本来は、円卓を囲んで大皿に盛られた料理を小皿に取り分けていただくスタイルで、食事の最初にお吸い物が出て、女将さんの「お鰭をどうぞ」のご挨拶とともに食事がスタートするものだ。でも、女将さんが登場しそうな料亭だとお値段もかなりなことになる雰囲気は味わえて、もっとカジュアルなところで〜と検索かけて出たのが、『長崎卓袱浜勝』。ちゃんぽんのリンガーハットのグループ店だ。1階の円卓席に案内された。店内はきれいで居心地のいい空間だった。卓袱コースで一番お手頃なハタコースをオーダーした。お鰭、バラ煮、三品盛、刺身からまずお鰭をいただく。椎茸は対馬のどんこ椎茸。バラ煮は十八寸豆の蜜煮で、甘いお豆さんがいっぱい。焼き物は鰆の柚庵焼きほんのり柚の香りがしていい。紫陽花揚げチーズが入っていて、これが一番好みだった。もう一個欲しい大鉢は信田巻きや道明寺巻きもっと甘めの味付けかと思ったが、ちょうどいい加減のお味。このあたりで満腹感を感じ始めた。卓袱料理の定番、豚の角煮豚は雲仙豚を使っている。かつお菜と蒲鉾の中華スープ壱岐の天日干しコシヒカリ香物とても美味しいお米だった。香物は唐人ぶらぶら漬けが美味。私はあまりお漬け物が好きじゃないが、これは美味しくいただけた。デザートは、苺寄せ、柿、お汁粉柿はいらなかったなぁ。季節じゃないし、固かった。苺だけで良かった。このお店は、ひとりでも卓袱料理の気分を味わえるのがいいところ。大人数で楽しむのが本来のかたちだけど、一人旅でも名物料理を楽しめるというのは、旅行者にとっては有難い。もし一人旅で長崎に来たら、きっとリピするだろう。長崎卓袱 浜勝 長崎市鍛冶屋町6−50
2018.03.24
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ドーミーインから予約している卓袱料理のお店までの移動ついでに、ランタンフェスティバル会場のひとつ、浜町アーケードを楽しんだ。アーケードは大勢の人で賑わっていて盛り上がっている。このアーケードはシャッター街になってなくて、現在進行形で“生きてる”アーケードのようだ。マクドナルドのある四つ角では、見上げれば、龍が空を駆けている。地上には、綺麗どころ。三菱東京UFJ銀行前には、賢そうな英雄がいた。思ってた以上に美しく、わくわくしながら歩いた。ショーウィンドーのハッシュパピーちゃんもコスプレしてるこういうの楽しいわ。この浜町アーケードは特殊な道でもある。アーケードは国道324号線で、午前10時から翌朝5時まで車が走ることができない国道だ。車が通れない国道として有名なのは、青森の階段国道(国道339号)だが、こちらも車が通れるのは5時間のみなので、かなり特殊な国道だろう。商店街アーケードが国道というのはここだけではなく、あと一ヶ所、東大阪市のサンロード瓢箪山商店街が国道170号線指定になっている。(170号といっても外環じゃなくて旧道のほう)ランタン揺らめく国道を歩いて思案橋方面へ。
2018.03.23
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長崎でのお宿は、新地中華街の北の玄武門すぐ近くにある『出島の湯ドーミーイン長崎』だった。新地中華街まで30m、出島まで230m、浜町アーケードまで280m、路面電車の〈築町〉電停まで130mだ。ランタンフェスティバルの事を考えてここに決めた。予約していたのは、広さ21平方メートルのツインルーム。部屋へのドアを開けると、右側にオープンなクローゼットエリア、左側にバスルームがあり、ベッドエリアとの間に仕切りの引き戸がある。透かしがシノワーズ。引き戸を開けると、幅120cmのシモンズのベッドが2台ある。無料Wi-Fiあり。(もうあるのが当たり前)冷蔵庫内は空だ。スリッパはウオッシャブルタイプ。飲み物は煎茶のみだが、ロビーに自由に飲めるコーヒーがあって、部屋に持ち帰るのも可能だ。加湿器があるところが増えてきたのは、喉の弱い私には助かる。バスルームは、ユニットバス。シャワーカーテンから変な香りはしなかった。大浴場があるので、そちらを利用する人が多いのだろう。大浴場は温泉ではないが、超軟水だそうだ。部屋の水道水も超軟水で、コンタクトレンズを洗っているときに若干の違和感を感じた。シャンプー類はPOLAのもの。バスルームに入るのに大きな段差があって、高齢者連れだとそこが1番気になった。母は夜中に必ずバスルームを使用するので、段差のことは口を酸っぱくして言っておいた。ベッドサイドのライトもシノワーズ風味だ。朝ごはん(大人1200円)は全然期待していなかったら、意外に種類豊富で楽しめた。長崎っぽい中華の料理もあって、1200円はコスパフォ良しと感じた。ホテル1階にはファミリーマートがある。奥に見えているのが新地中華街入口の玄武門。部屋からの眺めは、北方向だった。あまりおもしろくない眺めだ。駐車場はホテル真横にあり、その他に提携駐車場が3ヶ所あり、いずれも1泊1000円。ホテル目の前は銅座川で、そこにはピンクのランタンが飾られていてムード満点。フェスティバルメイン会場の湊公園まですぐなので、ランタンフェスティバルを楽しむには最高の立地だった。 出島の湯 ドーミーイン長崎 長崎県長崎市銅座町7−24
2018.03.22
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この日は暑く、半袖になりたいくらいの陽気グラバー通りの下り途中、ざぼんソフトクリームで暑気払いした。爽やかで冷たくて美味しい!グラバー園まで来たので、近くの建物を2つおさえておこう。国道499号沿いに建っている『旧香港上海銀行長崎支店』この建物の前で信号待ちをしていたのは、目の前のクルーズ船に戻る、両手いっぱいのお土産袋を持った大勢のチャイニーズの皆様方。香港上海銀行長崎支店の前にチャイニーズの皆様方というのは、ある意味被写体としては合っているな。設計は下田菊太郎で、1904年(明治37)竣工した。重要文化財に指定されている。煉瓦と石造りのファサード建築で、建物前面は重厚で威風堂々とした銀行らしさがある建物だ。それに比べて、サイドはシンプルだ。下田菊太郎(1866−1931)は秋田県角館出身の建築家で、工部大学校で辰野金吾(東京駅、日銀本店など設計)の講義を受けていたが、どうもこの師匠と合わなかったようで、大学校を中退してアメリカに渡る。9年間のアメリカ滞在中に鋼骨構造の設計を学び、帰国後はアメリカで学んだ建築法を広めるため事務所を開設しようとするが、かつての師匠である辰野金吾から圧力がかかって、なかなか思うように事が運ばなかったそうだ。帝国大学工科大学学長、建築学会会長の辰野金吾先生からの圧力、今で言うパワハラ、アカハラね。ドクターXの大門センセのようなイメージを下田菊太郎に重ねてしまふ1909年(明治42)に本拠地を上海に移してしまう下田菊太郎の、日本国内で唯一現存している作品が、この旧香港上海銀行長崎支店だ。市民の声を受けての修理・保存だったとのこと。下田先生、良かったね。旧香港上海銀行長崎支店のすぐ横にあるのが、旧長崎税関下り松派出所(現 長崎市べっ甲工芸館)こちらも重要文化財の指定を受けている。1898年(明治31)竣工の長崎税関の派出所。このあたりの装飾が美しい。2つの建物とも、入館料を払えば中に入ることができるが外観のみとした。ここから歩けば、旧長崎英国領事館や重要伝統的建造物群保存地区の東山手洋風住宅群にすぐにアクセスできるが、今回はあきらめた。朝イチ、7時台の飛行機にすれば良かったな。(後悔)
2018.03.19
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2008年にも来たので今回はパスしようと思っていたが、母が行きたそうだったので、グラバー邸に行くことにした。大浦天主堂も見たいし、グラバー邸からの長崎の景色は美しいので、何度行ってもいいだろう。駐車場からお土産物屋さんが並ぶグラバー通りの坂道を上っていくと、周りは中国人観光客と修学旅行の制服組だらけになった。外国人観光客はほぼ中国人で、欧米系がいない。「この中国人占有率はびっくりよね〜 長崎ってそんなに中国人に人気があるんだ。ほらほらお釜持ってる人がいるよ。初日本なのかな。最近は空港でお釜持ってる人見なくなったもんね。神薬もどっちゃり買い込んでる。かなり長崎の経済をまわしてるね。」「いいお釜欲しいな」by母「ここで買わないで、大阪で買ってよ」「わかってるがな」by母お土産物屋さんで何も買わず、チャイニーズさんのお買物評論してるうちに大浦天主堂の前に着いた。おっとー 国宝が幌かぶってまんがな!ただいまお直し中。今年4月1日から博物館が開館するらしいので、それまでのお直しかもしれない。博物館開館で、拝観料が1000円になるそうだ。(現600円)グラバー園へ入ろう。(大人610円)グラバー邸1本狙いだ。このお邸(旧グラバー住宅)は、2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界遺産に登録された。スコットランド出身のトーマス・ブレーク・グラバーさん(1838-1911)。1859年(安政6)に来日し、1911年(明治44)に東京で没するまで日本にいたグラバーさんのお宅で、1863年(文久3)に建てられた日本に現存する最古の木造洋館だ。いつ来ても素敵な建物だ。文久3年というと、将軍家茂が上洛し、八月十八日の政変が起きた年。明治維新に向けて時代が本格的に動き出した時期だ。幕末の動乱期、グラバーさんは諸藩に武器を調達して財を得ていたのだろう。明治になると、武器が売れなくなり、グラバー商会は破産する。三菱財閥との関係が深ったグラバーさんは、三菱財閥の相談役となる。長崎といえば三菱重工。世界遺産の「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の長崎エリアは重工さんの物件が多い。グラバー邸から見る長崎港の景色はいい。大きな客船が入港している。COSTA SERENAというイタリア船籍の客船だった。大きすぎて、湾内の景色がよく見えないわ大量のチャイニーズさんは、この客船のお客さんだったことは、グラバー邸からの帰りにわかった。クルーズ船が一艘入港すると、大きな経済効果があるのね。グラバー園内では、梅の花が美しく咲いていた。グラバー園 長崎県長崎市南山手町8番1号 グラバー園内
2018.03.15
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大村ICから長崎自動車道にのり、ながさき出島道路を経由して長崎市街地へ。所要時間は40分だった。出島近くの駐車場に車を停め、出島を観光することにした。青空が嬉しい。高校の修学旅行を含めて、今回が5度目の長崎訪問。過去4度はいずれも ♪長崎は今日も雨だった〜 と歌のとおりだったので、晴れているだけでテンションが上がる。かつては海に面していた西側の門より入場する。(入場料大人510円)キャラ好きはしっかりキャラさんも含めて写真撮影。「さるくちゃん」という名前のキャラさんで、「さるく」とは長崎弁で「ぶらぶらと歩き回る」という意味。“長崎は歩いてまわってみよう”という観光コンセプトから生まれた名前みたいだ。一人旅ならひたすら“さるく”けど、残念ながら今回はそういうわけにはまいりませぬ。出島内の建物は比較的最近に復元整備されたようで、以前はこのような建物が並んでいなかった。このあたりは鎖国期(1820年頃)の街並みを復元している。国指定史跡としては「出島和蘭商館跡」と、あくまで「跡」としてだが、こういうふうに復元されるほうがイメージがわいて楽しく見学できる。ポルトガル船が初めて平戸に来たのは1550年。1571年には長崎に入港し、それが長崎開港となる。それから物の行き来が始まるが、江戸幕府の鎖国政策により、1636年将軍家光の時に出島は完成した。出島完成当初はポルトガルとの貿易だったが、3年後の1639年にカトリックへの警戒からポルトガル船が来航禁止となり、1641年に平戸からオランダ商館が移転して、対オランダ貿易の場となった。1859年にオランダ商館が廃止になるまでの218年間、貿易の窓口としての役割を果たしてきた。オランダの東インド会社で仕事をしてて、「君、日本支店長になってね」と言われたらどんな気持ちだったのだろう。今と全然距離感が違うから、地の果てに行く気分だっただろうな。旧石倉幕末の商社の石倉を復元したもの。ハルトマンス・ベシエ商会、及びクニッフレル商会が所有していた石造りの倉庫だった。旧石倉付近は幕末期(1860年代)の復元エリアだ。懐かしや、ミニ出島。これは昔からあったなぁ。初めて長崎に来たとき、ここで記念撮影したのを覚えている。1/15スケールのジオラマ。こういうのを好きなので、とても印象に残っていた。母もそうみたいで、ミニ出島を見て喜んでいた。東の端には、1878年(明治11)に建てられた旧出島神学校。1903年(明治36)建築の旧長崎内外クラブ明治期の洋風建築が2棟ある。出島の復元事業は1951年(昭26)から始まり、まずは民有地を公有化するのに50年の歳月をかけて取り組んだ。2000年に第1期事業として5棟が復元され、現在も着々と進行中だ。最終的には、水に囲まれたもとの扇形にまでしようとする壮大な復元計画で、2050年が目標になっているとのこと。2050年、、、87歳だもん、微妙というか、この目で見るのは無理かもねぇ。寿命がつきたら見られないけれど、復元目標が達成できるよう頑張ってくださいね、長崎市さん。東側ゲートを出ると、路面電車が走っていた。水路に囲まれた扇形にするということは、この路面電車のルートを変更し、道路を付替えるということだから、あと30年かかっても仕方ないわね。
2018.03.13
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「有田に行きたい」という母の希望で、長崎と佐賀を巡る旅をした。ちょうどチューリップも綺麗に咲いてそうなのでハウステンボスをからめ、ゆったり3泊の旅にして、長崎空港in/outで予定を組んだ。伊丹から長崎へのJALは、エンブラエル190という機材で座席数100に満たない飛行機だったが、それでも満席ではなかった。卒業旅行シーズンだけど、若人の姿はなし。若人は関空でLCC利用なのかもね。定刻に到着し、出口を出ると、ランタンが出迎えてくれた。ランタンフェスティバル最終日だったので、夜に行くのが楽しみだ。レンタカーをピックアップしたら即ランチタイムにした。レンタカー屋さんのすぐ近くにあった「若竹丸」で回転寿司の昼ごはん。母の薬のこともあって、ランチをパスすることができないので、食べる量をコントロールしやすい回転寿司にした。ここでは寿司皿は回転してなくて、タブレットでオーダーすると奥の厨房から自分の目の前にピューっとお皿が流されてくるシステムで、それが珍しかった母はお皿が通る度に笑ってる。奥の席に行くお皿はかなりの高速で目の前を通過するので、それが楽しかったようだ。小田原駅で新幹線の通過を楽しんでいる外国人と似たようなものか夜に卓袱料理を予約しているので軽めに、あと鉄火巻きなど数皿食べて、お会計は1190円。母はこの値段が衝撃だったらしく、帰りの飛行機でもまだ「1190円やったな」と呟いていた。母は「くら」や「スシロー」には行かないから行っても「長次郎」か「根室花まる」なので、2人で1000円台に驚いてしまったようだ。気軽な気分で回転(回転しないけど)寿司を楽しむには、長崎空港から近くて便利なお店だ。サーモンとウニ、赤生海老が美味しかった。若竹丸 大村店 長崎県大村市協和町667−3
2018.03.12
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こちらがグラス底ボート。なんだか写真の色が赤茶けているのは、海中展望塔内でデジカメのモードを水中に変え、そのままのモードで撮ってしまったから。モードを変更したときは気をつけなければいけないね。「本日風が強いため、船が揺れます。船酔いする方はご注意ください。」のはり紙を見て、一気に乗船意欲を失った娘と母はほっておき、私ひとりで楽しんできた。船がポイントまで行き、エサをまくとお魚が来たー揺れてるなんて何のその、きゃっきゃと楽しんできた。それほどの揺れには感じなっかったし。今まで船の揺れで大変な目にあったのは2回。もう30年以上前、伊良湖岬から鳥羽までホーバークラフトに乗ったときと、18年前くらいに石垣島から波照間島までの離島航路に乗ったときの2回。ホーバークラフトはもう2度と乗らない!!と心に強く誓ったほど揺れた。揺れたというより海面をバウンドしていた。台風で欠航していた再開一番目に乗ったのだから波もすごかったのだろう。同じ頃、大平首相が別府湾をホーバークラフトに乗り、下船後「二度と乗りたくない」と言ったという記事が載っていて、妙に大平さんに親近感を覚えた。大平さんが乗ったときも別府湾は荒れていたのだろう。波照間航路は常にエアポケットのような状態で、船体が下がるときには息をす~っと吐き出すことを続けていないと気持ち悪くなるような感じだったのに、波照間港に着くや、乗っていた地元のおばぁが、「今日はあまり揺れなかったね~」って・・・信じられない・・・・波照間のおばぁの「揺れる」という基準はどのへんなんだろう。
2009.05.23
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最終日は最高のお天気ホテル敷地内にある海中展望塔とグラス底ボートを楽しんだ。右端にある白い建物が海中展望塔。ホテルの開業は10年位前だが、この海中展望塔はそれより以前、1970年に開業した古い施設。水深4mの窓をのぞくと・・・熱帯魚が泳いでいる~~海に潜るのが好きな人の気持ちが理解できた。癒されるわベタな施設だが、いつまで覗いていても飽きなかった。海中展望塔への連絡橋からの景色も素晴らしい!次はグラス底ボートに乗ってみた。
2009.05.22
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