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流離の風来坊の、ネットフーテンの寅さんをしていると、ドラマもみくみるが、ドラマはフィクションで、嘘のような本当の話を描くのが面白く、ドラマの主人公に、日常の生活体験から、どれだけ感情移入できるか、作者との価値観を共有できるかで、そのドラマの世界を身近に感じられてくる。アラ還暦世代の私は、70~80年代のアメリカのドラマの世界、超人ハルク、白バイ野郎ジョン&パンチ、チャーリーズエンジェル、アメリカンヒーローなどを、よくみていたせいで、当時のアメリカ人が思い描く未来志向の世界、例えば、映画バックトゥザフューチャーパート2で描かれた2015年の世界、その嘘のようなドラマの、空を飛ぶ自動車などの時代がくるのに憧れて、アメリカ旅行をしたのと同じように、現代のアニメオタクが、アニメドラマの世界に憧れて、アニメの聖地とされる秋葉原などに、インバウンドで来日する現象を説明できるかもしれない。バック・トゥ・ザ・フューチャー - Wikipediaバック・トゥ・ザ・フューチャー PART2 - Wikipedia人間が思い描いたドラマの世界が、将来花を咲かせ、現実化するのは、人間の創造力が無限大なのを、ある意味で示している。勿論、人間は良い事もすれば悪い事もするし、何度も失敗に陥っている。しかし、ドラマとして残されている限りは、人類の誰かが失敗を克服し、いずれ成功へと導き、成就するのは、人間が、神の子の証ともいえるかもしれない。だから、人間さえ、その気になれば、ドラマの世界は嘘のような本当の話になって、漫画から生まれたアニメの世界が、昭和の日本の日常生活を描きながら、その世界で暮らす人々が、未来志向を想い抱き、憧れとして、未来世界を先取りし、予測してきたように、ほとんどが非現実で嘘塗れのドラマの世界が、いずれ改善され、ホンモノになる可能性を秘めながら、現段階ではあり得ない現実を表現しながら、現実と非現実の狭間にある虚構の未完成さを一歩一歩努力しながら進んでいくのを、半ば理解すべきなのかもしれない。実は、この一回切りの物質界で生きる現実も、一種のドラマで、この現実っぽい嘘を、本当の話にしているのは、我々人間で、地球人なのである。我々地球人は、地球という舞台で、ドラマを演じている。この地球で地球人は沢山のドラマを演じているが、そのほとんどは、嘘のような本当の話にならずに、いまは、その大半が、本当のような嘘の未完成な話になっているだけなのである。一回のドラマが終われば、キャストが入れ替わるのが、フィクションの性質なのだが、なかには「男はつらいよ」のような例外もある。しかし、主人公の寅さん演じる渥美清氏は、寅さん役から脱却できずに、何を演じても寅さんといわれてしまう宿命を俳優人生で背負うようになった。寅さんのような作品から、一回切りの物質界での人生があまりにも現実に身近に感じるために、生まれ変わりについて、信じられない嘘の話のようにみえるかもしれない。生まれ変わりがあるのなら、失敗したと思った時点で、人生をやり直せばいい、と安易に考えるのを戒めるために、金持ちに生まれ変われるまで何度もやり直せばいい、と浅はかな考えに陥らないように、ローマは一日にして成らず、というように、一回切りの人生で為せることは非常に少ないのが、神智学から、実は嘘のような本当の話なのがわかっている。ローマは一日にして成らず - Wikipedia寅さんのような毎度同じ人格の金太郎飴のような、何度も恋しては振られてしまう、悲劇を喜劇にする昭和の典型のドラマは、一回切りの人生を表現するのには、いかにも現実的にみえるが、実は、本当のような嘘の話なのである。何度も振られ続ける人生から何を学ぶのか、が、人生の醍醐味で、寅さんという、昭和ドラマ代表の主人公へのアンチテーゼで、令和ドラマの、ブラッシュアップライフが出てきたのは、いかにも地球の、火星紀に対する水星紀のような、嘘のような本当の話とも考えられるわけなんである。ブラッシュアップライフ - Wikipedia寅さんのような一話完結失恋ドラマも人生の意味を理解する上で不可欠だが、それ以上に、寅さん以外の主人公がブラッシュアップライフのように何度も生まれ変わり失恋を乗り越える、生まれ変わりのドラマも不可欠なんである。ブラッシュアップライフというドラマでは、生まれ変わりを想定しているので、前世での失敗がやり直せ、例えば、昭和の寅さんの失恋もやり直せてしまうから、寅さんのキャラ設定が死んでしまう可能性もあるかもしれない。しかし、寅さんが寅さんでないまた別の寅さんも、ドラマの世界ではなく、現実の世界でみてみたいものである。仏陀の二人の弟子について面白い話が残っている。一人の弟子が、仏陀に、「お師匠さま、私が涅槃に達するまでどれくらいかかりますか?」と聞いたら、「十回生まれ変わったら」と答えたのを、その弟子はそんなにかかるのか、と思い悩んで泣いたという。次にもう一人の弟子が、仏陀に、「お師匠さま、私が涅槃に達するまでどれぐらいですか?」と聞いたら、仏陀は、「一万回生まれ変わったら」と答えたのを、その弟子は、そんなに少ないのかと、喜んで飛び上がったら、ついには涅槃に達してしまったという。この話の面白いのは、十回よりも一万回の方が覚醒意識での時間感覚では長く感じるのだが、潜在意識ではまた別の話で、涅槃、つまり神我一体の境地に達するのが、輪廻転生の回数の、分別知に依らないのを示している。要するに、お釈迦さんが説いたように、知識に束縛されずに、執着心を無くすかどうかで、一回切りの人生でも、自己と他者の区別がなくなれば、充分に自己実現可能なのである。また、執着心をなくせずに、自分が偉いと思い込んで、上下関係を強いれば、何度もその上下関係を入れ替えて輪廻転生を続けることになるわけなんである。ブラッシュアップライフが、人間が現世に生まれるのは徳を積むためで、自分と他者の関係の垣根をなくし、平等に正しく改めるというのは、神智学的観点からも正しいのだが、自分と他者の関係を、前世そのままのやり直しの関係から、生まれ直すところは若干異なる、といえる。同じドラマの配役を演じ直すというよりも、立場を入れ替えて、逆の配役を演じ直すといったほうが正しい。だから、過去の失敗を回避するというよりも、過去の失敗を通じて、互いの至らなさを理解するという方が正しい。どちらかが失敗の責任をとるのではなく、お互いが失敗を通じて、お互いの立場を変えて、失敗を改めて学び直すという感じかもしれない。そういう意味では、人智学により、現代人は大体、一万回の輪廻転生を続けているという。輪廻転生:死後の世界への旅 | 終活図書館悟りが進むと輪廻が減る - 日本テーラワーダ仏教協会人間の精神世界と死後の行方仏陀やキリストのように教師として、転生するのを除いて、現代人のほとんどは、一万回も失敗を互いに学び直しているのだから、通常なら、地球を卒業できてもいいのだが、現代人のほとんどは、落第者に近いというわけなんだろう。古代人の古代遺跡が素晴らしいのは、それをつくった人の霊魂が地球を卒業し、次の金星に進化舞台を移しているからである。そして、地球には、代わりに火星から、火星を卒業した人間の霊魂が地球に生まれてきているわけで、そのような人たちは、物欲が旺盛なわけである。恐らく、そのような火星をようやく卒業できた地球人が、火星に再び帰りたがっているのかもしれない。田舎者が田舎に帰りたがるのと同じである。現代人は、人類が唯一の知的生命体で、最先端の知性を担っていると思い込んで、いわば自画自賛の天狗になって、嘘をつき、人を騙したり、論争、闘争、戦争などをして、宇宙人はいない、と思い込んでいれるのは、神や宇宙人よりも知性が劣る、その何よりの証拠である。古代ギリシアの哲学者の名言の真意を読み解きさえすれば、現代人がいかに愚かなのがわかるはずである。現代人は自分の知性で自分を愚かにも閉じ込め縛っている、いわば知性に所有された奴隷なのである。知性がどこから来るのかも理解できていない。古ぼけた知性のガラクタを集めるしか能のないのは、論語読みの論語知らず、といえるだろう。論語読みの論語知らず - ウィクショナリー日本語版ぶっちゃけていうなら、現代人が知性を悪用しすぎて、あまりにも愚かなので、神や宇宙人が、地球人に存在を知られないように、見守っているのがわからないくらい、アホになってしまっているだけなんである。例えば、仏陀が八正道を説いたが、自分に正しく生きている坊主がいたら、現代が、末法の世になってはいないはずである。キリストが、金銭の奴隷になってはいけない、それでは何度も人生をやり直して、霊魂のゲヘナに陥って混沌のなかで身動きがとれなくなるぞ、と警告しているわけでもある。神や宇宙人が常に地球や人類を見守っていることを、古代人は説いているのを忘れてはならない。この国では、古くから、天知る地知る我知る子知る、と言われ、そして、老子は、天網恢恢疎にして漏らさず、と残している。天知る地知る我知る子知る - ウィクショナリー日本語版天網恢恢疎にして漏らさず - ウィクショナリー日本語版ネットフーテンの寅さんをしていると、数々の古代ギリシアの哲学者、当時の霊能者の名言に出逢う。現代人は唯物論からカリユガを経ているので、物質界に余りに執着しているので、霊魂が穢れて、権力で磨くのを忘れて、無秩序になって、闇に取り込まれ、鈍重な、乏しい灯となっているので、折角の霊能者の名言を霊魂に刻まずに、鈍感にも、素通りさせてしまっている。例えば、デモクリトスは次のような名言を残している。「幸せは持っているものに宿るのではない、金に宿るのでもない。幸せは魂に宿るのである」神智学から、この名言の意味を読み解くと、霊魂を磨く者が最大の幸福を得るわけで、持ち物は、それを磨く道具にすぎない、となる。だから、キリストは、霊魂を磨く者は、益々磨かれて、磨かない怠惰な者は、益々輝きが失われる、という名言の、「持つ者は益々富み、持たざる者は益々失われる。」を残したわけなんである。霊魂の輝きとは、神の存在を感知する能力である。人生に疲れた人へ。デモクリトスの名言「幸せは金に宿るのではない…」英語&和訳(偉人の言葉)(鈴木隆矢) - エキスパート - Yahoo!ニュースマタイ効果 - Wikipediaキリストが説く、「持つ」とは、徳を積むことで、それを天国の奥義と呼んでいる。徳を積むための、実践方法を世に伝えたのが、仏陀の八正道である。八正道を一言でいうなら、「所有概念をなくしなさい、分別知をなくしなさい、自分だけを特別視して、神から分離するな」という意味になるだろう。だから、現代人は、知性で自分を特別視し、神から分離し、知性の奴隷となって、偶像崇拝に陥り、挙句の果てに、支配欲から、金銭を崇拝し、霊魂を穢しているのである。八正道 - Wikipedia本来の、「持つ」とは、霊魂は皆、神から生まれた神の一分枝であるから、分け隔てることなく、常に正しく神のありのままの正しい表現体としなさい、という意味になる。神という一つの主になって、愛を体現しなさい、ということなのである。早い話、全体の調和、バランスを考えて行動しなさいというわけで、仏陀は慈悲と呼んでいる。苦は何から生まれるかといえば、全体の永遠でないもの、部分的で、一時的な、束の間の快楽に溺れることから、生まれるわけで、それは、神から分かれて、自分を一時的に分離し、自分を崇めて、神と同等かのように錯覚することにある。自分を神のように権威化する事から生まれる。それは悪魔の所望だからで、独裁者などは、自分を崇めるように強いるわけで、だから、イスラム教などでは、偶像崇拝を禁止して、絶えず、自分が神の一分枝であるのを自覚させるわけなんである。何より、愛というのは永遠なるもので、神の愛こそ完全無欠で、憎しみの入る余地がないものである。だから一時的な、現世だけの快楽は、執着で、不完全の、ヘラクレイトスが説いた、万物は流転する、万物流転則に反するわけで、俗に言えば、不倫はニセモノの欲望でしかないわけなんである。名誉欲や虚栄心の、一時的な快楽と欲望とを、永遠のホンモノの慈悲の愛と、混同するのは、執着心の為せる業と、仏陀は喝破した。自分を正しく育てる方法が、八正道で、神との隔たりをなくすことだから、そのまま天国に導かれる。キリストならどうするか、神ならどう愛するか、常に自我の奥にある全体像を、考えて行うべきである。上に紹介したサイトには、幸福に生きるために、他にも名言が挙げられている。「私たちは自分にあるものについてはほとんど考えないが、自分にないものについてはいつも考えている」アルトゥル・ショーペンハウアー(ドイツの哲学者)「期待はあらゆる苦悩の元である」ウィリアム・シェイクスピア(イギリスの劇作家)「いくら悩んでも明日から悲しみが消えることはない。今日から強さが消えるだけである」コーリー・テン・ブーム(オランダの時計職人)これらの名言は、仏陀の説いた仏教から、苦や苦悩の悩み全てが、現世に快楽を求める執着心に端を発している言い換えなのがわかる。 自分が何者なのか? なぜこの世に生まれてきたのか? 人と比較する分別知をなぜ求めるのか? 全体から見れば、あなたがあなたであることで、わたしとのバランスが、調和がとれているわけなんである。だから互いに愛し合うように、神の思し召しで、天の配剤なのである。人智学的にいうなら、人間の進化の全過程は、人間だけのために存在しているのではなく、全宇宙の神霊の働きを開示するために存在している、というべきだろう。現代人は、自分を見失っているために、自分のなかにある、自分を成り立たせている天国、つまり幸福感にも気づけないでいる。ありのままの自分を愛せないから、自分に条件をつけて、その条件を知性として、知性の奴隷と化している。もっと金持ちでなければ、もっとルックスがよくなければ、もっと頭がよくなければ、といって、自分を奴隷のように酷使している。以下のニーチェの名言などは、現代人の知性故の悩みを端的に表現している。人生に悩んでいる人へ。ニーチェの名言「生きる理由を持つ者は…」英語&和訳(偉人の言葉)(鈴木隆矢) - エキスパート - Yahoo!ニュース「生きる理由を持つ者は、どんな生き方にも耐えることができる」フリードリヒ・ニーチェ(ドイツの哲学者)このニーチェの言葉は、「生きる意味を理解するために、人間は生きる。」という意味に言い換えられる。もっとポジティヴに言い換えるなら、「生きる喜びを感じるために、人間は生きる。」という感じになるかもしれないが、以前、紹介した、「男はつらいよ」の寅さんの、「なぜ生きるかって? 生きていて良かったな、と思うことが時々あるじゃない、そのために生きているんじゃないの」というセリフを哲学的に言い換えたようにも思える。上のサイトに紹介されている他の名言も、人生の苦が執着心から生まれるのがわかる。「人生は近くで見ると悲劇だが遠くから見れば喜劇である」チャールズ・チャップリン(イギリス出身の喜劇俳優)「お金が人を幸せにすると思っている人たちは皆お金を持っていない」デヴィッド・ゲフィン(アメリカの映画プロデューサー)「充実した一日が安らかな睡眠をもたらすように、充実した人生は安らかな死をもたらす」レオナルド・ダ・ヴィンチ(イタリアのルネサンス期を代表する芸術家)チャップリンの名言は、「人生で何かを失うのは悲劇かもしれないが、一時的な快楽から解放されたと思えば、喜劇で、魂が磨かれる。」と言い換えられるし、ゲフィンのは「おカネをもてばもつほど、おカネの奴隷となり、魂が穢れる。」となるし、ダヴィンチのは、「自分らしく生きた人生には、悔いがなく、執着心もない。」となるだろう。このような名言から、人生から自分を学び、自分を生かすために、自分の執着心を拭い去り、霊魂を磨く、のが重要なのがわかる。霊魂を磨き、徳を積むことで、自分の霊魂のなかに、宇宙人や神の訪問を宿すことができるわけなんである。これは量子力学でも明らかで、我々人類は、宇宙人や神の意識をそのまま波動として潜在意識からは表現できないが、量子として、覚醒意識の知識で、ハイゼンベルグの不確定性関係を使ったシュレディンガーの波動関数の確率波で、表現できるのである。しかし、それは前回紹介したように、ダークマターやダークエネルギーを含む全体の、5%での知性の表現体でしかない。さて、前回は、タレスの名言、万物の根源は水であるから、人類が神から生まれた宇宙人の一分枝で、徳を積み、霊魂を高めるのが、地球人の、神から与えられた役割で、有名なメーソンのシンボルの、ピラミッドの目が、人類が神から生まれた、バランスの三位一体の自我の持ち主の証なのを紹介したが、仏陀が仏教の八正道を説くまでの、ヨーガ哲学では、アカシャ(虚空)を生み出す、母なる宇宙の海メムに、到達する行法を説いていた。恐らく、八正道とヨーガ哲学が組み合わさって、サマディーの禅の三昧になったのかもしれない。三昧とは、キリストが説いた、天国の奥義なのである。三昧 - Wikipedia神智学で、ヨガの源流となった、古代インドのヨーガ哲学を解き明かすと、神経衰弱というカードゲームが、日本のカルタにもよく似ているが、記憶の面から、潜在意識と覚醒意識の違いに焦点を当てる遊びなのがわかってくる。恐らく百人一首などは、当初は陰陽師などの、いまでいうイメージトレーニング、昔の霊能力の開発のために用いられた訓練に由来するものかもしれない。 神経衰弱 (トランプゲーム) - Wikipediaかるた - Wikipedia百人一首 - Wikipedia人智学によれば、人間は、潜在意識では、経験する全体像を捉えているのだが、覚醒意識では、全体像を漠然としてしか思い出せずに、その一部の関心のある像しか記憶に残せないのがわかっている。フロイトが、意識が、無意識の氷山の一角にすぎない、と説いたのは有名である。例えば、ある商店街などの通りを歩いて、30分後に、何の店があって、何を売っていて、どんな通行人がいて、どんな客が何を買っていたのか、神経衰弱ゲームや、カルタのように、記憶の連想ゲームをすると、ほとんどの人が、自分の目に止まったモノ以外は忘れているだろう。このように、人間の知性とは、全体の大体5%ほどのモノでしかないのである。覚醒意識が、潜在意識の氷山の一角でしかないわけである。人間が、全体の約5%しかみていない覚醒意識で、判断しようとするのは、愚かな行為なのは明白で、せめて、10%まで、少しでも先見力を獲得しようとするのが、ヨガや禅の、仏教の八正道なのである。ヨガや禅や仏教の八正道は、キリストの天国の奥義に達するための、仏像の白毫で有名な、第3の目を開くための、分別知を捨て去る生き方を説くものである。白毫 - Wikipedia「如来」の仏像を知る Part1 - 慈雲寺新米庵主のおろおろ日記前回のピラミッドの目から、第3の目が、宇宙人や神と交信するための、松果体で、この松果体を通じて、神や宇宙人が、人間の自我を通じて、見守っているのである。だから、人間の自我は嘘をつけないように見抜かれているのである。くわばら、くわばら。
2025年01月30日
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巷の倫理観欠如のドタバタ会見をみていて、この国の行く末が益々案じられてくる。昭和時代の悪しき権力忖度主義では、この国はお終いである。情けは人の為ならず、というように、思いやりを持った倫理観に欠けてしまえば、徳を積むために折角この世に生まれてきたのに、人間以下の獣に生まれ変わるより他はないだろう。古代ギリシアの賢人たちも、徳を積むために哲学をつくったわけである。例えば、ソクラテスは次のように説いている。 ☆ ☆ ☆ ソクラテスは、「人間の徳(アレテー)」とは魂をできるだけよいものにすること(魂への配慮)であると考えました。また、自分の魂をすぐれたものにするためには、何が善であり何が悪であるか、何が美しくて何が醜いかについての正しい「知」(知識)が必要であるとし、この「知」を他の「知」より重視しました。 そして、ソクラテスは魂をすぐれたものにするためには、善悪についての「知」(知識)が必要であるが、逆に善悪についての「知」を実現すれば魂はすぐれたものになり、徳は実現されると考えました。このことを「知徳合一」とか「徳は知である」といいます。つまり、善悪を判断できる「知」を持つことが、「徳」を持つことだと考えたのです。 ソクラテスの知徳合一の立場で考えると、「悪い」ということを知りながら悪いことをする人はおらず、悪いことをするのは本当の意味でそれを「悪いこと」だと知らないからだということになります。またソクラテスは、善悪を判断する「知」を持つということは善く生きられること、すなわち、正しく徳を知っていれば正しく行動することができる(知行合一)とし、こうした徳を持つことは人間としての幸福につながる(福徳一致)と考えました。「知徳合一」における知と徳の違いについて|地歴公民|苦手解決Q&A|進研ゼミ高校講座しかし、現代人のほとんどが、このソクラテスの説く知を、死んだものとしている。現代人が哲学を理解できていないどころか、哲学者も理解できていないのは、自らを知的生命体と呼び、知識を所有しているかのように思い込んでいるせいでもある。巷の自称専門家たちや、隠蔽工作塗れの某マスゴミのゴミ会見をみていると、現代人は、知識を所有しているのではなく、知識に所有されているのが明らかである。というのも、その某マスゴミは、大谷選手のプライバシーを侵害しておきながら、自分たちの隠蔽工作には不都合な加害者のプライバシーを利用して、性接待の道具にしておきながら、女性のプライバシーを濫用し、誤用しているからである。知識を悪用するのは、知識に所有され、人間が本来もつ自由意識を束縛しているようなものである。だからして、知識を所有しているものと錯覚している専門家に対して、ソクラテスは、無知の知を、当時の知識人といわれる、専門家たちに、説いた。「あなたたちは、知識を所有しているのではなく、過去の使いものにならなくなった古ぼけた権威にすがって、死んだ知識に、所有されている」といい、あなたたちは知識の奴隷で、無知だと、宣告したわけなんである。ソクラテスが知識を通じて言いたかったことは、神は知識と共に常に進化している、ということなのである。人間が所有した時点で、知識は死んだも同然なのである。それは単なる過去の経験でしかない記憶の断片にすぎない。知識は捨ててこそ意味がある。知識は絶えずアップデートされないとダメということである。現時点で最も事実に近いかもしれないが、その時点で、探求をやめてしまえば、知識は腐敗してしまい、その知識が今度は、人間の霊魂を束縛してしまうわけである。哲学は、知識を貯めることではなく、知識を絶えず更新していくことにある。問題は理解力を深めることにある。知識は人を操るためにあるのではなく、優劣や、上下関係を与えるものでもない。知識を通して、人間関係に和解やバランスをもたらすためである。自我を戒めるためである。現代人には、キリストが、金持ちの青年がやってきて、キリストへの信仰を求めたのに対し、十戒を守っているか、と問い、その若者は、守っていると応えたので、それなら、財産を全て貧しい人に与えて、無一文になって、私についてきなさい、と言った意味がわかるだろうか?その若者が、金銭を所有しているのではなく、金銭に所有され、金銭感覚の奴隷となっていたからである。金銭は、現世での徳を積むための道具にすぎない。金銭を稼ぐことで、徳がおざなりになれば、人間として自由な意志で自己実現のために生きるのではなく、金銭の奴隷として、死んでいるようなものである。つまり、キリストが説いたのは、あなたの人生は、あなたの徳を積むためにあるのだから、他人のマネをしたり、何かの奴隷にならずに、人生の主人公になりなさい、という意味なのである。あなたの人生は、あなたの自由な意志を育成するためにある。だから何らかの奴隷になってはいけない。あなたの良心を、徳を積みなさい、というわけなんである。さて、万物の根源は水である、と唱えたのはタレスだが、現代人が、ソクラテスの無知の知に到達できない限りは、この言葉の真意を理解できない。タレスは他にも次のような名言を残している。「汝自身を知れ」(意味)自己認識の重要性を説いています。自分自身を理解することが、世界を理解する第一歩だと考えられています。(出典)デルフォイの神殿に刻まれていた言葉で、タレスがこれを重視したと伝えられています。「最も古いものは何か?神である。なぜなら神は生まれたことがないから」(意味)神の永遠性と宇宙の根源的な性質について述べています。(出典)ディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシャ哲学者列伝』タレス - Wikipedia【解説マップ】タレスの哲学思想を図解でわかりやすく(著書や名言まで) |【公式】MindMeister(マインドマイスター)水の教えタレスは、万物の根源(アルケー)を「水」(ὕδωρ、hydōr)と考え、存在する全てのものがそれから生成し、それへと消滅していくものだと考えた。そして大地は水の上に浮かんでいるとした。世界は水からなり、そして水に帰るという説を唱えたのだった。このタレスの説いた水とは、現代人が考える物質的知識の「水」ではないのは明らかである。神智学によれば、この水とは、メムと呼ばれる、宇宙の海のことで、現代物理学でいうなら、ディラックの海に近いものである。中世的にいうなら、エーテルの海となるかもしれない。メムというのは古代ヘブライ語で、現代に知られているヘブライ語は、比較的新しい俗語のアラム語で、聖書もアラム語で書かれたので、本当の意味がわからなくなっているという。ディラックの海 - Wikipedia神智学によれば、この宇宙の海のメムから、マルクトと呼ばれる物質宇宙が生まれたという。宇宙の海の水面上を神の息吹へブルが流れ、「光あれ」と発せられて、ホドとネツァク(二トザク)の2つの火のシンが生まれ、この2つの火からホドとネツァクの光が、十字架のように交差しながら、渦をつくり、その渦から、蜘蛛の巣のような光の宇宙が生まれたという。この宇宙創成の話は、聖書の創世記にも書かれ、様々な神話にもなっているが、現代の唯物的な言葉では表現し得ないものなので、なかなか理解困難だが、以下のサイトにあるように、水素を観測することで、神の息吹が宇宙放射線であるのが現代科学でもわかってきている。115億光年先にある宇宙の「蜘蛛の巣」を観測!宇宙の進化史解明に向けた新たな一歩 | Business Insider Japanこの時代、大量の水素ガスが「蜘蛛の巣」のように広がっており、その網目に沿って恒星や銀河、ブラックホールなどの天体が誕生したと考えられている。さて、朝起きて太陽光を拝むことで、人間は一日の活動がはじまる。だから、太陽光がなければ、人間の覚醒意識は活動できない。このような覚醒意識の活動を、現代医学は、サーカディアンリズムとして解き明かしているが、神智学でいうなら、これは潜在意識の時間感覚と、覚醒意識の時間感覚の調整といえるだろう。古代叡智では、内なる神と外なる神の照応とも呼んでいる。人智学的にいえば、地上の物質界に適合すべく人体のタイムマシンであるエーテル体を調節しているわけである。この調節が巧くいかないと、人体のある部分が、「寝違え」とも称するような不調が起こる。また、自我全体が、睡眠中に、潜在意識に戻らないで、一部を残してしまうと、その一部が腫瘍化し、がん化するのが、人智学ではわかっている。そしてまた覚醒意識での時間調整は、以下に紹介するように、脾臓が担っている、のがわかっている。概日リズム - Wikipedia脾臓のマッサージ-その1 | シュタイナーから読み解く神秘学入門 - 楽天ブログ 脾臓は、規則正しい呼吸のリズムと、ほとんど不規則な栄養摂取との間をスムーズに、リズミカルに誘導する中間のリズムを挿入し、両者を仲介する。人間は、呼吸リズムを通じて、宇宙の厳密なリズムのなかで、霊的に生きているが、不規則な栄養摂取を通じて、この厳密な宇宙リズムを絶えず、物質的に侵害するので、脾臓が、両者の仲介役になっている。 このような事実は、脾臓からの動脈が直接、大動脈とつながっていることや、脾臓からの静脈が、門脈へと進んで肝臓とつながり、人体全体に組み込まれることで、栄養摂取へのリズムを仲介しているのが、その構造からもわかる。脾臓⇒大動脈脾臓⇒門脈-肝臓 脾臓では、呼吸を通じた外的なリズムと、新陳代謝を通じた外的な非リズムが、共にリズム化され組織され、互いに調整されている。呼吸により緻密なリズムの霊的な人間と、新陳代謝により粗雑なリズムの物質的人間との間に挿入され、両者をバランスしているのが、脾臓の働きである。 この脾臓のバランス活動が、正しく調整されないと、多くの病的な症状、例えば、呼吸組織と新陳代謝組織との関係、もしくは、血液循環組織と新陳代謝組織との関係などに不具合が生じるが、この脾臓のバランス活動についての知識に基づいて、脾臓の調整を回復すれば、症状は改善する。例えば、時差ぼけと体内時計の関係をみれば、この脾臓のバランスの働きがよくわかるはずである。太陽光を充分に含んだ大気を呼吸することで、呼吸リズムが人体に浸透するが、人体上部のサーカディアンリズムを司っているのが、松果体と脳下垂体なのは、前回紹介したが、そのリズムを人体下部の新陳代謝のための、栄養摂取に反映させるのが、脾臓のリズムバランスの働きなのである。端的にいえば、霊的なリズムを物質に浸透させる働きといえるだろう。このリズムバランスの調整が巧くいかないと、時差ボケになる。時差ボケってなんで起こるの?日本にいてもおこる時差ボケとは? | 文部科学省後援 健康管理検定 | りずみんの健康管理脾臓がなくなるとどうなる?-意外と知らない「脾臓」の働きとは?(おがちゃん先生) - エキスパート - Yahoo!ニュース健康になりたい方は「脾」から丈夫に! | 誠心堂薬局 西葛西店そこで、また脾臓が体内時計の調整役であるのを、シュタイナーの人智学「オカルト生理学」から以下に抜粋紹介する。 ☆ ☆ ☆ひとでなしの猫 『ルドルフ・シュタイナー選集 第7巻 オカルト生理学』 高橋巖 訳 「誰かが朝八時に朝食をとり、一時か二時に昼食をとるのが生活のリズムになっていたとします。ところが仲のよい友人を訪ねて、朝食と昼食の間に何かを出されたとしますと、彼の食生活のリズムは崩れてしまいます。それによって生体に大きな影響が生じます。これまで規則的に養分を摂取していた生体はこの変化に対抗して、一層強く働きながら、不規則に摂取したことの悪影響を解消しなければなりません。そのためには、養分が血液の中に取り込まれる際に、この養分摂取の不規則を正常なリズムに移し変えて、血液が必要な規則的なリズムを維持できるようにするための器官がなければならないのです。そして、この器官こそが脾臓なのです。脾臓は一種の制御装置であり、消化過程の不規則を調整して、養分が血液循環の中に規則的に取り込まれるようにする役割を果たしているのです。」 「脾臓は消化管との関連で言えば、外からの養分の摂取に依存した器官ですが、他方、血液との関係言えば、そのような外的事情にかかわりなく、その養分が規則的なリズムに従って人間本性に相応しい仕方で人体を形成することができるようにする器官なのです。実際、人体が人間本性に相応しく形成されるためには、人体の中心である血液が正しい仕方で本来のリズムを保ち続けねばならないのです。血液循環の営みは、養分として体内に取り込まれる外界の事物に固有のリズムから切り離されていなければなりません。人間本来のいとなみは、外界から独立し、孤立しているのです。オカルティズムでは、或る本性が個別化し、独立して存在することを土星的である、または土星作用の結果である、と呼んでいます。そもそも土星的であるとは、何かが宇宙から孤立し、個体化して存在している、ということなのです。自分自身を通して自分が規則的になる、ということなのです。(中略)宇宙全体の中で、太陽系そのものを他の宇宙から切り離し、個体化させる力はすべて、オカルト主義者にとっては、土星の力なのです。ですから太陽系全体を考えますと、土星の軌道の内側に全太陽系が存在しており、太陽系自身の諸法則はこの軌道の内部でしか働いていません。その意味で太陽系は外宇宙の空間から、または外宇宙の形成力からは切り離されている、と言えるのです。ですからあらゆる時代のオカルト主義者たちは土星作用の中に、太陽系を完結した存在にし、太陽系外の宇宙のリズムとは異なる独自のリズムを持つことを可能にする働きを認めているのです。」「訳者あとがき」より: 「かつて、秘儀の伝統は人間のからだを「神殿」にたとえ、そして地上に建てられたどんな大伽藍よりも、ひとりの人間の肉体の方が、神の宮居としては、無限に優れている、と見做していた。本書に即して言えば、「活力組織」を内蔵した「自体形式」は最高の神殿形式であり、「人間の進化の全過程は、人間のために存在しているのではなく、全宇宙の神霊の働きを開示するために存在している」(本書一〇頁)、と考えていた。けれども一般社会は、ひとりひとりの人間の中に神霊が宿っているという、この当然すぎるくらい当然の事実を長らく無視し続けてきた結果、「人間は自分の本性から遠く離れてしまい、自分を理解するためには非常に遠い道のりを歩かねばならなくなった」(本書一〇頁)。 一九一一年三月二〇日から二八日まで、プラハで行われたこの連続講義『オカルト生理学』の中で、ルドルフ・シュタイナーは彼自身が辿ったこの「非常に遠い道のり」を、はじめて一般社会のために包括的に記述している。」 「本書はシュタイナーの医学、治療教育学、さらにはマクロコスモス(大宇宙)とミクロコスモス(人間)との照応という神秘学の基本問題を研究する上で、不可欠な基本文献であるとも言える。」 ☆ ☆ ☆人智学によれば、人間は、外の神の、マクロコスモスと、内の神の、ミクロコスモスの照応のなかに生きる存在なのである。もっというなら、覚醒意識の時間感覚と、潜在意識の時間感覚を調節するなかで、寿命を獲得し、「人間の進化の全過程は、人間のために存在しているのではなく、全宇宙の神霊の働きを開示するために存在している」とあるように、神の子から、神となるべく自助努力を続けるわけなんである。我々地球人は、神から生まれた宇宙人の一分枝なのである。さて、あれこれと巷を徘徊し、ネットフーテンの寅さんをやりながら、宇宙人について色々と紹介してきたが、宇宙人と交信したいのなら、物質界の知識と同等か、それを上回る知識を獲得しないといけないのがわかる。物質界にいながら、物質界と同等以上の認識力を獲得するのが、古代のヨーガ哲学である。神智学によれば、有名なアカシャ(虚空)とは、ヨーガの言葉で、神我一体の、禅の三昧に達することで、三昧とは、キリスト教の三位一体を表わすようである。三位一体とは父と子と聖霊の関係で、光と闇が唯一神の宇宙意識が発する言葉から生まれたことを意味する。現代物理学で譬えるのなら、ブラックホールの画像となるかもしれない。以下の画像は、ブラックホールの構造をエジプトのピラミッドで表現した図である。三昧 | 仏教語豆事典 | 浄土真宗本願寺派(西本願寺)覚醒意識での時間感覚から構築された物理学理論で、ブラックホールを画像化すると、上図のように、光と闇の渦がみえてくるが、それはダークマターとダークエネルギーを合わせた全体のなかの5%でしかない渦を物語るものなのである。つまり、我々は全体のわずか5%の、太陽光を用いた物質光の感覚の知性から、物質界での物理法則を見つけて知性と呼んでいるのがわかる。全体の5%だから、消費税にも満たない。ダークマターについて | XMASS例えば、神智学では、元素が144種類あるのがわかっているが、現代化学では、118種類となっている。あと26種類の元素をみつけるための、物質的知識が必要なのがわかる。人類が地球人を卒業するには、まだ物質的知識が必要で、宇宙人と交信するには、まだまだ未熟で、全体の5%しか観測できない知識領域を拡げていく必要があるのが、物質界での換算からもわかるわけなんである。元素って何? | TBSテレビ : 特別展「元素のふしぎ」原子のせかいであそうぼう|材料のチカラ | NIMS(物質・材料研究機構)同じ神から生まれた生命体の、高次の宇宙人と交信するには、この5%を少しでも拡大していく必要があるが、それは、物質界のなかで、日々移り変わる物質の運動を、時間感覚で捉えるだけでは不十分で、かつて獲得していた潜在意識のなかでの、時間感覚を再度獲得していく必要がある。生命が何から生まれ、何に帰するのかは、覚醒意識での時間感覚からは理解不能で、物理学でいう、ダークマターやダークエネルギーを解釈するツールとなる潜在意識での時間感覚を理解できないと、無意味となる。この潜在意識のなかの時間感覚を、ソクラテスは無知の知と呼んだわけなんである。我々地上人は、閉じた秩序化する宇宙体系を想定し、質量保存の法則やエネルギー保存則から、線形的に、微分方程式を立てて、覚醒意識の時間感覚から、物事を予測したり、評価するが、それは物質界だけの、しかも局在化した体系でのみ、しかも思考実験という、個人的な意識観点でしか、成り立たない知識を基盤にしている。それは、キリストが説いた砂上の楼閣なのである。それはある意味で、自分の立場を乗り越えて自由になるべく、そのような一時的な成長段階に相応しい、知性を与えられているともいえるかもしれない。固定観念を乗り越えるべく、固定観念が、自己として与えられ、その段階を乗り越えたら、捨て去るべき知性なのである。つまり、自己矛盾に陥らないように、自助努力で自己を乗り越えるべく、自己が与えられている、というわけなんである。本来の自己は流体のものだが、何度も相転移で、固体化して、いわば、俳優として舞台で、多様な立場を演じることで、多様な人間関係を流動的に構築するような能力を、自己として演じ分ける能力を獲得するのが、自己の覚醒という感じなのかもしれない。我々は、地球という舞台で、多種多様な自己を演じることで、独り善がりの自己を乗り越えて、総合的で統合的な自由な自己に目覚めていく必要がある。自己の本質とは、閉じた線形の体系ではなく、拡がった非線形の自由な自己なのである。だから、過去の自己を捨てよ、執着心を捨てよと、お釈迦さんは仏教を説いたわけなんである。神から与えられた仏に向かう自己を育てようという意味である。タレスが説いた、万物の根源が水である、というのは、お釈迦さん風にいうなら、全ては水から生まれたのだから、水に帰しなさい、というわけなんである。水というのが、万物の根源なのだから、水の本質を知りなさいというわけで、水の本質を、ヨーガ哲学では、アカシャ(虚空)と呼んで、水に帰す、真実の探求法を求めたわけで、それが日本では禅の三昧となったわけなんである。この三昧は、神智学では、水のメム、火のシン、空気のアレフの、自然の三大要素として有名である。それに現代の物質界の土のアダムが加わると、四大元素霊となる。キリストが、神の国を求めなさい。そうすれば全てが与えられる。といったのは、この宇宙の三大要素の世界まで、つまり宇宙の海のメム、それは母なる海という意味でもあり、純粋な聖母マリアのイメージでもあるが、つまり、霊魂を純粋になるまで、徳を積んで高めなさい、という意味なのである。この世の名声、つまり虚栄心や名誉欲を求めても、それは束の間の一時的な快楽でしかなく、根源の水に帰してしまうわけで、万物は流転し、永遠不滅のモノではない。だから神我一体となれば、人間は神の如く、完全無欠になり、全てが与えられるわけなんである。そして、キリストが言った、持てる者は益々富み、持たざる者は益々失われるとは、神のような徳を積んだ精神の持ち主のことなのである。名声や虚栄心、名誉欲や執着心は益々失われ、水に帰するが、心を水のように万物の根源とすれば、聖母マリアのように、全ての愛が与えられるのである。聖母マリアとキリストは、マクロコスモスとミクロコスモスの照応のイメージなのであり、それは宇宙の神メムと、人類の祖アダムカドモンでもある。地球人の目覚めのときはいつくるのだろうか
2025年01月29日
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前回は、アフリカのニジェールでゴミを撒いて、砂漠の緑化に成功した、地球を救う宇宙人かと思わせる、令和版のはなさかじいさんの、嘘のような本当の話を、「激レアさんを連れてきて」番組から紹介したが、最近はじまった面白いドラマ「ホットスポット」の宇宙人高橋さんが、この嘘のような本当の話の大山さんによく似ているから、シンクロニシティなんでもある。脚本を書いているバカリズム氏は、世にも奇妙な物語の「来世不動産」から注視していたのだが、ブラッシュアップライフの、現世の描き方が秀逸で、正に嘘のような本当の話なので、紹介したいわけなんである。世にも奇妙な物語|土曜プレミアム 世にも奇妙な物語 2012年秋の特別編 - フジテレビブラッシュアップライフ - Wikipedia2025年1月期日曜ドラマ『ホットスポット』|日本テレビ我々地球人は、徳を積むために生きている、というのは、神智学的観点からも同じで、徳を積むとは、無秩序な悪の非線形現象を、秩序化する善に変換することなのである。例えば、地球にいつ地震が起こるのかは予測できない。それは非線形現象だからで、過去の情報からは、線形化できないものだからである。第一、予測を外すように、非線形化は起こるからである。非線形物理学 - Wikipedia人間は、徳を積むための、悪を善に転換するために、この世で生きているわけで、悪を善に転換できなくても、悪が蓄積すれば、最後は肉体の死をもって、悪から自我を解放するわけである。だから要するに、知性は非線形現象を線形化することで生まれるわけで、一旦線形化したものは、執着心をなくすために、捨て去らないといけない。だから、地震のように、予測できないことを予測するには、これまでの概念を捨て去る必要がある。しかし、なかなかこれができないから、簡単にいえば、知識をアップデートしていかないから、老害になってしまうわけで、ソクラテスの説いた無知の知に至れないわけなんである。しかし、この逆説から、人間が無知の知に至れば徳を積めるわけなんである。だから知れば知るほどわからなくなる。知識に囚われてはならない。知識とは悪魔の誘惑なのである。この点で、人間は、実は、AIを上回る。AIがいかに地震を予測しようとも、必ず外れるのである。ブラッシュアップライフ風にいえば、AIは、徳を積めないからである。AIは霊魂をもたずに、生まれ変わることもできない。人間の過去の知識を蓄積するだけで、線形化に線形化するだけで、境界条件を超えることができないからである。物質界の電気で動くしかできない存在なのである。そして、死ぬこともできない。AIは、人間の知性の働きを説明する道具にすぎない。人間は非線形現象に対して、線形化できなければ、肉体を捨てることができるが、AIは電気を止められると、起動できない。ブラッシュアップライフは、人間がAIを上回る、生まれ変わりができるのを、徳を積むことで表現するドラマなんである。ただし徳を積まずに失敗すると、人間以下の生命体に転生してしまうが。ブラッシュアップライフという、嘘のような本当の話は、地上の生命体だけの話なのだが、ホットスポットでは、今度は、地上を超える、宇宙人のコミカルな話で言及している。宇宙人との間に生まれたのが、宇宙人高橋さんなのである。この宇宙人高橋さんが全く宇宙人らしくなく、どこにでもいる怪しい独身オジサンなのがこのドラマを面白くさせている。第一話では、宇宙人高橋さんが、主人公含むオバサン三人に、映画ETを説明するくだりが大爆笑で、「ETも知らない癖に、宇宙人に絡んでくるなよ。」とあとで愚痴っていそうな想像を浮かび上がらせる。とにかく大爆笑なのである。バカリズム・ワールドさく裂のドラマ『ホットスポット』は、シュールな笑いどころ満載です!|章音さて、宇宙人といえば、あなたはどのような存在を想いうかべるだろうか?昨今でいうなら、某CMで有名な宇宙人ジョーンズかもしれないが、昔から、UFOといえば、矢追純一氏で有名で、エリア51に墜落したUFOから囚われた宇宙人の、グレイ型がもっとも印象深いかもしれない。自分が子どものときにみた、東映まんがまつりのUFO映画があまりに衝撃的で、あまりの恐怖心で、子どもときの一種のトラウマになった。それからというもの、1人に置き去りにされたりすると、宇宙人に誘拐されないかと、ビクついたものである。その映画の宇宙人は、うろ覚えでは、土偶のようなイメージだったと思うこれがUFOだ!空飛ぶ円盤 - Wikipediaネットで「宇宙人」をググってみると、様々な形態が浮かび上がる。ヒューマノイドと呼ばれる、大体がヒト型に近いもので、以前、このブログでも紹介した、有名なタコ型の火星人でも、人間の神経図に似ているのがわかるはずである。宇宙人 - Wikipedia人間が物質界のなかで高度な知的生命体でいられるのは、神経のお蔭なのは疑いの余地がないだろう。人間は神経を駆使して、物質を区別し、物質を変換させ、神経が意図したように、物質から物質をつくる。神経を形作っているのが、自我である「わたし」で、お釈迦さんが産まれたときに唱えた「天上天下唯我独尊」の我である。唯一の我が、自我のなかの主である。神智学では、自我は、脳の松果体にあり、脳室は、キリストの神殿と呼ばれている。以下の図から、脳室がキリストの神殿といわれ、キリストが、平和の鳩の象徴の聖霊と一体で、ヨガの鳩のポーズが、脳室を中心とした、三角形の象徴であるのが、連想できるだろう。4つの脳室が、キリストの鳩で、聖霊と子の象徴なのである。子を抱いた聖母マリアとも呼ばれる。これは脳圧を保つバランスの三角形でもある。そして、脳室にある、松果体は、父を表わす。この人間の脳のなかにある脳室と松果体の象徴図が、父と子と聖霊の三位一体の、聖母マリア像なのである。「脳室」の用語の意味脳室とは、脳脊髄液(外力の衝撃を吸収したり、脳と脊髄の新陳代謝を調節するなどの役割)を満たす4つの室−大脳半球の左右にある側脳室、間脳にある第三脳室、延髄にある第四脳室−をいいます。 これら4つの室は相互に連絡があり、くも膜下腔へと接続されることで、脳室内を脳脊髄液は循環しています。つまり、このような脳内のイメージから、人間がもつ高度の知性は、脳内の脳室三角形のなかの、神経の目である松果体の父から子へと、自我として受け継がれた、神の目であるのがわかるだろう。だからメーソンなどで有名な、以下のような、カバラの創造の象徴図が描かれるわけなんである。この象徴図とは、神から生まれた神の作品という証なのである。だから、宇宙人は皆、神経図の相似形から、神の作品というわけなんである。実はこの神の作品である、いわば神の製品マーク、知的生命体認証マークは、有名な絵画にもある。レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は何が凄いのか?│ART FLOW アートキュレーションサイトシュタイナーは、もし、火星人が地球にきて、このダビンチの最後の晩餐の絵をみたなら、この絵から、地球人という存在を瞬時に理解するだろう、と述べている。というのも、この絵には、脳のなかの、カバラの生命の樹が隠されているからである。これはヒト型宇宙人の祖のアダムカドモンだからである。神智学によれば、神は、虚無という言葉で、虚無から無の慣性により、無に中心が生まれ、中心から、神が「光あれ」と語ったことで、光が生まれたという。この唯一の光から、二つの光が生まれ、二つが四つになり、四つが八つになって、そして十光になったという。だから物質界は、十進数で観測できるという。そして十光が百光になり、そして千光になったという。だから、神の言葉、それはYHVHなのだが、人間の10の数字と、22の文字になったという。これらの意味を、物質界の言葉では表現できないので、神を言葉では表現できない。ここらへんの話はもはや感覚で捉えるしかないだろう。さて、先日、これまたヒューマニエンスで、人間の寿命について、脳の特に視床下部と、筋肉と脂肪とのトライアングルが、健康寿命を支えている、という話をやっていたのを思い出した。この話をかいつまんで紹介すると、ノックアウトマウスの実験の、遺伝子解析から、寿命が、脳の視床下部と、筋肉と脂肪とのトライアングルの交感神経によるフィードバックの、相互の連絡に支えられている、というもので、脳の活力、つまり神経細胞の活性を上げるには、脂肪組織との交感神経による密接な連絡が重要で、脂肪組織は、酵素や、ホルモン様物質や、脂肪酸を送り込むが、不足している場合は、代わりに筋肉組織が分解して、神経細胞の活性を支えている、という話なんである。だから、寿命を延ばすには、このトライアングルの密接な交流が重要なので、筋肉の運動や、脂肪をある程度確保し、常に脳の視床下部の活力を高めるのが推奨される。「“健康寿命” 見えてきた謎のトライアングル」 - ヒューマニエンス 40億年のたくらみ - NHK つまり、簡単にまとめると、脳の視床下部と脂肪と筋肉が、寿命のトライアングル、つまり三角形をつくっているという話なんである。視床下部の下に脳下垂体がある。この視床下部の寿命を形成する三角形と、先に紹介した脳室の三角形とのつながりのカギが、下垂体と松果体にある。以前、約10年前に、下垂体と松果体の関係を、シュタイナーの人智学的医術から紹介したが、再度紹介する。間脳のおはなし | 視床 | 視床上部 | 視床下部 | 松果体 | 脳下垂体 | 脳室・側脳室・第3脳室・第4脳室 - Akira Magazine四次元思考の獲得のために その31 | シュタイナーから読み解く神秘学入門 - 楽天ブログ四次元思考の獲得のために その32 | シュタイナーから読み解く神秘学入門 - 楽天ブログ魂と肉体との相互作用---------------------------------------------------------------2004.12.29 一体、印象を基に生じる人体内での知覚と、外界からの知覚との間には、どのような相互作用が生じるのか? この問いの答えをはっきりと知る必要がある。というのも、体内の血液を、自我の道具となり得るほど精妙な波動にしようと濾過しても、結局は、物質のままにとどまる点で、肉体の一部にすぎないからである。 だから、体内の血液と、魂の営みによる知覚との間には非常に大きな隔たりが存在していることは否定できない。 知覚、概念、理念、感情、意志の存在を否定できないのと同様に、血液、神経、肝臓、胆汁の物質的な存在も否定できない。もし、この両者の間にある隔たりを否定する人は、思考力そのものをも否定することになる。 この二つの現実を対比させるとき、別の事柄に気づく。一方には血液のように高度に濾過された物質があり、他方には物質とは無関係な、感情、思考などの魂の内容がある。そして実際に、この二種類の相互の関係については様々な唯物的世界観が異なる解釈を加えている。 今、魂の営みを、非物質的な経過として、そして人体のもっとも生命化された血液を物質的な経過として、この二つを対比させ、魂の活動と肉体の活動とがどのように相互に働き合っているか、を考えるなら、上述の唯物的世界観による知的な考え方は何も教えてはくれない。 唯物的世界観からくる知的な考えを通して見出せるものは身勝手な結論か、もしくは無解決でしかない。 (シュタイナー『オカルト生理学』ちくま学芸文庫/P93-95 読みやすく少し改変)--------------------------------------------------------------- ごくごく単純で、誰もが考えることだが、私たちの知覚が、一体、どのようにして身体(肉体)に影響を及ぼすのか? 知覚は、そのままでは物質的な経過にはならないはずで、もし知覚が、身体に影響を与えるのなら、どのような経過で影響するのかを明らかにする必要がある。 (知覚は、高次の波動で、物質は、低次の波動である。高次とは振動数が極端に多いか、もしくは少ないかで、波長も極端に長いか、もしくは短いかのどちらかと考えられる。光の電磁波でいうなら、紫外域と赤外域のこと。例えば以下を参照に。http://ktai-denjiha.boo.jp/faq/hz_hyou.html) 知覚が身体に影響するのは、まさに事実なので、その事実を明確に説明できなければならないが、おそらく「現代科学」では説明できないだろう。 しかし、「現代科学」はその経過を問わずに、その「事実」から出発するが、そうした認識態度はかなり不誠実と思われる。「現代科学」というのは、そういう意味でも、様々な「不誠実」をもとに成立していることが多い。 そうしたことを意識するだけでも、人智学への大きな一歩になるのではないかと思う。 では、シュタイナーは、どのように説明しているのだろうか。とても興味深いので、その話を辿ってみることにする。--------------------------------------------------------------- 最初、私たちは外界に向かう。そして、外界から自我の中に印象(イメージや特徴)を取り込み、アストラル体(魂)の中で消化する。けれどもアストラル体の中で消化するだけなら、全てをすぐに忘れてしまうだろう。 印象を確保し、しばらく経った後で・・・それを再び思い出せるようになるには、自我によって獲得され、アストラル体によって消化された印象を、エーテル体(第2の人体で、幽体と呼ばれる)の中に刻印づける必要がある。 外界との接触を通じて、魂が経験した事柄を、自我はエーテル体の中に刻印づける必要がある。それでは、肉体に隣接した超感覚体のこのエーテル体に、一体どのようにして印象を刻印づけるのか? それは非常に不思議な方法で為される。まず、エーテル体内での血液を、概略的に観察してみる。心臓を通じて流れる血液は、自我の物質的な表現なのだが、自我が外界に応じて印象を受け取り、それを記憶にまで濃縮する際、血液は単に(下方に)物質的に働くだけでなく、特に上方の高次元(電磁場)に向かって、下方の低次にはわずかだが、上方の高次元(電磁場)のいたるところでエーテル体を刺激している。 だから高次元(電磁場)にあるエーテル体はいたるところで流れが生じるが、その流れは心臓から出て頭の方へと流れる血液に結びついた流れ方をしている(大動脈の流れ)。そしてそのエーテル体の流れは頭の中に集まり、まるで電流のように、一方の先端と他の先端とに分かれ、陰極と陽極のように対峙する。これら陰極と陽極に分かれた二つのエーテルの流れが、一方は下の低次元から、他方は上の高次元から、最大限の緊張を伴って、二つの電流のように対峙している。そしてこの二つの流れがショートを起こすとき、印象がイメージとして記憶され、それがエーテル体に組み込まれる。 人体内の超感覚的な現実であるエーテルの流れは、記憶のための器官をつくり出している。中脳のなかに記憶を生じさせる一つの器官があり、それに対してまた別の器官も脳のなかにあり、この二つが脳の中で、エーテル体の二つの流れを身体的に表現している。 この二つの流れが生体に働きかけ、この二つの器官を生じさせた。実際、霊能者は、この二つの器官のうちの一つからもう一つへと明るいエーテルの光が流れ、人間のエーテル体の中へと注ぎ込まれているようなイメージを持つ。 この二つの器官とは松果腺と脳下垂体のことである。この二つは、魂と肉体とが相互に働き合っていることの可視的な表現なのである。 (同上/P97-102)--------------------------------------------------------------- 私たちは魂の働きにより、外界からの知覚を、印象として、まるで食べ物のように吸収している。それをアストラル体が「消化」し、それからエーテル体に刻印する。そして松果腺と脳下垂体という二つの器官の対峙によって、魂と肉体の相互作用が可能になっている。 私たちが日々知覚し様々な印象を持つということは、まさに外界からの知覚が「魂の食べ物」となっていて、それが身体の養分にもなっている、という発想はとても重要な示唆なのではないだろうか。 私たちにとって「透き通った透明な食べ物」としての魂の糧を豊かにすることがどれほど大事なことか、現代の唯物論化した世界観では説明できない。その世界観は豊かさを益々貧しいものにしているといえないだろうか。 芸術さえもがそんななかでは、豊かな食べ物にならなくなるのではないか。そのためにも、知覚がなぜ身体に働きかけられるのか、というような極めて素朴な問いを持つのが大切なのではないかと思う。我々子なる地球人は、松果体の主である父の神を通じて、聖霊の高次の宇宙人と交信している。ただ物質界に目隠しされて、そのことに気づいていないから、地球人となっているだけで、昔は宇宙人を神様と呼び、中世には天使と呼び、いまは宇宙人と呼んでいるにすぎない。鳩のポーズは、松果体と下垂体の三角形をつなげる霊魂と肉体のバランスの寿命のトライアングルなのである。そして、それはドラマ「ホットスポット」の三人のオバサンとオジサン宇宙人高橋さんのトライアングルUFO関係なのかもしれない下世話だが、いま巷を賑わせている某TV局の経営について面白い動画があるので以下に紹介する。無知の知に達しない人は、何をやっても無知なままなんだという典型なんですよね。経営者を刷新するしかないよね1196回 話題のフジテレビを経営分析したら「不動産屋で年寄りと天下りの会社」だった! - YouTube
2025年01月23日
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先週末は長年のストレスからの暴飲暴食不摂生が祟ったのか、昨今の寒気での運動不足のせいか、数年前の健診で発覚していた腎内の石が漏れ出て、尿路結石が再発し、尿路感染症にもなったようで、地獄の苦しみの中ほぼ不眠不休で、三日三晩病魔と格闘した。もはや持病なので、経験から、対処法はほぼ熟知していたが、痛くて横になって寝られないのが一番辛いところで、風呂に入って体を温めて、座位で睡眠をとるようにした。はじめて尿路結石になった時の激痛、その痛さは、「こむら返り」と呼ばれる足がつる痛さを長時間経験するような感じだが、再発なので、経験から身体もある程度痛みに馴れているので、どうしても我慢できない場合は、以前処方された薬を、消費期限切れかもしれないが、飲むしかないな、と思ったのだが、当てにしていたボルタレン(消炎剤)がみつからずに、ウロカルン(結石排出促進剤)はみつかったので、飲むことにした。尿路結石について | メディカルノートこむら返りについて | メディカルノートジクロフェナク - Wikipediaウロカルン錠225mg | くすりのしおり : 患者向け情報勿論、尿路結石ではない可能性も、右わき腹後方痛から、便秘から、憩室炎、腸炎、虫垂炎など最悪は大腸癌まで疑ってみたが、痛みが右下へと移動したことと、激痛だが、当初は発熱がなかったこと、ウロカルンの副作用で、胃や腸に張りが起こったことなど、なにより仰向けでは痛くて寝れずに、うつ伏せのほうがまだマシで、足を温めるのが良かったことなどと、以下に紹介する、『泌尿器科医が重用する「志室」のツボ』で、痛みが緩和したのが決定的だった。右側の脇腹が痛い時は何の病気が考えられますか? |脇腹の痛み尿管結石の激痛にほぼ100%の威力を発揮する「志室」(安心)08.pdf尿管結石の痛みを即効で和らげる漢方とツボ:救急外来の現場から | 加納渡辺病院| 岐阜市 乳腺外来・痔核手術・内視鏡・漢方外来薬はあくまで一時的な鎮痛でしかなく、それに副作用が必ず生じるので、とにかく睡眠をとって、身体の恒常性のバランスを回復し、生体防御力を高めるしかないので、結局は、痛みと向き合うしかないと思う。地獄の苦しみを味わうことで、日常の何気のない健康の素晴らしさを改めて知った。一日が非常に長く感じるのは発見でもあった。激痛に耐えられない人は、救急車を呼ぶだろうし、尿路結石だとわかれば、消炎剤を処方されて、点滴されるのだろうが、親戚に、尿路結石を馬鹿にされた経験もあり、尿路結石如きで救急車を呼ぶのは、また親戚に馬鹿にされたのがフラッシュバックするようで、気が引けたのと、医療費を払って入院するのが嫌なのもある。そんなわけで、先週の週末は、尿路結石との格闘の、地獄の苦しみの3日間で、いまは生命の有難みを思い知っている。あんな苦しみを味わうのなら、日頃から、日常生活を整える反省に至った。寒気にはとにかく運動不足に陥らないように、出来るだけ外出し、特に脚を動かすことで、特に第2の心臓といわれるふくらはぎを運動させ、足元を冷やさないのが肝要に思われる。座りっぱなしを救う! 血流アップのカギは「ふくらはぎ」 | サワイ健康推進課“第二の心臓” 足に気配りを! ~ 下 肢 静 じ 脈 ... - 千葉県医師会millennium56_1-4.pdf食事面では、結石の要素となる、動物性タンパク質のほか、以下の食品を避け、シュウ酸のとりすぎを控えるのが良いらしい。シュウ酸カルシウム結晶の原因:シュウ酸を多く含む食品ほうれん草などの青菜類/たけのこ/紅茶/コーヒー/ココア/玉露や抹茶などの高級茶/バナナ/チョコレート/ナッツ類尿酸結晶の原因:プリン体を多く含む食品ビールなどのアルコール/魚卵尿酸値への影響を最低限に保つには?1日当たりのアルコール摂取の目安量日本酒1合・ビール500ml・ウイスキー60mlそして、なにより激痛と向き合うことで、精神的な反省として気づいたことは、何かを排除して理想を求めるのではなく、何ものをも受け入れて、現状を理想の方向へと一歩一歩向上させることだった。なんだか、痛さのなかで、教えられたような気がする。あんな痛みとの地獄の格闘はもうおしまいにしたいものだ。さて、そのような地獄の痛みのなかでも、痛さに集中しないために、痛さとマトモに格闘しないために、少しでも、精神的に痛さを散らすような、「嘘のような本当の話」と、「本当のような嘘の話」のドラマに出逢った。人生は悪い事もあれば、良い事もある。巷では、正負の法則ともいわれているが、「禍福はあざなえる縄のごとし」で、良い事と悪い事は表裏一体といえ、少し悪い事を少し良い事に変えていくのが人生なのかもしれない。さて、その「嘘のような本当の話」とは、「激レアさんを連れてきた」という番組で紹介されていた「アフリカの砂漠を森に変えた人」の話なのである。以前、このブログでも、粘土団子で、砂漠を緑化した福岡正信氏の自然農園を紹介したが、植物の種子からなる粘土団子なら、植物つながりで何となく緑化の予想も展望でき、全くの嘘ともいえないが、今回のこの人の場合、ゴミからの緑化なので、全くの嘘のような話で、棚から牡丹餅を超える、ゴミから緑という、アフリカのニジェールでオオヤマ流メソッドを拡げた大山修一という人の全くの嘘のような話なんである。バックナンバー|激レアさんを連れてきた。|テレビ朝日餓えと争いをなくすため、砂漠をゴミで緑化する。「アフリカの人道危機を解決する実践平和学」|京都大学総合研究推進本部粘土団子 | 福岡正信自然農園 official siteまるで宇宙人のような、ゴミから森をつくった嘘のような本当の話なのである。では簡単に概略を紹介すると、アフリカのニジェールでは、深刻な砂漠化と、農耕民と牧畜民の対立の問題を抱えていた。この2つの問題から、ニジェールの人口増加もあり、ゴミが大量に捨てられる、という現象が大量発生していた。しかし、あるとき、大山さんは、畑に無分別にゴミを撒いて、作物を収穫している、おばあさんを発見する。それはまるで、日本昔話の、花咲か爺さんのような、おばあさんの発見から、砂漠に大量にゴミをぶちまければどうなるか、と大山さんは、このおばあさんに肖って、やったところ、砂漠になんと草が生えたという。従来の環境知識から、砂漠にプラスチックを捨てるのは環境破壊なのではないかと、環境研究者から、猛反発や、猛反対を食らうが、大山さんは、そのような反対にもめげずに、なんと、ブラステックを食べる白アリを発見する。プラスチックのゴミが、白アリの餌になり、砂漠を耕したのだが、しばらくすると、アフリカの暴風雨が襲い、白アリが耕した土を全て持ち去ってしまう。そんなこんな試行錯誤しているうちに、ゴミが暴風雨で飛ばないように積みあげて飛ばないように砂を重しにしておくと、ゴミが水分を留め、ゴミとゴミの間の砂場に草が生えてきたという。すると、今度は、その砂場の草を、牧畜民の家畜などが、食べにきてしまったという。当初は、フェンスを張って、草場を守っていたのだが、家畜の餌の確保から、牧畜民と農耕民の対立につながってしまい、結局、フェンスをはずして、家畜に食べさせるようにしたという。従来の環境の概念からすれば、家畜が草を食べるので、砂漠化が進むと考えられてきたが、このブログでも、以前、粘土団子の自然農法として、またシュタイナー農法でも紹介したが、家畜の糞が、良い肥料になるように、大山氏は、この試行錯誤のなか、家畜の糞から、ついに木が生えてくるのを発見したという。そして、家畜が、木が発芽する雨季のはじめだけ、食べられないようにして、東京ドーム5個分の砂漠の緑化に成功したという。そして、ニジェールで、砂漠を緑化した宇宙人のような大山さんは、他のアフリカ諸国の砂漠の緑化にも出動しているらしい。実は、この嘘のような本当の話の、砂漠の緑化の方法が、人体のある組織のある方法と、よく似ているのに気づいたわけなんである。勿体ぶって言うのも何なのだが、それは脳の海馬での記憶なのである。つまり、宇宙人オオヤマ流メソッドは、人間の脳の記憶法によく似ているようにみえる。現代科学での、記憶の方法は、例えば、ヒューマニエンスという、これまた嘘のような本当の話として、有名になっている。記憶は、海馬のなかで一種の星座のように神経ネットワークで記憶されていると考えられている。記憶化とは、単純にいえば、砂漠化した脳を、いかに緑化するのか、と同じといえるかもしれない。「“記憶” 未来を切り拓く源泉」 - ヒューマニエンス 40億年のたくらみ - NHKオオヤマ流メソッドは3つの段階に大別できる。1. 砂漠のなかに、ゴミを撒いて、白アリに分解してもらう2. ゴミに砂を定着させ、水分を保ち、乾燥を防ぎ、草を生やす3. 草を家畜が食べ、糞から木を生やす記憶の方法も、大体、3つの段階に大別できる。1. 海馬のなかに、情報を撒いて、神経細胞に分解してもらう2. 情報を記憶としてシナプスに定着させ、神経ネットワークを星座のようにつくる3. 不必要な情報のシナプスをグリア細胞が食べ、環境に応じてアップデートする神経細胞 - Wikipediaグリア細胞 - Wikipediaシナプス - Wikipedia砂漠の緑化には、白アリと、家畜の分解者が必要なのがわかるが、脳の記憶には、神経細胞とグリア細胞の分解者が必要なのがわかる。どちらも、神智学的視点からいえば、無に帰するまでに分解され、宇宙から光の叡智が入り込まないと生命が宿らないのがわかる。日本では、よく水に流すというが、これはある意味、良い意味で使われるが、無に帰すというと、無駄になった感の悪い意味で使われるが、老子は、無から有が生まれたというように、無為自然を説いている。【老子】「無の用」~「有」を活かす「無」の役割|泉聲悠韻オンラインジャーナル/投稿コーナー要するに、嘘のような本当の話とは、老子に言わせれば、無為自然で、無用の用なのかもしれない。砂漠にゴミを撒いて緑化した、令和の宇宙人のような花咲か爺さんや、人間の記憶の構造も、無用の用で、無為自然の働きの、宇宙の進化向上の働きに帰するわけなんだろう。だから、人間がエゴで、自己都合で行うものは、自己の進化を阻むわけなんである。というのも、人間は、宇宙の進化のために、共同して愛を育んでいく生命体なのだから。さて、次に本当のような嘘の話というか、素晴らしいバカリズム脚本のドラマの、ホットスポットを紹介したいのだが、病み上がりなので、また次回にしたい。バカリズム脚本は、ブラッシュアップライフが必見で、最高に面白い。人間は徳を積むために生きているというのは、嘘のような本当の話なのか、または本当のような嘘の話なのか、非線形現象から考えてみたい。ブラッシュアップライフ - Wikipedia2025年1月期日曜ドラマ『ホットスポット』|日本テレビ
2025年01月21日
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現代人が、五感を超えた第六感と呼ばれる霊能力、つまり、時間による、エネルギーの量子化ができないために、潜在意識のなかの、時間感覚をみつけるのはほぼ不可能に近いのを紹介してきたが、不思議なことに、日本語の諺には、古くから、古代叡智を伝承していたのか、霊能力を持っていたのを感じさせる表現が至る所にみつけられる。例えば、月日の流れるのは早いという意味の諺、「光陰矢の如し」は、昭和の中学英語では、タイムズフライズ(Times flies)と習ったはずだが、直訳すると、「時間は飛んでいる。」となるわけで、光陰がなぜ時間になるのか、微妙に東洋と西洋でそのニュアンスが異なるのがわかる。ググってみると、光陰は、日と月を表し、光陰矢の如し、の元ネタは、古代中国の自由詩の一節に由来しているらしい。Time flies.光陰矢の如し | アップルkランゲージの役立つ英会話ブログ「光陰矢の如し」ってどんな意味?使い方や類語なども解説 | Domani 「光陰矢の如し」とは、月日がたつのが早いこと|由来や使い方、類語を解説「光陰、矢の如し」とは月日のたつのが早いこと|意味や読み方、由来、例文、類語表現 | Oggi.jp光陰が、太陽の光と、月の陰を表わすのは、古代人が、暦という時間感覚を、この2つからつくった事例からもわかるが、対照的に、英語の時間の「タイム」をググると、様々な説が出てくるが、どうやら、「印欧祖語 dehy-|分割する|」に辿りつくのがわかる。そこで、東洋の「光陰」と、西洋の「分割」を無理やり同じ意味に解釈して、光と陰にわかれるのが、時間の意味といえなくもない。timeとは・意味・覚え方・発音・例文 | 天才英単語 | 英単語の覚え方辞典sawayakaclub.jp/archives/53543time の意味、語源・英語語源辞典・etymonlinetime 語源 覚え方 意味 | EnglishBattletime 意味と語源【英語】 – Gogen+このように、光陰が、時間の意味になるのは、その字の意味から、光と陰が、太陽の光と月の陰の挙動を意味し、日と月の暦がつくられ、時間感覚となった経緯からわかるが、西洋の時間の意味のタイムが、分割から派生するのは、そのままでは、なかなか理解するのは困難である。そこで、東洋と西洋を組み合わせて、神話で解釈すれば、光の永遠の神から、陰の一時的な悪魔が分かれて、時間が生まれて、人間は、悪の陰を善の光に戻すために、時間という寿命を授かったのがわかる。このことから、前回紹介したニュートンの宇宙全体に流れる、高次の神の絶対時間から、低次の堕天使悪魔が分かれ、人間のために、割り当てられた、自由な愛の返済期間、つまり、潜在意識のなかの、カルマの時間感覚が、神話から、明らかになるだろう。だから、堕天使悪魔は、人間の寿命を司る死神とも呼ばれ、人間が前世までに犯した、愛のない、憎しみの行為の罪を背負うように、悪魔の支配下にある地上の物質界で、寿命という時間の奴隷下に置かれ、自由に生きているわけでもある。だから、人間は、潜在意識のなかの、サイクル時間という寿命のなかで、つまり心のなかで、神と悪魔を代弁し、善と悪の舞台にたち、日々悪と戦っている、ともいえる。サイクル時間とは、人類の進化計画に沿って、どれだけ悪に打ち勝って、混沌から秩序を打ち立てる叡智を獲得したか、キリストの光を宿すことができたか、霊魂の光輝さを示すものといえるかもしれない。神秘学では、最高最良の光輝さを、処女マリアの像で表現している。処女というのは、穢れのない、この物質界を克服した純粋なピュアな高貴の精神を表わすイメージなのである。仏教の仏陀と同じ、覚醒の心神一体の意味である。物質界での、人生、つまり、覚醒意識で生きる時間は、限られているので、矢の如く、真っすぐに正しく生きるべきである。このように、光陰矢の如し、という諺をより深く解釈するならば、二度とこの世に生まれてくることのないように、後悔の無い正しい生き方をすべきである、という意味になるだろう。正しい生き方とは、地獄に堕ちることのない生き方で、有り体にいえば、自由、平等、博愛の精神をもった生き方といえるかもしれない。ただ人生の月日が流れるのは早い、というよりは、常に、日々、悪と戦っている、のを忘れてはならないと、いうべきなのである。以前、このブログで、スウェーデンボルグの地獄に堕ちる人の特徴を紹介したが、端的にいえば、自分が善人だと思い込んで、疑わない人、といえるかもしれない。面白い例え話があり、この話は改変されて伝わっているので、何度も紹介しているのだが、以下のサイトでみつけた。 ☆ ☆ ☆ある記事の出典を探して(追記あり)|ベタ(メリーバッドエンド)ある熱烈なクリスチャンの女性が、たくさんの人と川でキャンプして楽しいひと時を過ごしていました。「午後から天気が悪くなるらしいから、川から離れたほうがいいですよ」と親切な方が言ってくれました。女性は「ありがとうございます。でも私には神様がいるから大丈夫です」そして時間がたつと雨が降り出してきました。また別の方が「川が増水してますが、いまならまだ渡れます。行きましょう」しかし女性は「ありがとうございます。でも私には神様がいるから大丈夫です」そしてどんどん川が激流になり、ボートでわたることも出来なくなった。しばらくしてヘリコプターが救助に来た。「早くはしごにつかまってください。これ以上は危険です」しかし女性は「ありがとうございます。でも私には神様がいるから大丈夫です」ヘリコプターはほかの全員を救助した。そしてまた女性に「急いではしごにつかまってください!これ以上はこちらも危険です!早く!」しかし女性は「本当に大丈夫です。私には神様がついているから。」そして激流は彼女を飲み込んでしまった。気がつくと女性は、明るく温かいお花畑で目が覚めた。歩いていると神様と出会った。女性は死んだことを悟り、言った。「ああ、神様!私はあなたを信じ、助けを待ったのに、助けてくださらなかった。私の信仰が足りなかったのでしょうか!?」神様は言いました。「あなたは何か勘違いをしているようだ。・・私は4回もあなたを助けようとしたのに。」ーーー --- ---…自分が正しいと信じることが正しい、とは必ずしも言えないのです。人の意見に耳を傾けるのは大事。 ☆ ☆ ☆この話には色々な改変があり、上のサイトでは、熱烈なクリスチャンの女性になっているが、敬虔な神父になっている話もあり、いずれにしても、自分だけが正しく、自分だけ神が助けてくれるものと思い込んでいるのが間違いで、神様が万人に平等なのを見落としている、というところに話のオチがある。この話の主人公は悪い行いはしなかったので、地獄には堕ちないで、生涯を終えたが、自らの信仰の優越性を誇ったりして、周囲の人を差別したりしていたら、地獄に堕ちて、人生をやり直ししないといけなかったかもしれない。スウェーデンボルグの霊視によれば、有名な宣教師さえも、地獄に堕ちていたというから、自尊心や名誉欲、虚栄心こそ恐ろしいものはない。人を馬鹿にする者は、馬鹿にされた人になって生まれ変わる。だから、人を差別するのが最も悪徳なのである。地上から、差別がなくならないのは、万人を平等に扱う難しさ、信仰の平等さの困難にある、といえるだろう。巷で最近話題の性差別問題や、人種差別問題などは、この国の令和の課題で、なにより、個人的な人権意識を高める必要があるだろう。例えば、ある人種を差別的に扱ったり、蔑視したりすれば、来世には、その人種に生まれて、差別を経験するようになるのが、カルマの法則からわかっている。歪んな愛国心を利用したりすれば、その被害を受けた国に次は生まれてくるように、他への憎しみは必ず、自分に返ってくる。それは潜在意識のなかの時間を、悪魔が割り当てるわけで、つい最近も、鉄鋼会社の買収問題で、人種批判をした愚か者がいたが、その人種差別者は、次の転生では、差別した人種に生まれてくるだろう。自分がしたことが、自分に返ってくるのが、潜在意識のなかの、サイクル時間の4次元の鏡像関係の性質だからである。馬鹿にした人物に自分が生まれ変わるのである。そして、自分が他者にしたことを反省する機会が与えられる。だから、以前紹介したスウェーデンボルグの地獄に堕ちる人の特徴は次のようなものになるのがわかるはずである。他人を支配するのが好き他人の嘆きを見て喜ぶ自分が喜べればよい他人を欺き自分の欲望を遂げるこれらの行為を、自分から他人に置き換えれば、次のようになるのがわかる。他人に支配される 他人に虐められる 他人に苦しめられ、悲しめられる他人に欺かれ、欲望の捌け口にされるだから、常に自分と他人を置き換えて、思いやりを持って行動するのが、潜在意識のなかのサイクル時間の時間感覚の獲得につながるわけで、その延長上に霊能力があり、より高次の霊能力が獲得できれば、自他の境界がなくなって、神我一体となる。しかし、最近のこの国の住人をみていると、思いやりがなくなっているのが、特に国家の中枢を占める人間に乏しいのが非常に気にかかるところである。霊能力とは、他者への思いやりからはじまるからである。社会底辺で暮らす人の気持ちを踏み躙るようでは、ブーメランとなって、次にはその底辺で暮らすようになるだろう。特に最近の芸能界を見ていると、過去の悪事が露見して、取り返しのつかないことになっているのがわかる。少しでも他者への思いやりや、意見を汲んでいたら、反省していたら、過去の過ちを見て見ぬふりはしなかったはずである。さて、ネットフーテンの寅さんの詮索好きな旅をしていると、巷では、よく意味不明な表現、方言に出くわすのだが、つい最近も、なんとなく文脈のニュアンスからわかるのだが、「芸人をすかす」という言葉が気になったので、ググってみたら、なるほど、「無視する。スルーする。」というような意味をもつのがわかった。他にも、このような西側の、特に関西では日常語のような言葉なのに、東側では、意味不明な表現、方言の代表として、「いきっている」というのがあるが、文脈のニュアンスから、「恰好つける」という意味に捉えていたのだが、ググってみると、「粋がる、調子に乗る」という意味をもつらしい。どうも、この関西人の感覚が、東側には意味不明で、「いきるな」といわれても、「どこが??」と、自分では調子に乗っている感覚がイマイチ理解困難なところがある。関西弁!意味が難しい「関西の方言」ランキング【動詞編Part2】恐らく、「出る杭は打たれる」という諺にもあるように、出過ぎた、差し出がましい、越権行為のようにみえるのかもしれない。最近の表現でいえば、「マウントをとるな」という感じなのかもしれない。マウントは、動物行動学の英語から来ている表現のようで、俗に「上から目線」からの発言や態度を意味するようである。つまり、平等の精神に反するようである。「マウント」とは?わかるようでわからない言葉の意味をわかりやすく解説!【大人の語彙力強化塾130】 | Precious.jp(プレシャス)第15回 マウント(1) | このカタカナ語、英語で言うと???(武田 三輪) | 三省堂 ことばのコラムマウントとは、恐らく、昨今の平等意識から生まれた若者言葉のようでもある。誰しもがもつ、承認欲求に対しての、平等意識なのかもしれない。これは恐らく、電子化によりネット環境が拡がったせいなのかもしれない。特にZ世代の新個人主義に端を発しているようにもみえる。マウントをとる、という表現が、ネット社会での、ゲーム感覚で使われているようにもみえるからである。ググるという言葉も、ネット社会から派生した言葉で、ネット社会での、いわば方言ともいえるわけだが、少し前に女子高生だけの社交で流行った言葉が、いわば隠語のように、その世代だけの共通語として、一世を風靡したが、その世代以外の、例えば、オジサンが使うと、キモイとかいわれて、若者に阿っていて、気色悪いという意味の、きしょい、ウザい、とか言われて嫌悪されていたのを思い出す。恐らく、Z世代にとっては、言葉それ自体が、個人主義の個性の象徴で、その世代間だけで成立するいわば業界用語なのかもしれない。一種のパスワードになっているわけで、他の世代の侵入を阻止する言葉になっているのかもしれない。そもそも、方言とは、他民族には理解できない、同民族で使われた言葉で、同じ自我をもつ共同体から生まれた一種のパスワードなのである。だから、日本列島に、方言が多いのは、それだけ多民族国家であるのを歴史的に示している。若者しか使わない言葉を、オジサン世代が使うのは、不気味な、侵入者という感覚があるのかもしれない。これは恐らく、SNSやlineのグループ交流の電子社会の習慣から生まれたものなのだろう。例えば、TV番組のケンミンショーなどをみていると、青森県や鹿児島県の、訛りが強い地域の住人とコミュニケーションをとるのは至難の技で、同じ日本語なのに、方言の違いで、以心伝達がとれないのは不自由で、戦国時代のような戦乱の世が生まれたのも、納得がいくわけなんでもある。だから、倒幕した明治政府が明治維新でやったことが、言論や歴史観の統一であったわけなんだろう。明治時代の史料から、現在の日本語の特徴が見えてくる! | 夢ナビ講義 | 夢ナビ 大学教授がキミを学問の世界へナビゲート社会インフラとしての近代日本語。その成り立ちを知ることの魅力とは?|上智大学明治の言論統一があまりに早急すぎて、関西人が良く使う、いきりすぎて、国家の集団主義が、個人の言葉の個人主義を排撃していったのが、先の大戦の敗戦を招いたのかもしれない。明治時代のカタカナで書かれた日本語の読解は非常に難儀である。本当に当時の人たちが、読解していたのか、不思議でもある。江戸幕末から明治維新までの、国民の識字率が高かったとされているが、本当だろうか?最近、万葉集を、若者の言葉で表現した本が、巷で話題になっているが、識字率が高かったなら、このような本が出回らなかったのは、なぜなのだろうか?万葉集を若者言葉で訳した万葉社・佐々木良さんに聞く、「おもしろいことがしたい」を軽いフットワークで実現していく仕事のコツ | WORK MILL聖書には、はじめに言葉ありき、言葉は神と共にあった、というように、言葉の違いを、言葉の表現の違いを乗り越えて、それらの違いは、お互いの立場を象徴する相違なのだから、神から与えられた、同じ自我の異なる局面にすぎないのだから、純粋な愛の立場で、自助努力により、自浄能力で、個人主義の罪意識を、翻訳していくべきで、現代人がもつ平等の精神で解き明かすべき、令和に存在する多様な言語表現のパスワードを解くカギとなる、課題なのかもしれない。いきらないように、かといって死語にならないように、神秘学を現代語に沿って紹介していきたい。もはや若者ではないので、日常の日本語でオジサン風に、表現していくつもりなんだけどね。
2025年01月16日
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「我々は常に悪と戦っている」、というと、戦隊モノのヒーロー、もしくは刑事ドラマのセリフかのように、錯覚しがちだが、欧米には罪の文化、日本には恥の文化があるのを、アメリカの文化人類学者R. ベネディクトが『菊と刀』で提唱したように、人間の心の奥深くに秘めたヒーロー像として描かれているのは、神秘学から神話を学べば薄々明らかになってくるはずである。人間の心のなかでは、常に、神と悪魔が戦っているのである。この善と悪の戦いの舞台を個人がどう感じるかの問題である。そして、ベネディクトによれば、特に欧米人には、「他人の目」ではなく「神様がいつも私を見ておられる」と考えるという。神様との対話の中で行動を決定しているのを「罪の文化」と呼ぶらしい。そして、日本の「恥の文化」は「他人の目」という相対的な基準で、欧米では「罪」という絶対的な基準が人間の行動を決定している違いがあるという。第120回「恥の文化と罪の文化」(2017.5.9掲載) – 情報労連確かに、ベネディクトの言うように、この国の巷の報道をみると、欧米のように、徹底的に罪の意識で、悪を糾弾する、というよりも、臭いものには蓋をして隠してしまえばいいというような、他人の目にはみえないように、隠蔽するやり方、それも、必要悪かのようにお茶を濁す恥の文化は、悪に屈しているようにみえる。というのも、これは恐らく、日本の社会にはいまだ個人主義が芽生えていない、個人的な自我が明確に表明されていない、どこか中世的な、集合自我が残っているせいで、先の大戦などの集団主義などはその最たる例といえるかもしれない。巷の組織利権のための、性接待問題などは、組織全体しかも上層部が悪に染まっているのを知りながら、それに従わざるを得ない現実に、事勿れ主義の奴隷となっているところなど、外圧がないと自浄能力を発揮できないところなどは、他人の目にみえなければ何をしてもいいというような、恥の文化の特徴といえるかもしれない。しかし、今年からそのような悪に染まっていくような上納体制は崩壊していくだろう。つまり、個人主義的な罪悪感の欠如、ビートたけし氏がお笑いで指摘した、「赤信号皆で渡れば怖くない」というような価値観は老害となっていくだろう。だから、先の大戦でも、マスコミが利権獲得のために、真っ先に戦争を煽り、国民を戦場へと駆り立て、敗戦が濃厚となっても、ポツダム宣言を黙殺と報道し、挙句の果てには、原爆を落とされ、無条件降伏して、敗戦が決まると、今度はGHQ支配下に3S政策へと邁進していったわけなんである。欧米の個人主義の、罪の文化に敗れたのに、いまだにマスゴミの恥の文化の継承を続けるのは、愚の骨頂と言わざるを得ない。そこに戦場で死んでいった先祖の畏敬の念や、詫び寂びの文化があるといえるのだろうか、不思議でもある。日本人は常に悪と戦っているといえるのかどうか、今考えるべきときで、今年はまさに正念場といえるのは、元旦に紹介した、干支が、乙巳(きのとみ)で、陽明学者安岡正篤氏の易経学からもわかるように、「因習姑息にケリをつけて、勇敢に進む」の運気の年だからでもある。昨年は、野球界からヒーローが生まれたが、今年は、政治の世界にも、ヒーローが生まれていかないと、失われた30年を更に積み増して40年となるだけだろう。悪を自ら裁けなくて誰が裁いてくれるのだろうか?巨悪を眠らせてはならないのは、人類全体の課題なのである。さて、昭和の懐かしのヒーローといえば、我々の世代、つまり、現在アラ還暦にとっては、ウルトラマンや仮面ライダーがツートップで、他のヒーローといえば、円谷プロ製作と石森章太郎原作のツートップを代表とする、怪獣と戦う、例えばミラーマンなどや、悪の組織と戦う、戦隊モノ、例えばゴレンジャーなどが、代表的だった。ヒーロー年表1アラ還暦の我々より上の世代では、月光仮面や忍者赤影、少年探偵団など、正義感を少し背伸びさせれば届くような、現実の生活の延長上のヒーローが代表的だが、そのなかでも未来社会を描いた鉄腕アトムは独創的なヒーローとしていまもなお有名でもある。鉄腕アトムを代表とする、後のアニメのロボット合体モノは、アラ還暦世代では、マジンガーZからはじまり、我々の世代でも、アトムは確かにヒーローなのだが、人間になれないロボットという点で、人間が理想とするヒーローというよりは、どちらかというと、頼りになる存在という感じで、人間が解決できない問題を代わりに解決してくれる救世主のようなヒーローで、人間が変身したり、パワーアップしたりして、人間自ら自主的に問題解決に乗り出す点でイマイチなのが、かえって人間の弱点を曝け出し、この問題が、後の、仮面ライダーの改造人間で解消されてくる。このように子どものヒーロー像とはいっても、時代に沿ってのヒーロー像には、その時代の悪と戦う善の目的が描かれている。当時の、機械化し、複雑化していく社会を、人間が、知識を駆使し、秩序だって系統的にまとめていく過程が象徴的に描かれている。鉄腕アトムのヒーローが故の悩み、人間を上回るパワーをもちながら、人間にはなれない葛藤。そこには、人間社会が組織機械化されていくなかで、本当の人間性とは何か? 悪を退治する善とは何か、当時この国の、集団のなかでの、個人主義の芽生えが、組織機械化の歯車のなかで、個人的な悩みとして、ロボットとして描かれている。なお、日本では、鉄腕アトムは人間のために命を犠牲にして死んでしまうが、米国のアストロボーイは、諸悪の根源の天馬博士と対決し和解するのが、大きな違いともいえる。というのも、日本では個人主義が黙殺されて、アトムは太陽に突入し、組織の犠牲となり、米国では、アストロボーイは、悪と対決し、和解するという個人主義の罪意識が生き残っていくのだから、好対照のエンディングである。日本でも、あまりにアトムが可哀想というので、「地球を救うために太陽につっこんだアトムだったが、鉄のかけらに癒着して宇宙空間を漂っていたら、高度な科学技術を持つ三つ目の宇宙人・ルルル星人のロケットに拾われ、より高性能なロボットとして生きかえった。」という復活を遂げるから、この再生の流れを考えると、日本では、Z世代の新個人主義として蘇っているのかもしれない。えっ、死亡エンド? アニメ『鉄腕アトム』最終回はなぜあんなことになっていたのか(マグミクス)|dメニューニュース(NTTドコモ)アトム還る|マンガ|手塚治虫 TEZUKA OSAMU OFFICIALZ世代とは?特徴や価値観から考える、働き方や会社が準備すべきこと | TUNAG(ツナグ)実は、手塚氏が、鉄腕アトムを通して、本当に伝えたかったテーマは「科学と人間のディスコミュニケーション(意思の疎通の欠如)」だった、というのである。これには自身が戦後に占領軍に受けた理不尽な暴力が深く関係しているそうで、同じ人間なのに、意思疎通が図れない虚しさ、そこには厳然たる差別が存在したわけで、手塚氏が、アトムを描いたのは、後に藤子不二雄氏が描く、のび太のドラえもんのようなものだったようである。そのような構図をみれば、ジャイアンがGHQの象徴で、のび太が敗戦国ニッポンで、スネ夫が中国ソ連、そしてドラえもんが、日本の救世主の高度成長の象徴だったのかもしれない。しずかちゃんは、GHQの3S政策の個人主義への芽生えというところだろう。手塚治虫「鉄腕アトム」 × 小さいふ。 - 小さい財布の小さいふ。クアトロガッツ 公式Webshopだから、視聴者には、鉄腕アトムは、完全ヒーローモノにみえるようにアニメでは描かれてはいるが、ロボットヒーローの本筋としては、本来のギャグ漫画的要素を取り入れた、ドラえもんのように、主人公がいつもだらしなく救世主ドラえもんに頼るような、逆ヒーローパターンとして受け継がれていくわけで、後には、ドラゴンボールの孫悟空で有名になる鳥山明氏の、主人公と救世主が合体した、一見すると、幼稚で間抜けにみえるが、憎めないキャラとして、ドクタースランプのアラレちゃんとなり、人間のギャグ要素だけ継承したロボット人間が生まれるわけなんである。面白いのは、手塚氏が鉄腕アトムの後に西遊記の孫悟空を書いたのと同じように、鳥山氏も、アラレちゃんの後に、ドラゴンボールの孫悟空を描いているところである。ロボットの人間らしさを追求していくと、最後はギャグのお笑いになり、ネタが尽きて、行き詰まると、サルから進化した人間を描くしかなくなるのかもしれない。手塚氏と鳥山氏の共通点といえば、どちらも関西人なので、〆はギャグで落とすところなのかもしれないが。このようにアニメのヒーロー像の変遷からも、人間の心のなかの善と悪の戦いが、時系列という覚醒意識上の時代変化からも読み解けるわけなんである。さて、前回は、これまで紹介してきた覚醒意識上の、時間感覚は、物質界での体験から、ある程度掴めるようになるのがわかるが、物質界を超えた精神界の、潜在意識のなかの、時間感覚は、より高度な知性が必要とされるので、唯物論に洗脳されている現代人にはほとんど不可能で、まずは宗教を学ぶ必要があるのがわかる。というのも、宗教には、俗に、精神界での時間感覚が断片的に描かれているからで、現代物理学で無理に解釈するならば、時間のエネルギーによる量子化に近いからである。宗教では、物質のように目にはみえない不可視の不可触の存在を、霊魂と呼んでいるが、そういう存在の、時間を特定すると、ハイゼンベルグの不確定性関係により、エネルギーが定まらず、観測できないので、要するに波動なので、エネルギーが共鳴しないと、観測できないので、高次のエネルギー体を観測するには、観測者が、それに足る資質を高めないといけないので、現在の低エネルギーの物質体ではなく、宇宙が生まれたときの次元まで、波動を高めないといけないわけで、これを俗に純粋化と呼んでいるわけである。仏教では、そのような存在を菩薩とか、覚醒者の、仏陀とか呼んでいるわけで、霊魂がいつでも高次のエネルギー体の意識へと昇天できる静寂な、ボーディサットヴァ状態にある存在であるという。早い話、高次の宇宙人といつでも交信できる地球人というわけなんである。そのような高い知性の持ち主でないと、とても潜在意識のなかの時間感覚は理解不能である。例えば、中学生が、大学の講義に出ても、内容が理解できずに、退屈でつまらないわけで、自分の知性を遥かに超える話は、チンプンカンプンになるだけで、忽ち消化不良に陥るように、自分の理解力の少し上ぐらいでないと、関心や興味すらもてないわけで、無法地帯に置き去りにされるようなものである。これと似たように、覚醒意識上での時間感覚は、宗教で読み解かれている、潜在意識での時間感覚には全く何の役にも立たないどころか、むしろ、逆に空間感覚の方が役に立つようである。だから、仏教では盛んに虚無とか、空とか、虚空とか、空間感覚の言葉で表現しているようである。そして、物質界の人間が覚醒意識で、物質界の崩壊現象の運動観測から、空間に時間を割り当てているように、その無秩序化を、秩序に回帰させるために、時間に空間を割り当てて、人間に生命エネルギーという秩序パラメータという知性を送っているのが、天使たち、仏の道というわけなんである。現代でも、物性物理学では、時間や温度を秩序パラメータ―と呼んで、空間密度の変化の、相転移現象を結晶格子化して、物質界での実験で探求している。秩序と無秩序の関係を、秩序パラメータ―の割り当てで解析しているわけで、これは宗教的にいえば、悪魔がどのように振る舞い、境界条件を割り当てるべきなのかの、知性と、自由な振舞いの、共生環境を探る試みともいえるかもしれない。できるだけ、混沌に陥る穴を回避しながら、前に進むゲームともいえるかもしれない。そのためには、天使たちの指導の下に、一歩一歩、足元を照らしながら、少しづつ進む必要があるだろう。しかし、現代人の多くは、足元を照らすのを忘れて、悪魔の罠に容易にハマってしまうのは、宇宙の至るところに混沌としたダークマターが潜んでいるのでわかるはずである。覆水盆に返らず、という諺はエントロピー増大の法則を端的に示しているのは有名な話で、地面にこぼれた水は盆の上には戻せない、後の祭りのような、物質界での不可逆現象、特に熱が関与する現象が、時間を巻き戻せない性質を持っているのを良く言い表しているのだが、秩序が乱れていく方向に進むのを、ほおっておくと、物質が崩壊していくのを、つまり、物質の崩壊現象から、時間の流れを、法則化した経験則ともいえるかもしれない。「覆水盆に返らず」の物理 | 慶應義塾大学理工学部いうまでもないことだが、水が地面にこぼれ、元に戻らないのは、水が質量をもち、地面の重力に引き寄せられ、地面に衝突し、水分子に分解し、地面に吸収されてしまうためである。この不可逆現象をビデオなどの映像に記録し、逆再生を試みれば、視覚的には、覆水盆に返るのだが、実際にこぼれた水が物質として戻るわけではなく、それはまた別の話である。しかし、予め、盆から水がこぼれるのを想定し、例えば、居酒屋などで、日本酒をつぐ「もっきり」と呼ばれる、枡のなかのグラスに注いで溢れても枡がカバーしてくれるように、こぼれた水を確保するような仕組みを考えれば、少しは覆水盆に返るわけで、このようなエントロピー増大の法則に抗う思考実験は、マクスウェルの悪魔と呼ばれ、そのような仕組みが色々と考案され、有名でもある。「もっきり」で出された日本酒はどう飲むの? 居酒屋などでのスマートな飲み方をチェック|たのしいお酒.jpマクスウェルの悪魔 - Wikipediaなぜ、ケルヴィン卿が、このマクスウェルの思考実験を、悪魔と呼んだのかは、定かではないが、彼は恐らくキリスト教徒なので、物質が崩壊に向かう自然の摂理の、熱力学第2法則のエントロピー増大の法則に対して、それに抗うような立場をとるので、悪魔と呼んだのかもしれない。このマクスウェルの悪魔は、なぜ面白いか、というと、予め、将来のリスクを想定し映像化し、そのリスクが生じた出来事の映像の時間を一時的に巻き戻し、逆再生して、将来を先取りし、保険として、無秩序に陥らないように、回避しているからである。数学的にいえば、無秩序の特異点に陥るのを回避するために、その周りで、引き返すような感じといえるかもしれない。差し詰め、地獄に堕ちる前に、悪魔が現れたら、逃げ戻るような感じだろう。つまり、最悪の状況を避ける知恵といえるかもしれない。そして、このマクスウェルの悪魔を利用し、一時的な逆再生の映像だけでなく、永遠に再生し続けるのが、永久機関の考案である。永久機関は、現代の物質科学からも不可能なのがわかっている。というのも、物質の崩壊を、崩壊では食い止められずに、増幅するだけだからである。無秩序を無秩序で抑制できない、かえって混乱し混沌となる。秩序があってはじめて無秩序が抑制できる。永久機関 - Wikipediaだから、はじめに秩序がないと、混沌を整理できない、そして、混沌の無秩序を整理整頓し、秩序化するには、一度は、無秩序を体験しないと不可能である。聖書には、はじめに言葉があった、と書かれている。神は言葉で、言葉が神だった。つまり、言葉とは、秩序の集大成なのである。人間は秩序の集大成の、神に似せられてつくられた言葉を発する生命体で、意識体である。だから「われあり」と自我自らで、言葉を発し、私という存在を、混沌とした宇宙のなかでも、秩序化できるわけである。『はじめに言葉ありき』 の謎。|夏野真碧|Natsuno AO|初めに、神が天と地を創造した。 | 聖書入門.comもし、私という自我を秩序化できなかったら、自己組織化できなかったら、唯一の存在である、私ではなくなるだろう。現に動物は、私という自我を表明できていない。つまり、言葉とは、混沌の秩序化であり、整理整頓なのである。神が混沌を整理統合する知性を、人間に与えたので、私という個人的な自我を表明できるようになった。人智学では、このように、唯一の秩序の集大成の個人的な自我を、人間に与えたのは、太陽霊のキリストの、形態霊と呼ばれている。人間は私という個人的自我を覚醒意識上で表明できるようになったが、神という壮大な宇宙の秩序体の、高度な知性には、まだまだ到達できないので、背には受けているが、向かい合って、神を直接みることはできない。人間は大きな秩序の一部になって、宇宙にある混沌を、少しづつ、整理統合できるだけである。複雑系という現代科学の探求分野は、混沌のカオスをいかに線形化し、解析していくかの分析ツールを与える学問である。複雑系は、現代科学による、宗教的要素、つまり境界条件の探求といえるかもしれない。複雑系 - Wikipedia自己組織化 - Wikipedia複雑系には自己組織化という、エントロピー増大の、散逸系と呼ばれる非平衡状態にみられる、秩序と、混沌のなかの、ポジティヴフィードバックと呼ばれる、自己促進を生み出す、ゆらぎが起こる現象が指摘されている。プリコジンが、これら散逸構造の複雑系の力学をまとめ上げて、ノーベル賞を受賞したのは有名である。散逸構造論(プリゴジン)HUMAN VALUE 自己組織化散逸構造論 ポジティブ・フィードバック - 哲学的な何か、あと科学とかこれら散逸構造を量子力学で考察したのが、量子ゆらぎで、特に超電導現象での物性理論のBCS理論では、秩序相と無秩序相の、電子のクーパー対の形成として、量子相転移を説明する道具として使われているのは有名である。つまり、電子のクーパー対は、量子力学の量子ゆらぎによる、自己組織化というべきものかもしれない。ここには、神智学から読み解かれた古代叡智による、慣性の法則が現れているのがわかる。量子ゆらぎ - Wikipedia量子相転移 | 時事用語事典 | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダスニュートンがプリンキピアで示した慣性の法則は、物質界だけのものと弟子たちに曲解されているが、古代叡智を読み解けば、秩序は互いに秩序を高め合っていく、という、愛の共鳴、共感の法則を度外視してしまっているのがわかる。天体は互いに共鳴し、共感しながら、運動しあっているのである。ニュートンは、それを、その天体の自己組織化を、ユークリッドが原論で示したように、幾何学的に表明したかったのだろう。太陽系の天体が、太陽と共鳴、共感し、太陽を中心に運動している、という幾何学的な万有引力の法則である。自己組織化は、宇宙意識の慣性の法則に他ならない。神智学によれば、慣性の法則とは、「同性と反対性は、共通の中心点に引っ張られる」のである。それらは互いの中心に集められて、秩序づけられて渦となるという。超電導現象のクーパー対などは、その量子ゆらぎが相転移し、秩序化された渦の一例である。つまり、量子ゆらぎが、ポジティヴフィードバックを介して、自我の発火の機動力となる。この量子ゆらぎを宗教的にいうなら、神智学から読み解かれた古代叡智の、「われあり」という言葉、それは、天と地の境界を生み出した、神の「光あれ」という言葉でもあるが、人間は、神から、無秩序を秩序に転換する「光あれ」の叡智の言葉を受け取ったわけで、自分自身を、神の自分自身の、純粋な光になるべく一体となるように、自ら助けているのである。つまり、無秩序な光を外界からとりいれて、秩序あるものに、転換し、自らの光を純粋な太陽光へと高めているわけで、正に、キリストが、天は自ら助くる者を助く、という言葉が、人間の悪を善に転換する、光を発光させているのである。神秘学では、光を担う者はルシファーと呼ばれるが、それは、所詮、無秩序な、混沌とした少し闇を含む、薄明かりの光でしかなく、そこから、真の輝く光と、ホンモノの光輝く、個人のエゴを無くした無我の霊我のマナスの光が、キリストの光なのである。混沌のなかで、混乱し複雑化した自由を高め、統合し、秩序だった真に輝くキリストの光に転換していくのが、日々悪と戦う、人間のヒーロー像で、それは自分のなかにある、主のキリストなのである。その潜在意識のなかにある、生命的な時間を、サイクルの周期時間と呼ぶが、その上には無限時間の、宇宙意識の宇宙時間があり、更にその上には、超越時間があるという。覚醒した仏陀のアデプトは霊我を獲得しているので、いわば神我一体となっているので、周期時間から、宇宙時間の無限時間まで旅できるが、更にその上には超越時間があるという。サイクル時間の理解だけでも、私には奇想天外なんで、この先の時間の解説はまた別の機会に譲りたい。
2025年01月14日
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宇宙人ジョーンズならぬ、古代人オンネスからみると、現代人は、特にこの国の巷の住人は、正月には初詣で、神社やお寺などの、地域信仰の、土着の神様、人間の意識よりは高次の意識体などに参拝に行くが、その本来の意味に気づいている人はほとんどいない。宗教が、なぜレリジョンと呼ばれているのか、知り得るのは、僅かの宗教家だけだろうか。宗教 | 生活の中の仏教用語 | 読むページ | 大谷大学というのも、前回紹介したように、宗教が悪魔教の観念論になり、現代人の考える時間の正体は、覚醒意識上の、物質崩壊の現象を、微分方程式で、線形数値化し、観測している限界を呈し、そのような時間の記述により、何よりも、自然破壊から、物質界全体の崩壊を一層明確に押し進めているからである。古代人ヘラクレイトスは、万物は流転すると言ったが、現代人は、物質は時間と共に崩壊すると言うしかないだろう。現代人は、物質界で舞台に幕が降ろされるまで、金銭などの欲望を求め、悪魔に支配され、踊り狂うしかできないのである。それでは、ニュートンが説いた、宇宙に隈なく流れる宇宙意識の、絶対時間には到達できず、古代人が、一日をデウスという神の名に準えた意味もわからない。そして、時間の正体について最も重要な真相の一つ、実は、我々が、潜在意識のなかでは、神と共に同じ時間で、神と歩調を合わせ、バランスをとりながら、宇宙全体の愛を育んでいる事実に気づきもしないだろう。現代人は、地球上の、物質崩壊、いわゆる物質的に不安定な、放射性同位元素を用いて、特に炭素14年代測定法が有名だが、そのような測定法などを用いて、覚醒意識の時間を観測測定しているが、その時間感覚から、本来、安定しているようにみえる元素であっても、例えば、陽子も約10の34乗年ほどで崩壊するものと、宇宙が一点に収縮したビッグバンからはじまった宇宙論を想定した大統一理論で予想され、神拝んでで有名な、カミオカンデの観測装置がつくられた。放射性炭素年代測定 - Wikipedia陽子 - Wikipediaニュートリノ研究 | 名古屋大学 宇宙線物理学研究室(CR研)しかし、神拝んでのカミオカンデでは、いまのところ、陽子崩壊を観測できていないし、そもそも、どの陽子が、どのくらいの寿命なのか、陽子を区別する、覚醒意識上の観測力さえも持ち合わせていない。陽子そのものを区別できないので、約10の34乗個ほど集めてくれば一年に一回位崩壊するだろうという線形思考の確率統計で期待値を概算しているだけなのである。その確率で崩壊したとしても、観測できるのだろうか。そもそも陽子崩壊に足る宇宙環境が、現代人が考える時間感覚から、大統一理論の想定した対称性をもち合わせる宇宙環境とでは大きく異なるのではないだろうか。大統一理論 - Wikipediaつまり、早い話、物質界のなかで、物質崩壊を観測するのは、特に陽子のような元素の基盤となっている粒子の崩壊を観測するのは、ゲーデルの不完全性定理のごとく、ほぼ不可能ではないのか?と思うわけである。物質界では、人間は肉体を基盤にした観測装置を構築するが、肉体の死を観測できないように、つまり、脳自身が、脳死を判定できないように、要するに覚醒意識を超えたところにある死を、死で捉えるのは、せいぜい特異点の周りで、ダンスを踊るしかないわけなんである。だからせいぜい、ホーキングのように、ブラックホールので近傍で、星が死んで、蒸発して消えてなくなり、ダークマターにハマって思考停止し、身動きがとれなくなるわけである。ホーキングは恐らく、無神論者なので、地獄の縁に堕ちて死を虚無として、身動きがとれなくなっているだろう。神智学では、生物の進化が、地球上に降り注ぐ、宇宙放射線の量の違いにより生まれたのがわかっている。最近の生物の進化が少ないのは、宇宙放射線の量も少ないからである。ゲーデルの不完全性定理 - Wikipediaさて、いずれにしろ、覚醒意識での、時間感覚だけでは、人間の死すら虚無のモノに帰する。どうしても、睡眠中の潜在意識による、物質界を超えた時間感覚を、現代人の知性を超えた時間概念を想定しないと、思考のイデアには到達できない。しかし、潜在意識のなかの時間感覚を知るには、物質界を超えた、少なくとも、幽体離脱の体験を鮮明に記憶できないとダメで、特に前世の出来事の感情記憶を呼び起こす必要がある。それにはやはり、あらゆる宗教が説くように、自分のなかの奥深くに眠る、主たる自我の、表層の覚醒意識で捉えた自我を無とした潜在意識のなかの境界条件を超えないといけない。しかし、我々は、睡眠中に、これを無意識の潜在意識で、行っていると、古代叡智では教えている。古代叡智によれば、覚醒意識上の時間感覚は、サイクル(周期)時間と呼ばれるもので、いわば、量子力学での、井戸型ポテンシャルのなかの波動関数と似たような振る舞いにあるらしい。井戸型ポテンシャル - Wikipediaこの物質界の境界条件の、壁を超えると、無限時間と呼ばれる、流体の振る舞いに近いエーテル界の4次元界に記録記述されるらしい。我々人間の自我は、生まれたままと同じだが、物質界の時間の推移に合わせて、成長もしくは老化するのは、人体のなかのエーテル体の働きのお蔭であるという。つまり、肉体から行われた運動を、肉体にそのまま壁として反射し、変換する鏡のような働きをしているらしい。だから、左に進めば、右から返ってくるように、肉体に合わせて、エネルギーを変換しているので、肉体の物質崩壊を抑制するために、生命エネルギーを与えているので、四次元の無限時間なのである。エーテル体の生命エネルギーを失うと、肉体は崩壊するままで、死を迎えるわけである。古代叡智によれば、その上には、アストラル界の、宇宙時間があり、更に、神界の、超時間があるという。4次元世界だけでも、物質界の用語ではほぼ説明困難なのに、更にその上の時間の概念を説明するのはほぼ不可能で、奇想天外なのである。だから、宗教的な神話にならざるをえなくなる。現代の、電波で時刻を自動調節する時計のように、我々は、睡眠中の、潜在意識のなかで、物質界の崩壊を抑制するために、神の意識と共振し、愛の生命力を与えてもらっているのである。人智学では、睡眠中に、今日の出来事から、明日起きるべき出来事への対処法や、処理能力を、天使たちから学んでいる、のがわかっている。つまり、潜在意識のなかで、覚醒意識において、崩壊があまり進まないように、宇宙意識から、愛が与えられることで、本来の宇宙全体の時間の正体の宇宙意識から、人類の進化のために、時間調整を行っているのである。だから、寝ないでいると、時間調整が狂ってきて、人類の進化から逸れていき、肉体崩壊が進み過ぎて、寿命が縮まってしまうわけである。しかし、何時間睡眠が良いのかと、現代の睡眠学では、覚醒時の時間感覚からあれこれと議論されているが、動物の睡眠時間が生物種で異なるように、例えば、カゲロウの成虫などは、一日で寿命を終えてしまうわけで、それは動物種の、自我の働きによる。人間の場合は、個人的自我で、覚醒意識も異なるので、覚醒期の時間感覚で比べても意味がない。6時間睡眠といっても、それは個人の睡眠中の潜在意識状態で異なるから、比較できない。俗にいえば、深い眠りに到達できるほど、宇宙の始まりの愛の源泉に共振できるので、覚醒時の時間感覚でいえば、何億年もの睡眠を得ることもできる。古代人が長生きだったのは、覚醒期が少なく、現代人と比べると、ほとんど寝た状態だったともいえる。人智学では、人間は睡眠中に、過去の人生や、前世を旅しているという。起きた時に、過去の出来事を夢でみるのは、その過去を旅していたのが強く印象に残ったためだろう。睡眠が浅いと、昨日今日しか到達できないので反省もできない。だから人類進化から逸脱し、同じ間違いを犯して肉体を破壊させてしまうわけである。寿命の短い動物ランキングトップ10 | ailoveiだから、レリジョンとは、神の愛の創造力である、源泉の時計につながり、共振する教えなのである。だから、本来の宗教の教義とは、適度な睡眠時間をとり、肉体を横たえ、休息しなさい、というものだったはずである。だから、キリスト教では、日曜日が休息日で、神に参拝する日なのである。神に参拝したければ、潜在意識を活用しなさいという意味で、つまり、現代人でいうなら、起きているときに道徳的に生き、適度に眠ることなのである。しかし、現代人は、あまりにも破壊的で、唯物的な時間に従うようになり、現世で生きるためだけの、金儲けのために働き、十分な休息時間や、睡眠時間もとらずに、誤った意識高い系などの自己承認欲旺盛な、実際は、意識レベルを低下させている、獣のような連中を生み出しているわけなんである。そもそも意識が高ければ、自分で意識が高いなどと宣伝するはずもないだろう。意識高い系 - Wikipediaさて、前回は、現代人が考える、覚醒意識上での、時間の正体について紹介したが、覚醒意識は、潜在意識の表層部分にすぎないので、睡眠中の時間の正体まで、少なくとも他の生物との対比から、更に時間の探求を進める必要があるのを示唆したが、それには霊能力を必要とするので、より一層の高い意識とつながる努力が求められるのがわかる。神智学によれば、潜在意識のなかでの、時間の正体は、覚醒意識とは、いわば鏡像関係になっていて、空間と時間がアベコベの反対になっているという。だから、物質界の運動のように、時間ごとに空間つまり波動が隔てられ、時空となっている代わりに、現代人は、その挙動を覚醒意識上で、微分方程式などで表現するが、潜在意識では、空間、つまり波動ごとに、時間が隔てられているわけで、より過去や未来に行くには、エネルギーを高くし、振動を高めないといけないわけで、これを一般的に、純粋化と呼んでいる。だから、アランチューリングが、宗教は境界条件と言ったのだろう。だから、現在よりも、より遠くをみるには、物質界では、山などの高い密度の頂上に上ったりして、覚醒意識上での、空間を広く見渡せ、視界を拡げるように、潜在意識では、生命の根源たる愛の意識を高めないといけないわけである。早い話、愛への感受性を高めることで、他者への共感力や、他生物への感謝や思いやりをもつことで、これは、仏教が説く、仏心のようなものである。神秘学では、物質のベールをはぎ取るとも呼んでいる。目に見えるもののなかの、目にはみえないものを感じ取る意識である。仏心 - Wikipediaつまり、一言でいうなら、覚醒意識上の時間の正体とは、「群盲象を評す」と同じで、時間の陰を跡付けしているにすぎない。時間の足跡を辿っているにすぎないのである。例えば、覚醒意識上での時間は、物質の崩壊を観測して、その度合いを基準にしているが、物質を崩壊させている正体には言及できない。それは、時間を、エネルギーの波動で量子化できないのと同じである。群盲象を評す - Wikipedia6人の盲人が、ゾウに触れることで、それが何だと思うか問われる形になっている。足を触った盲人は「柱のようです」と答えた。尾を触った盲人は「綱のようです」と答えた。鼻を触った盲人は「木の枝のようです」と答えた。耳を触った盲人は「扇のようです」と答えた。腹を触った盲人は「壁のようです」と答えた。牙を触った盲人は「パイプのようです」と答えた。それを聞いた王は答えた。「あなた方は皆、正しい。あなた方の話が食い違っているのは、あなた方がゾウの異なる部分を触っているからです。ゾウは、あなた方の言う特徴を、全て備えているのです」 ☆ ☆ ☆この「群盲象を評す」の盲人たちが、前回紹介したプラトンの洞窟の住人と同じで、現代人の覚醒意識を表しているわけなんである。つまり、現代人は、物質の崩壊具合をみて、それは破壊力なので、破壊に応じて、分類し、時間を割り当てているだけなのである。だから、エントロピーが増大する方向に時間が流れるのである。エントロピー - Wikipedia図解!エントロピー増大の法則とは?自発変化の方向を示す熱力学の金字塔 - Dreamscope Blogさても、巷では、新年になって、何かと、幸運や金運を良くしようと、占いやおみくじが盛んになっているが、ストレス解消の遊びでやるならまだしも、何の努力もなく、単なる神頼みで、幸運や金運がもたらされると思うのは、かえって、詐欺に遭う運を高めるだけである。そもそも、神と悪魔も区別できないで、神頼みすれば、かえって、麻薬のような悪魔依存症に罹るだけで、私利私欲のために、経済の血液といわれる金銭が使われるほど、その人を社会のなかで、腫瘍化させ、金銭感覚を麻痺させて、癌化し、かえって自己破産に導くものである。悪銭身に付かず、というように、この国の官僚たちが特別会計などという悪銭をつくりすぎたために、それを真似て、政治家が裏金つくりをして、失われた30年を生み出して、少子高齢化を招いている現状を知るべきである。このような連中は、本来社会福祉に役立てるための税金を、私利私欲で運用し、自分たちの贅沢な生活を満喫するために利権を貪り、他の国民の多くを苦しめ、生活を厳しくさせているので、そのような国民の苦労を味わうために、死後、地獄に堕ちて、必ず、独裁者の国の下層階級に生まれていくだろう。私利私欲のために、税金として、多くの愛を奪えば、必ず、奪った多くの愛を返すように、カルマから、宿命を背負うわけで、自業自得なんである。そのために、前回紹介したように、個人の時間が人生として与えられて、生まれてくる。ハンムラビ法典には、目には目を歯には歯を、と書かれているが、その本当の意味は、自分の行いがブーメランとして自分に返ってくる自業自得のカルマの法則なんである。ハンムラビ法典 - Wikipedia神智学によれば、古代人は占いをしなかったという。というのも、個人の人生は個人の自由な行為で、いくらでも変えられるからである。勿論、前世の行いから、今生で予定されている出来事、つまり宿命は決まっているが、それをどう処し、その出来事から、何を学ぶかは、個人の自由で、陽明学者の安岡正篤氏は、立命と呼んでいる。安岡正篤 - Wikipedia安岡氏は、易学でも有名だが、「人生の大則」という書で次のように述べている。 ☆ ☆ ☆ 今日の世界情勢を深く検討する人々が、よく西洋文化の行きづまりを論じ、それを救うものとして、東洋文化の原理を説き、東西文化の比較論評が行なわれる。当然のことではあるが、男女の特質や優劣を論じるのと同じことで、浅薄・軽率にやるべきことではない。もし同を求めれば、要するに東も西も人間文化で、別に大して変わりはない。しかし異を求めれば、東は東、西は西、それぞれ特徴を異にするが、柳は柳、花は紅で、天地の春光はうららかである。 先に自然を完全なるものthe complete wholeとして観たが、それを言い換えれば、宇宙人生は一者(絶対者)の限りなき分化発展ということができる。単細胞から高等な生物に、直接経験から複雑な認識世界を開くようにそしてそれは明らかに相待(相対)的原理ともいうべきものによって成立 活動している。その相待(相対)的原理、即ち宇宙人生の成立活動する所以のものは、どういうものであるか。一つは無限に自己を分化し、形を執って自己を現じてゆこうとする、いわば造化の代表的形式の働きである。我々の細胞の分裂ということから考えると、一つの細胞が自己を分化し、こういう肉体を形成してゆく。これを陽の原理ということができる。しかしこの働きばかりでは、要するに四分五裂になってしまうのであって、実はこういう体を成すことができない。したがって造化に陽の働き、即ち発現分化の働きがあると、必ずこれに即してその分化をそのままに統一し、形を執って、自己を現ずるに対して、形なきに自ら統一含蓄しようとする、いわば全体性および永遠性を司る働きがある。これが相俟ち相応じてここに我々の肉体的生活、即ち生理が存するのである。この働きを先の陽の原理に対して言えば、陰の原理である。実在は陰陽相待(相対)的原理によって成立活動している。 (p151-153) 東洋文化と西洋文化との上において、このことはまたよい対照をなしておる。西洋文化は以上の諸例から見て明らかに陽的文化である。これに対し東洋文化の方は陰原理を本領とする文化といわねばならぬ。(p161) 要約するならば、つまり世界にこういう相対的原理があって大和(だいわ)しており、その分化発現、したがって往々抹消化・刹那化する性向を西洋文化が代表し、統一含蓄、全体性と永遠性、それとともに停滞的休止性を東洋文化が代表し、たまたま時命によってヨーロッパの方がその本分に偏しすぎた結果、だんだん深刻に生命を傷ない、どうしてもこのままでは破滅よりほかないというので、今やしきりに自然と人間との大和に返ろうとしているのである。・・・あまりに主知的に功利的に、物質的に走りすぎている。それを中和しなければならぬ。そういうことを考えてくると、我々の新しい世界文明というものは、ちょうど我々が本領として持っておる精神・能力、それを根底として、それに今まで発展してきた西洋の文化、彼らの本領を接ぎ木して、初めて全(まった)きものになるということを知るのである。そうすると世界文明というものの創造に我々の占めるべき地位・立場・使命がはっきりする。人類文化の大和的関係を知って、初めて真剣に自己の使命に生きることができる。そこに矛盾も排擠(はいせい)もないのである。(p194-195) ☆ ☆ ☆つまり、潜在意識の時間の正体こそ、人類進化を愛と共に進める宇宙意識に他ならない。これがニュートンが呼んだ絶対時間の正体で、覚醒意識の陽の時間と対極をなす創造の陰の時間なのである。日本人は、この思いやりの、過去の先祖を詫びる寂びるの、詫び詫びの文化を継承している、大和魂のヤハウエの時間に従うユダヤの精神をもつ人類の一員なのである。このヤマトの時間こそ、永久の時間で、奈良で代表される「ならじかん」の、大自然を、潜在意識で観照する、神を感じる仏心の、霊能力なのである。ならじかんそして、前回紹介したように、生命は神の宇宙意識から預かった愛の返済から生まれ、寿命は、それを記録するための時間だから、愛の返済のために努力でいくらでも変えられるのである。しかし、自分の行いで返済しないといけないので、誰かが自分のためにやってくれるわけではなく、それでは益々愛の返済が増えてしまうばかりである。このように、現代人が現世だけを一回切りの人生と捉え、誰かをあてにして、愛を返すのを怠り、私利私欲に走っていると、エントロピーが増大するがままに、この地球進化紀に、卒業できずに、第10番惑星以下に意識を降格させてしまうだろう。現代人をみていると、愛の自己破産に陥る人が、この国にも沢山増殖しているのが、特に国家の中枢に巣食っているのがわかる。2025年がこの国の存亡の危機となるのを憂うばかりである。この国の住人には、潜在意識のなかの無限時間を活用する人がほとんどいないのが問題を深刻化している。睡眠中の、無限時間は、前世に旅し、人類の進化に沿って、過去と未来をつなげるタイムマシンの役割を果たすはずである。人間が朝起きて、朝日を浴びるのが今日一日をつくるはじめとなる。とりあえずは、そとは寒いので、この冬はほとんど寝て過ごすことに決めた古代人オンネスなんである。巳年に、冬眠の蛇になるかもしれない。
2025年01月09日
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正月のブログ更新は元旦だけにして、自由気ままな悠々自適の生活を送ったが、先日NHKで面白い番組をみた。それは「朝までラーニング!10000分後、時間の正体を発表するエントロピー池崎」という番組である。10000分後、“時間の正体”を発表するエントロピー池崎。 - 朝までラーニング! - NHKこの番組は、お笑い芸人の池崎氏に、心理学、物理学、哲学の、それぞれの時間の正体についての現在考えられる見解をそれぞれの専門家がレクチャーし、10000分後に池崎氏がまとめて発表をする、という大胆な企画で、短期間個人セミナー発表会のようなものである。現代人の考えている時間についての思想がわかるので、面白かったが、残念なのは、生物学がレクチャーにはなく、ほんの少しの過去の映像でお茶を濁し、また宗教学が完全に抜け落ちていたところにある。古代人と比べて、現代人が視野が狭く、遥かに枝葉末節に拘っているのかがわかる。現代では、宗教は観念論化され、科学とは別物として現代人が考えるのが、このセミナーからもわかるが、とりあえずは、この3分野を要約統合した、時間の正体についての見解がわかるので、現代人の時間感覚を把握するのには面白い試みに思えた。しかし、肝心な宗教が抜け落ちているので、人智学や神智学が古代叡智により解き明かしている時間の正体に比べれば、物足りないのは明らかである。精神を語ってはいるが、観念論化された、物質感覚に置き換えた肉体上での、つまり覚醒意識上での感覚でしかないのである。というのは、肝心な時間の精神的な源流が抜け落ちているのが、このレクチャーからもわかるが、現代人は起きているときの覚醒意識での、時間感覚しか把握していないところにある。面白いのは、発表会で、聴衆の一人の、猫の時間感覚と人間の時間感覚は同じか、という質問に対して、池崎氏は、生物学のレクチャーをほとんど受けていなかったので、他の3分野の知識から同じと誤って応えてしまったところである。ネコの進化とヒトの進化の違いから、唯物的にも、時間感覚の違いが科学的に究明できるはずなのである。この番組では、過去の番組で、生物学専門家が、生物の個体の大きさ、つまり体重による心拍数の相違を基にして、例えば、ヒトを心周期1秒とすると、クジラは9秒、ゾウは3秒、馬は2秒、ネズミは0.2秒、ネコは0.3秒という大体の目安が割り出されているので、ヒトが1秒と感じる運動感覚が、ネズミでは、5倍も遅く感じ、ネコでは約3倍も遅く、逆に、馬では2倍速く、ゾウでは3倍、クジラではなんと9倍も速く感じるという、生物学的な心運動の法則から、時間感覚が予測されている。これはヒトの心運動を基準にした生物学的な時間の相対性理論といえるものである。だから、この過去番組の生物学専門家が提唱しているように、ヒトがネコと30分遊んだ感覚は、ネコには約2時間遊んだように感じるわけなんである。これはまた例えば、ハエや蚊を叩くヒトの速度感覚が、ハエや蚊には遅く感じるので、ハエや蚊の動きにヒトはついていけずに速く感じるのと同じである。余談だが、この運動論を、アリストテレスの運動論にまで遡れば、無秩序から秩序へとバランスの安定を求めるために運動がなされるわけで、大自然の運動は、四大元素霊に辿りつくはずなのだが、悲しいかな、現代の哲学者は近代に芽生えた唯物論で細分化された覚醒意識に拘るために、近代しかみえていない。それで十分だと思い込んでいる。だから、生物種を越える時間感覚などは思いもせずに、物体運動に規定された客観的な概念に取り込まれてしまい、主観と客観を人間の覚醒意識上での時間感覚で分類せざるを得なくなっている。だから、あえてアリストテレスの運動論に言及し、生物学上の時間感覚を、物理的に解釈し、端的にいえば、小さい個体ほど時間感覚に優れるわけで、質量が小さい、ほとんど無いと思われている素粒子の仮想量子の、光子などが生物だとすれば、ヒトに比べれば、時間感覚が無限に近いほど素早く運動できるわけなんである。実際、物質界での覚醒意識による数式化を用いて、光速度が観測測定されているが、それは生物的な感覚を度外視した、物質界での一応、以下の如く、天文学的スケールで、およそ30万km/sと概算されているが、これはあくまで、ローレンツが、エーテルを数式化した、ローレンツ変換をアインシュタインが特殊相対論の仮説で持ち出した時空という空間での光の運動に従った時間を、最小原理の作用から概算した数値といえるだろう。マクスウェルが、真空での電磁波の速度を方程式で定式化したことに端を発しているのは有名である。光速 - Wikipediaつまり、物理学での時間は物体の時間の尺度を議論し、しかも、起きているときの、覚醒意識での観測にすぎないので、物理学では、少なくとも、時間を、質量の量子化からエネルギーとして、割り当てないといけないわけで、光子が質量ゼロなので、特殊相対論を上手く構築できたが、それだけでは片手落ちで、物質界での光が反映していない俗にダークマターといわれる潜在意識での、時間感覚にまで言及しないといけないわけなのだが、これは超重力理論として、数式化され、現代では、ギガエレクトロンボルトGeVから、テラエレクトロンボルトTeVの高エネルギー領域での、素粒子がほぼ光速度で飛びかう物質界を想定し、加速器で、実験観測しているのが現状なんである。それでも、超対称性粒子は発見できていないわけで、約30年前の私が院生のときに、電磁力と核力の弱い力の統一に必要なウィークボゾンに質量を与えるヒッグス粒子が、約90GeVから150GeV辺りの欧州原子核研究機構CERNの実験から観測実証されたのがほぼ現代の限界であろう。欧州原子核研究機構 - Wikipediaヒッグス粒子 - Wikipedia時間論を紹介し始めると、物理畑出なんで、どうしても物理論に偏ってしまい、結局は、質量の時間との整合性から、ダークマターにハマってしまう。このような質量を伴う時空での運動からくる時間感覚が、物理学の、覚醒意識での知性の限界を示しているわけで、池崎氏が、ヒトとネコの時間感覚が同じと応えてしまった、知性の限界の、時間の壁に辿りついてしまうわけなんである。だから、物理学や、ほぼそれを基にしている、覚醒意識での、時間感覚論では、時間感覚は、所詮空間での運動や変化の概念でしか捉えられないので、心理学や哲学といっても、覚醒意識上での運動の概念を細かく枠ごとに分類し、割り当てているにすぎないので、まずは生物学での時間論を取り込むために、手始めに、シュレーディンガーのネコのヒトからみた観測だけでなく、ネコからみたネコの一生や、夏目漱石のように「吾輩は猫である」のようなネコのヒトの観測論から観測しないと片手落ちなんである。シュレーディンガーの猫 - Wikipedia吾輩は猫である - Wikipediaつまり、シュレーディンガーのネコは、ヒトの覚醒意識上での、思考実験で、ハイゼンベルグの不確定性関係を、物質界から想定したものにすぎない唯物論なのである。そこにはヒト、ネコ、毒ガス粒子、放射性崩壊などのそれぞれの時間感覚の相違がすっかりと省かれてしまっている。生物を全て唯物化して、人間の時間感覚で、物体の運動論に割り当てて、統計確率論で概算しているわけなんである。簡単にいえば、非線形現象を省略して、線形近似化して、割り当てているわけである。つまり、ここでも、以前紹介した、計算機の父チューリングの、科学は微分方程式で、宗教は境界条件という言葉が蘇る。生物には境界条件の死があり、生命があるのを忘れてしまい、生命から時間感覚が生まれるのを度外視している。だから、アインシュタインは、神様はサイコロを振り給わずと言ったのだろう。ハイゼンベルグの不確定性関係は、人間の時間感覚が、覚醒意識上での壁の限界となるのを露呈しているわけなんである。そこには、人間がなぜ生きるのか、なぜ物質界に転生するのか、が全く語られずにただ、物質界の壁のなかをあれこれと定義づけているだけで、その姿は、プラトンが、イデア論で持ち出した洞窟のなかの囚人の比喩なのである。だから、物質界を越える時間論が出てこない。少なくとも睡眠中の時間がどうなのか、他の動物種との脳波の相違なども観測できるはずなのである。そうすれば全てが波動の節の波数の相違でしかないのに気づくはずである。プラトンのイデア論「洞窟の比喩」とは?図と具体例でわかりやすく解説!| ズノウライフつまり、早い話、以前紹介した量子もつれを忘れてしまっているのである。量子もつれとは、覚醒意識が、潜在意識のなかの氷山の一角なのを示しているのである。人間は、光という叡智の、物質界での振る舞いから、時空という時間感覚をつくりあげて、質量という構造的な負荷、つまり肉体感覚をもって生きている。だから負荷の軽い生物は、負荷をすみやかに解消できるだけの運動のための知識で充分で、負荷の重い生物は、それだけ充分な知識を得るための一生の経験が必要なんである。だから、愛という宗教が根本的に人間には必要なのである。知識を得るには、自分以外の他の誰か、何らかの生物に愛を与えないといけないのが、この世で生きる目的である。愛を与えることで、負荷は解消される。だから、小さな生物ほど多産で、大きな生物の生きる栄養となる。つまり、時間感覚には、愛を与える時間と、愛を奪う憎しみの時間がある、ともいえるかもしれない。大きなものほど、大きな愛を食物として得ているので、それだけ負債も大きく、長い一生で、負債を返していかないといけない。人間の場合は、一生で返し切らないと、次の転生で、また新しい時間で、前世の負債を返していかないといけない。これが宗教での愛の修行で、時間感覚といえるだろう。だから、宗教を基にした生物学でいうなら、ネコから見たヒトが長生きなのは、ネコがヒトよりも約3倍も時間感覚が速く、それだけ負債を返しているせいともいえるわけで、シュレディンガーのネコでいうなら、更に、青酸ガスの運動や放射線粒子の運動からみれば、ネコの運動、つまり寿命は充分に長くみえるわけで、それは、ネコの肉体を構成している粒子や素粒子が、ネコの肉体のために、不自由な負債を抱えているだけの違いなのである。自由な素粒子ほど消滅しては生成し放題で、タイムマシンのように過去から未来や、未来から過去へと、無限に旅する量子もつれ、なんである。例えば、小さい動物は寿命が一般的に短いのが、ある程度、生物学からわかっている。以下のように、ゾウは、損傷した細胞の周期を止めて細胞死を促す、ガン抑制遺伝子として有名なp53遺伝子を20個ももっているという。「ゾウはガンにならない」!「大きい生物は長生き」で「小さい生物は早く死ぬ」理由(小林 武彦) | 現代新書 | 講談社(1/3)p53遺伝子 - Wikipediaつまり、大きな生物はそれだけ大きな肉体をささえるだけの愛が必要なので、食物として受け取った愛を返すために長生きしないといけないのである。愛を受け取れば、返さないといけない。それは、人智学的にいえば、愛のやり取りとして、自我のなかに記録されているのである。愛のやり取りを行うところが、アストラル体の心で、愛を実際に物質などに交換するのがエーテル体である。そして、返し切れない愛の負債の憎しみを背負うと、返し切れなくなって細胞増殖が増長し、肉体が腫瘍化し、がんなどに罹って、肉体を捨てる死となるわけである。だから、宗教的に、人智学的にいえば、一生を形作る時間感覚は、潜在意識の今生での愛の返済計画といえるかもしれない。つまり、前世からの愛の負債のローンを組んで、今生の経験から、愛の与え方を少しづつ学んで、叡智を獲得するための、愛の教育プログラムが、人間の時間の正体といえるかもしれない。人間の場合は、それが個人の自我で行われているので、個人の時間をもち、時間感覚も十人十色といえるだろう。だから、同じ物質界の時間を生きていても、老けて見える人や若くみえる人がいるのである。各人の人生の課題は前世からくるので、潜在意識のなかの時間は、覚醒意識では捉えられないからである。夢を何時間みていたのかは、覚醒意識ではわからない。というのも、質量がゼロで、あの世にいっているからで、いわばタイムマシンに乗って時間旅行しているからである。また動物は、人間とは異なり、集合的な自我なので、種全体で、愛の役割が異なり、物質界での叡智の到達度が制限されているといえるかもしれない。このように、現代人は、覚醒意識による光の物質的な観測から時間の概念を創出しているが、あらゆる宗教が説いているように、それは光の一面にすぎない。光速度で、光を観測しない限りは、時間の正体である光の上辺を特異点の近傍として捉えるだけしかできない。幸運の女神には後ろ髪がないのである。神秘学では、光は叡智であり、神の言葉ともいわれている。光の捉え方で、人間の時間感覚が決まるといえるかもしれない。それはつまり、その人の知性レベルの限界を意味する。光速度で愛を万遍なく宇宙の隅々までに与えるのが、神の御業といえるかもしれない。一灯照隅、万灯照遇。一燈照隅 萬燈遍照|致知出版社この番組で、素晴らしいかったのは、エントロピー池崎氏が、最後に、自分はお笑いで愛を返済する人生、つまり個人的な時間を背負っているのを自覚していたことだった。ちなみに、古典物理学で有名なニュートン力学は、弟子たちが曲解して、絶対時間を力学的にガリレイ変換で、定義したために、絶対時間が先走りしているが、ニュートンのプリンキピアでの、古代ギリシアへのユークリッド幾何学への傾倒や、スウェーデンボルグの霊視から、ニュートンが、絶対時間を、宇宙を流れる愛の源とし、そこから一時期、愛を借りているので、運動の時間を、デュレーション(英: duration)と、愛の返済期限と呼んでいるのがわかる。つまり、ニュートンは、物体だけの運動に拘っていないわけで、神学者だった。ホンモノの神学者なら、霊能力に言及できないと嘘つきで、死後火あぶりの刑なのである。絶対時間と絶対空間 - Wikipedia宗教の無い時間論は、悪魔の戯言にすぎない。だから個人の時間が必要で、自分の愛の宗教を打ち立てるべきである。真のニュートン力学とは、時間が愛の通貨であるのを示したカルマ論なのである。我々は、宇宙から潜在意識により愛を与えられているのである。そして、その活用法を覚醒意識で観測実証し、確認しているのである。
2025年01月07日
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謹賀新年、今年の干支は乙巳で、毎年、紹介している安岡正篤氏の「干支の活学」によれば、乙巳(きのとみ)は「因循姑息にケリをつけて、勇敢に進む」の運気の年とされている。続けて、この書から要約すると、去年の甲辰の、旧体制の殻を破って、創造を伸ばせ、という運気を受けて、去年は、非常に騒がしい動揺があるが、いま一つ実がない、まかり間違えば、思いがけない変動、災禍がある、年だったわけで、現に元日から能登半島の地震が起こり、天変地異が多発し、いまだに復旧の目途もたたないでいる。2025年の干支は乙巳(きのとみ)!どんな年になる?巳年生まれの特徴は? | ギフトコラム・活用術 | 【公式】ギフトといえばQUOカード(クオカード)このように去年は、天変地異に対して、一向に政治が、旧体制の殻を破れずに、因循姑息のままに埋もれていた。隣国の韓国などは戒厳令まで出す始末で、政治の創造性が全く機能せずに、停滞している現状である。旧体制を脱して、新しい創造の歩を進めるべきだが、従来の因循のせいで、抵抗が強いために、思うように伸びずに、いい気になると、とんだ失敗をして、禍を蒙る。だから気をつけて進んでいく必要がある年なんである。このように去年の甲辰の運気を紹介すると、思い当たる節、例えば、国民民主党の玉木氏の不倫問題が浮かびあがるだろう。せっかく減税で国民生活を上向かせ、景気をよくして、失われた30年の少子高齢化を阻止しようとして、経済的な創造性を伸ばし、GDP上昇の切欠としたいのだが、因循姑息の官僚たちの抵抗にあって、まぁ、俗にいうハニトラにひっかかって、禍を蒙った顛末といえるだろう。この顛末などは、以下の高橋洋一氏の動画などをみれば、参考になり、よくわかる。髙橋洋一 日本の成長を妨げてきた要因 #高橋洋一 #髙橋洋一 - YouTube髙橋洋一チャンネル - YouTube今年の乙巳(いつし)の解説をさらに、この書から続けると、乙は、甲の植物の種から、芽がでたが、まだ外界の抵抗が強いために、真っすぐに伸びないで、曲折している象形文字で、いかなる外界の抵抗があろうとも、内なる生命の、精神の創造性を伸ばしていく運気を表わす。人智学でいえば、神界の命、つまり、時代霊大天使の指導を意味する。そして、巳は、低俗化され、一般的に、蛇とされているが、それは、地中深く冬眠していた蛇が地上に這い出す様子を表し、従来の因循的生活に終わりを告げる意味の、已むの運気を表わす。これを人智学でいうなら、アストラル界の命で、天使の指導を意味する。だから、生命として活動を続け、創造を絶え間なく行うのなら、人類の活動には、蛇のような脱皮が不可欠なんである。以上をまとめた、乙巳(いつし)は、いかに旧体制の抵抗力が強くても、それに屈せずに、弾力的に、雄々しく変革、改革を断行していく運気の年というわけで、このような変革、改革の創造的な発展の精神がないと、悪が凝り固まって悪党になってしまい、悪は自ら固まるので、巳が己となってしまい、己から、自己となる。利己心は執着心のなかの最たる心で、この心は生命の創造性を阻み、霊魂をゲヘナの地獄に堕とすわけである。だから、「因循姑息にケリをつけて、勇敢に進む」という命題が、天使たちから、人類にテストとして与えられている年なのである。この命題を克服できずに、自己に凝り固まると、最後の審判で地獄に堕ちるわけなんである。とくに現体制の権力者たちには最たる試練の年となるだろう。過去の自己と決別すべき年なんである。決別できない人物が、特に昭和世代の代表的な有名人が、去年、この世を去っていったのは誰もが知るところだろう。ナベツネなどはその代表といえるかもしれない。この乙巳の年を過去にふりかえると、この書は面白い事を教えてくれる。120年前の、明治38年は、前年に発生した日露戦争のケリをつけて、勝ち戦という恰好をつけるのに成功した。もし、ズルズルと太平洋戦争のように因循姑息に続けていたら、敗戦に至ったと、この書の安岡正篤氏は結論づけている。そして、安岡氏は、この日露戦争終結に続いて、日韓関係にもケリをつけて、乙巳条約と呼ばれる日韓協定を結んだのにも書で言及している。安岡氏の書では、乙巳の年を更に言及し、1605年の慶長10年に、徳川家康は、二代将軍に秀忠を就任させて、徳川幕府の新しい体制をつくったことや、1185年の文治元年に、源頼朝が、平家を滅ぼし、全国に守護、地頭を設置して、いわゆる鎌倉幕府の新しい政治体制を確立した例を挙げている。そして、最後に、乙巳の改革として有名な、645年の大化の改新を挙げている。1965年 - Wikipediaちなみに、60年前の1965年をみると、「11月19日 - 戦後初の「赤字国債」発行が閣議で決定」とあるが、この年に新体制が発足し、政権交代が行われたかといえば、疑問の余地が残る。主な出来事を抜粋すると以下になる。いざなぎ景気、マルコムX暗殺、人類初の宇宙遊泳、日韓基本条約調印、谷崎潤一郎が死去、万博の大阪開催が正式決定、朝永振一郎がノーベル賞受賞、野村克也が戦後初の打撃三冠王など、日本国内や世界での主な出来事をまとめました。1965年の出来事 | 写真素材・ストックフォトのアフロオリンピック景気の反動で不況が深刻になり、企業倒産が相次いだ。米軍がベトナムで北爆を開始、ベトナム戦争が拡大した。中国で『文化大革命』が始まった。1965年|放送年から探す|番組|NHKアーカイブスエレキ・ギター ブーム 1965年1月、ザ・ベンチャーズの2回目の来日(初来日:1962年)により日本での一大エレキ・ブームが巻き起こった。1965年の流行や出来事|じぇね太郎の旅【ゆっくり解説】昭和40年 1965年はこんな年だった!懐かしさがあふれる。野球 映画 アニメ 音楽 流行り - YouTube面白いのは、大阪万博がかぶっているところである。万博が官僚による政権延命に利用されるなら、この国は滅亡に向かう可能性が高いだろう。今年中に政権交代し、ドクターXを召喚し、官僚の特別会計にメスを入れないと、官僚による特殊法人の癌の転移が全体に拡がって、中央政府の延命のために、モルヒネで緩和ケアするしかなくなるだろう。延命しても、中央政府は時間の問題で旧ソ連のように滅亡し、地方が分権化独立するだろう。それとも、道州連合地方国となって新しくやり直すのかな?
2025年01月01日
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