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また久しぶりに書きます。宗教や哲学で問題にされる、神とは何か? の答えを探ってみたい。人智学、神智学から考えてみると、神とは端的にいって、地獄を天国に変える能力をもつ存在といえる。無秩序に秩序を与える存在である。勿論、地獄や悪魔も神が創り出した。神がそれらを超える能力をもつから、あえて創り出したわけである。そうなると、時間を根底に考える思考をもつ我々は、秩序が先なのか、無秩序が先なのかと考えたくなる。しかし、それらは同時といってよいだろう。双子のようなものである。秩序故に無秩序がある。そういう状態を数学を使って複雑系で捉え、カオスと秩序の間のカオスの縁で解説する。どういうことかというと、無秩序になっていけばいくほど、秩序になり、逆に秩序的になっていくほど無秩序になる、4次元の世界なのである。例えば、オカルトでは、生命の原理と呼ばれるホメオパシーは、この性質を差している。 つまり無秩序と秩序の運動というか、せめぎあいから新しい秩序、つまり無秩序を取り込んだ秩序が生まれる、というわけである。無秩序を取り込める秩序、カオスと秩序を巧く調和できるカオスの縁こそが、生命の神の原理なのである。パイコネ変換というのが、複雑系では有名である。これはパン(パイ)を2倍に伸ばし、折りたたんでくっつける変換式で、4次元世界をうまく表現している。つまり、秩序を増大しすぎると、無秩序になってくるが、折りたたんで、再び秩序と結びつけると、新しい秩序が生まれるわけで、それがカオスの縁なのである。この原理は、かのパラケルススが、ホムンクルスと呼んだものである。ホムンクルスとは、ホメオスタシスの事である。生命の原理とは、ホメオスタシスなのである。私はかつて白血球のT細胞をモデルにして、免疫恒常性を複雑系で説明したことがあるが、要するにあらゆる宇宙の階層において、ホメオスタシスがフラクタルのように機能しているのである。人体においては免疫恒常性が健康の源である。あまりに秩序化すると、自己免疫疾患にかかりやすくなり、逆にカオス化すると、免疫不全になり、感染症にかかりやすくなる。免疫は常に新しい秩序、つまりカオスの縁を創り出すために、細菌やウイルスを必要とするのである。でないと、秩序化しすぎて、自己分裂化し、自己を自己で攻撃するようになるからである。だから神がより良い天国を創りだすにはより悪い地獄が必要で、神に敵対する悪魔が必要なのである。それは神自身がホメオスタシスだからである。難解になってきたので、少し話題を変える。成仏とは、オカルトでいえば、あの世とこの世を自由に行き来できる存在のことである。ある意味、地獄と天国を自由に行き来できる存在でもある。しかし、神のように地獄から天国を創り出すことはできない。ただその手足となるだけである。人間は肉体を失うと、肉体を基にしていた自己を失う。四苦八苦が、自己という存在から生じることは、御釈迦さんが既に語っているところである。だから仏教の修行では自己を無くすことが命題にある。ギリシア哲学は、自己を無くすことではなく、いかにも西洋的だが、自己とは何か、を追求していくのが命題である。では、自己とは何だろうか、オカルトでは、人間の魂は、何度となく、この世に輪廻転生してきたといわれる。それは、新しい自己の秩序を創り出すためである。自己は生まれ、そして死に、また新たな自己として生まれ変わる。そう、自己のカオスの縁を育むためである。自己は死後、無くなるが、死にはしない。新たな自己に組み込まれ、再生するのである。キリストは身をもってこれを示した。キリストの復活とは、自己の再生の事である。だから、苦しんだ自己は、必ず癒されるのである。キリストは、あなたたちは決して死にはしない、苦しみは必ず癒されるからだといった。苦しみが深いほど、自己は新しく生まれ変わる。蛇やエビが脱皮するのと同じである。この世での自己は本当の新しい自己の殻にすぎない。自己とは、ホメオスタシスで統一する本体である。バランスといった方が簡単かもしれない。調和、天秤のようなものである。苦あれば楽あり、悲しめば笑うことある。宇宙はホメオスタシスで動いている。電子が光の粒であるように、人間の魂は、神の粒なのである。だから、人間の魂には微力ながら、地獄を天国に変える力を持っている。苦しんだほど癒される。創造には苦しみがつきものである。天国は地獄から生まれる。小さくなればなるほど、質量がなくなって、宇宙の大きな力に動かされる。小さな自己は無になるどころか、大きな宇宙の自己により救われるのである。それは粘菌が大きな宇宙のホメオスタシスを体現しているように、小さな存在ほど、大きな宇宙の摂理を受けるようになるからである。より小さくなるほど、より大きくなるのである。迷える子羊は必ず神に救い出される。人間が困難に出会うと神の名を呼ぶのは、本能的にこのことを悟っているからである。神様、神様、私を見つけてください。ここにいますよ!神は絶望の淵に現れる。生命は生と死のカオスの縁に現れる。神に感謝!
2020年01月18日
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ブログを随分と放置している間に、年が変わってしまった。色々書きたいことはあるのだが、なかなかその時間をつくれない。 時間があれば、シュタイナーの人智学とドーリルの神智学を読み解いて、その真実をわかりやすく解説したいと思っているのだが、なかなか進まない。 なかなか進まないので、思いついたように、断片的に単刀直入に久しぶりに書く。 人間がなぜ生きるのかは、哲学の主題だが、それは神になるためである。人間は神の子であることは、キリストが既に説いている。神になるためにはあらゆる経験を積まないといけないし、その努力も必要なので、この世に生まれて地獄のような苦しみを味わうわけである。 神は悪魔をつくり、試練を人間に与える。師が弟子に課題を与えるのと同じである。 この世は神になるための学校である。だから人間はこの世で苦しみの勉強をする。 苦しみは人間自らが創り出す。肉体はその現れである。 苦があるから楽があり、悪魔を超えるから神に到達できる。 この世で悪に出会わなければ、悪を超えていけない。 そこで悪を超えるにはどうすればいいか? 端的にいえば、悪を経験し、克服するために努力するしかない。 何が悪か、といえば、独りよがり、つまりエゴである。調和がとれない状態である。 悪を理解するには、物質に現れる前の、目に見えない状態を見通せないといけない。 いわゆる超能力である。経験を積めば、目にみえないことも見通せるようになる。法則が理解できるからである。 例えば、物理学は、物質の関係性を力により定義し、理解する学問である。エネルギー保存則や物質保存則は、19世紀から人類が発達させた超能力の1つといってもよいだろう。 しかし、物理学は物質しか想定できないので、精神にはほとんど言及できない。 いま哲学と呼んでいる学問は、古代ギリシアでは、精神の関係性まで見通せ、精神の法則性を見通せた。だから、物質の法則性よりも、上位にある。ソクラテスは物質の関係性だけでは、その上位の精神の法則には到達できないといい、プラトンはイデアで、その関係性に言及した。 物質の関係性を超えるには、人智学でいうところのエーテルに言及しないといけない。エーテルとは、生命の法則やその働きを言語化したものである。 例えば、古代アトランティス時代では、エーテルの法則や働きなどは、植物を通じてよく理解され、利用されていた。物質はもっと軽く、大気はもっと水蒸気のように水分を含んでいた。だから、生命力を使って、建設はいまよりも楽だった。 植物の種子をみて、花や果実を連想できた。現代人も植物を栽培することで予測でき、DNAをいじくって遺伝子を変えたりしているが、古代では、塩基配列になる前の、もっと根本的な音楽の楽譜みたいな段階で改変していたそうである。 その名残りが、例えば、干支などである。 干支については、現代では形骸化され、ほとんど理解されていないが、とりあえず、プレジデント社から出ている、安岡正篤氏の「干支の活学」を読む事をお勧めしたい。 人智学、神智学のエーテル、アストラルについて、東洋的な観点から、解説されているので、以下に転載する。しかし、西洋の奥義にはまだまだ程遠く、ほとんどが形骸化している。 干支とは、物理学的にいえば、エネルギーの流れ、もっと根本的にいえば、生命の法則や働きを、イメージ化したものである。 干支の干は、生命の陰の働き、内から外へのレスポンスを、五行に準えて表現したものであり、例えば、甲は、植物の芽が殻を破って出ているイメージである。発芽のエネルギーを表す。 芽は出たけれど、まだ外界の抵抗にあって、巧く成長できないので、曲がってしまうエネルギーの状態を、乙で表す。 つまり干は、生命の潜在エネルギーの内外反応の発展段階を10段階で表したものである。 そして支は、動物の習性に準えて、つまり個別的に、生命のエネルギーの発展段階を12段階で表したものである。 例えば、子は、ネズミの増殖性の習性に当てはめ、分裂、増殖する生命の働きを表し、それが絡み合って、個体として組織化していく働きを、牛の咀嚼して食べる習性にあてはめ、丑と表記し、その組織化したものが、相乗効果で活発化していく働きを、トラの俊敏な動きに当てはめ、寅と表記したのである。 鼠が子で、牛が丑で、虎ではなく、寅なのは、実際の動物ではなく、その習性に似ているからで、つまり、イメージ化しているからで、個々の動物とは直接関係はない。霊と考えたほうがよい。 ちなみに、よく昔話に出てくる、キツネやタヌキも実際の動物ではなく、その習性をもった霊体の事であり、西洋の妖精や、目にはみえない精神の法則や働きをイメージ化したもので、プラトンのイデアのようなものである。 精神界のあの世と、物質界のこの世とは、鏡像関係にあるので、エネルギーの物質化している部分は、精神では死んだ状態になっているのである。だから、精神の働きは、物質を分解、解体することにある。実際、人間は物質を分解、解体することで、知識を得る。 例えば、腫瘍は、精神性が失われ、生命の制御ができない状態にあるものだから、精神性を取り戻す必要があり、再び、エーテルを流し、精神性、つまり神経を回復しないといけない。取り除いて除去するのも一つの手だが、精神性を失わせる原因を改善したわけではないので、再発する。 物質は再び精神に帰着させないといけない。単なる破壊と、分解が異なるのはこの点にある。 だからエントロピーの法則がなければ、人間は知性を得ることができないのである。人間は地球を分解、解体することで、地球の働きを理解する。肉体を分解、解体することで、つまり死ぬことで、人間の生命を理解する。 キリストの太陽霊は、イエスの肉体に受胎し、人間の死を知ることで、地上で経験してきた人間の生命を理解したのである。 ここで言っている分解、解体とは、あくまで生命の法則に則ったものでなければならない。物質の法則で、分解、解体しても知識は得られないこと、単なる破壊にすぎないことに注意しないといけない。 自然の生命の法則を超えてしまうと、カルマの法則により、自らで、自らを破壊し続け、自らの存在が孤立し、消滅してしまう可能性がある。理解とは、互いの働きを捉え、客観的視点に立たないと、無意味だからである。 常に生命を尊重しないと生命の理解は得られない。それが生命の法則の基本だからである。
2020年01月12日
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